ようやく暑さも和らいで来ました。
もうすぐ秋風が吹き木枯しの季節となるのでしょうか ──
もうこの仕事に本格的に関わり始めて40年になります。
大学を出て10年、出版とは全く関係のないサラリーマンをやりました。
毎日、大阪御堂筋のビルの7階から四季の移ろいを眺めながら過ごしました。
会社を整理するというので、それまでに同人誌のようなものや資料集を出したりはしていましたが、他に仕事を探すこともなく、わずかな退職金を元手に出版を生業にすることにしました。
若かったな。すでに子どももいたし、今だったら踏み止まっていたでしょうね。
他人より10年遅れて出発しましたが、これまで多くの方々に迷惑をかけたり助けてもらったりして〈絆〉をこしらえてきました。
大学関係の先輩・後輩、多かれ少なかれ学生運動や社会運動に関わった人たちなどが多いです。
決して一人でやって来れたわけではありませんでした。むしろ助けてくれる方がいたからこそ、生来鈍愚な私でもここまでやって来れたと思っています。
自分で望んだわけではありませんでしたが、これまで他人よりは起伏のある人生でした。
特に2005年、『紙の爆弾』創刊直後の「名誉毀損」に名を借りた出版弾圧は「人質司法」による長期勾留を強いられ正直きつかったです。
これまでこの通信でも何度も述べているので繰り返しませんが、これを皆様方との〈絆〉で乗り越えれたことは大きいです。誰もが「松岡も鹿砦社も終わりだろう」とささやいでいたということですが、人の運命というのはわからないものです。その前の阪神大震災でも、「松岡も鹿砦社も終わりだろう」と東京ではささやかれたそうですが、自分で言うのも僭越ですが、我ながらしぶといです。
その後、奇跡ともいうべき復活を遂げることができ、これでこのまま後の世代にバトンタッチをしようと思っていたところ新型コロナ来襲で、またペシャンコにされようとしました。
ところが、ここでも皆様方との〈絆〉で生き残っています。思い返せば、20年、30年、40年と、付き合いの長い方が多いです。これで知らず知らず〈絆〉が出来たのだと思っています。
そう、「あなたとここにいることがすばらしい」ということです。
これからもいつまでも「あなたとここにいること」、そしてもっともっと強い〈絆〉で『紙の爆弾』『季節』を継続させ鹿砦社を継続させていければと願っています。
(松岡利康)