米大統領選と兵庫県知事選の結果が大きな波紋を呼んでいる。
それは、「マスコミ不信」とそれに対抗するSNSの威力を浮き彫りにしたからである。
こうして今、「SNS選挙時代」の到来が言われている。
それは何を意味するのか、それを考えてみたい。
◆米大統領選挙に見る民意
米大統領選では、米国のマスコミは、概ね、反トランプの論陣を張った。
しかし、その結果は「トランプ圧勝」であった。激戦州七つを制し総得票数でもトランプがハリス民主党候補を上回った。同時に行われた議会の上院、下院選挙でも共和党が勝つ「トリプル勝利」だった。
この選挙戦は、「米国の分断」を象徴していると言われた。
「米国の分断」とは、多くの識者が指摘するように、根本的にはグローバリズム、新自由主義政策によって格差が拡大し少数の「勝ち組」が富を独占し、大多数の人々が「負け組」として、貧困層に追いやられた社会の分断である。
民主党内にあって「社会主義政策」を主張するバニー・サンダース上院議員は、「60%はその日暮らし」の貧困層であると指摘する。
ジョブ型雇用で定職もなく低賃金で職場を転々して生活する「その日暮らし」を余儀なくされた貧困層。その典型は600万人と言われるホームレスである。
最近のホームレス激増は、家賃が高騰して払えなくなり家を追い出され、車中泊やテント泊する人が増えたことによる。立ち並ぶ高級マンションと車中泊やテント泊の対比的な情景は、まさに格差を象徴している。
トランプ氏の圧倒的勝利は、この生活苦に喘ぐ絶対多数の国民がトランプ氏ならこの苦境を救ってくれるのではないかと期待し支持したということである。
そして米国国民は、こうした生活苦をもたらした米国の「民主主義」そのものを問題視している。
事実、米国民が今回の大統領選で一番重視したものは「民主主義」(34%)(経済32%)であった。
選挙選では、民主党のハリス候補が「人工中絶容認」や「民主主義」を争点にしたのに対し、トランプ氏はMAGA(Make America Great Aagein)(偉大な米国を再び)を掲げた。
MAGAは一つの運動になっており、彼らは、ハリス氏や民主党を「グローバリスト」と呼び、「国内経済を返り見ず、対外戦争に熱を上げる者たち」と指弾する。
即ち、米国民はグローバリズム、新自由主義が国民生活を破壊するものと捉え、それを「自由と民主主義」などと粉飾する民主党的政治に異議を申し立てているのだ。
こうした中、米国民の「マスコミ不信」が深まっている。
世論調査会社「ギャラップ」の調査では、「マスコミを信じない」は「まったく信じない」36%、「あまり信じない」33%を合わせてほぼ70%にも達する。
「中国問題グローバル研究所」所長の遠藤誉氏は、「米国のマスコミはほとんど民主党寄りであり、それに有利な報道しかしない」「「彼らは、労働者、農民、製造業のブルーカラーの声を拾おうとはしない」と指摘しているが、このようなマスコミを誰も信じなくなっているということだ。
◆日本でも同じことが
「マスコミ不信」は日本でも深まっている。
兵庫県知事選は、ご承知のように、斉藤元彦知事の「パワハラ」「おねだり」問題に端を発し、これをマスコミは大きく取り扱った。それに後押しされた形での百条委員会の設置や議会による辞任決議。それを受けて辞任した斉藤氏が「出直し」立候補をしたものである。
マスコミはその立候補自体もマスコミは叩いたから、斉藤氏の落選は必至と見られていた。しかし「まさか」の大逆転。2位との差は13万7000票もの大差。投票率は14ポイント増の55・65%。決して「まさか」とは言えない数字である。それも選挙期間の前半戦では、斉藤劣勢であったものが終盤に来て、斉藤支持が激増するという、競馬で言われる「大まくり」の逆転だった。
県民の声を聞けば、マスコミの斉藤叩きに対する疑念と反感がそこにある。
これだけ叩かれても立候補した斉藤氏には言い分があるのではないか、それを聞こうではないかとしてSNSを見る。そこにはマスコミが批判するものとは違う斉藤像があった。
10代~30代の6割以上が斉藤氏に投票しているが、彼らも、SNSを見て、投票先を決めたという。
もう誰もマスコミを頭から信じなくなっている。
元来、マスコミは「第4の権力」と言われ世論形成に大きな役割を果たしてきた。そして、それは結局、既存の政治を擁護するものになっていた。
マスコミ不信とSNS重視は、上からの作られた民意ではなく、国民が自らの要求に基づき、自らの意志を形成して行こうとする動きとしてあると思う。
◆SNS選挙時代
こうした中、「SNS選挙時代」が言われている。
これまでのようにマスコミ報道を見ながら投票先を選ぶのではなく、SNSで意見を交換しながら民意に合う候補者に投票するということである。
これからの政治は、民意に応えなければ成り立たなっていくだろう。
総選挙でも、自民大敗の要因は、「国民の期待に応えてない」からだと言われた。その期待は、個々人の努力では解決できない、このどうしようもない生活苦を国の政治として解決してくれということである。
今回の総選挙で関心事の1位、2位は「経済」であり「社会保障」であった。すなわち生活問題である。
最近、「『黙っていたら私も死んでしまう』―生活保護受給者の悲痛な叫び」というネット記事を見た。
低賃金の「その日暮らし」を余儀なくされ、最後に駆け込んだ、生活保護も色々と難癖をつけ減らされる。そのわずかな生活保護費でどうして生きていけるのか。知り合いの高齢の女性が電気代節約のためにクーラーを切っての熱中症で死亡したことなどに接して、「黙っていたら私も死んでしまう」ということである。
NPO団体が実施する「食料の無料配布」に列をなす人々。その一人は「一日分の食事を二日かけて食べています」と述べる。
ホームレスも増えている。米国の車中泊、テント泊も悲惨だが、日本の「ネットカフェ」泊まりは、もっと悲惨だ。
そうしたことがGNP3、4位のこの国で起きている。
その原因は「貧者に回すカネなどない」に尽きる。膨大な軍事費、5年間で43兆円を注ぎ込むことを米国に約束したが、その額は、ミサイル開発などを考えると70兆円に膨らむとか、米国の要求によっては際限なく膨らむだろうと言われている。
そして総選挙での関心事の第三位には、これまで、あまり関心が払われてこなかった「外交・安全保障」が入っている。対中戦争で最前線に立たされる危機感が強まっていることの証左である。
◆「日米基軸」政治を「国民基軸」政治に
生活苦、格差拡大は米国に強要され追随してグローバリズム、新自由主義政策を取り入れた結果である。そして米国に要求され自ら約束した軍事費拡大によって、国民の生活苦を見捨てるしかなくなっている。
そうなるのは、日本の政治の根本が「日米基軸」だからである。
しかし、日本のマスコミは「日米基軸」批判はおろか、それに触れようともしない。
日本で、「日米基軸」に触れることはタブーだからである。
事実、日本のマスコミ報道は、内閣調査室で方向が示される。それに背けば職を失う。
かくてマスコミは、「対米基軸」を擁護する。朝日新聞が「『例外主義の後退』世界秩序の転換点」という論説委員の記事を載せていた。例外主義とは「米国は圧倒的な力をもつ唯一の超大国として世界で特別な責務を担っている」という考え方。即ち米国は何をしても許される国だということである。
この論説の結論は、「日本は法の支配など共通の価値観を持つ欧州やアジアの民主主義国家との結びつきを強めるべきだ。それが日本の国益になると信ずる」というものだ。
日本のマスコミのこうした「日米基軸」擁護の姿勢に国民は反発している。
今回の兵庫県知事選で明らかになった「マスコミ不信」の根底には、それがあると思う。
マスコミ不信とSNSの台頭に対する支配層の危機感は強い。それが、これまでの政治を根本的に変える可能性があるからだ。
確かに彼らにとってSNSは頭の痛い問題である。
今までのマスコミが世論を形成していく政治手法が効かなくなっている。
SNSに問題があるのも事実である。全体像を示さず自分に都合のよいものを切り取って発信するとか、インフルエンサーがフォロワーを増やすために、ことさら刺激的な映像や言動を発信するなどなど。
しかしSNSは、多くの人々の発信で成り立っている。そこでは「現実」を反映するものが支持され、「いいね」「賛成」で「拡散」していく。
「ガザ虐殺」を見た人々の中で、人間として許せない、何故こんなことが許されるのかという声が拡散した。こうした中で米国ではイスラエルの蛮行に抗議しそれを裏で支える米国政府を批判する大学生の抗議運動が起きた。それは瞬く間に、欧州に日本を含む全世界に広がった。
良心からの発信は共感を呼び、拡散する。
SNS上で兵庫県知事選の状況を「地動説、天動説を見る思い」という発言があった。
中世、キリスト教・教皇庁が、思想的に支配する下で地動説を異端として地動説を主張する学者や宗教人が異端裁判に掛けた時代。
その転換を最初に地動説を唱えたコペルニクスにちなんで「コペルニクス的転換」と言う。
SNS時代とは、このコペルニクス的転換をもたらしつつあるのではないか。これまでの政治のあり方、社会のあり方を変える時代的転換が到来しようとしているように思える。
米国のマスコミ報道は民主党的なグローバリズム・新自由主義を擁護するものであり、結局、米国覇権とその秩序を守るためのものとなっている。日本もマスコミ報道は「日米基軸」を守るためのものとなっている。
これに対し、SNSを使った民意の発信は米国覇権と秩序を揺るがし、日本の生き方を変えるものとなると思う。
問題は、どういう情報を発信するかである。何も高尚な政治見解を発表する必要はない。自身の体験する現実を発信する。生活の苦しさ、政治が何もしてくれない現実を発信する。それを皆で討議しながら一つの民意を作っていく。それが政治を変える。まさに民意の時代の到来である。
こうして、「日米基軸」路線を「国民基軸」路線に変えて行かなければならないし、それが出来る時代になってきたと思う。
▼魚本公博(うおもと・きみひろ)さん
1948年、大分県別府市生まれ。1966年、関西大学入学。1968年にブントに属し学生運動に参加。ブント分裂後、赤軍派に属し、1970年よど号ハイジャック闘争で朝鮮に渡る。現在「アジアの内の日本の会」会員。HP「ようこそ、よど号日本人村」で情報発信中。