1999年の新聞特殊指定の改訂、「押し紙」容認への道を開く「策略」 黒薮哲哉

◆渡邉恒雄氏に関して、日本のマスコミが絶対にタッチしない一件

渡邉恒雄氏の死に際して、次から次へと追悼記事が掲載されている。ここまで夥しく提灯記事が現れるとさすがに吐き気がする。ナベツネに「チンチンをしない犬」はいないのかと言いたくなる。

渡邉氏に関して、日本のマスコミが絶対にタッチしない一件がある。それは1999年に日本新聞協会の会長の座にあった渡邉氏が、新聞特殊指定改訂で果たした負の「役割」である。日本の新聞社にとって、計り知れない「貢献」をしたのだ。それは残紙の合法化である。残紙により大規模にABC部数をかさ上げするウルトラCを切り開いたのである。

その2年前の1997年、公正取引委員会は北國新聞社に対して「押し紙」の排除勧告を行った。同社は発行部数を3万部増やす計画を打ち出し、各新聞販売店にノルマを課したというのが排除勧告の概要である。

公取委は、日本新聞協会に対しても、北國新聞社と同様の販売政策を取っている新聞社があると通告した。公取委が「押し紙」対策に本腰を入れたのは、この時が最初である。

排除勧告を機として、日本新聞協会と公取委は、断続的に「押し紙」問題の解決策を話し合うようになった。その結論は、1999年の新聞特殊指定の改訂に至ったのである。しかし、驚くべきことに改訂の内容は、「押し紙」の量を際限なく拡大できるものになっていた。「押し紙」問題を解決するために話し合いを重ねたにもかかわらず、新聞特殊指定を骨抜きにして、合法的に「押し紙」を自由に出来る制度を整備したのである。

◆新聞特殊指定の「押し紙」の定義──改訂前と改訂後

具体的な改訂の中味を記述しておこう。次に示すのは、改訂前と改訂後の新聞特殊指定の「押し紙」の定義である。黒の太字の部分の変化に注視してほしい。結論を先に言えば、従来の「注文部数」という用語を、「注文した部数」とう用語に変更したのである。

【改訂前】新聞の発行を業とする者が,新聞の販売を業とする者に対し,その注文部数をこえて,新聞を供給すること。

【改正後】販売業者が注文した部数を超えて新聞を供給すること(販売業者からの減紙の申出に応じない方法による場合を含む)。

具体的に何が異なるのか?「注文部数」と「注文した部数」では、どのように「押し紙」の定義が異なるのか?

実は、改訂前の新聞特殊指定には「運用細則」があり、その中で「注文部数」の定義が提示されている。それによると、ここで言う「注文部数」とは、販売店が伝票で注文した部数ではなく、新聞の「実売部数に2%の予備紙を加えた部数」のことである。たとえば読者が1000人の販売店であれば、「実売部数1000部+予備紙20部」、つまり1020部ことである。これが特殊指定でいう注文部数であって、それを超える部数は理由のいかんを問わず「押し紙」と定義される。北國新聞社に対する「押し紙」の排除勧告は、この定義に基づいて行われたのである。

既に述べたようにこの「注文部数」という用語は、1999年の新聞特殊指定改訂で廃止された。改訂後に採用された新用語は「注文した部数」だった。これは、文字通り販売店が書面で注文した部数を意味する。その中に「押し紙」が含まれていても、独禁法には抵触しない。

◆新聞の発行部数に関するギネスブックの記録も、再検証する必要がある

この用語の変更に連動して、「注文部数」を定義していた従来の「運用細則」も廃止された。さらに予備紙2%の規定も廃止した。その結果、販売店が新聞社から命じられたノルマを含む部数を新聞の発注書に書き込めば、その中にいくら「押し紙」が含まれていても、合法的な予備紙と見なされるようになったのである。その結果、残紙が大量に発生するようになったのである。

ちなみに「押し紙」問題でよく指摘されるのは、新聞社が販売店に対して仕入れる部数を指示する行為である。たとえば実売部数が1000部しかないのに、新聞の発注書には、1500部と書き込むように指示する。このような行為は、改訂前の新聞特殊指定であれば、特殊指定が定義する「注文部数」を超えているわけだから「押し紙」行為と見なされていた。

ところが改訂後は、販売店が「注文した部数」という解釈になり、「押し紙」の定義から外れる。

改訂後の新聞特殊指定で、「押し紙」と判断するためには、「注文した部数」をさらに超えた部数が搬入され、しかも、それが新聞社からの強制によって発生したものであることを販売店が立証しなければならない。

1999年の新聞特殊指定の改訂は、従来にも増して「押し紙」政策への大道を開いたのである。実際、今世紀に入ってから、「押し紙」の割合が、搬入部数の40%とか50%といったケースが報告されるようになった。

「押し紙」問題を解決するために始めた話し合いで、「押し紙」をより容易にする道を開いたのである。奇妙な話ではないか?

特殊指定改訂当時の新聞協会会長は、読売新聞社の渡邉恒雄氏だった。また、公取委の委員長は根来泰周氏だった。根来氏はその後、なぜか日本野球機構コミッショナーに就任している。

新聞の発行部数に関するギネスブックの記録も、再検証する必要がある。ギネスブックが騙されている可能性が高い。

※本稿は黒薮哲哉氏主宰のHP『メディア黒書』(2024年12月31日)掲載の同名記事を本通信用に再編集したものです。

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、『禁煙ファシズム』(鹿砦社)他。
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