去る4月5日、東京日比谷・日本プレスセンターで開催された「鹿砦社反転攻勢の集い」は、新年度始めの慌ただしい中、実数105名のご参集にて開催されました。

以下は、当日会場にて配布した私の挨拶文です。ご笑読いただければ幸いです。
私の開会宣言ののち、足立昌勝先生が、志途上で亡くなられた方々を追悼し『紙の爆弾』『季節』の継続発行、鹿砦社の復活を願い献杯の音頭を取られ会がスタートしました。
リレートークの冒頭は、かの重信房子さんの発言で会場がざわめきました。重信さんとは面識がなかったのですが、先輩に知っている方がいて興味津々、彼女が東京拘置所勾留中、面会に行ったり公判を傍聴したり、ささやかながらカンパ(私の経験から、勾留されていると収入がないわけで、なにかと物入りなのです)したりしたことのお礼ということで参加されました。重信さんを冒頭に持ってきたのは、特段意味がなく、この後、彼女の母校・明治大学土曜会の集まりがあるので中座せざるをえないという理由からです。
なお、当日の司会は、北は網走から南は沖縄まで全国の刑務所、少年院を回り獄内(プリズン)コンサート500回超の実績(もっと評価されて然るべきです)を持つ女性デュオPaix2(ぺぺ)さんが行ってくださり、重信さんは八王子医療刑務所在監中にPaix2さんのコンサートを観て感銘を受けたということでした。
4・5の報告は適宜行っていきます。

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『紙の爆弾』創刊20周年/『季節』創刊10周年に際して開催された本日の集いを、生前サポートされた方々の遺志を汲み反転攻勢への一大転機に! 鹿砦社代表 松岡利康
本日は年度始めの慌しいところ、鹿砦社にとって重要な集いに駆けつけていただき有り難うございます。肩の力を抜いて歓談し共に有意義な時間を過ごしましょう!
以下、私の個人的な想いも盛り込みつつ、『紙の爆弾』創刊20周年についての感慨、及び、長年サポートいただきながら志途上で亡くなられた方々の名を挙げ、その遺志を汲み、反転攻勢を勝ち取ることを決意表明いたします。
『紙爆』20年間の軌跡は、出発時から「名誉毀損」に名を借りた大弾圧で強権的にペシャンコにされ、その後、復活しつつも、新型コロナという、予想だにしなかったパンデミックにより、創刊時とは違った形でどん底に落とされ、もがきながら本日を迎えました。正直のところは、10周年の時のように余裕を持って迎えたかったです。
20年という月日は、たとえ小さな雑誌とはいえ読者の皆様方に確固とした信頼を培い、この5年の苦闘を支えていただきました。あらためてお礼申し上げます。
20年の想いは『紙爆』5月号120ページから4ページにわたり中川と共に記述しましたので、ぜひお読みください。この20年の軌跡は4ページに収まるものではありませんが……。
小なりと雖も、一つの雑誌を続けていくことは大変なことで、これまでの意義と反省点などを捉え直し、皆様方のご意見、アドバイス、また叱咤激励をいただき、次の10年に向けて私たちの想いを真に理解される皆様方と共に再出発したいと願っています。
◆当社に関わってくださった方々を追悼します
私たちが決して忘れてならないことは、生前多大にお世話になった方々のご厚意です。
コロナ直前の2019年秋に鹿砦社創業50周年の集いを東京、関西双方で行いました。その際にも少なからずの亡くなられた方々を追悼いたしました。
その後コロナが蔓延した時期に入っていくわけですが、このかんも、ゆかりのあった方々が亡くなられました。以下の通りです。──
中道武美さん(弁護士) 1990年代初めから関西の事案を依頼。主な事件に『タカラヅカおっかけマップ』出版差止事件、アルゼ名誉毀損(刑事)事件など。別紙記事参照。
内藤 隆さん(弁護士) 東京の事案を依頼。本年1月6日急逝。「大学院生リンチ事件」(いわゆる「しばき隊リンチ事件」)加害者から、本日ご参加の森奈津子さんと共に提訴された訴訟を受任いただき係争中でした。内藤さんをめぐる象徴的なエピソードとしては、別途記事にも書かれていますが、デモで機動隊の暴虐を監視に行って、そのあまりもの暴虐に抗議したら逮捕され日弁連が抗議声明を出したということで、熱血漢の内藤さんらしいと思いました。主な事件に、1996年に東京地検特捜部に刑事告訴された日本相撲協会八百長出版事件(不起訴)、これ以来のお付き合いで、アルゼ名誉毀損(民事)事件を担当。別途記事参照。
北村 肇さん(毎日新聞記者→『週刊金曜日』発行人) 松岡と学年が同じことで意気投合、鹿砦社の出版活動の強力な理解者。生前は『金曜日』と鹿砦社の橋渡しをされ、毎月(毎週の時もあり)1ページ広告を掲載。北村さんが亡くなってから『金曜日』から広告掲載を拒絶され絶縁宣言をされました。
山口正紀さん(ジャーナリスト) 「名誉毀損」出版弾圧事件の訴訟の公判を、東京から毎回傍聴、そのレポートをその都度『金曜日』に寄稿。のち「大学院生リンチ事件」でも、裁判所に意見書(本日販売の『暴力・暴言型社会運動の終焉』に収録)を提出されたり準備書面作成にもご協力、本日ご参加の黒薮哲哉さんと共に積極的にご支援いただきました。
白井 順さん(経済学研究者) 1980年初めに出会う。私よりも1歳下ということもあり弟分的存在。学識があるにもかかわらず出世欲がなく生涯家庭教師やアルバイトで糊口をしのぎ、好きな分野の研究に専念。鹿砦社からは『思想のデスマッチ』の著書があります。もっと彼の学識を活かしてやれば、と悔やみます。
鈴木邦男さん(思想家) 1980年代前半に出会い、以降、鈴木さんの名を論壇に知らしめた『がんばれ!新左翼』はじめ当社から数々の書籍を出版、出版社としては今でもその数は一番多いです。「大学院生リンチ事件」で被害者側に立つ私と決裂、残念ながら歩み寄りなきまま逝去されました。
上記のように、ここ5年余りで私たちは、長年にわたり訴訟や言論における強力なブレーンとなっていただいた方々を失いました。この喪失感は私たちにとって大きいです。
もう私の時代も終わった感があります(とはいえ、現実問題、そうは問屋が卸しませんが)。今後は、次世代を担う中川が新たなブレーンを開拓、形成していくことになりますので、皆様方のご協力をお願いいたします。
本日お持ちした書籍を販売いたしますが、この一覧を見て、よくぞこれだけの本を作ってきたな、という想いにかられました。このリストの大半が私が直接担当したものですが、どの本にも思い入れがあります。ぜひお買い求めいただき、お読みいただければ幸いです。
最後になりますが、本日の集いは、今年74歳になる私にとって、いわば最後の檜舞台であり、このような日本のジャーナリズムを代表する会場で 私たちの出版活動をご理解いただいている皆様方と共に有意義な時間を過ごせる機会を与えられたことに心より感謝いたします。有り難うございました。
(松岡利康)

