11月13日、先の記事で私が予想した通り、京都大学への「反動」攻撃が始まった。学生寮である熊野寮に、多数の公安警察と160人の機動隊(日本テレビによる)が捜査の名の下「侵入」した。
捜査令状は11月2日東京のデモで公務執行妨害で逮捕された学生の捜査を口実にしているようだが、公務執行妨害は、計画的犯行に適応されることは稀であり、仮に学生が警察の主張通り機動隊をデモの際に引っ張ったり、押したとしても、そんなものを計画した証拠などある道理がない。第一公務執行妨害程度の嫌疑で京都府警ではなく、警視庁が出動してくるのはかなり異例の事態だ。
◆屈辱の暴走──警察が学生を引きずり倒す違法行為
そもそも、至近距離から逮捕の状況を撮影したビデオを見ると、明らかに警察が学生を引きずり倒している。これは公務執行妨害ではなく、特別公務員暴行陵虐罪(警察官などの暴行を裁く法律、最高刑は懲役7年)に該当する行為ではないのか。
京都府警公安2課の井上裕介が京大内で取り押さえられたのが、警察には耐え難い屈辱だったことの反証だ。
でも、私が驚いているのは警察の行動ではない。世には「暴力団」と呼ばれる集団があるが、詳細に分けると2種類に区別できる。民間人で構成され時に「ヤクザ」と呼ばれる人々と、公営(税金で賄われた)の「警察官」と呼ばれる連中だ。「ヤクザ」は時に包丁を持っているだけでも銃刀法違反で逮捕されるが、警察官は拳銃を携行していても決して捕まらない。
民間の「ヤクザ」は常に悪事を働くと報道され、多くの市民は恐れているのに対して、公営の「暴力団」である警察官は常に「正義の味方」であるような誤解がある。だが、民間・公営双方組織の原理原則は変わりはしない。それは「暴力と恐怖」による支配だ。警察官が暴力的であるのはヤクザが刺青をしている程度に普通の事なのだ。
◆30年前の「化石」映像を流し、「現場は混乱」と叫ぶ日本テレビの「狂気」
私の暴論は平安な暮らしをしている善男善女の皆さんには奇異に聞こえることだろう。
だが、削除されない限り下記の映像をご覧頂きたい。
◎「速報 京都大学の熊野寮に家宅捜査入る!」(2014年11月13日)
これは日本テレビで流された映像だ。熊野寮前からの中継映像も含まれていた。中継映像の中でアナウンサーは「たくさんの公安の方が」とか「機動隊の方々が」あるいは「部隊の方々」と敬語用法上明らかに誤った発言を繰り返していた。
公安や警察官、機動隊はそれ自体が職務の名前なので余程の敬意を払う時以外には「公安警察」、「警察官」、「機動隊(もしくは機動隊員)」と呼ぶのが妥当だ。が、このアナウンサーは本心を吐露してしまったのだろう。それはどういうわけか通常では事前に知る由もないガサ入れ現場に、事前から待機していた日本テレビを含むマスコミ各社の人間の共通した声かもしれない。警察=「善」、学生=「不届き者」と いう救い難く、理に堪えない低劣思考である 。
私はマスコミが警察のリークにより、ガサ入れが行われることを事前に知っていたと確信する。
そして、アナウンサーは「現場は大変混乱しています」とも繰り返した。それは当たり前だろう。例えば、貴方の家にいきなり数十人の暴漢達が訳もなく侵入しようとすれば、普通はドアを開けないだろう。それでも暴漢達が怒号を発しながらドアを開けようとすれば、内側からドアを開けられまいと必死で抵抗するのではないか。
その光景をテレビが中継していて「現場は大変混乱しています」と報じられたら貴方はどう思うだろう。「混乱」を引き起した責任が貴方(若しくは双方)にあるような報道をされても平然としていられるだろうか。アナウンサーが「暴漢の方々が次々と集結しています」と報じられた日にゃ、テレビを蹴飛ばしたくなりはしないか。
日本テレビのアナウンサーが熊野寮前から中継で発した言葉は、提示した例と何変わらぬ光景である。狂っていると思う。
そして、その光景を如何にも深刻そうな顔をして覗き込んでいるコメンテーターの中に元防衛大臣森本敏の姿があるではないか。自民党をこよなく愛し、改憲の必要性や日本の軍事大国化を熱心に説いていた森本は民主党政権からお声がかかると、これ幸いと防衛大臣のいすに収まった人間だ。
こんな軍国主義者(かつ変節漢)をコメンテーターとして出演させる番組の司会は「原発が止まったら江戸時代に戻っちゃうじゃないですか」と発言した宮根誠司だ。こんな連中からまともな(少なくとも中立な)コメントがなされる道理がない。宮根が何の恥じらいも反省もなく司会を務める番組は、中継映像の後に30年前の三里塚闘争(成田空港建設反対闘争)の際の映像を流し、学生たちがあ たかも現在も暴力行為を続けている集団かのように宣伝した。
「アラー怖いわね」と事情を知らない視聴者はまたしても権力の思う壺、「学生は過激派だから仕方わ」と世論誘導されてゆくのだろう。しかし、見逃してならない事実がある。日本テレビは、学生の一部が所属する組織の暴力性の証として約30年前の事件を提示することしかできていない点だ。30年前に学生は生まれていなかった。そしてそれ以降、彼らの一部が属する組織が「暴力的事件」を起こしているのなら日本テレビは必ず最新の事件を使ったに違いない。しかし、そのような映像は準備できなかった。なぜならそれ以降マスコミが喜ぶ「暴力事件」自体がないからだ。
私はテレビを見ない。この習性はかれこれ30年ほどになる。今まで人に勧めたことはない。でも今日はそうしてもいいかな、と少し感じている。
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▼田所敏夫(たどころ・としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しない問題をフォローし、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心が深い。