11月9日、同志社大学学友会倶楽部の主催でニューヨーク州立大学教授、矢谷暢一郎さんの講演会「新島襄の良心と今日のアメリカ」が行われた。前日の「浅野健一ゼミ」にもゲストとして登場され、連日の講演ながら会場には同志社大学卒業生を中心に約200名の聴衆が集まった。
矢谷さんはベトナム反戦運動が燃え盛る中、同志社大学で学友会(全学自治会)の委員長として活躍し、京都府学連委員長も経験されている。いわば同志社大学学生運動の花形だ。
私自身は矢谷さんと面識はなかったが、何人も知人を介せば必ず行き当たる、いつかはお会いしたい方だった。講演前に昼食をご一緒させて頂いた。面構えはジェントルマン、隠岐の島ご出身とのことで特有の語り口をなさる。受け答えは軽妙、気さくで優しい方だ。
講演の内容は矢谷さんが米国当局に不当逮捕された「ヤタニ・ケース」も含めて、米国でのご経験から現在日本の危険な状況、特にアジア諸国への侵略視点を失って80年代以降の繁栄を享受してしまった過ち、更には福島原発事件で日本が国際的に「加害者」となった。など卓越した視点から今日の日本、世界の危機を鋭く浮かび上がらせる内容であった。そのエッセンスは今月、鹿砦社から発刊された『日本人の日本人によるアメリカ人のための心理学』にもおさめられている。
◆米国を揺るがした「ヤタニ・ケース」
先に触れた「ヤタニ・ケース」は、米国全土を揺るがした大事件だ。
「ヤタニ・ケース」は1986年、矢谷さんの過去に因縁をつけた米国当局が当時、ニューヨーク州立大学講師だった矢谷さんを海外の学会から米国に戻った際、空港で逮捕したことに端を発する。これに対し、オノヨーコをはじめ多数の支援の輪が広がり、ついには米国議会の公聴会に矢谷さんは呼ばれることとなり、米国の法律がこの事件を機に変更を余儀なくされたという前代未聞の大事件だ。矢谷さんは望んでこのような闘争に引き込まれたのではなく、あくまで米国による嫌がらせに端を発している事件である。
講演は「ヤタニ・ケース」への言及も含め、独自の語りと内容の深さに於いて極めて卓越していた。矢谷さんが大学教授となった今も、立場は異なれ「闘い」を放棄していないことの宣言のようでもあった。
しかしこの日、私にとって最も印象的かつ胸に迫ったのは「質疑」の時間だった。矢谷さんは講演の中でも自身がかかわった運動で、「運動にかかわった為に後輩が命を落とすことになった。せめてその落とし前として大学を卒業しないこととした」と語られていた。それに関連してた問いが投げかけられた。
「あの当時の運動が内ゲバなどを引き起こしたことの原因は私達自身の中にあるのではないか」
質問者はたしかこのような趣旨を聞かれたと思う。矢谷さんは檀上でしばし黙した。2、3回軽く肯いたようにも見えた。絞り出すようにして一言、「そうだと思います」とだけ答えた。矢谷さんが黙している間に会場からは「そんなこともうどうでもいいだろう!」、「未来をみろよ!」などいくつかの声が交錯した。
質問者が問いを発してから、矢谷さんが「そうだと思います」答えるまでの数十秒、自分が何の関係もないはずなのに、私は自身に矢のような質問を突き付けられた気がして気脈が乱れた。「そうだと思います」と答えた矢谷さんの目には涙が溢れていた。自分の責任から逃げない。過去から逃げない。後悔した過去を軽く忘却しない。闘う人間の誠実な心が「そうだと思います」たる短い答えに凝縮されていた。ああ矢谷さんはあの人に通じているんだな、と姓を同じくする私の先輩を思い出した。胸が熱くなった。
◆良心を継ぐ者たち
矢谷さんはこの日の講演でご自身が学友会の委員長や府学連委員長を経験された「事実」は語られたけれども、それを自負したり、自分が如何に闘ったなどは一言も語られなかった。「責任者になったものは責任を取らんといかんのです」と述べられただけだ。あの先輩もそうだった。矢谷さん同様、学友会委員長、府学連委員長に就き、学内で学生による殺人的なリンチを受け瀕死の状態になっても「あくまで学内問題です。後は任せてください」と病院で語り警察の大学介入を断固阻止した田所伴樹さん(故人)。
加害学生を裁く法廷に証人として呼ばれたが「宣誓」を拒否し、被害者が逆に逮捕されるという歴史に残る闘いを貫いた田所さん。警察権力・国家権力の大学介入を身をもって阻止した彼も、こちらが余程酔わせても滅多に「昔の話」には乗ってこなかった。
『日本人の日本人によるアメリカ人のための心理学』では、矢谷さんが敬愛した藤本敏夫さん(故人)への思いが綴られている。加藤登紀子さんのお連れ合いであった藤本敏夫さんも、矢谷さん、田所さんと同様、学生運動経験者の中で知らないものはいない。矢谷さんと藤本さんは、藤本さんと田所さんがそうであったように、頼れる先輩を持った共に重責を苦悩する若き闘士だったのだろう。
威勢のいいデモやアジテーションの話なんて彼らはそうそう簡単にはしてくれない。「わしらの若いころはな!」と口角泡を飛ばし懐古趣味を語る老人にはない迫力がその沈黙の中にある。久しぶりに本物の「闘士」に出会った気がした。私の知る「闘士」は皆優しい。
▼田所敏夫(たどろこ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ
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