長年、所属していたホリプロから独立した石川さゆりも、干されたタレントのひとりである。
石川さゆりは、小学生の時に観た島倉千代子の歌謡ショーに感動し、歌手を志した。中学生になると、牛乳配達のアルバイトをして貯金を貯め、歌謡教室に通った。14歳の時にフジテレビの『ちびっこ歌謡大会』で優勝し、それがきっかけとなって、1973年、『かくれんぼ』でアイドル歌手としてデビューを果たした。所属事務所は、ホリプロだった。
そして、77年に『津軽海峡・冬景色』が大ヒットとし、レコード大賞歌唱賞を始め、歌謡賞を総ナメした。演歌歌手として一気にスターとなった石川は、その後も『波止場しぐれ』『天城越え』など、ヒット曲をコンスタントに出し、『紅白歌合戦』でもトリを務めるほどの実力派に成長した。
◆96年独立後の試練──民放各社が「さゆりはずし」の包囲網
石川は96年いっぱいで、24年所属していたホリプロから退社し、個人事務所、ビッグワンコーポレーションを設立した。独立の構想は長年温めていたもので、満を持しての再出発となるはずだった。だが、大手事務所から独立した他のタレントと同様、石川にも大きな試練が待ち受けていた。
97年1月23日、石川は事務所開きのささやかなパーティーを開いたが、案内状に名前があった統括プロデューサーが欠席した。そのプロデューサーは、前日に「一緒にはやっていけない」と、突然、通告してきたのだという。数日前まで新しい仕事の打ち合わせで燃えていたプロデューサーの脱落により、パーティーはまるでお通夜のように静まりかえってしまった。
さらには、NHK以外の、決まっていたテレビの仕事も相次いでキャンセルとなった。「構成上の理由」とのことだったが、何者かが糸を引いているのは明白だった。
『女性セブン』(97年4月17日号)に「あるテレビプロデューサー」の談話として次のようなコメントが紹介されている。
「10日ほど前のことなんですが、社の上層部の方から、“石川さゆりを使わないように”という話が降りてきたんです。それも歌番組だけじゃなく、バラエティーやワイドショーに至るまで同じことが伝えられたんです。驚きましたね、あまりの徹底ぶりに。
知り合いの他局のプロデューサーなんかも同じ事をいわれたみたいで、どうもNHKを除く全民放で、“さゆりはずし”が進行しているんですよ」
それと同時に、「石川は自己主張が激しく、スタッフ泣かせで有名だった」という報道が増えていった。ホリプロとの確執の発端は、81年に石川がホリプロの社員と結婚したことだったという。芸能界には「社員は“商品”に手を出してはいけない」という掟がある。ホリプロは石川に思いとどまるよう説得したが、石川は「結婚させないなら事務所を辞める」と主張し、結婚を強行した。
石川にとって苦しい芸能活動が続いた。テレビに出られなくなったため、「演歌の女王」としてのプライドを捨て、ミニコミ誌の表紙モデルや地方でのサイン会など、どんな小さな仕事でもやった。
97年の秋には、石川の窮状を見かねた民放キー局のプロデューサーが芸能界との手打ちの席を設けようとしたが、石川は「こちらは円満退社しているのに、どうして頭を下げなくてはいけないの?」と言って拒んだ。
◆99年の紅白出場危機──国民銀行のカミパレス不正融資事件への関与で揺れる
芸能界では孤立無援の状態が続いたが、カラオケでは石川の人気は根強く、97年末には『紅白』に20回目の出場を果たした。これに芸能界は、いらだちを強めていった。
だが、99年には、その『紅白』への出場に黄色信号が点った。その年の『紅白』は50回目という記念すべきものであり、NHKとしても人気のある石川を出したいと願っていたが、土壇場で起用を決めかねていた。
というのも、その年の4月に経営破綻した国民銀行のカラオケ会社への乱脈融資疑惑に石川の名が出ていたからだった。
国民銀行は、経営難に陥っていたカミパレスというカラオケボックスチェーンの倒産を回避するため、迂回融資や飛ばしなどの手段を使い、270億円もの不正融資を行っていたが、このうち120億円が焦げ付いていた。カミパレスは、80年代に石川の個人事務所が立ち上げた事業で、後に石川のスポンサーだと言われていた、実業家の種子田益夫が関与した。また、迂回融資に使われた7社の中にも、石川が社長を務める個人事務所の名前が出ていた。カミパレスは99年10月20日に破産宣告を受け、石川も迂回融資に協力していたのではないかと目され、警察から事情聴取を受ける可能性があった。
石川を起用して後で問題が発覚すれば、『紅白』の権威に傷が付くことになる。NHKは社会部を動員して、石川が事件に関与しているかどうか取材したという。『紅白』の出場歌手発表は、遅れに遅れた。当初は、11月11日に発表される予定だったが、3週間も遅れた。
ワイドショーも週刊誌もこぞってこの問題を報じたが、芸能界では「事務所を独立した石川を快く思っていない勢力が情報をリークしたのではないか」という説まで流れた。
結局、石川は出場を決めたが、当初は大トリの有力候補だったが、スキャンダルの影響もあり、最後から3番手となった。大トリに起用されたのは、ホリプロ所属の和田アキ子だった。
99年は、石川にとって受難の年で、『紅白』出場だけでなく、レコード会社移籍問題も騒がれた。石川が所属していたポニーキャニオンが売上の低迷する演歌部門から撤退を表明し、石川もリストラされることになったのだ。本来ならば、石川ほどの実力があれば、どこでも引く手あまたのはずだが、独立問題はまだくすぶっていた。各レコード会社は、ホリプロの機嫌を損ねることを恐れ、石川獲得になかなか名乗りを上げられなかったという。
多数のヒット曲を持ち、長年、『紅白』に出場する実力派の石川ですら、所属事務所から独立した途端に、このような辛酸をなめるのである。
アイドルの独立問題に関する報道で必ずといっていいほど「芸能プロダクションはタレントに投資をしていて、それを回収しなければならないのだから、勝手な独立や移籍は許されない」という芸能評論家のコメントが出てくるが、これはまったくの嘘である。
そもそも「投資」というものが何なのかが不明だし、アイドルだけでなく、投資の回収が終わったはずのベテランでも、大手事務所を敵に回して独立すれば一律に干されるのだ。
▼星野陽平(ほしの ようへい)
フリーライター。1976年生まれ、東京都出身。早稻田大学商学部卒業。著書に『芸能人はなぜ干されるのか?』(鹿砦社)、編著に『実録!株式市場のカラクリ』(イースト・プレス)などがある。
星野陽平の《脱法芸能》
◎爆笑問題──「たけしを育てた」学会員に騙され独立の紆余曲折
◎中森明菜──聖子と明暗分けた80年代歌姫の独立悲話(後編)