大学に進学する学生に学習意欲があろうがなかろうが、大学が学生の「学ぶ権利」を奪ってはいけない。が、近年は少なくなったものの大規模大学や学生数の多い学部を持つ大学では、時に大学側から学生の「学ぶ権利」を奪うに等しい「ズル」が行われる。
教室の収容定員を大幅に超える履修者を配置すると学生の意欲は短期間で低下する。やかましくて講義を聴くどころではなくなるからだ。私は学生として、また大学職員としてこの「定員オーバー」講義に直面した。職員の立場からすれば、大学側が言い訳をしたくなるケースもない訳はない。選択科目で予想をはるかに超える履修者が偏ってしまい、他に使える教室がない場合はやむを得ず「定員オーバー」の教室を配当することしかできない。学生には申し訳ないと思いつつも他に手の打ちようがない。
◆定員オーバーの教室で「講義を静かに聞け」の無茶矛盾
だが逆もある。悪質なのは最初から履修者数が教室の定員を上回ることを承知で、しかも「必修科目」(卒要するためには必ず取得しておかなければならない科目)を「定員オーバー」の教室にあてがう行為だ。「必修科目」は1年次に配置されていることが多いので、入学間もない学生は真面目に教室へ足を運ぶ。そこには出勤時間の満員電車のような混雑が待ち受けている。詰めて座っても到底全員は席に就けない。それどころか立ち見の学生も同じ場所に立っているのがままならず体がぶつかり合う。
そんな状況で「講義を静かに聞け」と要求するほうが無茶だ。またどうあろうとも教室に収まらない学生の講義を担当させられた教員も気の毒と言えなくもないけれども、やはり被害者は学生である。
私の学んだ学部は「社会学」と「心理学」が1年次の「必修科目」だった。収容定員300名の教室に400名以上の学生が詰め込まれた。もっとも「必修科目」と言っても毎回の出席が取られるわけではなく「試験だけ通れば単位が取れる」と学生達が知るに従い教室の混雑は解消されていくのであるが、「全員学ぶように!」と大学が決めておきながら、まともに学べる環境を意図的に提供しなかった大学の姿勢は褒められたものではない。
◆学生の私を幻滅させた「心理学」「社会学」大講義のお粗末さ
しかもだ。その講義の内容が見事にお粗末だった。
まだ真面目な学生だった私は「心理学」、「社会学」とも初回から最終回まで欠かさず出席した。両科目とも前期と後期を別の教員が担当する形式だったが忘れられない教員が2人いる。「心理学」の前期担当で元少年刑務所の所長などを歴任していた高橋某(正しい名前は失念)という男と、後期「社会学」の竹内洋だ。
前置きが長くなったが、本音を明かすとこの二人の批判を書きたくてウズウズしていたのだ。だが彼らの講義がどんな状況下で行われたかも知っておいて頂きたかった。メインターゲットは竹内なのだが竹内は今日に至るも言論活動を続けている。竹内は近く徹底的に叩くこととして、名前を出したから高橋某の事に触れておこう。
高橋はヒステリックだった。初回講義で教室に入って来るなり「うるさーい!、だまれー!」と叫んでから講義を始めた。確かに教室はうるさい、というよりも押し合いへし合いだからざわついている。でもそれは学生の責任ではない。文句があるなら彼は教授会で問題を指摘すべきだった。怒鳴りつけられた学生の方が「なんでやねん」という気分だった。こんなに受講生がいるのであれば、クラスを2つに分けるなり時間をずらして同じ講義をするなりの対応を何故とらないのか、とやや腹立たしかったことだけは記憶している。
高橋の講義を聴き彼の素振りを見て、行政機関上がりの心理学者の権威主義ぶりと、ゆがんだ人間性を思い知った。講義を進めながら高橋は周期的に「うるさーい!、だまれー!」と叫ぶ。その言葉以外は決して喧騒を咎める言葉を口にしない。「話したいんだったら教室の外で話せ」とか「静かにしなさい」だとか言い回しは他にもありそうなものだが、十数分毎に突然発作のように「うるさーい!、だまれー!」と叫んだあとはまた何事もなかったかのように淡々と話を続けていくのだ。同じ言葉を叫ぶことが彼にとってはカタルシスになっていたのだろうか。精神科医に診せれば何らかの病名がついたことだろう。
◆自慢話と勘違いばかりの「心理学」講義が学生を絶望に誘う
高橋には自慢話があった。歴史的政治テロ事件として有名な社会党党首浅沼稲次郎が講演中に刺殺された事件の犯人、山口二矢(おとや)が逮捕された後、高橋が所長を務める東京少年鑑別所に送られてきたそうだ(匿名報道の観点から山口の名前の扱いにつては議論があろうが、もう有名なので実名にしておく)。大江健三郎が山口を主人公に描いた「セブンティーン」は高校時代に読んでいたので、この時は珍しく高橋の話に興味がわいた。
高橋は「こういう事件を起こした少年は自殺をする傾向があるから注意深く見守っておくように」と部下に指示を出したそうだ。だがご承知の通り山口は首を吊って自殺してしまっている。不思議なことに高橋は山口の自殺を防止できなかったことを少しも後悔していなかった。それどころか「自分は適切な指示を出したのに、現場の人間が不出来だった」と語り「どうだ、私は人を見抜く力があるだろう!」とばかりに神経質そうな顔をこの時ばかりはにやつかせ、眼鏡をかけた痩身が教壇の上で胸をはった。何という神経の持ち主か。こんな性格の人間が所長を務める少年鑑別所の中の地獄模様を想起せずにはいられなかった。
また高橋は「毎日5合ほど酒を飲んでいると必ず目の前に虫が飛ぶような幻覚を見るようになる」と頻繁に口にしていた。左党に聞かせたら「何をあほゆうとんねん」と一蹴されるだろうが高橋はそう信じていた。高橋は下戸だったのだろう。もしくは酒に絡んだ嫌な思い出があったのか。
どちらにしても、学生の学習意欲を削ぐために準備されたのではないか、と訝らざるを得ない教員と教室環境だった。高橋の講義を聞いて「心理学」に幻滅した学生は少なくなかったろう。「心理学」だけでなく「大学」そのものへの絶望を誘うに十分な「必須科目」であった。
▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ
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