淀長の映画専科・『猿の惑政』……の巻
ハイ! 皆さんコンニチわ!
大変ごぶさたしておりました。淀川長冶でございます。
親友の大監督・黒沢明クンが夢の国に引っ越したので、ワタシも彼を追って
夢の国におうちを移し、いまはそこで楽しい日々を送っております。
でもワタシ、わが人生の信条として、
1.「私は未だかつて嫌いな人にあったことはない!」
2.「苦労歓迎!」
3.「他人歓迎!」
の三か条をモットーにしていたほどですから、根っからの苦労性なんですわ。
だから天国での楽ちん生活は、しばらく居(お)ったら退屈してしまいました、ハイ!
それで時々こうやって俗世に降りてきて、皆さんとハイ! 映画のお話しをしたいと思います。
ハイ! それではお話しをはじめますが、さて皆さん、
20世紀は、何の時代だったでしょう?
ハイ、20世紀は映画の時代でございました。ハリウッドでは、名作が、毎日毎日
つぎつぎと作られておりました。 ワタシ、その時代に生きてこれて
本当にシアワセだったと今さらながら思います、ハイ!
で、20世紀に名作をつくった映画監督やら、スターのかたがたが、
今ではワタシが住んでいる夢の国に、マア!次から次へと引っ越してきて、
大にぎわいです。スゴイですねぇ。うれしいですねえ。
ワタシ、ほんとに死んだ甲斐がありましたよ、ハイ!
そうした名監督、往年の名スターたちと、あの世で日々、
茶飲み話をしてるんですねえ。 そうしますとカレら、
「いまもまだ俗世に生きていたなら、ワシはこんな映画を作りたい」
「アタシはこんな映画に出たいワ」といったお話しを、ギョウサンするんですわ。
それでワタシ、せっかくこの世に降りてきたついでだから、ハイ!そういう
天国で聞いた映画裏話などを、まだ昇天できない俗世の皆さんにお話ししたいと思います。
さあ!淀川長冶の映画専科の始まり始まりぃ!
★ ★ ★
第1回のきょうは、1968年のアメリカ映画『猿の惑星』についてのお話しです。
原作は『戦場にかける橋』でおなじみのフランス人作家ピエール・ブール。
監督はフランクリン・シャフナー。そして主演はチャールトン・ヘストンの大作でした。
じつはこれホンマの話ですけど、この映画の原作を書いたピエール・ブールさん、
どうも戦争中に日本軍に捕虜としてつかまって、そのときの悪夢のような体験が
『猿の惑星』を生み出すことになったようなんですわ。 ……そう考えると、コワイ
ですねぇ。 あの凶暴なサル軍団って、どうやら日本軍を描いたらしいんですわ。
第二次大戦が始まった頃、日本人は欧米では“凶暴なサルの群れ”だと言われて
おりました。ヒドイですねぇ。 まあニッポンだって、敵国のことを「鬼畜米英」って
ゆうとったんですから、マア、これお互いさまですわ。
それにしても、第二次大戦が始まった当初は、欧米の戦争扇動者たちは、
ニッポン人を「小さいサル」いうて馬鹿にしとったんですねぇ。
ところが戦争が長びいてニッポンが簡単に倒れない敵だと知るにつれて、何とマア、
今度は獰猛(どうもう)な大ザルにたとえて、海の向こうの一般庶民を怖がらせた
んですねぇ。コワイですねえ。ヒドイですねぇ。
第二次世界大戦の当時、欧米「連合国」では敵国ニッポンの
脅威をサルになぞらえて宣伝した。
世界の学者たちを悩ます新たな難問の出現。
「ニッポン人って一体何を考えてんだ?」
「文明の威力で抹殺せよ」
さてこの『猿の惑星』の原作者、ピエール・ブールさんのお話しでした。
この人、1912年に南フランスのアヴィニョンに生まれました。第二次世界大戦の
ときには仏領インドシナに居(お)ったんですねぇ。仏領インドシナといえば真っ先に
ベトナムが思い浮かぶわけですが、ハイ! 現在のラオスとカンボジアも、
仏領インドシナに含まれていたわけでした。 ワタシらこの時代を生きてきた
現役世代は、「フランス領インドシナ」なんて長ったらしい言い方はせずに、
単に「仏印(ふついん)」って、呼んでました、ハイ!
……で、ピエール・ブールさんは、フランスでは理工系の最高学府である
エコール・スペリュール・デレクトリシテ……すなわち「高等電気学校」で
電気技師としての学位を得ました。 その後、二十代なかばに、「英領マラヤ」の
ゴム園で、監督者として働いておったんですねぇ。 植民地共和国フランスの
前途有望な若者だったわけであります。
「英領マラヤ」いうても、今の皆さんはご存じありません。 第二次大戦前はこれ、
イギリス領のマレー半島とシンガポールを指しておりました。 ハイ! 感慨深い
ですねぇ。 ワタシ、たまたま今になって俗世に降りて参りましたが、なんと今年は
敗戦からちょうど70年でございます。 あの太平洋戦争が始まるまで、アジアの国々は
ヨーロッパに乗っ取られておったんですねぇ。 コワイですねぇ……。これは歴史の
現実ですから、皆さんも、忘れないでほしい思いますよ、ハイ!
ブールさんが英領マラヤの植民地農園で管理人をしていたときに、ハイ!
第二次世界大戦が起きました。 彼はフランス人ですから、海外フランス人
として、兵役に就きました。 皆さんも、もしふたたびニッポンが戦争に
なったら、若ければ、国内におったら確実に徴兵されるわけですが、
海外に居っても、日本人である以上は、かならず兵役に就くことになると
考えとったほうがええです。 ワタシの経験から言うと、戦争になったら
逃げ場はないです。……コワイですねえ。ほんとにアカンことですわ。
皆さん、覚悟はできておりますか?
……で、ブールさん、第二次世界大戦が始まるや、本国から遠くはなれた
東南アジアでフランス兵になったんですが、ヨーロッパではなんとマア!
ナチスドイツがたちまちパリを占領し、フランス本国はドイツに屈してしまいました。
時は昭和15年で、ちょうどそんときニッポンは「紀元二千六百年」を、国を
あげて祝っておったわけです。 同盟国のナチスドイツは、あのヨーロッパの
花の都パリをあっというまに占領したんですから、当時のニッポン人としては
同盟国の勇者たちの大手柄に、喝采をさけんでおったんですわ。
いま生きてる皆さんには想像もできんでしょうけど、マア、そんな時代でした。
さてブールさんですが、この人はフランス兵になったのに、お国がたちまち
ナチスドイツに負けてしまいました。 これは困ったことになりましたねぇ……。
ナチスに降伏したフランスは、お国の、ど真ん中の、温泉保養地ヴィシーに
首都を移して「フランス国」を立ち上げ、とりあえずヒトラーに忠誠を示した
ペタン元帥を、首相に据えることになったんです。 ペタン元帥は第一次大戦
の功績から政界で出世した軍人でしたから、心の底からナチスドイツを崇拝
していたわけではなかったようです。 じっさい、オモテづらではドイツに服従
するポーズをとりながら、ウラでは反ナチの抵抗運動を支援していたわけで、
とにかくフランスという国が完全に滅んでしまうのを恐れて、侵略者のナチス
ドイツに上っ面で服従するふりをしていたのでしょう。
ところがマア! ナチスに服従をみせるペタン首相の「フランス国」に、我慢が
できなかった人がおりました。彼の腹心の部下だったドゴール准将です。
ドゴールはイギリスに逃げ出して、ロンドンで自称「自由フランス」と名乗って
亡命政府を立ち上げたんですねぇ。 そしてドーバー海峡をへだてた敵国の
イギリスから、祖国フランスにむけて反乱を呼びかけました。 この展開、スゴイですねえ。
ワタシらのニッポンは、こういう経験がないから、こんな劇的な展開は皆さんも
想像できないでしょうね。 まるで映画のなかの世界やからね。
でもこれって、いまの「イスラム国」と同じなんですねぇ。 あれも10年ばかり前の
戦争で負けてアメリカに占領されちゃった中東のイラクで、占領にけっして屈服しない
イラクの軍人とか役人の連中が、首都バクダードからサダム・フセインの
故郷だった北部の奥地に逃げ込んで、そこで態勢をたてなおし、「イスラム国」
という旗をかかげて、反乱勢力として逆襲してきてるんやからね。 ハイ!
歴史は繰り返します。 そしてそれが、映画の基本的なモチーフになってきました。
映画というのは、現実の世界を鏡にうつした映像なんですねぇ。ワタシ、映画の
仕事ができてホントに幸せだったと思います。
あらマア! ま~た話が脇道にそれてしまいました。 『猿の惑星』の原作者
ピエール・ブールのお話でございました。 ……第二次世界大戦がはじまって
フランスの兵士になったブールさん。 かんじんの祖国が、ナチスに迎合する
「フランス国」を名乗りだし、そこから逃げ出した連中が「自由フランス」を名乗って
自称の「政府」をを勝手に立ち上げました。 フランス人としては、どっちにつくかが大問題ですわ。
ブールさんの場合は、ドゴール准将がロンドンで旗揚げした「自由フランス」と
称する亡命政府に加勢することを決めました。……つまりナチスとか日独伊の
三国同盟を宿敵とする反乱勢力、パルチザンに身を置くことを選んだんですねぇ。
いまワタシらは、第二次世界大戦で最終的にアメリカ・イギリス・ソ連を中心と
する連合国が勝ち、日独伊三国同盟やらそれに同調する国々が負けたことを、
すでにあった事実としてあたりまえのように受け止めておるわけですが、
こうやって過去の歴史になりはてたことを、未来の時点から「正しい」とか
「間違ってる」とか決めつけるのは、お馬鹿なナマケものが気楽に参加できる
道楽でしかありませんワ。 むかしの事実をしらない血気盛んな坊やとかアンちゃん
なら、若気のいたりで苦笑いして済ませることもできるんやけどね……。
大切なのは、現代から過去を裁くことじゃなくて、歴史的な事件に直面したときに
アンタならどうするんや、という問いかけを、つねに自分に発することなんですわ。
それこそが歴史映画の価値なんですねぇ……。ハイ!余計なことを申し上げました。
でもコレ、ほ~んとに大事なことやからね。
さて「自由フランス」は、本家「フランス国」の転覆をたくらむ武装反乱勢力です。
一方、ナチスドイツに命乞いをして延命が決まった昔ながらの「フランス国」は、
パリを占領されてナチスドイツの部下みたいな国になったので、日独伊
三国同盟の仲間です。……つまりアジアでは大日本帝国の友好国、という
位置づけだったわけです。 その大日本帝国と戦っていたのは、当時の中国、
つまり中華民国でした。
だから「自由フランス」の“聖戦士”に志願したピエール・ブールさんは、
中華民国の国民軍とも接触してゲリラ活動をしていたんですねぇ。
一説によれば、ピエールさんは「ピーター・ジョン・ルール」っていう英語の偽名
を使って、「自由フランス」組織の秘密諜報員をつとめていた、とも伝えられてまっせ。
フランス領インドシナは、宗主国のフランスがナチスドイツに負けて「フランス国」
になったせいで、日独伊三国同盟の仲間に加わりました。 そんなわけで、
大日本帝国の軍勢が仏領インドシナに駐留も、すんなりとうまくいったのです。
なにしろ植民地政府は日本軍の進駐を歓迎したんやからね。
一方、ピエール・ブールさんは、パルチザン兵士として、親ナチスの「フランス国」
ヴィシー政権を転覆しようと、祖国からはるか彼方の熱帯アジアの密林地帯で、
仏領インドシナや、それを支える大日本帝国軍を相手に、ゲリラ戦を行なって
いたわけです。……ところが1943年のある日、船でメコン川をわたっていた時に、
仏領インドシナの植民地政府軍に捕まってしまいました。 捕まえた側からすれば
ブール氏はただの「反政府ゲリラ」です。反乱軍のテロリストにすぎなかったわけや。
なお、彼を捕まえたのは、仏領インドシナの植民地政府軍ではなく、そこに駐留していた
日本軍だった、という説も伝えられとります。 日本軍兵士が不審者をつかまえたら
フランス人やったんで、現地の植民地政府に引き渡したらしいのです。
けっきょく逮捕された“武装テロリスト”のブールさんは、仏領インドシナの捕虜収容所に
入れられて、強制労働の刑に服しました。 しかし翌年、あの「Dデイ」、ノルマンディー
上陸作戦が大成功して、連合軍がノルマンディーの海岸からナチス占領下のフランスに
進撃し、ついにパリを奪い返しました。 このあたりのことは、ルネ・クレマン監督の
1966年の米仏合作映画『パリは燃えているか』など、ぎょうさん名作が出ておりますから、
ハイ、皆さん、ぎょうさん映画を見ましょうね!
……そんなわけで、ブールさんはサイゴンの捕虜収容所に1年ばかりおったんやけど、
1944年、昭和19年になって、収容所の看守の手引きで脱走しました。
そしてイギリス軍の水上飛行機でインドシナを脱出し、インドのカルカッタにあった
イギリス軍の軍事諜報機関「特殊作戦執行部」に志願入りして、連合軍の秘密工作員
として終戦を迎えたわけであります。
終戦後もブールさんはしばらくマレーシアで農園経営を続けておったんですが、
やがてパリに帰って、戦争中の体験を元にした日記や小説を発表し、職業作家に
転身しました。 代表作はこの『猿の惑星』と、『戦場にかける橋』です。
マア! あの有名な「クワイ川マーチ」でおなじみの、アカデミー賞受賞の名作映画も、
このブールさんが原作者だったんですねぇ。 それだけ彼の仏印での戦争体験と
戦火のなかでの冒険は、劇的だったということですわ、……つまり『猿の惑星』は
われわれは単なるSF活劇だととらえがちやけど、物語の土台にあるのは、
熱帯のジャングルで武装ゲリラ戦士として戦ったピエール・ブールさん自身の、
敵国ニッポン軍との死闘の体験だったってことやね。
そう考えると、『猿の惑星』ってコワイ映画ですねぇ。
ワタシらは、あの映画のポスターに出てくる凶暴な猿、チャールトン・ヘストンら
アメリカ人の主人公にとっては、何を考えているのか得体の知れない不気味な
類人猿が、ニッポン人とダブっていることを、ちょっとは自覚する必要があるわけやね。
1968年に公開された『猿の惑星』第1作のポスター
昨(2014)年公開の『猿の惑星:新世紀』に向けて
英国のイラストレーター、マット・ファーガソン氏が描いたポスター
(http://blurppy.com/2014/05/21/members-of-the-poster-posse-rise-up-with-some-dawn-of-the-planet-of-the-apes-inspiration/)
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いま映画版『猿の惑星』のポスターを見てもらいましたが、
このシリーズの最高傑作である第一作は、1970年アカデミー賞受賞作の
『パットン大戦車軍団』や、73年の大脱獄活劇『パピヨン』を監督した
フランクリン・シャフナーの作品であります。
そしてマア! シャフナー監督も、ニッポンとは特別な縁(えにし)をもつ人やったんですねぇ。
シャフナー監督は1920年、大正9年に、宣教師の息子として東京に
生まれておるんですわ。16歳まで日本におったということですから、
関東大震災も体験しておったんでしょう。 日中戦争が起きたころに
お父さんが亡くなって、シャフナー一家はアメリカに戻りました。
フランクリン青年はニューヨークのコロンビア大学で法律を学んでおったんですが、
第2次大戦が勃発して海軍に入隊し、ヨーロッパや北アフリカの戦線を
転々とします。やがて戦争の終盤になると米軍の特務機関OSS、
これCIAの前身の特務機関だったんやけど、この戦略諜報部に配属
されて、太平洋極東地域で従軍しておったそうです。
終戦後にハリウッドでドラマ製作の仕事に就き、それで大成功して
『猿の惑星』の監督を手がけたわけであります。 しかしシャフナーさん監督の
第一作は大成功やったけど、ハリウッドの連中はこれに気をよくして、
二作目からは別の監督で低予算のSF映画シリーズを次々と粗製濫造(そせい
らんぞう)したんやね。……で結局、『猿の惑星』は陳腐なSFシリーズとして、
スクリーンから姿を消すことになりました。
『猿の惑星』が公開された1968年は、SF作家のアーサー・クラークが脚本を
書いて、鬼才スタンリー・キューブリックが監督した『2001年宇宙の旅』が
公開された年でもあり、SF映画が“映画幼年期の終わり”を迎えた年やったのね。
これはハリウッドの映画産業の雰囲気をガラッと変えることになった重大事件
やったのね。その翌年にピーター・フォンダ製作主演、デニス・ホッパー監督主演
の『イージーライダー』が登場して、これはもうハリウッドの古くさい映画帝国が
ガラガラと音を立てて崩れ去ることになるんやけどね。
ピエール・ブールさんにとって、ニッポンはナチスドイツの盟友であり、
仏領インドシナに図々しく侵入してきた蛮族であり、倒すべき“凶暴な猿”
だったのかも知れません。 そやけどフランクリン・シャフナー監督にとっては
生まれ故郷の、幼なじみであり、こころの古里の人々であったでしょう。
ただし少年期のシャフナー君の目には、中国に攻め込んで勝ち鬨(どき)をあげている
集団的狂気をはらんだ“モンゴロイド”という、それまでと違う日本人の姿が
映っていたかも知れないけどね。……そういう愛憎入り混じった感情を抱えながら
『猿の惑星』を撮ったのかも知れへんな。 だからこそ、自分たちとは似ているけど
まったく異質な文明をもつ「類人猿」との、緊張感あふれるファーストコンタクトと
葛藤や交流が、うまく描けたのかも知れへんね。
★ ★ ★
……というわけで、第一回の淀長の映画専科は『猿の惑星』でした。
皆さん、ご堪能いただけました? でもここで終わりやないんですわ。
なぜってワタシ、天国でピエール・ブールさんにガッチリ嫌味を言われて
きたからです。 ハイ! 彼はこう言ったんですねぇ。
「ヨドチョーさん、俺の見立ては正しかった。
あんたの国はやっぱり『猿の惑星』じゃないか!」
マア! 驚きましたねえ!
ワタシ、なんてことを言うのかってビックリしました。
そして彼にむかってこう言ったんですわ。
「なあピエールはん、アンタちょっと失礼ちゃいまっか?
天国まできたんだから、もう下界の“おフランス帝国主義”はやめなはれ!
日本のどこが『猿の惑星』なんですか? 人種差別は許しまへんで!」
するとブールさん、こう言ったんですよ。 スゴイですねえ。
ピエール氏 「ヨドチョーさん、あんた、自分の国の政界が、凶暴な猿に乗っ取られて
しまったのをご存じないのか? もし今、俺が日活あたりからカネをもらって
映画が撮れるなら、『猿の惑政』ってのを作るだろうな。
日活なんて怪獣映画は『大巨獣ガッパ』しか作れなかったから、俺の作品は
大ヒットすると思うぜ。 もうストーリーラインも考えてあるんだ。」
淀長さん 「ピエールはん、どんなあらすじでっか?」
ピエール氏 「主人公は日本人のワタミという青年宇宙飛行士。彼は宇宙ステーションISISの整備工として宇宙に長期滞在していたが、とつぜん予算が打ち切られて食糧補給用
のスペースシャトルが来なくなり、仲間の宇宙飛行士たちが餓死するなかで、決死の
覚悟で地上に帰還した。 ……地球にもどってみると、何だか様子がちがう。
国会で歓迎会をするというので議事堂にいくと、なんと内閣が全員サルになっていた。」
淀長さん 「プラネット・オブ・エイプス(猿の惑星)でなくて、キャビネット・オブ・エイプス(猿の内閣)になっていたわけか?」
ピエール氏 「ウィ! 『猿の惑星』では地球が猿に乗っ取られた未来世界を描いたが、
この『猿の惑政』では、政治が猿に乗っ取られた現代日本を描いたのさ。
ほら、ポスターだって試作品ができてるぜ。」
天国のピエール・ブール氏が見せてくれた
『猿の惑政』(Cabinet of the Apes)のポスター試作品。
「Prime Minister(首相)」ではなく、「Primer(爆弾の導火線)」の
「Minion(権力者の愛玩動物)」の「シンゾー猿(Ape Shinzo)」
が、この怪獣映画のメインキャラクターだ。
淀長さん 「ピエールはん、このポスターに描かれているエイプですけど、
これじゃお猿さんそのものやないですか! あんた日本の政治を
何と思うてはるんや? これ人種差別でっせ!」
ピエール氏 「ヨドチョーさん、俺はそんなつもりはないんだけどな。
じゃあもうちょっと、人間みたいな表情を出してみようか。
どっちにしても日本の政治をハイジャックしたのは人でなくて猿、
ヒト似ザルだってことは変わらないんだけどな。 ほらよ、ちょっと
進化した『猿の惑政』のポスターがこれだ!」
淀長さん 「ピエールはん、まことに残念なんやけど、日活はもうほとんど映画を
作ってないんや。こういう映画を作れるのは、おそらく今のニッポンでは
壇蜜の主演で『地球防衛未亡人』を作った河崎実監督くらいしかおらへんで。
どうしても日本での映像製作を望むんなら、もはや裏ビデオくらいしか
ないかも知れんわ。……まあ、裏ビデオなら瞬時に全世界に広まるというメリットもありますけどな。」
ピエール氏 「ノンノンノン! ヨドチョーさん、さすがの俺でも、凶暴なサルが出てくる
ポルノなんてゴメンですわ。 猿どもの乱交なんて、ワイセツすぎて見る気もしないわ。
猿の交尾のドキュメンタリーなんざ、デヴィッド・アッテンボロー君の仕事の領分だぜ。」
淀長さん 「ピエールはん、あんたエエなあ。 ワタシら日本人は、国会中継で
日がな一日じゅう、猿どもの乱交を見せられてんのや。 公共放送がポルノを
垂れ流しにしてるんやで。」
ピエール氏 「セ・シュペール! 素晴らしい! それこそ自由・平等・博愛ですな。
フランス革命の理想が、極東の島国で実現してしまったのか……。」
淀長さん 「……だとしたら、ピエール・ブールはん。あんたが命がけで守った
“自由フランス”ってのは、猿どもに政治権力を与える栄養剤だったってことですかね?」
ピエール氏 「だけどヨドチョーさん、うちの国の極右『国民戦線』のマリーヌ・ルペン党首は、最近、あんたのところの“民衆パワーでやりほうだい党”こそが、『国民戦線』の目標であると公言してるぜ。」
淀長さん 「“民衆パワーでやりほうだい党”って……そんな政党ニッポンにはおらへんで!」
ピエール氏 「PLDのことだよ。パルティ・リベラル・デモクラット(Parti lib?ral-d?mocrate)。あんた日本人だったんだろ?
知らないの?」
淀長さん 「それって自由民主党のことやがな。“民衆パワーでやりほうだい党”って名前やないで!」
ピエール氏 「俺はシナ文字のことはよくわからないけど、フランス語でいえば『民衆パワーでやりほうだい党』ってことだぜ。
ニッポン人は「リベラル」とか「デモクラット」の意味をぜんぜん理解せぬままに、こういう外来語を乱用してるんだろ。後進国の土人社会にはありがちなことだけどな。」
淀長さん 「なあピエールはん、ワタシの知るかぎり、自由民主党のイデオロギーは『自由主義』でも『民主主義』でもないよ。
自由民主党の連中が自分で言っているから間違いないんだろうけど、彼らのイデオロギーは
『自由民主主義』だからね。」
ピエール氏 「そういうのを、サル知恵っていうのさ。」
淀長さん 「やっぱり“サルの惑政”だったか……。」
★ ★ ★
……というわけでハイ! ブールさんとの天国での会話は、なんだか気まずい雰囲気で
終わってしまいました。マア!悔しいですねえ。残念ですねえ。 永田町のサル山の
お猿さんたちには、せめて「反省!」してほしいですねぇ。 日光サル軍団はりっぱに
「反省!」できたんですから……。 では次回まで、サヨナラ!サヨナラ!サヨナラ!
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(屁世滑稽新聞は無断引用・転載を大歓迎します。
ただし《屁世滑稽新聞(http://www.rokusaisha.com/wp/?p=6644)から引用》と明記して下さい。)