4月7日午後6時30分から、鹿砦社が主催しての『月刊「紙の爆弾」創刊10周年記念の集い』が東京・水道橋のたんぽぽ舎で催された。一般の読者の方も参加し、90人を超える参加者たちで会場は熱気にあふれていた。
冒頭、この10年をふりかえって中川志大編集長がこう話した。
「創刊から一貫して約束していることは、『自粛をしない』ということです。松岡社長の逮捕が創刊直後(2005年7月12日)にあり、さまざまな方に助けていただいてやめるにやめられなくなりました。助けていただいた方に感謝していますし、これからも雑誌の方向性として『自粛していかない』というスタンスをとりたいと思います」
◆「コンビニに置いてもらえるように部数増を!」(ミサオ・レッドウルフさん)
また、この日のメインゲストである反原発活動家のミサオ・レッドウルフさん(首都圏反原発連合)は、反原発活動の現状をつぶさに語る。とりわけ、出版関係者が多いからか、「メディアと運動論」という話になっていく。
「インターネットの使いかたがこれから大切になってきます。みんながメディアになれるので、誹謗中傷だけしている人もいれば、まっとうな意見もある。これからネットは改革しだいでテレビや新聞を超えるメディアになっていく可能性があります。使いかたしだいでは、おもしろいと思うのです。自分たちでは、何もできないことがある。みんなで声をあげていくことが大切なのです。一番、大切なのは『意志の力』です。それと、いつも思うのは、新聞などで選挙前に『どの党を支持していますか』と聞く世論調査を止めてほしい。あれこそ誘導だと思います。あれで(多勢に無勢と)諦めて選挙に行かないという人が増えていると思います」
また「NHKはダメだ、などメディアをひとくくりにしてはいけないと思う。大手の新聞記者なども隙間を縫ってなんとか反原発について書こうとしている人もいる」とした。さらに『紙の爆弾』については「なんとかコンビニエンスストアに置いてもらえるように部数増を」とエールを飛ばしてくれ、喝采が起きた。
◆「事件を乗り越えて、鹿砦社も『紙の爆弾』もむしろ元気になった」(松岡利康社長)
この日、鹿砦社の苦境を支えた業界人や弁護士、ライター、印刷業者などたくさんの心ある方が集まっていたが挨拶にたった松岡利康社長は、
「私が逮捕されるという事件がなければ、今『紙の爆弾』はなかったかもしれない。あの事件を乗り越えて、鹿砦社も『紙の爆弾』もむしろ元気になった。今『紙の爆弾』から派生している反原発雑誌『NO NUKES voice』も一層の充実を図っていきたい。あんな事件を起こして、なおかつ再稼働させようというのは常識外だし、子供を安心してプールで泳がせることもできない事態にしてはいけない』と気を吐いた。
また、レッドウルフさんの講演が終わってから、鹿砦社を支えた人たち、鈴木邦男さんや、元赤軍派議長の塩見孝也さん、ライターの板坂剛さんや星野陽平さんなどが次々とスピーチを述べていた。
◆10年前の7月12日──「これは不当逮捕だ」と直感した
鹿砦社を支える人たちに囲まれつつも、僕は2005年7月12日を思い出していた。
「松岡社長が逮捕されたみたいよ」と、テレビのニュースを見て妻が僕に伝えたのは午前10時を少し回ったくらいだった。
いくつか原稿を受注していたので、中川編集長にあわてて電話したが、あとで聞くと検察が東京支社に来ていたせいか、なかなか繋がらず、ようやく11時30分頃、「大丈夫ですか」と聞くと「ありがとうございます。とりあえず状況が把握できていないのであらためてお伝えします」という答えが返ってきた。
様々な情報をかき集めると、パチンコ会社のアルゼ(現ユニバーサルエンターテインメント)、プロ野球チーム・阪神タイガースの元職員を中傷したというのが容疑の内容で、名誉毀損で逮捕された、という。
憲法21条には「表現の自由」が定められており、日本ほど言論の自由が保障される国家はないと信じてきた僕は、少なくとも直感的に「これは不当逮捕だ」と感じた。『紙の爆弾』が創刊された頃、メディアの訴訟は名誉毀損で基準が300万円となっており、これもメディアが萎縮する原因となっていた。僕自身は、「なんでも書いていい」というスタンスの『紙の爆弾』に、濁流の中に立てた旗のごとく佇む「孤立性と強さ」を感じていた。その姿は、「今が潮時」とさっさと休刊した『噂の真相』とは対称的だった。ただし、僕自身は、何度も『噂の真相』を引き継ぎたいと岡留氏に談判していたが。
その『噂の真相』の岡留編集長も(すでにリタイヤしていたが)「これは不当逮捕である」と松岡社長の逮捕時にテレビでコメントを出した。
◆「戦う意志の集積」としての言論メディアへと変貌していった『紙の爆弾』
1審の神戸地裁は松岡社長に「懲役1年2カ月、執行猶予4年」の有罪判決を言い渡している。松岡社長側は「この裁判は無罪でなければ意味がない」として直ちに控訴した。
こうした間『紙の爆弾』は単なる「タブーなきスキャンダルマガジン」ではなく「鹿砦社として戦う意志の集積」としての言論メディアへと変貌を遂げていった。
逮捕直後、「いつギャラが出るかわかりませんよ」と中川編集長はライターたちに告げた。鹿砦社は経営的にも煮詰まり、いつ再び前進するかわからぬ暗礁に乗り上げたのだ。このとき「それでもかまわない」とした人たちが、今、鹿砦社を支える人たちとなった。
僕自身も「ギャラなんかいつでもかまいませんよ」と返答した。払ってもらうにこしたことはないのでやせ我慢だ。ただ、「このままわけがわからない権力なるものに負ける」ということは、今後も言論が制限される可能性を示す。鹿砦社の戦いは、他人ごとではなかったのだ。もちろん、僕は中川編集長や松岡社長ほどの苦労は浴びていないが。
◆「人を嵌めようとすると自らも嵌められる」(松岡利康社長)
「ふざけるなよ。鹿砦社とかかわってとんでもない目にあったよ」と吹聴するふざけた輩もいた。今、思えばこのとき去っていった人たちは、業界そのものから軒並み姿を消した。そんなものだろうと思う。
「雨天の友」こそ、味方としてそばに置くべきなのだ。そしてあの逮捕は「本物」を洗い出したのだ。
あの2005年7月12日に松岡利康社長を取り調べた大坪弘道 は、後に大阪地検特捜部主任検事証拠改ざん事件において、懲戒免職となり、大阪地裁は大坪に懲役1年6月、執行猶予3年の有罪判決を言い渡している。また、手錠をかけた宮本健志(たけし)・徳島地検次席検事 は深夜に酔っ払って市民の車を蹴り戒告処分を受けた。
鹿砦社を追い詰めたかに見える悪徳パチンコ業者のユニバーサルエンタテイメント(旧アルゼ)はフィリピンのカジノにおける賄賂問題でFBIの追及を受けている。
松岡社長は「人をはめようとすると自らもはめられる」と語る。因果応報とは、彼らのためにあるような言葉だ。
鹿砦社は事件を乗り越えて「蘇生」したのだ。その象徴が、『紙の爆弾』なのである。(小林俊之)
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