7回目を迎える「琉球の風~島から島へ」が5月17日熊本市北区のフードパルで行われた。心配された天候も快晴、会場11時前には約200人が入場を待つ列をなし、熱い一日が始まった。
11時会場から途切れることなく聴取の入場は続く緑が目に心地よい芝の会場はしかし、徐々に温度を上げる。「夏がやって来る」と予想した通り、灼熱の太陽が降り注ぐ真夏並みの熱気が開始1時間半以上前から会場を包んだ。メインステージの横に「図書出版 鹿砦社」と他のスポンサーを圧倒するかのような大きな文字が嫌でも目にはいる。
「いやーあの大きさの鹿砦社看板迫力ありますわ」何人もの方がそう言っていた。鹿砦社関係者は松岡社長、鹿砦社発行物やカレンダーなど数々を手掛ける書家の龍一郎氏以下6名が参加し、販売ブースのテントでこのコンサートの生い立ちを記録した『島唄よ、風になれ!『琉球の風』と東濱弘憲』を販売した。
しかし、幸せと呼ぶべきか、不運と考えるべきか左隣のブースは「オリオンビール」、右隣は泡盛各種を売っている。繰り返すが真夏並みの暑さ。テントの下にいても汗が滲む。「ビールを飲むな」と言われても無理!
松岡社長は3年前に友人に煽られて泡盛を20杯余り煽り、前後不覚でドブに転げて全身血だらけになったことがあるそうで、ペースは慎重だった。
13時定刻通りに「琉球の風」が始まった。司会は玉城満さん(沖縄県会議員)と岩清水愛さん(エフエム・クマモト)。琉球國祭り太鼓九州支部が会場いっぱいに広がり華やかに舞いながら太鼓を打ち鳴らす。メンバーの7割は女性だから迫力もあるが華やかだ。
ステージに参加ミュージシャンが順番に紹介され全員が並ぶ。いやはや贅沢この上ない光景である。
私の感覚では、もうこの時点でアルコールを受け付ける人の8割は出来上がっていた。ますます強さを増す日差しと次々に登場するミュージシャン。PA(音響)が実にきめ細やかに各ミュージシャンの特徴を活かしている。
そうそうたる出演者の中でもとりわけ近年鹿砦社と縁が深い川畑さおりの演奏が近づくと松岡社長は観客席の前列へ。たぶん泡盛を1杯しか飲んでいないが演奏が始まると踊りがはじける。川畑さおりは喜界島の出身だが、最後は徳之島の闘牛を歌った「ワイド節」。奄美の人たちが一番盛り上がるアップテンポの節に会場前方は総立ち状態だ。
次いで「かりゆし58」が登場すると客席のボルテージは更に上がる。オリオンビールが飛ぶように売れるのを横目に『島唄よ、風になれ!「琉球の風」と東濱弘憲』はゆっくりと捌けていった。もっとも「いかがですか? 貴重な記録ですよ」と声をかけると「持ってるわよ」と答える方が相当数いて既に「琉球の風」ファンの間ではかなり浸透しているようだ(余談ながら「お隣さん価格で2杯目からはまけてくれへん?」と頼んだが「うーん、じゃあ一番おいしいの出しますので」とかわされた。終了後に「売上上がったでしょう」と店長に聞くと「いえいえ大したことありませんよ」、オリオンさん来年は少し色付けてね)。
鹿砦社陣営の一人が熱烈なファンである大島保克が登場すると、彼の姿は見えなくなった。最前列に移動したのだろう。この頃、横からの日差しを浴びながらも最初は無風状態だった会場に「風」が吹き始めた。ステージに建てられた幟が威勢よく舞い出し、我々のブースにもそよ風がやってきた。満を持して「琉球の風」が吹き始めた。
宇崎竜童に続き宮沢和史の登場で酔いと歓声は最高潮に達する。
トリは「ネーネーズ」。昔の「ネーネーズ」を知る人にとっては何代目なのかと驚くほど年齢が若返っている。
最後再び出演者がステージに勢ぞろいしてフィナーレを歌い上げた。
と書いているが、実のところ自分自身分かりきっていたこととはいえ泡盛に首までつかっていたので細かい部分の記憶は曖昧だ。琉球音楽と泡盛で「酔うな」というのは無理な相談です。
ステージ終了後、慰労会(懇親会)にも参加させて頂いた。こんなに沢山のミュージシャンと普通に話をしていいんだろうか……。知名定男さんと乾杯し、「かりゆし58」の芸に声を上げ、宮沢和史と「中年の健康問題」について語り……。いやはや稀有な経験をさせて貰った1日であった。
前後するが、ステージの最後に司会の玉城さんは「また来年『琉球の風』でお会いしましょう」と結んだ。
うん。来年も行こう。関西から新幹線5時間かけて出かける価値が十分な「琉球の風」だった。
来年はあなたとも「琉球の風」でお会いしましょう!
▼田所敏夫(たどころ としお)兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。