去る4月7日に月刊『紙の爆弾』は創刊10周年を迎え、東京ではライターさんはじめ90名ほどの方々にお集まりいただき、盛況裡に祝っていただきました。
また、同誌創刊直後に突然なされた、「名誉毀損」に名を借りた言論弾圧からも、この7月12日で10年を迎えます。この10年は筆舌に尽くし難い苦闘の日々でしたが、皆様方のご支援により地獄から這い上がり復活することができました。私たちはまず、このことを皆様方にご報告すると共に、同日弾圧の舞台となった西宮に集まり共に今後の前進を誓い合いたく思います(別途HPイベント案内参照)。
2005年7月12日早朝、後に厚労省郵便不正事件証拠隠滅に連座し逮捕・失職するに至る大坪弘道検事に指揮された神戸地検特別刑事部の一群が私の自宅を急襲、本社・東京支社への大掛かりな家宅捜索を行い、私を神戸地検に任意同行し、神戸地検に到着するや逮捕しました。その後、神戸拘置所に移送、全裸にされ尻の穴や性器まで入念にチェックされるという“儀式”(これを、今春からおおせつかった大学の講義で話すと学生諸君は大きな衝撃を受けたようです)を経て独房へ、自らの逮捕を、その日の早朝、一面トップにでかでかと載った朝日新聞で知りましたが、拘置所で流されたラジオでも聴きました。
家宅捜索や捜査は続き、大手取次会社3社、関西の大手書店3社、製本所、倉庫会社、株主会社、取引会社などにも及び大掛かりなものでした。なかでもショックだったのは、日頃「表現の自由」「言論・出版の自由」を口にする大手取次会社や大手書店が、いとも簡単に検察の要求に応じ、関係資料を提出したことでした。
否認しましたので半年余り(192日間)の長期勾留を強いられ、そのうち半分が接見禁止となり、業務上の指示など外部との交通ができなくなりました。否認したら長期勾留も当たり前ということを「人質司法」というそうですが、裁判所が「人権の砦」とか「憲法の番人」とかいうのであれば、「司法改革」は、先の“儀式”とか、こういうところから改めるべきではないでしょうか。
ここまでやられても、一部に「鹿砦社だから仕方がない」とか「これは言論弾圧ではない」とか言われ悔しい想いもしました。会社も壊滅的打撃を蒙り、誰もが見放したと思いますが、ここはどっこい、悪運の強さでは人後に落ちない鹿砦社、“徳俵”に足を残し多くの皆様方のご支援で生き延びることができました。
弾圧から5年ほどで、見通しが明るくなり、その間、本社事務所も倉庫としていたワンルームの学生アパートに蟄居していましたが、2010年9月、甲子園に帰って来ることができ、本社事務所も再開できました。もう甲子園に帰って来ることはできないと思っていましたので、本当に嬉しかったです。
月日の経つのは速いもので、あれから10年、『紙の爆弾』はいまだに続いていますし、鹿砦社は今一番元気な出版社といわれます。ありがたいことです。
この事件の一審判決文に「表現の自由に名を借りた言葉の暴力」という一節がありますが、私に言わせれば、社会的犯罪企業・検察・司法一体となった弾圧は、「名誉毀損に名を借りた言論弾圧」の何物でもありません。
この10年のいろいろなことが走馬灯のように想起され、いささか感傷的になりますが、運良く生き延び復活したことを、ご支援いただいた皆様方と共に喜び合いたいと考え、7月12日、復活の集いを開くことにしました。多くの皆様方のご参集をお願い申し上げます。
ご参加希望の方は鹿砦社本社(電話0798-49-5302、メールアドレスfukumoto@rokusaisha.com)あてご連絡ください。もうかなりの方々の参加申し込みがありますので、お早めにお願いします。先着50名の方に、7・12直後の混乱の中で発行された『紙の爆弾』2005年9月号を進呈いたします。併せて、1部終了後の懇親会ご参加の方はその旨お伝えください。
◆朝日新聞、当社広告を拒否! 検察リークで“スクープ”したくせに恥を知れ!
私たち鹿砦社は奇跡の復活を果たしました。この証として、鹿砦社弾圧を1面トップででかでかと“スクープ”した朝日新聞(大阪本社版)に半5段のスペースで、くだんの7・12に広告(別途画像参照)を掲載すべく早目に(2カ月ほど前に)代理店を通して申し込みました。なんとか掲載するために、料金も朝日広告局が提示した300万円ほどをそのまま呑みました。
ところが、「書籍広告ではない」「(私の逮捕)記事を使えない」等々の理由で掲載を拒否したのです。
この記事は、「朝日新聞」のロゴの左側に掲載されましたので、そのままロゴも入れ画像にして貼り込んで掲載を申し込んだのですが、このロゴも使えないというのです。この記事の画像なしには、今回の広告の意味がありません。
この記事の当事者中の当事者は私松岡ですし鹿砦社です。朝日は、私や鹿砦社をネタに官製記事を作ったくせに何を言ってるんですか!? それに、神戸地検からリークしてもらい、さらにそれを隠して甘言を弄し、私から資料を提供され持ち帰ったのは、当時神戸司法記者クラブにいた朝日の平賀拓哉記者(05年7月12日の記事は平賀記者の署名入りなので顕名にする)だったことを忘れてはいませんか? 恥を知れと言いたいところです。
(鹿砦社 松岡利康)
◎〈生きた現実〉の直撃弾──鹿砦社松岡社長が自身の逮捕経験を「告白」講義
◎「松岡社長逮捕は当然」か?──関西大学「人間の尊厳のために」講義の白熱討論