先の国会衆議院特別委員会で「戦争推進法制」賛成意見を述べた村田学長の発言をめぐって7月16日、同志社大学の理事会が審議を行った。その場で村田氏から国会での発言は「あくまで学者個人としてのもの」であったことについて弁明がなされ、いくつかの疑問意見は呈されたものの、理事会としては「村田発言」を「納得する」との結論に至ったと同大学広報課の高阪氏は述べた。

◆「公序良俗に反しない限り、各教員の考えに介入することはない」(高阪=同志社大学広報課)

「村田発言」についてはいち早く「同志社中学校教職員有志」から発言内容を厳しく批判する声明が出されたほか、「同志社大学教職員有志」、「同志社大学学生有志」らから非難の声明が相次いでいる。私の取材に同志社中学の先生は「教職員全員というわけではないが、ほとんどの教職員は怒り心頭です。毎日生徒を目の前にしている私たちは村田氏の発言を絶対に許すことはできず、辞任させるまで頑張ります」と語っていた。(安保法案の成立に反対する同志社大学教職員有志の声明)

同志社中学校の先生たちの真っ当さに比べて、同大学理事会の例えようなき愚劣振りはどうだ。「村田発言」を不問にするという、大学としては「自殺行為」に等しい愚かな判断だ。理事会に限れば、もうこの大学は「戦争翼賛大学」と言われても仕方がないだろう。

◆「戦争推進」は「公序良俗」に反しないという同志社大学理事会の総意

広報課の高阪氏は「本学は各教員の考え方を尊重するという基本姿勢なので、公序良俗に反しない限り、各教員の考えに介入することはない、というのが基本姿勢です」と語ったが、同志社大学において「戦争推進」は「公序良俗」に反しないということらしい。何たる想像力の欠如と、「知」の摩耗であろうか。

いったい同志社大学における「公序良俗」とは何を意味するのか。同志社大学は学生のバイク通学を禁止しているが違反学生は小さいけれども「公序良俗」の違反者とされるのだろう。数年前同じ学校法人である同志社女子大学に勤務する職員が同僚を殺すという事件があった。これは間違いなく「公序良俗」違反だろう。

◆「集団的自衛権」行使で日本に戦火が及んだら、その有責者には「外患誘致罪」を問えないか?

なら戦争はどうなんだ。刑法には「外患誘致罪」という罪がある。

「外国と通謀して日本国に対し武力を行使させ、又は、日本国に対して外国から武力の行使があったときに加担するなど軍事上の利益を与える犯罪である。現在、外患誘致罪(刑法81条)や外患援助罪(刑法82条)などが定められており、刑法第2編第3章に外患に関する罪として規定されている」

この罪に問われると誰一人殺していなくても最高刑は「死刑」である。「外患誘致罪」は外国の軍隊や武装組織を日本に招き入れることを前提とした刑罰だが、この条文だけ読めば「集団的自衛権」行使だって結局同じ結果を招くのではないか。「外国」を「米国」と置き換えれば日本に戦火が及んだ時の有責者は同様に罰せられないとおかしくはないか。

近代の戦争で「侵略」を旗頭に行われた戦争などない。戦争は常に「解放」や「自由を守る」、「自衛」といった一見理のありそうな「美名」のもとに口火が切られる。大学で国際関係・国際政治を教えている教員ならばこの程度のことは最低レベルの人間でも知っている。

そんな最悪事態をわざわざ招き入れようとする与党の「戦争推進法案」に賛成することを、しかも学長が国会で「あくまで個人的な意見だが」といえば免罪されるとする同志社大学の「個人の自由」概念には論理や理性のかけらもない。あるのはこの時代にまったく抗おうとせず,諾々とルーチンワークをこなし「善良な教職員」を演じ切りたいとする、人間として最低の自己保身だけだ。

この惨憺たる事実を見つめながら、同志社内部で声を上げる良心的な人々を精一杯応援してゆきたい。


◎[参考動画]頭脳警察-世界革命戦争宣言~銃を取れ!(1990年11月12日同志社大学「超非国民集会」)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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