あの産経新聞でさえ「維新分裂『中間派』離反相次ぐ」(10月23日付)と、こんな風に報じている。
分裂状態に陥っている維新の党で10月23日、またも「中間派」の離反が相次いだ。下地幹郎元郵政民営化担当相と儀間光男参院議員は沖縄県浦添市で記者会見し、橋下徹大阪市長の新党に参加する意向を表明。吉田豊史衆院議員は離党届を出し、無所属で活動する考えを示した。(中略)
一方、松野頼久代表ら残留組は23日、代表選挙管理委員会の初会合を開き、11月末に代表選を実施する方針を確認した。「臨時党大会」は無効としており、新党組が総務省に解党届を出す動きなどがあれば、法的手段に訴える方針だ。
これに対し、橋下氏は23日、市役所で記者団に、12月18日の市長任期満了後に弁護士として新党に関与していく考えを表明。正当性を争う法廷闘争を見据え「バンバン刑事告訴していく」と意欲を示した。
※維新分裂「中間派」離反相次ぐ 新党組は24日臨時党大会 橋下氏は「引退」後も関与「バンバン訴える」(10月23日付産経新聞)
もういい加減に勘弁してくれ。本コラムであらかじめ予想しておいた通り、橋下は「政界引退」宣言を撤回して、これからも「自己顕示欲達成のためのみの迷惑行動」を止めるつもりはないと表明した。
◆会社を辞めた役員が「取締役会を開く」などと発言したら笑いもの
それにしてもこの男とその取り巻き、自分が「離党」したくせに、「離党」した党の「党大会」を開くと正気で発言しているのだから、もうとりつくしまもない。仮にあなたが某会社の役員や取締役であっても、その会社を辞めてから、「取締役会を開く」と発言したら、世間からは笑いものにされるだけだろう。
さらに辞職した後に、その会社の公印を持っていたらどうなるだろうか。10月24日現在「維新」は脱党組(橋下派)に党の通帳と印鑑を押さえられていて、政党助成金の引き出しが出来ない状態だという。
そもそも、支持もしていない政党に税金がつぎ込まれる「政党助成金」制度に私は絶対反対の立場だが、それにしても橋下のやりくちは、あまりにも低俗過ぎないか。私は法律の専門家ではないけれども、先に挙げた退職した会社員の例をお考えいただければ、奴らの行動が如何に常軌を逸しているかは多くの方に理解いただけよう。
◆馬鹿げ過ぎた現象を図る尺度は「ファシズム」を感知するセンス
「維新」に参加した議員連中は今頃全員、後悔していることだろう。まだこの先も橋下と行動を共にする、という「玉砕主義者」もいるらしいが、松野頼久をはじめとする、民主党離党後に「維新」に加わった連中や「結いの党」なる、短命にして意味不明の党経由で合流した連中も同様である。
馬鹿げ過ぎた現象ではあるけれども、橋下に対する評価や態度の示し方は、この時代にあって「ファシズム」を感知するセンスを持ち合わせているか否かを図る尺度にはなる。
橋下が大阪知事選に出馬する、という噂が流れた時点から「これは危ないで、いよいよこんな奴までがしゃしゃり出て来よる。こいつは石原慎太郎よりたち悪いで」と直感的に断ずることが出来た人はどの程度いただろうか。少数派ではあったけれども橋下の危険性と悪辣さに当初から警告を鳴らしていた人たちは確かに存在した。
◆大阪弁護士会から「懲戒」対象とされ、業務停止2か月の処分を受けたという事実は残る
一方、私の周辺ではこの人が、と思われるような人の口から「最初は見どころがある奴やと思ったのに」だとか「橋下にも言い分はあったんちゃうか」と批判の矛先がどうにも鈍い方が意外に多い。
何故なのだろうか。私は一度として奴に「これまでと違う何か優れたもの」を見い出したことはない。「この時代にあっては最も危険かつ象徴的な人物」と見立てていた。この評価の違いはテレビを視聴するか否かが大きく関わっているのかもしれない。私は全くといってよいほどテレビを見ない。だから「ハシモト」の猿芝居を目にしたり、パフォーマンスを芸能人がフォーローし、あたかも「一人前」の意見を述べているような場面に接したことはなかった。
ただひたすら新聞やネットで橋下の言動には呆れるばかり。とくに山口県光市の母子殺害事件を担当した弁護団をテレビで糾弾し、あげく懲戒請求を呼びかけるという暴挙には激烈な怒りを覚えた。そして橋下はテレビで弁護団の懲戒を呼び掛けておきながら、みずからは「それに割く時間はないと判断した」と言い逃れにもならない弁明をした。結局この行為で逆に橋下自身が大阪弁護士会から「懲戒」の対象とされ、2010年業務停止2か月の処分を受けている。充分、奴のたち悪さは理解できた。
◆川田龍平は橋下の過去を知っていながらなぜ橋下にすり寄り、合流したのか?
しかし、その後も橋下の暴走は止まらなかった。今でも止まらない。そこで、ここでは私見ではなく、橋下に合流あるいは伴走した人間を振り返る。もし可能ならなぜあなたは橋下期待を抱いたのか、あるいはすり寄ったのか。聞きたい人物は山ほどいるけれども、敢えて1人選ぶとすれば、私は川田龍平に聞いてみたい。
無所属東京選挙区から出馬した時の川田龍平にだ。その後渡辺喜美の「みんなの党」に入党するは、果ては「結いの党」を経て橋下の軍門に下った川田君、一体君は橋下のどこに惹かれ、そしてなぜ橋下の過去を知っていながらなぜ奴に合流したのだ。
無所属で出馬した川田君を支え当選させたのは、そのほとんどが現在であれば安倍や橋下を一番嫌う人たちだった(先の参議院で山本太郎を支持した人たちに重なるだろう)。これは間違いない。当時の著名推薦人の名前を見たって明らかだ、永六輔、坂本龍一、滝田栄などが川田の推薦に名を連ねていた。
政治家などしょせんそんなもんだ、ということのみを示すために君は国会議員になったのか。川田君。橋下を一度でも担いだものとして、この問には回答する義務が川田君にはある。どうなんだ?
▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。
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