旧日本育英会ほか数団体が統合され発足した日本学生支援機構が貸与する奨学金がようやく世間でも問題化しはじめた。現在同機構が貸与する奨学金には2種類あり、1種は無利子で、2種は有利子だ。1種を申請すると成績や保護者の収入で借りられない場合があるが2種はほぼ無条件で貸与を受けることができる。
但し、貸与開始の際には連帯保証人を立てなければならないし、学費支弁者(多くの場合は親)以外にももう一人の保証人に印鑑を突いてもらわなければならない。債務者は学校を卒業した後の学生本人だが「とりっぱぐれ」の無いように「簡単に貸すが回収(取り立て)も厳しくいく」という体制が出来上がっている。サラ金のようなありさまだ。
◆「日本学生支援機構の奨学金(2種)≒ローン」という本音を吐いた中谷防衛大臣
「奨学金」は本来、その語句が示す通り「学びを奨めるための資金」であったはずだけれども、そこに「利息」を付加したことにより性格が大きく変容した。先の国会参議院特別委員会で中谷防衛大臣は「徴兵制」への懸念についての質問を受けた際に、「学資ローンを受けている学生」という言葉で答弁している。舌が滑ったのだ。本当は絶対に口にしてはならない本音が防衛大臣の口から出た。日本学生支援機構の奨学金(2種)は実質的に「ローン」だということを中谷大臣は告白してしまった。
同機構に問い合わせてこの発言についての見解を聞いたが「奨学金はあくまで奨学金で、ローンとは考えていません」との回答が返ってきた。そりゃそうだろう。実質国の機関なんだから、実態が「ローン」でも「奨学金」と言い張らないと体面が維持できない。
この失言を私は複数の野党議員に伝えたが、その後「中谷教育ローン」発言を追及する質問はなかったようだ。
◆平均給与所得世帯でさえなんらかの借金をしなければ子供を大学にやれない劣化社会
そもそも、学校に通うのに「教育ローン」を借りなければならない社会とはどんな世の中なんだ。高等教育に限れば今日私立大学理系の学費は150万円をゆうに超えるし、国立大学だって50万円以上かかる。国税庁によると2013年全給与所得者の平均給与は約414万円らしいが、一人の子どもを私立理科系大学にやれば、年間収入の3分の1以上を割かなければならない。
仮にその大学が自宅から遠隔地で一人暮らしをすることになれば、さらに生活費が少なくとも月に8万から10万はかかるだろう(多くの場合それ以上だろうが)。とすれば平均給与を得ている世帯では、他の原資(奨学金や親戚知人からの援助もしくは借金)に頼らなければ子供を大学にやることすら無理だという計算になる。
わかりやすい例を挙げよう。学生が学費を納める「大学」に勤務している人、すなはち大学教員や大学職員の給与は大学によって異なるものの、概して一般企業よりも高い。戦争推進法案に道を開いた畏くも偉大なる村田晃嗣氏が学長を勤める同志社大学教員60歳時の給与は額面で約1600万円だ。税金や社会保険の天引きがあるから手取りはおそらく1200-1300万円といったところか。
しかしこれだけの収入があっても、年の近い子供を下宿させている教員の中には「生活していくのに精一杯ですよ。3人の学費と仕送りで我々の生活費は年間300万は残りません」と語ってくれた人がいる。
おかしくはないか、この構造は。
額面1600万円といえば、給与所得者としては結構な高給取りだと思うが、そんな人ですら子供が3人同時に大学へ通うと、生活に余裕がない社会。こんなザマのどこが「先進国」なんだ。何が世界有数の経済大国だ。
◆高等教育無償のドイツとは雲泥の差──政府が執拗に進める日本の教育貧困国化
この島国と同じような狂信的な過ちを犯した歴史を持つドイツという国がある。ドイツでは食べ物など日用品の物価は日本より安い。そして大学の学費は無料だ。付け加えれば医療費も無料である。その一方最低時給は全国一律8.5ユーロ(約1129円)だ(日本の最低時給は都道府県別に決定されるが、2015年は最高でも東京都の907円で、鳥取、宮崎、沖縄は693円)。ドイツに限らず欧州の多くの国では高等教育を含めすべての教育機関の学費が無料である。その対極をなすのが英国・米国や日本、韓国などのアジアの国だ。
教育を「国が提供する当たり前の行政サービス」と考えるか、「市場原理で競争させる収益事業」と考えるかの違いが如実に現れる。この時代の日本では、大学に子供を通わせるのは所帯にとって一大事業だけれども、そんな心配や苦労を一切しなくてもよい国が世界には多数あることはもっと知られるべきだろう。それを多くの人が切実に認識すれば、「おい、この社会構造基本がおかしいんじゃないか」と疑問が湧くだろう。
「フロンティアスピリッツ」だの「自由と民主主義の国」といった虚飾にまみれた修辞を冠されることがさすがに近年少なくなったが、矛盾の集約形は米国において明らかだ。「99%の我々」というスローガンが米国で誕生したのには理由がある。世界一の経済大国であっても、庶民の生活が決して「世界一豊か」では全くなく、むしろ「貧困大国」と称されるのが実態であるということだ。だから米国の若い軍人の中には「大学入学するための資格と資金を得るために」入隊する者が多いし、一度軍人として籍を置いた人々には様々な社会的優遇措置がある。
かような「国のありよう」により近づこうとして、敢えて奨学金地獄を放置し、来るべき「徴兵制」の地ならしを政権は着々と進めているのだ。
ろくに内実にも詳しくもないのになんでもかんでも「外国はいい」という「外国かぶれ」の方がいるが、世界はそんなに一様ではない。でもこの島国で大学に行くことはこれほどの経済的負担を保護者にかけ続けている、そして負担が益々増加している様はもっと深刻な反発を招いてもおかしくはないのではないか。
▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。
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