ローリング・ストーンズのブライアン・ジョーンズが死んだのは、1969年7月3日未明のことだった。ドラッグを決めて、しこたま酒を飲んで、酔い覚ましに自邸のプールに入って死んだ、とされていた。
ところが1993年、フランク・タログッドという男が死の床で「自分が殺した」と仄めかしたのだ。真偽を確かめる暇もなく、彼は死んだ。彼は、ブライアンに雇われ屋敷の修繕人として住み込んでいた男だった。
3人の男によってブライアンはプールに沈められた、というブライアンの友人や恋人による目撃証言も、その後に出てきた。タログッドに脅されて、黙っていたのだという。

しかしなぜ、タログッドはブライアンを殺したのか。
それが、佐藤雅彦著『ロックはこうして殺された』(鹿砦社)では追及されている。
ブライアンの遺体からは、通常使われるドラッグ類は発見されなかった。その代わり、アンフェタミンとよく似た物質が通常の9倍も検出された。ブライアンが飲んだとされるブランデーの瓶を警察が持ち去ったが、結果が発表されることもなくそれっきり消えてしまった。他の証拠も同様だった。
不振な状況が山ほどあったのに、事故として処理されたのだ。

佐藤氏は、こう書いている。
「ロック音楽が反体制文化を扇動するエネルギー源でありえた1960年代末から70年代にかけて、米国の軍部と警察と諜報機関が〝共謀〟し、ありとあらゆる反体制運動を秘密工作によって潰そうとしていたことが、のちの議会調査や情報公開によって明らかになっている」
これが、陰謀マニアの妄想なのかどうかは、本書を手にとって確かめていただきたい。

ニルヴァーナのカート・コバーンが「猟銃自殺」したのは、1994年4月8日。現場は不思議なことだらけだった。銃は、引き金が上に来るようにさかさまに置かれていた。自分で引き金を引いたのなら、遺体の右側に転がっているはずの薬莢が、左側に転がっていた。

それでも自殺として処理されたが、1996年、メントールズというバンドのエルドン・ホウクが、衝撃の告白をする。
カート・コバーンの妻のコートニー・ラヴから、5万ドルで夫を殺してほしいと頼まれたのだという。
FBIの嘘発見器検査・上級研修課程の教授である、エドワード・ゲルブ博士が検査して、エルドン・ホウクの告白が嘘ではないことを確かめた。
それでも警察は捜査をせずに、1年後にエルドン・ホウクは列車に轢かれるという謎の死を遂げてしまった。

コートニー・ラヴは不遇の少女時代を送り、日本で「ナマ本番ショー」などの仕事をした後に、ホウルというパンクバンドを結成、半裸状態で歌ってヒットを飛ばした。
その後に、カート・コバーンの心を射止めたのだ。カート・コバーンの死で、莫大な遺産は彼女のものとなった。

ポルノ写真モデルや高級売春婦だった、ポール・マッカートニー夫人の過去。神格されたジョン・レノンを利用して、カルト商法を繰り広げるオノ・ヨーコ。ロックを巡る興味深い事実が、本書では多く語られている。

だがそこには、ロックへの愛が貫かれている。鋭いナイフでロックの暗部をえぐりだしながら、ロックがロックであった頃を、浮き彫りにしているのだ。

(FY)