◆1988年のハンセン証言

1986年4月26日、史上最悪の原発事故、チェルノブイリ事故が起きた。事故で31人が死亡、13万5000人の住民が避難を余儀なくされた。この事故から2年後の1988年6月23日、アメリカ上院エネルギー委員会の公聴会において、NASA所属のジェームズ・ハンセンが「最近の異常気象、とりわけ暑い気象が地球温暖化と関係していることは99%の確率で正しい」と発言した。

同年アメリカは1930年代以来の大干ばつに見舞われ、熱波が各地を襲い、山火事が多発していた。ハンセンはこの異常気象の原因がCO2の人為排出だと示唆したのである。この証言を行ったハンセンは後に地球温暖化防止のため原発を推進するようオバマ大統領に提言を行い、以後も原発を積極的に支持する発言を続けている人物である。この公聴会の議長をつとめた上院議員のティモシー・ワースは過去の気象記録で最高気温が記録された日を開催日に選び、当日は委員会の冷房を切っていたという。

ワースは後に、「地球温暖化の問題に乗っかる必要がある。たとえ地球温暖化の理論が間違っていても経済.環境政策の点では我々は正しいことをしているのだ」と述べている。ともあれ、このハンセン証言を契機に雑誌やTV放送などのメディアを通して、地球温暖化についての認識が1気に広まった。

温暖化=「気候危機」論の広がり1989年3月、オランダのハーグで「環境サミット」が開かれ、「温暖化防止への国際協力」を盛り込んだ「ハーグ宣言」が採択された。この会議は従来環境問題にはさほど熱心でなかったフランスが急遽オランダ、ノルウェーと共同で開催したものである。

フランスの独走が目立ったこの会議について、科学史家の米本正平氏は以下のように指摘している。

「フランスは政府主導で原発を進めてきた、欧州で唯一の国である。ところが86年のチェルノブイリ原発事故以降、ドイツなど他国の環境保護派から批判の矢面に立たされてきた。それをここで、電力供給の75%が原発という自国のエネルギー供給の状態を逆手にとり、二酸化炭素排出量が大きい、石炭火力発電を主力とする他欧州諸国をにらみつける形で、地球温暖化問題を軸に一気に新しい課題でヘゲモニーをとろうとした、と考えるのがいちばん妥当であろう。」(『地球環境問題とは何か』岩波書店、1994年)

日本原子力研究開発機構のHPは、このハーグでの会議は「地球温暖化防止対策に第1歩を踏み出す画期的な会議」だったと書いている。

イギリスのサッチャー首相は1989年11月にニューヨークで開かれた国連総会で、CO2を削減して人為的地球温暖化を阻止すべきだとスピーチし、世界の首脳に先駆けて地球温暖化問題を国際社会でアピールした。当時サッチャー政権は炭鉱労働組合の弱体化を図るとともに石炭火力から原子力への切り替えを目論んでいた。サッチャーは退任後立場を変え、地球寒冷化の方が温暖化よりもはるかに害が大きく、科学が歪曲されていると著書で主張している。

一方、1988年6月に開催されたトロント.サミットで地球温暖化問題の重要性が指摘され、その声明に基づいて同年11月に国際連合気候変動に関する政府間パネル(IPCC)が設立された。IPCCはこれまで6回報告書を出している。2022年4月に発表された第6次評価報告書第3作業部会報告書には「原子力は、低炭素エネルギーを大規模に供給することができる」と書かれており、発電時CO2を出さない原発が「気候危機」対策として有効であることが示唆されている。

◆結び

CO2の増加により地球が温暖化するという学説はすでに19世紀に発表されていた。しかしCO2温暖化説の提唱者アレニウスは地球温暖化を「危機」ではなく「恵み」と認識しており、宮沢賢治もそうした認識に基づく作品を書いていた。そして1970年代までは地球寒冷化説の方が優勢であり、地球温暖化が社会の主要関心事となることはなかった。

転機となったのは1979年の「チャーニー報告」である。スリーマイル島原発事故の起きたこの年、米政府は米国アカデミーに気候に対する人為起源CO2の影響について諮問を求め、同アカデミーはCO2の人為排出が地球の気温上昇を招き、それが気候に大幅な変化をもたらすとする報告書を出した。

さらにチェルノブイリ原発事故の2年後、1988年のハンセン証言を契機に地球温暖化が社会的な関心を集め、各種機関による地球温暖化対策が本格的に進められるに至った。「気候危機」論を世界に広める上で大きな役割を果たしたのが、原発大国フランスと、サッチャー政権のもとで炭坑労組潰しと石炭火力から原発への転換を進めていたイギリスである。2011年の福島原発事故後、いくつかの国が脱原発を決め、他の国々も原発推進に慎重姿勢を取った。しかし、グレタ・トゥーンベリが気候ストライキを始め気候運動が世界的な盛り上がりを見せる中、EUはタクソノミーに原発を含めることを決定し、韓国は脱原発を撤回、フランス、日本が相次いで原発の積極推進に回帰した。

このように、「気候危機」論は原発推進を目論む勢力によって提唱され、以後一貫して原発を推進する役割を果たしてきたのである。

「気候危機」論のもう1つの大きな推進力は、金融商品としてのCO2により利潤を得る国際金融資本であることは本誌2023年夏号の拙稿「『気候危機』論についての一考察」で述べた。

いずれにせよ、「気候危機」論はその生い立ちからして原発推進と不可分の関係にある。したがって、私たち市民は「気候危機」論の動向について常に警戒感をもって注視していかなければならない。(終わり)

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▼「気候危機」関連年表

1760年代  イギリスで産業革命起こる
1896年   スヴァンテ・アレニウス、CO2の地球温暖化効果を指摘する論文を発表
1906年   アレニウス『宇宙の成立』を発表、CO2の地球温暖化効果を一般向けに解説
1932年   宮澤賢治『グスコーブドリの伝記』発表
1979年 3月 スリーマイル島原発事故
1979年 7月 米国アカデミー「21世紀半ばに二酸化炭素(CO2)濃度は倍になり、
      気温は3±1.5℃(1.5-4.5℃)上昇する」とする「チャーニー報告」を公表
1986年 4月 チェルノブイリ原発事故
1988年 6月 アメリカ上院公聴会にてジェームズ・ハンセンが「最近の異常気象、
      とりわけ暑い気象が地球温暖化と関係していることは99%の確率で正しい」と証言
1988年 6月 トロント・サミット開催
1988年 11月 国際連合気候変動に関する政府間パネル(IPCC)発足
1989年 3月 ハーグで環境サミット開催、「温暖化防止への国際協力」を盛り込んだ
      「ハーグ宣言」を採択
   11月 英サッチャー首相、国連総会で
      「CO2を削減して人為的地球温暖化を阻止すべき」とスピーチ
1991年   ソ連崩壊
1992年 6月 ブラジルで地球サミット開催、「気候変動枠組条約」採択
1995年   第1回気候変動枠組条約締約国会議(COP1)開催
1997年   COP3開催、「京都議定書」採択、排出量取引制度創設
2001年   IPCC第3次評価報告書を発表、マイケル.マン作成のホッケースティック曲線を採用
2002年   サッチャー元首相、地球温暖化を否定する著書『Statecraft』を発表
2005年   EU、世界で初めて「排出量取引制度(EU-ETS)」を開始
2006年   アル・ゴアのドキュメンタリー映画『不都合な真実』公開
      (ゴアは翌年ノーベル平和賞を受賞)
2007年   英国裁判所で『不都合な真実』には誇張があるため
      学校内での上映に際しては注釈を付すよう命じる判決
2008年   ハンセン、地球温暖化防止のため原発を推進するようオバマ大統領に提言
2009年11月 クライメートゲート事件(マンのホッケースティック曲線は捏造であるとの疑惑が浮上
      英国下院は「問題なし」とする調査結果を公表)
2011年 3月 福島原発事故
2011年 7月 ドイツ、脱原発を決定
2015年   COP21開催、「パリ協定」締結
2017年   韓国、脱原発を決定
2018年   グレタ・トゥーンベリ、気候ストライキを開始
2021年 8月 IPCC第6次評価報告書を発表、
      人間の活動により温暖化が起きていることは「疑う余地がない」と断定
2021年11月 仏マクロン大統領、原発新設再開を宣言
2022年   EU、タクソノミーに原発を含めることを決定
2022年   韓国、脱原発を撤回し原発推進に回帰
2023年 5月 日本、国会でGX推進法を可決、成立

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本稿は『季節』2023年冬号掲載(2023年12月11日発売号)掲載の「『気候危機』論の起源を検証する」を本通信用に再編集した全3回の連載記事です。

◎原田弘三 「気候危機」論の起源を検証する[全3回]
〈1〉CO2増加による気温上昇は、本当に「地球の危機」なのか
〈2〉転機となった「チャーニー報告」
〈3〉「気候危機」論はその生い立ちからして原発推進と不可分の関係にある

▼原田弘三(はらだ こうぞう)
翻訳者。学生時代から環境問題に関心を持ち、環境・人権についての市民運動に参加し活動している。

3月11日発売 〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌『季節』2024年春号 能登大震災と13年後の福島 地震列島に原発は不適切

〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌
『季節』2024年春号(NO NUKES voice 改題)

能登大震災と13年後の福島 地震列島に原発は不適切

《グラビア》能登半島地震・被災と原発(写真=北野 進

《報告》小出裕章(元京都大学原子炉実験所助教)
 能登半島地震から学ぶべきこと

《報告》樋口英明(元福井地裁裁判長)
 地雷原の上で踊る日本

《報告》井戸謙一(弁護士・元裁判官)
 能登半島地震が原発問題に与えた衝撃

《報告》小木曽茂子(さようなら柏崎刈羽原発プロジェクト)
 珠洲・志賀の原発反対運動の足跡を辿る

《報告》山崎久隆(たんぽぽ舎共同代表)
 「大地動乱」と原発の危険な関係

《講演》後藤秀典(ジャーナリスト)
 最高裁と原子力ムラの人脈癒着

《報告》山田 真(小児科医)
 国による健康調査を求めて

《報告》竹沢尚一郎(国立民族学博物館名誉教授)
 原発事故避難者の精神的苦痛の大きさ

《インタビュー》水戸喜世子(「子ども脱被ばく裁判の会」共同代表
 命を守る方法は国任せにしない

《報告》大泉実成(作家)
 理不尽で残酷な東海村JCO臨界事故を語り継ぐ

《報告》後藤政志(元東芝・原子力プラント設計技術者)
《検証》日本の原子力政策 何が間違っているのか《2》廃炉はどのような道を模索すべきか

《報告》森松明希子(原発賠償関西訴訟原告団代表)
すべての被災者の人権と尊厳が守られますように

《報告》平宮康広(元技術者)
放射能汚染水の海洋投棄に反対する理由〈後編〉

《報告》漆原牧久(脱被ばく実現ネット ボランティア)
「愛も結婚も出産も、自分には縁のないもの」311子ども甲状腺がん裁判第八回口頭弁論期日報告

《報告》三上 治(「経産省前テントひろば」スタッフ)
本当に原発は大丈夫なのか

《報告》佐藤雅彦(ジャーナリスト/翻訳家)
日本轟沈!! 砂上の“老核”が液状化で沈むとき……

《報告》板坂 剛(作家/舞踊家)
松本人志はやっぱり宇宙人だったのか?

《報告》山田悦子(甲山事件冤罪被害者)
山田悦子の語る世界〈23〉
甲山事件五〇年目を迎えるにあたり誰にでも起きうる予期せぬ災禍にどう立ち向かうか〈中〉

《報告》再稼働阻止全国ネットワーク
能登半島地震と日本の原発事故リスク 稼働中の原発は即時廃止を!
《老朽原発》木原壯林(老朽原発うごかすな!実行委員会)
《規制委》木村雅英(再稼働阻止全国ネットワーク)
《志賀原発》藤岡彰弘(志賀原発に反対する「命のネットワーク」)
《六ヶ所村》中道雅史(「原発なくそう!核燃いらない!あおもり金曜日行動」実行委員会代表)
《女川原発》舘脇章宏(みやぎ脱原発・風の会)
《東海第二》久保清隆(とめよう!東海第二原発首都圏連絡会)
《地方自治》けしば誠一(反原発自治体議員・市民連盟事務局長)

《反原発川柳》乱 鬼龍

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私は、これまで米国の下への日本の統合、「日米統合一体化」の問題を多く寄稿させて頂いた。そうした中、「日本の国土政策の根本を変える」との主張が出てきた。それは何を意味するのか、それと対決するために、何をしなければならないのか、それを考えてみたい。

◆先ず「NTTは『能登』を見捨てる」から

昨年11月、貴通信への投稿で、NTT法を廃止し、NTT株を米国外資に売却し、日本の通信インフラを米国に売る動きについて述べた。こうした中、情報誌「選択」(3月号)に「NTTは能登を見捨てる」という記事があったので、そのことから始めたい。

その記事は、NTTの島田明社長が今年度第3四半期決算の発表記者会見の場で「モバイルファースト」を強調したが、それはNTT法が同社に科している「固定電話をあまねく全国に提供する責務」、即ちユニバーサルサービス(ユニバ)の「最終保証義務」の廃棄を狙ったものだというものだ。

能登では大震災による電柱、局舎、中継施設が倒壊・破損したが、その完全復旧には半年以上掛かる。そこで応急措置として携帯電話を使っているが、携帯電話は、基地局周辺エリアしか使えず、本格復旧には光回線(光ファイバー)網をつなぎ直さなくてはならない。

そうした復旧費用は100億円にもなる。そこで、NTTは、本格復旧はせずにイーロン・マスクが世界的に展開する通信衛星網「スターリンク」を使うことで済ませようとしている。

情報化時代にあって、通信網から外されることは、「見捨てられた」も同じである。その復旧をやろうとしないということは、まさに能登を見捨てるということになる。

NTT法廃止の本質は、米国に通信インフラを売り渡すということだ。その「亡国・売国」の所行が震災地能登で進んでいる。能登を手始めに、今後も予想される大震災を契機に、日本の多くの地域が「切り捨てられ」ていく。

◆注目すべき竹中平蔵氏の主張

こうした中、竹中平蔵氏が「日本の国土政策の根本を変える」ことを主張している。

氏は、You Tubeの「魚屋のおっチャンネル」で、今、首相になったとして、国民にやるべきことを訴えるとしたら何ですか、という質問に対して「今やらなきゃならないのは、日本の国土政策の根本を変えることです」と答え、「今までは、そこに住んでる人は、そこに住む権利があるという前提で、インフラも供給するしサービスも提供するけど、申し訳ないけど、もう人口も減っていくんだから、ここの中核都市にみんな集まってくれと。そのためのお金は政府が出しますよ」(原文ママ)とその具体像を示す。

竹中氏は、歴代自民党政権で米国式新自由主義改革を主導した人物である。その下での政府の地方政策は、効率第一の「選択と集中」として、中核都市を中心にした圏域にカネ・ヒト・モノを集中させ、他は「見捨て、切り捨てる」というものであった。

その方針の下、地方制度調査会が2017年に「連携中枢都市圏構想」を発表したが、当時、全国市長会では、「圏域の法制化は、地方の努力に水を差す以外の何物でもない」「政府は我々を見捨てるのか」という声があがった。

事実その結果は、「仙台圏の一人勝ち」現象の全国化であった。能登の見捨てられたような現状もその結果である。

竹中氏の主張は、この政策を更に進めるということに他ならない。

そこで注目しなければならないのは、市町村などの基礎自治体を米国企業の管理下に置く動きが進んでいることだ。

昨年2月、総務省が政府の「デジタル田園都市国家構想」で桎梏となっているデジタル人材の不足を解決するために人材サービス会社と協力して市町村にデジタル人材を派遣配置するという方針を発表したが、この人材派遣会社とは、まさしく竹中平蔵氏が会長だった(その後辞任)パソナなどであり、そのデジタル人材とは、米国のIT企業やそれと関連する人材となる。

すでに、デジタル化の司令部であるデジタル庁のプラットフォームはアマゾン製であり、それを使った「全国共通システム」が開発されており、データを集積利用するクラウドも米国巨大IT企業に委ねるものになっている。こうしたデジタル化の大枠が構築されている下で、基礎自治体である市町村の自治業務を米国外資・企業の関連人材がデジタル管理する。

こうなれば、日本の全国土が隅々まで米国に管理されるようになる。それは、地方自治の否定・解体であり、そこでは地域住民主権も剥奪される。そして、デジタルの特性から、米国の影はよく見えない。見えないままに米国による日本統合は進められていく。

竹中氏の「日本の国土政策の根本を変える」主張の隠された狙いは、米国企業が地域を直接管理する形で米国が日本の全国土を管理する国に作り直すというところにある。

◆それは時代の流れに逆行する

今、米中新冷戦の下で、日本をその最前線に立たせるための日米統合策が進んでいる。

それは軍事における統合を先行させながら、日本の全国土を米国の下に統合一体化して日本を根本的に作り直すものとしてある。

この側面から見れば、岸田首相が米国議会で行った演説「未来に向かって~我々のグローバル・パートナーシップ」とは、日本があくまでも日米基軸、対米追随路線を堅持し、米国の下への日米統合一体化を更に進めることを米国に約束したものだと言える。

しかし今、米国覇権は音を立て崩れつつある。

「民主主義」を唱える米国が、イスラエルによるガザ地区での虐殺蛮行を容認し後押しするという「二重基準」、あるいは、ウクライナ支援が物価高など「返り血を浴びる」状況の中で、欧米では、この「民主主義」への懐疑や批判が強まり、「エリート支配」「リベラル寡頭支配」などが言われるようになっている。

こうして、米国ではバイデン政権に反対しトランプを支持するGAMA(Grate America Make Again)運動が起きており、欧州では「いい加減にしろ」運動が起き、各国で自国第一主義が台頭している。

こうした中で、世界の大多数を占めるグローバルサウス(中国もインドもその一員であることを自認している)も、米国覇権にそっぽを向き、脱覇権自主の道を模索し始めている。

時代の流れは、脱覇権自主の流れになっている。

竹中氏の主張は、この時代の流れに逆行し、破綻が明らかな新自由主義改革をさらに進め、日本全土を米国が企業管理するような国に「根本的に変える」というものだ。

新自由主義改革による格差が拡大し、その上に軍事費倍増のため社会保障費や地方交付税が減らされ、様々な形で実質増税が行われる中で、国民の生活苦は増し、SNS上でも、#竹中平蔵をつまみ出せ、#政治に殺される、#増税メガネなどの言葉が飛び交っている。

その上、日本は米国の一部として管理され、対中新冷戦の最前線に立たされ、ウクライナのように米国のための代理戦争をやらされようとしている。

もはや猶予は許されない、日米基軸、対米追随の政治に終止符を打ち、日本の国益、国民益を守る日本のための政治、国民のための政治を今、直ちに実現しなければならない。

◆国民のための政治実現が切実に問われている

こうした中、「冷たい政治」から国民を救う「救民内閣」樹立を訴える前明石市長の泉房穂さんの動きが注目を集めている。

泉さんは、今の政治は、国民に生活苦を強いる「冷たい政治」だとし、この政治を終わらせるために、来るべき総選挙で「国民の味方」チームで候補者を立てて勝利し、ホップ・ステップ・ジャンプで勝利して「令和維新」を行い、「首相公選制」「廃県置圏」を断行して「新しい日本を創造する」と述べる。

その理念は「誰も見捨てない、どんな地方も見捨てない」であり、竹中氏の新自由主義的な「弱者切捨て」とは対極にある。

泉さんは、最近の「政治とカネ」の問題も、これまでの政党政治では、必然的に生み出されるものと捉える。政党政治では国民に向かって訴える必要もなく、議員の関心は派閥の動向に向かい、そういう中では「政治とカネ」の問題も必然的に起きるのだと。

「首相公選制」、そこには、政党政治という間接民主主義に対して、直接民主主義的な政治への志向が見られるし、民主主義とは何か、政治とは何かという根本的な問いかけがある。

「廃県置圏」は都道府県を廃止し300ほどの圏域を作るという、地方政策であり国土政策だが、それは、能登の現状が示す「弱小地域を見捨てる」政策と対決するものとなる。

 

魚本公博さん

今、全国の市町村(東京の21特別区を含む)は1741だから、その圏域には、5つほどの市町村が含まれることになり、県単位で見れば、各県に5~7つほどの圏域を作ることになる。そうなれば、「見捨てられる」地域もなくなり、全ての地域がそれぞれ特徴を活かした圏域として互いに連携しながら発展することが出来るようになると思う。

米国覇権が失墜し、世界の多くの国々が脱覇権の動きを強めている中で、米国の下への統合など時代錯誤も甚だしい。世界の流れ、時代の流れに向き合う政治、国と国民の利益を第一に考える、国民のための政治実現が今、切実に問われている。

それをどう実現するのか。泉さんの問題提起などを参考して、政治のあり方、国土政策のあり方などを根本的に捉え直す論議を広範に巻き起こし、そうした中で、日本と国民を救う、「救国、救民」の政治を今こそ実現しなければならないし、それが出来る時代なのだと思う。「デジ鹿」上でも、こうした議論を大いに展開してもらいたいと思う。

◎ピョンヤンから感じる時代の風 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=105

▼魚本公博(うおもと・きみひろ)さん
1948年、大分県別府市生まれ。1966年、関西大学入学。1968年にブントに属し学生運動に参加。ブント分裂後、赤軍派に属し、1970年よど号ハイジャック闘争で朝鮮に渡る。現在「アジアの内の日本の会」会員。HP「ようこそ、よど号日本人村」で情報発信中。

『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』(紙の爆弾 2021年12月号増刊)

『一九七〇年 端境期の時代』

4月14日(日)、久々に矢島祥子(さちこ)さんの家族や支援者と鶴見橋商店街でビラまきをした。毎月14日に行われているが、私は仕事でなかなか参加できていなかった。群馬からかけつけた両親、兄の敏ちゃん、弟の剛君、姫路から飛松さん、そしていつもの支援者のほかに新しい支援者が数人も参加した。

 

商店街のお店一軒一軒にチラシを持って行き情報提供を呼びかける祥子さんのご両親

矢島祥子さんは2007年、釜ヶ崎に隣接する鶴見橋商店街の入り口にある診療所に勤務し始めたが、2009年11月14日、朝方まで残業していた診療所から行方不明になり、2日後、木津川で遺体で発見された。

私がこの事件を知ったのは2010年暮れだった。2008年頃から2年ほど店を3軒経営していたほかに裁判を抱えていたため、釜ヶ崎の祭りや越冬闘争にも参加できず、難波屋にも飲みにいけてなかった。

秋ごろ、久々に難波屋に飲みに行くと、筒井マスターが「ママ、久しぶりや。今度難波屋フェスティバルやるから、ママも歌いや」と言ってきた。まあ、どこかで「はなのママは歌がうまい」と聞いたのだろう(笑)。私はマスターの紹介してくれたギターの兄さんと練習をはじめてその日に臨んだ。生演奏で歌い拍手をもらうのは心地よかった。その後「ママ、越冬闘争のステージに出ないか」といわれ、調子こいた私は出演することになり、今度はベースやドラムなども入った本格的なバンドで歌うことになった。

暮れも押し迫ったある日、難波屋のカウンターの奥のテレビの下、常連客で元ヤクザだが書と絵がめちゃ上手い高ちゃんが書いた「薄利多売」の色紙がある前で飲んでいると、仲間が越冬のスケジュール表を持ってきてくれた。あるある「はなと愉快な仲間たち」(笑)。と近くに「夜明けのさっちゃんズ」というバンド名があった。「なに?このバンド」と私が聞いたときだ。知り合いらが「あっママ、それは聞かないで。タブーだから」というではないか?「え?」。聞けば、先に書いたように、矢島祥子さんという女医さんが謎の死を遂げていたという。私は彼女のことも謎の死のことも知らなかった。事故か、自殺か、事件かはわからない、でもタブーなのだという。

◆「あの遺族に関わらんほうがいい」と何度も言われた不思議

その後ある人から「あの遺族に関わらんほうがいい」と何度も言われた。だからではないが、毎年11月14日前後に開催される「矢島祥子さんを偲ぶ会」にはしばらく行かなかった。とある日、いつも講演会の会場を貸していただくかじさん(大西洋子さん)とおつれあいで一昨年亡くなった春さんも(中尾春男さん、釜ヶ崎で古くから日雇い労働者として働いてきた。1992年、「釜ヶ崎高齢日雇い労働者の仕事と生活を勝ち取る会」を作り、三角公園で週2回の炊き出しを始める)、同じく釜ヶ崎の知り合いにそう言われていたことを知った。普段あまり付き合いのない釜ヶ崎の知り合いが、ピースクラブの1階にある喫茶店にきて「遺族とつきあわんほうがいいい」と「アドバイス」したという。

私同様、祥子さんのことを知らなかった春さんとかじさんは「なぜ知り合いでもない私たちにそんなアドバイスしてくるのか?」と不思議に思い、遺族に連絡をとり、群馬にご両親を訪ねて行き話を聞いたそうだ。そして「これは何かある」と確信したという。祥子さんの死後、マスコミは「西成のマザーテレサ」などと呼ぶようになるが、このように、西成では祥子さんのことを知らない人も大勢いた。兄の敏ちゃんも「マザーテレサという言い方はマスコミが作ったもの。祥子はわずかな時間しか西成に関われなかったから、そんな言い方されると古くから活動している方に申し訳ない」と言っている。

当時、春さんには、私の店の第二期改装工事をやってもらっていた。そこで私は、春さんから、私が山谷に支援に入っていた頃、山谷で起きた対金町一家との闘いで、釜ヶ崎から支援に来た春さんが金町一家に拉致され、頭をかち割られたていたときいた。釜にきてそんな話をして知り合った春さんには「はなちゃん、はなちゃん」と言われ、改装工事終了後も仲間を引き連れ、はなによく飲みに来てくれた。でも、春さんは、私に「はなちゃん、偲ぶ会に来てや」と誘うことはなかった。自分が正しいと思うことでも、「あんたも関わるべきだ」とむりやり誘うことはしない、それは私と同じだった。

その春さんらと同様に、「遺族と関わるな、関わるな」と言われ続け、私のなかに疑問がふつふつ湧いてきた。

◆「さっちゃんの聴診器」をきっかけに矢島祥子さんのことはタブーではなくなった

「偲ぶ会」に初めて参加したのは、確か2013年だ。あれから月日は流れ、寺澤有さん、NHK取材班、作詞家のもず唱平さん、もずさんの愛弟子で「さっちゃんの聴診器」を歌う高橋樺子さん、同名の『さっちゃんの聴診器』を書いた大阪日日新聞の大山勝男記者、そして去年逝去された桜井昌司さん……多くの人が事件に関わりだし、矢島祥子さんのことはもうタブーではなくなった。

 

 

先日敏ちゃんに聞いた話。西成警察署で対面した祥子さんの遺体の首にくっきり残っていた赤い傷、それについて敏ちゃんは「ママ、あの醤油差しの蓋の赤ではなく、ママのエプロンの赤のような色の傷が、祥子の首の両側についていたんだ」と。

先日配ったチラシにはこう書いてある。「先日、新しく赴任された西成署の刑事課長から母に連絡がありました。互いの近況を報告しあったそうです。捜査については、未だ犯人につながるところは発表されません。事故死の観点からしても、それを決定づける新たな発見事実はないとのことでした。

母は解剖医から明かされた両頸部の圧迫痕、並びに溢血点の所見を持って、遺体検案書の死因を、自殺他殺不明の溺死ではなく、絞殺に書き換えてもらえるよう伝えたそうです」。

チラシは、「はな」にも置いてあります。

▼尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。2023年10月に『日本の冤罪』(鹿砦社)を上梓
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

尾﨑美代子著『日本の冤罪』

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/4846315304/

◎鹿砦社HP https://www.rokusaisha.com/kikan.php?bookid=000733

◆温暖化説に基づいた物語『グスコーブドリの伝記』

宮沢賢治(1896-1933)が1932年に発表した童話『グスコーブドリの伝記』は、CO2温暖化説に基づいた物語である。主人公ブドリは、生まれ育った農村が冷害に苦しむのを目の当たりにし、火山を噴火させCO2を噴出させて温暖化を起こすことを考えつく。しかし火山を人工的に噴火させる作戦を実行するにはチームの最後の1人が犠牲にならなければならない。ブドリは進んでその役を担い自らが犠牲となって火山からCO2を噴出させ、その結果起きた温暖化によって村は冷害から救われる、というのがこの物語のあらすじである。

1970年代までは寒冷化説が主流生態学者、吉良竜夫が1971年に著した『生態学からみた自然』(河出書房新社)には、CO2温暖化説が以下のように紹介されている。

「氷期のCO2生因説をとるプラスは、いまの燃料消費の増加が持続するとすれば、30年後の21世紀初めには、大気中のCO2濃度が50%高くなり、地表気温は2度上がるだろうという。……いまより2度高温というと、BC5000年ごろの縄文時代中期がそれで、そのころの貝塚の分布から推定した海面の位置は、現在より10mほど高く、関東平野のおく深くまで東京湾が侵入していた。こんなことが起こっては大変で、世界のおもな都市は全部水没してしまう。炭酸ガス危機説とよぶゆえんである。」

この記述から、この頃までにCO2増加による温暖化を「危機」とみなす学説が唱えられていたことがわかる。

しかし吉良は同書の中で続けて以下のように書いている。

「じつは、人間のCO2放出による地球の気温上昇の問題は、現時点ではかなり影がうすれている。というのは、大気汚染、とくに自動車排気が原因で、微小な凝結核が世界の大気中に激増したために、雨をもたらす過冷却状態の雲が少なくなり、その結果、微氷晶からなる安定した雲がふえて降水量を少なくし、またふえた雲の反射や微粒子の吸収によって、地表にとどく太陽輻射量をへらしているらしいことが、問題とされはじめたからである。現にここ数年は、世界各地で気温の低下と降水量の減少が注目されており、アメリカでは豪雨・豪雪がへり、霧雨やほこりのような雪がふえているという。」

つまり、1970年代初頭までにCO2増加による気温上昇を「危機」とみなす学説が一定唱えられていたが、それは決してメジャーではなく、1971年当時はむしろ衰退傾向にあったのである。

実際、1970年代には『冷えていく地球』(根本順吉著、家の光協会、1974年)、『ウェザー.マシーン気候変動と氷河期』(N.コールダー著、原田朗訳、みすず書房、1974年)、『氷河時代-人類の未来はどうなるか』(鈴木秀夫著、講談社、1975年)、『大氷河期-日本人は生き残れるか』(日下実男著、朝日ソノラマ、1976年)など、氷河期の到来による「危機」を示唆する書籍が相次いで出版されていた。

◆転機となった「チャーニー報告」

1979年3月28日、米ペンシルバニア州のスリーマイル島原発で重大事故が発生した。2号機がメルトダウンを起こし、放射性物質を含む水蒸気が外部に漏れ出したため、14万4000人の住民が避難する事態となった。この事故の起きた1979年、米国大統領行政府科学技術政策局は全米科学アカデミーに対し、「気候に対する人為起源CO2の影響」について諮問を求めた。マサチューセッツ工科大学のジュール・グレゴリー・チャーニー教授を座長とする臨時調査委員会がこれに答えた学術報告をまとめ、7月に「チャーニー報告」と呼ばれる報告書を公表する。

この報告書は「21世紀半ばに二酸化炭素(CO2)濃度は2倍になり、気温は3±1.5℃(1.5-4.5℃)上昇する」という予測を示した。そして報告書は以下のように結論付ける。

「大気中のCO2濃度が実際に2倍になり、大気と海洋の中間層がおおよその熱平衡に達するのに十分な長さのままである場合、地球の気温は3℃程度の変化が起こり、これらが地域の気候パターンの大幅な変化を伴うと推定される。」

この報告書は「地域の気候パターンの大幅な変化」という漠然とした表現ながら、温暖化を否定的にとらえる視点に立っている。温暖化の弊害を指摘する学説は以前から存在していたが、このチャーニー報告は一国の権威ある学術機関が温暖化を「危機」と見る視点を打ち出したという点で、画期的なものであった。(つづく)

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▼「気候危機」関連年表

1760年代  イギリスで産業革命起こる
1896年   スヴァンテ・アレニウス、CO2の地球温暖化効果を指摘する論文を発表
1906年   アレニウス『宇宙の成立』を発表、CO2の地球温暖化効果を一般向けに解説
1932年   宮澤賢治『グスコーブドリの伝記』発表
1979年 3月 スリーマイル島原発事故
1979年 7月 米国アカデミー「21世紀半ばに二酸化炭素(CO2)濃度は倍になり、
      気温は3±1.5℃(1.5-4.5℃)上昇する」とする「チャーニー報告」を公表
1986年 4月 チェルノブイリ原発事故
1988年 6月 アメリカ上院公聴会にてジェームズ・ハンセンが「最近の異常気象、
      とりわけ暑い気象が地球温暖化と関係していることは99%の確率で正しい」と証言
1988年 6月 トロント・サミット開催
1988年 11月 国際連合気候変動に関する政府間パネル(IPCC)発足
1989年 3月 ハーグで環境サミット開催、「温暖化防止への国際協力」を盛り込んだ
      「ハーグ宣言」を採択
   11月 英サッチャー首相、国連総会で
      「CO2を削減して人為的地球温暖化を阻止すべき」とスピーチ
1991年   ソ連崩壊
1992年 6月 ブラジルで地球サミット開催、「気候変動枠組条約」採択
1995年   第1回気候変動枠組条約締約国会議(COP1)開催
1997年   COP3開催、「京都議定書」採択、排出量取引制度創設
2001年   IPCC第3次評価報告書を発表、マイケル.マン作成のホッケースティック曲線を採用
2002年   サッチャー元首相、地球温暖化を否定する著書『Statecraft』を発表
2005年   EU、世界で初めて「排出量取引制度(EU-ETS)」を開始
2006年   アル・ゴアのドキュメンタリー映画『不都合な真実』公開
      (ゴアは翌年ノーベル平和賞を受賞)
2007年   英国裁判所で『不都合な真実』には誇張があるため
      学校内での上映に際しては注釈を付すよう命じる判決
2008年   ハンセン、地球温暖化防止のため原発を推進するようオバマ大統領に提言
2009年11月 クライメートゲート事件(マンのホッケースティック曲線は捏造であるとの疑惑が浮上
      英国下院は「問題なし」とする調査結果を公表)
2011年 3月 福島原発事故
2011年 7月 ドイツ、脱原発を決定
2015年   COP21開催、「パリ協定」締結
2017年   韓国、脱原発を決定
2018年   グレタ・トゥーンベリ、気候ストライキを開始
2021年 8月 IPCC第6次評価報告書を発表、
      人間の活動により温暖化が起きていることは「疑う余地がない」と断定
2021年11月 仏マクロン大統領、原発新設再開を宣言
2022年   EU、タクソノミーに原発を含めることを決定
2022年   韓国、脱原発を撤回し原発推進に回帰
2023年 5月 日本、国会でGX推進法を可決、成立

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本稿は『季節』2023年冬号掲載(2023年12月11日発売号)掲載の「『気候危機』論の起源を検証する」を本通信用に再編集した全3回の連載記事です。

◎原田弘三 「気候危機」論の起源を検証する[全3回]
〈1〉CO2増加による気温上昇は、本当に「地球の危機」なのか
〈2〉転機となった「チャーニー報告」

▼原田弘三(はらだ こうぞう)
翻訳者。学生時代から環境問題に関心を持ち、環境・人権についての市民運動に参加し活動している。

3月11日発売 〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌『季節』2024年春号 能登大震災と13年後の福島 地震列島に原発は不適切

〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌
『季節』2024年春号(NO NUKES voice 改題)

能登大震災と13年後の福島 地震列島に原発は不適切

《グラビア》能登半島地震・被災と原発(写真=北野 進

《報告》小出裕章(元京都大学原子炉実験所助教)
 能登半島地震から学ぶべきこと

《報告》樋口英明(元福井地裁裁判長)
 地雷原の上で踊る日本

《報告》井戸謙一(弁護士・元裁判官)
 能登半島地震が原発問題に与えた衝撃

《報告》小木曽茂子(さようなら柏崎刈羽原発プロジェクト)
 珠洲・志賀の原発反対運動の足跡を辿る

《報告》山崎久隆(たんぽぽ舎共同代表)
 「大地動乱」と原発の危険な関係

《講演》後藤秀典(ジャーナリスト)
 最高裁と原子力ムラの人脈癒着

《報告》山田 真(小児科医)
 国による健康調査を求めて

《報告》竹沢尚一郎(国立民族学博物館名誉教授)
 原発事故避難者の精神的苦痛の大きさ

《インタビュー》水戸喜世子(「子ども脱被ばく裁判の会」共同代表
 命を守る方法は国任せにしない

《報告》大泉実成(作家)
 理不尽で残酷な東海村JCO臨界事故を語り継ぐ

《報告》後藤政志(元東芝・原子力プラント設計技術者)
《検証》日本の原子力政策 何が間違っているのか《2》廃炉はどのような道を模索すべきか

《報告》森松明希子(原発賠償関西訴訟原告団代表)
すべての被災者の人権と尊厳が守られますように

《報告》平宮康広(元技術者)
放射能汚染水の海洋投棄に反対する理由〈後編〉

《報告》漆原牧久(脱被ばく実現ネット ボランティア)
「愛も結婚も出産も、自分には縁のないもの」311子ども甲状腺がん裁判第八回口頭弁論期日報告

《報告》三上 治(「経産省前テントひろば」スタッフ)
本当に原発は大丈夫なのか

《報告》佐藤雅彦(ジャーナリスト/翻訳家)
日本轟沈!! 砂上の“老核”が液状化で沈むとき……

《報告》板坂 剛(作家/舞踊家)
松本人志はやっぱり宇宙人だったのか?

《報告》山田悦子(甲山事件冤罪被害者)
山田悦子の語る世界〈23〉
甲山事件五〇年目を迎えるにあたり誰にでも起きうる予期せぬ災禍にどう立ち向かうか〈中〉

《報告》再稼働阻止全国ネットワーク
能登半島地震と日本の原発事故リスク 稼働中の原発は即時廃止を!
《老朽原発》木原壯林(老朽原発うごかすな!実行委員会)
《規制委》木村雅英(再稼働阻止全国ネットワーク)
《志賀原発》藤岡彰弘(志賀原発に反対する「命のネットワーク」)
《六ヶ所村》中道雅史(「原発なくそう!核燃いらない!あおもり金曜日行動」実行委員会代表)
《女川原発》舘脇章宏(みやぎ脱原発・風の会)
《東海第二》久保清隆(とめよう!東海第二原発首都圏連絡会)
《地方自治》けしば誠一(反原発自治体議員・市民連盟事務局長)

《反原発川柳》乱 鬼龍

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B0CWTPSB9F/

新聞販売店の元店主が「押し紙」(広義の残紙)により損害を受けたとして損害賠償を求めた裁判の控訴審(約6000万円を請求)で、大阪高裁は3月28日、元店主の控訴を棄却した。

「押し紙」というのは、ごく簡単に言えば残紙のことである。(ただし、独禁法の新聞特殊指定が定義する「押し紙」は、「実配部数+予備紙」を超える部数のことである)。

元店主は、2012年4月にYC(読売新聞販売店)を開業した。その際、前任の店主から1641部を引き継いだ。ところが読者は876人しかいなかった。差異の765部が残紙になっていた。このうち新聞の破損などを想定した若干の予備紙を除き、大半が「押し紙」となっていた。

以後、2018年6月にYCを廃業するまで、元店主は「押し紙」に悩まされた。

大阪地裁は、元店主が販売店経営を始めた時点における残紙は独禁法の新聞特殊指定に抵触すると判断した。前任者との引継ぎ書に部数内訳が残っていた上に、本社の担当員も立ちあっていたことが、その要因として大きい。

控訴審の最大の着目点は、大阪高裁が読売の独禁法違反の認定を維持するか、それとも覆すだった。大阪高裁の長谷部幸弥裁判長は、大阪地裁の判断を覆した。

その理由というは、元店主の長い業界歴からして、「新聞販売に係る取引の仕組み(定数や実配数、予備紙や補助金等に関する事項を含む)について相当な知識、経験を有していた」ので、従来の商慣行に従って搬入部数を減らすように求めなかったというものである。皮肉なことに長谷川裁判長のこの文言は、新聞業界のとんでもない商慣行を露呈したのである。

しかし、残紙が「押し紙」(押し売りした新聞)に該当するかどうかは、本来、独禁法の新聞特殊指定を基準として判断しなければならない。元店主に長い業界歴があった事実が、新聞特殊指定の定めた「押し紙」の解釈を変えるわけではない。この点が、この判決で最もおかしな箇所である。

新聞特殊指定では、残紙が「実配部数+予備紙」を超えていれば、理由を問わず「押し紙」である。もちろん「押し紙」のほとんどが古紙回収業者のトラックで回収されていたわけだから予備紙としての実態もまったくなかった。

 

◆「読売には『押し紙』は一部も存在しない」

この裁判の読売側の代理人を務めたのは、6人の弁護士である。この中にはメディア関係者から重宝がられている自由人権協会代表理事の喜田村洋一弁護士も含まれている。喜田村氏は、わたしが知る限り今世紀に入ったころから、読売の「押し紙」裁判に登場して、読売には「押し紙」は一部も存在しないという出張を繰り返してきた。

◆日本の公権力機関に組み込まれた日本の新聞業界

今回の控訴審判決の内容から判断して、わたしは新聞業界と公権力機関の距離が極めて近い印象を受けた。今回に限らず、「押し紙」裁判の判決を読むたびに、両者は普通の関係ではないと感じる。先日の日経新聞「押し紙」裁判における最高裁の決定もそうだった。

新聞販売店訴訟、本社勝訴が確定 最高裁

その意味で「押し紙」裁判の提起は重要だ。たとえ販売店の敗訴であっても、判決のたびに新聞業界が公権力機関に組み込まれている実態が露呈する。「押し紙」により新聞業界が莫大な利益を上げる構図があるので、公権力機関はこの問題を泳がせておけば、新聞の紙面内容に暗黙の圧力をかけることができる。

本来、「押し紙」問題にメスを入れなければならないのは新聞記者である。自分の足もとの問題であるからだ。ジャーナリスト集団が従順な「羊の群れ」ではだめなのだ。有権者は新聞の情報を鵜のみにしてはいけない。

◆弁護団声明
 
濱中さんの弁護団は、次のような声明を発表した。

◎弁護団声明(PDF)
http://denjihanet.mods.jp/wp-content/uploads/2024/04/Statement-of-Defense-Counsel.pdf

※判決の全文の入手を希望される方は、xxmwg240@ybb.ne.jpまでご連絡ください。ただし、読売の喜田村弁護士らが裁判所に対して判決文の閲覧制限を求め、裁判所が早々にそれを認めたので、残紙の実態を示す部分など一部が伏字(■■)になっている点を承知ください。(黒薮)

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、『禁煙ファシズム』(鹿砦社)他。
◎メディア黒書:http://www.kokusyo.jp/
◎twitter https://twitter.com/kuroyabu

黒薮哲哉のタブーなき最新刊!『新聞と公権力の暗部 「押し紙」問題とメディアコントロール』

黒薮哲哉『禁煙ファシズム-横浜副流煙事件の記録』(鹿砦社)

◆ はじめに

今般、「エルネスト金(略称・エル金)」こと金(本田)良平(以下、金良平と記す)が原告になって、鹿砦社と森奈津子さんを「被告」として提訴してきた。

結論から言えば、金良平は自らの「プライバシー権」を主張する前に、金良平らの苛烈な暴行によって一研究者の卵の人生を台無しにしたことに対する真摯な謝罪を行うのが先決ではないのか、ということを、まずもって申し述べたい。そうではないだろうか?

◆[1]「株式会社鹿砦社」について

被告とされた当社株式会社鹿砦社(以下鹿砦社と記す)は1969年(昭和44年)創業、1972年(昭和47年)設立(法人化)され、1988年(昭和63年)に松岡利康(以下松岡と記す)が代表取締役に就任し現在に至っている。当初はロシア史関係の翻訳や社会科学系を中心に出版していたが、この時期にはロシアのノーベル賞受賞作家ボリス・パステルナークの『わが妹人生』も出している。

松岡が代表に就任後、幅広く芸能、サブカルチャーなど出版の領域を拡げていった。現在年間新刊80~90点ほど(2023年は80点)を発行している。これまでの出版総数は3000点余りになるものと思われる。数があまりにも多いので正確な出版総数が数えきれないほどだ。

昨年2023年、ジャニーズ事務所創業者による未成年性虐待を放映した英公共放送BBCのドキュメント映像によって、長年わが国芸能界を支配していたジャニーズ事務所が事実上崩壊したが、鹿砦社は、逸早く30年近く前の1995年以来、同事務所の横暴と創業者ジャニー喜多川による未成年性虐待を告発する出版物を数多く発行してきていた。ジャニーズ問題では鹿砦社にも取材協力要請があり、水面下で協力し高く評価された。

◆[2]金(本田)良平が主要に犯した大学院生集団リンチ事件について

 

リンチ直前の加害者たち(左から李信恵、金良平、伊藤大介)

本件は、単に金良平の過去の犯歴を暴露しただけではなく、金良平や李信恵らが犯した非人間的で残忍な大学院生集団リンチ事件(俗にいう「しばき隊リンチ事件」)と無関係ではありえない。

このリンチ事件は2014年師走に関西屈指の歓楽街、大阪北新地で金良平らによって起こされた。しかし、金良平ら周辺の者たち、あるいは彼につながる者らによって隠蔽され、一般に知られることはなかった。マスメディアも報じなかった。加害者の中に、「反差別」の旗手のようにマスメディアに持て囃されてきた者(李信恵)がおり、こうした者が集団リンチ事件に連座していたことが明るみになれば不都合だからだと推認される。

しかし、事件から1年有余後の2016年はじめに、鹿砦社が5年に渡り地元・兵庫県西宮市で市民向けに開催していたゼミナールの参加者から金良平らによる、大学院生(当時)M君に対する集団リンチ事件の情報を聞き、孤立無援なので支援を要請され、提示されたリンチ直後の写真に大変ショックを受けた。その後しばらくして、本リンチ事件を憂う在日コリアンのSNS記事においてリンチの前と後のМ君の顔写真を発信されたが、リンチの前と後の、あまりもの違いに驚いた。

さらに、М君が必死に録音した音声データに驚いた。リンチ関連書籍第4弾『カウンターと暴力の病理』にCDを付けているので、ぜひ、ご視聴いただきたい。その余りもの非人間的、非人道的、反人権的様に驚愕した。血の通った人間ならば、おそらく驚くだろう。このリンチ事件において主要に暴行を働いたのが金良平なのだ。

私たちは、かつての学生運動や社会運動内における、いわゆる暴力的な「内ゲバ」で、時に死者を出し、運動の解体に至ったという痛苦な体験と反省から、この国の社会運動にあって暴力は排除されたと認識していた。松岡は学生時代、のちにノーベル賞を受賞するに至る作家の甥っ子で同じ学部の先輩が師走の早朝、反対派に襲撃され、激しい暴行を受け一時は医者も見放す重傷を負うという経験を有している(幸い奇跡的に回復した)。また、その後、松岡自身も襲撃され重傷を負い入院した。さらに、これらを前後して2人の先輩活動家が監禁、リンチされ亡くなっている。集団暴力の被害者として、こうしたことが過った。私が徹底して社会運動内部における「内ゲバ」や暴力を嫌悪するのは、こうした直接的体験に基づいている。

本件リンチ事件について当初、半信半疑であったところ、もし虚偽であれば即撤退するつもりだったが、調査と取材を進めるうちに厳とした事実だと判明し、支援を決め、また更なる調査と取材を進めた。金良平の代理人・神原元弁護士は、従来から本リンチ事件を「でっち上げ」と喧伝するが、「でっち上げ」でも「街角の小さな喧嘩」(訴状4ページ)でもないのである。

マスメディアが意図的に報じなかったり、金良平ら加害者につながる者らの隠蔽活動により「社会的事件として話題になることは」(同)なかったかもしれないが、加害者の中に、いわゆる「反差別」運動の旗手とされ、多数のメディアで持て囃されてきた者(李信恵)がいて、多くの政治家、ジャーナリスト、作家らによって隠蔽されながらも、真実は極めて公共性、公益性そして社会性のある事件だったし、だからこそ、こぞって隠蔽を図り、被害者を村八分にしたりネットリンチにかけたりし、リンチ被害者М君を精神的に追い込んでいったのだ。ぜひ、私たちが地を這うような調査・取材の元に編纂し発行した出版物をしっかりと読んでいただきたく願う。たかが「街角の小さな喧嘩」に50有余年の歴史を持つ出版社が6冊も出版物を編纂・発行するわけがない。

リンチ事件でほとんどの暴力を働いた張本人・金良平によって提訴された本件訴訟で私たちがまずもって主張したいのは、この集団リンチによって、被害者のМ君は肉体的にも精神的にも多大な痛手を被り(M君を診断した著名な精神科医・野田正彰医師による「精神鑑定書」に簡潔に記されている)、事実上研究者の道を断念せざるを得なかったことだ。つまり、金良平や李信恵らによる集団リンチによって若き研究者の人生を狂わせられたのだ。金良平や李信恵が日頃叫ぶ「人権」とは何だ?

私たちは、法的問題、あるいは金良平の「プライバシー権」云々よりも、金良平ら加害者の激しい暴力によって、一人の若き研究者の人生を狂わせたことを、金良平は今、どう考えているのか問い質したい。今回の金良平による提訴によって被告とされた私たちが最も憤慨したのはこのことなのだ。いくら法的に「解決」した、賠償金を支払ったからといって、金良平が主要になした暴行・暴力・傷害行為によって与えられた肉体的、精神的被害は、精神科医・野田正彰医師が「精神鑑定書」で指摘しているように、金良平ら集団リンチの加害者たちの誠実な謝罪なしにはなんら解決しないのである。ましてや、金良平は、М君に「謝罪文」を送り、暴力的な「反差別」運動を「自粛」することを約束したが、これを一方的に反故にし、いまだに相変わらず「反差別」運動の現場に出て相手方を威嚇する活動を継続している。

M君は、私たちの叱咤激励により、博士課程はなんとか修了したものの、博士論文は遂に書けなかった。書ける精神状態でもなかった。ある大学からの求人があり、この条件が博士論文だったのだが、遂に書けず就職を断念せざるをえなかった。

「釈迦に説法」かもしれないが、法というものが生身の人間の利益に則るためにあるのならば、端た金で済む話ではなく(M君に与えられた賠償金は、常識的に見て不当に低額だった)、真摯な反省と謝罪を基本にしたものでなければならないということは言うまでもない。しかし、金良平にそれを垣間見ることはできない。真摯な反省と謝罪の念があるのなら、「謝罪文」を反故にしたりはしないだろう。

私たちは、М君が金良平や李信恵らを訴えた訴訟の経過と結果などを含め、これらの内容を6冊のムック本として世に報告した。さらに逸早く本リンチ事件に言及していた田中宏和の著書も刊行した。

残念ながら大阪簡易裁判所・地方裁判所・高等裁判所は、この集団リンチ事件に対して被害者の肉体的、精神的な被害について本質的に理解せず、「一般人の感受性を基準にして」も常識外の雀の涙の低額の罰金(賠償金)を課したにすぎなかった。事件の概略としては、野田医師の上記「精神鑑定書」が分かりやすいが、М君や関係者のプライバシーに触れる部分も多く全文を転載することはできない(一部を3月15日付け本通信に引用した)。

今般、裁判所には、こうした経緯を理解された上で、本件訴訟を審理されることを心より望む。

◆[3]金良平の「前科情報の公開」について

 

金良平による恫喝ツイート

一般に「前科情報の公開」はみだりになされるべきでないことは私たちも出版人として十分に認識している。しかし、金良平も引用しているように(訴状4ページ、最高裁判所第3小法廷平成6年2月8日判決)、「その公表が許されるべき場合もある」のだ。

また、金良平の事件「後の生活状況」はいかなるものであったのだろうか。定職に就いて、罰金や賠償金の支払いのために作ったと思われる借金を計画的に返済してきているのか。本件訴訟の住所は神原弁護士の事務所が記されているが、かつて訴訟に記した住所が駐車場だったこともある。その後、きちんとした居住地を定め、そこで「新たな生活環境を形成していた事実」とはいかなるものなのか。私たちが聞くところでは、あまり芳しくないものである。もっとも、きちんとした「生活環境を形成していた」のであれば、女性で、身障者の夫を持つ森奈津子さんに対する心無い悪罵、誹謗中傷、脅しなど行わないだろう。

さらに、金良平、および金良平代理人・神原元弁護士らは、将来ある学徒の人生を狂わせた集団リンチを「街角の小さな喧嘩にすぎない」などと嘯く。「街角の小さな喧嘩」に、いやしくも創業50年有余の出版社が関連出版物6点も発行するわけがない。

特に、集団リンチ事件が、マスメディアで頻繁に登場したり好意的に紹介されたりする、「反差別」「人権」を標榜する「カウンター」と称する運動のリーダーや中心的活動家によって起こされ、さらにこの運動には多くの著名人が関わっていることを顧みれば、決して「街角の小さな喧嘩」などではなく、極めて公共性、公益性、社会性のある問題であることは言うまでもない。

大学院生М君に対する集団リンチ事件を、なぜかマスメディアは、それこそ庶民の「街角の小さな喧嘩」や暴力団のささいな犯罪などどんどん報じるのに、ついこの前までのジャニーズの問題同様、なにか都合が悪いのか、頑なまでに報じることはなかった。ようやく、鹿砦社が、きちんとした紙の出版物で報じ始め、ネットで影響力を持っていた森奈津子さんも続きSNSで報じ始め、一定知られることとなった。紙の媒体は鹿砦社以外にはなかったが、ネットでは他にも語られ始め、これに対しては金良平やこの代理人・神原元弁護士ら、彼らにつながる者らによって、暴力・暴言を用い執拗に威嚇したりネットリンチを行ったりして潰していったのだ。

 

街頭で凄む金良平

ほとんどの市民は弱い。そうした暴力・暴言によって、多くの人たちは黙ったり社会運動から去っていった。

しかしながら、私たちの言論活動は、少ないながらも心ある人たちに共感を持って受け入れられていき支持されていった。

このようにして金良平らによる集団リンチという蛮行が〈公知の事実〉として知られるようになった。また、金良平の通称「エル金」も暴力の権化として社会運動、市民運動内に広く知られ、これも〈公知の事実〉なのだ。

そうして、たとえ金良平らが不当に過小な罰金・賠償金を支払ったからといって、人ひとり、若い研究者の卵の一学徒の人生を狂わせておきながら、「プライバシー権の侵害」を声高に主張することに対しては違和感を覚えざるをえない。法というものは、市民や社会の利益に則ったものであるべきだ。いや、そうでなければならない。裁判所は、そうしたことを重々に考慮すべきだ。

かつて「エル金は友達」と言って、金良平を激励し、リンチ被害者М君を村八分にした、貴重な証拠。これに名を連ねた者たちは今、くだんのM君リンチ事件をどう考えるのか問い質したい。村八分は差別だ!

同上

◆[4]森奈津子さんについて

前記したように鹿砦社がМ君に対する、金良平らによる集団リンチ事件の被害者支援に関わり始めたのは2016年はじめだった。これに続き森奈津子さんも2017年頃に、このリンチ事件を批判するようになり、これを良く思わない者ら(つまり金良平につながる者ら)によって激しいネットリンチを加えられた。

マスメディアを味方にした金良平らにつらなる者らのほうが圧倒的に多勢で、私たちは少数派(マイノリティ)だった。

そういうこともあって、鹿砦社はホームページ上で日々発信している「デジタル鹿砦社通信」において森さんにインタビューし「今まさに!『しばき隊』から集中攻撃を受けている作家、森奈津子さん」と題し6回連載した。ここから鹿砦社と森さんとの関係が出来、やはり本件に連座した一人、伊藤大介による別件暴行傷害事件直後に発行した『暴力・暴言型社会運動の終焉』にも森さんは寄稿された。考え方や思想は異なるが、社会運動(反差別、LGBTなど)内における暴力の排除ということでは一致している。

そうして、金良平による、森さんに対する暴言や攻撃が始まった。M君に対して、激しい暴力を加えた金良平の性格、熱しやすく何をするかわからない性格を顧みると、森さんに対し非常な危機感を覚えた。

私たちも面識のある小菅信子山梨学院大学教授は、金良平や代理人・神原元弁護士につながる者らによって激しいネットリンチを加えられ、その頃愛猫を殺された。また、作家・室井佑月さんは、やはり神原弁護士と懇意の者らとの議論、対立が過熱し、その頃自宅前に汚物が撒かれた。どちらも犯人は不明だが、偶然の一致というには不思議なことだ。

鹿砦社は一時、反原発運動で金良平らにつながる者らと共闘したり金銭的支援も行ってきたが、母子で韓国から研究に来ていた研究者、鄭玹汀(チョン・ヒョンジョン)さんという京都大学研修生(当時。現在は中国の大学で講師を務める)に対する苛烈なバッシング、過熱化したネットリンチ、更にはキャンパス内で威嚇もされたりしたことで完全決別した。偶然かもしれないが、3人共、金良平や彼の代理人・神原元弁護士につながりのある者らとの対立が背後にあるようだ。

森さんは、夫が重篤な障がい者で24時間看護している。昨年末から一時危篤状態にあった。

これまで、森さんと別件の訴訟で争った者(控訴審の相手方代理人は神原元弁護士)や仲間に無断で自宅周辺をうろつかれたことがあった。私は、そうしたことを見知っていることで、金良平によるネット攻撃を見た時に森さんの身辺に危険を覚えた。

ともかく金良平による森さんへの攻撃を止めさせねばならない。その一助として金良平の「略式命令書」を森さんに送ったのだ。

森さんはこれを公表した。以後、金良平による森さんへの攻撃はピタッとやんだ。裁判所にあっては、こうした深刻な事情を考慮すべきである。

◆ 終わりに

本件提訴は、非人間的な大学院生М君リンチ事件の主要暴行犯の金良平が、「プライバシー権の侵害」に名を借りた開き直りと断ぜざるをえないものだ。

私たちは、森さんの身の危険を避けるために、その一助として「略式命令書」を公開した。身障者の夫を持つ女性の身の安全を守ることが大事か、反省もなく相変わらず暴言や威嚇行為を続ける者の「プライバシー権の侵害」が大事か、答えは明瞭だろう。

上記の理由から、М君リンチ事件の主要暴行実行犯・金良平による「プライバシー権の侵害」に名を借りた本件提訴は直ちに棄却されるべきだ。

以上

■本件訴訟の係属裁判所は、これまではずっと大阪でしたが、東京地裁立川支部です。

原告(金良平)代理人は、‟しばき隊の守護神”神原元弁護士(神奈川弁護士会)、被告(鹿砦社、森奈津子)代理人は内藤隆弁護士(東京弁護士会)です。神原弁護士はみなさんご存知の通りですが、М君リンチ事件関係訴訟以来、まさに因縁の関係です。一方、わが方の代理人・内藤隆弁護士について少し紹介しておきます。

内藤弁護士は、かの『噂の眞相』弁護団、動労千葉弁護団などに関わり、鹿砦社としては、1996年、日本相撲協会から書籍『八百長』出版に対して東京地検特捜部に刑事告訴(不起訴)された際の弁護人を受任していただいて以来、対アルゼ民事訴訟などを受任いただいています。デモでの機動隊の暴虐を監視していた際に、あまりもの不当な弾圧に抗議し逮捕され日弁連が抗議声明を出すということもある、極めて正義感の強い先生です。

※上記記事は、被告とされた鹿砦社代表・松岡の陳述書(すでに提出済み)の草稿に加筆したものです。本文中、一部を除き敬称は略しています。

※※本件訴訟について、大学院生リンチ事件関係書、その他の鹿砦社発行書籍、『紙の爆弾』などのご購読によってご支援ください。フリーのカンパは停止します(フリーのカンパを望む方は森さんへどうぞ)。

郵便振替(01100-9-48334 口座名:株式会社鹿砦社)にて書名明記のうえご注文ください。送料はサービスです。

(松岡利康)

《関連過去記事カテゴリー》
 M君リンチ事件 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=62

Amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B07CXC368T/
鹿砦社 http://www.rokusaisha.com/kikan.php?bookid=000541

メインイベンターに求められるものは何か?
ダブルメインと銘打たれた交流戦2試合は、密度濃い展開ながら引分けに終わる。

◎NJKF CHALLENGER 2024 / 4月7日(日)後楽園ホール/17:20~20:26
主催:ニュージャパンキックボクシング連盟 /

(戦績は過去データを基にこの日の結果を加えています。)

◆第9試合 54.0㎏契約3回戦

 

嵐は桂英慈を調子付かせてしまった左ハイキックを受けてしまう

NJKFバンタム級チャンピオン.嵐(KING/2005.4.26東京都出身/53.85kg)
14戦11勝(5KO)1敗2分
        VS
スックワンキントーン・バンタム級チャンピオン.桂英慈(クレイン/20歳/53.45kg)
10戦8勝1敗1分
引分け 0-0
主審:多賀谷敏朗
副審:少白竜29-29. 児島29-29. 中山29-29

試合前、「桂英慈は首相撲は強く、パンチの対応も出来るから、嵐は苦戦するかな。桂英慈が判定で勝つ可能性が高いよ」という関係者の話を聞くことが出来た。桂英慈はジュニアキックから始まったキャリア豊富な選手で、獲得したタイトルも多いという経験値も注目だった。

試合は初回、桂英慈は牽制のハイキック、嵐は勢いあるローキックとボディブローで返す。更に桂英慈は左ミドルキックのインパクトを残し、嵐はパンチ、ローキック、ハイキックで多彩に出るも、桂英慈は下がらない。

第2ラウンドも大きな変化は無いが、互いに積極的に攻めながら主導権を支配するには至らない攻防が続く。

最終第3ラウンド、桂英慈はヒザ蹴りも何度か繰り出して来る。嵐のパンチや蹴りが効かないからか、桂英慈の勢いも衰えず、アグレッシブに攻める両者。持っている技は出し切っている中、相手を一発で倒す可能性は低く、展開は変わらずの我慢比べ。嵐は焦りが出て来たか、ムキになって打って出る。桂英慈に大きなダメージを与えることなく終わった嵐にとっては敗北感が残るような不完全燃焼となった。

嵐の強烈な右ハイキック、しかし動じなかった桂英慈

試合後の嵐は「相手は上手かったです。それだけです!」と短めの回答。キングジム羅紗陀会長は「桂英慈はミドルキックのタイミングよくパワーあったので、対処が足りなかった。嵐は調子は良かったですけどね!」と応えた。陣営の向山鉄也前会長は、「練習不足。スタミナ無いもん!」と一喝。

桂英慈は「自分はダメでした。嵐選手は上手でした。練習どおりにはいきませんでした。」とこちらも反省を述べるだけだった。

結果は引分け、涙を浮かべて四方に詫びた嵐、桂英慈も残念そうな表情

◆第8試合 スーパーバンタム級3回戦

NJKFスーパーバンタム級4位.繁那(R.S/2004.1.28京都府出身/55.34kg)
12戦10勝(4KO)1敗1分
        VS
鈴木貫太(ONE‘S GOAL/1996.2.9千葉県出身/55.3kg)17戦6勝9敗2分 
引分け 0-1
主審:椎名利一
副審:少白竜29-30. 児島29-29. 中山29-29

観衆は徐々に少なくなっていっても応援団の声援が満員のように響いた。初回のやや離れた距離での上下蹴りとパンチの交錯は次第に距離は近くなり首相撲の攻防が増えるが、第2ラウンドも蹴り中心にアグレッシブな展開が続く中、鈴木寛太のミドルキックとハイキックがやや攻勢を維持したが、第3ラウンドは繁那のヒザ蹴りが鈴木寛太のアゴにヒットしてややグラついた様子。

これで鈴木寛太の勢いが弱まった感があり、最後は打ち合う激しさを見せたが、ダブルメインと言われた実質セミファイナルは繁那が盛り返して引分けに終わった。

鈴木寛太の強烈な右ハイキック、このペースなら良かったが……

目まぐるしい展開の中、繁那の左ハイキックがヒット

 

リッチデートのヒジ打ちで鼻を砕かれた波賀だが、攻める気力は衰えず

◆第7試合 57.0㎏契約3回戦

波賀宙也(元・IBFムエタイ世界Jrフェザー級Champ/1989.11.20東京都出身/立川KBA/ 56.85kg)
48戦27勝(4KO)16敗5分 
       VS
リッチデート・ゲッソンリット(元・ラジャダムナン系ミニマム級Champ/タイ/ 56.6kg)

勝者:リッチデート / 判定0-3
主審:多賀谷敏朗      
副審:椎名27-30. 児島27-30. 少白竜28-30

初回、ローキックで様子見。接近戦で組み合ってのヒザ蹴り、更に離れるとミドルキックの攻防の中、リッチデートの体幹バランスが良い。

第2ラウンドに入ると、波賀宙也が前進強め、パンチ強く打って出るが、リッチデートは冷静。波賀の前進する蹴りをいなし、蹴り返す。
 
接近戦で当て勘が鋭いヒジ打ち打つリッチデート。波賀の眉間辺りが斬れた様子。

第3ラウンドにはリッチデートの更なるヒジ打ちか、波賀が鼻血を流し、鼻が曲がっている様子が窺えた。

波賀がムキになって出てもリッチデートの距離に合わせた蹴りや首相撲の駆引き、強いヒットは無いが主導権を支配したリッチデートの判定勝利となった。

リッチデートは適材適所的確上手かった。波賀宙也はムエタイを攻略出来ず

◆第6試合 NJKFライト級王座戦出場権争奪戦3回戦 

NJKFライト級1位.岩橋伸太郎(エス/1987.6.4神奈川県出身/60.85kg)20戦7勝11敗2分
        VS
NJKFライト級2位.HIRO YAMATO(大和/2000.6.25愛知県出身/61.0kg)
29戦14勝(5KO)12敗3分
勝者:HIRO YAMATO / KO 2ラウンド2分47秒 / 3ノックダウン
主審:児島真人

トーナメントとは謳っていないが、2月11日にTAKUYA(K-CRONY)に判定勝利した祖父江泰司(理心塾)が王座決定戦出場権を奪っている。

ローキックとミドルキックでの様子見から徐々に距離を縮め、パンチやヒザ蹴りも加えていく両者。よりヒザ蹴りが増して行くのはHIRO。第2ラウンドに入ってもHIROのペースは変わらず、パンチとヒザ蹴りが優る。更にヒジ打ちで岩橋伸太郎の鼻辺りをカットし、コーナーに追い込んでパンチやローキック、ヒジ打ちでノックダウンを奪う。

更にヒザ蹴り猛攻でスタンディングダウンを奪ったHIRO。再開後もHIROの猛攻が続き、コーナーに追い込んでヒザ蹴りが入ったところでレフェリーが止めるノックアウトとなった。HIROは次期、祖父江泰司と王座決定戦を争うことが決定。

HIROがスピードと的確差で岩橋伸太郎を下した

◆第5試合 NJKFフライ級挑戦者決定戦3回戦(チャンピオンは優心)

NJKFフライ級2位.TOMO(K-CRONY/1982.10.30茨城県出身/50.7kg)
22戦7勝(5KO)13敗2分
        VS
NJKFフライ級4位.西田光汰(西田/2001.2.13愛知県出身/50.8kg)7戦5勝2敗 
勝者:西田光汰 / 判定0-2
主審:少白竜
副審:児島29-29. 多賀谷28-29. 中山28-30

ローキックとパンチで様子見から徐々に勢い増したのは西田光汰。第2ラウンドに入っても同様ながらTOMOも下がらず蹴りで衰えない反撃。第3ラウンドには西田がヒジ打ちでTOMOの眉間辺りをカットし、攻勢を強めた西田光汰が僅差ながら判定勝利を掴んだ。

西田光汰が僅差ながらTOMOを上回っていった

◆第4試合 フライ級3回戦

NJKFフライ級8位.愁斗(Bombo Freely/ 50.35kg)7戦5勝(4KO)2分
        VS
NJKFフライ級9位.悠(VALLELY/ 50.8kg)10戦4勝5敗1分 
勝者:愁斗 / 判定3-0
主審:椎名利一
副審:児島30-28. 少白竜30-29. 多賀谷30-29

ランキング入りしたばかりの悠が一歩先を行く愁斗に挑むランカー対決。スピードで優る愁斗とアグレッシブに多彩に攻める悠の攻防は愁斗のヒザ蹴りが次第に優勢を維持。小気味いい攻防だったが、経験値が優る愁斗が僅差判定勝利で上位を維持した。

ランカー対決、愁斗のハイキックが悠を襲う、経験値が上回った

◆第3試合 女子(ミネルヴァ)60.0kg契約3回戦(2分制)

日立(GRABS/ 59.75kg)
        VS
ミネルヴァ・スーパーバンタム級8位.小倉えりか(DAIKEN THREE TREE/ 59.95kg) 
勝者:小倉えりか / 判定0-3(28-30. 28-30. 28-30)
パンチと上下の蹴りと多彩にアグレッシブに戦う両者。やや調子上がっていく小倉エリカがバックハンドブローも使って日立にプレッシャーを与え判定勝利。

◆第2試合 フライ級3回戦

高橋大輝(エス/ 50.65kg)vs 永井雷智(VALLELY/ 50.75kg)
勝者:永井雷智 / TKO 1ラウンド33秒 /
主審:少白竜

永井雷智が蹴りから右ストレートで高橋大輝からノックダウンを奪った後、パンチ連打から飛びヒザ蹴りで二度目のノックダウンを奪うとノーカウントのレフェリーストップとなった。

◆プロ第1試合 フェザー級3回戦

藤井昴(KING/ 56.4kg)vs 阿部惇(アント/ 56.95kg)
勝者:藤井昴 / TKO 1ラウンド2分26秒 /
主審:多賀谷敏朗

藤井昴が飛びヒザ蹴りで阿部惇からノックダウンを奪った後、パンチで攻勢を続け連打で二度目のノックダウンを奪ってノーカウントのレフェリーストップとなった。

◆61.0㎏契約3回戦 

龍旺(Bombo Freely)vs コンゲンチャイ・エスジム(タイ)は龍旺がインフルエンザによる体調不良で中止。

◆アマチュアEXPLOSION 55kg級2回戦(1分30秒制)

加藤晴斗(新興ムエタイ/ 53.6kg)vs 晝間陽採(TAKEDA/ 54.4kg)
勝者:晝間陽採 / 判定0-3(18-20. 18-20. 18-20)

◆アマチュアEXPLOSION 37kg級2回戦(1分30秒制)

菊池柚葉(笹羅/ 36.9kg)vs 永井りい(VALLELY/ 36.35kg)
勝者:永井りい / 判定0-3(18-19. 18-19. 18-19)

《取材戦記》

プロモーターを務める興行3回目となった武田幸三氏は、「メインイベンターとして求められるものがデカく、普通の選手じゃない宿命を背負っている。その自覚が嵐選手らメインイベンターの課題ですね」と語る。

2月11日の「NJKF CHALLENGER 東西対決」で甲斐元太郎をヒザ蹴りで倒し、NJKFバンタム級王座決定戦を制した新チャンピオン嵐はその興行MVPも獲得。この評価で今回のメインイベンターとなった。先日の3月17日には王座獲得祝賀会も行なわれている嵐選手。2021年3月デビューで、今年19歳のチャンピオンに圧し掛かる期待と責任は、若くして今後も背負わねばならない。

興行を最後まで観戦した業界関係者の中では、「どの試合も選手の特徴が無いですね。“こいつのこれ(技)を気を付けろ!”というのが無い。皆上手い。パンチやヒジ打ち、ヒザ蹴り、何でも出来るけどスリルが無いね。勝つにしても当たり障りなく勝てる内容。逆転KOが無い。ちょっとつまらないですね」と言った意見が有りました。

確かに “これが当たれば絶対倒れる”といった昭和時代に多くの選手に存在した注目される技が無いなあという感じはします。昔はパンチの強い選手は多い中、特徴ある一発KOや、ローキックの申し子、ヒジ打ちの名手と言われる選手が居たり、タイの選手では、天を突くヒザ蹴り、切り裂き魔、といった驚異の選手もいました。
現在はカーフキックという脹脛狙った蹴りが流行っていますが、もしこれだけで倒せたらまた警戒される選手となるでしょう。

前回のメインイベンター大田拓真は今回、海外遠征も有って出場無し。今後もメインイベンター争いは階級も年齢も関係無く、何らかの技を以って“内容で魅せる” 闘いが続きそうです。

NJKF関連次回興行は4月14日(日)に女子だけのマッチメイク。昨年に続き二度目となる「GODDESS OF VICTORY Ⅱ」がGENスポーツパレスに於いて16時30分よりプロ全14試合が開催予定です。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
昭和のキックボクシングから業界に潜入。フリーランス・カメラマンとして『スポーツライフ』、『ナイタイ』、『実話ナックルズ』などにキックレポートを寄稿展開。タイではムエタイジム生活も経験し、その縁からタイ仏門にも一時出家。最近のモットーは「悔いの無い完全燃焼の終活」

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2024年5月号

筆者も候補者として当事者になった 参院選広島再選挙2021​(2021年4月8日告示、25日執行)の告示から2024年4月で3年が経ちました。あの選挙は、大買収事件で有罪が確定した河井案里さんの当選無効に伴い行われました。結果としては、野党第一党の立憲民主党の候補が当選し、「野党共闘の勝利」とされました。しかし、あれから3年、日本の政治、広島の政治は良くなったのでしょうか?むしろあの時より悪化しているのではないでしょうか?

裏金問題に象徴される与党の腐敗は相変わらず。さりとて野党も敵失を活かせぬ状況が続いています。政治に庶民ほどおきざりにされている状況が続いています。

こうした状況から、「あなたの手に政治を取り戻し広島とあなたを守るヒロシマ庶民革命」を広島瀬戸内新聞と筆者は呼びかけ続けている次第です。

 

楾大樹(はんどう たいき)『茶番選挙 仁義なき候補者選考』(あけび書房)1320円(1200円+税)

この参院選広島再選挙2021については、実は、事前に立憲民主党から声がかかっていたにも関わらず、いわば、立憲民主党にはしごを外された方がおられます。

筆者の地元でもある広島市安佐南区在住の弁護士・楾大樹(はんどう たいき)先生です。その楾先生が、参院選広島再選挙2021の舞台裏をすっぱ抜いた「問題作」がこのほど出版されました。

『茶番選挙 仁義なき候補者選考』(あけび書房)です。

はしがき
1 私の来た道~弁護士から社会活動家へ
2 初めての立候補打診
3 2回目の立候補打診
4 2022年参院選
5 だまっとれん
6 候補者選考のあり方
あとがき

楾先生はわたしと同じ1975年広島県生まれ。中央大学法学部法律学科ご卒業後、2004年広島弁護士会登録。著書に『檻の中のライオン 憲法がわかる46のおはなし』『けんぽう絵本 おりとライオン』『憲法紙芝居 檻の中のライオン』『檻を壊すライオン 時事問題で学ぶ憲法』(いずれも、かもがわ出版)があります。

本書でも紹介されている通り、2016年以降、『檻の中のライオン』憲法講演活動を全都道府県で展開中です。広島瀬戸内新聞でも2023年に二度、楾先生の講演会を開催しております。

楾先生は2013年に96条改憲を目指す安倍政権の暴走を目の当たりにして危機感を抱くようになります。そして、為政者をライオンに、憲法を為政者が好き勝手しないように規制する檻に喩えた、『檻の中のライオン』という本に思いをまとめ、全国で講演されています。

 

『檻の中のライオン』憲法講演活動(広島瀬戸内新聞2023年10月号より)

◆声をかけてきたのは立憲民主党だったのに

そうした楾先生に立憲民主党が目を付けたのはあの河井事件が起きた2019年の参院選を控えた時期でした。この参院選2019の広島県選挙区では国民民主党所属の無所属現職で、立憲民主党推薦の森本しんじさん、そして、自民党新人の河井案里さんが、自民党現職の溝手顕正さんらを破って当選したのです。

国民民主党所属の森本さんでは自民党に2議席独占を許しかねない、と考えた旧立憲民主党が楾先生に立候補を打診したのです。しかし、その話は楾先生がご自身の講演活動を優先し、断られて立ち消えになりました。

その後、案里さんが逮捕され、再選挙が想定されるようになってから再び旧立憲民主党サイドから楾先生に声がかかったのです。

◆はしごを外された楾先生

だが、2020年秋に立憲民主党が国民民主党と合流。その後、楾先生に全く連絡がない状態が続いたのです。仕事をなるべく入れないようにしてきた楾先生。案里さんが2021年2月に当選無効になってからもなかなか連絡はなかったのです。

ようやく、再選挙の告示も近い時期に面接が行われた。しかし、雰囲気は良いものではなく、その後3月中旬になって突如、宮口治子さんという、失礼ながら当時の広島県内では「誰?」という方が候補者になられたのです。そして、その宮口さんが実は候補者選考を主導した森本しんじ参院議員の秘書の配偶者でいらっしゃったのです。

森本議員と、再選挙で選ばれた議員は、2025年の参院選でバッティングします。従って、コントロールが効かない人が候補になっては困るという動機が森本議員には存在します。利害関係者が、候補者選考を主導する。

「政党による国会議員の候補者選考自体が茶番」であればデモクラシーなど存在しないも同然ではないでしょうか?そのことを鋭く問題提起していると感じました。
そして、2022年の参院選を前に、楾先生は候補者の公募に応募しますが、もちろん、不合格となります。

◆密室ではない候補者選考のあり方を

一部の現職議員が密室で決めるのでは、結局、マトリョ-シカのように、自分の地位を脅かさない小粒な議員ばかりを選ぶようになっていく。予備選挙をやって白黒つける。人を大切にする。そして、誰が議員にふさわしいか、選ぶ持つ目を持てるような「主権者教育」をきちんとやる。こうしたことを、楾先生は最後に提起されています。

◆野党も庶民革命で「政治を県民によって取りもどされる対象」だ!

筆者自身もこの選挙に立候補するに際して、とある野党第一党党員から「選挙に出るなら縁を切る。俺の地域に二度と出入りするな!!」などとまるで戦国大名か何かのような罵詈雑言のお電話をいただきました。しかし、その方のご自宅がある地区が選挙後に大洪水になった際、わたしはボランティアに伺いました。その方はバツの悪そうな顔をしておられました。

また、野党第一党候補の方に対してわたしは、ギリギリまで1本化を模索はしていました。その条件として「伊方原発即時廃炉」含む「即時原発ゼロ」を同候補側に提示。しかし、同候補陣営幹部の野党第一党地方議員は「候補者は具体的な政策がわかる人じゃないから」との返答。自分たちでバカにしている人を候補に担ぐ。これこそ、女性蔑視も良いところです。

それはともかく、自公の国政与党だけでなく、野党第一党である立憲民主党さんも「県民の手に政治を取り戻す」庶民革命において、「県民により政治を取り戻される」対象物であるということだと思います。

民主的な候補者選び、予備選なり候補者同士の公開討論会など、オープンな選挙にしていかないと、政治は一部の「えらい人」のもののままです。

もう一つ疑問は日本最古の左派野党=日本共産党さんも簡単に野党第一党候補に乗ってしまったことです。結局、同党も庶民の味方と言いながら実際には一部幹部の意向で政党本来の政策とかけ離れた人を推したのではないか?無理が通れば道理が引っ込む。こうした無理が同党内部での矛盾の増大、また、それを押さえつけようとする田村智子委員長による党所属県議らへのパワハラ問題にもつながっているのではないでしょうか? 4月7日執行の福山市議選で共産党は惨敗(議席数3→2、得票数10828→7476)しましたが、不思議な結果ではありません。

もちろん、従前どおり、広島瀬戸内新聞とさとうしゅういちは、県民を無視し、新自由主義路線を暴走する広島県知事・湯崎英彦さんを打倒するとともに、湯崎英彦知事から広島を県民の手に取りもどす「ヒロシマ庶民革命」を呼びかけて参ります。

与野党の支持者の方も当然、一県民、一個人として「広島を県民の手に取りもどす」という庶民革命の趣旨にご賛同いただける方とはご一緒させていただく方針に揺るぎはありません。筆者は、上記の方向性を共有する方であれば、政党支持なしの方はもちろん、れいわ、立憲、共産、社民と言った野党の支持者の皆様、そして、自民や維新系でも湯崎英彦知事に批判的、あるいは是々非々の皆様とも懇意にさせていただいています。

しかし、それはそれとして、特に現行選挙制度では事実上100%政党選挙である国政選挙の政党の候補者選考過程にも厳しくチェックをしていく目を持っていただきたいと、県民の皆様に呼びかけるものです。

◇     ◇     ◇      ◇     ◇

広島瀬戸内新聞とさとうしゅういちは「あなたの手に広島を取り戻し広島とあなたを守るヒロシマ庶民革命」を呼び掛けています。 「我こそは庶民派の政治家に!」(首長、地方議員、国会議員)、また庶民派の政治家とともに広島を取り戻したいというあなたからのご連絡や記事のご投稿をお待ちしております。

電話番号: 090-3171-4437メール hiroseto2004@yahoo.co.jp

また、さとうしゅういちの政治活動としてのヒロシマ庶民革命に対するご寄付もお待ちしております(政治資金規正法の規定により日本国籍の方に限る)。

・郵便振替口座 01330-0-49219 さとうしゅういちネット・広島銀行 本店営業部 普通 3783741 さとうしゅういちネット

★オンラインおしゃべり会さとうしゅういちと広島の政治にガツンと物申す へのご参加をお待ちしております。
毎週金曜 21時15分~zoom meeting IDとパスコードは以下です。 ガツンとご意見をお待ちしております。
ミーティングID: 411 718 3285 パスコード: 5N6b38

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◇     ◇     ◇      ◇     ◇

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
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◆大村藩の謎は板坂家の謎

そろそろ本題に入る。前述したとおり江戸時代の初期から大村藩の御典医であった板坂家初代の板坂卜庵という人物、いったい何者だったのか。言語学者だった叔父の板坂元が調査したところ、何と「徳川家康から当時は超高級品だった朝鮮人参を直々に拝受、その時着ていた上下(かみしも)の肩衣を脱ぎ、包んで持ち帰った」という嘘か本当か判らないような話が残っていたそうである。

要するに徳川家康に仕えていたのだがすぐに大村藩に出向したわけで、叔父は「多分、監視役も兼ねていたんだろう」と推測していた。それってほとんど忍者のような存在だったってこと?と私は勘繰ってしまった。

大村喜前の棄教と禁教は全国に先駆けて実行されたが、先代の大村純忠が日本初のキリシタン大名として知られていた史実と照らし合わせると、キリスト教への対応は真逆だが、親子とも変わり身の早さが目に付くのが何となくいかがわしい。

「喜前の突然の棄教の理由として、キリスト教が幕府により厳しく取り締まられることを、喜前は見越していたと考えられます。いち早い禁教政策のおかげで全国禁教令を問題なく乗り切りましたが、多くの潜伏キリシタンを生み出すことになり、後に「郡崩(こおりくず)れ」という潜伏キリシタンが大量発覚する重大事件がおこる要因を作りました」(大村市立資料館特別展『解大藩書─大村藩を解く』)

こういう状況だったのなら、幕府側が禁教政策を実施されているか、いつまた藩主の気が変わってキリスト教を容認することになるのではないか。そもそも大村喜前の棄教は偽装では……といった疑念にかられるのは当然だろう。監視役が必要だったという説にも頷ける。

それにしても私の先祖が、その昔、江戸から長崎大村の地まで派遣された『公儀隠密渡り鳥』であったとは、嗚呼……。

◆その日、歴史館にて

長い間、故意に興味の対象から外していた家系という縦軸の共同体が、いきなり私を呼び寄せているような気がして、行ってみた。

コロナ禍まだ治らぬ折り、国論を2分した「ぼったくられ5輪」に対する憤懣も、原発事故や放射能に関する問題は封印されたかのような世相への反発も胸に秘めたまま、遠隔地への移動は現実からの逃避かとも思えたが、現実を解明する鍵は過去にある、現在は過去の結末であるという自説に基づいての旅路だった。

先祖が大村藩でどんな役割を果たしのか、そんなことは調べても判るはずはない。ただ先祖がどこに住んでいたのか、そこはどんな場所だったのかが判ればいい。そこからきっと伝わって来るものがある……と霊感豊かな私は予測していたのだった。

写真提供=小滝勝

写真提供=小滝勝

そしてその通りになった。

市の中心地にあった大村市立史料館に足を踏み入れてから、数分後に私はその場所に行き着いたのだ。その場所、と言っても、史料館内の最も目立つ展示室に設置されていた城下町の立体的な復元図面内の話だが、百を超える武家屋敷の中に板坂俊道という名前が記された札が置かれていた。

この人は江戸時代の最後を飾った14代目、祖父の先代板坂立栄の父親にあたる板坂家の13代目である。この図面は江戸時代末期の状態を復元したものだものなのだろう。

しかし、江戸時代の末期と言えば、大村藩は長州藩と同盟を結び、倒幕運動に加担している。秋田の角舘にまで出兵して徳川の残党を討伐する戦いにまで決起している。

大村藩を監視するために徳川幕府から派遣された初代の子孫たちは、幕末にはどのようにふるまったのか、気になるところであるが、立体図面をじっと眺めていると何となく判ってしまうことがある。

板坂の邸の前には広い河川敷があり、河川敷はそのまま砂浜に連なっている。江戸時代の板坂家の人々は屋敷を出て河に沿った道を海辺まで歩き、左折して海を眺めながら登城したのだろう。

250年を経て、大村の地が故郷となった人々には初代の思惑はもはや風化していたに違いない。

ただこの立体図面を見て、あらためて感じるのは復元されているのは城と家臣の武家屋敷のみで、農家はもちろん町民の家も全くないことだった。そこには当時の農民や町民、つまり一般民衆にとって、城はあまりにも遠い異次元の世界であり、民意は決して支配者には届かないという過去の「現実」が示されていた。

長崎の原爆による惨禍も、隣県の原発に対する反感もそこからは感じられない。当たり前だ。しかし人間には支配する者と支配される者の2種類がある。その結果が原爆や原発であり、あらゆる争いごとが利権の奪い合いに過ぎないことが感じられると、今はただ沈黙するしかないのだろうか。(おわり)

本稿は『季節』2022年春号掲載(2022年3月11日発売号)掲載の同名記事を本通信用に再編集した全3回の連載記事です。

◎板坂 剛 長崎・大村紀行 キリシタン弾圧・原爆の惨禍 そして原発への複雑な思い[全3回]
〈1〉家系という負の遺産を背負って
〈2〉暗い過去を秘めた大村藩
〈3〉大村藩の謎は板坂家の謎

▼板坂 剛(いたさか・ごう)さん(作家/舞踊家)
1948年、福岡県生まれ、山口県育ち。日本大学芸術学部在学中に全共闘運動に参画。現在はフラメンコ舞踊家、作家、三島由紀夫研究家。鹿砦社より『三島由紀夫と1970年』(2010年、鈴木邦男との共著)、『三島由紀夫と全共闘の時代』(2013年)、『三島由紀夫は、なぜ昭和天皇を殺さなかったのか』(2017年)、『思い出そう! 1968年を!! 山本義隆と秋田明大の今と昔……』(紙の爆弾2018年12月号増刊)等多数。

〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌『季節』2024年春号 能登大震災と13年後の福島 地震列島に原発は不適切

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4月6日(土)の昼前、三角公園の炊き出しに集まった人たちに、仲間が7日(日)に企画した映画「カンタ!ティモール」の上映会のチラシを撒かせていただいた。200枚用意したチラシはあっというまにはけた。企画した仲間はどにかく釜ヶ崎のおっちゃんたちにこの映画を観て欲しいということだった(結果7日の上映会は満席でした)。 

 

朝の無料朝食に並ぶ人たち

チラシ配りのあと私は炊き出しの手伝いに。いつものメンバーの他に学生たちも多数参加していた。私はごはんに野菜たっぷりのスープをかける手伝い。配食時間となり、学生らが「こんにちわ」と声をかけながらおっちゃんらにお椀を手渡す。

どの人も嬉しそう。配食はあっという間に200食を超えた。それでも並ぶ人はまだまだいる。白米も大鍋の野菜スープも残りわずかとなったとき、リーダーの男性が「まずい、まだまだ大勢の人が並んでいる」と慌てた様子で、残った白米を汁に入れ雑炊にしようと言ってきた。私たちは慌てておひつに付いた米粒を一粒も残さないように鍋に入れ、チャチャと雑炊を作りお椀に注ぐ。それでも列が続くため、リーダーが「ちょっと少なめに盛って」という。結局300食は出ただろうか。

「もう終わりですか?」。片づけていると、残念そうに言ってくる男性がいた。大きなリュックを背負った男性は、釜ヶ崎に最近来た感じだ。どこかで「三角公園で炊き出しやってるで」と聞きつけ急いできたのだろう。本当に残念そう(涙)。

 

西成警察署北側にあるいこい食堂。「炊き出しに並ぶのは11時30分から」

釜ヶ崎ではこの三角公園の火曜日、土曜日の炊き出しのほか、釜合労が毎日センターで行う炊き出しもある。ほかにも無料で朝食を提供している団体が何ケ所かあり、どこも連日40~50人は並んでいる。

ほかに週2日、西成警察署北側の「いこい食堂」というボランティア団体が炊き出しを行っている。ここでも毎回200食は出るという。食堂で作って隣接する四角公園で配食していたが、先ごろ四角公園が工事のため長期間閉鎖されることとなった。

いこい食堂の方と支援者が、「公園が全面閉鎖されては炊き出しが出来なくなり困る。工事中でも炊き出しスペースは開けて欲しい」と交渉を続け、認められることとなったようだ。

その交渉の場で、市の職員が「きれいに生まれ変わります」と強調していたという。これに対していこい食堂の方がこう言っていたとそうだ。

「きれいになること=排除されると感じる人が、この町には大勢いるんです」 

私も同感だ! きれいになることが悪いのではない。しかし、誤解を恐れずにいえば、この町に住む人たちは決してきれいな人ばかりではないということだ。生活保護、年金生活の人たちはいずれも貧しく、日々かつかつの生活を送っている。

 

いこい食堂の水曜日のバザー。タオル、靴下などが50円から100円で売られ、おっちゃんらに喜ばれている

生活保護費や年金の支給日を待って、玉出スーパーに大量の食料を買いに行く人、コインランドリーに洗濯に行く人、散髪屋で髪を切る人……。みんな、その日をじっと待っている。普段からカーキ、紺、黒など汚れの目立ちにくい色の服を着る人が多い。髪の毛が伸びても帽子で隠す、洗濯を貯めておく、一食浮かすために炊き出しに並ぶ……。それが悪いことだろうか? どんなに貧しい人でもどうにか生きていける……。それが釜ヶ崎の良さではないのか?

また近年、釜ヶ崎では酒の自販機が次々と撤去されている。自販機前で座り込み、コンビニで買ってきたつまみで安酒を飲むおっちゃんらも、きれいに変貌を遂げる釜ヶ崎では「目障り」なのだろうか。

しかし、カツカツの生活のなか、狭いドヤや福祉アパートで一人寂しく酒を飲むよりは、知り合いが集まる自販機前で仲間とバカ話しながら飲むほうが楽しいではないか。

「ボート取ったからいっぱい奢るで」とラッキーチャンスに巡り合えるかもしれない。携帯電話を持てなかった頃は自販機前が情報交換の場所だった。「山梨ナンバーの車に乗ったらあかんで」(山梨県のある飯場で殺人事件があったとき)。「7日、ふるさとの家の上映会でおにぎりが出るらしいで」。

懲役2年で服役した知人は刑務所である男性と知り合ったそうで、その男性の懲役は知人よりもっと長い。出所後行く当てのない男性は「俺も釜ヶ崎に行きたい」といったという。それに応えて知人は男性にこう言った。「5年後、おれが元気でいたら、毎日足立の自販機前にいるわ。必ずいるから訪ねてこい」と。しかし、その足立の自販機もなくなってしまった(二度目の涙)。

結局、今、釜ヶ崎は社会的な弱者、困っている人たちには、どんどん優しくなくなっているということだ(三度目の涙)。

西成警察署裏の四角公園(萩之茶屋中公園)。藤棚の下はみんなの憩いの場所

無料朝食に並ぶ人たち。今朝はこれまで以上に長い行列ができていた(4月11日筆者撮影)

▼尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。2023年10月に『日本の冤罪』(鹿砦社)を上梓
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

尾﨑美代子著『日本の冤罪』

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/4846315304/

◎鹿砦社HP https://www.rokusaisha.com/kikan.php?bookid=000733

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