滋賀医大付属病院小線源講座の患者さんら4名が、同病院泌尿器科の河内明宏科長と、成田充弘医師を相手取り440万円の支払いを求める損害賠償請求を大津地裁に起こした件については、これまで報告してきた。
そして本日11月16日、滋賀医大付属病院小線源講座の岡本圭生特任教授が、滋賀医科大学を相手取り、仮処分を大津地裁に申し立てることがわかった。岡本特任教授が仮処分を申し立てる内容の詳細はまだ明らかではないが、本日18時から記者会見が開かれ、そこで代理人と本人から説明が行われる。
11月12日付けビジネスジャーナル
岡本医師については、11月12日付けビジネスジャーナルで「増加する男性の前立腺癌、再発率わずか2%の画期的治療法『岡本メソッド』」にインタビューが掲載されたばかりだった。
岡本医師による小線源療法については、ビジネスジャーナルの記事に詳しいのでご参照頂きたいが、注目すべきは現役の医師も以下のように絶賛している治療法である点だ。同インタビューから引用する。
岡本教授の治療を受けられた方は、どのように感じているのか。1100名を超える治療を受けた患者さんのなかから、大分県立病院小児科部長の大野拓郎氏に患者さんとして、また専門家の立場からお話を聞きました。
―― 先生に前立腺がんが発見されたのは、いつだったのでしょか。
大野 私は今、53歳ですが、2年前に簡易人間ドックを受けた際に、PSAの値が高いことがわかりました。その後すぐに細胞検査を受け前立腺がんと判明しました。
―― 医師としてご自身の前立腺がん治療にあたり、どのような観点で治療法を選択されましたか。
大野 まず根治性の高い(再発リスクの低い)ものを考えました。私はがんの広がりはなかったのですが、組織型(がんの悪性度)が悪かったので、高リスクとして治療を受ける必要があると判断しました。ダビンチ手術(支援ロボットを利用した手術)を勧める医師もいましたが、仕事をしていますので、仕事に影響が出る後遺症・合併症は困ります。その他の治療法も調べましたが、私が考える芳しい成績ではないなと思い、岡本教授の治療を見つけ、治療成績が傑出していることから、お願いすることにしました。
―― いつ施術を受けたのでしょうか。
大野 2017年の2月です。
―― 手術後の経過はいかがでしょうか。
大野 夜間頻尿が数カ月続き服薬していましたが、半年くらいでなくなりました。今はまったく支障がありません。前立腺がん治療のあとには、排尿関連の合併症が多いのですが、何も感じないで生活しています。
―― 専門家の立場から「岡本メソッド」をどのように評価なさりますか。
大野 私は先天性小児心疾患が専門です。その手術のレベルを考えたときに、病院によって差が出てきます。それは事実ですが我々としては「どこで受けても同じ結果が出る」のが一番望ましい。医療においての再現性を考えたときに一番大事なことだと思います。前立腺がんの治療を見たときに、岡本教授の技術が広がっていく、全国で根付いていくことが理想的だと思います。色々調べましたが、岡本教授の施術は「神のレベル」に近いといえます。しかも報告からは合併症が少ないようです。尿漏れなどは日常生活でも大変不便です。それが少ないのと、根治性、機能面においても非常に高いと思います。
―― 岡本教授のお人柄についてはいかがでしょうか。
大野 岡本教授と話をしていて、「この方は信頼できる」と感じたのは、徹底して患者の方向を向いていらっしゃることです。医療界には別の方向を向いている動きも感じますが、岡本教授は「きちっと根治する治療をする。そのための小線源療法、そして外照射を合わせたトリモダリティ」を考えておられるなと強く感じ、信頼できると思いました。大事なのは「患者さんにとって何が一番良いのか(Patient first)」ですね。その実践ができているという点でも信頼できる先生だと私は思います。私の知り合いで同じ病気になった人がいれば、躊躇なく「岡本先生に治療してもらってはどうか」と勧めます。(引用以上)
4名が泌尿器科の医師を提訴し、岡本医師も仮処分を申し立てる、滋賀医大では何が起こっているのであろうか。記者会見の様子は近日中にご報告する。
▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。
大学関係者必読の書!田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)
月刊『紙の爆弾』12月号 来夏参院選敗北で政権崩壊 安倍「全員地雷内閣」
2023年5月18日 カテゴリー メディアと広告, 押し紙, 田所敏夫, 社会問題一般, 黒薮哲哉
◆ABC部数は数字自体に「押し紙」が含まれている
田所 ではABC部数はどうなのでしょう。ABC部数は新聞社が自己申告するのですよね。
黒薮哲哉さん
黒薮 ABC部数にも「押し紙」が含まれています。ABC部数が減っていることを捉えて「新聞が衰退している」と論じる人が多いのですが、正確ではありません。ABC部数は数字自体に「押し紙」が含まれているからです。「押し紙」を整理しなければABC部数は減りません。正しくは実売部数が減少しているかどうかで、「新聞が衰退している」かどうかを判断する必要があります。このような観点からすると、新聞社の経営は相当悪化しています。
田所 新聞は自分ではそのようなことを書きませんね。
◆販売店は奴隷のような扱いを受けている
黒薮 本当に販売店は奴隷のような扱いを受けています。たとえば販売主さんが、新聞社の担当社員の個人口座にお金を振り込まされたケースもあります。この事実については、店主さんの預金通帳の記録で確認しました。
田所 個人口座へですか。
黒薮 新聞社の口座に振り込むのであればいいけども、その店を担当している担当社員の個人口座に振り込んでいます。平成30年だけで少なくとも300万円ほど振り込まされています。それくらい無茶苦茶なことをされています。
田所 売り上げの全額ではないですね。一部を「私に寄こせ」と。
黒薮 証拠があるからその新聞社の広報部に資料を出して、内部調査するように言っているのですが、調査結果については現時点では何も言ってきていません。足元の問題には絶対に触れません。
◆新聞社の体質を変えなければ、今題は解決しない
田所敏夫さん
田所 逮捕されたら未決の人でも追っかけて報道するくせに、自分たちが取材されると逃げ回って答えない。不思議なことですが、私も同様の苦い経験があります。
黒薮 新聞社の人は、会社員としての意識しかないようです。それでは何のために記者になったのか意味がないと思います。後悔すると思いますよ。大問題があるのに黙ってしまったことに。記者を辞めて年を取ってから後悔すると思います。
田所 でも、後悔する人はまだ救われるでしょう。途中でそんなことたぶん考えなくなるのではないですか。メディア研究者の中にも「頑張っている記者を応援しましょう、ダメな記事には批判のメールや抗議をしましょう」という人は結構います。私にはそのような行為が有益だとは思えません。優秀な記者を応援して、ダメな記事を批判しても、新聞社の体質が変わるわけではないでしょう。「押し紙」を含め新聞社の体質を変えなければ、今題は解決しないと思います。
◆紙の新聞が無くなったから、自動的にネットのメディアが良くなるという訳ではない
田所 「新聞社の中ではそういう声は社内に広まるのです」という記者がいるのです。「新聞社は外部からの声にデリケートだ」という記者の人がいますが、私は嘘だと思っています。そんなことで良くなるのであれば、もっとましな新聞社になっているでしょう。経営構造の問題と「腰抜け」というか、そもそもジャーナリズムの意味が解っていない人、ジャーナリズムの仕事をしてはいけない見識・知識・問題解析能力・社会的態度を持ち合わせない人がたくさんその仕事に就いてしまっている。あるいは最初は志があっても挫けてしまう。これが合わさると日本の新聞には未来はない、ということですか。
黒薮 新聞に未来はないでしょうね。紙面内容もよくないし、「紙」という媒体も時代遅れです。これに対してインターネットは、賢明な人が使えば、使い方によっては強いメディアになるでしょう。
田所 ポイントは使い方ですね。情報量は膨大ですが使い方を知らないと、自分の趣味趣向のところに偏って、テレビのチャンネル位しか選択の幅がなくなってしまう性格もあります。問題意識と関心があれば発掘できるとても便利なものですが、意思がないと全く活かしきれない。たとえば動画投稿サイトなどは、一見自由に見えますが実はかなり細かい規制があったりする。決して自由な言語空間ではない。
黒薮 紙の新聞が無くなったから、自動的にネットのメディアが良くなるという訳ではない。そこもコントロールされて行きますからどうするかを考える必要があると思います。模範的な例としてはやはり、ウィキリークスがある。ああいうものが出てくると困るから設立者のジュリアン・アサンジンさんが逮捕され、懲役175年の刑を受ける可能性が浮上しているのでしょう。
◆2002年度の毎日新聞の「押し紙」は36%
田所 『週刊金曜日』の元発行人北村肇さんにかつてお話を伺いました。望ましいジャーナリズムの形は組織ジャーリストと中間規模のジャーナリズムとフリーランスが一緒になって、それぞれができることが違うのでチームを組めばよい成果を上げられるのではないかと指摘されました。ミニマムですが滋賀医大問題で元朝日新聞の出河雅彦さん、毎日放送、元読売新聞記者でのちにフリーライタに転身され昨年亡くなった山口正紀さん、そして黒薮さんに『名医の追放』(緑風出版)を書いていただき、私も少し加わりました。計画したわけではないですが自然の成り行きで、取材や取り組みができた例ではないかと思います。そのもっとダイナミックなことがインターネット上で実現できれば面白い展開ができる可能性がありますね。
黒薮 北村さんがその話をされたのは初めて聞きました。北村さんといえば毎日新聞の内部資料「朝刊 発証数の推移」を外部に流した方です。もう亡くなっているから言いますが、この資料を外部へ持ち出したのは間違いなく北村さんです。新聞の発証数(販売店が発行した新聞購読料の領収書の数)と新聞のABC部数を照合すると「押し紙」の割合が判明します。それによると2002年度の毎日新聞の「押し紙」は、36%でした。(【試算】毎日新聞、1日に144万部の「押し紙」を回収、「朝刊 発証数の推移」(2002年のデータ)に基づく試算 | MEDIA KOKUSYO)
田所 あの人だったらやると思います。
黒薮 毎日新聞の内部資料が外部へ流れたのは、北村さんがちょうど社長室にいらした時ですから、間違いなく北村さんでしょう。
田所 これは全然名誉毀損ではないですね。ジャーナリストとして北村さんへの尊敬の念ですね。
黒薮 その通りです。流出のルートもわかっています。最初は、さっきお話した滋賀県の沢田治さんに流しました。沢田さんから私のところに来て『Flash』や『My News Japan』などが記事にしてくれました。北村さんは自分の考えをそういう形で実践した人です。
田所 短い時間でもこちらが望む以上の答えをいつも頂けたのが北村さんでした。でも、あのように貴重な方から亡くなっていって。
黒薮 残念です。数少ない誠実な人です。(つづく)
◎遠慮・忖度一切なし!《本音の対談》黒薮哲哉×田所敏夫
〈01〉「スラップ訴訟」としての横浜副流煙事件裁判
〈02〉横浜副流煙事件裁判のその後
〈03〉禁煙ファシズムの危険性 ── 喫煙者が減少したことで肺がん罹患者は減ったのか?
〈04〉問題すり替えに過ぎない“SDGs”の欺瞞
〈05〉「押し紙」は新聞にとって致命的
〈06〉日本のタブー「押し紙」問題の本質を探る
〈07〉「押し紙」驚愕の実態 新聞社不正収入35年で30兆円以上
〈08〉新聞社社員個人への振り込みを強要されえた販売店主
▼黒薮哲哉(くろやぶ てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、『禁煙ファシズム』(鹿砦社)他。
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4月25日発売!黒薮哲哉『新聞と公権力の暗部 「押し紙」問題とメディアコントロール』
▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。著書に『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社)がある。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。
田所敏夫『大暗黒時代の大学 消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY007)
滋賀県大津市は、大津市民病院の新理事長に、滋賀医科大泌尿器科長の河内明宏教授(63)を内定した。同病院では、今年の2月ごろから次々と医師が退職に追い込まれる事態が続いている。
理事長内定を報じたNHKの記事。滋賀医科大事件と河内教授のかかわりには一切踏み込んでいない
『京都新聞』(6月6日)によると、「これまでに京都大から派遣された」「医師ら計22人が退職意向、またはすでに退職したことが明らかになっている」。自主退職なのか、退職強要なのかは不明だが、大津市民病院から京都大学人脈を排除する意図があるとする見方もある。
現理事長の北脇城氏は、「女性ホルモンの研究と手術にあこがれて産婦人科医を志した」経歴の持ち主である。京都府立医科大の出身で、新理事長の河内医師とは同門である。
わたしは大津市の地域医療政策課に、今回の理事長人選の経緯を問い合わせた。これに対して副参事の職員は、次のように回答した。
「選任の経緯を記録した文書は存在しません。選任にあたり会議は開いていません」
誰かが独断で、河内医師を新理事長に決めた公算が高い。
◆岡本メソッドをめぐる滋賀医科大の攻防
わたしは2019年の冬から秋にかけて、滋賀医科大病院を舞台とするある事件を取材した。河内医師の名前を知ったのは、事件の関係資料を読んでいるときだった。事件のキーパーソンとして何度も「河内」に赤マーカーを付けた。河内医師の部下である成田充弘医師にも、赤マーカーを付けた。この師弟は後日、大津地裁の民事法廷に立たされることになる。河内医師は、患者からの刑事告発で書類送検もされている。
事件は、2014年にさかのぼる。放射性医薬品の開発・販売会社であるNMP社は、滋賀医科大に、小線源治療の寄付講座を設置したいと打診した。小線源治療は、前立腺がんに対する治療法のひとつである。放射性物質を包み込んだシード線源と呼ばれるカプセルを前立腺に埋め込んで、そこから放出される放射線でがん細胞を死滅させる治療法だ。1970年代に米国で始まった。その後、改良を重ねて日本でも今世紀に入るころから実施されるようになった。さらに滋賀医科大の岡本圭生医師がそれを進化させ「岡本メソッド」と呼ばれる高度な小線源治療を確立した。NMP社は、岡本メソッドに着目したのである。
【参考記事】前立腺がん、手術後の非再発率99%の小線源治療、画期的な「岡本メソッド」確立(ビジネスジャーナル)
NMP社は、寄付講座を泌尿器科から完全に独立させた形で運営することを希望していた。と、言うのも河内医師を科長とする泌尿器科は、ダビンチ手術に重点を置いていたからだ。医療技術の開発という寄付講座の性質上、縦の人間関係はむしろ障害になる。
NMP社は、岡本医師をリーダーとする体制を希望していた。塩田浩平学長もそれを承諾していた。
ところがこの方向性に難色を示した人物がいた。それが泌尿器科長の河内医師だった。しかし、河内教授の意向は受け入れられず、2015年1月に岡本医師を最高責任者として寄付講座が動き始めた。岡本医師は、泌尿器科から除籍となり、寄付講座の特任教授に就任した。滋賀医科大は、日本における小線源治療の本拠地を目指す構想をスターさせたのである。
だだ、塩田学長は、河内医師の心情にも配慮して、同医師を寄付講座の兼任教授に任命した。円満な大学運営を希望した結果のようだ。
大津市郊外にある滋賀医科大付属病院
◆同じ病院で小線源治療の窓口が2つに
河内教授は、自分の手腕で寄付講座を主導できないことがはっきりすると、新たな動きに出た。寄付講座の「岡本外来」とは別に、泌尿器科に小線源治療の窓口を設置したのだ。その結果、同じ病院内に小線源治療の窓口が2つ存在する状況が生まれたのだ。病院が来院患者にそのことを説明した上で、患者が窓口を選択する制度であれば医療倫理上の問題はないが、病院はそのような措置を取らなかった。
そのために窓口が2つになってから1年の間に、23人の患者が、秘密裡に泌尿器科の小線源治療に誘導された。その中には、手術は岡本医師が担当すると勘違いしていた人も含まれていた。
しかし、泌尿器科には小線源治療の専門医がひとりもいない。そこで河内教授は、部下の成田准教授に患者を担当させた。成田医師の専門はダビンチ手術で、小線源治療の経験はなかった。
成田医師は、シード線源を「第1号患者」の前立腺に挿入する手術の直前になって、岡本医師に支援を求めてきた。河内医師も、岡本医師に向かって成田医師を補助するように命じた。岡本医師は、この命令には従わずに、手術そのものを中止するように強く進言した。未経験の成田医師の施術が医療事故につながるリスクがあったからだ。
さらに岡本医師は、塩田学長に泌尿器科の小線源治療で患者が手術訓練に使われかねない事態が起きていることをメールで知らせた。
翌日、岡本医師は塩田学長から2通の返信メールを受け取った。
「(9:15分)先生からいただいた内容は、松末院長、村田教授にも知らせてあります。先生にはストレスがかかっていると心配しますが、必要以上に悩まれないようにしてください。山田(注:仮名)先生からも、心配してメールをいただいています。」
「(18:45分)今日、私は外出していましたので、私の懸念を伝えて、松末病院長に河内教授と話してもらいました。その報告を先程うけましたが、「泌尿器科は小線源治療には関わらない」ことで話がついた、とのことです。寄付講座の位置付けをはっきりさせること、現在泌尿器科に予約している患者への説明をいつするか、などについて、年明けに詳しく相談します。」
◆モルモットにされかけた23人の患者
泌尿器科による小線源治療が中止になったあと、泌尿器科に誘導された患者を岡本医師が担当することになった。被害者は23人。岡本医師が診察したところ、すさんな医療措置を施されていた事例が浮上した。たとえばシード線源を前立腺に挿入する手術の前段で、不要なホルモン療法を受けさせられた患者が見つかった。ホルモン療法により前立腺が委縮し過ぎて、手術するためには、もとの状態に戻るのを待つ必要が生じたのだ。
また、直腸がんの病歴があったために、もともと手術の適用ができない患者を通院させていた事実も明らかになった。この患者は、片道3時間の距離を8か月間、通院した。
被害にあった患者らは、患者会を結成して病院に抗議した。病院は医療過誤をもみ消そうとしたが、被害者らは謝罪を求め続けた。岡本医師は病院と患者の板挟みになったが、患者に寄り添う姿勢を示した。病院当局に対して被害者らに謝罪するように進言したのである。
このころから岡本医師と大学病院の間で亀裂が生じ始めていたようだ。病院にとって、患者会と岡本医師は、威風になびかない目障りな存在となったのだろう。2017年12月末をもって、寄付講座を終了すると一方的に宣言した。それに伴い手術後の経過観察のために通院していた患者らは、診療予約が取れなくなった。手術の順番を待っていた待機患者は、行き場を失った。あまりにも混乱の広がりが大きかったので、病院は寄付講座の終了時期を2019年12月末までの2年間延長した。ただし、手術はその半年前で終了とした。
岡本医師は、寄付講座が終了すれば失職する。寄付講座が始まった時点から所属が滋賀医科大ではなく、NMP社の寄付講座になっていたので、寄付講座が閉鎖されれば、どの組織とも雇用関係がなくなる。「岡本メソッド」消滅の赤信号が点滅し始めたのである。
◆カルテの不正閲覧から私文書偽造まで汚点の山
大学病院の強硬な姿勢に対して岡本医師の患者らは、反発を強めた。泌尿器科に囲いこまれた4人の被害患者が、河内医師と成田医師に対して説明義務違反を理由に損害賠償を求める裁判を起こした。同時に、患者会は寄付講座の存続を求める運動を本格化させた。JR大津駅のロータリーや滋賀医科大病院前で幟を立て街宣活動や署名活動を展開するようになった。
マスコミも徐々にこの事件を報じるようになり、滋賀医大は医療事件の表舞台へ浮上してきたのである。
こうした情況の中で大学病院は、岡本メソッドを誹謗中傷する方向へ走る。それは同時に、患者らが起こした裁判の抗弁対策だった可能性もある。
たとえば岡本医師がこれまで治療した1000人を超える患者のカルテ(電子)を閲覧して、医療ミスを探そうと試みた。この策略が取られていること分かったのは、カルテに閲覧歴が残っていたからだ。そいう電子カルテはそういうシステムになっているのだ。
閲覧者の中には、河内教授や成田准教授の名前は言うまでなく、病院の事務スタッフの名前もあった。彼らは、深夜や休日にも閲覧作業を行っていた。
しかし、法的な観点から言えば、カルテ閲覧に際しては、患者本人の承諾を得なければなれない。主治医は別として、第三者が勝手にカルテを閲覧することは禁じられている。しかも、「疑惑」がありそうなカルテ何通かを、病院外の医療関係者に送付して意見を求めていたのである。
また、病院が患者に対する記入調査を実施した際に所定の手続を取っていなかったことも分かった。この記入調査は、米国のFACT協会が版権を持つ「FACT-P」と呼ばれる前立腺患者を対象としたものである。患者会によると、病院はこの記入調査を寄付講座が始まった直後から、約3年に渡って実施していた。
しかし、実施に際しては、患者に対して事前説明を行い、同意を得なければならない。ところが患者らは、入院時と退院時に一種の義務のように記入を求められたという。
この点に関して患者のひとりが、河内医師に対して書面で問い合わせたところ回答があった。河内医師は、「記入していただいた調査票はカルテより削除させていただきます。以後、このようなことのないように各部署に徹底をいたします」と謝罪した。これを受けて、23名の患者が、病院に対して自分の調査票の開示を求めた。その結果、「退院時のものについては、23名全て、自署ではなく、他人が記名」(患者会のプレスリリース)していたことが分かった。また、「5名については、退院時調査票に、本人の考えとは異なることが記載されていた」ことが分かった。
このようなかたちで記入調査が実施された時期が、寄付講座が進んでいた時期と一致しているので、「患者は岡本医師の治療に満足していない」という証拠を集めることが目的だった可能性もある。
情報公開請求をした患者のうち5人が、この件を被疑者不詳で大津警察署に刑事告発した。罪名は私文書偽造だった。
大津警察署はこの事件を捜査した後、地検へ書類送検した。ところが不思議なことに地検から呼び出されて取り調べを受けたのは派遣会社の社員と非常勤の看護師だった。泌尿器科長の河内医師は何の責任も問われなかった。「被疑者不詳」で告訴したために、このような展開になった可能性が高い。
事件の全容は、『名医の追放』(黒薮哲哉著、緑風出版)に記録されている
◆滋賀医科大から大津市民病院へ
大津市民病院の理事長に内定した河内医師は、滋賀医科大で起きた事件の中枢にいた。河内医師と成田医師を被告とした裁判は、原告患者の訴えが棄却されたが、判決は成田医師について「訴訟態度に影響された供述態度は、真摯に事実を述べる姿勢に欠けるものとして、その信用性全体を減殺する」と認定するなど、原告の主張をかなり認定した。岡本医師による「医療ミス」もまったく認定しなかった。
詳細には踏み込まないが、判決は河内医師が「岡本」の三文判を使って、文書を偽造したことも認定した。
原告の井戸謙一弁護士によると、原告敗訴の理由は、裁判所が「医師の説明義務の範囲を狭く限定」したことである。
岡本医師は2019年の12月末に滋賀医科大を離れた。その後、宇治病院(京都府宇治市)へ移籍し、1年半の準備期間を経て、2021年8月から小線源治療を再開した。岡本メソッドが蘇ったのである。
大津市は、河内医師が理事長に内定した経緯を調査すべきではないか。とりわけ滋賀医科大事件のグレーソーンは、再検証しなければならない。大津市民病院の理事長ポストをめぐる京都府立医科大の同門同士のタスキリレーも検証する必要がある。それはまたジャーナリズムの役割でもある。
※滋賀医科大事件については、拙著『名医の追放』に詳しい。
▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、他。
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最新刊! タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2022年7月号
黒薮哲哉『禁煙ファシズム-横浜副流煙事件の記録』
2022年1月10日 カテゴリー 書評・出版, 田所敏夫, 社会問題一般
◆「医療問題」とは、言葉にしずらい日常的な関心事
健康状態が良好なときには、関心を持つこのと少ない「医療問題」。本人や家族が疾病や怪我で、医療機関にかかった際に、運が悪いと直面する。「医療問題」とまで大上段に構えずとも、医師や病院の信頼性や態度は、健康状態を悪化させている本人や家族にとって言葉にはしにくいものの、日常的な関心事だ。
人間はいずれ生命を全うする。その最終局面を医療機関(病院)で迎えることは今日常態化しているといってもいいだろう。医師や看護師の手厚く心のこもった治療姿勢の後に最期遂げる。その遺族は、医療機関が「業務」として提供したサービスであっても、悲しみの中「お世話になりました。本当にありがとうございました」と感謝の念を抱く。不幸の中にあってもこのような姿は、遺族にとっては一縷の救いとなり、感謝の気持ちで病院を後にする。
◆事件の経緯から裁判資料まで、医師と患者の間に横たわる諸問題を詳述
出河雅彦『事例検証 臨床研究と患者の人権』(2021年11月 医薬経済社)
ところが医療機関(病院)や医師の行為から不信感を抱かされると、患者の困難がはじまる。仮に命には別条のない施術や治療であっても、医師から納得のいく説明を受けることが出来なかったり、あるいは説明もなく治療を行われ、その予後が思わしくないと、患者には不信感が残る。病院を選ぶことのできる環境に生活する人であれば、病院を変えることができようが、そうではない患者にとって「不信感」をもって医者にかかることは、極めてフラストレーションの高い不健康な状態である。
さらに、病院(医師)の判断・行為で命を落とされたり、本来は避けられる副作用で苦しむことになったらどうであろうか。医師と患者の「絶対的服従関係」はインフォームドコンセントが常識化した今日、過去に比べればかなり改善されたといえようが、その陰には多くの患者・遺族そして医師自身の苦悩や闘いがあったことを、わたしたちは充分には知らない。出河雅彦氏の手になる『事例検証 臨床研究と患者の人権』(2021年、医薬経済社)は医師と患者の間に相変わらず横たわる問題の中でも、極めてデリケートな「臨床研究」と治療の問題について、発生した事件の詳細から裁判資料までを紹介する重厚な書物である。
◆6つの「医療事件」をめぐる緻密で膨大な調査報道
出河氏は、医師が適切な手順で患者を治療したか(プロトコール違反はなかったのか)? 臨床試験に「同意」は存在したか? なぜ日本では「人体実験」と区別のつかない「臨床研究」があとを絶たないのか? などを着目点に「当事者がどのような主張を行い、どのような結末に至ったのか」を詳述する。
6つの事件(愛知県がんセンター、金沢大学病院[2件]、東京女子医科大学、群馬大学病院、東大医科研病院)を追った出河氏の報告は「調査報道」に分類することも可能かもしれないが、当事者に取材し膨大な準備書面を提示する手法は、法律家の技に近いともいえる。
しかし出河氏がこのように緻密で膨大な資料を示した理由はわたしにも推測できる。一般の民事裁判とは異なり、「医療事件」は病院サイドが圧倒的に多くの情報を握っているために、内部告発者でもいない限り患者(遺族)側が対等な条件で闘うことが、極めて難しいからではないだろうか(実際に第二章「同意なき臨床試験」金沢大学病院では金沢大学の医師が「告発者」として活躍した事実が紹介されている)。また「プロトコール違反」、「臨床試験」といった基本的な概念の理解にすら、医師によってかなりのばらつきがあることも読者は学ぶことになる。
◆読者はまるで陪審員(裁判員)、裁判官の立場に置かれたかのような錯覚を抱く
「これでもか、これでもか」と叩き付けられるような証拠の山に、読者は陪審員(裁判員)あるいは裁判官の立場に置かれたかのような錯覚を抱くかもしれない。「良い」、「悪い」という単純な善悪二分法では解決することができない、しかしながら解決しなければ患者の人権擁護を確立することのできない、極めて困難な設問に出河氏は事例報告だけではなく、生命倫理研究者橳島次郎氏との対談で法制度の未整備について率直な指摘を展開している。
昨年まで朝日新聞の記者として、現場を飛び回っていた出河氏は最前線の記者だった。それにしては、文体が一般の新聞記者のように硬直していない。極めて入り組んだ医療最前線の問題を長年地道に取材し、新聞紙面では一部しか紹介できなかった取材成果を醸造、その成果の一部を纏めたのが本書といえよう。
余談ながら金沢地裁で争われた金沢大学(国)を訴えた遺族が提起した裁判の裁判長として、現在原発差し止め訴訟などで著名な井戸謙一弁護士も登場する。出河氏と井戸弁護士はその後、滋賀医大病院における説明義務違反訴訟で取材者と原告弁護団長の立場で再会を果たすことになったのは、本書とは関係ないが偶然とは思われない。
病院と無関係で一生を終えられるひとはいない。いま医療現場で問題になっている最先端の問題(最先端医療ではない)は何なのか、を知っておくことは、誰にとっても有益なことだろう。600頁を超える大著から学ぶことは多い。
▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。
タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2022年2月号!
安江博『一流の前立腺がん患者になれ! 最適な治療を受けるために』
2021年1月6日 カテゴリー 司法と冤罪, 尾﨑美代子, 社会問題一般
昨年12月25日、2003年滋賀県近江市(旧湖東町)で、病院で死亡した男性患者に対する殺人罪で服役、その後再審請求裁判で無罪判決を受けた西山美香さん(40)が、国と県を相手取り、損害賠償請求を求める裁判を提訴した。提訴後、弁護士会館で開かれた記者会見で、井戸謙一弁護士より提訴の内容の概略が説明され、その後質疑応答が行われた。その会見内容を2回にわけて紹介する。前編の本稿は以下、井戸弁護士が語る提訴の概略だ。(取材・構成=尾崎美代子)
滋賀県大津裁判所に入る西山美香さん(写真左から2人目)、井戸謙一弁護士ら(写真左先頭)弁護団
◆滋賀県警による違法行為
つい今しがた、西山美香さんは、国と滋賀県を相手に国家賠償請求を提訴し、書類が受理されました。その件でご報告させていただきます。何を問題にしているか、県と国のどういう行為を違法行為としているかについて申し上げます。
滋賀県の公務員である滋賀県警の警察官に対しては、大きくいうと2つの違法を主張しています。被疑者取り調べの違法が1つ目、2つ目は被疑者に有利な証拠の隠蔽です。
被疑者取り調べの違法については、
[1]取り調べを担当した山本誠刑事が、供述弱者である西山美香さんを一種のマインドコントロール下におき、思い通りの供述調書を作成した。
[2]美香さん自身は供述を否認したり、認めたりをくり返していたが、否認調書を作成せず、自白を内容とする供述の調書だけをつくって、裁判所に供述過程の理解を誤らせた。
[3]起訴後は原則として取り調べをしてはいけないのに、自白を維持させる目的で、頻繁に起訴後の取り調べを続けた。
[4]弁護人を美香さんが信頼するのを妨害する目的で、弁護人に対する誹謗中傷などを美香さんにつげ、美香さんが弁護人を信頼できないようにしたことです。
2つ目の証拠の隠匿の違法については、
[1]平成16年3月2日付けの捜査報告書には、滋賀医大西教授自身が、「亡くなった方が痰詰まりで酸素供給が低下し、死亡した可能性が十分にある」と説明したということが書かれていたのに、これを検察官に送らなかった。それにより、検察官の適正な起訴・不起訴の判断を誤らせた。
[2]西教授が、確定審の1審で、証人として供述するにあたり、西教授に対して、この痰詰まりの可能性を否定するように働きかけた可能性があることです。
◆検察官による違法行為
検察官の違法については、大きく2つあります。
1つ目は、捜査段階での違法であり、具体的には1つ目は、起訴・不起訴を決定する権限を適切に行使しなかったことです。検察官の取り調べにおいて、美香さんの犯人性に疑うにたりる十分な事情があることを把握していながら、起訴の判断をしたということ。2つ目は、滋賀県警がさきほど申し上げたような違法な取り調べを続けていたが、そのことは検察官も十分認識していたのに、これを是正させなかったことです。
検察官の違法の2つ目の大きなくくりは、再審開始決定に対して違法に特別抗告をしたことです。なぜかというと、特別抗告をするには特別抗告理由が必要です。検察官の主張内容のうち、判例違反の主張は、明らかに不合理でした。
また、事実誤認は、高裁段階までで提出した証拠に基づいて主張しなければいけないのに、それができないから、検察官は最高裁に新たに証拠の取り調べ請求をしたのです。しかし、最高裁が新たに証拠を取り調べる可能性がないから、事実誤認の主張が通る可能性もなかった。
◆警察、検察の違法行為を具体的に明らかにするために
共に国賠を闘う桜井昌司さん、青木恵子さんが、翌日の美香さんの誕生日を祝って花束を
検察官は、最高裁が特別抗告を受け入れ、再審開始決定を取り消す具体的な見通しがないのに、特別抗告をし、これによって美香さんの雪冤を無意味に1年3ケ月遅らせたのです。本訴においては、これらの警察官、検察官の違法行為によって、美香さんが被った損害を算定した金額から、先般受け取った6,000万円弱の刑事補償金を控除した残金として4,306万3,809円を請求するということになります。
美香さんも含めて我々は、再審無罪が確定してから、国賠を提訴するか否か、ずっと検討してきました。最終的に提訴することにしたのは美香さんの決断ですが、我々弁護団としては、再審公判で警察、検察の違法行為を具体的に明らかにするということが十分にはできなかったので、この国賠によってこれを明らかにしたい。具体的な経緯、理由などを可能な限り明らかにすることによって、大西裁判長が「説諭」で言っておられたように、この刑事事件を契機にして、日本の刑事司法を良くしていく、改善していく力になりたいという思いです。
一昨日(2020年12月23日)、袴田事件で最高裁が原決定を取り消しましたが、あのなかで最高裁の裁判官5人が一致して、みそ樽の中からでてきた衣類は、発見の直前に入れられた可能性があるという認識をしました。要するに証拠の捏造です。誰がしたかというと、静岡県警しかありえない。ということは警察という組織は、自分たちがした行為の正当性を取り繕うためには、証拠の捏造までしてしまう、そういう組織であるという認識を最高裁がしたという点が重要です。
そういう体質が日本の警察に色濃く残っているのであれば、今後も冤罪事件は決してなくならない。やはりそれを変えていかなくてはならないので、そのための力に、この国賠訴訟がなることを目指し、それを願って、今後この裁判に取り組んでいきたいと思います。以上です。(後編につづく)
▼尾崎美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58
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2020年12月29日 カテゴリー COVID-19, 横山茂彦, 社会問題一般
2011年3.11いらい、われわれ国民が異様な年として記憶する2020年になりそうだ。コロナ禍発生の年として、日本のみならず人類史に刻まれることだろう。
今年はクルーズ船のコロナ感染に始まった。記事から引用しよう。
「2週間の拘束となっている豪華クルーズ船ダイヤモンドプリンセスの乗客、3,771人(乗員1,000人余をふくむ)から、新たに3人の感染(累計64人)が判明した。濃厚接触者273人のほかに、70歳以上の乗客(1,000人)には、再検査が行なわれているという」
「バカンスのためにクルーズしていたのに、まるで罪人のように船室に拘禁されるとは、乗船している方々に同情するしかない。報道によれば、船内感染を予防するために、船室から出ることも禁止されているという(窓なし船室の客だけデッキに出られる措置となった)。また、香港でも別のクルーズ船(3,000人乗船)に乗客の下船が禁止されている。日本政府は新たなクルーズ船の入港を拒否する方針だという」(横山茂彦 2020年2月9日)
当初、その論調はクルーズ船の乗客たちを「棄民」化する政府の無責任を指弾するものだった。ところがこのクルーズ船には、とんでない秘密があったのだ。
「すでにネットでは公然と語られるいっぽうで、マスコミが報じない脱法行為が存在する。いや、すでにその華やかな幕は下りてしまったが、ここ半月ものあいだ繰り返し報じられてきたクルーズ船、ダイヤモンド・プリンセスに秘められた、とんでもない事実があるのだ」
「外国船籍であり、なおかつ公海上に出るという外洋クルーズによって、可能となっていたのがカジノである。比較的低価格で乗船できるプリンセスクルーズの場合、日本人客にカジノを体験させ、その上がりでペイするという側面もあったのではないか。とりあえず、ダイヤモンド・プリンセスがカジノ船であったことを、ほかならぬプリンセスクルーズのホームページから引用しよう」(横山茂彦 2020年3月9日)
けっきょく、クルーズ船から感染者を降ろすことで、市中に感染症がひろがった。台湾やベトナム、発生地とされる中国武漢、あるいは韓国でPCR検査がほぼ完全に実施されるなか、日本政府は後手を踏んだのである。
「感染の疑いを感じている国民が、PCR検査を受けられないという事態がつづいている。かかりつけの医院から検査機関に連絡をしても、中国武漢・湖北省の旅行歴がなければ受けられない。民間に検査をさせないから、旅行歴の基準を充たさない感染者が重篤に陥っているのだ」
「そしてこの事態に危機感をもった、元感染研の岡田晴恵教授が悲痛な告発をしたことが話題になっている。『これはテリトリー争い』『感染研のOBの一部が、自分たちのデータにしたいから、民間での検査をさせないんです』(テレビ朝日羽鳥慎一モーニングショー)というものだ。本稿の冒頭に、ICTVとWHOが新型コロナの学名を、それぞれ独自に発表しているように、医科学界は縄張り主義がつよい。かれらの功名(権威の獲得)や利権(予算の獲得)が国にとって、何の益をもたらさないのは言うまでもない」(横山茂彦 2020年3月3日)
このあと、春のゴールデンウェークにかけて自粛、さらには緊急事態宣言が発せられ、いったんコロナ禍は沈静化にむかう。
鹿砦社および支援者たちが取り組んできた、カウンター大学院生リンチ事件(別称「しばき隊リンチ事件」)がほぼ決着をむかえた。これも2月の記事から引用したい。
「カウンター大学院生リンチ事件」と呼び、巷間では「しばき隊リンチ事件」と呼ばれる、大学院生M君に対するリンチ事件で、ようやく確定判決で認められた賠償金が、金良平氏の代理人に就任した神原元弁護士からM君の代理人大川弁護士に振り込まれました。当初の代理人は別の弁護士でしたが、今年になり、なぜか代理人が交替しましたけど、まずはこの事件の一つの区切りといえる」(鹿砦社特別取材班 2020年2月7日)
そして検証作業が行なわれたので、ふり返ってみることにしたい。
◎【「カウンター大学院生リンチ事件」(別称「しばき隊リンチ事件」)検証のための覚書1】朝日新聞・阿久沢悦子記者の蠢きと、「浪花の歌う巨人」趙博の突然の裏切りについて(松岡利康 2020年4月27日)
◎【同2】みんなグルだった!? (松岡利康 2020年5月25日)
◎【同3】闘いはまだ終わってはいない!「唾棄すべき低劣さは反差別の倫理を損なう」!(松岡利康 2020年5月28日)
◎【同4】闘いはまだ終わってはいない!(2)私は血の通った一人の人間としてM君リンチ事件(被害者救済・支援と真相究明)に関わってきた(松岡利康 2020年5月30日)
◎【同5】闘いはまだ終わってはいない!(3) 真実を偽造させない!(松岡利康 2020年6月3日)
◎【同6】闘いはまだ終わってはいない!(4) 李信恵「陳述書」を批判する-01(松岡利康 2020年6月5日)
◎【同7】闘いはまだ終わってはいない!(5) 李信恵「陳述書」を批判する-02(松岡利康 2020年6月8日)
◎【同8】闘いはまだ終わってはいない!(6) 李信恵「陳述書」を批判する-03(松岡利康 2020年6月10日)
◎【同9】闘いはまだ終わってはいない!(7) 李信恵「陳述書」を批判する-04(松岡利康 2020年6月12日)
◎【同10】 闘いはまだ終わってはいない!(8) 平気で嘘をつく人たち(松岡利康 2020年6月16日)
◎【同11】 闘いはまだ終わってはいない!(9)平気で嘘をつく人たち(2)~ 野間易通の場合(松岡利康 2020年6月20日)
◎【同12】闘いはまだ終わってはいない!(10)平気で嘘をつく人たち(3)~ 再び李信恵の場合(松岡利康 2020年6月22日)
◎【同13】闘いはまだ終わってはいない!(11) 平気で嘘をつく人たち(4) ~ 師岡康子の場合(松岡利康 2020年6月25日)
安倍政権をゆるがす、総理の犯罪の実態があきらかになってくる。安倍長期政権は極右政権という印象とともに、第一次政権がそうであったように、お友だちを大切にする利権政権でもあった。その典型例が森友・加計学園であり、桜を見る会であろう。単に利権を友だちと分け合うならば実害は少ないが、わたしは間違ったことをしていない、と強弁することで不要な忖度を生み、犠牲者を出してきたのである。3月の記事から引用しよう。
「赤木氏の遺書が明らかになり、その遺書に対して『新たな事実はない』『再調査を行うつもりはない』と開き直る安倍総理。遺族(赤木氏の妻)の『自殺の原因は、安倍総理の発言を佐川理財局長(=当時)が忖度した』という主張に対しては、赤木氏が遺書に書いたわけではない、と切り捨てる安倍総理。そして野党議員の追求をかわす総理のかたわらで、ニヤニヤしながら笑みを見せている麻生財務相。憤死した死者に鞭打つかのような冷酷さに、国民の怒りは頂点に達しているといえよう」
「赤木さんの妻は23日に2度目となるコメントを発表した。そのなかで『怒りに震える』と感情をあらわにしている」
「今日、安倍首相や麻生大臣の答弁を報道などで聞きました。すごく残念で、悲しく、また、怒りに震えています。夫の遺志が完全にないがしろにされていることが許せません。もし夫が生きていたら、悔しくて泣いていると思います」
「新型コロナウイルスが猛威をふるう中、政府および自治体がイベントや花見の自粛を国民に求めている状況下、昭恵夫人はレストランで多人数の花見に興じていたというのだ(「週刊ポスト」)。総理夫人が花見に興じているいっぽうで、国民には外出の自粛を強要し、花見ができる公園を封鎖する政府に、なぜ従わなければならないのだろうか」(横山茂彦 2020年3月31日)
そして安倍総理は、みずからが訴追されることを怖れて、三権分立を掘り崩す暴挙に打って出る。検察人事への介入である。
「これほど法案反対が国民的な運動になったのは、いつ以来だろうか。いうまでもなく、検察定年延期法案(検察庁法改正)に対する批判である」
「ネット上では法案反対の声が1000万ツイートにもおよび、安倍政権への国民の怒りを象徴している。小泉今日子や東ちづるなど、国民的人気の芸能人が反対を訴えることで、コロナ不作為とはまた別の意味で、安倍政権の致命傷となりそうな気配だ。政府は強行採決も辞さない構えだが、そのことが「消えた年金」以来の自民党凋落の予兆となることを、ここに指摘しておこう」
「とくに安倍政権にというよりも、官房長・事務次官時代をつうじて、政権一般に協調的・親和的といわれる黒川弘務検事長の定年延長(閣議決定)を、安倍総理はさりげなくやったつもりだった。森友・加計・桜を見る会という具合に、総理自身の利益供与、公職選挙法違反という刑事訴追の可能性も浮上してくる中、おそらく軽い気持ちでやったのではないか。じっさい、市民運動家や弁護士による安倍総理刑事告発が、複数回にわたって官邸を悩ませてきた」
「しかしそれは、卑怯な戦術として国民の目に映った。国民の目には、官邸が訴追を怖れるあまり、三権分立を侵す検察官の人事権を掌握する挙に出たと映ったのは、あまりにも当然のことだった」
「黒川検事の定年延長をきめた閣議が法的担保のない、行政行為(法解釈の変更)であるのとは違って、停年延長法は検察に対する官邸の優位を決定づける。もはや形式的な任命権。すなわち検察官を内閣の指名により天皇が任命するという、法手続きの域を超えてしまうがゆえだ。まさに訴追権を時の政権が掌握するという、ナチス政権ばりの独裁法(全権委任法)である」
「それゆえに、松尾邦弘元検事総長は『内閣による解釈だけで法律の解釈運用を変更』することが『フランスの絶対王政を確立し君臨したルイ14世の言葉として伝えられる『朕は国家である』という中世の亡霊のような言葉を彷彿とさせるような姿勢であり、近代国家の基本理念である三権分立主義の否定にもつながりかねない』とまで安倍政権を批判しているのだ」(横山茂彦 2020年5月17日)
しかし、民意は安倍政権を追い詰めた。国民は訴追逃れの卑劣な法案を葬り去ったのである。(横山茂彦 2020年5月19日)
いっぽう、コロナ禍による影響はスポーツ界にも波及していた。安倍首相の緊急事態宣言後のキックボクシング界の経営難をレポートする。
「キックボクシングに限らず、多くの競技が先行き未定の興行中止や延期となり、ジムが自粛休業された所属選手は試合出場を目指して、今は出来る範囲でひたすら身体が鈍らないように自己練習に明け暮れる日々」
「自粛休業も、賃貸で経営するジムは家賃・光熱費が大きな負担となってくるので、経営難に陥るジムも出てくることが懸念されています」
「昭和50年代後半のキックボクシング低迷期、国内で興行予定が立たない団体と各ジムは、香港でのキックボクシングブームに乗って選手の遠征試合を重ねました。また時代を問わず、選手個人はタイへ修行に出掛け、たとえタイの田舎の無名なリングでも勧められれば臨んで出場していました。でも現在は、タイに入国も労働許可証を持った者のみと制限されている上、どこの国にも遠征することも難しい現状です」(堀田春樹 2020年4月26日)
滋賀医科大学附属病院問題において、不当判決がくだされた。
「4名の患者及びその遺族が、滋賀医大附属病院泌尿器科の河内明宏科長と成田充弘医師を相手取り、440万円の支払いを求める損害賠償請求を大津地裁に起こした(事件番号平成30わ第381号)事件の判決言い渡しが、14日大津地裁で15時からおこなわれた」
「西岡前裁判長の転勤にともない、裁判長となった堀部亮一裁判長は『主文、原告らの請求をいずれも却下する』と飄々と短時間で判決言い渡しを終えた。退廷しようとする裁判官に向かい傍聴席から『ナンセンス!』の声が飛んだ」
「この事件の期日には、これまで『患者会』のメンバーが裁判前に集合し、大津駅前で集会を行ったのち傍聴を埋めるのが常であったが、判決日は折からの『新型コロナウイルス』への配慮から、『患者会』は集会や傍聴の呼びかけをおこなわなかった。したがって本来であれば判決を裁判所の外で待ち受けていたであろう、約100名(毎回裁判期日には100人ほどの人が集まっていた)の姿はなく、静かな法廷のなかで冷酷無比な判決言い渡しの声が響いた」(田所敏夫 2020年4月16日)
「紙の爆弾」が創刊15年をむかえた。東西で祝賀パーティーが開かれ、同誌の役割の大きさが確認された。
「15年前の4月7日、『紙の爆弾』は創刊いたしました。2005年のことです。新卒で入社した中川志大(創刊以来の編集長)は、『噂の眞相』休刊(事実上の廃刊)後、約1年間、取次会社に足繁く通い、取得が困難とされる「雑誌コード」を取得し、『紙の爆弾』は創刊いたしました。創刊号巻頭には、悪名高い「〈ペンのテロリスト〉宣言」が掲載され、独立独歩、まさに死滅したジャーナリズムとは違った道を歩み始めました。創刊部数は2万部でした。4月7日、『紙の爆弾』創刊15周年! 創刊直後の出版弾圧を怒りを込めて振り返ると共に、ご支援に感謝いたします!」(松岡利康 2020年4月6日)
コロナ禍のなかで、路上生活者には過酷な日々が続いている。新宿における生活防衛の闘いをのレポートを引用する。
「新型コロナウイルス感染拡大を防ぐため、東京都はネットカフェにも休業を要請した。安定した住居を持たずネットカフェなどで生活する『ネットカフェ難民』は、2018年から2019年にかけての東京都の調べによると約4000人。文字通り路上生活を余儀なくされている人に加え、24時間営業のファストフード店やネットカフェが休業してしまえば、そこで寝泊まりする人々が路上にたたき出されてしまう恐れがあった。そこで、ホームレス支援30団体以上が協力して『新型コロナ災害緊急アクション』を結成。東京都に緊急支援を要請してきた。その結果、施設休業で済む場所を失った人をビジネスホテルに一時滞在できるようになっていった。……中略…… コロナ災害の状況では、就職先が確保されたなどというのは少数で、多くの人は野宿を強いられている可能性がたかい」(2020年林克明 2020年6月26日)
(下半期につづく)
▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。
月刊『紙の爆弾』2021年1月号 菅首相を動かす「影の総理大臣」他
渾身の一冊!『一九七〇年 端境期の時代』(紙の爆弾12月号増刊)
『NO NUKES voice』Vol.26 小出裕章さん×樋口英明さん×水戸喜世子さん《特別鼎談》原子力裁判を問う 司法は原発を止められるか
4名の患者及びその遺族が、滋賀医大附属病院泌尿器科の河内明宏科長と成田充弘医師を相手取り、440万円の支払いを求める損害賠償請求を大津地裁に起こした(事件番号平成30わ第381号)事件の判決言い渡しが、14日大津地裁で15時からおこなわれた。
西岡前裁判長の転勤にともない、裁判長となった堀部亮一裁判長は「主文、原告らの請求をいずれも却下する」と飄々と短時間で判決言い渡しを終えた。退廷しようとする裁判官に向かい傍聴席から「ナンセンス!」の声が飛んだ。
この事件の期日には、これまで「患者会」のメンバーが裁判前に集合し、大津駅前で集会を行ったのち傍聴を埋めるのが常であったが、判決日は折からの「新型コロナウイルス」への配慮から、「患者会」は集会や傍聴の呼びかけをおこなわなかった。したがって本来であれば判決を裁判所の外で待ち受けていたであろう、約100名(毎回裁判期日には100人ほどの人が集まっていた)の姿はなく、静かな法廷のなかで冷酷無比な判決言い渡しの声が響いた。
判決言い渡し後、滋賀弁護士会館で記者会見がおこなわれた。当初は16時開始予定であったが、諸事情で開始が16時半過ぎへとずれこんだ。井戸謙一弁護団長が判決を解説した。
この日の判決を解説する井戸謙一弁護団長
「今回の判決は現実に起こった人権侵害を救済しなかった点で、不当な判決であると考えています。判決を30分ほどで読んだばかりで、弁護団としての見解は定まっていませんが、私の評価を申し上げさせていただきます。この事件は説明義務違反を理由とする損害賠償請求事件で、実際に施術しようとした成田医師が小線源治療の経験がなかった。そして同じ病院内で大ベテランである岡本医師の治療をうけることができる、と説明しなかった。説明義務違反が違法であると、その損害の賠償を求めた事件です。一般的に成田医師が小線源治療をしようとした患者に対して、同じ病院内で別のベテラン医師の治療を受けることができる。ということについて説明する義務があるかどうかということについて、裁判所の判断は『すべての患者に対して、一律に他の選択可能な治療として、岡本医師による小線源治療を説明しなければ、説明義務違反になるとはいえない。あくまで患者の意向、症状、適応などを踏まえ、個別に診療計画上の説明義務の存否を判断する』というのが判断です。一律に説明しなくともよい、個別の事情によっては説明する必要がある、そういう判断です。
なぜそういう判断になったのかについては、かなり細かい事実を認定し、かつああでもない、こうでもないといろんなことを検討しています。その中で『一律に他の選択可能な治療として説明の必要がない』を導いた理由としては、成田医師が行おうとした手術方法。これは成田医師と放射線科の河野医師がペアで行います。成田医師は小線源治療の経験がないとしても前立腺癌についてはベテラン医師である。河野医師は放射線医師として多数の症例を持っているということで、この二人が行おうとした治療は『大学病院での小線源治療の医療水準を満たしている』という判断をしています。彼ら行おうとしていた手術が、医療水準を満たしていたのかどうか、という問題提起を(原告は)していなかったのですが、裁判所は『医療水準を満たしている』と判断しています。
補助参加人として判決を傍聴した岡本圭生医師
一方で岡本医師による岡本メソッドは、『成田医師たちが行おうとしていた治療とは質的に異なる治療である』と述べています。岡本メソッドにについて被告側は、裁判の中でその評価を貶めて、誹謗しようとしてきたわけですが、それについて裁判所は採用していません。河野医師は小線源治療は『放射線医がしっかりしていればいいんだ。泌尿器科医が放射線医の指示通り針を刺すだけでよいので、泌尿器科医の役割は小さなものだ』との趣旨の証言をしましたが、それについても裁判所はその考え方を採用していません。
ただ成田医師が行おうとしていた治療と、岡本医師が実施していた治療は同一病院内の選択可能な治療、という位置づけになっており、ここの理屈がわかりません。『質的に違う』と言っているわけです。
そのあとに4名の原告の方の判断ですが、お二人の方は『岡本医師の治療を受けたい』ということで滋賀医大にかかられたかたです。しかし岡本医師にまわされないで、成田医師が治療をしようとしていたのですが、このお二人については『説明義務はあった』と認めています。ただそれでも請求が棄却されているのは、結果的に岡本医師の治療を受けることができた。これにはいろんな経緯があったわけですけども。結果的に岡本医師の治療を受けることができたのだから、損害はないでしょうという評価のようです。
あとのお二人については『法的な説明義務違反までは認められない』という判断です。ただ『道義的にはともかく』という言葉がついているので、医師の倫理上は説明すべきであったと、暗に裁判所としては言いたいようです。
非常に残念なのは、この判決の『説明義務』のとらえ方が非常に狭いことです。質的に異なる治療方法が同一病院内であるわけですから、説明して患者が選択する機会を与えるべきである。それが患者の自己決定権を保証する医師の責務であると考えます。裁判例でも説明義務の範囲は、どんどん拡張される流れにある中で、説明義務違反の範囲を非常に狭くとらえたのは、大変残念な判決だと思います。
もう一点は、説明義務違反を認めていながら、結果的に岡本医師の治療をうけることができたから、損害はないだろうという判断です。結果的に岡本医師の治療が受けられたといっても、岡本医師の問題提起があったから岡本医師の治療を受けることができた。それがなければ岡本医師の治療を受けることができなかった可能性が高いわけで、原告の精神的・心理的な苦痛が法的保護に値しない、ということです。しかしそれは、精神的損害のとらえ方を非常に狭く評価するものであって、この判断も承服しがたいものがあります。
判決全体としては、被告が一番力を入れていたのは『治療ユニット論』というもので、成田医師が行おうとしていた治療は、岡本医師をリーダーとするチーム医療、医療ユニットとして計画されていたのだから、成田医師が自分が未経験だと説明する義務はなかった。これが一番被告が力を入れていた主張です。しかし、それについて裁判所は、その主張は採用していません。岡本メソッドの評価を低からしめようとした主張にも、裁判所は乗っていません。ですから主な事実認定についてはこちらの主張が取り入れられています。成田医師が『小線源治療をあまりやる気がない』と発言した事実も取り上げられています。いろんなところでこちらの主張は取り上げられているのですが、結論として説明義務違反のとらえ方が狭く、かつ損害のとらえ方が狭い。請求棄却との判断になった。そのことにより中身的にはこちらの主張を取り入れたにしても、患者の人権救済の役割を果たさなかった。極めて残念です。」
ついで、この日法廷で判決を聞いたAさんが感想を述べた。
法廷で判決を聞いたAさん
「意外な判決だと感じました。この裁判で私は3つ課題があり社会に訴えたいと考えております。一つ目は(成田医師が)未経験であって施術しようとしたこと。私が知らないことをいいことに、モルモット扱いしているという点です。こういうことが許されてよいのか。これが説明義務違反です。医師の育て方に問題があるのではないか。二つ目はその事実を私が知ったのは、岡本先生の内部告発によってです。それによって救われました。しかし日本の社会ではまだ人権が守られない。権力の暴走を止められない。三つめは岡本医師が、職を賭して阻止してくれ、23人の手術をしてくれ、(仮処分勝利により)待機患者50数名の命を救ったことです。敬意と感謝の念に堪えません。ありがとうございました」
その後に、補助参加人としてこの日も判決を傍聴した岡本圭生医師からのコメントがあった。
わたしはこの裁判を提訴から判決まですべて傍聴してきた。この原稿も予定稿では原告勝利を前提としたものを準備していた。
14日大津地裁に早めに到着し、裁判長が変更になっている(転勤はあらかじめ告げられてはいたが)担当表を見て、嫌な予感が浮かんだ。法廷で「原告の請求を原告らの請求をいずれも却下する」との裁判長の声をきいたとき、思わず「えっつ!」と声を出してしまった。
井戸弁護士の解説にある通り原告側の主張が、かなり取り入れられているとはいえ、法廷での証言内容や態度を考えると被告たちには、主文にしか注意を向けないだろう。民事の裁判では法律家には理解できても、一般市民感覚では「訳の分からない」文章や判断が横行する。そういった判決や裁判官に当たるたびに、裁判所や司法への信頼は薄れ、司法への期待も希薄になる。そういった意味では、結果ゼロ回答の判決を出した、この裁判の合議体はわたしにとって、「また司法への信頼を限りなく低減した」裁判官たちであった。判決言い渡し後に法廷に響いた傍聴者の声に、私も同意する。
ナンセンス!
◎カテゴリーリンク《滋賀医科大学附属病院問題》
▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。
最新刊!月刊『紙の爆弾』2020年5月号 【特集】「新型コロナ危機」安倍失政から日本を守る 新型コロナによる経済被害は安倍首相が原因の人災である(藤井聡・京都大学大学院教授)他
前立腺癌治療の過程で、主治医が治療方針を十分に説明しなかったとして、4人の患者が滋賀医科大病院の2人の医師を訴えた裁判の本人尋問が、17日、大津地裁で行われた。
この日、出廷したのは原告の4患者と彼らの主治医だった被告.成田充弘准教授、それに成田医師の上司にあたる被告.河内明宏教授である。これら6人の本人尋問を通じて、成田.河内の両医師に説明義務違反があったとする原告らの主張が改めて裏付けられた。裁判はこの日で結審して、判決は来年の4月14日に言い渡される。2018年8月に提訴された滋賀医科大事件の裁判は終盤に入ったのである。
裁判前(2019年12月17日)
裁判所に入る前の岡本医師(2019年12月17日)
◆事件の経緯
事件の発端は、滋賀医科大が放射性医薬品会社の支援を得て、小線源治療の研究と普及を目的とした寄付講座を設けた時点にさかのぼる。2015年1月のことである。寄付講座の特任教授には、この分野で卓越した治療成績を残している岡本圭生医師が就任し、泌尿器科から完全に独立したかたちで小線源治療を継続することになったのだ。
これに対して一部の医師らによる不穏な動きが浮上してくる。泌尿器科の科長.河内教授と、彼の部下.成田准教授が岡本医師の寄付講座とはまったく別に、新たに小線源治療の窓口を開設し、泌尿器科独自の小線源治療を計画したのである。この裁判の原告となった4人は、医師の紹介や滋賀医科大病院の総合受付窓口を通じて成田医師らによる「泌尿器科独自」の小線源治療計画へ「案内」された。大学病院の闇を知らないまま被告.成田医師の治療を受けるようになったのである。
だが、成田医師には小線源治療の臨床経験がまったくなかった。手術の見学も1件しかなかった。当然、インフォームドコンセントで、成田医師のそのような履歴を知らされなかった原告らにすれば、自分たちが手術の手技訓練のモルモットにされかけていたことになる。
4人の癌患者は本来であれば寄付講座の方へ「案内」され、小線源治療のエキスパートである岡本医師の担当下におかれるべき人々であった。少なくとも成田医師らには、4人が岡本医師の治療を受ける権利と選択肢を持っていることを説明する義務があった。それを成田医師らが怠り、しかも、この点を批判された後も謝罪しなかったことが患者らを怒らせ、提訴を決意させたのだ。
原告の主張に対して被告は、「泌尿器科独自」の小線源治療は、岡本医師を指導医とする医療ユニット(チーム医療)として位置づけられていたから、岡本医師の治療を受けるオプションを患者に提示しなかったことをもって説明義務違反に該当するとは言えないというものだ。
◆泌尿器科への誘導と独立した治療
2015年1月に「泌尿器科独自」の小線源治療の窓口を、寄付講座の窓口とは別に河内医師らが開設した合理的な理由について、原告の井戸謙一弁護士は、河内医師を尋問した。裁判長も職権を行使して、河内医師があえて窓口を2つにした理由について説明を求めた。しかし、河内医師は明快な回答を避けた。
岡本医師自身がチーム医療の観点から「泌尿器科独自」の小線源治療に関わっていたかどうかという点については、竹下育男弁護士が成田医師を尋問した。これに対して成田医師は、いずれの患者ケースにおいても、治療方針の決定に岡本医師の指示を受けたことはなかったことを認めた。
尋問を通じて岡本医師は泌尿器科独自の小線源治療からは基本的には除外されており、2つの窓口と体制は、相互に依存したチーム医療と断定できるだけの接点がないことが判明した。メールでのやりとりは若干あったが、かえってそれらの証拠は、岡本医師を「外部の人」として認識していた成田医師の立ち位置を明確にした。
ちなみに成田医師はみずからが小線源治療の未経験医師であることを患者に伝える義務に関して、第1例目の手術を施す患者については未経験の事実を伝えなければならないが、2例目以降は伝える必要はないとも証言した。
◆刑事事件についての尋問も
繰り返しになるが、この裁判の争点は4人の患者に対する説明義務違反の有無である。争点としては単純だ。ところが裁判進行の過程で被告側は、争点とはあまり関係のない主張を延々と繰り広げた。岡本医師に対する人格攻撃や岡本メソッドそのものの優位性を否定する主張を繰り返したのである。
それにより岡本医師による治療についての説明責任を果たさなかったことを正当化しようとしたようだ。この論法の裏付けを探すために被告らが起こした事件についても、井戸弁護士は尋問した。たとえば河内医師が岡本医師の患者らのカルテを無断で閲覧し、岡本メソッドによる合併症の例をしらみつぶしに探そうとした件である。
これについて河内医師は、みずからが泌尿器科の科長職にあるので、前立腺癌患者のカルテ閲覧が許されるとの見解を示した。しかし、法律上はそのような権限は認められていない。カルテを閲覧できるのは主治医と患者本人だけである。
また、成田医師を併任准教授として、寄付講座へ送り込むために作成された公文書に、岡本医師の承諾印(三文判)が本人の承諾を得ずに押されていた件(既に刑事告発受理済み)に関して、井戸弁護士は河内医師の関与を問うたが、河内医師はそれを否定した。そのうえで、この公文書は秘書らにより無断で作成されたものである可能性を証言した。河内氏の証言に、傍聴席からは失笑がもれた。
◆記者会見
尋問が終了した後、原告団は記者会見を開いた。発言の趣旨は次のようなものである。
記者会見での井戸弁護士(2019年12月17日)
【井戸謙一弁護士】
この訴訟で被告側は、岡本医師が特異なキャラクターの人物であり、岡本メソッドももとより存在せず、むしろ問題のある治療なんだという主張を前に押し出す戦略で臨んできています。この点をどう崩していくかが鍵です。相手は自分が嘘を言っていましたとは認めません。ですから言っていることの整合性の無さを浮彫にすることが大切です。
いくら岡本先生のキャラクターがトラブルの原因だと主張しても、構造的に主張がかみ合わないところが出てきます。それが最も露骨に分かるのは、泌尿器科へ患者を誘導した問題です。 岡本先生に成田医師を指導させるチーム医療の枠組みであれば、岡本先生が全患者の症例を見て、 初心者には簡単な症例の患者を担当させて治療させるのが道理です。治療方法の適用についても、互いにディスカッションしながら決めていく。それが一番自然なチーム医療であるはずなのに、実際には河内医師が成田医師の担当患者を決めていました。こうした枠組みが被告の主張に整合性がないことを浮き彫りにしています。
岡本メソッドの優位性を否定する被告の主張に関しては、3つのポイントから問題点を指摘しました。まずカルテの不正閲覧問題です。医療安全管理部がカルテ閲覧をすると決める前の時期に、河内氏がすでにカルテの閲覧をはじめていた事実を確認しました。
次に、松末院長が前回の尋問で2次発癌で死亡した例があると証言したことを受けて、それが不正確な認識であることを指摘しました。病院の事例調査検討委員会では、この患者のケースを因果関係不明と認定しています。それにもかかわらずこの死亡例を裁判で持ち出してきて、岡本メソッドの攻撃に使ったのです。
さらに病院のホームページで公開された医療機関別の前立腺癌非再発率比較表の問題。このデータを根拠に河内氏は、岡本メソッドの優位性を否定しています。これについては、松末院長は、比較対象患者のリスクレベルが大きく異なるのに単純に比較するのは適切ではないことを最終的に認めました。この問題についても河内医師を追及しました。
偽造文書の問題も取り上げました。これは成田医師を併任准教授にするために必要な文書で、河内医師と岡本医師の三文判が押してありますが、岡本医師は押していないと言っています。いま、この文書が公文書偽造だということで問題になっています。わたしは河内医師が、そのハンコは自分で押した、あるいは秘書に押させたと答えると思っていましたが、それも否定しました。秘書が勝手に作成したことにして、自分は関知していないということで押し通しました。この弁解には、驚きました。これについて被告の代理人は、定型的な文書はそういうこともあると念押ししていましたが、裁判所はその不自然さを認識したと思います。
【竹下育男弁護士】
成田医師の反対尋問を担当しました。反対尋問は簡単に成功しないことがままあります。相手が嘘を言ったときに、嘘を言っている証拠を示すことができるとは限らないからです。この裁判では、成田医師と塩田学長に関する裏付け証拠が多くあるので、それを有効に活用できるかどうかプレッシャーがありました。
成田医師と岡本医師の間で交わされていたメールは、有力な証拠になるものが多い。たとえば岡本先生が成田医師に対して、外来で治療方法の適応を検討するものだと思っていたという趣旨のメールを送ったところ、成田医師はそれは必要ないという返事を返しています。積極的に岡本医師のチーム医療への関与を拒んでいるようなメールが他にも何通かありました。
これについて成田医師は、言い訳をしていますが、どれも不自然です。その不自然さをアピールできれば戦略としては成功です。
また原告の治療方法の検討にあたって、岡本先生の意見を求めたことがないことも明らかになりました。
記者会見での岡本医師(2019年12月17日)
【岡本圭生医師】
本日、最後に提出しました河野陳述に対する弾劾陳述について説明しておきます。ありがたいことに裁判所はそれを受理してくれました。河野医師は、滋賀医大の小線源治療は、90%以上が河野医師の実力によってやっているとか、岡本などいなくても大丈夫だとか、だれがやっても同じだという陳述をしていますが、それほど単純なものではありません。
小線源治療では、テンプレートという網の目の奥にある前立腺に針を刺すのですが、その際、ミリ単位の調整を必要とします。 針を器具で微妙に触って1ミリ、あるいは2ミリの調整をするのです。きれいに会陰に針をさす必要があります。針を刺すことで前立腺が変形したり出血したり、動いたりすればダメです。いわばリンゴの皮を片手でむくような作業が必要なのです。河野医師はそれをやっているわけではありません。画面上で見ているだけで、微調整しているのはわたしです。 ですから河野医師が言うように、おおざっぱなことをやっているわけではありません。
河野医師は岡本メソッドなるものは存在しないと言いますが、「10のステップ」という冊子があります。これに従って2013年からずっと小線源治療をやってきたわけです。これには特別ことは書いていないと成田医師は言っていますが、そうであるなら、全国から医師が見学に来るはずがありません。
患者会の皆さんには、朝からスタンディングをやっていただき、弁護団は素晴らしい追及をしていただきました。この裁判では、医療や病院の内側を知っている人間がいるから、相手を追い詰めるチャンスが生まれたわけです。 一般の人が、医療過誤で戦っても勝ち目はないでしょう。わたしはこうした状況を変えたいと思います。
治療の未経験を患者に告げるべきかどうかよりも大切なことは、説明できることは、全部説明するという善意の姿勢です。意図的に情報を隠すようなことあれば、医療は成り立ちません。この裁判では、人が死亡した事例は扱っていませんが、重要な意味を持っています。ここで負けては医療が成り立たなくなります。市民の手、患者さんの手に医療を戻したいものです。
ちなみにわたしが執筆した中間リスクの前立腺癌に対する小線源治療についての論文が1月に掲載されます。10年間で397例のうち、再発は3例。7年の非再発率は、99.1%です。100人にひとり再発しないことになります。この論文では、中間リスクの症例は、小線源単独療法でやるべきだと結論づけています。論文が掲載されるということは、査読者によって内容が認められたということです。
わたしは12月をもって滋賀医大を去ります。しかし、これは終わりではなく、次のステージの始まりだと思っています。
【原告A】
岡本先生と接するようになって4年になります。先生の治療は革命的だとわたしは思っています。わたしは副作用もなく、いまも元気に働いています。76歳で、いまでも納税しています。これも岡本先生による手術が成功したからです。なぜ、わたしが裁判で戦ったのかといえば、岡本メソッドが革命的な医療であるからです。
これはなくしてはいけない医療です。河内教授がやろうとしているのは、岡本先生の医療を横取りすることです。これが問題の原点です。横取りして、自分の手柄にして、岡本医師を追い出そうという魂胆のようです。こうした状況を許してはいけないということで、裁判を起こし、そして今日の尋問を終えることができました。
【原告B】
わたしは河内医師は、好き放題なことを言っているという印象を受けています。今回、わたしが最も訴えたかったのは、被告が岡本医師の人格攻撃に徹していることについて、それが的外れであるということです。滋賀医科は全人的医療をうたっていますが、これは患者ファーストの意味です。この全人的医療の理念を掲げているのであれば 、患者の命を脅かしたことに対して謝罪し、反省すべきです。
反対尋問の最後の方で、この裁判を岡本医師が扇動したかのような被告側の言動がありましたが、われわれ原告を子ども扱いする発想です。訴訟を進めるうえで、家族や近所の目もあるので、参加できなかったひともおられます。 わたしも、最初は家内が裁判に賛成していませんでしたが、今日は傍聴に来てくれました。裁判を続けられたのも、応援があったからです。
記者会見(2019年12月17日)
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▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
フリーランスライター。メディア黒書(MEDIA KOKUSYO)の主宰者。「押し紙」問題、電磁波問題などを取材している。
月刊『紙の爆弾』2020年1月号 はびこる「ベネッセ」「上智大学」人脈 “アベ友政治”の食い物にされる教育行政他
2019年12月20日 カテゴリー Paix²(ペペ), お知らせ, 松岡利康
本年2019年は、私たちの会社=鹿砦社の創業50周年でした。創業の年は1969年、日本の社会の転換期の頃でした。この年には、1月、東大安田講堂攻防戦に始まり、12月には衆議院総選挙で、小沢一郎、土井たか子、浜田幸一、綿貫民輔、渡部恒三、森喜朗、羽田孜、不破哲三ら、のちの日本の政治に大きな影響を与える政治家が初当選しました。70年安保改訂、沖縄返還(併合!)を前にした学園闘争も、今では考えられないほど大規模で激しかった年でした。
そうした時代状況を背景に、鹿砦社は、戦前からのマルクス経済学者・中村丈夫先生を中心として、天野洋一(初代社長)さんら4人の若者によって創業しました(現在、1人を残し故人)。最初の本は中村丈夫編『マルクス主義軍事論』(初版1969年10月20日)でした。50年後に出版したのは『一九六九年 混沌と狂騒の時代』でした(2019年10月29日発行)。鹿砦社という社名も中村先生の命名です。
鹿砦社は爾来、紆余曲折、浮き沈みの激しい道のりを経て現在まで生き延びてくることができました。私が経営を引き継いで30余年、創業時の志を堅持しているのか変質しているのか自分では分かりませんが、皆様方にさんざんご迷惑をおかけしつつ未だくたばらずにいます。
さて、50周年、何もせず黙々と過ごすことも考えましたが、やはり50年という年月は大変なことで、次の50年まで待つわけもいかません。華美ではなく、逆に貧相でもなく、何らかのメモリアル行事を行い、かつ記念誌も出すことにしました。
◆12・7東京での集まり
東京では、12月7日、東京編集室の近くで、反(脱)原発雑誌『NO NUKES voice』で協調関係にある「たんぽぽ舎」が運営する会議室「スペースたんぽぽ」にて開きました。午後3時から始まり午後8時まで、延々5時間の長丁場でしたが、退屈する人もなく、熱気溢れる集まりでした。当初事前に連絡された方が70名でしたが、蓋が開いてみれば予約なしで参加された方も多く90名ほどの方々にお集まりいただきました。
午後3時丁度に開始しようとしたところ出席者が殺到し受付が間に合わず、少し遅れての開会となりました。第一部の司会を情況出版の横山茂彦さんが行ってくれ、すぐに来年1月18日に、全国の刑務所や矯正施設を回る「プリズン・コンサート」500回を達成する女性デユオ「Paix2(ぺぺ)」のミニコンサートが始まりました。この日は特にノッていて、鹿砦社創業50周年を盛り上げてくれました。感謝!
Paix2(2019年12月7日鹿砦社50周年の集い東京)
その後、初代社長の天野洋一さんはじめ物故者への追悼、これには陰に陽に私たちの活動を支えていただいた納谷正基さんも、ご遺族が出席され追悼できたのは何よりでした。
また、長年、特段に鹿砦社を支えていただいた、中央精版印刷様、サイゾー様、河出興産様ら3社には感謝状と記念の置時計を贈呈させていただきました。河出興産様には、1980年代半ばから当社商品の在庫管理、書店への出品、返本引き取りなどを行っていただいておりますが、1997年の税務調査や、2005年の出版弾圧では、国税や検察が直接訪れ調査・捜査をされご迷惑をおかけしました。3社を代表し中央精版の草刈明代社長(世界的バレリーナ・草刈民代さんの実妹)にご挨拶賜りました。
次いで松岡がお礼の挨拶を行い、賛同人からリレートークに入りました。まずはガンで闘病中にもかかわらず駆けつけていただいたジャーナリスト・山口正紀さんは、辛ければいつお帰りいただいてもいいようにトップに据えましたが、延々5時間、最後までお付き合いいただきました。
山口正紀さん(2019年12月7日鹿砦社50周年の集い東京)
次には山口さんが精魂を入れて取材を続けてこられた滋賀医大病院名医追放反対運動への取材を地元在住の田所敏夫さんと共に引き継いでいる黒薮哲哉さん、ご存知反原発の闘士・小出裕章さん、『週刊金曜日』再建に頑張っておられる植村隆さん、大学の先輩で児童文学作家の芝田勝茂さん……そうして国会の審議の合間を縫って出席された菅直人元首相もご出席、Paix2と一緒に『元気出せよ』では拳を突き上げられました。菅さんは、Paix2の歌声をどう聴かれたでしょうか。
小出裕章さん(2019年12月7日鹿砦社50周年の集い東京)
『週刊金曜日』植村隆さん(2019年12月7日鹿砦社50周年の集い東京)
菅直人さん(2019年12月7日鹿砦社50周年の集い東京)
間を置いて、次に鹿砦社創業4人組の1人で現在『続・全共闘白書』の事務局を務めておられ、最後の追い込み作業の間を縫って参加された前田和男さんが「鹿砦社創業の時代状況と創業の経緯」について話されました。
そうして懇親会に入り、松岡が鹿砦社の経営を引き継ぐ際の立会人でもあった、名うての武闘派・安間弘志さんが乾杯の音頭を取ってくれました。二部の司会をフリー編集者の椎野礼仁さんに交替、飲食をしながらリレートークが続き、賛同人で作家の森奈津子さんら多くの方々が発言されました。リレートークの最後は、最長老のマッド・アマノさんが締めてくださいました。
この集まりの最後は、松岡と共に2005年の出版弾圧に耐え『紙の爆弾』を継続させ再建の一端を担った鹿砦社取締役編集長兼『紙の爆弾』の創刊以来の編集長の中川志大がお礼の言葉を述べ一本締めで、この日の集まりを終えました。たんぽぽ舎の皆様方にお手伝いいただきながら、予想以上に盛り上り、有意義な集まりでした。創業以来小規模のままの鹿砦社ですが、大小問わずメディアの劣化が進む中で、まだまだやるべきことがあり、期待も大きいことを、あらためて感じた次第です。
◆12・12関西での集まり
週を替えて12日には小社のホームグラウンド・西宮で開かれました。Paix2は今回も歌ってくれましたが、当日は名古屋でのプリズン・コンサートを終え西宮に駆けつけてくれました。会場は何度も歌ったことのあるカフェ・インティライミ、プリズン・コンサート300回記念で出版した『逢えたらいいな』特別記念版に付いたDVDはここでのライブ映像を記録したものです。Paix2の映像は、この本のDVDでしか観れませんので、あらためてご購読をお薦めいたします。
関西の集いは、東京と異なり午後6時開会、9時終了の3時間。開会に際し、司会を田所敏夫さんが務め、途中途中で得意の著名人の物真似を挟みながら進行いたしました。まずは賛同人を代表し、鹿砦社の出版活動の理解者の新谷英治教授がご挨拶されました(松岡は新谷教授の推薦で2年間関西大学非常勤講師を務めました)。
次に1995年から顧問税理士を務めれいただいている上能(じょうの)喜久治さんにご挨拶いただきました。日本大学獣医学部を卒業後牧場経営を始めようとしたところ住民反対運動で頓挫、やむなくサラリーマンに転身、経理部に配属され独学で税理士の資格を取られた異色の方です。2人に続き、松岡がお礼を述べPaix2のミニライブに入っていただきました。
Paix2のミニライブも、東京と曲順が少し変更されていましたが、予想通り盛り上がりました。Manamiさん、Megumiさん、ありがとう!
休憩を挟み懇親会へ、最近はワイドショーのコメンテーターとして有名な、元兵庫県警刑事の飛松五男さんが乾杯の音頭を取られ、飲食を摂りながらリレートークが進行しました。
飛松五男さん(2019年12月12日鹿砦社50周年の集い関西)
トップバッターは自称右派、四国から駆けつけてくれた合田夏樹さん、その後、顧問弁護士の大川伸郎弁護士、元裁判官で先輩の矢谷暢一郎さんに判決を下された森野俊彦弁護士、50年前に東大安田講堂に立て篭もった、松岡の同志社大学の先輩にあたる野村幸三さん(彼のグループは5人で参加、怖い先輩方が会長の左の席を占めました。うち2人がなんと安田講堂篭城組で4人が赤軍派に走っています。詳しくは『一九六九年 混沌と狂騒の時代』の座談会をお読みください)、雪印の牛肉偽装を告発し会社崩壊を強いられた西宮冷蔵・水谷洋一社長らの発言が続きました。右派左派問わず参集され、愉快に進行しました。関西は、東京に比べライターさんら出版関係者が少ない分、出席者も東京よりも少なかったですが、それでも50名余りの方々にお集まりいただきました。熱気では東京に負けていません!
参加された皆さん(2019年12月12日鹿砦社50周年の集い関西)
◆当面の方針
私もいまや老境、いささか保守的になり、急激な変更や新規企画など特にありません。まずは、ようやくトントンになり、来年4月に創刊15周年を迎える、小社の旗艦誌の月刊『紙の爆弾』の拡大・発展、この国唯一の反原発雑誌『NO NUKES voice』の継続と黒字化です。メディアの劣化や御用化が進行する中で両誌の役割と存在は(手前味噌ですが)貴重だと言えます。
それから、新年1月18日で前代未聞のプリズン・コンサート500回を迎えるPaix2の活動をさらに支援いたします。これまで私たちは、沖縄にルーツを持つ、私の高校の同級生(故人)がライフワークとして始め志半ばにして没した島唄野外ライブ「琉球の風」も支援して来ましたが、諸事情で終了したこともあり、その力をPaix2にシフトします。その手始めとしてプリズン・コンサート500回記念本を緊急出版いたします。3月頃の刊行予定です。
私も老境に入り、やれることも限られてきていますので、Paix2プリズン・コンサート500回記念本ののちには、「カウンター大学院生リンチ」検証・総括本、『一九六九年 混沌と狂騒の時代』では「草稿」に終わった69年「7・6事件」解明本、70年代回顧本などを本年から来年にかけて編纂しまとめる予定です。
私も今68歳ですが、いちおう70歳で引退予定です。ずっと延び延びになっていますが、早晩後進に道を譲ります。その間に、上記の仕事を完遂させたく思いますが、会社としては、編集長で次期代表予定の中川志大の考えと構想を反映し、これまでの成功と失敗を反省しつつ出版企画を画策したく思っています。
このたび東・西で連続して2つの創業50周年の集いを開いて、皆様方の期待が残っていることを感じ、もう一息二息頑張っていかねばならないなと、あらためて決意した次第です。
今後とも〈小なりと雖も存在感のある出版社〉=鹿砦社をよろしくお願い申し上げます。 以上
鹿砦社代表 松岡利康(2019年12月12日鹿砦社50周年の集い関西)
鹿砦社創業50周年記念出版『一九六九年 混沌と狂騒の時代』
前立腺がんの放射線治療打ち切りを巡り、滋賀医科大学附属病院の医師や治療を望む患者らと、病院側との間で持ち上がった対立に、関係者の証言から迫るドキュメンタリー「映像’19 閉じた病棟~大学病院で何が起きたのか」が6月30日深夜(7月1日午前)0時50分、MBS(大阪市)で放送される。
◎MBSのドキュメンタリー「閉じた病棟~大学病院で何が起きたのか~」
https://www.mbs.jp/eizou/backno/190630.shtml
MBSのドキュメンタリー「映像'19 閉じた病棟~大学病院で何が起きたのか」6月30日深夜(7月1日午前)0時50分放送
滋賀医大病院をめぐる問題については、本通信でも継続的に取り上げてきたが、いよいよ在阪キー局であるMBSが1時間のドキュメンタリーを今夜放送する。
MBSはTBS系の大阪にある放送局だ。歴史的にTBSへの対抗心が強く、これまでも優れた報道番組を多数生み出してきている。滋賀医大病院問題とは関係ないが、わたしたちが子供のころから現在まで続く「仮面ライダー」シリーズをテレビ化したのも、MBSだった。
「映像’19 閉じた病棟~大学病院で何が起きたのか」のディレクター、橋本佐与子氏が、取材班とともに問題の現場へ登場されたのは、今年の早い時期だったと思う。滋賀医大病院問題については、わたしが関わる前から、朝日新聞が継続的に報じていたが、テレビメディアで継続的な取材・報道を続ける局はなかなか出てこなかった。患者会の皆さんは昨年の秋以降、短期間で2万8千筆の署名を集めた。「岡本医師の治療継続」を求める声は、厚労省、文科省、国会議員へ届けられた。その場面にも橋本ディレクターはじめ、MBS取材陣の姿があった。
しかし、まさか1時間もの長編ドキュメンタリーを放送することになろうとは、わたしも考えなかった。大手メディアとは異なり、小さな影響力しか持たないわたしのようなフリーライターにとっても、橋本ディレクターとMBSのアクションは、うれしい誤算だった。この問題を取材し、話すと「ああよくある医学界の話ね」と反応する方が少なくない。正直な感想なのであろうが、こういう問題が「よくある」ことであってはならない、とわたしは痛切に感じる。
たとえば、現在滋賀医大のHP「病院からのお知らせ」には、6月11日に「前立腺がん治療に関する情報提供」が掲載されているが、その内容は国立がん研究センター発表の報告を、明らかに改ざんしたものだ(この問題については6月28日、本通信で【[特別寄稿]滋賀医科大病院が国立がんセンターのプレスリリースを改ざん──岡本メソッドに対する印象操作か?】が黒藪哲哉氏により報告されている)。
こういう明らかな改ざんが、病院長の名前で堂々と行われて問題はないのか?
黒藪氏の報告の中に映像が紹介されている。この映像(https://youtu.be/w3rPzAk9G3E)をぜひご覧いただきたい。
質問をする女性に対して事務職員は、明確に「この資料は国立がん研究センターが作成したものです」と語っている(映像では質問者と回答者の名前も確認することができる。不審に思われる読者諸氏は滋賀医大病院の当該職員に直接確認されたい)。
滋賀医大小線源患者会HP
さらに、6月25日にも「病院からのお知らせ」に、一部明らかな虚偽が掲載された。
続発する問題の発生源、滋賀医大病院を橋本ディレクターはじめMBS取材陣はどのように描き出すのか? 視聴可能区域にお住まいの方は、是非ご覧いただきたい。拙宅にはテレビがないので、わたしは既に知人のお宅にお邪魔する準備を整えた。なお、滋賀医大病院にかかわる問題の総体は、以下のサイトに詳しく掲載されている。引き続き正当な「解決」を見届けるまで、この問題は追及したい。
◎滋賀医大小線源患者会HP https://siga-kanjakai.syousengen.net/
◎ネット署名へもご協力を! http://ur0.link/OngR
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滋賀医科大学附属病院問題 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=68
▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。
創業50周年!タブーなき言論を! 月刊『紙の爆弾』7月号
〈原発なき社会〉を目指して 創刊5周年『NO NUKES voice』20号 【総力特集】福島原発訴訟 新たな闘いへ
田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)
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