通信傍受法の適用拡大次第で携帯電話は容易に「盗聴」される時代へ

1999年、当時勤務していた大学である企画を準備していた時、私は携帯電話による通話を「盗聴」されたことがある。ややデリケートな国際問題にも関係する企画だったので、外務省や政治家との折衝のため霞が関や永田町に何度も出向かねばならなかった。ある時通話が明らかに「盗聴」されたと分かった時には本当に驚いた。まだ「盗聴法」もなかったし、そもそも「携帯電話の盗聴技術」は相当な資力と技術力のある団体でなければ無理だろうと考えていた時代だった。私の通話を「盗聴」したのは、某国の諜報機関であった。日本の捜査機関ではない。わざわざその証拠を私達に解る形で残して行ったから間違いない。

◆1999年にはすでに確立されていた携帯電話の「盗聴」技術

その時、私は議員会館の某議員の事務所で通信社の記者と待ち合わせする予定になっていた。私と彼は共に周りに誰もいない場で、携帯電話により落ち合う場所と時間を確認していたから当事者2人以外にその打ち合わせ時刻と場所を知る人間はいないはずだ。しかし議員の事務所に定刻の15分ほど前に見知らぬ人物が現れて「ここに田所さんが来ると聞いたんですけれども」とだけ言い残し去っていったと秘書に伝えられた。打ち合わせは議員を含め1時間を超えたがその間その人物が戻って来ることはなかった。

私も通信社記者も、もう一度その待ち合わせについて誰か他人に話をしていなかったかを思い返した。かなりセンシティブな内容でもあったので誰にも話していない事が再度確認された。そうであれば可能性としてはどこかで通話を聞かれたと考えるしかない。固定電話の「盗聴」はいとも簡単だけれども、1999年の時点で携帯電話の「盗聴技術」もその筋では確立されていたわけだ。

◆威嚇するかのように尾行され、通信妨害も企てられた

「盗聴」はともかくその時は打ち合わせを終えて、私は次の場所へ徒歩で移動した。ところがどうも背後が気になる。普段感じた事のないような視線のようなものが、勘違いかもしれないが背中に張り付いている。霞が関の昼間は大きなビルが林立する割に舗道を歩く人の数はさほど多くはない。幾度か後ろを振り返るとかなり後方にだが2人が等距離で付いてきている。試しに地下鉄の階段を下るとやはり彼らも距離を詰め、後ろからやってきた。

明らかな尾行であることが判明したが、いかんせん人目の多い場所だ。精神的に圧迫を加えるのが目的だろうが、それ以上に手出しは出来まいと考えたし、実際にそうだった。私は地下鉄のホームから再び地上に上がり次の目的地へ向かった。

だが彼らの攻撃はそれでは終わらなかった。イベント当日私達はゲストの移動や進行の把握に携帯電話での通話を予定していたのだが、電波が弱い地域でもないのに、いくらダイアルしてもどこにもかからない。私の携帯電話だけでなく、連絡を取り合うことになっていた全ての携帯電話(皆至近距離にいたのだが)が通話不能になっていた。

電話会社のシステムトラブルであろうかと、最初考えたが身内の関係者が複数のアンテナを車の後ろに立てた不思議な自家用車が周辺を行き来しているのを発見した。その不審な自家用車が遠ざかると携帯電話の発信が可能となる。また近づいてくると全く携帯電話は使い物にならない。いわゆる「妨害電波」を発信することによって彼らは我々の通信妨害を図っていたのだ。

と、ここまでは私の昔の経験である。読者の中にこれまで「盗聴」をした(されたではない)経験の持ち主はいるであろうか。仮にいても「あるよ!」と名乗り出られることはないであろう。

◆「盗聴」されていることは固定電話よりも携帯電話の方が分かりにくい

私も「盗聴」ではないが、法で定められた範囲で他人の電話会話を「傍受」した経験がある。

日本に電話会社が一つしかなかった時代、そこへ勤務していた時のことだ。当時は電話局と呼ばれていたその場所には「局内」と呼ばれる場所が主として地下に位置していた。電話回線を交換機に結ぶいわば電話機能の心臓部があり、「ジャンパー」と呼ばれる細い線が「収容位置」により各固定電話が認識され、交換機と接続され通話が可能となる仕組みであった。当時電話の交換機には旧型の機械的なものからコンピュータ化された最新型への入れ替えが盛んであり、古い交換機は中国などへ輸出されてもいた。

電話回線は自然災害や不慮の事故がない限り概ね安定的なものであったけれども、時にそれを確認するためにランダムな電話番号を短時間「チェック」(傍受)して安定性を確認する業務があった。勿論「通信の秘密」を厳守すべきことは先輩方から厳しく指導され、その上で業務にあたるわけだが、同時にその場所は新たな固定電話を設置した際に現場から回線が問題なく開通しているかなどの試験を行う場所でもあり、その確認作業も行うので、そこそこ賑やかな場所でもあった。

通話が安定的に保たれているかは交換台に座り所定の手続きを行えば、特定の電話番号を一時的に傍受が可能となり、それにより問題がなければ速やかに切断することになる。私がこの仕事に従事していたのは「盗聴法」が施行されるはるか昔のことだで、この業務は「盗聴」ではなくあくまでも通信回線の安定性を確認するためのものだった。

実は警察や捜査関係者あるいは「犯罪者」でなくとも、固定電話の「盗聴」は技術的にはたやすい。少し電気の知識と技術それに簡単な器具が準備できればさほどの困難なく「盗聴」は可能だ。実際私も前述の企画を進行中に関係者宅が一斉に「盗聴」されて困惑した経験がある。詳細は犯罪防止のために省くが特定の方法で「盗聴」をされると通話の音質が変わり、エコーのような反響が起こるので、予備知識のある人間には直ぐに判明する。だが、「局内」からの「傍受」の際にはそのような通話状態の変化は起こらない。

他方、今日は固定電話よりも携帯電話が主流となっている。携帯電話の「傍受」技術はとうの昔に確立されているだろうが、固定電話と異なり、携帯電話は電波により通話をしているため、話者が「盗聴」をされていても通話音質の変化などで「盗聴」に気が付くことはない。

通信傍受法(犯罪捜査のための通信傍受に関する法律)」により理由づけが行われば誰の電話が「盗聴」されても、技術的にも法的にも不思議ではない時代になった。万が一程度の可能性だろうが注意をするに越したことはない。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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日本の警察大失態──叔父逝去時に遭遇したあまりに稚拙な管理能力

数年前、叔父が風呂場で亡くなった。

極寒の日、従兄弟が電話をかけても返答がないので不思議に感じ、叔父宅を訪ねたところ浴槽の中で既に息絶えていたらしい。従兄弟は救急と警察に電話した後私に急を知らせてきたので、駆けつけた。叔父の亡骸はまだ浴槽の中で警察による「検死」が行われていた。

警察の義務なのだろうか、第一発見者の従兄弟にはかなり詳細な事情聴取が行われ調書も取られた。浴槽内でどのような体勢で叔父が亡くなっていたかなどかなりの枚数の書類を作成していたので、亡骸を布団に安置できるまで発見から4~5時間は要したろう。

◆葬儀の段取りをしている最中、警察が何遍も失礼な家捜しを繰り返す

警察は引き上げ、従兄弟と私は葬儀の段取りなどの打ち合わせや親戚、知人への連絡に忙しくしていると、玄関のチャイムが鳴る。戸を開けてみるとさっきまで検死に従事していた警官のうちの1人が立っていて「ちょっと忘れ物をしたかもしれませんので恐れ入りますが中を見せてもらっていいですか」という。こちらには断る理由はないから家の中に入れるとあちこちをうろうろ探し回っているが、表情に落ち着きがない。しばらくして「ないみたいですわ。失礼しました」と言い残し警官は帰って行った。

私たちは手を止めていた葬儀の段取りの相談を再開する。叔父は病に伏せていたわけではなく体調は崩していたものの急逝の部類に入るだろう。だから従兄弟とて心の準備もなかったのでショックと目前のしなければならない段取りとで神経は相当消耗していた。

あれこれ1つづつ話を進めていると、また玄関のチャイムが鳴る。再び戸を開けると先ほどとは別だがやはり検死に立ち会った警官が「何度も恐れ入ります。もう一度お宅の中を探させて頂きたいのですが」と。

先に何かを探しに来た警官は亡骸を安置している部屋を含めてくまなく「何か」を探して出て行っていた。こちらにすれば身内でもない人間にあまり踏み荒らしてほしくない場所である。同じことをまたしたいのだという。

夜も遅いことだし取り合えず警察官を家に入れたが「いったい何をさがしてはるんですか」と従兄弟が問いかけた「いえ、バインダーみたいな形をした物なんですが…」と答えの歯切れが悪い。検死が終わってもう4時間以上経過しているのに今頃まで何を探しているのだろうか、我々には想像できなかった。しかしこちらは急な不幸に見舞われその対応に追われている最中だ。

先ほどの警察官と同じように亡骸を安置している部屋の中どころか、布団までめくって中を調べている。

「何ですの? 布団かけたのはあんたらが帰ったあとだからその中には何もありませんよ」私は少し不機嫌に言い放った。果たして「バインダーみたいな形をしたもの」は見つからず非礼を詫びて帰って行った。

それから30分も経過しないで三度目の玄関チャイムが鳴る。今度は検死の際に指揮を執っていた刑事が立っている。「何度も夜分申し訳ございません。ちょっとお詫びとお話をさせていただきたいのですが」と。居間に通すと刑事は深く一礼し「実は…」と話を始めた。

刑事によると検死が終了して車で署に帰ったが、検死で作成した調書や書類が見当たらないという。

「どういうことですの?」と私が聞くと「担当者がどこかに置き忘れたんだと思われまして今鋭意探しているところであります」と言う。

◆警察は調書や検死関係書類を「紛失」してしまっていた

最初は刑事の話が飲み込めなかった(そんなばかげたミスがあるとは思わないので、もっと複雑な事情があるのではないかと考えていたのだ)が、要は調書や検死関係書類を「紛失」してしまった、しかもそれが家の中にないし、警察署の中にもない。だから今家から警察署への帰り道を順次探しているのだと言う。

調書には従兄弟の証言が書かれている。いわば「事件性がない」証明の文章だ。と言うことは警察の作文の前提には「もしこの件が事件であったら」の仮定形の文章も含まれる。そんな文章は万が一にも他人様には見られたくはないし、出てこないとなれば余計に気分が悪い。そのほかの書類にしても警察以外の人の目に触れるべき性質のものではない。人の死に関するものなのだ。私は怒りが頂点に達したが従兄弟が「親父の遺体の横だから穏便に」と言うので、押し殺した声で刑事に向かった。

普段は決して部屋の中では吸わない煙草を咥え刑事の顔に煙を吹きかけた。

「あんたら、それミスではすまへんのはわかってるわな。こいつ(従兄弟)を散々絞って長時間かけた調書をどこかで失ったて? 出てこなかったらどうするんや? お? あるいは他人が見たらどうしてくれるんや? さっきから何べんも失礼な家捜し繰り返しやがって。わかってるやろな」

刑事はうつむいて「申し訳ございません。鋭意探しておりますので……」と言うのが精一杯だ。

◆深夜の道路わきを大動員体制で書類を探し続ける黒ジャンバーの警察官たち

腹は立つが、こちらもあれこれ段取りがある。「はよ探せや!」と言って帰らせると私も従兄弟もどっと疲れが出た。家に食べるものもなかったので近所のコンビニまで気分転換に買い物に行こうと言うことになり外へ出た。

道路の両側に50メートルから100メートル毎に黒いジャンバーを着た男たちが4、5人で懐中電灯を照らしている。刑事が言っていたのはこの事だった。家からコンビニまでは400メートルほどだが、その間に数十人は下らない黒ジャンパーの男たちが深夜の道路脇に懐中電灯を向けている。亡くなった叔父は悪戯好きな性格だったので「おっさん、ただでは死なへんな、警察大動員させるなんてさすがやな」と従兄弟と冗談を苦笑しあった。

コンビニからの帰路、一群れの黒ジャンバー軍団に「見つかりそうでっか?」と私は話しかけた。途端に鋭い視線と「何ゆうてるんやあんた!」と言うキツイ調子の言葉が返ってきた。

「何言うてるて、書類なくされた田所やがな」と言うと黒ジャンバー軍団は一気に顔色が青ざめ「大変失礼いたしました、鋭意捜査中であります」と全員が深々と礼をして来た。

「ご苦労さんやな。夜遅くに」言い残すと家に戻った。自宅周辺だけであれほどの人数が配置されているなら警察署に帰るまでの道のりは相当あるから動員は100の単位ではきかないだろう。ひょっとしたら市警だけでは人数が足らず、県警にも応援要請を出しているのかもしれない。こちらも迷惑だが、書類を紛失した警官は立場がないだろう。

◆失態を演じた警官にどんな処分が下されたのか?

空が白み始めた頃玄関のチャイムが鳴った。戸を開けると「あ、ありました!発見しました!」と見たことのない顔が興奮している。

「お宅は誰」と聞くと「失礼しました。××署の△△であります!」と写真の入った身分証明書をこちらに見せた(警察手帳のような形態ではなかった)。「詳しくは後ほど報告するものが参りますので」と言い残し急いで△△氏は去って行った。

夜が明けて説明に来た刑事によると家から3キロほど離れたトンネルの中で書類が散逸している状態で発見されたらしい。見つかった書類を見せられたが確かにタイヤに踏まれた跡が何箇所もある。トンネル内だったので人目には触れていないこと、散逸の原因は検死を終え警官達が車に乗り込む際、書類を持っていた警官が、バインダーごと書類をトランクの上に置いたのを忘れて、車を走らせたためと思われる、と説明があった。

こちらは一睡もせずに朝を迎えたが、検死に関わった警官たちも生きた気がしなかったろう。幸い見つかったから良かったものの、散逸場所が別の場所ならば発見できなかった可能性もあったわけで、そうなれば関係者の処分も格段に重いものになったろう。

その事件があった直後にマスコミに情報を流す選択肢もあったが従兄弟が「今回は穏便に済ませたい」と言うので、それをすることはしなかった。失態を演じた警官にどんな処分が下されたのかは知らない。が、今でも検死の際に指揮を執った刑事の携帯電話の番号は私の携帯電話に残してある。従兄弟の意見を尊重して当該警察がどこであるかも伏せておく。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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就活、婚活、終活──マニュアル過剰世界を捨ててみると見えてくるもの

あまりにも当然なことだけれども、私達は日々「生活」をしている。「生活」の延長線上には、誰にも平等に「死」が待ち受けている。若くて持病もないうちは「死」を意識することはそうそうなないのだけれども、そこそこの年齢になり、友人の逝去や自分の身体の衰えを感じ始めるとおぼろげだった「死」について、嫌でも考えを巡らせる時期がやって来る。

個人的営為の最終章としての「死」くらいは、世相や流行と関係なく我流でお願いしたいと考えても、「終活」というマニュアルが葬儀関連企業や書籍によって示される。仕方がないと言えばそうなのだが、今日生れ出てから「死」を迎えるまで、意識しても、しなくても必ずその周辺に待ち構えている資本や企業や団体、時によっては宗教の食い物にされのを避けるのは至難の業だ。


◎[参考動画]2013年イズモ葬祭CM

◆不合理を隠して進むマニュアル化「就活」「婚活」

発語すれば同じ音である「しゅうかつ」を「就活」と表記した時に、その各段階でリクルートという企業が悪辣な仕組みを立ち上げ、巧みに利益を上げる構造を確立していることは過去にこのコラムで述べた。
「就職活動」が「就活」と言い換えられた時代にリクルートのこの分野での収益構造はたぶん完成していたのだろう。学校を卒業して直ぐに仕事を見つける作業は、その先が企業であれば採用側も、応募側もほぼマニュアル化していて、渦中の人達はその「不合理さ」や「非人間性」に気が付くことはない。


◎[参考動画]2015年リクナビCM(リクルートキャリア)

更に、伴侶探しに市場があると目星を付けた連中は「婚活」という言葉と収益事業を立ち上げた。「結婚相談所」という業種やボランティアは昔から大小含め全国にあったけれども、その業種に漂っていた、どこか「人には言いにくい」心理的側面を「婚活」という言葉で切り落とし、これまた多彩に「お見合いパーティー」や「価値の高い男・女になるために」、異性への話の仕方やデートの方法、果てはプロポーズをするのに適した場所やその言葉まで丁寧に指導してくれる「婚活」セミナーが出現した。

女性が美(と言われているもの)を追及するエステティックサロンは昔から存在したが、近年男性は頭部以外の体毛が嫌われる傾向にあるらしく、脚や腕から始まってヒゲの脱毛も女性の好感を得るには有効との宣伝がある。その手の男性エステの広告には出演料も高かろうにジャニーズのタレントなどが多用されている。

ヒゲなんかを脱毛して皮膚に悪影響はないのだろうか(私が心配する筋合いは微塵もないのだが)、一体いくら取られるんだろうかと、面倒くさい(馬鹿らしい)から取材する気にもならない。どうでもいいのだが、どうしてそこまでして自分自身の価値を一時的な流行、しかも企業が作り出したそれに沿わせようとするのだろうか。


◎[参考動画]2014年ゼクシィCM 広瀬すず篇

◆とめどなく広がりつづける「●活」というマニュアル世界からの離脱

「活」が幅を利かせているのはそれだけではないようだ。まだあまり一般的ではないかもしれないがかつては「胎教」と呼ばれた言葉を「妊活」(妊婦としてどう過ごすか)と言い換えたり、「育活」(要するに育児)なども「活」と言う範疇に囲い込まれようとしている。「現代用語の基礎知識」にはその他「離活」、「朝活」、「保活」、「温活」、「寝活」、「ソー活」、「友活」など、ここまで来るともう訳が分からない「活」が満載されている。

出産も育児も教育も、そして進学も就職も結婚も、更には「死」も、言わば人生の全てが情報商品化の対象となり、折々その周囲に控えている企業や医療機関、教育機関や冠婚葬祭社へのより収益性の向上が見込まれるキャッチコピー「○○活」と名付けられる。薄気味悪い。人生の「総マニュアル化」と言ったら言い過ぎだろうか。

「慶弔ごとは値切らない」という慎ましくも(払わせる側には)ずうずうしい習い性のようなものが長く支配的であったこの島国では「婚活」や「終活」で結局ボッたくられる人が多発しているだろう。「婚活」をしたことはないけれども、少なくないの「葬式」を出した経験から、黙っていると本来支払えばいい額の数倍を要求してくる葬儀業者が少なくないことを不幸にも私は知っている。そんな業者に限って綺麗なパンフレットで生前からの「終活」を勧める互助会などへの勧誘に熱心だ。

◆自分の「生活」を全うすること──誰かに命じられたり誘導されたりしない生活

生活していれば楽しいこと、悲しいこと、嬉しいこと、悔しいこと、様々経験して最後に人生を閉じる。それは似ているようでいても一人一人全く異なる人生史の編纂作業であり、便利で自らの個性に合致した制度やサービスは採用すればよいけれども、企業が利益目的に「これが今トレンドですよ」と誘導する選択肢に人生を委ねるほど、没個性的な事はない。それはまた、遠くかけ離れてはいるけれども「付和雷同」、「事なかれ主義」といった社会態度を底支えするものともなり、さらにうがった見方をすれば、2015年時点での現社会体制=戦争準備の時代に少し加担することにも繋がる、と此処まで言うと極端が過ぎようか。一人一人が誰かに命じられたり誘導されるのではなく自分の「生活」を全うすることが、実は地味に見えて大切なのではないかと思う。

▼田所敏夫(たどころ としお)
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◎沈黙する大学の大罪──なぜこんな時代に声を上げないのか?
◎粗悪な食文化の伝道企業=マクドナルドの衰退は「自然の理」
◎イオン蔓延で「資本の寡占」──それで暮らしは豊かで便利になったのか?

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《大学異論38》「人文社会科学系学部」ではなく、まず文科省を廃止せよ!

ついに文科省が大学へ最終恫喝を始めた。2014年8月、文科省から全国の国立大学へ、「教員養成系、人文社会科学系学部の廃止や転換」が「通達」されていた。これは13 年6月に閣議決定された「国立大学改革プラン」(PDF)を受けたものだ。

「人文社会科学系学部」の廃止とはつまるところ「考える学問を止めろ」と言っているに等しい。学問に冠される名称は今日やや過剰なほど細分化、多彩化しているけれども、太古の昔に立ち戻ればすべての学問は後に「哲学」と名付けられる研究を出自にしている。それが「文学」、「芸術」、「天文」、「数学」と発展してゆき、概ね「人文科学」、「社会科学」、「自然科学」との分類が行われるようになった。

文科省の言う「人文社会科学系学部廃止」は自然科学と一部社会科学(金儲けに直結する社会科学)を除いてその他の学問を「やめろ」と言っているに等しい。「学問殺し」と言っても過言ではないだろう。大学で学問が許されなければそこはもう大学ではない。単なる「国家の要請に応じる研究工場」だ。無茶苦茶もここまで来ると笑うしかない。

◆そのうち「カジノ学部」が設立されかねない状況

上記「『国立大学法人の組織及び業務全般の見直しに関する視点』について(案)」は、学問とは何かを一度も考えたことのない人間が作成したとしか考えられない、読むのも恥ずかしいほど程度の低い内容が満載されている。

「◇組織の見直しに関する視点」では堂々と、

・「ミッションの再定義」を踏まえた組織改革
・教員養成系、人文社会科学系は、組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換
・法科大学院の抜本的な見直し
・柔軟かつ機動的な組織編成を可能とする組織体制の確立

と。ここまであからさまに文科省の本音が示されると、あまりのアホさ振りにかえってスッキリするくらいだ。文科省は近く経産省の傘下に入るか合併されることを望んでいるのだろう。教員養成系、人文社会科学系を廃止すればいったいどれほどの大学・学部が閉鎖されなければならないか。「社会的要請の高い分野」かどうかで大学の教育内容は左右されるものではない。間もなく「カジノ」を認める法案が成立しそうだが、「カジノ」が一大産業になれば「カジノ学部」を設立されても良いと言外にこの「通達」は語っている。また、「戦争法制」成立の暁には「有事研究学部」などを設置申請すれば喜んで補助金が山ほど出るだろう。

◆「経済的に苦しいから私学は無理だが国立ならなんとかなる」という時代の終焉

教育行政で一貫して大学(のみならずすべての学校)の「邪魔者」であった文科省=国の本性が、これで誰の目にも明らかになったという点においてのみ、この破廉恥極まりない「通達」は意味を持つかもしない。

続く「◇業務全般の見直しに関する視点」では、

(1)教育研究等の質の向上
・学生の主体的な学びを促す教育の質的転換
・社会貢献・地域貢献の一層の推進
・人材・システムのグローバル化の推進
・イノベーション創出(大学発ベンチャー支援)
・入学者選抜の改善
(2)業務運営の改善等
・ガバナンス機能の強化
・人事給与システム改革
・研究における不正行為、研究費の不正使用の防止

とあり、「大学は研究教育機関ではなく営利目的企業」に転換せよと迫っている。ことあるごとに私が批判してきた「グローバル化」はここでも金科玉条だし、「イノベーション創出(大学発ベンチャー支援)」は大学生に学問ではなく「事業を起こせ」、「企業といちゃつけ」と迫っている。そうでなくとも大学法人化以降国立大学には独自の資金獲得が脅迫され、学費だって年額60万円近くに上がってしまっているが、まだ「経営効率化・企業化」の度合いは足らないらしい。

「経済的に苦しいから私学は無理だが国立ならなんとかなる」というかつての志願者の発想はこの高額学費の前ではもう成り立たない。文教行政にことのほか冷たく、薄いこの国の予算配分はますますその傾向を強化し、「金は出さないのに口を出す」ずうずうしさだけが誰はばかることなく進行する。

「ガバナンス機能の強化」とは学長権限の強化と教授会権限の弱体化に他ならない。企業に例えるならワタミやユニクロのような「独裁社長制を導入せよ」ということだ。ブラック企業化(すでに一部ではそうなっているが)した大学では、まともに生活が出来ない給与の人が今にもまして多数現れるだろうことは企業の現状を見れば明らかだ。

「研究における不正行為、研究費の不正使用の防止」とは結構なお題目だ。是非社会や人間にとって害毒以外の何物でもない「原子力研究者」に支給された「科研費」(科学研究費助成事業、研究者の応募から選択して給付される研究費)を全額過去にさかのぼり没収し、その研究自体を取りやめさせろ。

◆大学に恫喝かけ放題の文科省こそ教育界の「災禍」である

16日には下村文部科学大臣が、国立大学の学長らを集めた会議に出席し、入学式などでの国旗や国歌の取り扱いについて、「国旗掲揚や国歌斉唱が長年の慣行により広く国民の間に定着している」などと述べたうえで、各大学で適切に判断するよう要請した。

文科省はもう「大学」をかつての「大学」と思ってはいないから、何でもかんでも恫喝をかけ放題だ。さすがに滋賀県立大学の佐和隆光学長や京都大学の山極壽一総長、琉球大学の大城肇学長はこの要請に従わない、もしくは棚上げにする旨を表明したが、これ程明らさま・解りやすい国家による教育現場への介入はない。

「改革」の名は常に錦の御旗で、それに異を唱えると「守旧派」とレッテルをはられる。でもここしばらく「改革」の名の下に行われた政策で真っ当なものが1つでもあっただろうか。年金記録が5000万件も紛失して「社会保険庁」は「日本年金機構」と看板を架け替えたが、「3年で解決する!」と言い放った紛失記録の探索作業はまだ終わっていない。それどころか「きりがないからもう止めます」と小声で言いだしたとたんに125万件以上の情報流出が起きたではないか。

行政は10年先どころか3年先の予測や責任すら取りはしない。いっそう教育界の「災禍」でしかない「文科省」こそ廃止してはどうか。

▼田所敏夫(たどころ としお)
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◎なぜ安倍政権には「正論」が通じないのか?──加速度を増す日本の転落
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◎「共生」否「強制」で分裂する青山学院大「地球社会共生学部」
◎5年も経てば激変する大学の内実
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《ウィークリー理央眼004》若者に影響された沼津の戦争法案反対デモ

「戦争法案」(安保関連法案)の成立阻止行動が全国各地で活発化してきている。
6月13日(土)には戦争法案反対デモが静岡県沼津市でも行なわれた。

以下がそのデモの映像なのだが、年齢層が高めにも関わらず緊張感があり非常に激しいコールをしている。


[動画]ストップ!戦争法案・市民大集会 – 2015.6.13 静岡県沼津市(2分49秒)

国会前等で頑張っている若者達を意識した速いテンポのショート・シュプレヒコールが特徴で、「コール&レスポンス」(短いコールの連続の掛け合い)まで取り入れている。

「戦争!」「反対!」
「憲法!」「守れ!」
「安倍!」「辞めろ!」

この一連のコールは若者からアドバイスをもらったわけではなく、デモの主催者の方が若者達のデモ動画を見て研究し、今回初めて採用したという。
普段はリズミカルとは言えないロング・シュプレヒコール中心なので、ショート・コールに戸惑っている方もいたが、「こういうのも悪くない」-と参加者の評判もまずまずだった。

世代を問わず、良いと思ったスタイルを自分の地元のデモで取り入れたりしながら、ずっと声を上げ続けることは非常に大切だと思う。
アピールに効果的なスタイルを老若男女が日本中で真似したり真似されたりしながら、より良い方向を皆で目指して全国各地のデモが進化していくという、デモのあるべき「未来」と「希望」が沼津で垣間見えた。

[2015年6月13日(土)・静岡県]

▼秋山理央(あきやま りお)
1984年、神奈川県生まれ。映像ディレクター/フォトジャーナリスト。
ウェブCM制作会社で働く傍ら、年間100回以上全国各地のデモや抗議を撮影している現場の鬼。
人々の様々な抗議の様子を伝える写真ルポ「理央眼」を『紙の爆弾』(鹿砦社)で、
全国の反原発デモを撮影したフォトエッセイ「ALL STOOD STILL」を『NO NUKES voice』(鹿砦社)にて連載中。

普通の人こそ脱原発!──世代と地域を繋げる脱原発情報誌『NO NUKES voice』Vol.4
タブーなきスキャンダルマガジン月刊『紙の爆弾』!

http://www.rokusaisha.com/

売れる時代小説をどう書くか?──執念の作家上田秀人氏に聞く

このブログは、小説家やライター志望の人も多く見ているようだ。志望者に少しだけ役にたつ話をしよう。

「若桜木虔小説講座」の塾生だけが対象となっているクローズドな会だったので、時間も場所も記せないが、作家養成で知られる実力派の若桜木虔氏が主宰して、大阪から上京してくる時代小説家の上田秀人氏の歓迎会・親睦会に行ってきた。不良塾生である僕にとってはうれしい限りだ。

もはや上田秀人氏は時代小説のトップランナーであるのは疑いがないだろう。上田氏の本がもし書店にないとしたら、もう本屋を引退したほうがいいほど、売れているのだ。歯科医を続けながら、大賞をとっていない中で、上田氏(佳作はあり)は、執念でデビューし、今の地位にたどり着いた努力の人である。やはり継続は力で、後に2010年(平成22年)、『孤闘 立花宗茂』で中山義秀文学賞を受賞。2014年(平成26年)、『奥右筆秘帳』シリーズで第3回歴史時代作家クラブ賞シリーズ賞を受賞する。

生徒が「文章技術以外で、もしデビューに必要なことがあるとしたらそれは何ですか」と聞くと「執念です」と即答した。別の生徒が「執筆時間はどうやって捻出していましたか」の問いには「時間は作ればなんとかなる。治療中にも執筆していました。麻酔を一本打ったら、5分あく。そうしたら2行は書ける」と答えていた。

◆今、書籍は「時代小説」と「ビジネス本」しか売れない

なにしろ、今、書籍は「時代小説」と「ビジネス本」しか売れない。この2つはすでに独立したコーナーが書店にあるほどだ。そう、今はこの2つのジャンルを制覇すれば版元としても生き残れると各出版社は見ているのだ。だが現実として「プロの時代小説家」「プロのビジネスライター」になるのにはハードルが高い。そうした状況下で、山のような原稿が編集者のところに持ち込まれる。

困ったことに、多くの「作家志望者」は、「自分に才能がある」と思い込んでいるふしがある。「いつから連載を始められますか」と平気で週刊誌の編集者に言ってのける。連載など、たとえば週刊誌の編集者と10年以上つきあっている僕でさえ、いまだにとれないというのに。

そういうバカに限って、「今、手持ちの原稿はない。どんなものを書けばいいですか」と言い出すから始末が悪い。ストックがない時点で、作家志望者としては、名刺なしで営業しているようなものだ。無礼にもほどがある。

◆「感覚」で書くか、「手法」で書くか

さて、時代劇を書きたい人たちにとっては、「時代考証」が大きく立ちはだかる。たとえば、織田信長の時代に望遠鏡はあったのかなかったのか。時間を知るのに人々はどうしていたか、という生活考証だ。時代考証には、たとえば、若桜木氏と長野峻也氏が共著の「時代劇の間違い探し」(角川書店発行)がなかなか秀逸だ。「大名行列に一般民衆は土下座しなかった」「峰うちをしたら刀はポキッと折れる」など意外に知らない事実が、蘊蓄としてこれでもか、これでもかと展開されるので時代劇志望者は必読だ。

小説を「プログラムで書く」という実験的なことにトライしているのは、小説家の中村航氏だ。氏は、「僕は小説が書けない」という小説を中田永一氏といっしょに書いた。

これは小説を「感覚」で書くのか、「手法」で書くのかという難しいテーマに挑戦した力作だ。たとえばシナリオにはもうハリウッド御用達のプロットプログラムがある。主人公や敵、恋人などをデータで打ち込めば、ある程度は展開してくれる。ただし英語だが。

中村氏の小説の中で、「僕たちは才能がないぶん、道具で切り開いていくしかないんだ」として「ものがたりソフト」で小説を作っていく登場人物は、たとえば才能がない僕には共感できる。

◆上田氏は「プロットは書かない」

話を上田氏に戻せば、氏は「プロットは書かない」と名言した。これは、書かないということではなく、膨大な資料を読み込む氏のことだから、頭の中にすでに展開されていることだと思う。僕が雑誌や書籍での文章のライティングを教わった、エディトリアルライターとしての師匠、瀬戸龍哉氏は「有能なライターは、取材したらもう原稿用紙に何を書くか決まっている。ひとりにインタビューしたら、もう原稿用紙10枚から20枚くらいは頭の中に展開されているものだ。あとは、ライティングしながら削っていく。『ひとまずテープを起こさないと』なんて言っているやつはプロじゃないんだよ」と言いきった。

そうなのだと思う。

運がいいことに、僕が所属していた編集プロダクションには後にミステリー作家になる北森鴻がいて、手取り足取り、文章の書き方や、記事の切り口、発想のなどを丁寧に教えてくれた。これは今でも役にたっている。残念ながら北森氏は2010年に亡くなられたが。

若桜木氏の小説メソッドだと、重要なのはプロットを練り込み、誰も発想しないような展開を文章でつづることだ。実際に、ハリウッドの映画製作会社などは、映画を作るときに何十通りもプロットを作り込む。日本のテレビ製作会社だって、原作がある本を脚本にするときなど、何十種類もプロットを作る。プロット専門のライターがいるくらいだ。

いずれにせよ、時代小説家は今、不足している。チャンスといえばチャンスである。

同時に不足している「ビジネスライター」についてはまた機会があれば言及しよう。

※上田秀人公式HP「如流水の庵」

(小林俊之)

◎731部隊の「ガチンコ人体実験」跡をユネスコが「世界文化遺産」と認める日
◎「書籍のPDF化」を拒み、本作りを殺す──経産省の「電子書籍化」国策利権
◎プリズム公演「闇をときなす音色」はダンスも演技も熱かった!

加藤登紀子『百万本のバラ』に託された祈り

国民的歌手、加藤登紀子氏の「百万本のバラコンサート」を観た。渋谷のNHKホールは満員であり、ラトビアの「リエパーヤ交響楽団」を従えての加藤は、風格を漂わせつつも、迫力がある声を披露。もしかしてまだ30代なんじゃないかと思うほどのパワーを見せつけた。

6月5日から始まった「百万本のバラコンサート」は、ラトビアとの友情を結ぶという意味合いがある。加藤はコンサートを行うにあたって、ホームページでこう呼びかけている。

リエパーヤはラトビアの西、バルト海に面した美しい港町。 文化の豊かさを誇るリエパーヤ交響楽団は、1881年に設立されヨーロッパで高い評価を得て活動しているオーケストラです。1991年に独立国となり、今自信に満ちた発展を遂げているラトビア、いろんな歴史を潜りながら、ひたすら美しい音楽に愛を込めてきたラトビア。その魂に込められた艶やか管弦楽とともに、心ゆくまで熱く、深く歌いたいと思っています。今回は23名の特別編成で演奏します。どうぞ、お楽しみに! ? ?登紀子(http://www.tokiko.com/100/index.html


◎[参考動画]2015 加藤登紀子ラトビア訪問

◆「私たちには未来に生きるという選択肢しかないのですから」

加藤氏は、反原発論者でもある。『NO NUKES voice vol.4』のインタビューでは、こう答えている。

「私たちには未来に生きるという選択肢しかないのですから、心の中にある希望の火を絶やさないことが大事です。そして生きようという決心を持つこと。でも、最近では何を求めていけばよいのか、希望が見えにくいんですよ。もっともっと胸を張って、皆が希望を持つためには、日本が原発をやめる決心をすることが必要不可欠だと声に出したいですね。私は、2014年の3.11に、イベントで福島に住む18歳の少女が書いた手記を朗読しました。彼女は父親が東電の社員なのですが、事故以来両親は口を利かなくなったし、友だちや親戚とは絶縁状態になってしまい、家族がバラバラになってしまった。それでも父親は毎日福島第一原発に行って事故処理にあたり、くたくたになるまで働いています。彼女と家族をこの辛い現実から解放するためには、原発を止めて原発の被害にまっすぐ向かい合い、廃炉に向かって皆で頑張る。そういう真っ当な目的に向かって人々が一つになるしか答えはないですよね。なのに政府は再び『福島は完全にアンダーコントロール』と、事実ではないことを言ってウソで塗りかためた安全神話を作り出そうとしています.。(以下略)」(『NO NUKES voice vol.4』より)

かつて学生運動に参加して、その中心にいた藤本敏夫を伴侶にしていた加藤氏は言う。

「私はかつて学生運動にも参加しましたし、その中心にいた藤本敏夫と暮らしてきましたが、当時も学生の側にだけ立って歌っていたわけではありません。時代の奥に流れている共通の想いを歌いたかったのです。私が大好きなマレーネ・ディートリッヒは、少女時代に第一次世界大戦が始まり、その時母親に『戦争をしている時、多くの人が『自分たちは神様に守られている』という感覚を持ちます。でも、神はどちらか戦うものの片方の応援をすることはない』、と」?(『NO NUKES voice vol.4』より)

◆ラトビアとロシア語──二つの命を生きることになった歌

コンサートのクライマックスは、やはりひな壇に200人ものコーラス隊が並んだ「百万本のバラの物語」だろう。ラトビアと日本をつなぐ加藤氏の執念が見える。たとえば加藤氏はブログで以下のように書く。

―ブログより

「コンサートのパンフレットに詳しいラトビアの紹介を書くために、随分沢山の本を読み、ラトビアの歴史のディテールが見えてきて、何度も鳥肌が立つような事実に出会いました。

帝政ロシアが第一次世界大戦で崩壊した後、独立国家となったラトビアを、革命後のソ連が侵略したのは1939年、スターリンとヒットラーの密約によるもの。翌々年の1941年、たった一夜で1万5千人の人がシベリアに強制移住させられた恐怖の日、それがよりによってNHKホールで歌う6月14日だった、ということも驚きです.

戦前戦後を通して、ハルビンにはロシアから亡命したり、移住したりしたポーランド人やユダヤ人が沢山住んでいたことは知っていましたが、ラトビアの人たちも数百人住んでいたそうです。私の家族はそうした移住者たち、イミグラントの人たちと強い繋がりがあったので、感慨無量です。

敗戦後、国を失った私たちは、彼らと同じように無国籍者となった訳ですが、「それでもめげずに堂々と生きられたのは、イミグラントの人たちの姿を見ていたからよ」と母は言います。どんな時も素晴らしい音楽を楽しみ、生活スタイルを守り、文化の高さを失わなかったラトビアを知れば知るほど、母の言葉が伝わってきます。

その時代のことをこよなく愛した父も、もう此の世にはいないし、100歳の母も今年はコンサートに来られない!でも、心の中では、今やっと対話できている、その気持ちを歌に託したいと思います。(http://ameblo.jp/tokiko-kato/)」


◎[参考動画]ラトビア・ リエパーヤ交響楽団リハーサル風景(2015.1加藤登紀子撮影)

加藤氏はコンサートのパンフにこう書く。

「ラトビアという小さな国で生まれた歌が、ソ連という大きな国に広がっていくためには、どうしてもロシア語に翻訳されなければならなかった。これもこの歌の運命です。結果的には、この二つの違った歌詞を持つことで、二つの命を生きることになったのです。ラトビア語では、母親が幼い娘に贈った子守唄だった歌が、ロシア語の詩ではグルジアの貧しい画家の恋の物語に生まれ変わりました。どちらにも幸せへの尽きせぬ祈りが込められ、いつしかソ連の各地でそれぞれの祈りを託された。何本もの花が一つの花束になるように、「百万本のバラ」は大きな花束になり、それぞれの国が独立して行くための闘いに、勇気を与えました。そして、この歌に運命を託した小さな国たちは今、別々の国になった。それはこの花束がもっともっと大きくなったことなのだと思います。国境線は国を分けるためにあるのではなく、繋げるためにある。大きな国から独立した小さな国のそれぞれが自信をもって輝こうとすることで、お互いへのリスペクトが生まれる。『百万本のバラ』に託された祈りは、今こそ国境線を越えて、人の心を束ねることだと思います」(50th Anniversaryコンサートのパンフレットより)

加藤氏の外交は、もはや傲慢で私利私欲の経団連主導の外務省の何倍にも価値がある。大衆よ! 加藤氏の声を聞け、震えよ!

秋には、このコンサートの模様を収めたDVDが販売される。興味があるむきは、ぜひ買っていただきたい。

◎加藤登紀子HP http://www.tokiko.com/index

(小林俊之)

◎鬼才板坂剛による天才ポール・マッカートニー「逆襲」来日ライブ写真集の怒涛
◎5.17熊本「琉球の風~島から島へ」大盛況!──奇跡の瞬間は2016年へと続く
◎反原発の連帯──来年4月、電力は自由化され、電力会社を選べるようになる
◎「工藤會壊滅ありき」で福岡県警が強引に人権を無視し続ける邪な理由

普通の人こそ脱原発!──世代と地域を繋げる脱原発情報誌『NO NUKES voice』Vol.4好評発売中!
戦後70年を憂国と愛国から問う!──内田樹×鈴木邦男『慨世(がいせい)の遠吠え 強い国になりたい症候群』

 

《大学異論37》沈黙する大学の大罪──なぜこんな時代に声を上げないのか?

過日ある大学の先生とあれこれ雑談を交わしていた時の事だ。

前段で「(内容が)社会的発言力を持つ若い世代の話者不足」が話題になった。原発、格差社会、貧困、差別、報道の惨状、そして暴走する悪政。どのテーマでも安心して一定レベルを満たした論を展開出来るのは、若くて50代。下手をすると70代、80代の人しか見当たらないという惨憺たる人材不足に2人で溜め息をついてしまった。貧困などではまだ比較的若い活動家が見当たるけれども、「改憲」反対の大きな集会で登壇するのは大江健三郎、澤地久枝、落合恵子、鎌田慧といった方々で失礼ながらその平均年齢は70を超えているだろう。

逆の立場から発言する者は、1つも2つも若い世代にいくらでもいる。古い言葉を持ち出せば「反動保守」という範疇にあたる主張を声高に(しかも早口多弁に)語る連中は世代を問わず溢れている。

それがこの救い難く絨毯爆撃を受けたかの如き、惨憺極まる言論状況の理由であり原因だ、と結んでしまえばそれはそれで的中しているのだが、それを甘受するほど屈辱的な現状肯定は無い。先生と私はこの惨禍をもたらした犯人探しをどちらから切り出すともなく試みてみることになった。

犯人は横にも(同時代)縦にも(今に近い過去)前にも(近未来)幾らでも転がっていて、どいつが主犯かを見立てる仕分けに手間取りそうな予感がしたが、そのあやふやな作業を、先生は極めて明確かつ深い含蓄を込めバッサリ斬り捨てた。

「こんな時代なのに大学の中で声が上がらないのです。憲法が無き物にされようとしているのに、学生がまた戦場に引きずり出されようとしているのに教授会決議どころか議論すらない。社会的存在として今の大学の有り様は罪深いですよ」

「自省を込めて」と切り出して先生が批判された「総体としての大学批判」は寸分狂いなく的中していると私も同意する。そうだ。大学の沈黙こそ大罪だ。

◆建学理念を放棄してまでなぜ大学は文科省(国)に隷属したがるのか?

ところで、最近の大学経営陣は何を指向しているのだろうか。大規模総合大学は、文科省がぶら下げる「補助金」というエサに競って食い付こうと血眼だ。公平性も哲学も微塵もない、言葉の用法からして誤っている「スーパーグローバル」なる実質的公共事業の入札競争で「補助金」を獲得すれば、あたかも当該大学の価値が上がると勘違いしている。採択されると選挙に当選した利権政治屋みたいに大はしゃぎ。

何故そこまで分別を棄てるのだろう。何故各大学が持っている建学理念を放棄(または諮意的曲解)してまで文科省(国)に隷属したがるのか。そこまでお上に従おうというなら私立大学としての存在意義なんてないじゃないか。羞恥の感覚はないのか。

教員は何をしている。この時代憲法学者、法学者や近代史専攻学者は勿論、工学であろうが、経済学であろうが専門領域など関係ない。大学に職を持つ研究者、教育者は自らの専攻を差し置いても、状況の危険性を学生に示唆しているか。

何故「戦争」を目前にしても何も発語しないのだ。全てに優先して学生を守るのが大学の責務ではないのか。「昔のことは知らない」と言い放ったバカ閣僚がいたが、万が一奴と同じような心境の大学教員がいるのであれば断ずる。そんな教員は「大学を去れ」と。

◆「安全保障関連法案に反対する学者の会」の否めない「出遅れ」感

安全保障関連法案に反対する学者の会HP

実はここまでを今月初旬に書き殴っていたのだが、6月中旬「安全保障関連法案に反対する学者の会」が始動し、この会の趣旨に賛同する学者・研究者は6月17日の時点で4000人超に達している。こういった行動や意思表明は意義深い。この活動を始動したか方々には深い敬意を払うものである。

だが、誠に身勝手な私見を述べれば、この法案群が本国会で審議されることは昨日今日に判明したことではなく、かなり前から解っていたことだ。市民レベルでは昨年から警戒心や抗議行動もあった。

「安全保障関連法案に反対する学者の会」の活動には敬意を払うけれども、国会の審議入り前に研究者や学者はその危険を察知し、活動を始めることは出来なかったのだろうか。

「特定秘密保護法案」の際も同じような「出遅れ」が気になった。気骨のあるジャーナリスト達が法案成立に反対の意を表明し、署名などを提出したが、その半年以上前から市民レベルで「特定秘密保護法」の危険性は認知されていて、反対の行動も相当激しく行われていた。市民の行動に比すれば、「ジャーナリスト」の行動が遅きに失した感は否めない。

研究者・学者をことさら市井の人々より「お偉い方々」と崇めるつもりはないが、社会問題については日々企業に勤務する給与所得者や、一般庶民より職務上深い洞察力と考えをお持ちの方々であるはずだ。そういった資質があるからこそ教壇に立っておられるのであろう。大学教員・研究者の皆さんには署名だけではなく、その「行動」により為政者達の悪意を暴く「覚悟」を是非見せて頂きたい。


◎[参考動画]「安全保障関連法案に反?対する学者の会」の代表会見(2015年6月15日東京・神田の学士会館)

◆大学の主役たる学生は何を考え行動しているだろうか?

そして、大学の主役たる学生は何を考え行動しているだろうか。残念だが極少数の例外を除き、学生は自らが被害者(または加害者)となる「戦争」の危機を察知出来ているとは言いがたいだろう。最高学府で学ぶ学生は自らの考えと言葉で、毎日浸っているこの社会を独自に解析する事が出来るだろうか。そうしたいという欲求があるだろうか。学生の暮らすこの島国の社会は、戦争や暴虐、放射能から十分に安全な場所だと安息していられるだろうか。回りくどい?なら直言する。

普段は封印していて、余程のことがなければ本当は使いたくない表現を敢えて文字にする。

「昔の学生の中には君達と違い、社会に深く関心を抱き、責任すら感じていた人が少なくなかった」のだよと。

更に言おう。

「昔の学生の中には命がけで社会的不正と闘い、本気でより良い社会の実現を目指していた人がいたのだ。今日本の大学の学費はとても高いけれども、それでも『学費値上げ反対』を戦った多くの学生がいなければもっと高額に引き上げられていただろう」と。

学生の言い訳は聞かない。うらぶれた年長者が如何に対抗しようとしても、絶対に叶う筈がない「若さ」と言う無限のアドバンテージを持っている学生に、懐古趣味(本当は私自身大嫌いなのだけれども)がボヤく戯言など本質的に敵うはずはないのだ。


◎[参考動画]全共闘 日大闘争 東大闘争 – 1968

「若さ」たる無限の可能性の前で年長者の戯言など無力以外の何物でもないことを私は知っている。だから私は学生に(それが限りなく難儀な注文だと解っていながら)目を覚まして欲しい。その可能性に期待する。変革のエネルギーの源泉が若者になければ、そんな社会は早晩破綻が宿命づけられているだろう。

かように、総体として大学は沈黙してしまっている。大学が沈黙するような時代だから、こんなに傍若無人がまかり通るとも言えよう。社会の中で「大学」が果たすべき役割は企業と一緒に商品開発に熱を入れることではない。社会的存在である大学(並びにその構成員である、教員、学生)は研究や学びを通じてよりよい社会の実現に寄与するものであるべきだ。

その正反対が、文科省の下僕に成り下がったり、企業と不埒にいちゃついたり、警察や役人のOBを教員として学内に迎え入れる姿勢だ。さらに言えば声を上げた学生をあたかも「危険分子」のように扱う大学などは看板を「学生収容所」と架け替えるべきだ。こんな時代だからこそ大学の果たすべき役割は大きい。期待するだけに私の要求水準は嫌が上でも高まってしまう。妄想と言われるだろうが、私の願いが少しでも誰かに反響してくれないだろうか。


◎[参考動画]日大闘争の記録「日大闘争」

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

◎加速度を増す日本の転落──なぜ安倍政権には「正論」が通じないのか?
◎《6.8公判傍聴報告》やっぱり不当逮捕だった!火炎瓶テツさんら3人全員釈放!
◎〈生きた現実〉の直撃弾──鹿砦社松岡社長が自身の逮捕経験を「告白」講義
◎廃炉は出来ない──東電廃炉責任者がNHKで語る現実を無視する「自粛」の狂気

自由なはずのアメリカで、自由なはずの日本で、
何も言えない、何も行動できない、
ガンジガラメの時代が始まっている!
闘う心理学者、矢谷暢一郎の心情溢れる提言に心が震えた!
──加藤登紀子(歌手)──

大学人の必読書!矢谷暢一郎『日本人の日本人によるアメリカ人のための心理学━アメリカを訴えた日本人2』(鹿砦社)

 

加速度を増す日本の転落──なぜ安倍政権には「正論」が通じないのか?

実時間の進行速度はいかなる場所でも時代でも、人間の意思などとは全く無関係に、平等に、中立に、正確に不変であるはずだ。

「ヒト」という一生物種として400万年程の歴史しかない人間が、一見地球上全生物の支配序列の頂点に立っていると私達は日々無感覚に勘違いしているけれども、高度に機械化された文明が今、目前で創造しつつある近未来の像は、人間の進歩を示すそれとなるのだろうか。

こんな漠然とした物言いから始めたのは、直接語ればどうあろうと荒っぽい単語だけの羅列になってしまいそうな、自身の内心を警戒してのことである。「実時間の進行」などと大上段に切り出したが、他でもないこの島国の為政者達が行っている乱暴狼藉を目の前にして、私はそれに全く同意しない。だが問題はその意を表明するにあたり、この状況に即した適切な「言葉」が見つけられないことだ。専ら自身の不勉強に起因するのだが、私の獲得した語彙ではもう追いつかないのではないかという焦りが日々高じる。

書き出せばテーマは掃いて捨てるほどある。そのどれを採ってもニッコリとした表情になれるような穏便な話題はなく、ひたすら暗渠に留まり「時間進行」に対する自分の感覚が、いつの頃からかおかしくなったのだろうかと繰り返し反芻してみるしかないのだ。だが、どうやら「時間進行」と自身の不調和を感じているのは私だけではないようだ。「おかしいよな」の声は確かに広がってはいる。

○1999年05月28日──「周辺事態法」成立(後方支援の法的枠組みを整備)
○1999年08月13日──「国旗及び国歌に関する法律」公布・即日施行
○1999年08月18日──「住民基本台帳法」改正(住基ネットの導入決定)
○2002年08月05日──住民基本台帳ネットワークシステム(住基ネット)稼動
○2003年05月23日──「個人情報保護法」成立(2005年4月1日に全面施行)
○2003年04月01日──郵政民営化(郵政事業庁が特殊法人日本郵政公社に改組)
○2003年07月26日──イラク特措法(時限立法。2009年7月に延長期限切れで失効)
○2006年12月22日──新「教育基本法」公布・施行
○2007年01月09日──防衛庁が防衛省へ昇格 ……

◆小泉政権と比べても転げ落ちる速度が速すぎる安倍政権

20世紀末から一連のキナ臭い流れの一部を参考までに抽出したが、「周辺事態法」から「防衛庁の省への昇格」までは8年を要している。主としてコイズミというあのペテン師が躍った8年間だって「時間の速度が増してやしないか?」と感じたものだが、その当時と比較してすら眩暈がしそうなほど、仮に「国家」と言う名の「石」があったとすれば、それは「ゴロゴロ」と轟音を鳴らし急傾斜を転げ落ちながら、地響きをここまで伝えて来ている。

○2011年03月11日──東日本大震災・福島第一原発事故
○2012年06月16日──大飯原発再稼動を正式決定
○2012年12月26日──第2次安倍内閣成立(~2014年9月3日)
○2013年03月15日──TPP交渉参加表明
○2013年12月13日──「特定秘密保護法」公布(2014年12月10日施行)
○2014年04月01日──消費税8%へ引き上げ
○2014年04月01日──「武器輸出三原則」が撤廃され「防衛装備移転三原則」制定
○2014年06月29日──トルコとの原子力協定発効
○2014年07月01日──解釈改憲閣議決定・集団的自衛権容認
○2014年07月10日──UAE(アラブ首長国連邦)との原子力協定発効
○2014年09月03日──第2次安倍改造内閣成立
○2014年12月24日──第3次安倍内閣成立
○2015年06月04日──衆院本会議で選挙権18歳へ引き下げ(公職選挙法改正案)可決
○2015年06月17日──参院本会議で公職選挙法改正案可決成立
○2015年06月現在──有事関連法=戦争準備法成立の画策が進行中

※[参考資料]平成27年1月から現在までに公布された法律一覧(内閣法制局)(2015年6月5日現在)

◎[参考動画]SEALDs戦争法案に反対する抗議行動での小林節=慶応大学名誉教授(2015年6月5日国会前)

◆3・11による放射能被害を大音響で消し去るかのように転げ落ちる安倍政権という「狂乱の石」

4年前、3・11による放射能の影響はどんなに深刻化しているだろうか、とチェルノブイリを知る人々は心配したものだった。が、あろうことか、その深刻な懸念を大音響で消し去るかのように「起きることが前提とされた戦争」が目の前に堂々たる「既成事実」として据えられて、為政者達や武器商人は既に武器の商談に忙しい。一刻も早く「集団的自衛権」と言う名の「自爆行為」に自衛隊を参加させたくて、関連法案の審議では「参考人」の憲法学者が「違憲だ」と声を揃えても「賛成の学者もいる!」(菅官房長官)とガキ大将並の屁理屈を堂々と披歴して恥じることさへない。支配しているのは「狂乱」と言うほかない。

「国家」と言う名の「石」は4年間で以前は8年掛かった距離の何倍もを転がり落ちている。

加速度を増す「石」の転落に対して、この島国に住む人々はどう反応しているだろうか。誰もが無関心でいる訳では勿論ない。いや、形に見える為政者達・権力者達への異議申し立て行動は3・11後確実に増加してはいる。いささか俄かに過ぎる態度の変化と言えなくもないけれども、「破滅を目指す」為政者への対抗行動が強まるのは当然過ぎるほど当然だ。だが、対抗行動の量は勿論必要だけれども、質はどうだろうか。

権力者や武力強者間による執権の移行は、歴史上数限りなく経験しているこの島国だが、残念ながら庶民が旧体制を転覆させた経験は持ち合わせていない。2015年6月、「戦争を前提とした」法制審議にあたり、対抗言語や行動の「質」は「狂乱」に見合っているだろうか。

論理上、為政者達の破綻を看破するには「憲法違反だ!」の一言で十分足りる。何のことはない。立憲制の国にあり根本法を犯すことは行政、立法にとっては明確な「禁じ手」なのだから。

だが、奴らに正論は通じない。「解釈改憲」などという「反則」を平然と行う連中とは、整然とした論理だけでは戦えない。では何が必要なのか。推測するにそれは恐らく、もっともっと真剣かつ冷徹な「怒り」だ。極普通の生活を送ることすらままならない収入を得る事しか出来ていない非正規労働者、増税により生活苦を強いられている低所得層や、「戦争」に駆り出されることが必至な若年層が、感応しなければ、転落を加速させる「石」は止めることは困難だろう。

そのために一体自分には何が出来るのかを行動しながら考え続けたい。


◎[参考動画]小林節=慶応大学名誉教授、長谷部恭男=早稲田大学法学学術院教授「憲法と安保法制」①(2015年6月15日日本記者クラブ)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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◎〈生きた現実〉の直撃弾──鹿砦社松岡社長が自身の逮捕経験を「告白」講義
◎廃炉は出来ない──東電廃炉責任者がNHKで語る現実を無視する「自粛」の狂気

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《ウィークリー理央眼003》自民党街宣へのカウンターin福岡・天神



自民党青年部・青年局による「全国一斉街頭行動」が6月4日から14日にかけて全国約100ヶ所で行われた。
あまりにも国民をなめきっている自民党に反対するべく、日本各地で市民が集まり意思表示を行った。
福岡市中央区・天神ツインビル前でも自民党の街頭演説があり、反対する市民カウンターが集まって「戦争立法」に反対するプラカードを掲げたり、怒号をぶつけていた。

[2015年6月7日(日)・福岡県]

▼秋山理央(あきやま りお)
1984年、神奈川県生まれ。映像ディレクター/フォトジャーナリスト。
ウェブCM制作会社で働く傍ら、年間100回以上全国各地のデモや抗議を撮影している現場の鬼。
人々の様々な抗議の様子を伝える写真ルポ「理央眼」を『紙の爆弾』(鹿砦社)で、全国の反原発デモを撮影したフォトエッセイ「ALL STOOD STILL」を『NO NUKES voice』(鹿砦社)にて連載中。

◎《ウィークリー理央眼001》150回目の首相官邸前抗議
◎《ウィークリー理央眼002》福島/名古屋ヘイトデモ反対行動

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