追跡せよ!731部隊の功罪──「731部隊最後の裁判」を傍聴して

3月6日、午前11時の東京地裁419号法廷は緊張に包まれていた。ここでは、和田千代子さんを原告、国を被告として情報公開を迫る裁判が行われていた。この日の法廷は、6回目だ。

昭和29年に防衛庁ができて、陸海空自衛隊が発足し、陸上自衛隊の中にできた衛生学校。かつて日本軍にいた軍人や731部隊に所属していた隊員が、「自衛隊」や「衛生学校」に就職している。元731部隊に所属していた隊員が、「衛生学校」に所属し、その「衛生学校」が発行している「衛生学校記事」であることから、「細菌戦に関する記述・論文があるかもしれない」として公開を求めているのだ。

◆特定秘密保護法の施行で「不開示」文書が増える不安

もう、731部隊に関連して、当時をリアルに体験した「証言者」はほぼ皆無に等しい。郵便局勤務のときから、世界平和に関心を持つ和田さんは、市民団体「731・細菌戦部隊の実態を明らかにする会」に所属、「731部隊の功罪」にこだわり続けてさまざまな活動をしてきた。和田さんに小平の駅に来ていただき、話を聞いた。

「まず、去年の秋に、1957年から2009年に刊行されていた陸上自衛隊衛生科の教育や訓練に使用されていた雑誌“衛生学校記事”についての公開を2011年12月に請求したのですが、『発見できなかった』として、つぎの年の2012年2月に『文書不存在』を理由に、不開示の決定をしたのです。『不開示』の決定を受け取ったが納得がいかず、最後の手段として2013年11月8日に東京地裁に提訴しました。提訴した1ヶ月後の12月に『特定秘密保護法』が成立したため、公開されないのではと心配になりました。14年1月28日に第1回公判、第3回公判後の9月末に、『衛生学校記事』の一冊が見つかったと報告を受けた。見つかったのは、請求した42冊のうち、28冊だけです。残りの14冊は、どこにあるのか。残りを公開してほしい、という裁判です」

もしかしたら、特定秘密保護法に指定されて、この資料も「特定秘密」として永遠に葬りさられてしまうことを和田さんは恐れたという。

当時の衛生学校の校長は、金原節三氏といい、金原氏が亡くなってから「衛生学校記事」は、寄贈された。通称「金原文庫」と呼ぶ、その資料の集積を原告の和田さんは探しているのだ。

「出てきた28冊は、金原さんのものではありません。他の人の印鑑が押してありました。ですから、金原さんの所蔵された本がどこかにあるはずなのです」

◆731部隊への政府見解は「サリンはない」と言い張ったオウムと似ている

昭和32年7月に発行された『衛生学校記事』の第1号には、確かに『生物戦に対する医学的防衛の問題点』という目次がある。「衛生学校記事」にこの記事を寄せたのは、1940年から敗戦まで731部隊所属の軍医少佐だった園田忠男氏(2等陸佐)だ。1941年当時、731部隊所属の軍省医事課長として細菌戦に関与していた金原校長が「衛生科の教育と訓練に関する参考資料を目的に」と発行の意義を語っているのも、歴史的意義として重い。このほか、もしも出てきた資料に、731部隊に関する具体的な人体実験などの記述があれば、長い間、日本政府や軍が「731部隊の存在は認めるが、暴行の事実がない」としてきた731部隊の暴行を認める、という話になる。歴史が大きく動くのだ。なにしろ731部隊は、あくまでも人体実験や細菌製造を行っていなく、731部隊はあくまでも「防疫給水本部」だと日本の政府は言い張ってきたのだ。このメンタリティこそ、「オウム真理教」の「サリンはない」と言い張った20年前のそれに近い。

もし、「731部隊が暴行をしていた事実を認める」とすれば、平成9年に起こされた、中国人の被害者180人による「731部隊細菌戦被害損害賠償事件」(平成13年12月26日に終結)の判決(理由がないとして請求は棄却された)にも新しい影響を及ぼすかもしれない。もちろん「一事不再理」だから、判決そのものは変わらなくとも政府や軍が隠したがっていた「何か」をはぎとることは大きな意味がある。隠された「悪魔の爪」がもがれるのだ。

だが、いかんせん「生きた証人」は少ない。

細菌実験で多くの人たちの命が奪われ、加害者も被害者ももう、ここにはいない。

「金原氏や、園田氏のほかにも、戦後に元731部隊の人が自衛隊に就職していることから、もしかしたら、『衛生学校記事』には、もっと重要な論文が掲載されているかもしれない。731部隊の資料は、アメリカにほぼあるとされていますが、日本に返還されているはずです。これを気にアメリカが日本にかえしたとされる、『免責と引き替えにアメリカが入手した731部隊関連資料』の全公開につながるように、防衛省の隠蔽をはがしていきたいです」(和田さん)

たとえば平成23年、NPO法人七三一部隊・細菌資料センターは、金子順一という人が書いた論文に、七三一部隊の具体的な活動を示す重要な記述があるのを発見した。

金子は、731部隊に所属、昭和19年に「雨下撒布ノ基礎的考察」「低空雨下試験」「PXノ効果略奪法」など、8本の論文からできているが、これらは金子が単独、ないしは共同執筆者と書いたものだ。

731部隊は、人体実験を行い、細菌兵器を開発・製造し、中国各地で実戦して多くの人を殺害した。前述のとおり、日本政府はかたくなにこの事実を否定した。2002年に川田悦子議員が起こした質問主意書にも、2012年に服部議員が出した質問主意書についても「731部隊は防疫給水活動を行っていたのであり、人体実験や細菌戦を行ったことはなく、事実としては認められない」という趣旨の答弁をしている。

◆風化を許さない

私たちは、オウム真理教の「地下鉄サリン事件」を風化されてはいけない。同様に、「731部隊の功罪」も風化させてはいけない。

和田さんは「いわゆる『衛生学校記事』が、発行元の『衛生学校』に保存していない『不存在』に納得していません。発行元とはそういうことではないでしょうか」と憤る。

独の元首相、ワイツゼッカーは、第2次世界大戦終了40周年の1985年5月、「荒野の40年」と題した議会演説で「過去に目を閉ざす者は現在にも盲目になる」と訴え、ナチス・ドイツによる犯罪を「ドイツ人全員が負う責任」だと強調。ひるがえって日本は今、東アジア諸国との関係が悪化の一途をたどっている。その原因のひとつに、過去の戦争責任についてあいまいな態度をとり続けていることがあげられるのではないだろうか。

今後の裁判の行方に注目したい。次回の裁判(第7回)は、6月2日、16時で東京地裁にて開廷だ。(小林俊之)

原告の和田千代子さん

◎不良と愛国──中曽根康弘さえ否定する三原じゅん子の「八紘一宇」
◎3.11以後の世界──日本で具現化された「ニュースピーク」の時代に抗す

 

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不良と愛国──中曽根康弘さえ否定する三原じゅん子の「八紘一宇」

三原じゅん子というタレント出身の国会議員がいる。こいつは元不良だった。

「不良から与党の国会議員になるやつなど論外だと」持論を展開したら、えらく怒られた経験がある。

だが私の暴論は残念ながら間違ってはいなかった。

事もあろうに、三原は参議院予算委員会で質問としての発言の際に 「八紘一宇」を持ち出し、答弁した麻生に「戦後生まれの人でもこんな言葉を使う人がいるのか」と呆れられていた。麻生は漫画には詳しいが日本語が苦手な政治家として有名だが、その麻生に呆れられるのだから三原は大したものである。

◆中曽根康弘でさえ「失敗のもと」だったと認めている「八紘一宇」

「八紘一宇」がどのように使われた言葉かご存じない読者もいるだろうから、簡単に説明しておこう。

日本書紀に登場した文言から生まれたとされるこの言葉を学術的に解説すると退屈になるだろうから、政治の場で過去、どのように理解されてきたかを見てみよう。

1975年9月、文部大臣の松永東は衆議院文教委員会で、「戦前は八紘一宇ということで、日本さえよければよい、よその国はどうなってもよい、よその国はつぶれた方がよいというくらいな考え方から出発しておったようであります」と発言した。

1983年1月の衆議院本会議では、総理大臣の中曽根康弘も「戦争前は八紘一宇ということで、日本は日本独自の地位を占めようという独善性を持った、日本だけが例外の国になり得ると思った、それが失敗のもとであった」と説明している。

要するに大東亜共栄圏を作るにあたって「日本は特別な国だ!」と日本帝国がアジア侵略のスローガンに使った言葉であることを過去、文部大臣や首相が認めている言葉だ。

◆とてつもない国がやらかす「八紘一宇」の無知

その言葉を2015年に三原は、「八紘一宇とは、世界が一家族のように睦(むつ)み合うこと。一宇、すなわち一家の秩序は一番強い家長が弱い家族を搾取するのではない。一番強い者が弱い者のために働いてやる制度が家である。これは国際秩序の根本原理をお示しになったものであろう。現在までの国際秩序は弱肉強食である。強い国が弱い国を搾取する。力によって無理を通す。強い国はびこって弱い民族を虐げている。世界中で一番強い国が、弱い国、弱い民族のために働いてやる制度が出来た時、初めて世界は平和になる

「これは戦前に書かれたものだが、八紘一宇という根本原理の中に、現在のグローバル資本主義の中で、日本がどう立ち振る舞うべきかというのが示されているのだと、私は思えてならない。麻生大臣! この考えに対して、いかがお考えになるか」

と発言した。これに答えて麻生は、「日本中から各県の石を集めましてね、その石を集めて『八紘一宇の塔』ってのが宮崎県に建っていると思いますが、これは戦前の中で出た歌の中でも、『往(い)け、八紘を宇(いえ)となし』とか、いろいろ歌もありますけれども、そういったものにあってひとつの、メインストリーム(主流)の考え方のひとつなんだと、私はそう思う。こういった考え方をお持ちの方が、三原先生みたいな世代におられるのに、ちょっと正直驚いたのが実感」と「八紘一宇」への直接評価は避けた。

日本は第二次大戦で「列強からのアジア解放」を唱えて諸国を侵略し「搾取」した。そこには「神国」である日本こそが「世界中で一番強い国(となり)が、弱い国、弱い民族のために働いてやる制度が出来た時、初めて世界は平和になる」との思い込み甚だしい思想があった。

三原に言わせると日本は「神武天皇」が即位した2675年前が「日本建国」の年らしいが、小学校や中学校の社会の時代で教わる2600年前は「縄文時代」である。稲作はおろか、文字すら持っていなかった時代にこの国が「建国」されたという妄動は、不幸にも三原だけではなく、国全体が未だに真実を見つめられていない。2月11日の「建国記念日」は別名「紀元節」とも呼ばれ、この日に「神武天皇」が即位した日とされている、歴史的にも全く誤った解釈に基づく休日であるのだ。

そういった国家的な歴史に対する意識的詐欺行為が根底にある問題を忘れてはならない。

が、その詐欺行為がまだ黙認されていることを良いことに、三原は「八紘一宇」を持ち出した。

有事関連法制=法律的な戦争の準備が全速力で進められる中、この元不良、否「不良国会議員」は精神的な戦争への誘導への為に一翼を担っている。

戦争をしたければ自民党と公明党の議員と党員だけでやってくれ!

不良というのはいつでもそんな奴らだった。最近の「反グレ」の連中はちょっと毛色が違うようだが、意味も分からず「特攻服」を着て日の丸を振り回すのが「暴走族」の標準的装備だった。やってる行為は一見「反社会的」に見えるけれども、本質的にその行為や考えは国家に収斂されていき、やがてその「防護隊」にさえなる。

三原を見ているとその筆頭であることがよく分かる。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

◎橋下の手下=中原徹大阪府教育長のパワハラ騒動から関西ファシズムを撃て!
◎秘密保護法紛いの就業規則改定で社員に「言論封殺」を強いる岩波書店の錯乱
◎恣意的に「危機」を煽る日本政府のご都合主義は在特会とよく似ている

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「書籍のPDF化」を拒み、本作りを殺す──経産省の「電子書籍化」国策利権

3月17日、装丁家でイラストレーターの桂川潤氏のトークライブ『改正著作権法施行!「製作」から考える「本はモノである」ということ』(池袋ジュンク堂書店池袋本店4Fカフェ)に行ってみた。

僕の中では、この時点では、桂川氏は「電子書籍をPDFにせよと主張しているデザイナー」という認識しかない。だが桂川氏は「一流の中でも一流」の装丁家・イラストレーターであり、業界では、誰もが一目置いている「雲の上の人」である。くわえて、電子書籍市場が1000億円を突破した。紙の書籍が8000億円市場だから、電子書籍がじわじわと売り上げを伸ばしている。計算すると、もうあと20年以内には、紙と電子書籍のシェアは逆転するとも言われている。ただし、電子書籍市場を支えているのは、コミックだ。

◆『大辞林』でさえ定義できていない「本」とは何か?

さて、「本が電子書籍になる」ということは、簡単にいえば「装丁の仕事がなくなる」ことを意味する。そうして仕事を失いつつある立場の桂川氏がどんな見解で発言するのか、興味があった。冒頭でつかみのトークとして、桂川氏はこんな話をした。

「本というものは、定義されていないのです。たとえば、『大辞林』を引いてみると「本」→「書籍」→「図書」→「本」と堂々巡りになっている。まさに、天下の『大辞林』でさえ定義できないのです」

桂川氏の奥方によると「カレーのルー」ですら、箱に入っているのだから、あれも『本』だという。だが、僕自身は「本」といえば、付録でバッグがついていようが、DVDがついていようが、カレンダー形式であろうが、巻物であろうが、やはり「文字の集積」だ。

『トークライブ』は、彩流社の編集担当、河野和憲氏や、日本出版者協議会の人が桂川氏のコメントを補強する形で進行した。

「平成27年1月1日から施行された著作権法の一部改正で、これまでは、中小の版元がヒットを生み出しても、文庫化するにあたり、作家が著作を大手にもっていってしまい、泣き寝入りするしかなかったのですが、今度からは、二次著作物は、版元も権利を主張できるようになったのです」と、日本出版者協議会のスタッフが声高に叫んだ。これは、大きなことだと思う。どんなに力を入れて作家を育てても、中小の出版社たちは、作家が大手にコンテンツを移動するのを、指をくわえて見ているしかない、そんな痛い過去があったからだ。

桂川氏は、参加者に「私はデザイナーですが、デザイナーの仕事がなくなると思いますが」と質問されると「そうなのです。私たちの仕事がなくなる」と桂川氏が泣きを入れるかと思いきや、実にいさぎよく、「私たちの仕事がなくなるのなら、それはそれでしょうがない。だが、デザインソフトのインデザインが出始めた当初は、書体が2種類しかなく、かえってそのことが『未来』を感じさせた。案の定、インデザインによるDTPが主流になり、写植屋は5年かけて消えていきました。電子書籍はもう少し、長く時間をかけて浸透させるでしょう。電子書籍も制約があるぶん、おもしろいと思うのです」と言う。

「本はモノである」「誰も言わないなら私が(本はモノであると)言う」と力説しつつ「電子書籍もおもしろい」と断定する。ここに、クリエイターとしての器の大きさがある。要するに桂川氏は「変化」を楽しんでいるのだ。

◆「まずデバイスありき」にこだわる経産省「コンテンツ緊急電子化事業」の利権性

桂川氏は、経済産業省の「コンテンツ緊急電子化事業」(以下、緊デジ)について、「新文化」に寄稿し、警鐘をこう鳴らしている。

『「被災地域の知へのアクセスの向上」をうたい、〝国策〟としてスタートした緊デジは、発足から半年経っても、満足に機能していない。あまつさえ、フォーマットや、デバイス(読書端末)からして定かではない。その結果、被災地・南三陸町の『知性』が『知へのアクセス』の蚊帳の外に置かれる現状がある。

疑問は、それだけではない。特定のデバイスに向けた電子書籍が、他のデバイスに向けた電子書籍が、他のデバイスやパソコン上で閲覧できないことはわかりきっているのに、なぜか『緊デジ』は、PDFを電子書籍フォーマットに加えることを渋り続けてきた。費用も手間もかからず、個人レベルで製作できる「PDFによる電子書籍化」では、なぜダメなのだろう。

PDFなら、パソコンから各種デバイス、スマートフォンまで、ほぼすべての端末で表示できる。また、リフロー型電子書籍(端末に合わせてテクストを再流し込みする主流方式)では不可能な、ノンブル(ページ番号)によるテクストの参照・引証が、書籍版/電子版を問わず可能だ。「まずはともかく具体的なモデルを」と考えた私は、自らの著作物?写真集と、単行本『本は物(モノ)である』を素材に、試作を開始した。(中略)PDFによる電子化は、書物の「乾物(ひもの)」に例えられよう。乾物はシンプルな製造工程ながら、保存がきき携行にも便利だ。そのまま食べてもいいし元の食材にも戻せる。乾アワビやナマコのように、元の食材以上の『旨味』を引き出すこともできる。一方、リフロー型電子書籍は、「食材のサプリメント化」だ。販売社は「栄養化は同じ」だというだろうが、製造に手間がかかるわりに味気なく、元の食材にも戻せない。同様に、ノンブルとページ概念を失ったタグ付きテクストは、紙の本には戻せない。PDFの何よりの強みは、印刷すればいつでも紙の本に戻せることだ。「紙の本と電子書籍の共存」を今こそ本気で考えるなら、PDFこそ、最良の選択肢といえよう。(出版業界専門紙「新文化」2012年11月29日付[第2961号]記事)

2009年に、中堅作家の小説を『文庫ビューア?』で読んで以来、久しぶりに電子書籍で読んだが、確かに、「E-PUB」などリフロー型の電子書籍では、ノンブルがなく、違和感を感じる。対して、PDFは、紙の本のテイストに近い。文字を大きくしたりもできるので、使いやすいと言える。「古い世代にやさしい」のだ。

◆経産省が復興予算10億円を計上し、約6万5千冊の書籍をむやみに電子化

「電子書籍を作るのに『PDFのほかのフォーマットとなる』ことは、本を作る協力者をないがしろにしているのと同じ意味です」

話を「すべった国策としての電子書籍事業」に戻すと、もともと禁デジの意義は、「3.11からの復興事業」だった。

「ところが、出版社には金が落ちない仕組みなので、あまり、人気のないコンテンツも大量にこの事業に提供されたのです」(経済産業省関係者)

事業は出版社が書籍を電子化する際、費用の半分(東北の出版社は3分の2)を国が補助する。総事業費は20億円で、うち10億円は経済産業省が復興予算として計上。約6万5千冊の書籍を電子化した。

この事業を受託した団体の日本出版インフラセンター(JPO、東京)は、たとえば昨年の6月20日に、内容に問題のある本が含まれていたとして、相当する補助金を返納すると発表した。

事業をめぐっては、東北の情報発信を目的に掲げながら、電子化された東北関連の書籍は全体の3.5%の2287冊にすぎず、成人向け書籍やグラビア写真集など100冊以上が補助対象に含まれていたことが明らかになっている。

「出版社が、適当に自社の書籍リストを出し、真剣に震災からの復興を考えてない証拠です。くわえて、電子書籍がPDF化されないのは、そうするとデザイナーや印刷屋にも著作隣接権が派生して、ギャラを払わざるを得なくなるから。つまり、電子書籍が、『PDFのほかのフォーマットとなる』ことは、本を作る協力者をないがしろにしているのと同じ意味です」(出版社幹部)

悲しいかな、本作りを助けるデザイナーや印刷屋、校正スタッフ、装丁家など「著作隣接権」のある人たちは、電子書籍市場にとって「邪魔」な存在のようだ。

▼ハイセーヤスダ(編集者&ライター)

テレビ製作会社、編集プロダクション、出版社勤務を経て、現在に至る。週刊誌のデータマン、コンテンツ制作、著述業、落語の原作、官能小説、AV寸評、広告製作とマルチに活躍。座右の銘は「思いたったが吉日」。格闘技通信ブログ「拳論!」の管理人。

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ストーカーメールの正体を暴く!

そのメールは、記憶する限り、2012年の6月に最初来た。

僕が取材で追跡している女子アナの弟にスキャンダルについての攻撃だ。

「Aさん(女子アナの弟)についての記事は、詫び状を出しなさい。Aさんにはお世話になったんだ」というメールが突如として入ってきたのだ。

もう原稿としては誌面に掲載されていることで、文句があれば通常は版元に行くのだが、メールには名前も住所も電話番号も書いていない。

こうしたメールを「スパムメール」と呼ぶのだが、徹底的に無視をすることにした。ただ、Aさんはヤクザなので、身の危険は感じたが。

◆自分は名乗らないのに相手には返信を求める

それから、どうも僕の敵になりすましたり、味方になりすましたり、どこで調べたのか昔の彼女になりすましたり、版元の編集になりすましたりして、なんとかして返信させようと「送り手」はあの手この手でメールを送ってきた。そのメール攻撃は半年ほどノンストップで来た。

「ふたりきりで話あったほうがいい」というメールが来たときに初めて僕は反応し、「どちら様ですか? いくつか出版社の名が出ているようですが、用事があるなら、こちらからお伺いします」と返したら、まったく返事がなかった。

自分が名乗らない。それなのに相手に返信を求める。

こうした行為を「お里が知れる」という。僕は「失礼な相手には反応するな」という教育を受けて育った。それは教えたほうが正しいし、今もなおまちがっているとは思えない。いったい、メールの送り手はどのような教育を受けた連中なのだろうか。もしかして、まったく教育というものを受けていないのだろうか。親の顔が見てみたいものだ。

僕はすべての迷惑メールの履歴を、警視庁の友人と、警視庁に深いパイプを持つ弁護士に送った。つまり「法的に相手を追い込む」ためにだ。無視できないのは、「今、○○にいるだろう」と場所を特定するメールを送ってくることだ。これは、脅迫に値するだろう。訴訟すれば勝てる案件だ。メールで精神的に追い込まれた「診断書」も持っている。戦えば勝率100%だ、犯人よ! 明日にでも訴状を送ろうか。

そうブログで宣言すると「AKB48」のスキャンダルを追跡しているときに、「今、AKBに手を出すと、とんでもないことになるよ」とメールが来る。まさに、「四六時中、監視している」ことをアピールしているのだ。その癖、「ここに電話せよ」と電話番号を明記している割には、電話をかけるとまったく出ない。いったい何がしたいのか。あまりにもふざけている。

また、僕が「警視庁」にいるときには、まったくメールが来ない。打ち合わせなどで「鹿砦社」にいるときにも来ない。これはどういうわけか。臆病なのか。まあ、メールでしか人を攻撃できない時点で臆病といえば臆病だが。

◆「関東連合について書くなら、こちらの情報で書きませんか」

ストーカーメールに詳しい警視庁の知人に聞くと「ひとつは、どういうメールを送れば反応するか、という統計をとっている」ということだ。今ひとつ、これはヒントになったが、「オークション詐欺を糾弾したり、関東連合について取材を始めると、そうしたメールが大量に送られてくる」とも聞いた。僕もある雑誌で、関東連合を追跡していたタイミングで「関東連合について書くなら、こちらの情報で書きませんか」というメールが来たが、電話番号を調べると、実は「ワンクリック詐欺」として有名な会社だった。カルト団体になりすましてメールを送ってきたことも、食品会社を装い、送ってきたこともある。

こうしたメールの履歴は、すべて警視庁に提出してある。

「今は、ストーカーメールの情報をしゃかりきに集めています。近く、いたずらメールを送りつける業者がたくさん逮捕されることになります」と警察関係者。最近では、海外のサーバーを経由してごまかしても、発信元が特定できるそうだ。民間の技術者を警視庁のサイバー犯罪課が採用してきた成果が出ようとしている。

そんな中、興味深い記事を見た。

1月7日にパリにある風刺週刊紙「シャルリー・エブド」の本社が、イスラム過激派と見られる男たちに襲撃され、漫画家や編集者など12人が殺害された。これを「表現の自由への侵害」として、謎のハッカー集団「アノニマス」のベルギー支部が、YouTube上に動画を投稿し、アルカイダやイスラム国に対して宣戦布告した。

おまえらには地球上で安全な場所はない

動画のタイトルは「#Op Charlie hebdo」となっており、画面にはおなじみのマスクをかぶり、フランス語で語る「アノニマス」のメンバーの姿が写っている。

そのスポークスマンは動画の中で、アルカイダやイスラム国に対し次のようなメッセージを送った。

「われわれはおまえたちを最後の1人まで追い詰めるだろう。そして貴様たちを殺すだろう。おまえらは無実の人々を殺すことを自ら許している。われわれは彼らの死に対する復讐を行うだろう」

「世界中のハッカーたちが、全てのジハーディスト(過激派)の活動をオンライン上で追うことになるだろう。そして全てのアカウントを閉鎖する、ツイッターやYouTube、そしてフェイスブックまで」

「地球上のどこにいてもおまえらは追跡されている。もはや安全な場所などない。われわれは『アノニマス』。そしてわれわれはレギオン(軍団、軍隊)である」

「私たちの民主主義にシャーリア法(イスラム法)を課すことはできない。貴様たちの愚かさのために、表現の自由を殺させはしない。警告する。おまえたちは破滅させられるだろう」

「われわれは決して忘れない。決して許さない。私たちを恐れろ!イスラム国や、アルカイダ、おまえらはわれわれの復讐を受け取ることになるだろう」

「言論の自由の重要さは、議論の余地のないことだ。貴様たちの取り組みは、民主主義への攻撃である」

「今後、直面する大規模な出来事に期待していろ。自由を守る戦いは、われわれの活動の根本にあたるからだ」

「アノニマス(anonymous)」は「匿名の」という意味の形容詞。彼らはインターネット上のオンラインコミュニティの利用者を中心に構成され、抗議行動やDDos(分散型サービス拒否)攻撃、クラッキングと言った行為を集団で行っていると考えられている。

実態は定かではないが、「アラブの春」では、エジプト情報省とムバラク前大統領のホームページをオフライン化させたり、チュニジアの「ジャスミン革命」でも政府側のウェブサイトにDos攻撃を仕掛け、内容を書き換えたりするなど、革命にも貢献したと言われている。

また麻薬組織へも対抗し、北朝鮮の弾道ミサイルの発射実験や、アメリカ政府の核実験に対する抗議も行い、関連するサイトを攻撃した。そしてサーバーをダウンさせたり、機密情報を公開させたりしたという。「IRORIO」より引用

僕自身は、いたずらのストーカーメールをもし送りつけて、そのリアクションを研究している集団がいるとしたら、それは「国際政治的な団体」、もしくはその端くれであるとにらんでいる。アノニマスなど「政治的ハッカー集団」の氷山の一角にすぎない。

一日中、人のメールを見ているなど、国家レベルの団体がやっているとしか思えない。そうでないとしたら、大金持ちが犯罪をするために「攻撃者」を排除しているのだ。

◆「どんなセキュリティも、3ヶ月後には破られる運命にある」

一時期、僕の携帯メールには「おまえが心を許している相手の取り巻きにも、お前の悪口を言っている相手がいるから気をつけろや」というメールが入ってきた。具体的な内容は伏せるが、ということは、僕がふだん会っている人のメールも覗いているということになる。また、自宅のメールには、やたら不正プログラムを送りつけてくるが、「送り手」よ! これも証拠は保全してある。

今、ハッキングの技術は、かなり上達していて、「どんなセキュリティも、3ヶ月後には破られる運命にある」のだそうだ。今後、セキュリティ会社、もし会えるならハッカーをとことん取材してみたいが、ストーカーメールの送り手たちよ! 僕としては、警察マターで縦横無尽に、君たちを割り出す手はずは整えてある。そして、どう接触してきても、迷惑メールなどは僕にとっては「ネタ」にしかならない。いつか「迷惑メール、その送り手の正体」という本を書いてやるからな。(伊東北斗)

◎迷惑メール詐欺を通報しても警察はまともに対応しないことが判明

◎大塚家具お家騒動まで機敏反映させるAVメーカー「妄想力」のクールジャパン

◎反原発の連帯──来年4月、電力は自由化され、電力会社を選べるようになる

◎誰もテレビを見ない時代が到来する?──テレビが売れない本当の理由

『紙の爆弾』が暴露した少女アイドルビジネスの凄惨現場

 


無意味な「火災報知器」設置義務化で行政への猜疑心は深まるばかり

消防法により各家庭には「火災報知器」の設置が義務付けられていることを読者の皆さんはご存知だろうか。一戸建て住宅では「寝室」、「台所」、「階段」に設置が義務付けられている。マンション(分譲・賃貸とも)やアパートでも一戸建て同様に「台所」、「寝室」には設置が義務づけられている。義務だが罰則はない。あくまでも居住者の安全確保の観点からということだからだろうか。

◆我が家の火災にこんな報知器が役立つか?

拙宅にも数年前に町内会の回覧板が回ってきた。なんでも町内会で共同購入すると市販の価格よりも安価に購入できるとのことで、半ば行政による誘導のような形で「火災報知器の購入」が促進された。私の知らないうちに家人が購入申し込みをしたので我が家には「火災報知器」が法令通り設置されている。

しかし、消防法により「設置しなさい」と義務化されたのは、火災が発生した時に消防署や、防災センターに直結・緊急で情報が伝わる機能を有するものではない。公的建築物にあるような従来の「火災報知器」と異なり、煙や熱を感知すると「そこだけで鳴る火災報知器」である(勿論各家庭がセキュリティー会社と契約をして火災報知器を設置することも推奨されているけども、そうすればかなりのコスト発生する)。

学校や大規模商店で火災報知機が鳴れば目の前に煙や炎が見えなくても、万が一に備えて心の準備をする効果は誰しも認めるところだろう。大人数の集まる場所では火災自体の被害はもとより、避難の際の二次被害も予防されなければならないから火災報知器の果たす役割は大きい。

でも、我が家で仮に火災が発生したとして、火災報知器はどんな役割を果たしてくれるだろうか。

◆「そこだけで鳴る火災報知器」では役に立たないという結論

まず、家の中に家族の人間誰かがいるケースを想定する。我が家は自慢ではないが広くはない。火の手が上がればまず居宅内のどこからでも目に入る。火事はおそらく火災報知器よりも人間の目によって発見されるだろう(これに対して「寝室等での火災の発生は夜が圧倒的多い」と行政は取り付ける根拠を主張しているが、それは冬季に石油ストーブや火鉢などを利用していた時代の発火原因に注目しているのであり、今日のように石油ストーブや火鉢利用が減少した時代には説得力を持たない論である。さらに「寝たばこ」も理由とされているが、これだけ嫌煙活動が広がった今日「寝たばこ」の危険性は過去よりも低下しているだろう)。

それでも仮に家族全員が就寝中に火災が発生して「火災報知器」が鳴り出したとすれば、驚いて目を覚ますだろうが、そんな高温になるまでゆっくり寝ていられるほどの広さの寝室は我が家にはない。

そもそも「そこだけで鳴る火災報知器」は音を出すだけだから、消火活動や消防への連絡は人間が手で行わなければならない。

したがって、家族の誰かが在宅中に「そこだけで鳴る火災報知器」は役に立たないだろうという結論に至った。

◆設置義務化の真の目的は別にある

では、家族全員外出中の火災ならどうだろうか。我が家から出火して火災報知器が鳴ってもその音は隣家には届かない。「火災報知器」が消防署や防災センターなどに直結していれば、家人不在でも消防車が駆けつけてくれるだろうけども、そうではなくて家の中でだけむなしく音を上げていても誰にも聞こえないし、何の役にも立たない。近隣の方が火災に気が付く頃には天井に火が回っているだろう。

勿論、我が家のような安普請ばかりでなく、寝室が広いお宅もあれば、部屋数が多いお宅だってあるだろうから、そのような住宅では「そこだけで鳴る火災報知器」も一定の役割を果たすのかもしれない。私とて「そこだけで鳴る火災報知器」の役割を全否定しているわけではない。中には被害を食い止めたり難を逃れる人もいるだろう。

だが、「そこだけで鳴る火災報知器」は法律で義務化しなければならないほどの重要性と効果があるのだろうか。厳格に消防法へ従えばワンルームマンションでも2個の「そこだけで鳴る火災報知器」を取り付ける必要がある。部屋数がもう少し増えて二階建てのお宅ならば3つや4つは最低必要だ。

本当に火災被害の低減を考えるのであれば消防署とは言わないけれども、地域ごとに火災の発生を感知するセンターなどへの接続を行っておかなければ意味は薄いのではないか。

くだくだ冗長に屁理屈を並べたが要は「こんな役に立たない物を義務化したのは、メーカーに儲けさせるためではないのか」と私はまたしても捻くれた邪推をしてるのだ。

◆同じく無意味は「チャイルドシート」義務化

同様な例は「チャイルドシート」にも当てはまる。「チャイルドシート」は6歳以下の乳幼児が自家用車に乗る際に設置するよう義務化されている。席数以上の人数が乗車する際などいくつかの例外規定は設けられているが、基本1児に1台が必要だ。

3歳と5歳のお子さんを持つ家族であれば2つの「チャイルドシート」にそれぞれお子さんを乗せなければならない。「チャイルドシート」は助手席にも設置できるけれども、事故の際助手席は最も危険の高い場所であるし、エアーバックの危険もあるので、常識的には後部座席にお子さんを乗せるのが望ましい。だがこれは実践してみればわかることだが、後部座席に2つの「チャイルドシート」を乗せると超大型車でない限り、空間がいっぱいになる。通常自家用車の後部座席は3人座れるが「チャイルドシート」を2つ乗せると3人目が座れるスペースはない。

つまり運転席、若しくは助手席からしか後部座席のお子さんの様子を見たり、世話をすることしかできなくなるのだ。3歳と5歳の子供で長時間おとなしくしているのはよほど「おりこう」な例外であって、長距離ドライブの際はやれ「おしっこ」だ「お腹がすいた」「外で遊びたい」とごねるのが自然だ。そんな時に保護者が隣にいれば、抱いてあげたりあやしてあげたりすることが出来るが、法令を順守し保護者と子供の物理的位置を車内で分離すると、面倒が増える上に、高速道路走行中などに子供が急に体調を悪くさせた時などに対応が出来ない。

なんでこんな無茶を義務化するのか。これまた自動車用品店やメーカーを儲けさせるためではないのか。

私の猜疑心をどなたか取り払っていただけないだろうか。

▼田所敏夫(たどころ としお)

兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

◎なぜテレビはどこまでも追いかけてくるのか?

◎《大学異論29》小学校統廃合と「限界集落化」する大都市ニュータウン

◎《大学異論28》気障で詭弁で悪質すぎる竹内洋の「現状肯定」社会学

◎《大学異論27》「学ぶ権利」を奪われたマスプロ教育の罪──私的経験から

◎《大学異論26》「東大は軍事研究を推進する」と宣言した濱田純一総長声明文

竹書房に新疑惑──なぜ、第1回文芸新人賞の選考結果を発表できないのか?

3月13日、雑誌の読者プレゼントの当選者数を実際より多く水増しして掲載していたとして、消費者庁は、漫画雑誌や漫画の単行本などを発行している出版社「竹書房」(東京・千代田区)に対し、再発防止を命じる行政処分を下した。

「要するに、雑誌に記載している当選者の数に対して、プレゼントをきちんと読者に送った数が少なかったのです。まあ、ありていに言えば『当選者がたくさんいるように装ったということ』です。かつて、秋田書店でも同じことをやり、罪に耐えかねて消費者庁に告発した社員がいましたが、これを見ればわかるように、消費者庁は、内部の社員からの告発がないと動かない。ところが、今回は、複数の社員が『景品を買えないのに水増し掲載した』という内部告発をしたと聞いている。まあ、悪いことをやらされているのに文句を言えない会社の体質にも問題があるのではないでしょうかね」(元社員)

消費者庁によると、一昨年8月までの1年ほどの間、「まんがライフ」や「まんがくらぶ」、「本当にあったゆかいな話」など7種類の漫画月刊誌、合わせて77冊で、読者プレゼントの当選者数を実際より多く水増しして掲載していた。(消費者庁リリースPDF

具体的には、当選者の数が1人なのに5人と掲載していたケースや、中には、当選者3人としながら誰にもプレゼントを送っていなかったケースもあったようだ。こうしたことから、消費者庁は、消費者に誤解を与えるとして竹書房に対し、景品表示法に基づき、再発防止を命じた。

命令について、竹書房は「真摯(しんし)に受け止め、社内の体制を強化して再発防止に取り組んでいきたい」とホームページに記載している。(竹書房ホームページ)。

◆昨年6月発表予定の文芸新人賞の選考結果がいまだ出せないのはなぜか?

「問題は、もうひとつある。実は、昨年の3月に文学賞を募集したのはいいが、発表が昨年6月末だったのに、いまだに発表がない。中には、『応募が少ないと困るから盛り上げるために投稿してくれ』と竹書房関係者に頼まれた日本推理作家協会の重鎮がいて、多数の弟子に投稿させたものの、まったくなしのつぶてで、その関係者は、挨拶なしで出版界から消えた。重鎮がぶち切れて、あちこちに話がまわってしまい弟子のみならず、作家たちの間で『ふざけるな。お前ら、あそこには書くな』という話になっていることです」(同)

もはや作家たちの間で「なぜ竹書房の文学賞の発表がなされないのか」は、ミステリーだが、これには、3つの説がある。ここのヒット作ではないが、まさにそれは謎として「都市伝説」になりつつあるのだ。

まずひとつは、「第2の佐村河内誕生を避けた」説だ。

「僕が聞いたのは、ある地下アイドルが応募してきたのが発覚したのですが、わりと力作だった。ところがちょうど佐村河内と新垣さんの『ゴースト』問題が起きた。それで『本当に本人が書いたのか』『確認しろ』という話となったが、事務所と出版社の力関係では事務所のほうの力関係が強く、確認しきれなかったという話です」(作家)

2つめは、「銀行からの警告により、ヤクザ雑誌を2つやめたのですが、それで腹を立てた暴力団関係者として知られるヤクザライターが、これみよがしに応募してきたようなのです。読んでみると、実はおもしろくて当確ラインから外せないとわかった。『作家としてはおもしろい作品を書いているだから、出自や仕事は関係ない』とする実力派編集者と、暴力団との交際が発覚すると銀行から融資を引きあげざるを得なくなるので、『見ないふりをする』という現実派がぶつかりあって結論が出ない」(編集プロダクション)という線だ。

3つめは、これは噂だが「経営難で、賞金を本当に払えなくなった」ということだ。

「実は、竹書房の場合、支払いは大手よりは安いかもしれませんが、滞ったとは聞いていません。ただ、少しでも安い印刷屋を探していたり、少しでも値引きがきく倉庫を探すため、血眼で情報集めをしていたりするので、そういう話に尾ひれがついて、経営難の噂があるのかもしれませんが」(元社員)

それにしても、もし払いたくないなら「該当なし」でアナウンスすればいいという声も多数ある。「1年近く、アナウンスしない文学賞はちょっと記憶にありません」(雑誌「公募ガイド」編集者)

応募した作家志望の人に聞いてみると「いつ電話しても『そのうち発表します。もう少しおまちください』と判を押したようにいわれるだけ。もしも、税務署対策かなにかで『文学賞募集』とホームページに出しただけだとしたら、これこそ読者への「もうひとつの裏切り」ではないですかね」とのこと。

◆400字詰めで200枚以上の文芸作品を募集しておきながら……

2ちゃんねる」 には、「文学賞 日本語読めぬ 審査員」「文学賞 その賞金は 俺のギャラ」などと、ここの文学賞を揶揄する川柳がたくさん並んでいる。

確かに、2013年には竹書房のホームページにはこのように出ていた。ログもある。
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●募集概要
ジャンル:自作未発表(電子書籍、ホームページ上での発表含む)の長編エンターテインメント文芸作品、ジャンル不問
・枚数:400字詰め200枚以上 手書き原稿不可
原稿には必ずノンブル(ページ数)を入れ、原稿の表紙にタイトル、氏名(本名・ペンネーム共に入れる)、年齢、住所、電話番号、メールアドレス、略歴を明記する
原稿用紙3枚程度の概要(あらすじ)をつける
・締切:2014年3月未
・発表:2014年6月未 竹書房ホームページ上にて
・応募先:102-0072 東京都千代田区飯田橋2-7-3 株式会社竹書房
「第1回 竹書房エンターテインメント文芸新人賞」係
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「バカにするにもほどがある。金輪際、文学賞を設けてほしくない。まじめに応募した人に対しても、きちんと責任をとるべきです」(日本推理作家協会会員)

「もしこのまま発表されないとしたら、残念ですね。けっこう応募した生徒たちが楽しみにしていたので」(小説教室主宰者)

竹書房よ! これ以上、読者や作家をバカにするなら、ほかの国でやっていただきたい。少なくとも読者は汗水流して働いた金で雑誌を買い、懸賞を楽しみし、作家志望者は懸命に知恵を絞って執筆し、文学賞に作品を投稿したにちがいないのだから。

(鈴木雅久)

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大塚家具お家騒動まで機敏反映させるAVメーカー「妄想力」のクールジャパン

経営権を巡る父娘の対立が激しさを増している老舗の家具メーカーの大塚家具。創業者である父の大塚勝久氏が2月25日に突然会見を開き、長女の大塚久美子社長に辞任を求める異例の事態に発展した。

「安い家具メーカーの台頭で、売上が凋落し、会社の改革を求める大塚久美子社長と、昔ながらのやりかたを求める勝久会長との確執ですよ。家族内の内紛というより、経営方針の食い違いで、お互いの弱みをマスコミに暴露する泥試合となっています」(経済雑誌記者)

◆「家具屋姫、暴虐の羞恥~欲しがりません、勝つまでは」などなど

なお、このトラブルに乗じて「久美子社長は、あの年齢にしては美人だ」というところから始まり「家具屋姫、暴虐の羞恥~欲しがりません、勝つまでは」というタイトルのAVや「お家騒動 ベッドで突いて」などという乱交もののAVも企画されているようだ。

「この女社長がやらせてくれないと、社員たちが下半身にストレスが溜まり、優秀な社員が退社してしまう」と社内が混乱したり、「父親を社長に戻して家畜にして欲しい」とOLが叫んだり、「大株主さんを肉弾で落とす女役員が出現」など、企画会社がメーカーにプレゼンするシナリオは懲っているのひとこと。問題は女優だが、「林ゆな」「雪菜」などの人気熟女が候補にあがっているという。

「こうした社会的な出来事を、すぐにAVのタイトルと企画に反映させる」手法は、AV業界ならではだ。

「年老いた会長と、熟女の社長が近親相姦するという案も出るには出たが、あまりにもリアルなので却下されたと聞いています」(AV業界関係者)

アイデア一発で、ヒットにつながるので、こうした時事ネタの企画が今はAV業界では通りやすいようだ。

「さすがにイスラム圏で拉致されて、女ジャーナリストが乱交してきたという内容の企画書がありましたが、すぐにボツになりましたね」(同)
今やAV業界を見れば世相がわかる。不謹慎ながら、川崎の中1事件になぞらえて「川崎ギャングにレイプされて」なんていう不見識なタイトルが浮上してくるのも時間の問題かもしれない。

◆「機を見るに敏」の妙技──AVコピー大賞はないものか

その昔、「喜びも悲しみも幾年月」という映画があった。これを真似てAVは「喜びの悲しみもイク腰つき」ときた。また「インタビュー・ウィズ・バンパイア」というドラキュラの映画が受けたら、「インサート・ウィズ・バンパイア」とタイトルがつけられて、ドラキュラとAV女優の絡みのAVが受けた。

沢尻エリカが映画のキャンペーンで女子アナに「ロケーションの思い出は何かありますか」と聞かれて「別に」とぶっきらぼうに答えた場面も「別に…犯された女優のレイプ?生意気過ぎる女」などというAVも出た。
「タイトルをつけているのは監督や現場のプロデューサーです。とくにコピーライターや専門の人が入っているわけではありません」(AVライター)

小保方騒動があったときは「万能性欲ERO細胞はあります…」理系女子リケジョの性欲は激ヤバイらしい…研究ユニットリーダー小●方さんが媚薬研究しているうちに…「研究に不正はありません!私自身が臨床実験に成功、性交し効果を体感しています」との長いタイトルの作品が、また、これはボツになったが、例の水商売のアルバイトの過去により内定取り消しとなった女子アナ事件を彷彿とさせる「女子アナ面接 受かるためには過去を消してアナルで奉仕」なる作品も企画としてあがっていた。

「まさに機を見るに敏。『アナルと天国ゆきの女王』とか、タイトルが先に決まってから、内容を合わせていく撮影のやりかたもあります。ただ、このところ秀逸なものは見あたりませんね。頻繁に今、制作会社は、企画を募集していますが、それとて『おもしろいタイトルが思いつかない』からだと言えますよ。タイトルが美しく、ジャケットがエロければ作品は売れますからね」(同)

ほかには、おもしろいタイトルは「渡る世間はエロばかり」「20センチ少年」「こきせん」「となりのスカトロ」「不思議なクンニのアリス」「前戯なき戦い」などなど。

「もしもAV作品にその年の優秀なものを表彰する『タイトル賞』があれば、さぞかしレベルが高いものになるでしょうね。なにしろ、タイトルを考えるだけで一週間も連続して会議してへとへとになった制作会社もあるほどですからね」(AV業界関係者)

◆新人ADに「タイトルを100考えろ」と命じるAV業界の激しい競争力

一年目のADなど、「タイトルを100考えろ」などと上司に言われるのはもはや常識。だからこそ思いつかないで新人がビシバシ退社、常に募集しているという事態に陥っているのだが。

2000本も売れれば大ヒットと言われるAVの世界。今、無料でエロ動画が楽しめる時代ゆえに競争は激しい。メーカーのホームページを開けば、確かにどこもかしこも企画を募集している。一旗あげたい諸兄は、一度応募してみるといいかもしれない。

(伊東北斗)

◎誰もテレビを見ない時代が到来する?──テレビが売れない本当の理由
◎粗製濫造で編集劣化──「女性向け官能小説」電子書籍化事業がこけた理由
◎《誤報ハンター01》芸能リポーターらが外しまくる「福山雅治」の結婚報道

安倍政権「カジノ解禁計画」の背後にうごめく影──『紙の爆弾』4月号

秘密保護法紛いの就業規則改定で社員に「言論封殺」を強いる岩波書店の錯乱

気が重い。正直これから御紹介する内容は私の勘違いか、誰かのうっかりミスで「ほら、やっぱりそんなことはなかったじゃないか」と安堵したい。

だが、事実は事実である。いかに残念な事態であろうが正視するしかない。

岩波書店が就業規則の改定を検討している。詳細は同社社員で佐藤優の起用に孤立無援で異を唱えてきた金光翔氏による「岩波書店の就業規則改定案について」(2015年3月15日付け首都圏労働組合特設ブログ) が詳しいので是非ご一読頂きたい。

◆自社関係者を「誹謗中傷」した社員は解雇! 「風紀を乱す恐れ」のある社員は出入禁止!

端的に言えば「岩波で文章を書いたことのある人間や社内の人間、また取引先に対して批判 (改正案では「誹謗中傷」と言う言葉が使われているが実際に意味するところは「批判」も含まれるであろうことは、その他の改定が検討されている内容を見れば明らかだ)をするな。もしそんなことをしたらクビにする ! 」という宣言だ。

また、「会社は他の職員の懲戒に該当する行為に対しほう助または教唆もしくは加担したことが明白な職員については本人に準じて処分する」ともある。
さらに、「会社の風紀を乱し、または乱す恐れのある者」は「社内への入館を禁止し、または退館を命ずることができる」ようにしたいそうだ。

こんな恐ろしい就業規則を持っている出版社があるだろうか。「風紀を乱した」ら会社への立ち入り禁止だそうだが「風紀」て一体なんだ? 小学校なら風紀委員がいて「遅刻」や「喧嘩」した児童を学級会で問題にして反省を促すかもしれないけども、出版社の就業規則に「風紀」と言う言葉は馴染むだろうか。

しかも風紀を乱していなくても「乱す恐れがある者」なんて一体どうやって決め付けるんだ。「お前は風紀を乱す恐れがある」と言われてしまえばそれは確率的にはゼロじゃあないんだから誰一人反論は出来ないじゃないか。社長や役員だって酩酊して人に迷惑をかける「可能性」はあるわけだから、厳格にこの規定を運用すれば岩波書店の社屋には人が一人も居なくならなければならない。

「他の職員の懲戒」に関する、「ほう助」や「教唆」、「加担」という言葉を眺めていると、これは「就業規則」ではなく「特定秘密保護法」の条文ではないかと錯覚してしまう。

◆「戦後リベラルの象徴」岩波書店が日本国憲法の精神を堂々と無視!

この就業規則改定案には「日本国憲法」の精神や明文規定が全く意識されていない。「会社に入ると法律も憲法もない」と名言を吐いた人がいたけれども、そんな会社でも就業規則は法律の範囲内で書かれているはずだ。あくどい会社であればあるほど外部の目や労働基準監督署を気にするから社内規程は綺麗に書いてあるものだ。そしてそれを堂々と無視する、というのが標準的な日本の会社だが、岩波書店が行おうとしている就業規則の改定はそれ自体が「不当労働行為」に該当するのではないか。少なくともこれらの改定案は非合理的であるばかりでなく、社員への恫喝に近い。「風紀を乱す恐れ」のある者にならないように社員が萎縮するのは間違いない。

私のような場末に生きる人間がまさか「あの」 (「あの」は「信頼をおいていた」の意である)岩波書店を批判しなければならない日が訪れるなどとは想像もしていなかった。

今さら私が解説するまでもなく岩波書店は老舗で良書を膨大に出版してきた実績を持つ。数ある出版社の文庫の中でも岩波文庫は別格の評価を得ている。私自身お世話になった岩波書店出版物は200や300冊ではきかない。たしかに『世界』(岩波書店が出版する月刊誌 )はちょっとお高くとまりすぎていて愛読書にはならなかったけれども、良質な文章が頻繁に寄稿されていることは間違いない。

その岩波書店が一体どうしたのだ ! 読売新聞や産経新聞でもこんな就業規則は採用しないだろう。

◆岩波書店の著者たちはこの就業規則改定を是認・黙認してしまうのか?

岩波書店の就業規則改定は笑われるだけでは済まないだろう。少なくない作家や著述業者が疑問を持つに違いない。本当に良心のある作家や研究者はこの事態を知れば黙ってはいまい。真の知識人とはそういうものだ。

この就業規則改定に当たっては、長年孤立無援で会社と戦ってきた金光翔氏個人を狙い撃ちにしたものである可能性も否定出来ない (その辺りの事情は『告発の行方2』鹿砦社に詳しく掲載されている)が常軌を逸していると言わざるを得ない。

岩波書店はリベラルだ、とのイメージを持っていた私は馬鹿だったのだろうか、それとも岩波書店が馬鹿なのだろうか。こんな比較をする日が来ようとは。誠に不幸極まりないし残念至極である。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

◎3.11以後の世界──日本で具現化された「ニュースピーク」の時代に抗す
◎恣意的に「危機」を煽る日本政府のご都合主義は在特会とよく似ている
◎橋下の手下=中原徹大阪府教育長のパワハラ騒動から関西ファシズムを撃て!
◎福島原発事故忘れまじ──この国で続いている原子力「無法状態」下の日常
◎渡辺昇一の「朝日憎し」提訴原告数が「在特会」構成員数とほぼ一致

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《大学異論33》竹宮恵子学長の褒章受勲は京都精華大学「自由の危機」

「またこいつ捻くれたことをいいやがって」との謗りを承知で敢えて私見を開陳する。

私はいい年をしてよく他人から叱られる。「だから拗ねてるんだろう」と言われるかもしれない。おおよそ「お褒め」にあずかるような人間ではない。

「勲章」という言葉は誰でも知っているだろう。でも抽象的な意味の「勲章」ではなく日本国の「勲章」をもらったことのある人は読者の中にはいないであろう(もしいらしたら失礼!)。

日本国の「勲章」は選考で内閣総理大臣が決定した「叙勲候補者推薦要綱」に基づいて両院の議長、最高裁判所長官、各省大臣、会計検査院長、人事院総裁、宮内庁長官から国家公安委員長などを経て内閣総理大臣に対して受章候補者の推薦が行われる。そして内閣総理大臣が候補者を審査して閣議決定が行われ、その後天皇に意向を確認して承諾を得た後発令されるという手続きを踏む。

つまり、安倍により選考されて「行政司法のほとんどの最高権力者の承認」を得た後、天皇から授けられる「お褒め」であり「ご褒美」である。実際にこれらの人々がいちいち作業をするわけではないのは当たり前にしても、安倍をはじめこんな連中からからほめてもらって恥ずかしくはないのか。

各分野で活躍をしたと「国家」によって認められた人に「勲章」は授与される。22種類の勲章はどういった分野での活躍が認められたかなどにより種類と等級がことなるが、毎年8000名ほどが受勲している。

◆「自由自治」が建学理念の大学学長が「勲章」を受けるという意味

毎日のように他人様から叱咤されている私のような不逞な輩と正反対に「立派な」仕事や「立派」だと国家が認めた人に対しての究極の「ご褒美」が勲章だ。

そんな私が語っても説得力はないけれども、私は「受勲は恥だ」と考える。国家権力への絶対的服従を意味するからだ。

もらわれる方が満足されているのであればそれは結構、余計な口出しはしないけばいいのかもしれないが、せめてボケが回ってから「冥土の土産」程度にしておかないか。若い頃に素敵な芸術作品を創作したり、映画を撮ったりした人が受勲する度にがっかりさせられる。「ああこの人もこの程度だったのか」と。安倍やこの国の権力者連中から褒めてもらうのがそんなに嬉しいのか。

というのには訳がある。

京都精華大学という私立大学がある。全国的にはさほど有名ではないが、特色のある個性的な大学として業界では異彩を放つ大学として知られている。かつて朝日新聞社が発行していた『朝日ジャーナル』の「100万人の大学」というシリーズで第1回目に東京大学が紹介され、それに続く第2回目に登場したのが他ならぬ京都精華大学(短期大学)だった。既存の大学の概念を根底から見直して学園紛争で問われた大学の問題を解決しようという試みは、これぞ大学の本分と感激しながら読んだ記憶がある。この大学にはリベラルな教員も多数在籍し、先進的な取り組みは総じて「東大と逆」の指向性を感じさせるものであり私は好感を抱いていた。

ところが同大学で現在学長の漫画家でもある竹宮恵子氏が昨年11月、紫綬褒章を受け取った。

現役私立大学の学長が「勲章」を受ける。これは「国家権力に大学は刃向かいません」と宣言しているに等しい。同大学の建学の理念は「自由自治」とHPで紹介されている。大学にとっての「自由」はまず何よりも国家権力からの「自由」でなければならないのではないか。「時代錯誤だよ」だとか「そう構えるなよ」とか今日もまた叱られそうだけれども、この大学学長「受勲」は「事件」だと思う。日大や国士舘大で同様なことが起こっても「事件」とは感じないけれども日本の中でも相当精鋭に「リベラル」だったはずの大学でこういう事態が起こる時代なのだ。

「事件」は凄惨な形でもなければ惨たらしくもなく、表面的には慶賀の形を装い進行する。私のような「不遜者」を除いて「受勲」はなかなか批判しにくいはずだ。それだけに余計たちが悪いのだ。国家が表に見える形で大学教育へも猫なで声で侵食を進めてきたということだ。「大学学長とは関係なく漫画家として評価されたんだからいいじゃない」という声があるかもしれない。

たしかに若い頃の苦労のせいだろうか、おおよそ「国家的」な香りと無縁だった漫画家の受勲は少なくない。でも国家意思の侵食は止め処がない。何も戦争を例に取らなくともここ数年の安倍政権を見ていればご理解いただける読者も多いだろう。そして「侵食は止め処ない」証拠を残念ながらすでに竹宮氏は証明してくれてしまった。

◆受勲後に「中教審」入りする学長に精華大はなぜ異議を唱えないのか?

竹宮氏は受勲後、本年2月から「中教審」の委員にも就任している。「中教審」とは「中央教育審議会」の略称だが、文科省の「諮問機関」であり主として教育行政についての提言を行う。行政官庁や政府の「諮問機関」は例外なく「結論ありき」でその政策を正当化するための「一見さまざまな方のご意見を聞きました」と形だけ残すための道具でしかない。竹宮氏個人が特に極端な思想の持ち主だとは思われないけれども、受勲後に「中教審」入りするような学長が、こともあろうにかつては東大と対比された大学から出てくることが恐ろしいのだ。ちなみに現在中教審委員長は北山禎介三井住友銀行取締役会長である。教育行政に提言を行う諮問機関の委員長がメガバンクの会長であるあたりから胡散臭さはうかがい知れるだろう。また委員には櫻井よしこも名を連ねる。いわずと知れた右翼の論客、櫻井あたりに文科省の本音を代弁させたいのだ。

気概のある教育関係者の間で「中教審」といえば「鬱陶しい物」の代名詞である。ろくな提言を行ったためしがない。大学人の間では常識だ。竹宮氏叙勲は個人の話としても、学長として「中教審」入りすることをかつて「リベラル」で名が知れたこの大学の教員や幹部は結局誰も止めなかったという結論に今日的危機の深刻さを改めて痛感させられる。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

◎《大学異論32》大学・刑務所・造幣局──入学試験で繋がる意外な関係
◎恣意的に「危機」を煽る日本政府のご都合主義は在特会とよく似ている
◎中原徹の越権と橋下徹の無法──憲法軽視の弁護士上がりが大阪を壊す

日本を問え![話題の新刊]内田樹×鈴木邦男『慨世(がいせい)の遠吠え─強い国になりたい症候群』


柴咲コウが同調し、小泉今日子も後押し?──小栗旬「俳優労組」結成への道

過去を隠して人気キャスターと「契約結婚」し、幸福を求める自分と、旦那の成功を天秤にかけて苦悩する女を描いたドラマ「○○妻」(日本テレビ)の撮影は昨年内に終了。早めに終わらせたドラマの場合、番組のプロモーション活動に力を入れることが多いのだが、主演の柴咲コウはそんな番宣にイヤな顔をしていたという話が聞かれる。

「ある番組出演でドラマをPRするコーナーを設けてもらったんですが、おおよそ8分の尺を用意してもらったところ、柴咲が“長い!”と急きょその半分ほどに変更させたという話です」と番組関係者。

「もっともドラマ本編の撮影でも、柴咲さんの不機嫌はあったようで、共演者の遅刻で待たされた際、罪のないスタッフを怒鳴り散らしたと聞きます」(同)

◆噂に翻弄される柴咲コウの憂鬱

その原因は定かではないが、関係者間では諸説が乱れ飛ぶ。

「過去の過ちを引きずりつつも明るい未来を目指していく難しい役作りにピリピリしていた」「脚本の遊川和彦が撮影現場に来て、演技について口出し、それをスタッフが鵜呑みにしたことでギクシャクした」「来年のNHK大河ドラマの出演オファーを本人の意向と違ったところで断ったことが理由」「単に花粉症だったらしい」などなど。

柴咲といえば、元サッカー日本代表の中田英寿との仲が噂されるが、当然ながら、この話は関係者間でもタブーとなっていたという。「そんな話を持ち出したら不機嫌どころか仕事をひっくり返す騒ぎになりそうだった」と同関係者。
それでも柴咲は昨年8月に三池崇史監督の映画『喰女─クイメ─』、12月に小栗旬主演で人気を集めたドラマの映画版『信長協奏曲』と、立て続けに出演し女優としては脂がのった状況で、少々のご乱心も許されているという。

「本人はギャラで仕事を選ばず、中身で選ぶところ、所属事務所はやはりギャラ優先にしますよ。そこは食い違いが出て柴咲の不機嫌につながっているという話ですが、撮影の打ち上げひとつでも『打ち上げに行く、行かない』で揉めたり、彼女の機嫌を取るのもスタッフの仕事になりつつあります」(同)

一部で柴咲はヘビースモーカーだといわれるが、番組関係者によると「たばこを吸ったところは見ていないし、喫煙室を用意しろとも言われていない」という。演技の世界では演技中にタバコの口臭が出てしまうのはマナー違反といわれることから、柴咲がそれを守ってイライラしているのかもしれないが、日本テレビ広報は柴咲の不機嫌自体を「掌握していません」と否定している。

◆昔よりも裏の圧力が弱まっている

一方、そんな柴咲が「芸能界の悪しき風習をぶち壊さないといけない」と言い出している小栗旬に同調して、俳優の組合作りを支持するというウワサもある。

小栗は昨年、現在の芸能界に不満を持って俳優の労働組合を作りたいと雑誌の対談でほのめかしている。「みんなけっこう、いざとなると乗ってくれないんですよ。やっぱり組織ってとてつもなくでかいから“自分は誰かに殺されるかもしれない”くらいの覚悟で戦わないと、日本の芸能界を変えるのは相当難しいっすね」と言いながらも「本格的にやるべきだなと思っています」と業界ではタブーとなっている権利独占ビジネスへの戦いの旗振り役となることを宣言した。

そこに「信長協奏曲」で共演した柴咲も同調し、大手芸能プロのキャスティング寡占に反旗を翻すのではないかというわけだ。

ただ、この話には伏線がある。それ以前に業界を牛耳るバーニングの大物タレント、小泉今日子も『芸能界の裏の帝王』こと周防郁雄社長に背を向けるように業界批判をしており、一部の人気タレント連合ができつつあることで名乗りを上げやすくなっていると見られる。小栗発言は業界内でも物議を醸し、決まりかけていた映画出演が白紙になったというウワサもあるのだが、それでも何の影響もなくテレビ新CMに起用されたりもしている。昔よりも裏の圧力が弱まっていることを示したともいえる。

「小栗は共演者がバーターで起用された演技力のないアイドルだったりすることにいら立っての発言で、今後は自腹で稽古場を作って政治力に左右されない俳優養成所を持ちたいようです。これは柴咲も同じで、自分にはるか及ばないアイドル女優と肩を並べることに腹を立てたという話」(芸能ジャーナリスト)

◆小泉今日子が独立すれば業界秩序は一変する

言われてみれば、福山雅治主演の大人気のドラマ「ガリレオ」は最新シリーズではヒロインの柴咲コウが降板して、福山と同じ事務所の吉高由里子に変更したことがあった。このあたり柴咲の不愉快な思惑があったとしてもおかしくはない。とはいえ、自分自身の力では芸能村の掟に逆らえるわけもなく、現場での不機嫌でうっぷんを晴らすしかなかったのかもしれない。ただ、小泉今日子がバーニングから独立するような動きが本当にあれば業界は一変する可能性もある。

小泉は、もともとアイドル時代に事務所に無断で髪をショートにし、恋愛を繰り返す「やんちゃ姫」で、そのうちに「社長になるのが夢だった」と公言、バーニングの次期社長に抜擢されるという仰天情報が乱れ飛んだこともある。そんな中、雑誌『AERA』で「私みたいに事務所に入っている人間が言うのもなんだけど、日本の芸能界ってキャスティングとかが“政治的”だから広がらないものがありますよね。でも、この芸能界の悪しき因習もそろそろ崩壊するだろうという予感がします」と発言。古いタイプの芸能コメンテーターはバーニングに気をつかって、ここぞとばかりに小泉の発言を批判的に取り上げていたが、逆に「よくぞ言った」という声も少なくなかった。

長い間、芸能界の闇を追ってきた芸能ジャーナリストの藤堂香貴氏は言う。

「通常なら干されてもおかしくない発言ですが、一説にはキョンキョンが芸能界のドン、バーニングの周防郁雄社長の顔を立てるために一肌脱いだことが何度もあり、それで彼女は何をしてもお咎めなしだといわれています。小泉は30年以上もバーニングを支えてきた功労者である一方、周防社長の裏の裏まで知り尽くしているとも言われていますし、タレント以上の力があるのは事実」

小泉の後押しで小栗、柴咲といった俳優が悲願の労働組合結束につながるのか、それとも過去の例に倣って潰されるのか、裏の動きに注目だ。

(ハイセーヤスダ)

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