「福島の叫び」を要とした百家争鳴を!『NO NUKES Voice』第3号本日発売!

編集後記(松岡利康=鹿砦社代表)より

鹿児島川内原発ゲート前(2015年1月25日)

『NO NUKES voice』vol.3をお届けします。3・11から4年の直前ということもあり、vol.1、vol.2に比べ大幅なページ増(24ページも!)となりました。それでも次号に回させていただいた原稿もあります。本来なら定価も上げるところ、えいっ、据え置きました。まだまだ知名度もなく、広く多くの方々に手にとっていただくことを最優先に考えたからです。

vol.1、vol.2は、それなりに反響があったものの、発行部数が多かったこともあり大幅な赤字でした。それでも大幅にページを増やしたり定価を据え置いたり、さらに赤字を増やす危険を冒してイカレてしまったのか!?

今のところは会社も少しは余裕もあり、ははは、大丈夫、大丈夫!(苦笑)しかし、まだ余裕があるうちに黒字化に持って行きたいところです。そうしないと続きませんからね。できるだけ早く本誌だけで採算的に独立できるように努めたいものです。

vol.1、vol.2に続き今号も力作が揃いました。特に若い時から陰ながら尊敬していた水戸巌さん、高木仁三郎さんお二人のご夫人に同じ号でご登場いただけたことは、おそらくこれまでなかったことではないでしょうか。日本の反原発運動の先駆けでありながら、いろんな妨害などで孤立無援に近い闘いを持続してこられた水戸・高木両氏、今こそ私たちはお二人の想いや意志を甦らせねばなりません。

特に(私個人としても)お二人が70年代初めに関わられた三里塚闘争の意味、これが共通項になっていることに着眼していただきたいと思います。私も当時、第二次強制収用阻止闘争前後に一時期三里塚と大学(京都)を往復したりし、この第二次強制収用阻止闘争を闘いました。この体験が今に生きている思っています。あれだけシンドい闘いをやれたのだから、あれ以上の闘いはないし、どのように苦しくても頑張れる……と自分に言い聞かせてきたつもりです。

話が逸れるかもしれませんが、経済産業省前のテントひろばこそ、“もうひとつの三里塚闘争”といえ、かつて三里塚闘争に関わった方々(“老人行動隊”!? 失礼!)が多く支えていますので、これはちょっとやそっとでは潰れないと思います。

同じ時代に三里塚闘争に関わりながら、お二人の想いや意志を理解できず、結果としてお二人を孤立無援に近い情況にしてきたことが悔やまれます。

◆本誌を3号編集して、まだ3号だけですが、多くの方々にご協力賜っています。人間は統一、画一を求めるようで、同じ意見でなければ排除したり、同じ雑誌に意見の異なる人を登場させることを嫌いがちです。しかし、100人の人間がいれば100人、個性も考え方も異なります。今号に登場されている方々を見ても、脱(反)原発という点では同じでも、微妙に、いや、かなり意見が異なっています。確かに寄稿やインタビューを依頼する際、私自身の好き嫌いも否めませんが、最大限本誌は百家争鳴で行きたいと思っています。

この際、少なくとも重きを置きたいことは、まず福島の方々の生の声をできるだけ盛り込む若い世代、研究者、(ノンセクトの)活動家、アーティストら多種多彩な方々に登場いただき、まさに百花繚乱の雑誌にできれば、と考えています。ただ、政党や党派関係の方は、みずからの発表の場や媒体があるでしょうから、べつに本誌に登場いただかなくてもいいでしょう。

◆投稿欄で板坂剛さんが小出裕章先生の「私は喜んで非国民になります」との言にいたく感銘を受けていますが、これに倣って「非国民会議」を設立しようと意志一致しました。官製の「国民会議」というのがありますが、これに対抗し「非国民会議」、いいんじゃないでしょうか。しかし今、原発やオリンピックに反対したりすることは果たして国益に適うのか、むしろ逆説的に「非国民」と開き直る小出先生らのほうが、よっぽど愛国者だと思います。この期に及んでまで、美しい日本の国土をさらに荒廃させる原発推進支持者こそ、真の意味で<非国民>だ!

次号vol.4は5月発行予定です。ご期待ください!

松岡利康(鹿砦社代表)

鹿児島川内原発ゲート前(2015年1月25日)
本日発売『NO NUKES Voice』3号目次はこちら!

《未来小説》イスラム国日本潜入!「ISIL VS 自衛隊」もし戦わば…[後編]

緊急シミュレーション:イスラム国日本潜入!「ISIL VS 自衛隊」もし戦わば…(後編)
作=青山智樹(作家、軍事評論家)

暑い。ヘルメットを砂漠の太陽が容赦なく照りつける。だが、脱ぐわけにはいかない。
ヘルメットには国籍マーク、日の丸が描かれているからだ。

ヨルダン自体はイスラム教シーア派の王の元にまとまっているが、立憲化に反対する勢力、反政府勢力、スンニ派ゲリラが入り交じっている。国連に対しては寛容だが、反アメリカ主義のアルカイダ勢力もある。政府軍や、国連軍、アメリカ軍だという理由だけで銃撃される恐れがある。

だが、日本を敵視する勢力は例外的にISがあるだけだ。もし、日本ではないと認識されたら、すぐにミサイルが飛んでくるかも知れない。

日が傾き、一日の作業が終わる。施設隊員たちは輸送車に乗り込み、宿営地に戻る。警備にあたっていた普通科も乗り込む。幸いにして今日も弾は飛んでこなかった。砂漠の中で野営することもできたが、何かの間違いで砲弾が飛んでくるかも知れない。憲法が改正されても、自衛隊が自分から攻撃するのは手控えたい。憎しみは憎しみしか生まない。現場で、凄惨な最前線を見た隊員ならではの実感だった。

だが、帰路、宿営地から工事現場へ戻れという指示が飛び込んできた。

「なんだって?」

「工事中の道路の2キロほど先に村落がある。住人は30人ほどだが、その村を今夜ISが急襲するという情報が入った。その前に住人を救出しろ」

「なんだってそんな小さな村を」

「偶像崇拝だそうだ」

皮肉にも原因は先日、C2が投下したパック飯のイラストだった。

イスラムは偶像崇拝を禁止している。仏像や、キリスト教の十字架、神道の鏡、すべて偶像として排除される。信仰の対象は唯一、クルアーンのみである。特にISの規律は厳しく、紙幣や硬貨などに描かれた人物像すら禁止である。

拾ったとは言え、食料パックにキャラクターが描かれていたら、クルアーンの教えに背いたとして死である。被刑者が女性の場合、原則として輪姦される。処女のまま死ぬと、清らかな存在として次の世界では神に近い位置に生まれ変わるとされる。ISとしては犯罪者を清らかなまま死なせるわけにはいかない。殺す前に念のために犯す。

「アメリカ軍にやらせたらどうなんです。やつらガンシップ持ってきているでしょう」

C130ガンシップ。輸送機の側面にバルカン砲、100ミリ砲を取り付け、遠距離から精密攻撃をする。大型機に高精度の赤外線探査装置を持ち、精密な攻撃が可能だ。

「偵察機は出すらしいが、相手が難民か、ゲリラかどうか判るわけじゃない。下手すると逃げてきた難民が皆殺しだ」

宿営地へ向かっていた隊列は一旦停止した。帰還する施設科と、普通科を分け、普通科は夜を待った。

日が暮れると砂漠では急速に気温が下がる。赤外線スコープで人影がはっきり目立つようになる。

村落のそばまで輸送車を進め、小隊長はどうすべきか考え込んだ。堂々と乗り込んでISが来るから逃げろと言っても信じるだろうか。逆にこちらがゲリラと間違えられて反撃される恐れもある。小さな村とは言え、紛争地帯だ。自衛のため武装してと考えるべきだ。

アメリカ軍ならどうするだろうか? 問答無用でひっくくって、難民キャンプに放り込むだろう。村人のためにはそれが安全だろうが、正解とも思えない。

「普通に突入しましょう。銃を持っている者だけ制圧すれば一時的に村を離れさせられるでしょう」

曹が進言した。昔であれば伍長とか、軍曹と呼ばれる下士官だ。言うなれば現場監督だ。

「静かにいけるか?」

「やります」

突入というと、銃を構えて歓声と共に飛び込んでいく印象がある。だが、それはアメリカ軍のやり方だ。

自衛隊では違う。そっと中の様子を伺い少人数が侵入する。武装している人間だけを抑えれば済む。一つの建物を制圧すると、無言で次の建物に移っていく。訓練でこの様子を見たアメリカ軍は陸上自衛隊を指してニンジャと呼んだ。

部隊は村落の一番端の建物から侵入した。明かりはついていないが、人がいるかも知れない。兵は赤外線探知装置で人の体温を察知して、さらに銃を持っていないのを確かめて寝ていた男に「ISがこの村を狙っている」と告げて、外に連れ出した。村の反対から見えない場所に兵員輸送車を止め自動車の影に保護する。

次々と村人が収容される。

「あと、距離で一キロほどです」

指揮車から報告が入った。小隊長は星空を見上げた。高度二万メートル、アメリカ軍の高々度偵察機グローバルホークが映像情況を送ってきている。ISはまだかなり離れている。

「もし、何事もなければ、村に帰れる」

通訳が村人たちにそう告げたとたん、闇の中に閃光が翻った。榴弾が空気を裂き落下する。遠くからさほど大きくない破裂音が聞こえる。グレネードランチャーの発射音だ。いわば手榴弾を連続発射する対人兵器だ。ISは村を丸ごと焼き払う方法を選んだのだ。

村人たちが悲痛な声をあげる。さっきまで自分たちが住んでいた村が、家が燃えているのだ。

燃える炎の向こうに銃を持った人影が走る。掃討にかかろうとしているのだ。

「逃げよう。怪我人を出すわけには行かない」

小隊長は村人たちを輸送車に乗り込ませると、きびすを返して駐屯地に向かう。到着したら村人たちは難民キャンプに寝床を与えられる。もともとは日本が災害用に準備しておいた仮設住宅だ。不便な生活を強いられることになる。

銃を降ろした曹は頭からショールをかぶった女性がまだ年端もいかない少女であると気がついた。父親らしい男の腕にすがりついている。

「おい、パック飯はないか?」

曹は積んであった赤飯を加熱剤で暖めさせると、少女に差し出した。食べろ、と手真似で告げる。パックには現地語で「ハラール」と書かれている。少女は父親に何事か問いかけるとプラスチックのスプーンで赤飯をひとすくい、口に運んだ。

曹からは目しか見えないが、嬉しそうに笑っているのが見て取れた。

戦争が起きると、被災者が発生する。前線で銃を振り回すだけでなく、逃げ出した人たちを助けるのも、重大な貢献だ。

国が軍事力を持つ最大の理由は戦争に勝つことではない、戦争を起こさないことである。

太平洋戦争から70年。一度も戦争を引き起こしていない自衛隊は世界最強の軍隊なのだ。(了)

▼青山智樹(作家、軍事評論家)
1960年生まれ。作家、軍事評論家。著書「原潜伊六〇二浮上せり」「ストライクファイター」等多数。航空機自家用単発免許、銃砲刀剣類所持許可、保有。
HP=小説家:青山智樹の仕事部屋

 

《未来小説》イスラム国日本潜入!「ISIL VS 自衛隊」もし戦わば…[前編]

緊急シミュレーション:イスラム国日本潜入!「ISIL VS 自衛隊」もし戦わば…(前編)
作=青山智樹(作家、軍事評論家)

警察庁サイバー科。数十台のモニタが並べられ、どれもが常時、流れるような文字を写しだしている。日本中で発進されるメールが一旦、ここに集められフィルタリングされているのだ。事前に登録された「殺す」「爆弾」「FIRE」などのタームが引っかかると、弾き出される。だが、現実には他愛のない内容だ『ハードディスクが死んだ』、『炎の魔法は……』このようなタームも登録され次回から排除される。このようにして警察庁は「危険な言語」の精度をあげていく。

だが、言葉を拾い上げるだけでは本当に危険な情報は吸い上げられない。犯罪者、テロリストたちは自分たち独特の隠語を使っている。拳銃をハジキ、刃物をヤッパと呼び変えるようなものだ。新しく不明な言葉が見つけ出されると膨大なネット情報と比較され意味が解析される。多くの場合、テレビドラマのタイトルであったり、無意味な語である。

若い刑事が画面をとめて上司の警部補を呼んだ。

「数字が来ました」

画面上には無意味な数字の羅列が映し出されている。暗号だ。本当の危険な連中は普通の文章など使わない。暗号を使う。数字を文字列に移し替えて、かき混ぜる。かき混ぜ方を別便で送り再度組み立てる。

「内容を解析に回せ」

解けない暗号を作るためには、大規模なスーパーコンピュータが必要だ。そして、無理矢理解くためにはさらに高性能のコンピュータを使わなければならない。2015年現在、日本には何台もの世界最高水準のコンピュータがあり、科学研究以外にも利用を許可している。

「IPアドレスは判ったか?」

「都内のネットカフェです」

「念のため、人をやってくれ」

警察は定期的なパトロールに見せかけて随時「警察官立寄所」へ警察官を送り込む。最寄りの署か交番からネットカフェへ警官が向かっているだろう。もし、PCを扱っているのが指名手配犯であればそれなりの措置が取られるだろうし、被疑者が席を外していたとしても利用者名簿から特定して、必要であれば監視する。

日本人か、アラブ人かどうかは関係ない。2015年1月、パリの新聞社を襲撃した犯人グループにはフランス生まれ、フランス育ちの人間が含まれていた。イスラム系テロ集団に洗脳されて犯行に及んだのだ。日本でも同じ事態が発生しないとは限らない。

もし、テロ寸前の事態であれば、機動隊が出動する。日本ではここ何十年も機動隊が出動するようなデモは起こっていないが、機動隊は全員が柔道、剣道の有段者から選抜され、いまだ世界有数の暴動鎮圧能力を誇っている。

さらに先年、特殊急襲部隊SAT、スペシャル・アサルト・チームが編成された。銃器や爆発物が使用される大規模テロに対応する部隊で、防弾服を着用し軽機関銃で武装している。部隊の写真は公開されたが、隊員は全員が目出し帽で顔を隠しており、個人名も特定されていない。

SATで対応できない事態が発生した場合、自衛隊が出動する。幸いにしてSATが本格出動したり、自衛隊と共同作戦をとる事態は発生していないが、警視庁ばかりでなく各県警道警府警で共同訓練が行われている。

不幸な事実だが、日本の警察は対テロ経験が豊富だ。古くはよど号ハイジャック事件、日本の警察が介入することはなかったがペルーの日本領事館占領事件では突入訓練が繰り返された。そして、世界で初めての化学テロとなったオウム地下鉄サリン事件。
日本の警察は二度とテロを起こさせまいと努力を怠らない。

やがて、暗号解析の結果が帰ってきた。

「ISかも知れないですが、国内とは関係ないですね。日本国内の自衛隊の情報を問い合わせているようです」

海外での事件はサイバー科の手に余る。

「自衛隊に渡してやれ」

データは専用の回線で市ヶ谷に送達された。

ヨルダン首都、アンマン。航空自衛隊のC2輸送機が離陸した。機首を西に向けシリア国境をめざす。

ヨルダンはイスラエル、パレスチナ、サウジアラビア、イラク、シリアと国境を接する。予言者ムハマンドの子孫を王として戴くイスラム立憲王国国家であるが、内情は不安定である。国民の大半はパレスチナ難民か、パレスチナ難民の子孫である。イスラエルからの圧力ばかりでなく、2010年以降、隣国、シリアで発生した同じイスラムのISISの台頭が激しく、国土をもぎ取られ、もぎ取りしつつある。

アメリカを中心とする「連合」はヨルダン、サウジアラビアに部隊を配備して平和維持活動に当たっている。日本もその一翼を担うのであるが、基本的には後方支援である。普通科(歩兵)も駐留しているが、駐屯地の最低限の警備に限られ、実質的な活動は施設科といわれる土木部隊である。難民のために家屋を造り、道路を整備する。日本国内において施設科の活躍の場はないが、海外派遣されると主力となる。

日本では、やはりあまり活躍の場がないのが給養科、つまり食料担当である。

C2に乗り込んだ給養員はC2の貨物室一杯に積み込んだ携行食二型にアニメのキャラクターを次々書き込んでいる。二型はいわゆる「パックめし」でビニールパックされた何種類かの主食と副食がある。キノコ飯とか、白米、赤飯と日本語で書かれているが、C2が積んだものにはアラビア語で「ハラール」のシールが貼られている。ハラルはイスラム教の禁忌に触れない、という意味で食肉などでは動物が屠畜される際、聖職者が祈りを捧げた食品である。幸いにして日本の米食、キノコ飯などは菜食でありあらゆる禁忌に抵触しない。C2はこれらを紛争地域から脱出してきた難民の上に撒くのである。

アメリカも人道支援物資という名で難民用のハラル食、ベジタリアン食を用意していたが、アメリカ製は味に難点がある上、大量の保存料を使用しているため食べ慣れない人間が食べると腹を下す。栄養状態が悪いと命に関わる。

一方、パック飯は自衛隊員が一年以内に食べきることを前提としているので、加熱殺菌しているだけであり、味もかつてサマーワで各国の軍隊がレーションの食べ比べをした際にフランス、イタリアに次いで三位を獲得した保証付きである。

「おまえ、何しているんだ?」

「だって、子供が拾うかも知れないじゃないですか。少しでも喜んでもらおうと思って」

「まあ、いいけどな」

C2は低空飛行しながら後部カーゴドアからパック飯を撒いていった。本当なら戦車や、空挺部隊員を降ろすためのドアである。だが、紛争地域では銃より、食事の方が喜ばれる。

一方、陸上自衛隊施設部隊はアンマンから、シリア国境へ向けて道路を作り続けていた。砂漠地帯であるため、地面と同じ高さに道を作るとすぐに埋もれてしまう。ある程度の高さが必要だ。単純にアスファルトで固めるだけでも使い物にならない。太陽の熱で溶けてしまう。まさに砂漠を削るような作業だ。しかも頑丈でなければならない。いまは難民が安全な地に逃れ、給水車や輸送車が走るだけだが、ISが侵攻してきたらひょっとしたらパトリオットを引いたトレーラー、自走榴弾砲が通るかも知れないのだ。(つづく)

▼青山智樹(作家、軍事評論家)
1960年生まれ。作家、軍事評論家。著書「原潜伊六〇二浮上せり」「ストライクファイター」等多数。航空機自家用単発免許、銃砲刀剣類所持許可、保有。
HP=小説家:青山智樹の仕事部屋

《格闘技“裏”通信01》意外にもギャル層が激増、キックボクシング大会

2月11日、大田区総合体育館で開催されたRIKIX主催の「NO KICK NO LIFE」イベントではシュートボクシングの人気選手、RENA(及川道場)やK1で実績があるアンディ・サワー(オランダ)やノブハヤシ(ドージョーチャクリキジャパン)も参戦、おおいに盛り上がりを見せたが、意外にも「20代、10代後半のギャル世代」が多々見られた。

「ダイエットでキックボクシングをしていてはまってしまい毎回、見に来ています」という二十代OLは、都内のジムに通うこと3ヶ月。ウエストは5.5センチも細くなったようだ。ジムに通っていると思われるギャルは、それぞれジム名が入ったTシャツを着ているからとてもわかりやすい。もしくは大会のスローガンである「NO KICK NO LIFE」と銘打たれたTシャツを着ている。

「火をつけたのは、May J.だと思いますよ。かなりウエストが絞れますから。昨年の1月ごろからかなり女のコの問い合わせが多くなりました」(都内ジムスタッフ)

写真はRENA選手(撮影・堀田春樹)RIKIX主催の「NO KICK NO LIFE」より。

◆キックボクシングをレッスンに取り入れる芸能プロダクションも

地下アイドルを抱える芸能プロダクションもキックボクシングをレッスンに取り入れているところが増えてきた。

「要するに、歌って踊るときに、体を一瞬、止める場面がある。体のバランスが悪いと崩れていくことになる。それを避けるためにトレーニングとしてキックボクシングの元選手に教えに来てもらっています」(芸能スクール関係者)

大田区総合体育館の西側には、いかにもジムに招待されたようなギャルの一連が十数人陣取っており、選手の下の名前を連呼していた。

もっともギャルの声援を集めていたのは、イケメン選手の宮元啓介(橋本道場)。惜しくも判定で一戸総太(ウィラサクレック三ノ輪)に敗れたが、打たれるたびにギャルから悲鳴があがる始末だ。

案外、女性にも人気があるのはRENA(及川道場)で、エリー・ エクストゥム(スウェーデン)をまったく寄せ付けず。2ラウンドでノックアウトパンチを浴びせるRENA(及川道場)に「いけいけRENA!」と割れんばかりの声援を集めていた。また試合終了後もギャルたちが記念撮影を希望しに殺到。「強い女へのあこがれ」の視線は、彼女の鍛えた二の腕と太ももに注がれていた。

◆ボクササイズ興隆の背景

ちなみに、僕は1月から市民体育館が主宰している「ボクササイズ」教室に通っているが、応募者が2.5倍もあり、あいかわらず「ボクササイズ」は大人気だ。なにしろ10代から50代まで幅広く応募してきている。記憶するかぎり、ボクササイズのブームを始めに作ったのは、輪島功一であると思う。さらに体系化して、スポーツ医学を背景に、トレーナーを育成、「ボクシングでエクササイズ」をビジネスとして成功させたのは、じつは協栄ジムだ。

僕が教わっているレッスンも、提携は協栄ジムとなっている。
ボクササイズは、両足を広げて、連続でパンチをくり広げることで、有酸素運動となるハードワークだ。ダッキングといって、よける動作も入ってくるから、「ワンツー、右ストレート、左アッパー、はい、よけて左ストレート、ワンツー」などコーチが自らも動きながら声をだす。ちょっとした「振りつけ」だ。かなりきつく、終わると体重が3、4キロはざらに減っている。ちなみに「キックボクシング」はこれに加えて蹴りが入るから、中年にとっては、つぎの日には身体が張って会社に行きにくくなっているはずだ。

ボクササイズ歴1年の主婦が言う。
「腹筋が割れそうです。ボクササイズを始めてからというもの、早く寝て早く起きれるようになりました」

知り合いの女性カメラマンも、ボクササイズで10キロ落としているし、タレントの中川翔子もボクササイズでダイエットに成功しているようだ。

このところ、気の利いた市民体育館、もしくは行政機関が主体で、ボクササイズのレッスンをしている市町村が増えてきているので、探してみるのもいいかもしれない。なにしろ、一回につきおよそ500円程度で教えてもらえるのだから、お得なのではないだろうか。[ハイセーヤスダ]

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「チャイナスクール」出身外務官僚の不思議な価値観への違和感

もうだいぶ前の話になるけれども、仕事の関係で半年間ほど外務省と「喧嘩」をしたことがある。まだ当時の日本が余り関係を持ちたくない人物についての案件で、それまで顔を合わせた事のなかった「外務官僚」と何度も交渉する機会を得た。私の相手をしてくれた主たる人々は一人を除いて東大卒のエリート(残りの一人は京大卒)だった。皆さん私よりも幾つか年上ではあったけれども、世代が違うというほどに離れてはいなかった。

◆「チャイナスクール」は実在する

たまたまか、あるいは必然だったのかその方々は全員「チャイナスクール」系列の方々だった。「チャイナスクール」とは外務省入省後2-3年程度語学研修を主として中国に滞在した経験のある人々を意味する。彼らのほとんどは語学力だけでなく「政治的」思考の影響も受けて帰国し任務にあたる、と産経新聞あたりは決めつけている。でも、「チャイナスクール」出身者の多くはその後米国、若しくは英国で同様の期間研修兼、実務を経験する。

最初の交渉相手は外務省の某課、課長補佐だった。電話でアポを取り、関西から外務省に向かうとパーテーション区切られた打ち合わせスペースに案内された。分厚い近眼メガネをかけた課長補佐氏が出てきた。名刺を交換し、こちらの相談、依頼事項を告げると表情を変えずに「少しお待ちください」といってどっかに消えていった。近眼メガネ氏はもう一人少し下腹が出た人間と共に戻ってきた。彼がその課の課長だった。彼の年齢を今から考えれば40前後であるから、出世する中央官庁のエリートは、本当に飛び石のように階段を上がっていく。

「お話は承りました。こちらの要請に沿って進めて頂ければ、何とかならないことはないです。でもお願いしなければいけない内容がかなり多いですよ。クリアできますか?」

口調は丁寧だが、こちらを試していることは明らかで、しかも舐めきっている。私も外務省に出かけるのにアロハシャツとジーンズという姿で訪問しているので、舐められても仕方がなかったのかもしれないが、私自身というよりは私の勤務先である大学の力量を軽視した発言としか取れなかった。

「なにぶん経験もありませんし、ご指示やご指導には全て従うつもりですからよろしくお願いいたします」

としか言い返すことが出来なかった。

かくして、半年間の「喧嘩」が始まった。

◆言いがかりに近いような難題半年間の「喧嘩」

私たちが画策していたのは中国が敵視するある有名な仏教指導者を大学に招こうという計画だった。

「チャイナスクール」は実在するんだなー。と思い知らされたのは「喧嘩」の最中ではない。当初の「通告」通り課長補佐、課長氏はこれでもかこれでもか、と無理難題を投げかけてきた。こちらは意地になるから彼らの出す難問にも何とか準備をして答えた。それでもまた言いがかりに近いような難題を押し付けてくる。ある時私は我慢が限界を超えた。

「わかりました。今からお伺いして詳細を説明しますよ。いいですよね」

そう電話越しに伝えると、日常業務を同僚に頼み新幹線へ急いだ。外務省に着くと近眼メガネ氏が応対に出てきた。

「Aさん。ご要請には全て応じていますけど、今日の話は嫌がらせですよね」
「心外ですね。そんな言われ方をすると。我々はあくまで我が国の外交戦略に基づいてお願いをしているだけですよ」
「何言ってるんですか!それなら前に提出した計画書に全て網羅されているでしょ。え!だいたい貴方たちのような世間知らずの官僚は自分が国を動かしていると勘違いしてますよ。その分厚い眼鏡!鏡で見たことありますか!そういう姿と物言いを『官僚的』と言うんだ!わかりますか!」

私は怒鳴りはしなかったけど、少し大きな声で彼に食って掛かかった。話の内容はともかく自分の容姿や物言いを批判されたのはA氏にとっては驚きだったようだ。

その後「喧嘩」が終わるとA氏も、課長氏も仕事としてではなく、個人として打ち解けて付き合ってくれるようになった。

◆「日本人には国民としての自覚がない」という官僚A氏の価値観

後年、たまたま上京中に時間が空いたのでふとA氏のことを思い出し、電話をしてみると時間を割くから会いに来ないかと言ってくれた。

霞が関のあるビルでA氏に会ったのは初体面から10年近く経っていた。でもA氏どこか以前と印象が違う。

「お元気そうですね、それにお若くなられたようですけど」
「ええ、田所さんに『その眼鏡姿が官僚的』と言われたのがショックで、レーシック手術を受けたんですよ。眼鏡要らなくなりました」
「(えええ!)」

今は思い出した順番に事実を書いているので「その眼鏡!」と私が言ったと書けるが、実はその日A氏から指摘されるまで長年忘れていたことだった。手術を受けさせるほどショッキングなことを言ったのか反省とをした。

彼は外務省からの出向で官庁の中でも中枢部にいた。

「いやー日本の国民は分かりませんね」

「どういうことですか」

これ以上の内容を詳述すると現在彼の所属が分かってしまうので内容は曖昧にするが要は、「日本人には国民としての自覚がない」、「中国や米国の方が国家としては優れている。国民の意識もそうだ」、「時々日本人として恥ずかしくなる」・・・と言う愚痴だった。

A氏は勿論右翼ではないし、左翼でもない。米国が優れていると言い、中国も優れているという。うーん?米国と中国はあらゆる意味で随分違うように思えるのだけれども、A氏の頭の中では両方評価に値する国だという。

「体制は違いますよ。でもね、中国も、アメリカも国民が国に誇りを持っているんです」

そうか、それはそうなのかもしれない(私は同意しないけども)。A氏の価値観においては、国のあり様ではなく、「国民がどれほど国民であることを自覚しているか」が尺度となっていると分かった。

この不可思議な感覚は今某国で大使を務めている元課長氏にも聞いたことがあった。

「国民が国民である意識」

A氏の事も、元課長も人間としては嫌いじゃないけども、やはりこの考えに私は馴染めない。要は「国家主義」の言いかえではないだろうか。この2人に限らず外務省に勤務する人からは何度か同じニュアンスの話を聞いた。

私と彼ら。仲良くしてもらっても考え方の乖離は埋められそうにない。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

◎なぜテレビはどこまでも追いかけてくるのか?
◎《大学異論29》小学校統廃合と「限界集落化」する大都市ニュータウン
◎《大学異論28》気障で詭弁で悪質すぎる竹内洋の「現状肯定」社会学
◎《大学異論27》「学ぶ権利」を奪われたマスプロ教育の罪──私的経験から
◎《大学異論26》「東大は軍事研究を推進する」と宣言した濱田純一総長声明文

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ひとつの不安が大きな風穴を開ける──イスラム国が仕掛ける乾坤一滴のテロ

どこもかしこもメディアはイスラム国(ISISともISILとも呼ぶ)の悪辣さを報道しており、関係者はコメントでひっぱりだこだ。

イスラム国は「国ではない」。もともとは英名でIslamic State in Iraq and al-Shamと表記される。名称に「ステーツ」を含むため「国」と訳された。USAと同じ基準である。現在では略号としてISIS、ISILと呼称するようになって来た。ある組織が「国」と認定されるには国連の承認を含めいくつかの条件を満たす必要があるがISISは「国」としての体裁をなしていない。

では、実態はなにかというと、無数にあるイスラム系宗教集団の一つにすぎない。特徴としてイスラム回帰主義がきわめて強く、同時に闘争的である。

イスラムというと日本人にはなかなかピンとこないが、歴史的にはキリスト教以前、ユダヤ教から別れた一派である。ユダヤ教では旧約聖書を聖典とするのに対して、キリスト教ではイエスの言葉を集めた「新約聖書」、イスラムではムハマンドが神の啓示によってあらわした「クルアーン」(コーラン)を聖典とする。いずれもアダムとイブが人類の祖であり、呼称は異なるものの、崇める神も同一である。

イスラム教徒が住む地域はアフリカから、中東、アジアにかけて非常に幅広く、様々な宗教集団、主義主張が存在する。インドネシア、マレーシアはイスラム教国であるが、戒律は緩やかで対立も少ない。逆に激しい環境に面しているのがパレスチナであろう。イスラエルと国境を接し激しい戦闘を繰り返している。また、アルカイダなどは反米を掲げ、アメリカを攻撃の対象に据えている。その分、日本に対しては対米共闘を持ちかけるなど、寛容である。

ではISISの目的は何か? 世界中のイスラム教徒をイスラム法の下にまとめ、大イスラム帝国を再編するいわゆる「カリフ制」の復活とムハマンド時代の再建「サラフィーヤ」の実現である。誇大妄想的に聞こえるかも知れないが、現在の中東の国境線は第二次大戦後、戦勝国によって引き直された物であり、その土地に住むムスリムが合併しようとする動きはあり、なにもISISの専売特許ではない。しかし、ここにきてISISが注目されているのは、その軍事力と大きな発展、目的のためには手段を選ばない残虐性である

ISISはシリア内部で発生した。中核は旧イラク・フセイン大統領のスタッフであるという。軍人、政治家など実務経験がある閣僚級の人間が温存していた兵器、兵士を中心にして新興勢力を立ち上げたのである。正規軍として実戦経験を持ち、国家予算並みの資金、正規軍に準ずる装備があれば一時的に圧倒的な発展が期待できる。しかし、一定期間が経てば国内のインフラは不備、海外との交易もなく、経済的に追い詰められる。人心も離れる。国際的に考えても、日本は敵に回すべき国ではない。

軍隊は送ってこない。来るのは金と物資だけ、だが日本にケンカを売ったと言うことは、内部情況が相当逼迫していると見るべきである。いま、ISISは下り坂を転がり落ちている。

そんな苦しい情勢下で、彼らは乾坤一擲のテロを狙っているようだ。

オーストラリアのシドニーでテロを計画していたとして20代の男2人が警察に逮捕されたが、この2人は「イスラム国」関係者だとされている。

これだけでなく、スパイの動きは活発だ。別ラインでは、世界の各国にイスラム国関係者が潜入して、「兵器開発」のための情報を集めているようだ。
エジプトにいる外電記者は語る。

「イスラム国の幹部たちは、アメリカが地上戦を展開する情報を掴んだようです。対抗するためには、仮に自爆するにしても、『核』をもって対抗しないと、もはや空爆してくる連合軍に勝てないと判断したようです。石油でもうけた金を使って、自分たちが生き残る道を画策、あらゆるルートを駆使して探した結果、『北朝鮮の核開発チームが売ってくれる』となったようです」

もし事実なら、現在の勢力図がひっくりかえる話だが、疑問がある。本当に北朝鮮は核兵器を開発したのだろうか。一説には、パキスタンの核開発の父と呼ばれるA・Q・カーン博士が何回も北朝鮮に入り、技術協力していた。「すでに完成している」と見るむきは多い。

また、軍事評論家の青山智樹氏は言う。

「北朝鮮は間違いなく、ウラン濃縮技術を持ってます。イスラム国に供与の可能性もありますが、核兵器自体、高価であり、運用法も限られます。つまり、イスラム国が北朝鮮のようにミサイルを作れないと、普通は無理。ただし、自爆兵器としては、トラックでも使えるのです」

青山氏は、「核兵器よりも、シリアのアサド政権が化学兵器をイスラム国に売っているのではないかという疑念がぬぐえない」とも語る。

今もなお、ヨルダンやアメリカ空軍の空爆は続いているが、「イスラム国の主要なメンバーはもう海外にとっくに脱出している。残っているのは、幹部に見捨てられた若い兵士や、貧しい部族だけ」(外電記者)という情報もある。

怖いのは、「ジハード」の名目で、たとえばニューヨークあたりで、化学兵器をばら蒔かれることだ。「もしイラクの軍隊から技術が伝わっているとすれば、少なくとも1万人くらいは殺傷できる化学兵器を、イスラム国は持っている可能性は強いです」(同)

イスラム国が「石油の密輸で潤っている」と情報を聞きつけて、昨年の11月あたりから武器のブローカーが欧米や中東から大量に「セールス」にやってきていた。そうした中で「化学兵器」や「核兵器」のセールスがゼロだった保証はない。

一見して状況として「完全に不利」に見えるイスラム国は、「最高のカード」で勝負、一発逆転を狙ってくる日は近いのかもしれない。
[ハイセーヤスダ]※取材協力=青山智樹(軍事評論家)

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「人口1億人維持」の無理──「少子化」「人口減」に見合った思想へ舵をとれ

国土の広さなどの要因で全部の国には該当しないけれども、一般に経済成長を遂げた国ほど人口は増えない傾向にあり、貧困に苦しむ国ほど多産である。貧しい国では衛生状態の悪さや、栄養不足で乳児死亡率も高いが、たくさん赤ちゃんが産まれるから結果として人口は増えてゆく。

◆日本の少子化に拍車をかけた3.11以後の状況

日本は精一杯経済成長を遂げたので教育費や住居費が高騰し、それに対して若年層の収入は一向に増えないから、子供を産み育てるどころか、家庭を持つことすらに諦めを感じている20代、30代が少なくない。幸運にも結婚ができても、放射能被害に敏感な人は出産をためらうだろう。

放射能被害を心配しないで生活が出来た(2011年3月11日前)から、経済的要因以外に子供を欲しいと願ってもなかなか実現しない悩みを抱く女性の数は潜在的に多かった。現実にどれくらいの割合で女性(あるいは夫婦)が不妊に悩んでいるかと言えば、国立社会保障人口問題研究所「第14回出生動向基本調査」(2010年6月)によれば6組に1組とされているので約17%となるが、私の知る産婦人科医や複数の医師の話を総合するとこの数字は実態の「半数ぐらいではないか」という。

不妊の定義は「通常の生活をしていて2年以内に妊娠しないこと」となっている。産婦人科医は妊婦さんのだけでなく、不妊に悩む女性の治療にもあたるので、受診者、治療者の数を数えれば不妊の実態がわかる。不妊治療を受けている女性の数は現在50万人と言われているが、これも実態より大幅に少ない数だと推測される。

臓器移植などで有名な関西のある病院の産婦人科医は私に「今生まれてくる子供の4人に1人くらいは不妊治療のお蔭でしょう。広義の不妊治療には人工授精なども含みます」と教えてくれた。とすると25%の子供たちが最先端医療技術が無ければ生まれてこれなかったことになる。

不妊に悩む女性やご家族には、これほど不妊の数が多いということを是非知って頂きたい。今日でも女性は「産むための装置」との考えは依然根強く、都議会で自民党議員は「なぜ産まないんだ!」との罵倒を女性議員に浴びせた。子供が出来ない女性への風当たりは身内からも陰に陽にプレッシャーとなる。でも、不妊はもう珍しい現象ではなく4人に1人という時代になっているのだ。

その原因が大いに気にかかるところだが、残念ながら明確な科学的結論は今のところ確認されていない。

◆毎年約22万人づつ減少する日本社会を受け入れる

分かっているのは、年々不妊の女性(あるいは夫婦)の割合が増加しているということのみだ。

とすれば、この国に独特な因子が原因となっているだろうことは推測できる。子供のころからの食べ物、生活のあり様(運動時間や睡眠時間)、体格の変化などが影響しているのだろうか。明言は科学者ではない私には出来ないが、一つだけ推測できる仮説がある。

個体として不妊をとらえると、その人の体の分析により回答を見出すことになるが、この島国全体の人口増減と食物の生産量を考慮してみるとどうだろうか。

日本の総人口は総務省の統計によると、1億2712万2千人(2015年8月1日)だ。毎年約21-22万人づつ減少している。減少の割合は今後加速化し、2030年頃には1億人を割り込む概算だ。でもこの計算は幾分政治的である。上記で述べたような不妊の実態や、ましてこれから多発確実な放射線被害による人口減少は当然含まれていない。

私の暴論だが、生物としてこの島国に住める数を人間は超過してしまっているのではないだろうか。それを感知した生物「ヒト」属が総体としてこれ以上個体数を増やす事を抑えるために何らかの回路で人口抑制(妊娠の難化)にスイッチがオンになったのではないだろうか。

生物は生きる上で空気と水そして食物が欠かせないが、例えば東京都の食物自給率は0%だ。食べるものがないところに生物は生きられない。例えを動物にとって恐縮だが、ウサギやネズミもある特定の地域で個体数が増えすぎると理由不明な多量死が起きることはよく知られている。

この島国で生きながらえようとするのであれば、面積に応じた人口と食物自足をバランスよく実現するのが肝要なのだろう。

それは「経済第一」や「景気回復」といったフレーズと正反対にある思想だ。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

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秋吉久美子長男不審死の水面下で蠢く「タレント整形カルテ」流出騒動の闇

芸能人の整形手術を数多く手がけている赤坂のMクリニックの医院長が急遽、亡くなった。2012年の夏のことだ。

「病院を継ぐご子息もいませんし、廃院になったのですが、どういうわけか何者かに芸能人のカルテが全部持って行かれていることが、看護婦の調査でわかったのです」(医学ライター)

このクリニックは、院長夫人と仲がいいのが女優の秋吉久美子。

「よく赤坂のTBS近郊のレストランで秋吉と院長夫人が仲間を集めて主婦たちとランチをしているのを見かけましたね。ただ、院長が亡くなってから、遺産相続で後妻である奥様と、院長の前妻との間に生まれた娘がかなり揉めていたそうで、娘の遺産の取り分がかなり少なかったのです」(同)

◆「表に流出したら、ちょっとした事件になりますよ」

そして今年に入り、Mクリニックで、整形した芸能人のカルテが、芸能記者たちの間に出回ることとなる。

「そうしたタイミングで、1月13日未明、秋吉の長男が大学病院で不審な死を遂げたのが発見されています。大学病院の防犯カメラには、鞄を持ち、逃げるように走っている長男の姿が映りこんでいます。死から3日間たって発見されたことといい、現場からは2つの鞄が発見されたのですが、実は発見されていない3つ目の鞄があり、その中に、整形した芸能人のカルテがあったとも推測できます」(芸能ライター)

そして、秋吉の息子はMクリニックの院長の娘と何度も会っていることは明らか。なんといっても親同士の仲がいい。

「推測で組み立ててみると、遺産を多くもらえなかった院長の娘が、秋吉の息子と一計を案じて、病院閉鎖のどさくさに紛れて、芸能人のカルテをマスコミに流して小遣いを稼ごうとしたと見ると一番スムーズです。そして、そのカルテの中に、何かやばい、たとえば外国人のスパイが整形したような『危険な事案』があって秋吉の息子は『消された』と見るべきでしょうね」(同)

確かに、秋吉の息子は、「青い三角定規」の岩久茂との間に生まれた数年はかわいがられていたが、離婚、再婚を繰り返す秋吉に翻弄されて、住む場所を何度も変えて、生活費に困窮していた。現場となった大学病院には、今も花が添えられている。

「整形したタレントたちのうち、人気アイドルグループの女性もたくさんいます。表に流出したら、ちょっとした事件になりますよ」(同)

果たして、誰かがマスコミに「有名芸能人のカルテを買いませんか」と売り込みに来るのは時間の問題かもしれない。

◆あとを立たないタレント整形疑惑の奥にあるもの

取り急ぎ、芸能プロダクション御用達の美容整形外科には当然ながら「守秘義務」がある。ところが、しばしば、約束はナースや心なき病院関係者のより破られて、マスコミにリークされてしまう。

直近で話題になったのは、前田敦子と板野友美で、ともに「AKB48」の出身だ。
前田の場合は、何度も指摘されているが、デビュー2年目の休養中に整形手術をした可能性が高いと言われている。「はれぼったいまぶたをくっきりさせるために、手術は3時間にも及んだ」とも報道された。

優香なども、デビュー当時とまるで顔がちがう。だが、重要なのは「整形手術したか」どうかでなく、「隠蔽された過去の顔を誰が流しているのか」という点だ。

流しているには、いうまでもなく、ファンか事務所関係者。ただ「うまいプロダクション」は、一気に顔を変えない。何回かに分けて、うまく整形手術する。

かつて、松田聖子が某整形手術していた証拠が、ある週刊誌編集部にもちこまれた。大きなスクープだと思うが、デスクは「タレントが整形するのは当たり前だろう」と一蹴したという。

もはや賢いプロダクションは、タレントを台湾や韓国に飛ばし、大枚を払って整形手術をひそかに行う。女優の小雪が韓国のセレブ病院で出産した報道があったが、産婦人科を紹介したのは、小雪が韓国で美容整形手術をしてもらった医者だという。その韓国では、美容整形の広告について「ビフォーアフター」の写真広告を原則として禁止にした。なんでも海外から、とりわけ中国からやってくる手術希望者に歯止めをかける狙いがあるそうだ。

ただ美容整形の場合は、定期的にオペしてからもメンテナンスが必要で、これも数十万円かかるようだ。

あまりにも金がかかるのでメンテナンスをあきらめたのは、小泉今日子だとも言われているが、それはそれで最近の劣化を見れば、納得できる話かもしれない。いずれにせよ、今日もどこかでタレントが美容整形の門を叩く。マスコミにいつか、そのリストやカルテが持ち込まれる。悪魔の連鎖は断ち切れることはない。[ハイセーヤスダ]

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「強きを助け、弱きを挫く」で一貫する曽野綾子と産経新聞の差別エネルギー

産経新聞と曽野綾子といえば「差別主義者」の代表格だが、その両者が結び付くと差別エネルギーが二乗になり事件が起きる。産経は経営状態が悪いから積極的にYahoo!やネットに記事提供を行っているのであたかも世間で相応の認知がなされた新聞のように誤解されやすいけれども、あんなものは一部偏執狂が意地で出し続けている同人誌のようなものだ。

◆産経新聞は「近視眼、気味悪い、気が小さい」=「3K」新聞

産経新聞は自民党応援団であり、昨今の「嫌韓」を牽引してきた犯人でもある。産経を正しく標記すれば「3K」で「近視眼、気味悪い、気が小さい」の頭文字に由来する。「近視眼」は韓国に対する態度で窺い知れる。今でこそ「韓国叩き」の先頭を走る「3K」だが、ノテウ(慮泰愚)大統領時代までは日本の新聞の中で最も「親韓」を露わにしていたのが「3K」だ。

軍人出身で民主主義を掲げてはいるが軍国主義の血を引く共産主義に対峙する人物だったからだろうか。世論や他の新聞が韓国政権に一定の批判を保持していたのとは対照的にもろてをあげて「ノテウ万歳」だった。

その「3K」系列のフジテレビはつい数年前まで午後ほとんどの時間に韓国ドラマを流しっぱなしだったくせに、潮目が変わると見るや転身の早いこと。これを「近視眼」と言わずに何と表現できよう。「気味悪い」は今回のように国際的にも批判を浴びることが必至な記事を平気で載せてしまう「ネトウヨ」並みの神経だ。

さらに、あまりの偏見に読者が離れてしまい夕刊を発行することすら出来なくなった青色吐息なのに、まだ「これでもか、これでもか」と差別を売り物にしようとする執着心である。「気が小さい」は弱いものや直接批判を浴びない勢力には罵倒を浴びせる癖に、真っ当な批判を正面からされると逃げるか、嘘をついて責任回避をしようとしかしない態度だ。「強きを助け、弱きを挫く」のが「3K」だ。

◆「アパルトヘイトは素晴らしかった」と言っているに等しい曽野綾子

一方、曽野綾子はこれまた堂々たる差別者にして、政府の手先で裏社会の仕事も引き受ける輩だ。愛情だの、母性だの聞こえは優しい言葉を多用しながらも結論は「女は女らしくいなさい!子供を産んだら会社を辞めなさい!」平然と発言したのは数年前だったが、今回の本音に対する批判は国内だけに収まらないだろう。

「3K」は2月11日付朝刊に曽野綾子の「労働力不足と移民」と題したコラムを掲載した。曽野は労働力不足を緩和するための移民の受け入れに言及し、「20~30年も前に南アフリカ共和国の実情を知って以来、私は、居住区だけは、白人、アジア人、黒人というふうに分けて住む方がいい、と思うようになった」などと書いている。

こういうことをあたかも独自の視点のように書き、公表をはばからないのが曽野綾子という人間の本性だ。これは「アパルトヘイトは素晴らしかった」と言っているに等しい。この老婆は原則的な差別主義者のくせに驚くべき二重基準を平然と実行する不思議な人物でもある。日本財団(旧日本船舶振興会)代表の椅子に長く座っていた事実がそれを物語る。

と言っても、若い世代にはピンとこないだろう。この団体はモーターボートレースを牛耳っていた笹川良一が設立した団体で、古くから陰に陽に自民党政権を資金的に支えてきた。笹川について書き出すと本が1冊出来てしまうが、40代以上の方々は高見山と一緒に拍子木を打ち鳴らしながら「戸締り用心火の用心、一日一善!」とテレビCMに出ていた老人と言えばご記憶の方も多かろう(笹川は「ファシスト」を自認していたから存命ならこの時代、さぞ生き生きしていただろう)。曽野は笹川の遺産である「日本財団」(この名前も一民間団体にしては随分とずうずうしい)の会長時代に言い逃れのできない犯罪をおかしている。もっともも共犯が日本政府だから検挙されることはなかったが。

2000年アルベルトフジモリが現職のペルー大統領のまま日本に事実上の亡命をしてきた。ペルー検察は後に「殺人罪」容疑者としてフジモリを追及することになるが、2000年フジモリが日本へ逃げてきた際に保持していたパスポートはペルー国籍のはずだ。というのはフジモリの両親が日本国籍であるので、出生届を日本の役所に出してれば「二重国籍だった」可能性は排除できないからだ。仮に「二重国籍」であればフジモリはペルーで大統領になることはなかった。ペルーでは「二重国籍」者が大統領になることを法律で禁じている。

ところがあろうことかフジモリは2007年に日本新党から参議院選挙の比例代表候補として出馬する。何たることかと呆れた記憶がある。日本政府は「二重国籍」を認めていない。この国は国籍に関してはとりわけ神経質であり、他国で大統領をまで上り詰めた人間に日本国籍を「進呈」するなどその他の差別的行政態度からは考えられないことだ。

おそらく、曽野らは日本財団による過去の「貸し」や、裏社会の装置を使って政府を裏から動かしたのだろう。フジモリは実際に当選するあてもない選挙に出馬したのだから。

◆曽野綾子×3K新聞の「誤った言説」に対して日本の中で徹底批判が必要だ

そんな「3K」と曽野の合作に国内からは大小批判が上がっていたが、当の南アフリカ政府からも強烈なパンチが飛んできた。モハウ・ペコ駐日南アフリカ大使が「『アパルトヘイトを許容し、美化した。行き過ぎた、恥ずべき提案』と指摘。アパルトヘイトの歴史をひもとき、『政策は人道に対する犯罪。21世紀において正当化されるべきではなく、世界中のどの国でも、肌の色やほかの分類基準によって他者を差別してはならない』」とする批判文を「3K」に送っていたことが明らかになった。さあどうする、「3K」よ。

アパルトヘイト(Apartheid)は1994年に撤廃されるまで、南ア以外の白人国家でも大変な非難の的になっていた。実際の人種差別が世界中にあっても法律による差別は訳が違う。だから非難されていたのだ。欧州諸国をはじめ米国までが経済制裁を行っていた。日本も名ばかり制裁に参加はしていたけれども、多数の商社や宝石関連企業が取引を続けていたので国際社会で非難を浴びていた。だいたいApartheidを「アパルトヘイト」と日本では発音・表記するが「アパタイト」と発音しないとよその国では通じない。

「3K」の小林毅・執行役員東京編集局長は「当該記事は曽野綾子氏の常設コラムで、曽野氏ご本人の意見として掲載しました。コラムについてさまざまなご意見があるのは当然のことと考えております。産経新聞は、一貫してアパルトヘイトはもとより、人種差別などあらゆる差別は許されるものではないとの考えです」と「気が小さい」を地で行くコメントを出している。嘘つけ!お前たちは連日「人種差別」を煽る記事を掲載しそれを売りにしているじゃないか!今回は相手が韓国ではない。国際社会で非難されていた「アパタイト」擁護は小さな問題で収まりはしまいだろう。

拙稿「多様性に不寛容な日本が『外国人』を無原則に受け入れるとどうなるか?」(2015年2月4日付)で指摘したのは正に曽野のような考え方の人間が闊歩している現状を憂いたためだ。国際的に明らかな差別として指弾された「アパタイト」にすらいまだに賛意を示す時代錯誤は外的圧力によってしか是正出来ないのだろうか。情けない国だと思われないために「誤った言説」には日本の中で徹底した批判が加えられなければならない。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

◎多様性に不寛容な日本が「外国人」を無原則に受け入れるとどうなるか?
◎イスラム国人質「国策」疑惑──湯川さんは政府の「捨て石」だったのか?
◎人質事件で露呈した安倍首相の人並み外れた「問題発生能力」こそが大問題
◎2015年日本の現実──日本に戦争がやってくる

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《屁世滑稽新聞18》淀長の映画専科・『猿の惑政』……の巻

屁世滑稽新聞(屁世27年2月16日)

淀長の映画専科・『猿の惑政』……の巻

ハイ! 皆さんコンニチわ!
大変ごぶさたしておりました。淀川長冶でございます。
親友の大監督・黒沢明クンが夢の国に引っ越したので、ワタシも彼を追って
夢の国におうちを移し、いまはそこで楽しい日々を送っております。

でもワタシ、わが人生の信条として、
1.「私は未だかつて嫌いな人にあったことはない!」
2.「苦労歓迎!」
3.「他人歓迎!」
の三か条をモットーにしていたほどですから、根っからの苦労性なんですわ。
だから天国での楽ちん生活は、しばらく居(お)ったら退屈してしまいました、ハイ!
それで時々こうやって俗世に降りてきて、皆さんとハイ! 映画のお話しをしたいと思います。

ハイ! それではお話しをはじめますが、さて皆さん、
20世紀は、何の時代だったでしょう?
ハイ、20世紀は映画の時代でございました。ハリウッドでは、名作が、毎日毎日
つぎつぎと作られておりました。 ワタシ、その時代に生きてこれて
本当にシアワセだったと今さらながら思います、ハイ!

で、20世紀に名作をつくった映画監督やら、スターのかたがたが、
今ではワタシが住んでいる夢の国に、マア!次から次へと引っ越してきて、
大にぎわいです。スゴイですねぇ。うれしいですねえ。
ワタシ、ほんとに死んだ甲斐がありましたよ、ハイ!

そうした名監督、往年の名スターたちと、あの世で日々、
茶飲み話をしてるんですねえ。 そうしますとカレら、
「いまもまだ俗世に生きていたなら、ワシはこんな映画を作りたい」
「アタシはこんな映画に出たいワ」といったお話しを、ギョウサンするんですわ。
それでワタシ、せっかくこの世に降りてきたついでだから、ハイ!そういう
天国で聞いた映画裏話などを、まだ昇天できない俗世の皆さんにお話ししたいと思います。

さあ!淀川長冶の映画専科の始まり始まりぃ!

★          ★          ★

第1回のきょうは、1968年のアメリカ映画『猿の惑星』についてのお話しです。
原作は『戦場にかける橋』でおなじみのフランス人作家ピエール・ブール。
監督はフランクリン・シャフナー。そして主演はチャールトン・ヘストンの大作でした。

じつはこれホンマの話ですけど、この映画の原作を書いたピエール・ブールさん、
どうも戦争中に日本軍に捕虜としてつかまって、そのときの悪夢のような体験が
『猿の惑星』を生み出すことになったようなんですわ。 ……そう考えると、コワイ
ですねぇ。 あの凶暴なサル軍団って、どうやら日本軍を描いたらしいんですわ。

第二次大戦が始まった頃、日本人は欧米では“凶暴なサルの群れ”だと言われて
おりました。ヒドイですねぇ。 まあニッポンだって、敵国のことを「鬼畜米英」って
ゆうとったんですから、マア、これお互いさまですわ。

それにしても、第二次大戦が始まった当初は、欧米の戦争扇動者たちは、
ニッポン人を「小さいサル」いうて馬鹿にしとったんですねぇ。

ところが戦争が長びいてニッポンが簡単に倒れない敵だと知るにつれて、何とマア、
今度は獰猛(どうもう)な大ザルにたとえて、海の向こうの一般庶民を怖がらせた
んですねぇ。コワイですねえ。ヒドイですねぇ。

第二次世界大戦の当時、欧米「連合国」では敵国ニッポンの
脅威をサルになぞらえて宣伝した。

「諸君おしゃべりを続けたまえ。ぜんぶ盗み聞きしてやるぜ」


世界の学者たちを悩ます新たな難問の出現。
「ニッポン人って一体何を考えてんだ?」

「文明の威力で抹殺せよ」

「なんでなかなかクタばらないんだ、ニッポン人ども?!」

さてこの『猿の惑星』の原作者、ピエール・ブールさんのお話しでした。
この人、1912年に南フランスのアヴィニョンに生まれました。第二次世界大戦の
ときには仏領インドシナに居(お)ったんですねぇ。仏領インドシナといえば真っ先に
ベトナムが思い浮かぶわけですが、ハイ! 現在のラオスとカンボジアも、
仏領インドシナに含まれていたわけでした。 ワタシらこの時代を生きてきた
現役世代は、「フランス領インドシナ」なんて長ったらしい言い方はせずに、
単に「仏印(ふついん)」って、呼んでました、ハイ!

……で、ピエール・ブールさんは、フランスでは理工系の最高学府である
エコール・スペリュール・デレクトリシテ……すなわち「高等電気学校」で
電気技師としての学位を得ました。 その後、二十代なかばに、「英領マラヤ」の
ゴム園で、監督者として働いておったんですねぇ。 植民地共和国フランスの
前途有望な若者だったわけであります。

「英領マラヤ」いうても、今の皆さんはご存じありません。 第二次大戦前はこれ、
イギリス領のマレー半島とシンガポールを指しておりました。 ハイ! 感慨深い
ですねぇ。 ワタシ、たまたま今になって俗世に降りて参りましたが、なんと今年は
敗戦からちょうど70年でございます。 あの太平洋戦争が始まるまで、アジアの国々は
ヨーロッパに乗っ取られておったんですねぇ。 コワイですねぇ……。これは歴史の
現実ですから、皆さんも、忘れないでほしい思いますよ、ハイ!

ブールさんが英領マラヤの植民地農園で管理人をしていたときに、ハイ!
第二次世界大戦が起きました。 彼はフランス人ですから、海外フランス人
として、兵役に就きました。 皆さんも、もしふたたびニッポンが戦争に
なったら、若ければ、国内におったら確実に徴兵されるわけですが、
海外に居っても、日本人である以上は、かならず兵役に就くことになると
考えとったほうがええです。 ワタシの経験から言うと、戦争になったら
逃げ場はないです。……コワイですねえ。ほんとにアカンことですわ。
皆さん、覚悟はできておりますか?

……で、ブールさん、第二次世界大戦が始まるや、本国から遠くはなれた
東南アジアでフランス兵になったんですが、ヨーロッパではなんとマア!
ナチスドイツがたちまちパリを占領し、フランス本国はドイツに屈してしまいました。
時は昭和15年で、ちょうどそんときニッポンは「紀元二千六百年」を、国を
あげて祝っておったわけです。 同盟国のナチスドイツは、あのヨーロッパの
花の都パリをあっというまに占領したんですから、当時のニッポン人としては
同盟国の勇者たちの大手柄に、喝采をさけんでおったんですわ。
いま生きてる皆さんには想像もできんでしょうけど、マア、そんな時代でした。

さてブールさんですが、この人はフランス兵になったのに、お国がたちまち
ナチスドイツに負けてしまいました。 これは困ったことになりましたねぇ……。
ナチスに降伏したフランスは、お国の、ど真ん中の、温泉保養地ヴィシーに
首都を移して「フランス国」を立ち上げ、とりあえずヒトラーに忠誠を示した
ペタン元帥を、首相に据えることになったんです。 ペタン元帥は第一次大戦
の功績から政界で出世した軍人でしたから、心の底からナチスドイツを崇拝
していたわけではなかったようです。 じっさい、オモテづらではドイツに服従
するポーズをとりながら、ウラでは反ナチの抵抗運動を支援していたわけで、
とにかくフランスという国が完全に滅んでしまうのを恐れて、侵略者のナチス
ドイツに上っ面で服従するふりをしていたのでしょう。

ところがマア! ナチスに服従をみせるペタン首相の「フランス国」に、我慢が
できなかった人がおりました。彼の腹心の部下だったドゴール准将です。
ドゴールはイギリスに逃げ出して、ロンドンで自称「自由フランス」と名乗って
亡命政府を立ち上げたんですねぇ。 そしてドーバー海峡をへだてた敵国の
イギリスから、祖国フランスにむけて反乱を呼びかけました。 この展開、スゴイですねえ。

ワタシらのニッポンは、こういう経験がないから、こんな劇的な展開は皆さんも
想像できないでしょうね。 まるで映画のなかの世界やからね。
でもこれって、いまの「イスラム国」と同じなんですねぇ。 あれも10年ばかり前の
戦争で負けてアメリカに占領されちゃった中東のイラクで、占領にけっして屈服しない
イラクの軍人とか役人の連中が、首都バクダードからサダム・フセインの
故郷だった北部の奥地に逃げ込んで、そこで態勢をたてなおし、「イスラム国」
という旗をかかげて、反乱勢力として逆襲してきてるんやからね。 ハイ!

歴史は繰り返します。 そしてそれが、映画の基本的なモチーフになってきました。
映画というのは、現実の世界を鏡にうつした映像なんですねぇ。ワタシ、映画の
仕事ができてホントに幸せだったと思います。

あらマア! ま~た話が脇道にそれてしまいました。 『猿の惑星』の原作者
ピエール・ブールのお話でございました。 ……第二次世界大戦がはじまって
フランスの兵士になったブールさん。 かんじんの祖国が、ナチスに迎合する
「フランス国」を名乗りだし、そこから逃げ出した連中が「自由フランス」を名乗って
自称の「政府」をを勝手に立ち上げました。 フランス人としては、どっちにつくかが大問題ですわ。

ブールさんの場合は、ドゴール准将がロンドンで旗揚げした「自由フランス」と
称する亡命政府に加勢することを決めました。……つまりナチスとか日独伊の
三国同盟を宿敵とする反乱勢力、パルチザンに身を置くことを選んだんですねぇ。

いまワタシらは、第二次世界大戦で最終的にアメリカ・イギリス・ソ連を中心と
する連合国が勝ち、日独伊三国同盟やらそれに同調する国々が負けたことを、
すでにあった事実としてあたりまえのように受け止めておるわけですが、
こうやって過去の歴史になりはてたことを、未来の時点から「正しい」とか
「間違ってる」とか決めつけるのは、お馬鹿なナマケものが気楽に参加できる
道楽でしかありませんワ。 むかしの事実をしらない血気盛んな坊やとかアンちゃん
なら、若気のいたりで苦笑いして済ませることもできるんやけどね……。
大切なのは、現代から過去を裁くことじゃなくて、歴史的な事件に直面したときに
アンタならどうするんや、という問いかけを、つねに自分に発することなんですわ。
それこそが歴史映画の価値なんですねぇ……。ハイ!余計なことを申し上げました。
でもコレ、ほ~んとに大事なことやからね。

さて「自由フランス」は、本家「フランス国」の転覆をたくらむ武装反乱勢力です。
一方、ナチスドイツに命乞いをして延命が決まった昔ながらの「フランス国」は、
パリを占領されてナチスドイツの部下みたいな国になったので、日独伊
三国同盟の仲間です。……つまりアジアでは大日本帝国の友好国、という
位置づけだったわけです。 その大日本帝国と戦っていたのは、当時の中国、
つまり中華民国でした。

だから「自由フランス」の“聖戦士”に志願したピエール・ブールさんは、
中華民国の国民軍とも接触してゲリラ活動をしていたんですねぇ。
一説によれば、ピエールさんは「ピーター・ジョン・ルール」っていう英語の偽名
を使って、「自由フランス」組織の秘密諜報員をつとめていた、とも伝えられてまっせ。

フランス領インドシナは、宗主国のフランスがナチスドイツに負けて「フランス国」
になったせいで、日独伊三国同盟の仲間に加わりました。 そんなわけで、
大日本帝国の軍勢が仏領インドシナに駐留も、すんなりとうまくいったのです。
なにしろ植民地政府は日本軍の進駐を歓迎したんやからね。

一方、ピエール・ブールさんは、パルチザン兵士として、親ナチスの「フランス国」
ヴィシー政権を転覆しようと、祖国からはるか彼方の熱帯アジアの密林地帯で、
仏領インドシナや、それを支える大日本帝国軍を相手に、ゲリラ戦を行なって
いたわけです。……ところが1943年のある日、船でメコン川をわたっていた時に、
仏領インドシナの植民地政府軍に捕まってしまいました。 捕まえた側からすれば
ブール氏はただの「反政府ゲリラ」です。反乱軍のテロリストにすぎなかったわけや。

なお、彼を捕まえたのは、仏領インドシナの植民地政府軍ではなく、そこに駐留していた
日本軍だった、という説も伝えられとります。 日本軍兵士が不審者をつかまえたら
フランス人やったんで、現地の植民地政府に引き渡したらしいのです。

けっきょく逮捕された“武装テロリスト”のブールさんは、仏領インドシナの捕虜収容所に
入れられて、強制労働の刑に服しました。 しかし翌年、あの「Dデイ」、ノルマンディー
上陸作戦が大成功して、連合軍がノルマンディーの海岸からナチス占領下のフランスに
進撃し、ついにパリを奪い返しました。 このあたりのことは、ルネ・クレマン監督の
1966年の米仏合作映画『パリは燃えているか』など、ぎょうさん名作が出ておりますから、
ハイ、皆さん、ぎょうさん映画を見ましょうね!

……そんなわけで、ブールさんはサイゴンの捕虜収容所に1年ばかりおったんやけど、
1944年、昭和19年になって、収容所の看守の手引きで脱走しました。
そしてイギリス軍の水上飛行機でインドシナを脱出し、インドのカルカッタにあった
イギリス軍の軍事諜報機関「特殊作戦執行部」に志願入りして、連合軍の秘密工作員
として終戦を迎えたわけであります。

終戦後もブールさんはしばらくマレーシアで農園経営を続けておったんですが、
やがてパリに帰って、戦争中の体験を元にした日記や小説を発表し、職業作家に
転身しました。 代表作はこの『猿の惑星』と、『戦場にかける橋』です。
マア! あの有名な「クワイ川マーチ」でおなじみの、アカデミー賞受賞の名作映画も、
このブールさんが原作者だったんですねぇ。 それだけ彼の仏印での戦争体験と
戦火のなかでの冒険は、劇的だったということですわ、……つまり『猿の惑星』は
われわれは単なるSF活劇だととらえがちやけど、物語の土台にあるのは、
熱帯のジャングルで武装ゲリラ戦士として戦ったピエール・ブールさん自身の、
敵国ニッポン軍との死闘の体験だったってことやね。

そう考えると、『猿の惑星』ってコワイ映画ですねぇ。
ワタシらは、あの映画のポスターに出てくる凶暴な猿、チャールトン・ヘストンら
アメリカ人の主人公にとっては、何を考えているのか得体の知れない不気味な
類人猿が、ニッポン人とダブっていることを、ちょっとは自覚する必要があるわけやね。

1968年に公開された『猿の惑星』第1作のポスター

昨(2014)年公開の『猿の惑星:新世紀』に向けて
英国のイラストレーター、マット・ファーガソン氏が描いたポスター
http://blurppy.com/2014/05/21/members-of-the-poster-posse-rise-up-with-some-dawn-of-the-planet-of-the-apes-inspiration/

★          ★          ★

いま映画版『猿の惑星』のポスターを見てもらいましたが、
このシリーズの最高傑作である第一作は、1970年アカデミー賞受賞作の
『パットン大戦車軍団』や、73年の大脱獄活劇『パピヨン』を監督した
フランクリン・シャフナーの作品であります。
そしてマア! シャフナー監督も、ニッポンとは特別な縁(えにし)をもつ人やったんですねぇ。

シャフナー監督は1920年、大正9年に、宣教師の息子として東京に
生まれておるんですわ。16歳まで日本におったということですから、
関東大震災も体験しておったんでしょう。 日中戦争が起きたころに
お父さんが亡くなって、シャフナー一家はアメリカに戻りました。
フランクリン青年はニューヨークのコロンビア大学で法律を学んでおったんですが、
第2次大戦が勃発して海軍に入隊し、ヨーロッパや北アフリカの戦線を
転々とします。やがて戦争の終盤になると米軍の特務機関OSS、
これCIAの前身の特務機関だったんやけど、この戦略諜報部に配属
されて、太平洋極東地域で従軍しておったそうです。

終戦後にハリウッドでドラマ製作の仕事に就き、それで大成功して
『猿の惑星』の監督を手がけたわけであります。 しかしシャフナーさん監督の
第一作は大成功やったけど、ハリウッドの連中はこれに気をよくして、
二作目からは別の監督で低予算のSF映画シリーズを次々と粗製濫造(そせい
らんぞう)したんやね。……で結局、『猿の惑星』は陳腐なSFシリーズとして、
スクリーンから姿を消すことになりました。

『猿の惑星』が公開された1968年は、SF作家のアーサー・クラークが脚本を
書いて、鬼才スタンリー・キューブリックが監督した『2001年宇宙の旅』が
公開された年でもあり、SF映画が“映画幼年期の終わり”を迎えた年やったのね。
これはハリウッドの映画産業の雰囲気をガラッと変えることになった重大事件
やったのね。その翌年にピーター・フォンダ製作主演、デニス・ホッパー監督主演
の『イージーライダー』が登場して、これはもうハリウッドの古くさい映画帝国が
ガラガラと音を立てて崩れ去ることになるんやけどね。

ピエール・ブールさんにとって、ニッポンはナチスドイツの盟友であり、
仏領インドシナに図々しく侵入してきた蛮族であり、倒すべき“凶暴な猿”
だったのかも知れません。 そやけどフランクリン・シャフナー監督にとっては
生まれ故郷の、幼なじみであり、こころの古里の人々であったでしょう。
ただし少年期のシャフナー君の目には、中国に攻め込んで勝ち鬨(どき)をあげている
集団的狂気をはらんだ“モンゴロイド”という、それまでと違う日本人の姿が
映っていたかも知れないけどね。……そういう愛憎入り混じった感情を抱えながら
『猿の惑星』を撮ったのかも知れへんな。 だからこそ、自分たちとは似ているけど
まったく異質な文明をもつ「類人猿」との、緊張感あふれるファーストコンタクトと
葛藤や交流が、うまく描けたのかも知れへんね。

★          ★          ★

……というわけで、第一回の淀長の映画専科は『猿の惑星』でした。
皆さん、ご堪能いただけました? でもここで終わりやないんですわ。
なぜってワタシ、天国でピエール・ブールさんにガッチリ嫌味を言われて
きたからです。 ハイ! 彼はこう言ったんですねぇ。

「ヨドチョーさん、俺の見立ては正しかった。
あんたの国はやっぱり『猿の惑星』じゃないか!」

マア! 驚きましたねえ!
ワタシ、なんてことを言うのかってビックリしました。
そして彼にむかってこう言ったんですわ。

「なあピエールはん、アンタちょっと失礼ちゃいまっか?
天国まできたんだから、もう下界の“おフランス帝国主義”はやめなはれ!
日本のどこが『猿の惑星』なんですか? 人種差別は許しまへんで!」

するとブールさん、こう言ったんですよ。 スゴイですねえ。

ピエール氏 「ヨドチョーさん、あんた、自分の国の政界が、凶暴な猿に乗っ取られて
しまったのをご存じないのか? もし今、俺が日活あたりからカネをもらって
映画が撮れるなら、『猿の惑政』ってのを作るだろうな。
日活なんて怪獣映画は『大巨獣ガッパ』しか作れなかったから、俺の作品は
大ヒットすると思うぜ。 もうストーリーラインも考えてあるんだ。」
淀長さん 「ピエールはん、どんなあらすじでっか?」
ピエール氏 「主人公は日本人のワタミという青年宇宙飛行士。彼は宇宙ステーションISISの整備工として宇宙に長期滞在していたが、とつぜん予算が打ち切られて食糧補給用
のスペースシャトルが来なくなり、仲間の宇宙飛行士たちが餓死するなかで、決死の
覚悟で地上に帰還した。 ……地球にもどってみると、何だか様子がちがう。
国会で歓迎会をするというので議事堂にいくと、なんと内閣が全員サルになっていた。」
淀長さん 「プラネット・オブ・エイプス(猿の惑星)でなくて、キャビネット・オブ・エイプス(猿の内閣)になっていたわけか?」
ピエール氏 「ウィ! 『猿の惑星』では地球が猿に乗っ取られた未来世界を描いたが、
この『猿の惑政』では、政治が猿に乗っ取られた現代日本を描いたのさ。
ほら、ポスターだって試作品ができてるぜ。」

天国のピエール・ブール氏が見せてくれた
『猿の惑政』(Cabinet of the Apes)のポスター試作品。
「Prime Minister(首相)」ではなく、「Primer(爆弾の導火線)」の
「Minion(権力者の愛玩動物)」の「シンゾー猿(Ape Shinzo)」
が、この怪獣映画のメインキャラクターだ。

『猿の惑政:新世紀』のポスター試作品。

 

淀長さん 「ピエールはん、このポスターに描かれているエイプですけど、
これじゃお猿さんそのものやないですか! あんた日本の政治を
何と思うてはるんや? これ人種差別でっせ!」
ピエール氏 「ヨドチョーさん、俺はそんなつもりはないんだけどな。
じゃあもうちょっと、人間みたいな表情を出してみようか。
どっちにしても日本の政治をハイジャックしたのは人でなくて猿、
ヒト似ザルだってことは変わらないんだけどな。 ほらよ、ちょっと
進化した『猿の惑政』のポスターがこれだ!」

ちょっと進化した『猿の惑政』

淀長さん 「ピエールはん、まことに残念なんやけど、日活はもうほとんど映画を
作ってないんや。こういう映画を作れるのは、おそらく今のニッポンでは
壇蜜の主演で『地球防衛未亡人』を作った河崎実監督くらいしかおらへんで。
どうしても日本での映像製作を望むんなら、もはや裏ビデオくらいしか
ないかも知れんわ。……まあ、裏ビデオなら瞬時に全世界に広まるというメリットもありますけどな。」
ピエール氏 「ノンノンノン! ヨドチョーさん、さすがの俺でも、凶暴なサルが出てくる
ポルノなんてゴメンですわ。 猿どもの乱交なんて、ワイセツすぎて見る気もしないわ。
猿の交尾のドキュメンタリーなんざ、デヴィッド・アッテンボロー君の仕事の領分だぜ。」
淀長さん 「ピエールはん、あんたエエなあ。 ワタシら日本人は、国会中継で
日がな一日じゅう、猿どもの乱交を見せられてんのや。 公共放送がポルノを
垂れ流しにしてるんやで。」
ピエール氏 「セ・シュペール! 素晴らしい! それこそ自由・平等・博愛ですな。
フランス革命の理想が、極東の島国で実現してしまったのか……。」
淀長さん 「……だとしたら、ピエール・ブールはん。あんたが命がけで守った
“自由フランス”ってのは、猿どもに政治権力を与える栄養剤だったってことですかね?」
ピエール氏 「だけどヨドチョーさん、うちの国の極右『国民戦線』のマリーヌ・ルペン党首は、最近、あんたのところの“民衆パワーでやりほうだい党”こそが、『国民戦線』の目標であると公言してるぜ。」
淀長さん 「“民衆パワーでやりほうだい党”って……そんな政党ニッポンにはおらへんで!」
ピエール氏 「PLDのことだよ。パルティ・リベラル・デモクラット(Parti lib?ral-d?mocrate)。あんた日本人だったんだろ?
知らないの?」
淀長さん 「それって自由民主党のことやがな。“民衆パワーでやりほうだい党”って名前やないで!」
ピエール氏 「俺はシナ文字のことはよくわからないけど、フランス語でいえば『民衆パワーでやりほうだい党』ってことだぜ。
ニッポン人は「リベラル」とか「デモクラット」の意味をぜんぜん理解せぬままに、こういう外来語を乱用してるんだろ。後進国の土人社会にはありがちなことだけどな。」
淀長さん 「なあピエールはん、ワタシの知るかぎり、自由民主党のイデオロギーは『自由主義』でも『民主主義』でもないよ。
自由民主党の連中が自分で言っているから間違いないんだろうけど、彼らのイデオロギーは
『自由民主主義』だからね。」
ピエール氏 「そういうのを、サル知恵っていうのさ。」
淀長さん 「やっぱり“サルの惑政”だったか……。」

★          ★          ★

……というわけでハイ! ブールさんとの天国での会話は、なんだか気まずい雰囲気で
終わってしまいました。マア!悔しいですねえ。残念ですねえ。 永田町のサル山の
お猿さんたちには、せめて「反省!」してほしいですねぇ。 日光サル軍団はりっぱに
「反省!」できたんですから……。 では次回まで、サヨナラ!サヨナラ!サヨナラ!

 

 

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ただし《屁世滑稽新聞(http://www.rokusaisha.com/wp/?p=6644)から引用》と明記して下さい。)