「シャルリー・エブド」と「反テロ」デモは真の弱者か?

合計17人の犠牲者を出したフランスでの「シャルリー・エブド」紙襲撃事件に対して、現地時間の11日大規模なデモや集会が行われた。パリの集会では160万人、フランス全土では370万人の参加者があったという。第二次大戦後では最大級の参加者数だったそうだ。

襲撃されたのが風刺週刊誌であったので、人権意識がひときわ高いフランスでは「言論の自由を守る」立場から集会やデモに参加した市民が多数いたに違いない。またフランスだけでなく、ドイツ、英国、イスラエル、そしてPLO議長までが「反テロ」デモに加わっていた。世界中で追悼の意が表明された。

◆「反テロ」デモは「言論の自由」を守ろうとする「国民の決意の表れ」か?

新聞社の襲撃事件と言えば、古くはなるけれども「赤報隊」による「朝日新聞阪神支局殺人事件」(1987年5月3日)を忘れるわけにはいかない。小尻知博記者(当時29)が散弾銃で射殺され、もう一名の記者も瀕死の重傷を負う報道機関を狙った襲撃事件だった。犯人は検挙されず、事件自体はもう忘却されようとしている。

また、大きなニュースにはならないけれども何者かによる襲撃で命を落とすフリーのジャーナリストは毎年100名を超える。

そこで今回のフランスでの襲撃事件後のフランスを中心とした世界の動きをどう見るか、これはジャーナリスムの世界にいる人々にとって、日常どれほど「言論の重要性」を考察しているかどうかが問われる命題になろう。

テレビや大手メディアは「宗教や立場を超えて、言論の自由を守ろうとするフランス国民の決意の表れ」などと、表面しか見ることが出来まい。

調子に乗ったフランスのオランド大統領は「テロとの戦争宣言」などと舞い上がっている。
フランス国会では、開会直後一部の議員が「ラ・マルセイエーズ」(フランス国歌)を歌い出し、議場全体が国歌斉唱でつつまれた。これは第一次大戦勝利以来の出来事だそうだ。

不遜の誹りを覚悟で本音を述べれば、私はこの世界を上げた「反テロ」キャンペーンが気持ち悪い。「テロとの戦争」を21世紀の幕開けとともに傲慢にも言い放ったのは米国のブッシュ元大統領だった。アフガニスタンを攻撃し、イラク、フセイン政権を殲滅した。イラク攻撃の理由は「大量破壊兵器の脅威」だったがイラク戦争後「大量破壊兵器」は無かったことが判明しブッシュは「I made a mistake(私は間違っていた)」と述べた。戦争を仕掛けておいて、何十万人も殺しておいて「私は間違っていた」はないだろう。世界中で少なくない人々がブッシュの罪を断罪しようとしたが奴は今でも健在だ。

◆「テロとの戦争」で舞い上がるオランド大統領は被害者ではない

フランスのオランド大統領から「テロとの戦争」という言葉を聞くと彼が被害者には思えなくなる。この事件のそもそもの原因は「シャルリー・エブド」紙がイスラム教を揶揄するような風刺漫画を掲載したことだった。そして、同紙がイスラム教を揶揄する風刺漫画を掲載したのは、今回が初めてではない。2006年から断続的に同紙はイスラム教を挑発する内容の風刺漫画を掲載しており、その度に、フランス在住のイスラム教徒からデモなどの抗議行動を受けていた。フランス政府も「あまりイスラム教徒を刺激し過ぎないように」と2012年には自粛要請を行っている。

イスラム教風刺にかけて「シャルリー・エブド」は「確信犯」だったわけだ。その証拠に1月14日発売の事件後初の誌面にもまたもや「ムハマンド」の風刺が掲載されている。

同紙は「あらゆる風刺画は許される」とコメントしている。うーん。そうだろうか。「表現の自由は」言わずもがな、貴重な概念だ。世界中で普遍的に認識され浸透すべき基本的人権の一部とさえいえるだろう。だが「表現の自由」は「全く例外なくすべての表現の自由」を意味するのだろうか。確かに言論活動で、「弱者が強者を揶揄(批判)する」ならばかなり普遍的に「自由は」認められるべきだろう。だが逆ならどうだろう。単なる差別にならないだろうか。その実例を近年不幸なことに私たちは国内で「在特会」により見せてもらっているではないか。韓国国旗をゴキブリに見立ててデザインしてみたり、人の首を絞めて殺そうとしている絵を描いて「いい朝鮮人も悪い朝鮮人も殺せ」とデザインされたプラカードは「風刺」の名に値するだろうか。「自由な表現活動」というほど高尚なものだろうか。

◆国際社会から「承認」されている「シャルリー・エブド」は弱者か?

“Je suis Charlie”(私はシャルリー)という言葉が襲撃被害者を悼む言葉として、世界中で語られている。

17名の犠牲者、しかも言論を理由に殺された人々を気の毒に思う気持ちは勿論私にもある。だが”Je suis Charlie”と私は口にする気にななれない。

シャルリー・エブドが「あらゆる風刺画は許される」と言うのは各国首脳をはじめとして、国際世論を味方につけているからではないだろうか。イスラエルからパレスチナ、つまり現在の世界で表面上対立していようとも、本質的には今日的世界を構成している「権力者」達から「承認」を受けているからではないだろうか。つまり「シャルリー・エブド」は国際社会から「承認」されている。決して弱者ではない。

私の杞憂であればよい。でも、そうでなければ同様の「テロ」事件は続発するだろう。

▼田所敏夫(たどころ としお)兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

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《脱法芸能36》宮根誠司──バーニングはなぜミヤネ独立を支援したのか?

これまで当連載で紹介してきたのは、主に独立で業界から干されたタレントだが、中には独立しても干されないどころか、ますます芸能活動が活発になるタレントもいる。たとえば、バーニングプロダクションという有力な後ろ盾を持った、フリーアナウンサーの宮根誠司のケースだ。

◆やしきたかじんの後押しでフリーとなり、『ミヤネ屋』でブレーク

月刊『EXILE(エグザイル)』2015年2月号(LDH発行)では51歳の肉体改造美を披露

宮根は1987年に関西大学を卒業し、朝日放送に入社した。2004年3月末に朝日放送を退社し、4月から大手芸能事務所のフロム・ファーストプロダクション大阪支社に所属し、フリーに転身した。フロム・ファーストといえば、バーニングプロダクションで郷ひろみのマネージャーを務めた小口健二がバーニングからのれん分けのような形で設立した大手芸能事務所だ。

このときは、番組で共演していた、やしきたかじんが朝日放送の社長らに「フリーになりたいそうやから、何とか、ならしたってほしい」と直談判してくれたという。

その後、司会を務める読売テレビ制作の『情報ライブ ミヤネ屋』が全国放送となり、宮根は日本中に顔が知れ渡る売れっ子となった。

そして、2010年3月末には、フロム・ファーストと契約解除し、4月から新事務所、テイクオフに移籍した。テイクオフは、元フロム・ファースト大阪支社長で宮根のマネージャーを務めた横山武が代表取締役に就任し、東京に設立された芸能事務所だ。宮根はテイクオフの所属タレント第1号で、宮根自身も出資しているから、実質的な独立ということになる。

◆「芸能界のドン」の後ろ盾で東京キー局へ進出

芸能界では、タレントが独立する際、強烈なハレーションが起きるものだが、宮根の場合は違い、独立直後の4月からフジテレビ系列の新情報番組『Mr.サンデー』でメインキャスターを務めることが決まり、東京進出に道筋を付けることができた。

実は『Mr.サンデー』の初回放送日には、バーニングプロダクション社長で「芸能界のドン」と言われる周防郁夫がわざわざフジテレビに現れ、異例のことに、フジテレビでは驚きの声が上がったという。周防が宮根の後ろ盾になっているという話は業界では有名な話だった。実力者がバックについた宮根の独立をとがめる者など業界にはいない。

フロム・ファーストから独立までの経緯については、『週刊新潮』(2010年4月22日号)が報じている。それによれば、宮根の独立のきっかけとなったのは、2007年11月にフロム・ファースト社長、小口が死去したことだったという。

小口が死去して1年あまり経った2009年初頭、宮根のマネージャーだった横山が「宮根と一緒に独立したい」と言い出した。この時は、フロム・ファースト側が慰留し、どうにか思いとどまらせることができたというが、これで話は終わらなかった。

2009年11月、小口の三回忌にバーニングの周防が現れ、霊前に手を合わせた。その1ヶ月後に宮根が独立を宣言した。芸能記者によれば、「周防さんは、小口さんの霊前に『宮根の独立を認めてやってくれ』と“仁義”を切りにいったと見られています」という。芸能界でいうところの「恩」や「義理」は、実力者の前では簡単に破られるのである。

宮根にとっては、独立によって自分の手取りが増え、ウン千万の収入アップが見込める。また、小口よりも大物の周防が後ろ盾になってくれることで、マスコミ対策が強力になる。

2012年1月、宮根に隠し子スキャンダルが持ち上がったことがあったが、これをスクープした『女性セブン』の記事では、なぜか美談仕立てだった。本来なら報道番組の司会者に隠し子騒動はアウトで、番組交番でもおかしくない事態だが、宮根の場合は不問に付された。

◆TVキャスター囲い込みでバーニングが画策するのはメディア・コントロール?

では、宮根の後ろ盾になるバーニング、周防には、どんなメリットがあるのか。まず、宮根から直接、上納金が入ってくるはずだ。筆者が聞いた話では、宮根の事務所、テイクオフにはバーニングやバーニングと関係が深いとされる大手出版社の幻冬舎も出資しているという。

バーニングにとっての宮根の存在価値はそれだけでなく、メディアをコントロールする上でも重要な鍵となる。

宮根が独立して初の仕事となった『Mr.サンデー』の2回目の放送日である2010年4月25日に女優の沢尻エリカとハイパーメディアクリエイターの高城剛の離婚スクープが大々的に報じられたことがあった。翌日のスポーツ紙は各紙とも1面で「離婚へ」と書き立て、その後、大騒動に発展していった。

沢尻はもともとスターダストプロモーションに所属していたが、2009年9月30日、契約解除となっていた。後の報道でその理由が薬物問題にあったことが明らかとなっている。

その後、沢尻は夫の高城とともにスペインで個人事務所を設立したが、芸能界への復帰は進まなかった。その理由は、復帰のためには夫の高城と離婚しなければならないという条件を芸能界から突きつけられていたためだった。

なぜ、沢尻は離婚しなければならなかったのか。沢尻がスターダストから契約解除された直後の『週刊ポスト』(2009年10月30日号)の記事「『それが女優復帰の条件』で始まる沢尻エリカの“離婚カウントダウン”」に、「芸能プロダクション幹部」のコメントとして「今回の騒動で、夫(高城)の存在がいかにやっかいかわかってしまった」とある。さらに「芸能ジャーナリスト」のコメントでは、「女性タレントや女優に、仕事に口を出すようなオトコがつくと面倒が起きるというのは定説」と解説されている。

芸能界が求める沢尻と高城の離婚を演出するために『Mr.サンデー』は使われたと見た方がいいだろう。

◆事務所の意向で干されるテレビ文化人たち

宮根の事務所、テイクオフには、2011年から日本テレビ出身の人気アナウンサー、羽鳥慎一が、2014年にはTBS出身のアナウンサー、田中みな実が所属するなど、陣容を拡大している。また、アナウンサーだけでなく、2011年には元カリスマキャバ嬢の立花胡桃がテイクオフに入ったが、立花はその前年にバーニングと関係の深い大手芸能事務所、ケイダッシュの取締役で周防のブレーンと言われる谷口元一と結婚していた。

アナウンサーは情報番組などで司会を務めることが多く、その発言には極めて大きな社会的影響力がある。宮根と所属事務所、テイクオフは、周防の拡声器のようなものになっているのだ。現実に先に紹介した沢尻の離婚報道に見られるように、周防は宮根を使って世論操作を仕掛けてきた。芸能分野だから、あまり目立たないかもしれない。だが、それが政治や経済を結びついてくると重大な問題になってくる。

作家の林真理子が『週刊文春』(2011年9月8日号)の連載コラム「夜ふけのなわとび」で次のように述べている。

「聞いた話によると、最近コメンテーターという人たちは、たいていの場合、その番組の司会者のプロダクションに所属しているという。
私と仲のいい学者さんは、朝のワイドショーのレギュラーコメンテーターを続けるなら、
『○○さん(司会者)のプロダクションに入ってください』
と言われて断ったところ、その後、ホサれたそうである」

芸能人だけでなく、文化人も事務所の論理によって干されるのだ。そして、情報番組やニュースが芸能界方式で操作されているとしたら……と考えると、何とも恐ろしくなってくる。

▼星野陽平(ほしの ようへい)
フリーライター。1976年生まれ、東京都出身。早稻田大学商学部卒業。著書に『芸能人はなぜ干されるのか?』(鹿砦社)、編著に『実録!株式市場のカラクリ』(イースト・プレス)などがある。

星野陽平の《脱法芸能》
森進一──「音事協の天敵」と呼ばれた男
石川さゆり──ホリプロ独立後の孤立無援を救った演歌の力
浅香唯──事務所と和解なしに復帰できない芸能界の掟
爆笑問題──「たけしを育てた」学会員に騙され独立の紆余曲折
中森明菜──聖子と明暗分けた80年代歌姫の独立悲話(後編)
中森明菜──聖子と明暗分けた80年代歌姫の独立悲話(前編)
松田聖子──音事協が業界ぐるみで流布させた「性悪女」説
《書評》『ジャニーズ50年史』──帝国の光と影の巨大さを描き切った圧巻の書

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JAXAの「夢」は国策詐欺──巨額浪費をし続ける軍事開発機関の無益

JAXA(宇宙航空研究開発機構)が昨年12月3日小惑星探査機「はやぶさ2」を打ち上げた。JAXAによると「はやぶさ2」の任務は、「地球などの惑星は、元は小さな天体が集まってできたと考えられています。しかし、惑星が誕生する過程でいったんどろどろに溶けてから固まっているため、惑星をつくった元の物質についての情報は失われています。いっぽう、小惑星や彗星はあまり進化していない天体ですから、太陽系が誕生した頃やその後の進化についての情報を持っていると考えられています。これらの天体は『始原天体』とも呼ばれています。このような天体を調べることにより、、太陽系がどのように生まれ、どのように進化してきたのか、また私たちのような生命をつくる元になった材料がどのようなものであったのかについて、重要な手がかりが得られる可能性があります。そして、このような知識は、太陽系だけでなく、その他の惑星系の誕生や進化を調べる上でも不可欠です」(JAXA「なぜ小惑星を探査するのか」)
ということらしい。

また、「小惑星の探査目的は、科学だけではありません。小惑星や彗星は、過去に何度も地球に衝突しており、そのたびに当時の地球に大小様々な影響を与えてきました。6500万年前の恐竜絶滅の原因とされる天体衝突から、最近ではロシアに落下して被害を与えた隕石もありました。『宇宙からの天災』は今後も発生するであろうと容易に推測されます。こうした天体の地球衝突に備える『スペースガード』活動の一環としても、地球に近づく小天体の探査は重要なテーマ」だという。(JAXA「なぜ小惑星を探査するのか」)

◆無意味な夢の裏に隠された軍事転用技術開発の本気

宇宙科学についてはずぶの素人なので、こう説明されると「ほーそうなのか」と半分はわかったような気になるけども、どうもすっきり納得ができない。

「始原天体」を調べることにより「私たちのような生命をつくる元になった材料がどのようなものであったのかについて、重要な手がかりが得られる可能性があります」は本当だろうか。もしそうなら、ここで言われている「ロシアに落下して被害を与えた隕石」の構成物質を調べればいいのではないか。わざわざ膨大な資金と長い年月をかけて「重要な手がかりが得られる可能性がある」かもしれない、逆に言えば「何も得られない可能性もある」こんなプロジェクトに意味があるのだろうか。

JAXAも自信があるわけではなく「可能性」と正直に告白しているが、小惑星から「生命誕生」の鍵になる物質が見つかるとは考えにくい。

更に正直すぎて驚くのは「小惑星の探査目的は、科学だけではありません」と非科学的行動であることを認めていることだ。地球に衝突する隕石や小惑星に備える「スペースガード」活動の一環だそうだ。

地球に衝突する可能性のある、小惑星や隕石の存在が分ったところでそれをどうするつもりなのだろうか。「スペースガード」というからには「迎撃ミサイル」さながらに打ち落とすつもりなのだろうか。

そんなものできるわけがないだろう。

隕石など毎日のように地球に降り注いでいる。でもその隕石がどの位置から地球上のどこへ落下するかなど、測定できるはずがないではないか。まあ「科学ではない」と正直にJAXAも言っているからこれ以上突っ込まないけど、要するにこれは対象が「惑星や小天体」ではなく「人工的に作られたもの」=武器(大陸間弾道弾など)への応用を目指しているのだろう。だから「科学」ではなく「軍事目的」なのだがそうは露骨に言えないから、実現可能性がない「スペースガード」などを引き合いに出しているのだろう。

でも「はやぶさ2」の役割はそれだけではない。

「また地球に接近する天体は、月に続く近未来の有人探査のターゲットとして近年大きな注目を集めています。さらに遠い将来、人類が深宇宙空間に進出した暁には、月や火星のような重力の大きな天体ではなく、重力の小さな天体の資源を利用するほうが効率的だと考えられます。このような利用法を探る上でも、小惑星探査は重要なのです」

なのだそうだ。え? 人類は「遠い将来、宇宙空間に進出」するのか?「月や火星のような重力の大きな天体ではなく、重力の小さな天体」ていったいどこのことだ。そんな遠くで人間が暮らすと本気で考えているのだろうか。

◆「ロケット」打ち上げ実験=軍事転用可能「ミサイル」技術の開発

スペースシャトル計画も終了し、国家が宇宙開発に血道を上げる時代はとうに終わっている。火星への有人飛行とか、まだ眠たいことを言っている人間も一部にはいないわけではないけども、それは「宇宙旅行」で一山当てようと計画している民間業者だったり、一部の研究者だ。膨大な金と時間をかけて「有人飛行」を行ったところで、人類に恩恵がもたらされるような特質すべき利益が得られると現実的に考えている人間はほとんどいない。

JAXAによる「はやぶさ2」ミッションの説明から読み取れるのは、極めてあいまいかつ「実り」がほとんど期待できない「金の無駄使い」ということだ。「スペースガード」などという荒唐無稽な理由まで持ち出してくるのにはさすがに驚いたが、「はやぶさ2」に限らず、実は日本の宇宙技術開発は一貫して適当な理由をでっち上げ進められてきた。

つまるところ「ロケット」の打ち上げ実験は、いつでも軍事転用可能な「ミサイル」技術の開発に他ならない。それ以外の人工衛星打ち上げなどはおまけの理由といっていい。さらにその「ミサイル」は「核弾頭」搭載も視野に入れている。安部が副官房長官時代に本音を漏らしたし、過去には科学技術庁(当時)の官僚も暗にそれを認める発言をしている。

JAXAやそれに便乗するマスコミは、相も変わらず「宇宙のロマン」などと、手垢で汚れまくっている古臭い誤魔化しで本質をだまそうとし続けているけれども、「宇宙のロマン」の追求は個人の金でやってくれ。

つい最近も新星発見を趣味にする方がご自身で100個目の新星を発見したではないか。その姿勢こそは「宇宙のロマン」と言う言葉には相応しい。

ついでに言えば、日本人宇宙飛行士はTBSの「宇宙特派員」だった秋山豊寛氏を除いて皆「無賃乗車」、否税金を利用しての公金流用だ。スペースシャトルに乗ったり、宇宙ステーションに滞在したりした人たちは、個人的には興味深い経験だったろうけども、いったい税金からいくら持ち出しをしているのだろうか。

挙句の果て、宇宙飛行士は何か特別偉い存在のように扱われる。その筆頭が毛利衛だ。こいつはあちこち顔を出しては、如何にも「私は特別な人間だ」と言わんばかりに持って回った糞偉そうな言い回しで「宇宙」や「科学」を若者に語っていた。毛利は積水ハウスやSONYなど大企業のCMに出まくった挙句、「九州電力玄海原子力発電所─プルサーマル」のCMにまで登場している。

ここまで紹介すればもうお分かりだろう。宇宙技術開発と原発は共に「ミサイル」と「核弾頭」開発を見越した「今のところ民生技術」だということが。昨今の好戦的政治状況を見れば、あれよあれよと「軍事転用」される日が来ても不思議はない。

金がふんだんに余って、国民が裕福な暮らしをしているのであれば、趣味的な「宇宙探検」をするのも良かろうが、国家財政は破綻寸前、年収200万円以下で食うや食わずの人があふれる今日、税金を使っての「宇宙お遊び」などやっている場合であろうか。JAXAこそ「分割民営化」して民間に任せたらどうか。収益が見込めないから引き受ける企業はないだろうけども。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

《大学異論25》ロースクール破綻の無策と「裁判員裁判」の無法
《大学異論24》日本テレビが喧伝する「箱根駅伝」の不平等
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《大学異論25》ロースクール破綻の無策と「裁判員裁判」の無法

「専門職大学院」と文科省が区分する大学院がある。「大学院のうち、学術の理論及び応用を教授研究し、高度の専門性が求められる職業を担うための深い学識及び卓越した能力を培うことを目的とするもの」のことである(学校教育法第99条第2項)。

通常の大学院は学部の上に位置し、研究を主たる目的としているのに対して、「専門職大学院」は「職業」を明確に視野に入れた教育研究がなされる場所とうことである。

その範疇に「法科大学院(ロースクール)」がある。法学部を卒業して法曹界に仕事を求めようとする人(司法試験受験を志す人)が学ぶ場所だ。司法試験受験は「法科大学院」進学以外にも方法はあるが、現在大多数の受験生は法科大学院を修了した人だ。

◆全国73校の6校しか募集定員に達していない法科大学院の惨状

そもそも「法科大学院」が設置された背景には法曹界の「人材不足」があった。あるいは「日本の裁判は時間がかかりすぎる」という批判も理由とされた。裁判官、検事、弁護士が足らないのだから人数を増やしましょう、ということで旧司法試験を大幅に改編して「司法改革」(裁判員制度の導入)とも併せて各大学は「法科大学院」を競うように設置した。

設置当初はどの大学も学生募集に関する限りは好調だった。「司法試験が大幅に簡易化される」=「合格しやすくなる」という安易な誤解がその背景にはあった。

だが、予想外の問題が起きた。スタッフを揃えそれなりの教育をしているのだから「司法試験」にはせめて半数位の合格者は出せるだろう、と考えていた大学のほとんどが、受験者中2割の合格者すら出せない有様に陥ってしまったのだ。そうなると「法科大学出身ながら司法試験不合格者」というマイナスのイメージを背負って仕事を探さなければならない。「潰し」が効きにくくなるのだ。たちまちその情報は大学生にも伝わり、志願者の急激な減少が始まる。2014年度、定員を満たしているのは全国にある73の「法科大学院」のうち、わずか6校に過ぎない。

既に募集停止を決めた大学も10以上出てきたし、これからも「法科大学院」の閉校は続くだろう。

◆遠からず破綻するロースクール制度

法科大学院地盤沈下、もとはと言えば明らかな国策の誤りだ。勿論それにホイホイと乗ってしまった各大学の軽薄さも情けなくはあるが、法曹関係者の人材不足だけがこの国の法曹界の問題ではなかったということだ。確かに弁護士不足は(数の上では)解消された。いや、むしろ弁護士の中には仕事にありつけない人が少なからずいる。かつては弁護士になれば余程無能でない限り、食べていくことに困ることはなかった。が現在は年収200万円得ることが出来ない弁護士が山ほどいる。

一方で「過払い金の取り戻し」を専門に派手に広告を打つ弁護士事務所はぼろ儲けしている。いつ世のでもあざとい奴は食いはぐれない。

法科大学院が実質的に「破綻」に陥り、法務省も今後は司法試験合格者数の抑制を打ち出した。何とも場当たり的な対応だ。

大学院は一般的に大学よりも学費が安い。が、専門職大学院は例外だ。入学金を含めると年間200万円を超えるところもある。国立でも年間100万円近くの学費がかかる。これだけでも経済的負担は推して知るべしだ。合格可能性の少ない司法試験を目指すための先行投資としてはあまりにも高すぎる。当然志願者も減る。そこで今法科大学院ではなりふり構わない「割引競争」が始まっている。もとより奨学金制度を持っている大学院は別だが、学費の割引を売り物にしている法科大学院は「志願者が寄り付かない」学校と考えてよい。遠からず潰れる。

◆法意識に疎い「市民感覚」で採決を下す「裁判員裁判」の恐ろしさ

不思議なのは、法科大学院と直結はしないものの「裁判員裁判」制度が日弁連も同意する中で導入されたことだ。裁判員に選考されて人を裁こうと裁判所に出かけるのは「国民の義務」らしいけれども、私は同意しない。どうして法律の素人が凶悪犯罪に限り判断を下すことが出来るというのか。裁判に臨む前に裁判員は報道や噂などから完全に隔絶されていて「ニュートラル」な考えの人ばかりであろうか。たった数日の法廷で被告人の量刑を決める。そんな知識や見識のようなものを裁判員が持ち合わせているだろうか。弁護士、検事、裁判官は皆何年も法律を勉強し、司法試験に合格し、司法修習生を経て法廷でそれぞれの役割の仕事をしている。

そんな学習を一切していない市民の「市民感覚」を参考にする必要なんてあるのか。

批判を恐れずに無茶を言う。裁判員として法廷で被告人を裁くに躊躇ない人は、法に無知であるか、心の中にサディスティックな因子を持っている人が多数だ。

裁判員を勤めたけれども、余りも激烈な内容に心を病み、生活に支障を来たすまでになった方が、国家賠償(国賠)を求める裁判が昨年、提訴された。この方以外にも裁判員を軽い気持ちで引き受けてしまったものの、後悔をしている方は少なくないだろう。

法科大学院と同様、裁判員裁判もこれから問題が噴出してくるだろう。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

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意味不明な英単語「セレンディピティー」を無理強いする日本新聞協会の愚

はて、何の意味だろうと首をひねったのは昨年の早い時期だったろう。私の英語力が低いから、カタカナで「セレンディピティー」と書かれても何のイメージもわかない。このカタカナ言葉が使われていたのは「日本新聞協会」の広告で、「新聞はセレンディピティー」をキーワードに作文を募集する内容の広告だった。

不勉強を恥じ辞書を引いてみた。確かにある。”serendipity”は手元の辞書によれば、「ものをうまく発見する能力, 掘り出しじょうず;幸運な発見」という意味だそうだ。

しかし、この単語、カタカナ語にしても一体どの程度の割合の人々が理解できるだろう。一般企業の広告なら見過ごすけども、広告の出稿主は「日本新聞協会」だ。いわば日本語を適正に使うのが使命とされている新聞の共同体である。わざわざ「セレンディピティー」なる単語を用いないと表現できない概念を述べようとしたのだろうか。

◆わざわざ注釈をつけ始めた

悔しいから新聞協会に電話をした。

── 広告で使われている『セレンディピティー』という言葉について伺いたいのですが。
新聞協会 はい、どうぞ。
── 『セレンディピティー』とはどういう意味ですか?
新聞協会 「今まで知らなかったり気が付かなかったことに気が付く」という意味です。
── 恐縮ですが、これ読んでもほとんどの人は意味が分からないと思うんですが。
新聞協会 そうでしょうか。ご意見として伺っておきます。
── いや、新聞協会は日本の新聞のほとんどが加盟していますよね。そこが広告を出すに際しては言葉の選択を適切になさった方がよいのではないですか? 私の身近な少し英語が出来る人々にも聞いてみましたが、誰もこの意味理解しませんでしたよ。
新聞協会 はぁ。ご意見として伺っておきます。

という具合だった。

その後も何度もこの「セレンディピティー」は広告で登場して、昨年12月30日の新聞にもまた掲載されていた。ただ「セレンディピティー」に注釈がついていた。おそらく私のように「意味が解りません」という苦情が少なからずあったのだろう。

◆新奇なカタカナを強引に読者に提示する小賢しさ

新聞協会の広告と言っても作成は広告代理店との協議によるからコピーライター等の意向が強く作用したのかもしれない。にしても「言葉」の選び方としてはこれ、いかがなものだろうか。

同様の例は広告では過去に山ほどある。そのほとんどすべては英語か欧米語を引っ張ってきて奇をてらう手法だ。広告とは人目を惹かなければその役割を果たせない。だからそういった欧米語を強引に読者に提示するのは一つの手法として「仕事のやり口」なのだろう。

日本語では適切に意味が伝えられない、それゆえに定着したカタカナ言葉は少なからずある。それはそれで納得できる。けれども日本語でも充分語ることが可能であるのに、敢えてカタカナ言葉を持ってくる時には何かしら不純な意図を感じる。不思議なことにそういった不要なカタカナ言葉は往々にして中央省庁から発せられる。

耳慣れないカタカナ言葉を目や耳ににしたら、それを採用した集団とその意図を疑ってみよう。たぶん小賢しい企みが見えてくる。言葉は意味を伝える媒体であると同時に、それを発する人々の思惑を常に帯びている。

そうそう「アベノミクス」を調べてみた。解説では「弱者を思い切り痛めつけて、大企業の景気向上のみを目指す場当たり的な愚作」とあった。

新聞協会は「セレンディピティー」などという不要なカタカナ語を宣伝に使う前に、各紙の誌面で「アベノミスクスは愚策だ!」と連日解説するのが先決ではないか。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

速報!『革命バカ一代』塩見孝也氏が清瀬市議選に出馬へ!
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《紫煙革命16》電子タバコって体に悪いの?

電子タバコをご存知だろうか? 電気の熱で蒸発した液体の蒸気を吸う。ハイテクな水タバコだ。

◆電子タバコに関するWikipediaの記事はいい加減

Wikipediaには「たばこに似た形の吸引器を口にくわえ、専用カートリッジ内の液体を電熱線の発熱により霧状化し、その微粒子をたばこの煙のように吸引することでたばこの代替とする。葉を用いる従来のたばことは異なり、火気を用いない上に、燃焼に伴うタールや一酸化炭素なども発生しない。また、たばこの先端から副流煙が発生しないため、他人に迷惑をかけず自身の健康を害することもない。2008年頃から日本国内においてもメディアなどで取り上げられている」と説明されている。

従来の「火を燃やした煙」を吸うシガレットに対して、「電熱線の熱で気化させた液体の蒸気」を吸う電子タバコにはタールが含まれないので「健康を害することもない」と書かれている。なんだこのいい加減な記事を書いた奴は。

◆「○○は健康に良い」なんてウソだから、好きか嫌いかで選べ!

栄養学だとか健康食品だとか考える場合に一番最初に押さえておかなければならないことそれは「体に良い物質などこの世に存在しない」つまり「体に悪くないものなど宇宙には存在しない」ということだ。健康を考えるにあたって一番大事なのは「体が欲しているか否か」「必要か不必要か」ということではないだろうか。

やれ、納豆が体にいいだとか、バナナにダイエット効果があるだとか、シジミエキス二日酔いに効果的だとか、コラーゲン配合だから体にいいとか、ビタミンCが入ってるから風邪の予防になるなんてそんなことを平気で推奨する医者とかいるでしょう。あれは客観的な科学的な事実ではなくて、金をもらって宣伝している営業マンなんだぜ。

電子タバコ業界が「電子タバコは健康的でーす!」と金儲けのためにでたらめを並べるのは、そんなの販売戦略と経営努力だから企業の勝手でしょう。消費者が売り文句を鵜呑みにしちゃったら世も末だ。「騙されないように疑ってかかれ」と云っているのではない。「どうせだいたい嘘か冗談なんだから、好きか嫌いかで判断するほうが誠実だ」と云いたい。

ましてや「有名人も使ってるから」とか「偉い人が言ってたから」なんて理由でものを選ぶなんて言語道断だ。

◆煙草の煙の10倍以上の発がん性物質が検出された電子タバコ製品もある

2014年11月28日付けのasahi.comにこんな記事があった。

「味や香りのする溶液を蒸発させて吸う『電子たばこ』について、厚生労働省の専門委員会は27日、発がん性物質が含まれ、健康への悪影響が示唆されると評価した。今後、国内の使用実態や未成年への影響を調べ、報告書をまとめる。厚労省は、規制も含めた対応を他省庁と検討していく。

委員会では、国立保健医療科学院生活環境研究部長の欅田(くぬぎた)尚樹委員が、国内で入手したニコチンを含まない3製品の蒸気を調べた結果を報告。2製品から発がん性物質ホルムアルデヒドが多く検出され、うち1製品は紙巻きたばこの煙の10倍以上だったという。また、動物実験の結果から、電子たばこを毎日吸った場合、3種類の有害物質で健康に悪影響を及ぼす可能性が示されたとしている。」

アメリカの喫煙率は世界でも群を抜いて低い。公共の場や屋内での喫煙はほとんどできない。しかし、電子タバコの使用率は年々右肩上がりに上昇し続けている。嫌煙ムーブメントの結果、法律やマナーの隙間を縫って登場した電子タバコが注目を浴びている。火のないところに煙は立たない。ニーズのないところで企業は商売しない。電子タバコは立派なアイディア商品だ。

3年前から電子タバコを愛用しているミュージシャンのJさんに今回の厚労省の発表についてどう思うかインタビューしてみた。

──電子タバコの販売に政府が規制をかけようとしていますね

J 「もともとリキッド(電子タバコの液体)は海外から輸入して吸ってるんだけど、東南アジアのメーカーの方が種類が豊富だし、日本の電子タバコはニコチンが入ってないから興味ないんだよね。いちいち買うの面倒だからまとめ買いしてあって、大量にストックしてあるから別にいいよw」

──最近の研究で電子タバコに発ガン性物質が含まれいるとかいう話がありますが

J 「シガレット吸ってた時も、電子タバコにかえてからも、別に健康にいいか悪いかどうかよりも旨いかどうかしか考えないよ。あー旨いな、楽しいな、っていう方がよっぽど健康的だと思うんだよね」

半年前から電子タバコを愛用している経営コンサルタントのSさん(30歳)は
「へ?、発がん性あったんだ。知らなかった。ま、よくわかんないけど、電子タバコ、うまいよね?!」

▼原田卓馬(はらだ たくま)
1986年生まれ。幼少期は母の方針で玄米食で育つ。5歳で農村コミューンのヤマギシ会に単身放り込まれ自給自足の村で土に触れて過ごした体験と、実家に戻ってからの公立小学校での情報過密な生活のギャップに悩む思春期を過ごす。14歳で作曲という遊びの面白さに魅了されて、以来シンガーソングライター。路上で自作のフンドシを売ったり、張り込み突撃取材をしたり、たまに印刷物のデザインをしたり、楽器を製造したり、CDを作ったりしながらなんとか生活している男。早く音楽で生活したい。
ご意見ご感想、もしくはご質問などは twitter@dabidebowie
このコーナーで調査して欲しいことなどどしどしご連絡ください

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田中俊一委員長自宅アポなし直撃取材を終えて

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なぜテレビはどこまでも追いかけてくるのか?

私は取材など泊りがけで出かけると、安価なのでサウナをよく利用する。ビジネスホテルに比べればずいぶん安いし、長時間大きな風呂に入ることもできるから便利に使っている。

◆垂れ流されるテレビの音が不快過ぎる日本のサウナ

が、唯一閉口することがある。大概サウナはサウナ室にも休憩室にも食堂にもテレビを設置している。休憩室には前面に7つほど大きなテレビがあるのだが、さらに個々のリクライニングシートにも小型のテレビが設置されている。音声は椅子についている小さなスピーカーで自分が選択するのだが、この音声が方々から漏れて来て、やかましいことこの上ない。

どうしてこうもたくさんテレビを設置するのだろうか。休憩室にテレビがあるだけでもやかましいのに、サウナ室でも逃れることはできない。誰が選ぶのか知らないけども、くだらない番組が延々垂れ流される。汗が出る前にテレビの音声が苦痛になり、サウナ室を出る羽目になる。でも悔しいからまた入り、でも喧しいから直ぐに耐え切れず逃げ出して・・・を繰り返す。馬鹿みたいだ。

「目が悪くなるからテレビは2時間以上見てはいけません」と小学校で教わった記憶がある。パソコンと一日中睨めっこするのがホワイトカラー労働者には当たり前になったが、きっと近い将来視力に問題が出てくるだろう。かく言う私自身パソコンに長時間向き合っていると目の疲れだけでなく独特な疲労感を感じる。きっとパソコンは体に悪いだろう。テレビだって「2時間」以上見たら目に悪いと言われていたのに、多くの労働者(いや、遊びで利用する人も含めて)は平気で7、8時間パソコンの画面に向き合っている。そして帰宅した後は「テレビ」を見る──。よくやるなぁ、と思う。

◆「嫌煙権」が絶対正義ならば「テレビ拒否権」も立派な権利

知人に度を越えたテレビ好きがいる。彼は平日見たい番組を録画しておいて、週末にまとめて観るのが楽しみだそうだ。土日のどちらか1日は終日テレビ鑑賞で潰れる。昼食中も連続で録画した番組をぶっ通しで見るので1日10時間以上テレビの前にいることになるが、それだけではない。彼は防水テレビを持っている。お風呂に入るときもそれを持参し、湯船に浸かりながらもテレビ鑑賞は続く。ここまでくると、たいしたもんだと感心するばかりだ。

近隣アジア諸国に比べて日本人のテレビ鑑賞時間は長い。たぶん世界の多くの国と比較してもそうだろう。

大阪と京都を結ぶ京阪電車に「テレビカー」があった(今もあるのかどうかは知らない)。「電車の中でテレビが見られる!」はかつて斬新なサービスだったのだろう。あたかも飛行機機内で映画の映写が行われたように。

でも。スクリーンが下ろされて、そこに映写された飛行機内の映画も、今では個人個人が選択して見る事ができるような小型ディスプレイへと置き換えられた。どうか逃げ場のない場所でテレビを放映することを再考してはもらえまいか。

携帯電話やスマートフォンでもテレビが受信できる時代だ。お好きな方にとっては誠に便利なのだろうけども、携帯電話やインターネットを使っているだけでもNHKは受信料を払えと言ってくる。NHKには「馬鹿もたいがいにしろ!」と言いたい。

「嫌煙権」は絶対正義のように世の中からタバコを駆逐しつつあるけれども、「頭の健康」に有害な「テレビ」を御免こうむる権利も議論してはもらえまいか。

まあ、金があればホテルに宿泊し静かに寝れば良いだけのことなのだが、貧乏人にはこういう悲哀もある。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

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いつも何度でも福島を想う

 

《独占公開》冤罪確定疑惑の下関女児殺害事件──湖山忠志氏の手記[Ⅲ]

事件現場の被害女児宅マンション(奥の棟の2階)

2010年11月に発生した下関市6歳女児殺害事件は、昨年11月に被告人の湖山忠志氏が最高裁に上告を棄却され、懲役30年の判決が確定した。だが、この事件は決して終わっていない。湖山氏は再審請求により無罪を勝ち取りたいと考えている。そこで湖山氏に改めて事件発生から懲役30年の判決が確定するまでのことを振り返った手記を発表してもらうことにした。

以下、湖山氏が事件当日、別れた妻を原付バイクで探して回り、家に帰った時から警察に疑われ、濡れ衣を着せられていくまでの出来事を回顧した手記を[][][]と3回に分けて公開する。今回はその3回目でこれで全文完結だ。筆者は読者諸兄に自分の考えを押しつけようとは思わない。各自がこの湖山氏の話を読み、じっくり真相を見極めて欲しい。

◆取り調べは脅迫のようなことばかりだった

下関署まで車で連行され、取り調べ室に入ると、刑事が3~4人くらい入ってきました。そこで逮捕状を出され、刑事が何か読んだと思いますが、たしかな記憶はありません。やっていない事件でパクられるのは初めてだったんで、調書はどんなふうに書かれるのかわかりませんでしたが、刑事がまず、「私はRちゃん(筆者注:被害女児)を殺していませんし、捨ててもいません」と読み上げて、僕が「それでええよ」と言い、弁録ができました。

逮捕されてからの取り調べも任意同行された時と同じで、刑事は「こっちは科学的に証明できとるんやから認めろ」と、そればっかでした。「ヤクザの知り合いはおるんか?」と聞いてくるので、「おる」と言ったら、「そしたら、ヤクザの担当刑事から、ヤクザたちにお前の悪い噂を流して、下関に住めんようにしちゃろうか」と脅してきました。また、「今認めたら、生きとるうちに出られるけど、認めんかったら生きて出れんぞ」などとも言われました。否認していたほうが刑が長くなるという意味だったと思いますが、取り調べでは、そんな強迫のようなことばかりでした。

また、「弁護士を信用するな。本当にお前のことを思って言いよるのはワシらぞ。やけ、弁護士の言うことは聞くな」などと弁護士をバカにしたりと、とにかく精神的なゆさぶり、ダメージを与えようとしてきました。

捜査本部の置かれた下関署

逮捕前から悪かった体調は逮捕後もずっと悪い状態が続きました。取り調べは朝から晩までありますが、体調が悪くても早く切り上げてはもらえません。取り調べ中は当然、横になったりもできません。頭痛やめまい、疲労感がひどく大変でした。それは起訴までずっと続きました。

検事の取り調べは、最初は下関署でありました。しかし以降は山口地検の本庁で行われました。検事の取り調べがあるたび、拘禁されている下関署から山口地検の本庁まで車で連れて行かれるのですが、1時間半くらいかかり、車の移動だけでつらかったです。車の中では、両脇から警察官に挟まれいて、とても窮屈なんです。手錠に腰縄もされており、狭いから眠ることもできません。

また、一日に検事と警察の取り調べが両方あることもよくありました。朝から山口地検の本庁に車で1時間半くらいかけて連れて行かれ、検事の取り調べをうけ、夕方に下関署に帰ってからまた警察の取り調べを受けなければならかったこともありました。

刑事の威圧、脅迫をするような取り調べについては、弁護人が裁判所に違法な取り調べが行われている旨の文書を送ったりしていましたが、「ただの法令違反であって」みたいな文面が送られてくるだけで、裁判所は取り合ってくれませんでした。「法令違反なら、違反しとるんやから、やめさせろや!」と思いました。

さらに弁護人は山口県警の本部長に抗議する文書を送ってくれましたが、刑事の取り調べはまったく改められず、むしろ威圧、脅迫がひどくなりました。取調べ室に入るなり、刑事が赤い顔をしてケンカ腰で、「お前の思い通りになると思うなよ」と言ってきたこともありました。検事の取り調べで保木本(正樹。当時の山口地検三席検事)に民族差別発言を浴びせられ、僕が絶対に許すことができない思いでいるのは以前もお話した通りです。

◆1日も早く家族の元に戻って働き、子供の面倒をみたい

今改めて振り返ると、捜査も裁判も真実から目を背けた感じで、そのまま出来レースで有罪判決が出てしまったように思います。僕は裁判員裁判というのは、公平な裁判をするためにするものだと思っていました。しかし、ふたをあけてみると、裁判員は裁判員裁判の進行のために形式的にいるだけでした。裁判は僕を犯人と決めつけた上で進んでいったように思います。本当に最低の裁判員裁判でした。見せられるものなら、日本の国民の皆様に、どれだけ最低な裁判員裁判だったのかを見てもらいたいぐらいです。

あの日、あの場所に行かなければよかったとか、行くとしても別の日にしておけばよかったと思うこともあります。そうすれば、こんなことに巻き込まれずに済んだわけですからら。もしくはMを殴った容疑で逮捕された際、罰金30万円を払うのではなく、拘置所で労役として30万円分作業をしていれば良かったかなとも思います。そうしておけば、完全なアリバイが証明できたからです。

そういえば、拘置所で運動を一緒にやっている時に「青信号を渡っていたら、いきなり車が突っ込んできたようなものやな」と言ってくれた人がいます。こういう所に入る人というのは、目や態度をみれば、無実だと言っている人間が本当に無実なのかどうかわかるそうですね。ヤクザの人からも「お前の目は澄んどる。話す時も目をそらさん。じゃけぇ、やってないってわかるんや」と言われました。カタギの人、任侠道で生きる方々、みんなが励まし、支援してくれました。この思いや縁は一生大切な宝物です。

ただ、今は過去を振り返るより、再審で無罪を勝ち取って1日も早く家族のもとに戻り、働きたくて仕方ないです。そして早く娘、姪っ子、甥っ子に色んなものを買ってやり、色んなところに連れて行ってやりたいです。僕は子供の面倒をみるのが大好きなんです。保父さんになりたいと思ったこともあったぐらいです。実際今でもなりたいぐらいです。ただ、高校生の時に同じ年のヤツや後輩などにそれを言うと、「えっ!?」って顔をされて、「全然似合いませんし、子供が泣きますよ(笑)」と言われました。「一体周りのヤツらはオレをなんやと思っとるんや」と思いました。子供に泣かれたことなんか一度もないですし、むしろめちゃくちゃ懐いてくるんですけどね。

湖山氏の裁判員裁判があった山口地裁

親の助けにもなりたいです。とにかく僕は何もやっていませんから、今まで生きてきたのと同じ年数(筆者注:湖山氏は現在30歳、判決は懲役30年)を持って行かれるのは許せません。警察、検察は正義ではなく悪です。そして裁判官は地裁、高裁、最高裁問わず、稚拙で見識の狭い、ただの傀儡でしかない。保育園からやり直してこい!! [了]

【下関6歳女児殺害事件】

2010年11月28日早朝、母親は仕事で外出しており、小さな子供3人だけで寝ていた下関市の賃貸マンションの一室で火災が発生。火災はボヤで済んだが、鎮火後、子供3人のうち、一番下の6歳の女の子がマンションの建物脇の側溝で心肺停止状態で見つかった。女児は発見時、上半身が裸で、死因は解剖により、「首を絞められたことによる窒息死」と判明。翌年5月、被害女児の母親の元交際相手だった湖山氏が死体遺棄の容疑で逮捕され、翌6月、殺人など4つの罪名で起訴される。湖山氏は一貫して無実を訴えたが、2012年7月に山口地裁の裁判員裁判で懲役30年の判決を受け、今年1月、広島高裁で控訴棄却されていた。

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下関女児殺害事件──最高裁が懲役30年の「冤罪判決」疑惑

▼片岡健(かたおか けん)

1971年、広島市生まれ。早稲田大学商学部卒業後、フリーのライターに。新旧様々な事件の知られざる事実や冤罪、捜査機関の不正を独自取材で発掘している。広島市在住。

いつも何度でも福島を想う

 

《独占公開》冤罪確定疑惑の下関女児殺害事件──湖山忠志氏の手記[Ⅱ]

2010年11月に発生した下関市6歳女児殺害事件は、昨年11月に被告人の湖山忠志氏が最高裁に上告を棄却され、懲役30年の判決が確定した。だが、この事件は決して終わっていない。湖山氏は再審請求により無罪を勝ち取りたいと考えている。そこで湖山氏に改めて事件発生から懲役30年の判決が確定するまでのことを振り返った手記を発表してもらうことにした。

以下、湖山氏が事件当日、別れた妻を原付バイクで探して回り、家に帰った時から警察に疑われ、濡れ衣を着せられていくまでの出来事を回顧した手記を3回に分けて公開する。今回はその2回目。筆者は読者諸兄に自分の考えを押しつけようとは思わない。各自がこの湖山氏の話を読み、じっくり真相を見極めて欲しい。

◆逮捕されても何も恥じることはなかった

捜査本部の置かれた下関署

5月24日に任意同行された時は、前触れはなく、警察は朝の9時前、いきなり家に「聴きたいことがあるんじゃ」とやってきました。玄関のドアを開けると、記者たちがブワ~と大勢いて、バシャバシャとフラッシュを焚かれて写真を撮られました。そして下関署に任意同行されると同時にガサ入れもされました。

取り調べでは、刑事は最初から僕のことを犯人扱いで、「こっちは科学的に証明できとるんじゃ」とそればかりを繰り返し言ってきました。しかし、「じゃあ、それを見せろ」と僕が言っても、見せてくれません。「任意じゃろうが」と言って帰ろうとしたんですが、「こっちはお前を止めようと思ったら、止められるんじゃ」と帰そうとしない。仕事を休みにさせられましたし、家に残してきた娘のことも心配だったし、精神的にきつかったですね。

押し問答が続き、刑事が怒り気味に「なら、ポリグラフ検査受けろ! サインしてくれるか」と紙を僕に渡してきました。僕はポリグラフ検査のことを知っていたので、「ポリ検か。昔で言うウソ発見器やのぉ。ええど、しても」と言ってサインをし、ポリ検を受けましたが、疲れてほとんど寝てましたし、適当に返事だけして内容とか全く覚えていません。

また、この日は尿も採取されました。尿を採取される時、「オレは今までシンナーもシャブも他の薬物にも手を出したことがないけ、尿検査してもなんも出てこんど」と笑いながら言ってやりました。

家に帰ったあと、おじさんたちは僕が逮捕されるか否かについて、「こっから2週間以内が勝負やないんか」と言っていました。ただ、警察はマスコミも集めて大々的に僕を任意同行していたので、僕個人は「近々必ず来る(=逮捕される)」と思っていました。警察はもう引き返せないだろうと思っていたんです。

5月24日に任意同行されて以降はどこかに外出する際にその都度、警察に連絡していました。逃げも隠れもするつもりがなかったからです。ただ、僕はこの頃、体調が悪く、娘の体調も良くなかったんで、自ら警察に電話して、「体調悪いけ、無理ですわ」と取り調べを断っていました。そのことがテレビで「今日の取り調べは中止となりました」などと報じられていました。

5月27日の朝も担当刑事に電話をし、「今日も体調悪いけ、無理」と任意同行の求めを断ろうとしたんです。しかし刑事は「今、そっちに向かいよる」と言ってきました。これでこの日、自分は逮捕されるのだとわかりました。

警察が家にやってきた時、「フダ(逮捕状)持っとるんか?」と聞いたら、「ある。今出してええんか?」と言ってきました。刑事が逮捕状を出したら、僕はその場で手錠をかけられてしまうんで、「待て。出すな」と言いました。家には、母親も娘もいたからです。

家から警察に連れて行かれる時、娘はまだ2歳だったんで、状況を理解できていたのかはわかりませんが、ワンワン泣きよったんで、抱っこしてあげて、いつも仕事に行く時に言っていたように『パパ、お仕事行ってくるけんね。おりこうさんに待っとけるね?』と言って、いっぱい抱いてやりました。そして母親に、『×××(筆者注:娘の名前)のこと頼むよ!』と言って娘を渡して、刑事に『行こか』と言って玄関に向かいました。

後ろ髪をひかれる思いでした。しかし、僕は娘のほうを振り向いたら決心が鈍ると思い、振り向かずに出て行きました。家を出ると、任意同行された時と同じようにマスコミが集まっていて、フラッシュの嵐でした。でも、僕は顔も隠さず、堂々と出て行きました。「オレの顔を今のうちに撮っとけ」と思いながら、一瞬立ち止まり、ゆっくりと警察車両に乗り込みました。何も恥じるようなことはしていないからです。

逮捕されるというのはたしかにショックですが、本当にやったことで逮捕されるわけではありません。警察は、僕がやっていない事件のことで僕を引っ張りにきたわけですから、僕としてはショックより「これから闘う」という感じでした。刑罰を受けることに現実味は感じませんでした。

ただ、この日、娘をいっぱい抱っこしてあげたのが最後になろうとは思っていませんでした。今でもあの日、娘を抱っこした時の感触は残っています・・・。[Ⅲにつづく]

《独占公開》冤罪確定疑惑の下関女児殺害事件──湖山忠志氏の手記[Ⅰ]
下関女児殺害事件──最高裁が懲役30年の「冤罪判決」疑惑

事件現場の被害女児宅マンション(奥の棟の2階)

【下関6歳女児殺害事件】
2010年11月28日早朝、母親は仕事で外出しており、小さな子供3人だけで寝ていた下関市の賃貸マンションの一室で火災が発生。火災はボヤで済んだが、鎮火後、子供3人のうち、一番下の6歳の女の子がマンションの建物脇の側溝で心肺停止状態で見つかった。女児は発見時、上半身が裸で、死因は解剖により、「首を絞められたことによる窒息死」と判明。翌年5月、被害女児の母親の元交際相手だった湖山氏が死体遺棄の容疑で逮捕され、翌6月、殺人など4つの罪名で起訴される。湖山氏は一貫して無実を訴えたが、2012年7月に山口地裁の裁判員裁判で懲役30年の判決を受け、今年1月、広島高裁で控訴棄却されていた。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年、広島市生まれ。早稲田大学商学部卒業後、フリーのライターに。新旧様々な事件の知られざる事実や冤罪、捜査機関の不正を独自取材で発掘している。広島市在住。

いつも何度でも福島を想う

 

《独占公開》冤罪確定疑惑の下関女児殺害事件──湖山忠志氏の手記[Ⅰ]

当欄で繰り返し冤罪疑惑をお伝えしてきた下関市の6歳女児殺害事件では、昨年11月に被告人の湖山忠志氏が最高裁に上告を棄却され、懲役30年の判決が確定した。実を言うと、筆者は上告棄却の判決が出る少し前から広島拘置所で、湖山氏に事件当日からの経緯を振り返ってもらう取材を続けており、事件発生から丸4年になる昨年11月28日前後のタイミングでインタビュー記事を発表したいと考えていた。湖山氏が最高裁に上告を棄却されたという知らせは、くしくもその取材が佳境に入った時期にもたらされたものだった。

だが、湖山氏は雪冤をあきらめたわけではなく、再審請求により無罪を勝ち取りたいと考えている。また、6歳の女の子を惨殺した真犯人がまだ野放しになっている可能性が高いことを考えれば、この事件は決して終わっていない。そこで湖山氏にこのほど、改めて事件発生から懲役30年の判決が確定するまでのことを振り返った手記を発表してもらうことにした。

湖山氏は事件発生当時、別れた元妻と金銭問題の交渉をするために連日、所在不明の元妻を探していたのだが、事件当日の夜も元妻のいとこが住んでいるマンションに元妻が身を寄せていないか確認に赴いていた。このマンションと同じ敷地にあるマンションが事件現場となったマンションで、そこに湖山氏の元交際相手のMさんが娘である被害女児と一緒に暮らしていた。事件当日にこのマンションの敷地に赴き、タバコの吸い殻を捨てていたことが、裁判では湖山氏に大変不利にはたらいた。

以下、湖山氏が事件当日、別れた妻を原付バイクで探して回り、家に帰った時から警察に疑われ、濡れ衣を着せられていくまでの出来事を回顧した手記全文を今回から3回に分けて公開する。筆者は読者諸兄に自分の考えを押しつけようとは思わない。各自がこの湖山氏の話を読み、じっくり真相を見極めて欲しい。

◆「みんなお前が犯人と思っとるぞ」と言われた

湖山氏の裁判員裁判があった山口地裁

事件があった日、元嫁を探しに出ていた僕が家に帰ったのは2時前後でした。2時半かその前に、自販機にジュースを買いに出て、その時に妹とすれ違いました。そして帰ってくると、父親がちょうどトイレに起きてきて、どういうことを言われたかは覚えていないですが、「どこ行っとったんか」みたいなことを言われました。それから2階の部屋に戻り、1時間ほどゲームをして、寝たのは3時半前後だったと思います。

そして朝、母親が部屋に上がってきて、「警察が来とるよ」と起こされました。それで僕は玄関のほうに行ったのですが、2、3人の刑事が来ていたので、「何ですか?」と聞きました。すると刑事は、「ちょっとMのところで火事があってのう。ちょっと聞きたいことがあるんじゃ」みたいなことを言いました。

火事?と驚きましたが、火事のことで、なんで自分に話があるのか? とも思いました。しかし、とりあえず話を聞いてみようと思いました。それで、かるく着替えて、家の近くの交番まで刑事と普通に会話をしながら歩いて行って、その交番に刑事が停めていた車で下関署まで行きました。

下関署では、取り調べ室に入る前、僕と同い年の知っている刑事が寄ってきて、「おい、湖山。大丈夫か」「何があったんか」などと言われました。その刑事は、僕が以前、Mを殴った容疑で逮捕勾留された際の担当だった刑事です。取り調べ室に入って、「あの後、どーなったんか」と話しかけてくるので、「子供(筆者注:別れた妻との間にもうけていた娘)は俺が引き取ったや」「やったやないか」などと普通に話をしました。

取り調べには、知能犯係の刑事もいました。その刑事は紙を持っていて、それをチラリと見たら、「殺」という字が見えました。そして、莉音ちゃんが死んだって聞かされたんですが、刑事は「どうも殺されたみたいなんじゃ」と言うんで、僕は「ホントですか?」みたいな感じになった。同い年の刑事の顔を見たら、同い年の刑事は言葉も出さず、僕は「マジか…」みたいになりました。

それから「事件があった時のことも聞かせて欲しい」みたいになって、同い年の刑事が調書を作ってくれました。僕はもうMと関わり合いたくなかったので、「一切そこ(筆者注:事件現場)へは行っていない」と言ったら、それで調書をつくってくれました(筆者注:このように湖山氏は事件当日、事件現場のマンションと同じ敷地に行っていたことは当初隠したが、のちに自ら警察に打ち明けている)。そうこうしていたら、父親が下関署に電話してきたらしく、「息子は今マジメにやっとるのに、どういうつもりか!」などと怒鳴り上げ、帰らすように言ったそうです。

僕も娘のことが心配だったんで、刑事たちと何時までかかるのかという話をしていたのですが、オヤジのおかげで、「帰らすけえ」となりました。そして帰りぎわ、取り調べ室で同い年の刑事と2人きりになったんですが、「オレは思ってないけど、みんなお前が犯人と思っとるぞ」と言われました。

警察の車で連れられて家に帰ると、親父に「何があったんか」と聞かれました。刑事からは「家族にはまだ言うな」と言われていたのですが、事件のことはニュースでバンバンやっていたので、親父は「このことやないんか」と言ってきました。そうだと認めると、「お前(が犯人と)違うんか」と言ってきて、「違う」と答えたんですが、家でも尋問されているようでした。

◆警察の内偵捜査はずっと続いた

その日以降も親父からは事件との関連について、「やってないんか」と聞かれ続けました。下関では、事件に関する噂が飛び交っていたのですが、親父の部屋に呼ばれ、「ベランダからお前の指紋が出たらしいぞ」と言われたこともありました。僕に関する噂が広がったのは、僕が下関ではそれなりの知名度があったからだと思います。

警察の呼び出しも事件当日のほか、2回くらいありました。たしか12月2、3日くらいのことだったと思います。下関タワーの近くに電器屋さんがあるんですが、その駐車場で落ち合おうという話になり、その駐車場に停められた警察車両に乗り、刑事から色々話を聞かれました。1回目は話だけで終わりましたが、2回目の時は口腔内細胞を採られています。

刑事の一人はこの2回会って話をする際、「タバコを吸ってもええぞ」としつこく何度も言ってきましたが、僕は断っていました。そして最終的に業を煮やしたのか、「口の中の唾液を採らせてくれ」と言われました。ある程度ほっぺの内側を綿棒でこすって渡そうとすると、「まだしっかりとこすりつけろ!」と語気強く言われ、これでもかというぐらいこすって渡しました。

それからは警察の内偵捜査が続きました。僕の住んでいる地域では、地域に馴染んでいる人と馴染んでいない人がすぐわかるんです。道に車が停められていても、「見ない車だな」とすぐわかります。それに、うちの前の通りは普通、地域に住んでいる人以外は通らないんです。ですから、家の近くなどに刑事や警察、マスコミの車がいると、すぐにわかりました。

たとえば娘、甥っ子、姪っ子を連れて公園に行った時など、僕が車で外出すると、外に警察のミニバンやスカイラインその他の警察車両がいて、僕の車をつけてきていました。ある日、仕事に行く時、僕の車のあとをスカイラインがずっとついてくるので、運転している人間の顔を見てやろうと徐行運転して横に並んだら、向こうはもっとスピードを落とし、逃げていったということもありました。逮捕されるまで、そういう内偵はずっと続いていました。

また、マスコミの記者もよく家の周りをうろついていました。記者は大体、小さいカメラを持って外にいるんです。僕が家から出た時に偶然ばったり会った記者が大慌てし、とにかくどこかへ隠れようと行き止まりの方向に歩いて行ったということもありました。

警察や記者に張りつかれても、僕の生活には、とくに害はなかったです。ただ、マスコミは最初のうち、とにかく僕に接触しようとしていて、母親が手伝いをしている、おば夫婦が経営する焼肉屋に行ったり、親父の会社に電話し、親父を怒らせたりしていました。親父は警察に電話して、「お前らのせいで、こうなっとるんやろうが! どねぇかせんか!」となどと怒鳴り上げていました。

当時、マスコミの取材は受けていませんでしたが、一度だけ、オグラっていう人が出ている番組の取材を受けたことがありました。この時は車の中で取材を受けたのですが、「Mはどういう性格?」「Mは家ではどういう感じだった?」と僕のことをほとんど聞かず、Mのことばかり聞いてきました。僕はこの時、「報道するな」と釘を刺していたんですが、番組ではこの時の僕の映像なのか、音声なのかはわかりませんが、とにかく話の内容が流れたらしいです。これにおじさんが怒って、テレビ局の記者に電話して、「どういう放送だったのか見せろ」と言っていましたが、はぐらかすようにされ、「もうおたくの取材は何も受けん」みたいになりました。

一方、警察は事件のすぐ後に電器屋の駐車場で話を聞かれて以降は、事件の半年後の翌年5月24日に任意同行されるまで直接接触してくることは一切なかったです。ただ、下関署には、運転免許証の更新のために電話でどうしたらいいのか問い合わせたり、免許証の写真を撮ったり講習を受けたりと2回足を運びました。写真撮影の時は娘と、講習の日は1人で行きました。[Ⅱにつづく]

【下関6歳女児殺害事件】
2010年11月28日早朝、母親は仕事で外出しており、小さな子供3人だけで寝ていた下関市の賃貸マンションの一室で火災が発生。火災はボヤで済んだが、鎮火後、子供3人のうち、一番下の6歳の女の子がマンションの建物脇の側溝で心肺停止状態で見つかった。女児は発見時、上半身が裸で、死因は解剖により、「首を絞められたことによる窒息死」と判明。翌年5月、被害女児の母親の元交際相手だった湖山氏が死体遺棄の容疑で逮捕され、翌6月、殺人など4つの罪名で起訴される。湖山氏は一貫して無実を訴えたが、2012年7月に山口地裁の裁判員裁判で懲役30年の判決を受け、今年1月、広島高裁で控訴棄却されていた。

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▼片岡健(かたおか けん)
1971年、広島市生まれ。早稲田大学商学部卒業後、フリーのライターに。新旧様々な事件の知られざる事実や冤罪、捜査機関の不正を独自取材で発掘している。広島市在住。

いつも何度でも福島を想う