《脱法芸能26》南野陽子──聖子独立直後の業界圧力に翻弄されたスケバン刑事

前回の記事で紹介した松田聖子の独立の直後に起きたのが南野陽子の独立だった。

スケバン刑事 (1985年フジテレビ)

南野は、1985年に『恥ずかしすぎて』で歌手デビューし、同年11月から『スケバン刑事Ⅱ少女鉄仮面伝説』(フジテレビ)で主役の2代目麻宮サキを演じ、トップアイドルとなった。

◆大御所=都倉俊一に口説かれアイドルの道へ

南野はもともと劇団青年座に所属していたが、作曲家の都倉俊一が「アイドルとして育てたい」と口説き落とし、テレビ番組制作会社大手の東通や大手広告代理店と組み、南野を売り出すためにエスワンカンパニーを設立し、当初は自ら代表取締役となっていた。

ところが、南野は89年5月末にエスワンカンパニーに対し、8月末の契約切れと同時に独立を希望する内容証明を送付したことから、独立騒動が表面化した。
当時の報道によれば、南野が独立を思い至ったのはスタッフへの不信があったという。スタッフがスケジュールの調整をミスしてドラマ出演を断念せざるを得なくなったり、南の自身がテレビ局に謝罪することさえあったという。また、南野は事務所から言われた通りにアイドルをすることにも不満を募らせており、もっとクリエイティブな仕事を志向していたという話もあった。

当時のエスワンカンパニーの売上は11億5000億円程度とされていたが、そのうちの98%はトップアイドルだった南野関連であり、南野に独立されてしまえば、会社は存亡の危機を迎える。また、同社は「南野の売り出しのために1億5000万円を投資したが、まだ回収していない」という主張もしていた。これもタレントの独立騒動でよく出てくる話だが、「売り出し費用」なるものが一体いかなるものなのかまともに説明されたことはない。

◆聖子独立騒動直後で危機感を募らせた音事協

デビュー曲『恥ずかしすぎて』 は南野陽子18歳の誕生日6月23日に発売された(1985年CBSソニー)

『週刊大衆』(89年9月18日号)に、南野の独立に絡めて、音事協(日本音楽事業者協会)を代表して廣済堂プロダクション社長の長良じゅんがコメントを出している。

「最近のアイドルは“お行儀”が悪いですよ。最初は両親ともどもやってきて、手をついて頼み込むくせに、ちょっと売れるとこれだもの。そのときの模様をテープにでもとって、聞かせてやりたいくらいですよ。
(中略)
アイドルたちにはいい先輩というか、いいスタッフがいないね。マネジャーも彼らをしつけることができないんだ。昔でいう“修身”がなってないんですよ。私としても“冗談じゃない”という感じです。独立すれば当然、敵だって増えるでしょう。それを覚悟でやるんでしょうけど……」

南野の独立騒動が発覚する直前には松田聖子の独立騒動があっただけに、音事協は危機感を募らせていた。独立の動きが他のタレントに広まらないよう、独立を主張する南野を業界から締め出すことを検討した。マスコミも音事協サイドの意向をくみ取り、南野について「独立はワガママ」「松田聖子のマネ」と強く非難した。

◆一度は独立撤回を余儀なくされた南野

音事協のプレッシャーがモノを言ったのか、南野は独立を撤回し、8月29日のコンサートで「独立はしません」とコメントを出した。

報道によれば、音楽出版権の譲渡問題や独立料で折り合いがつかなかったとか、独立の後ろ盾になると見られていたCBSソニーが手を引いたためという話が取り沙汰された。

当初、南野は、いきなり独立するのではなく、まず所属レコード会社のCBSソニーに預かってもらうという予定を立てていたという。

松田聖子の独立でもCBSソニーが後ろ盾になっていたから、南野もそれと同じ方式で独立したかったのだろう。だが、立て続けにCBSソニーがタレントの独立に加勢するとなると、音事協サイドが反発する。CBSソニーが南野の受け入れを拒否したのは、そうした背景があったのかもしれない。

事態は収束したかに見えたが、南野は90年になって独立を果たし、個人事務所、サザンフィールドを設立した。この独立は報道もされず、音事協黙認していたという。サザンフィールドの取締役には、エスワンカンパニーの舘彰夫社長が就任しているから手打ちがあったのだろうか。

だが、歌手としての南野の人気は下降線をたどり、92年には歌手活動を休止することになった。その後、女優業に本腰を入れるためにケイダッシュに移籍している。

◆堤清二まで仲裁に入った南野ケイダッシュ移籍の真相とは?

南野のケイダッシュへの移籍については、『噂の真相』(2003年12月号)で触れられている。

当時、南野は音楽面でビーインググループのバックアップを受けていたが、ビーイングと敵対していたケイダッシュがそれを快く思わず、南野をドラマから排除していたという。この時、南野と家族ぐるみで付き合いのあったテレビ朝日のプロデューサーだった皇達也とセゾングループの堤清二が仲裁に入り、南野のケイダッシュ入りが決まった。

どうして、ケイダッシュはビーイングを目の敵にしていたのか。同誌の解説によれば、ケイダッシュの会長、川村龍夫は、所属女優だった高樹沙耶がビーイング代表の長戸大幸と交際していることを聞いて激怒したのが発端だったという。そして、「川村は飯倉のキャンティで長戸を捕まえ、トイレに連れ込んでボコボコにしたそうです。目撃者もかなりいたんですが、長戸はよほど強烈に脅されたのか、かたくなに『自分で転んだ』と言い張ってましたよ」という「ベテラン芸能記者」のコメントを紹介している。

タレントの盛衰は、タレントの能力以前に「政治力」で語られることが多い。つまり「バックはどこなのか?」ということだが、それは日本の芸能文化の発展に資するものではない。

 

▼星野陽平(ほしの ようへい)
フリーライター。1976年生まれ、東京都出身。早稻田大学商学部卒業。著書に『芸能人はなぜ干されるのか?』(鹿砦社)、編著に『実録!株式市場のカラクリ』(イースト・プレス)などがある。

《書評》『ジャニーズ50年史』──帝国の光と影の巨大さを描き切った圧巻の書
《脱法芸能25》松田聖子──音事協が業界ぐるみで流布させた「性悪女」説
《脱法芸能24》堀ちえみ──ホリプロから離れ、大阪拠点で芸能界に復帰
《脱法芸能23》八代亜紀──男と共に乗り越えた演歌という名のブルーノート
《脱法芸能22》薬師丸ひろ子──「異端の角川」ゆえに幸福だった独立劇

芸能界を震撼させた真実の書!『芸能人はなぜ干されるのか?』

 

速報!『革命バカ一代』塩見孝也氏が清瀬市議選に出馬へ!

やはり、そうだったのかと得心した。消息筋によると、元赤軍派議長で現在駐車場管理人を勤める塩見孝也氏(73)が来年行われる東京都清瀬市の市会議員選挙に出馬の意向であることが明らかになった。塩見氏が11月に鹿砦社から『革命バカ一代 たかが駐車場、されど駐車場』を出版したことは以前の記事で触れた。また11月9日に私自身初めて同氏にお会いしたことにも言及した。その時既に「何かやるんじゃないだろうか、この人は・・・」の予感はあった。

が、ご当人の口からは具体的な内容の話はなかったので私の感触に留めておくこととし、記事内での明言は避けた。しかし塩見氏は「議会制民主主義」の中、その最も身近な場所からとはいえ、自身が「政治」の場に身を進める決断を下したそうだ。同氏は先週都内で行われた会合で「国政や、県政に臨む力はないし、まだ早い。でも地方からの変化が必要だ」と語り、市議選への出馬を明言したという。

「たかが市会議員」と侮ってはいけない。全国の市会議員の大半は地域ボスだったり、土建屋の公共事業調整役、はたまた何もしないでひたすら歳費を貪る輩だが、中には1人で市の行政を市長かと見まがうほどに動かしている実力者もいるのだ。ただし、それには相応の行政知識や思想行動力が必要であることは言うまでもない。塩見氏がどんな活躍を見せてくれるか、清瀬市には要注目だ(当選を前提の話だが)。

私は塩見氏の市議選挙出馬をある種の驚きと、逆に納得を持って受け止めている。かつて「革命」を指向し「日本のレーニン」とまで呼ばれた人物が73歳にもなって(ご本人には失礼!)まさか地域の選挙に出るのかとの思いは多くの人共通の驚きだろう。一方ご本人と話をして、『革命バカ一代』を読めば「このままこの人おとなしくしてるんだろうか」との意気込みが嫌でものしかかってくる。勿論往時の体力はないし、「世界革命を!」とは主張されないだろうけども、今日の惨憺たる政治状況に喝を入れる起爆剤になるに違いない。

気が早いが来年の清瀬市会議員選挙の際には清瀬市にぜひご注目を!

塩見孝也氏

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

「守る」ことの限界──「守る」から「獲得する」への転換を!
衆議院総選挙──「人間には夢がある。夢を実現する力もある」の物語
秘密保護法施行日の抗議活動を自粛した金沢弁護士会にその真相を聞いてみた
自民党の報道弾圧は10日施行の秘密保護法を後ろ盾にした恫喝の始まり
読売「性奴隷表記謝罪」と安倍2002年早大発言が歴史と憲法を愚弄する

絶賛の嵐!『革命バカ一代 たかが駐車場、されど駐車場』

 

「守る」ことの限界──「守る」から「獲得する」への転換を! [田所敏夫]

数えられるくらいしかまともに出席しなかった大学時代の講義。マスプロ教室での詰め込みと講義内容の中くだらなさを理由に大いにさぼっていた。気まぐれだったか、友人に誘われてだったか定かではないが差別問題を扱う講義に出席した時のことだ。履修登録者の数は数十名はいるだろうに、教室には学生が4名だけだった。

講師の先生は非常勤の方で、関西の部落解放運動に関わっていて、かつ身体障害を持った方だった。こちらはたった4名出席者だった。嫌でも先生の鋭い視線から逃げられない。でもそんな状況とは関係なく、その先生が日本の戦後社会状況を俯瞰的に語った内容を今でも明確に記憶している。大学講義の中でこれほど明晰に記憶している場面は他にない。

「革新陣営はいつも『守る』ことにことさらこだわり過ぎではなかったのか。憲法を、人権を、平和を『守る』とみんな語る。それらは十分に満足すべき状況なのか? 今日的な危機の根本は変革を求める側が『変える』のではなく『守る』ことに足場をおいたことに端を発するのではないか」

◆「守る」だけでは勝てはしない

この講義を聞いたのは80年代半ばだが、こう語られた先生の言葉を今、当時より実感をもって首肯できるような気がする。「守る」ことが悪いわけではないけれども、「守って」いるだけでは決して勝負に勝つことは出来ない。長時間守備にばかりついていれば、いずれ隙を作り攻撃側に得点を与える。こちらも得点を得なければ。得点を得るためには「攻撃」をしかけなければ。

戦争を露骨に指向する悪辣な自民党の改憲案には平和主義の立場から、憲法(とりわけ9条)を「守り」たいという心境が働くのはごくごく自然なことではある。しかし「守る」だけで勝てはしない。

しかもこの改憲攻撃には一理ある。護憲派は前文から始まる憲法を総体として好感するあまり、前文と9条の間に挟まれた第一章、1条から8条、すなわち「天皇制」の問題、この憲法に凡そ決定的な不協調として無理矢理に押し込まれたような「天皇制」を軽くとらえ過ぎてきたのではないか。憲法前文の中に「天皇」の文字はない。「詔勅」という一文字がほのかにそれを想像させるだけだ。。前文と直接に呼応するのは2章以降の9条であり、21条で、その他の多くの条文もそれに次いで前文と意味のやり取りが成立する。が、1条から8条はどう読んでも全文精神との親和性を持たない。だから、自民党の改憲案は全文を含めて憲法を変えようとしているのだ。

憲法前文(またはその精神)や「9条」を具現化したいと考えるのであれば、「1条から8条まではこの憲法にそぐわない」との論理が成立してもおかしくないのではないか。と、今さら知らないふりをしているのではない。何も私が今頃言い返すまでもなく、そのような議論は何十年も前からあったことは承知している。護憲派はそれは腹に収めた上で、最大公約数的に「9条」を「象徴」として護憲を語りそれを「守る」活動を続けてきたのだろう。

◆「守る」姿勢を構えたのが間違いだった

「わかってるよ、でもな」と面倒くさがられながら「私は改憲派だ」と憲法が話題になる度にぼそっと語ってきた。冒頭紹介した大学時代に聞いた講義の影響が多少はあったように思う。「でも、お前、前文や9条には賛成なんやろ? 天皇制反対ってそりゃこっちの多数はそうやがな、やけど、そんなこと言い出したら混乱するから改憲なんて言わへんだけや」昔はたいていそんな風に叱られた。が、状況ここにいたって、やはり「守り」に徹してきた(そうでなく攻撃をしかけた陣営もあるけども)護憲派の多数は圧倒的に押しまくられている。

憲法も、人権も、平和も、生存権もこの国では、歴史的に時限付きで与えられたものだったのじゃないだろうか。少なくとも私たちの世代はより豊かな社会を獲得するためにそれなりの力を注いだといえるだろうか。80年代以降は60年代、70年代の遺産と預金で辛うじて生き延びてきたのではないか。与えられたものを「守る」ことには無意識に賛成していた。でも「守り」、「保つ」社会的態度は「保守」という言葉に置き換えられなくはないか。

再度、大学時代の講義である。先生はさすがに「保守」という言葉までは引っ張り出さなかった。ましてや「反動」を匂わせることも。でも彼は喉元までそれが出かかっていたと感じた。私なりに推測すれば彼の本音はこうだ。

「戦後革新運動の一部方針に誤りがあった。『守る』姿勢を構えたのが間違いだった。そこから敗北は始まった」

解釈改憲、原発、特定秘密保護法、戦争、消費税値上げ、沖縄の米軍基地・・・それらに反対する勢力の共通の弱点が、実は「守る」こと(あるいは言葉)に依拠していることではないだろうか。

見渡してみればもう「守る」ものなどほぼ実質的に奪われつくしているじゃないか。これから益々寒風の吹きさらす時代が進むだろう。「守る」から「獲得する」へと転換を、と言っても遅すぎる気がしないでもないが、絶望よりははるかにましだろう。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

衆議院総選挙──「人間には夢がある。夢を実現する力もある」の物語
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《紫煙革命13》世界の男女別喫煙率から見えてくるカラフルなタバコ・カルチャー

こんにちは原田卓馬です。日々、紫煙革命の記事のネタ探しでタバコのことを調べています。最近、世界各国の喫煙率の統計を眺めていたら面白い発見がありましたので、こちらで紹介します。

まずは日本の喫煙率からいってみよう!

JT全国喫煙者率調査

『JT全国喫煙者率調査』によると、
日本の昭和40年(1965年)の男女別喫煙率は、
男性 82.3 %
女性 15.7 %

日本の平成26年(2014年)男女別喫煙率
男性 30.3 %
女性 9.8 %

ということであります。仮に日本の人口の男女比が1:1だとして、男女別喫煙率を足して2で割ると、
日本の1965年の喫煙率 49%
日本の2014年の喫煙率 20%

50年前までは2人に1人が喫煙者だった日本において、「たったの半世紀で5人に1人までに減った」ということです。ここで面白いのは男性の場合、年々右肩下がりで喫煙率が減少しているのに比べて、女性の喫煙率は減少傾向にはあるものの、10%台で緩やかに推移しているということだ。

次に世界の喫煙率を見比べてみよう!

◆鉄則1=漢字文化圏は女性喫煙率が低い

『OECD Health data 2012』によるとOECD加盟国の中で、男性喫煙率が最も高い国は韓国。そして女性喫煙率が最も低い国も韓国。韓国は儒教の影響で「目上の人の前ではタバコを吸わない」、「酒は三度勧められるまで飲まない」そんな風習があるといいますね。

『OECD Health data 2012』OECD

(この表には掲載されていませんが)中国も男女喫煙率の傾向が韓国とよく似ています。

日本でも一昔前だと、「娘が人前でタバコを吸うなんて、はしたない!」なんて時代がありましたし、現在もそういう考え方は根強く残っています。

シンガポールも女性喫煙率が低いようです。ものすごおーーーーく、大雑把に「漢字文化圏=儒教文化圏」と考えると納得がいきそうです。男性優位の社会における女性の喫煙率は低いようです。

他にも世界各国の喫煙率を見ると、アジア・アフリカで女性喫煙率が低いことがわかりました。

◆鉄則2=プロテスタントの国は喫煙率の男女差が少ない

キリスト教の国でも、カトリック教徒の多いイタリア、スペイン、ポルトガル、南米だと喫煙率に男女差がある傾向のようです。

対してプロテスタントの多いイギリス、ドイツ、デンマーク、スウェーデン、フィンランド、ノルウェー、アイスランドなどでは比較的に喫煙率の男女差が少ない傾向にあるようです。

特に顕著なのがスウェーデン、アイスランド、ノルウェー、デンマークです。北欧には喫煙率男女差が全くないと言い切ってもいいのではないでしょうか!(ちょっと待て、フィンランドはどうした?)

やはりプロテスタントは集団礼賛のような儀式よりも、個人を尊ぶようですね。男に生まれようが女に生まれようが、神のもとに皆平等であるということでしょうか。思わず『プロテスタントの男女別喫煙率から考えるジェンダー論』みたいな論文が書きたくなってきました。

◆例外=スウェーデンでは女性喫煙率が男性より高い

喫煙率ランキングで必ず紹介されるスウェーデン。男性喫煙率は低さは世界トップクラスで、統計の時期や方法で違いは出るが17%という数字がよく使われている。それに比べ、女性喫煙率は22%と男性よりも高い。
世界各国の喫煙統計の中にある例外中の例外!

スウェーデンでは2005年6月1日以降、禁煙法が施行され、全てのバー、レストラン、カフェ、ホテルなどの公共の場で全面禁煙となっているようであります。

「今夜、すべてのバーで、、、禁煙だと!」中島らもがモンドリ打ちながらわめき散らしそうな法律である。(アメリカの約半数の州やアイルランドなどでは同様の法律がある)

確かにスウェーデンの喫煙率は低いです。しかし、喫煙率が低いからと言って、タバコ人口が少ないわけではないのです。タバコとは、燃やして吸うだけが全てではありません。粉状のタバコを鼻から吸い込んで鼻腔粘膜から吸収する『嗅ぎタバコ(スナッフ)』、口の中でクチュクチュ噛んで口腔粘膜から直接タバコを吸収する『噛みタバコ』など色々あります。かつて、イギリスの貴族や中国の金持ちの社交界では、いかにかっこよく嗅ぎタバコを吸い込むかがステータスになったといいます。

そもそもシガレットが世界的に普及する第一次世界大戦まで、スウェーデンでは『スヌース』(SNUS)と呼ばれる嗅ぎタバコが主流だったようです。紅茶のティーバッグを小さくしたような袋に入った粉状のタバコを歯茎と唇の間に挟んでニコチンを経皮摂取するので、どちらかといえば噛みタバコと呼んだ方が正確なような気がしますが、慣例で嗅ぎタバコという言い方をするようです。

sweden_snus

 

この表を見るとよくわかりますが、スウェーデンでは第二次世界大戦終了の1945年以降シガレットの消費量が急増し、それに伴ってスヌースの消費量が徐々に減ります。世界的なシガレットブームの時代です。ところが1970年代に入ると再びスヌース人気が追い上げを見せて、90年代にはスヌースがシガレットの消費を上回ります。私はスウェーデンには行ったことないし、スウェディッシュのお友達もいないので何があったのかまったくあわかりませんが、日本でキセル文化が復興したようなものだと考えると、わくわくして踊りだしてしまいそうです。

私、紫煙革命で喫煙文化のあれこれを見つめる中で「世界各地の様々なタバコ文化の独自性が維持された方が、世界がカラフルで楽しい!」っていうことが言いたかったような気がします。どういう事情でスウェーデンのスヌースが復興したのか大変気になりますので、スヌースデビューしてみます!

次週、スウェーデンのタバコ文化『スヌース』に挑戦する!

▼原田卓馬(はらだ たくま)
1986年生まれ。幼少期は母の方針で玄米食で育つ。5歳で農村コミューンのヤマギシ会に単身放り込まれ自給自足の村で土に触れて過ごした体験と、実家に戻ってからの公立小学校での情報過密な生活のギャップに悩む思春期を過ごす。14歳で作曲という遊びの面白さに魅了されて、以来シンガーソングライター。路上で自作のフンドシを売ったり、張り込み突撃取材をしたり、たまに印刷物のデザインをしたり、楽器を製造したり、CDを作ったりしながらなんとか生活している男。早く音楽で生活したい。
ご意見ご感想、もしくはご質問などは
twitter@dabidebowie
このコーナーで調査して欲しいことなどどしどしご連絡ください

◎原田卓馬の《紫煙革命11》実録!タバコ工場見学の巻(前編)
◎原田卓馬の《紫煙革命12》実録!タバコ工場見学の巻(後編)
田中俊一委員長自宅アポなし直撃取材を終えて

今日の電気も原発ゼロ!『NO NUKES voice』Vol.02

 

衆議院総選挙──「人間には夢がある。夢を実現する力もある」の物語

極寒の中、投票日を迎えた総選挙の結果劇的だった。低投票率が懸念されたが最終投票率は80%を超え、史上最高を記録した。自公が200も議席を減らすとはどのメディアも予想しなかったし、私だってまさかと思っていた。事前の新聞報道では「自民単独で300超えも」とか「自公安定多数確定」などの見出しが躍り、連日これでもか、これでもかと与党有利の報道が続いていたが、あれはやはり自民党に恫喝された報道機関が泣く泣く世論誘導に協力させられていたのだろう。

選挙期間中に特別秘密保護後法が施行されたり、何とも嫌な雰囲気ではあった。「この国も本当に終わるのかな」と暗い気分になってはいたけれども、まだこの国の有権者は捨てたもんじゃない。理性と良心が勝利したということだろう。今後の焦点は連立の組み合わせがどう進むかだ。意外にも議席数を復活させた「民主」が政権の中核を担うことにはなろうが、前回国民を無視した「原発再稼働」や「消費税引き上げ」と言った裏切りを行ったことの愚を猛省して運営にあたって欲しい。

全員当選の「生活」と「社民」の発言力も無視はできまい。「民主」は今回積極的に「維新」と選挙協力を進めたが、「維新」は連立に入らないと既に表明している。またしても橋下は江田と共同代表として意見が合わないらしい。近く「維新」は解党になるだろう。橋下の自爆はもとより想像できたことであるので驚きはない。

60議席を獲得した「共産」が連立に加わることへ前向きな意向だ。「自社さ」政権を超える「民主」から「共産」まで幅広い大連立政権の調整が政権運営のカギになるだろう。日本版「オリーブの木」は何と命名されるだろうか。

原発の再稼働・推進勢力は絶対少数になった。民主党内の「連合」密着議員も、ここにきて「原子力村との決別宣言」を発表した。安倍政権横暴の象徴「解釈改憲」は組閣後速やかに取り消されることが、連立政権参加予定各党党首の会談でいち早く同意をみたことが明らかになった。特定秘密保護法案は施行を一時止めて、法律自体の破棄も含めて議論が始まるらしい。

何より喜ばしいのは東京電力を倒産させ資産を整理し、被災者への賠償と避難を早急に行うことで各党が一致したことだ。東電幹部の私有財産や天下り先へも債権の取り立てを行うらしい。これで原発事故被害者の方々には遅きに失したといえようやく手が差し伸べられるだろう。捻出できる東電関連資産の合計は8兆円近いという。派遣法の見直し(廃止)と、TPP不参加についてもほぼ同意が固まったようだ。今朝の報道では、名護市辺野古周辺から防衛施設庁と海上保安庁の職員の姿が消えたという。

一部議員の間からは「消費税廃止法案」の提案が議論になっているそうだ。所得税の累進課税最高税率を75%へ引き上げれば、消費税は不要とのシンクタンクの試算がある。自民党と経団連が主張していた「法人税」の引き下げは白紙見直しとなるそうだ。

超党派の「奨学金を考える議員連盟」は現在、日本学生機構が行っている有利子の「2種」奨学金の全廃を実現すると表明した。代わりに成績優秀かつ経済的に困難な学生には返還不要な「給付奨学金」を2万人の枠確保することを目的に、臨時国会で早くも議員立法として提出する。

一方「自民」は選挙敗北の責任を取って、安倍が党総裁の辞任を明らかにした。「この道しかない」道は故郷山口へ帰る一方通行の道だった。安倍は政界引退をほのめかすコメントも口にしている。「お腹がいたい」そうだ。

「産まないほうが悪い」とまたしても本音を吐露し総叩きにあった麻生も「総理までやってみたが、正直面白くなかったのでこれからは趣味の漫画を中心に福岡で活動したい」と発言。まずは自身の蔵書(マンガ)を中心に漫画喫茶「ア・ソウ」を始めるという。身の丈を知るとはこのことを言うのだろう。

おやじの横暴が乗り移り、放射性廃棄物の中間(実際は「最終」)処分施設について「最後は金目でしょ」と発言した石原伸晃はまさかの落選にうなだれ、記者会見にも姿を見せなかった。さすが環境大臣を歴任しただけのことはある。空気は読めるらしい。

法務大臣として11人の死刑執行命令に署名した谷垣禎一は、日弁連から「殺人罪」で告発され、落選を嘆く間もなく、今朝身柄を検察庁に拘束された。元法務省が職責により逮捕されるのは異例中の異例であるが、検察幹部は「いくら合法と主張されても11名の命を奪う行為は正当化できない。国連の勧告もあるので」と語っている。

予想もしなかった方向にこの国が変わりつつあるのかもしれない。

人間には夢がある。夢を実現する力もある。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

秘密保護法施行日の抗議活動を自粛した金沢弁護士会にその真相を聞いてみた
自民党の報道弾圧は10日施行の秘密保護法を後ろ盾にした恫喝の始まり
読売「性奴隷表記謝罪」と安倍2002年早大発言が歴史と憲法を愚弄する

《書評》『ジャニーズ50年史』──帝国の光と影の巨大さを描き切った圧巻の書

『ジャニーズ50年史』(2014年12月鹿砦社)

このほど鹿砦社より、日本の男性アイドル市場に君臨するジャニーズ事務所の歴史を採り上げた『ジャニーズ50年史 モンスター芸能事務所の光と影』(ジャニーズ研究会=編著)が刊行された。

早速、拝読したが、読み応えは十分。豊富な資料と写真により、半世紀にわたるジャニーズの歴史を余すところなく描ききり、圧巻の内容だった。

私も5月に刊行された拙著『芸能人はなぜ干されるのか? 芸能界独占禁止法違反』(鹿砦社)で、ジャニーズ事務所について1章を設けている。ジャニーズの歴史についてはそれなりに調べたつもりだったが、それでも知らないエピソードが同書には多数収録され、ジャニーズ事務所の巨大さを改めて思い知られた。

2011年、ギネス・ワールド・レコーズは、ジャニーズ事務所総帥、ジャニー喜多川を「最も多くのコンサートをプロデュースした人物」「最も多くのナンバーワン・シングルをプロデュースした人物」として認定した。日本の男性アイドル市場に一大帝国を築いたジャニーズの功績は、あまりに大きい。

◆ジャニーズ=Johnny’s=ジャニーさんの所有物

だが、光があれば影がある。ジャニーズの栄光の陰で、ジャニーズ事務所所属タレントの多くは、ジャニーからホモセクハラ行為を強要され、金銭的にも搾取され、用済みとなれば容赦なく使い捨てにされた。同書は、そうしたジャニーズの闇についても、遠慮なく踏み込んでいる。

かつて芸能ジャーナリストとして活躍した竹中労は、1968年刊行の『タレント帝国』(現代書房)で、こう指摘している。

「ジャニーズ、英語で書けばJohnny’sである。Johnnyは人名で、’sは“所有”を意味する」

筆者はこれがジャニーズのすべてを物語っていると思う。ジャニーズ事務所所属タレントは、ジャニーの所有物なのだ。だからこそ、ホモセクハラや金銭的搾取が可能となる。

◆ジャニー喜多川を覚醒させた郷ひろみの独立劇

それが嫌ならば、逃げればいい。だが、ジャニーズ事務所所属タレントにはそれができない。なぜなら、ジャニーズ事務所は、日本の男性アイドル市場を完全に牛耳っているからだ。男性アイドルとして生きる道を選んだジャニーズ事務所所属タレントは、ジャニーから逃げることはできない。

ジャニーズ事務所が業界を独占する原動力となったのは、75年に起きた郷ひろみのバーニングプロダクションへの移籍事件だったと思う。

ジャニーにとって郷は理想とする少年アイドルであり、マネジメントにのめり込んでいた。だが、ジャニーが十二指腸潰瘍で赤坂の山王病院に入院している間に、郷の移籍は決まってしまった。移籍の原因は、金銭的不満とホモセクハラ行為にあったと言われる。

とはいえ、ジャニーは郷をスターにしようと全身全霊で取り組んでいたことは間違いない。それでも、郷は逃げてしまった。「主力商品」である郷を失ったジャニーズ事務所は倒産説も流れるほど経営が傾いた。

では、どうすればタレントに逃げられないようにできるか。その答えは、業界の完全支配しかない。郷の移籍事件以降、ジャニーズ事務所は矢継ぎ早に男性アイドルを世に送り出し、遂に業界を独占する力を持つに至った。

◆クライアントの商品にまで異を唱えた飯島三智×SMAPの全盛時代

ジャニーズ事務所の最盛期は、SMAPがもっとも人気を博し、今よりCDの市場規模が大きかった90年代末から2000年ごろだと思うが、当時のSMAPの力を象徴するエピソードを大手広告代理店関係者から聞いたことがある。

缶コーヒーの新CMの打ち合わせの席上、大手広告代理店の社員がSMAPのチーフマネージャーである飯島三智に今度、売り出すことになった缶コーヒーを試飲してもらったところ、飯島がこう言い放ったという。

「これはSMAPの味じゃない!」

大手広告代理店関係者は、こう言う。
「その後、缶コーヒーの味を変えたかどうかは分かりませんが、飯島さんの要求を受け入れて変えたとしてもおかしくないぐらい、当時のSMAPには勢いはありました」

有力タレントを擁する大手芸能事務所が番組のキャスティングや内容に口を出すという話はよく聞かれるが、CMで売り出す商品にまで口を出したのは、後にも先にも例がないのではないだろうか。

だが、そこまでSMAPが力を持っていたとしても、SMAPのメンバーが権力を持っていたわけではない。あくまで、SMAPを“所有”する飯島とジャニーズ事務所が力を持っていたということだ。

◆中居正広が木村拓哉よりも高所得である理由

そうした事務所による支配に嫌気が差したのか、SMAPでもっとも人気を獲得していた木村拓哉は90年代後半にジャニーズから別の大手事務所に移籍を画策し、騒動になったことがあった。そして、ジャニーズ事務所の意向を体現し、SMAPの分裂を抑えつけていたのが、SMAPのリーダー、中居正広だったと言われる。2005年に公表された芸能人長者番付によれば、前年の推定年間所得は、木村が2億7100万円、中居が5億1300万円だった。ジャニーズ事務所が査定で評価したのは、日本を代表する男性アイドルの木村ではなく、ジャニーズ事務所にとって都合のよい中居だった、ということではないだろうか。

タレントの盛衰は、単に実力で決まるのではなく、所属事務所の政治力や事務所間の談合がモノを言う。その象徴の1つがジャニーズ事務所による男性アイドル市場の独占だ。

だが、そうした不自然なシステムは、いつまでも続かないと筆者は考えている。日本の芸能界に変化が訪れるとしたら、ジャニーズも必ず激震が走るだろう。現在、83歳のジャニーが、いつまで事務所経営の陣頭指揮に当たれるか、という問題もある。今後もジャニーズの動きを注意深く観察してゆきたい。(評者=星野陽平)

 

『ジャニーズ50年史』(鹿砦社2014年12月1日発売)

『ジャニーズ50年史 モンスター芸能事務所の光と影』
2014年12月1日発売!!
ジャニーズ研究会=編 B6判 / 288ページ / カバー装 定価:本体1380円+税
【主な内容】
第1章 ジャニーズ・フォーリーブス時代 1958-1978
第2章 たのきん・少年隊・光GENJI時代 1979-1992
第3章 SMAP時代前期 1993-2003
第4章 SMAP時代後期 2004-2008
第5章 嵐・SMAPツートップ時代 2009-2014

▼[評者]星野陽平(ほしの ようへい)
フリーライター。1976年生まれ、東京都出身。早稻田大学商学部卒業。著書に『芸能人はなぜ干されるのか?』(鹿砦社)、編著に『実録!株式市場のカラクリ』(イースト・プレス)などがある。

戦後芸能界の構造を確かな視座で解き明かす星野陽平の《脱法芸能》人気記事
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秘密保護法施行日の抗議活動を自粛した金沢弁護士会にその真相を聞いてみた

12月10日、特定秘密保護法案(秘密保護法)が施行された。12月では太平洋戦争奇襲開戦の日(12月8日)と並んで後世惨禍時代の始まりの日として歴史に刻まれることになろう。

施行されたからといって即日誰かが逮捕されたり、集会に警察が押し掛けたりするわけではないけれども、暗黒時代への階段をまた一つ下ってゆく日になったことは間違いない。地方紙の多くは一面トップでかなり大きく取り上げている。首都圏に止まらず全国各地で昨日秘密保護法施行反対の集会やデモが行われたことが報じられているし、論説にも秘密保護法の危険性を指摘する記事が目立つ。

新聞はここまで危機を感じるのであれば、何故、国会審議以前に同じ程度の扱いで報道してくれなかったものかと残念に思う。時を同じくして総選挙となり、やれ「アベノミクス」の評価だ、「消費税」だ、「解釈改憲」だと、争点は山ほどある中でこの日を迎え、意図したわけではなかろうが、秘密保護法を制定した安倍自公政権への直接の批判は緩和されているように思われる。

◆なぜ金沢弁護士会は「活動自粛」を決定したのか?

が、既にこの悪法が人々を委縮させるかのごとき印象を与える報道に接した。施行日と同じ12月10日、金沢弁護士会は秘密保護法への反対行動を予定していたが、弁護士会が県の選挙管理委員会に確認したところ、「公職選挙法に抵触する可能性が高い」と、指摘を受け金沢弁護士会の飯森和彦会長が「活動が公職選挙法に抵触するという認識はないが、慎重に検討し活動を中止した」と書かれている。
東京でも、大阪でも、地方都市でも施行前日の12月9日には弁護士を含む多数の人々が抗議活動に参加している。施行当日の10日もそうだろう。選挙期間中であるから抗議活動を行ってはならない、などとは公職選挙法のどこにも書いていないし、選挙中こそ今後我々の生活に影響を与える政策や法律についての議論がなされるのは至極当然だ。何を考えて金沢弁護士会は「活動自粛」の決定をしたのだろうか?

◆「報道は正確ではない」という飯森和彦=金沢弁護士会会長

真偽のほどを確かめるべく、金沢弁護士会に電話取材した。
金沢弁護士会事務局の宮嶋氏は「マスコミの報道は正しくない。活動は中止ではく延期だ、次回は12月24日を予定している」と回答した。また「そもそも弁護士会が選挙管理委員会にお伺いを立てるというのはおかしいのではないか」との質問には「弁護士会の総意ではなく、ある人物(弁護士)がたまたま電話をかけてしまった」そうだ。「金沢弁護士会としては選挙管理委員会へ問い合わせたこと自体に問題があるとは考えないか」と問うと「それは分からないので会長へ直接聞いてくれ」との回答だった。

そこで金沢弁護士会会長の飯森和彦弁護士にも電話で事情を聞いた。
「報道は正しいか」との問いに「正確ではない」と言う。飯森会長によると、金沢弁護士会執行部の一人が県の選挙管理委員会に質問をしたのは事実だそうだ。その際選管は「公職選挙法に抵触する可能性がある」と回答したそうだ。それを受け疑問に感じた飯森会長自身が公職選挙法を読み返したところ、どこにもそのような条文は見当たらない。そこで選管に再質問すると「政治団体や政治献金を行う団体には公職選挙法205条の10号が適応されるので」との説明があったという。

しかし弁護士会は政治団体ではないし、政治献金を行うこともない。飯森会長はその説明は弁護士会には該当しないと判断した。但し、選管に質問した弁護士を含め弁護士会が団結して末永く闘っていくためには、なるべく余計な要素を排除しようと考え、10日の予定を24日に延期するとの決定を行ったそうだ。また1月、2月、3月にも連続して秘密保護法及び解釈改憲反対のビラ配りやデモなどの運動を続けていくという。

「弁護士会として選管にお伺いを立てたことについて問題は感じないか」との問いには「ある弁護士が念のために個人の判断で確認をしたが、それ自体が問題だとは考えていない、むしろ長期的に弁護士会が団結していく方向を維持することを重視した」との回答だった。「金沢弁護士会としては秘密保護法に反対なのですね」との私の質問に飯森氏は「当然です。解釈改憲にも反対です。末永く戦って観点から今回の延期をしましたが、その趣旨を歪めて報道されていて迷惑しています。弁護士を『甘く見るな!』と言いたいです」とのコメントが返ってきた。
ベタ記事であったが、新聞はあたかも金沢弁護士会が「圧力に屈した自粛した」印象を与える報道をしてしまっていたのだ。

▼田所敏夫(たどころ としお)兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

自民党の報道弾圧は10日施行の秘密保護法を後ろ盾にした恫喝の始まり
読売「性奴隷表記謝罪」と安倍2002年早大発言が歴史と憲法を愚弄する

《大学異論21》本気で学ぶ大学の選び方─「グローバル」より「リベラルアーツ」

多くの大学で既に推薦試験が始まっている。志望校から合格通知を受け取って一安心の受験生もいるだろう。が、この時期になっても確信を持って志望大学、学部を決めきれていない受験生もいるのではないか。それはそれで無理もない話である。大学の情報はインターネットやオープンキャンパスでかなり得ることができるが、肝心の「自分の将来像」が描けていなければ、その準備期間を過ごすこととなる大学選択は容易ではない。高校生で「自分の将来像」が描けてる生徒など一握りに過ぎず、それは企業への勤労者(会社員)が社会の中で多数を占める現代において無理からぬことである。

そこで受験生が進学先学部を決めるにあたって、参考にして頂きたい視点を以下何点か紹介してゆこう。ただし大学、学部選択の要素はこれだけに止まらない。ほかの視点からの大学選択法は近くご紹介したい。

◆大学が列挙する「資格取得」に騙されるな!

大学を無事卒業すると「学士」号が授与される。これが大学を卒業した証になるわけだが、各大学は「付加価値」を高めようと各種資格の取得(または受験資格)が可能となる課程を設けている。

一般的なところでは「教職課程」だ。文系の学部であれば中学・高校の「国語」、「社会」、「英語」などが多く、理系であれば「理科」、「数学」が主流となる。教職課程は「将来何かあったら教師になれるから」と比較的受講人数が多い。

しかしながら、将来教師を職業として目指す人以外には教職課程の取得はお勧めできない。その理由は第一に少子化が進展する中で、教員採用数自体が右肩下がりで、仮に教職免許を持っていても実際の採用試験に合格できる可能性が極めて低いからだ。第二に20単位以上の必修科目履修しなければならず、プラス教育実習、最近ではそれに加えて介護体験なども加わり、大学生として過ごせる時間のかなりを取られてしまう。大学の卒業要件は一般に124単位だが、教職課程履修者は150単位近くを習得しなければならないのだ。本気で教師を目指す人以外には無用な資格だろう。

また、「図書館司書」、「博物館学芸員」なども教職同様に設置している大学が多く、取得自体は可能だが、採用数が極端に少なく、この2つの資格を持っていなくとも図書館や博物館で働く人もいるなどほとんど取得するに値しない資格だ。履歴書の資格欄に「図書館司書」や「博物館学芸員」と書いてもほぼメリットはないと考えてよい。

これら国家資格の他にも実に様々な資格が準備されているが、資格課程を多く並べている大学ほど、本来の教育内容に自信がない、という傾向がある。大学は本来学問を究める場所であるので、予備的に供えられた資格課程に惑わされてはいけない。

◆看護、薬学、心理学を選択する際の留意点

近年、急増している「看護」、「薬学」、「心理」についても慎重な検討が必要だ。看護師不足は確かに深刻であり、「看護師」の資格を得ればほぼ就職からあぶれることはない。4年生大学の看護学部は概ね9割以上の国家試験合格率を出しているので、看護学部進学は就職へ直結と考えられる。

が、一部大学の看護学部はそのスタッフ、学生の扱い、学費などに深刻な問題がある。詳しくは延べないが、病院経営と大学経営の両輪で運営している私大には要注意大学が少なくない。また「看護学」は世界的にも未だ確固たる学問領域として確立されたと言い切れない部分があり(「看護」自体の歴史は古いが「学問」としては新しい分野である)ので、教員スタッフや大学自体についてしっかり調べたうえでの大学選択が重要だ。

文科省の方針で、医学部の新設はほぼ認められていないので、代わりに薬学部を開設する大学がここ10年ほど目立っていた。薬学部は薬剤師の資格習得を基本的には目指す学部で6年制だ。私学であれば学費も安くはない。薬剤師資格の社会的価値(マーケットバリュー)と薬学部への学費を天秤にかけるのは、あまりにも単純な比較だが、「医薬分業」(医学的治療は病院若しくは開業医で、薬の処方は薬局で)という国の施策の中、一般薬局に勤務する薬剤師の給与はどんどん下がっている。大病院や研究所、大学などに勤務していると一般の会社員より安定的に良い待遇を得られるが、大資本のチェーン店のドラッグストアなどでは時給が1500円を下回るケースも少なくない。

薬剤師免許は確かに有効な資格だが、それが豊かな収入の必ずしも保証するものではないということは、知っておいてよいだろう。

近年、総合大学でも新設が相次いで、やや過剰な感があるのが「心理学部」だ。心理学自体は欧米に比べると日本では大学で学部単位の学習の場の設立が遅れていたことは事実だ。ただ、心理学という学問の基礎知識を持ってこの学部を選択しないと、後悔が待っている。「心理学」という響きから受験生が思いつくイメージは圧倒的に「臨床心理学」に偏っている。将来の職業像も「カウンセラー」や、「臨床心理士」だろう。

しかし、「心理学部」を卒業しただけでは「臨床心理士」は取得できない。「臨床心理士」取得のためには修士号(大学院進学)が必要だ。しかも「臨床心理士」は公的資格ではあるが「国家資格」ではない。

心理学部への進学が「カウンセラー」関連の職業に直結しないことも(勿論その基礎知識を学ぶことは出来る)知られておくべきだろう。しかし純粋に学問として心理学を勉強した人は社会の幅広い分野で活躍している。

◆「グローバル」は疑え!

世は「グローバリズム」の時代だという。人、モノ、金が国境を越えて多量、急速に行き来するのが「グローバリズム」や「グローバリゼーション」らしい。大学にも「グローバル」を謳う学部が急増しているし、どこもかしこも「グローバル時代に」を枕詞に特徴を語ろうとする。でも、「グローバリズム」の本質は何であろうか。なぜ「国際化」という日本語があるのにわざわざ「グローバリズム」と言い換えるのだろうか。私の偏った見方では、大学における「グローバリズム」はたぶんこれある種の国策と一時の流行だ。確かに国外に出かける人や来日する人の数は増加している(大学の交換留学なども増加した)。

しかし、その現象は1980年代から既に始まっていた現象で、それが拡大したに過ぎない。何も21世紀に入ってから急に世界が「グローバル化」(国際化)してきたわけではない。そして近年、世間で言われるような「グローバリズム」は米国と多国籍資本主導の「新自由主義」を押し付けるとの意図が見え隠れする。大学が嬉々として飛びつくような概念ではないと思う。

「時代の要請」というと錦の御旗のように聞こえるが、意地悪な言い方をすれば「流行になびく」だけのことだ。

例えば、かつて「21世紀にはソフト開発技術者が20万人不足する」と政府が吹聴した時代があった。SE(システムエンジニア)と呼ばれる職種を中心とするプログラム開発従事者がコンピューターの能力向上と汎用化で枯渇するから、「大学はその人材を育成せよ」、と国が指令を出したのだ。しかし実際にはSEの職場に就職したのは半数以上が文科系学部出身者であった。電子工学やコンピューターを専門としない人間たちによってSEの現場は担われていた。しかしこの職種は大企業であっても過酷な労働環境がほとんどで、仕事は覚えたもののほぼ20代後半から30代半ばで使いつぶされ、体を壊す、というパターンが当たり前になった。

当時、大学では「コミュニケーション」が新設学部の流行キーワードだった。「マルチメディア」などという言葉も散々飛び交っていた。で、現状はどうだろうか。確かにクライアントの要請に応じてプログラムを作成し、調整するSEの仕事の需要は確実に存在するけれども、「BASIC」、「C言語」、「COBOL」などのコンピューター言語だけを知っていても実務はこなせない。もう古いのだ。「JAVA」が登場し、さらに次の言語が開発されるだろう。SEとして会社勤務を経験した人のほとんどが転職を経験している。

一時的な産業界の要請に人生を合わせていこうとすると、「時代」という気まぐれに梯子を外される。私には「グローバル」も似たような軽薄な流行に思われる。時代は何年も前から「国際化」が進展しているのだ。

◆「リベラルアーツ」の再発見

大学の学部名は昨今新聞紙上で問題にされるくらいに多様化している。多分その歴史の最初が「経営学部」の誕生だったろう。「経済学」でも「法学」でもなく「経営」は企業や組織の運営を労働者ではなく「経営者」の立場から科学する学問だ。家業を継ぐ予定のある受験生や、本当に「企業経営」に関心がある受験生は別だが、「経営学部」を出たからと言って、就職に有利だとか、経営者の考え方が分かるなどということはない。

「リベラルアーツ」という言葉がある。平たく言えば「広い基礎教養」とでも訳せばよいだろうか。かつて大学には必須科目として「一般教養」が置かれていたが、それよりも広い概念で人文科学、社会科学、自然科学を網羅的に学ぶことを目指すのが「リベラルアーツ」の考え方だ。

例えば、法学部に進学すれば基本的に法律の勉強をする。4年間かけて自分が専門とするテーマを絞っていき法学の中で専門を極めるわけだが、「リベラルアーツ」は言わば「広く浅く」(時には「広く深く」)知識、教養を身に着けることを目指す。やたらと細分化した学部名が増えた大学の中では「リベラルアーツ」教育を価値を見直す動きがあり、その名前を冠した学部もあるし、「教養学部」、「人文学部」などといった名前の学部はおおよそ「リベラルアーツ」志向の学部だ。

将来像が描きにくい受験生には豊かな教養を身に着ける観点から一度検討をお勧めしたい領域だ。

また、先の「グローバル批判」と矛盾するようだが、比較的社会で通りがよいのは語学関連の資格試験だ。英検、TOEFL、TOEICなどで高得点を得ておくことは単に体面上の武器になるだけでなく実際の社会生活でも役立つのでお勧めできる。

そして出来れば英語以外にもう一つ意思疎通可能な言語を習得しておくと知識吸収やコミュニケーションの幅が格段に広がる。大学時代は幸い時間にゆとりがあり、まだ脳も硬直化していない。大学の講義を受講するだけでなく、自己で外国語の習得を試みることだって可能だ。

以上述べたように、大学選択もさることながら、学部の名前である程度のふるい分けをすることが可能だ。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

『NO NUKES voice』鹿砦社本領発揮の第2号!田中俊一委員長をおっかけ直撃!

《脱法芸能25》松田聖子──音事協が業界ぐるみで流布させた「性悪女」説

『裸足の季節』(1980年4月CBSソニー)
『裸足の季節』(1980年4月CBSソニー)

元祖ぶりっ子にして80年代を代表するアイドル歌手の松田聖子は数多くのスキャンダルに見舞われたが、その中でも最も大きな試練となったのが1989年に起きたサンミュージックからの独立事件だった。

聖子は78年にCBSソニーが主催したミス・セブンティーンコンテスト九州地区大会で優勝し、79年、サンミュージックに所属し、上京。80年、『裸足の季節』でデビューすると、瞬く間に人気歌手となった。

そして、サンミュージックに所属してから10年後の89年6月6日、聖子はサンミュージックの相澤秀禎社長を自宅に呼び出して、独立を宣言。6月末、契約解除となり、CBSソニー関係者の協力を得て、8月に東京都港区乃木坂の近くに新事務所、ファンティックを立ち上げた。

◆独立直後に始まった業界ぐるみの「聖子排除」

『天使のウィンク』(1985年1月CBSソニー)

独立の決断について聖子は、インタビューで「自分の生き方、仕事、そういうものに対して、“自分で”責任を持ちたいと思ったんです」(『週刊明星』89年8月31日)と説明している。聖子は90年になると、「Seiko」の名でアメリカに進出しているが、独立はその布石だったのだろう。

だが、売上の多くを占める聖子の独立はサンミュージックには大きな痛手だ。相澤社長は、昼から飲めないビールを飲み、周囲に「寂しい」と漏らした。他の芸能プロダクションにとっても、聖子の独立は所属タレントに影響を与えかねず、断じて許すことはできない。業界全体で「聖子排除」の動きが広がっていった。

『週刊大衆』(89年9月4日号)によれば、芸能リポーターの梨元勝は「彼女の場合は強引さが問題なんです。音事協(日本音楽事業者協会)の中にも、個人的見解として、今後同じようなことが起こっては問題、といっている人が何人かはいると聞いています」と、芸能評論家の藤原いさむは「相沢さんが彼女の今後の活動を邪魔するなんてことはないだろうし、そんな人間ではありません。しかし、周囲や業界はどうみますかね」とコメントしている。

『Precious Heart』(1989年11月CBSソニー)
『Precious Heart』(1989年11月CBSソニー)

音事協加盟の各芸能プロダクションは、聖子と自社所属タレントとの共演拒否をテレビ局に申し入れたため、聖子はテレビ出演の機会を失った。『紅白歌合戦』も落選し、CMの契約も次々と打ち切られた。

サンミュージックは聖子に独立に際して、他のプロダクションの協力を借りないことを条件として課していたから、聖子は芸能界で孤立した。

サンミュージックの会議室から聖子の写真が取り外されると、マスコミは号令をかけられたかのように聖子バッシングに走った。89年7月11日には、中森明菜が自殺未遂事件を起こしたが、「明菜の恋人である近藤真彦と聖子がニューヨークで不倫していたのが原因」などと、男性関係の噂話が次から次へと取り沙汰された。そして、「独立の難しさを思い知らされた聖子は、詫びを入れた上でサンミュージックに復帰する」という記事が次第に増えていった。インタビュー記事で聖子は当時を振り返って「人と会うのが恐った」と語っているが、独立の信念を曲げなかった。

◆音事協とマスコミのネガキャンが作り出した
「聖子=性悪女」というパブリックイメージ

89年11月15日、聖子は『夜のヒットスタジオSUPER』(フジテレビ)に出演し、新曲『Precious Heart』を歌った。前年の『紅白』以来、約1年ぶりのテレビ出演となったが、聖子以外の出演者は聖子と同じCBSソニー所属の歌手や俳優ばかりで、レコード会社はCBSソニー所属でも音事協系芸能事務所所属タレントは出ていなかった。音事協の幹部は番組の責任者に「どうして聖子を出したんだ」と激しく抗議したという。それだけでは飽き足らなかったのか、後日、週刊誌で「音程が外れていた」という相沢社長などのコメントが多数、掲載された。

松田聖子といえば「性悪女」のイメージが強い。2000年代までは週刊誌が「嫌いな女ランキング」を掲載すると、必ず上位につけていた。だが、そのイメージの大部分は聖子が独立した際、芸能界の意向を受けたマスコミが過剰なバッシングをした結果、大衆の脳裏に刻まれたものなのである。

▼星野陽平(ほしの・ようへい)
フリーライター。1976年生まれ、東京都出身。早稻田大学商学部卒業。著書に『芸能人はなぜ干されるのか?』(鹿砦社)、編著に『実録!株式市場のカラクリ』(イースト・プレス)などがある。

星野陽平の《脱法芸能》
◎《脱法芸能17》ジミ・ヘンドリックスが強いられた「奴隷契約労働」
◎《脱法芸能18》ヒットチャートはカネで買う──「ペイオラ」とレコード大賞
◎《脱法芸能19》ちあきなおみ──芸能界の醜い力に消された『喝采』
◎《脱法芸能20》今陽子──『恋の季節』ピンキーの復帰条件は「離婚」
◎《脱法芸能21》岩崎宏美──芸能界の人間関係が白から黒へと豹変する瞬間
◎《脱法芸能22》薬師丸ひろ子──「異端の角川」ゆえに幸福だった独立劇
◎《脱法芸能23》八代亜紀──男と共に乗り越えた演歌という名のブルーノート
◎《脱法芸能24》堀ちえみ──ホリプロから離れ、大阪拠点で芸能界に復帰

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《紫煙革命12》実録!タバコ工場見学の巻(後編)

デジタル鹿砦社通信をご覧の皆さんこんにちは、タバコ啓蒙活動に邁進中の原田卓馬です。前回に引き続きタバコ工場見学報告、その後編です。

◆牧草のように甘く自然なタバコ葉を求めて

工場のドアが開いた瞬間、タバコ葉の香りの微粒子と水分ををたっぷり含んだような密度の高い空気が工場内から溢れ出してきました。いい匂いと感じる成分もありますが、バニラとハッカとチューインガムを適当に何種類か混ぜたような、しっちゃかめっちゃかな匂いなので体調が悪ければ頭が痛くなりそうです。二日酔いだと嘔吐しそうです。これは『ピアニシモ』、『ロゼ』などに使用しているケミカル香料の匂いのようです。熟成したタバコの葉は牧草のような甘くて自然な香りがするんですが、なんだかとても残念な嗅覚体験です。

工場内の景観はと申しますと、郊外の大型スーパーマーケットや大型家具店のように天井が高く、端から端まで見通せる巨大なワンルームになっています。刻んだタバコを風圧で送り出すための管(太くて透明な水道パイプみたいな感じ)、タバコ巻き上げ機や、巻き終わったシガレットを一時貯蔵するためのリザーバー、製品を流すためのローラー、箱詰めするための梱包マシン等がシステマティックに並べられています。

専門的な工業用機械とはいっても、タバコを刻んで紙に巻くだけなので、民家を改造して機械を運び込みさえすればタバコ工場なんてどこでもできそうだなと思いました。

◆メンソールの充満したエレベーター

1階はメンテナンスで機械を動かしていないということで、業務用エレベータに乗り込みました。ものすごく爽快なミントの残り香がします。エレベータは人の移動だけでなく物資の運搬にも使用しているとのことで、タバコに添加するメンソール原料を運搬した後はいつも空気がフレッシュになるそうです。

Wikipediaに「一部銘柄のタバコでは、香り付けや、喫煙による喉や呼吸器の炎症を軽減する目的で添加剤として使われている」と書いてありますが、炎症軽減効果なんてあるんでしょうか?

メンソールタバコを吸うとインポになるという都市伝説があります。日本では1977年に発売されたサムタイムという女性向けの銘柄でメンソールが広く知られるようになりました。「女々しいぞ!」という理由で「オカマ=インポ」みたいな風評があったという説があります。これも都市伝説の域を超えませんね。

◆システマティックなマシン

2階に到着しました。稼働中の工場の騒音は凄まじく、前持って渡されていた無線機とヘッドフォンが抜群の威力を発揮します。モーターやコンプレッサーの爆音と、湿った暖かい室温と、香料の匂いが伴って、空間が飽和状態です。生声で話すなら大声で叫ぶか、耳にキスしそうなくらい接近しなければなりません。ヘッドフォン越しだとコミュニケーションが一方通行なので、あれこれ質問し辛いです。

刻んだタバコ葉が風圧で機械に送り込まれるところと、巻き上げたシガレットが積み上げられていくのはよく見えるのですが、肝心の巻き上げてカットするところを見ることができません。

もっと機械に近寄って観察したいものですが、安全上の配慮ということで遠くからしか見ることができません。立ち止まって眺める時間はなく、係の人はどんどん歩くよう催促します。機械がどんなコンビネーションで動くのかピタゴラスイッチ的アハ体験がしたかったのですが、機械に近づけないので全体の流れがよくわかりません。

シガレット巻き上げの機械が1階、2階の2フロアで合計22台あります。ハイスペックなものだと一台のマシンで一分間に20000本のシガレットを製造するというのだから技術の進歩は凄いですね。同じ銘柄のタバコでもボックスとソフトで製造工程が別になるみたいです。梱包によって微妙に煙の味や香りが違うという説がありますが、製造ルートが途中から分かれているので多少の違いはあるかも知れません。

◆優秀なブレンダー

ですが、JTには優秀なタバコテイスティングをするブレンダーの人達が製品にブレがないか味見をしているので、素人にもわかる違いがあるかは疑問です。なんせ、タバコの銘柄をあてるのなんて朝飯前だというのです。五感が狂うと仕事に支障をきたすので、寝不足も二日酔いも風邪をひくことも御法度で、刺激の強いスパイシーな料理?たとえばカレーとか?は勤務前は厳禁だといいます。

勿論、タバコの味と香りを確かめるための喫煙なので、煙を肺にはいれず、粘膜で煙を楽しむ口腔喫煙《クールスモーキング》です。

ブレンダーの人にインタビューしたかったけれども、工場見学当日は残念ながら不在ということでした。そんなに鼻の利く人が香料のフレーバーが充満した工場内で精神に異常をきたさないのか甚だ疑問ではあります。

さて、アメリカンスピリットなどの普及で若者を中心にシェアを拡大しつつある、ナチュラル無添加タバコというのがありますね。他にもプエブロ、チェ、スモーキング・ジョーなど市販されているものがいくつかあります。そんな折、2014年12月中旬にJTから「キャメル・ナチュラル・ボックス」「キャメル・ナチュラル・ライト・ボックス」の二銘柄が東京都、神奈川県、大阪府の一部販売店で新発売となるようです(2014年11月25日JT発表)。

日本の産業構造は優秀な技術者が「安かろう悪かろう」のために才能の無駄使いを強いられて来た側面があるので、香料無添加のキャメルは非常に楽しみであります。

念のためお断りしておくと、先ほども申し上げたように、「タバコは口腔喫煙《クールスモーキング》が基本」です。もし、吸っているタバコがいまいちおいしく感じなかったら、騙されたと思って肺を通さず、煙を鼻からふかしてみて下さい。いつもと違う楽しみ方ができる、かもしれません。

皆さんも是非、タバコ工場見学に応募してみてくださいね!

日本たばこ産業(株)北関東工場

[見学先]日本たばこ産業(株)北関東工場
〒321-3231 栃木県宇都宮市清原工業団地10

▼原田卓馬(はらだ たくま)
1986年生まれ。幼少期は母の方針で玄米食で育つ。5歳で農村コミューンのヤマギシ会に単身放り込まれ自給自足の村で土に触れて過ごした体験と、実家に戻ってからの公立小学校での情報過密な生活のギャップに悩む思春期を過ごす。14歳で作曲という遊びの面白さに魅了されて、以来シンガーソングライター。路上で自作のフンドシを売ったり、張り込み突撃取材をしたり、たまに印刷物のデザインをしたり、楽器を製造したり、CDを作ったりしながらなんとか生活している男。早く音楽で生活したい。
ご意見ご感想、もしくはご質問などはtwitter@dabidebowie
このコーナーで調査して欲しいことなどどしどしご連絡ください

原田卓馬の《紫煙革命11》実録!タバコ工場見学の巻(前編)
田中俊一委員長自宅アポなし直撃取材を終えて

今日の電気も原発ゼロ!『NO NUKES voice』Vol.02