《罪の行方03》宮崎家族3人殺害事件 遺族が「死刑破棄」を訴える理由

被害者遺族Yさんの上申書を読み上げる支援者の女性

2010年3月に宮崎市で同居していた妻(当時24)と長男(同生後5カ月)、養母(同50)を殺害し、裁判員裁判で死刑判決を受け、現在は最高裁に上告中の奥本章寛被告(26)。減刑を求める支援活動が盛り上がる中、被害者遺族までもが最高裁に対し、死刑判決を破棄し、裁判を第一審からやり直して欲しいと訴える内容の上申書を提出する異例の事態となっている。その遺族は、奥本被告が殺害した妻の弟であるYさん。Yさんの視点から見ると、この事件は義兄によって母、姉、甥が殺害された事件ということになる。

「奥本章寛君を支える会」が制作した小冊子『青空―奥本章寛君と「支える会の記録」―』によると、このような事態になるターニングポイントは、原田正治さんとの出会いにあったという。原田さんとは、実弟を保険金目的で殺害された犯罪被害者遺族でありながら死刑制度廃止を訴える活動をしていることで有名な人だ。

原田さんの視点に出会い、奥本被告の支援をしていくことは「償う」ということを共に考えていくこと、行動していくことだと考えるに至った「支える会」の主要メンバーが宮崎を訪ね、奥本被告が殺害した妻の父であるKさん、弟であるYさんとの会談を相次いで実現。Yさんについては、本人の希望もあって奥本被告との面会、奥本被告の実家の訪問などまで実現したという。こうして加害者側と被害者側の交流が進む中、今回の上申書提出に至ったという経緯のようである。

◆死刑と無期は五分五分という気持ちだった

その上申書は、8月に大分県中津市であった「支える会」主催の集会で読み上げられたが、被害者遺族が死刑判決の破棄を求めるという異例の内容だ。筆者が抜粋や要約をするより、Yさんの言葉をそのまま伝えたい。そこで以下、当日読み上げられた全文の書き起こしを紹介する。

* * * * * * * *

上申書

最高裁判所御中

【上申の内容】

上申の内容は一言で述べると、事件を第一審に差し戻して、もう一度深く審理して欲しいということです。今から自分の考えを述べます。

【第一審の時の自分の考え】

私はこの事件の第一審、宮崎地方裁判所での裁判に遺族として参加して意見を述べました。第一審裁判の通り、3人の家族を一瞬にして失うという事件のあまりもの重大さから強い怒りを感じていました。また、奥本が法廷で、「わからない」と繰り返す様子を見て、反省していないと感じました。そのため、気持ちとしては死刑と無期懲役とが五分五分でしたが、「極刑を望む」と言ってしまいました。

なぜ気持ちが五分五分だったかというと、殺害された母貴子の日頃の言動から、奥本を追い込んでいったのは、そして、最後にあの事件を起こさせてしまったのは、むしろ母貴子のほうではなかったかという思いがあって、被告奥本だけが悪いわけではないということを家族である自分は感じていたからです。母貴子のほうが悪かった部分については、自分のほうから被告奥本に謝りたいという思いもあったくらいです。

つまり、第一審の時も被告奥本は死刑以外にありえないというふうに意見が決まっていたわけではなかったのです。自分は母貴子の暴言が事件の原因になったのではないのか、奥本だけが悪いわけではないのでは、ということがとても気になっていたからです。結局、第一審では奥本の本当の動機はわからずじまいでした。第一審に参加した自分にも、どうして奥本がこのような事件を起こしたのか、その考えははっきりしませんでした。

【今の自分の考え】

その後4年も経ち、自分の境遇も大きく変わりました。この事件で母、姉、甥を亡くし、その後、祖母も亡くし、心のよりどころを失い、孤立感にとらわれてきました。
最近になって、被告人との面会も果たしました。面会の時には、奥本も自分もお互いに素直に話すことはできず、奥本が反省しているのか、謝罪の気持ちがどこまで深まっているのか、今ひとつはっきりとはわかりませんでした。

その後、奥本を支える会の人たちとの出会いもありました。交流を重ね、支える会のみなさんとの会話の内容から奥本の家族の思いも知りました。今回奥本が描いた絵をポストカードにして販売したお金を奥本からの謝罪金の一部として受け取りました。前に述べたように自分の考えとしては、奥本は死刑以外考えられないと確信していたわけではなかったのです。

命は大切で、とても重要なものです。それは奥本の命にしてもそうです。この奥本の命の重要性を考えると、奥本が死刑になるべきとか無期懲役になるべきとか、すぐには判断できないと感じています。

【終わりに】

自分としては、第一審の裁判員裁判をやり直して欲しいと感じています。その中で慎重に、十分な審理、判断をしてもらうことを望んでいます。今、自分は死刑と確信しているわけではありません。死刑か無期懲役かを判断するために、さらに慎重に十分な判断をしてもらいたいと思います。自分自身もその裁判への参加を通じて、気持ちをはっきりとさせたいと思います。

* * * * * * *

以上がYさんの上申書の内容だが、当欄でこれまでに弁護人の話をもとに伝えた事件の概要――奥本被告が日々、養母から理不尽な叱責を受けるなどし、心理的に追い込まれていき、犯行に及んだという経緯――が遺族の立場から見ても決して被告人側の一方的な主張でないことがよくわかる内容だろう。

奥本被告が描いた絵で製作されたポストカード

◆ポストカードの製作に夢中の被告

ちなみに、Yさんの上申書の文中に出てくる奥本被告の絵で製作されたポストカードだが、それは中津市であった集会の会場でも販売されていた。暖かみのあるタッチが特徴だが(写真参照)、奥本被告は現在も収容先の宮崎刑務所で被害者への弁済に充てるため、このようなポストカード向けの絵を描くことに夢中になっているという。

そんな奥本被告とはどんな人物なのか。筆者はすでに一度面会に訪ね、その人となりに触れているが、それはまた別の機会に報告したい。

(片岡健)

 

 

 

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《大学異論11》「草の根ファシズム」の脅迫に抗した北星学園大学にエールを!

朝日新聞が従軍慰安婦問題に関する「吉田発言」の掲載について謝罪を行ったのは読者にも周知の事実だろう。これに関しては「朝日新聞叩きの本質」で既に私見を述べた。批判は全く不当であり、些細な問題に過ぎないというのが私の意見だ。

ところが悪質なテロリストどもの矛先は朝日新聞だけでなく、朝日新聞を退職して教員として大学に籍を移した人たちにまで攻撃が及んでいることが明らかになった。当該大学のHPによれば「なぜ嘘を書いた記者を雇うのか」といった多数の苦情に止まらず、「学生が痛い目にあうぞ」果ては「爆破してやる」という「脅迫罪」に明確に該当する脅しまで受けていたという。

◆卑怯な攻撃者を喜ばせる手塚山学院大学の対応

現在、そのような被害にあったと大学名を公表しているのは手塚山学院大学と北星学園大学だ。この両大学には共通項がある。いずれも元は女子短期大学からスタートし男女共学の大学に発展しているという点だ。だが悪質な脅迫に対して、両大学の対応ははっきり分かれた。手塚山学院大学に勤務していた元朝日新聞の教員は騒ぎの渦中退職をしている。手塚山学院大学のHP「教員の退職について」(9月13日付)によると、

「教員の退職について

○○○○氏について多数のご意見、お問い合わせを頂戴しておりますが、同氏は9月13日を以て、本人の申し出により退職しましたことをお知らせいたします。」

とのみ掲載されている(本文中の○○○○は実名)。通常この手の文章には作成者名(学長であったり理事長)と日付が書かれているのだが、それらの記載は一切ないことから、教員退職同日に大急ぎで作成されたものだろうと推測される。

手塚山学院大学に在任した元朝日新聞記者は社内でも要職を歴任した人物だが、勿論彼一人が「吉田証言」をスクープしたわけではない。「朝日新聞憎し現象」はこのような形で権力側からだけではなく、それを下支えする「草の根ファシズム」によっても補完されていることを解り易く示す事件となった。

現在の社会状況、言論状況を見るにつけ、手塚山学院大学の稚拙な対応とそこを去った教員を軽々しく批判することは出来ない。「良い朝鮮人も悪い朝鮮人も殺せ!」というプラカードが何の咎めもなく街中を闊歩出来る時代なのだ。暴力は言論の域を超えてすぐにでも現実のものになるという恐れを脅迫された大学や教員が持っても不思議ではない。

それでも、と思うのだ。

最高学府として大学であれば、暴力をちらつかされても、大量の脅し電話がかかろうが「体を張って」大学の自由、学生の安全を守る気になってはくれなかったのかと・・・。教員の退職ではあたかも非が大学にあったような印象を与えるし、卑怯な攻撃者を喜ばせるだけではないのか。HPの文章にしてもあれより他に表現方法は無かったものかと・・・。

◆「大学人」のあるべき姿を示してくれた北星学園大学長の声明

そのような暗澹たる気分を全て払拭してくれる括目すべき判断を、行動で示してくれたのが北星学園大学だ。北星学園大学はHPで10月1日付「本学学生及び保護者の皆様へ」と題した学長田村信一氏の文章を発表している。

このコラムではこれまで大学の「不甲斐なさ」ばかりを叩いてきた。まだ叩きたい大悪、いや大学は数知れない。が、この北星学園大学学長の声明は近年稀にみる格調の高さと、暴力で脅迫されても動じない腰の据わった本物の「大学人」のあるべき姿を示してくれている。そう長い文章ではないので是非読者にはご覧頂きたい。

http://www.hokusei.ac.jp/images/pdf/20140930.pdf

北星学園大学には5月以来様々な脅迫や政治団体(たぶん右翼であろう)の街宣車が抗議に押し掛けたりしていたそうだ。それでも報道機関に発表をすることなく、警察への連絡と大学自身の判断で元朝日新聞記者で非常勤講師を勤める教員の講義を続けてきた。それはごく当たり前のことなのだが、前述の手塚山学院大学の例が示す通り、今日大学ではその根幹にかかわる問題を「当たり前」に実行することにすら「勇気」が要るのだ。

そして多くの場合「当たり前」を妨害する匿名の電話、ファックスや抗議者への対応に大学は敗北し、どんどん思索領域を後退させている。

北星学園大学の田村学長は明言する。

「本学は建学の精神に基づき、『抑圧や偏見から解放された広い学問的視野のもとに、異質なものを重んじ内外のあらゆる人を隣人と見る開かれた人間』を要請することがわれわれの教育目標であることをふまえ以下の立場を堅持します。

①学問の自由・思想信条の自由は教育機関において最も守られるべきものであり、侵害されることがあってはならない。したがって、本学がとるべき対応については、本学が主体的に判断する。

②従軍慰安婦問題並びに植村氏(著者注:元朝日新聞記者)の記事については、本学は判断する立場にない。また、本件に関する批判の矛先が本学に向かうことは著しく不合理である。

③本学に対するあらゆる攻撃は大学の自治を侵害する卑怯な行為であり、毅然として対処する。一方、大学としては学生はもちろんのこと大学に関わる方々の安全に配慮する義務を負っており、内外の平穏・安全等が脅かされる事態に対しては速やかに適切な態度をとる。」

至極真っ当な姿勢表明である。しかし実質的に言論暴力と実際暴力の境界が極めてあいまいな現在、「大学の自治」、「学問の自由」といった基礎概念が希薄化する中で、北星学園大学田村学長の気概と勇気に満ちた意見表明は想像を超える困難覚悟の上である。極めて深い感慨と称賛そして連帯のエールを送る。

北星学園には系列校に北星余市高校がある。北星余市高校は不登校や一度高校を退学した生徒を積極的に受け入れる特色のある教育を行う高校として有名だったので、私は学生募集のために何度か同校へ赴いたことがある。札幌でレンタカーを借りて小樽を超え人里離れた海岸線をかなり走ってようやく到達できるのが北星余市高校だ。先生も生徒も熱心だった。

北星学園には「人間」としての精神がいまだ健在のようだ。

全国の大学人!北星学園大学田村学長のマニフェストを括目せよ!

とりわけ、田村学長の出身大学である法政の総長に就任した田中優子!週刊金曜日編集委員としてリベラルの仮面を被りながら「監獄大学」維持強化を推し進める自身の姿を深く恥じ入れ!

注:かつて学生運動が盛んであった法政大学は2000年以降120名を超える逮捕者を出し、退学、除籍無期停学処分を連発している。今では学内を公安警察が堂々と闊歩し、大学当局は学生自治を蹂躙し尽している。本年4月総長に田中優子氏が就任し対学生の大学としての変化が期待されたが、田中氏は堂々と弾圧を継続している。法政大学の無茶苦茶ぶりはいずれ本コラムで詳報したい。

(田所敏夫)

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《罪の行方02》宮崎家族3人殺害事件 被告はなぜ「最悪の選択」をしたか

中津市であった支援者開催の集会で事件の概要を説明する黒原弁護士(左から2人目)。会では、映画監督・作家の森達也氏(同4人目)も講演した。

2010年3月に宮崎市で同居していた妻(当時24)と長男(同生後5カ月)、養母(同50)を殺害し、裁判員裁判で死刑判決を受けた奥本章寛被告(26)。すでに上告審も結審し、最高裁の判決を待つばかりだが、その減刑を求める支援活動が盛り上がり、被害者遺族までもが「裁判のやり直し」を求めて最高裁に上申書を提出する事態になっている。

一体どんな事件で、奥本被告はどんな人物なのか。前回に引き続き、弁護人の黒原智宏弁護士が大分県中津市であった支援者主催の集会で説明した事件の概要を紹介する。同居していた養母から自衛隊を辞めたことなどで日々厳しい叱責を受け、実家の両親のことまで非難され、我慢に我慢を重ねる生活だったという奥本被告。自衛隊に再入隊することを決め、厳しい家計を助けるために夜のバイトもして問題を解決しようとしていた中、妻と実家の間で、ある「トラブル」が起きたという――。

* * * * * * * *

トラブルとは、(長男の)5月の初節句を(奥本被告の実家がある)福岡でするのか、(妻や養母と暮らす)宮崎でするのかということでした。今考えると、大きなトラブルになることではないと思われるかもしれませんが、ここまで述べた背景を踏まえると、トラブルの深刻さがおわかり頂けると思います。福岡の実家を遠ざけようとしていた義理のお母さん側と、なんとか(孫に)会いたいという思いの奥本君の実家側との溝は奥本君が認識している以上に大きくなっていたのです。

メールのやりとりでそのような諍いが起きていたまさにその時、何も知らない奥本君が自宅に帰ってきます。奥本君は「何か起こっているぞ」と思いますが、トラブルの意味がわかりません。節句の意味もわからないし、節句というのが福岡でしなければならないのか、宮崎でしなければならないのかということもわからない。「どちらでやってもいいじゃない」という気持ちでした。しかし、対立は深刻になっていて、義理のお母さんから「あんたはそっちへ行かせないよ。なんで、こっちがそっちへ行かんといけんのじゃ。おかしいじゃろうが」と怒鳴られました。これは平成22(2010)年2月23日の出来事です。

◆養母の侮辱

深夜ということもあり、義理のお母さんも興奮が増し、「(夫である奥本君の)親がお米、お金を送るのは当然じゃろう」と怒鳴りつけ、「あんたのところはうちを舐めとる」「やることはちゃんとやれよ。結婚したら、こんなもんじゃないだろう」「部落に帰れ。これだから部落の人間は」「離婚したければ離婚しなさい。慰謝料ガッツリ取ってやる」という言葉を述べながら、奥本君のコメカミあたりを両手で力の加減をすることなく10数回殴打しました。

ここまでずっと我慢を重ねてきた奥本君もこの時、大きな心の糸が切れてしまいました。自分のことは我慢できる。自分の両親も我慢している。しかし、彼にとって古里の集落は誇りでした。それを悪く言われるのは、耐えられなかったのです。彼は1人、その思いを抱えます。この時、両親や兄弟に相談した形跡は残っていません。

◆「意識狭窄」に追い込まれ……

彼はその後5日間、ずっと孤独に悩みますが、最初に考えたのは自殺でした。自殺すれば、このようなことから逃れられると考えたのですが、「それは解決じゃない」と考え直します。それから、離婚や失踪も考えますが、そのような彼のアイディアを打ち消したのが義理のお母さんの最後の言葉でした。「慰謝料ガッツリ取ってやる」。その言葉が彼には引っかかります。自分がいなくなったら、義理のお母さんは自分の実家に行くに違いない。そうなると、自分の替わりに今度は両親が責められるに違いない……と思い悩みました

今、我々がこんな話を聞いたら、「いやいや、他にも解決方法はあるんじゃないの?」と色々な解決方法が思い浮かぶと思います。しかし、ここに至るまで奥本君はほぼ8カ月に渡って、睡眠時間は1日4時間を超えることなく、土曜日曜も休むことは許されず、そして食事も先ほど述べたような状況でした。選択肢、思考は狭められていました。心理学で意識狭窄というのですが、そういう状況で彼自身が最悪の選択に至ってしまったのです。

* * * * * * * *

最悪の選択――つまり、妻と生後5カ月の息子、養母を殺害するという選択をし、2010年3月1日未明に実行してしまった奥本被告。黒原弁護士によると、事件が起きるまでのこのような事実経過は第一審の頃から明らかになっているという。しかし、宮崎地裁であった第一審の裁判員裁判では、奥本被告は同年12月7日、「自由で一人になりたいなどと考えて家族3人全員の殺害を決意するに至ったものと認められる」「自己中心的で人命を軽視する態度が著しい」などという内容の死刑判決を宣告された。

そして控訴審段階になり、弁護側は2人の臨床心理士に依頼し、犯罪心理鑑定を実施。それによると、奥本被告は事件当時、精神的に疲弊し、視野狭窄、意識狭窄の状態で、自己の実在を脅かす養母から解放されたいという欲求から3名の殺害を決意したのだと判断された。しかし、福岡高裁宮崎支部の控訴審ではこの鑑定が証拠採用されながら、奥本被告の控訴は棄却され、死刑判決が維持された。この後、上告審段階になり、黒原弁護士に話を聞くなどして事件の詳細を知った人たちが「奥本章寛君を支える会」を立ち上げ、減刑嘆願書を求める支援の輪が広がっていったのだが、そのような事態になったのも事件の経緯を聞けば、多くの人が得心できるのではないだろうか。

では、被害者遺族が最高裁に提出した「裁判のやり直し」を求める上申書とは、どんな内容なのか。それは次回、詳しくお伝えしたい。

(片岡 健)

<参考文献>
奥本章寛君を支える会編『青空―奥本章寛君と「支える会」の記録―』

 

告発の行方2

 

《紫煙革命03》知られざるタバコの真実―タバコの巻紙の正体に迫る!(1)

デジタル鹿砦社通信をご覧の皆様ごきげんよう。政府によって推進されたタバコ・ネガティヴ・キャンペーンに対抗して、勝手に『吸って応援、タバコ・ポジティヴ・キャンペーン』を実施中の原田卓馬です。パープルヘイズレヴォリューションであります!今回はタバコの巻紙のお話です。

◆情報とは五感で感じるもの

と、本題に入る前に、情報のお話をします。21世紀に突入してからコンピュータ・ネットワークの技術革新は凄まじく、人類史に未だかつてない超高度情報化時代の到来といったような現在であります。ネットインフラの普及により、文字や音声や映像など情報と呼ばれるものなら、パソコンが一台あればなんでもすぐ手に入る時代のような感もあります。現代人が一日に得る情報量は、江戸時代の人の一生分とも云われているようですね。

ここでいう情報というのは人間の五感を通じて得られる様々な刺激のことだと思いますが、インターネットを通じて得られる情報というのは圧倒的に視覚・聴覚に特化しており、触覚・嗅覚・味覚を刺激することは難しいようです。

秋も深まりつつあり、ちょうど金木犀の花の香りがどこからともなく漂ってきて、集団感染みたいに一億総センチメンタルな時季がやって来ましたが、嗅覚を通じて引き出される記憶というのはやっぱり凄いですね。酒の席で金木犀の話題になり、「便所の芳香剤みたいな臭い木のこと?」と発言した友人が満場一致でヒンシュクを買って、非難轟々、大ブーイングの嵐が巻き起こりましたが、江戸時代から便所の近くに金木犀を植えるという文化があるので、便所と金木犀の関連付けることは鋭い嗅覚の証拠かもしれません。

さあ、強引な文脈で情報→嗅覚→タバコ、と本題に入る準備がそろそろ整いました。(とっくにバレてる)

◆匂いは情報の宝庫

好きな匂いってありますか? 天日干しした布団とか、夕立ちの前の土の匂いとか、キュウリを折った時の青臭さとか、腐りかけた牛肉とか、納豆とか、ナンプラーとか、ワキガとか、脱ぎ捨てた靴下とか、おじさんの加齢臭とか、人の好みは千差万別ですね。好き嫌いは大きく分かれるところだと思いますが、嗅覚情報に良し悪しはありません。

情報の取捨選択・価値判断というのはまさしく情報化社会で問われる情報リテラシーそのものであります。朝日新聞のでっちあげ記事謝罪騒動でマスコミはお祭り騒ぎをしていますが、情報というのは送る方も受け取る方も勝手に解釈するべき(せざるを得ない)ものだと思います。

感じたことは自分だけのものですから。

◆ある瞬間を境に、悪臭に変わる

さて、当連載の最初の記事にも書きましたが、原田は思いつきでシガーバーとういうのに行き、2時間かけてゆっくりと葉巻の香りを楽しんだ後に市販の紙巻タバコを吸ってみたらボンドのような酸っぱい匂いと紙の焦げ臭さしか感じなかったわけです。タバコの香りを邪魔するけったいな悪臭にそれまで無頓着だった原田でありますが、この時ばかりは流石に「こんなに臭いならタバコやめようかしら?」と少し悩んだであります。葉巻タバコの甘い香りとは程遠いあの悪臭はなんだったのだろうかと調べてみると、これはどうやらタバコの巻紙と、紙を接着するための糊が原因のようでした。

JTのホームページで開示されている、『たばこ材料品添加物リスト』によれば、

巻紙の原料

セルロース
炭酸カルシウム
水酸化マグネシウム
クエン酸カリウム
クエン酸ナトリウム
塩化カリウム
リンゴ酸
水酸化カリウム
グァーガム
カルボキシメチルセルロースナトリウム
酢酸カルシウム
酢酸カリウム
酢酸マグネシウム
(最大使用重量順)

こ、これは、ちっとも紙じゃないじゃないか!

原田は化学の知識が中学生レベルなので、さっぱりわからないながら調べてみた。セルロースというのは木材パルプから作られる植物性繊維のことで、一般的な紙の主原料になるようだ。ふむふむ、これは紙だ。

次いで量の多い、炭酸カルシウム。これは貝殻、卵の殻、チョークのような石灰のようだ。薬の錠剤のベースや、歯磨き粉、他には食品添加物としても使用されているらしい。

巻紙のりの原料

エチレン-酢酸ビニル樹脂
ポリ酢酸ビニル
カルボキシメチルセルロースナトリウム
酢酸ビニル-ビニルアルコール樹脂

酢酸ビニル?図画工作や日曜大工でお馴染みの木工用ボンドの原料ではないか。こんなもん吸っていいのか?

JT に電話問い合わせしてみようと思ったら平日しか対応してくれない!締切が間に合わない!これは参った!次回、JTさんに電話取材の巻、乞うご期待!

(原田卓馬)

 

《罪の行方01》遺族が「死刑破棄」を求める宮崎家族3人殺害事件の実相(片岡健)

8月30日に「奥本章寛君を支える会」が中津市で開催し、200人以上が参加した集会の様子

2010年3月に宮崎市で家族3人を殺害し、裁判員裁判で死刑判決を受けた男性が現在は最高裁に上告している事件で、その男性の減刑を求める支援活動が盛り上がっている。8月に大分県中津市で男性の支援者らが開催した集会には200人以上が参加。会では、被害者遺族の1人が最高裁に対し、死刑判決を破棄し、裁判を第一審からやり直して欲しいと訴える内容の上申書を提出していることも明らかにされた。

その死刑判決を受けている男性は奥本章寛被告(26)という。すでに上告審も9月8日の公判で弁護側が第一審への差し戻しか、死刑回避を求めて結審し、10月16日の判決公判を待つばかりだが、そもそもどんな事件で、奥本被告はどんな人物なのか――それを何回かに分けてレポートしたい。まずは8月の集会で、弁護人の黒原智宏弁護士が事件の概要について語った要旨を2回に分け、紹介する。

* * * * * * * *

この事件は平成22(2010)年3月1日未明、母子を含めて一家の3名が殺害された事件です。被害者は被告人・奥本章寛君の妻・くみ子さん(当時24)、長男・雄登くん(同生後5カ月)、義理の母・貴子さん(同50)の3名です。被告人にとって、この3名は同居していた家族でした。

なぜ家族の間で、こんな惨劇が起きたのか。被告人に関わっているすべての人々にとって大変不可思議に思える事件でした。それはとりもなおさず、誰もが奥本君はこういった事件と最も遠いところにある(人物)だろうという思いで、しっくりこなかったからだろうと思います。

◆「29名の社員の中でもピカイチ」

皆さんの周りに、こういう青年がいるだろうかとイメージして頂きたいと思います。いつも明るく、声をかけると、大きい声で挨拶を返してくれる青年。小中高と剣道部のキャプテンをしている人間。会社に入ってからは、社長が「うちには29名の社員がいるが、その中でもピカイチである。どこの現場にも自信を持って送り出せる」と評する青年。これらの人物のすべてを重ね合わせると、奥本章寛君その人になります。仕事も一生懸命でした。最後の仕事は土木作業員でしたが、宮崎とこの地(中津)を結ぶ高速道路、東九州自動車道の一部は奥本君の手によって舗装されています。

そのように仕事にも一生懸命でしたが、家族との間で難しい歪みが生じてしまいました。その背景には、奥本君が元々自衛官で、自衛官だったことが結婚の大きな理由だったという奥さん方の事情があります。(結婚する前に)奥本君は家族で協議の末、自衛官を退官し、宮崎で仕事に就き、妻のくみ子さん、その母である義理のお母さんの貴子さんと同居生活を始めることになりました。しかし、義理のお母さんは娘の幸せを祈る気持ちから、奥本君に自衛官を続けて欲しいという思いがありました。そして、奥本君はことあるごとに「なぜ自衛隊を辞めたんか」「自衛隊を辞めたお前は好かん」と厳しく叱責されます。

そのような同居生活に大きな変化が生じるのは、子供が生まれ、家族が1人増えてからです。アパートでは手狭だということで、家族は一戸建ての借家に引っ越し、4人での同居生活が始まります。4人の中で働き手は当時21歳の奥本君1人でしたので、奥本君は1人で家族4人の生活を支えようと一生懸命働きました。しかし、21歳の青年では大きな収入が得られるわけではありません。生活面、経済面で厳しい中、支えてくれたのは奥本君の古里である福岡県豊前の方々でした。両親が届けてくれるお米や野菜。「使いなさい」と渡してくれるお金。それらを奥本君はすべて、妻のくみ子さんに渡しており、そういう実家の支えがあって、なんとか家族4人の同居生活が始まったのです。

◆厳しい性格だった養母

ところが、義理のお母さんは性格的に厳しいところがあり、ことあるごとに先ほどのように奥本君を叱責します。奥本君は「自衛官を辞めたことがどうして、そんなに悪いことなんだろう」と考えますが、思い当たりませんでした。また、義理のお母さんは「(奥本君の)実家はなかなか援助をしてくれない。手伝ってくれない」ということも述べるようになりました。奥本君は「いや、野菜をもらったりしているじゃないですか」などと内心思いますが、性格上、そのことを口に出せませんでした。彼は「優しさ」「気配り」「気遣い」と共に「忍耐強さ」を備えていて、我慢に我慢を重ねる性格だったのです。

日々、奥本君が仕事を終え、夜自宅に帰ると、すでに家族の食事は終わり、ご飯はジャーからどんぶりに移してあり、それが流しに置いてありました。奥本君にとって、それは両親が届けてくれたお米だから、捨てるわけにはいかない。また、彼は小さい時、お婆ちゃんから言われていた「お米を粗末にしてはいけない。残してはいけない」という言葉を心に秘めていました。ですので、その流しに置いてあるご飯を食べます。そしてご飯の半分はその場でお弁当箱に詰め、翌日、お弁当として仕事に持っていっていました。

奥本君の帰宅時間は段々遅くなり、深夜10時、遅い時は11時を回るようになりました。そして土木作業員ですから、朝は4時に起きて、5時には現場に着いている。彼なりにお母さんとの衝突を避けようとして、そういう生活になったのです。

◆両親のことまで悪し様に言われ……

また、奥本君のご両親が雄登君のために、お古のベビー用品を持って来てくれたことがありましたが、義理のお母さんはこの時、目を合わせようとせず、当初は家にも上げようとしませんでした。子供のお下がりを渡すというのは愛情、親しさの表現であり、喜ばしいと感じるのが一般的だと思いますが、義理のお母さんはそうではなかったのです。そして奥本君のご両親が帰った後、奥本君に対し、「お前の両親は何しに来たんだ」「こんな物はいらん。お下がりはいらん」「バイ菌がついとる。汚い」「雄登がかわいくないんか」「普通は新しい物を買うじゃろうが。常識がないんじゃ」「(お前の実家は)雄登に何もしてくれん。くみ子にも結婚以来、何もしてくれん」と厳しく叱責を重ねました。

そんな中、奥本君はすくすく成長を続ける雄登君をなんとか実家に連れて帰り、両親のみならず、お爺ちゃん、お婆ちゃんに一度見せたいという夢を持っていました。そのチャンスは何回かありました。まず、平成21(2009)年の暮れ頃、家族で築城の航空自衛隊に航空ショーを見に行った時です。そこから豊前の実家までは目と鼻の先だったのですが、義理のお母さんは実家に行くのを許しませんでした。それから平成22(2010)年の1月には、家族で九州をほぼ一周する旅行をしています。その時も国道10号線を車で北上し、豊前の実家のすぐ近くを通るのですが、やはり義理のお母さんは実家に寄るのを許しませんでした。もっとも、この時は奥本君も「(自分の実家に)寄りましょう」という提案すらできませんでした。それは、(養母と自分の実家が)衝突することで家族の空気が悪くなるのを避けよう、みんながイヤな思いになるのを避けようという気持ちだったからです。

そしてこの頃、奥本君は1つの決断をします。「すべての原因は自分が自衛隊を辞めたことにある。ならば、自分が自衛隊に再入隊しよう。そうすれば、家族みんなが仲良くやっていけるんじゃないか」。奥本君はそう考えるようになり、実際に自衛隊のパンフレットを手に入れ、「一緒に自衛隊に入ろう」と友だちを誘い、自衛隊の試験の問題集も手に入れていたのです。また、厳しい家計を助けるため、夜のバイトを始めようと面接を受けに行ったりもしていました。彼はなんとか、問題の改善をしようとしていたのです。

* * * * * * * *

ここまでの話だけ見ても、奥本被告の減刑を求める支援活動が盛り上がっている事情はなんとなく察せられるのではないだろうか。そして黒原弁護士の話はいよいよ佳境に入る。このように奥本被告が問題の改善のために動き出していた中、今度は妻と実家の間で、あるトラブルが起きたというのだが――ここから先の話はまた次回お伝えする。

中津市の集会で事件の概要を説明する黒原弁護士

(片岡  健)

 

《原発放談08》脱原発の突破口は福島の人たちが声を上げること(小野俊一)

3.11直後から毎日休みなく福島第一原発動向をブログで発信し続けてきた「onodekita」さんこと小野俊一医師。東電、福島、被曝をめぐる諸相からメディア・識者批判にいたるまで、縦横無尽に語ってもらった200分インタビューを8回に分けて随時掲載する。今回がその最終回。

onodekitaさんこと小野俊一医師

◆東京五輪は「福島隠し」

── 福島原発の現場でいえば、まともな働き手が減っていますよね?

将来どうするのかが問題です。最近は東京オリンピックに現場作業員を奪われ始めている。以前は発電所内部の作業員が除染に人を奪われるといわれていましたが、いまは作業員が東京・首都圏の五輪関連事業に吸い取られている。良い話はなにもないのが現状です。そんな状況で2020年に東京オリンピックができるのか? チェルノブイリの事故で被曝被害が増加してきたのは5年後ぐらいからです。

これは半分、陰謀論になってしまいますが、日本はこれまで五輪誘致に何度も手を挙げてきたけれど、なかなか実現しなかった。それが福島の原発事故があったことで、今回五輪誘致が実現できたと考えています。そうでなければ、2020年の五輪はイスタンブールだったでしょう。

では、なぜ福島があったから東京が選ばれたのか? 「福島を隠すため」だと思います。五輪が東京に決まったことで日本人の多くは舞い上がった。でも、福島の今後の現状を考えると日本は五輪開催を途中でギブアップするような気がしています。

日本の経済は土地本位制が基本です。なのに、使えない土地が3.11で増えた。戦争で負けたときだって、日本に土地はそのまま残った。だからそこから復興してきたわけです。しかし、原発事故での放射能拡散で、日本の土地は縮小した。肝心の土地がやられて、しかも、その汚染地を政府が率先して広げようとしている。これでは人間までおかしくなります。

── 戦争には敵がいますが、原発事故で敵はいますか?

放射能という敵がいます。ただ、放射能は無主物で戦いに終わりがない。プルトニウムの半減期は24000年。対して人間の寿命は70~80年。相手になりません。

私は最近、太平洋戦争関連の本を好んで読んでいます。例えば、インパール作戦はほとんどの人が無理だと言っていた作戦を一部の指導者が戦略もなしに実行して、甚大な犠牲者を生んだ。その時の指導者の論理は、「それでもいまこれをしないと負けてしまう」という言い方でした。しかも負けた後も当時の指揮官は、戦後、あのときはあれが正しかったと反省の色さえ見せず、戦後死ぬまでそのままだった。

いまの福島に対する日本政府の姿勢もこれと一緒だと思います。事故直後、放射能被爆はたいしたことがないといっていた学者や役人は、おそらく自分が死ぬ間際でも「あの時はああするしかなかった」としか言わないでしょう。「日本のためだった」とか平気でいうと思います。

── この間、政治での脱原発の転機でいえば、東京都知事選がありました。小野さんは細川・小泉陣営をどう評価されますか?

私は彼らを支持しています。宇都宮さんについてはその前の都知事選では支持していましたが、今回の都知事選で、彼は脱原発中心の候補者ではなかったと思いました。選挙演説の動画を見ましたが、脱原発は申しわけ程度に言うだけで、実際はほとんど訴えなかった。宇都宮さんにとって原発は添え物のひとつで中心ではなかったという印象を持ちました。

私はそれではだめだと思う。原発問題を正面からとらえることが肝心だと思う。その他の政策は誰がやっても一緒です。さほど変わらない。でも、原発問題を第一にした候補じゃないとなにも変わらない。それなのになぜか脱原発派の都民の中でも宇都宮さん支持の方が多かった。少なくとも選挙活動の演説では細川・小泉陣営の方が迫力があったし、脱原発に本気だったと思います。

細川さんが演説ベタなのはみな承知していますが、小泉さんはとにかく演説が上手い。メモもフリップもなしにきちんとあれだけ喋れるのは凄いです。橋下大阪市長も演説が上手いと言われますが、彼はフリップを多用します。フリップやパワーポイントなしで喋るのは二流。それらなしにきちんと話せる人の演説が一流ですね。

◆どこに希望があるか?

── この三年間はどうしようもない三年だったようにしか思えません。どこに希望があるのでしょう?

日本人は徐々に変えていくのが得意なのでしょう。ドラスティックに変えることは難しい。だから、変わってないと嘆くよりも少しでも変わったところを見つけていくと、3.11後の日本は良い意味でかなり変わった部分もあると思います。

どこに希望があるか?については「いまだに日本で原発が動いていない」。この事実だと思います。脱原発派は選挙でも勝てないし、ばらばらになっていると言われるけれど、それでも原発はいま日本で動いていない。しかも政府も財界もお金と人を大量に投じてあの手この手で再稼動を進めようとしてきたにもかかわらず、まともに原発を再稼動できていないのです。無理やり動かした大飯原発はその後尻すぼみでいまは動いていない。

当初の計画では2011年の6月頃には玄海原発を再稼動する計画でした。それを菅直人がちゃぶ台返しをして、その後2年近く日本の全ての原発が止まった。その後、大飯原発が再稼動したけれど、この5月にはそれも再び止まった。民主党政権時代にも野田や前原とかは再稼動しようとしていたわけです。

安倍政権にいたっては就任早々から再稼動実現に意欲的だった。それがいまだに動いていない。しかも、もし何基かが動いたとしても、それで今後日本の原発がばりばり動き出すかというとそういう雰囲気はさっぱりありません。この状況はたいしたものだと思います。

ただ、脱原発をもっとしっかりしたものにするために何より必要なものは、福島あるいは近隣に住む人たちが声をあげることです。先ほどお話した野村大成先生も言っていますが、「外からどうこう言ってもだめ。渦中にいる人が声をあげないとだめ」なのです。

広島原爆の際、「被爆で白血病が増えた」と最初に言ったのは地元の開業医の先生でした。この先生の発表はその直後、米国に抑えられた。しかし、抑えきれずにその後、広まった。

これと同じで福島も現場の人が声を出さないと変わらない。外からなにを言っても迫力がない。でも、福島の人が被曝についてなにか発信すれば、ものすごいインパクトです。

繰り返しになりますが、この3年間の状況をすべて悲観的に見ていても始まらない。その中から確実に良い面を見つけて、それを維持していくことが大切です。そして、大きな変化を期待するのであれば、やはり事故の現場にいる福島の人から明確な告発が出てくることが大きな突破口になると思います。福島の事故でそうした広がりを生まれるのが怖いから政府は先回りをして火消しをしている。でも、それでも火は消えていないのです。

◆科学的データで証明されない内部被曝

── 内部被曝に関しての相談はよく受けられるのですか?

基本的にはブログやメールのネット経由で、できるだけ答えるようにしています。ただ、あまりそれをやりだすと、個人の領域を超えてしまう。組織にするのは嫌ですから。それと相談をしてくる方には正直、変わった人もいます。きちんとわかったうえで判断している人ももちろんいますが、身体の不調すべてを放射能のせいと考える人と話すのは大変で、そうした方とケンカしてしまったこともありますよ。何をいっても「それだけでは納得しません、できません」と言われてしまう(笑)

── 最後に、医師として小野さんは今後、どんなかたちで福島原発事故に関わっていきたいのでしょうか?

内部被曝の分野というのは科学的なデータ・資料がありません。これは米国が莫大な資金を投じて行なった検証結果で「ない」とされた。おそらく今後もこうした資料は作られないと思います。そうすると、私に何ができるのか? 内部被曝に不安を持たれている人たちのお話を聞いてあげるぐらいの対処療法しかないです。だから肥田先生のように来た患者の話を聞いて、時には投薬をするような、その程度のことしかできないのが実情です。被曝の検診・治療というのは様々な面で極めて難しい。それがわかっているからほとんどの医師は放射能被曝には関心がなかったりするのかもしれません。そういうこともあって、福島原発事故について本を書いたからといって、私の病院に患者さんが押し寄せるというわけでもないのです(笑)。[終わり]

[2014年6月26日熊本市 小野・出来田内科医院にて]
(構成=デジタル鹿砦社通信編集部)

 

「院長の独り言」

▼小野俊一(おの しゅんいち)(小野・出来田内科医院院長)
1964年広島生まれ宮崎育ち。東京大学工学部(精密機械工学科)を卒業後、1988年に東電に入社。福島第二原発(5年間)と本店原子力技術課安全グループ(2年間)で7年間勤務。1995年に退社後、熊本大学医学部に入学し、2002年卒業。NTT病院等の勤務を経て、熊本市の小野・出来田内科医院院長。『フクシマの真実と内部被曝』(2012年11月七桃舎)
ブログ「院長の独り言」 http://onodekita.sblo.jp/

 

◎onodekitaさん200分インタビュー[全8回]

《原発放談01》福島の放射能被害はチェルノブイリより酷くなる (2014年9月15日)
《原発放談02》東電の「できる人」は役人に決してNOと言わない (2014年9月17日)
《原発放談03》自分で真実を想定していくしかない (2014年9月19日)
《原発放談04》そもそも早野龍五さんは原発を知らないです (2014年9月21日)
《原発放談05》被曝由来の病気は「個発」でなく「群発」 (2014年9月24日)
《原発放談06》分断される「原爆」と「原発」 (2014年9月26日)
《原発放談07》連関する「福島」と「水俣」 (2014年9月30日)
《原発放談08》脱原発の突破口は福島の人たちが声を上げること (2014年10月2日)

最前線の声を集めた日本初の脱原発情報雑誌 『NO NUKES voice』創刊号絶賛発売中!

 

《脱法芸能10》1965年、西郷輝彦はなぜ独立しても干されなかったのか?

1963年4月、日本音楽事業者協会(音事協)が設立された。音事協では、加盟社同士でタレントの引き抜きを禁止する協定を結び、独立阻止で結束を固めた。だが、結成されたばかりの音事協は加盟社も少なく、引き抜きトラブルは収まらなかった。

1965年に起きたのが、歌手として、橋幸夫、舟木一夫とともに「御三家」と呼ばれた西郷輝彦の独立事件だった。

◆10ヶ月で2億円を稼いだ「御三家」西郷の月給は2万8000円

鹿児島県生まれの西郷輝彦は、高校を中退後、歌手を目指して、大阪に行き、ロカビリーバンドを主催していたゲイリー石黒に拾われてバンドの雑用をしていたところ、1963年、当時、龍美プロダクションという芸能事務所を経営していた相澤秀禎(後のサンミュージック創業者)に見出され、上京。

だが、龍美プロは稼ぎ頭だった歌手の松島アキラなどが去ったことで経営が左前となり、当時、勢いのあった東京第一プロダクションに吸収されることとなり、西郷も移籍することになった。

西郷は東京第一プロに在籍してから売れ始め、1964年2月発売のデビュー曲『君だけを』がヒットし、130万枚も売れ、その年のレコード大賞新人賞を受賞することとなった。ところが、東京第一プロでは在籍していた10ヶ月ほどの間に2億円を稼ぎながら、西郷の月給は2万8000円と薄給だったという。東京第一プロと対立した西郷と相澤は1965年1月、独立した。

独立といっても、西郷と相澤には資金も力もなかった。そこで、頼ったのが、太平洋テレビジョン社長の清水昭だった。太平洋テレビは、もともとテレビ映画を海外から買い付け、日本語版を制作し、日本のテレビ局に配給する会社だったが、当時は芸能プロダクション事業にも進出し、大勢のタレントをかき集めていた。西郷と相澤は、太平洋テレビ、所属レコード会社のクラウンレコードなどとの共同出資という形で日誠プロダクションという事務所を立ち上げた。

◆西郷輝彦の幸運──「音事協」独占途上期だった1960年代の芸能界

当時はすでにタレントの引き抜き禁止じる音事協は設立されていたが、太平洋テレビによる西郷の引き抜きは阻止されず、干されることもなかった。

『週刊現代』(1965年4月15日号)によれば、「西郷をとりまく大人たちも悪いが、もとをたどれば彼のまいたタネさ。育ての親であるプロダクションを一年たらずで裏切った西郷だが、本来なら事業者協会に提訴されて、芸能界をほされたかもしれない(中略)西郷はオトナの欲につられて、芸能界から抹殺されることは助かった」というプロダクション関係者のコメントを紹介している。

では、なぜ西郷は干されなかったのか。

音事協発行の『エンテーテイメントを創る人たち 社長出番です。』所収の第一プロダクション社長、岸部清のインタビューによれば、音事協の創立メンバーは、次の8人だった。

渡辺 晋(渡辺プロダクション社長)
木倉博恭(木倉音楽事務所社長)
西川幸男(新栄プロダクション社長)
堀 威夫(堀プロダクション社長)
岸部 清(東京第一プロダクション社長)
永野恒男(ビクター芸能社長)
新鞍武千代(日本コロムビア文芸部長)
宇佐美進(キングレコード)

東京第一プロの岸部清は音事協に加盟していたものの、太平洋テレビは加盟していなかった。太平洋テレビはテレビ映画の輸入会社ということもあって、音事協加盟の芸能プロダクションとは流派が異なるのである。できたばかりの音事協は、カルテル組織としては未熟で芸能界全体ににらみを利かすだけの力がなかったのだろう。

(星野陽平)

《脱法芸能01》私が『芸能人はなぜ干されるのか?』を書いた理由

《脱法芸能02》安室奈美恵「独立騒動」──なぜ、メディアは安室を叩くのか?

《脱法芸能03》安室奈美恵の「奴隷契約」発言は音事協「統一契約書」批判である

《脱法芸能04》安室「奴隷契約」問題が突きつける日米アーティストの印税格差

《脱法芸能05》江角マキコ騒動──独立直後の芸能人を襲う「暴露報道」の法則

《脱法芸能06》安室奈美恵は干されるのか?──「骨肉の独立戦争」の勝機

《脱法芸能07》小栗旬は「タレント労働組合の結成」を実現できるか?

《脱法芸能08》小栗旬は権力者と闘う「助六」になれるか?

《脱法芸能09》1963年の「音事協」設立と仲宗根美樹独立の末路

 

 

『芸能人はなぜ干されるのか? 芸能界独占禁止法違反』

 

《原発放談07》連関する「福島」と「水俣」(小野俊一)

小野俊一医師

3.11直後から毎日休みなく福島第一原発動向をブログで発信し続けてきた「onodekita」さんこと小野俊一医師。東電、福島、被曝をめぐる諸相からメディア・識者批判にいたるまで、縦横無尽に語ってもらった200分インタビューを8回に分けて随時掲載する。今回はその第7回目。

◆連関する「福島」と「水俣」

── 福島の流れはむしろ水俣と同じ道を辿っているように思います。

そうですね。熊本日日新聞の山口和也編集委員も水俣と福島の関連性を書かれています。このふたつはたしかにそっくりです。ひとつ違うのは、水俣病の原因について、熊本大学はその原因は有機水銀ではないかという説を最初に出した。しかし、それを東京大学が否定した。「田舎の大学が変なことをいうな」という感じで、熊本大の説を潰していった。また、水俣の商工会は東大の説を支持して、チッソで生きている町がチッソを悪者扱いしないようにしむけていった。しかし、事実を歪曲されてもその事実は後になって蘇り、いまの水俣訴訟となっていくわけです。

一方、いまの福島ではどうかというと、福島県立医大は率先して被曝を隠す側に回っている。地元の医師会も同じです。事故では被曝の被害は出ないと言い続け、なにか起きても、それは放射能のせいではないと平気で言う。開業医でさえそうした態度です。世間は開業医も所詮医師会の圧力を受けていると考えがちですが、そうではない。むしろ、私も含めて開業医の中には医師会の言うことを聞かない医師がたくさんいます。医師会は世間が思っているほど権威などありません。なのに福島の開業医の中から被曝の現実をきちんと語る医師が出てこない。いろんな問題があって、ここはいえないという姿勢をとってしまうのもあるでしょうが、それにしても福島の開業医から何も意見が出てこないのは酷いです。

◆お金で解決できない核廃棄物問題

── 事故の責任でいえば、東電は一度解体した方がよくありませんか?

事故後、日本政府は原子力規制委員会をいったん解体しました。それで起こったことは、重要な資料などが散逸してしまい、逆に訳がわからなくなった。これは日本の悪いところですが、人が変わると、資料や業務の引継ぎがおかしくなる。機関をばらばらに解体しても、その後、同じ人がやらざるを得ない。だから私は東電は東電のままで、活かすしかないと思っています。おそらく東電を解体したら、もっと悪くなる。下手をしたら原発のことをぜんぜん知らない人間が行くかもしれない。東電が無能なのは確かです。しかし中には有能な人もいて、それで現場がなんとかもっている。しかも、内部の建設業者や請け負い業者との関係もある。こうした関係を福島原発で解体することは、太平洋戦争の最中に日本が軍部を解体するようなものです。もっと悪くなる。いまの方がまだましだと思います。

── ただ、発送電分離などはやった方が明らかにいいですよね?

そこはそうですね。むしろそこは早く分けないと電力会社が先に原子力事業を切って責任逃れをしそうです。原子力事業が火力、水力よりコストが高いのはすでにわかっている。でも、国策だからやっていた。送配電分離をしたら原子力は持てなくなる。でもこれまでの原子力は発電しなくても、誰かが維持管理しなければいけない。そのための人は残さなくてはいけません。もしも原子力を国が管理するとなれば、原発に役人が来ることになる。そんなことになればもっと悪いことになるでしょう。

── 大学に廃炉学の学科を創設して人材を育てるとかしないでしょうか?

廃炉はあくまで後ろ向きの事業です。すでにあるものをいかに片付けるかが目的になりますから、若い人にとっては夢がない。優秀な人であればあるほど、何もないところで何かを新しく作り上げていくことが好きです。だから廃炉のように先人がいい加減にしてきて残したものを担う学科であれば、少なくとも理系のトップは騙されていかないでしょう。逆にそれで騙されていくような人たちはその程度の人なのだと思います。

廃炉に関してはなかなか良い答えがないのも事実です。廃炉庁を創設したりするのもありえますが、結局、廃炉の一番の目的は放射性廃棄物をどう処理するかです。これはいままで米国などが70年近く研究してきたけれど、結局、その解決法の現状は地中に埋めるぐらいが関の山。そんな分野を日本人が大学で学科を作ってやったとしても何も答えは出てこない。

そもそもトイレのないマンションをどうするべきなのか?を誰も考えてこなかった。これまではお金でなんとか解決できるだろうと思っていたが、どうやら金で解決できる問題でもなさそうだという感じです。

フランスなどは再処理をしようとしていますが、それでも再処理燃料の八割~九割は廃棄物になる。その捨て場所がなかなか見つからず、現状はシベリア送りです。それでロシアは儲けている。米国、フランス、英国の原子力学者と日本の学者とどちらが優秀か?と問われれば、当然、実際に原発や原爆を作った経験のある国の学者に勝てるわけがない。

核廃棄物の再処理問題でわかることは、人類には金で解決できない問題があるということです。金さえつければ解決できるという風潮がいま凄くありますが、死んだ子を生き返らせるのは1兆円使ってもできません。再処理もそういう問題で、そこでどうするか?ということです。[つづく]

[2014年6月26日熊本市 小野・出来田内科医院にて]
(構成=デジタル鹿砦社通信編集部)

ブログ「院長の独り言」

▼小野俊一(おの しゅんいち)(小野・出来田内科医院院長)

1964年広島生まれ宮崎育ち。東京大学工学部(精密機械工学科)を卒業後、1988年に東電に入社。福島第二原発(5年間)と本店原子力技術課安全グループ(2年間)で7年間勤務。1995年に退社後、熊本大学医学部に入学し、2002年卒業。NTT病院等の勤務を経て、熊本市の小野・出来田内科医院院長。『フクシマの真実と内部被曝』(2012年11月七桃舎)

◎ブログ「院長の独り言」 http://onodekita.sblo.jp/

 

◎onodekitaさん200分インタビュー[全8回]

《原発放談01》福島の放射能被害はチェルノブイリより酷くなる(2014年9月15日)
《原発放談02》東電の「できる人」は役人に決してNOと言わない(2014年9月17日)
《原発放談03》自分で真実を想定していくしかない(2014年9月19日)
《原発放談04》そもそも早野龍五さんは原発を知らないです(2014年9月21日)
《原発放談05》被曝由来の病気は「個発」でなく「群発」(2014年9月24日)
《原発放談06》分断される「原爆」と「原発」(2014年9月26日)
《原発放談07》連関する「福島」と「水俣」(2014年9月30日)

 

最前線の声を集めた日本初の脱原発情報雑誌『NO NUKES voice』創刊号絶賛発売中!

 

《屁世滑稽09》おい、清水!KO大学の皆さま、原発テロ犯の摘発にご協力

(屁世26年9月30日)

おい、清水!

KO大学の皆さま、原発テロ犯の摘発にご協力ください…の巻

 

ここは都内某所にある警視庁「三途の川原署」。
「三途の川」なんて物騒な名前だが、ただの警察とはちがう。
桜田門のお偉方たちが一目置く“心霊警察”なのだ。

なにしろ刑事課の捜査第一係(別称・強行犯捜査係)の刑事たちは
「ボス」こと納骨堂俊介係長を筆頭に、
念仏読誦で容疑者を必ず自白させる「拝みの寺さん」こと寺村精進警部補、
ゴリゴリと墓をあばいて隠された証拠を発掘する名人である
「墓あばきのゴリさん」こと墓石誠警部、
お経のように刑事訴訟法を朗誦する「雨ダライ猊下(げいか)」こと雨田雷警部、
新入りだが鋭い霊感で犯人を突きとめていた「摩訶浪人(マカローニン)」こと早見純警部、
そのマカローニン刑事が立ち小便中に暴漢に刺されて殉職したため
後任として同署に赴任した新人「袈裟(けさ)ジーパン」こと柴田淳警部など、
心霊捜査にめっぽう強い腕きき警部がそろっている。

都内某所の警視庁・三途の川原署。
心霊捜査の腕利き刑事たちの拠点である。

盆休みの線香の、白檀のかおりがすっかり消えてしまったある九月の朝、
“拝みの寺さん”が出社すると、すでに職場でスタンバッていたボスが
ウイスキーを舐めながら、新しい指名手配書をにらみつけていた。

寺さん 「お早うございます、ボス!」
ボス 「おう! 寺さん、本庁から手配書がきたぞ」
寺さん 「ま~た本庁が手に負えない凶悪犯ですか」
ボス 「今回は最強最悪のテロリストだぞ。これを見てみろ」

寺さん 「うわっ! 心霊的に……業が深い人相ですなあ(絶句)。で、こいつ何をしでかしたんです?」
ボス 「本庁から捜査資料が届いている。寺さん、みんなに聞こえるように大声で読んでみてくれ」
寺さん 「じゃあ、ワシじゃなくて若い奴に読ませましょう。おい! 袈裟ジーパン、これ大声で読んでくれ」
袈裟ジーパン 「おっす! こういうのは女にやらせりゃいいんっすよ! しん子はどこっすか? お~い、しん子!」
ボス 「しん子は総監の接待要員として今日は本庁づめ。ガタガタ文句いわずにオマエが読めジーパン」
袈裟ジーパン 「はいはい。読めばイイんでしょ。じゃあ読みます……。

容疑者の概略――本件容疑者である清水正孝は、慶應大学経済学部を
卒業後、東京電力に入社して資材調達などの事務屋として出世街道を
邁進し、同社の社長になった。東電の社長時代には「コストカッター」の
あだ名で呼ばれ、政財界から一目おかれていた。

……ところでボス、“コストカッター”って何すか?」
ボス 「“経費出し惜しみのケチ野郎”って意味だよ。続けろ」
袈裟ジーパン 「へいボス。
清水容疑者は“コストカッター”の異名をとるだけあり、
「大事故なんて起きるわけがない」と原子力発電所の危険性をナメきって、
出費をケチって安全確保の手抜きをしつづけた。そのあげく平成23年3月に
東日本大震災が起きると、想定しえた地震と津波で福島原発は火災と
爆発が生じて大破にいたり、膨大な量の放射性物質を野外にばらまいて
日本のみならず全世界に放射能汚染を広げた。社長の清水は、この未曾有の
環境汚染犯罪の責任を負うべき犯罪者なのである。

……なるほどボス。わかりました。清水ってのは最悪の環境テロリストですね」
ボス 「感心してないでどんどん読んでいけよ、大声で」
袈裟ジーパン 「了解!ボス。

ところが未曾有の原発公害が起こしておきながら、清水は社長の職責を
放り出して巨額の退職金を手にし、東京電力から逃亡し、系列会社に天下り
した。しかも3年前の原発公害発生当時、すでに彼は慶應義塾の「最高意思
決定機関」である評議員会のメンバーだったのだが、こちらは辞めもせずに
今も続けており、それどころか本年10月1日に行なわれる改選「評議員選挙」
に立候補して、あいかわらず慶應義塾の「最高意思決定機関」に居座るつもり
でいる。

……ちょっとボス、質問なんすけど。こんな悪党が、なんで名門中の名門であるケーオー義塾の評議員なんかやってられるんっすか? ケーオーの運営幹部たちが黙ってないハズでしょ?」
ボス 「そこだジーパン。いい質問だ。ヒントは資料のその先にちゃんと書いてある。さっさと読み進めてくれ!」
袈裟ジーパン 「へいボス。了解!

放射能テロリストの清水容疑者が慶應義塾の評議員選挙に立候補できた
のは、同塾の理事会委員たちから推薦があったからである。慶應義塾に
おいては「評議員会」が最高意思決定機関、理事長および理事会が執行部
という位置づけになっている。国政にたとえれば、慶應義塾の評議員会は
“国会”、理事会は“内閣”と考えてよい。いわば内閣の大臣たちが、
次期国会議員選挙の候補者に、テロリストを推薦したようなものである。

袈裟ジーパン 「うわぁ……エグいっすねえ。清水容疑者だけの問題じゃなくて、ケーオー義塾の上層部にはびこる組織ぐるみの犯罪ってことですか。ぜんぜんオーケーじゃねえな。オーケーの正反対だわ、やっぱケーオーだな。しかもタオル投げ込んでTKO。もう戦いようがないボロボロの試合だわ……」
ボス 「おう! ガタガタ言ってないで読み進めろ!」
袈裟ジーパン 「イェスサー! ボス!

慶應義塾の理事たちが何故、放射能テロリストを次期評議員候補として推薦したか?
理事たちの不可解な行動の背景には、理事会のメンバーの多くが、原子力マフィアに
自ら関与してきた、という事情がある。現在、慶應義塾の理事会は、塾長の清家篤の
下に、常任理事9名、他の理事24名という構成になっている。後者の24名の理事は、
半数が慶應大学各学部長など現職の学内者であり、残りの半数が慶大出身の学外者
である。清家塾長と常任理事および学外者理事が原子力マフィアに関与している。
以下に、原子力マフィアに関与していると思しき主な人物についての調査結果の
概略を述べる。

……うわっ。ここから先、調査報告が長々と続いてますぜ。ボス、端折っちゃいましょうか?」
ボス 「ダメ! ぜんぶ丁寧に読めよ、オマエも公務員なんだからさ!」
袈裟ジーパン 「へいへい了解、ボス!

まず慶應義塾の塾長で、2009年以来、慶應大学の学長でもある清家篤だが、
この人物は、原発再稼働を強硬に唱えながら政府の経済政策に感化を及ぼし
てきた。カナダの由緒ある日刊紙『ラ・プレス』が東日本大震災から半年後
に掲載した「日本:目前に迫る新たなエネルギー危機」(2011年9月26日付、
)という記事には、清家篤塾長のつぎのような発言
が紹介されている――
「国内では人口も消費も減少の一途を辿っているのだから、〔福島原発事故によって〕
今回あらたに起きた電力危機のせいで日本が誇りにしてきた大手メーカー各社の海外流出
に拍車がかかる恐れがでてきた。「これは国外流出を正当化する絶好の言い訳になる」と
言うのは清家篤教授だ。慶應義塾の大学長で、東日本大震災復興構想会議の委員も務める
この人物は、(原発災害当時の民主党)政府が決めた脱原発への方向転換を、馬鹿げた
慌て者の決め事である、と言い放った。「ドイツが(原発撤廃を)決めたんだから日本も
できる、と言ってるけれど、そんなのは大嘘だ。ドイツは今後も近隣諸国、とりわけ
フランスから電力を買い続けることができるだろうが、皮肉なことにその電力源は原子力
だからね。だが日本はそういうマネはできない。自給自足するしかないんだ」。清家教授
によれば、日本が原子力なしで何とかなると考えるのは全く非現実的なのだそうだ。
「原子力発電への依存率を減らすことは考えてもいいが、完全に撤廃するなんて考えられない」
と言うのだ。おまけにたとえ日本が原子力を撤廃しても、中国や韓国のような近隣諸国は
原発の運転を続けるのだから、その危険から解放されるわけでもない、と清家篤は付け加えた。」

……なんだケーオーって! 塾長からしてゴリゴリの原発推進派かよ。しかも韓国やら中国も原発推進だから日本で脱原発するのは無意味だなんて言ってますね。テメエの国の責任を外国におっかぶせてやがる。性根の腐った卑怯な奴ですねえ。」
ボス 「おう! こういうふうに、世間の強い奴におもねって学問をねじまげる奴を“曲学阿世の徒”って言うんだ。学者といえども油断はできねえぜ。警察官たるもの、油断は禁物だ。」
袈裟ジーパン 「塾長からしてこんな調子ですか。これじゃケーオー義塾じゃなくて、ケーオー未熟ですね(笑)」
ボス 「…だな(笑)。慶應って医学部なんかは私学の雄ってことで、いちばん入試の偏差値が高かったわけだが、塾長からしてこんな偏屈な奴なんだから、癌なんかになって慶應病院に入院したら大変なことになるかもな。世間的には“名医”だけど実は何かのカルト信者で、そんな奴が主治医になって患者はみすみす殺されるかもしれないぜ。」
袈裟ジーパン 「ボス! それに30年早く気づいていたら、あなたの人生は大きく変わったかもしれませんよ。」
ボス 「な~に意味深長なこと言ってんだよ。無駄口たたいてないで、調査報告を読み進めろ。」
袈裟ジーパン 「ヘイヘイ。了解です、ボス!

慶應義塾の常任理事である清水雅彦は、同大の経済学部教授で産業研究所所長
でもあるが、核燃料サイクル開発機構の「高速炉・燃料サイクル課題評価委員会」
メンバーとして活動してきた。同じく常任理事の國領二郎は、経営情報システムの
専門家で総合政策学部の教授であるが、電力会社や電気メーカーが結集した「次世代
電子商取引推進協議会」の特別会員である。同じく常任理事で薬学部教授の増野匡彦
は、中国や近隣諸国からの輸入冷凍食品に含まれる人工および自然放射性核種の測定
を行なってきたが、国産食品の放射能汚染に関しては見て見ぬふりをしている。

……理事たちも原子力については、原子力マフィアの業界などと危うい関係にあるということですか?」
ボス 「…だな。産業政策とか放射線とか、そういう方面のことを専門にやってれば、どうしてもマフィアとの接触は出てくるわけだが、問題はそこでどんな態度をとるか……ってことだ。警察だって刑事やってりゃ日常的にヤクザと接するわけだが、だからってヤクザになるわけでもないだろ。」
袈裟ジーパン 「……って本当ですか?(笑) 半分ヤクザの刑事だっているじゃないですか。……まあ、ここ三途の川原署は、俗世を離れた線香くさいデカの吹きだまりになってるから、ヤクザとつるむような俗っぽい刑事はいないでしょうけど(笑)」
ボス 「この野郎、無駄口たたいてないで読みすすめろ。掛け合い漫才やってんじゃねえんだぞ!」
袈裟ジーパン 「ハイな了解、ボス!

慶應義塾理事会の理事に関しても、学外者の理事には、東京電力と
ひとかたならぬ関係をもつ者が少なからずいる。まず理事の勝俣宣夫
であるが、彼は「産業界の勝俣三兄弟」の一人である。兄弟の勝俣孝雄
は新日鉄の副社長、勝俣恒久は東京電力の会長に他ならない。同じく
理事の菊池廣之は極東証券(株)の代表取締役会長であるが、極東証券は
三井グループと親密な企業であり、同じ三井グループを通じて東京電力とも
浅からぬ関係がある。すなわち極東証券は1990年10月に三井グループ主要
各社の資本協力を得て資本増強を行なった事があり、それ以前にも主力銀行
の三井住友銀行(旧三井銀行)と業務提携を締結していた。一方、東京電力
も、三井住友銀行が旧三井銀行の時代から融資団(旧興銀・旧三菱銀ほか)
の主要メンバーである。さて小林陽太郎であるが、彼は慶應義塾の理事である
のみならず、経済同友会の終身幹事(元代表幹事)で、財団法人朝日新聞
文化財団の理事なども務めている。この経済同友会については、東京電力
がらみで注目すべき事件が起きたことがある。2002年9月3日、当時の東電の
社長だった南直哉が、経済同友会の副代表幹事を辞任した。理由は1999年
9月14日に発覚した関西電力の、高浜原子力発電所三号炉に使用予定だった
英国製ウラン・プルトニウム混合燃料(MOX燃料)ペレットの寸法データの
改ざん事件と、同月30日に起きた東海村JCO核燃料加工工場での臨界事故である。
いわゆる「バケツ臨界事件」として知られる後者の事故は、バケツに入れて作業
していたウラン溶液が目の前で臨界を起こして大量の中性子が発生し、それを
じかに浴びた作業員は2名が死亡、1名が重症となっり、被曝者は667名に及んだ。
原子力業界で相次いでおきた極めて悪質なこれらの事件は、経済同友会の重要
ポストにいた南直哉・東電社長の面目をすっかりつぶしてしまい、彼は急きょ、
同友会の副代表幹事を辞任するはめになったのである。この不祥事について、
南直哉は当時つぎのように発言していた――「原子力はすべてつながっている以上、
法的な責任は別として道義的な責任は電力会社にもある。私自身もJCO、そんな
企業があったか、という認識だった。臨界事故が起こるような重要プロセスを
任せていたというのにうかつだった。原子力への不信感が強まっていることを含め、
その責任は電力会社にある」、「JCOの臨界事故、MOX燃料データ改ざんは、原子力
に対する国民の不信感を増幅した。原子力産業全体の安全に取り組む」。
小林陽太郎は同友会幹事として、南副代表幹事の辞任を苦々しい思いで発表し、
記者たちの質問に応対したのである。それから9年後に福島原発の火災爆発が起き、
東電・清水社長のずさんな経営が露呈したわけだが、母校である慶應義塾の理事で
ありながら、その清水正孝が評議員で居続けることを黙認してきたのである。
慶應義塾の理事でありながら、清水の評議員留任を認めてきたという意味では、
佐治信忠も同様の責任があるだろう。佐治はサントリーホールディングス代表取締役
社長で、関西公共広告機構に起源をもつ公益社団法人ACジャパン(2009年の改称前は
「公共広告機構」)の理事長でもあるが、福島原発災害のあおりで東京電力が2012年
4月から電気料金を値上げすることを決めた時は、「東電にも事情はあると思うが、
あれだけの事故を起こして、当たり前の顔をして値上げしますというのは遺憾。
自らのコスト削減努力など、説明責任が欠如している」と苦情を公言したのである。
ところがその東電の社長が、佐治の母校でもある慶應義塾の評議員で居座り続けて
いるのに、それは黙認している。けっきょく佐治信忠の関心は電気料金の値上げで
自社の経営に迷惑がおよぶという、利己的なものにとどまっていたのである。

……いやあ、実にロクでもない理事ばかりですねえ。やっぱりノックダウンのKO大学だわ(笑)」
ボス 「おう! 今回は稀代の放射能テロリストを、慶應義塾の幹部たちがグルになって庇護(ひご)しているってことだ。」
袈裟ジーパン 「そこまでは了解しましたが、なんで警視庁心霊セクションのウチらに、この捜査が回ってきたんです?」
ボス 「それなんだけどさ。ゴリに慶應大学の念写をさせたら、トンデモない未来が写ったんだよ。この写真、見てみい。」


ゴリさんが念写した慶大日吉キャンパス。中央道路のむこうに原発が立ち並んでいる。

袈裟ジーパン 「なんじゃ!これは!! こ、これはケーオー大学日吉キャンパスですね。中央道路の有名な銀杏並木だ。……むこうに見えるのは……ゲゲゲっ、原発じゃねえか!」
ボス 「道路にも横断幕がかかってるだろ。福島の原発銀座みたいに……」
袈裟ジーパン 「あっホントだ! “原子力、正しい理解でゆたかな暮らし”って書いてある。ダっせえ(笑)。しかも大嘘じゃねえか(笑) ……ボス! これが慶應大学の未来の姿なのですか?」
ボス 「…だな。ゴリの念写って当たるからな。摩訶浪人がウチに赴任してきたときも、ゴリはさっそくあいつが殉職した殺害現場を念写してたほどだから。」
袈裟ジーパン 「なんじゃ!それは!! ……ということは、俺たちが殉職するかどうかも、ゴリさんは念写で死亡現場を写してあらかじめ知ってるってことですか?」
ボス 「それは企業秘密だから言えない。大体そんなこと知ったら、おめえの士気が下がるだろ。」
袈裟ジーパン 「なんじゃそりゃ? イヤなこと言いますね。まるで俺たちテレビドラマの『太陽にほえろ』みたいじゃないっすか。」
ボス 「雑談はともかく……としてだ。慶應に巣くう原発マフィアを放置していたら、とんでもないことになるってわけだ。」
袈裟ジーパン 「そんなこと、霊界の福沢諭吉さんが知ったら草場の陰で号泣するでしょうね。」
ボス 「…だな。実際、ゴリが三田キャンパスで強烈な霊感を感じて“幻の門”のまえで念写したら、この大学の情けない未来が写ってしまった。……それがこの写真だ。」


慶大三田キャンパスの「幻の門」。ゴリさんの念写によれば、近未来には三田キャンパスが核廃棄物貯蔵所に成り果て、門前に「放射能危険!立ち入り禁止」の標識が掲げられることになるらしい。なおゴリさんはこの念写の最中に、悔し泣きする福沢爺の思念を感じていたという。

袈裟ジーパン 「これは凄いですねえ。三田キャンパスも将来はこんなみっとない姿になっちゃうのか……。福沢諭吉の怨霊も出てますねえ。」
ボス 「そりゃ出るわな。せっかくの慶應義塾が、不心得者たちによって核汚染の墓場になるとすれば、極楽往生なんてしてられないもんな。」

ゴリさん 「ただいま帰りました。ボス、とんでもない写真が撮れましたよ!」
ボス 「おう、ごくろう! …で、今度は何が撮れた。」
ゴリさん 「昨晩から強烈な霊感を感じてまして。
日の出前に、吸い寄せられるように三田の慶應大学に向かいました。で、東館のまえで手が勝手に動いてどんどんシャッターを切っていくんです。」
ボス 「死霊に憑依されていたんだな。」
ゴリさん 「そのときは意識が飛んでいて……。で、気がついたらこんな写真が撮れていました……」


慶應義塾大学東館の正面に刻まれているラテン語で書かれた福沢諭吉の格言。「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」という意味。


ゴリさんが霊的憑依状態で撮った東館の写真。壁面から血が噴き出していて、福沢の格言が真っ赤になって浮き出ていた。ラテン語で「地獄は地獄を呼ぶ(ABYSSUS ABYSSUM INVOCAT)」と書かれていた。

ボス 「うわっ! 禍々(まがまが)しいな。なんだこれは?_」
ゴリさん 「上の写真は最初に撮ったものです。ふだんの状態はこれです。横文字が刻んでありますが、これラテン語で『天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず』っていう意味です。」
ボス 「おう! 福沢諭吉の有名な格言だろ。……で、下の写真は?」
ゴリさん 「わたしが憑依状態で撮ったものです。赤いシミは血痕だと思います。ふだんと違う文字が浮き出ています。怒張……といった感じです、」
ボス 「で、こっちの横文字はどういう意味だ?」
ゴリさん 「ラテン語で『地獄は地獄を呼ぶ』という意味だそうです。」
ボス 「どういうことだ?」
ゴリさん 「ふつうは道徳的な“たとえ”として語られる警句です。いったん悪の道に踏み出したら、どんどん悪に深入りしていく、という意味でしょう。」
ボス 「麻薬中毒みたいだな。」
袈裟ジーパン 「マフィアの人づきあいも“地獄は地獄を呼ぶ”の類でしょう、」
ボス 「おうジーパン。オメエ、若いくせに知ったようなことを言うじゃないか。」
ゴリさん 「でもこの格言を文字どおりに読めば、慶應大学は悪の道に踏み出したら地獄まっしぐら……ってことですな。」
ボス 「恐ろしい話じゃ……」
ゴリさん 「くわばらくわばら……」
袈裟ジーパン 「オレら警察がどうこうする……って次元を超えてますよね。慶應義塾はこれを自分で始末できなきゃ地獄行きってわけだから。」
ボス 「……だな。」

(屁世滑稽新聞は無断引用・転載を大歓迎します。
ただし《屁世滑稽新聞(http://www.rokusaisha.com/wp/?p=4853)から引用》と明記して下さい。
この記事で言及された「調査報告」の内容については事実ですが、三途の川原署の
刑事たちの会話は、屁世滑稽新聞記者がトランス状態で受信したものです。)

 

《大学異論10》公安警察と密着する不埒な大学職員だった私

大学生が「学生運動」に大挙して参加した時代は遠い昔だが、私の勤務していた大学には社会問題を研究するサークルがあり、そのサークルの周辺には学外での社会運動に参加する学生が常時何名か在学していた。特定のセクトに所属するわけでもなく、さして目立った行動もしないが、世の中自身がおとなしすぎるので、集会やデモに参加しただけで、公安警察は要注意学生としてマークするターゲットを必ず視野に入れていた。

私をよく訪れるようになっていた所轄の公安警察のQさんは、一見おとなしい田舎のオッチャン風で薄暗い雰囲気はどこにも漂わせていなかった。彼には私を訪問する際には必ず電話でアポを取ってから来ること、学内をうろつかず私の事務室にだけ来るようにと強く要請していた。当時私が公安警察と連絡を取っていることを知っている同僚は極わずかであったし、大学敷地内に警察を入れる行為は「大学の自治」の原則に反する行為だったからだ。

◆公安警察恐るべし!

彼は訪問の際必ず明確な目標を持ってやってくる。

「田所さん、来週東京で大きな集会があるんですわ。たぶんA君が参加すると見とるんですがどうでしょう?」
「A君とは昨日も話しましたがそんは話はしてませんでしたよ」
「ほぼまちがいないんですわ」
「でも、学生が集会に参加することは自由ですし大学としては止めることは出来ませんよ」
「いえいえ、そんなことまではお願いしません。で、A君が学割を申請してないかどうか調べてもらえませんでしょうか」
「ああ、それなら調べますけど、学割は私の部署では発行しないのでちょっと時間かかりますよ」
「すんません、いつもお手を煩わせて」
「では、分かり次第電話します。ところでその集会はどんな内容の集会なんですか?」
「これがですね、過激派の○○派が裏で操ってる可能性が高いんですわ。作家の○○とか、歌手の〇〇も出よるんですけど、全国動員かけとるようなんですわ」
「そうなんですか。○○派ってまだあったんですか?」
「ええ、○○派は・・・・」

と○○派について公安がどう見ているかのレクチャーが始まる。○○派については私なりに知識を持っていたのだが、敢えて何も知らない素振りで質問するのがポイントだ。質問を重ねるとかなり踏み込んだ情報を語ってくれる。Qさんが帰ると私はすぐにA君に電話を入れ私のところに来るように告げる。

「来週東京で集会あるんやて?」
「そうそう、××反対の全国集会が日比谷であるよ」
「行くの?」
「そのつもりB君と一緒に」
「今日公安来たわ。君が行くかどうか聞きに」
「で、なんて答えたの?」
「知らないから、知らんと言っといたがな」
「ふーん」
「まあ、ええわ。とにかく下宿見張られてるから気いつけや、それからB君はまだ公安には割れてないようだから注意事項をちゃんと教えてやっとくんやで」
「はーい、わかりました。サンキュー」

といった具合で要注意ターゲットにされた学生には、公安の動向をすべて教えていた。犯罪行為の嫌疑があるなら別だが集会参加するのは自由だし、不当に日常生活を見張られる学生がいれば、公安の情報を教えてやるのは私の義務ですらある、と考えていた(公安にばれたらこっぴどい仕返しをされたろうが、退職後もそのようなことは幸いない)。

翌日Qさんに電話を入れる。

「昨日はご苦労様でした、A君の件ですけどね、学割は申請してないですね」
「え!そうですか・・おかしいなー。行くのは確実やと思うんですけどね」
「学割申請してないことだけはわかりました。ほかに何かお手伝いできますか?」
「実は今朝になってわかったんですが、B君という学生さん、これも行きそうなんですわ」
「B君・・顔と名前が一致しないなー。何回生ですか?」
「1回生ですわ。これA君が誘っとるんです」
「B君の学割を調べろと・・・?」
「すんません、度々お願い出来ますやろか?」
「わかりました。夕方また電話します」

公安警察恐るべしである。数日の間にA君がB君を誘ったことを察知しているわけだ。
でも、実はからくりは簡単。A君の下宿電話は常に盗聴されているのだ。私がA君に電話で公安の話をせず、事務室に呼び出したのは盗聴されていることを知っていたからであり、B君に対して「注意事項を教えておくように」と言ったことの中身には下宿電話の盗聴のことも含まれている。

再びA君を事務室に呼んだ。
たまたまB君も学内にいたから二人で来てもらった。

「B君のこともう公安知っとったで」
「うっかりなんだ。Bが俺に電話かけてきて、注意する前に集会の話し始めたから、それが原因じゃないかな」
「たぶんそうだろうよ、B君!今の日本はな、君らみたいに学生が集会行くだけで公安警察が電話を盗聴する国なんや(当時は盗聴法成立前であるから警察といえども盗聴は立派な犯罪行為だ)、だから何も法律違反していなくてもちょっとしたことで捕まるし、盗聴もされる。君の下宿の電話も今日からは盗聴されていると覚悟しときや」
「そんなん法律違反やんか!」
「そうや、でもそれが現実だからしゃーない。その代り私は出来るだけ公安から情報引っ張って君らに教える。公安には絶対肝心な情報は流さない。これまでもそうやって来たからA君は何でもしゃべってくれるんや。まあ初体面で信用しろという方が無理やけどな」

初体面のB君は釈然としない表情でA君に促されて事務室を出ていく。それはそうだろう。大学に入ってまだ間もない学生が下宿の電話を盗聴される、さらにそれを大学の職員から聞かされる。いったい何がどうなっているのか頭が混乱するのも無理もない。

QさんにはまたしてもB君の学割申請はなかったと伝える。

実際この時はA君もB君も学割の申請はしていなかった。公安警察は捜査において盗聴など手段を選ばない怖い組織であると同時に、学生の動向を学割の申請があるかないかで探ろうとするといった幼児性を併せ持つ不思議な団体だ。関西から東京への移動方法はJRに限ったことではなく、夜行バスもあれば、知人の車に同乗させてもらうことだってあるだろう。勿論Qさんが学割の申請状況を尋ねてきたのは、公安としてもひょっとして情報が掴めれば、程度の期待値だったのかもしれないが、その後彼が開陳してくれた○○派についての情報には所々に間違いがあった。

このように一方的に袖にしていてはQさんも点数が稼げない。私から公安への一番のプレゼントは学生が警察官採用試験を受験した時だ。数にすればそう多くの受験者がいるわけではないが、毎年何人かは警察官採用試験の受験者がおり、その都度Qさんが電話をかけてくる。

「またいつもの件ですねんけど、今度は島根県警ですねん。名前は◎×□君です。よろしゅうお願いします」
「はい、わかりました。30分後に」

◆学生の身辺調査に協力せざるをえない大学職員

警察官採用試験の際、受験学生の身元は徹底的に洗われる。Qさんが当時私に示したチェック項目は、1.親の職業、2.所属クラブ、サークルなど学生生活の様子、3.親戚、身内に共産党員や社会党員がいないか(右派は許容、左派はダメ)などだった。1は入学時に提出させる身上カードを見ればわかるし、2は在学中の行動はサークル、クラブなどに属していれば掴める。3はその学生と私がよほど親しいか、あるいは本人に聞かない限りわからないから、Qさんとしても「もしわかったら」という程度の要請だった。

ざっと調べてQさんに報告だ。
「調べましたよ。お父さんは自営業ですね。職種は販売関係です。サークルに入ってました。体育会系ですわ。「赤」はたぶんいないんじゃないかなー。保守的な田舎が実家ですからね」
「はいはい。ありがとうございます。助かりましたわ。またよろしゅうお願いします」

といった塩梅だ。私はQさんにおおよその情報は伝える。警察官志望の学生だから問題学生であることはまずないので嘘をつく必要もほとんどなかった。これだけの情報でもQさんとしては点数稼ぎになるのだと言っていた。

まだ携帯電話が普及していない時代だったので固定電話の盗聴は技術的には簡単だった(私でも固定電話の盗聴ならちょっとした道具がそろえば出来る)。「個人情報保護法」といった面倒臭い法律もなかったから公安も平気で身辺情報の質問を投げかけて来たし、私も学生に不利にならない範囲で情報提供が可能だった(道義や倫理の問題は度外視して)。

今私が同じ職場にとどまっていたら公安とのやり取りはどんな具合になっていただろうか。おそらく法律や技術が変化しても公安警察の行動原則は変わっていないと思う。

(田所敏夫)

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