「カウンター大学院生リンチ事件」(別称「しばき隊リンチ事件」)から10年 ── あらためてその〈意味〉と〈責任〉を問う(中) 鹿砦社代表 松岡利康

去る12月17日、標記事件から10年が経った。この日、私はリンチ被害者М君に仕事が終わった頃を見計らって電話した。М君は、やむなく研究者生活を離れ今は給与生活者を送っている。電話越しの声は元気そうだったが、彼の10年を想起すると胸が詰まる。

李信恵ら加害者、仲間、つながる者、蠢いた「知識人」と呼ばれる者(特に岸政彦〔当時李信恵さんの裁判を支援する会事務局長にして龍谷大学教授、現在京都大学教授〕、中沢けい〔作家〕、安田浩一〔ジャーナリスト〕、有田芳生〔国会議員〕、師岡康子〔弁護士〕、香山リカ〔医師〕)らは一体このリンチ事件を血の通った人間としてどう思っているのだろうか──あらためて問い質したい。

◆この国の社会運動から暴力はなくなっていなかった!

この事件を初めて知った時の第一印象は、時代が逆戻りしているかの錯覚に陥ったことだ。かつて戦後民主主義の揺籃期には連合赤軍事件を筆頭として社会運動内部における暴力事件は数知れずあった。当時の人気作家・高橋和巳は『内ゲバの論理はこえられるか』に代表されるように、その運動内部の暴力に対して積極的にコミットし、実際に解決に向けて動いた(が、彼の志に反し内ゲバは激化し100人を優に越す死者を出した)。

しかし、1972年初頭の連合赤軍リンチ殺人事件を頂点として、内ゲバ(内部暴力)に対する嫌悪が、この社会に浸透し、内ゲバもいつしかなくなっていったように思える。

そこには運動内部とこの担い手、また社会全体がそうした暴力を忌避する良識的な動きがあったことは私の体験としても理解してきたつもりである。

だから、このリンチ事件を知った時、その凶暴性、これから来る悲惨さ、残酷さを思い知り、絶望感に苛まれた。

この民主主義社会にいまだにこんな事件があったのか、そしてこの中心的人物=李信恵は、この国の「反差別」運動の象徴として、つとに知られる人物だ。現今のこの国の社会運動、長い歴史を持つ「反差別」運動は一体どうなっているのか、疑問に感じられた。連合赤軍事件、内ゲバ、部落解放運動などにおける暴力的展開、この帰結と反省によって、社会運動から暴力を排除してきたはずではなかったのか?

個人的ながら、私は大学に入ってからそうした事件を直接的、間接的に見聞きしてきた。特に部落解放運動にあって、私と一緒に自治会運動に関わり、いろいろ指導してくれた先輩が、卒業後教師になり、赴任した高校(兵庫県八鹿高校)で社会的に大きな話題となった事件に巻き込まれ激しいリンチを受けたことを知った時には大きなショックを受けた。いつかネットで凄絶な暴行を受けている場面(裁判資料)を見た時のショックは言葉にならない。こういうことも、かつては表立っては言えなかった。

民主主義社会を自認する、この国の社会運動から暴力はなくなっていなかったのか──。

◆人はかくも凶暴になれるのか ── 加害者らの暴力的体質

本件大学院生リンチ事件の加害者側5人、特に金良平(通称エル金)、李信恵、伊藤大介らの凶暴性には驚く以外になかった。李信恵など、前記したように、この国の「反差別」運動の象徴的人物としてつとに知られ、その人物が関わり、リンチの最中にも平然とワインを飲み、これをツイッターで発信するという神経が私には理解できない。危うく、この国の「反差別」運動が崩壊しかねない事態だったことの自覚はあったのか、あるいは加害者側の周辺の者らもそうだ。

リンチ直後の被害者M君の顔写真。これを見て何も感じない者は人間ではない!
リンチ直後の被害者M君の顔写真。これを見て何も感じない者は人間ではない!

だから、真摯に反省することなく、逆に開き直り隠蔽に走ることになったのだろう。事件の隠蔽は1年余り成功したが、こういうことはいつかは明るみに出るものである。

われわれはこの事件に一人の人間として関わることを決意し、できうる限りの調査と取材に動いた。前回私を「デマゴギスト」呼ばわりする者のことを書いたが、そう呼ばれないようにわれわれは動いたのだ。そこで多くのことがわかり、6冊の出版物にまとめ世に問うた。この際、表に出さなかったディープな情報も少なからずある。「反差別」「人権」を謳う運動にしては、到底目を向けられないことも多かった。いわゆる「プライバシー」とやらに配慮し、あえて表にしなかったことも少なからずあった。

今、思うと、無慈悲に長時間も大学院生(当時)М君に対し凄惨なリンチを加え、挙句救急車もタクシーも呼ばず放置して去った者らに配慮する必要があったのか? М君は本件で人生を狂わされ、いまだにリンチのPTSDに苦しんでいることを想起すれば、そうした徒輩に対して配慮する必要などなかったと、一種反省さえしている。変に配慮したことで、非人間的な徒輩を生き長らえさせてしまったのではないか──。とはいえ、それらをここで暴露するかどうかは今は保留する。
 
昨年(2024年)はじめ、くだんのリンチ事件の主たる暴行実行犯の金良平が、みずからの犯歴を暴露されたとして鹿砦社と作家・森奈津子を提訴した。「М君にあれほどの激しい暴行を加え人生を狂わせた男が何を言ってんだ?」──このことで私は、М君リンチ事件の悪夢を思い出し、ちょうど10年になることもあり、いろいろ思慮せざるをえなかった。

一昨年来、金良平と森はX上で応酬し、金良平の瞬間湯沸かし器的な性格から、М君へのリンチのようなことをやりかねないことを強く懸念し刑事事件の略式命令書のコピーを森に送った。すでに公知の事実であり、森はこれをXにアップし金良平の脅しも止んだ。

この提訴に触発されて、最近の金良平の言動をつぶさに見聞きし、また提出された金良平の準備書面を見るに、あれだけの残忍な集団リンチ事件(金良平らは「リンチ」という言葉が嫌いなようなので、暴行傷害事件でも表現はなんでもいいが)を起こし、その中心になって被害者の大学院生(当時)М君に激しい暴力を行使しながらなんら反省せず開き直っているのを見て怒りを禁じえなかった。本件リンチに関わった他4人よりも遙かに凶暴な金良平の暴力性の源はどこにあるのか? 幼少期から差別され虐げられてきたことにあるのか? しかし、差別され虐げられた人たちは多くいて、ほとんどはまともな生活者として、この社会で生きている。

金良平が、みずからが中心的な暴行実行犯として関わった集団リンチ事件に対する刑事、民事訴訟の判決共に被害者にとっては、受けた肉体的、精神的被害に比して賠償額も低く、裁判所は被害者М君の言い分の肝要な部分は認めず、決して満足のいく内容ではなかった。だからといって、「リンチはなかった」のではなく現実にあったのだ。このことは、偏頗な判決を下した裁判所さえも認定しており、だから金額や内容に不満はあってリンチがあったことは厳とした事実なのだ。いい加減なことを言わないでいただきたい。

なかでも金良平については、リンチ被害者М君が金良平らを訴えた民事訴訟では、一審大阪地方裁判所は金良平に、リンチに連座した伊藤大介と共に79万9749円の賠償を命じたが、これが控訴審大阪高騰裁判所では金良平単独で113万7640円に跳ね上がった。これこそ金良平の暴力性、凶暴性を裁判所が認定した一端といえるだろう。

もっとも、普通の一般人の感覚から、リンチ直後の被害者の顔写真を見、リンチの最中の音声データを聴いて、どう感じるのだろうか。実際に私は100人以上に直接、その写真を見せ音声を聴いてもらい感想を聞いたが全員がリンチがあったと考えざるを得ないと述べた。今、この記事を読んでいる読者一人ひとりも、普通の一般人の感覚から見て、酷いと思わないだろうか? 思わないのであれば、あなたは人間ではない。

「リンチはなかった」というのは歴史を偽造するもので、「街角の小さな喧嘩」(金良平訴状)などというのは被害者の人格を矮小化するものと言わざるを得ない。いやしくも「人権」や「反差別」を標榜する加害者らが使う言葉ではない。特に金良平よ、あなたは、まずみずからの拳を眺めよ! これで数十発М君を殴り、金利含め130万円ほどの賠償金を支払ったのだが、おそらくお金を集めるのにかなり苦労したのではないだろうか? 支払いは遅れた。この時、もう暴力は振るわないことをみずからの良心に誓わなかったのか? 誓わなかったのなら、あなたには人間としての良心はない。はっきり答えよ。

◆主たるリンチ実行犯=金良平はなぜ転落したのか?

同じく準備書面によれば、金良平は関東に居を移し「新たな生活を形成している」そうだ。それがどうしたというのか!? 金良平に半殺しの目に遭わされた被害者М君は人生を狂わせられ、М君が思い描いた人生とは違った「新たな生活を形成している」のだ。判っているのか?

金良平が、過去の犯歴を明らかにされたのが違法だとかどうかを言う前に、今からでも被害者М君に土下座し謝るべきだ。いったんは「謝罪文」を渡しながら、これを反故にし、さらに仲間らに村八分運動(「エル金は友達」運動)をさせたりして、被害者を精神的に苦しめたことを今どう思っているのか?

私がこのことにこだわるのには理由がある。

私(たち)はリンチ被害者М君に対する集団リンチの事実を知り、とりわけリンチ直後の顔写真を見、リンチの最中の音声データを聴き、近年にない強い衝撃を受け、他の資料も一読し、М君本人からも直接話を聞き、これらには信憑性があり、直ちに被害者支援、真相究明の行動に移った。それまで好調だった会社の業績をも後回しして、この件に費用をかけ、集中して動いた。何としても孤立し苦悩している青年、研究者の卵に、できる限りの支援をし救済しないといけないと咄嗟に思った。

当初、金良平や李信恵らが真摯に反省し、いったんは反故にした「謝罪文」を元に戻し再び謝罪し賠償金も支払い公的な和解へ至るのであれば、「反差別」「人権」を標榜する社会運動にとっても有益だと考え、われわれも前向きな解決に汗を流し、さほど時間もかからず解決するものとばかり予想していた。甘かった。金良平ら加害者らは開き直り、約束した活動自粛も反故にし、逆に他の仲間と共に被害者М君を村八分にし、執拗にネット・リンチを続けた。

金良平ら加害者、そして彼らに連携する者たちにとっての「人権」「反差別」とは一体何なのか? 疑問が湧いてきた。

私は五十年余り前、当時の多くの若者がそうであったようにノンセクトの学生運動に関わったので、そうした運動に関わる者なら、過ちは過ちとして素直に認め、昔の言葉でいえば「自己批判」するだろうと思っていた。過去の反省から、当時よりも運動のやり方は改善されてきたはずだから。

それまで被害者М君とは一面識もなく、ましてや利害関係もなかった。社会正義上、これはきちんとしないといけないと思った。私(たち)の世代は、連合赤軍事件を知っているし、いわゆる「内ゲバ」の陰惨さも知っている。どれもМ君に対するリンチ(私刑)と、程度の差はあれ本質的に同じだ。社会運動内部では、それなりに反省したはずだった。しかし、いまだにかつての轍を踏んでいる。縁あって持ち込まれた相談事、困っている若者を見て放ってはおけない損な性分、後先考えず被害者支援に動くことにした。

われわれは「特別取材班」を作り、大手マスコミには到底及ばないが、一定のヒトとカネを使い、被害者支援、その裁判での主張を裏付けるための調査・取材を始めた。

M君の研究者らしい几帳面な性格で資料は数多く整理されていた。加害者の中で、夜な夜な飲み歩き(事件当日も「5件のお店まで日本酒に換算して1升近く飲んでいた」との本人の弁)、異性関係も放縦、一方で在日差別と闘っているヒーローとしてマスメディアに持て囃され、多くの行政、教育関係、果ては弁護士会など各方面に赴いて講演で稼いでいる。準公人ともいえる人物の言動は多くの人々の注目を浴び、リンチもそうだが、そうした問題行動は社会的にも明らかにし叱責されるべきだとわれわれは考えた。しかし、М君の裁判支援に注力することを優先しその他の問題行動の追及は断念した次第だ。

同様にリンチの主要実行犯・金良平についての情報もかなり集まったが、やはり最低限以上のこと以外は、衝撃的な事実も多くあったにもかかわらず、あえて秘匿してきた。

しかし、今それが正しかったのかどうか疑問に思うようになった。ダイナマイト級の情報もあるが、この記事でも、あえて保留しておき、時機を見て放出することも念頭に置いておく。М君が人生を狂わせられた一方で、李信恵は講演三昧。世の中にこんな不条理があってもいいのだろうか、と考えるからである。

金良平は、М君に対し暴虐の限りを尽くしておいて、いまだに反省もせず開き直っていることに怒りを感じる。金良平の激しい暴力で、何度も言うが、М君は人生を狂わされ、いまだにリンチに対するPTSDに苦しめられているというのに──。


今回、提訴しながら現住所も仕事や具体的生活内容も明らかにせず(メディアでよく使われる「住所不定無職」か?)、みずからが中心になって行ったリンチなどなかったかのような言説を目にし、さすがの私も堪忍袋の緒が切れた。

さて、われわれがМ君を支援することになり、М君は李信恵、金良平、伊藤大介ら5人に対して損害賠償を求め大阪地方裁判所に民事訴訟を起こした。

まずは他の4人同様金良平にも謝罪文に記された住所に訴状が送達されたのだが戻ってきた。驚いた取材班は、その住所に行ったが、すでに引っ越した後だった。そこで金良平の代理人(その後代理人に就く神原元弁護士とは別の弁護士)も困り、修正して最終的には届いたようだが、姑息なことをするものだ。

ところが、その後、訴訟の本人調書に記載した住所に行ってみると、そこは、なんと駐車場だった。法廷で宣誓したにもかかわらず虚偽の住所を記載したことになる。あらためて当時が想起され怒りが戻ってきた。М君は尚更だろう。

さらにそれ以前の金良平の生活実態も調査した。М君への謝罪文に記された住所の前は「О寮」という大阪市の外郭団体による救護・厚生施設に住んでいた。ここは謝罪文に記載された住所の近くに在ったが、今はない。

さらにそれ以前に諸事情があったのか、もっと深刻なことも判ったが、これもここでは記述しない。その団体の更生プログラムに従って金良平なりに頑張っていたようで、「勉強したいので、いろいろ教えてください」と相談を受けたと証言する人もいた。

そこで取材班は、この謝罪文に記載されたHマンションを直接訪問し、そこにいた管理人に話を聞くことができた。

ここに住みはじめてしばらくした2013年頃から(リンチ事件の前年頃。反差別運動に関わり出した時期と一致する)深夜の帰宅が多くなり、他の住民から苦情が出ていたそうだ。そこからしばらくして「新しく仕事が見つかった」などと言って更生プログラムの職業訓練にも行かなくなっていたという話も聞けた(おそらく可愛がってもらい、リンチ事件に連座した伊藤大介から経済的援助を受けるようになったのがこの頃だろう)。

ちなみに伊藤は、M君が提訴した民事訴訟の控訴審で逆転勝訴し免責されたが、その後、深夜に、あるネトウヨ活動家を呼び出し暴行傷害事件を起こし有罪判決を受けている。集団リンチ事件についての反省がないことの証左だろう。奇しくも鹿砦社と李信恵の訴訟の尋問後のことである。

M君リンチ事件直前、酔っておどける加害者の面々。左から李信恵、金良平、伊藤大介

これらの話を総合すれば、質が良くない「反差別」運動(誤解ないように申し述べておくと、反差別運動自体を否定しているのではなく、友人、知人らもこれに関わっている者が多数いる。要は、悪質な反差別運動を指弾しているのだ)に関わって、立ち直る努力を放棄した過去があること、これらの悪質な「反差別」運動に今も関与し現場でニラミを利かしていること、昼夜を問わず頻繁にSNSに時間を費やしていることなどから生活再建の努力などしていようはずもない、ということは言えるだろう。だから、われわれは、みずからの「新たな生活」の実態を具体的に明らかにせよと求めるものである。抽象的に言っていても始まらない。でないなら、「住所不定無職」の者がいくらみずからの「被害」を叫んでも身勝手というものだ。

われわれは、いたずらに金良平の前科を晒したのではなく、これはすでに〈公知の事実〉として流布しており、金良平の凶暴性と関東地方に移住しているが故に、24時間看護の障碍者の夫を持つ森奈津子の身の安全を危惧し、やむなく金良平の略式命令書を森に送り、森はこれを公開し、これ以上の森への攻撃を阻止したのだ。法律のあれこれよりも、生身の人間の身の安全が優先されることは言うまでもない。「事件」が起きてからでは遅いのだ。判例を教条主義的に突つくのではなく、人間の安全第一で思料されるべきである。(本文中、一部を除き敬称略)

※本稿は、2回で終わる予定でしたが、書くことが多く、もう1回続きます。次回は、一部を除きトンデモ判決を相次いで出した裁判所、被害者の苦しみを蔑ろにし偏頗に加害者らに加担したメディア、逃げたり加害者側を擁護したり開き直ったりした「知識人」らの責任を問う予定です。本稿についてのご意見、ご批判などをお寄せください。

(松岡利康)

◎「カウンター大学院生リンチ事件」(別称「しばき隊リンチ事件」)から10年 ── あらためてその〈意味〉と〈責任〉を問う

(上) http://www.rokusaisha.com/wp/?p=51771

(中)https://www.rokusaisha.com/wp/?p=52111

《関連過去記事カテゴリー》  M君リンチ事件 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=62

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鹿砦社 http://www.rokusaisha.com/kikan.php?bookid=000541

「押し紙」関連資料の閲覧制限、問われる弁護士の職業倫理、黒塗り書面は墓場へ持参しろ 黒薮哲哉

「押し紙」裁判を取材するなかで、わたしは裁判書面に目を通す機会に接してきた。弁護士から直接書面を入手したり、あるいは裁判所の閲覧室へ足を運んで、訴状や準備書面、それに判決などの閲覧を請求し、その内容を確認してきた。

しかし、最近は、新聞社が書面に閲覧制限をかけていることが多い。書面の一部が黒塗りになっているのだ。

「押し紙」についての新聞社の主張は、昔から一貫していて、「自分たちは販売店に対して新聞の押し売りをしたことは一度もなく、販売店で過剰になっている新聞は、販売店が自分の意思で注文したものだから、『押し紙』には該当しない」というものである。それはまた日本新聞協会の主張でもある。

新聞業界は、今だに「押し紙」は1部たりとも存在しないという事実とはかけ離れた主張を貫いているのだ。試みに読者は日本新聞協会に対して、「押し紙」について問い合わせてみるといい。誠意ある答えは返ってこない。答弁できなくなると、乱暴に電話を切るのがこれまでの対応である。

「押し紙」は1部も存在しないという新聞業界の主張が堂々とまかり通ってきた背景には、新聞社の弁護士たちの支援があるのは言うまでもない。とりわけ人権派の評価がある弁護士が代理人になっている場合、彼らの信頼度が髙いので、彼らが上段に掲げてきたデタラメに、多くの人々がそれに騙されてしまうことがある。

ネット上に「押し紙」回収の現場を撮影した写真や動画が次々と投稿されるに至っても、彼は絶対に主張を変えない。社会正義の実現という弁護士の使命を捨て、腐った金に飛びついているのである。

「押し紙」が客観的な事実であることを認めた上で、その背景にやむを得ない事情があるとする論理で弁護活動をするのであれば、職業倫理を逸脱していないが、彼らは客観的に「押し紙」が存在することを否定しているわけだから論外である。良心のかけらもない。

しかし、裁判書面は保存すれば、永久の残るわけだから、彼らが軽々しく黒塗りした書面を、10年後、あるいは20年後に公開されたとき、そのダメージは大きい。自分が書いた書面は、納棺してもらい忘れずにあの世に持参してもらいたい。嘘は絶対に書かないのが鉄則である。

本稿は『メディア黒書』(2024年12月16日)掲載の同名記事を本通信用に再編集したものです。

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、『禁煙ファシズム』(鹿砦社)他。
◎メディア黒書:http://www.kokusyo.jp/
◎twitter https://twitter.com/kuroyabu

LGBT犯罪録 かなざわシャブのま事件──金沢レインボープライド事務局長が覚醒剤で逮捕〈5〉森 奈津子

金沢レインボープライド事務局長・奥村兼之助氏が逮捕時に所持していた覚醒剤は、2.11グラム。これは大量所持と言える量だとのことで、ネットでもリアルでも疑惑の声があがった。

「もしかしたら、彼自身が売人だったんじゃないの?」
「ほかにも仲間がいるんじゃない?」
「かなざわにじのまでヤク仲間とキメセクしてたんじゃないの?」
「金沢レインボープライドのほかのメンバーは、どうなの?」

私は覚醒剤に関しては完全に疎く、この量がどれほどなのかは、わからなかった。ごくごく少量を「パケ」という小さなパッケージに入れたものが流通していることを知るぐらいだ。なので、ネット検索で調べてみた。

時代や場所、売人によって末端価格は流動しているものの、2.11グラムのだいたいの使用回数と末端価格は把握できたので、次のようにXでポストした。

覚醒剤2.11グラム所持は「大量所持」というレベルだった!

LGBT団体・金沢レインボープライドの幹部(ゲイの事務局長)が覚醒剤2.11グラム所持。今、軽くネットで調べたら、覚醒剤ワンパケ(約0.2グラム)で約1万円、3~4回分。とすると40回分ほどを持ってたということね。共犯はいなかったの? 入手ルートは? あと、実名報道しなさいな。

この事件の判決が出たのは、逮捕発覚の6日後である6月11日。ウェブニュースから、その報道を引用する(https://news.ntv.co.jp/n/ktk/category/society/kt8f87cdbdeaf24fbcb979cb56aa091273 )。

覚せい剤所持・使用「金沢レインボープライド」元事務局長に執行猶予付きの有罪判決/日テレNEWS / 2024.6.11

 執行猶予付きの有罪判決です。
 判決を受けたのは「金沢レインボープライド」の設立メンバーの一人だった元事務局長の男です。判決などによりますと被告はことし3月、金沢市内で覚せい剤を所持、自分で使用していました。
 11日の判決公判で金沢地裁は「常習性があり、非難の程度は相当強い」と指摘。一方で前科前歴がないことなどから、被告に懲役2年、執行猶予4年の有罪判決を言い渡しました。

やはり匿名報道だが、ニュースとしてとりあげているだけましだ。特に、LGBT活動家とズブズブの朝日新聞や毎日新聞、東京新聞には、最初からなにも期待してはいない。

この判決から一ヶ月以上が経過した7月20日、金沢レインボープライドは二つ目の謝罪文を発表した。なぜ、一ヶ月以上もかかったのかは、不明だ。もしかしたら、だんまりを決め込むつもりだったのが、寄せられる批判があまりにも厳しく、しかたなく謝罪に及んだのかもしれない。

その文面を、以下に引用する。

金沢レインボープライド2つめの謝罪文もまた「叱られネタ」の宝庫だった

お詫びとご報告

 本年3月末、当時、弊団体の事務局長であった元スタッフ(以降、元スタッフ)が覚醒剤取締法違反(所持使用)の容疑で逮捕・起訴され、6月11日に金沢地裁にて、懲役2年、執行猶予4年の有罪判決を受けました。このような事件が発生したことは誠に遺憾であり、関係の皆様方に多大なるご心配とご迷惑をお掛けし、深くお詫びを申し上げます。
 本件を受け、団体として、所属メンバーや協力スタッフに対して法令遵守を徹底するとともに、依存症予防と対応に関する内部勉強会を、7月4日および7月16日に実施してまいりました。参加対象をひろげた3回目の勉強会の実施を、8月13日に予定しております。
 また、元スタッフが逮捕前夜、閉館後の「金沢にじのま」のトイレにおいて、一人で覚醒剤を使用した事実が確認されました。様々な世代の多様な方々にご来訪いただく施設であり、あってはならない行為であると認識しております。心からのお詫びを、重ねて申し上げます。
 今後、安心・安全の施設として「金沢にじのま」を継続運営していくために、施設利用における注意事項の館内掲示を徹底してまいります。また、閉館時などに不審者等による侵入や使用がないように、施設玄関等に防犯カメラを設置することといたしました。
 弊団体では、令和5年度、厚生労働省交付金による自殺対策事業の一環で、「金沢にじのまの一部スペースを利用して相談事業等を実施してきました。本件を受けて、令和5年度の交付金は既に全額返金し、令和6年度は交付金を受けず、自主事業として継続することといたしました。なお、これまでに当該交付金が「金沢にじのま」の家賃、および、元スタッフの人件費に使 用された実績はありません。いずれも、施設の経営主体である株式会社ミッションズが負担して おります。
 元スタッフは、4月2日付けにて弊団体および「金沢にじのま」のスタッフを脱退し、現在は、複数の専門家とともに、更生に向けたプログラムに専念しております。
 改めまして、この度は、ご心配とご迷惑をおかけし、大変申し訳ありませんでした。また、厳しい指摘や指導、変わらずの応援や支援をいただいた方々に、 御礼を申し上げます。
 今後は、「金沢にじのま」の運営協力、本秋開催の「金沢ブライドウィーク2024」「金沢プライドパレード2024」など、ひとつひとつ、より丁寧に活動してまいります。 北陸地域において、性のあり方を問わず、誰もが自分らしく、安心・安全に暮らすことのできる社会づくりに、スタッフ一同、より一層の努力を重ねてまいります。どうぞ、よろしくお願いいたします。

2024年7月20日
一般社団法人 金沢レインボープライド
 共同代表 松中 権 Diana Hoon

LGBT当事者から大ひんしゅくを受けた6月の謝罪文よりは長くなったうえ、代表者名も明記。ただし、事務局長の名はあいかわらずの匿名だ。まあ、体裁だけはそれらしく整えた感じか。

これに対し、現役の医師で、8月には斉藤佳苗名義でLGBT思想に対する問題提起の書『LGBT問題を考える』(鹿砦社)を上梓したエスケー氏(@KatzePotatoes)が、的確なツッコミを入れているので、ご紹介したい。

逮捕から4ヶ月近く経った2024年7月20日にようやく詳細な報告。今回はちゃんと共同代表の署名もある。突っ込みたい所は以下の通り。

・逮捕から発表まで時間空きすぎじゃない?途中でクラファンもしてたし。
・再発防止の勉強会も、逮捕起訴されて判決出るまで待ってからなんだ?
・結局、他の運営メンバーに対する薬物検査とかはやったのか?1人分としては多すぎる量を持ってたんだよね?
・なんでわざわざ家賃や人件費は経営主体である株式会社ミッションズが負担していた、と会社名出したんだろう。
・あ、こういう時に責任を分散するためにわざわざ分けてたのか!?代表者は同じ(松中権)なのにね!
・ちゃっかり、施設の運営は続けていくし、秋には金沢プライドウィーク2024や、金沢プライドパレード2024などのイベントも続行するよと宣言。無傷で乗り切る気満々だな。
2024年7月20日(https://x.com/KatzePotatoes/status/1814569839530520835

他にも、大勢のLGBT当事者から辛辣な指摘が寄せられている。

富田格(ゲイ、@itaru1964)
えっ。
事務局長が「金沢にじのま」で違法薬物を使用して逮捕されたのは3月末。
その後、知らぬ存ぜぬの態度でクラファンをはじめ秋のパレード開催を発表。
6月に公判があり新聞記事になった時点でもスルーしようとしていたのに、今日になってこれですか?
遅きに失しましたねえ。
2024年7月20日(https://x.com/itaru1964/status/1814601611202998741

いなり王子・坂梨カズ(バイセクシュアル、@inari_oji)
今年は中止するべきでは?真摯に受け止めているならば、尚更だ。
代表は、議員や総理にまで謝罪を求める割に、たったこの紙切れで無かったことにしてはならない。
2024年7月20日(https://x.com/inari_oji/status/1814619590447804692

オゲレツ晴海(ゲイ、@ogeretsusai)
ちゃんと法律を守ってクスリもやっていないスタッフに対して「法令遵守」だの「依存症予防と対応」の勉強会をするよりも、団体を運営するにあたってのリスク管理が全くできていない代表者への教育や、社会的信頼を回復するための組織改革が必要だと思います。
2024年7月20日(https://x.com/ogeretsusai/status/1814585727948366209

はちろえもん(ゲイ、@kyara0930)

令和5年の交付金は既に全額返金し
だからクラファンよろしく!ってことかしら。はて
2024年7月20日(https://x.com/kyara0930/status/1814591420134793386

そして、前回もご紹介したゲイのY@su氏は、このような論評をポストした。

「金沢レインボープライド」代表の松中権氏が、突如「お詫びと報告」と題した声明文を発表した。何についての「お詫びと報告」なのかと言えば、勿論あの「かなざわにじのま覚醒剤使用事件」についてだ。

6月5日に最初に出された、「紙っぺら一枚に僅か9行の、代表者名の記載も無い、中身も何も無い謝罪文」(左側の画像)からは文量だけは増えているものの、肝心の「書いてある文章の中身」と言えば、見事に全編「言い訳と自己弁護」に終始している。

公金が投入され、運営される団体で「公金が違法薬物に使われたかも知れない事件」が発生したにも関わらず「その実態を真摯に解明・説明しようとする意思」は皆無だ。

そして「最高責任者の松中権氏」は、自らは何ら責任を取る事もせず「事件の舞台となった組織」についても「解散」どころか「休止」すらしようとしない。

今般の声明に書かれている内容は「誰も責任は取らない」「施設は閉鎖しない、休止もしない」「パレード等のイベントは全て実施する」と言う「ふざけた事」だけだ。

「表面的な謝罪の言葉」は散見されても「代表は責任を取らず、活動も何一つ見直さずに続行する」と言う内容なのだから「謝罪の言葉」など「口先だけ」である。本気でこの様な態度で良いと思っているのであれば「社会は舐められている」としか言い様が無い。

当然ながら「一般の組織」でその様な事は許され得ず「問題を起こした組織やそのトップ」は「責任を追及され、辞任や解散・休止に追い込まれる」のが常だ。「かなざわにじのま覚醒剤使用事件」で、それが起きないのは「大手マスコミが、極左LGBT活動家らには激甘だから」に他ならない。

大手マスコミは、最初だけは事件を報じたものの、その後の「追及」は全くと言って良い程していないし、する気配すら無い。彼等は「大手マスコミが自分達に甘い」事を熟知しているので、この様な「社会を舐めた態度」を、これまでも平気で取って来たし、今も取り続けている。

だが、それも「時間の問題」だ。何故なら、マスコミは「社会の空気が変わったら、掌を返した様に180°態度が変わるのが常」だからだ。マスコミは「自分達が批判される側になる事を最も恐れている」が故に、社会の空気が変わり「極左LGBT活動家らが批判対象になったと察した途端」に掌返しをするだろう。

その「萌芽」は既に見えて来ており、世界的には「極左LGBT活動に対する社会的軋轢」が高まり、それを手厳しく批判する「まともな意見」が激増している。

極左LGBT活動家らは、これまでは、その様な批判を「差別主義者」だの「ヘイター」だのと「レッテル貼り」しておけば「相手が悪い」事に出来た。だが、今回の「金沢レインボープライド」代表の松中権氏の様に、「他者を強く責める一方で、自らには極めて甘いダブスタを堂々としている」事がバレて来ると、それを「おかしい」と思い、声を上げる人達が確実に増える。

極左LGBT活動家らが、この様な批判に対して未だ「差別者・ヘイター認定しておけば良い」と思っているとしたら、完全に「社会の空気の変わり目」を読み間違っている。彼等の発する「差別主義者」や「ヘイター」などと言う言葉が、「自らへの批判をさせない為や、批判をかわす為の方便」である事が、最早バレている事に気付くべきだが、どだいそんな事は無理だろう。

何故なら、一度でも「方便」である事を認めてしまえば、これまで散々「差別主義者」や「ヘイター」と言って「押さえ付けていた批判」が一気に噴出するからだ。
だが、彼らが「方便」である事を認めようと認めまいと「社会の趨勢」は変えられない。「LGBT差別解消」を大義名分とした「極左LGBT活動」が、様々な意味で「自らの利益の為の活動」である事の象徴が、今回の「かなざわにじのま覚醒剤使用事件」だ。

そして、今回発された「お詫びと報告」は、彼等が「自らの過ちを全く総括出来ない事を、自ら露呈した」と言う事の「象徴的出来事」である。

マスコミが批判しないのであれば「市井の社会の人々」が声を上げ、強く批判しなくてはならない。

そこで、極左LGBT活動家らが発するであろう「差別主義者」や「ヘイター」等の非難は「自らへの批判を封じ、かわす為の方便」に過ぎず、それに怯む必要は1ミリも無い。

そして、彼らへの批判の「社会的空気」が醸成されれば、マスコミは「以前から自分達もそうだった」かの様な顔をして、一斉に「掌を返し」て批判を始める様になる

2024年7月23日(https://x.com/Yasoo___Japan/status/1815565499503382691

こんな調子で、金沢レインボープライドの謝罪文は、底意地の悪いLGBT当事者の大群から「まったく反省してない」証拠を指摘され、批判されつづけることになる。

敵に回すと真に恐ろしいのは、LGBT活動家ではなく、LGBT当事者である。なにしろ、LGBT活動家は「プロ」なので、ぶっちゃけ、お金を出せばなんとかできるという面もある(ぶっちゃけてしまい、ごめんなさい!)。

しかし、特定の企業や自治体からお金をもらっているわけではないLGBT当事者は、首輪のついてない野犬のようなもの。気に食わなければ噛みつき、気に入れば懐く。どうやってコントロールすればよいかは、「野良LGBT」の一人たる私自身もわからないのである。(つづく)

◎森奈津子 LGBT犯罪録 かなざわシャブのま事件  ── 金沢レインボープライド事務局長が覚醒剤で逮捕
〈1〉http://www.rokusaisha.com/wp/?p=50290
〈2〉http://www.rokusaisha.com/wp/?p=50306
〈3〉http://www.rokusaisha.com/wp/?p=50381
〈4〉http://www.rokusaisha.com/wp/?p=51912
〈5〉https://www.rokusaisha.com/wp/?p=52094

▼森 奈津子(もり・なつこ)
作家。1966年東京生。立教大学法学部卒。1990年代よりバイセクシュアルであることを公言し、同性愛をテーマにSFや官能小説、ファンタジー、ホラー等を執筆。
Xアカウント https://x.com/MORI_Natsuko
森奈津子 LGBTトピック https://x.com/morinatsu_LGBT

LGBT問題ぶっちゃけの書、斉藤佳苗著『LGBT問題を考える 基礎知識から海外情勢まで 』(鹿砦社、2970円)

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/4846315592/

◎鹿砦社 https://www.rokusaisha.com/kikan.php?bookid=000752

中学の同級生・有田正博君のこと  鹿砦社代表 松岡利康

中学校の同級生、有田正博君が11月いっぱいで店を閉め引退するという地元紙・熊本日日新聞の記事を、同紙の元記者のH君が送ってくれた。実際には諸事情で延期、12月15日に閉店した。

店を閉めることは、今年初め同窓会で帰郷した際に本人から聞いていた。その時は10月いっぱいで、ということだった。前出熊本日日新聞で1カ月インタビュー記事を連載するなど地元熊本ではちょっとした有名人だ。

熊本日日新聞2024年11月20日

有田君とは、中学3年の時に転校してきて一緒だった。卒業してからずっと別の人生を送り音信が途絶えていたが、偶然に、こちらは高校の同級生で、ライフワークとして島唄野外ライブ「琉球の風」を始めた東濱弘憲君(故人)の追悼本『島唄よ、風になれ! ── 東濱弘憲と「琉球の風」』(鹿砦社刊)の校正の過程で「有田正博」という名が出て来てピンときて前出H君(当時熊本日日新聞記者)に調べてもらったところ中学の同級生の有田君その人だった。

有田君は一時東濱君のブティックで働いていて、これが閉店するや、その後独立し海外に行ったりしてファッションの勉強をして名を挙げた。一番有名なのは、まだ無名だったPaul Smith(ポール・スミス)と出会い、日本に持ってきたことだろう。Paul Smithは今や世界的ブランドとなった。

熊本日日新聞2016年6月8日

H君の取り計らいで、実に40数年ぶりに再会した。……

その後、有田君の店が私の一族の墓が近くに在るということもあり帰郷するごとに立ち寄って歓談したり食事と共にしてきた。

有田君(左)らと旧交をあたためる

それにしても、中学の同級生と高校の同級生との関係と私との関係など因縁を感じる。

Paul Smithさんは義理堅い男のようで、このライセンスを日本に上陸するや有田君に渡した。このライセンスもあり有田君は一時ビル3つ所有し釣り三昧の日々を送ったという。そんなこともあり妻子から三行半を突きつけられ離婚、ビル3つとPaul Smithのライセンスを潔く渡し、ゼロから出発したという。一時は東京の青山にも店を出したこともあった。

中学校の時にはそんな大それた男とは思わなかったが、引退かあ、本来なら私もその予定だったが、コロナのお蔭でもうひと踏ん張りしないといけなくなった。
時は過ぎ行く ── 人は老いていく。

閉店後電話した。「お疲れ様! よか人生だったね」と言い、「祝 人生勝利!」の文字の刻印を入れたクリスタル置き時計を贈った。

(松岡利康)

冠鷲シリーズ最終戦、勇志が王座戴冠となって今年を締め括る! 堀田春樹

テツジムから6人目のチャンピオン誕生。勇志が鎌田政興を圧倒して王座決定戦を制す。

次なるテツジム期待の雄希はランカーの佐藤勇士を倒す急成長。

蘭賀大介は苦戦の始まりから持ち直しの判定勝利。

◎冠鷲シリーズFINAL(vol.7) / 12月14日(土)後楽園ホール17:30~20:48
主催:日本キックボクシング連盟 / 認定:NKB実行委員会

戦績はプログラムを参照し、この日の結果を加えています。

◆第10試合 第17代NKBフェザー級王座決定戦 5回戦

2位.勇志(テツ/2000.4.28大阪府出身/ 57.05kg)15戦11勝(5KO)2敗2分
          vs
4位.鎌田政興(ケーアクティブ/1990.5.6香川県出身/ 56.8kg)22戦10勝(3KO)10敗2分
勝者:勇志 / 判定3-0
主審:前田仁
副審:鈴木50-45. 高谷50-45. 笹谷50-44

両者は2020年12月に3回戦で対戦し、勇志が初回にノックダウン奪って判定勝利しています。前回10月19日の一人欠場による三名抽選準決勝戦を経て、この日迎えた王座決定戦。

手の内を知る中、初回早々から勇志の突進が凄かった。上下の蹴り、後ろ蹴り、右ストレート、間を置いて飛びヒザ蹴りやバックハンドブローと鎌田政興を倒さんばかりの圧力を掛けた。鎌田は反撃しても巻き返すような勢いは足りない。

勇志が多彩に攻めた中の飛びヒザ蹴りが鎌田政興にヒット

第2ラウンドには勇志が不意を突いた左ハイキックでノックダウンを奪った。攻めの勢いは衰えぬもタフな鎌田に攻め倦む流れに移り、勇志の攻勢は変わらずも後半に入ると疲れも見えて来てノックアウトには至らないだろうという空気が漂う。それでも大差で危なげなく進んだ。鎌田はパンチで逆転狙うが、クリーンヒットせず勇志に躱された。勇志は王座初戴冠。

ノックダウンを奪った勇志の左ハイキック、この後、鎌田政興は後方に倒れた
勇志が多彩に攻める中のローキックで鎌田政興を追い詰める

勇志は試合後、「鎌田はタフでしたね」

後ろ蹴りは何発かボディーヒットもあったが、アゴを狙ったか?の問いに、
「後ろ蹴りは適当です。ちょっと技見せようかなと思ってやったらあんな風になりました。まだまだ出してない技もあります」

圧倒に至った展開について、「スタミナはあったけど後半はちょっとしんどかったです。ノックダウンはあと2回ぐらいあったと思うんですけど、レフェリーがとってくれへんかったですね」

後輩を売り込み、「次、雄希がベルト狙って行きます」と、この日のアンダーカードでランカーの佐藤勇士に圧勝したバンタム級の雄希を称えた。

テツジム大阪のチームワークの勝利でもある

◆第9試合 62.0kg契約3回戦

NKBライト級2位.乱牙(=蘭賀大介/ケーアクティブ/1995.2.9岩手県出身/ 62.0kg)
10戦7勝(3KO)2敗1分
        vs      
スックワンキントーン・スーパーフェザー級5位.須藤誇太郎
(フジマキックムエタイ/2001.8.12神奈川県出身/ 61.85kg)10戦5勝(1KO)4敗1分
勝者:乱牙 / 判定3-0
主審:笹谷淳
副審:加賀見29-28. 高谷29-28. 前田29-28

開始15秒程に須藤誇太郎の投げ落としに近い崩しで乱牙は後頭部を打ったか、脚が覚束ない動きになって劣勢に陥った。須藤誇太郎はチャンスでありながら乱牙を仕留めるに至らず、乱牙はダメージを引き摺りながらも徐々に巻き返しに掛かった。

抱え上げられ落とされた流れの乱牙は後頭部を打った


第2ラウンド終盤には須藤をコーナーに追い詰めパンチ連打で主導権支配する攻勢。第3ラウンドも圧力掛けて出た乱牙がパンチで須藤を追い詰め、倒すに至らずも形勢逆転の判定勝利となった。

盛り返す中の乱牙の連打

乱牙は来年2月22日、棚橋賢二郎とNKBライト級王座決定戦が予定されています。

◆第8試合 ライト級3回戦

NKBライト級3位.山本太一(ケーアクティブ/1995.12.28千葉県出身/ 61.0kg)
20戦7勝(4KO)9敗4分
         vs
利根川仁(Realiser STUDIO/2003.1.24東京都出身/ 61.1kg)7戦6勝(2KO)1敗
勝者:利根川仁 / TKO 3ラウンド 1分57秒 /
主審:鈴木義和

初回、パンチを軸にローキックを加えた交錯が続くと、利根川仁の右ストレートヒットし、山本太一がノックダウン。再開後直ぐ、利根川仁が飛びヒザ蹴り、ハイキック、パンチ連打で再びノックダウンを喫する山本太一。

利根川仁が優ったパンチの交錯、山本太一は距離感が狂ったか

第1ラウンドは凌いだが、第2ラウンド早々にも利根川仁の前進からパンチ連打でノックダウンを喫する山本太一。ところがここから山本太一が左ストレートで逆転ノックダウンを奪い反撃に転じた。経験値の差かと思われたが、追い込んでいく中、またも利根川仁の右ストレートがヒットするとゆっくりしたモーションで倒れ込む山本太一。立ち上がるが第2ラウンドは終了。

第3ラウンドも利根川仁が連打でノックダウンを奪い、打ち合いに出る山本太一と一進一退の攻防を続けながらカウンターパンチでこのラウンド2度目のノックダウンを奪うとレフェリーがカウント中の試合をストップし、利根川仁がTKO勝利となった。

劣勢の山本太一が逆転ノックダウンを奪った左ストレートヒット、会場を盛り上げた

竹村哲マッチメイカーは山本太一に対し、「ダメージ貰った中であそこからダウン取り返したことは凄く良かった。“太一やるじゃん”と、あれで会場がワーッと盛り上がった。試合としては凄く良かったよ!」と絶賛。

山本太一は「勝ち上がるには今後もこのスタイルで行くしかない。ステップ使って無難に勝っても、あんまり観衆の印象に残らずダメな試合になっちゃうし、今日は倒しに行こうかなと思ったけど、結果負けちゃったし。気持ちは弱かったです」

竹村氏に戦略的アドバイスを受け、今後も倒しに掛かる試合を見せればタイトル戦やビッグマッチ起用へも可能となって来る山本太一である(興行終了後、たまたま見つけた山本太一にインタビュー)。

◆第7試合 バンタム級3回戦

NKBバンタム級3位.佐藤勇士(拳心館/1991.8.12新潟県出身/ 53.1kg)
22戦6勝(2KO)13敗3分
        vs
雄希(テツ/2002.9.3大阪府出身/ 53.1kg)7戦5勝(3KO)2敗
勝者:雄希 / KO 2ラウンド 2分30秒 /
主審:高谷秀幸

初回は両者、ローキックで距離感を探る様子見の中、雄希の蹴りの勢いで佐藤勇士にプレッシャーを与える。左ストレートでスリップダウンを奪うが、更に蹴りで誘ってパンチでノックダウンを奪い、攻勢を維持して効果あるヒットを繰り出した。
第2ラウンドも雄希の勢い止まらず、パンチ連打で2度ノックダウンを奪った後、勢い乗ったまま最後はヒザ蹴りをアゴ辺りにヒットさせ、3ノックダウンとなって圧倒のKO勝利。

雄希のヒザ蹴りが佐藤勇士にヒットしノックアウト勝利、ランカー破りの飛躍となった

◆第6試合 バンタム級3回戦

香村一吹(渡邉/2007.2.22東京都出身/ 52.5kg)4戦4勝(1KO)
        vs
涌井大嵩(アルン/1997.3.2新潟県出身/ 53.2kg) 4戦3勝(1KO)1敗
勝者:香村一吹 / 判定3-0
主審:加賀見淳
副審:前田30-29. 鈴木30-28. 高谷30-28

初回早々は涌井大嵩が先手を打って組んでのヒザ蹴りを入れるが、香村一吹は慌てることなく離れて蹴りとサウスポーからの左ストレートで攻勢に転じる。

第2ラウンド、蹴りとパンチの攻防も香村のパンチと蹴りのコンビネーションが冴え、やや優った流れも相手を見てしまう間合いもあり、終了間際にはヒジかパンチかバッティングか、右頭部を斬る負傷をしてしまったが続行可能とされ、第3ラウンドも差は付き難い中、サウスポーからの左ストレートとすぐ蹴りに繋ぐ攻撃力優った香村が圧し切り判定勝利。

流血しながら攻勢を維持した香村一吹、渡邉ジム久々の新星である

◆第5試合 バンタム級3回戦

兵庫志門(テツ/1996.4.14兵庫県出身/ 53.52kg)15戦6勝(1KO)7敗2分
        vs
ベンツ飯田(TEAM Aimhigh/1997.4.17群馬県出身/ 53.25kg)17戦3勝(1KO)11敗3分
勝者:兵庫志門 / 判定3-0
主審:笹谷淳
副審:前田30-27. 鈴木30-27. 加賀見30-27

兵庫志門がやや優る攻勢の中、最終第3ラウンドに兵庫志門ハイキックでノックダウンを奪ったが、引退試合のベンツ飯田は踏ん張って終了ゴングまで耐え切った。

◆第4試合 62.5kg契約3回戦

ちさとkiss Me!!(安曇野キックの会/1983.1.8長野県出身/ 62.25kg)
41戦7勝(3KO)30敗4分
        vs
辻健太郎(TOKYO KICK WORKS/1984.3.13東京都出身/ 62.45kg)6戦2勝(1KO)1敗3分
引分け 三者三様
主審:高谷秀幸
副審:前田30-29. 加賀見29-30. 笹谷30-30

蹴りとパンチの決め手の無い攻防は差が付き難い展開で修了。第2ラウンドが三者三様になった以外は互角の採点だった。

◆第3試合 ウェルター級3回戦

石原尚斗(テツ/1997.9.10岡山県出身/ 66.4kg)2戦1勝(1KO)1分
        vs
マナチャイ・エイムハイ(TEAM Aimhigh/1995.9.14群馬県出身/66.55kg)10戦2勝7敗1分
引分け 0-0 (28-28. 28-28. 28-28)

初回、パンチ連打でノックダウンを奪った石原尚斗だったが、巻き返していくマナチャイ。結果的にポイント追い付いて引分けとなった。

◆第2試合 51.5kg契約3回戦

緒方愁次(ケーアクティブ/2004.1.6東京都出身/ 51.4kg)3戦3勝
        vs
真虎(kick life/2002.6.28埼玉県出身/ 51.15kg)16戦1勝13敗2分
勝者:緒方愁次 / 判定3-0 (30-26. 30-27. 29-28)

初回、飛びヒザ蹴りでノックダウン奪った緒方愁次。真虎は劣勢から立ち直り、そこから互角に渡り合うも巻き返すには至らず、緒方愁次の判定勝利。

◆プロ第1試合 ライト級3回戦

龍一(拳心館/1995.11.17新潟県出身/ 60.95kg)10戦9敗1分
        vs
リョウヤ・ハリケーン(テツ/2002.10.20兵庫県出身/ 60.25kg)2戦1勝(1KO)1分
勝者:リョウヤ・ハリケーン / TKO 1ラウンド 35秒

初回早々のパンチのクリーンヒットでノックダウンを奪ったリョウヤが更に連打で龍一を倒すとレフェリーがノーカウントで試合ストップした。

◆3.アマチュア(オヤジキック提供) 81.0kg契約2回戦(90秒制)

天狗ちゃん(テツジム東京/ 80.05kg)
        vs
ナオマサ・ルトタナモンコンスック(D-BLAZE/77.55kg)
勝者:天狗ちゃん / 判定3-0 (20-17. 20-28. 20-17)

◆2.アマチュア(オヤジキック提供) 66.0kg契約2回戦(90秒制)

菅野裕宜(無所属/ 65.1kg)vs 昂介(D-BLAZE/65.8kg)
勝者:昂介 / 判定0-3 (18-20. 18-20. 18-20)

◆1.アマチュア(オヤジキック提供) 61.0kg契約2回戦(90秒制)

まさる(Labore spes/ 60.35kg)vs 長友亮二(KING/ 60.2kg)
勝者:まさる / TKO(RSC)2ラウンド 35秒

《取材戦記》


ベストファイトは勇志 vs 鎌田政興と山本太一 vs 利根川仁でしょうか。タイトルマッチの重みで勇志 vs 鎌田政興。一進一退の攻防で盛り上げたのは山本太一 vs 利根川仁でしょう。

勇志のパワフルな攻撃力は見事でしたが、後半バテる様子も窺えました。やはり3回戦制の戦い方で5回戦を戦っているのかもしれません。スタミナが足りない訳ではなく、前半飛ばし過ぎなのでしょう。

山本太一 vs 利根川仁戦の第2ラウンドはノックダウンの応酬となり、山本太一が二度、利根川仁が一度となりました。このラウンドの採点は10-8が一者と10-9が二者で利根川仁を支持でした。この二度対一度のノックダウンの在り方で採点はどう付けられるか。これはプロボクシングに於ける解釈として参考まで。ノックダウンの順は関係無く、両者一度分のノックダウンは相殺され、残る一つのノックダウンが採点されることになり、10-8となるのが基準。キックボクシングに於いても採点基準はプロボクシングに倣うことは重要でしょう。

蘭賀大介は今回からリングネームを“乱牙”と改名。本名で充分カッコいいと思いますが、その変更理由は聞くには至りませんでした。平成以降は姓と名が揃っていないリングネームが多い時代です。

人名はその名字の由来やその人柄を表すものとして、少ない文字で多くの情報が詰められている俳句のようにと言っては語弊があるかもしれませんが、あらゆるスポーツ選手も本名が多く(大相撲は別格)、日本人が使う漢字名はカッコいいものです。

2025年の日本キックボクシング連盟シリーズ名は「爆発シリーズ」です。爆発って過激な響きがあります。これも漢字の力。今年は冠鷲シリーズでした。あまり冠鷲とは関係無かったような気はしますが、毎年のシリーズ名も漢字のインパクトは大きいものです。

興行日程は2月22日(土)、4月26日(土)、6月21日(土)、8月3日(日)大阪175BOX、8月9日(土)新潟・大かま、10月18日(土)、12月13日(土)、8月以外は全て後楽園ホール夜興行です。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
昭和のキックボクシングから業界に潜入。フリーランス・カメラマンとして『スポーツライフ』、『ナイタイ』、『実話ナックルズ』などにキックレポートを寄稿展開。タイではムエタイジム生活も経験し、その縁からタイ仏門にも一時出家。最近のモットーは「悔いの無い完全燃焼の終活」

◎鹿砦社 https://www.kaminobakudan.com/

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B0DPPQF4ML/

COP28 原発をめぐる2つの動き 「原発3倍化宣言」と「気候変動対策のための原発推進」合意〈2〉「グローバル・ストックテイク」という文書に求められた役割 原田弘三

◆「グローバル・ストックテイク」とは

成果文書での原発明記に触れる前に、「グローバル・ストックテイク」という文書の位置づけを簡単に解説しておこう。

パリ協定(2015年採択、2016年発効)では、産業革命後の地球平均気温の上昇幅を2℃を十分下回る水準で維持することを目標とし、さらに1.5℃に抑える努力をすべきとされている(2条1項[a])。

その後、気候変動に関する政府間パネル(IPCC)による「1.5℃特別評価報告書」の公表(2018年)をきっかけとして、産業革命後1.5℃の地球平均気温上昇でも、現在よりもかなりの悪影響が予測されること、そして、1.5℃上昇と2℃上昇の場合では、生じる影響に相当程度の違いがあるとの認識が広まり、1.5℃目標実現を目指すべきだとする機運が高まった。

IPCC第6次評価報告書は、1.5℃目標を実現するためには、遅くとも2025年までに世界全体の温室効果ガスの排出量を減少傾向に転じさせ、2030年までに2019年と比べて約4割の削減を達成し、さらに2050年までにCO2排出量のネットゼロを達成することが必要だとしている。

パリ協定では、長期目標の実現に向けて、世界全体の気候変動対策がどれくらい進んでいるのかを5年ごとに評価することになっている(14条)。これをグローバル・ストックテイクと呼ぶ(ストックテイクは棚卸しという意味)。

このグローバル・ストックテイクの成果を受けて、各国は次の期の排出削減目標を立てることになる。

パリ協定には第1回グローバル・ストックテイクを2023年に行うと書かれており、これが今回のCOPの最大の注目ポイントであった。パリ協定では、各国の中期目標の達成が義務とはされておらず、どれだけ高い目標を設定するかは各国の意思に委ねられている。このため、各国が次期目標(2035年目標)を設定する際に、各国のより高い削減目標を設定する意欲をかき立てる、とういのがこのグローバル・ストックテイクという文書に求められる役割である。

◆成果文書での原発明記

そうした経緯でCOP28の最終日に合意されたのが第1回グローバル・ストックテイクの成果文書であり、その中に以下の文言が盛り込まれた。

「28……締約国に対し、……以下の世界的な努力に貢献することを求める。
(e)特に、再生可能エネルギー、原子力、特に削減が困難な分野における炭素の回収・利用・貯留などの削減・除去技術、ならびに低炭素水素製造を含む、ゼロ排出及び低排出技術を加速すること。」

この成果文書における原発の記述は、先に見た「原発3倍化宣言」に増して重大な問題を孕んでいる。

なぜなら前者が全加盟国に比べれば少数の22か国による宣言であったのに対し、こちらは全加盟国の合意であり、COPが原発を気候危機対策の有効な手段として公式に認め、「気候変動対策のための原発推進」が世界的な合意となったことを意味するからである。(つづく)

◎原田弘三 COP28 原発をめぐる2つの動き 「原発3倍化宣言」と「気候変動対策のための原発推進」合意
1〉「原発3倍化宣言」という暴挙
2〉「グローバル・ストックテイク」という文書に求められた役割

◎本稿は『季節』2024年夏秋合併号掲載(2024年8月5日発売号)掲載の同名記事を本通信用に再編集した全4回の連載記事です。

▼原田弘三(はらだ こうぞう)
翻訳者。学生時代から環境問題に関心を持ち、環境・人権についての市民運動に参加し活動している。

〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌『季節』2024年冬号

参院選2025広島、現職2名の立憲は〈ネオリベ知事べったり〉の男性に候補一本化 ── 女性は〈政策が分からなくても良い〉捨てゴマか?! さとうしゅういち

2025年の参院選広島県選挙区=改選数2名で立憲民主党広島県連は森本しんじ参院議員の公認を本部に申請しました。もうひとりの宮口治子議員は立候補せず、本部に処遇を委任するということですが、参議院議員を辞めるということには変わりありません。

参院は任期が6年で3年ごとに半数改選です。2019年当選─2025年改選のサイクルの議員は2名とも立憲民主党です。一人は2019年に本選挙で当選した森本真治さん。もう一人は2021年の河井案里さんの当選無効に伴う再選挙で当選した宮口治子さんです。立憲広島は自民党に闘わずしてむざむざ1議席を渡すことになりました。

正直、今の自民党に勢いは全くなく、自民党が二人立ててくることも考えにくい。立憲民主党が共倒れと言うことも考えにくいのにもったいないことです。

◆女性は政策が分からなくても良い捨てゴマ扱い?!

もう一つの角度で申し上げれば、結局、女性は捨てゴマ扱いか、と言う疑念です。なぜこんなことを申し上げるのは以下のことがあるからです。宮口さんが当選した2021年の再選挙では私・さとうしゅういちも立候補しました。

わたしは、あの時、4月8日の告示直前まで、野党系候補の一本化をという広島3区市民連合幹部の要望を受けて『伊方原発を含む原発即時ゼロ』を条件として一本化する(私がおりる)ことを宮口陣営にメールで打診した。

すると、立憲広島の県議からお電話をいただきました。立憲広島の県議は『宮口さんは具体的な政策が分かる人ではないから』とおっしゃった。結局、交渉を断念し、わたしも立候補することになり、20,848票をいただきました。

宮口さんが政策を分かる人かどうかは私には何とも言えません。問題は『立憲広島自身が『政策が分かる人じゃない』と認識している人を担いでいる』ことです。有権者をバカにしているし、女性をバカにしています。

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◆立憲に政治を良くする気があるなら森本議員こそ衆院か知事に挑むべき

そして、今回、男性で事実上、立憲広島に君臨されている森本真治さんで一本化したのです。

もし、立憲広島に広島の政治をよくする気があるのであれば、それこそ、森本参院議員を衆院選の時に小選挙区で与党を打倒するように擁立したでしょう。

あるいは、広島県知事選挙で湯崎英彦知事を打倒し、日本一ザルの産廃行政はじめ、疑問だらけになった広島県政の抜本的改革をめざすというのでもわかります。

だが、そういうことはあり得ない。森本議員もまさか参院選2019で応援してもらった湯崎知事に弓を引くことはないからです。そもそも、立憲広島自体が、県政レベルでは、自民党以上に湯崎知事ベッタリだから無理な相談です。

◆筆者を脅す電話で宮口さんの名前を間違える立憲民主党員

ちなみに、立憲広島のある党員の方は、2021年4月3日ごろ、告示直前、わたしに電話を下さり『立候補するならお前とは縁を切る。俺の地域に出入りするな』と脅してこられた。その方は宮口さんの名前を何度も〈平口さん〉と間違えておられた。ご自身も名前も不確かな人の当選を図る目的で筆者を脅してこられたのです。失笑ものです。

ちなみのその方の地域が選挙後に大洪水になりましたが、筆者はボランティアに駆け付けました。立憲民主党は、党員の教育をきちんとしないと、却ってアンチを増やすばかりではないでしょうか?

◆「仁義なき候補者選考」、立共両党に暗い影

一方、立憲広島は実は、上記参院選再選挙で、2020年段階で〈檻の中のライオン〉で有名な弁護士の楾大樹先生を候補者と内定していたのです。ところが、2021年に入ってから、楾先生のはしごを外した。すなわち、選対委員長だった森本議員の秘書の妻である宮口さんに候補者を差し替えた経緯があります。(茶番選挙 仁義なき候補者選考 著者・編者:楾大樹より)

そして、あれから3年半。今度は宮口さんを使い捨てにしたわけです。こういうことが、同党がいまひとつ、伸びない背景にあるのではないでしょうか?

立憲広島は野党第一党であることに胡坐をかいて人を舐めていないか?もうちょっと人を大事にされたらいかがでしょうか?

また、野党統一候補者の選考に当たっては予備選挙や公開討論会を開くなどすべきではないのか? それすらなかったのが参院選広島再選挙2021でした。また、あの時、宮口さんを推してしまった日本共産党さんも党勢を大きく落としています。同党は2021年の衆院選まで、立憲と言うだけで、自民党よりも酷い権威主義者、新自由主義者を推薦・支持しまくっていました。そのことの矛盾も噴出しているのではないか? 立憲、共産の皆様に申し上げたい。〈自民党だけでなく、あなたがた野党も〈庶民革命〉により県民に政治を取り戻される対象物なのですよ〉と。

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
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「香害、すなわち化学物質過敏症」の誤り、1月に2つの判決、横浜副流煙事件 黒薮哲哉

来年2025年の1月に、横浜副流煙事件に関連した2つの裁判の判決が下される。詳細は次の通りである。

■作田学医師らに対する「反スラップ」裁判

判決の日時:2025年1月14日(火)13時10分
法廷:横浜地裁609号法廷
原告:藤井敦子、藤井将登(代理人弁護士・古川健三弁護士)
被告:作田学、A夫(係争中に死去したために、現在は請求対象にはなっていない)、A妻、A娘

■作田学医師に対する名誉毀損裁判

判決の日時:2025年1月22日(水)13時10分
法廷:東京地裁806号法廷
原告:藤井敦子、酒井久男(山下幸夫弁護士)
被告:作田学

これら2つの裁判の経緯は、2016年まで遡って、別稿で詳しく説明しているので、参考にしてほしい。事件の全容をコンパクトにまとめている。
[別稿]事件の概要 

◆香害=化学物資過敏症という従来の考え方の誤り

この事件で中心的な位置を占めている藤井将登さんが、隣人家族から、「煙草の副流煙により健康を害した」として、約4500万円を請求する裁判を起こされたのは、2017年の11月だった。筆者がこの事件にかかわるようになったのは、その1年後である。マイニュースジャパンから記事化を依頼されて、取材したのが最初である。

事件の取材を通じてわたしが得た最も大きな成果は、化学物資過敏症についての見解が変化したことである。軌道を修正した。

元々わたしは、香害=化学物資過敏症という考え方に立っていた。おそらく市民運動と距離が近い週刊金曜日の影響ではないかと思う。確かに両者が結びつく場合はあるが、公害を訴える層の中に一定割合で、精神疾患に罹患している人々が含まれている点を見落としていた。化学物資過敏症の外来を受診する患者の8割が、精神疾患の可能性があると指摘する専門医の証言もある。

横浜副流煙事件の取材を通じで、香害=化学物資過敏症の考え方の未熟さに気づいたのである。一定割合で精神疾患の患者が含まれているというのが客観的な事実である。

実際、化学物質過敏症を自認している人々の中には、第三者からみると、異常な行動をするひともいる。攻撃的な性格で、SNS上で名誉毀損などのトラブルを起こしているひとも少なくない。

横浜副流煙事件も同じ類型の行動様式が引き起こした事件にほかならない。化学物資過敏症の複雑さが根底にある。

事情を複雑にしているのは、香害を訴えに患者の中に、真正の化学物質過敏症患者も含まれている点である。両者の境界線を引くのが、難しく、両者が重複することもある。

こうした状況の下で、化学物質過敏症に取り組む市民団体の多くが、単純に香害=化学物質過敏症という立場を明確にして、運動を展開してきた。一部の医師もそれに協力してきた。香害を訴える患者を、安易に化学物質過敏症と診断してきた。

その結果、客観的な事実を軽視した香害の解釈が社会に浸透したのである。その弊害が典型的に現れたのが、横浜副流煙事件である。化学物質過敏症についての浅はかな見解を前提に、一個人に対して4500万円を請求するに到ったのである。

※本稿は『メディア黒書』(2024年12月13日)掲載の同名記事を本通信用に再編集したものです。

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、『禁煙ファシズム』(鹿砦社)他。
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ドンファン事件に「無罪」判決! 「疑わしきは罰せず」が貫徹された判決だった! 尾﨑美代子

◆確かにセンセーショナルな事件だった!

紀州のドンファンとよばれた男性が覚醒剤中毒て死亡した件で、逮捕された元妻の女性の裁判員裁判で、女性に無罪判決がでた。孫ほど歳下の女性との結婚で話題になったうえ、最後は覚せい剤で死亡したということで、メディアはさんざん騒いできた。

これが有罪ならば、「やっぱりね。あの女、怪しかったもんね」と騒ぎ続けただろう。しかし、結果は無罪。何故かそれ以降、メディアは全体トーンダウンしたと思うが、そう思うのは私だけか? 結構深堀りする番組もあるが、羽鳥慎一モーニングショーなんか「はい、あの事件で無罪判決がでました」と事実に触れた程度、「〇〇動物園のカピバラのお風呂に、昨日ゆずがプレゼントされました」と似たような扱いだった。

確かにセンセーショナルな事件だった。裁判は長期に渡り、28人もの証人が証言した。中には覚醒剤の売人もいた。男は「職業」を聞かれ、「(覚せい剤の)売人」と答えたという。

そんなことあんのか? 無職か、別の職業をあげ、その後「被告を知ってるか?」と問われ、「以前覚醒剤の売人をやっていた頃、その女性と接触したことがあります」と答えるのが普通ではないか? 男性の姿は衝立などで遮られ、顔など分からない方法で行われたのだろうが、それにしても法廷で「売人です」と堂々と証言し、証人の顔をみることができた裁判員らは、さぞかし驚いただろう?

◆「疑わしきは罰せず」が貫徹された判決だった!

この判決、「疑わしきは罰せず」という、刑事裁判の基本中の基本をズバリと見せてくれただけでも見ていてスカッとした。基本中の基本とはいえ、あまりに守られていない鉄則だったからね。

でも、ここで花開いたのだぞ。福島恵子裁判長がバシッと「ほら見ろよ」と出してくれたんだぞ。モーニングショーの羽鳥さん、玉川さんなんかにコメントさせてよ。玉川さんはしゃべりたいことがやまほどあったはず。しかし、それすらしなかった。局でよほどこの件に関しては何気なくスルーしようと決まっていたと思うほど。 

◆TVメディアは男性中心過ぎないか?

これまでいろんな冤罪事件をみているが、とりわけ女性が犯人とされた場合、男性中心のメディアは、こんな扱いだということがよくわかったね。のちに事件ではなかったことが判明した青木恵子さんの東住吉事件、西山美香さんの湖東記念病院事件もそうだった。「同居男性が娘に性的虐待!被告女性との三角関係か?」「警察官に恋した被告女性とは?」とおもしろおかしく書き立ててたね。そこじゃないやろ! 

それはさておき、判決後、裁判員の一人だった20代の男性が、被告の女性は裁判に非常に真摯に向き合っていたと思うとか、メディアで言われる内容と実際の裁判はまったく違っていたとか話していた。私もその通りだと思う。

今回の彼女にしても、たまたまおじいさんほど年上のお金持ちの男性に好かれ、「お金もらえるなら」と結婚に応じた。遺産相続、完全犯罪など怪しい検索履歴が話題となったが、それがどうしたといいたい。

◆福島恵子裁判長もカッコよかった!

しかも、今どきの若い女性は日々のニュースなど見ていて、警察が消去した検索履歴でも復活させることができることを知っていただろう。私が宝くじで当選したら、まずは「億ション」とか「海外旅行」とか検索するだろう。そのうち、調子こいて「高齢者の婚活」とか、さらに調子こいて「全身美容整形」とか検索するだろう。

彼女が何かよからぬことを企み、それらを検索していたとしても、それを実行にうつせてはいないことが今回分かったのだ。致死量の大量の覚せい剤をドンファンに飲ませることができなかったのだ。そこが重要。

「うちの旦那、憎たらしいな」「不慮の事故で死ねばいいな」と毎日毎日思っていても、それを実行にうつしてなければ、ある意味、問題ないのだ。女性は、一生、旦那を殺したいほど憎んで終わるんだな、とある意味辛くなるが……。

福島恵子裁判長もカッコよかった。裁判官らがあの黒い服の下を着ているかは知らないが、あの福島恵子裁判長は、(テレビで見る限り)正直ごく普通のカジュアルな服だった。それは例えば、私が玉出スーパーに大根をを買いに行くときのような服装だった。そんな福島裁判長が、きっぱりと「疑わしきは罰せず」をやってくれたのだ。弁護団がいうように「グレーをいくら重ねても黒にはならないのだ」。

◆腐った検察どもは、なんでもやりかねない!

検察はもちろんこのままではいないだろう。必ず控訴するだろう。しかし、どうやって大量の覚せい剤を飲ませたか、そこが解明されなければ、有罪にはできないだろう。

あるいはもうひとつ、覚せい剤の売人の一人が「女性に売ったのは氷砂糖」と証言した件だ。和田アキ子まで参戦して、「覚せい剤と氷砂糖は全く違う」とか言ってたらしい。ここで新たな展開として、「氷砂糖を売った」という証人について、控訴審で元締めが出てきて「あいつは売人として嘘をついた。うちの組織は彼を破門にした」などと言い、破門状や下手すりゃ男がけじめをつけた証拠として切断された小指などを証拠提出するかもしれない。

腐った検察どもは、なんでもやりかねないからね。今後も注目していきたい。

▼尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

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「防衛増税」の前提にされた「台湾有事」を21世紀の「白村江の戦い」にするな! 九州王朝倭国の亡国史に学ぶ さとうしゅういち

12月11日、防衛財源を確保するための増税について、政府・与党は、法人税は2026年4月から、所得税は2027年1月から実施するなどとした案をもとに、検討を進めるとの報道がされました。検討案では、それぞれ「防衛特別法人税」、「防衛特別所得税」という名称となっています。

だが、そもそも、防衛増税の前提となる事実についてきちんとした議論が行われているのでしょうか?

とくに「台湾有事」については、日本が巻き込まれる前提で、「それを防ぐために中華人民共和国を攻撃できる武器が必要」という話になっています。それは妥当な議論なのでしょうか?そのこともなしに、増税を前提とした議論が進むことに危惧をおぼえます。筆者は大まかに以下のように考えています。

・防衛増税の前提は「台湾有事」

・しかし、そもそも日米両政府とも中華人民共和国を唯一の中国を代表する政府とみなしている。

・ゆえに日本が台湾問題に軍事介入するのは国際法の根拠がない。

・もちろん、戦闘になれば国際人道法に反する状態が起きるのは必定。中華人民共和国が欲しい半導体工場も壊れてしまう。日中双方にいいことはない。

・かつて、日本は倭国だった時、九州北部に首都があり、旧地である朝鮮半島南部奪還を狙っていた。

・百済滅亡のどさくさに紛れて、斉明帝(実際は皇極帝重祚ではなく、間人皇女即位ではないか?) 百済王を助けると称して白村江の戦をやったが百済王が逃亡し、倭国は大敗した。

・旧領土を取り戻そうという下心が判断を狂わせたのではないか?

・現代においてもその愚を繰り返してはならない。

・台湾は確かに80年前までは日本領だった。だけど、未練は捨てるべき。

・日本自身の経済再建と東アジアの緊張緩和に注力すべき。

◆防衛増税の前提は「台湾有事」

防衛増税の是非の前に議論しておかなければいけない事があります。いわゆる「台湾有事」が、岸田総理以来の軍拡の大義名分になっています。「中華人民共和国が台湾に侵攻する際に米軍が台湾防衛に動き、それを防ぐために中華人民共和国が日本も攻撃してくる。それを抑止するために日本も中華人民共和国本土を攻撃してミサイルを破壊する力を持たないといけない。」おおざっぱに言えば、こうした理屈で防衛増税を正当化するわけです。

◆日米とも「中華人民共和国」が中国を代表する政府と認めている

そもそも、日本国政府も米国政府も、公式には中華人民共和国が中国を代表する唯一の政府だと認めています。従って、「中華人民共和国が台湾へ侵攻」と言う言い方も実は正確ではない。

例えば、1970年、当時、日本を代表する作家であった三島由紀夫が防衛庁に侵入・人質を取って籠城してクーデターを自衛隊員に呼びかけた上、切腹自殺するという事件がありました。極論すれば、中華人民共和国が台湾を軍事力で実効支配しようという行動は、三島事件の時に日本の警察が防衛庁に突入して三島を取り押さえるのと極論すれば法的には大差がないともいえるのです。

百歩譲って日本国が軍事介入するにしても、中華人民共和国への国家承認を取り消して中華民国(台湾を実効支配している勢力)を承認する手続きをしてからです。そうしないと筋が通りません。

なお、米国もいわゆる台湾関係法で台湾支援をするはず、という議論はありますが、あくまで、中華人民共和国への牽制球と言う側面が強いのではないか?特にトランプ次期大統領が本気で台湾を軍事支援するとも思えません。

◆習近平主席にとってもリスクが大きすぎる「武力による台湾実効支配確保」

ただ、大規模な武力行使になった場合には、当然、多大な犠牲が民間人に出ることは必然です。この点について、あくまで国際人道法、人権の観点から、そういうことがあってはいけない、したがって、平和的に問題を中国内部の話し合いとして解決してください、というのがせいぜい、日本が含む外国が取れる態度です。

国際人道法違反を犯せば、ICCによって習近平国家主席に逮捕状が発行され、随分中国の外交は制約される可能性も高い。これはプーチン大統領やネタニヤフ首相に逮捕状が出たことからも明らかです。さらに、戦闘が行われれば中国が欲しい半導体工場も壊れてしまいます。台湾との貿易(国際法上は国内の商取引)にもそれなりに依存している中華人民共和国がそう安易に武力行使すると言うことは考えにくいのです。

◆50年間の台湾領有で「取り戻したい」というバイアスが日本にないか?

もう一点、申し上げたいのは、1895年から50年間、日本は台湾を植民地としていました。そのことが、台湾有事に日本が介入すべし、的な議論のバックにあるのではないでしょうか?かつて、植民地だったからこそ、どこかに介入したい的なバイアスがかかってはいないでしょうか?

◆白村江の戦い ── 旧領回復狙って大惨敗

歴史は繰り返すと申します。日本は7世紀に大きな過ちを犯しています。それは白村江の戦いです。わたしたちが学校で習った日本史では以下の通りです。

倭国の大和朝廷が朝鮮半島に4~6世紀に進出し、百済と結びつつ任那を支配していたが、任那の日本府滅亡で追い出された。そして、百済が唐と新羅に滅ぼされると中大兄皇子=天智帝はこれに対して百済王子余豊璋を支援して出兵するも663年、白村江で大敗した。この原因の一つが、百済王の余豊璋がパワハラ男で、さらに決戦を前に逃げ出したということもあったのです。ともかく、慌てた中大兄皇子は飛鳥から近江の大津に遷都した。そして律令国家の建設を急いだ。

◆実際は九州本拠の倭国

だが、筆者は実際には白村江の戦い時点では、倭国を代表する政権の首都は九州北部にあったと考えています。というのも、敗戦後に「飛鳥から大津に都を移転して脅威に備えた」というのは地理的に見て、合点が行かないのです。

日本書紀にもあくまで「倭京」から「大津」に遷都したとしか書いていない。実際には、九州北部の「倭の都=倭京」にあった政権の一部が、大敗に慌てて現在の滋賀県大津市に逃げたとみるべきでしょう。

既に近畿地方は大海人皇子をトップとする地方政権の支配が確立していたのではないか。大海人皇子の勢力圏に間借りする形で、一応当時は日本列島を代表していた倭国の大友皇子こと大友帝が実は敵前逃亡していた百済王の藤原鎌足とともに執務を取っていたのではないか、と筆者は考えています。

なお、近畿を本拠の中大兄皇子の天智天皇という存在は実在が疑わしいとみています。というのも天智天皇の伝説はむしろ九州地方に多くあるからです。

◆斉明帝が戦死?! 高市帝が捕虜?! になる大惨敗

この白村江の戦いでは、斉明帝が自ら出向くも急死したことになっています。筆者は、実は斉明帝が流れ矢に当たって戦死した可能性を考えています。もうひとつは、斉明帝自体は、敗戦後しばらくして、不満を持った臣下に暗殺された。

他方で、実際に政務をとっていた男性=実質的な王が捕虜になり、政府が機能しなくなった可能性を考えています。その男性は、高市皇子=実際には後年、帝に即位していた=だったと筆者はみています。

その根拠は、柿本人麻呂が高市帝に送った挽歌です。人麻呂が送った挽歌としては最長です。壬申の乱で活躍したことへの挽歌とされるが、悲惨な印象を受ける。悲惨な戦いと言えば白村江の戦いです。

◆壬申の乱から長屋王の変へ 九州王朝倭国完全打倒への道開いた白村江の戦い

その高市皇子が、唐によって解放された。その理由は、近江の大友帝の政権が唐に反抗的だったので、それを転覆する目的だったのではないか? それが壬申の乱ではないか? 

実際、大津を占領し、近江政権の関係者の処罰をしたのは高市皇子でした。実は現役の帝の大友も含めて処断する権限があったのは高市が九州本拠の倭国の内部闘争に勝ったということではないかと推測しています。ただ、これにより、大きく倭国の権威は低下し、大海人皇子率いる日本国が後に倭国から政権を完全に奪う前段階ができたのでしょう。

ちなみに、完全に倭国から政権を奪ったのは文武帝ではないか? 根拠は諡号に〈武〉がついているということです。すなわち、前王朝を打倒したということです。

ちなみに筆者は、高市帝は暗殺され、首を抜かれて首は蘇我入鹿首塚に、胴体は高松塚古墳に埋葬されたと推測しています。高松塚古墳の被葬者は不明ですが、高市が帝だったとすれば、高市帝の可能性が高い。そして高市帝暗殺事件を、蘇我入鹿が暗殺されたいわゆる大化の改新にすり替えたのではないか? 大化の改新で導入されたとされる「郡」と言う表記も実は、高市帝の時代=新益京=藤原京で出土した木簡では「評」でした(大昔の東大入試にも登場)。

その文武帝も〈文〉がついていることから暗殺された可能性は高い。例えば、文徳帝は暗殺されたから、文が入っているのではないか。〈安〉とか〈文〉とか〈徳〉とか〈仁〉とかついている帝はたいてい、非業の最期を遂げています。文武帝を暗殺したのは母親の元明帝と藤原不比等の可能性も強い。

そして、聖武帝の時、高市帝の息子の長屋親王(歴史の教科書では長屋王とされているが、安倍晋三さん暗殺現場の近くの屋敷から発掘された木簡は長屋親王であり、天皇しか食べることが許されていなかったアイスを食べていたことから一定の権力を残していたとみられる)を打倒し、九州倭国を完全打倒したので、〈武〉がついているのだと推測しています。

ただ、その直後に「奈良時代の新型コロナウイルス」ともいえる天然痘で藤原氏の大物が全滅。恐れた光明皇后が過去に自分たちが滅ぼした権力者を聖徳太子と言う形でひとまとめにして、鎮魂の目的で法隆寺をリニューアルしたのではないか? と筆者は考えています。

さらに言えば、桓武というのも百済系の桓武帝が天武系の前王朝を倒した証拠で、いったんおとなしくなったはずの? 東北で反乱がおきたのは実際には全国各地で王朝交代による動揺があった証拠ではないでしょうか?

◆失地回復戦の白村江

とにかく、白村江の戦は、実は失地回復戦として行われたのです。どさくさに紛れて、本拠地の九州北部と目の鼻の先でついこの間まで一部は領土だった朝鮮半島南部を取り戻してやろうと。それで出兵したとみるのが自然な流れです。唐とまともに戦って勝てるわけない。失地回復を目指すバイアスが当時の斉明帝の判断を狂わせたのではないか?そして、戦の直前、百済王は姿をくらましました。

なお、白村江の戦の前には蘇我倉山田石川麻呂討伐事件、有馬皇子誅殺事件、孝徳帝が難波に置き去りにされて亡くったとされる事件なども起きています。これは、朝鮮半島の失地回復をめざす勢力が、朝鮮半島ではなく、東方への勢力拡大を図る孝徳帝らを暗殺したクーデターと筆者はみています。このころの難波は、倭国の東方拡大用のもう一つの都だったと思われます。

白村江の戦いの直前、斉明帝が亡くなると、中大兄皇子や大海人皇子は飛鳥に帰った、というのが学校で習った歴史ですが、これは、もともと、斉明=実際には間人皇女=が九州の政権の帝だったという事だと筆者は解釈しています。そして、飛鳥以東に勢力を持っていた人たちは九州北部の帝の斉明帝の命令で九州に来ていたが、途中で勝ち目がないのでサボタージュしたということではないのか?こうした中、斉明帝自体が無茶な戦に反対する部下に暗殺された可能性すらあるとみています。また、逃げ出した百済王とは大津に逃げ延びた藤原鎌足ではないかとも思っています。

さて、白村江の戦自体は倭国が惨敗。このことをきっかけに、九州北部から近畿へ日本の中心が移っていった。 日本列島の為政者は朝鮮半島の失地回復ではなく、関東や東北の支配を固めていく方向に転換したのではないでしょうか?

◆経済の再建と緊張緩和こそ現代日本の進むべき王道

さて、現代日本のあるべき失地回復とは何か?それは経済をきちんと立て直すことです。

ところが、台湾と言う旧領土を取り戻そうという下心が、日本国の為政者の判断を狂わせているのではないか?と心配です。それは、朝鮮半島という旧領土を取り戻すという、663年当時の斉明帝の判断の狂いと似ているのではないか? ちなみに、善光寺には皇極帝が地獄で鬼に追い立てられていたという伝説が残っています。
https://www.culture.nagano.jp/special/7329/

「娑婆(しゃば=人間の生きる世界)へ帰ることを許可された善佐は、その途中、鬼に追い立てられて疲れ切っていた女帝・皇極天皇と出会い、善光寺如来に自分ではなく天皇を助けてほしいと懇願します」

実際には白村江の戦のA級戦犯である斉明帝が地獄に落ちた(おそらく暗殺か戦死などの悲劇的末路だった)と言うことではないかと筆者は推測しています。

ただ、不幸中の幸いは、白村江後に唐と新羅が内ゲバを始めたことでした。また当時はミサイルもありませんでした。しかし、現代は違います。それこそ、日本による台湾有事介入は中華人民共和国に対して「日本による侵略に対する反撃」と称した日本攻撃の口実を与え、日本を滅ぼしかねません。

何にせよ、今、日本政府がやるべきことは、ことさらに台湾有事を煽るのを止めることです。もちろん、日本国政府はパスポート代として邦人保護費用を徴収しています。従って、万が一に備えて、危機管理として日本人退避などをシュミレーションするのは当然です。ただ、それはどの国についても同じことです。お隣の韓国でさえ、大統領のユンソンニョル被疑者によるクーデター騒ぎがありましたし、米国だってこれからはわかりません。

筆者が申し上げたいのは、変に「台湾独立」を叫ぶ人を勇気づけ、問題をこじらせることを日本の為政者はすべきではない、ということです。確かに台湾の人たちは親日的と言われてはいる。他方で、台湾を支配する政府も尖閣諸島の領有を主張しています。こうしたことをきちんと正面から議論すべきではないでしょうか?それもなしに雰囲気だけで、防衛増税?冗談ではありません。

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
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