籠池理事長証人喚問──なぜ参議院の自民党質問者が西田昌司議員だったのか?

 
 

  

23日衆参両院の予算委員会で、渦中の森友学園、籠池泰典理事長の証人喚問が行われた。参議院予算委員会での証人喚問の冒頭、山本一太委員長から虚偽を述べると偽証罪になるなどの注意があったが、籠池氏は冒頭の発言で安倍首相夫人から100万円の寄付を受け取ったことを再度明言した。真実は分からないが、少なくとも安倍夫人から寄付を受け取ったことについて、籠池氏の記憶は鮮明であり、それを問いただす質問にも答弁がぶれることはなかった。

◆西田質疑に表れた自民党の危機感

印象的であったのは、自民党の質問者が西田昌司であったことだ。西田はしきりに「問題の本質は政治家の関与などではなく、このような杜撰(ずさん)な設置計画を大阪府が認可したことと、マスコミ報道だ」と視線を籠池氏に向けること少なく、自民党議員席やテレビカメラをしきりに意識していた。違うだろう。たかが私立小学校の認可についての問題ならばわざわざ、国会予算委員会に証人招致などするものか。自民党は当初参考人での招致にすら、消極的であったではないか。そこに予算委員会のメンバーが現地視察に訪れた際、「この小学校建設には安倍首相の寄付100万円が入っています!」との爆弾発言が飛び出し、籠池氏をこれ以上「野に放っておけば、何を言いだすかわからない」、との危機感が募り23日の証人喚問招致を判断させたに違いない。

森友学園事件をめぐっては、私も複数回、森友学園に電話取材を行う中で、様々な問題を感じてきた。国有地の不当に安い払下げも重大な疑惑ながら、現職の総理夫人が名誉校長に名を連ねていることは最大の関心事だった。そして籠池氏によれば総理夫人からの寄付まであったという。事実ならば安倍政権は崩壊するだろう。

◆問題の本質を逸らして、実を取る狡猾さ

そこで、この日自民党が登用したのが、韓国、中国嫌いで国会では数知れぬ差別質問を繰り返しながら、「ヘイトスピーチ対策法」で民進党の有田芳生議員と歩調をあわせ、共同で法案成立を進め、あの「西田・有田握手」シーンまで残した西田昌司だ。

西田昌司議員(自民党)と有田芳生議員(民進党)

西田は確信的な差別感覚の持ち主ながらどうして、「ヘイトスピーチ対策法」の窓口に起用されたのだろうか。西田の質問を「西田砲」と名付け、彼を支援していた右派の人びとからは、「西田・有田握手」の驚くべきシーンが実現したあと、西田に対して「反日」、「裏切者」の批判が猛烈に高まった。

だがその批判は失当である。西田は狡猾で、身の振り方や演技の計算に長けた人間だ。本人が得意そうに籠池氏への質問で披歴していた通り、西田は税理士の資格も持ち合わせている。問題の本質を逸らして、実を取る技はなかなかのものだ。

 
 

「ヘイトスピーチ対策法」にしたところで、21日首相外遊中に閣議決定された「共謀罪」とセットで運用されれば、拡大解釈により21世紀型「治安維持法」として運用されることは目に見えている。「ヘイトスピーチ対策法」法案成立に血道をあげた有田議員や、しばき隊の罪も糾弾されねばならないが、「私には答弁する能力がありません」と正直すぎる答弁で、大笑い者になった金田勝利法務大臣とは違い、西田は極めて手の込んだ仕込み演技ができる。自民党参議院議員の中でも飛び抜けての演技派西田が、有田議員と握手するくらいは朝飯前だから、この日の質問者に選ばれたのだろう。

◆太田房江・元大阪府知事の不安

しかし西田がいかに、問題の本質を逸らそうとしても、西田の後ろに座る自民党議員の不安そうな顔が、「問題の本質」を物語っていた。中でも飛びぬけておろおろしていたのが、元大阪府知事の太田房江だ。2000年から2期8年大阪府知事の椅子にあった太田は籠池氏との交流や関係があったのか、西田の質問中、常にうかない、不安そうな表情だった。

西田が「問題の本質逸らし」にいくら腐心しても、籠池氏は安部夫人から100万円の寄付を受け取ったことについての証言は翻さない。のちに質問に立った民進党の福山哲郎議員が「先ほどの質問を聞いていて驚いたのですが」というほどに、籠池氏の答弁は明快だった。福山も「偽証罪があると知っての証言か」と繰り返し尋ねたが籠池氏は証言を曲げない。

さらに、安部夫人と籠池氏の夫人は「森友学園事件」発覚後の本年2月、3月になってもまだ頻繁にメールのやり取りを行っていたという証言まで飛び出した。三宅洋平と仲良しで、三宅と一緒に高江のテントも出かけ顰蹙(ひんしゅく)を買い、原発反対で、森友学園の教育理念を絶賛し名誉校長まで引き受けていた安倍昭恵。今頃首相側近に携帯電話を取り上げられているかもしれない。

◆こんなに面白い証人喚問をみたのは久しぶりだ

「森友学園事件」は、検察が動けばいつでも籠池理事長を逮捕できる準備が整っている(政府筋)そうだが、その前に籠池氏がここまで堂々と現職夫人からの寄付を証言するとは予想しなかった。この事件に関しては途中からマスメディアを尻目に、元しばき隊のジャーナリストが籠池氏を篭絡(ろうらく)し、情報を独占するという前代未聞の展開もあったが、この証人喚問での籠池証言は大阪の維新勢力だけでなく、安倍政権への強烈な打撃になることは間違いない。

「梯子を外された」と籠池氏は何度も語った。残念ながら日本会議を中心に、彼、および彼のまわりにいる人々の人間性は、その程度ということが証明されたが、こんなに面白い(不謹慎か)証人喚問をみたのは久しぶりだ。籠池氏にはさらなる「暴露」を期待したい。

(鹿砦社特別取材班)

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不思議だが本当だった──脳内記憶「コマ送り」のミステリー

週末になると田舎のバスは夜9時台に最終が出てしまう。気候が良ければ自宅まで徒歩一時間ほどの距離だが、雨天、しかもかなり激しく道路一面に飛沫が上がっていたのでタクシーに乗った。

道は空いている。国道と交差する信号は赤だったが私の乗るタクシー以外に同じ方向へ向かう車輌は見当たらない。

運転手さんと世間話をしながら、道幅がやや広くなる見通しのきく直接に差し掛かった時だ。100メートルほど前方から大型トラックが車体を揺らし道路左右のガードレールにぶつけ、明らかにコントロールを失いながら近づいて来た。

「うわぁ!」大声を挙げたのは運転手さんだった。道路は片側二車線あるがガードレールが敷設されているから蛇行しながら迫り来るトラックから車体を逃がす場所は無い。

至近にトラックの車体が迫った時、約15年ぶりにあの体験が蘇った。

あの時私は三車線ある国道で信号待ちをしていた。私の前にはワゴン車が停止していて、三車線の真ん中に止まっている私の車の左右も、信号待ちの車が例を成していた。

停止した時の癖で私はバックミラーに視線を向けた。後ろから近づいて来る自家用車はスピードを落とす気配がない。時速は40から50キロほどだろうか、私の車との距離が50メートル以下に接近した時、運転席から飛び出すべきか、と頭をよぎったが、もう間に合うまい。衝突を覚悟し頭を前に向け、両手を緩やかにハンドルに添え衝撃に備えた。

直後後ろから凄まじい音を伴った未経験のGを受けた。予期していたから頭をフロントガラスにはぶつけることはなかったが、相当の勢いで衝突された私の車は大破し、前に停止していたワゴンにもぶつかり、ワゴンは交差点の中央付近まで飛ばされて行った。

私が先日タクシーの中で忘れかけていた「あの」体感を経験したのは背後から迫る自家用車の衝突が不可避だと覚悟してから、実際にぶつかられるまでの間、せいぜい1、2秒の間だった。頭の中で鮮明に浮かび上がったのは幼少期からの記憶の復元だった。全てがカラフルで静止した写真かスライドの様な記憶のコマ送り。少なくとも20を超える、好ましい記憶の数々が瞬間頭を巡った。その中には初めて思い出す、だが確実に体験していた静止画もあった。

背後からの自家用車に衝突される、と覚悟した時、自覚的に恐怖感はなかった。怪我は覚悟したが「死ぬ」とは微塵も考えなかった。

意識的な思考とは別に、脳はその状況に違う判断を下し「コマ送り」が生じたのだろうか。忌の際に「生涯が走馬灯のように蘇った」との説話は何度か目にしたことがあったが、あの「コマ送り」は多分それらと同様の現象だろうと思っている。

そしてタクシーの後部座席に座った私の頭の中では、迫り来るトラックを目前に再び「コマ送り」が展開された。前回同様幼少期からの細やかながら好ましい記憶の「コマ送り」に、今回は別の像が重なっている。それは私の記憶にある経験ではない。どこかで見たことのあるような、初老の男性が過ごした日常の数々だ。

数秒間だが、確かに歩んで来た私の人生の「コマ送り」と、見知らぬ初老男性の愉快とは言い難い「コマ送り」が同時に写し出される。脳内は混乱しそうなものを、何故かしら二つの鮮明に重なる「コマ送り」は混乱も、互いを邪魔することもなく流れて行った。

トラックはタクシーの10メートルほど前で、ガードレールを乗り越え田んぼに突っ込み横倒しになっていた。

運転手さんが「死ぬと思うた!お客さん、ね!」と興奮覚めやらない大声で語りかけて来た。私は「あ、あダメかな」とは感じたがイコール「死」を感じた訳ではなかった。

しかし「コマ送り」は発生したのだ。あれは脳が死を予知した時だけに現れるはずだ。まあそれはよい。それにしてもあの初老男性の愉快ならざる日常の断片は何なのだ。

はっと、なり瞬間呼吸が乱れた。あれは未来の私ではないのか。忌の際に(仮にそうであったとすれば)どうして、あるはずのない未来の「コマ送り」が脳に映写されたのだろうか。初老男性の身の上に起こった出来事を私は鮮明に記憶している。

疲れた。衝突寸前の危機によるショックではなく、あの二重の「コマ送り」に。

運転手さんには「悪いけど警察や救急は運転手さんが手配してください。私はここから歩いて帰る。私がハンドルを握っていた訳じゃない。トラックの自損事故だから証言の必要もないでしょう」と告げ徒歩で帰宅した。

こんな経験読者諸氏にはないだろうか。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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結論はあらかじめ決まっていた? 死刑破棄された神戸小1女児殺害控訴審

2014年に神戸市長田区で小1の女児、生田美玲ちゃん(当時6)が殺害された事件で、殺人や死体損壊・遺棄、わいせつ目的誘拐の罪に問われた君野康弘被告(50)に対する控訴審の判決公判が3月10日、大阪高裁であり、樋口裕晃裁判長は「殺害に計画性が認められない」などと述べ、第一審・神戸地裁で裁判員らが下した死刑判決を破棄し、無期懲役を言い渡した。前日に判決公判があったミナミ通り魔殺人事件の礒飛京三被告(41)から2日連続で大阪高裁が裁判員裁判の死刑判決を破棄した形だが、実を言うと、君野被告の死刑判決破棄は初公判の前からあらかじめ決められた結論だったふしがある。

死刑判決を破棄した大阪高裁

◆たどたどしい受け答え

昨年12月16日、大阪高裁の第201号法廷で行われた君野被告の初公判。上は紺色の薄手のダウンジャケット、下はグレーのスウェットパンツという姿で現れた君野被告は、逮捕から2年以上続く獄中生活のためか、顔は青白かった。短く刈り込んだ頭髪も白いものが目立ち、いかにも生命力が弱そうな印象だった。

この公判では、被告人質問も行われたが、君野被告は法廷に現れた時の印象通り、たどたどしい受け答えに終始した

弁護人「一審判決では自分の身勝手さや攻撃性と向き合ってないと言われたけど、どう思った?」
君野被告「その通りだと思いました」
弁護人「今はいきなり首を絞めたり、包丁で刺したことをどう思ってる?」
君野被告「・・・・・・」
弁護人「現在はどう思ってるんだろう?」
君野被告「・・・・・・しっかり反省し、これからはそういうことがないようにしたいです」
弁護人「自分がしたことをどう思う?」
君野被告「ひどいことをして申し訳ないという思いがますます深まっています」

いまいちかみ合わないやりとり。反省しているのを訴えたい思いは感じるが、それを実現できない貧しいボキャブラリー。一審の死刑判決は君野被告について、〈知的能力は、心理検査の点数上は知的障害と正常の境界域にある〉としていたが、実際そうなのだろう。

一審の死刑判決によると、君野被告は下校中の美玲ちゃんにわいせつ行為をしようと、「絵のモデルになって欲しい」と声をかけて自宅アパートに連れ込んだ。そして騒がれずに身体を見たり触ったりしたいと考え、美玲ちゃんの首をビニールロープで絞め、包丁で首を4回以上刺して殺害。その挙げ句、死体を包丁でバラバラにして複数のビニール袋に入れ、近くの雑木林に遺棄したとされる。社会を騒がせた凶悪事件の犯人が普段は弱々しい人物であることは珍しくないが、君野被告もまさにその1人だった。

◆検察官の追及にタジタジに

それでも弁護人の尋問では、君野被告は日々、被害者の冥福を祈りながら写経をし、反省を深めていることを訴えた。しかし、検察官の反対尋問では案の定、厳しい追及によりタジタジにされてしまうのだ。

検察官「反省が深まったというのは一審でも言っていましたが、それ以後、具体的に反省がどう深まったの?」
君野被告「・・・・・・」
検察官「答えられない?」
君野被告「・・・・・・はい」
検察官「じゃあ、般若心経を写経しているそうだけど、その般若心教がどういう意味かは調べてるの?」
君野被告「・・・・・・」
検察官「本で勉強したことはないの?」
君野被告「あります」
検察官「どういう意味だと書いてあった?」
君野被告「忘れました・・・・・・」

公判慣れした検察官にとっては、君野被告のような知的能力の低い被告人を追及し、答えに窮させることはきっと朝飯前なのだろう。

一方、弁護側は君野被告が美玲ちゃんを誘拐した動機について、「わいせつ目的ではなく、お酒を飲みながら話をしたかった」と主張。さらに現在、養子縁組をして君野被告を支えようしている女性が存在することなども死刑回避の事情になりうることだと訴えていた。

だが、質問役として登場した美玲ちゃんの母からは逆に「あなたが養子縁組をしたと聞いて、私たち家族がどんな気持ちになるか考えなかったんですか?」と責め立てられ、君野被告は「すみません。考えませんでした」と小さくなるばかり。何をやっても裏目になっている印象だった。

◆年度内に片づけたい思惑がミエミエだった裁判長

では、初公判はそんな状態だったにも関わらず、なぜ死刑破棄が「あらかじめ決められた結論」だったと言えるのか。それは、樋口裁判長が初公判の最後に「第2回公判で結審しますので、第2回公判の日時だけでなく、判決公判の日時も決めてしまいしょう」と言い、初公判が終わった時点で早々と判決公判を「3月10日か同15日」と決めてしまうなど「この事件は年度内に片づけたい」という思惑がミエミエだったからである。

私はその様子を見ながら、樋口裁判長らは「控訴棄却」という結論を決めて初公判に臨んでいるのだろうとばかり思っていた。しかし実際には、死刑回避を最初から決めていたのである。大阪高裁で2日連続で起きた、まったく予想できない死刑判決の破棄。裁判とは本当にわからない。

君野被告が収容されている大阪拘置所

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)
『紙の爆弾』タブーなきスキャンダルマガジン

3・11東電本店前抗議行動──『NO NUKES voice』ルポ〈1〉

東京電力が引き起こした原発事故。あれから6年を経た今日も、悲惨な状況は続いている。2017年3月11日、東京電力ホールディングス本店前にて東電に対する抗議行動が行われた。蟻の目で記録した現場の様子と参加者の声。ビジュアルと文章でお伝えする。

◆福島返せ! 命を返せ! 情報隠すな! 原発反対!

東電本店が所在する内幸町は、千代田区の南東端に位置し、中央区・港区との区境にあたる。歩くことの好きな筆者は東京の道をそこそこ知っている。すこし離れた東京駅で電車を降り、銀座中央通りを南へ。新橋の手前で右折すれば山手線の下を潜って内幸町へ出ることができる。見つけた。山手線の“内側”に沿って建つ、これが東電本店だ。東電を背に、南を向いて集まっているのが警察と公安。道路を挟んで南側。角地に集まっているのが抗議活動参加者。間の道を走る高級車は、少し速度を緩め、なんとなく様子を眺めて銀座へ向かう。

たんぽぽ舎・柳田真さんの挨拶を経てシュプレヒコールが始まった。
福島返せ! 命を返せ! 情報隠すな! 原発反対!

たんぽぽ舎共同代表の柳田真さん
福島返せ! 命を返せ! 情報隠すな! 原発反対!

◆経産省前テント広場の共同代表、淵上太郎さん

午後2時から始まった抗議活動。シュプレヒコールに続いてマイクを握った淵上太郎さんは、経産省前テント広場の共同代表として活動している方だ。

「今日、あの福島の事故から6年が過ぎました。私たちはこの6年間、原発事故における東電の責任を追及してきました。そして原発政策へ反対するために、40回以上にわたってここ東電本店前で抗議行動を行ってきました。本日は3月11日。改めて東京電力に対して抗議の意思を示したい。そう思うわけです。
 なぜ抗議を続けるのか。それは、反省というものがまるで為されていないからであります。政府や行政は、福島をはじめとする原発事後被災地へ、極めて巧妙なやりかたで被災者を帰還させようと強行しています。4月1日から、避難者に対する住宅補償を打ち切ると言っている。ある福島の女性が『頭の中では帰還したいと思っているけれども、体が許さない』と話していました。帰るにしろ帰らないにしろ、極めて厳しい選択を迫られているわけです。それを迫っているのは、東電であったり日本の政府であったりするわけです。
 聞くところによれば、福島では放射能の“ほ”の字も口に出すことができない。こんな風になっている。そういう社会的な雰囲気が、東京電力や政府によって作られているということを、私たちは暴露しなければならないし、またこれと戦っていかなければいけない。これからも戦い続けるためには、大勢が声を揃え、肩を組んで進んでいくことによって、必ず新しい時代を切り拓くことができるだろう。そういう確信の下で本日の抗議行動も続けていきたいと思います」(淵上太郎さん)

経産省前テント広場の共同代表、淵上太郎さん

◆札幌の大規模集会で活躍した“自転車隊”の皆さんも

参加者のなかには、これまでの取材でお会いしたことのある方もいる。札幌での大規模集会で活躍した“自転車隊”の皆さんもそうだ。

札幌の大規模集会で活躍した“自転車隊”の皆さんも
双葉町からの避難者、亀屋由紀子さん

◆双葉町からの避難者、亀屋由紀子さん

東日本大震災の地震発生時刻が近づき、参加者による黙祷が捧げられた。写真左端に映るのは、福島県双葉郡双葉町から避難してきた亀屋由紀子さん。力ある声だと感じたのでここで紹介する。

「みなさんこんにちは。ふるさと双葉町を離れてもう6年です。この6年間、すごく辛い、耐えられない、なんぼ嫌な思いしたか分かりますか。この東電が無かったら、こんな苦しみは無かったんです私たちは。私は、再稼働に反対です。なぜかというと、自分が3・11で避難してくるときが地獄でしたから。なんにも持たない、テーブルもない、ダンボール拾ってきて新聞敷いて、ほんとうに地獄でした。同じ痛みを味わいさせたくないから、私は再稼働に反対なんです。絶対に再稼働させないでください。一番悔しいのは、双葉町とか浪江町なんですよ。原発から10kmくらいしか離れていないのに、なんで避難解除するんでしょうか。こんな危ないところに帰れない。わたしは絶対許せない。一言でいうと、双葉に帰りたい。今すぐにでも帰りたい。帰られるものなら今すぐにでも。でも帰れない。どんなことがあっても再稼働させないように、みなさん、これからもよろしくお願いします」(亀屋由紀子さん)

次回は集会に参加してスピーチを行った、ルポライターの鎌田慧さんと講談師の神田香織さんを紹介する。

[撮影・文]大宮浩平

▼大宮 浩平(おおみや・こうへい)
写真家 / ライター / 1986年 東京に生まれる。2002年より撮影を開始。 2016年 新宿眼科画廊にて個展を開催。主な使用機材は Canon EOS 5D markⅡ、RICOH GR、Nikon F2。
Facebook : https://m.facebook.com/omiyakohei
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〈原発なき社会〉を求める声は多数派だ!『NO NUKES voice』11号!
 

台湾の旅[3]──表向きはマフィアが消えた街

昨日、水道橋で古い友人M氏と会った。彼は日本人だが、台湾マフィア「竹聯幇(ジュリェンパン)」と合流して縦横無尽に凌ぎをしている。

「台湾の企業なら、いくらでも恐喝して金がとれるよ」というM氏だが、別に台湾の企業に恨みなどない。

この友人がマフィア入りするとき「立ち会ってくれ」と言われて断ると、幹部に土下座するような「儀式」の写真を見せられて「お前が困ったらいつでも敵の玉をとってやる」と、眉毛のない顔で笑った。

そのような台湾マフィアは今、一見すると堅気になり、輸入商や下着メーカーなどに化けてはいるが、一皮むけば「恐喝屋」だ。

それも表向きは警察に一掃されて「きれいな街」がそこにあるという。笑わせてはいけない。台北の街は売春婦だらけだし、麻薬の売人もはびこっている。表に出てこないだけだ。そんなわけでそのような事情を理解しつつも、この「表向きマフィアが消えた街」の観光を楽しんだ。

ある街で、ランタン、つまり「天灯」を飛ばす風景を見た。「天灯」とは、諸葛孔明が発明したとされる熱気球の一種で、平陽で孔明の軍が司馬仲達の軍に包囲された際に、天灯によって救援を要請したと言われているのだ。

台北は特定の地域でいつでもこの「天灯」を飛ばすことができる。観光客たちは「試験に合格しますように」と願いごとを書いていた。

さらに台湾ではさわかやな光景を見た。

十分(シーフェン)駅と大華(ダーファー)駅の間にあり、台湾のナイアガラとも呼ばれている「十分瀑布(シーフェン ブーブー)」では、実にマイナスイオンあふれる空気に触れてリフレッシュした。基隆河の上流に位置する多くの滝の内の1つであり、平渓線沿線の名所として知られており、多くの観光客が訪れている。

このとき、僕たち観光&取材は「ある尾行」に気がついた。その詳細は、後に譲ることにしよう。

ところで、例の緊迫感のない「民進党」代表の女性のみならず「国会議員」の二重国籍がつぎつぎと発覚して問題になっている。一度、「二重国籍」の人を洗い出して、どちらかの国籍に統一しないと税金を重く科すようなことをしないと、本当に誰がどんな意図で入国してくるかわかったものではない。

知らず知らずのうちに、沖縄の土地が中国人に浸食されている。買いたたかれているのだ。さらに、東北地方の水も中国人が買い占めている。日本の企業のITのパテントも台湾の企業が買い始めたと、東芝の人に聞いた。うかうかしていると「全員、上司が中国人」という事態になりかねない。

台湾を歩くと「美しい国」だが、日本の猿まねをしているのに気がつく。商品の陳列も、電気製品の売り方もまたしかり。アパレルもまたしかりだ。しかも、南国ゆえに朝の11時からしか店が開かない。怠けものこと、この上ない。私は怠け者は大嫌いだ。いまだに寝ないで仕事している身としては、最低の人種と見る。

そのように台湾人は話にならないが、台湾は美しい。ボーッとするにはいい場所だろう。知的な街はまず発見できないが、老後にはおすすめだ。

機会があれば、最近知り合った「台湾で企業を恐喝している半グレ」を紹介しよう。元関東連合だが、こいつこそ頭脳だけで稼ぐナイスガイだ。

▼小林俊之(こばやし・としゆき)
裏社会、事件、政治に精通。自称「ペンのテロリスト」の末筆にして中道主義者。師匠は「自分以外すべて」で座右の銘は「肉を斬らせて骨を断つ」。

タブーなきスキャンダルマガジン『紙の爆弾』
 
日本最後の遊郭飛田新地、そこに暮らす人びと、数奇な歴史、新地開業マニュアルを取材した渾身の関西新地街完全ガイド!

「逃げるは恥」のキックボクシング人生──試合から逃げた選手たち

「赤コーナー選手が現れないので、青コーナー選手の不戦勝と致します。」
言い方に語弊はあるかもしれないが、試合当日になって逃げるのは、轢き逃げ犯に似た心理なのだろうかと思います。悪いのは分かっている、しかし怖いから、現実逃避したくて逃げる。だが、その後の人生、重い後悔の念を持って生きなければならないでしょう。

◆逃げた選手の禊「許して貰えなかったら小指切り落とすつもりだった」

後楽園ホール入り口ロビー、ここまで来たら会場を覗くしかないはずだが……

昔、実際にあった話で、試合から逃げたある選手がいました。真面目で忍耐強い選手だったのに、そんな事態が発生しました。

試合の前日、カッパを着て走って来た姿で、ジムに体重を量りに来て計量器に乗り、「落ちない……!」と落胆した表情の某選手。その場にいた別の選手から聞いた状況でしたが、その某選手はそのままジムを出て行き、その試合当日の計量には現れなかった模様。夕方の開場後、そのジム会長が慌てだしました。「あいつ来ないんだよ!」、会長として団体側に試合出場をお願いした責任ある立場として、何とかしなければならない。どうやら別ジムにお願いして、当日試合観戦に来ていた選手を何とか説得してリングに上げたようでした。その選手もモチベーションが上がらなかったか、試合もスタミナが無かったせいか積極性は感じませんでしたが、5回戦を戦い抜く意地だけは見せていました。

その逃げた某選手、2年ほど経過した頃、所属ジムの会長宅に現れ謝罪されたようでした。「済んだことは仕方ないからもういいよ」と何も咎めなかった会長でしたが、某選手は「許して貰えなかったら小指切り落とすつもりだった」と鉈(ナタ)を持っていたという。「そんな覚悟があるならもう一度リングに上がってみるか」と会長は禊マッチを勧め、かなり格上の選手との対戦を決め出場させました。結果は中盤KO負けでしたが、最後まで粘ってしっかり禊を果たした試合でした。

リングに上がる階段、ここまで来れば引き下がれない

◆「当日逃亡も稀にあることですよ」

試合当日ではありませんが、出場予定の、ある団体の王座決定戦から数日前に逃げてしまい、代打としてデビュー2戦目の高校生が王座決定戦に駆り出されていたという替え玉として出場して格差あり過ぎの展開でKO負け、公式記録には元の予定だったままの選手名でコールされ、そのままの結果となる、そんな曖昧な団体もあったと聞きます。

昔から試合直前のカード変更、または中止は間々あり、現在でも「病気、怪我等により、カード変更、中止になる場合があります」という注意書きがプログラムにあり、練習中の怪我が最も多いと思われる止むを得ない場合や、高熱で当日の検診でドクターストップがかかる場合がほとんどですが、またそれらの中には発表されずも「当日逃亡も稀にあることですよ」という古い関係者もいました。

◆退院直後にもかかわらず代打で駆り出されKO勝ちした藤本勲

神聖なリング。多くの協力があって興行が成り立つゆえ、責任もある

彼女連れて試合観戦に行ったら急遽「試合に出てくれ」と言われて出場を了承した選手や、古くはキック創生期の藤本勲(目黒)氏は怪我で入院し、退院直後に試合観戦に行ったら代打に駆り出されて出場も、KO勝ちしたことがあるというエピソードを持ち、いずれも日本のコミッションが管轄するプロボクシングでは在り得ない事態ですが、以上はキックボクシングの創生期から団体分裂が頻繁に起こった、ルールの曖昧さあった時代の古い出来事です。

現在のタイ殿堂スタジアムでも当日のカード変更はざらにあり、朝の計量終わって夕方、スタジアム行ったら相手が変わっていたことがあるという、「相手は計量後に具合が悪くなった」とのことで、逃げたのか本当に具合悪くなったのかは分からないというタイ現地のあるジム代表が語る、ここ数年での現実にあった事態もありました。

◆逃げるは恥、運命が変わるそれぞれの因果応報

ここを目指して他分野の格闘競技選手も日々頑張っている
整理整頓された会場内。声援に応えるファイトを見せたいもの

「軽い練習はしつつもプロデビューは考えず、30歳超えて人生のけじめに1試合だけやろうと気が変わってデビュー戦し、不器用な試合ながら何とか勝って即引退、ジムのトレーナーや雑用などしていた為、業界には残り、後々に年下のチャンピオンから、こんな私にも会釈して挨拶してくれることがあり、実績を残した訳でもないのに1戦でもやっておけば、周囲の眼差しが変わるものだな」という選手経験者と一般未経験者側に立つ位置は違うものだと感じた人もいるようです。あくまでこの人が年配者で“1戦”したことが分かる人の前だけになる狭い範疇ですが、その事実は人生の大きな分岐点でしょう。

逆に1戦でも逃げた選手が、「前座の1試合ぐらい無くなってもたいした影響は無い」と考えたとしたら、主催者と対戦相手側には大変な迷惑を掛けることになります。出場予定だった側から見れば当日に相手が代わるのも不愉快な事態で、中止になっては試合に向けて調整した苦労が報われません。

ラストラウンド1秒前まで殴り合って、終了と同時に抱き合って「ありがとうございました」と言う言葉には、スポーツマンシップ精神と、マッチメイク成立から試合終了に至るまで、対戦相手が居てこそ成り立った、その対戦相手に対する感謝でしょう。対戦相手を探しても次々と拒否され続けたら延々と試合が出来ません。試合出場するプロ意識は、大勢の協力があって試合出場出来る感謝の姿勢をデビュー前に指導すべきかもしれません。

逃げる心理は、止むを得ない中での冷静になれない状況でしょう。その後、心に汚点を持って生きることになるでしょうが、堂々と会場に姿を現せるものではなく、来場していても後方の影から観戦し、人混みに隠れて会場を出るといった話も聞いたことがあります。どこが分岐点になるかわからない選択人生、巡ってやってきた使命は果たさなくてはなりません。

時が流れ、昔、ジムから逃げ出したことを謝りにそのジムを訪れたら、会長が「そんな昔のこと忘れちゃったよ、元気だったか」と言われた元選手も居て、罪深いことをしていても凶悪犯罪でもなければ時が解決してくれるかもしれません(年輩者の古いジム会長に限ります!)。

以上のような現状もある興行の裏側のひとつを紹介しましたが、一般社会でも同様に逃げたくなる修羅場はいっぱいあるもの、試合に出される訳でもなければ小指切り落とさねばならない訳じゃない人生、“頑張ろう”とまず我に言い聞かす日々なのです!

クリンチではなく、試合直後の抱擁、健闘を称えあっているのです

[撮影・文]堀田春樹

▼堀田春樹(ほった・はるき)
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

ともに思想家で武道家でもある内田樹と鈴木邦男が、己の頭脳と身体で語り尽くした超「対談」待望の第二弾!!『慨世の遠吠え2』
3月23日発売開始!「世に倦む日日」田中宏和『しばき隊の真実──左翼の劣化と暴力化』

行動する精神科医、高木俊介氏が見た福島──『NO NUKES voice』11号

あの時、小学校に入学直前だった子供が中学校へ進学する。小学校6年生で卒業式を終えた児童の大半は高校を卒業したことだろう。20歳だった青年も26歳。皆年齢だけは、毎年1つづつ平等に重ねてゆく。彼らの中であの日の記憶はどうなっているのだろうか。震災直後東京の少なくない高校生は「原発反対デモみたいに」という言葉を、異形のものを示す侮蔑表現として使っていたが、成人した彼らの認識に変化はあるだろうか。

◆6年の年月を経ても変わらない(変えることのできない)風景

高木俊介さん(精神科医)1957年、広島県生まれ。京都大医学部卒業。日本精神神経学会で、精神分裂病の病名変更事業にかかわり「統合失調症」の名称を発案。2002年に正式決定された。04年、京都市中京区にたかぎクリニック開設。著書に「ACT-Kの挑戦」(批評社)、「こころの医療宅配便」(文藝春秋)など

6年の年月を経ても変わらない(変えることのできない)風景がある。15日発売の『NO NUKES voice』に登場して頂いた精神科医、高木俊介氏は、震災後何度も福島に足を運び、診察所の開設や子どもの保養を独自に進めてきた方だが、その高木医師が震災5年後(昨年12月)、国道6号線の光景を目にしてあっけにとられたという。

まったく手が付けられずに放置された膨大な地域。道路だけは名目上「除染」されたことになってはいるが、その周辺には人の手が及ばない。本当は人が入ってはならないほど汚染はいまでも深刻だが、国道6号線は「開通」してはいる。ただし通行を許されるのは車両のみで、バイクははいれない。言わずもがな、いまだに空間線量が高いので「体が剥き出しのバイクは危険」というのが、国(あるいは県)の判断だ。だが飛んでくる放射線は、紙一枚で止められるアルファー線だけではない。車の薄いボディーやガラスなど無関係に透過してしまうベーター線やガンマー線だって飛んでるだろう。それに空間の数値とは関係なく、地面には膨大な核種が積もっているのだ。

色も、匂いも、手触りもない。いや、正確にはそれらが感じられるほどの量を目視できる場所に立てば、人間は即死してしまうから知ることが出来ない。それが放射性物質の猛烈な「殺傷力」の本質だ。

◆この国は持つのか?

どうするつもりなのだろうか。政府や東京電力は。さしあたり除染や廃炉、補償に必要な額として「20兆円貸してくれ」と東京電力は国にすがりついている。20兆円は2016年度国家予算の約25%に相当する。そんな巨額を1私企業に無担保で貸し付けても大丈夫なのか。

しかもこの金額は「さしあたって」のものであり、これだけで済むものではない。最近になって「本当は40兆円」という噂が流れている。40兆円なら国家予算の約半分弱。国家予算の半額を1私企業の犯罪を贖(あがな)うために投入するような予算は、さすがに表向きできない。そうでなくとも公債(国・地方あわせ)の発行残高が1500兆円を超え、国民総資産を間もなく凌駕(りょうが)しようという、破産寸前の財政状態にあって、この国は持つのか。

◆私たちが生きている国の政権は「愚か」の極みである

高木医師は自分自身が被災地に関わる中から体感した、被災地の惨状と、原発への危機感、さらにはこの国の行く末について、重大な警鐘を語りかけてくれている。

「どうすればよいのかを、誰か知っていたら教えてください」

脱原発に長年かかわる人びとは、示し合わせたようにそう口にする。でも、そう語りながらも原発の危険性を一人でも多くの人に理解してもらおうと、血のにじむような思いで、何十年もひたすら語り、行動することをやめたり、あきらめたりはない。おそらくその行動の中にしか回答はないのだろう。

ドイツや台湾のように人間として標準的な判断力を有している政府であれば、「こんな危険なものは国を滅ぼし人びとに惨禍を与えるだけだ」、と福島第一原発事故を見て気が付く。真逆に残念ながら事故を起こしたこの国の政権は、それでも原発を続けるという。日本語でこの様な行為を「愚か」と表現する。しかしながら残念なことに私たちが生きている国の政権は「愚か」の極みである。そうであるのであれば「愚か」さに相対してゆくしか方法はない。

◆被災当事者の痛みを私たちはまだ十分に理解していない

1月21、22連日大阪で「再稼働阻止全国ネットワーク」主催による、「全国相談会」と集会、デモ、関電包囲行動があった。「全国相談会」は毎度のことではあるが参加者の平均年齢が高い。平均年齢をぐっと引き下げているのは福島から避難してきたお母さんや子供たちだ。避難して「闘う」ことを決意したお母さんたちの目の奥にはある種の「覚悟」がある。「全国相談会」で議論が散逸しそうになると、「私たちさっきから議論を聞いていて、本当に大丈夫なのかなというのが正直な感想です」と厳しい批判をで議論を軌道修正する。

そうだろうな、と同感する。まだ被災当事者の痛みを私たちは、十分に理解していないのだ。自省を迫られた気がした。しかし「十分理解できていなかった」ことを認識することは大きな前進であり、社会運動の成長はそれを構成する個々の人格的向上や、専門知識の吸収度合いと軌を一にするのであろう。

「全国相談会」の参加者200名は集会で400名に、デモと関電包囲行動には1000人に膨れ上がった。雨中のデモであったがあの長い列は、組織動員もない中、圧巻であった。しかしその様子を伝えたマスメディアはない(本誌を除いて)。震え上がるほど気温は低かったが「原発を止める」い熱い意志に揺るぎはないことを再度認識する2日間であった。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

〈原発なき社会〉を求める声は多数派だ!
『NO NUKES voice』11号発売開始!

那覇地裁で本日初公判『NO NUKES voice』は山城博治さん即時保釈を求める!

不当逮捕で長期勾留されている沖縄平和運動センター議長の山城博治さん

15日に発売された『NO NUKES voice』第11号には福島現地からの声も当然満載されている。特集Ⅰは「3・11から6年──福島の叫び」だ。原発事故をきっかけに大熊町の町会議員になった、木幡ますみさんは震災が起きたあの日、あの時刻に偶然にも友人たちと「原発震災」の話をしておられたそうだ。まさかの偶然が現実の悪夢となって、どれほど恐ろしい思いをされたことであろうか。木幡さんは静かに、ひたひたと怒りをつづっている。

原発推進標語「原子力明るい未来のエネルギー」が街に飾られる標語に採用された経験を持つ大沼勇治さんは、この6年間、被災地で脚光を浴びた方の一人でもあった。自身が「騙されて」作った標語を未来への教訓として残すべく、双葉町に働きかけたり、本誌でご紹介した通り、元の標語の前に立ち原発を批判するメッセージを掲げたり様々な行動をしてこられた。大沼さんだからこそ味あわなければならなかった、苦渋と決意があかされる。佐藤幸子さんは事故後早い時期から文科省をはじめとする政府機関や東電への抗議の先頭に立ち、鋭い批判や行動力を発揮されてきたが、運動の中でも過酷な事態に直面したことを告白されている。福島敦子さんは京都へ避難し裁判闘争に直面せざるをえなくなる。

被災者は異口同音に政府の欺瞞を糾合し、健康被害への過小評価、事故は「無かったこと」にしようとする政府を中心とする動きに真っ直ぐな異議を申し立てている。健康被害同様、事故の「風化」への危機感も同様だ。何よりもまず、被災しながらくじけることなく闘い続ける人たちの声を聞こう。専門家と自称し嘘を語って儲けにしている人間に対しての対抗言語の最強の反撃は、闘い続ける被災者の声の中にある。

特集Ⅱは「逆流の原発輸出 本流の原発破綻」だ。間もなく上場廃止が避けられない状況まで屋台骨が傾いた「東芝」。優秀な電気関連機器、半導体メーカーとしてその名を世界にとどろかせていた「東芝」は原発に深入りし過ぎたために、破たんを迎える。山崎久隆さんの解説は日経新聞よりも正しく詳細にその原因を解き明かす。

森山拓也さんはトルコへの原発輸出策動を現地の人がどのように受け止めているかを、トルコの反原発運動家の声を通じて紹介している。井田敬さんは先日憲法裁判所がパククネ大統領弾劾を決定するに至った韓国における市民運動と原発産業の現状を、昨年11月自身が訪韓した際の取材を中心に報告する。100万人を超える集会が開かれている大事件を多くの日本人は知らない。井田さんの報告はパククネ弾劾に至る韓国の多様な市民運動の姿を知る格好のテキストだ。佐藤雅彦さんは「原発ゼロの世界地図」を解説、須藤靖明さんは主として九州の火山と原発の危険性を指摘する。

その他各地の運動情報や報告も満載だ。『NO NUKES voice』は絶対に福島第一原発事故を風化させない。

国際的にも不当な長期勾留が問題視される中、一刻も早い山城さんの保釈を!

◆山城さんの「訂正と謝罪」文をそのまま1頁掲載

ところで、本号には少し異色な1頁がある。本日17日、那覇地裁で初公判をむかえる沖縄平和運行センター議長、山城博治さんからの「山城博治インタビュー記事に関する訂正及び謝罪」だ。山城さんには『NO NUKES voice』10号にご登場頂き、私が伺ったお話をそのまま掲載した。ところが取材直後に山城さんは不当逮捕されてしまい接見禁止とされたために、ご本人にインタビュー原稿を確認して頂くことが出来なかった。

編集部としては問題なしと判断しそのまま前号に山城さんのインタビューを掲載したのであるが、拘置所にいまだに閉じ込められている山城さんが前号をお読みになり、弁護士の先生を通じて「訂正をしたい」旨のご連絡があった。通常の取材であれば、取材に応じて頂けた方に確認をして頂いた後に記事を掲載するのだが、上記の事情により山城さんご本人に確認することなくインタビュー記事を掲載し、それにより山城さんには大変なご心配をおかけしたことを、私自身深く反省し、お詫びを申し上げたい。

山城さんの「訂正と謝罪」は頂いた文章をそのまま1頁掲載した。「訂正と謝罪」にも山城さんのお人柄が溢れている。重ねて山城さんと、訂正記事掲載にご協力いただいた沖縄平和運動センターの皆様と弁護団の先生方にお詫びとお礼を申し上げる。国際的にも不当な長期勾留が問題視される中、一刻も早い山城さんの保釈を!


◎[参考動画]脱原発集会での山城博治さんのスピーチ(2016年3月26日原発のない未来へ!全国大集会)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

多くの人たちと共に〈原発なき社会〉を求める『NO NUKES voice』11号
『NO NUKES voice』11号発売開始!

「合田界隈」から歓喜の声!合田夏樹さんツイッターアカウント凍結解除される!

 
 

 
「凍結解除されましたわ」。
携帯電話に「合田さん」との表示が出てから、いつも元気な声の合田さんだが、ひときわ嬉しそうだった。過日「なぜか」凍結されていた「あの」合田夏樹さんのツイッターアカウントが15日夕刻凍結解除された。

合田さんは昨年「永久凍結」を経験しているが、そんなものはなんのその、再びアカウントを開設し、堂々と自説を展開。旧アカウント時代よりもフォロワーを大幅に増やし、ネット界では「合田界隈」と呼ばれる世界を構成している有名人物だ。

もっとも合田さんは「自由」をモットーとはするが、鹿砦社特別取材班と思想の指向性が同じ方かと言えばそうではない。合田さんは保守的な方であり、原発にも賛成の立場であるから、直接取材をさせて頂いた後の懇親会の席では、特別取材班のメンバーと熱い議論を繰り広げたこともある。しかし特別取材班と合田さんは「言論の自由」の尊重と、差別には原則的に反対する(時に危なっかしい書き込みもあるが)、点で、奇しくも「赤い糸」(!)で結ばれていたのである。

世の中には人の恩も知らずに、思い込みで「ツイッターアカウントを一度永久凍結されたら、二度と大々的には復活できない」など勘違いも甚だしく、まくし立てる人もいるが(あえて名前は明かさない、読んでいる本人にはわかる。読者にもちょっと難解なクイズかもしれないが謎解きに挑戦してみてほしい。誰が「恩知らず」の「思い込み」か)。

ともあれ多趣味でお仕事も忙しく、家庭サービスにも抜かりがない、完璧な家庭人の合田さんではあるが、余技としての「ツイッター遊び」にはまだ未練がおありのようなので、とりあえず凍結解除には「おめでとうございます」と申し上げておいた。

合田さんのツイッターより(2017年3月15日)

「きょうだけでフォロワー40人くらい増えとりますわ」
合田さんの声が弾む。

「でも、奥さんからは『もうやめなさい』と言われていらっしゃるとお伺いましたが」
「そうなんですわ」

 
 

某ニュースサイトでは野間易通氏と合田さんのほぼ同時凍結を話題にニュース記事まで書かれるほどの大事件に発展したが、凍結解除のインタビューはこれまた「特別取材班」の独占スクープとして頂いておく。左右を問わず世間には大きな誤解があるようだが、鹿砦社は「こじらせ左翼」(奥田愛基氏の表現)でも「極左」でもない。鈴木邦男氏の本を最も多く出版しているのが鹿砦社であるし、三島由紀夫についての刊行物もある。そしてある時期日本中を震撼せしめた「ジャニーズおっかけマップ」を中心とする暴露本も作れば、「M君リンチ事件」のようにどのメディアも活字にしない事件を追う。ジャーナリストの田中龍作氏や音楽家の三枝成彰氏からは「本当のことを知りたかったら『紙の爆弾』を読みましょう」とまで評価をいただいているが、多様な側面を持った出版社だ。

われわれは、原則的であり、虚構の権威やイカサマの皮をかぶったいかがわしい「善意」(偽善)の正体を暴露する。なぜか。他のどの出版社もメディアも手を付けないからだ。そのためには一通りの取材では収まるはずがない。時には偽善者の正体を暴露するために体を張った取材もするし、記者クラブでふんぞり返っていても、ブリーフィングのペーパーが回ってくるような腐りきった大マスコミとは違うのだ。

そこで合田さんである。合田さんはある種の「いたずら好き」の確信犯といえよう。彼の主たる「お客様」は、まだ残存している「しばき隊」である。昨年の「凍結合戦」で「漁夫の利」的にフォロワーを増やし、凍結「ウハウハ」の合田さんはこちらが聞かずとも話し出した。

取材班  今後はどうなさるおつもりですか?
合田さん うーん……。(嬉しそうな声で)まあ凍結解除されましたから当分はやりますわ。
取材班  一番旬の時に、余力を残して『引退』されたらカッコいいんじゃないですか?
合田さん それも考えとったんですわ、でもねちょっともったいないかなと思って。
取材班  ニュースサイトの記事では『野間氏には凍結運動のようなものがあるけど、合田さんの仲間は笑っている』ようなイメージでしたね。私も笑っていましたけど。
合田さん 腹立つな(笑)。なんか僕の知らないところでえらい盛り上がってるんですわ。でも今回の凍結はちょっとおかしかったですよ。ツイッター社からメールが来たんですが、凍結の理由が『あなたは複数のアカウントを持っているから』という理由だったんです。確かに私は3つアカウント持っていますけど、そんな人は山ほどいるでしょう。だから「僕は3つしかもっていませんけど」とツイッター社にメールしたんです。しばらく連絡がなかったけれども、今日になって『調査の結果あなたが不当に多くのアカウントを持っていないことが判明しましたので凍結を解除します』とメールが来たんです。おかしいでしょ。僕が3つアカウント持っているのには理由があるんです。以前は本アカウントで自閉症の息子のことも積極的に取り上げていたけど、政治的な話題にまみれると息子の発信をしている意味が薄れるんですね。だからアカウントを分けた、もう一つは前から持っているものです。
取材班  ツイッター社はそれをすべて手作業でやっているんですね。機械的にメールを送るだけでなくて個別のメールのやり取りをしている。
合田さん そうです。だからツイッター社売上は250億ドルらしいんですけど、経常赤字14%です。
取材班  こんなことやってたら儲からないでしょ。いずれ日本ではツイッター自体がなくなる可能性もあるんじゃないですか?
合田さん あり得ますよ。利益出てないと思いますから。
取材班  やっぱり、合田さんはその前に『引退』されたらかっこいいと思うな。合田さんが引退されたら、その遺志を継いで特別取材班が『続・合田界隈』かなんかの名前でアカウント作って、美味しいところもらいますので。
合田さん それは調子よすぎじゃないですか(笑)

合田さんのツイッターより(2017年3月15日)
 
 

  
取材班  でも、合田さんのように実社会で様々な人と会って、会社もあり、余技でツイッターをやっている人は結構ですが、これにのめりこんでいる人は人間が壊れるんじゃないかという気もするんですが。
合田さん そうだと思いますよ。うっぷん晴らしなんですよ。ツイッターでは自分の口からは実際には言えないことを書き込みますからね。しかもそれがエスカレートする。壊れる人というか、壊れている人もうたくさんいます。フェイスブックとかでもね。パヨチン界隈なんかほとんどがそうじゃないですか。
取材班  至極冷静なご意見だと思いますが、それでもまだ『合田界隈』は発展させたいと。
合田さん いやいや『合田界隈』って誰かがつけた名前ですよ
取材班  ちなみに鹿砦社特別取材班は『合田界隈』に入っているんでしょうか?
合田さん いや、微妙なんですわ。『お前なんであんな左と付き合うの!』って怒られること もありますしね。
取材班  いずれにしても凍結解除おめでとうございました!

意気揚々と円満なご家庭に帰って行かれた。その円満な家庭に脅威が及んだことから特別取材班と合田さんとの連絡が始まったのだ。「有田丸襲撃事件」だ。合田さんの職場及び職場付近の写真を有田芳生参議院議員の選挙カーに乗った人物がネット上に公開するという事件が起きたのだ(『ヘイトと暴力の連鎖』ご参照頂きたい)。実行犯の1名は確定している。特別取材班は引き続き「有田丸襲撃事件」を追う。ツイッターなど一切使わずに。

(鹿砦社特別取材班)

在庫僅少『反差別と暴力の正体――暴力カルト化したカウンター-しばき隊の実態』(紙の爆弾2016年12月号増刊)
在庫僅少『ヘイトと暴力の連鎖 反原連-SEALDs-しばき隊-カウンター』(紙の爆弾2016年7月号増刊)

多くの人たちと共に〈原発なき社会〉を求めて『NO NUKES voice』11号本日刊行!

福島原発事故で故郷を根こそぎ奪われた大沼勇治さん。事故からもうすぐ6年となる1月末、地元の双葉町に一時帰宅し、シャッターを切った。そこに映るのは諸行無常、無念の景色──。かつての自宅は第一原発から4キロ圏内。海岸線の彼方に見える原発に向かって「バカヤロー!」と叫びながら石を投げつけた。(『NO NUKES voice』11号グラビアより)

『NO NUKES voice』vol.11発行にあたって

2011年3・11から6年を迎えました──。

稼働原発が一基もない時期もありましたが、遺憾ながら今は川内原発と伊方原発の二基が再稼働していて、さらに再稼働が水面下で目論まれています。故郷が破壊されたり、廃墟になったり、見知らぬ土地に避難を余儀なくされたり、挙句、みずから命を絶った方々もおられるのに、為政者や電力会社は一体何を考えているのでしょうか。これだけの犠牲が出ているのに、常識的に考えるなら原発再稼働などありえないことです。

まずは真摯に被害者、被災者に寄り添い、賠償や生活支援を第一義にすべきでしょう。この期に及んで再稼働しなくても電気が足りていることは誰もが知っていることです。「節電」という言葉もすっかり聞かれなくなりました。

本誌は2014年夏に創刊し、昨年末に発行した号でようやく10号に達したにすぎませんが、今後も原発事故の推移、福島復興の生き証人的な役割を果たしていきたいと考え発行を継続していく所存です。

今号が11号、いわば<第二期>のスタートの号にあたります。<第二期>のスタートに際し、伝説の格闘家の前田日明さんにインタビューさせていただきましたが、意外に思われる方もおられるでしょう。べつに運動家、活動家でもなんでもない一格闘家が脱原発を語る、あるいはただの市井人が脱原発を語る──。本誌は、格闘家でもただの市井人でも、幅広い方々が脱原発を自由に語る場でありたいと思います。次号からも、異色の方々に登場していただく予定です。ご期待ください。

次の再稼働はどこなのか? 水面下の蠢きが聞こえるようですが、立場や考えを越えて一致して阻止していこうではありませんか。

2017年3月『NO NUKES voice』編集委員会

 
 

私たちは唯一の脱原発情報誌『NO NUKES voice』を応援しています!!

〈原発なき社会〉を求める声は多数派だ!
『NO NUKES voice』11号本日刊行!