投稿者: rokusaisha
西日本新聞「押し紙」訴訟判決とオスプレイ搭乗記事の掲載について 江上武幸(弁護士)
◆西日本新聞1面トップ記事『国防の最前線』への強い違和感
11月28日(木)付西日本新聞の朝刊1面のトップに、「『国防の最前線』実感 屋久島沖墜落1年、オスプレイ搭乗ルポ」と題する記事が掲載されていました。
オスプレイは、ご承知のとおりアメリカでは「未亡人製造機」と呼ばれるほど墜落死亡事故の多い軍用機で、開発段階から昨年11月の鹿児島県屋久島沖墜落事故までに計63人が死亡しています。生産ラインは2026年に終了予定で、世界で唯一の輸入国である日本は、陸上自衛隊が17機を総額3600億円で購入し、2025年6月に佐賀空港に配備する予定です。
現在、空港の整備工事が着々と進行しています。その額は社会保障費の削減分3900億円に匹敵しており、社会保障費を削り、そのお金でアメリカの欠陥機を購入するという、子供でもわかるような愚策が実行されています。
佐賀県選出の立憲民主党の原口一博衆議院議員は、もともと諫早湾干拓の堤防の開門決定に従わない国に強い不信感を感じておられ、開門しない代わりに漁業者に交付予定の100億円の基金についても、オスプレイ購入代金一機分にも満たないとして、憤りをあらわにしておられます。
原口代議士は佐賀県出身であり、鍋島藩の武士道「葉隠れの精神」に基づき、そもそも国が欠陥機であるオスプレイを1機200億円で購入するだけでなく、墜落の危険がある欠陥機に自衛官を搭乗させることに怒りを感じておられます。平の自衛官ではなく、幹部の自衛官が搭乗しろという至極まっとうな葉隠れ精神に基づく主張です。
私は、来週の12月24日午後1時15分に言い渡される西日本新聞押し紙訴訟の判決を前に、西日本新聞が1面トップに何故冒頭のような記事を掲載したのか、強い違和感を感じています。
◆西日本新聞社は、なぜこのような記事を1面トップに掲載することにしたのか?
縦の見出しには「『米中の対立の影』にじむ」と書いてあります。長田健吾記者が福岡空港でオスプレイに乗り込み、九州西方の洋上を航行する原子力空母ジョージ・ワシントンに着艦して、エマニュエル駐日大使の記者会見を受けるという筋書きです。
九州周辺の中国との緊張状態をことさら強調する内容の記事になっています。
西日本新聞社は、なぜ記者を命の危険にさらしてまでオスプレイに搭乗させ、このような記事を1面トップに掲載することにしたのか?
佐賀県を始め九州・山口各県の住民の大多数は、戦争になったら真っ先に攻撃の的になることもあって、オスプレイの配備には反対しています。それにもかかわらず、九州・山口を代表するブロック紙の西日本新聞社が、平和の訴えと真反対に軍事的緊張をあおる記事を掲載したのか、全く理解が出来ません。
平和交渉こそ強く訴えるべき新聞が、戦前の従軍記者のように、現地の軍事的緊張感を読者に訴える記事を書いているようにしか見えません。
来週の西日本新聞の押し紙訴訟の判決の結論と、この記事が何らか関連しているのではないかとの懸念を覚えましたので、急遽、投稿することにした次第です。
※本稿は黒薮哲哉氏主宰のHP『メディア黒書』(2024年12月22日)掲載の同名記事を本通信用に再編集したものです。
▼江上武幸(えがみ・たけゆき)
弁護士。福岡・佐賀押し紙弁護団。1951年福岡県生まれ。1973年静岡大学卒業後、1975年福岡県弁護士会に弁護士登録。福岡県弁護士会元副会長、綱紀委員会委員、八女市役所オンブズパーソン、大刀洗町政治倫理審査会委員、筑豊じんぱい訴訟弁護団初代事務局長等を歴任。著書に『新聞販売の闇と戦う 販売店の逆襲』(花伝社/共著)等。
裁判で何が裁かれ、何が裁かれなかったか? 尾﨑美代子
ここ数日、ちょっと驚く裁判の記事が目につく。大阪高検の検事正だった男性が、検事時代、酔いつぶれた部下の女性検事に性加害を与えた件で逮捕・起訴されたが、当初加害を認め謝罪していたものの、弁護人を変えて一転無罪を主張した件、無罪を主張する会見で発言する弁護士は見たことがあると思ったら、以前取材した冤罪事件の主任弁護士だった。その事件で実際取材したのは別の若手弁護士だったが、数日後、なんとその若手弁護士が、別の性加害事件の控訴審を担当し、大阪高裁で逆転無罪判決をとったというのだ。この事件では、無罪判決を出した裁判長への抗議行動にまで発展している。
「何が真実なのか?」とどんよりしていたが、ふと以前買って読めずにいた『殺人者はいかに誕生したか』を読み始め、あるヒントを得た。私は拙著『日本の冤罪』の「はじめに」でも書いているが、もともと凶悪事件に関心をもっている。凶悪事件を起こした人だって、もともと凶悪犯に生まれたわけではない。オギャーと生まれたときには、誰でもごく普通の子供だった。それがのちに凶悪な事件の犯人となっていく。そのあいだに何があったのかが気になるのだ。
「殺人者はいかに誕生したか」の著者は臨床心理士の長谷川博一さん。そのなかで、こんな一文をみつけた。
「裁判が真実を明らかにする場ではないことは、私の知る複数の弁護士から重ねて聞かされているところです。裁判は、検察と弁護人の闘い、駆け引きの場にすぎません。裁判所は『真実解明がその使命ではない』という事実を、社会が誤解しないよう公言してもらいたいと思います」。
長谷川さんは、多くの凶悪事件の犯人たちに面談や文通を続け、彼らがなぜ凶悪事件を起こすに至ったかについて、裁判では明らかにされていない、いわゆる「心の闇」と解明していく。そこからは幼少期の壮絶な家庭環境や学校での虐めなどがうかびあがってくる。池田小学校殺傷事件の宅間死刑囚や、秋葉原無差別殺傷事件の加藤死刑囚については幼少期の家庭環境、家族関係に問題があったことは少しは知っていた。
しかし、秋田連続児童殺害事件の畠山鈴香さんのことはあまり知らなかった。彼女は自身の娘と近所に住む男児の二人を殺害したとして逮捕・起訴され、無期懲役が下された。彼女について印象に残っているのは、家をとりまくメディアにきつい口調、目つきで怒鳴っている姿だった。黒い服装を好み、ぼさぼさ気味の長髪を一つに束ね、全体的にその姿は暗いイメージだった。
長谷川さんは面談を通じて、彼女について「意図的に嘘をつかない。かえって自分に不利な言動をとる。相手の意向にあわせる、いわゆる迎合性が強い。相手の示唆を信じ込む被暗示性が強い。自尊心が低い。他人の心を知ろうとする傾向が乏しいなどの特徴があった」と分析している。
さらに彼女は、精神鑑定で解離性健忘が認定されている。これはもともと彼女が持つパニックに陥りやすいという特性の中でおきたものだという。そこには、彼女が幼少期に実の父親から受けたDVや、学校での虐めなどによるトラウマが複雑に絡み合って、心を防衛するための乖離をおこしやすい状態にあったという。健忘というのは、その記憶をもつことが、本人にとって重大な心理的危機を招くときに生じるという。
鈴香さんのトラウマは小学生時の給食時間にはじまった。当時は(今も?)給食を絶対残さず食べされることに熱心な教師がいた。曰く「食べ物を粗末にしたらいけない」「食べれない子もいる」「作った人への感謝を忘れず」等々理由をつけて、全部食べ終えるまで机に縛り付けるようなしつけをする教師だ。
彼女は担任にそれをやられた。彼女の場合、好き嫌いが激しいというのではなく、人前で食べることができないのだ。業を煮やした担任が「手を出して」といい、彼女の手のひらに給食を入れていく、汁物まで……。「全部食べて」という担任の前で、手のひらに顔を埋めるようにして食べようとする彼女……その姿を見て同級生は「犬みたい」「汚い」「ばい菌」とはやし立てる。
彼女のこうした行為の背景に父親の暴力があった。最初は平手、それから拳骨に。
「こういうときは、ただ時間が過ぎるのを待つしかありません。修羅場の中をなにもしないで待つことの耐え難さ。心は苦痛から逃れるために『感じない』ようにし、そして『抵抗しない』という防護策が選ばれることになるのです」
そんな家庭での食事は最も「気を使わなくてはならない」空間だった。ささいなことで父親が暴れるので、父親を怒らせないことに全神経を集中させるため、食べ物の味もわからず、口にいれたものを思うように呑み込めない。飢えを癒すため、誰もいない時にお菓子などを食べていたという。
彼女の娘が亡くなった時、警察は事故死と公表したが、それに納得できない彼女は、警察に再捜査を懇願し、自分でチラシを作り、犯人を捜して欲しいと訴えていた。自分で殺したなら「事故死」のままにしておけばいいのに。橋の欄干に座らせたのちの記憶が彼女にはないのだ。その原因について、事件から18年の今年、ノンフィクションライターの小野一光さんが取材し、当時彼女が抗うつ剤や睡眠導入剤などを大量に摂取するオーバードーズを繰り返していたことを明らかにしている。そのため、一時的に意識が乖離することがあったようだ。
残虐な事件が起き、尊い命が奪われたのち、罪を償うということは、二度と同じような犯罪が起きないよう、何をすればよいかを考えていくことが必要だ。しかし、臨床心理士・長谷川さんもいうように、畠山鈴香さんの裁判では、その任務はしっかり果たせなかったようだ。本当に残念だ。
裁判で何が裁かれ、何が裁かれなかったかを、じっくり見ていく必要があるのではないか(などと評論家風に〆てしまい、超恥ずかしいが…)。
▼尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58
キックボクシング 2024年を振り返る 堀田春樹
2024年もキックボクシング界の話題は豊富でした。選手の活躍も各々ありましたが、各団体単位でも時代の流れと共に諸々の動きがありました。世間一般には注目されない小さな出来事でも、振り返っておきたい2024年の話題を纏めました。
◆全日本キックボクシング協会の初陣興行
2023年春に新日本キックボクシング協会から離脱した稲城ジム栗芝貴代表が同年8月1日、全日本キックボクシング協会を設立。原点回帰を掲げ、今年(2024年)3月16日に初陣興行を行ないました。12月28日までに計4回の興行では大半が新人戦で、正に一から始まった新団体でした。
1月20日の設立記者会見で栗芝貴代表は、「三年で全日本キックボクシング協会の名前を全国に轟かせる。三年でスター選手作る。後楽園ホールを満員にして、この三年で作り上げていくのが僕の責任と思っています。」と語りました。
デビュー戦からメインイベンターを目指す自覚を持たせ、試合をアグレッシブな展開に導いて新人にも大きい成長も見られました。
9月6日には初のタイトルマッチ、全日本スーパーフェザー級王座決定戦を行ない、瀬川琉(稲城)が仁琉丸(ウルブズスクワッド)を倒して最初のチャンピオン誕生となりました。二人はすでに新日本キックボクシング協会での戦歴ある選手でしたが、今後は各階級で全日本キックボクシング協会からデビューした選手らが王座を争っていくことでしょう。
2025年は設立から3年目。初陣興行から2年目。まだ全国どころか格闘技界にも存在感は薄い現在。2025年はどこまで浮上することが出来るか、まだまだ険しい道程が続きます。
◆新日本キックボクシング協会の変化と江幡塁引退
新日本キックボクシング協会の一時代を担った江幡ツインズの塁が、前年2月に患った脳腫瘍の影響からドクターストップによる引退に踏み切りました。
選手として引退も、「新日本キックボクシング協会から世界を獲れるような強さ、そして自覚を持った選手を輩出していけるように力を尽くしていきます!」と昨年10月のリング上で語ったとおり、後進の指導には今後も続けて行く模様。
その一年前の時点では、「選手を諦めていない」という語りから、復帰して現役続行かと期待しましたが今後、願わくばプロモーターとして興行を担っていけば、また新日本キックボクシング協会の再浮上もあるかもしれない僅かな可能性も期待したいものです。
その新日本キックボクシング協会は選手層の薄さが表れる中、外国人選手によるメインイベンター起用や、Mixed Martial Arts(MMA)の試合もテスト的に開催されました。
今後、どのように進展していくかは未定ながら動向が注目されます。
◆武田幸三の一年
2023年10月にニュージャパンキックボクシング連盟に加盟し、主力プロモーターとして団体を率いる存在となった武田幸三氏。「NJKFをトップ団体に引き上げる」と宣言し、以前から掲げていた“CHALLENGER”というコンセプトの下、ここまで計6度の興行を前日計量と記者会見から盛り上げ、それまでのNJKF色をすっかり変えてしまい、以前のNJKFに無いインパクトある興行が続きました。
「本気でトップ狙って本気でトップの団体にしようと思っています。」と語った武田幸三氏。一年を経過した今後、更に世間にどれだけ選手の存在感、NJKFの存在感が訴えらるかが期待されるところでしょう。
◆長江国政さん永眠
昭和の全日本キックボクシング協会隆盛期で、一時代を築いた長江国政さんが6月11日に肺癌の為、永眠されました。すでに述べた部分ではありますが、2018年頃から神経性の難病との戦いが続いていましたが、難病の悪化とは直接の関係は無い模様で、煙草を吸う姿を何度も見たことありますが、こんな影響もあったのかもしれません。
キックボクシングの主力関係者の訃報が聞かれること多くなった近年、それまではキックボクシング生誕から関わって来た選手、興行関係者が若かったことに尽きるでしょう。競技そのものが新興格闘技だった為、二十代で活躍した名選手らも今や七十代以降に突入している時代です。でもその七十代でジム復興や立ち上げも計画している若々しいレジェンドも居て、今後もどう展開するか注目したいところです。
◆2025年に何を期待するか
各団体の興行の少なさ。ランキングの層の薄さが見られる各団体。過去には統一に向けた動きや、団体統一は目指さなくても、一定の団体が集まる統一チャンピオン制定がありました。
現在のNKBも初期は4団体が集まったものでした。WBCムエタイ日本統一ランキングも立ち上げから活発だった時期もありました。いずれも現在も継続されていますが、キックボクシング界を先頭切って率いるほどの注目度はありません。
近年の選手が目指すものはONE Championnship、KNOCK OUT、RIZINといったリングで勝負することへ方向転換されている現在です。本来の活性化した日本タイトルには至らないのか。そこに既存の団体の纏まりに希望を持ちたいところで、武田幸三氏や全日本キックボクシング協会の飛躍に期待が掛かります。
私が関わる独断による団体編の纏まりの無い語りとなり、他にも日本キックボクシング連盟やジャパンキックボクシング協会の活動もありますが、次回は選手編で2024年に勝ち負け関係無く、各団体の目立った選手の動向を拾ってみようと思います。
▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
昭和のキックボクシングから業界に潜入。フリーランス・カメラマンとして『スポーツライフ』、『ナイタイ』、『実話ナックルズ』などにキックレポートを寄稿展開。タイではムエタイジム生活も経験し、その縁からタイ仏門にも一時出家。最近のモットーは「悔いの無い完全燃焼の終活」
西日本新聞福岡地裁「押し紙」裁判敗訴判決のお知らせ ── モラル崩壊の元凶「押し紙」 江上武幸(弁護士)
◆裁判官全員が同時に交代した裁判──最高裁事務総局による意図的な裁判官人事の問題
12月24日午後1時15分から、福岡地裁本庁903号法廷で、西日本新聞販売店(長崎県)の押し紙裁判の判決が言い渡されました。傍聴席には西日本新聞社関係者が10名程度ばらばらに座っていましたが、相手方弁護士席には誰もいないので、一瞬、原告のSさんと「ひょっとしたら」という思いに囚われましたが、予期した通り敗訴判決でした。判決文は入手できていませんので、とりあえず結果を報告します。
合議体の三名の裁判官は、昨年4月1日にそれぞれ東京高裁・東京地裁・札幌地裁から福岡地裁に転勤してきた裁判官で、裁判長は司法研修所教官、右陪席は最高裁の局付の経歴の持ち主であり、いわゆるエリートコースを歩んできた裁判官達です。
合議体の裁判官全員が同時に交代する裁判を経験したのは弁護士生活48年で初めてであり、他の弁護士・弁護団が担当している各地の押し紙裁判でも、奇妙な裁判官人事が行われていることは承知していましたので、敗訴判決の危険性は常に感じながら訴訟を進行してきました。
最高裁事務総局による意図的な裁判官人事の問題については、福島重雄裁判官、宮本康昭裁判官、最近では瀬木比呂志裁判官、樋口英明裁判官、岡口基一裁判官ら(注・いずれも元裁判官)、多数の裁判官が著作を出版されており、最高裁事務総局内部の様々な動きを知ることができます。大変、ありがたいことです。
私は、司法研修所29期(昭和52年〔1977年〕の卒業であり、同期には最高裁長官や高裁長官になった裁判官もいます。当時の研修所の雰囲気は、青法協弾圧の嵐は一応過ぎ去っており、教官の自宅を訪問するときは手土産を持参するようにとの指導が行われても反発するような雰囲気になることはありませんでした。実社会の経験のない世間知らずの私は、司法修習生になるとそのような礼儀作法を身につけることまで教育の一部だというくらいに受け止めていました。研修所当局による従順な修習生教育の一環であるといったうがった考えは浮かんできませんでした。
◆裁判官は法と良心のみに拘束される
ところで、瀬木比呂志裁判官の著書『裁判所の正体』(新潮社2017年/共著者=清水潔)によると、29期で最高裁長官に就任した裁判官は、青法協加入の裁判官の弾圧をはじめた石田和外長官、後任のミスター最高裁と呼ばれた矢口恭一長官、司法反動の完成者と評されている竹崎博充長官の人脈に連なる人物であると書いてありました。瀬木裁判官ら最高裁中枢にいた裁判官でなければ知りえないエリート裁判官達の人脈に関する記載であり、外部のものが知りえない貴重な情報です。
私たちの期の人間は、そろそろ鬼界を控えていますので、最高裁長官や高裁長官経験者の人たちには、裁判官生活の記録を人事問題を含め後世のために残しておいてほしいものです。
特に、最高裁事務総局に対する「報告事件」なるものが存在すること自体は、明らかになっていますが、報告事件の中身と報告事件の処理ついては一切明らかにされていません。私個人として、「押し紙事件」が報告事件に指定されているか否かは是非とも知りたいところです。
日本の憲法は、裁判官の独立を保障しています。裁判官は法と良心のみに拘束され、他から干渉を受けることはありません。裁判官の判断は判決が全てであり、審理の途中で最高裁事務総局から担当書記官あるいは担当裁判官に対して、特定の事件について、その内容・審理の状況を報告させる仕組みは、裁判官の独立を侵すものであってはなりません。そのような制度は、裁判官・書記官だけでなく事務官を含めてその事実をしる裁判関係者のモラルの崩壊、士気の低下を招くことにつながると思います。
◆最高裁が「企業団体献金」を合憲と判断した本当の理由
最高裁は違憲立法審査権を有しており、日本の最終国家意思を形成することができる機関です。戦後、冷戦の始まりと朝鮮戦争の勃発という国際情勢の変化により、戦前の支配体制がそのまま維持されることになりました。裁判官も戦前の問題を追及されることなく、戦後も従前通りの地位を保持することが許されました。
矢部宏治氏や吉田敏浩氏らの著作やネット情報によって、日本の政治は、在日米軍の高級将校と日本の官僚のトップで構成される日米合同委員会によって決定されているのではないかとの疑いが、広く国民に認識されるようになってきているようです。安保条約と憲法の関係について、戦後、最高裁長官とアメリカ大使が内密に協議していた事実も知られるようになっています。
最高裁は日本の最高法規である憲法の上に日米安保条約を置き、米軍基地と軍人・軍属に派生する問題については、基本的には違憲・合憲の司法判断はしないという統治行為論なる理論を生み出しています。それと、今大問題となっている「企業・団体献金」の合憲性についても、私は、最高裁の法的判断というよりむしろ高度な政治的判断によるものではないかとの疑念を抱いています。
三菱重工による「企業・団体献金」の合憲性について最高裁が合憲と判断したことに、どうしても納得できず、違和感を抱えてきました。国の政治は主権者である国民一人一人が参加して決定するもので、主権者でもない企業や団体に政治活動の自由を認め、支持する政党への献金も許されるとの判断にどうしても納得できないできました。
ところが、この問題について、最近のネット情報等により設立当初の自民党の政治資金がCIAから提供されていたことがわかり、すべての疑問が氷解しました。つまり、アメリカとしては早々に自民党の活動資金の支援を打ち切り、日本人にその肩代わりをしてもらう必要があったのです。
CIAに代わる資金の提供者が「企業・団体」であると考えれば、最高裁が「企業団体献金」を合憲と判断した本当の理由が理解できます。企業・団体献金についてはその弊害が問題となり、「政党助成金」が支払われるようになりましたが、その後も自民党は企業団体献金を廃止しようとはしません。
◆三人の裁判官は、どのような法的判断の枠組みで西日本新聞社に押し紙の責任がないという結論を導いたのか
本件押し紙訴訟の最大の特徴は、4月と10月の定数(西日本新聞社の原告に対する新聞の供給部数)が前後の月より200部も多いことです。西日本新聞が4月と10月に、前後の月より200部も多い新聞を販売店に供給するのは、販売店の折込収入を増やすのが目的です。つまり、販売店の押し紙の仕入代金の赤字を折込広告料で補填するためにそのような措置を講じているのです。
※注釈:折込広告の販売店への定数(供給枚数)は、4月と10月の新聞の部数で決まる。4月の定数は、6月から11月の広告営業のデータとして使われ、10月の定数は12月から翌年5月の広告営業のデータとして使われる。それゆえに新聞社は、4月と10月に押し紙を増やす場合がある。このような販売政策を、販売店は、「4・10(よんじゅう)増減」と呼んでいる。
仮に、西日本新聞社の折込広告詐欺を裁判所が認めた場合、西日本新聞社に限らず押し紙問題を解決していない他の新聞社に判決の与える影響は想像もつきません。新聞を始めテレビ・ラジオなどのマスメディアに対する国民の信頼は、完全に失われる危険があります。
新聞・テレビ・ラジオ等のマスメディアに対する国民の信頼が失われれば、マスメディアによる国民世論の形成や統一は不可能となるでしょう。そのような事態を招くことを最高裁が容認することは、最高裁の政治的性格からして考えられません。
本件押し紙裁判の判決を書いた三人の裁判官が、西日本新聞社に押し紙の責任がないという結論を導くために、どのような法的判断の枠組みを考えだしているのか、その判決理由を知りたいものです。
後日、判決を入手後、この問題については検討の上、報告させていただくことにしますので、しばらくお待ちください。
※本稿は黒薮哲哉氏主宰のHP『メディア黒書』(2024年12月25日)掲載の同名記事を本通信用に再編集したものです。
▼江上武幸(えがみ・たけゆき)
弁護士。福岡・佐賀押し紙弁護団。1951年福岡県生まれ。1973年静岡大学卒業後、1975年福岡県弁護士会に弁護士登録。福岡県弁護士会元副会長、綱紀委員会委員、八女市役所オンブズパーソン、大刀洗町政治倫理審査会委員、筑豊じんぱい訴訟弁護団初代事務局長等を歴任。著書に『新聞販売の闇と戦う 販売店の逆襲』(花伝社/共著)等。
▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、『禁煙ファシズム』(鹿砦社)他。
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COP28 原発をめぐる2つの動き 「原発3倍化宣言」と「気候変動対策のための原発推進」合意〈3〉「気候変動」3つの概念 原田弘三(翻訳者)
◆気候変動対策の歴史的経緯
留意すべきことは、今回の合意が国連を中心に進められてきた「気候変動」対策の方向性に全く反するものではないということである。例えば国連気候変動に関する政府間パネル(IPCC)が2022年4月に発表した第6次評価報告書第3作業部会報告書には「原子力は、低炭素エネルギーを大規模に供給することができる」と原発を肯定的に評価している。今回の合意文書は、ある意味IPCC報告書の論調をなぞったものとも言える。
ここに至るまでの経緯を簡単に振り返ってみよう。大気中のCO2増加により気温が上がる、というCO2温暖化説自体はスウェーデンの化学者スヴァンテ・アレニウスらにより19世紀から唱えられていた。しかし当時は温暖化が危機であるという認識はなく、実際1970年代までは気温上昇も起きていなかったため温暖化は問題にならなかった。宮沢賢治などはCO2による温暖化が地球を救うという物語(『グスコーブドリの伝記』1932年)を書いていたほどである。
しかし1988年6月米上院でNASA(アメリカ航空宇宙局)の科学者ジェームズ・ハンセンが「99%の確率で気候変動が人為的に引き起こされている」と証言したのをきっかけに、CO2の人為排出が地球環境に危機を招いている、という説が急速に世界に広まり、各種機関により「対策」がとられるようになった。
それが、1988年11月のIPCC(国際連合気候変動に関する政府間パネル)発足、1992年の気候変動枠組条約締結、1995年の第1回気候変動枠組条約締約国会議(COP)開催、2015年のCOP21でのパリ協定締結へと続く。
◆「気候変動」3つの概念
「気候変動」を論ずる上では、①一般的な気候変動、②CO2温暖化説、③1988年のハンセン証言以後支配的となった「気候危機論」の3つを分けて考える必要がある。
①「一般的な気候変動」は、当然存在する。②「CO2温暖化説」についてはCO2の人為排出が気温上昇の原因か否かをめぐって科学上の議論が進行中である。問題は③である。この「気候危機論」の特徴は、気温上昇には作物生産が豊かになる、暖房が不要になるなどの良い影響が多大にあるにもかかわらず、もっぱら気温上昇の悪影響をクローズアップし、あたかも温暖化が人類滅亡の危機であるかのように論じていることである。
この点はCO2温暖化説の始祖スヴァンテ・アレニウスの見解と全く異なる。アレニウスは1906年の著書地球温暖化にはメリットが大きいと論じていた。
『宇宙の成立』(原著名“Worlds in the Making”)の中で「大気中の二酸化炭素の割合の増加の影響により、特に寒い地域に関しては、地球が現在よりもはるかに豊かな作物を生み出し、人類の急速な繁栄のために、より平等でより良い気候の時代を享受することが期待できる」と書き、地球温暖化にはメリットが大きいと論じていた。そうした温暖化に対する評価を180度転換したのが1988年のハンセン証言である。ハンセン証言を境に温暖化は「恵み」から「危機」へと変わり、CO2は退治すべき悪者と位置付けられたのである。(つづく)
◎原田弘三 COP28 原発をめぐる2つの動き 「原発3倍化宣言」と「気候変動対策のための原発推進」合意
〈1〉「原発3倍化宣言」という暴挙
〈2〉「グローバル・ストックテイク」という文書に求められた役割
〈3〉「気候変動」3つの概念
〈4〉気候危機論」と原発の親和性
◎本稿は『季節』2024年夏秋合併号掲載(2024年8月5日発売号)掲載の同名記事を本通信用に再編集した全4回の連載記事です。
▼原田弘三(はらだ こうぞう)
翻訳者。学生時代から環境問題に関心を持ち、環境・人権についての市民運動に参加し活動している。
「カウンター大学院生リンチ事件」(別称「しばき隊リンチ事件」)から10年 ── あらためてその〈意味〉と〈責任〉を問う(中) 鹿砦社代表 松岡利康
去る12月17日、標記事件から10年が経った。この日、私はリンチ被害者М君に仕事が終わった頃を見計らって電話した。М君は、やむなく研究者生活を離れ今は給与生活者を送っている。電話越しの声は元気そうだったが、彼の10年を想起すると胸が詰まる。
李信恵ら加害者、仲間、つながる者、蠢いた「知識人」と呼ばれる者(特に岸政彦〔当時李信恵さんの裁判を支援する会事務局長にして龍谷大学教授、現在京都大学教授〕、中沢けい〔作家〕、安田浩一〔ジャーナリスト〕、有田芳生〔国会議員〕、師岡康子〔弁護士〕、香山リカ〔医師〕)らは一体このリンチ事件を血の通った人間としてどう思っているのだろうか──あらためて問い質したい。
◆この国の社会運動から暴力はなくなっていなかった!
この事件を初めて知った時の第一印象は、時代が逆戻りしているかの錯覚に陥ったことだ。かつて戦後民主主義の揺籃期には連合赤軍事件を筆頭として社会運動内部における暴力事件は数知れずあった。当時の人気作家・高橋和巳は『内ゲバの論理はこえられるか』に代表されるように、その運動内部の暴力に対して積極的にコミットし、実際に解決に向けて動いた(が、彼の志に反し内ゲバは激化し100人を優に越す死者を出した)。
しかし、1972年初頭の連合赤軍リンチ殺人事件を頂点として、内ゲバ(内部暴力)に対する嫌悪が、この社会に浸透し、内ゲバもいつしかなくなっていったように思える。
そこには運動内部とこの担い手、また社会全体がそうした暴力を忌避する良識的な動きがあったことは私の体験としても理解してきたつもりである。
だから、このリンチ事件を知った時、その凶暴性、これから来る悲惨さ、残酷さを思い知り、絶望感に苛まれた。
この民主主義社会にいまだにこんな事件があったのか、そしてこの中心的人物=李信恵は、この国の「反差別」運動の象徴として、つとに知られる人物だ。現今のこの国の社会運動、長い歴史を持つ「反差別」運動は一体どうなっているのか、疑問に感じられた。連合赤軍事件、内ゲバ、部落解放運動などにおける暴力的展開、この帰結と反省によって、社会運動から暴力を排除してきたはずではなかったのか?
個人的ながら、私は大学に入ってからそうした事件を直接的、間接的に見聞きしてきた。特に部落解放運動にあって、私と一緒に自治会運動に関わり、いろいろ指導してくれた先輩が、卒業後教師になり、赴任した高校(兵庫県八鹿高校)で社会的に大きな話題となった事件に巻き込まれ激しいリンチを受けたことを知った時には大きなショックを受けた。いつかネットで凄絶な暴行を受けている場面(裁判資料)を見た時のショックは言葉にならない。こういうことも、かつては表立っては言えなかった。
民主主義社会を自認する、この国の社会運動から暴力はなくなっていなかったのか──。
◆人はかくも凶暴になれるのか ── 加害者らの暴力的体質
本件大学院生リンチ事件の加害者側5人、特に金良平(通称エル金)、李信恵、伊藤大介らの凶暴性には驚く以外になかった。李信恵など、前記したように、この国の「反差別」運動の象徴的人物としてつとに知られ、その人物が関わり、リンチの最中にも平然とワインを飲み、これをツイッターで発信するという神経が私には理解できない。危うく、この国の「反差別」運動が崩壊しかねない事態だったことの自覚はあったのか、あるいは加害者側の周辺の者らもそうだ。
だから、真摯に反省することなく、逆に開き直り隠蔽に走ることになったのだろう。事件の隠蔽は1年余り成功したが、こういうことはいつかは明るみに出るものである。
われわれはこの事件に一人の人間として関わることを決意し、できうる限りの調査と取材に動いた。前回私を「デマゴギスト」呼ばわりする者のことを書いたが、そう呼ばれないようにわれわれは動いたのだ。そこで多くのことがわかり、6冊の出版物にまとめ世に問うた。この際、表に出さなかったディープな情報も少なからずある。「反差別」「人権」を謳う運動にしては、到底目を向けられないことも多かった。いわゆる「プライバシー」とやらに配慮し、あえて表にしなかったことも少なからずあった。
今、思うと、無慈悲に長時間も大学院生(当時)М君に対し凄惨なリンチを加え、挙句救急車もタクシーも呼ばず放置して去った者らに配慮する必要があったのか? М君は本件で人生を狂わされ、いまだにリンチのPTSDに苦しんでいることを想起すれば、そうした徒輩に対して配慮する必要などなかったと、一種反省さえしている。変に配慮したことで、非人間的な徒輩を生き長らえさせてしまったのではないか──。とはいえ、それらをここで暴露するかどうかは今は保留する。
昨年(2024年)はじめ、くだんのリンチ事件の主たる暴行実行犯の金良平が、みずからの犯歴を暴露されたとして鹿砦社と作家・森奈津子を提訴した。「М君にあれほどの激しい暴行を加え人生を狂わせた男が何を言ってんだ?」──このことで私は、М君リンチ事件の悪夢を思い出し、ちょうど10年になることもあり、いろいろ思慮せざるをえなかった。
一昨年来、金良平と森はX上で応酬し、金良平の瞬間湯沸かし器的な性格から、М君へのリンチのようなことをやりかねないことを強く懸念し刑事事件の略式命令書のコピーを森に送った。すでに公知の事実であり、森はこれをXにアップし金良平の脅しも止んだ。
この提訴に触発されて、最近の金良平の言動をつぶさに見聞きし、また提出された金良平の準備書面を見るに、あれだけの残忍な集団リンチ事件(金良平らは「リンチ」という言葉が嫌いなようなので、暴行傷害事件でも表現はなんでもいいが)を起こし、その中心になって被害者の大学院生(当時)М君に激しい暴力を行使しながらなんら反省せず開き直っているのを見て怒りを禁じえなかった。本件リンチに関わった他4人よりも遙かに凶暴な金良平の暴力性の源はどこにあるのか? 幼少期から差別され虐げられてきたことにあるのか? しかし、差別され虐げられた人たちは多くいて、ほとんどはまともな生活者として、この社会で生きている。
金良平が、みずからが中心的な暴行実行犯として関わった集団リンチ事件に対する刑事、民事訴訟の判決共に被害者にとっては、受けた肉体的、精神的被害に比して賠償額も低く、裁判所は被害者М君の言い分の肝要な部分は認めず、決して満足のいく内容ではなかった。だからといって、「リンチはなかった」のではなく現実にあったのだ。このことは、偏頗な判決を下した裁判所さえも認定しており、だから金額や内容に不満はあってリンチがあったことは厳とした事実なのだ。いい加減なことを言わないでいただきたい。
なかでも金良平については、リンチ被害者М君が金良平らを訴えた民事訴訟では、一審大阪地方裁判所は金良平に、リンチに連座した伊藤大介と共に79万9749円の賠償を命じたが、これが控訴審大阪高騰裁判所では金良平単独で113万7640円に跳ね上がった。これこそ金良平の暴力性、凶暴性を裁判所が認定した一端といえるだろう。
もっとも、普通の一般人の感覚から、リンチ直後の被害者の顔写真を見、リンチの最中の音声データを聴いて、どう感じるのだろうか。実際に私は100人以上に直接、その写真を見せ音声を聴いてもらい感想を聞いたが全員がリンチがあったと考えざるを得ないと述べた。今、この記事を読んでいる読者一人ひとりも、普通の一般人の感覚から見て、酷いと思わないだろうか? 思わないのであれば、あなたは人間ではない。
「リンチはなかった」というのは歴史を偽造するもので、「街角の小さな喧嘩」(金良平訴状)などというのは被害者の人格を矮小化するものと言わざるを得ない。いやしくも「人権」や「反差別」を標榜する加害者らが使う言葉ではない。特に金良平よ、あなたは、まずみずからの拳を眺めよ! これで数十発М君を殴り、金利含め130万円ほどの賠償金を支払ったのだが、おそらくお金を集めるのにかなり苦労したのではないだろうか? 支払いは遅れた。この時、もう暴力は振るわないことをみずからの良心に誓わなかったのか? 誓わなかったのなら、あなたには人間としての良心はない。はっきり答えよ。
◆主たるリンチ実行犯=金良平はなぜ転落したのか?
同じく準備書面によれば、金良平は関東に居を移し「新たな生活を形成している」そうだ。それがどうしたというのか!? 金良平に半殺しの目に遭わされた被害者М君は人生を狂わせられ、М君が思い描いた人生とは違った「新たな生活を形成している」のだ。判っているのか?
金良平が、過去の犯歴を明らかにされたのが違法だとかどうかを言う前に、今からでも被害者М君に土下座し謝るべきだ。いったんは「謝罪文」を渡しながら、これを反故にし、さらに仲間らに村八分運動(「エル金は友達」運動)をさせたりして、被害者を精神的に苦しめたことを今どう思っているのか?
私がこのことにこだわるのには理由がある。
私(たち)はリンチ被害者М君に対する集団リンチの事実を知り、とりわけリンチ直後の顔写真を見、リンチの最中の音声データを聴き、近年にない強い衝撃を受け、他の資料も一読し、М君本人からも直接話を聞き、これらには信憑性があり、直ちに被害者支援、真相究明の行動に移った。それまで好調だった会社の業績をも後回しして、この件に費用をかけ、集中して動いた。何としても孤立し苦悩している青年、研究者の卵に、できる限りの支援をし救済しないといけないと咄嗟に思った。
当初、金良平や李信恵らが真摯に反省し、いったんは反故にした「謝罪文」を元に戻し再び謝罪し賠償金も支払い公的な和解へ至るのであれば、「反差別」「人権」を標榜する社会運動にとっても有益だと考え、われわれも前向きな解決に汗を流し、さほど時間もかからず解決するものとばかり予想していた。甘かった。金良平ら加害者らは開き直り、約束した活動自粛も反故にし、逆に他の仲間と共に被害者М君を村八分にし、執拗にネット・リンチを続けた。
金良平ら加害者、そして彼らに連携する者たちにとっての「人権」「反差別」とは一体何なのか? 疑問が湧いてきた。
私は五十年余り前、当時の多くの若者がそうであったようにノンセクトの学生運動に関わったので、そうした運動に関わる者なら、過ちは過ちとして素直に認め、昔の言葉でいえば「自己批判」するだろうと思っていた。過去の反省から、当時よりも運動のやり方は改善されてきたはずだから。
それまで被害者М君とは一面識もなく、ましてや利害関係もなかった。社会正義上、これはきちんとしないといけないと思った。私(たち)の世代は、連合赤軍事件を知っているし、いわゆる「内ゲバ」の陰惨さも知っている。どれもМ君に対するリンチ(私刑)と、程度の差はあれ本質的に同じだ。社会運動内部では、それなりに反省したはずだった。しかし、いまだにかつての轍を踏んでいる。縁あって持ち込まれた相談事、困っている若者を見て放ってはおけない損な性分、後先考えず被害者支援に動くことにした。
われわれは「特別取材班」を作り、大手マスコミには到底及ばないが、一定のヒトとカネを使い、被害者支援、その裁判での主張を裏付けるための調査・取材を始めた。
M君の研究者らしい几帳面な性格で資料は数多く整理されていた。加害者の中で、夜な夜な飲み歩き(事件当日も「5件のお店まで日本酒に換算して1升近く飲んでいた」との本人の弁)、異性関係も放縦、一方で在日差別と闘っているヒーローとしてマスメディアに持て囃され、多くの行政、教育関係、果ては弁護士会など各方面に赴いて講演で稼いでいる。準公人ともいえる人物の言動は多くの人々の注目を浴び、リンチもそうだが、そうした問題行動は社会的にも明らかにし叱責されるべきだとわれわれは考えた。しかし、М君の裁判支援に注力することを優先しその他の問題行動の追及は断念した次第だ。
同様にリンチの主要実行犯・金良平についての情報もかなり集まったが、やはり最低限以上のこと以外は、衝撃的な事実も多くあったにもかかわらず、あえて秘匿してきた。
しかし、今それが正しかったのかどうか疑問に思うようになった。ダイナマイト級の情報もあるが、この記事でも、あえて保留しておき、時機を見て放出することも念頭に置いておく。М君が人生を狂わせられた一方で、李信恵は講演三昧。世の中にこんな不条理があってもいいのだろうか、と考えるからである。
金良平は、М君に対し暴虐の限りを尽くしておいて、いまだに反省もせず開き直っていることに怒りを感じる。金良平の激しい暴力で、何度も言うが、М君は人生を狂わされ、いまだにリンチに対するPTSDに苦しめられているというのに──。
今回、提訴しながら現住所も仕事や具体的生活内容も明らかにせず(メディアでよく使われる「住所不定無職」か?)、みずからが中心になって行ったリンチなどなかったかのような言説を目にし、さすがの私も堪忍袋の緒が切れた。
さて、われわれがМ君を支援することになり、М君は李信恵、金良平、伊藤大介ら5人に対して損害賠償を求め大阪地方裁判所に民事訴訟を起こした。
まずは他の4人同様金良平にも謝罪文に記された住所に訴状が送達されたのだが戻ってきた。驚いた取材班は、その住所に行ったが、すでに引っ越した後だった。そこで金良平の代理人(その後代理人に就く神原元弁護士とは別の弁護士)も困り、修正して最終的には届いたようだが、姑息なことをするものだ。
ところが、その後、訴訟の本人調書に記載した住所に行ってみると、そこは、なんと駐車場だった。法廷で宣誓したにもかかわらず虚偽の住所を記載したことになる。あらためて当時が想起され怒りが戻ってきた。М君は尚更だろう。
さらにそれ以前の金良平の生活実態も調査した。М君への謝罪文に記された住所の前は「О寮」という大阪市の外郭団体による救護・厚生施設に住んでいた。ここは謝罪文に記載された住所の近くに在ったが、今はない。
さらにそれ以前に諸事情があったのか、もっと深刻なことも判ったが、これもここでは記述しない。その団体の更生プログラムに従って金良平なりに頑張っていたようで、「勉強したいので、いろいろ教えてください」と相談を受けたと証言する人もいた。
そこで取材班は、この謝罪文に記載されたHマンションを直接訪問し、そこにいた管理人に話を聞くことができた。
ここに住みはじめてしばらくした2013年頃から(リンチ事件の前年頃。反差別運動に関わり出した時期と一致する)深夜の帰宅が多くなり、他の住民から苦情が出ていたそうだ。そこからしばらくして「新しく仕事が見つかった」などと言って更生プログラムの職業訓練にも行かなくなっていたという話も聞けた(おそらく可愛がってもらい、リンチ事件に連座した伊藤大介から経済的援助を受けるようになったのがこの頃だろう)。
ちなみに伊藤は、M君が提訴した民事訴訟の控訴審で逆転勝訴し免責されたが、その後、深夜に、あるネトウヨ活動家を呼び出し暴行傷害事件を起こし有罪判決を受けている。集団リンチ事件についての反省がないことの証左だろう。奇しくも鹿砦社と李信恵の訴訟の尋問後のことである。
これらの話を総合すれば、質が良くない「反差別」運動(誤解ないように申し述べておくと、反差別運動自体を否定しているのではなく、友人、知人らもこれに関わっている者が多数いる。要は、悪質な反差別運動を指弾しているのだ)に関わって、立ち直る努力を放棄した過去があること、これらの悪質な「反差別」運動に今も関与し現場でニラミを利かしていること、昼夜を問わず頻繁にSNSに時間を費やしていることなどから生活再建の努力などしていようはずもない、ということは言えるだろう。だから、われわれは、みずからの「新たな生活」の実態を具体的に明らかにせよと求めるものである。抽象的に言っていても始まらない。でないなら、「住所不定無職」の者がいくらみずからの「被害」を叫んでも身勝手というものだ。
われわれは、いたずらに金良平の前科を晒したのではなく、これはすでに〈公知の事実〉として流布しており、金良平の凶暴性と関東地方に移住しているが故に、24時間看護の障碍者の夫を持つ森奈津子の身の安全を危惧し、やむなく金良平の略式命令書を森に送り、森はこれを公開し、これ以上の森への攻撃を阻止したのだ。法律のあれこれよりも、生身の人間の身の安全が優先されることは言うまでもない。「事件」が起きてからでは遅いのだ。判例を教条主義的に突つくのではなく、人間の安全第一で思料されるべきである。(本文中、一部を除き敬称略)
※本稿は、2回で終わる予定でしたが、書くことが多く、もう1回続きます。次回は、一部を除きトンデモ判決を相次いで出した裁判所、被害者の苦しみを蔑ろにし偏頗に加害者らに加担したメディア、逃げたり加害者側を擁護したり開き直ったりした「知識人」らの責任を問う予定です。本稿についてのご意見、ご批判などをお寄せください。
(松岡利康)
◎「カウンター大学院生リンチ事件」(別称「しばき隊リンチ事件」)から10年 ── あらためてその〈意味〉と〈責任〉を問う
(上) http://www.rokusaisha.com/wp/?p=51771
(中)https://www.rokusaisha.com/wp/?p=52111
《関連過去記事カテゴリー》 M君リンチ事件 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=62
「押し紙」関連資料の閲覧制限、問われる弁護士の職業倫理、黒塗り書面は墓場へ持参しろ 黒薮哲哉
「押し紙」裁判を取材するなかで、わたしは裁判書面に目を通す機会に接してきた。弁護士から直接書面を入手したり、あるいは裁判所の閲覧室へ足を運んで、訴状や準備書面、それに判決などの閲覧を請求し、その内容を確認してきた。
しかし、最近は、新聞社が書面に閲覧制限をかけていることが多い。書面の一部が黒塗りになっているのだ。
「押し紙」についての新聞社の主張は、昔から一貫していて、「自分たちは販売店に対して新聞の押し売りをしたことは一度もなく、販売店で過剰になっている新聞は、販売店が自分の意思で注文したものだから、『押し紙』には該当しない」というものである。それはまた日本新聞協会の主張でもある。
新聞業界は、今だに「押し紙」は1部たりとも存在しないという事実とはかけ離れた主張を貫いているのだ。試みに読者は日本新聞協会に対して、「押し紙」について問い合わせてみるといい。誠意ある答えは返ってこない。答弁できなくなると、乱暴に電話を切るのがこれまでの対応である。
「押し紙」は1部も存在しないという新聞業界の主張が堂々とまかり通ってきた背景には、新聞社の弁護士たちの支援があるのは言うまでもない。とりわけ人権派の評価がある弁護士が代理人になっている場合、彼らの信頼度が髙いので、彼らが上段に掲げてきたデタラメに、多くの人々がそれに騙されてしまうことがある。
ネット上に「押し紙」回収の現場を撮影した写真や動画が次々と投稿されるに至っても、彼は絶対に主張を変えない。社会正義の実現という弁護士の使命を捨て、腐った金に飛びついているのである。
「押し紙」が客観的な事実であることを認めた上で、その背景にやむを得ない事情があるとする論理で弁護活動をするのであれば、職業倫理を逸脱していないが、彼らは客観的に「押し紙」が存在することを否定しているわけだから論外である。良心のかけらもない。
しかし、裁判書面は保存すれば、永久の残るわけだから、彼らが軽々しく黒塗りした書面を、10年後、あるいは20年後に公開されたとき、そのダメージは大きい。自分が書いた書面は、納棺してもらい忘れずにあの世に持参してもらいたい。嘘は絶対に書かないのが鉄則である。
本稿は『メディア黒書』(2024年12月16日)掲載の同名記事を本通信用に再編集したものです。
▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、『禁煙ファシズム』(鹿砦社)他。
◎メディア黒書:http://www.kokusyo.jp/
◎twitter https://twitter.com/kuroyabu
LGBT犯罪録 かなざわシャブのま事件──金沢レインボープライド事務局長が覚醒剤で逮捕〈5〉森 奈津子
金沢レインボープライド事務局長・奥村兼之助氏が逮捕時に所持していた覚醒剤は、2.11グラム。これは大量所持と言える量だとのことで、ネットでもリアルでも疑惑の声があがった。
「もしかしたら、彼自身が売人だったんじゃないの?」
「ほかにも仲間がいるんじゃない?」
「かなざわにじのまでヤク仲間とキメセクしてたんじゃないの?」
「金沢レインボープライドのほかのメンバーは、どうなの?」
私は覚醒剤に関しては完全に疎く、この量がどれほどなのかは、わからなかった。ごくごく少量を「パケ」という小さなパッケージに入れたものが流通していることを知るぐらいだ。なので、ネット検索で調べてみた。
時代や場所、売人によって末端価格は流動しているものの、2.11グラムのだいたいの使用回数と末端価格は把握できたので、次のようにXでポストした。
LGBT団体・金沢レインボープライドの幹部(ゲイの事務局長)が覚醒剤2.11グラム所持。今、軽くネットで調べたら、覚醒剤ワンパケ(約0.2グラム)で約1万円、3~4回分。とすると40回分ほどを持ってたということね。共犯はいなかったの? 入手ルートは? あと、実名報道しなさいな。
この事件の判決が出たのは、逮捕発覚の6日後である6月11日。ウェブニュースから、その報道を引用する(https://news.ntv.co.jp/n/ktk/category/society/kt8f87cdbdeaf24fbcb979cb56aa091273 )。
覚せい剤所持・使用「金沢レインボープライド」元事務局長に執行猶予付きの有罪判決/日テレNEWS / 2024.6.11
執行猶予付きの有罪判決です。
判決を受けたのは「金沢レインボープライド」の設立メンバーの一人だった元事務局長の男です。判決などによりますと被告はことし3月、金沢市内で覚せい剤を所持、自分で使用していました。
11日の判決公判で金沢地裁は「常習性があり、非難の程度は相当強い」と指摘。一方で前科前歴がないことなどから、被告に懲役2年、執行猶予4年の有罪判決を言い渡しました。
やはり匿名報道だが、ニュースとしてとりあげているだけましだ。特に、LGBT活動家とズブズブの朝日新聞や毎日新聞、東京新聞には、最初からなにも期待してはいない。
この判決から一ヶ月以上が経過した7月20日、金沢レインボープライドは二つ目の謝罪文を発表した。なぜ、一ヶ月以上もかかったのかは、不明だ。もしかしたら、だんまりを決め込むつもりだったのが、寄せられる批判があまりにも厳しく、しかたなく謝罪に及んだのかもしれない。
その文面を、以下に引用する。
お詫びとご報告
本年3月末、当時、弊団体の事務局長であった元スタッフ(以降、元スタッフ)が覚醒剤取締法違反(所持使用)の容疑で逮捕・起訴され、6月11日に金沢地裁にて、懲役2年、執行猶予4年の有罪判決を受けました。このような事件が発生したことは誠に遺憾であり、関係の皆様方に多大なるご心配とご迷惑をお掛けし、深くお詫びを申し上げます。
本件を受け、団体として、所属メンバーや協力スタッフに対して法令遵守を徹底するとともに、依存症予防と対応に関する内部勉強会を、7月4日および7月16日に実施してまいりました。参加対象をひろげた3回目の勉強会の実施を、8月13日に予定しております。
また、元スタッフが逮捕前夜、閉館後の「金沢にじのま」のトイレにおいて、一人で覚醒剤を使用した事実が確認されました。様々な世代の多様な方々にご来訪いただく施設であり、あってはならない行為であると認識しております。心からのお詫びを、重ねて申し上げます。
今後、安心・安全の施設として「金沢にじのま」を継続運営していくために、施設利用における注意事項の館内掲示を徹底してまいります。また、閉館時などに不審者等による侵入や使用がないように、施設玄関等に防犯カメラを設置することといたしました。
弊団体では、令和5年度、厚生労働省交付金による自殺対策事業の一環で、「金沢にじのまの一部スペースを利用して相談事業等を実施してきました。本件を受けて、令和5年度の交付金は既に全額返金し、令和6年度は交付金を受けず、自主事業として継続することといたしました。なお、これまでに当該交付金が「金沢にじのま」の家賃、および、元スタッフの人件費に使 用された実績はありません。いずれも、施設の経営主体である株式会社ミッションズが負担して おります。
元スタッフは、4月2日付けにて弊団体および「金沢にじのま」のスタッフを脱退し、現在は、複数の専門家とともに、更生に向けたプログラムに専念しております。
改めまして、この度は、ご心配とご迷惑をおかけし、大変申し訳ありませんでした。また、厳しい指摘や指導、変わらずの応援や支援をいただいた方々に、 御礼を申し上げます。
今後は、「金沢にじのま」の運営協力、本秋開催の「金沢ブライドウィーク2024」「金沢プライドパレード2024」など、ひとつひとつ、より丁寧に活動してまいります。 北陸地域において、性のあり方を問わず、誰もが自分らしく、安心・安全に暮らすことのできる社会づくりに、スタッフ一同、より一層の努力を重ねてまいります。どうぞ、よろしくお願いいたします。2024年7月20日
一般社団法人 金沢レインボープライド
共同代表 松中 権 Diana Hoon
LGBT当事者から大ひんしゅくを受けた6月の謝罪文よりは長くなったうえ、代表者名も明記。ただし、事務局長の名はあいかわらずの匿名だ。まあ、体裁だけはそれらしく整えた感じか。
これに対し、現役の医師で、8月には斉藤佳苗名義でLGBT思想に対する問題提起の書『LGBT問題を考える』(鹿砦社)を上梓したエスケー氏(@KatzePotatoes)が、的確なツッコミを入れているので、ご紹介したい。
逮捕から4ヶ月近く経った2024年7月20日にようやく詳細な報告。今回はちゃんと共同代表の署名もある。突っ込みたい所は以下の通り。
・逮捕から発表まで時間空きすぎじゃない?途中でクラファンもしてたし。
・再発防止の勉強会も、逮捕起訴されて判決出るまで待ってからなんだ?
・結局、他の運営メンバーに対する薬物検査とかはやったのか?1人分としては多すぎる量を持ってたんだよね?
・なんでわざわざ家賃や人件費は経営主体である株式会社ミッションズが負担していた、と会社名出したんだろう。
・あ、こういう時に責任を分散するためにわざわざ分けてたのか!?代表者は同じ(松中権)なのにね!
・ちゃっかり、施設の運営は続けていくし、秋には金沢プライドウィーク2024や、金沢プライドパレード2024などのイベントも続行するよと宣言。無傷で乗り切る気満々だな。
2024年7月20日(https://x.com/KatzePotatoes/status/1814569839530520835)
他にも、大勢のLGBT当事者から辛辣な指摘が寄せられている。
富田格(ゲイ、@itaru1964)
えっ。
事務局長が「金沢にじのま」で違法薬物を使用して逮捕されたのは3月末。
その後、知らぬ存ぜぬの態度でクラファンをはじめ秋のパレード開催を発表。
6月に公判があり新聞記事になった時点でもスルーしようとしていたのに、今日になってこれですか?
遅きに失しましたねえ。
2024年7月20日(https://x.com/itaru1964/status/1814601611202998741)
いなり王子・坂梨カズ(バイセクシュアル、@inari_oji)
今年は中止するべきでは?真摯に受け止めているならば、尚更だ。
代表は、議員や総理にまで謝罪を求める割に、たったこの紙切れで無かったことにしてはならない。
2024年7月20日(https://x.com/inari_oji/status/1814619590447804692)
オゲレツ晴海(ゲイ、@ogeretsusai)
ちゃんと法律を守ってクスリもやっていないスタッフに対して「法令遵守」だの「依存症予防と対応」の勉強会をするよりも、団体を運営するにあたってのリスク管理が全くできていない代表者への教育や、社会的信頼を回復するための組織改革が必要だと思います。
2024年7月20日(https://x.com/ogeretsusai/status/1814585727948366209)
はちろえもん(ゲイ、@kyara0930)
令和5年の交付金は既に全額返金し
だからクラファンよろしく!ってことかしら。はて
2024年7月20日(https://x.com/kyara0930/status/1814591420134793386)
そして、前回もご紹介したゲイのY@su氏は、このような論評をポストした。
「金沢レインボープライド」代表の松中権氏が、突如「お詫びと報告」と題した声明文を発表した。何についての「お詫びと報告」なのかと言えば、勿論あの「かなざわにじのま覚醒剤使用事件」についてだ。
6月5日に最初に出された、「紙っぺら一枚に僅か9行の、代表者名の記載も無い、中身も何も無い謝罪文」(左側の画像)からは文量だけは増えているものの、肝心の「書いてある文章の中身」と言えば、見事に全編「言い訳と自己弁護」に終始している。
公金が投入され、運営される団体で「公金が違法薬物に使われたかも知れない事件」が発生したにも関わらず「その実態を真摯に解明・説明しようとする意思」は皆無だ。
そして「最高責任者の松中権氏」は、自らは何ら責任を取る事もせず「事件の舞台となった組織」についても「解散」どころか「休止」すらしようとしない。
今般の声明に書かれている内容は「誰も責任は取らない」「施設は閉鎖しない、休止もしない」「パレード等のイベントは全て実施する」と言う「ふざけた事」だけだ。
「表面的な謝罪の言葉」は散見されても「代表は責任を取らず、活動も何一つ見直さずに続行する」と言う内容なのだから「謝罪の言葉」など「口先だけ」である。本気でこの様な態度で良いと思っているのであれば「社会は舐められている」としか言い様が無い。
当然ながら「一般の組織」でその様な事は許され得ず「問題を起こした組織やそのトップ」は「責任を追及され、辞任や解散・休止に追い込まれる」のが常だ。「かなざわにじのま覚醒剤使用事件」で、それが起きないのは「大手マスコミが、極左LGBT活動家らには激甘だから」に他ならない。
大手マスコミは、最初だけは事件を報じたものの、その後の「追及」は全くと言って良い程していないし、する気配すら無い。彼等は「大手マスコミが自分達に甘い」事を熟知しているので、この様な「社会を舐めた態度」を、これまでも平気で取って来たし、今も取り続けている。
だが、それも「時間の問題」だ。何故なら、マスコミは「社会の空気が変わったら、掌を返した様に180°態度が変わるのが常」だからだ。マスコミは「自分達が批判される側になる事を最も恐れている」が故に、社会の空気が変わり「極左LGBT活動家らが批判対象になったと察した途端」に掌返しをするだろう。
その「萌芽」は既に見えて来ており、世界的には「極左LGBT活動に対する社会的軋轢」が高まり、それを手厳しく批判する「まともな意見」が激増している。
極左LGBT活動家らは、これまでは、その様な批判を「差別主義者」だの「ヘイター」だのと「レッテル貼り」しておけば「相手が悪い」事に出来た。だが、今回の「金沢レインボープライド」代表の松中権氏の様に、「他者を強く責める一方で、自らには極めて甘いダブスタを堂々としている」事がバレて来ると、それを「おかしい」と思い、声を上げる人達が確実に増える。
極左LGBT活動家らが、この様な批判に対して未だ「差別者・ヘイター認定しておけば良い」と思っているとしたら、完全に「社会の空気の変わり目」を読み間違っている。彼等の発する「差別主義者」や「ヘイター」などと言う言葉が、「自らへの批判をさせない為や、批判をかわす為の方便」である事が、最早バレている事に気付くべきだが、どだいそんな事は無理だろう。
何故なら、一度でも「方便」である事を認めてしまえば、これまで散々「差別主義者」や「ヘイター」と言って「押さえ付けていた批判」が一気に噴出するからだ。
だが、彼らが「方便」である事を認めようと認めまいと「社会の趨勢」は変えられない。「LGBT差別解消」を大義名分とした「極左LGBT活動」が、様々な意味で「自らの利益の為の活動」である事の象徴が、今回の「かなざわにじのま覚醒剤使用事件」だ。そして、今回発された「お詫びと報告」は、彼等が「自らの過ちを全く総括出来ない事を、自ら露呈した」と言う事の「象徴的出来事」である。
マスコミが批判しないのであれば「市井の社会の人々」が声を上げ、強く批判しなくてはならない。
そこで、極左LGBT活動家らが発するであろう「差別主義者」や「ヘイター」等の非難は「自らへの批判を封じ、かわす為の方便」に過ぎず、それに怯む必要は1ミリも無い。
そして、彼らへの批判の「社会的空気」が醸成されれば、マスコミは「以前から自分達もそうだった」かの様な顔をして、一斉に「掌を返し」て批判を始める様になる
2024年7月23日(https://x.com/Yasoo___Japan/status/1815565499503382691)
こんな調子で、金沢レインボープライドの謝罪文は、底意地の悪いLGBT当事者の大群から「まったく反省してない」証拠を指摘され、批判されつづけることになる。
敵に回すと真に恐ろしいのは、LGBT活動家ではなく、LGBT当事者である。なにしろ、LGBT活動家は「プロ」なので、ぶっちゃけ、お金を出せばなんとかできるという面もある(ぶっちゃけてしまい、ごめんなさい!)。
しかし、特定の企業や自治体からお金をもらっているわけではないLGBT当事者は、首輪のついてない野犬のようなもの。気に食わなければ噛みつき、気に入れば懐く。どうやってコントロールすればよいかは、「野良LGBT」の一人たる私自身もわからないのである。(つづく)
◎森奈津子 LGBT犯罪録 かなざわシャブのま事件 ── 金沢レインボープライド事務局長が覚醒剤で逮捕
〈1〉http://www.rokusaisha.com/wp/?p=50290
〈2〉http://www.rokusaisha.com/wp/?p=50306
〈3〉http://www.rokusaisha.com/wp/?p=50381
〈4〉http://www.rokusaisha.com/wp/?p=51912
〈5〉https://www.rokusaisha.com/wp/?p=52094
▼森 奈津子(もり・なつこ)
作家。1966年東京生。立教大学法学部卒。1990年代よりバイセクシュアルであることを公言し、同性愛をテーマにSFや官能小説、ファンタジー、ホラー等を執筆。
Xアカウント https://x.com/MORI_Natsuko
森奈津子 LGBTトピック https://x.com/morinatsu_LGBT
LGBT問題ぶっちゃけの書、斉藤佳苗著『LGBT問題を考える 基礎知識から海外情勢まで 』(鹿砦社、2970円)
◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/4846315592/
中学の同級生・有田正博君のこと 鹿砦社代表 松岡利康
中学校の同級生、有田正博君が11月いっぱいで店を閉め引退するという地元紙・熊本日日新聞の記事を、同紙の元記者のH君が送ってくれた。実際には諸事情で延期、12月15日に閉店した。
店を閉めることは、今年初め同窓会で帰郷した際に本人から聞いていた。その時は10月いっぱいで、ということだった。前出熊本日日新聞で1カ月インタビュー記事を連載するなど地元熊本ではちょっとした有名人だ。
有田君とは、中学3年の時に転校してきて一緒だった。卒業してからずっと別の人生を送り音信が途絶えていたが、偶然に、こちらは高校の同級生で、ライフワークとして島唄野外ライブ「琉球の風」を始めた東濱弘憲君(故人)の追悼本『島唄よ、風になれ! ── 東濱弘憲と「琉球の風」』(鹿砦社刊)の校正の過程で「有田正博」という名が出て来てピンときて前出H君(当時熊本日日新聞記者)に調べてもらったところ中学の同級生の有田君その人だった。
有田君は一時東濱君のブティックで働いていて、これが閉店するや、その後独立し海外に行ったりしてファッションの勉強をして名を挙げた。一番有名なのは、まだ無名だったPaul Smith(ポール・スミス)と出会い、日本に持ってきたことだろう。Paul Smithは今や世界的ブランドとなった。
H君の取り計らいで、実に40数年ぶりに再会した。……
その後、有田君の店が私の一族の墓が近くに在るということもあり帰郷するごとに立ち寄って歓談したり食事と共にしてきた。
それにしても、中学の同級生と高校の同級生との関係と私との関係など因縁を感じる。
Paul Smithさんは義理堅い男のようで、このライセンスを日本に上陸するや有田君に渡した。このライセンスもあり有田君は一時ビル3つ所有し釣り三昧の日々を送ったという。そんなこともあり妻子から三行半を突きつけられ離婚、ビル3つとPaul Smithのライセンスを潔く渡し、ゼロから出発したという。一時は東京の青山にも店を出したこともあった。
中学校の時にはそんな大それた男とは思わなかったが、引退かあ、本来なら私もその予定だったが、コロナのお蔭でもうひと踏ん張りしないといけなくなった。
時は過ぎ行く ── 人は老いていく。
閉店後電話した。「お疲れ様! よか人生だったね」と言い、「祝 人生勝利!」の文字の刻印を入れたクリスタル置き時計を贈った。
(松岡利康)