波乱万丈の人生を送った異色の名脇役、弾正勝物語

「早くからキック中心に修行していれば名チャンピオンになれた」と言われるほど惜しい存在だった昭和のキックボクサー、弾正勝(だんじょう・まさる)──。立嶋篤史選手が兄貴と慕うジムの先輩で、幼い頃から選手になっても続いた苦労と天性の才能には「弾正さんの人生を本にしてくださいよ」と言われたこともありました。

この弾正勝氏を記事として取り上げることにしたのは、先日、電話が掛かってきて、「今度、東京方面に行く用があるので、久々に逢いましょう」と誘われてのことでした。以前、ある出版物でのコラムで紹介した内容の再録の部分もありますが、更に細かく紹介したいと思います。

島津昇吾戦のリング上へ 1986.9.20

◆本業は左官工、実戦で力を培う一流選手

元・日本ウェルター級1位選手、弾正勝の生い立ちは、幼いまだ記憶にも残らぬ頃、両親が離婚。そして5歳の時、母親を交通事故で亡くし、母方の親戚に預けられて育った弾正勝は、貧乏な生活環境から中学卒業の翌日には左官工見習いとして働き出しました。

1973年に20歳でデビューしたのも、大金を稼ぐためでした。しかし次第に業界の在り方を知り、キックボクシングではチャンピオンになっても思うような大金は稼げないことを知ってからは、キックに集中することは無くなりました。生活を支える左官業に重点を置いて地道に稼ぎ、キックは副業と位置付けつつも、一旦キックに魅せらたら辞めることはできませんでした。

ロッキー武蔵戦での勝利のファイティングポーズ 1985.3.16

日々、左官の仕事がある中、試合日以外は休みなく毎日働き、試合中ダウンした時でさえ「明日の仕事に響く」という思いが頭を過ると、そのままテンカウントを聞いてしまうこともあったといいます。

弾正勝のデビュー戦は1973年(昭和48年)、ベンケイ藤倉ジムに所属し、後の全日本ライト級チャンピオンの大貫忍(相武)戦で判定負け。その当日は育ての親だった親戚の叔母さんが病気で亡くなり、告別式を終えての試合でした。

1977年には挙式と転居と共に高葉ジムに移籍。更に1981年には習志野ジムに移籍しました。本業と家庭の事情で通算5年のブランクを作りつつ、5回戦キックボクサーとしての実力は実戦で培っていく勝負勘を持つ一流選手でした。

◆30歳過ぎて強くなる異色の存在

転機となったのは1982年に葛城昇(後の日本フェザー級チャンピオン/MA日本キック連盟認定)が西川ジムから習志野ジムに移籍して来た時でした。それまでは他に練習生もいないキック低迷期で練習はいつもひとり。ほどほどにサンドバッグを蹴って帰ることが多かったところ、元々“鬼の黒崎道場”で鍛えられた葛城が来てそうはいかなくなりました。試合が近いにもかかわらず、仕事を終え自宅でビールを飲んでくつろいでいると、葛城がやって来て「試合近いのに何やってんですか!」と怒鳴られジムに引っ張り出されました。

千葉昌要戦でセコンドを務める鬼の継承者・葛城昇と

葛城がロードワークを兼ねて弾正宅に乗り込むのは、試合が決まってる時期はほぼ毎日。年齢もデビューも5年以上も後輩の葛城に引っ叩かれることもありました。酒の臭いをさせながらも「弾正さんにミット蹴らせると重い蹴り出すんだよ~!」とは葛城の弁。後々の試合で勝利を重ね、30歳過ぎて強くなる異色の存在の裏には葛城選手の存在があったことは運命の導きだったかもしれません。

◆極真出身の竹山晴友に立ちはだかる弾正勝

1986年4月に竹山晴友(大沢)が極真空手の実績を引提げキックデビューし、9戦9勝(9KO)の連勝を続ける中、1987年4月、弾正勝は竹山に立ちはだかる存在としての対戦。一部には竹山を “潰してやろう”精神が密かに浸透していたのも事実。

千葉昌要(目黒)戦

黙々と前に出て来る竹山から左ストレートで初のダウンを奪ったのは弾正勝でした。竹山は立ち上がろうとするも足にきていて、すぐには立ち上がれず、完全に効いた印象の悪いダウン。しかし竹山は立ち上がり、また黙々と前に出る。弾正勝の欠点は練習不足からくるスタミナ不足。竹山は毎月試合が組まれる看板選手で、黙々と練習をこなすスタミナ抜群の選手。次第に形勢逆転し、ボディブローに倒されたのは弾正勝でした。

同年6月、更に日本ウェルター級王座決定戦に起用された弾正勝は、こちらも竹山に対抗する看板選手だった鈴木秀男(花澤)と対戦。ムエタイスタイルが浸透し始めたこの時代、タイボクサーのようなしなる蹴りを持ち、パンチもあった鈴木秀男に倒され王座奪取は成らず。

ロッキー武蔵(千葉八戸)戦 1985.3.16

後に全日本系に移った弾正勝の所属する習志野ジムは、1989年1月、全日本ウェルター級チャンピオン.船木鷹虎(仙台青葉)に挑戦。しかしここでも肋骨を折られるKO負け。これがラストファイトとなりました。

ここに至る以前のトップクラスと当たった試合では1983年に1000万円オープントーナメント62kg級準々決勝で元・ラジャダムナン系ライト級チャンピオン.藤原敏男(黒崎)と対戦した試合がありました。デビュー以来、試合が“怖い”と思ったことは無かったという弾正勝が、唯一怖いと思った試合がこの藤原戦だったと言います。キックに対する向き合い方の違いに委縮したか、蹴り足を掴まれ、押し倒されること十数回。4R・TKO負けとなりながらも精一杯蹴り合った試合でした。

藤原敏男(黒崎)戦 1983.1.7

◆アルンサックにKO勝ちした唯一の日本人選手

弾正勝はチャンピオンには縁がなかったですが、ひとつだけ知られていないエピソードがありました。“日本”では 8戦負け知らずで、日本ミドル級チャンピオンの竹山晴友を子供扱いした、アルンサック・チャイバダン(タイ)にKO勝ちしている“日本人”は弾正勝氏だけでした。

アルンサックがまだ来日前の1982年に香港で対戦。技術的には優ったアルンサックが、ナメてかかってきたところを接近戦で弾正勝が蹴りとパンチの連打でKO勝利してしまいました。

1977年に子連れ結婚という形で所帯を持ち、その子供が1985年に結婚し、孫が生まれたことにより、おじいちゃんキックボクサーとしても話題になっていました。活力はそこにあり、当時「まだ辞めないよ」と控室で笑いながらグローブをはめる弾正勝の表情は生き生きしていました。その結婚式には、幼い頃に別れた父親とも再会していました。不憫な思いをさせたことを父親は謝りましたが、弾正は親を恨んではおらず、育ての親だった叔母さんに躾けられたのは、親が居たから自分が存在するという命を与えてくれたことへの感謝の気持ちを持つことと“明るか貧乏”で、その人格は弾正を立派に育てられていました。しかしそのお父さんまでもその2ヶ月後に病気で亡くなられる運命を辿ってしまいました。

現在の弾正勝氏 本名・内田康夫

現役選手を続けつつ、本業は社長として内田工業(株)を経営し、引退後は現在も左官業を経営。現役時代は当時あまりいない刺青を腕にしていて強面で、一見近付き難い存在でしたが、後輩に引っ叩かれても穏やかにこなしたジムワーク。最近も逢って話せば穏やかな口調は現役時代と変わらず、歳も取ってより優しくなった印象があります。

そして出てくる話は昔のキック。「日本系・全日本系の2団体時代は交流戦があって盛り上がったね。今もそうなればいいのに」とは昔の選手共通の願い。

後輩の立嶋篤史に「タイには若いうちに行った方がいい」と助言したのも弾正勝氏でした。キックにあまり力を注がず、タイにも修行に行けなかった後悔を立嶋篤史にはさせたくなかった想いがありました。懐かしい昔話はそれだけで楽しい時間が経ってしまいます。

昔懐かしい選手との再会をまた話題を変えつつ触れて行こうと思います。昭和のキックボクサーと年齢的に、お互いがそう長くない人生となっていくことを考えると、後悔しないようまた記事にすること目標にしていきたいものです。

[撮影・文]堀田春樹

▼堀田春樹(ほった・はるき)
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

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視聴率低迷で実質打ち切り「OUR HOUSE」の救いはプロレスラー高山善廣の演技

芦田愛菜とシャーロット・ケイト・フォックスがダブル主演しているフジテレビ系連続ドラマ「OUR HOUSE」(日曜午後9時)の視聴率の苦戦が続き、ついに昨晩12日に実質打ち切りのようなかたちで最終回が放映された。

「2話を強引に1話にまとめたので、話がわからなくなった。亡くなった母親のいとこが登場して『私が母親になります』と言い出す始末。これは昭和初期から作られてきたドラマの焼きなおしにすぎません。いったい、脚本家は何をどうしたかったのか」(放送作家)

第7話(29日放送)の平均視聴率が4.2%(関東地区、ビデオリサーチ調べ)だった。これで第4話が3.8%と落ち込んでから、第5話で5.4%に回復も平均視聴率は3.9%だ。「動物の映像でも流したほうがよかったんじゃないか」と陰口も。

「ただひとつ、救いはあります。プロレスラーの高山善廣の素朴な演技がめちゃくちゃに評判いいんですよ。寡黙で、科白を言わなくても目で演技できるところがいいと演出家たちが声をそろえています」(制作会社スタッフ)

芦田さん演じる伴桜子の父親・奏太(山本耕史)の姉・赤尾琴音(松下由樹)の夫である救命士を案じているが、別居中の妻、琴音になんとかよりを戻そうとしてトライするも、行状の悪さをまくしたてられて引っ込む、という情けない役を見事にこなしているのだ。

「ふだんは、相手とディフェンスもまったく省みずにボコボコに殴り合う高山が、背中を丸めて情けない味を出している。これはもう演技力以外の何ものでもないでしょう。演出畑の仲間も注目し始めていますよ」(同)

かつてNHK大河ドラマ「功名が辻」をはじめ様々なドラマにゲスト出演してきた高山だが、初の連続ドラマにレギュラー出演で、「リング外」での活躍の場をゲットしたようだ。「ほかのテレビ局のドラマ制作演出部も、髙山に注目し始めたようです。髙山がオモチャ好きなのを知って、『よし、ひとつ超合金ロボでももって挨拶にいこうか。なんのオモチャを欲しがっているかリサーチしておけ』などという指示が飛び始めたようですね」(同)

しかし、プロレスラーとしての髙山にとって長時間拘束されるドラマの仕事は「体がなまるので格闘技としては積極的にすべきじゃない」と知人に漏らしている。

「残念だね。『戻ってきて』という手紙を妻本人に渡せずに、入口のところで『渡しておいてくれ』と頼むシーンは哀愁が出ていて泣けてきました。立っているだけで悲しみが表現できる役者だけに、1シーンでもいいから出て欲しい」(プロデューサー)

果たして、数年後のNHK大河ドラマに重要な役で起用される日も近い?!

(伊東北斗)

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“王座”は誰のものか?──自然と自覚していく“チャンピオン”の重み

イメージ画像。認定者と新チャンピオンが並ぶ認定式。一人では獲れない王座の重みを感じる瞬間

「チャンピオンベルトは誰のものか?」というテーマではすでに一度、本ブログ記事で掲載されていますが、今回のテーマは“王座”そのものです。

「またアヤラとやります!」
1998年8月、WBC世界バンタム級タイトルマッチ、辰吉丈一郎の2度目の防衛戦で、ポーリー・アヤラ(米国)との探り合いの序盤を優勢に進めつつ、アヤラがやや調子を上げた中盤、偶然のバッティングで辰吉が試合続行不可能となり、負傷判定勝利となった不完全燃焼での終了の不甲斐なさに号泣し、マイクでアピール。次戦にアヤラとの再戦を希望したことにちょっとの疑問符が付きました。テレビで観たファンも「次もアヤラとやるんだってね、やっぱりはっきり決着つけないとね」と、辰吉のアピールを信じているかのような声もありました。

T-98(=今村卓也)WBCムエタイ日本ウェルター級タイトルを獲得、苦難もあったが、ここから始まったムエタイ王座ロード(2014.2.16)

今やプロボクシングの世界戦の常識的ルールも、お金の絡む交渉次第で指名試合を回避できたり、WBAではスーパーチャンピオンも暫定チャンピオンも同時に存在する、チャンピオンの定義も崩れた状況にありますが、当時の主要4団体はまだその権威が保たれていた時代でした。タイトルマッチに勝利して得たチャンピオンベルト(一時的借り物とはいえ)と認定証はリング上で物理的に受け取れますが、王座も認定されている間は紛れもなく、その勝者のものです。

◆王座防衛戦はチャンピオン一人で決められるものではない

では、「チャンピオンが自由に防衛戦ができるか」と言ったら、それはチャンピオン一人で決められるものではありません。

チャンピオンの座はその選手本人が勝ち獲ったのものですが、その舞台を整えたのは認定組織やビジネス的にプロモーターのお仕事となってきます。

世界戦ではタイトルマッチのオプション契約上、興行権が前チャンピオン側にあるうちは、新チャンピオン側プロモーターは自由には扱えませんが、それを解消すれば(通常2試合分)ようやく興行権が渡ってきて、プロモーターの思惑で、挑戦権有資格者となるランカーの中から自由に挑戦者を選びつつ、またファンの期待を裏切らない好カードにもしなければならない冒険も必要になり、また定期的にやってくる最強の挑戦者(1位)との指名試合もクリアーしつつ、そういう制約された中で防衛を重ねていくことが実績を積み上げていくことになります。チャンピオン本人の意向も考慮されるでしょうが、勝つ限り(ドロー防衛も含め)終り無き防衛ロードは常にプロモーターの支配下にあることは否めません。

高野人母美も置かれる立場も理解して目が覚めたような記者会見(2016.5.27)撮影=小林俊之

1998年の辰吉丈一郎氏の場合は、次に控えていた指名試合が予定通り進められ、同年12月に指名挑戦者・ウィラポン・ナコンルアンプロモーション(タイ)と3度目の防衛戦へ繋がります。もしポーリー・アヤラと再戦する場合は、このウィラポン戦を防衛しなければならず、リング上で「次もアヤラと」と言っても辰吉氏個人で決められるものではありませんでした。

◆高野人母美の引退撤回騒動

先日、プロボクシング女子の東洋太平洋スーパーバンタム級チャンピオン.高野人母美(協栄)が、所属する協栄ジムの金平会長が海外出張で不在中、無断で引退宣言しながら約1週間後に引退を撤回する騒動がありました。

「会長の居ぬ間に、新興格闘技で起こるような低次元な騒動をプロボクシングの伝統ある協栄ジムで起こすなよ」と思いましたが、仮にジム側に対し不服とする事情があっても、この場合も選手は会長を通さず引退宣言とか王座返上とか、対戦相手を決めるとか、何事も一人で決められる立場ではありません。

かつてキックボクシングで起こった例で、ある世界機構のチャンピオンがジムを脱会し、フリーとなって他の興行で防衛戦を計画しましたが、元所属のジムからクレームが入って王座は返上せざるを得なくなったという例がありました。事態が発生して初めて「王座は誰のもの?」と思ったファンや関係者がいましたが、この辺りはルールや常識が浸透していないキック業界の曖昧さがありました。

◆タイでの防衛戦を熱望するT-98(タクヤ)の想い

T-98(=今村卓也)vs アーウナーン・ギャットペーペー(タイ)、岡山で行われたWPMF世界ミドル級王座決定戦で判定勝利で王座奪取

また先日、6月1日の後楽園ホールで行われたREBELS興行でのムエタイ試合、タイ国ラジャダムナンスタジアム認定スーパーウェルター級タイトルマッチで、チャンピオン.ナーヴィー・イーグルムエタイ(タイ)に3-0の判定勝利で日本人5人目の殿堂ラジャダムナン王座を奪取したT-98(“タクヤ”と読む=本名.今村卓也/クロスポイント吉祥寺)も、「現地ラジャダムナンスタジアムで防衛してこそ本物」と宣言したようにタイでの防衛戦を希望していますが、確かに現地で防衛してこそ“快挙”と言えるでしょう。

新チャンピオンを抱えるクロスポイント吉祥寺ジムですが、ラジャダムナンスタジアムプロモートライセンスを持たなければ、同スタジアムでは興行を打てない現地のタイトルだけに、興行権は絶対的にタイ側プロモーターにあり、日本で防衛戦を行なう場合はタイ側プロモーターから興行権を譲り受ける形(売り興行)で、REBELSプロモーションと今村卓也選手と所属ジム陣営の意向も含めて検討されるでしょう。拘束が厳しくタイでやっても日本でやっても険しい防衛ロードですが、外国人(タイ側から見て)として新たな快挙を成し遂げてもらいたいものです。

ラジャダムナンスタジアムでチャンピオン獲得、防衛も果たしたのは初の外国人チャンピオン.ジョイシー・イングラムジム(ブラジル)、こんなチームワークで今村卓也(T-98)もジョイシーに続く快挙を成し遂げリング上で写真に収まることができるか(2015.6.28)(C)THAI TANIGUCHI SPORTS LIFE CO. LTD. 

◆チャンピオンの権利は自分だけではないことを自然と自覚する

「この重たいチャンピオンベルトは、自分ひとりの力で獲れたとは決して思っておりません・・・。」かつて1985年に、日本フェザー級チャンピオンとなった鹿島龍(目黒)がマイクで語った言葉の一部ですが、この後、連盟代表、ジム会長、コーチ各関係者へ感謝を述べ、すべてのチャンピオンは同じように心から思うことでしょう。チームワークで王座奪取し防衛を目指すもので、そのチャンピオンの権利は自分だけではないことを自然と自覚するものです。

[撮影・文]堀田春樹

▼堀田春樹(ほった・はるき)
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

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ダブルノックダウンをレフェリーはどう裁定してきたか? キックルールの試行錯誤

3ノックダウンルールがごく当たり前のキックボクシング。なぜこのルールが定着してしまったのでしょうね。このルールに於いて、1ラウンド中に青コーナー選手が2度ダウンし、その後ダブルノックダウンが起こりました。さてそこで、レフェリーはどういう対処をすべきと思いますか?

ちょっと前の3月9日に行われたREBELS興行での山口裕人(山口)vs中村広輝(赤雲會)戦で、第1ラウンドに中村広輝選手が2度ダウン後、ダブルノックダウン(両者ともダウン)が起きました。この試合は3ノックダウン制(1つのラウンド中に3度ダウンで自動的KO負け)でした。担当した山根正美レフェリーによると「以前から想定していた事態が起こりましたが、その対処を冷静に行ないました」という回答でした。

ダブルノックダウンというのは、プロボクシングに於いてもごく稀に起こる現象です。滅多に無いにしても、いつ起きてもおかしくない“打ち合い”は常にあります。

打ち合いのひとつ、パンチの交差はどちらが倒れるかの迫力あり。どちらも倒れることも稀にあり

◆1988年9月、須田康徳(市原)vs長浜勇(市原)戦の場合

キックボクシングで過去実際に、一方が2度ダウンの後、ダブルノックダウンという稀な事態が起きたのは1988年(昭和63年)9月の須田康徳(市原)vs長浜勇(市原)戦でした。1ラウンドに長浜選手が2度ダウンし、その後ダブルノックダウンが起こりました。レフェリーのリー・チャンゴン(李昌坤)氏はそこで3ノックダウン目となる長浜選手をストップ。須田選手のKO勝ちを宣告しました。後にこの裁定についてリー・チャンゴン氏に聞いてみましたが、3ノックダウンを優先するルールだったという当時のMA日本キック連盟でした。

そして更なる後に全日本キック連盟で当時審判部のサミー中村レフェリーにも、こんな場合の処置を聞きましたが、やはり3ノックダウンを優先するというものでした。

カウンターパンチャーはロープ際での攻防がチャンス
イメージ画像。単にもつれて倒れたカット。ダウンした側がすぐ立ち上がり、ダウン奪った側がスリップして転んだこともあり、観た目は不思議な光景もありました

◆10カウントは“完全”アウト、3ノックダウンは“自動的”アウト

そこで違和感を覚えるのは、3度ダウンした側がすぐ立ち上がり、1度のみのダウンとなる側が失神し倒れたままでも、その倒れた側が勝者になるのか? という複雑な状態。

こうなると参考資料となるのが伝統あるJBCルールでした。まず、ルールブック同項目冒頭は「双方または一方が『3ノックダウン』に該当する場合もカウントする」という文言があり、「双方が立ち上がった場合、双方が3ノックダウンに該当する場合は引分け。一方が該当する場合はこの選手をKO負けとする」とあります(双方が倒れたままの場合、カウントアウトされ引分け)。補足説明の記載は無い為、1996年に更に煮詰めに当時のJBC役員に聞いたことがあります。

そして「一方だけが立ち上がる場合はどうするのか」という質問に、「3度目のダウンとなる側が立ち上がり、1度目のダウンになる側が倒れたままの場合、3度目のダウンになる側でもKO勝ちになる」という回答でした。

ここで見えてくるのが、「10カウントは“完全”アウト、3ノックダウンは“自動的”アウト」という重みの差。それでカウントが優先される意味になってきます。
ここ最近もJBCのある役員に再度質問しましたが、JBCルールは今年からフリーノックダウン制に変更されているので、旧ルールでのあくまで稀な例ですが、回答は同じで「こんな想定も試合役員会では何度も確認していました」というアクシデントに対処できるシミュレーションはされているというものでした。

あくまでプロボクシングの基本ルールで、実際にこんなパターンが起きても、レフェリーの権限で危険な状態にある方を止めることも考えられます。

◆何度ダウンしても試合を続行するフリーノックダウン制

レフェリー歴20年の山根正美レフェリー。「まだまだ学ぶこと多き日々」と謙虚な姿勢

前述の山口裕人vs中村広輝戦はここに挙げた例とは若干違いますが、山根正美レフェリーはダブルノックダウン後、カウントを取り、1度ダウンの山口選手が立ち上がりましたが、3度ダウンの中村選手が立ち上がれない状況で、カウント途中で試合を止めた形でした。山口選手が立ち上がった続行可能の時点で、中村選手の3ノックダウンのみが成立するので、その裁定になりますが、この場合の止め方を見た場合、厳密にはレフェリーストップになります。周囲は「3度ダウンだろ止めろ!」と叫ぶ声が多かったようです。

REBELSルールでしたが、立会人のWPMF日本支局長のウィラサクレック氏が、その裁定に異議はなく擁護されたようでした。

この以前からこういう場合の質問を、いろいろな関係者に聞いても、誰もが「3ノックダウン側の負け」と答えられました。それでも各団体のキックボクシング(ムエタイ)ルールではそう明確に決められているのであれば問題ないのですが、実際こんな細部まで決められたルールブックが無いのが現状でしょう。また、WBCムエタイルールの「試合5ラウンド全体を通じて5度のダウンでKO負け」ではより複雑な結果を残す可能性もあるので想定外の結末にならないよう注意して欲しいところです。

昔の日本キックボクシング協会系(TBS系)ではフリーノックダウン制で、何度ダウンしても続行していました。現在ではちょっと考えられない危険なKOもありましたが、幸い大きな事故は無く、対抗した当時の全日本キックボクシング協会では3ノックダウン制でした。後の低迷期に起こった分裂後、統合団体となった日本キックボクシング連盟で、旧日本系・旧全日本系のルール各項目の適切な部分を取り上げて作られたルールが完成し、3ノックダウン制が採用されました。

その後、分裂したどの団体でも新たにルール改革することはなく、元居た団体のルールをそのまま使い、3ノックダウン制を躊躇いなく起用するようになってしまったようです。

タイ国ラジャダムナンスタジアム公認レフェリーのナロン・ルアムジット氏。公式ルールも熟知して、すべての権限を握って日本で開催のタイトルマッチを裁く(2015.3.15)

唯一フリーノックダウン制だったのは1987年(昭和62年)に短期間存在した日本ムエタイ連盟でしたが、真剣勝負ながら笑えるほど何度もダウンがあって、レフェリーに続いて観客も一斉にカウントに声を出していた試合もありましたが、当時では仕方ないながら、早めのストップを考慮しなければならない団体だったと思われます。

現在はキックでも最終権限はレフェリーにあるはずなので、危険な状態であればいつ止めても問題ないのですから、ややこしい事態が発生する前に、現在のJBCルールのように“フリーノックダウン制”でいいのではないかと思います。

◆最終権限はレフェリーにある

本場ムエタイでも明確な裁定があり、ここでも「最終権限はレフェリーにある」という解釈があり、JBCルールと同様に、どんな事態が発生しても対処できる解釈は存在し、確立したルールが出来上がっている競技であるということです。

日本でのキックルールは、裁く視点については試行錯誤を繰り返し改善されてきましたが、「こういう場合はどうなるの?」といった事態には細部まで明文化していない項目はまだまだあります。いざリング上で惑わない為にもそこまでこだわってルールブックを作り上げて欲しいものです。

仮に、効いて倒れるタイミングがズレた、“時間差ダブルノックダウン”が起きたら? ・・・想定外だと解答は難しいものです・・・!

[撮影・文]堀田春樹
※本稿で使われている画像はすべて、ダブルノックダウンが起きた試合とは無関係です。

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美人モデルボクサー高野人母美、引退撤回の謝罪会見

 

一度は「引退する」といい、1週間たてば「引退しない」と言う。美人ボクサーのわがままにつきあった。

「こんなくだらないことで振り回されるのはかんべんだね」とベテラン格闘技ライターが頭を抱えたのは、プロボクシングの東洋太平洋女子スーパーバンタム級王者で、現役ファッションモデルとしても活動する高野人母美(たかの・ともみ、28、協栄)が、一度は「現役引退」を宣言しながら、約1週間後に撤回する騒動を起こした事件だ。この騒動について5月27日、高野が謝罪するから会見を開くという。僕もこの会見に呼ばれた。

 

そもそも、高野は2013年にプロデビュー。177センチの長身を生かしてモデル業もこなす異色の肩書が注目された。計量時に白無垢の衣装や水着を着るなど派手な衣装に身を包むパフォーマンスで注目を集めてきた。

「どちらかといえばきわもの」扱いながも人気を集めてきたのは事実で、本人いわく「実力や技術がまだまだ」と言いながら、リングに上がり続け、昨年11月にWBO女子スーパーフライ級タイトル戦で女子スーパーフライ級王者ダニエラ・ベルムデス(アルゼンチン)に世界初挑戦し、4回KO負けを喫した。

「この世界戦で高野が負けたことが『引退発言』につながっていくのです。6月6日に約7か月ぶりの再起戦を東京・後楽園ホールで行うことが決まり、李恵林(韓国)とのノンタイトル6回戦が発表されていました。しかし、今月4月18日に金平会長不在で行われた発表会見にて唐突に記者を相手に引退の話をしだしたのです」(同)

 

「今回の試合でラストにしようかなと思っている」と引退を電撃表明。「やりたいからボクシングをやってきたが、指図されてやるのは違うと思う。やりたくない気持ちになってきている」と理由を説明し、会長不在を狙った表明であることは明らかだった。

これに対し、海外出張中だった金平会長は(業界では温厚で知られる)自身のツイッターで「6月6日もやらなくていいです!」「中止を決定しました」と激怒。帰国後の24日に高野と約3時間話し合い、発言の真意を問いただしたところ、「減量や試合のプレッシャーでつい引退という言葉を口にしてしまった」と説明を受け、現役続行の意向を確認したという。

会見では、かつて亀田一家も懐にいれてマネジメントをしていた金平会長がマスコミの前で高野に「普通のボクサーが普通にやっているように練習しなさい」と公開説教。高野は「みなさまに御心配とご迷惑をおかけしました」と頭を下げた。

記者の「高野さんががんばることで女子ボクシングの人気が集まり始めたが、そんな中でプレッシャーはあったのか」の問いに「技術的にも体力的にもまだまだ未熟な中で(リングにあがる)という意味ではプレッシャーはありました」と高野は答えた。

6月6日にエキシビジョンマッチが組まれているが、果たしてまた高野は「再引退」を言い出すのだろうか。

 

金平は「ボクシングはリングに上がりたい人がやるのであって、『やらされている』という人がファイトすべきじゃない」と斬って捨てた。高野がまた今度「ぶれた」発言をしたら、仏の顔もなんとやら。そのときに初めて比較的、これまでがまんしてきた温厚な格闘技マスコミも「ボクシングはモデルの売名行為だった」と叩き始めるだろう。

▼ハイセーヤスダ(編集者&ライター/NEWSIDER Tokyo)
テレビ製作会社、編集プロダクション、出版社勤務を経て、現在に至る。週刊誌のデータマン、コンテンツ制作、書籍企画立案&編集&執筆、著述業、漫画原作、官能小説、AV寸評、広告製作(コピーライティング含む)とマルチに活躍。座右の銘は「思いたったが吉日」。格闘技通信ブログ「拳論! 蹴論!」の管理人。

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WINNERS 2016 2nd──幾多の王座に絡むヤングやベテランたちの激しい展開!

1月10日にISKAムエタイ世界バンタム級王座決定戦を制し、チャンピオンとなった志朗がISKAムエタイ・ヨーロッパ同級チャンピオン. ライアン・シェーハンとのノンタイトル戦が行われました。見かけ弱そうな細身のライアンはムエタイ技を身に付けた強豪でした。志朗がボディブローやローキックでペースを掴みつつ、ヒジで切られてからムエタイ技のシェーハンの距離感に苦戦した流れでした。

ムエタイが世界に普及した現在、いろいろなタイプの選手が世界に散らばっている中で、特にヨーロッパ勢は昔から柔道でも学習能力が高く、また地続きの近隣の国々と交流が盛んになるので、競技人口も高く、成長度が高いと言われます。ムエタイ殿堂王座が世界最高峰であっても、強いのはタイだけではない、いろいろな国柄のタイプが拡散した方々の選手と対戦することが重要な時代かもしれません。今後、志朗は日本人選手とも対戦して欲しいところ、そこにファンの支持と評価が高まります。

日本バンタム級チャンピオン.瀧澤博人(ビクトリー)が長身を活かした右ジャブを有効に使い、2度の飛び膝蹴りで勝岡健(伊原稲城)を豪快にKO、2度目の防衛に成功と共に今興行ベストファイトとなる武田幸三賞を受賞。また、「ルンピニー王座を狙う」というマイクアピールに、挑戦への新たなルート展開を見せるのか、気になる宣言でありました。

2010年に石井宏樹を小腸断絶で病院送りにしたパッカオ・ダボンヌンガヌウン(タイ)を緑川創(藤本)がブッ倒し、敵討ち成功。ラジャダムナンランカーを倒したことで、緑川のランク入りも確実で、いよいよ殿堂王座挑戦が近づいて来たかの期待を持たせる印象。ヒジでパッカオの頬を腫れさせ、2R後半からパッカオの反撃激しく骨を砕くような打ち合いが続く中、緑川が左右パンチでダウンを奪い、最後はコーナーに詰め、ボディと顔面パンチで仕留める豪快にKO。激しさが長く続いた互いのぶつかり合いでは、瀧澤博人の試合を上回っていた印象があります。

麗也(20歳/治政館)と山田航輝(17歳/キングムエ)の、幼少期からアマチュアでムエタイ・キック系競技の経験を積んできたベテランの試合は、攻防の展開が速く、スタミナ切れない展開に会場が沸き、ムエタイ経験は山田航輝が上回る中、麗也のキックリズムの攻撃力が上回ったか、僅差の結果ながら麗也の勝利。これで対戦が遠退くのでなく、また再戦に向かって欲しい幼少期開始世代の対決でした。

主要クラス3試合の記者会見。左から麗也、緑川創、志朗、ライアン、パッカオ、山田航輝

◎WINNERS 2016 2nd / 2016.5.15後楽園ホール17:00~21:30
主催:治政館ジム / 認定:新日本キックボクシング協会
前日計量:14日.ホテル東京ガーデンパレス(御茶ノ水)15:00~16:00

◆日本 vs アイルランド国際戦 56.0kg契約3回戦

蹴りの応酬だけでは負けないが、調子付かせたライアン(左)の蹴りが強い
パンチで弱そうなライアン(右)へのボディ打ちは効果はあるが、すぐ首相撲へ引き込む巧みさ
瀧澤博人の飛び膝蹴りが2度とも見事にヒット

ISKAムエタイ世界バンタム級チャンピオン.志朗(治政館/55.8kg)
vs
欧州ムエタイ・バンタム級チャンピオン.“アベンジャー”ライアン・シェーハン(アイルランド/55.7kg)
引分け / 1-0 (主審 椎名利一 / 少白竜 29-29. 桜井 29-29. 宮沢 30-28)

◆日本バンタム級タイトルマッチ 5回戦

チャンピオン.瀧澤博人(ビクトリー/53.5kg) vs 1位.勝岡健(伊原稲城/53.25kg)
勝者:瀧澤博人 / TKO 2R 2:45 / カウント中のレフェリーストップ / 主審 仲俊光

◆70.0kg契約 5回戦

緑川創(藤本/69.9kg) vs ラジャダムナン・スーパーウェルター級8位.パッカオ・ダポンヌンガヌウン(タイ/69.5kg)
勝者:緑川創 / KO 4R 2:32 / カウント中のタオル投入 / 主審 少白竜

パンチの距離で勝機を見出す緑川創(左)

◆52.5kg契約 5回戦

麗也(前・日本フライ級C/治政館/52.4kg) vs 山田航輝(キングムエ/52.2kg)
勝者:麗也 / 2-0 (48-48. 49-48. 49-48)

◆73.5kg契約 5回戦

日本ミドル級チャンピオン.斗吾(伊原/73.5kg) vs イ・ジフン(韓国/72.25kg)
勝者:斗吾 / 3-0 (30-26. 30-26. 30-26)

◆59.0kg契約3回戦

内田雅之(前・日本Fe級C/藤本/58.7kg) vs デンサヤーム・ウィラサクレック(元ルンピニー・B級C/タイ/58.5kg)
勝者:デンサヤーム / TKO 2R 3:05(場内アナウンス) / レフェリーストップ

反撃の麗也(左)も譲らない攻勢

◆ライト級3回戦

日本ライト級1位.永澤サムエル聖光(ビクトリー/61.0kg) vs 日本ライト級2位.直闘(治政館/61.23kg)
引分け / 三者三様(29-28. 29-30. 29-29)

◆他の6試合

昔から、試合へ向けた記者会見というのはビッグマッチの際にありましたが、ここ数年、それほど大きくない興行でも、記者会見は増えてきた様子はあります。特に公開計量というのは、毎度やって欲しい気がします。各社記者さんにとっては記者会見の方が重要と思われるでしょうが、計量や試合結果記録などは公式に開示して欲しいものなのです。

蘇我英樹(市原)が後楽園ホールでも引退式を披露。先月、市原臨海体育館で大月晴明とラストファイトを行ない、壮絶KO負けを喫した蘇我英樹はその試合後、ダメージ引きずる中、引退式を行ないましたが、改めて後楽園ホールの殿堂で、市原だけでない多くのファンが集まる中、引退式を行ないました。市原では報道陣もほとんど居なかったので、仕方ないところ、後楽園ホールでの開催を1本に、豪華にやった方がよかったように思います。しかしいずれも「長き激闘にお疲れ様でした」という声が多い引退式でした。

3月にキックボクシング創始者・野口修氏が逝去されました。近親者のみの密葬の形で見送られたようで、4月に入っても報道はされていなかったようです。これで良くも悪くも長き時代のひと区切りが終わったという印象ですが、野口修氏の影響で個々のキック人生が続いている多くの業界人が今後もキックボクシングを引率していくことでしょう。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

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〈鬼神〉羅紗陀、ここに復活!──NJKF2016.2nd

調印式と記者会見に臨むメインイベント出場の羅紗陀(右端)とヤスユキ(左端)─

ニュージャパンキックボクシング連盟が4月1日より一般社団法人に認可されました。前日公開計量も恒例となったNJKF興行。話題の中心は2年ぶりの復帰となる羅紗陀(キング)の復調ぶりと、昨年の最優秀試合となった健太(ESG)vs 大和侑也(大和)戦の再戦。WPMFで世界を獲った一戸総太(WSR池袋)とWMAFで世界を獲った駿太がWBCムエタイ世界をも制覇へ乗り出し、その第一歩、WBCムエタイ日本フェザー級チャンピオン. MOMOTARO(OGUNI)への挑戦権を争います。

NJKF 2016.2nd / 5月8日(日)後楽園ホール17:00~21:30
主催:NJKF / 認定:NJKF、WBCムエタイ日本実行委員会
前日公開計量、調印式:5月7日後楽園ホール5F 展示場14:00~15:00

◆61.0kg契約3回戦

羅紗陀(キング/60.85kg)vs ヤスユキ(Dropout/61.0kg)
勝者:羅紗陀 / 3-0 (主審 山根正美 / 竹村 30-29. 和田 30-29. 小林 30-29)

2年前に折ったスネでキックも問題なしの羅紗陀

2014年2月の中嶋平八(誠至会)戦で右スネを骨折した羅紗陀が復帰し、話題のヤスユキに激しい攻防の中、羅紗陀の我武者羅な攻めの、一発の破壊力を持つパンチも決め手に成らずも僅差の判定勝利。羅紗陀は右スネを蹴られる場面もあるも、ブロックも蹴って出ても問題ない動きで、駆け引きの緊迫感ある展開の中、終了。5回戦でやるべきカードだった。

◆WBCムエタイ日本ウェルター級タイトルマッチ 5回戦

チャンピオン.大和侑也(大和/66.5kg)vs 健太(前チャンピオン/E.S.G/66.35kg)
勝者:健太 / 0-3 (主審 多賀谷敏郎 / 竹村 47-49. 和田 47-49. 小林 46-48)

日本人キラーだったゴンナパーからダウン奪ったハイキックも多様した健太
一発貰えば敗北の危機は昨年同様。大和侑也も諦めないラッシュ

健太が昨年のベストバウトとなった大和侑也戦で敗れた試合の雪辱戦に勝利して王座奪回し、第6代チャンピオンとなる。3Rに右フックでダウンを奪い、ポイントを守りきる。

一発貰えば敗北に繋がる緊張の攻防。一戸総太のパンチ

◆WBCムエタイ日本フェザー級挑戦者決定戦(58.0kg契約) 5回戦

WPMF世界フェザー級チャンピオン.一戸総太(WSR池袋/57.76kg)vs 駿太(谷山/58.0kg)
勝者:一戸総太 / 3-0 (主審 竹村光一 / 多賀谷 50-48. 和田 50-48. 山根 49-47)
一戸総太が的確差で優り勝利を掴み、MOMOTAROへの挑戦権を獲得。

◆66.0kg契約3回戦 

WBCムエタイ日本スーパーライト級チャンピオン.テヨン(キング/65.8kg)vs 喜入衆(フォルテス渋谷/65.85kg)
勝者:テヨン / TKO 1R 1:32 / 主審 小林利典

パワーあるハイキックで距離感を掴んでいくテヨン

テヨン(キング)がベテランの喜入衆(フォルテス渋谷)を左ストレート一発で倒す、カウント中のレフリーストップ。

◆NJKFスーパーバンタム級王座決定戦 5回戦 

次回興行のタイトルマッチで対戦するチャンピオン.MOMOTAROと挑戦権獲得した一戸総太

1位.金子貴幸(GANGA/55.26kg)vs 2位.雄一(TRASH/55.05kg) 
勝者:金子貴幸 / 3-0 (主審 和田良覚 / 多賀谷 50-46. 竹村 50-46. 小林 50-47)

金子貴幸(GANGA)が雄一(TRASH)に距離感を支配し、ダウン奪って判定勝利、NJKFスーパーバンタム級王座決定戦を制し、第5代チャンピオンとなる。

◆67.0kg契約3回戦

NJKFウェルター級チャンピオン.浅瀬石真司(東京町田金子/67.0kg)vs 栄基(MTOONG/66.78kg) 
勝者:栄基 / 0-3 (主審 山根正美 / 和田 28-30. 小林 28-30. 竹村 28-30)

若武者会主催のDUELでのラウンドガールとNJKF興行でマスコットガールを務めるタレントの菜緒さんと勝利のツーショット

元NKBウェルター級チャンピオンで現J-NETWORKウェルター級チャンピオンの栄基が過去倒している浅瀬石を返り討ち。

◆NJKFスーパーライト級挑戦者決定戦3回戦

1位.嶋田裕介(Bombo Freely/63.35kg)vs 2位.一輝(OGUNI/63.65→63.5kg)
勝者:嶋田裕介 / 引分け1-0.延長戦2-1
(主審 多賀谷敏郎 / 和田29-29.9-10/ 小林29-28.10-9/ 山根29-29.10-9)

いつも終盤になると怒涛のラッシュを懸ける一輝、嶋田の蹴りの攻勢に傾いたか、微妙な見極めの結果。

◆その他3試合

主要カードを飾る名選手が多くなった時代で、突出した実力や個性が無いと、更なるこの時代のエース格に選ばれ難いところ、羅紗陀はその風格を持ちつつ、怪我による戦線離脱が長く、勿体ない時間を過ごしました。元・日本ウェルター級チャンピオンだった父親(向山鉄也)に似た風貌やファイトスタイルも強いインパクトを与えています。自らも国内王座奪取し、タイトル歴は父親に追いついたものの、まだ名勝負は少ないところ、それは今後に期待です。

首都圏での興行は7月3日(日)NJKF若武者会主催のDUEL.7が新宿フェースで開催。7月23日(土)はディファ有明の昼の部でWBCムエタイジュニアリーグ第2回全国大会、夜のプロの部でNJKF 2016.5thが行われます。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

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小雨の中、裁判傍聴列に並びながら想う「清原和博の悲劇」

5月17日の朝9時すぎ、日比谷公園には、覚せい剤取締法違反で逮捕された元プロ野球選手、清原和博の裁判傍聴抽選にやってきた人たちで溢れかえっていた。
小雨が寒さを倍加させる。
「3列に並んでください」と整理スタッフが叫ぶ。

栃木から来たという51歳の会社員は語る。
「俺もPL学園高校のOBです。世代を代表するスターだから、ぜひ立ち直って俺等の先頭を走ってほしいです。でもこういう発言が清原のプレッシャーになったのかな、とは思いますけど」

◆清原を助けるリスク

清原を助けようとしている連中の何割かは真剣だろう。

だが何割かは、清原を利用しようといるのにすぎないのではないかと思う。

清原を救うのに、証言した野球評論家の佐々木主浩は「野球のことをやらせるのが一番更正にはいいと思う」として、「親友だから証言をすることは即決で決めた」とまで言う。

だが、記者なら誰もが知っている。
佐々木は、裁判寸前まで「清原の情状酌量のための出廷」はさんざんぱら悩んだことを。

清原と暴力団のつながりがまた囁かれたら、佐々木の野球解説や講演の仕事まで激減する。
そうしたリスクを清原は、常に背負う覚悟が本当にあるのだろうか。

清原はヤクザに憧れて刺青を入れたというが、いまどき、現役のヤクザだってそうそう刺青は入れない。
サウナに入れない、子供とプールに行けない、銭湯に入れないなど失うものが多すぎる。
キックボクシングや総合格闘技の世界だって「刺青はご遠慮下さい」という案内が興業主からやんわりと選手に伝わっている。

◆「ヤクザがまわりにいれば、わしも大きく見える」と考えた清原の悲劇

清原の悲劇は「ヤクザがまわりにいれば、わしも大きく見える」と考えたことだ。
周囲にヤクザが何十人いようが、実際、大きく見えることはない。

僕も清原と仲がいいヤクザと酒を飲んだことがあるが、そのヤクザは「清原は俺等を利用して、高いギャラをあちこちからとれるように演出しているだけ」と清原の狙いを見抜いていた。

清原は、いったい更正までにどれくらいの年数がかかるのか。
かつてKKコンビと言われた桑田真澄は「苦しくてもホームランを打って何度も助けてくれた彼のことですから、人生でも放物線を描いてくれると信じている」と語った。
今の段階で判決は出ていない。だが、いずれにしても同世代のスターの復活を祈りたいものだ。
    

         
▼小林俊之(こばやし・としゆき)
裏社会、事件、政治に精通。自称「ペンのテロリスト」の末筆にして松岡イズム最後の後継者。師匠は「自分以外すべて」で座右の銘は「肉を斬らせて骨を断つ」。

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プロ野球の贅沢な楽しみ「スポーツ新聞」全比較

一度やってみたかったことをやろう。
球場で見たプロ野球の試合結果を報じる、すべてのスポーツ新聞をすべて読む。
評論家たちがどこを分析して、どのポイントを勝負の分岐点にしているか比較してみるという、少し「ぜいたくな」リサーチだ。

 

さて、球場で見た試合は4月22日の「巨人対DeNA」で先発は巨人が菅野、DeNAがルーキーの今永だ。まあ好投手どうしだけにロースコアが予想されるゲームだったが、結果から言うと延長12回までもつれこみ1-1でドロー。菅野は7回まで2安打と好投していたが、1-0のスコアのまま7回で降板した。

まずは「スポーツニッポン」だが、解説の中畑清がこんなことを書いている。
『いい投手戦だった。何もなきゃ菅野が勝っていたんだと思う。7回を2安打無四球と完璧に抑えながら、わずか89球で降板。試合後、由伸監督が「マメが…」と降板の理由を明かしてくれてすっきりした。球界には選手のケガについて隠したがる風潮がある。「軍の機密」というやつだ。でも、秘密主義はよくない。ファン目線に立って情報を公開すべき。菅野も公表してもらえばメディアにごまかすことなく治療し次の登板に向けて事情ができると思う。』と書き、続いて好投の今永が5回2死二塁でも小林誠と勝負したのはまちがっていないと断定した。敵を作らない中畑らしい評論だ。

 

さらに元DeNA監督らしく、ラミレス監督とチームは「最後まで諦めない野球ができた」とこれからの浮上を期待して筆を置いている。バランスのいい見方だ。なおかつ野球観も悪くない。この男を簡単に見切るところが球団として「DeNA」が伸び悩んでいる証左だろう。

続いて「東京中日スポーツ」だが慧眼を持つ谷沢健一が「7回の筒香の1ボールからの2球目にど真ん中にストライクを投げておかしいと感じた」と書いた。

僕もあの2球目はよくホームランにならなかったとしてドキリとして見ていた。筒香は見るからにスライダーの間合いでスイングしていたので、これは結果オーライだったのだ。谷沢の慧眼は衰えていない。おそらく中日の監督をやったら、少なくとも谷繁よりはいい仕事をするだろう。

 

もっとも「過去のある経緯」から中日は谷沢を受け入れにくいだろうが。「スポーツ報知」は報知新聞客員のミスターこと長嶋茂雄が小林誠のキャッチングを誉めて、高橋尚成が「菅野は実は指でボールにスピンをかけるトレーニングをしていて、その後遺症が出た」と事情通らしく解説している。もっともそんな内情をばらして後で高橋監督に大目玉を食らったようだが。

さて、一番注目すべきは「サンケイスポーツ」の野村克也が語る「ノムラの考え」のコラムで、【結果オーライの引き分けにみたDeNAの「最下位野球」】と辛辣なタイトルがついている。9回裏の土壇場でリリーフの切り札の沢村から同点ソロアーチをかけた代打・乙坂を野村はこきおろす。野村はボールが2球続いて3球目に打って出た乙坂について「なぜ待てないのか」と批判している。

『なぜ待てないのか。この局面で先頭打者がなすべきことは、出塁である。そして、このカウントでは四球での出塁チャンスが広がっている。何が何でも1点を奪いにいくという、姿勢が見えてこないのだ。さらに4球目がボールとなり、カウント3-1、またも乙坂は打って出た。これが同点本塁打になったのだが、私ならやはり「待て」のサインを出す。本塁打はそうそう打てるものではない。長丁場のシーズンで、こういう攻撃をしていては、確率的に負けが込むのは自明の理。だから結果オーライを言わざると得ないのだ。十二回の守りでは、今度は1点を防ぎに行く姿勢が見えなかった。先頭の片岡に四球を許し、巨人ベンチは3番の長野に代打・松本哲を送ってきた。みえみえのバント要員である。そして、走者を得点圏に進ませることは一打サヨナラ負けを意味する。この局面では、走者の二進を防ぐことが最重要課題となる。とkもろが初球、簡単にバントを許した。一塁のロペスはベースに張り付いたままで、三塁の飛雄馬もチャージしてこない。最後のクルーズの併殺打に助けられただけで、これも結果オーライと言わざるを得ない。』として、試合を通じて無策だったベンチを責めているのだ。

 

「弱者には弱者の戦術がある」と野村は書く。
やはり野村は見ている視点はほかとちがう。一般に、9回裏でボールが2つ続いた場合、先頭打者が待つ確率は9割を超えるだろう。高校野球を見ているとそのあたりはよくわかる。

野球に詳しいスポーツライターに聞いてみると、「ラミレス監督(DeNA)が戦術について吟味する時間があまりにも少ない。守りを固めるのに精一杯で、もうひとりの攻撃用の戦術コーチが必要だ」ということだ。捕手の戸柱がまだ経験が足りずに、配球をベンチで組み立てているようだが、そこにかなりラミレス監督の神経は集中している。あまり報じられていないが、ラミレスはかなり頭がいい。最初に会っただけで、記者の名前はフルネームで頭に入っている。そして打者時代から、投手の配球がほぼすべて頭に入っていた。高橋監督ですら、現役のときにラミレスのそうした緻密な頭脳をまのあたりにしていたから相当、戦術については警戒しているはずだ。

そして今は、ラミレス監督は敵のバッターについて緻密に掌握しているが、攻撃時のベンチワークまで頭がまわっていなのだろう。

さらに、東京ドームでは、「打たれない投球」というのが以前にもまして徹底していたと感じた。

この球場ではボール1つ、ローに投げろ、とコーチは徹底して投手に言う。
この試合はテレビ中継をしていたので録画してカウントしてみると、89球のうち、ストライクゾーンの半分から下に投げた球は菅野が37球、今永が101球投げて39球だった。

両先発とも、それだけ「ロー」に投げる神経を使っていたのだ。ただし菅野は高いウエストをときに効果的に使っていた。

ちなみに「夕刊フジ」は菅野の一番看板では巨人はもたない、そして「東京スポーツ」は11試合で3度同点に追いつかれてほかの投手の勝利を消した守護神、沢村を批判していた。「日刊スポーツ」「デイリースポーツ」もこの試合にはとくにタッチしていない。

というわけで、僕にとって本番で見た試合をつぎの日に「すべてのスポーツ新聞を見て全解説を吟味する」という贅沢な時間は終わった。諸兄も一度やってみるといい。1000円もかからない贅沢なのだから。

▼ハイセーヤスダ(編集者&ライター)
テレビ製作会社、編集プロダクション、出版社勤務を経て、現在に至る。週刊誌のデータマン、コンテンツ制作、著述業、落語の原作、官能小説、AV寸評、広告製作とマルチに活躍。座右の銘は「思いたったが吉日」。格闘技通信ブログ「拳論!」の管理人。

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ラウンドガール物語《後編》──咲き誇るリングの華の儚さは選手にも似て

小野寺力興行、NO KICK NO LIFEも年々パフォーマンス豪華に(2016.3.12)

誰にでも許される訳ではないラウンドガールの狭き門。ほとんどの場合がプロのファッションモデルなどの事務所から起用されるものと考えられます。それ相応の容姿端麗な若い女性が毎度起用されています。という条件ばかりでなく、たまには素人さんかと思われる女性も登場。リング上がった途端、足が震えている、そんな子もいました。

◆見た目は20代前半、とても35歳過ぎてるとは思えないラウンドガールも

3年ほど前ですが、リングアナウンサーが資料のラウンドガールのプロフィールを見て「1976年生まれって、これ間違ってない?」と言って直接ラウンドガールに尋ねてみたら、「間違いではありません」ということで、見た目若くて20代前半、とても35歳過ぎてるとは思えない。そんなラウンドガールもいたようです。

毎度の綺麗なラウンドガールがリングに上がればカメラマンも当然カメラを向けます。そこには次のラウンドが分かるように撮っておくことが一番の目的であり、また各方面での使用出来るよう撮っておく事情もあります。と言いつつも、水着の綺麗な女性が目の前にいては、エロい気持ちでシャッターを押すことも自然にあります。そんな私(堀田)は、ラウンドガールにいちばんカメラを向けている一人でしょう。それを否定はしませんが、そのリングに上がれる立場の人々が、そこに関わる時間を考えると撮らざるを得なくなっていきました。

新年は晴れ着で登場(2015.1.11)

◆命を懸けた試合のリング上はまさに戦場

まず、選手が現役生活で、公式試合としてリング上で戦って居られる時間はどのぐらいかを考えると、1ラウンド(=3分)×5回戦=15分として、96戦すると24時間になります。入退場・セレモニー・インターバルを加えてリング上に居られる時間を30分としても48戦。ノックアウトもあり、3回戦制もあり、実際はもっと短くなります。

素人目に見てですが、こんな命を懸けた試合のリング上はまさに戦場で、生きた心地のしない空間です。戦い慣れた選手はそうでもないでしょうが、少なくとも勝利の瞬間に至る前まではリラックス出来たものではない空間でしょう。「こんな非現実的な空間に居られる時間を撮っておいてやりたい」という想いでビジネスとしてですが、撮影をするようになりました。

◆選手と同様、短く儚いラウンドガールという華

こんな想いで選手を見ていると他のスタッフにも似たようなことが言えてくると考えました。リングアナウンサーがその任務でリングに立って居られるのは一生でどのぐらいの時間でしょうか。レフェリーも同様に。ラウンドガールの場合は世代交代は早く、若くしてそんな特殊な空間のリング上に立つ時間は限りなく少ないでしょう。「こんな華やかなリング上での瞬間も選手と同様に撮っておくべき」と偏見ながら思いました。

M-ONEムエタイ興行でも、ラウンドガール起用の采配(2016.3.21)

層が厚い本場ムエタイでのチャンピオンも、すぐ上がって来た若い奴に王座を奪われ、若い奴に敵わなくなっていく、そんな覇者の立場でもあり、ラウンドガールも花の命は短くて儚い瞬間であります。私自身もカメラマンで居られる時間も少ない、そんな最終ラウンドが迫ってきていることを考える日々も増えました。

NO KICK NO LIFE全9試合でラウンドガールが10人も登場(2016.3.12)

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

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