一番人気はチアリーダー? 日本ラグビーはなぜ五郎丸効果を活かせないのか?

鳴り物入りで、英ワールドカップの日本代表の活躍を受けて開幕した感のある今年の「ジャパンラグビートップリーグ」。初日に続いて「集客」が2日目もぱっとしない。試合はつまらなく、天気も駄目ダメだったが、この悪しきムードを一掃したのは、「秩父宮」に登場した意外な「大和撫子」だった。

◆「五郎丸効果」で関係者は盛り上がっているものの……

五郎丸歩(ヤマハ発動機)の「五郎丸ポーズ」が流行語大賞をとり、ラグビー日本代表メンバーはテレビ番組、CMに雑誌にと引っ張りだこ。ラグビーの大ブレイクがやってきたと思いきや、なんと11月13日に行われた開幕戦の「パナソニックーサントリー戦」で前年の8月の開幕戦より370人少ない、1万792人の観客数で責任問題となっているのが「ジャパンラグビートップリーグ2015-2016」 。ここではラグビー関係者が観客をかき集めるのに奔走している。

初日を終えると「ジャパンラグビートップリーグ」の関係者たちは、出場する東芝やリコーの関係者のみならず、マスコミ相手に急遽「来てください」と緊急コール。ホームページには、磯山さやかが初戦を観た「楽しかったです」との感想のツイッターと前出・人気ラガーの五郎丸のつぶやきを並列で掲載するなど痛いほど必死に集客をPRしている。

2日目、秩父宮ラグビー場で行われた「リコーブラックラムズ VS NTTコミュニケーションズシャイニングアークス」(午前11時40分開始)と「東芝ブレイブルーパス VS クボタスピアーズ」(午後2時開始)は、雨がぱらつく中、少しずつ観客が集まってきて、スタンドの半分強をなんとかして埋めた。

「それでも、マスコミは押し寄せました。記者は25人、カメラマンは30人以上。こんなにマスコミが押しかけたのはちょっと記憶がありません。平尾誠二(現神戸製鋼コベルコスティーラーズ総監督兼任ゼネラルマネージャー)が率いた全日本が1991年にワールドカップで初勝利して以来かも」(ラグビー雑誌記者)

◆「記念観戦」の一見客がほとんどだった

しかし試合は「リコー VS NTTコミュ」は、39-12でNTTが勝利し、「東芝-クボタ」のマッチは47-3と一方的で、ダブルヘッダーにもかかわらず後半は2試合とも負けているためかバックスも守備で走らず、やや気が抜けた雰囲気がスタンドを支配。2試合目の「東芝 VS クボタ」戦では日本代表のキャプテンで、東芝でフランカーを務めるリーチ・マイケルが最初のトライを決めた前半が終わると「雨も強いし、もういい」とばかりに多くの人が席をたった。つまり「記念観戦」の一見客がほとんどだったのだ。

「休みなのに観戦しろと言われたので来た」(20代の東芝社員)、「派遣社員ですが、昨夜に上司から頼まれたので応援に来ました」(30代リコー派遣社員)という、「人数合わせ」の観客ばかりの中、西側スタンドで「GO! GO! スピアーズ!」と黄色い声をあげて男性客の視線を集めたのは、「スピアーズ」のチアガールたちだ。

◆クボタ「スピアーズ」のチアリーダーは質が高い……

ちょうど踊りの練習をしていたのだが、これが売店でごった返す空間で行っていたため、いっせいに男性客に取り囲まれる。

「撮影しないでください」とスタッフが注意してまわる。
「じゃあ、こんな目立つところでやらなくても」という声もある中、
「実は『スピアーズ』のチアリーダーは質が高くて、ファンがついているメンバーがいるほどなんですよ。僕も実はチアリーダー目当てに来ました」(男性客)というラグビー関係者が涙ぐみそうな人も。

それでも、初心者でもわかるように、「今のプレイはノックオンです。ボールを○○選手が落としたために反則となります」などプレイのひとつひとつに電光掲示でリプレイが出て、解説のアナウンスがついたり、ファンサービスで試合前にプレゼントを選手が観客席に投げ入れるなどして、集客への工夫が感じられた。

「03年からリーグがあるが、チームで実力差がありすぎる。少なくとも実力を均衡にしないといけない」(前出・ラグビー雑誌記者)との声も。

一番盛り上がるのが「チアリーダー」では情けない。2019年のワールドカップに向けてさらなる充実が求められるラグビー界の現状と課題がかいま見えた秩父宮だった。

(小林俊之)

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キック新時代を牽引するRIKIXジムの「NO KICK NO LIFE」

“リキ”と“キック”を掛け合わせジム名にしたRIKIXジムの小野寺力会長が主催する「NO KICK NO LIFE」興行が通算で5回目を迎えました。

RIKIXジム「NO KICK NO LIFE」会場(2015.11.9)

メインイベントは62.0kg契約ノンタイトル5回戦で、日本ライト級チャンピオンの勝次(高橋勝次/目黒藤本/62.0kg)VS WPMF日本ライト級チャンピオンの黒田アキヒロ(フォルティス渋谷/62.0kg)戦。チャンピオンが多いと言われている中での日本の代表的立場同士の戦いはかなりの好カード。全8試合で全28ラウンドと観る側も疲れない、ほどほどの長さの興行で、2回目となる「TSUTAYA O-EAST渋谷」というライブハウスを利用した入場者数は今回平日でも約800人という超満員の来場。

キックボクシングとしては小規模ながら、こういう「客席がリングに近い会場」は今後も人気が上がりそうで、“土日祝日”に興行が重なる日、または平日の狭間を狙った小規模興行は、会社帰りのファンの足運びも考慮した時間帯で、帰り道でも飲食に困らない繁華街と交通の便がいい渋谷など主要駅のライブハウスの利用が予想されます。

◆“キックの赤い薔薇”小野寺力会長が生んだ「NO KICK NO LIFE」の世界

小野寺力会長の現役時代デビュー戦。山田浩に判定勝利(1992.11.13)。今日に繋がる第一歩を踏み出した日ともいえる

小野寺力氏は現役時代、“キックの赤い薔薇”というキャッチフレーズを持ち、キックの老舗の名門・目黒ジムに所属した歴代チャンピオンの中でも一番と言われるテクニックを持った元・日本フェザー級チャンピオン。まだ現役時代の2002年9月にライブハウスのSHIBUYA-AXで興行を打ち、メインイベントを務めるとともに興行運営に関わり、アイディアマンとなって現在に活かされています。

2003年11月にはRIKIXジムを大田区北千束(大岡山)に開設。2005年10月には自身の引退興行として大田区体育館で「NO KICK NO LIFE」を初開催。同年、ラジャダムナン系とルンピニー系のフェザー級王座統一を果たしたアヌワット・ゲオサムリット(タイ)にパンチの強打で2ラウンド3ノックダウンでKO負けを喫するも、最強相手を選んでの完全燃焼に更なる評価を得ました。

プロモーター小野寺力RIKIXジム会長(2014.2.10)

8年4ヶ月ぶり「NO KICK NO LIFE」開催となった2004年2月、大田区総合体育館で今度は後輩の、前・ラジャダムナン・スーパーライト級チャンピオンの石井宏樹(目黒藤本)がムエタイ4階級制覇のゲーオ・フェアテックス(タイ)とWPMF世界スーパーライト級王座決定戦で対戦。ハイキック一発で2ラウンドKO負け、2005年2月の第3回開催では、RIKIXジムから初のチャンピオンとなった愛弟子・田中秀弥が引退試合、シュートボクシングの代表的名チャンピオンのアンディ・サワー(オランダ)にハイキック一発で2ラウンドKO負けを喫しました。この完全燃焼しての引退は選手の理想像となり、今後も選手の感情を受け止め、その舞台に力を注ぐであろう小野寺会長です。

◆日本チャンピオン対決「高橋勝次 VS 黒田アキヒロ」戦は黒田が逆転勝利!

この日、メインイベントの日本チャンピオン対決は、勝次がパンチで先手を打ち主導権を握る。飛び蹴りも多発、勝次の攻勢が続くも第4ラウンドに入ると黒田のローキックが効いたか、勝次も手数が減る。黒田も簡単には崩れない強さがあるのだと感じさせるチャンピオンの意地。第5ラウンド終了が近くなる2分30秒あたりで、黒田の右ストレートが勝次のアゴを捕らえる展開逆転のダウン。残り少ない時間(20秒)では再び逆転も難しく、3-0(49-47、49-48、49-47)の判定で黒田アキヒロが逆転勝利を飾りました。

勝次(右)vs黒田アキヒロ(2015.11.9)
勝次(ダウン)vs黒田アキヒロ(ポーズ)(2015.11.9 )

「勝次は相手を見過ぎるクセがあり、そこを突かれる場合が多い」と言う目黒藤本ジム陣営。「チャンピオンなんだから、今更、事細かな基本を教わる立場ではない。それまでに教わったことを反復練習と、相手の攻撃を避ける練習を繰り返しやらないといけない。」という別の厳しい陣営の意見もありました。

新日本キックボクシング協会代表・伊原信一氏、目黒藤本ジムの藤本勲会長も並んで観戦。ステップアップして上のステージへ進みたい勝次への査定は厳しいものとなるかもしれないが、12月13日の目黒藤本ジム主催興行では、勝次の日本ライト級王座初防衛戦を同級3位の春樹(横須賀太賀)を相手に行なわれます。汚名返上へ、あと1ヶ月で、原点に返って立て直さねばなりません。

◆セミファイナル「前口太尊 VS 中尾満」戦は激闘の末、前口がKO勝利!

セミファイナル出場のJ-NETWORKライト級チャンピオンの前口太尊(PHOENIX)は、梅野源治が所属する強豪揃いのジム。マイク・タイソンから名前を肖り、一発で試合を終わらせるハードパンチを持つ。対する中尾満(元・日本ライト級暫定チャンピオン/エイワスポーツ)は、新日本キックで伊原ジムに所属していた2010年8月、石井達也(目黒藤本)との日本ライト級挑戦者決定戦で勝利し、後に暫定王座に昇格した経緯を持つ。

63.0kg契約5回戦で行なわれたこの試合、前口太尊が第2ラウンドにコーナーに詰めヒザ蹴り連打と更に右フックで2度ダウンを奪った後、中尾満が右フックで逆転のダウンを奪う。こういう展開は勝負がわからなくなる盛り上がりを見せるが、結局、再び前口太尊がロープに詰めヒザ蹴り連打をする中、レフェリーが止め、前口が第2ラウンド2分56秒、3ノックダウンによりKO勝利を収めました。

前口太尊(左)vs中尾満.最初のダウン(2015.11.9 )
前口太尊のマイクアピール(2015.11.9)

セミファイナルとメインイベントでの、逆転の攻防で締め括られ、ファンのボルテージも最高潮。(錯覚とはいえ)渋谷の街全体が盛り上がった印象でした。

全8試合中、RIKIXジムから4人が出場で1勝2敗1分。目黒藤本ジムから2人が出場で1敗1分。他はフリーのジムが中心です。来年はまた大田区総合体育館から始まる予定。どこの団体問わず、今度はどんなメンバーが揃うかも期待されます。興行も継続化され「NO KICK NO LIFE」も軌道に乗ったと言えるでしょう。

「NO KICK NO LIFE」のラウンドガールたち(2015.11.9)

[撮影・文]堀田春樹

▼堀田春樹(ほった・はるき)
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない。」

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ラグビー、フィギュア、そして来季の金本阪神タイガースに胸躍る

食欲の秋、スポーツの秋、読書の秋と何をするにもいい季節ですね。ご飯は美味しいし、今年はスポーツ界も話題が満載です。

ラグビーのW杯では、いや腰を抜かしましたよね。まさか南アフリカに日本が勝つのを生きているうちに見られるなんて夢にも思いませんでした。それだけでなく、中3日で対戦したスコットランド戦以外(ラグビーは激しいスポーツで怪我が付き物なので中3日での対戦は国際レベルでは「無理」と言われています)は全て勝利の3勝1敗!この結果こそ驚嘆に値します。日本はこれまでW杯では1勝しかしていなかったんですから。それ以前にW杯に出場すら出来ない時代も長く続きました

文芸春秋『Number』特別増刊「桜の凱歌 エディー・ジャパンW杯戦記」表紙を飾った五郎丸歩選手(2015年10月23日臨時増刊号)

◆ラグビーは日本で稀なボーダレス・スポーツ──次のW杯は2019年、日本です!

日本人選手の実力アップは嬉しい限りですし、外国人選手を大胆に起用したのも勝因ですね。ラグビーに詳しくない方には「なんで日本代表チームなのに外人がたくさんいるの?」と思われた方も多いのではないでしょうか。ラグビーはその国の国籍を持っていなくても、一定の条件を満たせば代表になれる、素敵な意味で「ボーダレス」なスポーツなんです。

そしてW杯の次回開催は2019年日本なんですよ! 自国開催だから益々力が入ることは間違いなしです。今大会で3勝1敗なのにベスト8に残れなかったのはちょっと残念ではありましたが、それは次回2019年日本大会で実現してもらいましょう。大会はニュージーランドの2連覇で幕をとじました。でもベスト15になんと五郎丸選手が選ばれたのです。日本選手がベスト15に選ばれるのはもちろん初めてで世界からも五郎丸選手をはじめとした日本チームの力が認められた証ですね。本当に立派だったと思います。拍手!

◆フィギュアスケートは羽生選手の「限界演技」に要注目!

シーズンが幕を開けたフィギュアスケートW杯のカナダ大会ではソチ五輪で金メダルの羽生結弦選手が2位に入りました。残念ながら勝利は1年半休養していた地元カナダとパトリック・チャンに譲りましたが、フリー演技の構成は世界中で羽生選手しか出来ない難度の高い技の連続でした。フィギュアスケートは技ごとに決められた基礎点を加算した技術点と芸術点の合計で点数が決まりますが、技をいかにきれいに決めたか、によって加点される仕組みになっています。簡単な技でも完璧、綺麗にこなすと1点プラスという具合です。

今回のパトリック・チャン選手は4回転ジャンプを1回、3回転半も1回というプログラム内容だったのに対して、羽生選手は4回転3回、3回転半1回というチャレンジングなプログラム構成でした。回転ってすごく体力を使うそうです。とくにプログラム後半のジャンプは転倒の危険もあるから、自信のない選手は後半にジャンプは入れません。

でも羽生選手はジャンプ盛りだくさん(これ以上はルール上も入れられないギリギリ)の「限界演技」を選択したわけです。フィギュアの選手はシーズンを通して同じプログラムを滑り、完成度を高めていくのが一般的です。羽生選手のプログラムはまだまだ「加点」要素がたくさんあります。技と技のつなぎもこれからさらに磨きがかかるでしょう。怪我さえしなければ今シーズンの終わりごろにはトータルで300点近い点数をたたき出す可能性もある、期待に満ちたプログラムです。要注目!

◆そして我が阪神タイガースは金本監督時代へ──「バカボン」掛布二軍監督にも期待大!

そして我が阪神タイガース。真弓、和田と地味な監督の後を引き継いだのが「アニキ」金本監督!二軍監督には天才バカボンのパパのように太って顔もそっくりになった懐かしの掛布!しばらく見ない間にバカボンのパパのような好々爺になった掛布二軍監督は選手がエラーしても「これでいいのだ」なんて言わないでしょうね(笑)。

でも伝説のバックスクリーン3連発、甲子園でこの目で見た私にはあの雄姿が忘れられません。甲子園当時はまだ外野席はプラスティックの椅子がなく、セメントの階段でした。もちろん自由席です。だから入場者数を数えるのもいいかげんで、内野から外野の通路が見えれば5万人、通路が見えなえれば5万5千人というのが基準だったそうです。

その満員の外野席、バックスクリーンにバース、掛布、岡田が巨人槇原投手に3連発を浴びせました。85年優勝した年です。あの時の甲子園の騒ぎ方はもう優勝決定のような喧騒でした。そういえばあの頃は観客の喜怒哀楽が今よりもっと激しかったような気がしますね。槇原が何度もマウンドに座り込んでいたのが印象的でした(関係ありませんが槇原は愛知県の大府高校出身です。この高校は公立でそれほど強くないけど時々秀でた選手を輩出します。元阪神の赤星も大府高校出身です)。

金本監督は秋季キャンプで全開モードです。フルイニング出場の世界記録をもつ47歳はまだ現役時代と体が全く変化していません。打撃だけなら今でもクリーンアップを任せられそうな筋肉のはりがあります。阪神に来る前は広島で鍛え抜かれた金本監督。広島といえばキャンプで練習をさせ過ぎるから、スタートダッシュはいいけれども例年鯉のぼりが空を舞う頃には落下が始まると比喩されるほど、伝統的にきつい練習で有名です。若いころの日々を金本監督は忘れてはいないでしょう。キャンプ2日目には7時間の練習を敢行したそうです。若手選手は「死にそうです」と弱音を吐いている中、金本監督は、なんと練習終了後トレーニングルームで足と膝のトレーニングを始めたそうです。選手はビビりますよね。3日にはキャンプを見に来ている観客が多いので、急遽練習メニューを変更して「今日は予定を変更して紅白戦をやります」と金本監督みずからマイクでアナウンスしました。観客は大喜び。

金本、掛布に加えて、矢野、今岡も脇を固めます。ピッチングコーチが誰になるのかが注目ですが、もうこの首脳陣の名前だけで観客を呼べるでしょう。プレーをする選手も全く気が抜けないでしょう。

来年の公式戦が今から楽しみです。


◎[参考動画]阪神タイガース 秋季練習 最終日 2015年10月30日

(伊藤太郎)

◎何度死んでも本当は死なない「笑点」歌丸師匠の真顔話が遺言のようで気にかかる

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『エロい格闘技』の神テクを見せつけたキャットファイト「加川万博 新木場 1st RING」

10月30日、19時から行われた「加川万博 新木場1stRING」 は、キャットファイトの団体、CPEがバックアップして、ニコニコ動画の人気配信者であるティロ・フィナーレ加川が格闘技を仕切るというもの。

MCパートナーにこれも人気配信者の石川典行を配して、しんやっちょ、 便所太郎、TJ、なあぼう、ももえり、杏音、みずにゃんなどの人気レスラーを集めてのイベントはおおいに盛り上がった。

「だが、一番盛り上がったのは、ももえりと杏音の『追いはぎデスマッチ』でしょう。この日に収録しているニコニコ動画は基本的にエロはNGだから、絶対に乳首ポロリや股間ポロリはNG。それでも、杏音は乳房が見えそうで見えない絶妙な脱がせかたをされていたし、股間を広げるのも格闘技に見える範囲で、まさしく『エロい格闘技』の神テクを見せつけました」(ファン)

ゲームや料理実況、雑談、アニメ批判などマシンガントークでたくさんのファンをかき集めた「ニコ生の神」の加川もバトルロイヤルに参加し、「か~が~わ~」のコールが鳴り響いた。
「ニコ生を見ていない人はなんのイベントかよくわからないでしょうね。それでも、金曜という忙しい夜なのに会場は超満員。そしてカップルも多く来場するという人気ぶりを見せてつけた。

要するに「素人あがり」が客を集める時代が到来したのだ。
「ニコ生ファンは、地下格闘技であるキャットファイトとうまく客層がリンクする。これからもニコ生とキャットファイトはコラボしていくのでしょう」(同)

それにしても最後に、全員の挨拶が終わっているにも関わらず、「唯我」という格闘技家が乱入して「おれと勝負しろや加川!」と叫んであと味の悪さを残した。これが「加川万博」の第2弾の予告だとしたら、演出もまさにプロ。素人っぽいイベントがプロのそれを陵駕する時代がやってきたといえるだろう。

▼ハイセーヤスダ(編集者&ライター)
テレビ製作会社、編集プロダクション、出版社勤務を経て、現在に至る。週刊誌のデータマン、コンテンツ制作、著述業、落語の原作、官能小説、AV寸評、広告製作とマルチに活躍。座右の銘は「思いたったが吉日」。格闘技通信ブログ「拳論!」の管理人。

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◎日本のキックボクシングが情熱と音楽の大国アルゼンチンと繋がった日
◎川崎中1殺害事件の基層──関東連合を彷彿させる首都圏郊外「半グレ」文化

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ルール変更の紆余曲折から辿る日本キックボクシング界の栄枯盛衰クロニクル

「ヒジ打ち無し、首相撲(首を掴んでの崩し)無し、3回戦」こんなルールが21世紀に入った頃から蔓延し、キックボクシング界はいま、本来のルールが曖昧になってきています。それが時代の流れと言われていますが、本家のムエタイは、長い歴史の中で基本的ルールの大きな変動はありません。その競技の在り方にキックボクシングとの確固たる違いが表れています。

◆1969年「投げ技禁止」──「キックの鬼」沢村忠はボディースラムでKO勝ちしていた!

昭和41年(1966年)設立当時の老舗、日本キックボクシング協会(日本系)ではルールの制約が少ない時代でした。禁止技はサミング(目潰し)、股間への打撃、噛み付き、ダウンした相手への攻撃、ロープを利用した攻撃、レフェリーへの反発など競技として当たり前の範疇。それが昭和44年(1969年)に全日本キックボクシング協会(全日本系)が設立されて、ここではムエタイ・ルールを参考にしたルールが確立され、投げ技が禁止されました(日本系は投げ技可能)。

日本ヘビー級チャンピオン(当時)の斉藤天心(目黒)は首投げでKO勝ち、日本ミドル級チャンピオン(当時)の渡貢二(モリトシ)はバックドロップでKO勝ち、東洋ライト級チャンピオンの沢村忠(目黒)はボディースラムでKO勝ちするなど、それらの試合はテレビで放映されました。いずれもプロレスラーがやるような見え見えを狙って高々と抱え上げるものではなく、組み合ったりもつれあったりの流れでの展開。元々は、日本人が強いムエタイに勝つにはキックボクシングの独自のルールが必要という考えから、「掴んで投げてしまえ」という発想があったものと言われています。

WKA世界ミドル級チャンピオン田端靖男、マーシャルアーツスタイルの試合(1983.5.21撮影)

◆1976年「頭突き禁止」──禁止技が増える一方で競技の在り方も成長

更に昭和51年(1976年)9月から、日本系で頭突きが禁止されました。やっぱりテクニックの凌ぎ合いとは違う、危険な衝突だろうと言われています。こうして日本のキックボクシングが経験を積み、禁止技が増え、競技の在り方が成長していったのでした。他、日本系はフリーノックダウン制(ひとつのラウンド中、何度ダウンしても立ち上がってくれば続行)、ラウンド間のインターバル1分。全日本系は3ノックダウン制(ひとつのラウンド中3度ダウンすればKO負け)、ラウンド間のインターバルは2分でした(因みに昭和47年〔1972年〕3月まで、2系列とも“全日本キックボクシング協会”という名称で、同年4月よりTBS・野口プロモーション系が日本系に移行。それまでのラウンド間のインターバル2分を1分に変更。他、主要ルールは上記どおり)。

◆1984年の団体統合でルールが統一されるも、1987年に再びルールは多様化へ

武藤英男(伊原/右)vs 鴇稔之(目黒/左)画期的統合団体の日本キック連盟初戦での初タイトルマッチは武藤英男が勝利、日本フライ級タイトルマッチ(同連盟認定)(1984年11月30日撮影)

その後の低迷期で分裂や別競技に転向など、バラバラな団体の時代を経て、昭和59年(1984年)に統合団体となって設立された日本キックボクシング連盟では、過去の各団体のルールから平均的な、また妥当なルールが決定しました。

主な点は、投げ技は禁止、ラウンド間インターバルは1分、3ノックダウン制。その後、昭和62年(1987年)7月、全日本系が復興。ここでは多様なルールが採用される時代になっていました。キックボクシングは基本ルールと呼ばれる当たり前のルールが存在しましたが、昭和52年(1977年)、旧・全日本系時代に、ベニー・ユキーデ(アメリカ)が初来日した頃からのアメリカで誕生したWKA(世界空手協会)はプロ空手ルール。1ラウンド2分の7回戦が基本的ローカルルールで、キックの5回戦に相当。長いパンタロン式のマーシャルアーツタイツを履き、1ラウンド中、腰より高い蹴りを8本以上蹴らないと減点ルールがありました(復興後からは国内では廃止)。これは、アメリカではボクシングが主流で、パンチだけの打ち合いの展開になりがちなことを防ぐ狙いがあったと言われています。更に、ヒジ打ちとヒザ蹴り禁止、足の甲にはパットの防具着用。骨が直接当たることが野蛮という解釈があるお国柄と言われています。昭和60年(1985年)には元日本ミドル級チャンピオンのシーザー武志氏がシュートボクシングを設立。投げ技も明確なポイントとなるルールでした。

鴇稔之(目黒/左)vs 赤土公彦(キング/右)=バンタム級MA日本vs全日本交流戦は引分け(1992年3月21日撮影)

キックボクシングとしてのヨーロッパルールは、顔面へのヒザ蹴りと内股へのローキックが禁止されていました。これは股間に当たる危険性を防ぐ狙いがあったと言われています。更にムエタイルールが重視され始めた頃で、蹴り技が重視される採点に移行されました。キックボクシング系競技の発祥がバラバラで、ルールも多様化は仕方ないところではありました。

◆1996年、「キックボクシングとは、打つ、蹴る、投げる」の野口発言で「投げ技」復活

平成8年(1996年)、今度は 日本系の復興。そこで創始者の野口修氏は復興記者会見で「キックボクシングは、打つ、蹴る、投げる、三拍子揃った競技」と発言。そこで困った顔をしたのが、それまで定期興行を前団体で担ってきた役員たちでした。「投げがあってはシュートボクシングになってしまう」と、何とかムエタイ式に「首相撲からの崩し」に表現を変えました。

日本系が活動を停止した昭和59年(1984年)までは、曖昧な時代で皆忘れがちでしたが投げ技は禁止されていませんでした。野口氏がそれ以来の業界復帰で、創始者として発言に間違いはないのですが、アメリカ路線を主張するブランクある野口氏と現状スタッフの間にギャップがあるのは仕方がないところでした。ただしその後、ムエタイ路線重視のため、1998年5月、伊原信一代表の新日本キックボクシング協会に移る運命を辿ることになりました(野口修氏はWKBA代表を伊原氏に任命するなど親密に友好関係を継続)。

ルンピニースタジアムでのムエタイ試合(選手名不明)(1993年9月撮影)

キックボクシングの流れが大きく変化したルール問題はここからで、これまでは競技の進化のなかで起こったルールの改革でしたが、ここからテレビのお茶の間重視の別イベント競技の影響を受け始めました。5回戦が3回戦に短縮されるルールが各団体で起こり、更に、ヒジ打ち禁止のルールも蔓延。ここで元祖ムエタイルールに顧みる動きもありつつ、どちらも容認する柔軟な形に変わっていきました。今や「ヒジ打ちなんて危ないじゃないですか」と平気で発言し、ヒジ打ち無しルールを選ぶ若い世代の選手もいるという、「キックボクシング競技も大きく変化したものだと諦めざるを得ないのか」と嘆く関係者もいるようです。

◆「ボクシング法」を有するタイの「国技」ムエタイが日本のキック界を変えていく?

こんな私的団体で成り立ってきたキックボクシング系競技に対し、本場タイ国の競技ムエタイは、公的機関が管轄する構築された組織が出来上がっており、1999年に施行された、「ボクシング法」という法律まであって見事な世界の様子です。

ムエタイルールによりワイクルーを舞う江幡睦(2015年3月15日撮影)

タイの格闘技は4つのカテゴリーがあり、1.プロムエタイ、2.プロボクシング、3.学校等主催の格技(アマチュアの範疇)、4.他種競技。上記3つに当てはまらないものは、4になり、スポーツ省傘下の競技委員会により審議され許可を得なければ開催できません。

ムエタイ試合でも公式ルールから外れるヒジ打ち無し、3回戦、ワンデートーナメントなどは、4の扱いになります。試合後、21日を経過しないと次の試合に出場は出来ず、KO負けの場合は30日の経過が必要になります。構築した競技ながら、律儀な日本人からみれば“ルーズなタイ人”と言われるお国柄では、「ルールを守らない、守る認識が無い、何とかなるだろう」などの甘い認識が普通で、主要スタジアムでの試合後、数日後に日本の試合に出場し、バレてタイで出場停止を受ける選手も多いようですが、徐々に、融通利かないルールだという認識は高まっているという声もあります。

日本のキックボクシング界もレフェリングに問題があった過去の経緯から、レフェリー協会なる組織も誕生し、どの興行でも公平に、反則に厳しく、早めのストップも取り入れ、当たり前の改革ながらも進化してきました。昔は、倒れた相手を蹴ったり、明らかな頭突きなどを黙認したり、審判サイドが選手陣営セコンドの抗議に屈したり、優勢な展開も50-50の引き分けだったりと、不可解な裁定も頻繁にあり、審議する機関も無く曖昧な世界でしたが、今ではかなり改善された状況です。

本場ムエタイの組織がレフェリー講習を開催するなどの活動も頻繁に行われ、本場ムエタイの存在が、日本のキックボクシングを率いて、共存共栄が続いています。今後の競技の発展がどう進むのか注目です。

リカ・トーングライセーン(センチャイ)=女人禁制のムエタイも大きく変わり、女子試合も活発に開催(2015年6月28日撮影)

[撮影・文]堀田春樹

▼堀田春樹(ほった・はるき)
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない。」

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新日本キック「MAGNUM39」──トップ選手のビッグマッチと若いチャンピオンたち

10月25日の新日本キックボクシング協会・伊原プロモーション興行「MAGNUM.39」に於いて今後のビッグマッチが期待されるチャンピオンクラスが出場。

日本チャンピオンから一歩上の“東洋クラス”での戦いを重ねる、新日本キックの“殿堂チャンピオン”と言われる元日本チャンピオンの石井達也(目黒藤本/ライト級)、緑川創(目黒藤本/ウェルター級)、喜多村誠(伊原/ミドル級)の3人と、メインイベンターを務めたWKBA世界スーパーバンタム級チャンピオンの江幡塁(伊原)とツインズ兄・睦含め5人は、今後進むステージが険しいものとなろうとも挑まなければならない最高峰が立ちはだかっている。しかしその出番がいつなのか待ち構えるのも辛いものがあるかもしれない。

◆江幡塁 VS プラーップラーム(タイ)

毎度の江幡ツインズの相手は未知数のテクニシャンで苦戦を強いられる試合が多い。今回の江幡塁(伊原/24歳)も56.0kg契約ノンタイトル5回戦で、無名ながらプラーップラーム・バーンボー・ウィッタヤーコム(タイ)のしなやかな蹴りとスピードに「被弾する、攻め倦む、ラウンドは長引く」といった流れを予想してしまうが、被弾も覚悟でパンチとローキック主体にいろいろな攻めパターンを試し、ボディブローで弱点を突き、見事2ラウンド2分33秒KO勝利に導いた。

「新日本キックに新しい伝説を導きます。その為にもラジャダムナン王座獲りにいきます。」
いつもマイクを掴むと大きな声で滑舌よくアピール。早口でも下手なリングアナウンサーより聞き取りやすいのが見事な声量。兄・睦とともにツインズでムエタイ王座同時奪取となれば新たな歴史に名を残すところ、一昨年、そのチャンスに挑んだツインズだったが揃って敗戦。2年前より更に成長したツインズ。伝説を作るには今後のチャンスを逃がすわけにはいかない。

江幡塁(右)vsプラーップラーム戦。カミソリのような切れ味、効くというより "バシッ"と痛そうな塁のローキック

◆重森陽太 VS 内田雅之

日本フェザー級タイトルマッチは、1位.重森陽太(伊原稲城/20歳)が2階級制覇。チャンピオンの内田雅之(目黒藤本/37歳)を判定で下す。重森は1年前の昨年10月、減量苦から瀧澤博人(ビクトリー/24歳)に2-0の判定で敗れ日本バンタム級王座を明け渡すも、今年3月、フェザー級に上げての初戦で内田雅之と59.0kg契約ノンタイトル戦で対戦し、鋭い蹴りで優位に立ち、判定で僅差ながら3-0判定で勝ってしまった。当然今回、王座挑戦資格を持って再戦。内田雅之も、チャンピオンのプライドを懸けての5度目の防衛戦。通常、再戦はチャンピオンが修羅場を潜り抜けてきた経験値で上回り、挑戦者を退けるパターンが多いが、重森の成長度は著しく、そうはいかないパターンだった。重森の鋭い蹴りは早々から主導権を奪い、その優勢を守りきり、3-0(50-48、50-48、50-47)で第9代日本フェザー級チャンピオンとなる。試合後、内田は第2ラウンドに重森のミドルキックを受けて左腕を骨折していたことが発覚。内田はセコンドにも告げずラウンドを重ねた。4度防衛の経験値で最後まで諦めない戦いを貫いた内田雅之であった。

内田雅之(左)vs重森陽太。長い足を利した重森の伸びあるハイキック、今後の脅威となるか

◆緑川創 VS ジン・シジュン(韓国)

緑川創(目黒藤本/28歳)は韓国の突貫ファイター、ジン・シジュンが前に出てくるところを左ヒジ打ちを合わせ、額をカットし3ラウンド28秒TKO勝利。ここ3戦は勝っても負けてもヒジ打ちで切ったり切られたり、接近戦の賭けが明暗を分けるスリリングな試合で、その勝負度胸を持って目指すはラジャダムナン・スーパーウェルター級王座、タイ現地スタジアムに“単独で渡ってでも挑戦したい”構え。喜多村誠との先手争いも見もの。

緑川創(右)vsジン・シジュン。単なる打ち合いはではない、肘打ちか首相撲を視野に入れた前段階

◆喜多村誠 VS ファン・セチョル(韓国)

その喜多村誠(伊原/35歳)はこの春、日本ミドル級王座を返上して、5月に現地ラジャダムナンスタジアムでのスーパーウェルター級王座挑戦もチャンピオンのアーウナーン・ギャットペーペーの厚い壁に撥ね返される判定負けで、今回の再起戦。韓国ファイターを1ラウンドでローキックで弱点を掴むと2ラウンド1分10秒、しつこくローキックで倒すTKO勝利。再度、ムエタイ王座に挑みたい構え。年齢的にはこちらが急ぎたい構えだろう。

喜多村誠(右)vsファン・セチョル。心折れずとも、足が麻痺してへたりこむしかない喜多村の重いローキック

◆石井達也 VS ソン・スター(韓国)

石井達也(目黒藤本/33歳)も韓国ファイターを最終第3ラウンド終了間際にヒジでカットしTKO 勝利。「そろそろベルトを巻きたいです。見たいですよね?」とマイクアピールでファンに同意を求めた。「WKBAでもWBC(ムエタイ)でもチャンスがあれば何でも来い」という、ムエタイ殿堂王座に限らず、いけるものなら“権威有る世界”と名の付く王座挑戦へステップアップ宣言した。

石井達也(左)vsソン・スター。ビッグマッチを想定した前哨戦、試合展開にもゆとりが出てきた石井達也

◆アトラクションは伊原代表 VS 斗吾

アトラクションにおいて、伊原信一代表を相手にミット蹴りを披露した日本ミドル級新チャンピオンの斗吾(伊原/26歳)。先月、王座決定戦で4位.今野明(市原/32歳)をKOし、念願の王座奪取したばかり。自信を持つとより一層激しい蹴りを観客に披露する威力が増したミドル級の重みが響く。観客の前では毎度、伊原代表も選手以上に現役時代のような強い蹴りを披露する。64歳とは思えない重く速い蹴り。しかし疲れを誤魔化さずタイ人トレーナーにミットを渡し、息を整え観客の笑いを誘う。

伊原代表(左)&日本ミドル級C.斗吾。64歳とは思えぬほど、毎年激しさが増す蹴り合いのパフォーマンス、スタミナだけキツそうな伊原代表

新日本キックには他に日本フライ級チャンピオンの麗也(治政館/19歳)も5月にHIROYUKI(=茂木宏幸/目黒藤本/20歳)からKOで王座を奪った。その後HIROYUKIも再起戦を飾り、今後の更なる成長が楽しみなヤングチャンピオン達。日本ライト級チャンピオンの勝次(=高橋勝次/目黒藤本/28歳)も3月に王座奪取したばかりだが、虎視眈々とムエタイ王座に標準を定めている。といった具合に、ステップアップを果たしたい選手が希望通りチャンスが回って来るか、または若い世代に足を掬われるか、過酷な興行継続も注目となる新日本キックボクシング協会の展開である。

[撮影・文]堀田春樹

▼堀田春樹(ほった・はるき)
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない。」

◎群雄割拠?大同小異?日本のキックボクシング系競技に「王座」が乱立した理由
◎9.27WBCムエタイ戦──強豪たちの本気の対戦がムエタイの権威を高める!
◎倒すか?倒されるか?日本キックボクシング連盟「大和魂シリーズ」vol.4報告

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群雄割拠?大同小異?日本のキックボクシング系競技に「王座」が乱立した理由

「ボクシングと違ってキックは偽者チャンピオンが多い中、新日本キックのチャンピオンはみんな強いので、内田雅之(日本フェザー級チャンピオン=当時/藤本)選手と対戦させて頂けたらと思います」

JKIフェザー級2位の竜誠(=りゅうせい/ダイケン)が、8月30日の新日本キックボクシング協会・治政館ジム興行で、日本フェザー級6位の櫓木淳平(=ろぎじゅんぺい/ビクトリー)を倒した後、マイクアピールでこう宣言したように、キックボクシングの世界では、チャンピオンが名指しされることが明確な実力証明のステータスとなりつつあります。

◆キックボクシングはチャンピオンだらけの格闘技?

WPMFのベルト、WPMF日本Sバンタム級C.鷹大

「国内チャンピオンは偽者が多い」と言われる背景として、決して無造作にチャンピオンが認定されている訳ではなく、王座乱立が激し過ぎるというものです。しかし、コアなファンならば、どのチャンピオンが本物か見極めることが出来ても、“チャンピオンは一人”という固定観念がある一般人には「誰が一番強いのか?」よくわからない。それが“二人”であったとしても、その対立関係で成り立つプロ野球2リーグ制のような説明は付いても、国内の同じ階級に10人もチャンピオンが居ては、「初めてキックボクシングを観ました」という観客から見れば「何がどうなっているか」は見え難く、「キックボクシングはチャンピオンだらけの格闘技」となっています。

1966年にキックボクシングが日本で誕生して以来、国内外問わず、多くの王座(チャンピオン)が誕生してきました。国内では、新団体が出来る毎に王座が各階級で新設されていましたが、10年程前から徐々にその規模とスピードは拡大。団体の他、プロモーション単位の任意で作られた、興行看板となる王座がやたら増えたのがここ5年程で、更に国際的に世界チャンピオンを認定する世界機構の管轄下に置かれる日本王座も誕生し、価値の差はあれどチャンピオンは幾らでも作れる勢いです。

◆合従連衡の後──群雄割拠?大同小異?

新日本キックのベルト、日本ライト級C.高橋勝次

元々、高度経済成長期に乗ってKO率90パーセント超えの激しさからキックブームになった昭和40年代~50年代前半(1966年~1977年)の“主要団体”は、日本キックボクシング協会、全日本キックボクシング協会の二つしかありませんでした。テレビの全国ネットでレギュラー放送されていた時代は概ね昭和43年(1968年)から55年(1980年)で、それは2系列ではあっても日本のトップそのもので、これを目指して全国から血気盛んな若者がチャンピオンを目指してやってきました。

そんな黄金期を経て、昭和50年代半ば(1980年頃)にはテレビが離れ、世間から記憶にも残らなくなっていきました。そんな低迷期には業界大手が弱体化し、我道を行く団体分裂が激化。テレビ放映は無く、日本列島に響き渡らない時代に最大で7団体がひしめき合っていましたが、平成に入った時代(1990年)には定期興行が打てる“主要3団体”に落ち着いていました(当時は1984年設立の日本キックボクシング連盟、同連盟から枝分かれしたマーシャルアーツ日本キックボクシング連盟、1987年復興の全日本キックボクシング連盟)。

しかし、そこでも過去に似たような組織のトップ役員に対する反発が各団体で勃発。団体内の方向性の違いによる革命や金銭トラブルに対する反発で団体分裂が再び激化しました。更にそんな繰り返される問題から、フリーのジムが増え、団体に属さなくても独自でやっていけるという過去に無い変化が現れた時代になっていきました。昔はどこかの団体に加盟しなければ興行など成立せず、フリーでは団体興行に出場させてもらうことも難しかったのです。

WBCムエタイのベルト、WBCムエタイ日本ライト級C.宮越慶二郎

今、この競技の定期興行で運営される国内タイトルをまとめると、野口修氏創設の老舗を継承し、日本プロスポーツ協会に唯一加盟出来る存在の新日本キックボクシング協会の日本王座(加盟ジムのみ)、ニュージャパンキックボクシング連盟とジャパン・キックボクシング・イノベーションを統一する形で存在するWBCムエタイ日本王座(非加盟でもライセンス取得で出場可能)、本場タイ国の政府管轄下にあるタイ国ムエスポーツ(プロムエタイ)協会を母体とするWPMF(世界プロムエタイ連盟)の傘下にWPMF日本王座(実績次第で出場制約無し)が存在します。

◆2015年、本場のムエタイがやってきた

そんな中に今年また、「ムエタイ」ブランドを掲げる王座が新設。ルンピニースタジアムの海外初となる日本支部開設を発表したのが8月7日。今後12月以降、「ルンピニーボクシングスタジアムジャパン」としての興行が行なわれ、日本ランキングの制定と日本王座決定戦、そして本場ルンピニースタジアムのムエタイ最高峰王座への挑戦権も与えられていくことになるという構想です。

ルンピニーボクシングスタジアムは、ラジャダムナンスタジアムと双璧を成すタイ・ムエタイの二大殿堂のひとつです。ムエタイは500年の歴史を持ちつつ、戦後活発に発展したタイの国技です。地方での有望な選手がバンコクでの頂点に目標を持って大量に押し寄せる極めて難しい頂点。そこへギャンブル好きの賭け屋が大勢の観衆としてスタジアムを支え、確固たる発展を遂げたのが本場ムエタイの姿です。
更には認定機構管轄下にはないが、マーシャルアーツ日本キックボクシング連盟、J-NETWORK、NKBなど定期興行が安定した団体王座があり、更にプロモーション単位の任意王座が続きます。

◆50年近く王座統一がなされないもどかしさ

世間一般の方々には、一本化されない競技に関心も沸かないところかもしれません。日本統一チャンピオンになるには、まだ程遠いプロモーションの結束が必要ですが、スポーツ庁などの公的機関が管轄されれば一気解決ながら、利害関係がもたらす問題も懸念され、キックボクシング系競技の真のメジャー化はまだ難しいところです。

統一されないこんなことが50年近くも続いている中、「今いっぱいチャンピオンが居るらしいじゃない、せめて昔のような2系列時代にならないとなあ」とは3月15日の江幡睦のダブルタイトル戦の興行前、昭和40年代の“小さな巨人”といわれた元・全日本バンタム級チャンピオン.大沢昇氏が創生期からの盟友、元・日本ミドル級チャンピオン.藤本勲(目黒藤本ジム会長)氏にしみじみ語っていたことが、ファンの声を代弁しているようでした。

大沢昇&藤本勲、沢村忠以外にも創生期を支えたチャンピオンたち(2015年3月15日)

[撮影・文]堀田春樹

▼堀田春樹(ほった・はるき)
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない。」

◎9.27WBCムエタイ戦──強豪たちの本気の対戦がムエタイの権威を高める!
◎倒すか?倒されるか?日本キックボクシング連盟「大和魂シリーズ」vol.4報告

唯一無二の特報を同時多発で怒涛のごとく!『紙の爆弾』!

倒すか?倒されるか?日本キックボクシング連盟「大和魂シリーズ」vol.4報告

10月10日、後楽園ホールで開催された「大和魂シリーズ」は、「倒すか倒されるか」がキャッチフレーズの日本キックボクシング連盟興行。NKBライト級タイトルマッチがメインイベントだ。チャンピオンの大和知也(SQUARE-UP)は今回が初の防衛戦。挑戦者はその大和知也が4月に63.0kg契約5回戦で僅差の判定負けを喫した俊輝(八王子FSG)である。

大和知也

◆NKBライト級タイトルマッチ──大和知也 VS 俊輝

今回も俊輝の先制攻撃のジャブ、ローキックの的確差で大和を苦しめた。俊輝のローキックがもっとしつこく蹴っていれば明確な差になっただろうが、それをさせない大和の反撃も地味ながらコツコツとヒットさせる圧力があった。俊輝が前回同様の僅差判定勝利かというムードの中、0-1俊輝優勢の引分け。大和知也はかろうじて初防衛。俊輝は王座奪回成らず。

大和知也が今年のシリーズ名となる主役でありながら、俊輝を倒せなかった今年の反省は残るにせよ、来年は高橋三兄弟が台頭して来る世代交代が迫る年。更なる奮起に期待したい。

 

◆NKBウェルター級王座決定トーナメント準決勝2戦

アンダーカードながらNKBウェルター級王座決定トーナメント準決勝は、2位の安田一平(SQUARE-UP)が4位の稲葉裕哉(大塚)を判定3-0(50-47、50-46、50-47)で勝利し、決勝に進出した。

安田の重いパンチ攻撃がしつこく稲葉を圧倒した。稲葉は1ラウンドから鼻血を出し、顔を腫らしながら倒れず反撃に転じ、蹴りの少ないパンチ主体の展開となり、反撃を受けた安田の顔も腫れが増す。試合が終わればお互いの顔とも無残な表情だった。

安田一平(右) VS 稲葉裕哉
安田一平(右) VS 稲葉裕哉

もう一方の準決勝は3位の塚野真一(拳心館)が検診時での体調不良によるドクターストップで棄権となり、1位の石井修平(ケーアクティブ)の勝者扱い(主催者発表は不戦勝)による決勝進出。

高橋三兄弟の三男・聖人(真門)は判定ながら5戦目(4戦1勝2敗1分)のサイクロン狂介(大塚)に勝利し4月のデビュー戦から2連勝(1KO)。

高橋三兄弟の三男・聖人(右)VSサイクロン狂介

◆次回「大和魂シリーズ vol.5」は12月12日に開催

次回12月12日には石井修平vs安田一平でNKBウェルター級王座決定戦、もうひとつのタイトルマッチがNKBバンタム級王座決定戦、1位の高橋亮(真門)vs 3位の松永亮(拳心館)がある。高橋三兄弟が今この連盟での話題の三兄弟。次男の亮が先に王座に手を掛ける。

長男・一眞は6月に元2階級制覇チャンピオンの夜魔神(SQUARE-UP)の引退試合相手として出場、初回は夜魔神を圧倒しながら経験値豊富な夜魔神に逆転されて判定負け、7戦目で初黒星も未だ王座に近い存在で来年の飛躍が期待される。

更にもうひとつのメインイベントクラスが前NKBウェルター級チャンピオン、キャリア13年で、「遅咲き」の44歳の竹村哲(ケーアクティブ)の引退試合。同級5位.マサ・オオヤ(八王子FSG)を相手にラストファイトの予定。今年4月には元・全日本ライト級チャンピオン.大月晴明と引退カウンドダウンに入った40代対決、1ラウンドで大月の爆腕に倒されたが現役として悔いなく燃え尽きるには最高の相手だった。

◆昭和キックブーム終焉後、1984年に設立された日本キックボクシング連盟の31年

「大和魂シリーズ」主催の日本キックボクシング連盟は、昭和40年代のキックブームの後、テレビが離れて低迷期に入り、行く当てなく彷徨っていた日本キック界に、昭和59年11月、主要団体が一旦統合された団体だった。

あれから31年になる。すぐに分裂と脱退を繰り返し、他団体の豪華な国際戦、ムエタイタイトルマッチを行なうようには敵わない、ひたすら団体内対抗戦の地味な団体ではあったが、昔ながらの「倒すか倒されるか」がキャッチフレーズの息の長い団体となった。2002年に統合ではないが、NJKF、K-U、APKFと共に4団体共通のタイトルNKBを設立、相変わらず離脱はあったが、王座は継続され現在に至っている。

遡れば役員の顔ぶれの流れを見ると、系列的に昭和40年代の旧全日本系色が強い団体である。それも昨年から世代交代の波が押し寄せた。代表理事は渡辺信久氏と変わらないが、興行運営を担う担当が元・日本キック連盟ライト級チャンピオン、小野瀬邦英SQUARE-UPジム会長に代わった。

それまで他団体交流が無く閉鎖的だったが、徐々に交流戦が実現。実力不透明だったNKBが良くも悪くも明確になってきて活性化されてきた。高橋三兄弟のような有望な選手も多いに飛躍できる舞台が揃いつつある日本キックボクシング連盟であり、業界全体も頂点への道のりが明確になってきている今後のキックボクシング系業界でもある。

高橋三兄弟の三男・聖人

[撮影・文]堀田春樹

▼堀田春樹(ほった・はるき)
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない。」

◎9.27WBCムエタイ戦──強豪たちの本気の対戦がムエタイの権威を高める!

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NJKF-DUEL.3「勝利に飢えた猛獣たちの決闘・第三章」報告

ニュージャパンキックボクシング連盟(NJKF)のDUEL.3(2部)が10月4日(日)、新宿FACEで開催された。以下はその観戦報告。

守屋将VS白井周作
守屋将(NJKFバンタム級5位/新興ムエタイジム)

【NEW JAPAN WARS2 バンタム級】
守屋将NJKFバンタム級5位/新興ムエタイジム)VS 白井周作(NJKFバンタム級1位/Bombo Freely)
わかりにくいが、これはトーナメントの準決勝である。前回の計量オーバーでタイトルを失った白井は、積極的に前に出て行き、このところ連勝続きの守屋に高いキックと右ストレートで初回から打って出る。が、ディフェンスに進化を見せる守屋が寸前でパンチもキックも見切り、首相撲に持ち込み、効果的に蹴りを見舞う。そして白井のスタミナを奪い、終始リードするも判定は29-29、30-29、29-29 でドロー。延長ラウンドで効果的にパンチを当てた守屋が10-9、10-9、10-9で勝利。

【注目マッチ オブ DAY】
NJKF Minerva タイトルマッチ スーパーバンタム級
美優美(白龍ジム)VS 三宅芳美(Take1)
迫力ある女子の実力どうしが激突。王者の三宅は距離を詰められて、ややキックが封じられ、打開しようと裏拳を飛ばすがこれも空を切り、首相撲での攻防と、ローキックを食らい大苦戦。かくして、美優美の効果的な蹴りが何発も2Rに入り、最終的に三宅は力尽きた。判定は29-29、30-29、30-29の判定勝ち。美優美は勝利者インタビューで「判定なのでいまいち納得していません」と強気のコメント。

菜緒

【フォーカスシーン】
10月4日(日曜)に開催されたニュージャパンキックボクシング連盟(NJKF)が主催する、加盟ジムの30代~40代の若手会長により結成された『NJKF若武者会』が主導する『DUEL』シリーズの3回目のイベント。若手キックボクサーがメインの興行、「DUEL.3」(2部)は、男くさい会場に咲いた唯一の花、ラウンドガールの菜緒がかなりのファンを引き連れていた。

菜緒はこの「DUEL」が始まった4月からラウンドガールを務めている。大阪出身でモデル、タレントとして「ロンドンハーツ!」「三村&有吉特番」(テレビ朝日)やTBS恋愛バラエティー『恋んトス』などに出演。スレンダーな肢体とえくぼでファンを拡大。とくに「ホットペッパー・ビューティー」のCMでマツコ・デラックスと共演してからというもの、「あのかわいい子は誰?」と注目されるようになった。

この日、午後4時30分から始まった2部(夜の部)は、女性選手がやんやの声援を浴びて活躍した。くしくも登場した4人はそれぞれ個性的なかわいさがあり、それぞれにファンがついていた。ライトフライ級王者、島津悦子(KICK BOX)があゆみ(新興ムエタイジム)に判定で勝利、スーパーバンタム王者の三宅芳美(Take1)を下した美優美(白龍ジム)は、「写真を撮らせてください」とファンに囲まれていたほど。だが、菜緒がリングにあがり、MCを始めるとこの日、一番の声援が会場を覆い尽くした。

リングアナに「キックボクシングはどうですか」と印象を聞かれると菜緒は「何度か見ているうちに、キックボクシングのファンになりました。負けた選手がつぎの試合で勝つとスカッとします。理想の男性は、引っ張ってくれる力強い人です」とはにかみつつ語ると客席から「オレが引っ張ってやるよ~」と客席から大声でエールが飛んだ。

そしてファイナルの日泰国際戦のスーパーバンタム級の試合「波賀宙也(NJKFスーパーバンタム級王者/立川KBA) VS カメンノーイ・ゲッソンリット(タイ)」に入り、菜緒が2ラウンドのボードをもってリングに上がると「菜緒ちゃんは本日、これで最後のラウンド案内です」とアナウンスされると「ええーっ残念!」と悲鳴が上がったのだ。

「菜緒さんはキックボクシングのファンを大勢、ファンに取り込んだね。メジャーになっていくと思うが、売れっ子になってもキックボクシングのリングに遊びに来てほしいと思います」(格闘技雑誌記者)

格闘技“冬の時代”が続いて久しい。菜緒は、今後、バラエティ番組やドラマの仕事もオファーが来ているという。かくして、格闘技の舞台からスターから出るのは、集客に苦しむ格闘技団体にとって「久々にうれしいニュースである」のはまちがいない。

[文]ハイセーヤスダ
[写真・監修]堀田春樹

▼ハイセーヤスダ(編集者&ライター)
テレビ製作会社、編集プロダクション、出版社勤務を経て、現在に至る。週刊誌のデータマン、コンテンツ制作、著述業、落語の原作、官能小説、AV寸評、広告製作とマルチに活躍。座右の銘は「思いたったが吉日」。格闘技通信ブログ「拳論!」の管理人。

◎美しきムエタイ女子リカ・トングライセーンのど根性ファイトに大喝采!
◎日本のキックボクシングが情熱と音楽の大国アルゼンチンと繋がった日
◎川崎中1殺害事件の基層──関東連合を彷彿させる首都圏郊外「半グレ」文化

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2020年、亡国の東京五輪──近代五輪は一貫して「政争と利権の祭典」だった

エンブレム盗作問題では、下村前文科大臣だけは首を飛ばされた。代々木の国立競技場は改修すれば使えるという声も多い中、「もう間に合わない」とあっという間に取り壊された。本当に間に合わなかったのであれば、もう2020年東京オリンピックは開催できないのではないか。

「間に合わない」のではなく、「取り壊して建てなおさないと、ゼネコンや我々が潤わない」が連中の本音だったのだ。

端から嘘でたらめの連発と金を積んで、無理矢理誘致したのが2020年東京オリンピックだという事は、この期に及んでもまだエンブレムが仕切り直され、メインスタジアムとされた競技場建設の方向性すら定まらない事実により誰の目にも明らかにされた。自民党の中からでさえ「メインスタジアム建設は不要じゃないか」という声まで出てきた。

なにが「おもてなし」だ。「福島第一原発事故の汚染は完全にブロックされていて、過去も現在も未来も健康被害は一切生じません」と空前の空手形を切った安倍の軽舌にこの島国の住民はもう慣れてしまっているけれども、犯罪的ですらあるこの虚言に疑問を呈さず「2020年東京」に票を投じたIOC理事の連中の頭の中はどうなっているのだろうか。

◆その崇高な理念とは一度も相いれることがなかった「政争・利権の祭典」

などと、泥棒に講釈をたれるような無駄をいくら語りかけても無駄であることは、先刻承知ではある。「オリンピックの精神」という一見崇高に聞こえる理念など、近代オリンピックが復活して以来単なる「戯言」に過ぎなかったし、残念ながら競技者の頂点を目指したいという純粋な思いと一度も相いれることはなかった。

まだ、世界が東西(社会主義陣営、資本主義陣営)に分かれていた時代、1980年に開催されたモスクワオリンピックを、米国カーター政権の呼びかけにより日本、韓国、西ドイツ、パキスタンなどはボイコットした。ソ連のアフガン侵攻がその理由だった。次いで1984年に開催されたロス・アンジェルスオリンピックでは、その趣意返しで東側の国々が参加しなかった。

モスクワオリンピックを日本もボイコットすることが確定しそうな時期に主要選手による政府への「抗議」が行われた。金メダル確実と目された柔道の山下泰裕や、レスリングの高田裕司などが中心となり、「政治とスポーツを分けてくれ。私たちの競技の機会を奪わないでくれ」と競技者たちは訴えた。とくに高田の涙ながらの訴えは多くの反響を呼んだが、某良心的全国紙は朝刊のコラムで「スポーツ選手が涙を見せるな」と的外れも甚だしい、政府の提灯持ち記事を書いた。

このようにオリンピックは競技者にとっては最高峰の舞台であっても、それを利用しようとする連中にとっては全く「神聖」という言葉を使うのもおこがましい「政争及び利権の祭典」である。

誘致合戦にアホほどの金を使い、IOC委員や理事の票を買い集め、大手広告代理店が裏で段取りの全てを仕切る。競技者の熱意と全く相いれない、どす黒いそろばん勘定だけが支配するのがオリンピックだ。2020年東京のドタバタを見るまでもなく、1998年開催の長野オリンピックにおける不正経理問題を見てもそれは明らかだ。当時JOC(日本オリンピック委員会)会長は西武の堤義明だったが、多額の赤字を出した長野オリンピックの経理処理に監査が入ると、何と関係書類が全て焼却もしくは紛失していたという、常識的には考えられない杜撰な事件を起こしている。

堤義明1980年代に「世界一の富豪」と米国雑誌「Forbes」で取り上げられるなど、バブル時代を謳歌したが、その後2005年に証券取引法違反で起訴され有罪が確定している。こんな人物であるのに堤は2013年からJOCの最高顧問に就任している。JOCも真っ黒だという事を如実に示している。西武グループも凋落し、西武グループの中核をなしたスーパーマーケット「西友」も米国「ウォルマート」の傘下に入り、2009年以降は売上高を官報に掲載しないほどの落ち込みぶりだ。

これらの事実が示しているのは、オリンピックに関して広告代理店が打ち上げる、綺麗ごとを並べたキャッチコピーなどは全てが虚構であるということである。金儲けと自己の利益にしか興味のない政治家や財界人が、あれこれ無い知恵を絞り「是が非でも2020年東京で」と悪あがきをしているに過ぎない。

ある若者が言った。「皆さんの中には東京オリンピックを楽しみにしている人がいると思います。でも、悪いけど順番が違う。まずは東北の被災者が全員救済されることの方が先ではないですか」と。

まったくもって同感だ。

最も簡単にして、国民に利益をもたらすのは、今からでも遅くない。「東京オリンピック」などという馬鹿げた巨大公共事業を返上することだ。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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