「BLACK BOX」のその後 山口敬之反訴で新段階の「レイプ裁判」〈後編〉 「同意のない性交」だけでは刑法上罰則もない「強姦天国」

「BLACK BOX」(伊藤詩織著・文藝春秋)がふたたびスポットライトを浴びている。ほかならぬ「加害者」とされている山口敬之元TBS記者が、1億3000万円の損害賠償請求の訴訟を起こしたからだ。これに対して、伊藤詩織の支援者は「オープン・ザ・ブラックボックス」というサイトを立ち上げて、支援団体(伊藤詩織さんの民事裁判を支える会)を発足させた。

以下は本稿〈前編〉に続き、山口敬之の反訴で新段階をむかえた「レイプ裁判」の〈後編〉だ。

伊藤詩織『Black Box』(2017年10月文藝春秋)

「私の意識が戻ったことがわかり、『痛い、痛い』と何度も訴えているのに、彼は行為を止めようとしなかった」「何度も言い続けていたら、『痛いの?』と言って動きを止めた。しかし、体を離そうとはしなかった。体を動かそうとしても、のしかかられた状態で身動きが取れなかった。押しのけようと必死であったが、力では敵わなかった。私が『トイレに行きたい』と言うと、山口氏はようやく体を起こした。その時、避妊具もつけていない陰茎が目に入った」

しかし、それでもなお、山口の「行為」は終わらなかったようだ。

「抵抗できないほどの強い力で体と頭をベッドに押さえつけられ、再び犯されそうになった」「体と頭は押さえつけられ、覆い被さられていた状態だったため、息ができなくなり、窒息しそうになった私は、この瞬間、『殺される』と思った」

いわばセカンドレイプを覚悟で、血を吐くような思いで書かれたから『BLACK BOX』の記述が正しいわけではない。「下腹部に感じた裂けるような痛み」「再び犯されそうになった」と、具体的なこ事実関係を書いているから、信ぴょう性が感じられるのだ。したがって、山口がとくにおもんぱかる必要もない。

◆なぜ不起訴になったのか

上記のとおり、両者の言い分をふまえて、その後の司法手続きをたどってみよう。
2015年4月9日に伊藤は警視庁に相談し、所轄の高輪警察署が4月末に準強姦容疑で告訴状を受理した。6月初めに逮捕状が発行された。逮捕状が警察の要請にしたがい、裁判所の責任で発行されたのは言うまでもない。しかるに、山口の身柄はアメリカにあった。執行は翌2016年、山口が帰国する6月8日に、成田空港で行なわれるはずだった。

 
BBC「Japan's Secret Shame」レビュー(2018年6月28日付けガーディアン)

ところが逮捕する直前に、警視庁刑事部長の中村格が執行停止を命じたのだ(「週刊新潮」)。7月22日に、検察が不起訴処分とした。嫌疑不十分がその理由である。のちに伊藤詩織は出勤途中の中村格を直撃取材したが、中村は全速力で逃走。何らの説明もしていないという。その後、検察審査会で審議されたが、9月21日に不起訴相当となった。

安倍晋三の意を受けた警察官僚が暗躍したと、週刊誌は警察・検察の不可解な動きを批判する。だがいまや、この国の社会および司法の仕組み自体に問題があると、わたしは思う。というのも、レイプされた女には「隙がある」「性ビジネスである」などと、男性のみならず女性(たとえば杉田水脈議員)からも批判が浴びせられるジェンダーの硬い障壁があるからだ。とりわけ、性暴力をめぐる司法判断に疑問の声がひろがっている。

4月11日の夜、東京駅付近に400人以上が集まって「MeToo」「裁判官に人権教育と性教育を!」などのプラカードが並んだという(朝日新聞4月17日夕刊)。娘の同意なく性交をした父親に無罪判決が出されるなど、強姦事件の無罪判決が続いているというのだ。そもそも実の娘と「同意」があっても、やってはいけない行為ではないのか。

いや、そうではない。日本では1873年に制定された改定律例には親族相姦の規定があったが、1881年をもって廃止されているのだ。刑法に盛り込まれなかった理由は、日本近代民法の父と言われるボアソナード博士が、近親相姦概念は道徳的観念の限りにおいて有効であると反対したためだとされている。

強姦罪もきわめて緩い。日本の刑法は「同意のない性交」だけでは罰則がなく、「暴行または脅迫」が加わった場合の性交に「強制性交罪」が成立するのだ。今回、実の娘を強姦した男は、娘が「抵抗が著しく困難ではなかった」ことで、無罪とされたのだ。そして酔って抵抗できない場合にも、同意があったとされる可能性があるというのだ。伊藤詩織事件にも、これが検察の判断となった可能性がある。裁判官の資質だけではないようだ。なんと、日本は法的にも強姦天国だったのだ――。

◎「BLACK BOX」のその後 山口敬之反訴で新段階の「レイプ裁判」
〈前編〉http://www.rokusaisha.com/wp/?p=30267
〈後編〉http://www.rokusaisha.com/wp/?p=30272


◎[参考動画]#MeToo in Japan: The woman speaking out against rape(FRANCE 24 English 2018/06/28公開)

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業・雑誌編集者。主な著書に『軍師・黒田官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)、『真田一族のナゾ!』『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。医療分野の著作も多く、近著は『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

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〈原発なき社会〉を目指す雑誌『NO NUKES voice』19号 特集〈3・11〉から八年 福島・いのちと放射能の未来

「BLACK BOX」のその後 山口敬之反訴で新段階の「レイプ裁判」〈前編〉 山口敬之と伊藤詩織──両者の言い分を再検証する

「BLACK BOX」(伊藤詩織著・文藝春秋)がふたたびスポットライトを浴びている。ほかならぬ「加害者」とされている山口敬之元TBS記者が、1億3000万円の損害賠償請求の訴訟を起こしたからだ。これに対して、伊藤詩織の支援者は「オープン・ザ・ブラックボックス」というサイトを立ち上げて、支援団体(伊藤詩織さんの民事裁判を支える会)を発足させた。

伊藤詩織『Black Box』(2017年10月文藝春秋)

本欄の読者諸賢におかれても、事件のことも記憶が薄くなっているのではないだろうか。山口敬之は上記のとおり元TBS記者だが、現在は一般財団法人日本シンギュラリティ財団の代表理事である。財団の住所は東京都渋谷区恵比寿3丁目31-15、つまり山口敬之の実家なのである。評議員に山口博久弁護士(敬之の実父)がいることから、山口家を中心とした人脈で形成されたものとみていいだろう。そしてこの財団の理事に、斎藤元章という名前がみえる。

この斎藤元章という人物は、巨額助成金詐取問題で2017年暮れに逮捕されたPEZY社の代表である。この事件は「科学技術振興機構」からの助成金60億を、事業外注費を水増しで計上していたものだ(別件で法人税法違反=所得隠しでも逮捕され有罪判決を受けている)。詐取事件の背後には財務省、つまり麻生太郎の存在が噂された。山口自身も、このPEZY社の顧問になっているという。

それにしても、ジャーナリストでありながら時の権力におもねる「総理」「暗闘」(いずれも安倍総理に近い見城徹の幻冬舎刊)などの著書しかない点で、すでにアウト(政治権力の随伴者)だが、TBS退社後の「事業」も怪しい人脈で作ったものだったのだ。

山口敬之から訴状が届いた旨を伝える小林よしのりのブログ(2019年2月7日)

事件について、それを漫画化した小林よしのりが、山口敬之に訴えられた(2月9日)。この小林よしのりに対する訴訟は、「レイプ犯」などと勝手に決めつけると、相応の法的な責任を取らせるぞという、いわゆるスラップ訴訟であろう。メディアはまさに、触らぬ神に祟りなしという具合に山口敬之の動向を報道しようとはしない。じっさいに、小林よしのりも「この件については反論も議論もしない」としている。この小林の宣言は戦線を拡大しない、という意味にほかならない。

だからといって、世を騒がせた「レイプ裁判(準強姦被疑事件)」の報道を止められるわけではない。スラップ訴訟であれ正当な反訴であれ、みずからの主張はかならず報道と議論によって検証されなければならないからだ。もうひとつ付け加えておけば、相応の思いこむに足る条件があれば、名誉棄損の構成要件は成立しない。それは食品や商品に対する批判が、たとえば週刊金曜日の「買ってはいけない」などの企業批判が有効であるのと同様である。ほんらい「レイプ事件」は社会的な公共性が高くなくてはならない。少なくともまったくの冤罪ではなく、事件現場(ホテルのベッド)に山口本人がいたのは事実であり、そこでの事実関係こそが裁判の焦点である。

◆両者の言い分

そこで「レイプ事件」の経過、というよりも両者の言い分を復習しておこう。以下は「BLACK BOX」による。

2015年4月3日、伊藤詩織はニューヨークでの就職相談や就労ビザの相談のため、当時TBSの政治部記者(ワシントン支局長)だった山口敬之と会食した。その後、居酒屋で瓶ビール2本を2人でのみ、別にグラスワイン1杯を飲んだ。山口は安倍総理や鳩山元総理の人脈話をするばかりで、就労の話はしなかったという。2人は寿司屋に移動したが、そこで伊藤は気分が悪くなった。

伊藤はワインを3本空けても平気な上戸であり、このときの気分の悪さを「レイプドラッグ」ではないかとしている。何を食べたのかも、ブラックアウト(意識が飛ぶ)で記憶にないという。

その後、タクシーに乗って伊藤は「駅で降ろしてくれ」と言ったが、山口は「まだ仕事の話があるからホテルに行こう。何もしないから」と言い、運転手にホテルに向かうよう指示した。運転手は、山口が伊藤を抱きかかえるように連れ込んだと証言している。2018年の民事訴訟の弁論においても、この事実はホテルの防犯動画が証拠として提出されている。伊藤は意識がもどると、全裸あおむけの状態で山口が体にまたがっているところだったという。避妊具を付けていない山口の陰茎も見ている。激しいやり取りがあったのち、伊藤はホテルから脱出した。

山口敬之元TBS記者が「私を訴えた伊藤詩織さんへ」と題した手記を掲載した『月刊Hanada』2017年12月号

これに対して、山口敬之は「月刊Hanada」(2017年12月号)において、「私を訴えた伊藤詩織さんへ」と題した手記で、事件の態様をあきらかにしている。まず山口は「誰が見ても、一人で電車に乗って帰すことは困難な状態だった」と、ホテルに同道させた理由にしている。山口はホテルで仕事を終えたあとに、送っていくつもりだったという。伊藤が「駅に行ってください」とタクシーの運転手に要求したことは、山口も認めている。「嘔吐し、朦朧とした泥酔者が『駅で降ろしてください』と言ったからと言って、本当に駅に放置すべきだと思いますか?」と、山口は自分の行動を正当化している。ここまでは、そういう理由も成り立つかもしれない。しかし、部屋に入ってからの事実関係には、おおいに疑問が残るところだ。引用しよう。

「部屋に入ってどのくらい時間が経ったのか。私がまどろんでいると、あなたが突然起き出して、トイレに行きました。ほどなくトイレが流れる音がして、下着姿のあなたが戻ってきました」「そして、ペットボトルの水を何度かごくごくと飲んだあなたは、私が横たわっているベッドに近寄ってきて、ペットボトルをベッドサイドのテーブルに置くと、急に床に跪いて、部屋中に吐き散らかしたことについて謝り始めました。面食らった私は、ひとまずいままでにあなたが寝ていたベッドに戻るよう促しました。ここから先、何が起きたかは、敢えて触れないこととします。あなたの行動や態度を詳述することは、あなたを傷つけることになるからです」

ようするに、何があったのかは「あなたを傷つける」から詳述できないというのだ。一見して、女性の立場をおもんぱかっているような記述だが、一度は逮捕状を裁判所に発行された人物の手記とは思えない。伊藤詩織の告訴によって、世の人々に「あいつ(山口)は卑劣な強姦魔だ」と思われているのに、何があったか、事実関係を詳述しないのである。とりわけ、強姦か合意の上の性交渉であったかが、この「事件」の論点であり構成要件である。その重要な点を山口は記述していないのだ。

いっぽう、伊藤詩織の『BLACK BOX』は具体的である。

「目を覚ましたのは、激しい痛みを感じたためだった。薄いカーテンが引かれたベッドの上で、何か重いものにのしかかられていた。頭はぼうっとしていたが、二日酔いのような重苦しい感覚はまったくなかった。下腹部に感じた裂けるような痛みと、目の前に飛び込んできた光景で、何をされているのかわかった。気づいた時のことは、思い出したくもない。目覚めたばかりの、記憶もなく現状認識もできない一瞬でさえ、ありえない、あってはならない相手だった」

この「二日酔いのような重苦しい感覚はまったくなかった」実感が「レイプドラッグ」ではないかという疑惑につながるのだ。いずれにしても、彼女はレイプされていたと証言する。(つづく)

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業・雑誌編集者。主な著書に『軍師・黒田官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)、『真田一族のナゾ!』『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。医療分野の著作も多く、近著は『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

創業50周年!タブーなき言論を!『紙の爆弾』5・6月合併号【特集】現代日本の10大事態
〈原発なき社会〉を目指す雑誌『NO NUKES voice』19号 特集〈3・11〉から八年 福島・いのちと放射能の未来

社会「総右傾化」も追い風にならない産経新聞の危機から見える新聞社の未来

かねてより新聞・週刊誌をめぐる状況が厳しいことを本通信で紹介してきた。それを裏付ける顕著な数字が明らかになっている。産経新聞はこの春の新卒採用で実に「2名」しか入社しなかったことがわかった。産経新聞は、2018年4~9月の連結業績は約4億7000万円の営業赤字。「新卒2名」だけではなく、業績不振で180名の希望退職を募っている。

◆今の時代は産経新聞にとって追い風かと思いきや……

 
ハフポスト2019年2月25日付け

毎日新聞は過去実質的に2度「倒産」しているが、どうやら全国紙の中で最初に姿を消すのは産経新聞になりそうな雲行きだ。産経新聞は常時過剰なまでのアジア蔑視が紙面の特徴だと感じていたので、「総右傾化」のこの時代は産経新聞にとって追い風かと勘違いしていたが、一番の逆風を受けていることが証明されてしまった。ネット上のニュースで扇動的な記事の見出しがあり、それをクリックすると、出典が産経新聞やFNN(フジニュースネットワーク)に突き当たることが多いので、こちらでは健闘しているのかと思っていたが、ネット上の収入は屋台骨を支えるほどの力にはなっていない。

ネット上のビジネスでも産経新聞だけではなく、新聞社は苦戦を強いられているようだ。ニュースサイトは玉石混合、山ほどあるが紙媒体からスタートしたサイトよりも、ネットを「新たなビジネス」ととらえて既に構築を終え、回収期に入っている先行組が、大きな利益を上げているようだ。そのような企業はメインの顧客に10-50代を据えており、新聞・雑誌のターゲットと見事なくらいに重なっていない。10代、20代が自由に使えるお小遣いは大した金額ではないが、仮に1000円の商品でも、繰り返し購買されれば売り主としては立派に計算のでき得る顧客となる。

逆に年金生活で資産もある高齢者は、通信販売までは手が出せても、ネット上での商品購入までには(技術的・心理的)に手が出ない人が多い。あと数年して現在の60代が70代になったら、おそらくほとんどの人がネットになじんでいるだろうから、また購買行動には変化がみられるかもしれないが。

◆ジャーナリズムが機能不全に陥った社会で自由は持続できるのか?

 
産経新聞社採用サイト「SANKEI SHIMBUN RECRUIT 2020」より

それにしても報道やジャーナリズムは、新聞が急速に衰え、テレビが今日のように娯楽化した結果、ますます機能不全に陥るだろう。権力監視や腰を据えた調査報道には、経験や勘(そして取材に要する費用)も必要とされる。それに100万部単位の発行部数がなんといっても影響力を持つ。ネットサイトに軸足を移しながらも世界中でクオリティーペーパーがなくなった例はまだ耳にしない。いまのところ世界はまだ、新聞的な情報伝達メディアを必要としている(それがネット上であっても)ということであろう。

いっぽう、大新聞と比べるべくもないが、鹿砦社も独自の調査報道を行っているが、ほぼ大手マスコミから無視されるので影響力は限定的だ。例外的に代表・松岡が逮捕192日も勾留された、名誉棄損事件とされる「アルゼ」事件についてだけは近年、数々のスキャンダルが噴出し岡田親子の覇権争いが、注目を集めている。この件ではロイターや内外の報道機関が鹿砦社へ取材に訪れている。

 
産経新聞社採用サイト「SANKEI SHIMBUN RECRUIT 2020」より

関係者によれば、若手裁判官の2割はまったく新聞を読んでいないという。それでも司法試験に合格し、裁判官に任用されるのには問題はないとうことだ。産経新聞が遠からず姿を消すことは間違いなさそうだ。それについで、他の全国紙や地方紙もやがては消滅してゆくのだろうか。若年層の行動を観察していると、新聞にとって未来はかなり厳しいものであることはまちがなさそうだ。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

タブーなきスキャンダリズム・マガジン『紙の爆弾』5・6月合併号【特集】現代日本の10大事態
〈原発なき社会〉を目指す雑誌『NO NUKES voice』19号 特集〈3・11〉から八年 福島・いのちと放射能の未来
田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

東京2020欺瞞の本質──〈復興五輪〉を装った〈翼賛五輪〉に加担するのか?

JOC会長竹田恒和の退任がどうやら確実になったようだ。「東京2020年」欺瞞の根源がいよいよ正面から問われる局面を迎えた。さて、この重大事態に竹田氏以外の関係者はどう弁明するだろうか。どう身を処すか。主たる関係者を挙げてみよう。

森喜朗東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長、同委員会名誉会長御手洗冨士夫(日本経済団体連合会名誉会長、キヤノンCEO)。同委員会の理事には、アイドル商法の頭目、秋元康の名前が目に留まる。その他多くの元スポーツ選手が名を連ねているが、彼らを責めるのはやや気の毒な面もあるだろう。

逆に絶対に忘れてはならないのは「2020東京五輪招致演説」で「過去も現在も未来も放射能はブロックされていて健康被害は皆無だ」と言い放った、常習虚偽発言癖の安倍晋三の責任である。そして「スポンサー」として「東京2020」に名を連ねる大企業群と全国紙を初めとしたマスコミ。ボランティアという名の「ただ働き」に学生を誘導する、文科省とそれに諾々と応じる大学たち。その他全ての官庁、行政組織が「東京五輪」の神輿担ぎに分担された役割を着々とこなしている。


◎[参考動画]安倍晋三総理大臣のプレゼンテーション IOC総会(ANNnewsCH 2013/09/08)

◆「欺瞞だらけ、嘘だらけ、欲得だらけ」の象徴

あちこちが尖っているので、触ると切り傷を負いそうな「東京五輪」のシンボルマーク。東京五輪は「欺瞞だらけ、嘘だらけ、欲得だらけ」を象徴し、その本質に触れようとすると怪我をするように、あえてあのように刺々しい意匠が準備されたのだろうか。護身体勢で丸まり、敵に触れさせまいとする「針ねずみ」のように「本質を尽かせない」精神的効果を狙った防御的武装形状をあのデザインから感じ取る感性は、過敏すぎか。その意図は大筋で成功しており、「復興」と何の関係もない「東京五輪」があたかも、被災地になにものか有益をもたらすような誤解と世論誘導は、マスコミ上で抜かりなく展開されている。


◎[参考動画]原発事故に関する安倍総理の答え IOC総会質疑応答(ANNnewsCH 2013/09/08)

ところがスポンサーに名を連ねる朝日新聞が被災地のひとびとを対象におこなった世論調査では「五輪は復興に結びつかない」と感じている人が過半数を越えている、との報道がある。表面上は繕えても、真実は変わらないのだ。どれほど熱心に空疎な言葉を日々流し続けても、被災地で生活苦に直面している方々にとっては、「復興五輪」などとの枕詞は現実とまったく結びつかない。事故前の原発立地などとは異なり「交付金」などで、恒常的に中毒性の「うまみ」があるわけでもない。

利用しようとしているものたちと、無自覚に利用されているひとたちを除けば「復興五輪」など、言葉を尽くして糾弾すべき道義的犯罪であり、経済的詐取である。当の被災地のひとびとは肌身にしみてそれを実感しているのだ。

私は「東京五輪」へ向けた準備が着々と進行し続けても、この道義的大犯罪への糾弾を変更したり、撤回するつもりはまったくない。騙す側は財力が豊かで、組織力も権力も有し、系列企業に勤務するひとびとの口封じを無言で強制する。純粋な競技としての「スポーツ」を纏うことにより、本音である「金儲け」、「総動員体制の強化」、「常時管理・監視社会の完成」を目的とする推進者たちの本音は、濃霧のかなたにおぼろげにしか確認できない。

美辞麗句(復興)、非政治性(スポーツ)を最大限活用しながら総動員体制は、奴らの意図に沿いますます強化が進む。乱暴に単純化すれば「東京五輪に賛成・加担することは翼賛体制に積極的に加担すること」だと決めつけることだって、社会科学的には可能だろう。

ようやくそのことにひとびとが気づくチャンスが訪れた。日常は欺瞞によって塗り固められ、真実は隠される。悪意が「聖典」を叫んでいる。天皇制とも極めて近しい問題をはらむ「東京五輪」総体の的確な理解が進めば、推進者や賛同者に対するまなざしには変化が生じるはずだ。

竹田会長が辞任に至っても疑問を呈することができない感性であれば、それは「絶望」と同程度の惨劇に等しい。


◎[参考動画]安倍総理NYで大胆発言連発「右翼と呼びたいなら・・・」(ANNnewsCH 2013/09/26)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

京都新聞から朝日新聞に購読を変更して痛感した〈新聞〉の終焉

◆京都新聞から朝日新聞に乗り換えたものの……

10年余り購読していた京都新聞から、朝日新聞へ変えた。理由は「京都新聞のレベルが低すぎる」からだ。新聞社の論調云々のはなしではなく、卑近な例をあげれば、日付と曜日を間違える。考えられないような低レベルなミスが、あまりにも多く目につき、読んでいると精神的に負荷を感じ始めたので、朝日新聞に乗り換えたわけだ。

毎日ではないが、出先や駅売りの新聞を買って読んでいる限り、朝日新聞は、「まだ読める」範疇の新聞だとの思い込みと、30年ほど前までの習慣もあり、少しはまともな新聞が読めるだろうと期待したが、これまた裏切られてしまった。

約30頁の紙面の10頁を全面広告が占めて、「新聞を読んでいる」気がしない。これは地方の特性だろうか。大都市ではこのようにけばけばしい保険や、健康サプリメント、旅行の広告などは入らないのだろうか。全誌面の3分の1に及ぶ、全面広告は、あたかも、テレビ番組で2分おきにCMが入るように、読者が「真面目に」記事を読もうとする気持ちを萎えさせる。

これでは読者が離れるのは無理もなかろう。誌面広告のターゲットは高齢者だ。当の高齢者も「これじゃあ広告の間に記事があるようなもの」とそっぽを向くのだから、総体としての紙面づくりが間違っている。値段はそのままでよいから全面広告を抜いた20頁の「新聞」を読ませてはいただけないだろうか。

◆新聞社の危機感のなさは紙面に顕著にあらわれている

新聞社の危機感のなさは紙面において顕著にあらわれている。実は朝日新聞だけではなく、全国紙も地方紙も、発行部数を年々減らしている。新聞販売店には、新聞だけではなく、家電量販店の業務兼業を進める新聞社もあると聞く。

新聞社も実は「新聞の危機」には気が付いているのだろう。そのわりには紙面の充実(権力監視や調査報道)に力が割かれている様子はうかがえず、まじめで、真にジャーナリズム魂を持った記者は、社内で居心地が悪いらしい。

新聞社という総体が希代の犯罪「東京五輪」のスポンサーに加担する道義的犯罪に手を染め、何ら悪びれた様子はない。「記者クラブ」のぬるま湯につかった若い記者は、「獲物を追う目」ではなく「そつなく仕事をこなす組織人」として振舞うことに力を注ぐ。そして知識が薄い。どっかの頓珍漢が「天皇陛下の味方です」と、聞かれもしないのに恥をさらす本音を語る題名の書籍を出していた。わたしも本音では「新聞の味方です」と言いたいし、そうであってほしいといまでも考えている。

日々目にする新聞記事の6割は、どうでもよく、2割は「なに馬鹿いってるんだ」と蹴飛ばしたい。が、残りの2割と(ここが重要なのだが)その新聞に書かれていないことから、真実や事実を推測したり、調査する動機が生まれる。わたしは、そうやって新聞を利用してきた。情報量と情報源の多様さの点で、インターネットがあれば新聞は「無くてもよい」のだが、それでも新聞紙の手触りと、その中から喚起される、注意や関心にはいまだに未練がある。

◆だからといってほかに「マシ」な選択肢があっただろうか?

このままでは新聞はなくなるだろう。読む価値がなくなってしまったから。それより早く同じ理由で週刊誌も消える可能性が大きいだろう。週刊誌を買うことはめったにないが、週刊誌の広告には、「相続の損得」や「死ぬ前にやっておくこと」、「こんな病院は疑え」、「飲んではいけない薬」とどう考えても65歳以上をターゲットにしているとしか思えない特集が並ぶ。「昭和のグラビア」で河合奈保子や中森明菜の写真を見て喜ぶ若者がいるだろうか。「死ぬまでセックス」を国民運動のように特集しているが、なんだかなぁ……。

京都新聞から朝日新聞への購読変更は失敗であった。だからといってほかに、「マシ」な選択肢があっただろうか。日刊紙の中で読み応えのある新聞は全国紙の中にはない。沖縄の沖縄タイムスと琉球新報は安心して読めるが、わたしの居住地では購読できない(ネット購読はできるらしいが)。沖縄2紙のほかにも真っ当な地方紙はあるだろうが、それらは主流ではない。

新聞も社会(どの範囲を「社会」と定義するかはデリケートな論点だが)の写し鏡だということだろうか。だとすれば、「社会」もそう遠くない将来に終焉を迎える。その兆候は皮肉なことに「新聞」の中に充分凝縮されている。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

衝撃最新刊!月刊『紙の爆弾』4月号!
田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

檻のない監獄都市・東京が2020年に向けて「強くなれ、Tokyo」と叫ぶ醜悪

「のぞき」、「隠し撮り」は犯罪とされる。それはそうだろう。見てほしいと思わない姿や、他人から勝手に撮影されることは不愉快なことだ(世に「露出狂」という性癖の方がいるが、そういう方は、他人に「みられる」こと、「びっくりさせること」に快感を感じているのであり、「露出狂」の方も「のぞき」や「隠し撮り」は歓迎しないのではないか、とあくまでも推測ではあるが想像する)。

「のぞき」も「隠し撮り」もこっそり行うのが原則だろう。「のぞく」あるいは「隠し撮る」相手にばれてしまったら、怒られるか、逃げられるかしてしまうのだから。その点まったく褒められた行為ではないけれども、まだ「のぞき」や「隠し撮り」には「やましさ」や「慎ましさ」の片鱗が感じられる。翻って以下のメッセージを読者諸氏はどう受け止められるだろうか。

東京、大阪の電車に乗ると年中「テロ特別警戒中」のアナウンスが流れる。あれがけったくそ悪くて、いつも腹が立っていたのだが、先日東京の地下鉄内でこの広告を目にした。

 

「強くなれ、Tokyo」。

「東京メトロは、犯罪などのリスクを想定し、駅のセキュリティ対策を進めています。セキュリティーカメラを駅構内へ増設し。車両内での運用も今秋から開始。」

ただでも監視カメラだらけの「監視(のぞき)」カメラがそこここに設置されているのに、さらに駅にも増設し車内まで撮影するという。地下鉄に乗ったら撮影されることを、東京メトロは広告ではなく利用者一人一人にその可否を問うべきじゃないのか。地下鉄に乗るひとのなかには、あまり人には言いたくない理由で、あるいは知られたくない行き先に行くひともいるだろう。そういう「自由」を侵害されたうえ、勝手に撮影されなければならない法的根拠はあるのだろうか。しかもこの広告には「Go beyond 2020」と訳の分からない英語が書かれている。訳は分からないが「2020」が東京五輪を指すであろうことは間違いない。

東京にお住いの皆さんや通勤通学されている皆さんは、もう日常になっているのでそうはお感じにならないかもしれないが、東京がどんどん監視強化されてゆき、都心が表面上一見「きれい」に変化してゆく様子をここ30年ほど、わたしは薄気味悪く感じており、とくに21世紀に入ってからその勢いは加速度を増しているように思う。だいたい「強くなれ、Tokyo」はそれを読んでいるかもしれない乗客を対象としたメッセージで「もっと監視しますよ」と宣言しているにほかならない。

「2020東京五輪」と題目を唱えれば、土地の不正払い下げは見逃されるし、ボランティアと称する無償労働供与も半強制できる。Dで始まる広告代理店を隠れ蓑にした政府の別働諜報機関は、既に笑いが止まらないほど利益を上げているだろう。天皇の「はとこ」である竹田恆和東京五輪招致委員長は、収賄容疑で起訴されているが、そのことはどういうわけかあまり話題にはならない。「監視カメラ」をどれほど増やしても「贈収賄犯」は見つけられないということか。

 

極端すぎるかもしれないが、檻のない監獄で死活しているようにわたしたちは監視されている。新幹線で東京駅に着くと乗り換え改札口には以前から監視カメラがあった。

いつのころからか知らないけれども、渡り鳥の一群が電線で集団休憩をしているほどに、「これでもか」と「監視カメラ」が設置されている。

カメラの解析度は飛躍的に向上しているし、撮影可能な角度も100数十度はあるのだから、こんなにも監視カメラを並べる必要が果たしてあるのだろうか。

わたしが神経質すぎるのか、Tokyoが「監視したい」欲望のほうが強烈なのか。新幹線改札口天井の監視カメラの列は、刑務所よりも密度が濃く設置されている。

誰が望んで東京五輪は招致されたのだったろう。何が本当の目的で東京五輪は準備されているのだろう。

「強くなれ、Tokyo」

この脅迫的な一語の中にその本質の一端を見る。再度、東京五輪に絶対反対の意を表明する。これ以上加害者に加担してはならない。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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『NO NUKES voice』Vol.18 特集 2019年 日本〈脱原発〉の条件

問題意識や分析能力のない記者はやがてAI記者に取って代わられる

2019年になり、すでに約1ヶ月。これからの1年も、良し悪しは別としてICTをはじめまた様々な新しい技術が登場するのであろうか。

それはメディアとて無縁ではない。インターネットをはじめとするICT技術の発達で世界各地の情報に一瞬でアクセスできるようになった。情報の受け手にすぎなかった一般市民もブログやSNSで情報を発信できるようになった。そして、今までは隠ぺいされ永遠に闇に葬られていたであろう凄惨な事件も、もはや隠し通すことは不可能となった。しばき隊内部で発生し、大手メディアや多くの「リベラリスト」たちが必死で隠そうとしていた「M君リンチ事件」(他称:「しばき隊リンチ事件」)はまさにその一例であり、事件についての説明や事件の実際の音声がネット上に拡散されることになった。

さて近年、AI(人工知能)による文章作成技術の向上に注目が集まっている。2016年に、松原仁・公立はこだて未来大学教授が率いた「きまぐれ人工知能プロジェクト 作家ですのよ」が、第3回日経「星新一賞」(日本経済新聞社主催)に4作品を応募し、作品の一部が1次審査を通過したことは、記憶に新しい。AIが小説を書くことに目覚めるというストーリーは、色々な意味で印象的であった。

小説だけではない。新聞記事もAIが執筆に加わり始めている。2016年8月13日の日経の夕刊の記事には「ワシントン・ポストがリオネジャネイロ五輪の報道で試合結果やメダル獲得数についての記事をAIによって執筆している」ということが掲載されている。さらには、NTTデータがAI技術の一つである「ディープラーニング技術」を用いた天気予報ニュース原稿の自動生成実験を、2016年9月から4カ月間にわたり実施した。実験の結果、作成されたニュース原稿はおおむね従来の気象と矛盾しないレベルに達していることが明らかとなった。

 
NTTデータ、人工知能を用いたニュース原稿の自動生成に関する実証実験を実施(2017年1月27付け日本経済新聞=NTTデータのプレスリリース)(2019/01/22閲覧)

新聞記事や行政の手続き文章、特許の出願書類などは、伝える内容が明確で文章の典型的なパターンがあるため、機械化が容易と言われる。これらの文章の自動作成は、十分な数のサンプルを集め、そのパターンをAIに学習させれば実現可能だという。

こうなるとジャーナリストや記者は、今まで以上に問題意識を持ち、コンピュータにはできない、より深い調査やフィールドワークをしていくことが重要になる。独特な切り口から報道できる能力が求められよう。単に「平凡な」記事を書くだけではAIに取って代わられる可能性もある。よく官邸や官庁の記者会見で、鋭い質問をするわけでもなく、聞き取ったことを素早くPCに入力しているだけの記者クラブの記者をテレビでよく見かける。あるいは何の疑問もなく警察から提供された情報をそのまま記事にしている記者もいるだろう。他にも、冤罪事件に対して過去の自分たちの報道の過ちを反省せず、「ボー」としているような記者もいるだろう。

このような問題意識が薄くて、深い分析ができない、あるいは分析しようとしない記者はやがてAI記者に取って代われてもおかしくない。先ほど紹介したAIによる文章作成技術とより向上した聞き取り能力(例:Android搭載のスマートフォンに「OK,Google」と呼び掛けるとそれを聞き取る)が組み合わさることによって、大臣や企業経営者などの記者会見においてAI記者がその場で瞬時に記事を作成するというケースは十分想定できる。官邸などでの記者会見では、「うまい汁の吸える」記者クラブで政権や公安当局と癒着して、望月衣塑子記者(東京新聞)のように鋭い質問も投げかけず、ただPCに書き取るだけの記者が多数派を占めているという。そのような記者はAI記者に代筆させれば十分であろう。

テレビでも似たような状況になりつつある。少し前の2018年11月に、中国の国営新華社通信ではAIアナウンサーが登場した。実在のアナウンサーの映像と声を用いて、まるで本物の人間のようなアナウンサーが製作された。このアナウンサーは24時間作動し、疲れることも読み間違えることもないという。中国語と英語に対応している。


◎[参考動画]Xinhua’s first English AI anchor makes debut(New China TV 2018/11/07公開)(2019/01/21閲覧)

このようなAIアナウンサーが普及すれば、単に原稿を読み上げるだけの人間のアナウンサーは居場所がなくなる可能性がある(バラエティー番組が主な職場のアナウンサーにはダメージは少ないかもしれない)。ニュース関係となれば、やはりAIにはできないような現地調査や分析を行う能力が今以上に必要になってくる。しかし、日本全国のニュースキャスターで今の政府や社会情勢に批判的な姿勢を持ち、鋭い分析や報道ができるような者がどれほどいるであろうか。

今度もAIをはじめとしてICT技術はメディアに何らかの影響を与えていくであろう。ネットニュースや個人が書くブログなどの普及によって、人々の情報を得る手段が多様化した。それに伴い、これまで一方的に情報を掌握していたテレビや新聞の優位は揺らいでいった。日本において新聞の年間発行部数は年々、減少している。「天下の朝日」新聞も例外ではない(「天下」といっても所詮はこの島国だけの話だが)。

AI記者・AIアナウンサーの出現という技術的な観点からも、原発事件の追及や安倍極右政権の横暴、文明間の世界秩序の再編という社会・政治的な観点からも、今こそ記者やアナウンサーには強い問題意識と優れた分析・調査能力が必要なはずである。それは公共的な視点だけではなく、彼ら自身の将来に関わる事である。

しかし、大手マスコミをはじめほとんどのメディア(の記者)は今日の社会・政治の危機的状況に対して鈍感である。そして徹底的に腐敗している。冒頭でも触れた「M君リンチ事件」はそれを決定的に証明することになった。彼らは事件を黙殺し、自らの権益を守るために凄惨な暴力も「見て見ぬふりをする」という手をとった。このような利己主義的で非情なジャーナリストなど、「中立的」でドライなAI記者によって職場から駆逐された方がましである。残念ではあるが自浄能力がない主流メディアは、いずれICT技術によってより一層追い詰められていく運命なのかもしれない。

▼Java-1QQ2
京都府出身。食品工場勤務の後、関西のIT企業に勤務。IoTやAI、ビッグデータなどのICT技術、カリフ制をめぐるイスラーム諸国の動向、大量絶滅や気候変動などの環境問題、在日外国人をめぐる情勢などに関心あり。※私にご意見やご感想がありましたら、rasta928@yahoo.ne.jpまでメールをお送りください。

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「煽り運転」裁判報道で考えたニュースの優先順位 ── なにより権力犯罪や構造的な社会不条理を解き明かせ

事故による被害者が減ることに異議はない。だからといって、そのために「今までもあったこと」がことさら新たな現象のように演出され、加害者が重罪を課されることを称揚するのは、いかがなものであろうかと思う。「煽り運転」についての議論である。


◎[参考動画]【報ステ】あおり運転で殺人罪認定 懲役16年(ANNnewsCH 2019/01/25公開)

◆「煽り運転」はいまに始まったことではない

まず、車を運転する方であれば、多くの方がご経験であろうが、高速道路や車線の多い道路を走行していると、自分が運転している車の車種(大型あるいは高価そうな車か、おとなしい庶民に人気のある車か)で、周囲、あるいは後方から追い抜きをかけてくる車の態度が明らかに違う。わたしは、これまで10台ほどの自家用車を保持したことがあったけれども、庶民性の高い(おとなしそうな)車であればあるほど、ほかの車からは軽く見られ、いわゆる「煽り運転」を受ける傾向があると感じている。

事故寸前の乱暴な運転に遭遇したのは、いずれも後方からの無理な追い抜きや、割り込みだ。そんなとき、次の赤信号で停止した乱暴な運転をする車に、やわら運転席から降りて歩み寄り、その車の運転席のガラスをノックすると、10中8、9、運転手は、腰を抜かしかけ、平謝りに頭を下げる。まさかわたしのような「紳士(!)」が運転していたなどとは思わなかったのであろう。このように運転者には車種により運転態度を変える習性が一定程度あり、この傾向はわたしの知るところ、30年前から変わらない。

なにを言いたいのかといえば、「煽り運転」は最近マスコミや警察が、頻繁に使うので、この時代に起き始めた新たな焦眉の問題のようにとらえられているけれども、呼称こそなかったものの、昔から同様の現象はあったということである。

他方、交通事故には「厳罰主義」が一定の効果を発揮することは統計も証明していて、飲酒運転の厳罰化により、飲酒運転が原因の死亡事故は激減している。交通事故による死者が1万人を下回った大きな要因は飲酒運転の厳罰化にあることは明らかであろう。それは結構なのではあるが、「煽り運転」があたかも今日的社会の最重大事件のように報道される姿勢には、疑問を投げかけざるを得ない。

◆火事や交通事故は「速報」に値するテレビニュースなのか

もちろん被害者の方が気の毒であることに異存はない。しかしながら、テレビニュースに詳しい知人によると、民放の夕方6時の全国ニュース(当然生放送)では、最近「速報」として交通事故(死亡事故でなくとも)や、火事が放送されることが増えているという。

交通事故にしろ、火事にしろ、被害を被った方はお気の毒だ。けれどもその現象がどれほど社会性をもって全国にニュースで報道されるべき性質のものであるかどうか、にわたしは疑問を抱くのである。

ひらたく言えば、交通事故や火事は、悪意によらずとも過失や、防ぎようのない原因によりにより一定割合で必ず起きる。これは自明である。他方、社会構造や、大人数の意図的な行為により引き起こされる災禍、犯罪、被害はその広がりや事件の病根が現代社会に根差しているのであるから、個別の事故よりも社会性や影響が大きく、解析や背景を明らかにする価値を有する。

◆メディアは権力犯罪や構造的な社会不条理を解き明かせ

厚労省の「毎月勤労統計」が不適切に行われていた事件や、安倍晋三が内緒で米国から山ほど要りもしない武器を購入していた事件、東京五輪の招致委員長が金銭疑惑で起訴された事件などには、多くのひとびとがに(直観はしないかもしれないが)関係する事件であり、しかも権力による意図的な行為なのであるから、個別の交通事故や火事と比較することが、実は前提から話にならないほど差があるのだ。

しかしながら、テレビだけでなく新聞も、ネットニュースも組織的な権力の問題や犯罪と、個別の事故を同等(あるいは個別の事故のほうが価値において優越しているかのように)に扱ってしまうので、世の中では倒錯が生じてしまう。交通事故や火事は努力によればまだ減らすことはできるだろうが、ゼロにはできない。人間の行為には必ずミスや間違いが伴うし、機械には必ず故障(コンピューターにも誤動作が)付き物だからだ。

そういった自明性を前提にすれば、交通事故に過剰な焦点を当てることよりも、権力犯罪や構造的な社会不条理を解き明かすことにこそ、時間やエネルギーはメディアにおいても、個人においても費やされるべきであって、そこから離れることは、権力者や組織的犯罪者の思うつぼである。「報道されることのないもの」の中にある真実や重要性を認識することは難しいが、大切な営為であると思う。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)
月刊『紙の爆弾』2019年2月号 [特集]〈ポスト平成〉に何を変えるか

会見で何も語らなかった竹田JOC会長の贈賄疑惑が日仏外交問題に発展する日

◆不正や虚偽を糺せない国

日本という国は、不正や虚偽を糺せないようになってしまったかのようだ。官僚によるデータ改ざんや公文書の廃棄など、中枢において腐食が絶えなくなっている。それは日本オリンピック委員会(JOC)においても同様であった。フランスの司法当局が予審に入ったJOC竹田恒和会長の贈賄疑惑である。すなわちシンガポールのコンサルティング会社(ブラックタイディングス社)に支払った2億3000万円の一部が、国際オリンピック委員会の関係者に流れた問題である。同社の代表の親友の父親が、IOCの選考委員だったことによる疑惑だ。これが事実なら、東京のオリンピック・パラリンピック招致は不正行為によるものだったということになる。

フランス当局の捜査は、元日産会長ゴーン氏逮捕への「報復」とも取れるものがあるにしても、問題なのは2016年にこの問題が発覚したさいに、JOCのおざなりな身内調査で事件の真相が隠蔽されてきたことだ。いや、雇われ弁護士による「違法性はない」とのお墨付きで、疑惑を不問にしてきたことである。

◆何も語らない会見

1月15日、岸記念体育館で行われた会見で、竹田会長は「わたし自身はブラックタイディングス社との契約に関して、いかなる意思決定にプロセスにも参加していない」と、責任者であることを否定し「日本の法には違反していない」と、メモを読み上げるだけで終了した。疑惑を招いたことへの遺憾の意も表明することなく、疑惑を晴らすとも言明しなかったのである。記者の質問も受け付けなかった。そもそも契約書にはJOCの責任者たる竹田会長の印判が押されているにもかかわらず、知らぬ存ぜぬと言い放つ。いや、単にメモを読み上げたのだった。こういうトップをいただく組織に、われわれは国民は血税を使わせているのだ。竹田恒和会長とは、そもそもどんな人物なのであろうか。


◎[参考動画]JOC竹田会長が会見、汚職疑惑改めて否定(日本経済新聞2019/01/15公開)

◆わが国の特権階級

竹田恒和会長は明治天皇のひ孫で、平成天皇とはハトコにあたる。いわば皇族につらなる血縁でスポーツ界に君臨しているのだ。というのも、若いころ馬術選手であった竹田会長は、自動車事故で若い女性をひき殺したことがあるのだ。事故は国体に出るために、会場に向かっていた時のことだった。この事故で竹田氏が所属していた東京都チームは、馬術競技の全種目の出場を辞退している。事故の原因は対向車のライトに目がくらんだ、竹田氏の過失責任であった。

事故は40年前の出来事だが、その本人がオリンピック委員会の会長職にあることに驚きを感じないわけにはいかない。死亡事故を起こした竹田氏は、事故から2年後に馬術競技に復帰(モントリオール大会に出場)していたのだ。そして1984年のロサンゼルスオリンピックではコーチングスタッフで参加し、バルセロナオリンピックでは選手団の代表監督を務めるなど、JOC内部で出世の道を歩んできた。そこに「宮家」の威光が働いていたとみるのが普通であろう。したがって、今回の贈賄疑惑事件の実相はこうである。生徒会の不正支出疑惑を問いただされた生徒会長が「ぼく、この問題には関わっていませんからね」と責任回避の言い訳をしているのだ。お前が責任者だ!

昨年は日大アメフト部、女子レスリング、体操女子、柔道と、アマチュアスポーツ界の組織的な腐敗や暴力問題があぶり出されてきた。東京オリンピックへの「国を挙げて」の準備過程がまさに、組織の問題点を暴露しているかのようだ。その意味では、高額な会場建設費問題などで批判の絶えない東京オリンピックも、あながち積極的な意味がないとは言えないのかもしれない。

◆出処進退をわきまえよ

いっぽう、このままフランス当局がこの贈賄事件での司法手続きを続けるとしたら、日仏間に犯罪容疑者の身柄引き渡し協定がないことから、外交問題に発展する怖れがある。あるいは身柄の引き渡しがない場合には「国際手配」されることになる。ときあたかも、フランス政府(ルノーの大株主)によるルノーと日産の統合が要望されているさなかだ。国益を考えろとは言わないが、わずかでも日本人らしい(?)恥やプライドがあるならば、即刻辞任するべきであろう。


◎[参考動画]2013年9月8日の竹田恒和招致委員会理事長のプレゼンテーション(ANNnewsCH 2013/09/07公開)

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業・雑誌編集者。主な著書に『軍師・黒田官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)、『真田一族のナゾ!』『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。医療分野の著作も多く、近著は『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

月刊『紙の爆弾』2019年2月号 [特集]〈ポスト平成〉に何を変えるか
横山茂彦『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

TBS、盗用行為があった特番「1番だけが知っている」をレギュラー番組化

TBSが10月15日から「1番だけが知っている」という新番組をスタートさせた。番組のホームページでは、その番組内容が次のように紹介されている。

・・・・・・・・・・以下、引用・・・・・・・・・・

世の中のあらゆる業界に存在する“その道のNo.1”から、「1番だけが知っている」というとっておきの物語や驚愕の人物を聞き出し、その類まれなエピソードを紹介するこの番組。過去5回の特番では、「ビートたけしが唯一勝てないと思った芸人」や「北村晴男弁護士が魂震えたリアル“99.9”裁判」などを紹介し、その内容が放送終了後にWEBニュースで取り上げられるなど大きな反響を呼んだ。

・・・・・・・・・・以上、引用・・・・・・・・・・

要するに過去5回の放送が好評だった特番について、この秋からレギュラー番組化したということだ。MCは、各テレビ局から引っ張りだこの坂上忍氏と森泉氏が務めており、TBSとしては大きな期待を込めた新番組であることが窺える。

だが、私はこの番組が商業的に失敗し、なるべく早く終了して欲しいと心から願っている。なぜなら、この番組は特番だった頃、私のツイッターへの投稿を盗用した上、TBS側は私からそのことを指摘されても、何ら誠意ある対応をしようとしないからである。

◆コピペ同然で盗用

盗用行為が行われたのは、今年5月9日に放送された5回目の特番でのことだ。その放送では、最高裁で無罪判決が出た某冤罪事件について、「北村晴男弁護士が魂震えたリアル“99.9”裁判」として紹介していたのだが(そして大きな反響を呼んだそうなのだが)、私はこの某冤罪事件を裁判の一審段階から取材しており、このデジタル鹿砦社通信など様々なメディアで冤罪だと伝える記事を書いてきた。それもあり、番組を録画して視聴したところ、その放送内容には私が過去に執筆した記事に酷似しているところが目についた。

たとえば、放送では、直近5年(2012年度~2016年度)の司法統計に基づき、最高裁で無罪判決が出る確率が0.029%(10152人中3人)だと強調していたが、それは私がこの某冤罪事件について書いた昨年6月発売の雑誌「冤罪File」第28号の記事中で直近5年(2011年度~2015年度)の司法統計に基づき、最高裁で無罪判決が出る確率が0.038%(4人÷10403人)だと強調しているのと酷似していた。

左は、TBS「1番だけが知っている」5月9日放送の一場面。私が書いた「冤罪File」第28号の記事の一部(右)と酷似している

この部分については、この番組のスタッフが私の記事を真似て制作していたのだとしても、私は問題視するつもりはない。司法統計は、最高裁が全国各地の裁判所のデータを取りまとめ、ホームページなどで公表しているものであり、それをもとに誰がどのような表現活動を行なうのも自由だからだ。

しかし放送中、私のツイッターへの投稿を盗用していた場面は看過しがたかった。

盗用されたのは、私が昨年3月14日、この番組で「リアル“99.9”裁判」として紹介された某冤罪事件の冤罪被害者の男性らが広島市で開催した集会を取材し、その会場で弁護人の男性が語った話を短くまとめ、ツイッターに投稿していた文章だ。この番組のスタッフはそれをコピペしたのと同然の形で盗用し、あたかも自分たちが独自取材によりこの弁護人の男性の話を知り得たかのように装って放送したのだ。以下のように。

私がツイッターに行なった投稿(左)と、それをTBS「1番だけが知っている」が盗用した場面(右)

左の画像は、私が行なったツイッターへの投稿で、右の画像は、この番組の放送を画像化したものだ。私が平仮名で書いていた部分について、この番組では漢字に変えられている部分もあったが、それ以外はほとんど丸ごとコピペである。念のため、文字に起こすと以下の通りである。

【私のツイッターへの投稿】
私が29年で扱った中に絶対無実と思い、無罪にならなかった事件は数十件ある。大半の人は一審で諦めたり二審で疲れ切り、精神的にも経済的にも最高裁までもたなかった。今回の無罪は嬉しいが、それらの事件には悔いがある

【「1番だけが知っている」】
私が29年で扱った中に
絶対無実と思い
無罪にならなかった事件は
数十件ある
大半の人は一審で諦めたり二審で疲れ切り
精神的にも経済的にも最高裁まで持たなかった
今回の無罪は嬉しいが
それらの事件には悔いがある

よく恥ずかしげもなくこんなことを・・・・・・と逆に感心するくらい大胆な盗用ぶりである。なお、音声の紹介は控えるが、放送では、画面に表示されているテロップはナレーターによって読み上げられている。

◆誠意の無い番組プロデューサーとTBS社長

もっとも、私はツイッターへの投稿を盗用されただけなら、正直、このようにTBSの盗用行為を公の場で批判したりしたくなかった。この番組では、冤罪被害者の男性やその家族、支援者、弁護人の男性ら私が取材でお世話になった人たちが好意的に取り上げられていたからだ。そのような番組を公の場で批判すれば、私がお世話になった人たちにまでイヤな思いをさせてしまうかもしれない。私はそうなるのを避けたかった。

また、盗用された私のツイッターへの投稿は、良いコメントを紹介しているとは思うが、良いことを言っているのは私ではなく、あくまでコメント者の弁護人の男性だ。したがって、このツイッターへの投稿について、声高に権利を主張することも正直、避けたかった。

そこで、できれば、この盗用問題は水面下で解決したいと思い、私は簡易書留の手紙でこの番組のプロデューサーであるTBSの谷沢美和氏に対し、「誠意ある対応」を求めたのだが、回答期限までに何の返事もなかった。そこで、今度はTBSテレビ社長の佐々木卓氏に対し、取材を申し入れたのが、やはり回答期限までに何の返事もなかった。そのため、私としてもこの盗用問題を公にし、全面的に批判せざるをえなくなったという次第だ。

このTBS「1番だけが知っている」の盗用問題については今後も追及を続け、適時、経過をお伝えしていく。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)
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