部落差別とは何なのか 部落の起源および近代における差別構造〈後編〉

◆三位一体論と部落解放運動

前回(11月12日)は被差別部落の起源をめぐる、井上清の功績とその後あきらかになった部落前史(古代・中世)を探究してみた。さまざまな職種の流民のほか、朝廷に結び付いていた職人集団の姿も明らかになった。それはしかし、近代の部落差別といかに結びついているのだろうか。

井上清の近代史における功績は、部落差別の根拠を明らかにした「三位一体論」であろう。部落差別は「身分」「職業」「地域」という、三つの要件で構成されているというものだ。

まずは身分である。明治4年(1871)の太政官布告(解放令=「穢多非人ノ称ヲ廃シ身分職業共平民同様トス」)で穢多解放が行なわれた。しかし百姓層の反発が大きく、明治政府は「新市民」という属性を戸籍(明治5年の壬申戸籍=現在は閲覧不可)に記すことで、身分制を温存したのである。

これらの史実から、差別意識は権力の恣意性だけではなく、民衆の意識にこそ根ざすものだといえよう。人間は差別をしたがる動物なのだ。明治中期の戸籍から「新市民」という属性は取り払われたが、在地の固定性において差別はながらく温存される。

つぎに職業である。部落民の職業は屠殺業や精肉販売業、皮革産業などに集中的で、とくに屠殺業が職業差別を受けてきた。屠殺はもともと、自家消費として各家庭でも行なわれていた(公道で死んだ牛馬を解体する権利が、穢多の特権だった)が、近代において産業化されたことで、部落差別とは相対的に独自の職業差別となっていく。すなわち屠場労働者への差別である。しかるに職業差別は清掃労働者に対するものなどもあり、これらと部落差別を同一線上で理解するのは誤りである。あくまでも部落差別は、身分差別であるとここでは指摘しておこう。

最後は地域である。部落民はその血統においてではなく、地域そのものが差別の対象になっている。70年代後半に「特殊部落地名総鑑」という書物が出版され、部落解放同盟はきびしくこれを糾弾した。部落民が自身を被差別部落出身であると宣言する「部落民宣言」は、差別に対する血の叫びとして尊重されなければならない。

そのいっぽうで、部落出身者の出自をあばくことは明確な差別行為である。同和地区が近代化され、公共住宅の家賃が極端に抑えられることなどから混住化が進んでいる。そこから部落の「解消」がもたらされるわけだが、だからこそ出自を掘り繰り返す差別も後を絶たないのである。

いずれにしても、職業や地域差による「貧困」が同和行政で「解消」されても、国民の意識の中に身分差別が温存されているかぎり、部落差別はなくならない。そうであればこそ、あらゆる機会をとらえて差別行為や差別を助長する言辞を告発し、部落差別の本質(人為性)を認識すること。そして糾弾する※ことで、社会に人権意識を広めてゆく。部落解放運動の基本はこれである。まずはここを押さえた上で、部落問題を考えていかなければならない。※糾弾権は部落民に固有の権利である。

◆表現の自由と差別

差別が表象するのは、出版・報道などの言語空間においてである。編集者や著者がナーバスになる分野といえるかもしれない。

必要なのは上述したとおり、部落差別が歴史的に形成された謂れのない差別であり、重大な人権侵害であることの認識である。そしてそれは、けっして隠蔽するようなものではなく、イデオロギー闘争として差別意識を克服する必要があることが強調されなければならない。日本のような差別的な社会の反映として、部落差別・差別意識は再生産されるからだ。

したがって、単に差別語を「使わなければよい」ということでは、けっしてないのだ。むしろ差別を助長させる言葉が文脈に顕われるのを契機に、差別と向かい合うことが肝要なのである。だから記事の文章表現においても、部落差別を想起させる言葉の使用があっても、それが部落解放の視点に立っているかどうか、ということになる。たいせつなのは「視点」であり、被差別大衆に寄り添う態度・思想である。

差別にかかわる文言を「使用禁止用語」などとして、内容を抜きに回避することこそ、差別問題を聖域化することで温存するものと言わねばならない。

◆近代における差別の構造

わたしは「日本のような差別的な社会の反映として、部落差別・差別意識は再生産される」と明確に書いた。現在ではレイシズムとして在日外国人へのヘイトクライムが横行し、コロナ禍においては感染者や医療関係者への差別、不寛容な排除の言説が行なわれている。

一部の保守派は「日本の民度は高い」などと自賛するが、これら差別の蔓延は日本社会があいかわらず、差別社会であることを冷厳に物語っているのだ。近代合理主義の定着が遅れた日本においてこそ、差別の因習は甚だしく残存しているという見方もできる。

たとえば、文化人類学的な視野から日本人は農耕社会であるがゆえに、共同体の横並び意識がある。したがって、異物や異化されたものを賤視する。あるいは劣った者を異化することで、横並びの選別意識を持っているなどと、その差別意識が解説されることがある。かならずしも間違いではないが、近代の資本制は地域共同体をほぼ解体し、その代わりに経済における差別の構造をもたらしたのだ。アトム化された諸個人においてなお、差別意識は払しょくできていない事実があるのだ。

その意味では、部落差別を封建遺制にすぎないとする安直さは批判されてしかるべきである。とりわけ、近代化と経済的な均等化において解消される、とする日本共産党の立場は決定的に誤っているといえよう。

なぜならば、部落差別ほかのあらゆる差別が景気の安全弁として機能するからだ。季節工や派遣労働者の使い捨てが、安倍政権のもとで激的に増した格差の増大を思い起こしてほしい。現代に残された部落差別は結婚差別だとされるが、経済における差別の再生産も甚だしいものがある。

部落差別および部落民の存在を経済学用語では、景気循環における相対的過剰人口の停滞的形態という。以下に、わかりやすく解説しよう。

◆競争と排除が生み出す差別

同和対策審議会答申にもとづく同和対策事業特別措置法、およびそれを継承した地域改善対策特別措置法が2002年に終了し、被差別部落をとりまく経済的環境は改善したとされる。冒頭の節で述べたとおり、同和地区における公共住宅の賃貸料の逓減による混住が進んだ。公共工事における同和対策事業枠によって、部落出身の事業者の優遇や、事業そのものによる地域環境の改善が行なわれてきた。

しかしその一方で、隠然たる差別が土木建設関連業や回収業などで行なわれているのも事実だ。そのひとつが警察による「暴力団排除条例」である。土木建設業界が暴力団組織と密接な関係にあるのは、公共事業における地元対策費(予算外の予算)によるものだが、暴力団のフロント企業と分かちがたい業者の中には部落出身者のものも少なくない。これらを一括りに排除することで、部落民の中小企業が排除される。じつは暴排条例そのものが暴力団の排除を謳いながら、同和対策事業つぶしを狙ったものでもあるのだ。

そして景気の低迷は業者間の競争を生み、競争者たちが「あのオヤジのとこは同和でっせ」と情報を流すことで、部落出身者たちを排除する。これも隠然たる差別であろう。景気循環が排除しやすい人々を競争において差別し、資本の超過利潤を生みだす労働力として、好況期には労働市場に取り込む。資本の運動は差別を必要としているのだ。

◆結婚差別および「部落の解消」

最後は問題提起である。

21世紀まで残された差別の典型として、結婚差別があるとされている。被差別地域を出てもなお、部落出身者であることを暴露される。意識的に差別を助長している人々が存在する※のも事実である。※鳥取ループなど。

それにしても、個人の血統血脈において部落出身者であることは、子々孫々まで束縛されるのだろうか。同和対策特措法が終了し、人権擁護法がそれに代わってからも、部落問題が終了したわけではない。部落出身者は部落を出てからも、出身者として差別されなければならないのだろうか。

そんな疑問を提起したのは、橋下徹元大阪(元市長)府知事の存在である。橋下氏(東京生まれ)の実家は自身が広言しているとおり東大阪八尾市の出身であり、大阪市淀川区に転じてからも同和地区で育った人だ。その橋下氏の職業は弁護士であり、出身地域から転出している。これをもって、彼の中から部落は「解消した」とは言えないだろうか。井上清の三位一体説でいえば、もはや部落差別の根拠は成立しない。

八尾市に近い同和地区で、その部落出身の娘さんが結婚差別によって自殺に追い込まれたという。その部落は同和事業対象地域(諸税の減免・公共施設の優遇・住宅料金の減免など)であることを行政に返上し、それをもって被差別部落であることを「解消」したのである。※これは筆者が現地取材で知ったことだ。

同和事業によって職業差別がなくなり、経済環境がととのった地域からも転出したのであれば、残された差別は「血統」「血脈」ということになる。この血のつながりを差別の根拠にするのは、もはや執拗な差別主義というほかにないだろう。そうであるならば部落の「解消権」というものが、果たして積極的に存在するべきなのだろうか。これが現在の疑問である。(終わり)

◎部落差別とは何なのか 部落の起源および近代における差別構造
〈前編〉  〈後編〉

◎参考URL 部落問題資料室(部落解放同盟中央本部HP)

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。医科学系の著書・共著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)『ホントに効くのかアガリスク』(鹿砦社)『走って直すガン』(徳間書店)『新ガン治療のウソと10年寿命を長くする本当の癌治療』(双葉社)『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)など。

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【カウンター大学院生リンチ事件(別称「しばき隊リンチ事件」)検証のための覚書[番外篇]】《取材班座談会》対李信恵訴訟に完勝し次のステージへ進もう!「反差別」の美名の下にやりたい放題やってきた徒輩に断罪を!鹿砦社特別取材班

 
リンチ直後の被害者大学院生M君

松岡 お久しぶりです。取材班の皆さんとは一応お願いした仕事が終わりましたので、コロナもありお声がけしていませんでした。近く鹿砦社が勝訴した名誉毀損裁判で、反訴が認められなかった李信恵が別訴となった裁判の証人尋問があります(11月24日)。今回は発行人である私ではなく、取材班キャップの田所敏夫さんに証言していただくことになりました。田所さんは、あとで触れますが、このかん体調不良で、きょうは欠席です。皆さん思うところもおありだと思いますので、この問題の総括に向けてのお話ができれば、と思います。

A  まず確認しとかなきゃいけませんね。この裁判は李信恵が鹿砦社や松岡社長を誹謗中傷する書き込みをツイッターに多数書き込み、それを「やめてくれ」という弁護士さんを通じての要請も無視され、やむにやまれず訴訟に至った。もちろん原告が鹿砦社で被告が李信恵です。大阪地裁で李信恵の不法行為が認められ全面勝利し、双方控訴した大阪高裁でも鹿砦社が勝った。李信恵は上告しましたが、どういうわけか、それを取り下げ判決は確定した。このいきさつ、結構知らない人多いと思いますよ。

B  そうですね。でも大阪司法記者クラブ(大阪地裁、高裁の記者クラブ)は鹿砦社が「記者会見を開きたい」と申し入れてもすべて門前払いでしたね。だから鹿砦社が勝っても大手メディでは報道されないから、知らない人が多いのは仕方ない面はありますね。

李信恵の暴言の一部。ほんの一部でも、よくこんなにも暴言を吐けるものです(『真実と暴力の隠蔽』巻頭グラビアより)
松岡と裁判前に喫茶店で「偶然の遭遇」をしたという李信恵の虚偽のツイート

C  まったく不公平やな。「記者クラブ」が日本の報道を骨抜きにしてきたことはもはや議論の余地もない。記者クラブに入り浸っている連中は「御用メディア」「情報カルテル」の推進者ですわ。もうここまで来たから言うけど、じつは知り合いの現役朝日新聞記者(司法とは無縁)に事情を話したら、「そんなひどいことをやってるんですか! 載せたくなければ書かなきゃいいだけですよ。求めがあったら少なくとも会見の場所は確保しないと。記者クラブが恣意的に運用されればますますメディアは信頼失いますよ」って怒ってたし、同様に共同通信の記者も「最悪の対応ですわ。言葉ありません」って内緒でメッセージくれたもんな。せやから鹿砦社が自力で「事実」を伝えなあかんかった。ゆうたら失礼やけど、これでは限界がありますわ。

D  ぜんぜん反論はないな。最初の頃、取材班のメンバーの「軽さ」に、俺はしょっちゅうキレてたけど、最近はそんなこともなくなった。突然違う話のようだけど、日本学術会議への菅の介入も広義には同根なんだろうと思う。もうあちらこちらで問題が煮詰まりすぎて、鍋の底に「コゲ」が出来てる状態じゃないかと思う。もうすぐ底に穴が開くだろうよ。コロナが冬になったらまた活性化するのは、インフルエンザの流行をを見ればわかると思うけど。この国は何をやった? 「GO TOトラベル」でしょ。あとは個人の「お行儀任せ」。冬に向かって手を打たないと大拡散するのは素人でもわかる。この「素人でもわかる」常識(?)が通じないのが2020年の現実だな。だから鹿砦社の仕事を追うメディアは、今まで出てきていない。

松岡 そうでしょうか。われわれの問いかけに対しては、少数ながらも手ごたえのある反応はあったと思いますよ。元読売新聞の山口正紀さん、『週刊金曜日』元編集長・元社長の北村肇さん(故人)、大手新聞の「押し紙」告発で有名な黒藪哲哉さん、人民新聞の山田洋一さん…。企業ルポで有名な立石泰則さんも応援してくれていますね。北村さんや立石さんは少しご存知だったようですが、他の方々は私が知らせて初めて知るに至った次第です。

D  社長!

松岡 なんでしょうか?

D  そこが社長の甘さ、と言っては失礼だけど、優しさなんですよ。現状認識の上ではね。

A  ボク、ちょっと、バイトあるからこのへんで失礼します。

D  ド阿呆! こっからが本論やんか、逃げんと最後まで座っとけ!

A  は、はい(内心:やっぱりきょう来るんじゃなかったなぁ。松岡社長とDさんが議論し出すと、入っていかれへんもん)。

松岡 Dさん。続けてください。

D  少々失礼に当たるかもしれませんが、言いますよ。われわれはこの「リンチ事件」を通して「リンチはいけない」、「暴力はいけない」以上の思想的基盤を創造しえたか、否か。私の関心はそこにしかないんです。社長の純粋な思いというか、義侠心からリンチ事件・被害者M君支援は始まりましたよね。私は全く同感だしこの仕事には価値があったと今でも思っています。だけれども、5冊も本を出したわけでしょ。大手メディアには全く無視されながら。そのことに現代というか、今日この社会が包含する問題の本質が、奇しくも出たと思う。こういう仕事をやっていてこんなことを言うと、罰当たりだけど、私は大方の組織ジャーナリズムをほぼ信用していません。それがしっかり証明されたのが、李信恵の裁判では盛大に記者会見を開くけれども、リンチ被害者M君や鹿砦社が提訴しても、勝訴してもどこも取材に来ないし、記者会見すら開かせないマスメディアの姿勢。これはどう考えても〈差別〉だし〈村八分〉です。2005年に社長が「名誉毀損」容疑で逮捕された状況よりも、個別の事情はともかく、全体では明らかに悪化している。ちなみに、その「名誉毀損」事件を神戸地検からリークされて“スクープ”した、朝日の平賀拓哉という記者は、社長からの面談要請からも逃げ回ってます。自分の記事に責任を持てないのか、と言いたいですね。

B  Dさんちょっと待ってください。お説ごもっともとワシも思うし。けど今の話には重たい課題がごちゃ混ぜになってるように思うんですわ。かといって「ほなお前、わかりやすうに説明せい!」言われてもでけへん。それも事実です。

自分ら取材通じて、だいぶ勉強させてもらいました。本100冊読むよりいろんなことが頭に入ったし。あっ、本も読みましたよ。で、ワシはあれこれ言われへんから、やはりこの問題について再度問い直したいんです。そこはDさんと同じなんですわ。

D  B、おまえどっかの寺か大学院でも入って、修行したのか? どうしたんだよ、その鋭さ! 嬉しいな。若いスタッフの成長は何よりもエネルギーになりますよね社長。

松岡 そうですね。今、BさんとDさんから重い問いが投げかけられました。私もまだ不消化な部分があるので、できるだけ早い時期に“総括本”を出そうと考えていたところです。すでに賛同してくれた5人の方が寄稿してくれています。田所さんは広島被爆二世としての症状が出たのか、療養中で、先の5冊の本で、田所さんが草稿を書いてくれたのですが、今回はそれができなくて私が草稿から書かなくてはなりません。なので、すでに寄稿してくれた5人の方には申し訳ありませんが……。必ず“総括本”は出しますよ。

一同 異議なし!(拍手)

「反差別」運動の女帝の素晴らしいツイート
同上
同上

D  おいB。久しぶりに気持ちいいから、これ終わったら、お前の好きなキャバクラ連れって行ってやるよ。

B  なにゆうてるんですか! 東通り商店街も、曽根崎も、北新地も、ワシの好きやった店どこもやってませんがな!

D  そうなんかあ……

A  本当に飲食店や接客業の方々の苦労は言葉にできませんね。ところで24日、田所さんが証言するんですよね。体調大丈夫でしょうか?

松岡 田所さんには「無理をしないでください」と伝えてありますが、田所さんが「最後の仕事をしたい」と言ってくれましたので、あとは彼に任せます。責任感の強い人だし、これまでの彼の取材や記事の実績を見れば、いくら体調が悪くても、それなりの仕事をやってくれるものと信じています。それに彼は、広島原爆投下75周年の8月6日、みずからが被爆二世であることをカミングアウトされ、これまで受けてきた差別は想像を絶するものと察します。が、確かに体調は悪くても、最近の彼には鬼気迫るものがあります。「反差別」の美名の下に散々やりたい放題の李信恵やその守護神・神原弁護士らに堂々と対峙し断罪するものと信じてやみません。少なくとも私が尋問されるよりもいいと思いますよ。私なんか、ある銀行を訴えた裁判の本人尋問で、頭に血が上って書類を投げて「なんばしよっとか!」と郷里の言葉で怒鳴るほどですので(苦笑)。彼は、そんな私と違い、意外と冷静に対処する人だよ。

C  対李信恵裁判を完勝して、来年からは新しいテーマに取り組みたいですね。

松岡 そうですね。私も来年70歳になりますのでそろそろ引退を考えています。どなたか私の後継者に名乗り出てくれる人はいないでしょうか?

(一同無言のまま帰り支度を始める)

大学院生リンチ加害者と隠蔽に加担する懲りない面々(『カウンターと暴力の病理』グラビアより)

【お知らせ!】11月24日、 対李信恵第2訴訟(大阪地裁)、いよいよ最大のヤマ場、李信恵さんと田所敏夫(取材班キャップ。鹿砦社側証人)の尋問!

対李信恵第2訴訟(大阪地裁)、つまり李信恵さんが鹿砦社に「クソ鹿砦社」「鹿砦社はクソ」等々と散々誹謗中傷した訴訟(鹿砦社の勝訴)に対し、訴訟の最終局面になって反訴してきた訴訟(裁判所は別個の訴訟として処置)について次のように本人(証人)尋問が行われます。これまで、論点整理として非公開で審理が進められてきましたが、次回期日は公開の本人(証人)尋問です。多くの皆様の傍聴を要請します。

〈1〉尋問期日(11月24日火曜午前11時)
〈2〉法廷番号は1007号です。10階の法廷はちょっと大きめだったような気がします。
〈3〉裁判所書記官(24民事部合議2ニ係)yによれば、「整理券を配ったりする予定はない。」とのことでした。
〈4〉当日の予定は下記のとおりです。
  午前11時~   田所敏夫(取材班キャップ。鹿砦社側証人)尋問
  午後1時20分~ 李信恵本人尋問

李信恵さんが法廷に出て来るのは、おそらくこれが最後かな、と思います。
ぜひ傍聴お願いいたします。

《関連過去記事カテゴリー》
 M君リンチ事件 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=62

眞子内親王の婚儀に光明 愛は「天皇制の呪縛」に勝ったのか?

◆内親王が文書を発表

宮内庁は11月13日に、秋篠宮家の長女眞子内親王(29)と小室圭氏(29)の結婚について、内親王の気持ちをまとめた文書を公表した。

このなかで、眞子内親王は「結婚は、私たちにとって自分たちの心を大切に守りながら生きていくために必要な選択です」と強い意志を記している。しかしながら、結婚の儀の予定は「現在、具体的なものをお知らせすることは難しい状況」としている。


◎[参考動画]眞子さま お気持ちを発表 結婚は「必要な選択」(ANNnewsCH 2020年11月13日)

これを受けて、秋篠宮家および天皇陛下、上皇陛下ともに、内親王の意志を認めている(尊重して静かに見守る)という。これで今年に予定されていた婚儀は、来年以降となることが確実となった。文面は以下のとおりだ。

「一昨年の2月7日に、私と小室圭さんの結婚とそれに関わる諸行事を、皇室にとって重要な一連のお儀式が滞りなく終了したあとの本年に延期することをお知らせいたしました。新型コロナウイルスの影響が続く中ではありますが、11月8日に立皇嗣の礼が終わった今、両親の理解を得たうえで、あらためて私たちの気持ちをお伝えいたしたく思います。前回は、行事や結婚後の生活について十分な準備を行う時間的余裕がないことが延期の理由である旨をお伝えいたしました。それから今日までの間、私たちは、自分たちの結婚およびその後の生活がどうあるべきかを今一度考えるとともに、さまざまなことを話し合いながら過ごしてまいりました。私たちの気持ちを思いやり、温かく見守ってくださっている方々がいらっしゃいますことを、心よりありがたく思っております。一方で、私たち2人がこの結婚に関してどのように考えているのかが伝わらない状況が長く続き、心配されている方々もいらっしゃると思います。また、さまざまな理由からこの結婚について否定的に考えている方がいらっしゃることも承知しております。しかし、私たちにとっては、お互いこそが幸せなときも不幸せなときも寄り添い合えるかけがえのない存在であり、結婚は、私たちにとって自分たちの心を大切に守りながら生きていくために必要な選択です。今後の予定などについては、今の時点で具体的なものをお知らせすることは難しい状況ですが、結婚に向けて私たちそれぞれが自身の家族とも相談をしながら進んでまいりたいと思っております。このたび私がこの文書を公表するにあたり、天皇皇后両陛下と上皇上皇后両陛下にご報告を申し上げました。天皇皇后両陛下と上皇上皇后両陛下が私の気持ちを尊重して静かにお見守りくださっていることに深く感謝申し上げております」

いっぽう、ニューヨークのフォーダム大学に留学中の小室圭氏は、10月5日に29歳の誕生日を迎えた。2018年8月に渡米し、ニューヨーク州の弁護士資格の取得を目指す小室氏は、来年の夏には卒業の見込みである。現在は3年にわたる留学の最終年ということになる。

小室氏は成績も上位に入り、論文が法律専門誌に掲載されるという快挙も達成している。すなわち、ニューヨーク州弁護士会のビジネス法部門が刊行する『NY Business Law Journal』(19年夏号)に、学生ながら論文が掲載されたのである。査読のある論文が専門誌に掲載されるということは、たとえば小室氏が大学院の博士課程の単位を取得した場合、博士論文を執筆する資格が得られるのだ。弁護士資格はもちろんのこと、アメリカの法学界に位置を占めることも可能なのである。

◆反対派が画策する「なりふり構わない“強行策”」

いずれににても、メディアによる小室氏の母親の「400万円の借金問題」が障壁になっていた婚儀は、皇室全体の理解を得られたことになる。

既報のとおり、秋篠宮家においては、11月8日に「立皇嗣(りっこうし)の礼」が無事に終わり、眞子内親王の動静が注目されるところとなっていた。

というのも、今年9月に紀子妃は誕生日の文書に「長女の気持ちをできる限り尊重したいと思っております」と記し、眞子内親王の気持ちに大きく歩み寄っていたからだ。

しかしながら、小室氏との結婚にたいしての秋篠宮夫妻の考えは、あまり変わっていないという観測もある。つまり否定的なものがあるというのだ。

「たしかに紀子さまは、コロナ禍のステイホーム期間を利用し、眞子さまとの親子関係改善に努められてきました。紀子さまが呼びかけられた防護服づくりのボランティアや専門家とのオンライン懇談に、眞子さまも参加されたのです。その結果、一時は“対話拒否”状態だった眞子さまもだんだんと耳をかたむけるようになられたのですが、これも紀子さまの作戦といえます。儀式の延期により “結婚宣言”を先延ばしにしつつ、眞子さまが小室さんとの結婚を諦めるよう、紀子さまは地道な説得を続けてこられたのです」(宮内庁関係者、11月13日「女性自身」オンライン)。

こうしたコメントを、秋篠宮夫妻の真意と取るのか、宮内庁の「空気」と読むのかは難しいところだ。宮内庁関係者はこう続けている。

「眞子さまの小室さんを思うお気持ちは、紀子さまが想像されていた以上に揺るぎないものだったのです。紀子さまは9月の文書で、眞子さまとの対話は『共感したり意見が違ったりすることもあります』と語られていますが、その後、どんなに対話を重ねても“意見の違い”は埋まらなかったのです。むしろ、紀子さまの露骨ともいえる引き延ばし策に気づかれた眞子さまは、不信感を強めていらっしゃいます。眞子さまは小室さんとの結婚という悲願をかなえるため、なりふり構わない“強行策”を準備されているようです」(前出)。

思わせぶりなコメントだが、根拠はないでもない。

女性皇族の結婚はそもそも私的な事柄であって、「納采の儀」や「告期の儀」も宮家の私的な行事である。男性皇族の結婚とは違って、皇室会議にはかる必要もないのだ。

つまり「なりふり構わない“強行策”」とは、本通信で何度か指摘してきたとおり、皇族離脱をもって自由結婚をすることにほかならない。

だが、今回の秋篠宮夫妻が眞子内親王の意志を尊重することをもって、二人の自由恋愛結婚は何はばかることなく実現されるのだ。上記の宮内庁関係者の「なりふり構わない“強行策”」なる「杞憂」こそが、婚儀反対派の代弁にほかならないことを、ここから先の婚儀手続きの進行は明らかにすることだろう。

そして「ふたりの愛」は宮内庁内部の守旧派、皇室ジャーナリズム内部の墨守派に「勝った」のだと指摘しておこう。

この「愛の勝利」は皇室および皇族をいっそう民主化し、天皇制そのものが激変する可能性を胎動させる。敬宮愛子内親王が天皇に即位する可能性、悠仁親王にたいする秋篠宮家の自由主義教育に批判的な勢力の、おびえる姿が見えるようだ。

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。医科学系の著書・共著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)『ホントに効くのかアガリスク』(鹿砦社)『走って直すガン』(徳間書店)『新ガン治療のウソと10年寿命を長くする本当の癌治療』(双葉社)『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)など。

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《NO NUKES voice》 116カ月目の飯舘村はいま …… 飯舘村の〝測定の鬼〟伊藤延由さんが「杉岡村長」に期待すること 民の声新聞・鈴木博喜

6期24年にわたって〝君臨〟した菅野典雄(かんの のりお)氏が勇退。元役場職員の杉岡誠(すぎおか まこと)氏が新たな村長に就任した飯舘村。原発事故発災から9年半が経ち、放射能汚染や被曝リスクに関する報道は激減。それを表だって口にする人も減った。その流れに抗うように空間線量率や土壌の放射能濃度を測り続けているのが伊藤延由(いとう のぶよし)さんだ。周囲から〝測定の鬼〟と一目置かれる伊藤さんは40代の杉岡村長に何を期待するのか。

「汚染や被曝リスクについて、役場はきちんと情報公開するべきです。われわれ、じじばばと比べると子どもは放射線に対する感受性が20倍も30倍も高いんですよ。そういう話を村民にきちんとして、その上で一人一人が判断するべきなんです。リスクについてきちんと説明して、そこから先は自己判断で良いと思います。だって、あそこで採ったイノハナは1万Bq/kg、サクラシメジは2万3000Bq/kgですよ。もちろん、キノコの種類によっても地形によっても土の種類によっても放射能濃度は異なりますが、それが原発事故から9年7カ月経った飯舘村の実情です」

杉岡村長が初登庁した10月27日朝、伊藤さんは村役場の駐車場で周囲を見渡しながらそう話した。

「新しい村長は放射能汚染と被曝リスクについてきちんと情報発信して欲しい」と期待する伊藤延由さん

震災・原発事故の発生以来、一貫して村政を担って来た菅野典雄氏はこれまで、「放射線に対する考え方は百人百様」と口では言いながら、被曝リスクに正面から向き合って来なかった。

一方で、「全村避難をさせられた我々は被害者。しかし、(加害者側にも)出来ない事はいっぱいある。加害者と被害者という立場だけでは物事は進まない」と公言。原発事故の加害当事者である国や東電についても「道路整備にお金を充てようとするなど、一生懸命に国は考えてくれた」、「東京電力さんは今日も駐車場の整理をしてくれている」(2017年1月の「いいたて村民ふれあい集会」での発言)と口にして来た。

月刊誌『自然と人間』(自然と人間社)2017年5月号に掲載されたインタビューでも、村の復興について「まず住民の被害者意識をどれだけ取り払うことができるか」、「『箱物行政』と批判したければいくらでも言ってください」、「国からも東電からもかなりのことをやってもらっています」と語っている。その時点での村の汚染や被曝リスクについては盛り込まれていなかった。

だからこそ、伊藤さんは「まずは情報公開だ」と語る。

「『放射能に対する考え方は100人いれば100通りある』は前村長の菅野典雄さんの言いぐさ。『伊藤さん、あんたが言っている事が全部正しいってわけじゃ無いんだからね』とも言われたよ。でも、だったら菅野さんが言うのも正しくないよね。要は、この放射能環境をどう見るかという事です。私自身が村で暮らしていて言うのも何だけど、本来、飯舘村には人が住んじゃいけないでしょ。『帰還困難区域の長泥を除染しないで避難指示解除する』という事だけがクローズアップされているけれど、じゃあ、他の19行政区は良いのかとなってしまう」

汚染や被曝リスクに向き合ってこなかった前村長の菅野典雄氏

飯舘村は2017年3月31日、全20行政区のうち長泥行政区を除く19行政区の避難指示が解除された。では「避難指示解除」イコール「被曝リスクゼロ」なのか。伊藤さんは疑問視している。

「長泥を除染しないで解除する、というのは逆の意味で全然問題無いんです。実は他の19行政区の土壌を測ると、汚染レベルは長泥と同じなんですよ。特に山の環境はね。だから飯舘村そのものが汚染されているんです。山を歩いてみてください。学校裏で採れたサクラシメジやイノハナの土を測ると9万Bq/kgですよ。19行政区の平均は4万2000Bq/kg。長泥はさすがに若干高くて4万7000Bq/kg。それくらいの差しか無いんですよ。だから飯舘村の放射能環境って本来、ものすごく悪いんです。今度の村長は『放射線防護の三原則についてはしっかり学んできました』と言っているので、きちんとやってくれると思って期待しています」

もちろん、前村長の言う通り、放射線による被曝リスクについての考え方は人それぞれ。そして、情報の出し方についても様々な考え方がある。ある村民は「俺はあんまりきっちりやってもらいたくねえ。あんまり情報公開されちゃうと、復興が止まっちまうもん。全然進まなくなるもん。悪い情報って本当に伝わりやすいからなあ」と苦笑した。それでも、伊藤さんは「村民の自己判断のためにも現状をきちんと発信するべきだ」と語る。

「『変な情報発信する事によって風評被害を招く』は内堀雅雄知事の決め台詞。『風評被害、風評被害』ってね。でも、やっぱり事実は事実としてきちんと情報公開をするというのが大前提ですよ。その上で『自生の山菜やキノコは食べないでください』、『食べてはいけない理由はこうですよ』と。杉岡村長には、そういう事を役場職員とか村議会議員に教育して欲しいんだ。これまでの村長は『私は放射能については勉強してませんから』と言っちゃう人だったから。だったら勉強しろよって思う。村民は放射能の被害を感じていないんですよ。色も形も匂いも無いから。法に基づいた情報公開をきちんとやって、どう判断するかという知識も住民に与えるというのが原発事故被災自治体の果たすべき責任だと思います。そこから先は自己判断。人それぞれで良いと思う。それすらやらないで、悪い事ばかり言われるから情報を出さないのは違うと思う」

村政を担う以上、被曝リスクばかり重視するわけにはいかない事も理解している。「もし杉岡村長が僕のような考えで進めたら村そのものが成り立たない」と伊藤さん。「ただ、看板などで被曝リスクについて注意喚起をする事は出来るでしょう。杉岡村長の言う『情報公開』の中にはそういうものも含まれると思いますよ」

杉岡村長は役場に初登庁した10月27日、筆者に次のように答えた。

「私は(日本大学理工学部物理学科で)物理学をやってきた人間なので、そこにもの(放射性物質)があるという事をきちんと認識をして、放射線防護の三原則(被曝時間の短縮、遮へい、線源との距離)がありますが、それを皆がきちんと知識として持ちながら、作物への吸収抑制なども知らないでやるのではなくて知った上で自分たちの努力を積み重ねていく事が必要だと考えています。もちろん情報はきちんと出します。もちろん情報公開します。情報を一方的に出すだけだと『どうすれば良いんだ』という話になりますので、情報はしっかり出すが、その情報の捉え方や対策方法なども一緒に発信していきたい」

今日も村の現実を測り続ける伊藤さん。新しい村長は放射能汚染の現実ときちんと向き合うのか。厳しい眼差しでみつめている。

新たに村長に就任した杉岡誠氏は、汚染や被曝リスクに関する情報発信を約束した

▼鈴木博喜(すずき ひろき)

神奈川県横須賀市生まれ、48歳。地方紙記者を経て、2011年より「民の声新聞」発行人。高速バスで福島県中通りに通いながら、原発事故に伴う被曝問題を中心に避難者訴訟や避難者支援問題、〝復興五輪〟、台風19号水害などの取材を続けている。記事は http://taminokoeshimbun.blog.fc2.com/ で無料で読めます。氏名などの登録は不要。取材費の応援(カンパ)は大歓迎です。

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部落差別とは何なのか 部落の起源および近代における差別構造〈前編〉

◆被差別部落の歴史、起源を学ぶということ

部落差別が謂(いわ)れのない差別であること、人為的なつくられた身分制の残滓であることを知るには、その起源を知る必要がある。そしてこれも前提になることだが、部落差別は顕在化することでその本質が明らかになり、差別に反対する人権意識をもって、はじめて差別をなくす地点に立つことができる。そのためにも、部落の起源と歴史を学ぶことが必要なのである。

『紙の爆弾』9月号において、差別を助長する表現があったと、部落解放同盟から指摘された。※詳細は同誌11月号、および本通信2020年10月7日《月刊『紙の爆弾』11月号、本日発売! 9月号の記事に対して解放同盟から「差別を助長する」と指摘された「士農工商ルポライター稼業」について検証記事の連載開始! 鹿砦社代表 松岡利康」》参照

解放同盟の指摘、指導とは別個に、本通信においても表現にたずさわる者として大いに議論することが求められるであろう。差別は差別的な社会の反映であり、われわれ一人ひとりも、そこから自由ではないからだ。まさに差別は、われわれの意識の中にこそある。そこで不肖ながら、多少は部落解放運動に関わった者として、議論の先鞭をつけることにしたい。

月刊『紙の爆弾』2020年11月号より
月刊『紙の爆弾』2020年11月号より

◆被差別部落の起源はいつだったのか?

 
井上清『部落の歴史と解放理論』(1969年田畑書店)

わたしの世代(70年代後半に学生時代)は、部落問題の基本文献といえば井上清(日本史学・当時京大教授)の『部落の歴史と解放理論』(田畑書店)だった。

井上清は講座派マルクス主義(戦前の共産党系)の学者だが、思想的には中国派と目されていた。したがって、共産党中央とは政治見解を同じくせず、政治的には部落解放同盟に近かった。全共闘運動、三派系全学連を支持したことでも知られる。

その歴史観は階級闘争史観であり、部落の起源を近世権力(豊臣秀吉・徳川家康)の政策に求めるものだった。もともと産業の分業過程で分化していた地域的な集団や職能集団、あるいは漂泊していた集団を、政治権力が戦略的に配置することで被差別部落が発生した、とするものだ。

国境防衛(区分)のいっぽうで、領主権力と農民一揆の相克を外化(外に転嫁する)する「階級闘争の沈め石」として、被差別部落が必要とされたとする。このあたりが階級闘争史観の真骨頂であろう。土地と民衆は一体であり、それゆえに土地の支配が身分制と結びつく。

それゆえに、部落の本質は政治権力によって人為的に作られたとするものだ。なるほど身分社会の形成は、武士と百姓の分離は秀吉の刀狩にはじまり、家康の儒教的統制によって完成する。この儒教的統制とは、世襲による身分の固定化である。したがって身分社会の完成は江戸時代の産物であり、このかぎりで井上理論は間違っていない。穢多身分の集団が牛馬の処理を専業とする、職能と身分、居住地の固定が行なわれたのだ。

 
柳田国男『被差別民とはなにか 非常民の民俗学』(2017年河出書房新社)

いっぽうで、被差別部落を主要な生産関係からの排除とする、経済的な形成理由も明白だ。近世権力は民衆の漂泊をゆるさず、上記のとおり戦略的に土地に縛り付ける「定住化」をうながした。漂泊していた集団が新たに定住化するには、しかし農業耕作に向かない劣悪な土地しか残されていない。おのずとその集団は貧窮するのだ。貧窮が差別につながるのは言うまでもない。この立論は柳田国男によるものだ。柳田は賤民の誕生を「漂泊か定住にある」とする(『所謂特殊部落ノ種類』)

ただし、職業の分化は古代にさかのぼる。律令により貴族階級の職階、およびそれに従属した職能集団(部民)の形成である。

中世には民衆の職業分化も、流動的な職能集団の中から発生してくる。流民的な芸能集団や工芸職人集団、あるいは神人と呼ばれる寺社に従属する集団。なかでも仏教全盛時代に牛馬の遺体の処理、すなわち穢れにかかわる職能が卑賎視されるのは自然なことだった。その意味で、部落の起源を中世にさかのぼるのは必然的であった。

これらの職能集団が江戸期に穢多あるいは非人として、百姓の身分外に置かれるようになるのだ。ちなみにここで言う「百姓」は、今日のわれわれが考える農民という意味ではない。百の姓すなわち民衆全体を指すのである。百の姓とは、さまざまな職業という謂いなのだ。つまり農民も商人も、そして手工業者も「百姓」なのである。

◆非人は特権層でもあった

ところで「士農工商」という言葉は、現在では近代(明治以降)の概念だとされている。少なくとも文献的には、江戸時代に「士農工商」は存在しないという。したがって「士農工商穢多非人」という定型概念も、明治以降のものであろう。

じつは江戸時代には、士分(武士)と百姓(一般民)の違いしかなかったのだ。人別帳外に公家や医師、神人、そして穢多・非人があった。この人別帳とは、宗門改め人別帳(宗門台帳)である。最初はキリシタン取り締まりの人別帳だったが、のちには徴税の根拠となり、現代の戸籍と考えてもいいだろう。

そしてその人別帳外の身分は、幕府によって別個に統制を受けていた(公家諸法度・寺院諸法度など)。

穢多・非人が江戸時代の産物でなければ、どこからやって来たのだろうか。穢多・非人の語源をさぐって、ふたたび中世へ、さらには古代へとさかのぼろう。

 
網野善彦『中世の非人と遊女』(2005年講談社学術文庫)

一般に非人は、非人頭(悲田院年寄・祇園社・興福寺・南宮大社など)が支配する非人小屋に属し、小屋主(非人小頭・非人小屋頭)の配下に編成されていた。いわば寺社に固有の集団だったのだ。神社に固有の「犬神人」と同義かは、よくわかっていない。

網野善彦の『中世の非人と遊女』(講談社学術文庫)によれば、非人の一部は寄人や神人として、朝廷に直属する特殊技能をもった職人集団でもあった。これを禁裏供御人(きんりくごにん)という。朝廷に商品を供給する職人だったのだ。

その意味では、一般の百姓(公民)とは区別されて、朝廷に仕える特権のいっぽう、それゆえに百姓から賤視(嫉妬?)される存在でもあった。この場合の賤視は、少なからず羨(うらや)みをふくんでいただろう。

非人はそのほかにも、罪をえて非人に落とされるものがあり、非人手下と呼ばれる。無宿の者は、野非人や無宿非人と呼ばれる。江戸時代は無宿そのものが罪であり、江戸市中に入ることは許されなかったのだ。

笹沢佐保の「木枯らし紋次郎」で、紋次郎が江戸に足を踏み入れてしまい、夕刻に各辻の木戸が閉まる前に脱出しようと焦るシーンがある。笹沢佐保は時代考証にすぐれた人で、無宿者が夜間の江戸市中に存在できないことを知っていたのだ。


◎[参考動画]木枯し紋次郎 食事シーン

◆「餌とり」が語源だった

さて、近世部落の起源とされるのは、非人(広義の意味)のうち、穢多と呼ばれる集団である。江戸期の穢多は身分制(儒教的世襲制)の外側にある存在で、上記の非人とは異なり幕府および領主権力の直接統制を受けていたとされる。かれらは検断(地方警察)や獄吏など、幕藩体制下の警察権の末端でもあった。

穢多が逃亡農民や古代被征服民という俗説もあるが、史料的な根拠にとぼしい。なかでも異民族(人種)説は部落解放同盟から批判され、ゆえに「部落人民」という表現ではなく「部落大衆」「被差別部落大衆」という表現が適切とされる。われわれ日本人全体が、古代からの先住民と渡来人の混在、混血した存在であると考えられているように、人種的には部落民も同じである。異民族説を採った場合、そもそも日本人とは何なのかということになる。上記のとおり、日本人も「異民族の雑種」である。それでは、穢多の語源は何なのだろうか。

 
辻本正教『ケガレ意識と部落差別を考える』(1999年解放出版社)

文献的には『名語記』(鎌倉期)に「河原の辺に住して牛馬を食する人をゑたとなつく、如何」「ゑたは餌取也。ゑとりをゑたといへる也」と記されている。

同時代の『塵袋』には「根本は餌取と云ふへき歟。餌と云ふは、ししむら鷹の餌を云ふなるへし」とある。ようするに「餌とり」から「えとり」そして「えた」である。

この「餌とり」とは、律令制における雑戸(手工業の集団)のひとつ、兵部省の主鷹司(しゅようし)に属していたとされる。

つまり、もとは鷹などの餌を取る職種を意味していたのだ。それが転じて、殺生をする職業全般が穢多と呼ばれるようになったものだ。『塵袋』にあるとおり、狩猟文化と密接な関係を持つ人々を指して「えた」と呼ぶようになったのである。

そしてそれが、穢れが多い仕事をする「穢多」という漢字をあてたと考えられる。

穢多の語源については、別の考察もある。辻本正教は『ケガレ意識と部落差別を考える』(解放出版社)において、穢(え)は戉(まさかり)で肉を切るという意味で、「多」がその「肉」という意味であるとしている。

いずれにしても、古代・中世の穢多は職業分化に根ざすものといえよう。近世において、定住化による差別が顕在化する。人為的につくられた分断と反目、政治的に仕掛けられた差別というとらえ方を前提に、近代における差別構造を考えていこう。(つづく)

◎部落差別とは何なのか 部落の起源および近代における差別構造
〈前編〉  〈後編〉

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。医科学系の著書・共著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)『ホントに効くのかアガリスク』(鹿砦社)『走って直すガン』(徳間書店)『新ガン治療のウソと10年寿命を長くする本当の癌治療』(双葉社)『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)など。

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大阪市の金と権限を奪おうとする大阪維新の野望を打ち砕け! 「西成特区構想」が推し進める野宿者の強制排除に反対しよう! 尾崎美代子

「西成のいろいろ問題あるところに、僕と橋下さん二人揃って課題一つ一つを解決してきた。新今宮駅の周辺はガラッと景色は変わります。労働センターの建て替えも決まった。あれは難しかった。関係者がいっぱいいたから。でも僕と橋下が直接会議に出て意見をまとめ決まりました。(略)あのへんは無茶苦茶大阪の拠点に変わっていきます。問題あるところに真正面に向き合ってこなかったのが、10年前の府と市でした。(府市)ひとつにまとめて機能を強化して、ありとあらゆる問題に対峙すればよくなるという見本がこの西成なんです。」

2度目の住民投票で負けた大阪維新の松井一郎市長が、一年前の3月28日、西成区役所前で行った演説の一部だ。大阪維新の党是でありながら、2度も否決された「大阪都構想」だが、これと深くリンクする「西成特区構想」はいまだ進行中で、あいりん総合センター(以下センター)周辺の野宿者に対する強制立ち退きが一刻一刻と迫っている。

閉鎖された「あいりん総合センター」北側、野宿者の生活がある
同上

◆橋下の「西成をえこひいきする」から始まった西成特区構想

「西成特区構想」は、2012年橋下徹氏が市長就任直後、「西成をえこひいきする」「西成が変われば大阪が変わる」として始まった。学習院大学教授で経済学が専門の鈴木亘氏が、特別顧問となりプロジェクトチームを発足、2014年9月から始まった「まちづくり検討会議」では委員に選ばれた地元の労働組合、NPO団体、市民団体、町内会などを中心に討議が進められ、その後有識者や委員たちだけの非公開の「会議」で、センター建て替えが決められた。

問題は、建て替え後のセンターに、これまで労働者や野宿者が使えた様々な施設・設備などがない上に、野宿者が昼間ゆったり横になれるスペースがないことだ。解体後に残った広大な跡地には、屋台村や観光バス、タクシーの駐車場などを作るとの案も出たという。橋下氏が「(再開発のために、労働者には)がまんしてもらう」と公言した通りの西成特区構想、誰が「えこひいき」され、だれが排除されるのかは明らかだ。

◆「西成特区構想」で排除された労働者、野宿者

建て替えのためのセンター閉鎖が、冒頭の松井市長の演説の2日後に予定されていた。しかし3月31日、センター閉鎖は「センター閉めるな」と訴える大勢の労働者や支援者らの力でかなわず、強制排除される4月24日まで自主管理が続けられた。

2度も否決された「都構想」を、先行的に実施しようと企まれたのが西成徳構想であることは松井氏の演説からも明らかだ。

確かにそれまで釜ケ崎では、大阪市が民生・福祉、大阪府が労働と分けられ、不景気で野宿者が増えた際には「福祉(市)の問題だ」「いや、労働(府)の問題だ」とやりあう場面もあった。しかしこうした貧困問題や野宿問題は、府と市がともに国にかけあい解決すべき問題であり、労働者や野宿者を排除し、センターを解体し、残った土地で大儲けしようという「西成特区構想」で解決する話ではないはずだ。

◆南海電鉄の耐震偽装事件で明らかになった「西成特区構想」

センターの建て替えに反対する住民訴訟では、センターとあいりん職安の仮庁舎が、安全性が保証されない南海電鉄高架下に建設されたこと、合理的な理由がないにもかかわらず、南海辰村建設と随意契約したことの違法性などを争っている。

原告が、センター仮庁舎の北側の6本の柱を非破壊検査(電磁波レーダー法)で検査してもらった結果、南海が「入っている」と言っていた鉄骨が入っていないことが判明した。未曽有の被害を出した1995年阪神淡路大震災のあと、近畿運輸局はすべての鉄道会社に対して、既存のRC(鉄筋コンクリート)柱に緊急耐震補強措置を取るよう求めてきた。

南海電鉄もその対象だが、おおむね5年とされた実施期間を25年以上経過したここ数年、ようやく「鋼板巻き立て工法」による耐震補強工事を実施してきた。しかしほかで行われた耐震補強工事が、仮庁舎周辺では行われていない。これについて南海電鉄は裁判で「このエリアはRC柱ではなく、SRC(鉄筋鉄骨コンクリート)柱であるため、緊急耐震補強の対象外だ」と反論し、「鉄骨が入っている」と示すイラストを証拠提出していた。

しかし今回の調査で鉄骨が入っていないことが判明した。中央自動車道の耐震補強工事で鉄筋が8本不足する手抜き工事が発覚し、国会で森ゆうこ議員が「第二の耐震偽装事件」と告発した。南海の件も同様だ! センターの建て替えはそもそも「耐震性に問題がある」として始まったのに、毎日数十万人の利用者がおり、その高架下の仮庁舎には大勢の労働者が出入りし、職員が働く仮庁舎があるのだ。南海電鉄は次回裁判で「事実」を明らかにすべきだ。

南海電鉄高架下仮庁舎には毎日多くの労働者が集まる。上を走る電車は大丈夫なのか?
阪神高速道路神戸線(神戸市東灘区深江本町)(1995年3月3日発行「アサヒグラフ」)。このあと近畿運輸局よりRC構造柱への耐震補強工事が要請されていた

◆勝手に作った「悪者」バッシングに始まり、利権を奪おうとする「西成特区構想」

2度も否決された「都構想」では、「二重行政」「既得権益」などが「悪者」としてやりだまにあげられた。二重行政などはどこにでもある話で、きちんと討議して解消すれば済む話だ。

西成特区構想も同様に「ゴミの不法投棄」「生活保護者の増大」などがやりだまにあげられた。まちづくり会議の座長を務めた鈴木氏はインタビューで「改革が始める前は、猛烈に荒れており、そこらへんで堂々と覚せい剤を打っている売人がいたり、不法投棄ゴミが散乱していたりと、それは荒んだ町でした。ゴミと酒と立小便の異臭が立ち込めていたのです」とこの町と町の住民をこけ落とした。

しかし労働者がずぼらでゴミが散乱しているのではない。三角公園や阪堺電車沿いには、明らかに地域外から持ち込まれたゴミも多かったし、そもそもゴミ置き場を置いたら片付く話だ。生活保護者が増えることの何が悪いのだろうか。1970年日本万博の建設工事のために、「国策」で全国から集めた単身労働者が、高齢化し生活保護を受けるようになっただけで、悪いことでは決してない。「生活保護バッシング」が凄まじいほかの地域に比べ、この地域では皆が堂々と生活できる。障害がある人、罪を犯して服役してきた人も同様に、堂々と生活できる、こんな人情味のある町はほかにないだろう。それをわざわざ潰し、一部の人が儲けようというのが、大阪維新の「西成特区構想」だ。

7億5千万円もの血税をつぎ込んだ仮庁舎は、柱に鉄骨が入ってないだけではなく、開業2ケ月で天井から雨漏りする手抜き・欠陥工事も判明している。しかも同規模の仮庁舎建設費用と比較しても、べらぼうに高い。差額はどこへ流れたのだ。これが橋下氏のいう「大阪市の金と権限をむしりとる」都構想とリンクする西成徳構想の実態だ。

大阪市を解体し、大阪市の金と権限を奪おうとした「都構想」に反対した皆さん、どうかこの人情味あふれる釜ヶ崎を守る闘いにご注目ください。

▼尾崎美代子(おざき みよこ)

新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

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原発なき社会を求めて NO NUKES voice Vol.25

学術会議問題を収拾できなければ、政治危機をまねく危機感から研究者たちを「扇動者」呼ばわりする菅義偉首相のポンコツ答弁 横山茂彦

臨時国会の予算委員会を終えて、日本学術会議の会員任命拒否の問題点が明らかになったので、整理して論点をまとめておこう。

「総合的・俯瞰的な観点から任命を考えたということです」「会員と結びつきのある任命を従来の会員任命を既得権と考えて、任命権者として判断したということです」「憲法15条第1項の公務員の任命権」と、オウムのように繰り返すしかなかったのが菅総理の答弁である。そして新たに、内閣府と学術会議の「事前調整がなかあったから、任命拒否という結果になった」と、学術会議の推薦に事前関与してきたことを明らかにしたのだ(自民党議員への答弁)。これは迂闊だったのではないか。

そしてその中身は「考え方のすり合わせということ」としながら、内容はすでに論理破綻している「旧帝国大学に偏っている」「多様な人材の登用」「若い人材の登用」である。けっきょく、個別の人事にかかわることなので、公表することは差し控えたい、という理屈に持っていくのだ。

1985年の中曽根政権による「総理大臣の会員任命は形式的なもの」「学術会議の推薦に介入するものではない」という政府見解を、2018年の内閣府法制局の恣意的な解釈変更(一貫していると強弁)によって、「そのまま任命するものではない」「任命権者として、国民にたいして責任を負える人事権の行使」と、ねじ曲げてしまったのだ。その結果、政権に批判的な言動をした研究者の任命を拒否できる、という本来の理由を開示しないまま、うやむやに終わらせようというのである。だが、上記の「事前の調整」によって、政権にとっても事態は抜き差しならなくなっている。


◎[参考動画]菅総理が本格論戦“矛盾”指摘も答弁かみ合わず(ANN 2020年11月2日)

◆「個別の人事」の基準を明らかにさせよ

そもそも「任命が人事問題であり、個別の人事は明らかにしない」という小理屈を許しているかぎり、この問題は解決しないことが明らかになったのだ。そうであれば、総理が言う個別の人事、すなわち個々の選考基準について明らかにさせる以外にないのだ。この点において、野党の追及は甘すぎる。

この任命拒否問題が明らかになってから、メディアは保守系リベラル系を問わず、拒否の理由を明らかにするべき。と警鐘を鳴らしてきたはずなのに、なぜか「個別の人事」の前に臆してしまっているのだ。けっして明らかに出来ない(政権批判が理由)なのだから、収拾するにはその一線を越えるしかない。

いっぽう、自民党もいら立ちを明らかにしている。下村博文政務調査会長が「野党は学術問題ばかりだ」と、他の審議が遅れるなどと愚痴っているのだ。森友・加計・桜を見る会問題に加えて、政府が「差し控えたい」からこそ審議が進まないのではないのか。そればかりではない。ことは民主主義の根幹にかかわる、学問の自由が存亡の危機に立っているのだ。

それは政府が言うような、「個人の学問の自由」の問題ではない。また、野党が主張する、人事問題が「研究に対して委縮効果」を単に持つからでもない。ほかならぬ政策への批判的な見地こそが、政府の法案や施策にたいして効果的な検証を持ちうるからなのだ。この点を、野党もよく理解できていないのである。

批判を何よりも怖れ、異見を怖がる政権担当者の度量のなさ。いや、臆病なまでの神経過敏が、国の指針を過てる可能性があるからこそ、本来は学術会議のような政府機関(特別公務員)に、批判的な人物を任命する必要があるのだ。

今回、独裁者が本質的に批判を怖れ、臆病なまでに批判者を排除するものであることが、満天下に明らかになったといえよう。

そして危機感からか、ここにきて新たな動きがあった。共同通信が11月8日に「『反政府先導』懸念し拒否 学術会議、過去の言動を問題視か」と題する記事を打ってきたのである。

◆「過去の言動」「反政府運動を先導」

「首相官邸が日本学術会議の会員任命拒否問題で、会員候補6人が安全保障政策などを巡る政府方針への反対運動を先導する事態を懸念し、任命を見送る判断をしていたことが7日、分かった。安全保障関連法や特定秘密保護法に対する過去の言動を問題視した可能性がある。複数の政府関係者が明らかにした」というものだ。
この問題を奉じたリテラは、全国紙の記者の観測を明らかにしている。

「共同は『複数の政界関係者』としていたが、6人を排除した当事者である杉田(和博)官房副長官からコメントをとっていたらしい。おそらく、これまでは理由を伏せてごまかして乗り切ろうとしていたが、国民が納得しないので、逆に6人が危険思想の持ち主であるかのように喧伝して、世論を味方につけようとしているのだろう」と。

つまり、政府のほうから「過去の言動を問題視」して、会員候補が「反政府運動を先導する」から任命拒否をしたのだと、匂わせてきたのである。あきらかに世論をミスリードする意図的な記事だが、むしろ追い詰められて「自白した」というのが正しい受け取り方である。

とりわけ、政府関係者が「扇動」と言ったのを、共同通信が忖度して「先導」と言い替えたのではないかと、思わずわらってしまったのは私だけではないだろう。あきらかに政権は焦れているのだ。思いもよらない躓きで、菅義偉総理の困惑した表情がテレビに映し出され、オウムのように「総合的、俯瞰的な考え方から」と繰り返すたびに、この男の無能さ加減、ボキャブラリーのなさが明らかになりつつあるからだ。

無内容な演説が得意だった安倍晋三ならば、やたらと時間をかけて答弁をはぐらし続けることも可能だった。だが、菅義偉にはその軽薄な能弁もないのだ。


◎[参考動画]菅首相、国会答弁で“自助”できず?【news23】(TBS 2020年11月6日)

◆あまりにもポンコツすぎる

もうひとつ、わずか4日間の集中審議で明らかになったのは、心配されていた菅義偉の総理としての答弁能力である。ポンコツなのである。あまりにも自分の言葉がないのだ。野党議員の質問の意味がわからずに目が泳ぎ、秘書官のメモなしには答えられない場面が続出した。独自の政治哲学や政治構想を披歴できるわけでもない。

やはりこの人は、裏方に徹するべきであった。わずか十数分の、記者クラブの馴れ合い的な質問に「その質問に答えることは差し控えたい」「仮定の質問には答えない」「批判は当たらない」などと定型句で応じ、批判的な記者の質問には「あなたの質問には答えません」と言いなすことができた官房長官とはちがい、総理大臣には「答弁拒否」は許されないのである。

もうこれ以上、集中審議に耐えられないと見たからこそ「政府関係者」は、任命拒否の理由をリークし、任命されなかった研究者たちが反政府運動の「扇動者」であることを、世論リードの水路にしようとしているのだ。だがそれは、任命拒否が政治的な理由であることを、みずから暴露するものにしかならないであろう。菅義偉の無能・ポンコツぶりに危機感を持った官邸関係者が、みずから墓穴を掘りはじめたのだ。


◎[参考動画]【字幕】辻元清美(立憲民主党)VS菅義偉内閣総理大臣 2020年11月4日衆議院予算委員会(国会パブリックビューイング2020年11月7日)

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。医科学系の著書・共著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)『ホントに効くのかアガリスク』(鹿砦社)『走って直すガン』(徳間書店)『新ガン治療のウソと10年寿命を長くする本当の癌治療』(双葉社)『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)など。

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渾身の一冊!『一九七〇年 端境期の時代』(紙の爆弾12月号増刊)

紙爆増刊『一九七〇年 端境期の時代』 60年代文化の決着と頽廃 横山茂彦

70年という年をどう考えるか。それは「68年論」として語られる戦後政治文化、カウンターカルチャーの決算。あるいは高度経済成長の到達点であり、政治文化(学園紛争)と経済成長(公害の顕在化)が沸騰点で破裂し、ある種の頽廃を招いた。といえば絵面をデッサンすることができるだろうか。

多感な時期にこの時代の息吹を感じながらも、わたしはその後のシラケ世代と呼ばれる意識の中にいた。その意味では、あと知恵的に時代を解釈することになるが、おおむね二つの史実に則って『端境期の時代』が描く時代を批評することにしたい。

 
『一九七〇年 端境期の時代』(紙の爆弾12月号増刊)

その象徴的なふたつの史実とは、赤軍派に代表される新左翼運動の「頽廃」、そしてその対極にある三島由紀夫事件である。関連する記事にしたがえば、長崎浩の「一九七〇年岐れ道それぞれ」、若林盛亮「『よど号』で飛翔五十年、端境期の闘いは終わっていない」、三上治「暑かった夏が忘れられない 我が一九七〇年の日々」、板坂剛の司会になる「激突座談会“革マルvs中核”」、そして中島慎介の労作「『7.6事件』に思うこと」である。

三島事件(市ヶ谷蹶起)は50年を迎えるので、別途この通信において集中的にレポートしたいと思う。近年になって、あらたに判明した事実(証言)があるので、あえてレポートという表題を得たい。『紙の爆弾』今月号には、「市ヶ谷事件から50年 三島由紀夫の標的は昭和天皇だった」(横山茂彦)が掲載されているので、ぜひともお読みいただきたい。

◆単なる「流行」だったのか?

さて、70年という年を回顧する前に、68・69年の学生叛乱が何だったのか。という問題から出発しよう。

その当事者たち(今回「『続・全共闘白書』評判記」を寄稿した前田和男)も、当該書の副読本が必要(現在編集中)と述べているとおり、あの時代を読み解く必要がある。ひるがえって言えば、あれほどの学生運動・反戦運動の高揚がいまなお「わからない」というのが、当事者にとっても現実なのである。

あの時代および運動の間近にいたわたしも、明瞭に説明することはむつかしいが、単純に考えればいいのかもしれない。わたしの仕事上の先輩にあたる地方大学出身の人は言ったものだ。「流行りであった」と。過激な左翼であること、反戦運動を行なうことは、たしかに「流行り」だった。流行りはどんな時代も、若者のエネルギーに根ざしている。

たとえばコロナ禍のなかでも渋谷や道頓堀につどう若者たちは、いつの時代にもいる跳ね上がり分子ではないだろうか。既成左翼から、わたしたちの世代も含めて新左翼運動は「はみ出し」「跳ね上がり」と呼ばれたものだ。

いや、自分たちで「跳ねる」とか「跳ねた」と称していたのである。デモで機動隊の規制に逆らい、突っ張る(暴走族用語)ことを「跳ねる」と表現したのだ。跳ねたくなるほど、マルクス主義という外来思想、実存主義や毛沢東主義という流行。冷戦下において、ソ連邦をふくむ「体制」への反乱が「流行った」のである。

団塊の世代に「あれは流行りだったんでしょ?」と問えば、いまでは了解が得られるかもしれない。わたしの世代は内ゲバ真っ盛りの世代で、さすがに革命運動内部の殺し合いが楽しい「流行り」とはいかなかったが、おそらく60年安保、その再版としての68・69年(警察用語では「第二次安保闘争」)は、楽しかったにちがいない。70年代にそれを追体験したわたしたちも、内ゲバや爆弾闘争という深刻さにもかかわらず、その余韻を楽しいと感じたものである。


◎[参考動画]1970年3月14日 EXPO’70 大阪万博開幕  ニュース映像集(井上謙二)

◆赤軍派問題と三島事件は、60年代闘争の「あだ花」か?

前ふりが終わったところで、本題に入ろう。まずは赤軍派問題である。

言うまでもなく赤軍派問題とは、ブントにとって7.6問題(明大和泉校舎事件)である。二次ブント崩壊後にその分派に加入したわたしの立場でも言えることは、赤軍派は組織と運動を分裂させた「罪業」を背負っているということだ。

その意味では中島慎介が云うとおり、赤軍派指導者には政治的・道義的責任が集中的にある。その一端は、嵩原浩之(それに同伴した八木健彦ら)においては赤軍派ML派・革命の旗派・赫旗派という組織統合の遍歴の中で、政治的に赤軍派路線(軍事優先主義の小ブル急進主義)の清算として果たされてきた。今回、中島が仲介した佐藤秋雄への謝罪で、道義的な責任も果たしたのではないか。

ただし、植垣康博をはじめとする、連合赤軍の責任を獄中赤軍派指導部にもとめるのは、違うのではないかと思う。当時のブントおよび赤軍派において、獄中者は敵に捕らわれた「捕虜」であり、組織内では無権利状態だった。物理的にも「指導」は無理なのである。

それにしても、中島のように真摯な人物があったことに驚きを感じる。というのも、ついに没するまでブント分裂の責任を回避しつづけた塩見孝也のような指導者に象徴されるように、赤軍派という人脈の組織・政治体質には「無反省」と「無責任」が多くみられるからだ。日本社会の中で大衆運動を責任を持って担ってこなかった、その組織の歴史に大半の原因があると指摘しておこう。大衆運動の側を見ていないから、安易な乗り移りで思想を反転させることができるのだ(塩見の晩年の愛国主義を見よ)。

赤軍派が発生した理由として、第二次ブント自体の実像を語っておく必要があるだろう。

第二次ブントという組織は、その結成から連合組織であった。第一次ブントの「革命の通達派」のうち(第一次戦旗派・プロレタリア通信派は革共同=中核派・革マル派へ合流)、ML派と独立社学同(明大・中大)が連合し、単独して存続していた「関西地方委員会」と合同。独自に歩んでいた「マルクス主義戦線派」を糾合して1966年に成立した。しかしすぐにマル戦派と分裂することに象徴されるように、その派閥連合党派としての弱点は覆うべくもなかった。

たとえば、集会が終わってデモに出発するとき、各派閥の竹竿部隊(自治会旗を林立させ)が「先陣争い」と称してゲバルトを行なうのが習わしだった。つまり、集会とデモは「内ゲバ」を、祝砲のように行なわれるのが常だったのだ。

というのも、各大学の社学同(共産同の学生組織)ごとに、ブント内の派閥に属していたからだ。7.6事件では中島と三上が詳述しているように、仏徳二議長は専修大学の社学同、赤軍派は京大・同志社・大阪市大・関東学院などを中心にしたグループ、その赤軍派幹部を中大に監禁したのは、明大と医学連の情況派、その現場は中大社学同の叛旗派の縄張りだった。

故荒岱介の証言として、社学同全国合宿のときに、仏徳二さんが専修大学の学生だけで打ち上げの飲み会を行なっていたことを、のちに赤軍派となる田宮高麿が「関西は絶対、ああいうこと(セクト的な行動)はさせへんで」と批判していたという。

そのような連合組織としての弱点、党建設の立ち遅れ(これはもっぱら、革共同系の党派との比較で)を克服するために、とくに68年の全共闘運動の高揚から70年決戦に向かう組織の革命がもとめられたのだ。その軍事的な顕われが赤軍派だったのである。

これまで、もっぱら赤軍派の元指導者、ブント系の論客(評論家やジャーナリスト)によって赤軍派問題と連合赤軍総括問題は論じられてきたが、現場の証言が物語るその実態は、理論的に整理された美辞麗句をはるかに超えている。この貴重な成果のひとつが、今回の中島慎介の証言にほかならない。じつに具体的に、しかも他者の証言をもとに反証をしながらまとめられているので、ぜひとも読んでほしい。

その貴重な証言が、元赤軍派を中心とした書籍の準備において、こともあろうか「全体の四割が削減され、文面も入れ替えられ、更に残りのゲラの一割の部分をも削除され、意味不明の代物とされてしまいました」(中島)というのだ。

「事実究明に程遠い『事前検閲』『文章の書き替え』など、どこかの政府を見習ったかのような行為は、恥ずべき行為だ」と言いたくなるのは当然である。

まさに、60年代闘争の「あだ花」としての赤軍派の体質がここに顕われている。本人たちは嘘と歴史の書き替えで、晩節を飾るつもりだったのか? アマゾンにおける関係者の酷評「執筆者各位の猛省を促す」が、その内実を物語っている。


◎[参考動画]1970年3月31日 赤軍派 よど号 ハイジャック事件(rosamour909)

◆赤軍派と殉教者にせまられた、三島蹶起

三島由紀夫の天皇との関係(愛と憎悪)を先駆けて論じたのが『三島由紀夫は、なぜ昭和天皇を殺さなかったのか』(鹿砦社ライブラリー)を書き、今回「三島由紀夫蹶起――あの日から五十年の『余韻』」を寄せた板坂剛である。今回は具体的に、事件後の知識人・政治家たちの混乱を批判している。とりわけ、村松剛の虚構の三島論はこれからも指弾されて当然であろう。わたしに言わせれば三島の男色を隠すことで、村松が遺族との関係、したがって三島批評の立場を保ったにすぎない。その結果、村松の論考は、現在の三島研究では一顧だにされなくなっている。

もうひとつは、赤軍派との関係である。一過性のカッコよさではあったにせよ、論考を寄せている若林盛亮らのよど号事件が、三島に与えた影響は大きいだろう。これを板坂は「70年の謎とでも言うべきだろうか」としている。

よど号事件後の三島が、赤軍派の支離滅裂な政治論文を漁っていたとの証言もある(安藤武ほか)。そのほか、三島が「計画通り」の蹶起と自決を強行したのは、東京五輪銅メダリスト円谷幸吉(68年)、国会議事堂前で焼身自殺した自衛官江藤小三郎(69年)の影響を挙げておこう。70年という時代が、三島を止めなかったのである。これについては、別稿を準備したい。


◎[参考動画]1970年11月25日【自決した三島由紀夫】(毎日ニュース)

◆革マル vs 中核

やってくれた、鹿砦社と板坂剛! これはもう、わたしが編集している雑誌でやりたかった企画である。ただし、もっと自省的に語る「過ち」「錯誤」「悔恨」などであれば、まったく敬服するほかなかったが、板坂が司会の「激突座談会」は罵詈雑言、罵倒の応酬である。まったく愉快、痛快である。

元革マルの人も元中核の人も、対抗上こうなったのか。あるいは元べ平連の出席者が疑問を呈するように、もしかしたら現役なのか。

しかしいつもどおり、板坂の企画は読む者を堪能させる。前回の「元日大全共闘左右対決」も何度も読み返したものだが、今回は前回よりも底が浅い(お互いの個人的な因縁が、両派の主張に解消されてしまった)にもかかわらず、留飲を下げたと、感想を述べておこう。


◎[参考動画]2020年10月16日 公開中核派拠点を警視庁が家宅捜索 関係者が立ち入りの捜査員を検温(毎日新聞)

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。医科学系の著書・共著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)『ホントに効くのかアガリスク』(鹿砦社)『走って直すガン』(徳間書店)『新ガン治療のウソと10年寿命を長くする本当の癌治療』(双葉社)『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)など。

渾身の一冊!『一九七〇年 端境期の時代』(紙の爆弾12月号増刊)

『紙の爆弾』12月号、本日11月7日発売! 執拗に自公政権追及! 「士農工商ルポライター稼業」問題も継続的に議論! 冤罪問題も! 鹿砦社代表 松岡利康

『紙の爆弾』12月号、11月7日発売!菅首相は「令和のヒトラー」

月刊『紙の爆弾』12月号が本日発売になりました。このかん『紙の爆弾』は、執拗な自公政権追及で部数を伸ばしてきました。今月号もさらに鋭く追及の矢を放ちます。小さくても存在感のある雑誌を自認する『紙の爆弾』ですが、号を重ね創刊15年余り経ちました。『紙の爆弾』は、ご存知のように創刊直後に「名誉毀損」に名を借りた出版弾圧を食らいました。この壊滅的危機を皆様方のご支援で乗り切り現在に至っているわけですが、「ペシャンコにされてもへこたれないぞ」という気概は衰えていないつもりです。

また、本誌の継続的企画として冤罪問題があります。今月号は、労働者の町・釜ケ崎に根づき、仲間と共に不正を追及している尾崎美代子さんが「神戸質店事件」を採り上げています。詳しくは記事をお読みいただきたいですが、一審無罪が、新たな証拠もないのに控訴審でなんと無期懲役に、そして最高裁もこれを追認し確定しています。怖い裁判です。

さらに、先月号から始まった「士農工商ルポライター稼業」についての検証作業、今月号も6ページを割き行っています。今月号は松岡に加え黒藪哲哉さんに寄稿いただきました。本誌を紐解いてお読みいただきたいですが、誤解しないでいただきたいのは、私たちは解放同盟と敵対するものではなく、共同作業として〈差別とは何か?〉について公開で議論していく中から問題の在り処を探究する所存だということです。幸いに解放同盟の方も寛容の心を持って対応していただいています。半年、1年と議論をしていく過程で問題の〈本質〉を抉り出し、ゆくゆくは共同声明としてまとめたいと願っています。

「士農工商ルポライター稼業」問題も継続的に議論検証していきます!

◎このコロナ禍で、当社も売上減を余儀なくされています。この機会に定期購読で本誌を支えてください。1年分(12号)=6600円を郵便振替(01100-9-48334 口座名=株式会社鹿砦社)でご送金ください。1号お得です。今、お申し込みくだされば、特製ブックカバーに加え、魂の書家・龍一郎揮毫の「2021鹿砦社カレンダー」を贈呈いたします。

本日11月7日発売!『紙の爆弾』12月号!

◎『紙の爆弾』12月号 https://www.kaminobakudan.com/

新型コロナウイルスの問題から、次の生き方を再考する〈3〉 小林蓮実

前回前々回と、新型コロナウイルスに関し、検査数の増加は可能であり、治療薬やワクチンというものは利権構造にまみれやすいということを述べた。

◆その後のワクチンに関する政治の動向

8月、日本政府はイギリスの製薬大手「アストラゼネカ」から6000万人分以上の供給を受けることで基本合意し、うち1500万人分については2021年3月までの供給を目指している(「ワクチン開発に成功した場合、日本に1.2億回分、うち3000万回分は2021年3月までに供給する基本合意」との厚労省資料もある。おそらくファイザー同様6000万人分=1人2回接種で1億2000万回分)。

 

イギリス国内でオックスフォード大学と共同で開発を進めるなか、臨床試験(治験)の被験者の女性1人に副作用が疑われる深刻な症状が確認されたことなどにより、世界各地の臨床試験は9月6日に中断された。だが、安全だと判断されて9月12日以降にイギリスで再開され、10月2日には日本でも再開したと発表された。この「アストラゼネカ」、アメリカのバイオ製薬「ノババックス」と提携する武田薬品工業、第一三共、塩野義製薬、アンジェス、KMバイオロジクスの6社が、ワクチンの生産体制を整備し、厚生労働省はこの6社に対して総額最大約900億円の助成を決定。インフルエンザワクチンを接種しないが、コロナのワクチンについては検討するという人も膨大な数にのぼるだろう。製薬会社にとっては、またとないチャンス。だからこそ、ワクチン関連の報道はチェックし続けたいところだ。

厚生労働省は、10月2日に新型コロナウイルスのワクチンの接種費用を全員無料にする方針を厚生科学審議会の分科会に提示して了承されたことを受け、10月下旬に召集予定の臨時国会にこの無料化の件を含む予防接種法改正案を提出することとなった。

◆「任意」と「強制」

そしてここで、新型コロナウイルスをきかっけとして話題にのぼった、「任意」と「強制」に関し、改めて確認しておきたい。

最近も、航空関連で同様の話題があった。たとえば沖縄の那覇空港や離島8空港では、唾液採取による抗原検査やサーモグラフィーによる体温測定が実施されている。ただし、これらは法令上、任意のため、時間的制約のある人などは協力に応じていない。航空機内などでは、マスク着用をきっかけとしたトラブルが相次ぐ。北海道の釧路空港から関西空港に向かうピーチ・アビエーション機内、北海道の奥尻空港から函館空港に向かう北海道エアシステム(HAC)機内でトラブルとなり、乗客が降ろされている。実際、機内での感染は伝播しにくいという専門家もいる。

接触確認アプリ「COCOA」、ダウンロードも陽性の人の登録も強制ではない。

『Bloomberg』によれば、「香港の林鄭月娥(キャリー・ラム)行政長官は1日、700万人余りの香港市民に新型コロナウイルスの無料検査への参加を呼び掛けた。今回の大規模検査は任意だが、希望者の事前登録が低水準にとどまっている」「労働組合の香港金融業職工総会は、中国の方正証券が香港の従業員に政府実施の新型コロナ検査を受けるよう圧力をかけていると批判した」「希望者のみを対象としている検査であり、従業員のニーズと意思に基づき検査を受けるかどうかは自由であるべきだと主張した」とのことだ。

ワクチンもまた、近年の「自己責任論」を振りかざすため、そして国の責任逃れのために、任意のものとして扱われるだろう。

ちなみに、物事を強制すると、刑法上の強要罪(刑法223条)や暴行罪(208条)に該当する可能性があるようだ。

ただし5月、兵庫県加西市の西村和平市長が「新型コロナウイルス感染症対策基金」を立ちあげて予算が立てられ、特別定額給付金を寄付するよう市の約600人の正規職員などに呼びかけられた際のように、任意としながらも強制だと受け取られるような内容だった例もある。

この社会に特有の任意と強制に対するスタンスについては、歴史・哲学、そして自由や基本的人権の文脈でも調べたが、なかなか決定的な背景にたどり着くことはできなかった。そのような特定の1つのものがあるというわけでは、やはりない。

たとえば国土学の専門家である大石久和氏は、『ニッポン放送』で、「日本では日常の利便性が優先されるのに対して、日本以外の国では安全保障が優先されます。これは、『ある約束を全員が守らなければ全員が死んでしまう』という経験、紛争死(紛争による大量虐殺)を繰り返し経験してきた人々と、自然災害で死んでいった日本人の経験の差(違い)によるものです」「日本人はそういう強制を非常に嫌う国民なのです。先ほど話しましたが、日本人には強制されることで命が守られたという経験がないのです。我々はそういう違いを持った国民であり、民族」と言う。

「海外の世界地図をみれば日本列島は端にあり、まさに文化などの吹きだまりであることがわかる」という話を耳にしたことがある。そのようななか、外からくるものをゆるやかに受け入れて独自に「調理」し続けるような性質が、強制や決定よりも任意や合意を優先することも考え得る。

『産経新聞』によれば、「『日本国憲法に国家緊急権が規定されていないことが背景にある』と指摘するのは、大和大の岩田温准教授(政治学)だ」「戦前の大日本帝国憲法には国家緊急権の規定があったが、現行憲法には存在しない。戦争の反省から国家の暴走を防ぐ意識が働いたとされる。このため日本では戦後、大災害など有事の際は個別の法律を新設、改正して対応してきた経緯がある」「岩田氏は『立憲主義の観点から私権制限には慎重な判断が必要』とした上で、『憲法を守るより、国民を守る政治的判断がより重要となる局面はあり得る。これを機に、憲法に例外的な緊急事態条項を設ける議論をすべきだ』と訴える」「一方、『憲法を変えずとも強い措置は可能』との考えを示すのは東京都立大の木村草太教授(憲法)。科学的根拠があって基本的人権に配慮した感染症対策は、現行憲法は禁じていないとし、木村氏は『憲法上の個人の権利と統治機構のルールを守った上で法整備し、行動規制すればいい。改憲論議と結びつけるのは違う』と論じた」とのことだ。

国家・権力をコントロールするための憲法。それは、制限を受けずに自らの意思に従って行動するさまざまな「自由」を保障する。だが、解釈改憲から現在にいたるまでの民主主義や立憲主義が脅かされるような問題が生じ、3・11もあって、私たちは自分の頭で現在・未来のリスクや可能性を考え、判断しなければならない場面が増えたようにすら感じる。そして現在のこの社会の、権力の問題や成熟の度合いに対する疑問をかんがみれば、やはり個人的にはどうせ国家が責任を負うとも考えにくく、ならば強制でなく任意であり続けたほうがよい面は多いのではないかと考えてしまう。とにかくそれ以前の問題が多すぎる。

たとえばスイスでは直接民主制が発展しており、「スイスでは最終的な決定権を握るのは国民だ。それは憲法改正時だけでなく、新法制定時も同じ。スイスの政治制度で最も重要な柱の一つである国民の拒否権「レファレンダム」は政治家にとって厄介で、立法プロセスが複雑になる要因でもある。だが、国民がいつでも拒否権を行使できるからこそ、持続的かつ幅広く支持された解決策が生み出されている」(『SWI』)というような記事もある。

戦後、政治・経済的にアメリカの「51番目の州」となっている日本社会では、到底なしえない。真の独立と民主化を私たちの手で実現させないかぎり。この程度のボリュームで語り尽くせるテーマではないが、この社会では、新型コロナウイルスに関しても、政府の要請をほぼ受け入れてきたのかもしれない。ぬるま湯のなか、運のよさと、現場や個人の志とで乗り切り続けようとしている。

飲食店などが都の「要請に応じない」と問題視するという話題もあった。これは、後日、補償のテーマで引き続き取り上げたい。

次回以降も、あまり話を戻しすぎないようにしつつ、医療従事者の感染、問題の深刻度、併発と原発被害との比較、対策と公衆衛生学、情報開示、補償と財政などについて引き続き、触れたい。そして、原発、台風、コロナなどの問題を総合的に考えた際、導き出される人類の次の生き方についてまで、書き進めていきたいと考えている。

◎新型コロナウイルスの問題から、次の生き方を再考する 〈1〉 〈2〉 〈3〉

▼小林 蓮実(こばやし・はすみ)

フリーライター、労働・女性運動等アクティビスト。月刊『紙の爆弾』10月号「【ALS嘱託殺人事件】日本ALS協会・岸川忠彦さんインタビュー ALS患者に『決断』を迫る社会の圧力」、11月号「『総活躍』の裏で進行した労働者の使い捨て」、『現代用語の基礎知識 増刊NEWS版』に「従軍慰安婦問題」「嫌韓と親韓」など。

月刊『紙の爆弾』2020年11月号【特集】安倍政治という「負の遺産」他