ふたたび、さらば反原連!秋風に吹かれたゴミは歴史の屑箱へ!── 反原連の「活動休止」について【前編】 松岡利康&『NO NUKES voice』編集委員会有志

◆反原連から「絶縁」された鹿砦社

10月2日、「反原連」(首都圏反原発連合。以下反原連と記します)は同団体のHPで、実質上の「活動休止」(口では「解散せず」と言っていますが、事実上の「解散」と見られます)を告知しました。

反原連「活動休止のご報告」ステートメント(2020年10月2日)

鹿砦社と反原連は、日本での初めての反・脱原発雑誌である『NO NUKES voice』発刊以来6号までは良好な関係を保っていましたが、2015年12月3日、一方的に反原連からの「絶縁宣言」により、関係を途絶していました。これには、反原連、いわば弟分的存在のSEALDs、「しばき隊」「カウンター」の全盛期、これに対し理路整然と批判した、韓国から母子で来日した研究者・鄭玹汀(チョン・ヒョンジョン。当時京大研修員。日本キリスト教史、木下尚江研究)さんへの非人間的暴言攻撃、ネットリンチを複数の人たちから聞いた松岡が、2015年9月以降(これ以前は、いわば「金は出しても口は出さない」のスタンスでした)、この他の疑問などと併せ反原連のリーダー、ミサオ・レッドウルフに問い質してきたことが伏線としてありました。

蜜月状態の頃の懇親会写真。松岡の左右に野間(左端)とミサオ(右)が写っている貴重なショット

そうして「絶縁」の直接の導火線となったのが『NO NUKES voice』6号での松岡稿「解題 現代の学生運動」でした。これが「内容に関して許容範囲を超える」(絶縁宣言)とのことでした。ここでは詳細は省きます(関心のある方は同誌7号「さらば反原連! 私たちはなぜ反原連から絶縁されたのか」をお読みください)。

今となっては、反・脱原発雑誌を発刊するにあたり、反原連関連の人物を多数掲載したことは、致し方のない誤りであったとはいえ、松岡はじめ私たちとしては深く反省するところです。反原連からの一方的「絶縁宣言」とはいえ、6号で関係を途絶したのは、ある意味で正解でした。皮肉なことです。

反原連は、前記しているように「首都圏反原発連合」の略称ですが、その名称から想起すると、いくつもの運動体の“連合”のように聞こえますが、実態は違います。当初は「たんぽぽ舎」など複数の運動体が名前を連ねていました。このことに、東京から遠く離れた関西にいて彼らの活動や実態を直接につぶさに見れない松岡は誤認し、「たんぽぽ舎が入っているから大丈夫だろう」と考え、特段の厚意を持って接触しましたが、数年前から反原連は単独のセクトとなったようです。「たんぽぽ舎」とも事実上断絶しています。たんぽぽ舎にいた今井丈夫(ミサオ同棲者)と原田裕史が反原連に移行しています。

鹿砦社は、反原連に一時は年間300万円余りの資金援助もしてきました。その間会計報告もありませんでした(絶縁後強く催促して、ようやく間に合わせとしか思えない会計報告を行っています)。にもかかわらず、2015年12月3日の鹿砦社への言い掛かりとしかいえない失礼千万な「絶縁宣言」をするように、極めて「排他的」「独善主義」的な集団であることが明らかになっています。松岡も人を見る目がないとボヤいていました。高い“授業料”を払いました。

鹿砦社は今は「たんぽぽ舎」に毎月一定額の支援金をカンパし、チラシ配布や『NO NUKES voice』の販売などに協力していただいていますが(鹿砦社は、ホームグラウンドが関西で東京事務所も2人しかおらず人手不足なので)、最初からこうすればよかったわけです。たんぽぽ舎は、同舎のチラシと一緒に『NO NUKES voice』のチラシを撒いてくれていましたが、官邸近くでは反原連の連中から妨害されて撒けないということでした。これからは大丈夫です(笑)。

反原連が、唯我独尊で極めて排他的であることは、多くの人たちが異口同音に語るところですが、このことを象徴する出来事でした。反原連は共産党と親密な関係にあり、ミサオらが共産党の大会でスピーチしたり機関紙『しんぶん赤旗』にたびたび登場しています。共産党のスターリン主義的体質と同じ体質です。「類は類を呼ぶ」ということでしょうか。

◆警察との親和性が強く、闘う学生を背後から襲う反原連とこの界隈の人たち

 
ミサオ(2015年8月10日鹿児島にて)

実は、『NO NUKES voice』編集委員の中に、早期から反原連の危険性を説いていた人物がいました。当該人物は国会前集会で参加者が路上に溢れた時に、反原連のミサオ・レッド・ウルフが、なんと機動隊の指揮車の上によじ登り(そのような行為は、警察の同意なしに可能なことではありません)集会に参加した人々へ「継続的な首相官邸前抗議行動」ができなくなるから「解散」を要請した現場に居合わせたのです。

これにはジャーナリストの寺澤有氏も現場に居合わせ証言されています。この事実の他にも反原連と警察の癒着を明示する記事は、他ならぬミサオ・レッド・ウルフが、『NO NUKES voice』の中で述べている通りですから、間違いのない事実です。

私たちは、いたずらに警察権力との対立を望むものでは全くありませんが、あの時、国会前に集まった、数千、数万の群衆は「継続的な首相官邸前抗議行動」ではなく、大飯原発再稼働に心底怒っていたのではないかと推測します。

反原連やSEALDsらの警察との親和性(癒着)は、2015年夏の反安保法制運動の中でも見られます。今や有名となった「警察のみなさん、ありがとう」の言葉に象徴され、一部戦闘的な学生らが警察の壁を突破しようとして国会に向かって行動するや、逆に警察と一緒になって弾圧の尖兵にさえなっています。実際に逮捕された学生もいます。これに「警察のみなさん、ありがとう」などどういう神経でしょうか。これに対しては作家・辺見庸も批判し、逆に激しいバッシングに遭い、一時ブログを閉鎖するほどでした。

相手は巨大な国家権力です。必ずしも「一点突破、全面展開」が可能な情勢ではなかったかもしれません。しかしながら、機動隊の指揮車によじ登り、集会参加者に「解散」を求める行為、あるいは「警察のみなさん、ありがとう」と言って直接的抗議行動にはやる学生らへの弾圧に加担する行為を、私たちは断じて容認できないし、今後も容認しないでしょう。そんな行為を一度でも行えば、命懸けで反・脱原発運動に携わっている皆さんや、わが身をもって反安保法制の闘いを体現しようとした先進的学生らの背後から鉄砲を撃つようなものです。彼らは闘う学生を背後から襲うことはあっても、権力と闘うことはありません。(明日掲載の後編につづく)

月刊『紙の爆弾』2020年11月号!【特集】安倍政治という「負の遺産」他
『NO NUKES voice』Vol.25

『NO NUKES voice』Vol.25
紙の爆弾2020年10月号増刊
2020年9月11日発行
定価680円(本体618円+税)A5判/132ページ

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総力特集 ニューノーマル 脱原発はどうなるか
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[グラビア]〈コロナと原発〉大阪、福島、鹿児島

[報告]小出裕章さん(元京都大学原子炉実験所助教)
 二つの緊急事態宣言とこの国の政治権力組織

[インタビュー]水戸喜世子さん(「子ども脱被ばく裁判」共同代表)
    コロナ収束まで原発を動かすな!

[座談会]天野恵一さん×鎌田 慧さん×横田朔子さん×吉野信次さん×柳田 真さん
    コロナ時代の大衆運動、反原発運動

[講演]井戸謙一さん(弁護士/「関電の原発マネー不正還流を告発する会」代理人)
    原発を巡るせめぎ合いの現段階

[講演]木原壯林さん(若狭の原発を考える会)
    危険すぎる老朽原発

[報告]尾崎美代子さん(西成「集い処はな」店主)
    反原発自治体議員・市民連盟関西ブロック第四回総会報告

[報告]片岡 健さん(ジャーナリスト)
    金品受領問題が浮き彫りにした関西電力と検察のただならぬ関係

[報告]おしどりマコさん(漫才師/記者)
「当たり前」が手に入らない福島県農民連

[報告]島 明美さん(個人被ばく線量計データ利用の検証と市民環境を考える協議会代表)
    当事者から見る「宮崎・早野論文」撤回の実相

[報告]鈴木博喜さん(ジャーナリスト/『民の声新聞』発行人)
   消える校舎と消せない記憶 浪江町立五校、解体前最後の見学会

[報告]伊達信夫さん(原発事故広域避難者団体役員)
    《徹底検証》「原発事故避難」これまでと現在〈9〉
    「原発事故被害者」とは誰のことか

[報告]山崎久隆さん(たんぽぽ舎共同代表)
    多量の放射性物質を拡散する再処理工場の許可
    それより核のゴミをどうするかの議論を開始せよ

[報告]三上 治さん(「経産省前テントひろば」スタッフ)
    具体的なことと全体的なことの二つを

[報告]板坂 剛さん(作家/舞踊家)
    恐怖と不安は蜜の味

[報告]山田悦子さん(甲山事件冤罪被害者)
    山田悦子の語る世界〈9〉普遍性の刹那──原発問題とコロナ禍の関わり

[読者投稿]大今 歩さん(農業/高校講師) 
    マンハッタン計画と人為的二酸化炭素地球温暖化説

[報告]再稼働阻止全国ネットワーク
    コロナ下でも萎縮しない、コロナ対策もして活動する
《北海道》瀬尾英幸さん(脱原発グループ行動隊)
《石川・北陸電力》多名賀哲也さん(命のネットワーク代表)
《福島・東電》郷田みほさん(市民立法「チェルノブイリ法日本版」をつくる郡山の会=しゃがの会)
《規制委・経産省》木村雅英さん(再稼働阻止全国ネットワーク)
《東京》柳田 真さん(たんぽぽ舎、とめよう!東海第二原発首都圏連絡会)
《浜岡・中部電力》沖 基幸さん(浜岡原発を考える静岡ネットワーク)
《読書案内》天野恵一さん(再稼働阻止全国ネットワーク)

私たちは唯一の脱原発雑誌『NO NUKES voice』を応援しています!

菅総理暴走 学術会議が「特別公務員」であっても、その独立性が侵せない理由

◆アリバイ的な記者会向けの会見

学術会議の任命拒否をめぐり、多くの団体からの抗議文や官邸デモなど国民的批判を浴びている菅総理が急遽、記者会見(10月5日午後5時半)をひらいた。ただし一般公開の会見ではなく、いわば内輪の内閣記者会向けである。

あまりの反発に驚いたのだろう。ワイド番組などで、当事者たちから拒否の理由を問われつづけていることへの反応ともいえる。

だが、その内容は「それぞれの時代の制度の中で、法律に基づいて任命を行なっているという考え方は変わっていない」「総合的・俯瞰的活動を確保する観点から、学術会議の必要性やあり方が議論されてきた」などと、一般論に終始した。

つまり、任命拒否の理由をあきらかに出来なかったのだ。ケーキパン朝食会(10月3日)などで篭絡されている記者会が、拒否の理由を追及することはなかった。


◎[参考動画]日本学術会議“任命問題”に菅総理が言及(ANN 2020年10月5日)

◆任命権と選任権の混同からはじまった

ここまでの問題点、および議論を整理しておこう。学術会議法(7条2項)によれば、会員の任命は「学術会議の推薦に基づき、総理大臣が任命する」であるから、総理大臣は「任命しなければならない」とするものだ。つまり「任命」はできても「選任」はできないのだ。これを混同したところに、菅総理の瑕疵がある。

この任命とは「内閣総理大臣は国会の指名に基づき、天皇が任命する」「最高裁長官は内閣の指名に基づき、天皇が任命する」(憲法6条)と同様で、「任命者は拒否できない」ということなのだ。

行政官たる閣僚が内閣総理大臣に任命されたり、省庁の行政官僚が大臣に任命されるのとは、したがって明確な違いがあるのだ。この独立性の必要は後述するが、学問の自由および学術会議が成立した理由にかかわる問題なのだ。

今回の政府側の任命拒否の理由は、一般社会および官僚組織から理解しがちな誤りだともいえる。

いわく「内閣府の所轄であり、総理大臣に任命権が存在する」というものだ。さらには、学術会議の会員は「特別公務員であるから、任免は総理大臣が行なう」と、その行政的な性格を述べている(いずれも加藤官房長官)。いずれも誤りである。

◆学問の自由こそが政策に寄与しうる

さて、前回の記事(10月3日)でも明らかにしたとおり、学術会議法第3条には「学術会議は独立して……職務の実現を図る」とある。この独立性は言うまでもなく、学問の独立(憲法23条)に根ざしている。と同時に、科学および学問の戦争協力を反省することこそ、学術会議が発足する契機であったからだ。学術会議の存在意義とは、戦争の反省の上に立った「政治と学問の分離」なのである。

したがって、学術会議が政権からの独立性を強調しても、し過ぎるものではない。なぜならば、この独立性こそが、政府への諮問・提言が効果的・有効たりうる担保だからだ。政権の云うままの学識者ばかりであれば、その提言は何ら有意義な内容を持たないことになる。国政の方向性もまた、長期的な展望を欠いたものになるであろう。菅のような権力万能論者には思いもよらないことかもしれないが、政策にとって批判こそが有益なのだ。

ここに一般社会での任免権とは明確にちがう、学術会議の独立的な性格があるのだ。なかなか理解しづらいことかもしれない。

たとえば、任命(管理)責任が総理にあるのだから、任命の拒否も当然なのではないか。あるいは、税金を使っているのだから総理大臣が任免に責任を持つべきだ。という感想を抱く人もいないではないだろう。だが、そうではないのだ。

国政のうち、とりわけ科学技術や国防安保政策など、国家の方向性をめぐるきわめてセンシティブなテーマ、慎重を要する法案などについては、ひろく識者の意見を取り入れることが肝要である。国庫から10億円の予算を割いて、学術会議としての諮問機関を設置するには、その独立性こそが要件である。なぜならば、総理大臣には学術会議会員の任免の専門的な能力がない。そして多様かつ批判的な意見こそが求められるからだ。

◆菅総理の見当はずれな見解

そうであるがゆえに「学問の自由を侵すことにはならない」(加藤)。あるいは「学問の自由と学術会議の人事問題はまったく関係ない」「そうじゃないでしょうか?」(菅)という主張が、事の本質を見誤っているのは明白だ。

学問の自由とは個人のそれ(研究活動の自由)ではなく、政治権力からの自由なのである。自由勝手に学問ができれば良い、のではない。政治を批判する自由を、それが税金を使った機関であればこそ、ほかならぬ政治のために侵してはならないのだ。今回の場合はとくに、単純な個人の学問の自由ではなく、政策への批判の自由が問題にされているのだ。

特別公務員(行政官)だから、任免権が所轄の内閣総理大臣にある。という短絡こそが、今回の誤りの原因である。独立した行政機関に対する内閣総理大臣は、単なる機関(組織の歯車)にすぎない。行政官の任免に関する天皇の立場がそうであるように、総理大臣も「単なるハンコ」なのだ。選任するのでなければ「責任が取れない」と、菅は言う。そうではない。批判を受けることこそ、内閣総理大臣たる者の責任なのだ。

税金を使う以上は国民を代表すると、菅総理は云う。そう、総理はそこでは形式的な存在(個人ではなく機関)となるのだ。かつて、美濃部達吉が天皇機関説で天皇制権力の政治システムを解明し、軍部の猛反発を受けた。しかしこの行政理論はいまや、立憲君主制および民主政治の基本になじむ学説となっている。国会議員は国民が選び、政権は国会およびその決議する法律にしたがう。すべて政治家・官僚の行動は法律の縛りを受けている。今回、菅はそれを踏まえなかっただけの話なのだ。

この行政の基本原理が理解できないかぎり、菅義偉という男は恣意的に政治をもてあそび、行政を私物化する怖れがあると指摘しておこう。戦前の軍部同様、政治権力が個人に属する。国民からの負託を個人の思想や行動が体現する、と思い込んでいるからだ。

◆右派系の学術研究者の不在

学術会議会員の任命を拒否した自民党の本音は、論じる前から明らかである。右派系の研究者があまりにも少なく、その不満をほかならぬ右派系の学者たちから、政治家たちが愚痴られているからにほかならない。

TBS「ひるおび」に初登場した新藤義孝(元総務大臣)が、いみじくもその本音を吐露している(10月5日)。「いまの学術会議は、ひとにぎりの人々で占められています。会員選考の手続きも明らかではない。そういう不満を持っている学者先生がわんさかいるんです」と。

「わんさか」が誰を指すのかは不明だが、右派系の研究者が学術会議の会員になれないのは事実なのだろう。というのも、右派・保守系の研究者というのが、ほとんど学界からは無視されるか、誰もがみとめる業績のない研究者ばかりだからだ。

その例を、安保法制の議論からふり返ってみよう。いまだ記憶に新しい、2015年の6月国会の法制審議会の参考人質問である。

参考人質疑に出席したのは、自民推薦の長谷部恭男・早大教授、民主党推薦の小林節・慶大名誉教授、維新の党推薦の笹田栄司・早大教授の3人だった。当代一流の憲法学者であり、まさに学界を代表する人たちだった。

思い出してほしい。自民党などの推薦で参考人招致された憲法学者3人は、集団的自衛権を行使可能にする新たな安全保障関連法案について、いずれも「憲法違反」との見解を示したのだ。

自民党推薦の憲法学者が法案を批判するという驚くべき事態に、国民的な議論が沸き起こり、自民党は強行採決で法案を通すしかなかった。万余のデモ隊が国会を取り囲み、安倍政権は悪夢のような夜を過ごしたのである。

参考人が安保法案を憲法違反と批判したとき、菅義偉官房長官は会見で「法的安定性や論理的整合性は確保されている。まったく違憲との指摘はあたらない」と、例によって内容なし。木で鼻をくくる対応だった。

「全く違憲でないという著名な憲法学者もたくさんいる」とも述べたが、具体的に名前を示すことはできなかった。もともと自民党の「本命」であった佐藤幸治京大名誉教授は、安保法制を合憲とは思っていないことが明白で、それゆえに参考人招致を断ったと考えられている。

当時、憲法学者と肩書のある研究者で、安保法制に賛成の論陣を張ったのは、百地章(國士舘大学客員教授=当時)など、学生時代から右翼活動(生長の家学生連合)に関わっていた研究者。あるいは「新しい歴史教科書をつくる会」の会長でもある八木秀次、あるいは国防問題を専攻する小林宏晨(ドイツ基本法、防衛法学会顧問)、西修(比較憲法、防衛法学会名誉理事長)ぐらいしかいなかったのが現実だ。起草委員の田久保忠衛は外交評論家、佐瀬昌盛も国際政治学者、大原康男は宗教学者であり、そもそも憲法学の専門家ではなかった。

つまり自民党の学術会議への介入は、ないものねだりとしか言いようのない右派系研究者の不在なのである。ないしはその研究レベルが、あまりにも低いがゆえに学術会議に推薦されないからなのだ。

新型コロナ防疫で明らかになったのは、専門家会議の研究者に責任を丸投げしながら、安倍政権は政策判断が何度も遅れることで国民を災禍にさらした。危機管理の脆弱さである。そのことを総括した寡黙な独裁者菅義偉は、学者に責任を転嫁する術を体得したのだ。学術会議そのものに介入することで、研究者たちの忖度が得られると、今回のような暴挙に打って出たというべきであろう。

だが、その狙いはあまりにも低レベルな行政論理解によって、世論の集中砲火を受けることになるのだ。政権発足からわずか半月あまり、菅義偉号は浅薄な言動ゆえに座礁しかけている。


◎[参考動画]「学術会議推薦者外し問題 野党合同ヒアリング」内閣府よりヒアリング(原口一博 2020年10月2日)

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。医科学系の著書・共著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)『ホントに効くのかアガリスク』(鹿砦社)『走って直すガン』(徳間書店)『新ガン治療のウソと10年寿命を長くする本当の癌治療』(双葉社)『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)など。

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〈原発なき社会〉を求めて『NO NUKES voice』Vol.25

《廿日市女子高生殺害事件裁判傍聴記14》【最終回】 遺族に感情移入し、会見で感極まった裁判員

2004年10月、広島県廿日市市の高校2年生・北口聡美さんが自宅で何者かに刺殺された事件は、今年3月、広島地裁であった犯人の鹿嶋学に対する裁判員裁判でようやく真相がつまびらかになった。

鹿嶋は1983年、山口県生まれ。その生い立ちは複雑で、母親が父親と結婚前、父親以外の男性との間に授かった子供が鹿嶋だった。そのために幼少期から父親との関係が悪く、鬱屈した思いを抱えて育った鹿嶋は、広汎性発達障害的な偏りがあり、普段はおとなしいが、カッとなると、暴力的になることがあったという。

高校卒業後はブラック企業的な会社で3年半、辛抱強く働いていたが、たった一度、朝寝坊して仕事に遅刻しそうになっただけで会社を辞めてしまう。そして自暴自棄になり、あてもなく原付で東京に向かう途中、ふと「性行為をしてみたい」と思い立つ。そんな時、たまたま路上で見かけたのが北口聡美さんだった。

聡美さんの家に侵入した鹿嶋は、逃げようとした聡美さんを持参したナイフで刺殺した。さらに現場に駆けつけた聡美さんの祖母ミチヨさんも刺して重傷を負わせたうえ、聡美さんの妹も追いかけ回し、一生消えない心の傷を負わせた──。

3月10日にあった第4回公判。審理で明らかになった上記のような事実関係に基づき、検察側は「有期懲役が相当な事案とは到底言えない」として無期懲役を求刑した。対する弁護側は、「動機は言い訳できないが、鹿嶋さんは発達の遅れがあり、自分の意思だけでどうにかなるものではなかった」として有期懲役が相当だと主張した。そして最後に鹿嶋本人が意見陳述を行った。

◆公判終了後、足早に法廷を出ていった犯人の父親

「私は、事件のことを思い出せる限り、正直に話しました。しかし、ミチヨさんのことは思い出せなくて、申し訳ありませんでした。あと、この裁判を通じ、ご遺族の方の顔を見ることができませんでしたが、この場でご遺族の顔を見て、謝罪したいと思います」

鹿嶋は証言台の前に立ち、嗚咽交じりにそう語ると、檀上の杉本正則裁判長に「マスクをとってよろしいでしょうか」と問いかけた。そして許可されると、マスクをとり、検察官席にいた聡美さんの両親に顔を向け、叫ぶようにこう言った。

「自分の身勝手な都合で、大切なご家族の命を奪い、ご家族の方々を傷つけ、申し訳ございませんでした!」

この時印象的だったのは、聡美さんの父・忠さんが潤んだ目で鹿嶋のことをじっと見すえていたことだ。娘の生命を奪った犯人と目を合わせ続けるのは精神的に相当きつかったろうと思うが、「目をそらしたら負けだ」と思っていたという。

こうして公判審理はすべて終わった。傍聴席では、鹿嶋の両親も審理の行方を見守っていたが、鹿嶋の母親は閉廷後も両手で顔を覆い、うなだれたままだった。一方、その隣に座っていた鹿嶋の父親は、杉本裁判長が公判の終了を告げると、すぐに立ち上がり、足早に法廷を出ていった。筆者はそんな様子を見て、鹿嶋と父親の複雑な関係はやはり事件と無関係ではないだろうと改めて思ったのだった。

◆無期懲役という結果に、被害者の父親は無念そうだったが……

この8日後の3月18日、杉本裁判長は鹿嶋に無期懲役の判決を宣告した。その判決公判後、忠さんは無念そうにこう言った。

「娘には、『負けたよ』と伝えます」

殺害された人数が1人の殺人事件で死刑判決が出ることはめったにない。この事件の場合、検察官も無期懲役を求刑していたので、死刑判決が出る可能性は皆無に等しかった。しかし、やはり遺族は裁判長が判決を宣告するその時まで死刑判決を願い続けていたのだろう。

判決後、無念の思いを語る北口聡美さんの父・忠さん

ただ、杉本裁判長が読み上げた判決理由では、遺族の思いに配慮したかのように鹿嶋のことを厳しく指弾する言葉が並んでいた。

「被害者家族が味わった悲しみは筆舌に尽くし難く、被告人の極刑を望むのも本件の重大性を表すものとして理解できる」

「本件が地域社会に与えた影響も大きかったものと推察される」

「被害者らに対する犯行を選択した経緯は、身勝手極まりないと評価すべきである」

この判決が実は「遺族以外の人たち」の思いもくんだものだったとわかったのは、裁判員たちの会見に出た時のことだった。

◆2歳の娘のことを思いながら裁判に臨んでいた裁判員

会見に参加した2人の男性裁判員に対し、筆者は「もしも自分が被害者のご両親と同じ立場だったらと考えることはなかったですか?」と質問してみた。この質問は思っていた以上に2人の感情を大きく揺さぶったようだった。

まず、1人目の男性裁判員(36)は目から涙をあふれさせ、嗚咽を漏らしながらこう言った。

「私も2歳の娘がいて……かわいい、かわいい……と言いながら育てているので、もしも娘が同じことをされたらと思うと……」

この男性は感極まり、これ以上、言葉をつなげなかった。一方、もう1人の男性裁判員(年齢は未公表。推定で40代後半から50代前半)も神妙な面持ちでこう言った。

「私も被害者と同じくらいの子供がいるので、自分の子供に同じことが起きたらと思わずにはいられませんでした」

2人の話を聞く限り、裁判員たちは聡美さんの遺族に深く感情移入していた。彼らも遺族同様、本当は鹿嶋を死刑にしたいという思いだったことがよく伝わってきた。鹿嶋を厳しく指弾した判決理由の言葉の1つ1つはそんな裁判員たちの思いをくんだものだったのだ。

私は、鹿嶋本人にも会って話を聞いてみたいと思い、取材依頼の手紙を出したうえで、判決公判の翌朝、彼が収容されている広島拘置所を訪ねた。しかし、職員を通じて面会を断られてしまった。そしてその後、鹿嶋も検察も控訴せず、鹿嶋に対する無期懲役刑が確定した。

生い立ちが複雑な鹿嶋は、仕事はまじめだったが、友だちが少なく、ゲームをしたり、アダルトビデオを観たりすることしか趣味がなかった。人生で一度も女性と性行為をしたことがなく、風俗店にも行ったことがなかったと言っていた。そしてこれから長い服役生活を送り、いつか出所できたとしても、その時は老人になっているはずだ。彼の人生は一体何だったのだろうか。(終わり)

鹿嶋が収容されていた広島拘置所。鹿嶋は、筆者との面会に応じなかった

《関連過去記事カテゴリー》
 廿日市女子高生殺害事件裁判傍聴記 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=89

【廿日市女子高生殺害事件】
2004年10月5日、広島県廿日市市で両親らと暮らしいていた県立廿日市高校の2年生・北口聡美さん(当時17)が自宅で刺殺され、祖母のミチヨさん(同72)も刺されて重傷を負った事件。事件は長く未解決だったが、2018年4月、同僚に対する傷害事件の容疑で山口県警の捜査対象となっていた山口県宇部市の土木会社社員・鹿嶋学(当時35)のDNA型と指紋が現場で採取されていたものと一致すると判明。同13日、鹿嶋は殺人容疑で逮捕され、今年3月18日、広島地裁の裁判員裁判で無期懲役判決を受けた。

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。原作を手がけた『マンガ「獄中面会物語」』【分冊版】第11話・筒井郷太編(画・塚原洋一/笠倉出版社)がネットショップで配信中。

最新! 月刊『紙の爆弾』2020年10月号【特集】さらば、安倍晋三
「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

理由を語らず人事に介入した菅義偉の独裁性 日本学術会議会員の任命拒否は、内閣総理大臣の職権を超えている

◆政治の私物化を厭わない独裁者・菅義偉の正体が明らかに

おそらく政治の権限というものを、あまりにも単純に考えているのだ。国民の負託を受けた政治権力(総理大臣)は、その任免権において何をやっても許されるのだと。ヒトラーの全権委任法を、21世紀において実行しようとしているかのようだ。

日本学術会議の新会員任命(任期3年)について、菅総理は105名のうち6人を任命しないという処置をとった。史上初めてのことである。


◎[参考動画]日本学術会議 人事「NO」に野党追及(FNN 2020年10月2日)

そもそも学術会議は政府から独立した組織であり、その予算が内閣府傘下の予算建て(国庫から)になっていることから、形式上、総理大臣が任免することになっているに過ぎない。日本学術会議法はその第3条において、政治からの独立を宣言しているのだ。

「日本学術会議は独立して左の職務(一、科学に関する重要事項を審議し、その実現を図ること。二、科学に関する研究の連絡を図り、その能率を向上させること。)を行う」と。

ところが、その独立性を知らない菅総理は、政治主導(つまり官邸独裁)をここでも発揮してみせたのである。このことが、学問の自由をめぐる政治問題に発展するのは必至だ。はやくも国会論議の焦点が、いや国民的な大運動に発展させるべき案件が浮上したといえよう。学問の自由・独立が侵されたのだ。

というのも、任命されなかった学者のうち、国会で政府の法案に批判的だった人物が含まれているからだ。好ましからぬ人物(芸術家や研究者)を排除する。それはナチスドイツの文化政策と酷似している。

今回、推薦されながら任命されなかったのは、芦名定道京都大教授(哲学)、小沢隆一東京慈恵会医科大教授(憲法学)、宇野重規東京大教授(政治学)、岡田正則早稲田大教授(行政法学)、加藤陽子東京大教授(日本近代史)、松宮孝明立命館大教授(刑事法学)の人文社会科学系の6人である。

その大半に安保法制に反対してきた経緯があり、松宮教授は共謀法やテロ等準備罪法に反対し、国会で意見を述べているのだ。したがって、今回の任命拒否は、政府の政策・法案に反対する研究者は学術会議から排除する、という政治宣言にほかならない。


◎[参考動画]岡田正則早稲田大教授(行政法学)の会見(東京新聞 2020年10月2日)


◎[参考動画]小沢隆一東京慈恵会医科大教授(憲法学)の会見(東京新聞 2020年10月2日)

◆排除の理由を明らかにできない政府

政府は今回の任命拒否の理由を、絶対に明らかにできないであろう。

なぜならば、選考理由を明らかにすれば、任命拒否それ自体の違法性が露呈するからだ。まずは正面から、憲法23条に違反する違憲行為であることを指摘しておこう。

事実、加藤勝信官房長官は1日の記者会見で「内閣総理大臣の所轄であり、会員の人事等を通じて一定の監督権を行使するっていうことは法律上可能となっておりますから、まあ、それの範囲の中で行われているということでありますから、まあ、これが直ちに学問の自由の侵害ということにはつながらない。個々の選考理由は人事に関することでコメントを差し控える」と述べている。

今回の選考理由は、けっして任免を左右するような人事問題ではない。今回の政府による会員資格の当否が研究の中身にかかわる、と同時に政府批判にかかわることになるからだ。つまり研究の内容ではなく、研究者の政府批判が基準になっているのだから、もはや学問に政治介入するもの以外の何物でもない。いや、そもそも政府には研究活動の内容を選考理由にする基準は存在しないのだ(憲法23条「学問の自由は、これを保障する」)。


◎[参考動画]芦名定道京都大教授(哲学)=京都大学春秋講義「『戦争と平和』の時代とキリスト教」2016年4月13日 Part 1(Kyoto-U OCW 2019年2月20日)


◎[参考動画]宇野重規東京大教授(政治学)インタビュー(NIRA総合研究開発機構 2018年12月19日)

◆明らかな憲法違反である

過去の政府答弁を確認しておこう。

選挙で日本学術会議の会員を選ぶ制度に代わり、現在の推薦制度が導入された1983年の国会審議では、下記の政府答弁がなされている(参議院文教委員会8号、昭和58年5月12日)。長いが引用しておこう。

粕谷照美(社会党)「推薦制のことは別にしましてその次に移りますが、学術会議の会員について、いままでは総理大臣の任命行為がなかったわけですけれども、今度法律が通ると、あるわけですね。政府からの独立性、自主性を担保とするという意味もいままではあったと思いますが、この法律を通すことによってどういう状況の違いが出てくるかということを考えますと、私たちは非常に心配せざるを得ないわけです」

手塚康夫(政府委員)「前回の高木先生の御質問に対するお答えでも申し上げましたように、私どもは、実質的に総理大臣の任命で会員の任命を左右するということは考えておりません。確かに誤解を受けるのは、推薦制という言葉とそれから総理大臣の任命という言葉は結びついているものですから、中身をなかなか御理解できない方は、何か多数推薦されたうちから総理大臣がいい人を選ぶのじゃないか、そういう印象を与えているのじゃないかという感じが最近私もしてまいったのですが、仕組みをよく見ていただけばわかりますように、研連から出していただくのはちょうど二百十名ぴったりを出していただくということにしているわけでございます。それでそれを私の方に上げてまいりましたら、それを形式的に任命行為を行う。この点は、従来の場合には選挙によっていたために任命というのが必要がなかったのですが、こういう形の場合には形式的にはやむを得ません。そういうことで任命制を置いておりますが、これが実質的なものだというふうには私ども理解しておりません」

形式的な任命権である、と明言しているのだ。したがって「学術会議に監督権を行使することが法律上可能」という加藤官房長官の発言は、日本学術会議法7条2項(会員は、第17条の規定による推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する。)について「総理大臣の任命権は形式的なものに過ぎない」とする政府の国会答弁(従って公権解釈)と明確に矛盾するのだ。

菅総理は自民党総裁選の段階から、官僚の人事について「私ども、選挙で選ばれてますから、何をやるかという方向が決定したのに反対するのであれば異動してもらいます」と明言してきた。

これを学術団体にまで適用したのが、今回の任命拒否なのである。いうまでもないことだが、日本学術会議の構成員は行政官僚ではなく、それぞれが独立した研究者である。このような政治介入がまかり通るのであれば、コロナ対策における専門家会議が政府の都合(失敗を隠ぺい)で廃止されたり、御用学者の意見のみを根拠として政策が実行されていくことになる。

いや、そもそも安保法制のように、9割をこえる憲法学者が反対をする政策が、無批判に行なわれることを意味するのだ。メディア関係者との会食をくり返して、報道内容に手心を加えさせる。あるいはニュース番組の人事に介入し、放映権をかたに政府寄りに報道を捻じ曲げようとしてきた自民党政権において、寡黙な実務派である菅総理が、本領を発揮し始めたとみるべきであろう。いまこそ寡黙な独裁者の言動を国民的にあばき出し、その政治的な死を強いなければならない。


◎[参考動画]加藤陽子東京大教授(日本近代史)『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(FM放送ラジオ番組ベストセラーズチャンネル 2015年12月25日)


◎[参考動画]松宮孝明立命館大教授(刑事法学)【テロ等準備罪】【共謀罪】参考人意見陳述【参議院法務】(※動画33分50秒~)2017年6月1日(shakai nomado 2017年6月9日)

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。医科学系の著書・共著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)『ホントに効くのかアガリスク』(鹿砦社)『走って直すガン』(徳間書店)『新ガン治療のウソと10年寿命を長くする本当の癌治療』(双葉社)『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)など。

月刊『紙の爆弾』2020年10月号【特集】さらば、安倍晋三
〈原発なき社会〉を求めて『NO NUKES voice』Vol.25

自民党・杉田水脈議員の「女はウソをつく」発言で誰がウソをついていたのか?

「(性暴力の被害をうけた)女性は、いくらでも嘘をつける」

杉田水脈(みお)衆議院議員の自民党内閣第一部会・内閣第二部会合同会議で発言したとされる。この会議に出席した複数の自民党関係者の証言から、共同通信が配信したものだ。

部会の会議では、男女共同参画の来年度要求予算額についての説明が行なわれ、その中で「女性に対する暴力対策」に予算が建てられたことを巡っての発言だったという(本人のブログから)。つまり、女性への暴力について「女性はいくらでも嘘をつける」と、あたかも被害者女性がウソをつくから問題だ、とでも云う被害者バッシングを行なっていたのだ。

杉田水脈議員と言えば、『新潮45』(2018年8月号)で「LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子供を作らない、つまり『生産性』がないのです」と書き、当事者のみならず世論の猛批判を受けた。


◎[参考動画]「生産性ない」発言の杉田水脈議員が釈明(ANN 2018年10月24日)

『民主主義の敵』(2018年青林堂)

さらに『新潮45』が2018年10月号において「そんなにおかしいか『杉田水脈』論文」と題する特別企画を立てた。この特別企画には小川榮太郎や松浦大悟ら7人が杉田の主張を擁護する趣旨の文章を寄稿。これまた新潮社から著書を出している作家らの批判を浴びた。

けっきょく、この件で新潮社は『新潮45』の廃刊を余儀なくされた。中瀬ゆかり編集長時代には中年男性の本音を衝く総合雑誌として一世を風靡した同誌は、極右路線への漂流のすえに廃刊に追い込まれたのである。杉田はいわば、極右的な言動でネトウヨや封建保守派の代弁者として、言論界に生息してきたといえよう。

当初、杉田本人はみずからのブログで、以下のように今回の発言を否定していた。
「一部報道における私の発言について」

「昨日、一部で私の発言についての報道がございましたので、ご説明いたします。まず、報道にありましたような女性を蔑視する趣旨の発言はしていないということを強く申し上げておきたいと存じます。」

発言を否定していたのだ。杉田の発言を、誰かがウソをついて捏造していたのだろうか。

杉田に直接聞き取りをした下村博文政調会長は、「今回わが党の杉田水脈議員の部会における発言について報道があった。この報道について、杉田議員から直接お聞きした。杉田議員からは『女性に対する暴力対策に対する、しっかりとした取り組みをする必要があると考え持論を述べた。女性蔑視を意図した発言はしていない』と説明があった。」としている。

そして、「わが党は部会での審議内容は公開していないので、誰がどのような発言をしたかは公表していない。わが党の部会は国民の代表による国会議員が自由に政策論議を行う場だ。第三者が傍聴していたのでは言いにくい話もあり、政策立案のためには本音の議論もある。そこで政策立案の部会は会議を基本的に非公開にして各人の発言を公にしないでやっている。」などと、「非公開の原則」という防衛線を張って幕引きをはかっていた。


◎[参考動画]杉田水脈議員“発言” 自民幹部から注意【Nスタ】(TBS 2020年9月30日)

ところが、10月1日午後になって一転、杉田は自分の発言をみとめたのだ。

「9月26日に投稿いたしましたブログ記事『一部報道における私の発言について』につきまして、一部訂正を致します。
 件の内閣第一部会・内閣第二部会合同会議において私は大変長い発言をしており、ご指摘のような発言は行っていないという認識でおり、『報道にありましたような女性を蔑視する趣旨の発言(「女性はいくらでも嘘をつく」)はしていない』旨を投稿いたしました。
 しかし、今回改めて関係者から当時の私の発言を精査致しましたところ、最近報じられている慰安婦関係の民間団体の女性代表者の資金流用問題の例をあげて、なにごとも聖域視することなく議論すべきだと述べる中で、ご指摘の発言があったことを確認しましたので、先のブログの記載を訂正します。事実と違っていたことをお詫びいたします。」

自分の発言も、関係者に精査しなければわからない。この人は認知症なのかもしれない。いや、確信的な「忘却」なのである。


◎[参考動画]「女性はうそつける」杉田議員、一転発言認め謝罪(ANN 2020年10月1日)

◆杉田によるセカンドレイプ事件

慧眼な本欄の読者諸賢ならば、すぐに思い起こされる事件があるだろう。安倍政権の御用ライター・山口敬之のレイプ事件を擁護した、杉田の一連の発言。とりわけ、彼女のセカンドレイプに係る訴訟事件である。

詳しくは、本欄の記事、『伊藤詩織氏がセカンドレイパーを提訴 「ツイート」の「いいね」も民訴(損害賠償)の要件になるか?』(2020年8月24日)を参照して欲しい。

この事件で、杉田は伊藤詩織さんから220万円の損害賠償訴訟をされているのだ。

「女性は、いくらでも嘘をつける」とは、この事件が念頭にあったからではないのか。レイプ犯の擁護者として、みずからがまさにセカンドレイパーとしての被告であるからこそ、同性を貶める発言を流布しているのにほかならない。最悪の女性差別者は、杉田のような女性だという皮肉な現実が日本社会なのだ。。

いや、そもそも杉田水脈は女性差別という、現代日本社会の病理を認めようともしないのだ、

「とにかく女性が『セクハラだ!』と声を上げると男性が否定しようが、嘘であろうが職を追われる。疑惑の段階で。これって『現代の魔女狩り』じゃないかと思ってしまう。本当に恐ろしい(本人Twitter、2018年4月) 」

「私は、女性差別というのは存在していないと思うんです。女子差別撤廃条約には、日本の文化とか伝統を壊してでも男女平等にしましょうというようなことが書いてあって、これは本当に受け入れるべき条約なのか」とも主張している(2014年10月15日、内閣委員会)。

「日本は、男女の役割分担をきちんとした上で女性が大切にされ、世界で一番女性が輝いていた国です。女性が輝けなくなったのは、冷戦後、男女共同参画の名のもと、伝統や慣習を破壊するナンセンスな男女平等を目指してきたことに起因します。男女平等は、絶対に実現し得ない、反道徳の妄想です。 男女共同参画基本法という悪法を廃止し、それに係る役職、部署を全廃することが、女性が輝く日本を取り戻す第一歩だと考えます」 (2014年10月31日、衆議院本会議)。

史実はそうではない。生産性が低いがゆえに、男女が力を合わせて農業に従事した古代・中世においてはともかく、江戸期の儒教的な男尊女卑の価値観および戦乱によらない嫡子相続社会が、圧倒的に女性の社会的地位を貶めてきたのである。無能な男性でも家を継承できる、ある意味では能力を否定してきたのが日本の近世社会なのだ。それは封建制という身分社会・差別社会の産物にほかならない、その残滓こそ、杉田が誇りとする男社会なのだ。

2020年1月には、選択的夫婦別姓に関して、国民民主党の玉木雄一郎代表が「速やかに選択的夫婦別姓を実現させるべきだ」と述べた際「それなら結婚しなくていい!」とヤジを飛ばしている。

もはや時代錯誤としか言いようがない。封建的な家制度が個人の上に立ち、女性は男性の従者でしかないと主張するのだ。

◆小選挙区と比例代表制のあだ花

どうしてこんな低レベルの政治家が生まれたのだろうか。杉田はもともと、日本維新の会から衆議院選挙(2012年)に出馬し、選挙区(兵庫6区)で敗れたものの、比例区(近畿ブロック)で復活当選した議員である。

2014年の維新の会の分裂にさいしては次世代の党に参加し、2014年の衆議院選挙で落選している。つまり、いずれも選挙区では落選しているのだ。

その後、ネット番組で知己を得た櫻井よしこの薦めで、安倍総理(当時)の目にとまり、自民党から比例区候補(選挙区は不出馬)として議員復帰を果たしたのである。つまり比例区候補であって、個人として選挙民の支持を得たわけではないのだ。

国民にウソをついたのだから、さっさと辞職するべきであろう。そもそも杉田水脈には、国民に選ばれた国会議員の地位にしがみつく正当な理由はないのだから。

カネがかからないはずの小選挙区で、しかし政党助成金という名の血税がばら撒かれ、党の公認を受けるための忠誠、すなわち官邸の言いなり政治家が輩出されてきた。政治家の劣化とは、この党中央・官邸独裁の産物なのである。

そしてそれは、政治家の人物を評価しない国民の投票行動として、悪夢のような安倍政権の長期化を許してきた。このさい、選挙制度の抜本的な改革こそ求められている。


◎[参考動画]祝!当選&新番組予告「衆議院議員杉田水脈の国政報告」司会:倉山満(チャンネルくらら 2017年10月28日)

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。医科学系の著書・共著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)『ホントに効くのかアガリスク』(鹿砦社)『走って直すガン』(徳間書店)『新ガン治療のウソと10年寿命を長くする本当の癌治療』(双葉社)『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)など。

月刊『紙の爆弾』2020年10月号【特集】さらば、安倍晋三
〈原発なき社会〉を求めて『NO NUKES voice』Vol.25

《廿日市女子高生殺害事件裁判傍聴記13》精神鑑定医が語った「凶行の理由」

この連載で伝えてきた通り、廿日市女子高生殺害事件の犯人・鹿嶋学(現在37)が2004年10月、被害者の北口聡美さん(当時17)を殺害した動機は、「レイプしようとしたが、逃げられたから」というものだった。

鹿嶋は犯行前日まで、山口県萩市にあるアルミの素材メーカーの工場で働いていた。しかし、朝寝坊し、遅刻しそうになったのをきっかけに突然会社を辞めてしまう。それからアテもなく、原付で東京に向かう途中、「女子高生をレイプしよう」と思いつく。そして路上で見かけた聡美さんをターゲットに定め、聡美さん宅に侵入したが、逃げられたことに逆上し、持参していたナイフで聡美さんを何度も刺して殺害したのだ。

今年3月、広島地裁で行われた鹿嶋の裁判員裁判では、こうした真相がつまびらかになったが、謎がまだ1つ残っている。鹿嶋がなぜ、「女子高生をレイプしよう」と思いつく精神状態になったのか──ということだ。

それについては、鹿嶋の精神鑑定を手がけた医師が証人出廷し、精神医学的な見地から詳しく説明している。今回はそれを紹介したい。

◆子供の頃の記憶や父親との思い出がほとんど無い

事件が未解決の頃、警察が作成した「犯人」の似顔絵。鹿嶋は本当にこんな感じの顔だった

「犯行の前後に反社会的な性向はなく、穏やかな生活をしていた被告人が、なぜこのような凶悪な犯行をしたのか。それが理解しがたいということで、今回の精神鑑定を行いました」

3月5日、広島地裁第304号法廷。証人出廷した精神鑑定医は、まずは鑑定の趣旨をそのように説明した。そしてそれから、鑑定結果を1つ1つ説明していった。

「まず、成育歴ですが、被告人はお父さんのことを『子供の頃から嫌いだった』と言っています。父親との思い出はほとんど無いそうです」

すでにお伝えした通り、父親にとって、鹿嶋は「妻が結婚前に宿していた自分以外の男の子供」だった。妻と結婚後、自分の子供として育てたが、事実関係を見ると、父親が鹿嶋を心の底から愛しているとは認め難かった。鹿嶋が父親と血のつながりがないことを知ったのは事件後のことだが、やはり子供の頃から父親に愛されていないことを無意識のうちに気づいていたのだろう。

このように父親との関係が複雑だったためか、鹿嶋は精神医学的にも色々問題を抱えていたようだ。

「被告人は幼少期から小学校低学年までの記憶がほとんど無いのです。これは、自分に対する興味が無いことの現れです。高校の名前も漢字が難しいこともありますが、それすらも記憶が曖昧なのです」

そんな歪んだ性質だった鹿嶋は、当時から問題行動が確認されている。

「小学校から中学校にかけては、よくケンカをしていて、喧嘩の際、代本版(※)で友だちを殴り、謝りに行ったことがあるそうです。怒ったら何をするかわからないところがあり、自分でも直さないといけないと思っていたそうです」

鹿嶋は犯行時、レイプしようとした聡美さんが逃げ出したことに逆上し、聡美さんに怒りをぶつけるように何度もナイフで刺して殺害している。そのような「突如キレ、とんでもないことをする」という性質は、子供の頃から現れていたわけだ。

※「だいほんばん」と読む。図書館で本が本来置かれるべき場所に無い時に、本の現物に代わって置かれる板のこと。

◆会社を辞め、故郷を捨てることを決めた

鹿嶋は父親との関係が複雑ではあったが、父親が鹿嶋を虐待したりするようなことはなかったという。

「被告人にとって父親は、『規範を守る象徴』でした。父親の前では、きちんとしないといけない感じ、勝手に緊張するなどして、息苦しく感じていたそうです」

そんな環境で育った鹿嶋は高校を卒業すると、「父親が嫌いなので、早く宇部市の実家を離れたい」との思いから寮生活ができる萩市の会社に就職した。そして会社では、同僚たちと仲良くしていたという。

しかし、職場はブラック企業的な環境だったため、その同僚たちは1年以内に次々に会社を辞めていく。鹿嶋は話し相手がいなくなり、寂しい思いを抱えつつ、仕事でも辛い思いをしていたという。

「会社では、2カ月に1度、朝礼があり、みんなの前で業務改善案を発表しないといけませんでした。被告人は、これが苦痛だったそうです。発表に失敗すると、吊るし上げに遭い、他の人が失敗した時には、自分も失敗した人を吊るし上げなければいけなかったからです。その後、ケガをして部署を変わると、残業が増え、さらにつらい思いをしたそうです」

鹿嶋はそんなブラック企業的な職場で3年余り、忍耐強く仕事を続けていた。ところが一転、いざ会社を辞める時には、寝坊し、遅刻しそうになったというだけの理由で辞めている──。

「休み明けに寝坊し、遅刻をしそうになったことにより、仕事に行くのがどんどんいやになり、逃げ出すことしか考えられなくなったのです。そして身の回りの荷物だけを持ち、会社を飛び出してしまうのですが、それから先のことは何も考えていなかったそうです」

そんな極端な考えから会社を逃げ出した鹿島は、原付で実家のある宇部市に戻り、友人宅に一泊している。そして翌日、東京に何のアテもないのに、原付で東京に向かうことを決めるのだが、宇部市内で信号待ちをしていた際、両親が乗っていた車と遭遇している。鹿嶋はこの時、両親に声をかけられながら、無視して走り去ってしまうのだが、それはなぜだったのか。

「会社を辞めたため、『両親に合わせる顔が無い』と考え、両親を無視して逃げたのです。この時、被告人は故郷である宇部を捨てようと思い、携帯電話も捨てています。故郷を捨てることに寂しい気持ちがあったそうですが、一方で、会社から開放され、高揚感も入り混じっていたようです」

話し相手となる同僚もいないブラック企業な職場で、辛抱強く働いた3年間。この生活から解き放たれた鹿嶋は、一気に犯行へと突き進んでいく。

◆想定と違う事態に混乱し、溜まっていた鬱憤が爆発した

「被告人はレイプ願望が元々ありましたが、そういうことを実際にできる性格ではありませんでした。しかし事件を起こした時は会社を辞め、故郷を離れ、社会から外れてしまったという思いだったので、自分を止めるものが何も無い状態でした。東に向かって原付で国道2号線を進んでいると、ふと『エッチがしたい』という気持ちになり、本当に実行しようとしてしまったのです」

そんな時、鹿嶋が路上で見かけ、ターゲットに定めたのが被害者の北口聡美さんだったというわけだ。そして鹿嶋は聡美さん宅に侵入したが、聡美さんが逃げ出そうとしたために激怒し、ナイフを突き立ててしまうのだ。

「被告人はこの時、想定と違う事態に混乱し、溜まっていた鬱憤が爆発したのです」

鹿嶋はこの時、居合わせた聡美さんの祖母も刺して重傷を負わせ、聡美さんの小学生だった妹のことも追いかけ回しているが、聡美さんの妹を刺そうとしたことは「憶えていない」とのことだ。

そして犯行後、鹿嶋は1カ月ほどかけて原付で東京にたどり着くが、何か目的があったわけではない。そのため結局、東京には数日滞在しただけで「捨てた故郷」の宇部に戻っている。この時、複雑な関係にあった父親が鹿嶋のことを抱きしめているのだが──。

「被告人によると、お父さんに抱きしめられても、なんとも感じなかったそうです」

この時、父親が鹿嶋を抱きしめた真意は不明だが、お互いに相手への愛情はなかったのだろう。

鹿嶋の裁判員裁判が行われた広島地裁

◆「明日、世界が滅びる」というくらいの絶望感と開放感

事件後、鹿嶋は友人の紹介で土木会社に就職している。そして2018年4月、別件の傷害事件を起こしたのをきっかけに逮捕されるまで13年半も一般社会で暮らしていた。鹿嶋はこの間、警察に捕まることへの不安を感じていなかったという。

「捕まりたいわけではないですが、捕まりたくないとも思っていなかったそうです。事件を起こしてからはずっと事件のことは考えないようにしていたそうで、警察に捕まった時には、ホッとしたというか、肩の荷がおりた心境だったそうです」

そして鹿嶋は犯行後、精神鑑定を受けるのだが、そのための入院中は終始穏やかに過ごしていたという。感情は起伏がなく、安定しており、躁鬱もなかった。そして統合失調症などの精神障害がないことも確認されたそうだが──。

「一方で被告人は幼少期の記憶がなく、自分への関心も少ないうえ、情状的な発達は乏しかった。知能検査の結果、知能は高いことがわかりましたが、情動的な理解力は低いことも判明しました。それらのことから、広汎性発達障害ではないが、『広汎性発達障害的な偏り』があると判定しました」

では、『広汎性発達障害的な偏り』があるとは、具体的にどういう状態なのか。

「普段は社会に適応できる普通の青年なのですが、カッとなると、激しい暴力行動に出るなど、極端な面があります。情緒的な部分が乏しく、『こうあるべきだ』というものにとらわれていて、大きなストレスがかかった時に行動を制御できなくなるのです。普段は、情緒的な発達の乏しさを知的な面の高さで補い、社会に適応しているのですが、物事を段階的・デジタル的にとらえがちで、感情的・アナログ的に判断することができません」

鹿嶋はこのような事情を抱えていたため、寝坊をして遅刻しそうになっただけで会社を辞め、さらに会社を辞めたことにより、「全てを失ったような感覚」に陥ったのだという。

「たとえば、『明日、世界が滅びる』と知れば、自暴自棄になり、やりたい放題になる人もいると思います。被告人も会社を辞めた際には、それくらいの絶望感を抱いていたのです。それに加え、ずっと我慢していた会社を辞め、開放感もあった。そして自暴自棄になり、犯行に及んでしまったのです」

精神鑑定医の話は、鹿嶋がいかに犯行に及んでいったのか、心の中の流れを説明した話としては、わかりやすかった。問題の『広汎性発達障害のような偏り』がある状態になるまでには、父親との複雑な関係も影響があったのだろう。(次回につづく)

《関連過去記事カテゴリー》
 廿日市女子高生殺害事件裁判傍聴記 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=89

【廿日市女子高生殺害事件】
2004年10月5日、広島県廿日市市で両親らと暮らしいていた県立廿日市高校の2年生・北口聡美さん(当時17)が自宅で刺殺され、祖母のミチヨさん(同72)も刺されて重傷を負った事件。事件は長く未解決だったが、2018年4月、同僚に対する傷害事件の容疑で山口県警の捜査対象となっていた山口県宇部市の土木会社社員・鹿嶋学(当時35)のDNA型と指紋が現場で採取されていたものと一致すると判明。同13日、鹿嶋は殺人容疑で逮捕され、今年3月18日、広島地裁の裁判員裁判で無期懲役判決を受けた。

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。原作を手がけた『マンガ「獄中面会物語」』【分冊版】第11話・筒井郷太編(画・塚原洋一/笠倉出版社)がネットショップで配信中。

最新! 月刊『紙の爆弾』2020年10月号【特集】さらば、安倍晋三
「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

《NO NUKES voice》【東日本大震災・原子力災害伝承館】(下)館内撮影は全面禁止、スタッフは〝厳戒態勢〟 事故被害の伝承よりも福島県が守りたいものとは 民の声新聞・鈴木博喜

本来なら〝復興五輪〟の開幕に合わせて7月にもオープンする計画だったが、新型コロナウイルスの感染拡大を受けて五輪自体が1年延期。展示の準備も滞った事で開館が9月にずれ込んだ。〝復興五輪〟と連動し、指定管理者を「公益財団法人福島イノベーション・コースト構想推進機構」(斎藤保理事長、以下機構)に決め、初代館長に〝山下チルドレン〟の高村昇・長崎大学教授を選ぶ。感染症の問題が無ければ、復興大臣や県知事、双葉町長などが大々的にテープカットでもしただろう。ここまで揃えば、原発事故被害の実相を後世に伝えるような施設にする事など、むしろ無理だったのかもしれない。

展示内容の忖度ぶり、物足りなさもさることながら、現場で驚かされたのはスタッフたちの〝厳戒態勢〟だった。

「伝承館」では常にスタッフが〝監視〟をしている。語り部も観客も取材者も

結果的に筆者が取材したのは2日目だったが、オープン初日の取材も「感染拡大防止」を理由に福島県庁内の記者クラブに限定。県生涯学習課が窓口となり、事前に取材者を登録させた。筆者のようなフリーランスには当然、事前申し込みが必要である事など知らされない。「フリーランスの方もたくさんいて連絡の取りようが無い」と担当者は電話で釈明したが、最終的には「入館料(600円)を支払ってお客さんとして入っていただく分には大歓迎ですよ。もちろん、撮影に関しても記者クラブの皆さんと同じ扱いになります」という事で現場に向かった。ちなみに、事前に取材を申し込んだ記者クラブメディアは入館料を払わずに入館したという。

電話での県職員の説明では「一部、写真や動画の撮影を遠慮していただいているが、撮影可能のエリアもある。それは記者クラブの皆さんも同じ」という事だったので腕章を付けたカメラを手に入館したが、最初のプロローグシアターから2階の展示室に上がるスロープで写真撮影していると、遠くのスタッフが「撮影しないでください」と声がかかった。2階に上がったところで改めて「館内は全面的に撮影禁止なんです」とのこと。「取材であればどうぞ」という事で話はいったん終わったが、再び声をかけられた。「取材の方がいらっしゃるとは聞いていないとのことなので、ちょっとよろしいですか」。1階に向かうように言われ、展示スペースの外に出された。そこからが大変だった。

指定管理者の機構が24日、今後の取材は事前申請が必須との告知を急きょホームページに掲載した。禁止事項だらけで、福島県は何を守ろうとしているのか

館内には至るところに緑色の制服を着たスタッフが立っていて、入館者の様子を見ている。スタッフとは別に警備員もいる。順路とは別の階段で1階に下りると広報担当者が現れたが、他に4、5人のスタッフが筆者を取り囲んだ。まるで犯罪者か暴漢でも取り押さえようとしているかのよう。こちらは大声を出しているわけでも何でも無い。それを伝えると周囲のスタッフは我に返ったように下がり、広報担当者だけが残った。事情を説明し、改めて写真撮影も含めた取材を始めた。排除の姿勢を見せつけられたようだった。

一般来館者にはやはり、館内での写真撮影を全面的に禁じているという。スタッフが来館者に「現在、報道の方が写真を撮影しておりますが、皆さんは撮影禁止ですのでよろしくお願いします」と呼びかける念の入れよう。今やスマホで撮影してSNSに投稿する時代。福島県内外から多くの人に訪れて欲しいのならばSNSでの〝宣伝〟はむしろ歓迎するはずだが、担当者は「著作権の問題や個人情報の部分もあり撮影は御遠慮いただいています。どれを撮影しているか確認する事も出来ないですし…」と話した。将来の〝解禁〟には含みを持たせていたが、当面は全面撮影禁止という。

実は「伝承館」の展示内容を説明する事前の記者レクでは朝日新聞を中心に厳しい質問が飛び交っていた。高村館長も囲み取材で「伝承館の一番の主眼はですね、復興のプロセスというものを保存してそれを情報発信していく事」と語っていただけに、展示内容には期待出来ないとの声も少なくなかった。実際、展示物は思わず目を見張るものや息を呑んでしまうようなものは無く、原発事故から10年の苦痛や怒りは伝わって来ない。確かに、高村館長の言う「復興のプロセス」がきれいにまとめられている。それをSNSで広められてしまったら再び批判の的になってしまうと恐れたのだろうか。そう邪推してしまうほど、表面をさらっとなぞっただけ。国や東電のパンフレットを読んでいるような錯覚に陥るような内容なのだ。

福島県庁内にもポスターが何枚も貼られた。「伝承館」とは名ばかりで、実際には「復興PR館」だった
「この看板こそ、原発遺構として最も重要な遺構です」。双葉町の大沼勇治さんは原発PR看板の現物展示を望んでいたが叶わなかった(赤線は全て筆者)

建設にあたり、県は24万点もの資料を収集。その中から〝厳選した〟150点余が展示されている。確かに、原子炉建屋が爆発する映像や当時の東電テレビ会議の映像を観れば、あの頃の記憶はよみがえる。しかし、原発事故は「爆発しました、避難しました、除染しました、復興が進んでいます」で語れるほど簡単なものでは無いのだ。

「原発避難」だけで1つのフロアを埋め尽くす事が出来るだろう。なぜ福島県だけが「年20ミリシーベルト」まで基準値を上げられたのか、それによって裁判を起こした人々が南相馬にいる事も触れられていない。フレコンバッグの現物は展示されているが、除染で生じた汚染土壌の再利用問題は正面から取り上げない。溜まり続ける汚染水の海洋放出問題は?原発事故によって自ら死を選んだ人がいる事や生業を奪われた人がいる事は?そして何より、加害企業である東電が自ら立てた「3つの誓い」を反故にして、法廷で被害者たちに侮辱的な言葉を浴びせ続けている事は触れられていない。

原発事故がひとたび起きると被害は深く複雑で、10年ではとても解決出来ない事を次の世代に伝えなくてどうするのか。それよりも写真撮影を禁じる方が大事なのだろう。あらゆるところに、この施設の性格が表れている。

双葉町の大沼勇治さんが現物展示を望んだ原発PR看板「原子力 明るい未来の エネルギー」は結局、写真が展示された。現物が大きい事もその理由の1つだが、建物の前には広い芝生が広がっている。サビを防止する加工を施して屋外に展示する事も出来た。しかし、福島県は「加工する時間も費用もかかる」としてやらなかった。福島県が本当に「伝承」したいものは何なのか。推して知るべしと言えよう。(了)

◎【東日本大震災・原子力災害伝承館】
(上)館長選びの時点ですでにこうなる事は決まっていた 展示で伏せられた原発事故被害の実相
(下)館内撮影全面禁止、スタッフは〝厳戒態勢〟 事故被害の伝承よりも福島県が守りたいものとは

▼鈴木博喜(すずき ひろき)

神奈川県横須賀市生まれ、48歳。地方紙記者を経て、2011年より「民の声新聞」発行人。高速バスで福島県中通りに通いながら、原発事故に伴う被曝問題を中心に避難者訴訟や避難者支援問題、〝復興五輪〟、台風19号水害などの取材を続けている。記事は http://taminokoeshimbun.blog.fc2.com/ で無料で読めます。氏名などの登録は不要。取材費の応援(カンパ)は大歓迎です。

『NO NUKES voice』Vol.25

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紙の爆弾2020年10月号増刊
2020年9月11日発行
定価680円(本体618円+税)A5判/132ページ

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総力特集 ニューノーマル 脱原発はどうなるか
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[グラビア]〈コロナと原発〉大阪、福島、鹿児島

[報告]小出裕章さん(元京都大学原子炉実験所助教)
 二つの緊急事態宣言とこの国の政治権力組織

[インタビュー]水戸喜世子さん(「子ども脱被ばく裁判」共同代表)
    コロナ収束まで原発を動かすな!

[座談会]天野恵一さん×鎌田 慧さん×横田朔子さん×吉野信次さん×柳田 真さん
    コロナ時代の大衆運動、反原発運動

[講演]井戸謙一さん(弁護士/「関電の原発マネー不正還流を告発する会」代理人)
    原発を巡るせめぎ合いの現段階

[講演]木原壯林さん(若狭の原発を考える会)
    危険すぎる老朽原発

[報告]尾崎美代子さん(西成「集い処はな」店主)
    反原発自治体議員・市民連盟関西ブロック第四回総会報告

[報告]片岡 健さん(ジャーナリスト)
    金品受領問題が浮き彫りにした関西電力と検察のただならぬ関係

[報告]おしどりマコさん(漫才師/記者)
「当たり前」が手に入らない福島県農民連

[報告]島 明美さん(個人被ばく線量計データ利用の検証と市民環境を考える協議会代表)
    当事者から見る「宮崎・早野論文」撤回の実相

[報告]鈴木博喜さん(ジャーナリスト/『民の声新聞』発行人)
   消える校舎と消せない記憶 浪江町立五校、解体前最後の見学会

[報告]伊達信夫さん(原発事故広域避難者団体役員)
    《徹底検証》「原発事故避難」これまでと現在〈9〉
    「原発事故被害者」とは誰のことか

[報告]山崎久隆さん(たんぽぽ舎共同代表)
    多量の放射性物質を拡散する再処理工場の許可
    それより核のゴミをどうするかの議論を開始せよ

[報告]三上 治さん(「経産省前テントひろば」スタッフ)
    具体的なことと全体的なことの二つを

[報告]板坂 剛さん(作家/舞踊家)
    恐怖と不安は蜜の味

[報告]山田悦子さん(甲山事件冤罪被害者)
    山田悦子の語る世界〈9〉普遍性の刹那──原発問題とコロナ禍の関わり

[読者投稿]大今 歩さん(農業/高校講師) 
    マンハッタン計画と人為的二酸化炭素地球温暖化説

[報告]再稼働阻止全国ネットワーク
    コロナ下でも萎縮しない、コロナ対策もして活動する
《北海道》瀬尾英幸さん(脱原発グループ行動隊)
《石川・北陸電力》多名賀哲也さん(命のネットワーク代表)
《福島・東電》郷田みほさん(市民立法「チェルノブイリ法日本版」をつくる郡山の会=しゃがの会)
《規制委・経産省》木村雅英さん(再稼働阻止全国ネットワーク)
《東京》柳田 真さん(たんぽぽ舎、とめよう!東海第二原発首都圏連絡会)
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《読書案内》天野恵一さん(再稼働阻止全国ネットワーク)

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《NO NUKES voice》【東日本大震災・原子力災害伝承館】(上)館長選びの時点ですでにこうなる事は決まっていた 展示で伏せられた原発事故被害の実相 民の声新聞・鈴木博喜

福島県双葉町に9月20日、オープンした「東日本大震災・原子力災害伝承館」(JR常磐線・双葉駅から徒歩約30分)は大方の予想通り、原発事故被害の実相を後世に語り継ぐような施設にはならなかった。県内在住の来館者からは「原発事故直後の記憶がよみがえった」との声があった一方、県外から訪れた人は「展示がきれいすぎるというか優等生すぎますね。原発事故が発生した当時のエグさをもっと出さないと伝わらない」と物足りなさを口にした。それもそのはず。初代館長を選ぶ段階で、既に施設の性格が決まっていたのだ。

「伝承館」の初代館長に就任したのは、アーカイブ施設とは全く無縁の高村昇・長崎大学教授。原発事故直後に山下俊一氏とともに福島入りし、県内を巡って〝放射線被曝の心配は無用講演会〟をした人物だ。

1993年長崎大学医学部を卒業。講師、助教授、准教授を経て、2008年度から長崎大学大学院・医歯薬学総合研究科の教授。2013年度からは長崎大学原爆後障害医療研究所の教授を務めている。原発事故直後の2011年3月19日、山下氏と福島県の「放射線健康リスク管理アドバイザー」に就任した。

初代館長に就任した高村昇氏。福島県の内堀雅雄知事を表敬訪問した際、取材陣に「復興」を何度も口にした
高村氏は山下俊一氏とともに原発事故直後に福島県入り。県内を講演して巡って「安全安心」を説いた

当時の講演では、「放射性セシウム137 が体に入った場合の半減期は30年では無い。子どもであれば2カ月、大人でも3カ月程度で半分になる」、「100ミリシーベルトを下回る場合、現在の科学ではガンや疾患のリスクの上昇が証明されていない。一方、煙草を吸う人のガンになるリスクは、1000mSvの放射線を被曝するのと同程度のリスクと考えられている」、「鼻血が止まらなくなったとか…そのような急性の症状が出現する被曝線量は500から1000mSv以上と言われている。福島の人がそのような線量を被曝しているとは考えられないので、放射線の影響ではないと思う」と、放射線被曝への不安を鎮静化させる事に終始した。甲状腺検査など原発事故による健康影響を調べる「県民健康調査」の検討委員も務めている。

高村館長は今年7月、福島県の内堀雅雄知事を表敬訪問した際の囲み取材で、筆者の質問に「私も最初、この依頼があった時はかなり驚きました。まさに今おっしゃったとおり、私はアーカイブの専門家ではありませんので、自分で良いのかなと確かに思いました」と答えた。日本原子力文化財団が発行する月刊誌「原子力文化」8月号でも「私自身は医療の専門家であり、いわゆるアーカイブス学の専門家ではなく、昨年福島県から伝承館の館長就任を打診されたときには大変驚きました」と綴っている。ではなぜ、このような人物を館長候補に選んだのか。

「伝承館」の指定管理者である「公益財団法人福島イノベーション・コースト構想推進機構」(斎藤保理事長、以下機構)は、福島県からの推薦を受けて高村氏に館長就任を依頼したと説明している。機構に推薦した側の福島県生涯学習課の担当者は今年4月、取材に対し、次のように説明した。

「3つあります。まず、人格的なものが1つあると思います。考え方に偏りが無い、人格的に温厚で高潔な方である。これが1つ目の理由です。もう1つは本県の復興、避難地域等の支援に関わってこられた方であるという事です。そして、伝承館の運営に必要な能力を持っている方であるという事。これらの3点が推薦理由です。検討過程で何人かの名前が候補に上がりましたが、最終的に高村先生が適任だろうという結論に至りました。高村先生には数カ月前に推薦の打診をし、『ご協力出来るのであれば』と快諾していただきました」

これでは、福島県立博物館長を務めた赤坂憲雄氏など、適任な専門家を押しのけて専門外の高村氏が選ばれた理由が分からない。しかし、高村氏自身の発言に答えがあった。キーワードは「復興」だ。

「伝承館」の基本理念には「福島県の光と影を伝え」とあるが、実際には「光」の部分に重きが置かれている

就任要請を受諾した理由について、囲み取材で筆者に「伝承館というのは原子力災害からの復興という事を主眼としていると聞きましたので、それであれば、この9年間福島で地域の復興に携わってきた者としてお手伝い出来る事があるんじゃないかと考えました」、「この伝承館の1つの主眼というのが、原子力災害からの復興に関する資料収集という目的がある。それを展示する。収集して展示して情報発信するという目的がある。原発事故直後の説明会から、地域の復興、県民健康調査もそうですが、そういった形で原子力災害からの復興に多少なりともかかわった人間としてですね、そういった側面から伝承館の館長としての役割を果たしていきたい」と話した。

月刊誌「原子力文化」でも「福島の復興に多少なりともかかわってきた者として、福島の復興の証をを次の世代に伝え、福島の経験を活かして国内外の人材を育成するという伝承館のミッションに共鳴」したと書いている。つまり、原発の〝安全神話〟はどのように醸成されてきたのか、原発事故をなぜ防げなかったのか、住民たちはどのような苦しみを味わったのか、事故後の施策は正しかったのかなど、原発事故がもたらした怒りや哀しみ、苦痛などを後世に語り継ぐ施設ではそもそも無いのだ。〝復興五輪〟開催に合わせて「原子力災害から立ち直った福島の姿」を国内外に発信する施設であるならば、発生直後から放射能汚染や被曝リスクを否定し続けて来た高村氏が館長に選ばれるのもうなずける。

内堀知事に対し、高村館長は「ぜひイノベーション・コースト構想の一翼を担って行きたい」、「学校教育と連携しながら、今後の福島を担っていくような若い世代に、福島がどのように復興して行ったかをきちんと学んでいただく。人材育成も重要なミッションだと考えております」と〝決意表明〟した。

「復興のあゆみ」を展示するのが主眼だから、原発事故の生々しさも被害の実相も伝わらない。これが53億円かけて建設した施設の本当の顔だった。(つづく)

▼鈴木博喜(すずき ひろき)

神奈川県横須賀市生まれ、48歳。地方紙記者を経て、2011年より「民の声新聞」発行人。高速バスで福島県中通りに通いながら、原発事故に伴う被曝問題を中心に避難者訴訟や避難者支援問題、〝復興五輪〟、台風19号水害などの取材を続けている。記事は http://taminokoeshimbun.blog.fc2.com/ で無料で読めます。氏名などの登録は不要。取材費の応援(カンパ)は大歓迎です。

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[報告]山田悦子さん(甲山事件冤罪被害者)
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    マンハッタン計画と人為的二酸化炭素地球温暖化説

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《北海道》瀬尾英幸さん(脱原発グループ行動隊)
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《廿日市女子高生殺害事件裁判傍聴記12》対照的だった「それぞれの父親」後編

今年3月に広島地裁で行われた廿日市女子高生殺害事件の犯人、鹿嶋学(現在37)に対する裁判員裁判。被害者の北口聡美さん(享年17)と犯人の鹿嶋は、それぞれの父親との関係が対照的だった。

前回は、法廷で検察官が朗読した聡美さんの父親・忠さんの供述調書の内容を紹介したが、聡美さんが父親から愛されていたことがよく伝わってきたはずだ。今回は鹿嶋の父親が法廷でどのような証言をしたのかを紹介したい。

◆血のつながりがない鹿嶋に、無関心だった父親

「あなたと学さんは血がつながっていますか?」

3月5日、広島地裁。証言台の前の椅子に座った鹿嶋の父親に対し、弁護人は鹿嶋父子の最もセンシティブな部分に踏み込んだ質問をした。父親が「はい」と答えると、弁護人はさらに「戸籍では、学さんはあなたの子供ということになっていますが、なぜですか?」と重ねて質した。

これに対し、父親は──。

「妻との交際中、妊娠が発覚しましたが、自分の子供ではないことがわかりました」

質問と答えがかみ合っていないことがわかるだろう。弁護人は、血のつながりがない鹿嶋のことをなぜ、「実子」として戸籍に入れたのか、と問うたのだが、父親は理解できなかったのだ。

弁護人はすかさず、「つまり、奥さんと交際中、奥さんがあなたとは別の父親の子供を妊娠していることがわかったが、自分の子供として育てようと決意したということですか?」と誘導するように聞き直した。すると、父親は「はい」とだけ言い、この件に関する質問はこれで終わった。

父親が自分以外の男の子供を妊娠した妻と結婚し、その子供を実子として戸籍に入れることを決めるまでには相当な葛藤があったはずだ。しかしそれはあまり深掘りされず、ほとんど放置されたのだ。

ただ、その後の弁護人と父親のやりとりを聞いていると、案の定と言うべきか、父親が鹿嶋を育てる中、鹿嶋に愛情を持てていなかったことがよく伝わってきた。

たとえば、弁護人から「学さんの学校の成績はどうでしたか?」と聞かれた時のこと。父親は「良くも悪くもなく、普通の成績だったと思います」とだけ言った。そして「学さんは真面目に学校に通っていましたか?」と問われると、今度は「通っていたと思います」とだけ言った。答えがいずれもあっさりしていて、具体性がなく、父親が鹿嶋のことに関心を持っていなかったことが察せられた。

さらに「学さんの学生時代の交友関係はご存じですか?」という質問にも、父親は「知りません」と言った。「女性関係はどうでしたか?」と聞かれても、「なかったと思います」と答えるのみだった。

鹿嶋は高校卒業後、就職して家を離れた時期が数年あるものの、それ以外はずっと実家で生活しており、35歳で逮捕された時も実家暮らしだった。一般的な父親であれば、息子がそんな年齢になっても未婚で実家暮らしをしていれば、結婚はどうするのかとか、孫の顔は見られるだろうかとか、色々気になるものだ。しかし、父親は鹿嶋にそんな関心は抱いていなかったわけである。

広島地裁に入る、鹿嶋を乗せているとみられる車両

◆鹿嶋と会話をほとんどしていなかった父親

鹿嶋が中学時代、本当は剣道部に入りたかったのに、父親に言われるままに陸上部に入ったという話は、この連載の2、3回目で触れた。この父親の証人尋問では、鹿嶋の進学する高校も父親が決めていたことがわかった。

「学校からのアドバイスで、マラソンをすれば、伸びると聞かされたのです。そこで、高校は当時、陸上が盛んだった高校を勧めたのです」

父親は、鹿嶋の高校を決めた理由をそう説明したが、鹿嶋に対しては、学校側からそのようなアドバイスを受けたことを教えていなかったという。鹿嶋は何も知らないまま、父親に決められた高校に進学し、言われるままに陸上部に入ったというわけだ。練習には出なかったようだが、わけもわからないままに父親にやらされた陸上が面白くなかったことは想像に難くない。

父親は家で鹿嶋とほとんど会話をしていなかったそうで、「もう少し会話するように努めていればと反省しております」と証言していたが、子供への愛情があれば、おのずと関心がわくし、会話をするのに努力など不要だ。父親は、母親と結婚した際にお腹の中にいた「自分以外の男の子供」まで一緒に引き受けたことを後悔していたのではないか…と思わずにいられなかった。

鹿嶋は高校卒業後に就職し、勤務先の工場がある萩市で寮生活をするようになってからは、休日に実家のある宇部市に戻ってきても、あまり実家には寄りつかなかったという。父親はこの当時の鹿嶋について、「何回か実家に帰ってきたと妻から聞きましたが、私は顔を合わせることがありませんでした」と言った。その言葉からは、鹿嶋が高校卒業後に家を出ても、まったく寂しくなかったことが窺えた。

息子が1カ月も行方不明なのに、捜索願を出さずじまい

すでに触れた通り、鹿嶋が事件を起こしたのは、寝坊がきっかけで会社を辞め、自暴自棄になったのがきっかけだった。あてもなく原付で東京に向かう中、路上で見かけた北口聡美さんをレイプしようと思い立ち、聡美さんの家に侵入した挙げ句、結果的に聡美さんに凶刃を向けたのだ。

この直前、鹿嶋の父親は宇部市で妻を乗せて車を運転中、原付で東京に向かおうとしていた鹿嶋と路上でばったり会っている。それを最後に鹿嶋は、東京に向かい、1カ月間も行方が途絶えたのだが、この間のことに関する父親の証言にも気になる点があった。鹿嶋が1カ月以上も失踪していたにも関わらず、父親は行方を探すための努力をほとんどしていなかったようなのだ。

父親は一応、何度か鹿嶋に電話したそうだが、検察官から「電話以外に何か息子さんを探すためにしましたか?」と問われると、「していません」と言った。さらに「捜索願を出そうとは考えなかったのですか?」と重ねて質されると、「はい」と一度言い、それから少し思案し、思い出したようにこう言った。

「妻と捜索願を出そうかと相談したことはありました。そうしたら突然息子が帰ってきたので、結局、捜索願は出さなかったのです」

21歳(当時)の息子が突然会社を辞め、1カ月も連絡が取れないのに、この間、捜索願を出さなかったというのはやはりさほど心配していなかったからだろう。

◆「(息子に)命ある限り、関わっていきたい」と言ってはいたが……

2018年4月に鹿嶋が逮捕され、この事件の犯人だとわかった時のことについて、父親は「突然のことで、信じられず、びっくりしました」と振り返った。それは親として一般的な感情だろうが、鹿嶋の逮捕以来、2年もあったのに、父親はこの間、3回しか面会に行っていないという。

弁護人が「今後、学さんとどう関わっていきますか?」と質問すると、父親は「体調が悪くなければ面会に行きますし、体調が悪ければ、手紙でやりとりしようと思っています」と言った。実際、父親は72歳と高齢で、腰痛なども抱えており、体調は悪いようなのだが、普通の父親ならありえないようなドライな答えだ。

父親は、「(息子に)命ある限り、関わっていきたい」と言ったりもしていたが、父親から本気で鹿嶋を自分の子供として愛していたことが感じられる言葉は最後まで聞けなかった。

筆者は、鹿嶋の父親のことを批判したいわけではない。結婚を前提に交際していた女性が、自分以外の男の子供を妊娠しているとわかりながら、中絶を求めたり、別れたりすることなく結婚し、生まれてきた子供を自分の子供として育てたのは、おそらく彼が優しかったり、責任感が強かったりするからだろう。

しかし、結果的に鹿嶋が血のつながらない父親に育てられたことで人格に問題を生じさせ、それがひいては事件の遠因になった可能性は否めない。(次回につづく)

鹿嶋の裁判員裁判が行われた広島地裁

《関連過去記事カテゴリー》
 廿日市女子高生殺害事件裁判傍聴記 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=89

【廿日市女子高生殺害事件】
2004年10月5日、広島県廿日市市で両親らと暮らしいていた県立廿日市高校の2年生・北口聡美さん(当時17)が自宅で刺殺され、祖母のミチヨさん(同72)も刺されて重傷を負った事件。事件は長く未解決だったが、2018年4月、同僚に対する傷害事件の容疑で山口県警の捜査対象となっていた山口県宇部市の土木会社社員・鹿嶋学(当時35)のDNA型と指紋が現場で採取されていたものと一致すると判明。同13日、鹿嶋は殺人容疑で逮捕され、今年3月18日、広島地裁の裁判員裁判で無期懲役判決を受けた。

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。原作を手がけた『マンガ「獄中面会物語」』【分冊版】第11話・筒井郷太編(画・塚原洋一/笠倉出版社)がネットショップで配信中。

最新! 月刊『紙の爆弾』2020年10月号【特集】さらば、安倍晋三
「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

《廿日市女子高生殺害事件裁判傍聴記11》対照的だった「それぞれの父親」前編

今年3月に行われた廿日市女子高生殺害事件の犯人、鹿嶋学(現在37)に対する裁判員裁判。全5回の公判を傍聴してから数カ月が過ぎたが、今も強く印象に残っていることがある。被害者の北口聡美さん(享年17)と犯人の鹿嶋が「ある点」において、対照的だったことだ。

ある点とは、「親から注がれてきた愛情」である。そのことを説明するには、聡美さんと鹿嶋それぞれの父親が取り調べや裁判で自分の子供や事件について、どのように語ったかを紹介すれば、一番わかりやすいと思われる。

◆不妊治療で授かった初めての子供

今回はまず、法廷で検察官が朗読した聡美さんの父親・忠さんの供述調書の内容を紹介する。

 * * * * * * * * * *

平成16年10月5日午後3時頃――今から13年前、この日、この時間、私は愛娘の聡美を失いました。

私と妻には、聡美とその妹、弟の計3人の子供がいました。だから、私は聡美のことを「お姉ちゃん」と呼んでいました。この「お姉ちゃん」が私たち夫婦にとって初めての子供として生まれた時のことを私は今も忘れません。

私と妻は結婚し、なかなか子供を授かることができませんでした。それで私たちは不妊治療をしました。

私は、早く自分の子供をこの腕に抱いてみたいと願い、妻と努力しました。そして4年後、神様から授かったのが、聡美という、私たち夫婦にとっては生命より大切な宝だったのです。聡美という名前は、「聡明で、美しい子になりますように」という願いをこめました。

この聡美が生まれ、私は生まれて初めて、我が子と会いました。「やった。これが俺の子か」と叫び出しそうになった気持ちを今でも覚えています。

生まれたばかりの子をどうやって抱いたらいいのかわからず、「私が抱いてケガでもしたらどうしようか……」と怖かったですが、それでも私は我が子をこの腕に抱きたくて、恐る恐るこの腕に聡美を抱きました。そのことを今でも覚えています。本当に嬉しかったです。

それから聡美は本当に元気に育ってくれました。「子供がいるだけでこんなにも人生が楽しくなるのか」と思うほど、私の生活は明るくなりました。聡美が幼稚園に入り、小学生になり、そんな様子を見ているだけで幸せでした。

「この幸せな時を絶対に守ってやろう」

私はそう思っていました。

判決公判後、報道陣の取材を受ける北口聡美さんの父・忠さん

◆「私の一生をかけて守ってやろう」と思っていた

小学生になった聡美は、少し引っ込み思案なところがあったので、「みんなとやっていけるかな」と少し心配していました。しかし、私の心配をよそに、聡美は友だちと楽しく、元気に育っていきました。父親は、心配しなくてもいいようなことでも、娘のことはつい心配になってしまうのです。

聡美にもやがて妹が産まれ、それから弟も産まれました。私は、自分の人生を幸せにしてくれた宝を3人も授かることができたのです。そして私はいつしか、聡美のことを「お姉ちゃん」と呼ぶようになっていました。

私も妻も、3人の子どもたちには本当に感謝しています。だから、私はいつも、「この子たちのことは私の一生をかけて守ってやろう」「この幸せがずっと続きますように」と思っていました。

お姉ちゃんは、やがて中学を卒業し、地元の高校へと進学しました。頑張り屋で、一生懸命勉強もして、私は何も心配することがありませんでした。しいて言えば、「勉強もいいけど、もっと友だちと遊べばいいのに」と思ったくらいです。勉強を頑張る子に、「もっと遊べば」と思う親もちょっと珍しいですが、そう思っていました。

◆事件の時の詳しい記憶が無くなってしまった

お姉ちゃんは16歳になり、そして17歳になり、少し大人になってきました。しかし、私の中では、「まだまだ俺が面倒をみなければいけない子供だ」と思っていました。

一方で、人からは「女の子がそんな年頃になると、父親とは話もしてくれないよ」と言われるので、「お姉ちゃんもそんな感じになるのかな」とも思っていました。でも、お姉ちゃんは、いつになっても、何歳になっても、私と普通に接してくれました。

そんなお姉ちゃんが、私に「お父さん、感謝しなさい」と言うのです。生意気に。俺がいないと、一人では生きていけないくせに。俺がまだまだずっと守ってやらなきゃいけない、俺の娘のくせに。

この娘を私は失いました。私は守れなかったのです。

平成16年10月5日、私はいつものように仕事に出ていました。すると突然、私のいとこの奥さんから電話があり、「家で事件があったみたいだから、すぐ帰ってあげて」と言われたのです。

その時はまだ事件の詳しいことはわからず、「なんだろう」くらいの気持ちで、家に向かいました。そして廿日市に住んでいる、私の妹に車で迎えに来てもらい、二人で家に帰ろうとした時、JA広島病院から電話で、「北口聡美さんのお父さんですか。すぐに病院に来てください」と言われたのです。

すみません、私にはそれからの詳しい記憶が無くなってしまいました。お話しできなくて、申し訳ありません。

私が憶えているのは、台に寝ている聡美を何度も、何度も、何度も、ゆすって起こそうとしたこと。何度も、何度も、「お姉ちゃん」と呼んで起こそうとしたけど、また私のことを「お父さん」と呼んでくれなかったことだけです。

全公判を傍聴した北口聡美さんの父・忠さんは毎回、娘の遺影を持参していた

◆犯人と闘う決意をした

この事件では、私の母も被害に遭い、生命の危険に陥りました。また、聡美の妹もその場で犯人と会い、危ないところでした。

その犯人はすぐには捕まらず、13年半が経ちました。長かったです。本当に長い時間でした。事件からまもなくは、「聡美の妹は犯人を見ているので、もし犯人が襲ってきたら大変だ」と思い、いつ来るか、もう来るのかと眠れない日が続きました。「犯人が来るなら、どうか俺がいる時にしてくれ」「もうこれ以上、幸せを奪わないでくれ」。その繰り返しでした。

それとは別に、お姉ちゃんの死を受け入れることができず、「あした起きたら夢だとわかるかも」と思って、なんとか寝ようとしても寝られず、そして朝になり、明日こそ夢から覚めるかもしれないと思い、また寝ようと頑張り、毎日がその繰り返しでした。

また、当時はまだ12歳と小さかった妹がお姉ちゃんの姿と犯人を見ていることがとても心配でした。あとから、妹に聞くと、「それは、怖い言うもんじゃなかったよ(=怖いという言葉で表現できるものではなかったよ)」と話してくれました。もしあの時、妹がその場で動けなくなっていたら、妹まで被害に遭っていたかと思うと、よく頑張って逃げてくれたと感謝するばかりです。

そんな怖い思いをした妹を守るため、事件のことは世間から隠しておいたほうが良かったのかもしれません。でも、私は、捕まらない犯人をどうしても放っておくことができませんでした。

「どうして聡美を襲ったのか」「その真実を知りたい」「犯人を絶対に許しておかない」。とても悩みましたが、大切な聡美のため、私も犯人と闘う決意をしたのです。

そのことを聡美の妹も応援してくれました。そして私はブログを始めたのです。ブログをやったことはなかったですが、人にも教えてもらい、自分でも勉強して、いろんな人から事件の情報を集めることにしたのです。そして警察の事件に関する広報活動にも参加させて頂きました。

この13年半、私は聡美のために行ってきたことを「しんどい」とか「苦しい」とか思ったことは一度もありません。聡美が受けた苦しみに比べれば、私など何でもありません。

ただ、怖かったのは、事件が忘れられ、犯人が捕まらないまま終わってしまうことです。それと、犯人がいつかまた襲ってくるのではないかということです。

この犯人が捕まったと警察から連絡を頂き、どれほど嬉しかったか。この犯人は、鹿嶋学という、事件当時は21歳だった男と聞きました。これまで聞いたことがない、私どもとは何の関係もない他人です。

◆13年半、聡美にずっと話しかけてきた

私は、犯人が捕まったことを聡美にも報告しました。この13年半、聡美にはずっと話しかけてきました。

お姉ちゃん、いなくなっちゃう前の9月、「お父さん、文系と理系、どっちに進んだほうがいい?」と相談してくれたね。お父さんは、「お姉ちゃん、理系が好きなら、そっちにすれば」と言うと、「じゃあ、そうする」と答えたよね。

今頃、お姉ちゃんはどんな仕事をしていたかな。そう言えばこないだ、お姉ちゃんの友達が来てくれたよ。もうお母さんになっていたよ。

そうそう、お姉ちゃんに謝らないと。いなくなっちゃう半年くらい前、「府中のショッピングモールに行きたいって言ったよね。お父さんは、「遠いからダメ」「もっと大きくなったらいつでも行けるから」と反対したよね。お父さん、今でもそのことがお姉ちゃんに悪いことしたって、忘れられない。

お姉ちゃん、犯人捕まったよ。

私が聡美と最後に会ったのは、事件前日、10月4日の夜です。その時、パソコンをしていた聡美に、「お父さん、もう寝るよ」と声をかけると、聡美は「ヒヒ」と答えてくれました。それが最後です。私の記憶の中で、聡美はそれ以上、大人に成長してくれないのです。

聡美を奪った犯人に言います。

「お前は人間じゃない。聡美の生命を奪った償いは、自分の生命で償え」

私が犯人に望むのは、死刑しかありません。最後に、お姉ちゃん、守れずに、ごめんなさい。

 * * * * * * * * * *

以上、検察官が朗読した被害者・北口聡美さんの父親・忠さんの供述調書だが、これを聞けばたいていの人が涙を誘われるのではないかと思われる。次回は鹿嶋の父親の公判証言の内容を紹介するが、忠さんの供述調書の内容とどのように対照的なのか、ぜひ読み比べて頂きたい。(次回につづく)

北口聡美さんが事件の半年前に行きたがっていたショッピングモール(2019年12月撮影)

《関連過去記事カテゴリー》
 廿日市女子高生殺害事件裁判傍聴記 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=89

【廿日市女子高生殺害事件】
2004年10月5日、広島県廿日市市で両親らと暮らしいていた県立廿日市高校の2年生・北口聡美さん(当時17)が自宅で刺殺され、祖母のミチヨさん(同72)も刺されて重傷を負った事件。事件は長く未解決だったが、2018年4月、同僚に対する傷害事件の容疑で山口県警の捜査対象となっていた山口県宇部市の土木会社社員・鹿嶋学(当時35)のDNA型と指紋が現場で採取されていたものと一致すると判明。同13日、鹿嶋は殺人容疑で逮捕され、今年3月18日、広島地裁の裁判員裁判で無期懲役判決を受けた。

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。原作を手がけた『マンガ「獄中面会物語」』【分冊版】第11話・筒井郷太編(画・塚原洋一/笠倉出版社)がネットショップで配信中。

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