《廿日市女子高生殺害事件裁判傍聴記06》居合わせた祖母とA子さんの悲劇

2004年10月5日、自暴自棄になって会社を辞めた鹿嶋学は原付で東京に向かう途中、歩く女子高生たちを見たのをきっかけに「レイプをしたい」と考えるようになった。そして広島県廿日市市の路上で見かけた高校2年生の北口聡美さんの自宅に侵入したが、抵抗されたために持参したナイフで刺殺してしまう。この際、聡美さんの当時72歳の祖母ミチヨさんと当時小学6年生の妹A子さんも現場に居合わせ、それぞれ深刻な被害を受けている。

今年の3月3日、広島地裁で開かれた鹿嶋学の初公判。この2人の供述調書が検察官により朗読され、事件の凄惨な様子がつまびらかになった。

◆キャーキャーという女の人の凄い悲鳴が聞こえてきて……

「13年半前の出来事なので、記憶があいまいになっているところもありますが、現時点で思い出せることを話します」

聡美さんの妹A子さんの調書はそんな一文から始まった。事件のことを「13年半前の出来事」と言っているのは、この調書が2018年4月、鹿嶋が逮捕されてから作成されたものだからだ。

「私はその日、少し体調が悪かったので、学校を休んでおり、祖母のミチヨと母屋にいました。布団を敷いて、横になっていたところ、外から、自転車のスタンドが立てられ、ガチャガチャさせる音が聞こえてきたので、お姉ちゃんが学校から帰ってきたことがわかりました。お姉ちゃんは自転車を止めると、母屋の中に入ってきました」

それは午後2時前のことで、その後しばらく聡美さんは母屋にいたという。

「お姉ちゃんは高校の制服から、上が黒、下がオレンジっぽい色の部屋着に着替え、台所のテーブルに座り、何かをしていました。おそらくお昼ご飯を食べていたのだと思います。その後、お姉ちゃんは『4時に起こしてね』と言って、母屋の勝手口から出ていきました。離れに行ったのだと思います」

聡美さんが離れに行ったのは、自分の部屋が母屋ではなく、離れにあるためだ。そして午後3時頃、異変が起きる――。

「私が母屋で横になってテレビを観ていたところ、離れのほうから、キャーキャーという女の人の凄い悲鳴が聞こえてきたのです。そしてすぐあと、ゴトゴトゴトッという大きな音が聞こえてきました。後から考えると、あれは何かが階段を転がり落ちる音だったと思います。おかしいと思い、勝手口のドアを少し開け、離れの出入り口のほうを見ました。すると、ギャーギャーと泣くような大きな声や、ドンドンと出入り口の扉を内側から叩くような音が聞こえました」

すでにおわかりだろうが、この時、離れの出入り口の内側で、聡美さんが鹿嶋にナイフで刺され、殺害されていたのだ。

「あまりに異様な光景で、怖くて仕方ありませんでした。そのまま離れの出入り口のほうを見ていると、ほどなくして悲鳴や音がやみ、シーンとしました。その時、お祖母ちゃんがトイレから出てきたので、離れから叫び声が聞こえてきたことを告げ、一緒に離れのほうに向かったのです」

そしてA子さんは祖母ミチヨさんと一緒に離れに向かい、犯行直後の鹿嶋と遭遇してしまうのだ。

◆知らない男が仁王立ちのような体勢で立っていた

事件が未解決だった頃の警察の情報募集のポスター。犯人の似顔絵は、A子さんの目撃証言をもとに描かれた

「離れに向かったあとのことについては、今となっては記憶が曖昧で、はっきりとお話できません。記憶に残っているのは、離れの扉の前で、私か、お祖母ちゃんのどちらかが、扉を開けようとドアノブをつかみ、ガチャガチャと回したのですが、鍵がかかっていて開かなかったことと、お祖母ちゃんが『さっちゃん。さっちゃん』と呼びかけたのに、何の返事もなかったことです」

A子さんの記憶が曖昧なのは、離れに向かったあとに体験したことがあまりにショッキングで、パニック状態になったためではないかと思われる。A子さんの供述はこう続く。

「記憶では、最終的には私が扉を開けました。すると、ドアを開けたと同時に、白目をむいたお姉ちゃんがその場に崩れ落ちるようにして倒れてきたのです。そして、私はお姉ちゃんが崩れ落ちるのを見たのとほぼ同時のタイミングで、そこに立っていた知らない男と思いっきり目が合ったのです。その男は、仁王立ちのような体勢でした」

つまり、A子さんがドアを開けた途端、「ナイフで刺され、殺害された実の姉」と「実の姉を殺害した犯人の男」が目の前に同時に現れたわけである。想像を絶する衝撃だったろう。

「お姉ちゃんが倒れたのとほぼ同時に、お祖母ちゃんがキャーという高い悲鳴をあげましたが、私はその間、ずっとお祖母ちゃんと目が合い続けていました。そして、お祖母ちゃんの長い悲鳴がやんだのを合図のようにして、その場から走って逃げ出したのです。ただ、私は気が動転してパニックになっていたのか、離れの周りを一周するようにして逃げました。その途中、後ろを振り向いてみたわけではないですが、その見知らぬ男が追いかけてきたと思った覚えがあります」

鹿嶋が被告人質問で明かしたところでは、鹿嶋はこの時、実際にA子さんを追いかけていたという。A子さんは近くの花屋に逃げ込み、助けを求めて難を逃れたが、鹿嶋は「追いつけていたら、ナイフで刺していたと思います」と言っている。A子さんはまさしく「九死に一生を得た」という状況だったのだ。

◆自分がなぜ入院しているのかもわからなかった

この時、A子さんと一緒に現場に居合わせた祖母ミチヨさんの記憶は、もっと曖昧だ。事件のショックにより「解離性健忘」に陥ってしまったためだ。

解離性健忘とは、受入れがたい困難な体験をした時などにその情報が思い出せなくなるというものだ。ミチヨさんは、A子さんと一緒に離れに向かい、ドアが開いた時に「知らない男の人」が立っている姿を見たところまでは憶えているが、それより先のことがどうしても思い出せないという。

ミチヨさんは、鹿嶋が逮捕された2018年4月、検察官に対し、次のように供述している。

「意識を取り戻した時、私は病院に入院していましたが、なぜ入院しているのか、まったくわかりませんでした。とにかく背中が痛くて、仕方ありませんでした。家族も何も説明してくれないので、高いところから落ちたのだろうか…と一人で考えていました。数日後、病院の先生から『背中を刺されているから、気をつけて動いてください』と言われ、初めて誰かに刺されたことを知り、大変なことが起きたとわかったのです」

そしてその頃、ミチヨさんは聡美さんの父・忠さんから、「さっちゃんが死んだ」と聞かされ、初めて聡美さんが亡くなったことを知った。しかし、頭が混乱し、まったく信じられず、現実のこととして受け入れられなかったという。

一方、事件のことを記憶しているA子さんは、「事件のことや犯人の顔を憶えているのは自分一人だけ」という状況にずっと苦しみ続けたという。

「2度と思い出したくない、すぐにも忘れたい辛い出来事でしたが、犯人を見たのは私だけです。『犯人が捕まるまで忘れてはいけない』というプレッシャーと、『時間の経過と共に見たことを忘れてしまうかもしれない。そうなったら、犯人が捕まらないかもしれない』という恐怖心がないまぜになり、この13年半の間、心が折れそうなのをなんとか耐えてきました。それが正直な気持ちです」

このように鹿嶋は聡美さんの生命を奪ったうえ、祖母のミチヨさんと妹のA子さんにも深刻な被害を与え、現場から逃走した。被告人質問では、逃走後のことも詳細に語っている――。(次回につづく)

ミチヨさんが救急搬送された広島市民病院。当初は生命が危ぶまれる状態だったという

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 廿日市女子高生殺害事件裁判傍聴記 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=89

【廿日市女子高生殺害事件】
2004年10月5日、広島県廿日市市で両親らと暮らしいていた県立廿日市高校の2年生・北口聡美さん(当時17)が自宅で刺殺され、祖母のミチヨさん(同72)も刺されて重傷を負った事件。事件は長く未解決だったが、2018年4月、同僚に対する傷害事件の容疑で山口県警の捜査対象となっていた山口県宇部市の土木会社社員・鹿嶋学(当時35)のDNA型と指紋が現場で採取されていたものと一致すると判明。同13日、鹿嶋は殺人容疑で逮捕され、今年3月18日、広島地裁の裁判員裁判で無期懲役判決を受けた。

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。原作を手がけた『マンガ「獄中面会物語」』【分冊版】第9話・西口宗宏編(画・塚原洋一/笠倉出版社)が配信中。

月刊『紙の爆弾』2020年8月号【特集第4弾】「新型コロナ危機」と安倍失政 河合夫妻逮捕も“他人のせい”安倍晋三が退陣する日
「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

混迷するポスト安倍 ── 菅義偉「中継ぎ」政権への禅譲の可能性 横山茂彦

新型コロナ防疫対策で、無策と危機管理のなさを露呈した安倍政権が末期であることは、もはや誰の目にも明らかとなっている。

朝日新聞が実施した世論調査(2020年5月第2回調査)によれば、支持29%、不支持52%である。安倍総理に批判的な朝日新聞とはいえ、29%という数字は危険水域であろう。

共同通信が6月17~18日に行った調査では、安倍政権の支持率は44.9%で前回より10.5ポイント低下。不支持の43.1%と拮抗する結果であった(共同の調査では、2012年の第2次安倍政権発足以来、安定して50%以上の支持率を保っていた)。

7月のNHKの世論調査では、安倍内閣を「支持する」と答えた人は、先月の調査と同じ36%だったのに対し、「支持しない」との答えは45%である。

これら支持率の停滞・急落は自民党不支持ではなく、宰相である安倍個人の政治能力への不信感にほかならない。

◆院政をねらう安倍晋三の陥穽――岸田文雄無能説

誰がやっても同じだから、見た目が「よりマシ」な安倍で良いというわが国の政治文化によって、前代未聞の長期無責任政権は延命してきた。

ひとつには自民党の人材不足、そして官邸人事による官僚統制(族議員の政治活動の統制)、さらには小選挙区制による公認の本部統制(派閥の管理)を背景に、選挙で勝てる安倍右翼政権は未曾有の長期政権となったのだった。

総裁任期が来年秋となり、そろそろ「辞めるべき」という国民の声も大きくなったいま、安倍総理が準備しているのは政権禅譲と「院政」であろう。

7月19日の時事通信報によると、安倍総理の盟友である麻生太郎副総理兼財務相らの有力者から、自民党の岸田文雄政調会長を「ポスト安倍」候補として推すことに疑問の声が漏れはじめているという。

課題である発信力が向上せず、党内での指導力も見えにくいためだ。安倍総理が絶対に避けたい石破茂氏の党総裁選出阻止のため、菅義偉官房長官を担ぐ案も浮上しており、首相が描く岸田氏への禅譲路線が揺らいでいるとの観測だ。

岸田文雄政調会長公式HPより
岸田文雄政調会長公式HPより

岸田の発信力のなさは、この欄でも再三指摘してきた。年に4回しか発行されない季刊誌「翔」は、写真と形式的な挨拶、連絡事項やプロフだけの貧弱な内容である。

公式サイトの活動報告も政治部会や会派(宏池会)の報告、目新しい内容のない記者会見を掲載しているにすぎない。

公式サイトの看板メッセージも、以下のとおり「戦後レジーム」(安倍晋三)の平和主義であり、何らみずからの主張があるわけではない。平和国家の実現のために、何が必要なのか具体策があるわけではなく「国民が何を望むのか」などという小学校の教科書のごとき凡庸さである。

【世界で唯一の戦争被爆国である日本はこれまでもこれからも平和国家として歩みます。私はその歴史を受け継ぎ、希望ある未来を目指し国民が何を望むのか現実を見据え勇気をもって決断する政治を実現していきます。】

たとえば石破茂が毎週ブログを更新し、石破チャンネルという動画で所見や個人的な趣味などを発信しているのに比べると、まるで「失語症」のような寡黙さなのだ。

とくに記憶に新しいのは、岸田氏の肝煎りとされた新型コロナウイルス対策の「減収世帯への30万円給付」が、公明党が求める一律10万円給付に覆されたことだ。これによって力量不足が露呈し、各種世論調査の「次の首相にふさわしい人」では石破氏に大きく水をあけられたまま、差が縮まる気配もない。総理周辺は「あれでは石破氏に負けてしまう」と危機感を隠さない。

◆菅義偉中継ぎ政権への禅譲説

そこでにわかに浮上してきたのが時事報が伝えるとおり、菅義偉官房長官の中継ぎ総理・総裁就任説である。

菅義偉官房長官公式HPより

安倍総理は7月21日発売の「月刊Hanada」に掲載されたインタビューにおいて、菅官房長官を「(ポスト安倍の)有力候補の一人であることは間違いない」との見方を示したのだ。「ポスト安倍は菅長官で決まり」との評価について感想を問われたのに対して答えたものだ。ただし、続けて「『菅総理』には『菅官房長官』がいないという問題がありますが」などと語り、質問者の笑いを誘っている。

年初から安倍総理は意識的に「菅はずし」を表現してきた。アベノマスクや一時給付金、個人事業者および中小企業支援の持続化給付金も、官邸補佐官や秘書官の提案に依拠してきた。

あるいは二階俊博幹事長の策を入れることで、危機管理における党内の融和をはかってきたのだった。

その「菅はずし」自体は、ナンバー2を嫌う、狭量なトップの神経衰弱、および菅官房長官が「令和おじさん」として国民にひろく認知されることになったことへの「嫉妬」にほかならない。

そしてもう一点、菅官房長官が無派閥ながら独自の強力な財界人脈を持ち、党内でも「菅グループ」ともいわれる無派閥議員の糾合を行なっているからだ。

実際に、菅義偉を中心にした「準派閥」は、昨年の6月20日に発足している。ホテルニューオータニに、5期~7期目の議員が集り、「令和の会」が発足しているのだ。菅氏のもとに若手無派閥議員約20人が集まる「ガネーシャの会」や、派閥所属議員も加えた「偉駄天の会」、さらには参議院の菅グループまで集合し、総勢50人ほどが結集したことになる。無派閥議員で菅義偉を支持する勢力は、衆議院だけで30人に達するという

つまり、安倍の「院政」が成り立たない可能性があるがゆえに、ポスト安倍から「菅はずし」を画策していたものだ。

いっぽう菅官房長官は、7月19日のフジテレビ番組で、秋に予想される内閣改造・自民党役員人事をめぐり、官房長官としての続投に意欲を示している。「引き続き官房長官として支えていくか」との質問に「安倍政権をつくった一人だから、そこは責任を持っていきたい」と述べたのである。来年9月の自民党総裁任期を巡り「ポスト安倍」への意欲を問われると「全くない」と強調した。ポーカーフェイスで「粛々と」役割をこなす、菅らしい受け答えといえよう。

にわかに浮上した菅中継ぎ禅譲政権論だが、政治家の約束ほど不確かなものはない。安倍晋三が「過去の人」になったとき、わが国の舵切りは大きく曲がる可能性がある。

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。医科学系の著書・共著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)『ホントに効くのかアガリスク』(鹿砦社)『走って直すガン』(徳間書店)『新ガン治療のウソと10年寿命を長くする本当の癌治療』(双葉社)『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)など。

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《廿日市女子高生殺害事件裁判傍聴記05》犯人の口から明かされた凶行の詳細

事件前日の2004年10月4日、当時21歳だった鹿嶋学は宇部市にある会社の寮を飛び出し、そのまま会社を辞めてしまった。入社してから3年半で初めて「遅刻」をし、自暴自棄になったためだ。精神鑑定を行った医師によると、鹿嶋は「広汎性発達障害の偏り」があり、そのせいで些細な失敗に絶望感を抱いたのだという。

鹿嶋はその日、故郷宇部市の友人に会って別れを告げると、翌5日は朝から東京を目指し、原付を走らせた。東京に何かアテがあるわけではなかったが、とにかく原付で東京に行こうと考えたのだ。そして山口から広島へと入ったあたりで、鹿嶋は制服姿の女子高生たちを見かけ、「レイプしよう」と思い立つ──。

3月4日、広島地裁で行われた被告人質問。鹿嶋は犯行に至る経緯をそのように語った。弁護人から「なぜ、レイプしようと考えたのですか?」と質問されると、こう答えた。

「セックスしてみたいという気持ちがありました。普段はそういう気持ちがあっても、『レイプしよう』というふうにはならないのですが、その時は『捕まってもいい』という気持ちだったので、そういうふうになりました。『人生、どうでもいい』という考えになっていたので、犯罪への抵抗感がなかったのです」

たかだか一度「遅刻」をしたくらいのことで、鹿嶋はここまで思い詰めていたわけだ。ちなみに鹿嶋は当時、会社の寮でほぼ毎日、エッチなビデオを観ていたが、セックスの経験がなかったという。

そして「レイプできる相手」を探し、原付で走り回った鹿嶋は、信号待ちをしていた1人の制服姿の女子高生を目にとめる。ほどなく信号が青になると、女子高生は横断歩道を渡り、自宅と思われる家の敷地内に入っていった。それがこの事件の被害者、北口聡美さんだった。

「その時、聡美さんが入っていた敷地内には1台も車がありませんでした。そこで、保護者、親がいないのではないかと思い、この子をレイプしようと考えました」

こうして聡美さんは、鹿嶋のターゲットになってしまったのだ。

◆聡美さんが離れにいたことに気づいた理由は……

以下、鹿嶋が被告人質問で語った犯行の核心については、弁護人との一問一答の形で紹介する。

── 聡美さんが敷地内に入っていくのを見て、すぐに追いかけたのですか?
鹿嶋「いえ、近くのコンビニに行き、マスクと手袋を購入しました」

── なぜ、マスクと手袋を購入したのですか?
鹿嶋「マスクは変装のために、手袋は指紋がつかないようにするために購入しました」

── マスクと手袋を購入したあと、どうしたのですか?
鹿嶋「聡美さん宅の近くに原付を止め、中の様子を伺いました。そして、敷地の中に入っていきました」

── その時、凶器になった折り畳み式のナイフはどうしていましたか?
鹿嶋「ズボンのポケットに入れていました」

── そのナイフで聡美さんを切りつけるつもりはありましたか?
鹿嶋「なかったです。ナイフで脅そうと思っていました」

── コンビニで購入したマスクと手袋はどうしましたか?
鹿嶋「手袋は、タクシーの運転手がつけるような白いものだったので、つけたら逆に変だと思い、つけませんでした。マスクもつけなかったです」

── 聡美さん宅の敷地に入る時、誰かに見られるとは考えなかったですか?
鹿嶋「考え……考えなかったと思います」

こうして聡美さん宅の敷地に入った鹿嶋だが、その時に聡美さんがいた場所は、母屋ではなく、離れの2階だった。そして鹿嶋は離れの2階に侵入し、聡美さんを襲っている。鹿嶋はなぜ、聡美さんが離れにいたことがわかったのか。それは、この事件の謎の1つだったが、鹿嶋本人の口から答えが明かされた。

── 聡美さんが離れに入るのを見ていたのですか?
鹿嶋「見ていませんでした」

── では、なぜ聡美さんが離れにいると思ったのですか?
鹿嶋「離れの前に履物があったので、そこにいるのではないかと思いました」

これが、離れに聡美さんがいたことに、鹿嶋が気づいた理由だった。真相を聞いてみると、あっけないものである。そして鹿嶋は、離れのドアをあけ、建物に侵入していったという。

◆ナイフで脅かしたら逃げられて……

── 建物に侵入した際、靴はどうしましたか?
鹿嶋「はっきりした記憶はないですが、たしか脱いだと思います」

── 聡美さんのいる2階まで階段はどう昇ったのですか?
鹿嶋「しのび足で昇りました」

── 2階に昇ったら、どうしましたか?
鹿嶋「廊下があり、廊下の右側に部屋があったので、その引き戸をあけました。そして部屋の中をうかがいました」

── 部屋の中に何か見えましたか?
鹿嶋「聡美さんがベッドでうつ伏せの状態で、頭だけを起こした体勢で、こっちを見ていました。自分が部屋の中をのぞく前から、聡美さんが自分に気づいていたのかと思い、びっくりしました」

── あなたと目があってから聡美さんはどうしましたか?
鹿嶋「ベッドに座る体勢になりました」

── あなたはどうしましたか?
鹿嶋「一歩前に出て、ポケットに入れていたナイフを聡美さんに向け、『動くな』と言いました」

── そう言ったら、聡美さんは?
鹿嶋「動きませんでした」

── そのあとは?
鹿嶋「聡美さんに近づき、『他に誰かいるのか』と言いました。聡美さんは首を横に振りました」
 
── そして、どうしたのですか?
鹿嶋「『脱げ』と言いました」

── その時に持っていたナイフは?
鹿嶋「聡美さんに向けたままでした」

── それから、聡美さんはどうしましたか?
鹿嶋「自分の左側を走り抜け、逃げました」

── 聡美さんが逃げようとしたのを、あなたは阻止しなかったのですか?
鹿嶋「咄嗟のことで、阻止できませんでした」

── そのあと、あなたはどうしましたか?
鹿嶋「聡美さんが部屋から走って逃げるところは見ていないのですが、階段のほうからトコトコという音が聞こえてきました。それで、自分は聡美さんを追いかけました」

── なぜ、追いかけたのですか?
鹿嶋「『逃げられる』『通報される』という思いから、追いかけました」

そして鹿嶋は階段を降り切ったところで聡美さんを捕まえ、再び2階に連れ行こうとした。しかし、聡美さんに抵抗されたため、ついに凶行に及んだのだという。

◆恨みを持つ人物による犯行の可能性も指摘されたが……

鹿嶋は、犯行の核心部分とその時の心情をこのように説明している。

「聡美さんに抵抗され、対応をどうしていいかわからなくなったのです。そして、『なんで逃げるんや』という気持ちになり、ナイフで聡美さんのおなかを刺しました。その時、聡美さんは『え、なんで』という表情でした。それから、自分は『クソ』『クソ』と言いながら、何回も聡美さんを刺しました。『なんでこーなったんか』という感情が爆発したのです」

この事件は未解決だった頃、聡美さんが何度も身体に刃物を突き立てられていたため、犯人は聡美さんに恨みを持つ人物である可能性が指摘されていた。しかし実際には、ある日突然、聡美さんの家にレイプ目的で侵入した通りすがりの男が、思い通りにいかないことに逆切れし、感情を爆発させて、何の罪もない聡美さんを何度も刃物で刺したというのが真相だったのだ。(次回につづく)

全公判を傍聴した北口聡美さんの父・忠さんは毎回、娘の遺影を持参していた

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 廿日市女子高生殺害事件裁判傍聴記 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=89

【廿日市女子高生殺害事件】
2004年10月5日、広島県廿日市市で両親らと暮らしいていた県立廿日市高校の2年生・北口聡美さん(当時17)が自宅で刺殺され、祖母のミチヨさん(同72)も刺されて重傷を負った事件。事件は長く未解決だったが、2018年4月、同僚に対する傷害事件の容疑で山口県警の捜査対象となっていた山口県宇部市の土木会社社員・鹿嶋学(当時35)のDNA型と指紋が現場で採取されていたものと一致すると判明。同13日、鹿嶋は殺人容疑で逮捕され、今年3月18日、広島地裁の裁判員裁判で無期懲役判決を受けた。

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。原作を手がけた『マンガ「獄中面会物語」』【分冊版】第9話・西口宗宏編(画・塚原洋一/笠倉出版社)が配信中。

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《廿日市女子高生殺害事件裁判傍聴記04》「初めての遅刻」に絶望して暴走

鹿嶋学が高校を卒業後に就職したアルミの素材メーカーは、大幅な時間外労働を連日強いられる「ブラック企業」だった。鹿嶋はストレスを蓄積させ、寮の部屋が「ゴミ屋敷」のような状態になるほど生活も荒れた。それでも、「会社を辞めてはいけない」という父の言いつけを守り、3年半に渡って辛抱強く働き続けていたのだが──。

事件を起こす前日の2004年10月4日の朝、あることをきっかけに状況は一変する。裁判員裁判の第2回公判で行われた被告人質問では、鹿嶋はその朝のことも詳細に語っている。

◆たった一度の遅刻で「明日、世界が滅びる」と思うほど絶望

「当時住んでいた寮は、勤めていた工場の目の前にあったのですが、その日、朝起きたら、工場のほうから機械が動いている音が聞こえてきました。それで、自分は寝坊し、遅刻をしたことに気づきました。『やばい。怒られる』と思い、怒られるのはいやなので、寝転がったまま、どうしようかと考えました。そして結局、会社に行くのがいやになり、リュックに携帯電話と財布を入れ、寮を飛び出したのです」

鹿嶋は「遅刻をした」と言ったが、起きた時間は「7時から8時の間」だったから、定時の始業時間である午前8時に間に合うように出勤することは可能だった。しかし、鹿嶋は毎日、定時の2時間前である午前6時頃に工場に出勤し、作業の段取りをさせられていたので、「遅刻をした」という認識になったのだ。鹿嶋はそれ以前、遅刻をしたことは一度もなく、これが「初めての遅刻」だったという。

寮を飛び出した鹿嶋は原付で実家のある宇部市に向かった。そしてその道中、自暴自棄な感情にとらわれていく。

「会社を逃げ出すというのは、自分にとって許せないことでした。『もう、どうなってもいい』という気持ちになっていきました」

それにしても、たかだか一度遅刻したくらいのことで、このような極端な行動に出る人間も珍しい。この被告人質問があった日の翌日、精神鑑定を行った医師が証人出廷し、この時の鹿嶋の事情をこう説明している。

「被告人は明らかな発達障害ではないですが、広汎性発達障害的な偏りがありました。普段は社会に適応できているのですが、情緒的な発達が乏しいため、大きなストレスがかかると、極端な行動をとってしまうのです。この時も寝坊をしただけのことで会社を辞めてしまい、さらに会社を辞めてしまったことに『明日、世界が滅びる』というくらいの絶望感を抱いてしまったのです」

◆思い付きで決めた原付での東京行き

鹿嶋は原付で宇部に向かう道中、携帯電話の電源を切ってしまった。会社とは、もう完全に縁を切ったわけである。会社を辞めた後のアテは何もなかったが、原付を走らせているうち、ふとあることを思いつく。

「下関に住んでいた小学生か、中学生の頃、温泉に入るために自転車で東京からやってきた人を家に泊めたことがありました。それを思い出し、自分もすることがないので、原付で東京に行こうと思い立ったのです」

弁護人から「東京に行って、何かやりたいことがあったのですか?」と質問され、鹿嶋は「とくに何もありませんでした」と答えた。話しぶりからすると、とくに東京への憧れがあったわけでもないようで、本当に思いつきだけで東京に行こうとしたようだ。

そして鹿嶋はホームセンターに入ると、方位磁石と折り畳み式のナイフを購入した。

「方位磁石を買ったのは、東京に行くには、東に進めばいいと漠然と思ったからです。ナイフについては、野宿するつもりだったので、『ナイフさえあればどうにかなるだろう』と思って買いました」

鹿嶋によると、この時点ではまだ女性を襲う考えはなかったという。しかし、のちに被害者の北口聡美さんを襲った際、このナイフは聡美さんの生命を奪う凶器となってしまった。

◆「もう地元には戻らない」と決意

原付で宇部に到着した鹿嶋は、両親のいる実家には戻らず、一番仲が良かった友人の家に向かった。そしてこの日は、その友人の家に宿泊している。

「友人の家に行ったのは、別れを告げるためでした。自分は東京に行ったら、もう地元に戻るつもりはなかったからです」

つまり、鹿嶋は東京に行くことを思いつくと、その日のうちに「もう地元には戻らない」と決めていたわけだ。実際、この時に所持していた20万円の現金のうち、その友人に「餞別」として5万円を渡しているから、地元に戻るつもりがなかったのは確かだろう。

ちなみに鹿嶋がこの友人に「餞別」を渡した理由は、「その友人は障害者で、給料が安かったからです」とのことである。

◆「下校中の女子高生」を見て、思いついたことは……

鹿嶋はこの友人の家に一泊すると、翌朝6時半くらいに原付で東京に向かって出発している。そして5、6分走ったところで、信号待ちをしていると、横に停まった車から「学」と名前を呼ばれたのだという。

「車には、父親と母親が乗っていました。しかし、自分はそのまま走り去りました」

そして鹿嶋は両親と別れた後、「もう宇部には帰らない」との思いを強くし、携帯電話を川に捨てたという。こうして自ら退路を断つと、原付でひたすら東に向かったが、山口と広島の県境を越えたあたりで、新たにとんでもないことを思いつく。

「下校中と思われる女子高生を見かけ、それをきっかけに『レイプをしよう』と考えるようになりました」

そして鹿嶋は、レイプできる相手を探し、原付で走り回った──。(次回につづく)

鹿嶋の裁判が行われた広島地裁

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 廿日市女子高生殺害事件裁判傍聴記 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=89

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▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。原作を手がけた『マンガ「獄中面会物語」』【分冊版】第9話・西口宗宏編(画・塚原洋一/笠倉出版社)が配信中。

月刊『紙の爆弾』2020年8月号【特集第4弾】「新型コロナ危機」と安倍失政 河合夫妻逮捕も“他人のせい”安倍晋三が退陣する日
「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

新型コロナウイルスの問題から、次の生き方を再考する〈1〉 小林蓮実

◆新型コロナ禍とよど号LIFE

先日、11人程度でオンライン会議をおこなった。東京は1カ所に9名程度が集まっていたが、オンライン参加が私を含めて2名いたということだ。会議の内容は、以前ここでもご紹介したように、よど号メンバーの支援に関するもの。会議は毎月おこなっているが、私たちは50周年を機に、イベントを開催しようとしている。

そこで、リーダーの小西隆裕さんが書いた論文を輪読し、感想や意見を交換。いずれここに掲載されるかもしれないが、新型コロナウイルスに触れた内容で、「収束の先行」という出口戦略を主張するものだ。それに対し、さまざまな意見が出て興味深かったので、改めてコロナに対する戦略を考えてみたい。

右から小西隆裕さん、若林盛亮さん、赤木志郎さん

◆各国における実現可能なPCR検査数

まず意見としてあったのは、「収束の先行」の困難。そこでやはり、休業などに対する補償の重要性について確認された。次に出されたのが、検査数に関する問題だ。PCR検査に関しては、たとえば『東洋経済ONLINE』でもまとめられているが、人数は7月12日時点で累計46万6,738名、この日の新規は1,838名で、1日の最高は9日の1万1,505名だろう。件数は6月28日時点で累計65万5,822件、この日の新規は3,452件だ。東京都では7月12日時点で累計11万3,458名、10日の新規は1,367名で、1日の最高は8日の3,302名だろう。

それに対し、中国では、『NHK』によれば、6月22日までに「延べ9,000万人分の検査を行」い、「検査態勢を強化した結果、1日に最大370万人余りの検査を行えるようになったと強調し」ているという。また、韓国でも、『朝鮮日報』によれば、7月「13日0時現在で累計で140万8312人が武漢コロナウイルス感染症の検査を受け」たという。無症状の患者が多いなかで「収束の先行」をかんがみれば、検査数の増加は可能であり、すべきということになるだろう。

これに関し、日本医師会による検査反対の意向があったのではないかという意見が出された。『日医 on-line』によれば、3月18日の定例記者会見で横倉義武会長は、「『現在、わが国では医療提供体制の見直しで病床数の抑制が求められているが、今後もこのような事態に備えて入院医療体制に余裕を持たせておくことが必要である』との見解を示した」とある。ただし、釜萢敏常任理事は、「医師がPCR検査を必要と判断したにもかかわらず、検査に結び付かなかった不適切と考えられる事例が生じていることを受けて」「新型コロナウイルスに関する『帰国者・接触者相談センター』への相談件数(2月1日~3月13日)が全国で18万4,533件あり、そのうち『帰国者・接触者外来』の受診につながったのは7,861人、PCR検査の実施に至ったのは5,734件であったことを報告。『相談から検査につながったのは3.1%であり、やはりこの数は少ない』と指摘」とのことだ。

つまり、無駄な入院患者の急増によって医療体制が崩壊するという意見は多く聞かれたが、検査自体を否定するものではないのかもしれない。また、偽陰性の問題もよく主張されていたが、日本疫学会の『新型コロナウイルス関連情報特設サイト』によれば、「PCR検査自体の問題ではなく、検体採取部位におけるウイルス量(RNAコピー数)の問題である」そうだ。

さらに、『Care Net』では、

・偽陰性率は感染1日目が100%(95%CI:100~100%)であり、4日目が67%(95%CI:27~94%)と5日目(COVID-19の典型的な発症日)まで減少した。・発症日(感染5日目)の偽陰性率は38%(95%CI:18?65%)であった。

・感染8日目(発症から3日目)の偽陰性率は20%(95%CI:12~30%)と最低となり、その後、9日目(21%、95%CI:13~31%)から再び増加し、21日目に66%(95%CI:54~77%)となった。

とのことだ。

※上記写真はまぽ (S-cait)さんによる写真ACからの画像

◆新型コロナ禍の利権構造

そのほかにも、当日の会議では、利権構造を疑う意見が出された。新型コロナウイルス関連の利権について調べていると、さまざまなコンテンツにたどり着く。次回は、この利権構造、任意と強制、医療従事者の感染、問題の深刻度、併発と原発被害との比較、対策と公衆衛生学、情報開示、補償と財政などについて引き続き、触れたい。そして、原発、台風、コロナなどの問題を総合的に考えた際、導き出される人類の次の生き方についてまで、書き進めていきたいと考えている。

▼小林 蓮実(こばやし はすみ)
フリーライター、労働・女性運動等アクティビスト。月刊『紙の爆弾』8月号特集第4弾「『新型コロナ危機』と安倍失政」「セックスワーカーを含む すべての人の尊厳を守れ 『SWASH』代表 要友紀子氏インタビュー」、『現代用語の基礎知識 増刊NEWS版』に「従軍慰安婦問題」「嫌韓と親韓」ほか。

月刊『紙の爆弾』2020年8月号【特集第4弾】「新型コロナ危機」と安倍失政 河合夫妻逮捕も“他人のせい”安倍晋三が退陣する日
〈原発なき社会〉をもとめて 『NO NUKES voice』Vol.24 総力特集 原発・コロナ禍 日本の転機

米国従属国家による「敵基地攻撃能力の保有」とは? 間違ってミサイル戦争になりかねない官邸の「アイデア」 イージス・アショアなき新たなミサイル防衛

「アベノマスク」といい、実現性も経済効果も希薄な「GO TO トラベルキャンペーン」といい、冗談のように派手な看板を掲げては、世論の反発を受けている安倍政権の「アイデア」政策である。

だが、こと国防問題においては、これが単なる冗談では済まなくなる。イージス・アショワ設置が停止になったあとの、ミサイル防衛戦略である。

安倍政権は17日にNSC(国家安全保障会議)の4大臣会合を首相官邸で開き、地上配備型迎撃システム、イージス・アショアに代わる新たなミサイル防衛について協議した。政府は9月をめどに方向性をまとめたい考えだという。

◆トランプに媚を売った安倍総理の失敗

そもそもイージス・アショアは、きわめて杜撰な計画だった。秋田県男鹿市の設置場所では、死角になる本山への仰角をグーグルアースで計測した(三角系数で試算しなかった)ために、ミサイルを発射できないというチョンボを犯し、山口県においてもブースター(第一段ロケット)が住宅地に落下することが判明したのだ。

しかも、高額(トランプに押し付けられた)のうえ、当面は役に立たないという頼りなさである。設置予定だった迎撃ミサイルSM3ブロック2Aは2200億円以上、じつに12年の開発期間を要するものだったのだ。河野防衛大臣は6月16日の記者会見で、計画停止の理由を「約束を実現するためにコストと時間がかかり過ぎる」「(ブースターが地上に落ちるので)計画どおりに運用できない」「ハードウェアを改修すれば倍のコストがかかる」などと説明した。

ようするに、安倍総理の「思いつき」(トランプからの押し売り)で設置を計画してみたものの、あまりにも杜撰で使いものになりそうになかった、というものだ。12年間もの空白が生まれることに、安倍総理は契約時に思いをめぐらせなかったのだろうか。日米同盟の健在(トランプとの蜜月)をアピールするあまり、押し売りでしかない防衛装備を大量に買い入れ、効率の悪い防衛戦略を抱え込んでしまったのだ。

◆敵基地への先制攻撃?

ところで、このチョンボを奇禍とするがごとき動きが、安倍政権内部に起きつつあるのだ。冒頭に紹介したNSC(国家安全保障会議)の4大臣会合こそ、新たなミサイル防衛戦略にほかならない。それはしかし、専守防衛の壁をこえて一気に先制攻撃に道を開こうとするものなのだ。

安倍首相は6月18日の総理会見でイージス・アショアの配備計画停止について「わが国の防衛に空白を生むことはあってはならない」などと言い、敵基地攻撃能力の保有について「抑止力とは何かということを、私たちはしっかりと突き詰めて、時間はないが考えていかなければいけない」「政府においても新たな議論をしていきたい」と発言していた。その発言につづいて、政府高官のあいだから「守るより攻めるほうがコストは安い」(テレビ報道)という発言が飛び出すなど、従来の防衛戦略を突き崩す動きが顕著になっているのだ。

敵基地の先制攻撃論は、北朝鮮がミサイル実験をはじめた当初から議論されてきた。発射されてからでは遅い。ミサイル(液体)燃料の注入が始まった段階で、攻撃の意志ありとみなして攻撃すべきだと。実験のためのミサイル発射準備も「攻撃意志ありとみなす」じつに危険きわまりない発想である。北朝鮮のミサイルが固形燃料になった今、どうやって敵の攻撃意志を確認し、どの基地をどう叩くというのだろうか。

この点については、軍事評論家の香田洋二氏(元自衛艦隊司令官・統合幕僚会議事務局長や佐世保地方総監などを歴任。著書に『賛成・反対を言う前の集団的自衛権入門』など)が警告を発している(ネットマガジンなど)。

「イージス・アショアの配備断念を決定する段取りが拙速との評価を免れ得ない一方で、その善後策として敵基地攻撃能力の議論が始まるのも同様に拙速」であると。

◆偶発的「戦争の準備」よりも外交努力を

「敵基地攻撃は、やる以上、相手のミサイル能力を殲滅(せんめつ)する必要があります」(香田氏)

当然のことであろう。北朝鮮は500発以上の弾道ミサイルを保有し、そのうち数十個の核弾頭を装着可能だといわれている。攻撃の意志ありと「判断」し、先制攻撃したとして、一個でも撃ち漏らせば核弾頭が日本を襲う可能性があるのだ。北朝鮮のミサイル反撃はアメリカの応戦を呼ぶかもしれないが、核の応酬は惨劇を招くいがいの何ものでもない。核時代の戦争に勝者はないのだ。

香田氏はまた、ワイドショーのインタビューでは「日本には北朝鮮のミサイル基地を把握するスパイもいません。基地を叩こうにも、肝心の情報がないのです」と、指摘する。けだし当然である。

すでに北朝鮮は、潜水艦からの弾道ミサイル発射に成功している。自衛隊のP3C(早期警戒機)が領海をこえて、北朝鮮のミサイル潜水艦を索敵するのは、もはや戦争行為である。

いや、日本を仮想敵国にしている韓国・中国の防衛攻撃を受けかねない。その方面(歴史認識と島嶼領土問題)では、日本の政治的孤立は深刻である。安倍政権の外交努力の貧困こそ、問題にしなければならない。アメリカにすり寄るだけを外交だと思い込んでいる人物を、総理の座から引き下ろすのでなければならない。

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。医科学系の著書・共著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)『ホントに効くのかアガリスク』(鹿砦社)『走って直すガン』(徳間書店)『新ガン治療のウソと10年寿命を長くする本当の癌治療』(双葉社)『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)など。

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故郷・熊本の豪雨被害に涙する ── 新型コロナ感染と共に、この国難を乗り越えよう! 鹿砦社代表 松岡利康

熊本県民に愛されている歌に『火の国旅情』があります。1年に1度行われる関西の熊本県人会総会では最後にこの歌をうたうことが定番になっているほどです。県内の地域に因んで30数番までありますが、この中で、今回豪雨被害を受けた球磨地方と熊本市の部分を引用しておきましょう。──

「球磨のしぶきに泣きながら
古城に独り君憶う
落ち行く先は 九州の
相良さびしや霧が湧く
霧が湧くふるさとよ」
*ここの「古城」は人吉城、「相良(さがら)」は球磨郡相良村で平家の落人が住み着いたといわれる。

「風よ吹け吹け雲よ飛べ
越すに越されぬ田原坂
仰げば光る 天守閣
涙をためて ふりかえる
ふりかえる ふるさとよ」
*ここの「天守閣」は熊本城のそれ。


◎[参考動画]ばってん荒川 火の国旅情

わが故郷・熊本が未曾有の豪雨被害に遭いました。4年前の熊本地震は、熊本市を中心とする県内北部での被災でした。今回は人吉市を中心とする球磨川沿いの県内南部の被災でした。亡くなられた皆様に心より追悼申し上げ、被災された皆様方に心よりお見舞い申し上げます。

震災直後の熊本城

4年前の地震で、私の青春の象徴だった熊本城の天守閣や「武者返し」といわれる石垣が損壊いたしました。爾来こつこつと修復中ですが、4年経った今でも完遂していません。自慢するわけではありませんが、例の特別給付金10万円が振り込まれましたので、即全額熊本城修復のために寄付いたしました。もたもたしていると、こういうお金は、何に使ったかわからないうちになくなるものですから、あまり深く考えずに送金しました。

良いことを行えば、なぜか良いことがあるもので、GW前に目の疾患で手術入院した際の保険金35万円が出ました。さらに最近は、このかんの売上減少を見かねてか、在庫の書籍・雑誌を各1冊づつ(1600冊余り)を購入したいという申し出があり、失礼ながらウソかと思っていたところ、ぽんとに140万円が振り込まれ驚きました。こういうこともあるものですね。

在庫リストにない本もありましたので、実際に出版した本は、もっとあり多分2000点近くになると思いますが、今回、あらためてチェックすると、よくもこれだけ硬軟織り交ぜて出版したものだとわれながら感心した次第です。

一方、故郷・熊本では、新型コロナの影響で知人や同級生が経営していた飲食店も2つ閉店しました。残念ですが、これからも、帰郷した折には旧交を温めたいと思います。年初からのコロナ蔓延と併せ故郷・熊本の頑張りを見守りたいと思います。「がまだしなっせ」(がんばりなさいという意味の熊本弁)

同上

手前味噌で恐縮ですが、年初からのコロナ蔓延で、当社も例外ではなく売上減少に見舞われています。近くのショッピングモールの2つの書店は4月、5月とまるまる休業し売上ゼロに近いので、出版社に響かないわけはありません。書店さんや飲食業などのように直接販売ではないので90パーセント減というようなことはありませんが、書店さんの売上減少が反映し、当社もかなり売上減少していることは否定いたしません。どこの出版社もそうでしょう。さらには、本年前半期で出版社・書店で20社余りが倒産したと報告されています。『商業界』とか「おうふう」といった老舗出版社もあります。

「事業継続給付金」は月に50%以上の売上減が対象ですが、さすがに月に50%減といえば1千万円以上の減となりますので、ここまでは落ちていません。ここまで落ちて200万円もらっても夜逃げ資金ぐらいにしかなりません(苦笑)。これに対し、安易に借入するのではなく、まずは「身を切る改革」、私の役員報酬を半額にしたり、広告出広を削減したり、さらに生命保険を解約し、この返戻金を得たりし、月々の保険負担を圧縮したり……このようにして月に150万円ほど圧縮できました。まだまだ圧縮できる余地はあると思います。考えられるどのような手を使ってでも何としてもこの国難ともいうべき災厄を乗り越えようと努めています。諦めずに生き延びてさえいれば、きっと良いこともあります。

基本は、あくまでも社員ファースト、第一は社員の雇用を守ることです。それも金額を減らさず遅れずに。今のところは、それはクリアし、また印刷所、ライターさんら取引先への支払いも遅れることなく迷惑を懸けないでいけています。本年後半は不透明ですが、社員と一致団結して、この困難を乗り越えていきたく考えております。売上が減少したとはいっても、豪雨被害やコロナ感染で亡くなられたり甚大な被害を蒙られた方々に比べれば圧倒的にましです。

私や鹿砦社はこれまで、壊滅的打撃を受けた15年前の出版弾圧(2005年)、その前の阪神大震災(1995年)など、幾度となく困難に見舞われてきましたが、その都度、皆様方のご支援を賜り運良く乗り越えてまいりました。会社を再興したここ10年は、ヒットが続いた際には、高校の同級生がライフワークとして始めた島唄野外ライブ「琉球の風」はじめ志あるイベントや運動に利益を還元してきました。寺脇研さんの映画や3・11東北大震災(日本赤十字社)などにも100万円単位で寄付しました。中には還元する相手を見誤ったこともありましたが(苦笑)。今はそうもいかなくなりましたが、何卒ご容赦ください。

そのようにお金に執着しない生き方をしてきた私もそろそろリタイアーを考えないといけない歳になりましたが、こんなことをやってきましたから、建売の23坪の自宅1軒が残ったぐらいで資産も預金も残せませんでした。無計画な中小企業経営者には退職金もありません。3千万円も4千万円も退職金をもらえる公務員が羨ましくないわけではありませんが、小役人的生き方を拒否してこの仕事に入ったわけなので、まあ仕方ありませんね。今のところはまだましなほうでしょう。なにしろ15年前は地獄に落とされ、「もう終わったな」と思ったぐらいですから──。

とりとめのない話になりましたが、自分を鼓舞するために書いています。たまにはご容赦ください。ともかく今が踏ん張りどころ、「がまだす」しかありません。

訪れた、ある避難所に貼られた寄せ書き
月刊『紙の爆弾』2020年8月号【特集第4弾】「新型コロナ危機」と安倍失政 河合夫妻逮捕も“他人のせい”安倍晋三が退陣する日
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《廿日市女子高生殺害事件裁判傍聴記03》ブラック企業就職でストレスを蓄積させ、次第に荒んでいった犯人の暮らし 片岡 健

両親との関係が良くなかった鹿嶋学は、宇部市の私立高校を卒業後、「寮生活ができるから」という理由で選んだアルミの素材メーカーに就職した。そして萩市の工場に配属され、工場の前にある従業員寮で一人暮らしを始めると、親の目が無いのをいいことに好きなゲームに没頭し、エッチなビデオをほぼ毎日観ていたという。

3月4日、広島地裁で行われた被告人質問。鹿嶋はそのよう会社の寮生活について、自分なりに楽しんでいたように語ったが、会社の仕事では大変な思いをしていたことを明かした。

「定時の出勤時間は午前8時でしたが、実際には、午前6時に出社しなければなりませんでした。午前8時に機械を動かせるようにするために暖気運転をするなど、仕事の段取りをしないといけなかったからです。終業時刻も定時は午後5時ですが、実際は午後6時くらいになっていました。遅い時は午後8時や8時半、部署によっては午後10時まで仕事が終わらないこともありました」

このように会社では、日常的に大幅な時間外労働を強いられたうえ、第1、第3、第5土曜日は出勤せねばならず、休日も少なかった。そのため、鹿嶋と同じ寮にいた同期入社の同僚3人は全員、2年もしないうちに会社を辞めていた。そんな中、鹿嶋は我慢して会社で働き続けたが、通常業務以外にも辛いことがあったという。

「作業効率や生産性を上げるための改善案を2カ月に1回、300人くらいの前で発表しなければならなかったのです。案を考えるのがしんどかったですし、作業でクレームを受けていた時には、発表の場でみんなに謝罪しなければなりませんでした。しかも、会社の偉い人が『何か言うことは無いか』と言って、その場にいる者を指名し、謝罪する人に注意をさせるのです。自分は、みんなの前で発表をするのも嫌でしたが、謝罪をする人に注意をしなければならないのがもっと嫌でした」

会社としては、社員の意識を高めるためにやっていたことかもしれない。しかし、このような社員同士で糾弾させるセレモニーのようなものが2カ月に1回もある職場は、確かに社員にとってきついだろう。鹿嶋の場合、「元々、人に怒るのが苦手」だったそうだから、なおさらだ。こうして鹿嶋は就職後、ストレスを蓄積させていった。

鹿嶋が裁判中に勾留されていた広島拘置所

◆作業中にケガをしたら、心配してもらえずに怒られた

たとえ仕事や職場での人間関係が辛くとも、会社から大事にされているという思いを持てれば、まだ精神的に救われる。しかし、鹿嶋の場合、そういう思いも持てなかった。逆に、こんなショックな出来事があったという。

「右手の親指を機械に挟まれてケガをしたことがあるのですが、工場長に『何しよるんか!』と怒られたのです。俺のことを心配してくれんのか…と思いました。病院に行き、何針か縫ったのですが、会社も心配してくれませんでした」

このように会社は鹿嶋に対して冷たかったが、寮は工場の前にあったため、深夜に「作業員が足らんけえ」と呼び出され、仕事をさせられたりもしたという。こうした鹿嶋の話が事実なら、「ブラック企業」と呼ばれても仕方のない会社だったのだろう。

そんな会社で働きながら、鹿嶋は誰にも相談せず、愚痴も言わず、問題を一人で抱え込んでいた。相談する相手がいなかったからだ。先述したように同じ寮にいた同期入社の同僚は全員辞めていたし、宇部の両親は一緒に暮らしていた頃から必要最低限の会話しかしない関係だった。友人がまったくいないわけではなかったが、その友人にも相談しづらかったのだという。

「週末にはいつも原付で3時間かけて宇部に帰っていましたが、実家に寝泊まりすることはなく、ほとんど友だちの家に行っていました。その友だちに会社のことを相談しなかったのは、その友だちが年下だったので、相談するのは恥ずかしいという思いがあったのかもしれません」

◆3年半、1回もゴミを出さずに寮の部屋がゴミ屋敷に…

鹿嶋は就職後、こうしてストレスを蓄積させる中、次第に生活が荒んだ。会社に勤めた期間は3年半に及ぶが、この間、ゴミ出しを1回もせず、「ゴミ屋敷」のような状態にしてしまったという。

弁護人から「他にも寮生活のことで何か覚えている出来事はありますか」と質問され、鹿嶋はこう答えた。

「風呂に入ろうと思って火をつけたのに、つい寝てしまい、ガスが出なくなったことがありました。そのことも恥ずかしくて、しばらく誰にも言えませんでした。会社の人が気づいてくれ、ガスが出るようになるまで1カ月か、2カ月か風呂に入らずに過ごしました」

ガスが出なくなったのは、おそらく安全装置が作動したためで、それを解除すればガスはすぐにまた出る状態になっていたはずだ。鹿嶋は人に相談できず、その程度のことになかなか気づけなかったわけである。いずれにしても、風呂に入れない状態を「1カ月か、2カ月か」という期間も我慢するというのは、ある意味、我慢強い性格でもあるのだろう。

鹿嶋は会社についても、ストレスをため込みながら、辞めることは考えなかったという。その理由をこう明かした。

「会社を辞めなかったのは、父から辞めてはいけないと言われていたからです」

鹿嶋が父と血がつながっておらず、複雑な関係にあったことは前回触れた通りだ。鹿嶋は小さい頃から父のことを「怖い」と思い続けて育ち、中学時代には、本当は剣道をやりたかったのに、父に言われるまま陸上部に入部したりした。そして「ブラック企業」のような会社で、ストレスを溜め込みながら辞めずに働き続けたのも父の存在があったからだったのだ。

しかしある日、鹿嶋は会社を突然辞めてしまう。そしてその翌日、萩市の従業員寮から遠く離れた広島県廿日市市で高校2年生の北口聡美さんを殺害する事件を起こすのだ。そのきっかけは実に些細なことだった――。(次回につづく)

《関連過去記事カテゴリー》
 廿日市女子高生殺害事件裁判傍聴記 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=89

【廿日市女子高生殺害事件】
2004年10月5日、広島県廿日市市で両親らと暮らしいていた県立廿日市高校の2年生・北口聡美さん(当時17)が自宅で刺殺され、祖母のミチヨさん(同72)も刺されて重傷を負った事件。事件は長く未解決だったが、2018年4月、同僚に対する傷害事件の容疑で山口県警の捜査対象となっていた山口県宇部市の土木会社社員・鹿嶋学(当時35)のDNA型と指紋が現場で採取されていたものと一致すると判明。同13日、鹿嶋は殺人容疑で逮捕され、今年3月18日、広島地裁の裁判員裁判で無期懲役判決を受けた。

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。原作を手がけた『マンガ「獄中面会物語」』【分冊版】第9話・西口宗宏編(画・塚原洋一/笠倉出版社)が配信中。

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「Go To トラベル キャンペーン」こそ、安倍政権の本質である ── 危機管理に「耐える力」がなく、景気の良い掛け声で「弱気を隠す」

◆日本は防疫後進国だった

コロナ禍がいっこうに収束しないまま、わが国の防疫政策は迷走をきわめている。第二波ともいわれる感染者数の増大のなかで、すでに明らかになっているPCR検査の決定的な不足も解消されていない。本欄でも明らかにて来たとおり、厚労省の医系技官=保健所の消極性、そしてこの問題に限っては官邸政治主導の立ち遅れによるものだ。

PCR検査を増やしたい官邸の意向にもかかわらず、官僚組織と現場が動かないのである。デイリー3000~4000のPCR検査という日本の立ち遅れは、第二波を封じこめた武漢や北京とくらべれば明らかである。

すなわち武漢においては、第一波の収束後40日目に1人の陽性者が出たが、その陽性者の居住団地5000人を一斉検査している。そのうち密接交際者5人を割り出して隔離している。さらには、わずか19日間で全市民990万人にPCR検査を実施したのだ。じつに1日あたり50万人である。その結果、300人の陽性が判明し、これをただちに隔離。その後(6月1日以降)2人の陽性者が出たものの、市外からの旅行者であった。つまり、再発を完全に封じ込めたのである。なぜ中国にできて、わが国にはできないのか?

◆動かすべき組織(厚労省)を動かせず、思いつきで勝負せざるをえない

上述したとおり、それは厚労省医系技官がその要を占める保健所および国立感染研の消極性にほかならない。PCR検査そのものに及び腰(医療従事者の感染の危惧)であること、そして厚労大臣・副大臣・政務官ら政治家ばかりか、安倍総理の意志すら貫徹しない組織に欠陥があるのだ。医系技官たちのセクショナリズム(縄張り主義)、パワーゲーム(事務系官僚との抗争)は、『さらば厚労省』(村重直子、講談社)に詳しい。

官邸・官庁中枢だけではない。感染者数の集計にFAXを用いるというアナログ体質、二か月経ってもマスクひとつ満足に配れない役所と郵便網、持続化給付金を民間に丸投げし、二次受け三次受けを追跡できない体たらくなのだ。思い起こして欲しい、厚労省および社会保険庁のアナログ管理によって消えた年金を。

日本は80年代後半から国鉄・郵便局の民営化によって、親方日の丸体質ともいうべき公的分野の改革を行なってきた。だがそれは、官公労の労働運動を破壊するのが主目的で、赤字部門の清算が副次的な目的であった。鉄道においては赤字路線の廃止、郵便においては公務員的な体質を宿したまま、違法な保険契約でノルマを達成するという弊害を生んだ。

そしていま、官庁中枢において「動かない組織」が明らかになってきたのだ。そして動かない組織を横目に見ながら、なんら策を打ち出せない官邸が思いついたのが、まさに思いつきの「アベノマスク」であり「GO TOキャンペーン」なのだ。動かない組織の問題点を切開(組織と人事編成の再編)するのではなく、ほんらい向かい合うべき政策に背を向けた「アイデア」で勝負しようというのが、安倍総理とその補佐官・秘書官たちなのである。

アベノマスクを発案したのは、佐伯耕三総理大臣秘書官であるといわれている。総理に対して「全国民に布マスクを配れば不安はパッと消えますよ」と進言したとされ、これを「実現」させたのが大型補正予算を仕切る今井尚哉総理秘書官だったという。

◆実現しても危険が大きいアイデア

そして今回の「Go To トラベル キャンペーン」を総理に提案したのは、その今井秘書官の指揮のもと、新原浩朗経産省産業政策局長だといわれている。この新原局長は内閣官房で日本経済再生総合事務局長代理補の肩書もあわせ持ち、今井氏と働き方改革や教育無償化など、総理肝いりの政策を実現させてきた人物だ。タレントの菊池桃子さんと2019年11月に結婚したことでも知られている。


◎[参考動画]菊池桃子さんと結婚の新原氏が会見(NNnewsCH 2019/11/05)

さてその「Go To トラベル キャンペーン」は、東京への観光旅行および東京都民の観光旅行には適用されないという、骨抜きの内容になってしまった。東京で毎日300人近い感染者が出ているというのに、観光旅行なんかやって拡散するつもりか? という世論の批判および東京都の反発に屈したかたちである。その結果、準備をすすめていた観光業者はキャンセルによって打撃を受けている。

いや、そもそも「Go To トラベル キャンペーン」は、収束後の政策ならぬアイデアだったはずだ。

じつはここに、安倍政権の本質が顕われているといえるのだ。危機管理にからっきし弱く、天災や今回のような疫病禍など困難には耐えられない。それゆえに、なるべく明るい話題に飛びつく。早すぎるアイデアの実行に飛びついてしまうのが、安倍総理の抜きがたい体質なのである。

JTBの「Go To トラベル キャンペーン」サイトより

現実には感染者ゼロの岩手県のほか、コロナ感染を収束させた他県への観光を推奨するこのアイデアは、失敗に終わる可能性が高い。35%の旅行費補助や15%のクーポンを目当てに、危険を冒して旅行に出かける人々が多いとは思えない。そもそも歓迎されない観光地に、何を楽しみに行けばいいというのだろうか。

もしも安倍政権が想定したとおりに観光が動いたとして、もしもコロナ感染がその観光地で拡散、死者が出たらどするのだろうか。総理を辞任して済むような話ではないのだ。「Go To トラベル キャンペーン」の予算は1兆7000億円だという。持続化給付金同様に、大手代理店が中抜きをするのだという。

そんなことであれば、その巨額予算はただちに観光業界の支援金に回すか、ホテルや旅館を感染者の一時待機施設として確保する。そんなアイデアこそ実現するべきではないか。

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。医科学系の著書・共著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)『ホントに効くのかアガリスク』(鹿砦社)『走って直すガン』(徳間書店)『新ガン治療のウソと10年寿命を長くする本当の癌治療』(双葉社)『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)など。

月刊『紙の爆弾』2020年8月号【特集第4弾】「新型コロナ危機」と安倍失政 河合夫妻逮捕も“他人のせい”安倍晋三が退陣する日
『NO NUKES voice』Vol.24 総力特集 原発・コロナ禍 日本の転機

コロナ対策を軽視し、労働者を騙し、都構想ばかり推し進める大阪維新〈暴政〉「全国すべての人々へ」給付されるはずの特別定額給付金がなぜ、「住民票を失った」釜ヶ崎の住人たちには給付されないのか? 尾崎美代子

◆大阪維新は、センターからの野宿者追い出しをやめろ!

7月6日、昨年閉鎖されたセンター前に組合のバスを置く釜ヶ崎地域合同労組や、北西角に団結テントを設置する仲間に、「土地明け渡し請求事件」の訴状などが届いた。「出ていけ!」と訴えるのは大阪府だ。コロナ災いが続く中、センターから野宿者を追い出したいのは、都構想とリンクする西成特区構想を前に進めたいがためだ。

西成あいりん総合センンター(以下センター)は、昨年3月31日閉鎖予定だったが、当日大勢の労働者、支援者が「シャッター閉めるな」と声をあげたため閉鎖できなかった。翌日から始まった自主管理活動には、全国から支援の声・物資・カンパなどが届けられた。4月24日、国と大阪府は警察がタッグを組み、センター内の労働者らを暴力的に排除したが、それ以降も大勢の野宿者がセンター周辺や釜合労のバスで寝泊まりし、炊き出しや寄り合いなどの支援活動も続けられている。

そんな中、今年2月5日、大阪地裁の執行官は、大阪府、市の職員、警察とともにセンターを訪れ、野宿者に土地と荷物などを「執行官に引き渡せ」という「仮処分決定書」を手渡し、野宿する路上に「告示書」を打ち付けていった。

大阪府はこの申し立てを、昨年12月26日に大阪地裁に行っているが、その3日前の23日には、センター解体後にできる広大な跡地をどうするかを検討する「まちづくり会議」で、センターに入っていた2つの労働施設、「あいりん職安」と「西成労働福祉センター」(現在、隣接する南海電鉄高架下に仮移転中)を、跡地の南側に移転することが決まったばかりである。国道に面し、使い勝手や立地条件の良い北側の広大な跡地には、観光バスの駐車場やタクシー乗り場や外国人向けの屋台村を作るなどの案が出たという。

そもそもセンターは1970年、「あいりん地区の日雇い労働者の就労斡旋と福祉の向上」を目的に設置されたものだ。中には2つの労働施設の他に、水飲み場、足洗い場、シャワー室、洗濯場、娯楽室など最低限のライフラインが備わっていたうえ、地区内では毎日どこかで炊き出しが行われていることから、職や住処を失った人も、ここに来れば、どうにか生きていくことができた。しかし新たにつくられようとしている「まち」には、そうした労働者の居場所はない。

数日前から夜遅く、店近くで野宿を始めた60代男女。10万円が給付されたらドヤに入る予定だが、訳あって生活保護は受けたくない

◆大阪維新行政・だまし討ちの手口

釜ヶ崎を追い出された労働者はどこへいけばいいというのか! 長引くコロナ禍のもと、苦境に立たされている若者や非正規雇用労働者を助けることも重要だが、そのためにもともと釜ヶ崎にいる野宿者やおっちゃんらを切り捨てる、あるいはそれに加担することにな るのであれば、元も子もないだろう。

訴状には稲垣浩氏ほか21名(計22名)の氏名が漢字かカタカナで書かれているが、これは昨年11月、大阪府や大阪市の職員らが、福祉相談を装って名前を聞き出したものだという。しかしその際、本人には何に使うかなどの説明はなかったという。自分が訴えられるなら、名前を明らかにすることに躊躇した人もいるはずだ。自分の名前が書かれた「告示書」が目の前に釘で打ちつけられ、怖くなり他の地に移動した野宿者もいる。だまし討ちのあまりに酷いやり方だ!

◆労働者の健康など全く考えていない大阪行政のご都合主義

閉鎖前、早朝センターのシャッターが開くと、大勢の人たちが荷物を運び入れ、ゆったり一日中過ごしていた。その数は1日50人から80人。野宿者だけでなく、働けなくなり生活保護を受けるようになった人たちも、大勢センターに集まっていた。「Aはたいがい2階の娯楽室で将棋さしてるで」「Bを探してるんか? アダチ(センター前の酒店)の前に夕方いるで」「次の日曜日、三角公園でプロレスあるで。もちろんタダや」等々、センターはまさに仲間とつながり、情報を交換し合う社交の場だった。

センター閉鎖後、行政はそうしたセンターの代替場所の1つとして、センター南側の萩の森跡地に居場所を作った。運動会で使われる白いテントを数張り置いただけだが、雨の日も真夏でも労働者は集まってきた。その萩の森跡地のテントが最近、「整備のため」と撤去され、近くの萩の森北公園(旧仏現寺公園)に移された。しかし3、4張りあったテントは1張りだけ。未だコロナ禍は収束せず、感染拡大の危険性が叫ばれる中、テントは結構「蜜」な状態だ。行政が、釜ヶ崎の労働者の健康や体のことなど全く考えていない証拠だ。

聞けばこの公園は、1977年、炊き出しや寝泊りしていた労働者が、大阪市に行政代執行で追い出された所だ。それ以降は子供達の遊び場として遊具が設置され、朝鍵が開けられ晩には鍵がかけられていた。それが今回は「居場所に使え」だと。行政の都合で「不法」になったり、「適法」になったり、ご都合主義も甚だしい。

センターの代替場所だった萩の森公園跡地が閉鎖され、新たに作られた代替場所。テントは一張りのみ。結構「密」だ

◆コロナより都構想の大阪維新の給付金対策とは?

コロナ対策の特別定額給付金の支給も大阪が一番遅れている。大阪都構想を進める副首都推進局の職員数80名以上に対して、特別定額給付金を担当する市民局の職員数が18名と非常に少ないことも理由の1つだろうが、市民局がどこにあるかも「非公開」にするなど、吉村知事、松井市長のコロナ対策はあまりにいい加減過ぎるからだ。

現在、様々な団体、個人などが「全ての人に給付金を支給するように」と訴え、交渉を続けている。直近の交渉で大阪市は、NPOやシェルターなどに住民票を移し、申請書を受け取る案で調整中だそうだ。それで給付金が受けれるならば、大いに利用すればいいが、問題なのは、その後そこに居住実態がない場合、再び住民票を削除するということだ。

これはかつて、大阪市が、住民票のない労働者らが各種資格、免状、日雇い労働者被保険者手帳などを取得する際に、釜ヶ崎開放会館や市民団体の住所に住民票を置くことを積極的に勧めておきながら、2007年一方的に2088名の住民票を強制削除したことと同じことではないか?

私が弁当を配り始めた5月頃、センター南側の路上で、開放会館においていた住民票を削除された労働者に実際会った。あれから13年経ち高齢化したため、野宿しながら、銅線、鉄、アルミ缶などを集め、日に千円稼ぐのが精いっぱいとこぼしていた。大阪市はまずは、この2088名の住民票を復活させろ!

2007年、解放会館に置いていた住民票を勝手に削除された男性。銅線、アルミ缶など集め、1日千円稼ぐのがやっと
7月15日の弁当。昨夜出会った男女に渡すことができた

このままでは、給付金がもらえない人が出てくることは必至だ。何度もいうが、おぎゃあと生まれた赤ちゃん、DVで住民票がある場所から避難する人、無戸籍者にも給付金は支給される。住民票がない人に対して、住民票すらまともにとれない酷い生活をしてきたから「自業自得」という人もいるが、じっさいに何らかの罪を犯し刑務所に服役する人も、そして労働者の血税を好き放題むしり取る悪の親玉、安部や麻生にも一律に支給されるのが給付金だ。それなのに、なぜ住民票がないくらいで、給付金支給の権利が奪われなければならないか? すべての人に給付金を渡すため、大阪市は1人1人の野宿者から氏名を聞き出し、戸籍などを確認する作業を必死で行え!

住民票がないとの理由で、給付金が支給されない人が出ることになれば、「全国すべての人々へ」という給付金支給の理念を著しく逸脱する大問題になるだろう。


◎[参考動画]仕事も住民票もないホームレスたちに“10万円”は届くのか…「西成・あいりん地区」で弁当配り見守る女性の活動(2020年5月26日放送 MBSテレビ「Newsミント!」内『特集』より)

▼尾崎美代子(おざき みよこ)

新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

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