江戸期いらいの博徒が戦後にいたって一変したのは、そのまま戦後社会の変容を映し出しているといえよう。

最初に戦後の闇市を取り仕切ったのは、伝統的な極道の流れではなかった。愚連隊とか特攻隊崩れとかの血気盛んな連中が、無秩序な闇市を取り仕切ることで警察組織の代用をはたしたのである。盗みやかっさらいの横行するアンダーグラウンドの市場には警察力が必要だったが、その警察は闇市を取り締まり、取り締まった戦果を自分の懐に入れることはあっても、飢えた民衆の必要を満たしてくれるわけではなかった。そこで私設の警察組織が、闇市の庇護者として設立されたのである。
どんな商売も市場がある以上は、需要がなければ存立しえない。

遠く農村から列車に乗って闇市に米を売りにきた女性が、乱暴者から商品たる米を奪われたとしよう。警察に届けても面倒をみてくれないどころか、闇米はすべて没収されて、へたをすれば彼女自身も逮捕されてしまうのである。そこで市場を取り仕切る愚連隊の親分にすがって、米を取り戻してもらうことになるのだが、そのついでに少しばかり上納金を差し出すことに何の不思議もない。必要経費ともいうべき、当然の手間賃である。

ときには愚連隊同士の縄張りやイザコザで拳銃を乱射されたり、取り締まりの警察隊との銃撃戦もある異常な時代だったが、日常的なトラブルは彼女がしたように必要経費で処理され、それで食いぶちが満たされれば何の問題もないのである。商売のトラブルが市を成り立たせなくなったのでは、人々は飢えて死ぬしかない。当時の日本人の食料は、そのほとんどが闇市の食料で賄われていたのだから。

こうして闇市を支配していた愚連隊を、やがて伝統的な博徒組織が吸収していく。
実力を持った若い集団が、いろいろと能書きやしきたりなど伝統文化を持つ集団に合流して、本格的に極道の代紋を背負うことになったのである。戦争で国家とともに滅びかけていた博徒集団にしてみれば、これで新しい職域への進出と若々しい血を入れることになった。

◆田岡一雄がつくった戦後ヤクザ

人々の飢えがみたされて闇市が終焉すると、戦後復興の時代である。日本最大の広域暴力団とされる山口組の勢力を飛躍的に拡大したのは、一九五九年に勃発した朝鮮戦争だった。

港に入った船に一番乗りしたグループが積み荷の運搬を請け負うという、荒っぽい沖仲士の荷受け業界に初代のころから参入していた山口組は、斬新な組織論において他の組織の追随を許さなかった。旧来の極道組織の子分が子分をもうけて分立していく組織作りの方法を避け、山口組は表向きは会社組織として分社し、裏組織を一元的に統括した。表向きは近代的な企業でありながら、しかも普通の企業にはできない義理の親子の拘束性がある。この立役者が三代目山口組の袖主田岡一雄だった。

朝鮮戦争の拡大とともに港湾荷役は需要が増大し、規制緩和の機会を得た山口組は二次下請けの立場から一次下請けへの参入に成功する。海運局に掛け合って、下請けの枠組みを取り払わせてしまうのである。さらには、左翼の労働組合に対抗する労働組合を結成し、この力を背景に、彼の組織は左翼のみならず他の業者を圧倒したという。

事故が起これば船会社と交渉するのも山口組の労働組合なら、海運会社の仕事を最大業者として受けるのも山口組傘下の企業という具合に、彼らは神戸港の支配をテコに全国の港湾を掌握していく。

さらに、当時のエネルギー産業の基幹である炭鉱労働者の組織化に着手する。いわば職能組合とか産別労組の全国展開とまるで同じ組織づくりで、高度経済成長をもたらす労働力を支配し、今日の隆盛の礎になる全国組織の最初の骨格を作ったのである。

膨大な労働力(人集め)を必要とする大資本にしてみれば、労働者が左翼に牛耳られて革命騒動を起こされるよりは、山口組のほうがずっといいに決まっている。事実、あとでみるように共産党は朝鮮戦争に乗じて武装闘争の方針で動いていたし、革命前夜のような暴動が各地に生起していた。

それでなくても、沖仲士や炭鉱労働者は普通の社員では扱いにくいし、荒っぽい連中の喧嘩騒ぎや揉め事には困っているのだから、旧財閥系の御大も、ここはひとつ山口さんとこの力でなんとか、ということになったのは想像にかたくない。

組織が拡大していくためには、荒っぽい暴力も必要である。ここでは柳川組という武闘派組織が山口組の組織拡大を牽引したのだった。ちなみに柳川組は在日朝鮮人を主体とする組織で、のちにみる共産党の極左戦術を先頭でになったのが在日朝鮮人たちだったのを考えると、異郷に強制連行された彼らこそが、混乱期にたくましい生き方をしめしたことになるかもしれない。


◎[参考動画]「山口組三代目」(1973年08月11日公開)予告篇

つぎに三代目山口組組長田岡一雄が取り組んだのは、これも有名な話だが力道三のプロレス興行や美空ひばりのステージを取り仕切る芸能興行だった。朝鮮戦争の軍事特需をへて、戦後復興なった日本には、大衆消費社会の波がすぐそこまで来ていた。

隙間産業のような職域が時代の需要になったときに、正業を持たない極道組織が持てる組織力と荒っぽいが面倒な仕事に乗り出すのである。利権と暴力が衣の下から透けて見えるような、あやうい職域を仕切ることができるのは、目先の銭金よりも厳しく統制された組織であり、それを可能とする伝統的な作法と形式の力にほかならない。生き方の中に極道としてのプロフェッショナルの気風が充満していれば、もはや怖いものは何もない。組織に生きることが、彼らの正義であり世の中をみる尺度なのである。

これが通常の会社組織であれば、仕事の成否も労働者の去就も賃金をめぐる一点にしかない。業績がはかばかしくない企業からは、沈みかけた難破船から鼠が逃げ出すがごとく優秀な社員はいなくなってしまうし、有力な企業には有為な人材が集まるのが労働市場の原理である。

ところが極道の社会は利益集団でありながら、そこに擬制の血縁関係をつくり出すことによって成立している。破門か絶縁の処分をされないかぎり、親子の縁は切っても切れない。これが極道組織をプロフェッショナルの集団たらしめる原理である。

親が殺せといえば子は殺人犯になるのが正義であり、親が死ねといえば、まあこればかりはゴメンと逃げ出すかもしれないが、破門や絶縁の処分をされないかぎり子分であることに変わりがない。このようにして保存された親子の縁と義理、兄弟の絆が、戦後の保守政治にマッチしていた。自民党とその政府はヤクザを手の内に取り入れることで、選挙のみならず政争を生きのびることになるのだ。次回は自民党のヤクザへの接近と裏切りを、国家という原理から解説していこう。


◎[参考動画] プロレスリング日本選手権 “昭和の巌流島”(1954年12月22日)

【横山茂彦の不定期連載】
「反社会勢力」という虚構

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業、雑誌編集者。近著に『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)『男組の時代――番長たちが元気だった季節』(明月堂書店)など。

2020年もタブーなき言論を! 月刊『紙の爆弾』2020年2月号

『NO NUKES voice』22号 新年総力特集 2020年〈原発なき社会〉を求めて

鹿砦社創業50周年記念出版『一九六九年 混沌と狂騒の時代』

わたしの山本太郎氏の評価に続き、横山茂彦さんから天皇制についてのお考えが示された。横山さんは、

《「わたしはその党名を書くことができない」と言う。(2019年12月17日本欄「私の山本太郎観」)なるほど、天皇制および元号を是認する政治観に同調できないというのは、言論人としては清廉潔癖であるかのように感じられる。しかし、清廉潔癖であることはオピニオンとはおよそ別ものであろう》

と、わたしの反射に近い反応を評されている。

 

『NO NUKES voice』Vol.22 新年総力特集 2020年〈原発なき社会〉を求めて

わたしは、自分のいい加減さは自覚したうえで、横山さんがおっしゃっていることはその通りであろうか、と必ずしも同意はできない。あのとき「清廉潔白であろう」などと大げさに腹を決めて、「その党名を書くことができない」と表明したのではない。左派(横山さんの山本太郎氏評によれば)が何かを主張するのであれば、あの党名はあまりにも不適切すぎるのではないか、との疑問(なかば怒り)から、包み隠さずに気持ちを表明したまでである。そして、

《清廉潔白であることはオピニオンとはおおよそ別のものであろう》

との横山さんのご意見には、首肯できない。わたしは「清廉潔白」をもって自分の見解の正当性を訴求したのではない。塵のようなものであっても、意見は意見である。私見を表明することはそれで完結だ。わたしは、誰かに同調を求めたり、運動や行動の路線を領導しようとする意思など(当たり前すぎるが)持ち合わせていない。それは、わたしが本通信に掲載して頂いた、ほかの文章をお読みいただいてもお分かりいただけると思う。

《天皇制および元号を是認する政治観に同調できない》のが、わたしの意見(オピニオン)である。わたしの脊髄反射ともいうべき意見表明をとらえて、《清廉潔白であることは、オピニオンとはおよそ別ものであろう》と横山さんはご指摘なさるが、これには納得できない。だれがなにを考え発表しようがそれは個人の責任と自由に帰すことではないのだろうか。しかもわたしは脊髄反射のようにこの感覚を表明したけれども、けっして、わたしの人生史や、肉体史から離反した思いつきではない。表層的な「思想」といったものではなく、わたしにとっては、自分の経験も含め「体にうえつけられた」体験、いわば身体を伴った反応である。

横山さんは天皇制を擁護する立場ではなく、ご自身も「反天皇制デモ」に参加されたことがあるようだ。その上で、

《山本太郎や白井聡らに対して、天皇制を容認するのかという批判は、論者たちの「天皇制廃絶」を前提にしている。そうであれば、天皇制廃絶論者は天皇制を廃止するロードマップを提起しなければならない。天皇と元号について議論する、国民的な議論を経ない天皇制廃絶(憲法第一条改正)はありえないとわたしは思うが、そうではない道すじが果たしてあるのだろうか?》

と、ひとむかしまえの田原総一朗が、小選挙区制や自衛隊の海外派兵について「朝まで生テレビ」で野党議員に「対案を示せ!」と迫った光景を思い出させるような発問をされた。わたしの回答はこうだ。

「現在日本で天皇制を合法的に廃止するには改憲によるしかない。しかし、国民世論の大半が天皇制に融和的であるのことを鑑みると、改憲による天皇制廃止は事実上不可能だ」

こういうと、あっさり白旗を挙げたかのように誤解されるかもしれないが、そうではない。まず天皇制は憲法上(あるいは社会制度上)法的な位置づけを持ったものであるのはご承知の通りだ。そして(しかし)、天皇制は法律から離れてもこの島国の住民の内面にかなり深くべったりとしみついている「理由なき精神性」を孕むものでもある。仮に憲法における規定が変更あるいは削除されようとも、このメンタリティーには大きな変化は生じないのではないか、というのがわたしの推測だ。

横山さんが疑問を投げかけるように、法的な正攻法では「国民的な議論」は必須である。その後に改憲を行うしか天皇制の法制度的変化は起こしえない。しかし、天皇制についての議論を行うことができる知的・情報的前提条件をわれわれは持ちえているだろうか。天皇制のような大きな問題をでなくともよい。もっと卑近で小さな諸課題にさえ、義務教育はもちろん、識者も、マスコミも正確な情報や史実を国民に伝えていないではないか。少し歴史を紐解けば、大マスコミが「まとも」であったためしなど、この国の歴史にはほぼ皆無だと、わたしは睨んでいる(あったとすれば記者やデスクの個的な勇気による産物だ)。それどころか、大マスコミの社長や幹部が「定期的に首相と食事をする」。これが直視すべき今日、日本の現実である。だからこそ「反天皇制デモ」は、主張が真っ当であるかどうかにかかわらず「国民的な議論のステージ」を作り出せていない、とわたしは感じる。

想像してほしい。仮に敗戦記念日や原爆投下の日、太平洋戦争開戦の日などに、当時の出来事(なかんずく天皇がどのような判断を示し、それにより軍部や国民がどのように行動したのか)が正確・詳細に伝えられるような状況であれば、可能な議論の範囲はかなり違うだろう。横山さんにもご記憶があろうと思うが、わたしたちが学生であったころ、さして社会問題に深い関心のない学生とのあいだにだって、「天皇制の是非」の議論は可能であった(蛇足ながら80年代中盤であっても「天皇制擁護派」は圧倒的に少数だった)。それは、直接ではないものの、ヒロヒトが導いた第二次大戦を経験した世代(親及び祖父母)からの、伝聞が経験としてあったからではないだろうか(わたしの場合広島での被爆2世という出自が、それを増幅させているのかもしれないが)。

教育と、報道、あるいは娯楽を徹底的に利用して「天皇制への恭順」は日々増強されている。天皇制に限らす社会的な問題の軽重を測定するバランスをとうのむかしに失った、情報産業が流布する天皇制への無批判な賞賛はもう飽和状態の域に達している。

頭の中が無垢でまじめな若者が、そのあたりの書店に入ってまず目に入るのはどのような書籍だろうか。読む価値のある社会学や哲学の古典に行き着くのは容易ではない。仮にそのような書籍を目指すのであれば、山済みのハウツー本と、嫌韓本の山を越えなければならない。そもそも大学生の半数が月に1冊の読書もしない時代にあって、与党が安心しきったから投票年齢の18歳への引き下げが、在野から強い要請もなかったにもかかわらず、実行されたのはなぜなのか。これらの事象は、いっけん天皇制と無関係に見えるかもしれないが、そうではないだろう。

つまり、時代は既に「ファシズム」の真っただ中である、というのがわたしの基本認識だ。思想的にはぺんぺん草も生えないような、のっぱらが、現代であると、しっかり「絶望」することからはじめるほかあるまい(「絶望」は必ずしも最終的な諦念を示すものではない「闇を直視せよ」という比喩である)。

戦前・戦中のように「神」とたてまつるわけではなく、敷居をずっと下げて、北野武やジャニーズのタレントやスポーツ選手を多用しながら(つまりそのファンも巻き込む効果を利用して)天皇の代替わり儀式が行われたプログラムは、過去の天皇制よりも、外見は一見ソフトなようであるが、じつは、より強固に「反論を封じる巧妙さ」も兼ねそろえた。そんな状況の中で「国民的な議論」を喚起することなどが、どうしたら可能だと横山さんはお考えなのだろうか。

《わたしはこの欄でもっぱら、皇室および天皇制の民主化・自由化によって政治と皇室の結びつき(天皇制)はかならず矛盾をきたし、崩壊する(政治と分離される)としてきた。たとえば、自由恋愛のために王冠を捨てた英国王・エドワード8世、今回、高位王室から自由の身を希望したヘンリー王子とメーガン妃による、王室自由化。日本では「紀元節」に反対して赤い宮様と呼ばれた三笠宮崇仁親王、あるいは皇室離脱を希望した三笠宮寬仁親王らの行動。そして現在進行形では眞子内親王と小室圭さんの恋愛が、その現実性を教えてくれる。矛盾をきたした文化としての天皇および皇室はやがて、京都において逼塞する(禁裏となる)のが正しいあり方だと思う。皇室を好きだとか、天皇が居てほしいというアイドル感情(これは当代だけではなく、歴代の天皇および宗教的タレントがそうであったように)を強制的に好き嫌いを否定することはできないのだから、強制的に皇室崇拝を廃絶することも困難だろう。40年以上も天皇制反対(かつては廃止)を唱えてきた、これはわたしの実感である》

横山さんは実例をあげて「希望」を示してくださる。わたしは全面的に反対ではない。日本の皇室においてもスキャンダル報道が許容される幅は、広がっているのだろう。だが、先輩に対して失礼千万ながら、わたしの正直な感想を述べさせていただければ、

「横山さん、天皇制はそんなに甘いもんじゃないですよ」

である。

天皇制を語る際に英国王室が引き合いに出されることが頻繁にある。英国だけではなく「欧州にはいまだに貴族がいるではないか」という意見も聞く。だが、彼らの決定的なあやまちは、英国王室の長(おさ)は「王」(King)であり、天皇は憲法上の規定がどうあれ「神」(God)の側面を持つ皇帝(Emperor)であることだ。このアルカーナ(秘密・奥義)については、歴代の首相や大臣がしばしばその本音を発言し問題化してきた。つい先日も麻生太郎が「二千年の長きにわたって、一つの民族、一つの王朝が続いている国はここしかない」と本音を語った。麻生のいう「王朝」は天皇制にほかならず、天皇制は「神」と「皇帝」の性質を併せ持つ。そんなことは日本国憲法のどこにも書かれていないし、皇室典範をはじめ、すべての法律をひっくり返しても記述はない。つまり天皇制は憲法における定義とは他に、「神話」根拠にした「寓話」の性質を有しているのである。しかし「寓話」が不文律あるいは強制として「国是」とされている実態は無視はできない。まずその事実にすら気がつかない、あるいは知らないひとびとに「知らせる」ところからはじめるほか、手立てはない。

横山さんのいう、

《ついでに、天皇制があるから差別があるという、一見して当為を得ているかのような議論で、禁裏と被差別民の関係をじゅうぶんに論証しているものは、管見のかぎり存在しない》

は、天皇制と(象徴的には)被差別部落の関係を念頭におかれた論ではないかと思う。

わたしの主張はそうではない。単純に「生まれたときから『様』と呼ばれる人間がいる社会では、その逆の人が存在せざるを得ないのではないか」という極めて単純なことだ。身内で勝手に「様」と呼び合うのならいいだろう。けれども、権力により敬称を強制される人間が生まれる制度が、前近代的であるとわたしは批判しているのだ。『様』のほかには『様』と呼ばれない無数の人がいるであろう(このことだけでも充分に差別的である)。だからよその国の話ではあるが、中華人民共和国の侵略に対する、チベット民族抵抗の象徴として、以前は条件付きで留保していた、チベットにおけるダライ・ラマを筆頭とする「活仏」制度に対しても、わたしは容赦なく批判を加えるようになった(もっとも20年前以上から現在のダライ・ラマ本人は私的な会話で「活仏は私で終わりだ」と繰り返し述べていたけれども)。

もちろん、「好きな人が好き」というアイドル現象にくちばしを突っ込むつもりなどない。横山さんが構想するように、皇室が京都に帰って生活するもよし、廃絶されるもよしである。

しかし、最後にもう一度強調したい。こと天皇制に限っては、

「横山さん、天皇制はそんなに甘いもんじゃないですよ」と。

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◎横山茂彦-天皇制(皇室と政治の結合)は如何にして終わらせられるか
◎田所敏夫-政治家・山本太郎に危険性を感じる理由を再び──横山茂彦さんの反論への反論

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

2020年もタブーなき言論を! 月刊『紙の爆弾』2020年2月号

鹿砦社創業50周年記念出版『一九六九年 混沌と狂騒の時代』

カルロス・ゴーン氏の「逃亡」事件および、同氏による「日本の司法制度は人質司法」という批判をうけて、法務省がHPに「言い訳」のような見解を発表した
「我が国の刑事司法について,国内外からの様々なご指摘やご疑問にお答えします。http://www.moj.go.jp/hisho/kouhou/20200120QandA.html」がそれである。

法務省HP「我が国の刑事司法について,国内外からの様々なご指摘やご疑問にお答えします」

ゴーン氏の記者会見がもっぱら、日本政府と日産関係者の陰謀よりも、日本の非人道的な人質司法に向けられたことから、国民と国際世論に訴えるかたちで公表されたものだ。

しかしその内容は、みずから基本的人権を欠いた「人質司法」であることを暴露するものになっている。具体的にみてゆこう。

Q3 日本の刑事司法は,「人質司法」ではないですか。
A3 日本の刑事司法制度は,身柄拘束によって自白を強要するものとはなっておらず,「人質司法」との批判は当たりません。

すべての場合を網羅したデータはないので、わたし個人の場合を挙げておこう。本欄でも連載した「40年目の三里塚開港阻止闘争」で明らかにしたとおり、わたしは三里塚闘争で逮捕され、1年間の未決拘留を受けている。1年間というのは、訴状と求釈明および冒頭意見陳述が終わり、公判が軌道に乗ったということをもって、保釈が許可されたからである。その間、2度の保釈許可と検察抗告による却下があった。

しかしながら、取り調べで自白した被告(同一犯罪)は、同じ罪名でありながら二か月ほどで保釈が許可になっている。つまり、自白をしないかぎり裁判が軌道に乗るまで保釈はしない、ということをこの事実は意味しているのだ。これが「人質司法」の実態である。一般に公安事件ではこの基準が現在も維持されている。ではなぜ、判決によらない刑罰とも言うべき1年間もの拘置が不法に行なわれるのか?

Q4 日本では,長期の身柄拘束が行われているのではないですか。
A4 日本では,どれだけ複雑・重大な事案で,多くの捜査を要する場合でも,一つの事件において,逮捕後,起訴・不起訴の判断までの身柄拘束期間は,最長でも23日間に制限されています。
 起訴された被告人の勾留についても,裁判所(裁判官)が証拠隠滅のおそれや逃亡のおそれがあると認めた場合に限って認められ,裁判所(裁判官)の判断で,証拠隠滅のおそれがある場合などの除外事由に当たると認められない限り,保釈が許可される仕組みとなっています。

要するに、自白をしていないから「証拠隠滅のおそれがある」というのだ。それならば、冒頭手続きが終わって保釈したあとは、証拠隠滅をしないと言えるのだろうか? 捜査が終了したあと、単に書面の準備が整わないから1年もの期間拘置をつづけているのだろうか? 

そうではない。刑の先取りを行なうことで、長期の拘留に耐えられなくなった被告が「謝罪」「自白」あるいはその政治的な成果である「転向」することを強いているのである。そのいっぽうで、被告は裁判のための準備を十分に行なえない。被告の身体を拘束することで弁護権を奪い、裁判を検察側の有利に運ぶ、これを「人質司法」と言わずして何というのだろうか。

Q8 拘置所での生活環境はどのようなものですか。
A8 拘置所においては,被収容者の人権を尊重するため,居室の整備,食事の支給,医療,入浴などを適切に行っています。
 入浴については,被収容者の健康を保持し,施設の衛生の保持を図る観点から,1週間に2回以上実施しています。夏季などには,必要に応じて回数を増加させています。

1週間に2回の入浴を多いと感じるか、それとも少ないと感じるかは個人的な差があるかもしれないが、わたしは少ないと思う。夏場ならシャワーは毎日朝夕浴びるし、冬場は隔日入浴(週3~4日、しかも1日複数回)がふつうの生活だと思う。

拘置所といえば東京拘置所がよくマスコミに登場するが、全国に111カ所ある。そのうち、刑務所の管轄が99、独立した拘置所は6カ所である。未決拘置者の生活は、懲役労働がないだけで、房内処遇はほぼ禁固囚と同じなのだ。戦後に一部が改正されたとはいえ、その基本骨格は明治41年制定の監獄法である。けっして「証拠隠滅」の恐れがあるから、ちょっと留め置くよ。みたいなものではないのだ。

所内生活は命令と服従、点呼時には房内で正座して「〇〇です!」と答えさせられる。24時間房内に閉じ込められているのだから、懲役囚よりも処遇は厳しいといえよう。房を出られるのは1日15分の運動時間(運動場も独房)と面会時間、入浴の時だけである。歩くときは刑務官が「進め」「止まれ」と、命令して先導する。かように窮屈な処遇というのも、明治監獄法がそのまま生きているからだ。

刑務官に「〇〇しろ!」と命じられ、従わないなら「懲罰房」に入れられる処遇のどこに「被収容者の人権を尊重する」ものがあるというのだろうか。拘置所とは刑務所なのである。ゴーン氏ならずとも、まだ判決を受けていないのに、不当な刑罰を受けている。と感じるのは当たり前だろう。

だから、テレビのワイドショーでゴーン氏の逃亡を「悔しいですね。日本の司法がバカにされて」とかのたまわっている識者は、一度でいいから拘置されてみるといい。判決もないところで刑罰を受ける不思議に、きっと脱獄を考えたくなることだろう。

もうひとつ日本の司法の前近代性をあらわしたものに、ゴーン氏の身柄を取り戻せないことがある。ゴーン氏の身柄をレバノンが引き渡さない理由は、じつは日本に死刑制度があるからなのだ。日本が被疑者身柄引渡し条約を韓国とアメリカの2国しか結んでいない不思議を「島国だから、その必要がない」とか何とかいい加減なことを言っている論者もいるが、そうではない。

いまだに死刑制度がある前近代的な日本の司法制度に驚嘆し、日本で法を犯した自国の被疑者を引き渡さない。当然の人権感覚があるから、死刑存置国(アメリカ=過半数の州で廃止、韓国=事実上の死刑判決回避)しか相手にしてもらえないのだ。この点については、死刑廃止運動の動向とあわせて稿を改めたい。

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業。「アウトロージャパン」(太田出版)「情況」(情況出版)編集長、最近の編集の仕事に『政治の現象学 あるいはアジテーターの遍歴史』(長崎浩著、世界書院)など。近著に『山口組と戦国大名』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『男組の時代』(明月堂書店)など。

2020年もタブーなき言論を! 月刊『紙の爆弾』2020年2月号

『NO NUKES voice』22号 新年総力特集 2020年〈原発なき社会〉を求めて

鹿砦社創業50周年記念出版『一九六九年 混沌と狂騒の時代』

槇奈緒美さんは、福島県富岡町で被災した。避難所を転々とする日々が続くなか、「1号機爆発」も「被ばく」も気にはなったが、難病を抱える身でもあり、毎日生きていくことに精一杯だった。「避難した事実そのもの、そのしんどさを分かち合えればと考えている」。以下に記した話の何倍もの話を、奈緒美さんに聞いた。原発事故からまもなく9年経つというのに、その重みは変わらない。

2019年3月尾崎撮影

◆不安を抱えながら引っ越した富岡町で被災した

中学にはいってまもなく母親を失った奈緒美さんは、妹と父親の3人で、父親の実家のある福島県富岡町に引っ越した。1986年、チェルノブイリの原発事故が起きた年だ。幼いころ読んだ「はだしのゲン」も思い出され、なんとなく「原発の町に住むのは嫌だな」と思ったという。友達のお母さんが、大熊町にある研究所に勤めていたが、原発作業員らの染色体を調べたら異常があるとか、作業服を洗濯する人も被ばくしているなどの話を聞いた。一方で、卒業後、東電に就職する同級生も多いうえ、親戚の飲食店も東電の社員が客なので、「原発怖い」と素直に言えない雰囲気があった。

京都の大学に入学した奈緒美さんは、卒業後も京都に住み続け、発掘の手伝いなどをしていたが、ストレスが重なり、32歳の時、全身に痛みやこわばりがでる「線維筋痛症」にかかった。妹のいる東京に移り住んだが、1年後の33歳の時には精神の病にかかり、東京の精神病院に8ケ月入院、その後は精神科医の勧めもあり、福島県いわき市の病院へ転院した。

2008年、夏頃退院し実家で療養生活を始める。父との二人暮らしだが、体の痛みで動けない時期が続いた。思春期におきた突然の母親の死が受け止めきれず、33年~35年分の疲れがどっとでた感じだった。そんななか、2010年秋からハローワークに通い出し、2011年事故の1週間前には障害者の就職相談会に参加するなど前向きな気持ちになっていた。

◆「被ばく」も怖かったが、毎日生きるのに精いっぱいだった

そんな矢先に事故が起きた。奈緒美さんは父と二人で富岡町の多目的ホールに避難した。持ち出せたのは毛布2、3枚と通帳、下着程度。配給はペットボトルl本とパン1個。寝られずに迎えた翌朝、避難範囲が3キロから10キロに広がり、移動することになった。7時半車で出発、24キロ先の川内村に移動したが、満杯で入れず、渋滞の中のろのろ運転で田村郡の船引の廃校の小学校に到着したのが15時半頃。その直後、1号機が爆発したと友達からメールで知らされた。支援物資は少なく、食事は1リットルの水と塩気のない小さなおにぎり。昼間、渋滞の道の反対車線から茨城交通のバスがいっぱい走っていたことを思い出す。あとで知ったが、それは大熊町が避難のために手配したバスだった。車のラジオで、しきりに「水位が下がった」などと言っていたことも思いされた。怖かったものの、現実はそれどころではなかった。毛布も不足しているし、食事も毎日甘い菓子パンが続く。味噌汁も小さなプリンのカップのような容器に二口だけ……。

配給の少ない避難所からは、被災者はどんどん別の避難所に移動していく。事故のことも気になるが、避難所暮らしのことで頭はいっぱいだった。

その後、父の親せきが避難する会津若松の高校に移動。そこは比較的支援物資は多いものの、寒い上に持病のある奈緒美さんは、目を開けているのも辛かったという。原発も気になるが、当時は1日1日を生きることに必死だった。あるとき薬局で、特殊な奈緒美さんの薬が、入手できなくなるかもといわれたこともあり、ひとりで避難することを、父や親せきに訴え、説得させた。将来子どもを産むかもしれないから、被ばくしたくないとの思いだった。

特定復興再生拠点の先行解除について(広報とみおかより)

3月23日、友達のいる東京にバスで逃げ、その後は千葉の友達の家、親戚の家などを転々とした。

「福島にいていたらなかなか情報がわからないが、福島を出ると、本質的に何か大変と共有できる人が大勢いるから、それは良かったと思う」と当時を振り返る。

◆家族と別れ、たった一人で関西へ避難

その後、父から「家族単位で避難しなくてはならないから」と連絡があり、仕方なく栃木県日光市に移動。富岡町と災害協定を結んでいた品川区の保養所が、駅から車で10数分の山の中にあった。精神科医のボランテイアに相談し、個室を与えられた奈緒美さんは、観光シーズンの始まる8月末までそこに居た。その精神科医が、父親を説得してくれ、奈緒美さんは再び一人で関西へ避難することとなった。単身で住める宝塚の借り上げ住宅に入り、家電6点セットや掃除機、こたつなどを支援者に用意してもらった。とても助かると思った。初めての町で、近所に避難者もいなかった。その後、宝塚の「避難者のカフェ」などに行ったが、立場が様々なので、人とつながるのに時間がかかったという。

2012年、関西で瓦礫焼却の問題が起きた際には、勉強会で知り合った方と一緒に署名活動などをした。リハビリにも通い、のろのろ運転で試行錯誤しながら、日常生活を取り戻してきた。2013年から吹田にある「モモの家」で避難者カフェのスタッフに加わり、今も継続中。

自家消費野菜等放射能測定結果(測定月=H30年8月~11月)

◆「ひょうご原発訴訟」の原告となる

事故当時、就労活動の準備中だった奈緒美さんの賠償金は少なかった。東電は、フォーマットにあてはまる問題から少しでも外れていたらはじいてくる。「ハローワークに何回いった」「面接に何回いった」。「99・9%の確実で就職する予定だった」と確認されないと、就労保障は無理とわかった。そのADRの担当だった弁護士に勧められ、奈緒美さんは、2014年3月「ひょうご原発訴訟」の原告となった。

「いろんな避難者に接していると、自分の内面を癒したい気持ちと、裁判などで社会問題として解決したと思う人たちと、うまく交わってという部分もあるが、両極に分かれることもあると感じている。私はそれよりも避難した事実そのもの、そのしんどさを分かちあえればと考えています。表現スタイルは人それぞれだが、ちょっと大局的にものごとを見ていきたいとは思います」と奈緒美さんは語る。

「ひょうご訴訟」の原告は、現在97人。これから本人尋問が始まる。一昨年、裁判長が変わった際、奈緒美さんが行った意見陳述の一部を紹介する。

「事故前は病気に理解ある叔母や叔父に助けられていた。また私の複雑な生い立ちを理解してくれる友人、もしくは東京などに住む同郷の友人が帰省したら会うことができた。周囲の人々に有形無形で助けられていた。自分自身が不安定でも、自然に恵まれた、安定した環境でゆっくり自分の病気に向き合うことができた。庭では亡き祖父が大切にしていた梅の木に癒され、父は山でワラビやゼンマイを取り、叔母は川沿いで拾ったクルミを使った料理でもてなしてくれた。避難後はヘルパーさんや訪問介護を利用して、なんとか日常生活を送っている。就労はしているものの、事故前より、不安を感じやすくなっている」。

奈緒美さんは、以前読んだ詩集で、広島の「原爆自閉症」という言葉を知ったという。被爆の苦しみを言えずに自閉症みたいになり、いっそのこと、ほかの土地にもピカが落ちればと思ってしまうという症状だ。そして「そうやって、問題が内に籠り、はけ口が見いだせなくなることが怖いと思ってしまいました」と話す。意見陳述の最後を奈緒美さんはこう締めくくった。

「私はただ原発事故によって、放射能が拡散された事実を、ありのままに受け止めて、避難の選択をし、それが続けられる権利を求めたい」。

工事中の駅(2019年3月尾崎撮影)

▼尾崎美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。最新刊の『NO NUKES voice』22号では高浜原発現地レポート「関西電力高浜原発マネー還流事件の本質」を寄稿

『NO NUKES voice』Vol.22 新年総力特集 2020年〈原発なき社会〉を求めて

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◆江戸時代のヤクザは警察だった

「反社会勢力は定義されていない」と、このかん「桜を見る会」への「反社」の出席について政府高官が広言した。なるほどそうかも知れない。暴対法や暴力団排除条例(自治体条例)が法的に精査されず、何となく雰囲気でまかり通った法律であるのだから……。

それでは、かりに「反社会勢力」と言われるヤクザとは、そもそも歴史的にどんな存在だったのだろうか。一般には博徒というのが、かれらの出自である。その原型は江戸時代にさかのぼる。任侠道の成立は、江戸期の郷村(惣村)に発する。

かれらは博打だけを生業にしていたわけではない。郷村にかかわる自主検断、つまり自治的な警察組織の役割を受け持つことで、賭場を開く権利を得ていたのである。江戸時代のヤクザは警察だったのだ。

警察組織とはいっても、戦後の公務員的なそれとは違って、郷村の惣や寄り合いとは別個の役割をはたす非政治的で、かつ乱暴な暴力装置。つまり用心棒のようなものを想像すればよいだろう。

彼らは渡世人や旅芸人、渡り職人などをはじめとして、非生産的な人々や社会の流動層を取り締まる独自の様式を抱えるがゆえに、戦後の官僚的な警察組織が持つ、時の権力に媚びへつらうような側面は皆無で、むしろ反権力的ですらあった。

◆敗残兵、浪人者……帰農しなかった人々

郷村の検断として流民層を取り締まり、彼らの独自の生活様式をふところに取り込むには、彼ら博徒にしか出来ない固有の文化が存在していたと考えられるのだ。縄張りを保持するには、公権力を笠に着た強権よりもその道のしきたりに従った采配が必要である。博徒が反権力的になる所以は、この公権力から離れた独自性の所以であろう。

彼らの前身をたどると、戦国期の土着的な戦闘集団や、もっと昔なら中世の流民層が源であろうと思われる。もともと戦国時代には、郷村のはぐれ者や血気盛んな若者たちが傭兵としての戦闘集団を形成していた。中には武士団に編成されない自立自尊の土郷たちも多かったが、領地の切り取り戦争が進むにつれて、大規模な武士団の傘下に入るようになるのだ。中世の流民層には、忍びの術をもっぱらとする戦闘や、金山掘りなどの特殊な技術を手の職として各地を渡り歩く集団もあった。だがこれらも、戦国時代の末期には有力な大名の傘下におさまっていくことになる。
めでたく戦国を勝ち残ったり、仕官の道を得たのが江戸の武士階級だとすれば、敗残兵としての浪人者もふくめて、江戸期の博徒は帰農しなかった人々であったり、農業を嫌って親元を離れた者もあり、武士階級の裏側ともいうべき存在である。その生活様式は、時代の主要な生産階層とは離れて、先に述べたような独自の文化を形成することになる。ヤクザ文化、任侠道の成立である。それでは、任挟道とは具体的にどんなものなのか?

◆渡世の修行

ある村に、親から勘当された若者がいたとしよう。

彼が村の若衆組の仲間とともに遊びまわり、畑仕事もほったらかして放蕩のかぎりを尽くしていたとする。若衆組とは現在の青年団のような意味だが、チーマーみたいに繁華街(宿場町)まで出かけては、カツ上げをして喧嘩をくり返す。押入れの奥に秘匿していた布ぎれや蓄え米を持ち出しては、質に入れるなどの自堕落かつ放縦の日々。これではどうにもならないと、ついに口減らしをもくろむ親から勘当され、当てもなくほうぼうをうろつくうちに土地の親分に厄介になる、という顛末である。

最初は使いっぱしりしかさせてもらえないが、喧嘩の腕や度胸がいいようだと、派手な出入りにも参加するようになって、いよいよ親分と杯をかわすことになる。親子の杯が無事にすめば、晴れて子分ということになるわけだ。つぎに、武士ならば武者修行ともいうべき股旅に出ることになる。

親分の人脈で諸国の組織をめぐり、一宿一飯の義理をはたしながら渡世人としての度胸と礼儀作法を磨いていくのである。礼儀作法を磨くというのは簡単に思えるが、仁義のきり方を間違っただけで殺されることもあったというから、渡世のしきたりは生易しいものではない。おのが力で一家を成し、名を成す修行ののちに、世の賞賛を得るほどの大親分となるのだ。以下、江戸期いらいのヤクザの親分衆である。いずれも代が途絶え、「清水一家」や「会津小鉄」などの名称だけが、勝手に継承されている。

幡随院長兵衛
中間部屋頭三之助
国定忠次
大前田英五郎
勢力富五郎
清水次郎長
会津小鉄
加島屋長次郎
新門辰五郎

◆生業としての〈縄張り〉

いっぽう、賭場を開かないヤクザもいる。彼らはテキヤと称される人々で、村の神事や祭りを主催しては、そこに集まる商売の上前をはねる、というよりも商売人たちを庇護し、いらぬ揉め事から村を守るという役割を受け持つのである。これは現在のテキヤと、まったく変わりがない。もとより、テキヤも博徒も、縄張りの支配を生業としている。

現在でも暴力団として批判されるヤクザを擁護し、その必要悪を論じる方法がある。その多くは社会から落ちこぼれた人間が個人的な犯罪に走るよりも、統制された組織の中に取り込んだほうがよろしいのではないか、という立論である。

言うところは少なからず当たっている。繁華街から彼らがまったく消えてしまったら、屋台や行商の人たちの縄張りはとんでもないことになるはずだ。屋台や行商をすべて規制してしまえば、街は活力をうしなう。堅気衆にとっては思いもかけない彼らの経済的な役割りをみのがしてしまえば、ヤクザの存在の根拠は解明できないのである。

つまり縄張りとは、一種の業界参入の規制である。誰でも勝手に大道に店を出せるということになれば、主催団体が統制をきかせない休日のフリーマーケットのようなことになって、警察官がいくらいても足りないであろう。社会的に解決困難な部分を請け負い、取り仕切る役割がつねに存在しているのだとすれば、極道も必要悪どころか職業的には明瞭な生産性を負っていることになる。しかも、チンピラや暴走族などとは違って、堅気衆には迷惑はかけないという厳格な統制力のある組織であれば、社会的には有用な存在ですらありうる。だからこそ、同じ社会的役割をになう警察組織に「反社会勢力」として排除されるのだ。したがって「反社会勢力」なる規定は、社会を警備する勢力による縄張り争いということになるのだ。パチンコ利権、街の警護を下請けする警備会社、企業の警護を請け負う。これらこそ、警察がヤクザから奪った利権であり、縄張りなのだ。

【横山茂彦の不定期連載】
「反社会勢力」という虚構

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業、雑誌編集者。近著に『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)『男組の時代――番長たちが元気だった季節』(明月堂書店)など。

2020年もタブーなき言論を! 月刊『紙の爆弾』2020年2月号

『NO NUKES voice』22号 新年総力特集 2020年〈原発なき社会〉を求めて

鹿砦社創業50周年記念出版『一九六九年 混沌と狂騒の時代』

本日、かの阪神・淡路大震災(以下、阪神大震災と記す)から25年を迎えました。「もう四半世紀か」──当地に居て震災を経験し、また以後の復旧・復興を当地に住みながら見てきた者として感慨深いものがあります。阪神大震災後、東日本大震災、熊本地震などを経験し、東日本大震災では原発事故を惹き起こし、私の故郷・熊本自身では100人以上の死者を出し少年時代から馴染んできた熊本城が壊れました。相次ぐ大地震発生を想起すると、地震はこの国の宿命であり、日頃から対策を怠っては成らないと思います。

誰が言ったのか、ここ阪神地方には地震は発生しない、あるいは熊本でも大きな地震はないという“神話”がありました。例えば熊本地震を見ても、近くに阿蘇山があり、雲仙があり、霧島など大きな活火山があるのに地震が発生しないと考えるほうがおかしいでしょう。

阪神大震災は、1995年1月17日早朝に起きました。午後から新刊書籍の東京で記者会見の予定でしたが、当然中止。この頃、いわゆる芸能暴露本がブレイクしようとしていた時期で、誰もが「松岡ももうアカンやろ」と、特に東京方面では囁かれていたとのことでした。「松岡ももうアカンやろ」という台詞は、10年後の2005年にも言われましたが、ははは、自分で言うのも僭越ですが、我ながら悪運が強いと感じます。

「鹿砦社通信」1998年8月10日号。この頃の「鹿砦社通信」は、ほぼ週刊でファックス通信だった

「鹿砦社通信」1998年8月17日号

「鹿砦社通信」1998年8月24日号

 

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ところで、ここ西宮という都市(まち)は地味で、甲子園球場がありながら、それもなかなか知られていません。

同様に、阪神大震災で、西宮で1100人余りの死者が出たことは、これまた全く知られていません。1100人といえば、熊本地震の10倍以上です。阪神大震災は神戸のイメージが強く、西宮や芦屋で多くの死者が出たことは等閑視されているようです。ためしに阪神大震災の死者数を都市別に挙げておくと(兵庫県発表)、

総6,402人
〔内訳〕
神戸市 4,564人
西宮市 1,126人
芦屋市  443人
宝塚市  117人
淡路島   62人
尼崎市   49人
その他  103人

神戸は広いので死者が多いのは当然といえば当然でしょうが、区毎に見ていくと、
東灘区 1,469人
灘区   933人
中央区  243人
兵庫区  554人
長田区  919人
須磨区  399人
垂水区   25人
西区    9人
北区    13人

 

『心の糸』※画像をクリックするとyoutube動画にリンクされます

となっています。

つまり、1つの行政区で比較すると、西宮市は東灘区に次いで2番目となっています。

西宮にしろ芦屋、宝塚にしろ狭い都市(まち)なのに犠牲者が多いことがわかりますが、実際に震災直後、車で見て回ると、芦屋、宝塚の被害の密度が濃いことが感じられました。

いまだに思い出すのは、甲子園球場の周囲の公園には数年間仮設住宅がありましたが、華やかな高校野球が報じられながらも近くの仮設で猛暑のさなか暮らす方々のことは、さほど報じられることはありませんでした。

いや、この年の高校野球の開会式で、犠牲者に黙祷することはありませんでした。私の記憶に間違いがあるのなら指摘していただきたいと思います。

もう一つ忘れられていることがあります。

「阪神・淡路災AID SONG」として、長山洋子、藤あや子、坂本冬美、香西かおり、伍代夏子といった、当代きっての5人の歌手がレコード会社の壁を越えた「共同企画」として歌った曲で、今聴いても名曲です。彼女らがテレビで歌っているのを視たのは、たった2回で、地元で誰に聞いても全く知られていません。これだけ5人の人気女性歌手が歌っていながら、さほど話題にならず、この25年間知られることなく忘れ去られようとしています。

みなさん、今一度この曲をお聴きください。そうして、25年前の震災直後の情況を想起しましょう。そしてこの25年の、私たち一人ひとりの歩みを──。


◎[参考動画]心の糸 演歌五人組

現在、当地・阪神地方において、仮設住宅一掃を急くあまり高齢者をコンクリートの塊(いわゆる復興団地)に押し込め孤独死が報じられることはあるものの、全般的には復旧・復興は、かなり進んだと見ていいでしょう。

熊本も復旧は順調に進んでいるようです。

福島はじめ東北はどうでしょうか?──この問いに答えるに私は躊躇せざるをえません。早9年が経とうとしているのに、です。阪神地方や熊本と違うのはなぜでしょうか? ハッキリ申し上げさせていただくと、やはり放射能の影響が大きいと思います。放射能防御服を着て復旧作業に専念できるわけがありません。阪神地方や熊本では、それも必要なく、Tシャツ1枚で復旧作業をやっています。福島ではいつになったらTシャツ1枚で復旧作業ができる日が来るのでしょうか?

震災のみならず、この国は、台風、大雨など自然災害に襲われ、その地では壊滅的打撃を蒙った地域も数多くあります。近年では、本当に自然災害が多い国です。こんな国に原発ははなから設置してはなりません。

私は、へたな右翼・民族派よりも遙かにこの国を愛しています。原発は決して「アンダーコントロール」されていませんし、この国にたびたび訪れる大きな台風や大雨などの自然災害も「アンダーコントロール」できていません。

私はここ甲子園で25年の月日を過ごし震災復興を見てきました。遠くからではありますが、福島の復旧・復興を、少なくとも同じ年月(あと16年)は見ていきたいと思っています。3年前の熊本地震で崩れた、少年時代に何度となく行った故郷・熊本城の再建も──。

「風よ吹け吹け 雲よ飛べ 越すに越されぬ田原坂
 仰げば光る天守閣 涙を拭いて 振り返る振り返る故郷よ」(『火の国旅情』)
 
 

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鹿砦社創業50周年記念出版『一九六九年 混沌と狂騒の時代』

本通信らしい、議論が展開されはじめた。山本太郎氏の評価をめぐり、わたしが複数回展開した山本太郎評に対する、横山茂彦さんからの異なった角度からの問題提起である。横山さんはわたしの山本太郎評に対して、全否定ではなくかなり近い認識を持ちながら、それに対する評価が異なるようだ。

 

『NO NUKES voice』Vol.22 新年総力特集 2020年〈原発なき社会〉を求めて

横山さんは、わたしが表明した山本太郎氏が「ある種アジテーターとして優れた能力を持っている」「それは下手をすると結果的に『独裁』と紙一重の危険性を孕むことと大きく違いはない」との見たてには、同意を示された上で、

《そもそも、政治家が個人の言説を前面に押し立てて、どこか支配的(独裁的)な言説を振りかざすのは、選挙運動においてはふつうのことである。そして政治の本質は「強制力(ゲバルト)」なのだ。演説においては、打倒対象への憤激を組織するのが目標とされる。》と述べたうえで、《したがって、あらゆる政治家は大衆の前において、独裁者のごとく振る舞うのだ。なぜならば、彼の前にしかマイクがないからである。目の前の大衆が拍手喝采しているのに、黙り込んでしまうアジテーターは政治家として、およそ不適格であろう。それは政治の死滅を標榜する革命運動、あるいは反独裁・反ファシズムの大衆運動においても同様である。大衆の熱狂を前にして沈黙するような政治家(扇動者)は、そもそも演壇に登場するべきではないというべきであろう。いや、彼はもはや政治家ではないのだ。》

と政治家の本質を解説されている。

このテーゼの大部分にわたしも異議はない。わたしが危険性を感じるのは、むしろこのテーゼが無効化された現在の状況を前提とした議論である。《目の前の大衆が拍手喝采しているのに、黙り込んでしまうアジテーターは政治家として、およそ不適格であろう》はその通りであるし、《大衆の熱狂を前にして沈黙するような政治家(扇動者)は、そもそも演壇に登場するべきではないというべきであろう。いや、彼はもはや政治家ではないのだ》も同様だ。

◆凡庸な安倍の演説ではなく、むしろ小泉純一郎や橋下徹との比較を

しかし現在の日本で、大衆の拍手をあるいは熱狂を得ている政治家とはどのようなひとびとだろうか。組織動員の力を借りた与党連中の演説の中で、内容の如何によらず聴衆が騒いでいるのは、女癖と金に汚い本質がばれかかっている「環境問題はセクシー」な小泉の息子ぐらいではないか。

横山さんは、安倍晋三の演説もなかなかのもの(サイコパスとも評されているので揶揄ともとれるが)と書かれているが、わたしには安倍の演説は凡庸なものにしか思えない。選挙であろうが、国会での答弁であろうが、原稿なしに安倍が一定時間以上、聴衆引き付けた場面をわたしは見たことがない(わたしが見ていないだけでそういう場面がないとは言えない)。

安倍を引き合いに出されるのであれば、小泉純一郎をその代わりに提示していただければ、まだ納得できる。親(おや)小泉のアジテーション能力は、子小泉の比ではなかった(それが災いし郵便局が民営化され、新自由主義が進展したことについても横山さんは異論がないだろう)。

そのほかに聴衆を煽り立てる能力にたけた人物といえば、橋下徹くらいしかわたしには思いつかない(橋下もまた大阪ファシズム形成に甚大な役割を果たしただけの人物であり、災禍以外のなにものでもないとわたしは考える)。横山さんは《安倍総理に対抗できる政治家が山本太郎なのである》という。安倍が長期政権を維持できたのは、野党の分裂や小選挙区制により自民党内の派閥力学が衰えたなど複数の理由が挙げられようが、なによりも国民の非政治化(無関心)と庶民の右傾化も考慮に入れる必要がある。

◆わたしは山本太郎氏を「左翼」とは見做さない

日本共産党はしきりに「政権交代をしても自衛隊は存知する。皇室を廃止しない」をメインに据えたチラシの配布に余念がないし、民主なんとか党たちは「わたしたちが本当の保守」と「保守度合い」争いに重大な興味があるらしい。そしてこの点が横山さんと私の決定的な違いであるが、わたしは山本太郎氏を「左翼」とは見做さない。左翼の定義は様々あろうし、個々人で定義が異なっても構わないだろう。

だが「左翼」の原則的定義はウィキペディア(ウィキペディアなどを根拠にしたら怒られるかもしれないが)による《左翼とは、政治においては通常、「より平等な社会を目指すための社会変革を支持する層」を指すとされる。「左翼」は急進的、革新的、また、革命的な政治勢力や人を指し、社会主義的、共産主義的、進歩主義、急進的な自由主義、無政府主義傾向の人や団体を指す》といったところであろう。

そうであれば、山本太郎氏が立ち上げた、あの新党の名称のどこに「左翼」のエッセンスがみられるのだろうか。既成政党のなかで、もっとも反動的な名称ではないのか。政党にあっては「名が体を現さない」のが実態だとは理解している。それにしても、いくらなんでも、あの党名はないだろうが!

あの党名と横山さんも述べておられるように、《すでに山本太郎は、昨年初めのたんぽぽ舎における講演で、原発廃止を選挙公約の前面に立てないと広言している。当然のことながら、参加者たちの批判を浴びたものだ》という転身は、軽視できない。たしかに横山さんが論じるように政治家には必要な資質があるだろうし、それを山本太郎氏は充分に備えていることをわたしは再度認める。であるから、危険なのだというのがわたしの危惧である。

彼は、原発爆発に敏感に反応し、高円寺のデモに参加し、テレビに出るタレントの99%が沈黙する中、やむにやまれず反原発活動に立ち上がった。わかる。立派だと思う。そして議員として活動する中で、数の力=権力の本質を短期間に熟知する。街頭での「公開記者会見」は彼にとってのスパーリングである。あれほどのスパーリングをこなしている政治家はほかにいないだろう。しかし、注意してみていると、山本太郎氏の「独裁体質」は既に表出し始めている。質問者が言うことを聞かないと「それなら俺に権力をくれよ!」と叫ぶ姿を最近何度かネットで目にした(もっともその質問者がかなり的外れで、丁寧な回答にも屁理屈を続けていた、という状態ではあったが)。

MMTを柱とする経済政策について、最近山本太郎氏はさすがに危険に気がついたようで、いわゆる「リフレ」一本であった主張から、税制の組み換え(消費税廃止、累進税率、法人税の上昇)にシフトしているようだ。

横山さんはかつての赤字国債が機能した例を挙げておられるが、その当時と現在では決定的な違いがある。高度成長期(経済成長による税収の増加を見込むことができる時代)と、低成長期(ほぼ経済成長しないので税収増も期待できない)では状況がまるきり違う。それに日本における国債発行の原則は《「建設国債」に限り、赤字国債は例外的なもの》というのが中学校の社会の時間にわたしたちの世代が学んだ原則だ。だから鈴木善幸が総理大臣になった時の公約は「増税なき財政再建」だったのではないだろうか。

そしてわたしが疑問に思う新たな点をもう一つあげておく。どうして削減が可能な防衛費(軍事費)の削減について、山本太郎氏はひとことも言及しないのか? 現在の防衛費は単純に数字を見ていても解らない。防衛装備庁が設立されるなど、勘定項目で「防衛費」にカウントされない仕組みがつくりあげられているからである。いくらでも削れる防衛費と日米安保に「左翼」であれば言及するのではないかと考えるが、横山さんのご意見はいかがであろうか。

横山さんからの新たなご回答とご反論をお待ちしております。


◎[参考動画]日本記者クラブ 山本太郎 記者会見 2019年12月4日

[関連記事]
◎田所敏夫-私の山本太郎観──優れた能力を有するからこそ、山本太郎は「独裁」と紙一重の危険性を孕んでいる政治家である
◎横山茂彦-ポピュリズムの必要 ── 政治家・山本太郎をめぐって
◎横山茂彦-天皇制(皇室と政治の結合)は如何にして終わらせられるか

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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◆「令和」という文言について

田所敏夫さんは、れいわ新撰組について「わたしはその党名を書くことができない」と言う。(2019年12月17日本欄「私の山本太郎観」)なるほど、天皇制および元号を是認する政治観に同調できないというのは、言論人としては清廉潔癖であるかのように感じられる。しかし、清廉潔癖であることはオピニオンとはおよそ別ものであろう。

山本太郎は現代の田中正造よろしく、天皇主催の園遊会で反原発を直訴しよう(手紙を渡そう)として批判を浴びた。不敬であるという右翼からの攻撃とともに、左派からも天皇主義者なるレッテルを貼られたものだ。これは山本太郎の直訴に足尾銅山見学で応じた平成天皇を評価する、白井聡らにも向けられた批判でもある。天皇制を前提にした、戦後民主主義の護持者としての天皇の評価が「天皇制の容認」として批判されているのだ。これは社会ファシズム論(社民主要打撃論=コミンテルン6大会)によく似た主張で、却って運動の孤立化を招きかねない。じっさいに反天皇制運動のデモは警備によって隔離され、国民的な議論のステージを作れていないのが現状だ。これは反天皇制デモに参加している立場からの実感である。

田所さんの元号への嫌悪感とはまた、別の立論になるのでここから先は読み流してほしい。

山本太郎や白井聡らに対して、天皇制を容認するのかという批判は、論者たちの「天皇制廃絶」を前提にしている。そうであれば、天皇制廃絶論者は天皇制を廃止するロードマップを提起しなければならない。天皇と元号について議論する、国民的な議論を経ない天皇制廃絶(憲法第一条改正)はありえないとわたしは思うが、そうではない道すじが果たしてあるのだろうか? 

夢想的な左派活動家は、プロレタリア(暴力)革命の過程で廃絶されると、しばしば熱心に云う。ではそのプロレタリア革命に現実性はあるのかを問うと、単に思想信条の問題になってしまうのだ。それはもはや思想信条、いや政治的信仰であって、現実の政治を語る言論人としての態度ではない。言論人ではなく革命家なのだったら、いますぐ「天皇制を廃絶するために武装蜂起せよ!」をスローガンにしてみればよい。その主張のあまりの現実性のなさに、立ち止まるしかないはずだ。

◆国民大衆の手でこそ、天皇制は廃絶されなければならない

あるいは、かつての東アジア反日武装戦線のように、天皇爆殺を計画するとか、船本洲治のような闘い方もあるのではないかと思う。だが、いずれの闘い方も国民大衆が自ら参加しないテロリズムであり、イデオロギー装置としての側面を持つ天皇制を廃棄できるものではないのだ。そしてそれすらもしないのであれば、けっきょく「天皇について国民的な議論をしない人びと」と言うべきであろう。もとより、国民的な議論を抜きに「戦犯天皇を処刑する」などという「死刑容認」の思想に与するわけにはいかない。

わたしはこの欄でもっぱら、皇室および天皇制の民主化・自由化によって政治と皇室の結びつき(天皇制)はかならず矛盾をきたし、崩壊する(政治と分離される)としてきた。たとえば、自由恋愛のために王冠を捨てた英国王・エドワード8世、今回、高位王室から自由の身を希望したヘンリー王子とメーガン妃による、王室自由化。日本では「紀元節」に反対して赤い宮様と呼ばれた三笠宮崇仁親王、あるいは皇室離脱を希望した三笠宮寬仁親王らの行動。そして現在進行形では眞子内親王と小室圭さんの恋愛が、その現実性を教えてくれる。矛盾をきたした文化としての天皇および皇室はやがて、京都において逼塞する(禁裏となる)のが正しいあり方だと思う。皇室を好きだとか、天皇が居てほしいというアイドル感情(これは当代だけではなく、歴代の天皇および宗教的タレントがそうであったように)を強制的に好き嫌いを否定することはできないのだから、強制的に皇室崇拝を廃絶することも困難だろう。40年以上も天皇制反対(かつては廃止)を唱えてきた、これはわたしの実感である。

ついでに、天皇制があるから差別があるという、一見して当為を得ているかのような議論で、禁裏と被差別民の関係をじゅうぶんに論証しているものは、管見のかぎり存在しない。貴種の対極に卑賎があるとする図式的なロジックは成立しても、史実的な立証には無理があるのだ。禁裏と神人(被差別民の源流と考えられる)の関係は一体化しているところに特権性と差別性の理由があり、封建時代の神人の被差別性は政治権力(江戸政権)によってもたらされたものなのだ。朝廷につながる禁裏供御人はことごとく、江戸政権の身分制によって差別的な立場に追い込まれてきた。封建制における差別は、いわば身分制の分断政策だったのである。これが文献史学に基づいた史実である(網野善彦ほか)。

いま天皇の存在をもって、被差別(部落)大衆を再生産せしめているものが、実際にあるのだろうか。資本主義的生産関係下の相対的過剰人口の停滞的形態という、経済の景気循環における過剰人口として再生産される「理論的な根拠」はあっても、実態は排他的な感情によるレイシズムである。前述したとおり、レイシズムと象徴天皇制との関連性を説明できる有為な研究はない。戦後憲法が身分制と天皇制の矛盾を抱えつつも、その矛盾がそれ自体として差別性を否定しているところにあるからだ。レイシズムの思想的な基盤は、閉鎖的な民族主義および排外主義である。それは多様な文化、民族性を容認しない否定の思想(言論の放棄であり、しばしばなされる事実の捏造)である。その逆転した地点(言説の排除)に、天皇制廃絶を標榜するあまり言論を放棄する「天皇について国民的な議論をしない人々」もいるのではないだろうか。「令和」という語彙を批判することにこそ言説は用いられなければならず、その言葉を語らないことは元号を批判する論説になりえないのだ。


◎[参考動画]Japanese Emperor Naruhito’s coronation ceremony at the Imperial Palace | FULL(Global News 2019/10/22)

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業。「アウトロージャパン」(太田出版)「情況」(情況出版)編集長、最近の編集の仕事に『政治の現象学 あるいはアジテーターの遍歴史』(長崎浩著、世界書院)など。近著に『山口組と戦国大名』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『男組の時代』(明月堂書店)など。

2020年もタブーなき言論を! 月刊『紙の爆弾』2020年2月号

『NO NUKES voice』22号 新年総力特集 2020年〈原発なき社会〉を求めて

鹿砦社創業50周年記念出版『一九六九年 混沌と狂騒の時代』

田所敏夫さんの「私の山本太郎観」(2019年12月17日本欄)を読んで、つまり山本太郎の評価をめぐって、誌上論争ともいうべき議論が必要だと感じました。わたしの名前も出されたことだし。しかるに、これを論争とするには大げさな、基本的な理解の問題ではないかと思う。そこで、拙い論考を記してみます。

◆政治運動は「独裁者」によって成立する

 

『NO NUKES voice』Vol.22 新年総力特集 2020年〈原発なき社会〉を求めて

田所さんは「(山本太郎が)ある種アジテーターとして優れた能力を持っている」「それは下手をすると結果的に『独裁』と紙一重の危険性を孕むことと大きく違いはない」と言う。そのとおりだと思う。

そもそも、政治家が個人の言説を前面に押し立てて、どこか支配的(独裁的)な言説を振りかざすのは、選挙運動においてはふつうのことである。そして政治の本質は「強制力(ゲバルト)」なのだ。演説においては、打倒対象への憤激を組織するのが目標とされる。街頭行動(デモ)や集会においても、スローガンを唱和して大衆的な憤激を一点の主張に絞り込む。これは政治的な大衆運動の基本であって、アジテーター(政治的主催者)が扇動するのを否定してしまえば、もはや運動として成立しないのは自明だ。

したがって、あらゆる政治家は大衆の前において、独裁者のごとく振る舞うのだ。なぜならば、彼の前にしかマイクがないからである。目の前の大衆が拍手喝采しているのに、黙り込んでしまうアジテーターは政治家として、およそ不適格であろう。それは政治の死滅を標榜する革命運動、あるいは反独裁・反ファシズムの大衆運動においても同様である。大衆の熱狂を前にして沈黙するような政治家(扇動者)は、そもそも演壇に登場するべきではないというべきであろう。いや、彼はもはや政治家ではないのだ。

それは経営者が社員たちを前にして、あるいはその対極にいる労働組合の指導者が組合員大衆を前に扇動するのと、ひとつも変わらない風景なのである。もしもこの、基本的なアジテーターと政治的大衆運動の関係いがいに、田所氏が山本太郎に危険なものを感じるとしたら、おそらくアジテーターとして傑出した能力にほかならないと、わたしは直感的に思う。事実、田所氏はそう述べている。いいではないか。日本の左派にもようやく、大衆を扇動できる政治家(ポピュリスト)が登場したと、山本太郎の登場を歓迎することはあっても、危険な爪を隠す必要はないと思う。

演説の天才はフランス革命のダントンやナチスのアドルフ・ヒトラー、ゲッベルスなどを想起するが、わが安倍総理もなかなかのものだ。内容を本人がわかっていなくても、何の迷いもなく扇動するアジテーター(おそらく深層心理はサイコパス)である。政治的な手腕や学際的な中身において、安倍総理を凌駕するはずの、たとえば小沢一郎(政治的工作手腕)や石破茂(法律家的なセンス)がまるでポピュリストとして安倍の敵ではないのは、ひとえに安倍の演説力によるものだ。もうおわかりだろう。安倍総理に対抗できる政治家が山本太郎なのである。

そしてそもそも、独裁一般が悪いわけではない。金融資本のテロリズム独裁(=コミンテルン7大会、デミトロフのファシズム論報告)なのかプロレタリア独裁なのかという、古典的なシェーマを持ち出すまでもない。政治運動とは、一定の「独裁力」を必要とするのだ。※参考図書『左派ポピュリズムのために』(シャンタル・ムフ、明石書店)。

 

『NO NUKES voice』Vol.22より

◆政策は戦術である

田所さんは「山本氏が100人単位の議員を抱える政党の党首に就任したら」「必ず『現実路線』の名のもとに、原発廃止などの政策は『2030年に廃止を目標とする』などといった後退を強いられるだろう」と言う。けだし当然である。すでに山本太郎は、昨年初めのたんぽぽ舎における講演で、原発廃止を選挙公約の前面に立てないと広言している。当然のことながら、参加者たちの批判を浴びたものだ。

そして票をとりにくい反原発の代わりに、選挙で戦いやすい「消費税廃止」「若年層への教育支援」「時給1500円」をマニフェストにし、その財源は日銀の買いオペによるリフレだと明言した。田所さんはリフレに批判的なので再論しておこう。リフレの主柱である赤字国債は、現実に日本の戦後復興から高度成長までこれでやってきたのだから、現実性はあっても懐疑が生じるほうが不思議というものだ。富の源泉(価値)が原理的には労働であっても、現実の貨幣の実体性は造幣局が握っているのだ。労働ではなく、貨幣をもって価値が交換されるのは言うまでもない。

問題は富の配分なのである。安倍総理は大企業が収益を上げることによって、社員の所得が向上し、傘下の企業も潤うはずだとしてきた。したがって国民全体が豊かになる、としてきた。結果はしかし、そうではなかった。年間40兆円という内部留保に企業は安住し、社員はもとより下請け企業に利潤は還元されなかったのだ。ピケティが云うとおり、富の独占者は富を手放さないのである。じっさいに平均賃金・実質賃金の落ち込みは、日本経済を後進国なみに陥らせたではないか。格差たるや昨年の大企業の一時金が90万円台(経団連集計)で、中小零細をふくめたそれが30万円台という事実に顕われている。

とりわけロストゼネレーション(40~50歳代)において、時給1000円(年収200万円未満)の派遣労働が強いられているのだ。せめて年収300万円(時給1500円)という山本太郎の公約は、それを保障するものが同じくMMTによる経済政策でありながら、それこそ安倍政権とは「180度ちがう」結果をもたらすはずだ。消費税廃止、最低賃金アップ、若年層支援と、いかにも大衆受けする政策こそ、その延長にある多数派形成によって、原発廃止などの政策を可能にすると、山本太郎に代わって断言しておこう。※参考図書『そろそろ左翼は〈経済〉を語ろう』(松尾匡ほか、亜紀書房)。

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業。「アウトロージャパン」(太田出版)「情況」(情況出版)編集長、最近の編集の仕事に『政治の現象学 あるいはアジテーターの遍歴史』(長崎浩著、世界書院)など。近著に『山口組と戦国大名』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『男組の時代』(明月堂書店)など。

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◆P3Cが中東の上空で、いったい何を「調査研究」するというのだ?

中東海域で、日本関係船舶の航行の安全を確保するために派遣される海上自衛隊のP3C哨戒機部隊が1月11日、海自那覇航空基地を出発・派兵された。ソマリア沖アデン湾で従来の海賊対処を継続しながら、20日に新たな情報収集任務をはじめるそうだ。

この自衛隊派兵に際して、防衛大臣河野太郎は「中東地域の平和と安定は我が国を含む国際社会にとって極めて重要。勇気と誇りを持って任務に精励してください」と訓示をしたそうだ。「一見何かを言っているようだけれども、実は何をを言いたいのか、さっぱりわからない」はなしが世の中にはよくある。河野の訓示が、まさにそれである。


◎[参考動画]自衛隊に中東派遣を命令 河野防衛大臣(ANNnewsCH 20/01/10)

「海賊を見張る」任務と、「調査研究」を実行するにあたり、「勇気と誇りを持って任務に精励する」とはどのような行為を指すのか? 海賊を見つけたらミサイルを飛ばして破壊しろということではあるまい。

「調査研究」と命じられているが、航空機であるP3Cが中東の上空で、いったい何を「調査研究」するというのだ? 中東地域の政情や、地域の情勢は、上空からはわかりはしない。いや正確には航空機のような「中途半端」な上空から掌握できる程度の情報は、人工衛星でもっと細密に収集分析できる。本当のところいったい、この時期にどうして自衛隊が中東に出かけてゆく必要があるのか。わたしには皆目理解できない。


◎[参考動画]自衛隊哨戒機が中東へ出発 約1年の情報収集活動(ANNnewsCH 20/01/11)

◆個としての自立が果たせていない烏合の種の集合体

イランと米国の関係が、微妙な時期であろうと思う。日本はイランから敵視されていない(これは極めて貴重な財産である)。いっぽう、米国に対しては何を求められても、抵抗せずに「謙譲の美徳」ならぬ「献上の美徳」を長年続けてきた。原爆を落とされようが、沖縄戦で非戦闘員がほぼ壊滅しようが、本土決戦では「1億総火の玉」となって竹槍で最後まで闘う!と狂気の沙汰を繰り広げていた、相手の国はどこだったのだろうか。

「生きて虜囚の辱めを受けず」と、戦中に帝国軍人が捕虜になることを「恥」と教えた、大元帥は敗戦後「辱め」を受けず、その範を生きざま(死にざま)で、しめしただろうか。1945年8月、日本に「神風」は吹いたのか? 吹き抜けたのは「神風」ではなく鉄を溶かす、熱風と、空から落ちてきた「黒い雨」だったのではないのか。それらを思うとき、なによりわたしが問いたいのは「あなたたちは、どうして、こうもやすやすと、きのうまで、『言っていた』、ことの逆がいえるのだ?」である。

これが民族性というものなのだろうか。そうであれば、この島国の住人の多数は、ずいぶん「無節操」な性格の持ち主か、個としての自立が果たせていない(何歳になろうが)烏合の種の集合体といわねばならない。

どうして、憲法違反の自衛隊を、この時期、中東に「調査研究」のために派遣しなければならないのか。あるいは、その行動が世界的には誰の利益になるのだ。誰によって賞賛され、この国にどのような果実をもたらすのか。はっきり説明できるかたがおられたら、本文の下にわたしのメールアドレスを示しているので、是非ご教示いただきたい。

◆自衛隊中東派兵のどこに国益を見出すことができるのか?

わたしは、頭の中がおかしいのだろう。大新聞も大マスコミも大して話題にもしないし、問題視することはない。そのこと(今般の自衛隊中東派兵)に、わたしは、どのような意義も言い訳も、視点を変えるとすれば、いわゆる「国益」も見出すことができない。どうしてこういうバカげた資源と人的エネルギー、そして金の無駄遣いをして、最初からややこしい地域に足を突っ込みに行くのか(せっかく足を突っ込まなくてもい立場にいるのに)ぜんぜん意味が解らない。

世の人の多くは、いつの頃からか忘れたけれども、すぐに「経済にとって」という、どうでもいい尺度がこの世の中で最上の価値であるかのように、勘違いをはじめた。企業経営者に質問するのであれば、わからないこともない。でも、商店街に買い物きているおばちゃんや、世の中のことなど20数年生きてきて、一度として本気で考えたことのないような、「馬鹿者」失礼、若者に「経済がどうなるか」の質問をぶつけてなんの意味があるのか。

二言目には「経済、経済」と世界で一番の価値が「経済!」との印象操作に、熱心な報道関係の方々にとって、自衛隊の中東派遣が「経済に悪影響を及ぼす」懸念はないのか?

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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