◆日本の「人質司法」問題が論じられるきっかけとなったゴーン被告の日本逃亡

堀江貴文(ホリエモン)氏がカルロス・ゴーン被告の日本脱出劇について、元刑事被告人であり、有罪を受け、刑務所にも収監された立場からコメントを連撃している。わたしは、堀江氏には生理的な嫌悪感を覚え、これまで彼の発言や発信を真剣に聞いたことがなかった。「新自由主義」を体現している人間。簡単すぎるが、これがわたしの堀江氏に対する人物評価だった。

Youtubeは視聴者を多数得たYoutuberにとって、よほど収益性が良いようで、お手軽な料理のレシピ紹介から、現役を退いた(とくにプロ野球選手が目立つ)ひとたちの「暴露話」、バックパッカーとして世界を旅しながら自分の旅行を伝える人など、実に幅広い動画がアップロードされている。時間潰しにはありがたいリソースでもある。そこにいまでも商魂逞しい堀江氏も参戦しているのであるから、「宇宙開発」同様に充分に収益性のある「ビジネス」の場所なのでもあろう。

さて、本通信でわたしは私見を述べたが、わたしと同様あるいは反対の見解も含め、カルロス・ゴーン被告の日本からの逃亡劇には各界の専門家も、素早く反応している。その結果、日本の「人質司法」が一般の日本人に突きつけられることになった。カルロス・ゴーン被告の日本からの逃亡が、日本の「人質司法」問題が論じられるきっかけとなったことは、副産物ではあるが望ましい傾向だ。一般人にとって「刑事司法」は、犯罪に手を染めるか、冤罪被害者に仕立て上げるか、裁判員裁判としてお声がかかりでもしない限り、関心の対象としては薄いものであろうから。

◆堀江氏の刑事司法や刑務所体験や知識には説得力のあるものが多いのだが……

その観点から堀江氏が、どのようなことを発信しているのか、初めて彼の発信する動画をいくつか真面目に見た。自身が逮捕・長期勾留・収監の経験があるだけに、堀江氏の刑事司法や、刑務所内における体験や知識には、説得力のあるものが多く、頭が良いだけに「旧監獄法」とそれ以降の変化や、カルロス・ゴーン被告が受けてきた容疑事実についての分析もレベルが高い。


◎[参考動画]カルロス・ゴーンが見た日本の腐った司法システムについてお話します【ゴーン第4弾】

堀江氏が東京大学に入学した1991年わたしは、企業から転職して京都の小さな私立大学に事務職員として着任した。あの年の入学生はわたしにとっては、大学職員として、初めて接する入学生であったから、いわば「同級生」のような感覚がある。彼が動画の中で「1991年に東大に入ったあと」と語ったので、本筋と関係はないが、私的な経験と堀江氏の年齢が交錯した。

◆新自由主義の寵児が露呈する「知性」の浅底

カルロス・ゴーン被告についての堀江氏の発信を一通り確認したあと、その件とは無関係な動画も何件か視聴してみた。その結果判明したことは、やはりわたしの堀江貴文人物評価は、間違っていなかったということである。その証拠示す動画(もしくは音声)にいくつも出くわした。

筆頭は地球温暖化を論じた、以下の動画である。


◎[参考動画]ホリエモン、グレタ氏を批判!日本の温暖化対策はどうすべき?【NewsPicksコラボ】

この動画の中で堀江氏は、同じ番組に出演しているお馬鹿さんと一緒に、地球温暖化への対策が「原発」だと言い切っている。もっともその前段となる、世界的に情報商品として過剰に取り上げられているスウェーデンのグレタ・エルンマン・トゥーンベリさんへの評価には部分的にわたしも同意する部分はある。どうして同様の主張を多くのひとびとが何年も前から、続けているにもかかわらず、突然スウェーデンの高校生(?)がこのように、脚光を浴びるようになったのか。

グレタさんの主張すべてをわたしは否定、しないけれども、どうして「彼女だけが」世界中の同様の意見主張者の中から注視されているのかについては、落ち着いて考える必要があろう。地球温暖化に人類の営為が影響を与えていることは事実だろう。だが、「二酸化炭素が地球温暖化を進めている」とする説に、わたしは全く納得がゆかない。フロンガスをはじめ、名称通り「温室効果」をもたらすガスや人工物はあるあろう。しかし二酸化炭素がなければ、植物はどのようにして光合成をするのだ。植物の光合成なしに、どのように新たな酸素が生まれ出るのか?

地球は温暖化しているだろう。人為的な原因もあろうが、その主たる理由は地球がこれまで繰り返してきた「温暖期」を迎えているからだとの説に、わたしはもっとも合理性を感じる。

地球温暖化はいずれ別の場所で論んじよう。グレタさんを持ち上げる勢力の腹黒さについても。きょうの原稿はホリエモンを斬るのが主眼であった。堀江氏は、紹介した動画の中で「第4世代の原子炉開発も進んでいる」などと述べているが、たぶん彼の頭のなかには基礎的な、放射線防御学の知識もないのだろう。市場分析や、商品開発の将来性について(わたしはまったく興味はないが)堀江氏は自身が発信する動画の中で、実に多角的な分析と見立てを表明している。しかし、堀江氏が断言する将来像や分析は、いずれも経験則や自身が勉強した知識に基づいている。

このことは、堀江氏が「イカサマ師」ではないことを示す証拠にもなろう。彼の見解や、見立てにわたしは相当程度、異議がある。だが自分で商品開発や、商品の将来性を見定めた(その負の結果も負った)堀江氏の発言には、ある種の一貫性がある。

それは、「知っていること(経験したこと)を強く主張するが、知らない世界でドツボにはまる」ということだ。新自由主義の寵児のような堀江氏と東浩紀氏が語り合った音声がある。


◎[参考動画]【天才】東浩紀の頭がよすぎてホリエモンが言い返せない状況に…!

この中で堀江氏は「一生懸命会社で働いているあいだ、忙しくて『ベーシックインカム』なんて知りませんでしたよ。知ったのはこの1年くらいですよ」と述べている。わたしは東浩紀氏の支持者ではない。堀江氏からこの一言(彼の限界)を引き出した人物として紹介するまでである。1年前まで「ベーシックインカム」すら知らなかった人物が論じる世界観など、信用に値するか?

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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◆居直る山口敬之

伊藤詩織氏の著書『Black Box』

すでにマスコミで既報のとおり、安倍総理の随伴ジャーナリスト・山口敬之に対する損害賠償裁判において、伊藤詩織さんの全面勝訴判決がくだった。賠償金は1,100万円の請求額に対して、330万円だった。額はともかく、判決はほぼ全面的に詩織さんの言い分を「信用できる」とし、山口被告の主張を「重要な部分において不合理な変遷がみられる」と退けた。

この山口の主張の曖昧さは、2019年7月19日の本欄でも明らかにしてきたとおりだ。やはり山口被告の嘘には一貫性がなく、伊藤詩織さんの主張(望まない性交を強いられた=レイプ)には、その裏付けとなるアフターピルの施療や友人への相談など、主張を裏付ける傍証が認められたのである。

いっぽうで、これも既報のとおりスラップ裁判ともいうべき山口側の1億3,000万円の名誉棄損の損害賠償反訴については棄却という判決であった。

レイプされた若い女性が素顔をさらして、一国の総理大臣につながる御用ジャーナリストを告発した。しかも被害者は美人、というだけでも一時的にマスコミを賑わせるだけの価値がある。とはいえ、眉をひそめたくなるレイプ事件である。加害者被告のいかにも胡散臭いひげ面を見るだけでも、気分が良いものではない。したがって忘れ去られがちな事件だといえよう。

ぎゃくにいえば何度でもこのテーマはくり返し報道され、権力と結託した加害者の傲岸なありようが指弾されなければならない。今回の判決を受けてなお、山口敬之は「詩織さんは虚言壁がある」「ウソをついている」と開き直っているのだから。
そして年末年始のこの時期に、あえてくり返さなければならない理由は、刑事事件としての不成立の謎のゆえである。いったんこの件で逮捕状が出ていたにもかかわらず、総理の番犬ともいわれる中村格(なかむらいたる)警視庁刑事部長(現警察庁官房長)の鶴の一声で、山口被告の逮捕が見送られたのである。

伊藤詩織さんの著書『Black Box』(文芸春秋)によると、彼女が直接取材を二度試みたところ、中村格は一切の説明をせずに逃げたのだという。「出勤途中の中村氏に対し、『お話をさせて下さい』と声をかけようとしたところ、彼はすごい勢いで逃げた。人生で警察を追いかけることがあるとは思わなかった」というのだ。なんとも無様な警視幹部である。答えられずに逃げたのは、やましさの表現であるはずだ。

◆官邸の指示はあったのか?

そもそも、裁判所が発行した逮捕令状を握りつぶす判断が、刑事部長レベルの判断で行なわれるはずがない。そこに官邸の意向が働いていたのは、誰の目にも明らかではないか。自著『総理』によれば、菅義偉官房長官とともに第二次安倍政権成立の功労者である山口敬之は、こうして恥ずかしい犯罪の被告にならずに済んだのである。

今回の裁判(民事)で明らかになったのは、タクシー運転手やベルボーイの証言である。山口が詩織さんを引きずるようにホテルに連れ込んだこと、山口が「パンツぐらいお土産にくれよ」などと発言したこと。つまり、詩織さんは自分の意志に反して脱がされ、レイプが終わってからも屈辱的な立場に置かれていたのである。

ここまで犯行の態様が明らかになった以上、捜査当局においても訴追の再検討がなされるべきであろう。いまも山口は「わたしは法律に触れるような行為はしていない」とマスコミに主張しているのだから、今回認定された事実(不法行為)および新証拠をもとに山口を立件すべきである。かれは「法に触れる行為をしていない」のではない。法をゆがめる人々によって、山口は法の外に置かれているにすぎないのである。

◆セカンドレイパーを許すな!

それにしても、今回の判決をめぐるマスコミ報道において、女性の性犯罪について掘り下げて言及するものは少なかった。ぎゃくにいえば、詩織さんがここまで頑張って闘ってきたのも、日本社会に厳然としてある女性差別のゆえである。ほかならぬ女性たちから「彼女には落ち度があった」という「批判」すら上がったのだ。またこの事件が継続的にテーマとして追われないところに、わが国の報道環境の低劣さがあるといえよう。

たとえば今回の判決をうけても山口被告を擁護する小川榮太郎は、山口と同席した記者会見において、アシスタント女性にこう語らせている。

「性被害にあった女性の方々に話を聞いたのですが、記者会見や海外メディアのインタビューでしゃべる伊藤さんの姿に強い違和感をおぼえたということでした。人前であんなに堂々と、ときに笑顔も交えながらご自身の体験について語るということが信じられないということでした」

「(伊藤さんには)虚言癖がある…性犯罪被害者に会うと、本当の被害者は笑ったりしないと証言してくださった」

ようするに、性的被害を告発・発言できない女性たちの証言を、アシスタントの女性の口で伝聞させることによって、詩織さんの告発には「違和感」があり、「虚言癖」によるものだと決めつけたいのだ。こうした卑劣なセカンドレイパーには、存在賠償民事訴訟の被告になっていただく以外にないだろう。

被害者女性が告発・発言できない理由はほかならぬ日本社会にある。男女平等度ランキングで、日本は121位である。120位がアラブ首長国連邦、122位がクウェート、中国が106位、韓国は108位である。先進国では、ドイツが10位、フランス15位、イギリス21位、アメリカは53位だ。※出典はWEF – The Global Gender Gap Report

こうした日本社会の後進性を突き破るためにも、伊藤詩織さんには頑張って欲しいと思う。外国人記者クラブでの会見で、詩織さんはこれまでセカンドレイプ的にバッシングしてきた言論人に対して、法的な態度を示すと明らかにした。女性が声を上げられない社会の変革のために、それもやむを得ない措置と言えよう、ひきつづき、この事件を追っていきたい。

◎[参考動画]【報ステ】“性暴力被害”伊藤詩織さん勝訴(ANNnewsCH 2019年12月18日)
 https://www.youtube.com/watch?v=9XwVm28xEOw
◎[参考動画]性暴力被害訴訟で勝訴 ジャーナリストの伊藤詩織氏が外国特派員協会で会見(THE PAGE 2019年12月19日)
 https://www.youtube.com/watch?v=NiMbFDb1BAQ

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業。「アウトロージャパン」(太田出版)「情況」(情況出版)編集長、最近の編集の仕事に『政治の現象学 あるいはアジテーターの遍歴史』(長崎浩著、世界書院)など。近著に『山口組と戦国大名』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『男組の時代』(明月堂書店)など。

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2019年12月23日、西成区役所で開催された第46回目の「まちづくり会議」で、あいりん総合センターの跡地に、労働施設をどう配置するかの話し合いが行われ、現在南海電鉄高架下に仮移転する「あいりん職安」と「西成労働福祉センター」が、跡地南側に建設されることが決まった。

駅前の北側には、屋台村を作る構想が4日後明らかにされた。かつて大阪市長だった橋下徹氏が「労働者には遠慮してもらう」といった通りの案が決まったというわけだ。「これまでの46回の会議は何だったのか?」。会議に参加する釜ヶ崎地域合同労組の稲垣氏は、呆れ顔でそう話す。まちづくり会議が発足する際、地区内で活動する様々な市民団体、労組らに声がかかったが、稲垣氏には事前に役所の職員が、会議の座長・鈴木亘氏(学習院大学教授)に面談させていた。「検討会議に入れるかどうかの『面接』やったと思う」と稲垣氏。

昨年4月1日から始まったセンター1階の自主管理は機動隊や府の職員に強制排除される4月24日まで続けられた

広々したセンター1、3階では、昼間段ボール敷いて横になる人たちが約80~100人ほどいた

一方、釜ヶ崎医療連絡会議の大谷隆夫氏は、誘いを断った理由を、シンポジウム「日本一人情のある西成がなくなる?!」(2019年1月5日)でこう語った。

「大阪市が釜ヶ崎の労働者の住民票を2007年に一斉に台帳から消し、住民票をなくしました。それまで野宿の人は、基本的には稲垣さんの組合の住所で住民登録ができた。それ以降、そうした場を認めなくて、結果として選挙権など当たり前の権利がない状態が続いていた。私たちは『それはおかしいやろ』「野宿者も選挙できるような対応をとれ」と選挙のたびに(投票所前で)訴えてきた。それが『威力業務妨害』にあたると大阪市が告発して、2年後の2011年4月5日、私たちが逮捕されました。起訴された4人は4ケ月程拘束され、裁判で有罪になりました。そんなことをやる大阪市と同じ机で話をするからといわれても、立場が違うわけです。それで私はお断わりしました」。

また同シンポで、稲垣氏は、非公開の会議について「司会は福原宏幸という大阪市大の教授だが、全体は大阪市、大阪府、国が青写真を作って、それに基づいて話が進められているという感じ。何言うてもアカンと感じました。私は当初から『センターつぶすな、そのまま使え』と言い続けたが、そういう委員は1人もいない。多数決取ったら35対1で負ける。それでもおかしいと言い続けなくてはならないと思います」と話していた。23日の会議でも、稲垣氏の「センター解体そのものに反対」意見のほか、「南側でなく北側へ」などの意見も出たが、最終的には福原氏がむりやり「労働施設をセンター跡地の南側につくる」とまとめたという。

◆野宿者たちは社会の「病理」なのか?

私が野宿者の存在を知ったのは、新潟から東京に上京してからだ。1982年暮れから83年にかけ、横浜の駅や公園などで野宿者が次々に襲撃され殺傷される事件が発生したが、「浮浪者殺傷事件」よばれるように、当時彼らは野宿者と呼ばれてはいなかった。逮捕された少年らは警察の取り調べに「横浜をきれいにするため、ごみ掃除した」などと供述した。野宿者=浮浪者=社会のごみという極めて差別的な表現が社会全体に蔓延していたのだ。

一方、彼らの多くが「ヤンマー」「イセキ」という、田舎の農家の人たちも良く被る農機具メーカーのロゴ入りの帽子を被っていたことに気づいた私は、「何か関係あるのか?」と考え、古本屋を回り、江口英一氏「山谷―失業の現代的意味」(専修大学社会科学研究叢書)をみつけた。そこには彼らの多くが地方から出稼ぎで都会に出てきたのち、様々な理由から困窮し、故郷へ帰れなくなり、山谷など寄せ場へ、そして野宿生活に転落していく経緯などが分析されていた。

バイトに明け暮れ、授業にほとんど出席していなかった私だが、急きょこれをレポートにまとめ、ゼミで発表した。しかし教授からは「それは社会病理の問題だから」のひとことで片付けられてしまった。「社会病理」? それは、かれらを襲撃し、ぼろ雑巾のように公園のゴミ箱へ放った少年らの発想と同じではないか?

谷町四丁目にある大阪労働局(国)に何度も押し掛け「シャッター開けろ」と訴えてきた

◆釜ヶ崎の労働者と、その運動の蓄積を否定する学者たち

大阪全域に貼ってある大阪維新のポスター

大阪維新の特別顧問となり、「西成特区構想」-まちづくり会議の座長を務めた鈴木亘氏は、インタビューで「どん底でしたね。ホームレスがあふれ、不法投棄ゴミが散乱し、昼から酒飲んで立ち小便してる。町全体が臭気のドームでした。すべての社会問題を放り込んで、フタしてグツグツ煮えたまま放置されてる、まさに闇鍋状態。衰退しきったスラムでした。」と話している。「生活保護者や野宿者のいる町は汚い」「危険」だから、警察とともに「クリーンキャンペーン」をやろう、監視カメラも増設しようという、これもまた非常に差別的な「社会病理学」に基づくものではないか。

一方、大阪府立大教授の酒井隆史氏は、冊子「ジェントリフィケーションへの抵抗を解体しようとする者たち」で、同じく釜ヶ崎にかかわりながら、労働者を「病理」とみなすような、岸政彦氏(立命館大学院教授)と白波瀬達也氏(桃山学院大准教授)の対談(「中央公論」2017年7月)をこう批判している。

「この対談では、すでに退けられたと思われていた『社会病理学』視点が復活していることがあると思われます。『社会病理学』視点とは、釜ヶ崎の貧困や労働者の生活様式、日常的ふるまいなどを『病理』とみなし、それを『正常化する』ことで対応をすすめる言説です。このような知的様式は、戦後のある時期までは強かったのですが、やがて差別的であるとして後景に退けられました。そこにはもちろん、自分たちは『治療すべき病理』ではないと主張してきた釜ヶ崎の労働者と、その運動の蓄積があります。さらにそれを受けて、釜ヶ崎の労働者を(対処すべき客体ではなく)主体とみなし、そしてその提起を、むしろ主流社会がみずからの「病理」のきづくきっかけとして受け止めるといった、研究者や活動家の態度の転換があったと思います。彼らの言説は、そのような歴史を逆行させるものであるようにもみえます」。

原口剛・神戸大准教授も同様にこう批判する。

「青木秀男らにより切り開かれた寄せ場学は、社会病理学の知が、労働者に対する差別や抑圧と表裏一体のものであることを告発した。そうしてそれらの土地やそこに生きる労働者を差別的にまなざす市民社会にこそ、『病理』を見出す視座を獲得したのである。またそれらの知は、市民社会の代理人たる研究者のまなざしをも厳しく批判し、研究者とはいかなる存在なのかを問うた。このような問いは、決して過ぎ去ったこととして片づけられるものではない。いやむしろ、3・11を経て研究者の『御用化』がなし崩し的に進行する現在であればこそ、ますます問われなければならない。にもかかわらず白波瀬は、社会病理学の差別的まなざしに『違和感がある』と申し添えるのみで、その知見を大々的に採用してしまう。『貧困と地域』を依り代として、かつての社会病理学は傷を負うことなく現在へと回帰してしまう。その代償はあまりに大きい。かつて『発見』されたはずの労働者の像が、かき消されてしまうのだ」。

◆使えなくなったら、「どこかへ消えろ」というのか?

令和に年号が変わったとき、おっちゃんが書いた「この国は冷和(つめたいわ)」

岸氏は、以前SNSで「釜ヶ崎のおっちゃんたちは高齢化して生活保護をもらいマンションに。ドヤにはかわって中国人と就活中の若者が宿泊する。いまの日本でだれが一番貧しいか、釜ヶ崎に来るとよくわかるな(笑)」とつぶやいていた。

現実を知っているのだろうか。生活保護を受ける人の多くは、未だドヤを少し改造した程度の安アパートに居住しているし、月末ともなれば、激安スーパー玉出のひと玉19円のうどんを炊いて凌ぐ人も多い。しかも大阪維新は、保護費を削減したり、難癖つけて生活保護を辞退させている。「生活保護受けて畳に上がれたから幸せ」だけでもない。「働かない怠け者」「税金泥棒」という根強い偏見や不安に晒される現状は変わらず、生活保護費の支給日に自殺した人も知っている。

そうした人たちのささやかな楽しみの一つが、センターで安いワンカップを飲み、仲間と談笑することなのに……。そんな憩いの場を奪うのが、大阪維新の「西成特区構想」──センター解体攻撃なのだ。

「センターつぶすな!」「シャッター開けろ!」。私たちは今年も諦めない。

▼尾崎美代子(おざき みよこ)

新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。月刊『紙の爆弾』2020年1月号には「日本の冤罪 和歌山カレー事件 林眞須美を死刑囚に仕立てたのは誰か?」を、『NO NUKES voice』22号には高浜原発現地レポート「関西電力高浜原発マネー還流事件の本質」を寄稿
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

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『NO NUKES voice』22号 尾崎美代子の高浜原発現地レポート「関西電力高浜原発マネー還流事件の本質」他

もう昨年になりますが、2019年12月31日大晦日、一昨年に続き私は釜が崎に向かいました。大学の先輩でもありフォーク歌手・中川五郎さんが来られ越冬闘争支援で歌われるということで。中川さんはこれで8年目ということでした。ここ10年ほど、夏と冬、山谷や釜でみずから進んでノーギャラで歌っておられるということです。一時は歌わない時期もあったそうですが、還暦を過ぎてから、とみに活発にあちこちに歌いに行かれているようです。今70歳、普通なら隠居してもいい歳ですが、老いてますます盛ん、力強い歌声は私たちを圧倒します。

1968年メキシコ・シティオリンピック表彰台(左端がピーター・ノーマン)

中川さんは1968年に同志社大学文学部に入学、私は2年遅れて70年に入学、その頃には中川さんはすでに学外での活動や仕事に忙しかったので、在学中は、その名は知っていても直接の接触はありませんでした。

直接知り合ったのは、50年近く経った一昨年11月の同志社大学学友会倶楽部主催のイベント(トーク&歌)に出演いただくということで、その前に釜の難波屋でのライブに行き、想像していた以上の迫力に圧倒されました。

その時に聴いた長い曲『ピーター・ノーマンを知ってるかい?』には身震いさせられるほどのショックを受けました。1968年のメキシコ・シティオリンピックでの黒人差別に抗議した、金と銅メダルの黒人アスリート2人に共鳴した白人の銀メダリスト、ピーター・ノーマンのその後の迫害の人生についてのものです。68年から50年の2018年、あまり広くは知られてはいませんが、中川さんはこの曲を発表されました。中川五郎という歌手にとっても、一人の人間としても最高傑作だと思います。

個人的な想いですが、「この人はこの曲を作るために、これまで活動されてきたんだ」と勝手に解釈しています。

今のところアルバムには収められていないということですが、今年発売予定のアルバムには収録されるそうです。今はYou Tubeでしか聴けません。20分以上の長い曲ですが、時間的な長さを感じさせません。ぜひお聴きください。

他にもメッセージ・ソングが数多くありますが、中川さんについては、まさに受験生時代に聴いた『受験生ブルース』のイメージが強く、これほどメッセージ色の強い曲を多く作られているとは、不覚にも知りませんでした。

メキシコ・シティオリンピックから50年後の2018年11月11日、母校同志社大学でピーター・ノーマンを偲び歌う中川五郎さん


◎[参考動画]中川五郎『ピーター・ノーマンを知ってるかい?』(2018年11月11日同志社大学)

2019年12月31日釜が崎にて歌う中川五郎さん

大晦日は過ぎてゆく(集い処はなで。撮影・尾﨑美代子さん)

越冬闘争のステージが済んで、この通信でもお馴染みの尾﨑美代子さん経営の「集い処はな」でのライブ、駆けつけたミュージシャンが続々歌い、ようやく中川さんの出番がやってきました。私からのたっての希望で『ピータ・ノーマンを知ってるかい?』を歌っていただきました。これで年を越せる!

一昨年の同志社でのイベントに続き昨年1月の鹿砦社新年会(於・吉祥寺)でも歌っていただきました。お住まいが国立だということで気軽にお願いしたのですが、快くお引き受けいただきました。「この方は本当に歌うことがすきなんだな」と思いました。

どなたかが同志社でのイベントをYou Tubeにアップされていますが、この1年余り『ピーター・ノーマンを知ってるかい?』をよく視聴しエネルギーを注入してもらっています。

人間には、どうしても超えることのできない人がいます。この1月18日で、全国の刑務所や矯正施設などを回って歌う「プリズン・コンサート」前人未到の500回を達成する女性デュオ「Paix2(ペペ)」とマネージャーの営為は、私には絶対にできないことですが、中川さんの営為も私にはできません。「当たり前だろ!」と言われれば、その通りですが、中川さんにしろPaix2にしろ、日本にもこんな素晴らしい営為をされている方々がいると思うと、日本の未来もまだ捨てたもんじゃないと元気づけられますし、できうる限りの応援をせねば、と考えています。

新年早々、ちょっと清々しい気持ちになったところを綴ってみました。

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昨年は死刑に関する重大な出来事がいくつもあったが、2020年も死刑に関する大きな出来事が色々起こりそうだ。以下、展望する。

◆今年死刑が確定する可能性がありそうな被告人は2人

植松被告の裁判員裁判が行われる横浜地裁

死刑適用の可否が争点になる裁判は今年も複数ありそうだが、まずは1月8日から横浜地裁において、相模原障害者施設殺傷事件の植松聖被告に対する裁判員裁判が開かれる。判決は3月16日の予定だから、かなりの長期審理となる。裁判員たちの負担は相当なものだろう。

報道によると、弁護側は「犯行時に心神喪失だった」として無罪を主張するそうだが、19人もの人間を殺害した被告人に対し、責任能力の全部又は一部を否定し、死刑を回避するほど日本の裁判官は甘くない。裁判員裁判でもそれは変らない。筆者が植松被告と面会した印象では、植松被告本人は自分のやったことを正義だと信じて疑っていないが、確実に死刑判決を受けるだろう。

では、今年中に新たに死刑判決が確定する被告人はいるだろうか。

死刑判決は通常、裁判の第一審や控訴審で確定することはない。死刑判決を受けた被告人は、たいてい上訴するので、死刑は最高裁で確定するのが一般的だ。そこで、死刑判決を受け、最高裁に上告している被告人の顔ぶれを見てみると、今年中に死刑が確定する可能性がありそうな被告人が2人いる。前橋市高齢者連続強盗殺傷事件の土屋和也被告と、伊東市干物店強盗殺人事件の肥田公明被告だ。

裁判の迅速が進んだ今も、最高裁は控訴審までの結果が死刑の事件については、判決を出すまでに大体2~3年かけている。その点、土屋被告は2018年2月、肥田被告は2018年7月にそれぞれ控訴棄却の判決を受けているので、今年中に最高裁が判決を出してもおかしくないわけだ。

肥田被告のほうは無実を訴えているが、最高裁が死刑判決を破棄し、最終的に無罪判決が確定した前例は大阪市平野区の母子殺害事件など極めて少数だ。確率的に言えば、肥田被告は苦しい状況に置かれていることは間違いない。

一方、死刑執行があるか否かについては、今年も当然のように「ある」だろう。これまでハイペースで死刑を執行してきた安倍政権が死刑執行の無い年を作るとは考え難いからだ。ただ、さすがに海外の目もあるので、東京五輪が終わるまで死刑執行は控えるだろうと思われる。

◆「あの裁判長」がまた世間を驚かせる判決を出すか

最後に、筆者が今年、最も注目している死刑関係のトピックを紹介したい。3月9日に大阪高裁である淡路島5人殺害事件の平野達彦被告の判決公判だ。

平野被告の控訴審が行われてる大阪高裁

平野被告は一審・神戸地裁の裁判員裁判において、被害者のことを「工作員」だと言い、「(犯行は)ブレインジャックされてやったことだ」などと特異な主張を展開した。弁護側は、平野被告が犯行時に心神喪失状態だったと主張し、無罪を求めていたが、判決では完全責任能力が認められ、死刑を宣告されていた。ここまでは、日本の刑事裁判では通常の流れだ。

ところが、大阪高裁の控訴審では、裁判所が職権で精神鑑定の再鑑定を行った。その結果、この再鑑定を担当した精神科医が平野被告について、「薬物性の精神障害」という一審までの精神鑑定の結果を否定し、「妄想性障害」にり患していたと結論したのだ。

一般論を言えば、裁判で被告人が妄想性障害と認定されつつ、完全責任能力は備わっていたと認められることもある。だが、今回の場合、控訴審の再鑑定により一審までの精神鑑定の結果が否定されたわけで、再鑑定の結果が判決に影響を及ぼしてもおかしくない。

そもそも、被告人の責任能力の有無や程度が争点になった裁判の控訴審において、弁護側が精神鑑定のやり直しを求めても、通常、裁判官はあっさり退け、控訴棄却の判決を出すものだ。控訴審で精神鑑定の再鑑定が行われたこと自体、裁判官が一審判決に疑問を感じている表れとも言える。

被告人に死刑を適用するか否かが争点になるような重大事件の裁判では、被告人が明らかに重篤な精神障害者でも強引に完全責任能力を認められ、死刑とされるケースが圧倒的に多い。もしも平野被告が心神喪失を認められ、無罪判決を受けるようなことがあれば極めて異例だ。

ちなみに大阪高裁の村山浩昭裁判長は過去、袴田巌さんの再審開始を決め、死刑の執行と拘置を停止したり、寝屋川中1男女殺害事件で死刑が確定した山田浩二死刑囚の控訴審再開を決めたりするなど、世間を驚かせる決定や判決を出してきた。その点からも平野被告の控訴審であっと驚く判決が出ても不思議はない。

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。編著に「さよならはいいません ―寝屋川中1男女殺害事件犯人 死刑確定に寄せて―」(KATAOKA)、原作コミックに「マンガ『獄中面会物語』」(笠倉出版社)。

7日発売! 2020年もタブーなき言論を! 月刊『紙の爆弾』2020年2月号

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

2000年代に入って、早くも20年目を迎えた。21世紀もあらかた5分の1が過ぎ去った(早い!)。当然わたしたちは毎年確実に年齢を重ねてきた。人間は成長が止まると、内面の変化が起こりにくくなるのだろうか。20年といわず30年、40年まえと比べても、わたしの内面や感受性にはほとんど変化を確認できない。自分の成長停止を半世紀以上生きて、なかば驚いている。

◆頭の中は変わらないのに、体力が落ちてゆく

内面の不変化とは異なり、それを包む身体の弱体化(老化)は、年を追うごとに顕著さを増してくる。数え上げればきりがないほどの不具合や、運動不足に起因する体力低下により、わたしの体力を測定すればその値は、おそらく年齢平均値を確実に下回ることだろう。

頭の中は変わらない(年相応に落ち着かない)のに、体力が落ちてゆくとどういう現象が生じるか? 体力勝負では負けが必定だから、諍(いさか)いはなるべく議論(口論)に誘導する自己防衛手段が働くようになる。「どうして老人たちはあれほど同じ話を長々と繰り返すのだろう?」と子どもの頃に感じた疑問への回答を、自身の体力低下により、納得できる回答が得られる幸福(?)をわたしは享受している。

このまま右下がりの直線が進行すれば、数年後には現場取材はおろか、駄文を綴ることもできなくなるのではないかと、昨年来強く感じるようになった。親しみ、尊敬を感じていた多くの先輩方が平均寿命にたどり着く前に亡くなった。どうやらわたしのデッドエンドも測定可能な範囲に入ってきたようだ。

このように駄文を綴る機会を得てから、わたしはまだ10年もたっていない。この世界では新参者ともいえよう。そして新聞記者や編集者のように基礎的な文章作法の訓練を受けていないし、思想がひねくれているので、わたしの書く文章が世の中に大きな影響を与えるおそれはない。

若いころに比べて読書量も10分の1以下に減っている。その前提を確認し、みずからも安心して、残りの期間に可能であれば取り組んでみたいことを考えてみた。この仕事には定年はない。頭と指先が動き駄文を掲載してくださるメディアがある限り、いつまでも続けられる(それが自由業の不幸でもある、誰もが目を見張るような偉業をなしていながら、「引き際」を知らずに、晩節を汚す残念な先達がどれほど多いことか)。

◆70億を超える人類が、熱心に液晶に向かいあう「不気味」ともいえる光景

正月だから少々のわがままもお許しいただこう。できることならば書物の中や机上ではなく、あちこちを駆け回って世界の実像に肉薄する取材に出かけてみたいなと夢想する。とりわけ、貧困層も含めて世界を席巻するタブレット(スマートフォン)文化の急速な浸透が、各地の日常生活や伝統的生活(果ては文明)にどのような影響を与えているのかに強い関心がある。至近で確認しているだけでも日本の中でタブレット(スマートフォン)の浸透は、確実に思考力の低下と、依存症、そしておそらく電磁波を脳の近くで長時間受けることによる各種の症状を引き起こしているのではないかと感じている。

まもなく小学校では1人に1台ずつパソコンが導入されるという。AIによる社会の変化を肯定的にとらえる向きが多いが、わたしは強い違和感を持つ。その総体をつかむべく、世界各地でなにが起きているか。食べ物も生活習慣も宗教も異なる70億を超える人類が、熱心に液晶に向かいあう「不気味」ともいえる光景は人間を社会をどのように変えてゆくのだろうか。

◆資本主義終焉後にはどのような社会が立ち上がるのか

そして、終焉が確実な「資本主義」の次にやってくる、社会のイメージのきっかけ探しに行きたい。どうあがいても資本主義は収奪対象を失ったら、即、終焉以外に道はない。アジア各国を収奪し、現在アフリカの収奪に余念がない資本主義は、一応資本主義が行き届いた国でも、再度の大掃除(日本においては非正規雇用の増大による階級格差の増大など)で吸い取れるものは吸い取り尽くし、食らうべき餌を失う。その先に待っている社会とはどのようなものだろうか。

「その先はない」

という、悲観的な回答をわたしは何十年も維持してきたのだが、それでは無責任すぎる気もしてきた。わたしは「2030年に日本は現在の形を維持していない」と数年前に予想した。その予想を撤回するつもりはない。残念ながら日本に限れば2030年あたり(あるいは以降)に猛烈な大激震が起きるだろう(国家財政破綻・人口減・原発災害など複合要因による崩壊)。

かといって人類が一気に滅びるものではない。資本主義終焉後にはどのような社会が立ち上がるのか、あるいは目指すべきなのか、人間に理性はあるのか……? 命があるうちにたどり着けるかどうか判然としない、大命題だが日々の雑事に一喜一憂するだけではなく、「未来探し」(それが「あれば」ではあるが)もたまにはいいだろう。

この2つの命題と直結はしないが、ことしは最低任されている仕事をこなし、多少は体力を向上させる1年としたいと思う。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

7日発売! 2020年もタブーなき言論を! 月刊『紙の爆弾』2020年2月号

『NO NUKES voice』22号 新年総力特集 2020年〈原発なき社会〉を求めて

鹿砦社創業50周年記念出版『一九六九年 混沌と狂騒の時代』

◆人質司法を忌避したゴーン氏の快挙

ある意味で、快哉と批判が相反する年末最大の事件だった。カルロス・ゴーン被告が非合法に出国し、彼の出生地であるレバノンに入国したのだ。日本のメディアはこぞって「卑劣」「検察の努力を台無しにした」(検察幹部)「世界的に活躍した経営者がこういう人だったのかと、呆れかえって言葉もない」(日産幹部)と、批判的な報道をくり返している。

だが、わたしは人権を無視した「日本の人質司法制度」を批判してきたゴーン氏、および海外メディアの日本司法への批判に同調したい。手錠と腰縄で引きまわし、捜査員(警官)と取調官(検察官)は「黙って(黙秘して)いるようだと、起訴するぞ」「質問に答えないと、反省がないということになるぞ」などと、被疑者を責め立てる。これら戦前の特高警察ばりの取り調べ、および長期拘留という実刑の先取り(判決によらない刑罰)は、体験した人間にしかわからない「現代の悪逆非道」である。


◎[参考動画]Ex-Nissan CEO Carlos Ghosn flees trial in Japan for Lebanon (DW News 2019/12/31)

わたしの体験からいえば、18歳で学館闘争で逮捕されたときに、やはり「何を黙ってるんだ?」「黙秘します」「お前はもうダメだ! 刑務所に送ってやる」と、年輩の検事に怒鳴られたのを覚えている。学校で習った黙秘権はないに等しいのか、と思ったものだ。20歳で逮捕されたときは、実行行為も明らかな闘争だったから、警察官も検事も、学生運動をやめさせようとする以外の話はしなかったものだ。しかし、しゃべれ(自白すれ)ば不起訴か早期保釈、完黙すれば起訴(第一回公判=一年後)という落差は、わが国に「黙秘の権利」「非逮捕者の防衛権」がないことを実証している。

その意味で、人質司法のもとでの裁判におよそ公平性はなく、ゴーン氏が選んだ「保釈逃亡」には、そのかぎりで敬意を表したい。これまでの日本で保釈逃亡が有効に行なわれた(長期逃亡)のは、新左翼事件(思想的確信犯)いがいになかった(短絡的な逃亡は多発している)。

ウォールストリート・ジャーナルによれば「(ゴーン前会長は)日本では公正な裁判は受けられないと考えて逃亡した。政治的な人質でいることに疲れた」というゴーン氏の知人の言葉を紹介している。現地ベイルートでは、ゴーン氏が合法的に入国したというレバノン当局者の発言が報道されている。前近代的な「人質司法」と批判された司法当局こそ、明治いらいの刑法・刑訴法・監獄法に安住してきた自分たちを恥じるべきであろう。

◆出国方法は?

それにしても前代未聞の、手際よい逃亡劇である。当初、日本国内からプライベートジェットで出国したと伝えられたが、カーゴ便で出国して経由地(専用ジェットへの乗り換え)があったとの情報もある。音楽バンドに扮したグループがゴーン氏の自宅をおとずれ、演奏をおえて引き上げるふりをして楽器箱にゴーン氏を入れて連れ出したという。そのまま荷物として出国したのだろうか。

いずれにしても手際のよい日本脱出、監獄司法国家からの脱獄ではないか。国交省幹部は「CIQ(税関・出入国管理・検疫)の検査を受けずに出国することは100%できない」(朝日新聞1月1日)と、明言しているという。まったくもって、映画になりそうな事件である。

さてゴーン氏の事件の問題点は、日産のルノーとの経営権をめぐる確執、それに検察が介入するかたちで、ゴーン氏がスケープゴートにされた。というのが、ゴーン氏にかけられた金融商品取引法違反容疑、会社法違反容疑の実質である。わが国の自動車産業の柱である日産自動車の経営権がフランス(ルノーおよび政府)に奪われる。それ自体、グローバル化した現在の国際資本のもとでは役員人事にすぎないにもかかわらず、日産日本人経営者の内部告発をうけた検察当局において、日本の財界および政界の意向を忖度した逮捕劇が強引になされた。これが事件の本質である。

その意味でゴーン氏が「政治的な人質」と指摘するのは間違っていない。検察においては立件の要件が何とかなれば、強引な訴訟手続きでも何でもできると思っていたところ、相手が一枚上だったというわけだ。

ゴーン被告と連絡をとっていた在日フランス人の友人たちは「週刊朝日」の取材に対してこう語ったという。

「ニュースを聞いて驚いた。だが、ゴーン被告がこういう行動をとることはやむを得なかったと思う」

「ゴーンさんは、様々な点で検察、日本に怒りを感じていた。妻と長く会うことも許されず、最初から有罪ありきの検察の捜査にも非常に憤りを感じていた。当初は日本で裁判を戦い、無罪を勝ち取ると意欲的だった。だが、保釈中、いかに日本の司法制度全体が検察主導で、有罪ありきの構造になっているかを知り、絶望感を感じていた」

絶望を感じた人間にとって、15億の保釈金も逃亡という危険も取るに足らないはずだ。今回の驚嘆すべき逃亡劇によって、前近代的な日本の司法制度が痛烈な批判をたたきつけられたのは間違いない。誤認逮捕をけっして認めない警察(築地誤認逮捕事件)、誤判をけっして認めない裁判所(袴田事件再審取り消し)という現実があるのだ。訴訟手続きの近代化以外に、世界の笑いものになった事件からわが国の司法が回復する道はない。


◎[参考動画]ゴーン被告出国 数週間前に準備か(テレ東NEWS 2020/01/01)

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業。「アウトロージャパン」(太田出版)「情況」(情況出版)編集長、最近の編集の仕事に『政治の現象学 あるいはアジテーターの遍歴史』(長崎浩著、世界書院)など。近著に『山口組と戦国大名』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『男組の時代』(明月堂書店)など。

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『NO NUKES voice』22号 新年総力特集 2020年〈原発なき社会〉を求めて

鹿砦社創業50周年記念出版『一九六九年 混沌と狂騒の時代』

本通信読者の皆様、明けましておめでとうございます。本年もよろしくご愛読お願いいたします。

ルノー・日産・三菱アライアンスの社長兼CEOだったカルロス・ゴーン被告が逃げた。レバノンに行ったようだ。詳しい経緯はわからないが、年末年始の出来事としては、意外性と大胆さにおいて刺激が充分な事件でもある。

◆大金持ちだけに可能な手法で相当大きな組織が動かないと難しい

「カミソリ弘中」といわれる弘中惇一郎弁護士のインタビューを確認してみた。さすがに歴戦のつわもの、動揺した様子はなかった(が、弘中弁護士にとっては「顔を潰された」ことになったに違いない)。弘中弁護士が髪の毛を染めるのをやめたのは、いつごろだろうか。四谷の事務所には、何度かお邪魔したことがあるが、広い面談室で課題を考えるときの弘中弁護士は、数秒間目を閉じて何事かを口ごもるのが癖だった。

カルロス・ゴーン被告はレバノンを含む3か国のパスポートを所持しており、そのすべては弁護団が保管していると弘中弁護士は発言している。「これだけのことをするのだから、相当大きな組織が動かないと難しいでしょう」と、弘中弁護士は今回のゴーン被告逃亡劇について、感想を述べている。


◎[参考動画]「寝耳に水」ゴーン被告“無断出国”に弁護士も困惑(ANNnewsCH 2019/12/31)

保釈金15億円は早速没収されたが、ゴーン被告にとって15億円などどうでもいい額であったのだろう。ゴーン被告はレバノン到着後に、日本の「人質司法」についての批判を展開している。その内容(が発信通りであれば)中心部分にわたしは異議を感じない。ほかならぬ鹿砦社も代表松岡が、名誉毀損で逮捕され192日も勾留された事実を知っているからだ。

ただし、「人質司法」の問題と、国外逃亡を図る資金的、人的準備を整えることができる人物と、そうでない人間の「格差」についても考えざるを得ない。大胆さには「あっぱれ」と感じる面もあるが、こんな活劇は膨大な資金と弘中弁護士が指摘するように相応の組織がなければなしえるものではない。

ルパン3世は独力と、創意工夫(それからアニメーションゆえに可能な事実なトリック)で、爽快な逃亡や活劇を演じて見せてくれる。ゴーン被告の日本からの逃亡は、大金持ちだけに可能な手法であるので、インパクトはあるがスカッとした気分にはさせてはもらえない。

正月の新聞テレビは、準備している企画ものが主要部分を占めるから、年末年始の出勤にあたった、社員はきっとイライラしていることだろう。「なんでよりによって、こんな時に大事件を起こしやがるんだよ!」と。

30分近くに及んだ弘中弁護士へのインタビューで、ゴーン被告逃亡は、弁護団をも煙に巻いた計画であったろうことは判明した。ゴーン被告逃亡は権力闘争ではない。日本に対して、大金持ちが愛想をつかして、逃亡を図っただけのことだろう。ほんとうはこの時間、わたしは寝付いているはずであった。が、妙に気にかかる。2020年の幕開けになんらかの示唆を与える事件であるような気がする。「日本に愛想をつかして」がキーワードだ。


◎[参考動画]ゴーン被告出国は妻主導か レバノン政府は関与否定(ANNnewsCH 2020/1/1)

◆日本の「劣化」が明示されたゴーン被告逃亡

弘中弁護士はインタビューの中で、記者に逆質問をした。

「あなたたちだったらべイルートに支局を持っているんじゃないの? そこは動かないの?」

さすがに百戦錬磨の「カミソリ弘中」である。受け身だけで黙っているわけではない。だが、弘中弁護士も、少々著名顧客や高額顧客ばかりを相手にしすぎではないか。日産が無茶苦茶な会社であることは、ゴーン被告のべらぼうな給与だけではなく、その後釜におさまった社長もあっという間に辞任に追い込まれることで確認できた。日本の「人質司法」批判もその通りだ。けれども弘中氏はお金のない依頼者を最近相手にしているだろうか。

ゴーン被告がどうなろうと、わたしには関係ないから、さっさと布団に入ればよいのだが、なにかが気にかかる。その「なにか」はたぶん大胆さの裏づけとなる、日本の「劣化」が明示されたことではないかと推測する。検察、司法の旧態依然とした後進性が、世界中にぶちまけられたのだ。

弁護団への信頼の低さも理由かもしれない。日本政府が金持ちが外国に逃げないようにと、富裕層の税制優遇など(逆に庶民への増税)を積み重ねてきた。そういった表層的な政策を、あざ笑うようなゴーン被告逃亡劇は、繰り返すが2020年の年始にあたり、ある種示唆的な事件ではないかと、わたしは感じる。

2020年は、良くも悪くも、これまで記録にはないにないストーリーが、待ち受けているのではないか。そんな予感を抱かされた。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

月刊『紙の爆弾』2020年1月号 はびこる「ベネッセ」「上智大学」人脈 “アベ友政治”の食い物にされる教育行政他

『NO NUKES voice』22号 新年総力特集 2020年〈原発なき社会〉を求めて

鹿砦社創業50周年記念出版『一九六九年 混沌と狂騒の時代』

2014年から、大晦日の本通信を担当させていただいている。2014年を除けば、いずれの年も、けっして明るく楽しい結びの文章を書くことができていない。社会に向かいあう、わたしの基本姿勢を維持して、正直な感想や一年の総括を述べるとすれば、2014年から今年にかけて、大局において好ましい変化や予兆などはない。

ただし、昨年から取材をはじめた滋賀医大病院問題では、病院を相手とした市民運動史上、まちがいなく歴史的な場面になんども直面させていただいた。

JR草津駅前広場を埋め尽くした患者会のメンバー

宮内さんは待機患者の苦悩を訴えた

「岡本圭生医師に治療を受けた」この一点しか共通項のない方々が、滋賀医大病院前で毎週抗議のスタンディングを行い、草津市内では2度にわたるデモ行進も敢行した。参加者は北海道から沖縄まで、みなさん交通費、宿泊費自腹でデモのためだけに集結された。

この運動には、既成の政治勢力が一切かかわりを持たなかったことも、爽やかさを維持できた一因であろう。デモ行進でシュプレヒコールを上げる役割のかたも、参加者の9割5分以上もデモは初参加の方であった。

何十人もの患者さんに経験談を伺った。岡本医師に治療を受けた患者さんは、取り戻した健康を享受して、穏やかな日々を送っていればよさそうなものの、多くの方はその選択肢を捨てた。署名集め、チラシ配り、デモ、集会参加、裁判傍聴などそれぞれのメンバーが参加可能な方法で、「岡本医師の治療継続」を求める行動に参加した。

目立つメッセージを工夫して集会に参加したメンバー

デモ出発前、決意が眼光に現れる

「私たちは治療を受けて快適に生活できています。でも岡本先生にお会いするまでは、不安で不安で生きた心地がしませんでした」

同様のコメントを異口同音に何人もの方々から伺った。岡本医師の治療でなくとも命に別条のない患者さんもいたが、高リスク前立腺癌の患者さんのなかには、岡本医師でなければ完治が見込めない患者さんも多数含まれていた。前立腺癌には多くの場合自覚症状がない。自覚症状を感じたときには周辺臓器や骨への転移が進んでいるケースが多いそうだ。だから前立腺癌は怖いのだ。自覚症状なしに進行し、ある日検査を受けたら、いきなり「癌」の告知を受ける。

そんな経験をして、しかし、わずか3泊4日の入院で主たる治療が終了し、「癌」の恐怖から解放された経験を皆さん、本当にきれいな目で語ってくださった。職業も年齢も、収入も居住地も異なるひとびとが、「自分が受けられた、岡本医師の治療を無くしてはならない」のただ一点で終結し、厚労省へ迫り、2万8千筆の署名を集め、治療を待っている患者さんのために行動する姿は、完全に「無私」で貫かれていた。

滋賀医大病院前抗議活動で初夏の風を受けたのぼり

患者会での「頑張ろう!」

「命を守るぞ!」

せっかく定年退職されたのに、現役中のように実務をこなすひとの姿、毎週始発電車に乗り遠路滋賀医大の正門に向かうひと、滋賀医大関係者が多く居住する地域に、くまなく問題を指摘したビラを配布するひと……。

岡本医師は滋賀医大(病院)から「本年5月末で治療を打ち切れ」と迫られていたが、雇用期間は12月末まで残っていた。6月から12月まで無為に過ごすことはない、手術を行っても経過観察期間は1月もあれば充分だ(病院側は経過観察期間が6月必要だと主張していた)。

治療を待っている患者さんたちをどうする? 弁護団と患者さん、岡本医師が協議し、大津地裁に「病院による治療妨害禁止」の決定を求める仮処分の申し立てをおこなった。

厚労省への申し入れ。短期間で患者会が集めた「岡本医師治療継続」を求める署名は2万8千筆にもなった

2019年5月20日、日本の司法界と医療界は歴史的な日を迎える。

大津地裁は岡本医師の主張を全面的に認め(病院の主張を全面的に却下し)11月26日まで岡本医師の治療延長を認め、「病院による岡本医師の治療妨害禁止」を内容とする決定を下したのだ。5月20日の決定により、本来であれば岡本医師の治療を受けることができなかった、52名もの患者さんが治療を受けることができた。

岡本医師は本日をもって滋賀医大病院との雇用契約が終了した。しかし、岡本医師と患者会の皆さんの壮絶な闘いは、勝利だった。

4名の患者さんが河内明宏・成田充弘両医師を相手取り「説明義務違反」による損害賠償を求めた裁判をわたしは、昨年の第一回期日からすべて傍聴してきた。争いの「正邪」は裁判の進行にしたがい、さらに明確化した。

5月20日仮処分決定が出された大津地裁前

JR草津駅前でのデモ行進は2回敢行された

病院からの通報で到着したパトカー

滋賀医大は学長・病院長を筆頭に組織ぐるみで、岡本医師排除のためには「公文書偽造・行使」、「患者カルテの不正閲覧」、「カルテ不正閲覧正当化のために岡本医師によるインシデントのでっちあげ」と次々に信じられない行為を連発した。

「患者のくせに」、「どうせ患者」という言葉を平気で使う関係者は、患者さんを完全に見くびっていた。まさか毎週病院前で抗議行動が恒例化するとは思いもよらなかったに違いない。

最初のうち滋賀医大病院は、毎回のように(あたかも被害者であるかのように)警察に連絡し幾度かパトカーがやってきたが、患者会の皆さんは「道路使用許可」をしっかりとっていた。市民運動の経験がまったくない皆さんがである。

警察への対応もそつのない、患者会メンバー

雨の日も猛暑の日も、毎週滋賀医大前では抗議活動が続けられた

もちろん、今後、岡本医師が治療をどこで続けるのか、続けられるのかという最大の懸念はまだ解決はしていない。しかし、岡本医師は17日裁判後の記者会見で断言した。

「この闘いは、医療を市民の手に取り戻すことができるかどうか、いわば革命です。若手や学生がモノがいえないようないまの滋賀医大の体質は変えなければならない。そのためにメディアの方々も是非しっかり取材していただきたいと思います。私も滋賀の田舎に引っ込んで隠居するのではなく、一日も早く患者さんを治療できるよう、来年も頑張りますからご支援よろしくお願いいたします」

まだ物語は終わっていない。現在進行形のドキュメンタリーは再び岡本医師が手術室で患者治療に向き合う日が再来するまで完結しない。

岡本圭生医師。大津地裁前にて

井戸謙一弁護団長

今日、大きな力を前にしてそれを覆す、ダイナミックなストーリーは物語の中にだけ封じ込められている感がある。だからこんなにも時代は息苦しいのだ。しかし、岡本医師と患者会の行動は「革命」を予感させる。

忘れてはならない。この問題は、フリージャーナリストの先輩である、山口正紀さんが、最初に患者さんの相談を受けたところからはじまっていることだ。山口さんは、この問題にかかわっているあいだに、ご自身も肺がんに罹患され、闘病しながらいまだに取材を続けていただいている。黒藪哲哉さんにも協力をお願いしたところ御快諾頂き、きめ細やかな取材の結晶として、緑風出版社から『名医の追放』を出版していただいた。わたしがお願いしたわけではないが、MBS(毎日放送)は1時間にも及ぶドキュメンタリー『閉じた病棟』を放送していただいた。

患者会のメンバー、弁護団、取材にかかわる組織メディアのメンバーや、われわれフリーのライター。滋賀医大問題で顔をあわせるひとびとはみな個性豊かだ。この多様性が、大きな相手に対する闘いを可能にせしめたのだろう。

来年も遅れることなく取材を続けたい。「革命」の萌芽を取材し、可能であれば私も参加したい。

本年もデジタル鹿砦社通信を、ご愛読いただきまして誠にありがとうございました。皆様にとって来る年が幸多き1年となりますよう祈念いたします。そして来年も鹿砦社ならびにデジタル鹿砦社通信をよろしくお願いいたします。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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『NO NUKES voice』22号 新年総力特集 2020年〈原発なき社会〉を求めて

鹿砦社創業50周年記念出版『一九六九年 混沌と狂騒の時代』

筆者が当欄で取材結果を報告してきた様々な冤罪事件のうち、いくつかの事件で今年は大きな出来事があった。一年の最後に、それをここに回顧する。

◆湖東記念病院事件で事実上、再審無罪が確定

西山さんの再審が行われる大津地裁

当欄で繰り返し取り上げてきた湖東記念病院事件では、懲役12年の判決が確定し、服役した元看護助手・西山美香さんの再審開始が3月に最高裁で確定、さらに10月、検察が再審で有罪を立証しないことを弁護側に書面で通告した。これにより、無実を訴えていた西山さんが再審で無罪を受けることが確定的となった。

この事件について、当欄で初めて記事を書いたのはいつだったかと思い、検索してみたら、2012年10月8日に「刑事への好意につけこまれた女性冤罪被害者が2度目の再審請求」という記事を書いたのが最初だった。感覚的にはそんなに昔のことだと思っていなかったので、あれからもう7年になるのかと軽く驚いた。西山さんや家族、弁護団、支援者ら関係者の方々にとっては長い戦いだったはずで、苦労が報われて本当に良かったと思う。

事件の詳細については、もう何度も書いていることなので、改めて振り返らないが、1つ指摘しておかないといけないことがある。西山さんを虚偽自白に追い込み、この冤罪を作った最大の加害者である滋賀県警の山本誠刑事が現在、長浜署の刑事課長(階級は警部)にまで出世していることだ。これほど酷い冤罪を作った人物が何の責任もとらずに済むのでは、滋賀県警は県民から「冤罪を軽く考えている」と思われても仕方ないだろう。

◆無罪判決を破棄された米子ラブホテル支配人殺害事件で裁判員裁判がやり直しに

石田さんの差し戻し控訴審が行われた広島高裁

控訴審で逆転無罪判決を受けた石田美実さんが最高裁で無罪判決を破棄され、控訴審に差し戻しになった米子ラブホテル支配人殺害事件では、今年1月、広島高裁の差し戻し控訴審で一審の有罪判決が破棄され、鳥取地裁で裁判員裁判をやり直すことになるという異例の事態となった。

鳥取地裁で最初に裁判員裁判が行われたのは2016年の6、7月のことだ。それから3年を超す年月が流れ、再びイチから裁判をやることになった石田さんは、現在、鳥取刑務所に勾留されている。一度は無罪判決を受けた男性がこれほど長く被告人という立場に置かれ続け、有罪判決を受けたわけでもないのに獄中で拘束されているのだから、冤罪か否かという話を脇に置いたとしても、理不尽な印象は否めない。

この事件も何度も当欄で取り上げたので、今回は事件の内容については触れないが、関係者の情報によると、裁判員裁判は来年5月に始まることが決まっているそうだ。何か大きな動きがあれば、今後も当欄で報告したい。

◆最高裁で行われている今市事件の上告審が長期化

勝又さんの上告審が行われている最高裁

筆者が取材している様々な冤罪事件のうち、多くの事件は世間の人たちから冤罪だと気づかれていない。そんな中、裁判では一、二審共に有罪判決が出ながら、世間的にも冤罪を疑う声が非常に多いのが今市事件だ。この事件も当欄で何度も取り上げたので、今回は事件の内容には触れないが、実は被告人・勝又拓哉さんの裁判で今後、大きな動きがあるのではないかと筆者はにらんでいる。

その理由は、控訴審判決が昨年8月に出て以来、すでに1年4カ月余りの年月が過ぎているに、まだ最高裁の上告審が続いていることだ。最高裁は審理を書面のみで行い、公判を開かないため、裁判の進行状況がわかりにくい。しかし、現在は裁判が迅速化しており、控訴審で無期懲役判決が出ているような重大事件でも、被告人の上告が半年もしないうちに棄却されるようなケースが多い。つまり、今市事件に関する最高裁の審理は長期化しており、これはすなわち、少なくとも最高裁から簡単には上告を棄却できない事件だと受け止められているということだ。

最高裁の審理が長期化した冤罪事件と言えば、筆者は以前、当欄で次のような記事を書いたことがある。

前回五輪の年から冤罪を訴える広島元放送局アナ 最高裁審理が異例の長期化!

この広島元放送局アナ窃盗冤罪事件では、最終的に被告人の煙石博さんが最高裁で起死回生の逆転無罪判決を受けたということは周知の通りだ。今後、今市事件でも勝又さんに同様の吉報がもたらされるのではないかと筆者は感じ始めている。

▼片岡健(かたおか けん)
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月刊『紙の爆弾』2020年1月号 はびこる「ベネッセ」「上智大学」人脈 “アベ友政治”の食い物にされる教育行政他

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