◆復興の「光」ばかりが強調されたリレーコース

浪江町で進む「イノベーション・コースト構想」の工場

東京オリンピック.パラリンピックまで100日となった12月17日、福島県内の聖火リレーの詳細ルートが発表された。3月26日、福島県楢葉町のJヴレッジをスタートし、28日までの3日間で浜通り、中通り、会津地方を回る。

福島県の内堀知事は、聖火リレーで震災と原発事故からの復興の「光と影、両方を発信する」と話していたが、23日の定例記者会見では、記者らから「影」の部分を発信していないのではと疑問の声があがっていた。

確かに、帰還困難区域の多い浜通りコースでは、国主導の「イノベーション.コースト構想」が進む浪江町の「福島ロボットテストフィールド」や「福島水素エネルギー研究フィールド」、大熊町大川原地区の「東電ヒルズ」と呼ばれる豪華な東電社員寮・食堂、そして今春開庁した役場など、4月に現地を訪れた際、「走るならばここだろう」と直感した場所ばかりだ。

「光」ばかりで、「影」などどこにも見当たらない。しかも0.6キロ~1キロの短いコースが多く、細かくぶつ切りした復興の「光」を無理やりつなげたとの感じが否めない。

浪江町で進む「イノベーション・コースト構想」の工場

◆福島復興のために無理やり解除される双葉町

6月に発表されたルートの概要では、原発事故で避難指示が出た11市町村をすべて走る予定になっていた。ただし、全町避難が続く双葉町については、来春までに一部解除が決まればルートに加えるとの方向で検討が進んでいたが、どうしてもコースに入れたい国は、町の一部を来春までに解除させようと動きだした。双葉町は、町の96%が人の住めない「帰還困難区域」で、「避難指示解除準備区域」は太平洋岸の4%のみだが、ここは国道6号線や常磐線に接してないため、聖火リレーコースにはなり得ない。

そんななか、JR常盤線が来年3月、現在不通となっている富岡、双葉間を開通させ、全線復旧させるとしたため、国は、双葉駅周辺の約555ヘクタールを「特定復興再生拠点区域」とし、来春3月、先行して避難指示解除することを決めた。実際に戻って住むのは2年後の2022年の春からだが、聖火リレーを通過させるため、無理やり解除するようなものだ。

大熊町のリレーコースに入る大川原地区の「東電ヒルズ」。夜は綺麗にライトアップされる

◆「心斎橋駅~難波駅」、地下鉄ひと駅走る飯舘村のリレーコース

飯舘村深谷地区に建設された村営住宅

リレーは2日目、事故後、全村避難となり、2017年3月末、避難指示が解除された飯舘村を通過する。飯舘村は、福島第一原発から40~50キロ離れ、事故までは原発と無縁の村だった。「丁寧に」や「真心こめて」を意味する「までい」の思いで、独自の村作りを続け、「日本で最も美しい村」連合にも加盟された。そんな村にまで大量の放射能をふらせた過酷な事実を、国と県、東電はなんとしても消したい。そのため躍起になって進めてきたのが、飯舘村の「復興計画」だった。

震災の翌年から始まった「いいたて までいな復興計画」は、2013年、安倍首相が「汚染水はアンダーコントロールしている」と嘘のプレゼンテーションで五輪招致を勝ち取って以降、内容がかわってきた。

飯舘村の面積は、2万2,300ヘクタールある大阪市とほぼ同じ2万3,010ヘクタールで、そこに20の行政区が入っている。当初の計画案では「既存の(帰還困難区域の長泥地区を除く19の)行政区と、避難でできた新たなコミュニティーの両方を支援する」ことを重点施策の一つとしてきたが、その後、「行政区」の文字が消え、代わりに新たな「復興拠点」を決め、そこを集中的に復興させるにかわってきた。復興拠点には「深谷地区」が決まったが、その際行われた住民説明会で、「何言っているんだ。深谷(街道)は地吹雪が凄いじゃないか」とあきれ顔で怒鳴った村民もいたという。

そんな深谷地区が、なぜ復興拠点に選定されたのか? 村の中央部に位置する深谷地区には、福島県の浜通りと中通りを結ぶ県道原町川俣線が通っている。村を通る唯一の幹線道路であり、復興のための資材や人材の流通に欠かせないという利点もあるが、聖火リレーが走るには幹線道路が必要という面もあるのではないか? 当時そう考えた私だが、一方で、そんな安易な理由で、6,000人村民の「復興」が大きく変えられることなどあるだろうかと思い直したが……。

しかし、今回決まったコースをみると「やっぱり」としか思えない。スタート地点の交流センター「ふれ愛館」、ゴールの道の駅「までい館」は、いずれも復興の重要拠点として、それぞれ約11億円、約14億円をかけられて建設されてきた。「までい館」周辺には、村特産の「花き栽培工場」やメガソーラー施設などのハコモノが乱立し、今年4月訪れた際には、村営住宅も建設.整備されていた。

飯舘村の復興計画に参入した大手コンサルタント会社「三菱総合研究所」が、東京の事務所で描いたイラストを、切り取って張り付けたような住宅は、「インスタ映え」はするだろうが、果たして住民の意見を聞いて作られたのだろうか、疑問に思えてならない。

飯舘村の道の駅「までい館」。昼間も来店者はまばら。昼食を食べに来る作業員が多かった

◆知事に代わり、復興の「影」を語る伊藤延由さん

飯舘村の聖火リレーのゴール地点道の駅近くの空間線量(撮影=伊藤延由)

この「ふれ愛館」から「までい館」までのわずか1.2キロのコース、大阪市でいえば心斎橋駅から難波駅間に乱立するハコモノを見て、果たして飯舘村の復興の何がわかるのだろうか? 

飯舘村に復興の「影」はないのか?

避難指示解除後、村に住み、飯舘村の様々な情報をSNSで発信している伊藤延由さんが、内堀知事の語らない復興の「影」を語ってくれた。

村に事故当時6100人いた村民は、12月1日現在で1,400人弱(実際は半数?)しか戻っていない。

伊藤さんが聖火リレーコース上の線量を測定した結果、スタート、ゴール地点の空間線量率は0.1~0.12マイクロシーベルト/hだが、道路わき2~3mでは0.6~1.2マイクロシーベルト/hと非常に高い場所があることがわかった。

更に伊藤さんが2018年、2019年、村内でふきのとうを採取し、その地点の空間線量率と土壌のデータを計測したデータからは、多くの地点が未除染か手抜き除染であることがよくわかっている。

全て莫大な税金をつぎ込み除染した場所だ。そして事故前の村に戻るには300年かかるのだと。

◆ゴール地点の「までい館」は開業から赤字続き これで「復興」?

飯舘村の聖火リレーのゴール地点道の駅近くの空間線量(撮影=伊藤延由)

飯舘村聖火リレーのゴールとなる道の駅までい館は、オープンから2年連続赤字だが、「復興のシンボル」を維持するためにと、村は今年1月、運営会社に3,500万円を追加出資することを決めた。

そもそも「道の駅」とは、その地元でしか採れない、味わえない特産品を並べるのが特徴であると思うが、飯舘村の道の駅で販売する農産品、加工品は、品数が少ないうえ、放射線量を厳しく計測し販売しているとはいえ、未だ空間線量も土壌汚染も高いと知ったならば、買うことをためらう人も多いのではないだろうか。

これは決して「風評被害」や「差別」ではない。私たちは、愛してやまない故郷が、放射能に汚された事実と真正面から向き合わなければならないのだから。住民に無用な被ばくを強いる放射能をなくさない限り、真の「復興」など望めないのだから。
 
それにしても、福島の復興の「光」ばかり、それも将来村の財政を圧迫するようなハコモノばかりを見せられ、国内外のメディアは本当に福島が「復興」したと思うだろうか? 黒いフレコンバックが山積みの仮置き場、荒れ果てた田畑、住む人もなく朽ち果てていく家屋など、復興の「影」の部分を隠したままの聖火リレーが、今後、福島の真の復興をいっそう妨げになることを危惧するばかりだ。

▼尾崎美代子(おざき みよこ)

新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。月刊『紙の爆弾』2020年1月号には「日本の冤罪 和歌山カレー事件 林眞須美を死刑囚に仕立てたのは誰か?」を、『NO NUKES voice』22号には高浜原発現地レポート「関西電力高浜原発マネー還流事件の本質」を寄稿
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58
◎[参考動画]飯舘村深谷地区の道の駅裏に建設・整備された村営住宅(著者ツイッター)

月刊『紙の爆弾』2020年1月号 尾崎美代子「日本の冤罪 和歌山カレー事件 林眞須美を死刑囚に仕立てたのは誰か?」他

『NO NUKES voice』22号 尾崎美代子の高浜原発現地レポート「関西電力高浜原発マネー還流事件の本質」他

私たちは唯一の脱原発雑誌『NO NUKES voice』を応援しています!

2019年は、この国でのみ通用する時間軸(元号)の変更が行われた年であった。元号はときの天皇に付随して変更されるのはご承知のとおりであり、天皇が死去ではなく、生前にその位を息子に譲る現象を、わたしたちは目にすることとなった。


◎[参考動画]新元号「令和」安倍総理が談話発表(ANNnewsCH 2019/04/01)

◆明治政府は突貫工事で天皇という「神」を誕生させた

天皇が実権者として、社会の全面に登場したのは、江戸幕府が終わってからだ。倒幕により新たな国家体を早急に整える必要に迫られた、当時の実力者は、欧州におけるキリスト教支配に着目し、日本にも「神」を誕生させる突貫工事を行う。2000年近くかけて積み上げられて来た「キリスト教支配」を、明治政府は、大日本帝国憲法において、天皇を「神」と位置付けることにより構成しようと目論んだ。乱暴な支配構造建設は思いのほかの速度と、徹底度をもって国の支配軸を形成していった。

江戸時代の庶民にとって、天皇などは日常生活に、まったく関係のない存在であったのに、「立憲君主制」という危険な国家体創造を目指した勢力は、西欧が千年単位の時間をかけ確立した「キリスト教支配」を数十年で完成させてしまう。「神」は抽象的概念だが、国家神道は天皇を現人神に任命することにより、すべての具体的な疑問を封じ込めることに成功する。

◆「神国」の敗戦

しかし、無理は必ず破綻を招く。

「神」の名のもと、ポルトガルやスペインが世界に植民地を広げていった後塵を拝した「神国」=大日本帝国は、朝鮮半島、中国をてはじめに、アジア各国への侵略を画策する。一時は日本の傀儡である満州国をつくりあげ、中国国内が国民党と共産党の内戦状態であったことを奇貨として、「神国」=大日本帝国は、中国大陸を支配する直前まで侵略をすすめた。だが、国際社会は黙っていなかった。

第一次世界大戦以降「中立」を守っていた米国も、中国大陸での大日本帝国の狼藉には、堪忍袋の緒を切らし、石油の対日輸出をストップする。米国による対日石油禁止こそが、真珠湾攻撃(対米開戦)が決定づけられた理由であることはご存じの通りだ。そのごは坂道を転げ落ちるように「大日本帝国」は敗残を続ける。白人支配に楯突いた、アジア人に対して欧米諸国の返礼は、容赦なかった。「100年早いんじゃ!」と言わんばかりに、全国の主要都市が絨毯爆撃を受け、非戦闘員も100万人以上が犠牲になった。


◎[参考動画]Japanese General Chooses Seppuku Over Surrender(Smithsonian Channel)

◆敗戦をいたずらに引き延ばした昭和天皇ヒロヒトの責任

竹槍での本土決戦を叫ぶ、理性を失った「神国」=大日本帝国の天皇ヒロヒトが「敗戦」を受け入れたのは、広島、長崎に原爆が投下がなされたあとだ。大本営内でも1945年の初期には講和を探る動きがあった。

「もうどう考えても勝てない。条件付き敗戦を認めるべきだ」

最後の理性は、しかしながらヒロヒトによって踏みにじられる。1945年年始に敗戦を受け入れていれば、100万人近い空襲の犠牲者の、大部分は難を逃れることができただろう。

敗戦をいたずらに引き延ばしたのは、昭和天皇ヒロヒトの責任だ。もちろん、アジア諸国への侵略も「御稜威」(みいつ)を盾に行われたのだから、その責任がヒロヒトにあることは言を俟たない。

ヒロヒトは敗戦後、GHQ司令官として日本にやってきたマッカーサーにいち早く媚を売りに行き、自身と天皇制の延命に向けて動き出す。ヒロヒトの工作は成功し、統帥権者であったヒロヒトが戦犯として東京裁判で被告にされることはなかった。あるいは日本国憲法施行後も、日本の国民によってヒロヒトが裁かれることはなかった。


◎[参考動画]Japanese Emperor Hirohito’s World War II surrender(New York Daily News)


◎[参考動画]Macarthur’s Welcome (British Pathe)

唯一具体的なヒロヒトに対する、人民からの「オトシマエ」を付けさせようとの行動は、「東アジア反日武装戦線」により、荒川にかかる鉄橋爆破により保養先から帰途にあるヒロヒトを処刑する計画が立てられ、実行寸前まで計画は準備されたが、最後の準備が整わず、荒川鉄橋上でのヒロヒト爆殺計画(虹作戦)は、断念されることになる。

◆神様は責任を取らない

さて、天皇は日本国憲法の第一条から第八条でその地位や、役割が定められている。「国民統合の象徴」が日本国憲法下天皇の法的位置づけである。「国民統合の象徴?」1億2千万人の個性を誰かひとりの人間が「象徴」することなどできるのか? わたしのような、はずれものから、勤勉な労働者、元気な若者、病に苦しむ患者さん…実に多様な個性を一人の人間が「象徴」する。ずいぶん乱暴すぎる平均値の取り方ではないか。だが苦し紛れに見える「象徴」には深遠な意図と、明確な目標、守るべき「国体」を隠蔽する機能が同時に備えられている。

そのことを今年私たちは目撃したのだ。日本国憲法における「象徴」とは、国家神道に由来する天皇の神格化に他ならない事実を、即位の礼、大嘗祭で見せつけられたではないか。おめでたいテレビのアナウンサーは「平安絵巻さながらの」とあの時代錯誤も甚だしい、あの装束を褒めちぎったが、彼らが神道にのっとった儀式を進めていることを、はっきり解説したコメンテーターはいただろうか。

神様は責任を取らない。日本国憲法は平和憲法といわれているが、それを隠れ蓑にして、国家神道は何度改元を繰り返しても、いまのところ健在だ。「無答責」という言葉は「責任を取らない」ことを意味する。明治憲法で統帥権者、現人神として規定された天皇ヒロヒトは、「神」であるがゆえに戦争の責任を問われることがなかった。その息子アキヒトは、平和主義者を演じるのに熱心ではあったが、ヒロヒトが免罪された(免罪されたからといってなかったわけではない)戦争責任に言及することは、あるはずもなかった。

そしてその息子、ナルヒトも同様に「象徴」として過去の責任からは、まったく無縁に安穏と天皇としての役割を果たしてゆくのだろう。

ちなみにいまこの国のひとびとが、最も嫌悪しているであろう国の1つ、朝鮮民主義人民共和国は、その建国から、大日本帝国をまねた国家体制を打ち立てている。金日成は「絶対」であり、朝鮮民主主義人民共和国では金日成が生まれた年を、元年とした、独自の時間軸が使われている。「古臭いなー」と読者はお感じにならないだろうか。

でも、同様の現象が、もっと自由であるはずの日本で、2019年、堂々と展開されている。この倒錯にこそ日本の根源問題を見る。


◎[参考動画]Japanese Emperor Naruhito’s coronation ceremony at the Imperial Palace | FULL(Global News 2019/10/22)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

月刊『紙の爆弾』2020年1月号 はびこる「ベネッセ」「上智大学」人脈 “アベ友政治”の食い物にされる教育行政他

鹿砦社創業50周年記念出版『一九六九年 混沌と狂騒の時代』

『NO NUKES voice』22号 新年総力特集 2020年〈原発なき社会〉を求めて

数少ない死刑存置国の日本では、2019年も様々な事件の裁判で死刑か否かが争点になった。また、東京五輪が終わるまで死刑の執行は難しいのではないかという大方の見方を覆し、今年も新たに2人の死刑囚が死刑を執行された。そんな1年の死刑に関する重大ニュースTOP5を筆者の独断と偏見で選び、回顧する。

◆【5位】新潟小2女児わいせつ殺害事件の裁判員裁判で死刑回避の判決

2009年に始まった裁判員裁判では、被害者の人数が1人の事件でも死刑判決が出るケースが増えていた。たとえば、松戸女子大生殺害放火事件(2009年)や南青山マンション男性殺害事件(2009年)、神戸小1女児殺害事件(2014年)などがそうだ。

したがって、この新潟の事件でも、検察官は死刑を求刑したのだが、それは当然の流れだった。小林遼被告は、女児に軽乗用車をぶつけて車に乗せ、わいせつ行為をしたうえ、首を絞めて殺害、さらに遺体を線路に放置して電車に轢かせるなど、残虐非道の限りを尽くしていたからだ。

しかし、山崎威裁判長が宣告した判決は無期懲役だった。まれに見る凄惨な事件だと認めつつ、被害者が1人の殺人事件では、わいせつ目的の殺人は無期懲役にとどまる量刑傾向があるとして、公平性の観点から死刑を回避したのだ。

被害者が1人の殺人事件について、裁判員裁判で死刑判決が出ても、控訴審で覆り、無期懲役に減刑されることが繰り返されてきた。上記の松戸女子大生殺害放火事件や南青山マンション男性殺害事件、神戸小1女児殺害事件もそうだった。その傾向を踏まえ、山崎裁判長をはじめとする新潟地裁の裁判官が死刑の適用に慎重になり、裁判員たちもそれに従ったのではないかと私は見ている。

◆【4位】熊谷6人殺害事件控訴審で一審死刑の被告が「心神耗弱」を認定されて無期に

2015年に熊谷市内の住宅に次々侵入し、男女6人を包丁で刺すなどして殺害したペルー人のナカダ・ルデナ・バイロン・ジョナタン被告は、裁判員裁判だった一審・さいたま地裁で死刑判決を受けていたが、東京高裁の控訴審で12月5日にあった判決で、犯行時は統合失調症のために心神耗弱だったと認定され、死刑判決が破棄、無期懲役を宣告された。

この被告人は、事件を起こした当初から言動が異常なのは明らかで、心神耗弱と認定されても別におかしくはない。ただ、日本の刑事裁判では、被告人が極めて重篤な精神疾患に陥っていたとしても、死刑に相当するような罪を犯している場合には、裁判官が強引に完全責任能力を認め、死刑を宣告するのが慣例化していた。その慣例がなぜ破られたのかは不明だが、裁判員裁判は死刑適用のハードルが下がっていることに対し、控訴審の裁判官たちが何か思うところがあったのかもしれない。

◆【3位】犯行時に現職の福岡県警警察官だった被告に死刑判決

犯行時に現職警察官だった中田被告に対し、死刑が宣告された福岡地裁

2017年に福岡県警の巡査部長・中田充被告が福岡県小郡市の自宅で妻子3人を殺害したとして殺人罪に問われた事件は、福岡地裁の裁判員裁判で12月13日、中田被告の「冤罪」主張が退けられ、死刑が宣告された。マスコミは「直接証拠がなく、有罪、無罪の判断は難しい事件だった」という論調で報じたが、筆者が取材した限り、有罪の証拠は揃っており、有罪、無罪の見極めは特別難しい事件だったとは思えなかった。

この事件が特筆すべきは、中田被告が犯行時、現職の警察官だったことだ。元警察官が死刑判決を受けた例としては、元警視庁の澤地和夫死刑囚(病死)、元京都府警の広田(現在の姓は神宮)雅晴死刑囚、元岩手県警の岡崎茂男死刑囚(病死)らの例があるが、筆者の知る限り、犯行時に現職だった警察官に死刑判決が宣告された例は無い。あったとしても極めて異例だろう。

中田被告は現在、控訴しているが、このまま死刑が確定する公算は大きく、歴史的な事件と言えるかもしれない。

◆【2位】「死刑執行は難しい」との予想に反し、今年も2人の死刑執行

8月、2人の死刑囚が新たに死刑執行された。1人は、2001年に神奈川県大和市で主婦2人を殺害した庄子幸一死刑囚、もう1人は、2004~2005年に福岡県で女性3人を殺害した鈴木泰徳死刑囚だ。これで、第2次安倍政権下での死刑執行は計38人となった。

このニュースを2位に挙げたのは、今年は死刑執行が難しいのではないかという見方が強かったためだ。元号が令和に変わり、天皇陛下の「即位の礼」などの皇室関連行事があるうえ、来年は東京オリンピックも開催されるためだ。そんな中、死刑を執行したのは、政府が「今後もどんどん死刑を執行する」という考えを表明したとみるのが妥当だ。

今後も安倍政権下では、死刑はこれまでの通りのハイペースで執行されていくだろう。

◆【1位】寝屋川中1男女殺害事件の控訴取り下げが無効に

山田死刑囚が死刑確定直前に綴った手記をまとめた電子書籍「さよならはいいいません」

自ら控訴を取り下げ、一審・大阪地裁の死刑判決を確定させていた大阪府寝屋川市の中1男女殺害事件・山田浩二死刑囚について、大阪高裁は12月17日、控訴の取り下げを無効とし、控訴審を再開する決定をした。山田死刑囚の弁護人が高裁に取り下げ無効を求める申し入れ書を提出していたのを受けてのことだ。

山田死刑囚が控訴を取り下げた原因は、拘置所に借りたボールペンの返却が遅れたことで刑務官と口論になり、自暴自棄になったことだった。大阪高裁はそれを前提に、山田被告が控訴を取り下げたら法的な帰結がどうなるかを忘れていたか、明確に意識していなかった疑いを指摘し、「控訴取り下げの効力に一定の疑念がある」と判断したのだ。

大阪高検は、この決定を不服として最高裁に特別抗告し、大阪高裁にも異議申し立てを行った。そのため、現時点で控訴審が再開されることは確定していないが、このように殺人犯1人の死刑を確定させるか否かについて、裁判官が慎重な判断を下すのは珍しい。というより、このような決定は前代未聞で、筆者にもまったく予想できないことだった。

ただ、この大阪高裁の裁判長の名前を聞き、合点がいった。村山浩昭氏。袴田巌氏に対して再審を開始し、死刑と拘置の執行を停止する画期的決定を出した静岡地裁の裁判長(当時)だ。村山氏はその後、名古屋高裁の裁判長だった時、冤罪を疑う声が非常に多い藤井浩人美濃加茂市長に逆転有罪判決を出すなど、良し悪しは別にして空気をまったく読まない判決を下す裁判長だ。

山田死刑囚の控訴の取り下げは、その経緯からして無効と判断されてもおかしくはないが、世間の空気を読むタイプの裁判官であれば、控訴審を再開する決定はなかなか出せないだろう。それが出せたのは、村山氏の空気を読まない性格があってこそだと思う。

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。編著「さよならはいいません ―寝屋川中1男女殺害事件犯人 死刑確定に寄せて―」(KATAOKA)に、原作コミック『マンガ「獄中面会物語」』(笠倉出版社)も発売中。

月刊『紙の爆弾』2020年1月号 はびこる「ベネッセ」「上智大学」人脈 “アベ友政治”の食い物にされる教育行政他

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

◆ベネッセを中心とする「教育産業」と萩生田文科相の関係の闇

文科省が導入を宣言していた、「共通テスト」で英語民間試験に続き、国語・数学の記述式についても延期することを萩生田文科相は2019年12月17日の閣議後記者会見で発表した。 「センター試験」から「共通テスト」への変更で、売り物だった、英語民間試験、国語・数学の記述式が、当面実施されないことが確定した。

何年も前から実施を宣言しておきながら、「記述式では採点の標準化が難しい」との理由で、実施直前になり「共通テスト」の内容は、大幅に変更されることになった。背景にはベネッセを中心とする「教育産業」と萩生田文科相の関係や、文科省内の不協和音などが挙げられている。


◎[参考動画]採点などの課題で「現実的に困難」 記述式見送り(ANNnewsCH2019/12/17)

◆「大学自治」自体が目に見えて崩れていく時代

入学試験は受験生にとっては、大学に入学するための「ハードル」であるが、大学にとっては「どのような学生」を大学が求めるか、を示す機会でもある。だから古くは共通一次試験に私立大学が参加(実質的には文科省のなかば恫喝による参加)がはじまって以来、私は「私立大学の共通一次利用は私立大学存立の原則と相いれない」と批判してきた。

今日、大半の私立大学がセンター試験を、何らかの形で入学試験に採用する時代となったが、この状態はかなりいびつな問題をはらみながら、私立大学がそれを注視することなく、「時勢」に乗ってきた結果である。

私立大学だけではい。国公立大学も法人化により、かつてよりも補助金では冷や飯を食わされる一方、大学運営の独自性が奪われ、学長・理事会の権限が強まる反面、教授会権限が圧倒的に制限された。「大学自治」自体が目に見えて崩れていく時代にあって、横並びの入学試験について、根底的な疑問と議論が交わされないのは、まったく不思議な事態である。

◆共通テスト実施母体の深刻な知的劣化

「記述式では採点の標準化が難しい」程度の頭脳の持ち主が、試験問題の作成や採点に関わろうとしているということは「記述式試験を行う能力がありません」と宣言しているに等しい。私立大学(あるいは、私立高校・中学・小学校)における国語の設問には、文章の大意を述べさせたり、筆者の主張についての分析のを論述式で問う質問は珍しくないが、記述式設問には「特定の箇所が記載されているか」、「鍵となる文言(複数)が回答内にあるか」など、長年蓄積されてきた採点のノウハウがある。短い記述式の採点ができないようでは「小論文」の試験など、到底実施できないではないか。

こういった、程度の低い理由で英語・国語・数学の記述問題が実施できないのは、共通テスト実施母体に「その能力がない」と認めているのと同義だ。実に恥ずかしく、深刻な知的劣化といわねばならないであろう。

◆暴論を真顔で発表する文科省は「朝令暮改無能省」

文科省をわたしは内心「朝令暮改無能省」だと思っている。国公立大学をはじめとして、私立大学も大原則に立ち返り、いっそうのこと「センター試験」や「共通テスト」から離脱して、独自の問題で入学試験を行ってはどうだろうか。文科省はしきりに「個性」という言葉を近年、通達や指導要綱で用いている印象がある。そうであるならば、建学の理念が異なる各大学は、それぞれの大学が獲得を目指す学生像に合わせた入学試験を、自前で準備して実施するのが妥当ではないだろうか。

世界各国に「共通試験」や、「センター試験」のような標準試験は存在している。国を超えての留学の際などには、たしかに利便性がまったくないわけではない。が、それ以上に、今日この国においては文教行政の度重なる政策の過ちにより、高等教育において、大幅なレベルダウンが全体に発生していることを無視してはいられまい。大学のレベル調査や論文引用件数でも、中国や香港シンガポールの大学にかなり水をあけられる状態が年々進行している。

「文系の学科をなくす」などという、暴論を真顔で発表するのが文科省である。

近く、小学校で1人1台パソコンを使わせようと本気であの連中は考えている。幼少期から玩具に液晶を利用したものとの接触が増え、思考力の低下や脳へのダメージ、視力への悪影響が指摘されるなか、小学校での「1人1台パソコン提供」には、裏でメーカーとの薄汚い利益供与関係があるのではないか、と感じるのはわたしだけであろうか。こんな連中の指示に従っていたら、生徒・学生能力は、ますます低下することが確実だろう。

財政とともに、教育の面でも共通テストの破綻が、文教行政の破綻を明示した一年であった。


◎[参考動画]【Nスタ】振り回された受験生は怒り (TBS 2019/12/17)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

月刊『紙の爆弾』2020年1月号 はびこる「ベネッセ」「上智大学」人脈 “アベ友政治”の食い物にされる教育行政他

『NO NUKES voice』22号 新年総力特集 2020年〈原発なき社会〉を求めて

鹿砦社創業50周年記念出版『一九六九年 混沌と狂騒の時代』

ヒットマンは山健組の組長(中田浩司60歳)だった……。これは任侠界を知る者にとって、きわめて衝撃的な事実である。たとえはヘンかもしれないが、トランプ大統領がF35戦闘爆撃機に乗って朝鮮半島上空に侵攻して核ミサイル基地を空爆するとか、安倍総理がみずから作業着を着て災害救助の最前線に立つようなものだ。いや、それだと立派な行為ということになるが……。つまり言いたいことは、山口組抗争の片方の本家(正しくは本家組長の出身母体)の親分がみずから、対立する六代目山口組の本家(正しくは本家組長・若頭の出身母体)の幹部を銃撃したという、前代未聞の事態なのである。

すなわち、8月21日に弘道会傘下の二代目藤島組に所属する加賀谷保組員(51歳)が複数の銃弾を浴びた事件のヒットマンが、中田組長だったことが判明したのだ。それもミニバイクにヘルメットをかぶり、拳銃を撃ち放つという若々しき実行行為である。

考えてもみてほしい。60歳で懲役30年の刑を受けた場合、獄死はほぼ間違いない。かりに懲役20年、80歳で出所できたとしても、もはや引退する歳である。


◎[参考動画]山口組系組員銃撃事件 神戸山口組幹部の男を逮捕(サンテレビ2019年12月4日)

それだけではない。8月の事件に対する報復として、10月10日に山健組本部前で六代目山口組弘道会(竹内照明会長)の丸山俊夫幹部組員(68歳)が、山健組幹部2人を射殺している。このとき、丸山は報道関係者を装ってカメラを持ち、怪しまれずにターゲットに近づいている。しかし本欄でも指摘したとおり、警備陣がそろっている中での犯行であり、もとより帰還を期さない特攻襲撃でもあった。永山則夫(連続射殺犯)規準では、2人以上殺せば死刑である。

さらには11月27日に、元山口組組員(破門中)の朝比奈久徳(52歳)が神戸山口組の古田恵一(二代目古田組)組長をM16自動小銃で射殺している。朝比奈容疑者の銃撃の動機は不明だが、軽機関銃での犯行は重刑になるであろう。


◎[参考動画]山口組系組員銃撃事件 新たに男4人逮捕(サンテレビ 2019年12月9日)

◆高山清司若頭が直参幹部に喝?

10月18日に六代目山口組の高山清司若頭が出所して、幹部たちを集めて「喝を入れた」と報じられ、にわかに抗争激化の様相を呈している。などと実話系週刊誌は見出しを立てているが、幹部たちの直接の証言があるわけではない。山口組は司組長が産経新聞のインタビューに応じた例外を除いて、マスコミや暴力団ライターの取材に応じるのはご法度である。

いまのところ山口組抗争は双方とも抗争は自粛、むしろ水面下の締めつけや復帰工作が進められているのが実情だ。問題なのは、中高年の幹部組員たちがヒットマンになり、絶望的な戦いをくり広げていることであろう。

中田組長にしても、丸山幹部組員にしても、二度と娑婆の空気を吸うことはできない。それを十分に承知のうえで、あえてヒットマンになったのである。

神戸山口組は井上邦雄組長をトップに、当初は3000人近い組員がいたが、六代目山口組の切り崩しにあって、昨年末では2000人ほどに減っていたという。捜査当局の観測によると、六代目山口組高山若頭の出所によって、切り崩し攻勢がさらに拍車がかかっているという。それ自体は30年前の山一抗争を思い出させる構造となっているが、良くも悪しくも六代目山口組の統制力の強さ、弘道会一極支配が高山若頭体制として中央集権化していることだ。神戸山口組から分立した任侠山口組の織田絆誠代表による、六代目復帰と再統合の路線は少なくとも、高山若頭の出所で完全に途絶えた。

ぎゃくにいえば、高山清司若頭が分裂の大きな原因(人事の独占、生活雑貨の強制購入、上納金の高額化)だったのだから、噂される七代目への移行時に大きな組織上の変化が展望される。それは高山若頭が七代目になるのか、あるいは竹内照明若頭補佐(三代目弘道会会長)が襲名するのか。それとも司忍六代目のお気に入りである森健司(司興業会長)が抜擢されるのか。捨て身のヒットマンたちの思いがけない行動が、鼎立する山口組抗争を決定づけるのかもしれない。

【横山茂彦の好評連載】
「反社会勢力」という虚構

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業、雑誌編集者。近著に『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)『男組の時代――番長たちが元気だった季節』(明月堂書店)など。

月刊『紙の爆弾』2020年1月号 はびこる「ベネッセ」「上智大学」人脈 “アベ友政治”の食い物にされる教育行政他

鹿砦社創業50周年記念出版『一九六九年 混沌と狂騒の時代』

前立腺癌治療の過程で、主治医が治療方針を十分に説明しなかったとして、4人の患者が滋賀医科大病院の2人の医師を訴えた裁判の本人尋問が、17日、大津地裁で行われた。

この日、出廷したのは原告の4患者と彼らの主治医だった被告.成田充弘准教授、それに成田医師の上司にあたる被告.河内明宏教授である。これら6人の本人尋問を通じて、成田.河内の両医師に説明義務違反があったとする原告らの主張が改めて裏付けられた。裁判はこの日で結審して、判決は来年の4月14日に言い渡される。2018年8月に提訴された滋賀医科大事件の裁判は終盤に入ったのである。

裁判前(2019年12月17日)

裁判所に入る前の岡本医師(2019年12月17日)

◆事件の経緯

事件の発端は、滋賀医科大が放射性医薬品会社の支援を得て、小線源治療の研究と普及を目的とした寄付講座を設けた時点にさかのぼる。2015年1月のことである。寄付講座の特任教授には、この分野で卓越した治療成績を残している岡本圭生医師が就任し、泌尿器科から完全に独立したかたちで小線源治療を継続することになったのだ。

これに対して一部の医師らによる不穏な動きが浮上してくる。泌尿器科の科長.河内教授と、彼の部下.成田准教授が岡本医師の寄付講座とはまったく別に、新たに小線源治療の窓口を開設し、泌尿器科独自の小線源治療を計画したのである。この裁判の原告となった4人は、医師の紹介や滋賀医科大病院の総合受付窓口を通じて成田医師らによる「泌尿器科独自」の小線源治療計画へ「案内」された。大学病院の闇を知らないまま被告.成田医師の治療を受けるようになったのである。

だが、成田医師には小線源治療の臨床経験がまったくなかった。手術の見学も1件しかなかった。当然、インフォームドコンセントで、成田医師のそのような履歴を知らされなかった原告らにすれば、自分たちが手術の手技訓練のモルモットにされかけていたことになる。

4人の癌患者は本来であれば寄付講座の方へ「案内」され、小線源治療のエキスパートである岡本医師の担当下におかれるべき人々であった。少なくとも成田医師らには、4人が岡本医師の治療を受ける権利と選択肢を持っていることを説明する義務があった。それを成田医師らが怠り、しかも、この点を批判された後も謝罪しなかったことが患者らを怒らせ、提訴を決意させたのだ。

原告の主張に対して被告は、「泌尿器科独自」の小線源治療は、岡本医師を指導医とする医療ユニット(チーム医療)として位置づけられていたから、岡本医師の治療を受けるオプションを患者に提示しなかったことをもって説明義務違反に該当するとは言えないというものだ。

◆泌尿器科への誘導と独立した治療

2015年1月に「泌尿器科独自」の小線源治療の窓口を、寄付講座の窓口とは別に河内医師らが開設した合理的な理由について、原告の井戸謙一弁護士は、河内医師を尋問した。裁判長も職権を行使して、河内医師があえて窓口を2つにした理由について説明を求めた。しかし、河内医師は明快な回答を避けた。

岡本医師自身がチーム医療の観点から「泌尿器科独自」の小線源治療に関わっていたかどうかという点については、竹下育男弁護士が成田医師を尋問した。これに対して成田医師は、いずれの患者ケースにおいても、治療方針の決定に岡本医師の指示を受けたことはなかったことを認めた。

尋問を通じて岡本医師は泌尿器科独自の小線源治療からは基本的には除外されており、2つの窓口と体制は、相互に依存したチーム医療と断定できるだけの接点がないことが判明した。メールでのやりとりは若干あったが、かえってそれらの証拠は、岡本医師を「外部の人」として認識していた成田医師の立ち位置を明確にした。

ちなみに成田医師はみずからが小線源治療の未経験医師であることを患者に伝える義務に関して、第1例目の手術を施す患者については未経験の事実を伝えなければならないが、2例目以降は伝える必要はないとも証言した。

◆刑事事件についての尋問も

繰り返しになるが、この裁判の争点は4人の患者に対する説明義務違反の有無である。争点としては単純だ。ところが裁判進行の過程で被告側は、争点とはあまり関係のない主張を延々と繰り広げた。岡本医師に対する人格攻撃や岡本メソッドそのものの優位性を否定する主張を繰り返したのである。

それにより岡本医師による治療についての説明責任を果たさなかったことを正当化しようとしたようだ。この論法の裏付けを探すために被告らが起こした事件についても、井戸弁護士は尋問した。たとえば河内医師が岡本医師の患者らのカルテを無断で閲覧し、岡本メソッドによる合併症の例をしらみつぶしに探そうとした件である。

これについて河内医師は、みずからが泌尿器科の科長職にあるので、前立腺癌患者のカルテ閲覧が許されるとの見解を示した。しかし、法律上はそのような権限は認められていない。カルテを閲覧できるのは主治医と患者本人だけである。

また、成田医師を併任准教授として、寄付講座へ送り込むために作成された公文書に、岡本医師の承諾印(三文判)が本人の承諾を得ずに押されていた件(既に刑事告発受理済み)に関して、井戸弁護士は河内医師の関与を問うたが、河内医師はそれを否定した。そのうえで、この公文書は秘書らにより無断で作成されたものである可能性を証言した。河内氏の証言に、傍聴席からは失笑がもれた。
 
◆記者会見

尋問が終了した後、原告団は記者会見を開いた。発言の趣旨は次のようなものである。

記者会見での井戸弁護士(2019年12月17日)

【井戸謙一弁護士】

この訴訟で被告側は、岡本医師が特異なキャラクターの人物であり、岡本メソッドももとより存在せず、むしろ問題のある治療なんだという主張を前に押し出す戦略で臨んできています。この点をどう崩していくかが鍵です。相手は自分が嘘を言っていましたとは認めません。ですから言っていることの整合性の無さを浮彫にすることが大切です。

いくら岡本先生のキャラクターがトラブルの原因だと主張しても、構造的に主張がかみ合わないところが出てきます。それが最も露骨に分かるのは、泌尿器科へ患者を誘導した問題です。 岡本先生に成田医師を指導させるチーム医療の枠組みであれば、岡本先生が全患者の症例を見て、 初心者には簡単な症例の患者を担当させて治療させるのが道理です。治療方法の適用についても、互いにディスカッションしながら決めていく。それが一番自然なチーム医療であるはずなのに、実際には河内医師が成田医師の担当患者を決めていました。こうした枠組みが被告の主張に整合性がないことを浮き彫りにしています。

岡本メソッドの優位性を否定する被告の主張に関しては、3つのポイントから問題点を指摘しました。まずカルテの不正閲覧問題です。医療安全管理部がカルテ閲覧をすると決める前の時期に、河内氏がすでにカルテの閲覧をはじめていた事実を確認しました。 

次に、松末院長が前回の尋問で2次発癌で死亡した例があると証言したことを受けて、それが不正確な認識であることを指摘しました。病院の事例調査検討委員会では、この患者のケースを因果関係不明と認定しています。それにもかかわらずこの死亡例を裁判で持ち出してきて、岡本メソッドの攻撃に使ったのです。

さらに病院のホームページで公開された医療機関別の前立腺癌非再発率比較表の問題。このデータを根拠に河内氏は、岡本メソッドの優位性を否定しています。これについては、松末院長は、比較対象患者のリスクレベルが大きく異なるのに単純に比較するのは適切ではないことを最終的に認めました。この問題についても河内医師を追及しました。

偽造文書の問題も取り上げました。これは成田医師を併任准教授にするために必要な文書で、河内医師と岡本医師の三文判が押してありますが、岡本医師は押していないと言っています。いま、この文書が公文書偽造だということで問題になっています。わたしは河内医師が、そのハンコは自分で押した、あるいは秘書に押させたと答えると思っていましたが、それも否定しました。秘書が勝手に作成したことにして、自分は関知していないということで押し通しました。この弁解には、驚きました。これについて被告の代理人は、定型的な文書はそういうこともあると念押ししていましたが、裁判所はその不自然さを認識したと思います。

【竹下育男弁護士】

成田医師の反対尋問を担当しました。反対尋問は簡単に成功しないことがままあります。相手が嘘を言ったときに、嘘を言っている証拠を示すことができるとは限らないからです。この裁判では、成田医師と塩田学長に関する裏付け証拠が多くあるので、それを有効に活用できるかどうかプレッシャーがありました。

成田医師と岡本医師の間で交わされていたメールは、有力な証拠になるものが多い。たとえば岡本先生が成田医師に対して、外来で治療方法の適応を検討するものだと思っていたという趣旨のメールを送ったところ、成田医師はそれは必要ないという返事を返しています。積極的に岡本医師のチーム医療への関与を拒んでいるようなメールが他にも何通かありました。

これについて成田医師は、言い訳をしていますが、どれも不自然です。その不自然さをアピールできれば戦略としては成功です。

また原告の治療方法の検討にあたって、岡本先生の意見を求めたことがないことも明らかになりました。

記者会見での岡本医師(2019年12月17日)

【岡本圭生医師】

本日、最後に提出しました河野陳述に対する弾劾陳述について説明しておきます。ありがたいことに裁判所はそれを受理してくれました。河野医師は、滋賀医大の小線源治療は、90%以上が河野医師の実力によってやっているとか、岡本などいなくても大丈夫だとか、だれがやっても同じだという陳述をしていますが、それほど単純なものではありません。

小線源治療では、テンプレートという網の目の奥にある前立腺に針を刺すのですが、その際、ミリ単位の調整を必要とします。 針を器具で微妙に触って1ミリ、あるいは2ミリの調整をするのです。きれいに会陰に針をさす必要があります。針を刺すことで前立腺が変形したり出血したり、動いたりすればダメです。いわばリンゴの皮を片手でむくような作業が必要なのです。河野医師はそれをやっているわけではありません。画面上で見ているだけで、微調整しているのはわたしです。 ですから河野医師が言うように、おおざっぱなことをやっているわけではありません。

河野医師は岡本メソッドなるものは存在しないと言いますが、「10のステップ」という冊子があります。これに従って2013年からずっと小線源治療をやってきたわけです。これには特別ことは書いていないと成田医師は言っていますが、そうであるなら、全国から医師が見学に来るはずがありません。

患者会の皆さんには、朝からスタンディングをやっていただき、弁護団は素晴らしい追及をしていただきました。この裁判では、医療や病院の内側を知っている人間がいるから、相手を追い詰めるチャンスが生まれたわけです。 一般の人が、医療過誤で戦っても勝ち目はないでしょう。わたしはこうした状況を変えたいと思います。

治療の未経験を患者に告げるべきかどうかよりも大切なことは、説明できることは、全部説明するという善意の姿勢です。意図的に情報を隠すようなことあれば、医療は成り立ちません。この裁判では、人が死亡した事例は扱っていませんが、重要な意味を持っています。ここで負けては医療が成り立たなくなります。市民の手、患者さんの手に医療を戻したいものです。

ちなみにわたしが執筆した中間リスクの前立腺癌に対する小線源治療についての論文が1月に掲載されます。10年間で397例のうち、再発は3例。7年の非再発率は、99.1%です。100人にひとり再発しないことになります。この論文では、中間リスクの症例は、小線源単独療法でやるべきだと結論づけています。論文が掲載されるということは、査読者によって内容が認められたということです。

わたしは12月をもって滋賀医大を去ります。しかし、これは終わりではなく、次のステージの始まりだと思っています。

【原告A】

岡本先生と接するようになって4年になります。先生の治療は革命的だとわたしは思っています。わたしは副作用もなく、いまも元気に働いています。76歳で、いまでも納税しています。これも岡本先生による手術が成功したからです。なぜ、わたしが裁判で戦ったのかといえば、岡本メソッドが革命的な医療であるからです。

これはなくしてはいけない医療です。河内教授がやろうとしているのは、岡本先生の医療を横取りすることです。これが問題の原点です。横取りして、自分の手柄にして、岡本医師を追い出そうという魂胆のようです。こうした状況を許してはいけないということで、裁判を起こし、そして今日の尋問を終えることができました。

【原告B】

わたしは河内医師は、好き放題なことを言っているという印象を受けています。今回、わたしが最も訴えたかったのは、被告が岡本医師の人格攻撃に徹していることについて、それが的外れであるということです。滋賀医科は全人的医療をうたっていますが、これは患者ファーストの意味です。この全人的医療の理念を掲げているのであれば 、患者の命を脅かしたことに対して謝罪し、反省すべきです。

反対尋問の最後の方で、この裁判を岡本医師が扇動したかのような被告側の言動がありましたが、われわれ原告を子ども扱いする発想です。訴訟を進めるうえで、家族や近所の目もあるので、参加できなかったひともおられます。 わたしも、最初は家内が裁判に賛成していませんでしたが、今日は傍聴に来てくれました。裁判を続けられたのも、応援があったからです。

記者会見(2019年12月17日)

◎患者会のURL https://siga-kanjakai.syousengen.net/
◎ネット署名へもご協力を! http://ur0.link/OngR

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
フリーランスライター。メディア黒書(MEDIA KOKUSYO)の主宰者。「押し紙」問題、電磁波問題などを取材している。

月刊『紙の爆弾』2020年1月号 はびこる「ベネッセ」「上智大学」人脈 “アベ友政治”の食い物にされる教育行政他

◆妊娠6ケ月のとき、原発事故が起こった

「私の場合、避難も夫が勧めるくらい理解があったし、もともと将来は夫の両親がいる大阪に住むつもりだったので、時期が早まっただけ。他の避難者の方々の話を聞くと、私は苦労が少なくて、言い方は変ですが、申し訳ない気がしてた時期もあったんです」と話すのは、東京からの避難者・田中里子さんだ。

8年前の事故当時、里子さんは、東京都江東区豊洲で夫と2人暮らし、妊娠6か月だった。東京での震度は5強で、里子さんは勤務する29階のオフイスで、死ぬかと思うくらいの強い揺れを感じたという。

「テレビで原発が爆発する場面を見ました。絶対に起きてはいけない大変なことが起こったと思ったものの、実感はありませんでした。原発の仕組みがよくわかっていないので。原発が爆発するってどれほど恐ろしいことか、良くわかってなかったからです。政府の発表やテレビでの専門家の解説だけを充てにしていましたが、テレビでは『心配ない、ただちに影響がない』といっているので、その通りなんだと、不安半分ながらも自分に言い聞かせながらそれなりに納得させていました。」と当時の心境を語る。

あとで知ったのだが、夫は昔から原発に少し疑問をもっていたという。3・11後は休日に講演会などに行き、聞いた話を家で話すようになった。のちに原発について意見が違う夫婦や家族もいると聞いたので、そういう意味でもラッキーだったと話す。
そんな夫の勧めもあり、5月半ば、予定を早め実家の岐阜に里帰り、7月に娘を無事出産した。初めての子育てをしながら、夫が置いて行った原発関連の資料をよんだり、講演会の録音を聴いたりする日が続いた。

◆「住んでいた江東区が汚染エリアとわかり、強いショックをうけました」

5月下旬、共産党都議団が行った東京都内全域での放射線量調査の結果が発表された。そこで里子さんが普段から買い物などで良く行く足立区、葛飾区、江戸川区に高線量地域が集中していること、とりわけ事故時に住んでいた江東区が被曝限度である年間1msvを超える汚染エリアと判りショックを受けた。

それでもまだ、東京でもなんとか気を付ければ住めるんじゃないか、と言う気持ちが捨てきれない里子さんだったが、夫が言った「君は原発の敷地内で子育てをするつもりか。将来、とりかえしがつかないことになった場合、子供にどう詫びるんだ!」のひとことで、避難する決心がついたという。

2012年3月、娘が8ケ月のとき、静岡県の三島に避難した里子さん家族。夫は里子さんを岐阜に置いたまま、二度と東京に戻させたくないと、引っ越し作業を全部ひとりでやった。避難後、夫は新幹線で東京に通勤、里子さんは子育ての傍ら、反原発や脱被ばくの活動をする地元の住民や、首都圏から避難してきたママ友だちと知り合い、勉強会や交流会の中で、様々な情報を交換するようになった。

「でも原発には反対だが、被ばく問題を共有できる人は多くはなかったですね。私はやはり被ばくのことが気になった。被ばくしてどうなるかは、日本ではとくに隠されていると思いました。調べると世界中でもいろんな事実が隠されている。もうこれでは、いままで通りの生き方はできないと思いました。有難いことに、私たち家族は健康被害が全くなかった。でも三島で会った避難者たちは、私以外全員、なんらかの健康被害がでていて、だから必死で逃げてきたことが分かったんです。鼻血、皮膚炎、目の不調は当たり前、心臓がチクチクするとか、それまでなかった喘息が出てきたとか。で、皆さん、三島に来てしばらくしたら治ったという。ただ三島の土壌汚染は10ベクレルほどですが、少し離れると高線量なので、ずっと住むことは出来ないが、まずは第一ステップと思って住んでいました」。

三島にいたころこんなことがあった。里子さんが、ネットで探したクリニックに、「自覚症状はないが、東京で被爆しているので甲状腺検査してほしい」と頼んだところ、「東京からだったら、被害なんてありえないよ。検査の必要なんかないよ」と強い口調で断られたのだ。「福島でも出てないし、山下俊一さんも大丈夫といっているでしょう」とまでいわれ、驚いたという。

「結局検査はしてもらいましたが、放射能に関しては、予防するとか身体を心配するとかがなぜ許されないのか、憤りを感じました。インフルエンザなど他のことに関しては、予防原則が基本なのに、なぜ放射能にだけはないのか、全く理解できませんでした」。

◆「3・11を境に何も変わらない人がいることが疑問です」

里子さん家族は、2016年3月、子供が「年中さん組」に入るタイミングで大阪に引っ越した。三島にいたころから繋がっていた関西の「避難ママのおちゃべり会」というグループから、様々な情報も得ていたうえ、夫の両親も住み、住居があったこともあり、移住はスムーズにできたという。

「娘の学校給食は、先生には『子どもの口にいれるものなので、自分で責任もってやります』と話して許可をとり、献立表で産地を調べ、東北や関東のものは避けて、代わりのものを持たせています。子どもには『あなたが産まれる年にこういう事故があって、身体によくない食べ物がたくさん出回っている。ママはあなたに身体に良いものは食べてほしいが悪いものは食べてほしくない。でもみんながそうしているわけではない。気にしないおうちのひともいる。何かいわれても、自分は正しいことをやっているのだから、気にしなくていいと思うんだけど、どうしたい?』と聞きました。
 娘は『からだにわるいものをいれたくないから、ママのいうとおりにする』と答えてくれました。今のところ、他の子に何かいわれることはないみたい。子どももあまり気にしてないみたい。いろいろ出てくるのはこれからかも…。三島のときは、そういうことで子どもが虐められ、心配していたママもいました。なかなか代替え品やお弁当を認めない学校もあったようで、わざわざ越境通学する人もいました」。

三島と違い、関西では母子避難の人が多い。二重家賃に苦しむ人、何年かして経済的な理由から泣く泣く帰る人も多いことなども、大阪に来て初めてわかったという。避難者が直面している問題は、自分が考えていたよりももっと切迫していて深刻なものだと改めて感じ、何か自分に出来ることないか、と考えるようになったという。

「大阪にきたら、いろんな講演会などに行こうと思っていました。梅田でサンドリ(東日本大震災避難者の会 Thanks&Dream)が行っていた3・11の関連イベントに行ったとき、展示物を見て愕然としました。そこには避難生活の実情や健康被害などが赤裸々に語られていました。三島ではそこまで健康被害などは話されてなかったので。ほかにも家族が引き離されたり、生活に困窮したり、離婚したりする避難者もいることを知り、ショックでした。そこで避難者のつながりも広がって、4月に初めて『イモニカイ』という避難者交流会に参加しました。そこで、そのまま自然にスタッフとして主催する側になりました(笑)」。

サンドリでブースを出し、避難者の報告集などを販売する田中里子さん (左)

会には避難者の他、原発賠償訴訟の支援者の方や、保養活動をしている方の参加も多い。

お互いに情報交換をしたり、悩みを相談したり、イベントの告知をしてお手伝いを募ったり、と賑やかな集いの場になっている。

「『イモニカイ』に参加する人は、いろんな意味でまだ力があるんだと思います。こういう場にも来る余力のないほど、苦しんでいる人もいるはずで…。経済的な理由やご家族の問題で仕方なく避難元に帰った人もいますし…」。

「3・11を境に何も変わらない人たちがいることがすごく疑問です。まだ、相変わらず『国が守ってくれる』を思っているのでしょうか? 私にとっては3・11で、見える世界が一変したといってもいい。原発は選挙でも票にならないと聞くけど、とんでもない。一番大事なのはこの問題だろうと思います。誰かを犠牲にしたまま、回る経済や社会、原発はその最たるもの。それをいやというほどみせつけられ、そして今も続いている。黙っていたら、これを許し続けることになる。そんなのは嫌だから、やっぱりNOの声は上げ続けたいと思っています」。

サンドリ川柳 避難者あるある五七五

▼尾崎美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。最新刊の『NO NUKES voice』22号では高浜原発現地レポート「関西電力高浜原発マネー還流事件の本質」を寄稿

『NO NUKES voice』Vol.22 新年総力特集 2020年〈原発なき社会〉を求めて

『NO NUKES voice』Vol.22
紙の爆弾2020年1月号増刊
2019年12月11日発行
定価680円(本体618円+税)A5判/132ページ

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新年総力特集 2020年〈原発なき社会〉を求めて
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[グラビア]山本太郎「原発事故の収束の仕方も分からないのに滅茶苦茶だ」(鈴木博喜さん)ほか

[インタビュー]孫崎 享さん(元外務省国際情報局長/東アジア共同体研究所理事・所長)
2020年・世界の正体 何が日本を変えるか

[報告]尾崎美代子さん(西成「集い処はな」店主)+編集部
関西電力高浜原発マネー還流事件の本質

[資料]編集部
《全文公開》関西電力幹部を辞任に追い込んだ「告発文」

[インタビュー]井戸謙一さん(弁護士)
関電・東電・福島原発訴訟の核心

[インタビュー]水戸喜世子さん(子ども脱被ばく裁判共同代表)
刑事告発で関電から原発を取りあげる

[報告]本間 龍さん(著述家)
原発プロパガンダとは何か〈17〉
東京五輪・崩壊の始まり──IOC「マラソン・競歩札幌移転」の衝撃

[報告]小林蓮実さん(ジャーナリスト/アクティビスト)
山本太郎の脱原発政策は新党結成で変わったか?
「政権交代」が脱原発を可能にする唯一の選択肢

[報告]鈴木博喜さん(『民の声新聞』発行人)
福島〈水害〉被災地を歩く
懸念される放射性物質の再浮遊と内部被曝リスク

[報告]伊達信夫さん(原発事故広域避難者団体役員)
《徹底検証》「原発事故避難」これまでと現在〈6〉
本気で「防災・減災」に取り組まなければ、被災者は同じ苦痛を繰り返す

[報告]山崎久隆さん(たんぽぽ舎副代表)
原発潮流・二〇一九年の回顧と二〇二〇年の展望

[報告]平宮康広さん(元技術者)
経産省とNUMOが共催する説明会での質疑応答

[報告]三上 治さん(「経産省前テントひろば」スタッフ)
天皇の即位に伴う一連の儀式に思うこと

[報告]板坂 剛さん(作家・舞踊家)
悪書追放キャンペーン第五弾
ケント・ギルバート『天皇という「世界の奇跡」を持つ日本』

[報告]横山茂彦さん(編集者・著述業)
熟年層の活躍こそ、わたしたちの道しるべだ
かつての革命運動の闘士たちがたどった反原発運動

[報告]山田悦子さん(甲山事件冤罪被害者)
山田悦子の語る世界〈6〉記憶と忘却の功罪(中編)   

[報告]再稼働阻止全国ネットワーク(全12編)
関西電力「原発マネー」─東京電力「二二〇〇億円援助」─日本原電「東海第二原発」
三つを関連させ、くし刺しにして原発廃止を迫ろう!

《首都圏》柳田 真さん(たんぽぽ舎、再稼働阻止全国ネットワーク)
日本の原発はこのまま「消滅」へ 
日本の原子力政策は嘘だらけでここまでやってきたから
田中俊一(原子力規制委員会前委員長)語る(月刊『選択』11月号)

《東北電力》舘脇章宏さん(みやぎ脱原発・風の会)
女川2号機の審査「合格」が目前
東日本大震災でダメージをうけた「被災原発」を動かすな!

《日本原電》玉造順一さん(茨城県議会議員)
東海第二原発を巡って-当初から指摘されてきた日本原電の経理的基礎の無さを露呈
日本原電を含む電力業界 これまで反対運動に対峙してきたノウハウの蓄積もあり、決して侮れない

《東京電力》斉藤二郎さん(たんぽぽ舎)
東電による日本原電支援(二二〇〇億円)に反対する 
「巨額の支援」おかしい、反対意見多い、電気料金が上がる
東海第二原発は事故原発-再稼働はムリだ

《東海第二原発》たんぽぽ舎声明
東海第二原発再稼働への資金支援をするな 日本原子力発電に対する三五〇〇億円
日本原電は廃炉管理専業会社となるべき

《原発マネー》久保清隆さん(再稼働阻止全国ネットワーク)
関電も東電も原電も徹底追及するぞ! 
原発マネー、二二〇〇億円支援、東海第二原発再稼働を許さない

《市民立法》郷田みほさん(チェルノブイリ法日本版をつくる郡山の会=しゃがの会)
次の世代に責任を果たすために、やらなければならないこと

《関電高浜》木原壯林さん(若狭の原発を考える会)
関電不祥事を、原発全廃の好機にしよう!

《玄海原発》吉田恵子さん(原発と放射能を考える唐津会世話人)
水蒸気爆発を起こす過酷事故対策、トリチウムと使用済みMOXの危険性

《規制委》木村雅英さん(再稼働阻止全国ネットワーク)
規制委による新たな原発推進体制の構築を止めよう
~「原子力規制委員会設置法」の目的と国会付帯決議を守れ~

《本の紹介》天野恵一さん(再稼働阻止全国ネットワーク)
『原発のない女川へー地域循環型の町づくり』(篠原弘典・半田正樹編著 社会評論社)

《浜岡原発》鈴木卓馬さん(浜岡原発を考える静岡ネットワーク)
浜岡原発は世界で最も危険な原発-南海トラフの震源域の真上に建つ
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「餃子の王将」を全国展開する王将フードサービス(以下、王将)の社長・大東隆行さん(享年72)が2013年12月、何者かに銃撃され、死亡した事件は、19日で発生から6年を迎える。犯人はいまだ捕まらないままだが、なぜ捜査は難航しているのか?

ヒントは、「この事件に限らず、そもそも銃撃事件には、未解決の重大事件が多く存在すること」だ。そこに着目すると、この事件の捜査が難航する理由もおのずと察せられる。

◆主な未解決の銃撃事件とは・・・

この事件が起きたのは2013年12月19日の午前5時45分頃、場所は京都市山科区の王将本社前の駐車場だった。犯人は、車で出勤してきた大東さんを待ち伏せしており、腹部などに銃弾4発を撃ち込むと、バイクで逃走した。大東さんは心肺停止の状態で病院に搬送され、病院で死亡が確認された。

有名企業の社長が銃殺された事件は、当然のごとく大きな注目を集め、当初から様々な情報が飛び交った。数年前には、九州の暴力団の関与が疑われているとの情報がまことしやかに報じられたこともある。だが、発生からまもなく6年になる今も警察は被疑者検挙に至らない。事件はいつしか全国の重大未解決事件の1つに数えられるようになった。

大東さんはこのあたりに倒れていた。左手のレンガ造りの建物が王将本社

では、未解決の銃撃事件には、この他にどんな事件があるかを挙げてみよう。

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①1987年5月 朝日新聞阪神支局襲撃事件(兵庫)
黒っぽい目出し帽をかぶった男が同支局に押し入り、男性記者2人を銃撃。うち1人が死亡した。2002年に公訴時効成立。

②1993年8月 阪和銀行副頭取射殺事件(和歌山)
朝、自宅からハイヤーに乗り込もうとした同銀行副頭取の男性が近づいてきた男に銃撃され、死亡。2008年に公訴時効成立。

③1994年9月 住友銀行名古屋支店長射殺事件(愛知)
支店長は自宅マンションのエレベーターホールで何者かに頭部を銃で撃たれ、死亡している状態で見つかった。2009年に公訴時効成立。

④1995年3月 警察庁長官狙撃事件(東京)
長官は朝、自宅マンションの前で何者かに撃たれ、腹部などに3発の銃弾を浴び、重傷を負った。2010年に公訴時効成立。

⑤1995年7月 スーパーナンペイ射殺事件(東京)
閉店後のスーパーで、女性従業員3人が頭部を撃たれて死亡。現場の現金には手がつけられていなかった。現在も捜査中。

⑥2002年11月 名古屋現金輸送車襲撃事件(愛知)
パチンコ店などが入るビルの駐車場で、現金輸送車の警備員が銃撃され、金を奪われた。警備員は現在も車いすの生活。2017年に公訴時効成立。

⑦2009年7月 鳥取タクシー運転手射殺事件(鳥取)
タクシー運転手は鳥取駅前から客として乗せた犯人に銃撃され、釣銭入れを盗まれた。病院に搬送されたが、死亡。現在も捜査中。

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こうしてみると、銃撃事件には、未解決の事件が多い印象は否めないだろう。では、なぜ、銃撃事件の犯人はなかなか捕まらないのか。

捜査が難航する理由を事件ごとに指摘すれば、いくらでも指摘できるだろう。だが、つきつめて言えば、実にシンプルな話になる。

銃撃事件は、通常の殺人事件や殺人未遂事件に比べると、犯人が事前によく計画を考えたうえで犯行に及んでいる。それが、銃撃事件が未解決になりやすい理由である。

◆殺人犯や殺人未遂犯の多くは突発的、衝動的

これは事件取材や裁判の傍聴などをしているとわかることだが、殺人事件や殺人未遂事件の犯人は多くの場合、突発的、衝動的に犯行に及んでいる。「抵抗されたので、持参していた包丁で刺してしまいました」とか「被害者が大きな声を出したので、慌てて口を押えたら、気づいた時には死んでいました」とかいうケースがほとんどだ。ドラマや小説の殺人犯は、完全犯罪のために緻密な計画を立て、その計画通りに犯行を実行しているが、あのような殺人犯は現実にほとんど存在しないのだ。

対して、銃撃事件の犯人というのは、少なくとも銃を準備する程度に計画的である。さらにターゲットの行動を調べ、銃撃する場所や逃走手段なども考えている。

実際に王将の事件で見てみると、大東さんは毎朝、会社の誰よりも早く出社し、会社前の路上などを掃除していたというが、午前5時45分に会社の駐車場で犯行に及んだ犯人は当然、そのことを知っていただろう。おそらくは、大東さんが大企業の社長でありながら運転手を使わず、1人で車で出社することも知っていたはずだ。

王将本社。大東さんが自ら掃除していた玄関や会社前の路上は今も掃除が行き届いている

また、犯人が逃走に使ったバイクは離れた場所に乗り捨てられていたが、盗難されたものだったという。つまり、犯行に使ったバイクからアシがつかないように考えているわけだ。

上に挙げた他の未解決銃撃事件を見ても、どれも犯人は事前にターゲットの行動を調べ、犯行を実行しやすく、逃走しやすい場所や時間をある程度考えているのは明らかだ。他の多くの殺人事件のように突発的、衝動的に犯行に及んでいるような事件は見当たらない。

その程度のことで、警察が犯人を捕まえられないわけがないのでは・・・と思われた方もいるかもしれない。だが、それは警察の力を買いかぶっているか、あるいは、犯罪捜査を簡単に考えすぎではないかと思う。

完全犯罪を狙い、ある程度以上の能力を有する人間が相応の準備をして犯行に及べば、警察もそんなに簡単に検挙できるわけではない。未解決の銃撃事件が多く存在する事実は、そのことを裏づけている。

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。近著に『平成監獄面会記 重大殺人犯7人と1人のリアル』(笠倉出版社)。同書のコミカライズ版『マンガ「獄中面会物語」』(笠倉出版社)も発売中。

月刊『紙の爆弾』2020年1月号 はびこる「ベネッセ」「上智大学」人脈 “アベ友政治”の食い物にされる教育行政他

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

この危ないテーマを、偉大な医師にして国際貢献の烈士を素材に語るべきか。迷ったすえにメモリーとして書くことにした。国際貢献の烈士とは、いうまでもなくペシャワール会の中村哲先生のことである。事件は水争いということで、犯人の身柄も確保されたという。偉大な治水事が不幸な結果となり、また余人に代えがたい先生が亡くなられたことに、哀悼の意を表するものです。

さて、安倍政権は「反社勢力は定義できない」と、みずからの政治的基盤にヤクザや半グレ、圧力・利権団体、あるいはマルチ商法まがいの実業家などがいることを、閣議決定をもって証明した。じつは中村哲先生も、この定義できない「反社」の親族なのである。


◎[参考動画]「信頼関係が一番大切」 中村哲さんが遺した言葉(毎日新聞2019年12月04日)

『日本侠客伝 花と龍』(1969年東映)

すでに母方の伯父が火野葦平であり、その父親が玉井金五郎(玉井組の親分)であることは、ニュース解説などでも触れられている。火野葦平の『花と竜』には、玉井金五郎のほかに吉田の親分(吉田磯吉)も登場し、近代ヤクザ黎明期の若松港が描かれている。じっさいには、戦後に書かれた『革命前後』に玉井金五郎のやや狡すっからい人物像が描かれてあり、後者のほうが実像に近いと評されたものだ(地元の親分衆の話を聴取した溝下秀男工藤會総裁=2008年に逝去)。

◆工藤會との関係

中村先生の親族が「反社」(不定義)というのは、文豪につながる出自を言いたいのではない。先生の従兄に現役の工藤會幹部がいるからだ。四代目工藤會で執行部を務め、現在は常任相談役の玉井金芳玉井組組長がその人だ。三代目(溝下秀男会長)の信任が厚く、そのクレバーな振る舞いから対外的な実務を担っていた。玉井組長は火野葦平の晩年の実子で、玉井一族はいまも若松の港湾団体の要職を占めている。

どうだろう。大伯父がヤクザの大親分で、親族に任侠組織(暴力団)の幹部がいるからといって、中村先生を「反社」につながる暴力団親交者と言えるだろうか。暴対法・暴排条例、そして「反社排除」は、ややもすれば家族関係・親族関係に亀裂を入れ、地域社会を崩壊させかねない勝手なレッテル貼りだったのだ。ほかならぬ安倍政権がそれを証明した。政権が閣議決定した以上、警察庁が仕掛けた社会を歪ませる「反社排除」は是正されるのだろうか。

ちなみに、河伯洞(火野葦平の旧居)の館長も中村先生の従弟である。
https://www.city.kitakyushu.lg.jp/wakamatsu/file_0043.html

資料館ともども、北九州観光のおりには訪れて欲しい場所だ。資料館の館長は「中村さんの義侠心のルーツが、ここにあることを知ってほしい」と、中村先生に関連した特別展示にあたって語ったという。

話が溝下秀男総裁におよんだので、政治家との関係を記しておこう。溝下総裁が30のときに斯界に入門するか、政治家への道を選ぶか迷ったのは、著書『極道一番搾り』ほかに明かされている。このときに政界に誘ったのは、自民党の田中六助である。田中は大平正芳政権のもとで官房長官、鈴木善幸内閣で通産大臣に就任している。田中の後継者(甥)である武田良太が、この欄で何度か名前の出たヤクザと親交がある現国家公安委員長である。

溝下総裁が生きていたとして72歳だから、政治家の道に進んでいたら90年代から2000年代はヤクザ政治家が暴れまわっていたのかもしれない。その溝下が中村哲の活動を陰ながら支援していたことを記しておきたい。工藤會が匿名ながら児童養護施設(溝下自身が孤児である)などに遊具などを寄付していたことも、書かなければ歴史に埋もれる史実となりそうだ。合掌。


◎[参考動画]【中村哲さん追悼】2003年4月放送 アフガンの現実(筑紫哲也NEWS23)

【横山茂彦の不定期連載】
「反社会勢力」という虚構

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業、雑誌編集者。近著に『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)『男組の時代――番長たちが元気だった季節』(明月堂書店)など。

月刊『紙の爆弾』2020年1月号 はびこる「ベネッセ」「上智大学」人脈 “アベ友政治”の食い物にされる教育行政他

『NO NUKES voice』22号 新年総力特集 2020年〈原発なき社会〉を求めて

鹿砦社創業50周年記念出版『一九六九年 混沌と狂騒の時代』

安倍政権は12月10日の閣議において「反社会勢力」について「形態が多様であり、また、その時々の社会情勢に応じて変化しうるもの」立憲民主党の初鹿明博衆院議員の質問主意書に答えた。と閣議決定した。


◎[参考動画]「反社会的勢力」定義困難と閣議決定 “桜問題”で(ANNnewsCH 2019年12月10日)

「なっ、何だってぇ?」と、誰もが唖然としたのではないだろうか。暴力団や半グレ、えせ同和、総会屋など、反社会勢力と定義されてきたものが、まるで幻だったかのように政府が定義を変更。いや、社会情勢に応じて変化しうると、曖昧化したのである。

少なくとも、政府において、「暴力、威力と詐欺的手法を駆使して経済的利益を追求する集団又は個人である『反社会的勢力』をとらえるに際しては、暴力団、暴力団関係企業、総会屋、社会運動標ぼうゴロ、政治活動標ぼうゴロ、特殊知能暴力集団等といった属性要件に着目するとともに、暴力的な要求行為、法的な責任を超えた不当な要求といった行為要件にも着目することが重要である」という、第1次安倍政権が犯罪対策閣僚会議(2007年6月に)で決定した定義を撤回したのだ。

これによって、金融機関や公共機関、遊技場、賃貸契約など、社会のあらゆる領域で「反社会勢力ではありません」と一筆を入れなければならなかったルールが変更を余儀なくされるはずだ。公安委員会が指定する25の指定暴力団いがいは、もはや「反社会勢力」とは定義できないのだ。各都道府県警においては「反社」という言葉を安易に使えなくなった。声高に謳っていた「反社会勢力の排除」も使えないことになる。

◆政治家はもともとヤクザと同じ職種である

ではなぜ、安倍政権はこのような噴飯物の閣議決定をしなければならなかったのだろうか。

直接的には、立憲民主党の初鹿明博衆院議員の質問主意書に答えたもので、国会議員の質問には「閣議決定」をもって応じなければならないからだが、安倍総理および菅義偉官房長官の一連の答弁、および「桜を見る会」での反社勢力の参加を受けて、事態を糊塗するものにほかならない。

そして、もうひとつ。警察庁がいくら「暴力団排除」「反社勢力の排除」を力説しようとも、政治家および地元警察がヤクザとの蜜月をやめられないからだ。いや、そもそも政治家という職業、つまり政治(警察力によらない紛争の仲裁・利益の配分・地域の諸勢力の取りまとめ・威力をもってする統合)がヤクザの職域とほぼ同じだからである。

さらには、政治家が選挙による以外にその特権(議員職)を得られないかぎり、集票力のある組織に依拠せざるを得ないからなのだ。とくに自民党のように利権と利益配分を本質とする政党にとって、ヤクザとの関係は不可分なのである。地域の実力者、事業に参入する有力企業に、ヤクザが何らかの関係を持とうとするかぎり、絶対にヤクザは排除できないのだ。ここに問題の本質がある。

麻生太郎副総理、甘利明(労働大臣・経産大臣・自民税制調査会長などを歴任)、田中和徳復興大臣、武田涼太子国家安委員長、竹本直一科学技術担当大臣、下村博文元文部科学大臣。これらは直近で思い浮かぶ、ヤクザ系の人脈と親交のある(人的な交流や政治資金を受け取った)政治家たちだ。そしてわが安倍晋三は、工藤會系の準構成員と推定される土建会社の社長と選挙妨害を談合し、謝礼をケチって火炎瓶を自宅に投げられるチョンボを犯した疑惑がある。菅義偉官房直管はまさに、桜を見る会で全身刺青の半グレと記念撮影するありさまだ。

◆崩れ去った警察庁官僚の思惑

暴対法および暴排条例、そして反社会勢力という言葉は、警察庁のキャリア官僚たちの利権拡大の思惑から発したものだった。東西冷戦下での左右対立、暴力団の全国的抗争のなかで、28万人という巨大な組織に膨張した警察は、必要がなくなったこの時代に生き延びようとしている。予算の削減と戦い、退職者の天下り先・再就職先を確保するためにも、指定暴力団の存在は不可欠だった。左翼勢力が衰退する中でも、公安関連予算を確保するために微罪逮捕などの取り締まりを継続しているのも、巨大組織の延命のためにほかならない。

しかるに、ヤクザも左翼もみずから弾圧してきた結果、先細りで思ったようにならない。そこで「反社会勢力」なる新語を創って、警察の全国動員体制(応援派遣)を発動してきた(工藤會警備の小倉派遣・辺野古警備など)のだ。だがその思惑も、政治家の「反社は定義できない」なる閣議決定によって、宙に浮くことになってしまった。永田町と桜田門の水面下の抗争こそ、これからの見ものと言うべきである。

【横山茂彦の不定期連載】
「反社会勢力」という虚構

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業、雑誌編集者。近著に『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)『男組の時代――番長たちが元気だった季節』(明月堂書店)など。

月刊『紙の爆弾』2020年1月号 はびこる「ベネッセ」「上智大学」人脈 “アベ友政治”の食い物にされる教育行政他

『NO NUKES voice』22号 新年総力特集 2020年〈原発なき社会〉を求めて

鹿砦社創業50周年記念出版『一九六九年 混沌と狂騒の時代』

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