鹿砦社創業50周年記念出版『一九六九年 混沌と狂騒の時代』

自分が寄稿させていただいた本を解説するのも、最近では「自著を語る」というスタイルで雑誌や研究会に定着している。今回、デジ鹿編集部の要請もあって、いわば「共著」本を書かせていただくことになった。この本の肝心な部分は、それなりに学生運動や党派の歴史を知っている者にしか書けないということで、お鉢が回ってきたものとみえる。

もっとも「自著を語る」というスタイルは、人文系の専門書に特有のものであって、大著を読みこなす評者が限られているために、ふつうに書評を頼めば数ヶ月を要し、肝心の著書が本屋さんから返本されたころに書評が出るという、困った事態を回避するのが目的でもある。この書評がデジ鹿に記載されるころに、本書はまだ本屋の店頭を飾っているだろうか。

◆「7・6事件」とは何か

何を置いても、本書の最大の読みどころは「7・6事件考」(松岡利康)である。1967年10・8羽田闘争を反戦運動の導火線とするなら、68年は全共闘運動の大高揚の年、パリの五月革命をはじめとするスチューデントパワーの爆発。いわゆる68年革命の翌年、69年は挫折の年である。1月に東大安田講堂が陥落し、古田会頭以下の辞任と自己批判を勝ち取った日大闘争も、佐藤栄作総理の「政治介入」によって解決の出口が閉ざされていた。

全共闘運動が崩壊するなかで、70年安保決戦を日本革命の序曲とするために、ブント(共産主義者同盟)は党内闘争に入っていた。国際反戦デーの「闘争目標を新宿で大衆的に叛乱をめざすべきか、それとも日本帝国主義の軍事的中枢である防衛庁攻撃にすべきか」をめぐって、政治局会議で幹部たちが殴り合うという事態(68年秋)もあった。

そして「党の革命」「党の軍隊建設」を掲げ、首相官邸をはじめ首都中枢を3000人の抜刀隊で占拠し、前段階蜂起をもって日本革命の導火線にする。という主張をもった、のちの赤軍派フラクがブントの全都合同会議を襲ったのが、7・6明大和泉校舎事件である。重信房子さん(医療刑務所で服役中)の「私の『一九六九年』」と合わせ読めば、事件の概略はつかめると思う。

 

松岡利康/垣沼真一編著『遙かなる一九七〇年代─京都』

問題なのは、このブント分裂の引きがねとなった事件が尾ひれをつけて語り継がれてきたことだ。その結果、中大1号館4階から脱出するさいに、転落死した望月上史さん(同志社大生)が、中大ブントのリンチで手の指を潰されていた」という伝説になっていたのだ。その件を、ある作家の著書からの引用として『遥かなる一九七〇年代』(垣沼真一/松岡利康)に書いたところ、中大ブントを代表するという神津陽さん(叛旗派互助会)から、事実ではないとの批判が寄せられていたものだ。

検証の結果、中大で赤軍派4名を監禁したのは情況派系の医学連の活動家で、当初は暴力があったもののきわめて穏和的な「軟禁」であったという。証言したのは、わたしも編集・営業にかかわった『聞き書きブント一代記』(世界書院)の石井暎禧さん(現在は幸病院グループの総帥)である。軟禁中の塩見孝也さん(のちに赤軍派議長)らが、ブント幹部の差し向けたタクシーで銀座にハンガーグを食べに行っていた、などという雑誌記事を学生時代に読んだ記憶があるが、医学連OBの配慮だったかと得心がいく。中大ブントとひと言で言っても、数が多いのである。荒岱介さんの系列だったという九州の某ヤクザ系弁護士の中大OBを知っているし、情況派の活動家も少なくはなかった。その意味では「中大ブントがリンチ・監禁をした」というのは、あながち間違いではない。何しろ中大全中闘は5000人の動員を誇り、有名人では北方謙三が「赤ヘルをかぶっていた」とか、田崎史郎が三里塚闘争で逮捕されたとか、じつに裾野が広い。また目撃談として「塩見さんが生爪を剥がされていた」という証言もあるという。元赤軍派の出版物も出るので、今回の松岡さんの「草稿」がさらなる事実の解明で豊富化されることに期待したい。

それにしても、ブントは分裂して赤軍派を生み出し、最後は連合赤軍という同志殺し事件を生起させた。マルクス主義戦線派との分裂過程でも、暴力をともなう党内闘争はあった。その後、四分五裂する過程でも少なからず暴力はあった。けれども、寝込みを襲撃するとか出勤途中の労働者をテロるといった、中核VS革マル、革労協のような内ゲバには手を染めていない。だからこそ7・6事件という、いわば牧歌的な党内闘争の時代の内ゲバ死を問題にできるのであろう。死者が100人をこえる「党派戦争」の反省や総括の試みが、上記の党派からなされることは、おそらく絶対にないだろう。なぜならば「同志」は「死者」となったまま、いまも「闘っている」のだから、生きている人間が「誤りだった」などと言えるはずがないのだ。

 

板坂剛と日大芸術学部OBの会『思い出そう! 一九六八年を!! 山本義隆と秋田明大の今と昔……』

◆板坂剛の独断場

もう一本、本書の記事を推薦するとしたら、板坂剛さんの「激突対談」であろう。小中学校が同期だった中原清さん(仮名)とのドタバタ対談、激論である。前著『思い出そう!一九六八年を!!』の座談会では、真面目にやろうとしたことが仇となってしまったが、今回は相手にもめぐまれて、もう読む端から爆笑を誘うものになった。やり取りを引用しておこう。

板坂 だからおまえなんかにゃ判らねえって言ったんだよ。
中原 だったらこんな対談、無意味じゃねえか?
板坂 無意味じゃねえよ。
中原 俺には無意味としか思えんな。
板坂 それはおまえが無意味な存在だからだよ。
中原 やっぱりちょっと外に出ようじゃないか?
板坂 まだ終わってねえっつうんだよ。

もちろん内容もちゃんとある。ストーンズに三島由紀夫、中村克巳さん虐殺事件、日大芸術学部襲撃事件などなど。けっきょくこの対談を三回読み返したわたしは、いままた読み始めてしまっている。

◎鹿砦社創業50周年記念出版『一九六九年 混沌と狂騒の時代』関連記事
〈1〉鹿砦社創業50周年記念出版『一九六九年 混沌と狂騒の時代』発売を前にして
〈2〉ベトナム戦争で戦死した米兵の死体処理のアルバイトをした……
〈3〉松岡はなぜ「内ゲバ」を無視できないのか
〈4〉現代史に隠された無名の活動家のディープな証言に驚愕した!

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業、雑誌編集者。近著に『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)『男組の時代――番長たちが元気だった季節』(明月堂書店)など。『一九六九年 混沌と狂騒の時代』では「『季節』を愛読したころ」を寄稿。

鹿砦社創業50周年記念出版『一九六九年 混沌と狂騒の時代』

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明後日の11月20日には安倍晋三が総理大臣としての座に留まった期間が2887日(安倍第一次政権と合わせた通算)となり、桂太郎元総理大臣を抜いて、憲政史上最長を塗り替える。本人にとっては慶事かもしれないが、客観的には惨事以外のなにものでもない。本音では「焼け野原」とでも言ってしまいたい。現状の分析をすることにも気が滅入る(こういった冷徹な「絶望」こそが、未来を展望するにあたっては、覚悟を決めて抱き込まなければ仕方ない時代ではないか)。

ああだのこうだの、もっともらしい分析が展開されていても、その大半は、自分を「安全地帯」におき、野球にたとえるとすれば「決して盗塁する意思のないリードを取っている走者」のように感じられる。そのことへの指摘も必要なのではないだろうか。安倍でなくとも条件が整えば、このような独裁的長期政権の召致が必然的であった、この島国における「小選挙区制」の導入に熱心だったのはだれだ? 「政党交付金」なる納税者の意思を蹂躙する、公的賄賂の仕組みを作り上げたのは、支持したのはだれだ?

◆惨状へと続く水源──どの政権の時代に「小選挙区制」が法案化されたのか

これらの原則的発問に蓋をしたままで、現状を分析することは、あらゆる意味において無効である。直視するがよい。「小選挙区制」導入のお先棒を担いだ人物と、現状を嘆いているような「ポーズ」を装う人物に、どれほど重複が多いことか。こういった現象を日本語では「欺瞞」という。「政治家は厚顔無恥でなければつとまらない職業だから免罪される」ということにはなりはしない。その主張は道理から外れている。

どの政権の時代に「小選挙区制」が法案化されたのか。あるいはそこへ導く水路を熱心に掘り返していたのは、どういった勢力や人物で、連中は70年代後半から80年代にどのように動いていたのか。そこを少しばかり掘り起こせば、惨状へと続く水源には、簡単に至ることができる。

そのことを明らかにするほうが、安部の在任期間を嘆くよりも、よほど実のある分析にあろう。もっとも世襲議員である安倍晋三は、総理大臣として以前に、基本的な思考能力や知性において、一般的な企業管理職と比して、けっして優れているとは思われない。むしろ一人きりになれば、自身が発案したり、決定を下し責任を取る覚悟などにおいて著しく劣っているだろうと、わたしは感じている。

同じ組織社会でも企業、なかんずく過剰に株主への利益還元が優先されるようになった、今日の大企業において、管理職は(それが好ましい事態であると、わたしはまったく思わないが)あのように、違法行為ばかりを連続する従業員(大臣)や自身(安倍)を放置していては、「コンプライアンス」の名のもとに、株主総会で早晩首が飛ぶだろう。

◆新自由主義と社会党の解体

新自由主義(この場合の「自由」はもっぱら「独占資本の好き放題」を意味する)の今日にあって、最大化されるべきは国民、市民が享受する利益ではない。企業≠従業員であり、企業≒株主≒内部留保が基礎的な構造である。起業経営者は毎年の株主総会で、みずからの地位を奪われないように、従業員よりも株主への目配りを行き渡らせることが、あすの地位を担保するための最低条件となる。

他方、小選挙区制で「AかBか」の選択肢しかなくなった政界においては、戦前から引き続けれた霞が関と企業連合体への利益供与を保ち続ける「永久与党」以外に競争相手は生まれはしない。いっとき「民主党」が政権を担ったが、当時の民主党実力者を分析してみれば、「永久与党」の血脈にある人物の名前をいくらでも挙げることができる。鳩山由紀夫(父:鳩山一郎の孫、本人:元自民党)、小沢一郎(本人:元自民党幹事長)、羽田孜(本人:元自民党)、岡田克也(本人:元自民党)、渡部恒三(本人:元自民党で大臣経験)…。

政治学を学んだ人のなかには「民主主義の基本は小選挙区制」と、欧州の政治学を、風土も地盤も違うアジアの果ての国にも適用しようとする向きが多かった。ジャーナリストでは田原総一朗、学者では山口二郎などが筆頭にあげられよう。そしてマスコミも当初は静々と、そして80年代中盤から後半に入ると、わがもの顔で「政権交代可能な2大政党制」を支持するようになった。

だが、当時の順番では自民党の次には、社会党が位置していた。社会党の内では自民党と変わらない主張の連中が、年々繁茂してきたが、それでも左派は明確に「反自民」であり、この主張では米国における「民主党、共和党」、英国における「保守党、労働党」の範疇を超えてしまう。

「社会党を解体しないことには、2大政党の実現は不可能だ」

実際になされたこの作業こそが、今日の惨状の原点にあるといっても過言ではないかもしれない。もちろんそれは表層的な政治現象に過ぎないが、少なくとも体面上は「決して単独で政権を取れないが、自民党にはくみしない」勢力が野党最大であった時代には、国会運営でも今日ほどの強行採決は横行しなかったし、テーブルの下での国会対策委員長同士での、醜いやり取りもあったろうが、それでも暴走モードにはいれば、支持基盤の労組が黙っていないとの重層的な利益共同内における緊張関係も一定程度は作用していた。

しかし、社会党では具合が悪かったのであり、その最大支持基盤である総評ですらが、「小選挙区制」には邪魔だったのだ。だから国鉄民営化は、サービス向上や赤字問題にすり替えられがちであるが、国労の解体=総評の解体を狙って、小選挙区制の実現から逆算して、採用された政策変更であったのであり、今日にいたり、振り返ればその計算と目論見が、「永久与党」の青写真通りに進行してきたと解析することが可能だ。

その延長線上には、どんなに凡庸であったとしても、くたびれた権力者は居座れるのが、この島国の心象であり、政治土壌であることを、あの饒舌な政治学者やジャーナリスト、政治家たちは本当にわからなかったのだろうか。浅学のわたしでも容易に予想された惨状が実現し継続している。これだけで総括は充分だろう。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

月刊『紙の爆弾』2019年12月号

鹿砦社創業50周年記念出版『一九六九年 混沌と狂騒の時代』

田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

西成のJR新今宮駅前に建つ「あいりん総合センター」(以下センター)の建て替え問題が進むなか、11月6日早朝、「センター潰すな!」を訴える稲垣浩さん(釜ヶ崎地域合同労組)ら4名が大阪府警に逮捕された。

容疑は「威力業務妨害容疑」、半年前の5月31日、西成区萩之茶屋1丁目の路上に設置された監視カメラのレンズにゴム手袋をかぶせ、6月4日午後まで撮影できない状態にしたからだという。

私たちは、当日「救援会」を立ち上げ、後藤貞人弁護士らと救援活動を始めた。4人のうち3人は高齢であったり、持病などを抱えていることから、健康面なども心配されていた。

◆大阪府と大阪府警西成警察署の2度目の敗北

11月6日に逮捕されるも8日保釈を勝ち取り、9日の集会で発言する釜ケ崎地域合同労組委員長の稲垣さん

11月8日検察は抗告、準抗告を立て続けに行ったが、裁判官はいずれも棄却、4人全員の釈放が勝ちとられた。稲垣さんらの行動は、別の監視カメラで一部始終が撮影されているため、4人に隠したり、隠ぺいする証拠が何一つないためだ。釈放された稲垣さんにお話を聞いた。

「今回の逮捕は、11月9日に予定していた集会『私たちはあきらめない』への事前弾圧でもあるね。しかもこの間、釜ケ崎の私たちの闘いに関心も集まっている。集会では、それを知ってもらうため、3月31日センター開放闘争の記録、4月24日の労働者に対する大阪府警、国、府の暴力的な強制排除と闘った記録を30分ほどにまとめたビデオを上映しようとしていた。そのあとで、住民訴訟の弁護団の武村弁護士に、裁判の経緯も話して貰おうとしていた。3月11日に南海電鉄の高架下にできたセンター仮庁舎で、5月半ばから始まった雨漏りが、今も止まっていないこと、80年以上経った南海電鉄の老朽化が進み、倒壊の危険性もあることなどを話していただく予定でした。国と大阪府、大阪市はセンター建て替えの理由を『センターの耐震性に問題がある』と言っていますが、南海電鉄も危険ではないか、ということです。
 今回の逮捕については、『なんで、こんなことで逮捕されるのか?』と呆れていた裁判官もいたと弁護士に聞きました。監視カメラについては、私は前から批判してきたし、組合事務所の前につけられたカメラを、裁判で訴え、撤去させたこともある。今回はセンターから出された仲間が団結小屋を作ったら、カメラの向きが小屋側に変えられた。私がセンターでの朝の情宣で話しているが、自分の家や部屋に監視カメラが向けられたら,誰でも嫌でしょう?それと同じ。団結権や肖像権の侵害です。だから私はどうしても許せなかった。でも私たちはカメラ壊したり、向きを変えてはいない、手袋をかぶせただけです。すぐにとればいいものを、何日も放っておいて、5ケ月後に逮捕なんてありえません。大阪府警と西成警察署の、3月31日、センター閉鎖の際、労働者や支援者の闘いを甘くみたことによって敗北にしてます。今回は二度目の敗北ですよ」(稲垣さん)。

◆わたしたちに肖像権はないのか?

団結小屋に向けられた監視カメラ

5月31日稲垣氏らが抗議のため、カメラに手袋をかぶせたという監視カメラは、センターの北西側に立っている。もとは、南海電鉄高架下に建設されたセンター仮庁舎の前の道路に向けられていたカメラだ。

ここでも報告してきたが、センターは、建て替えに伴い、3月31日閉鎖予定だったが、センターをつぶすなと訴える釜合労や釜ヶ崎公民権運動のメンバーらの呼びかけで、300人以上の労働者、支援者らが集まり、閉鎖を阻止してきた。翌日から自主管理が始まり、約80名の人たちがセンター内で寝起きしていたが、4月24日、大阪府警の機動隊約200名が労働者を暴力的に排除したが、それ以降も私たちは、センター北西側に団結テントを建て、野宿者の見回り、共同炊事、寄り合い、秋祭りなどを行ってきた。よそからも大勢の人たちが支援に来てくれた。そうしたなかで監視カメラは団結小屋に向きを変えた。

私たちも黙っていたわけではない。4月から6月にかけ、谷町4丁目の大阪労働局(国)を何度も訪れ、申し入れを行い、「肖像権や団結権の侵害だ! 監視カメラの向きを変えろ!」と要求してきた。

新聞報道では放火が続いたためにとあるが、放火どころか、野宿者への襲撃も相次いでいた。放火も襲撃も、センターから放り出され、仕方なく周辺で野宿を始めて以降多発している。こうした背景には「野宿者は汚い。町の恥だ」などという差別的で誤った情報が宣伝されていることがある。行政も、こうした差別的な宣伝には「安全・安心のまちづくりを!」と加担するが、「襲撃をやめよう!野宿者の人権を守ろう」という宣伝はしない。このことの方がよほど問題だ。

しかも監視カメラがあることで、襲撃が減ったわけではない。つい最近もテント近くで野宿する仲間が、襲撃された。行政と西成警察は、監視カメラに抗議した仲間を不当に逮捕するのではなく、野宿者を襲撃、放火などで攻撃する連中をちゃんと取り締まれ。

◆大阪維新の「西成特区構想」まちづくりから排除される人たち

なぜ、今、逮捕なのか? 大阪維新は「西成特区構想」で、センターを潰して出来た広大な更地に、新たな「まちづくり」をやろうとしている。このプログラムに西成警察署が入り、監視カメラが大幅に増設されたうえ、西成警察が主導する「クリーンキャンパーン」に住民を動員し、「きれいなまちづくり」「安全・安心のまちづくり」を訴え、結果として野宿者排除を後押ししてきた。

「まちづくり会議」は現在「あいりん総合センター跡地などの利用検討に向けたワークショップ」を進め、結果を年内に出すという。先日、そのワークショップに呼ばれた稲垣さんが、「あいりん総合センター跡地等に望むむこと、望むもの」と書かれた模造紙に紙を貼ることを拒否し、「センター潰すな」の立場からの意見を欄外に添付したところ、次の会議で意見が意図的に封殺されたことがわかったという。

「まちづくり会議」に集まる人たちは、西成警察の「覚せい剤撲滅!キャンペーン」でヤクザ、暴力団を排除し、「クリーンキャンペーン」で野宿者らを排除し、今度は「センター潰すな」と声をあげる私たちを排除しようとしている。釜ケ崎から労働者や弱者を排除したい大阪維新と共に……。

◆集会「私たちはあきらめない」に80名の参加!

11月9日(土)、西成市民館で開催された「私たちはあきらめない! センターつぶすな!」の集会には、約80名もの人たちが集まった。「シャッター開けろ」運動の報告を稲垣さんらが行ったあと、住民訴訟の弁護団・武村二三夫弁護士が裁判の経過を報告した。前述したセンター仮庁舎の雨漏りが止まらない件について、「みっともない話である」として、南海電鉄の橋脚自体が非常に危険ではないかと指摘された。

逮捕直後から支援いただき、集会には、先日釈放された西山直洋さんがかけつけてくれた

センター建て替えは「耐震性に問題がある」との理由だったが、では南海電鉄はどうなのか? 住民への説明会で大阪市は、「南海電鉄が大丈夫と言っているから(大丈夫)」と説明したが、南海電鉄と大阪府、大阪市のやりとりのなかで、南海電鉄側が「強度は全く保障しない。それでもいいのであるならば使ってください」と言っていることが、情報公開で明らかになった。

阪神淡路大震災の際、鉄筋コンクリートが倒壊することがわかったが、その後、各地で橋脚などを補強工事が進められた。実は南海電鉄も今、橋脚の強度を強めるため、柱に鉄板をまく工事を行っている。場所は、センター仮庁舎から北側の難波寄りと、南側の萩之茶屋駅近くなどだ。

この補強工事は、センターとあいりん職安の仮庁舎だけ行われていない。ここだけ強度が高いとは考えられないが……。住民訴訟は当初、仮庁舎の建設費用(公金)が高すぎることを問題にしていたが、それだけではなく、仮庁舎自体がぜい弱で危険であることがわかってきた。住民訴訟に、多くの皆さんのご注目を頂きたい。これは、大阪都構想を狙う大阪維新の野望を、末端で突き崩す闘いでもあるからだ。
 
次回裁判は11月20日(水)午後2時~。大阪地裁1007号法廷で。

▼尾崎美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。最新刊の『NO NUKES voice』21号では「住民や労働者に被ばくを強いる『復興五輪』被害の実態」を寄稿

月刊『紙の爆弾』2019年12月号!

〈原発なき社会〉を求める『NO NUKES voice』21号 創刊5周年記念特集 死者たちの福島第一原発事故訴訟

11月10日、同志社学友会倶楽部主催の、書家・龍一郎(本名:井上龍一郎)さんの講演会『教育のあり方を問いかけた ゲルニカ事件から30年の想い』が開催された。

会場となった同志社大学良心館の教室には約100名の聴衆が集まった。龍一郎さんが学生だった頃、この建物はまだなかった。

 

教壇の黒板には、児童が作成した「ゲルニカ」を美術の先生が縮小模写した「ゲルニカ」が飾られた。縮小版でもかなりの迫力があるが本物は縦が2.8m横が5m以上あるのだから、もし完成したての「ゲルニカ」が長尾小学校の舞台に飾られていたら、事件にはならなくとも、児童にとっては一生忘れられない卒業式になっていたことだろう。

しかし、そんな素敵な日は訪れなかった。――

龍一郎さんは長尾小学校赴任後、6年3組の担任を任されるが、そのクラスは荒れていて、登校時間に誰一人教室にやっては来ない。唯一児童の興味は校庭でサッカーをすることだけだった。ランドセルも教科書も鉛筆も持ってこない児童たちに向かい合った龍一郎先生は、「よかばい、それならサッカーをやろう」と、朝7時に出勤し、一日中児童とサッカーに明け暮れた。4月から5月になると、気温が上がる。これが幸いした。児童たちは元気でも、さすがに暑い中一日サッカーをしているほど体力はない。2時間目が終わったころに児童が疲れだし「ちょっと教室へ戻ろうか」となった折を見て、龍一郎先生はようやく授業を始めるきっかけを得る。「人間なんでも『義理人情』なんですよ」と笑いながら児童の授業参加の理由を龍一郎さんは、冗談のように紹介する。「あれだけサッカーやらしてもうとるんやから、ちょっとは授業ば、聞いてや」と児童はサッカーを好きなだけやらせてくれた龍一郎先生に「義理」を感じて授業を受けるようになったわけだ。

こう言ってしまうと、とても簡単で単純なようだが、小学校の先生が毎日、朝から午後まで1カ月以上児童にサッカーをやらせる(一緒にやる)のは、そうたやすいことではない。今日であればまず、管理職から制止されるだろうし、そもそも「サッカーをやりたそうだから、とことんやらせよう」と発想する先生は、ほとんどいないだろう。

龍一郎先生は荒れて授業にならなかった6年3組の児童の心を、まずは「サッカーをやりたいだけやらせる」ことで和ませてゆき、学習への興味を喚起していった。

 

◆「ゲルニカ事件」を経て、裁判闘争に立ち上がる

おそらく、龍一郎さんは、こういうことが簡単に発想できる、稀有な人間性の持ち主なのだ、とわたしは確信している。講演の中では「ゲルニカ問題」を取り上げた「筑紫哲也のNEWS23」の映像が流された。この映像に出てくる龍一郎さんの容姿の「好青年」ぶりについては本通信で以前にも言及したが、どう見ても20代後半か30代前半にしか見えない。ところが、休憩時間に「あれはいくつの時撮影されたものでしたか」と伺ったら、「たぶん42,3の頃やね」といわれ、また仰天した。龍一郎さんは「ああいうときは、うぶに振る舞うんよ。きょろきょろしたり、臆病そうな顔したりしてね」と画像に出てくる自身を、しっかり演出していたことを告白してくれた。たしかにそう言われてみれば、外見もそうだが振る舞いによって「若い」と感じさせられていることにあとで気がついた。

講演の開始時に、少々お酒を召し上がったと思われる、龍一郎さんと同じ神学部の伝説的な先輩が、何度か大きな声を発せられた。「大丈夫かな」とやや心配したが、龍一郎さんはその先輩に視線を送ることもなく、全く意に介さず話を続けた。そのうちに大声を出していた先輩もまったく発語しなくなった。

龍一郎さんは、日頃多弁ではない。どちらかと言えば、にこにこしながら、ひとの話を聞いている姿が頭に浮かぶ。ところがいったん話を始めると、絶妙なタイミングで冗談をはさみ、無駄な話に逸れることもなく、流れるように話が進んでゆく。聞いている者で退屈したり、眠くなった人は誰一人いなかっただろう。

語りがうまい、というだけではない。龍一郎さんの立ち振る舞い、特に「目」が聞く人の心を強く摑む。きっと長尾小学校6年3組の児童たちも、龍一郎先生の「目」にやられたに違いない。こんなに澄んだ目をした人、そして怒りを語るときには、温かみの中に「凄み」を滾らせる「目」を持った人を、わたしは他に知らない。

そして、児童に指導するばかりでなく、むしろ自発性を発揮させる能力は、いくら経験を積んでも、できない教師には真似できるものではない。学年全体の児童が、映画のスクリーン大の「ゲルニカ」を学年の旗として描く。「子供には無限の可能性がある」といわれるが、その可能性を引き出し、現実化させるには、良き環境や大人との出会いがなければ、容易なことではない。

小学校の先生として、龍一郎さんは超一流であったことは、児童の心を摑む人間性だけではなく、教育委員会から新任数年で「教師を指導する」機関に引き抜かれた事実が物語る。将来を約束される「超エリートコース」に抜擢されていたのだ。そして龍一郎さんは、同志社大学神学部の出身だが、実は数学を最も得意としており「教師を指導する」機関在籍時の担当も算数だったそうだ。

その元エリート先生が、「ゲルニカ事件」を経て、裁判闘争に立ち上がる。教育委員会から呼び出しを受けて、処分の言い渡しに出向いた際、文書」を手渡されたときに、片手で受け取ろうとしたら「両手で受け取れ!」と言われ、怒った龍一郎先生は処分を記した紙を片手で奪い取り、処分理由に児童の行為が記されていることを知り「処分理由を書き直せ!」と担当者に迫った。担当者は事務的な内容を三度繰り返したそうだが、こういう時の龍一郎さんが、どんな目をして、怒気を隠さなかったかは、見ていないわたしにも想像できる。

 

◆書家・龍一郎さんが披露した揮毫の実践

そして、一言でいえば「これほど優しい」人はそうそういない。講演後揮毫の実践を龍一郎さんは披露した。「良心」、「絆 望むことは あなたと生きることだ」の二枚を書いたのち、参加者の希望のリクエストに応えて「寒梅」、「いのち」、「繋ぐ」を書き上げた。最後に小学校の現役の先生が「言葉は思い浮かんでいないんですけど、先週権力側に潰されそうになって気持ちがへこんでいます」との言葉に、龍一郎さんは「逆らわないほうがいいですよ」と冗談で返し「子どもたちのための教育を作りたいと思っているんですけど、きょうの先生のお話を伺って、是非、『喝』というか『励まし』の言葉を頂けたら」とのリクエストに「流されて」とか「穏やかに」とか「静かに」とかと、またしても冗談を飛ばした挙句龍一郎さんが揮毫したのは、「今日だけがんばれ」であった。

2分おきに笑いを誘う、なごやかな雰囲気の中で、龍一郎さんは「ゲルニカ事件」を語った。裁判中は、毎週水曜日弁護団会議を夕方6時から早くても12時までこなし、全国400か所以上で講演を行い、裁判資金を捻出していたという。心身とも限界に近い状態だったのではないかと想像される。現在の松岡同様、重度の糖尿病になったそうだ。そこまでして龍一郎さんが闘ったのは、自分の名誉や権利のためではなく、「児童」が罰せられたことへの教育者としての憤りであったに違いない。

濃密に「ゲルニカ事件」を語り、揮毫の実践では顔中に汗をかき、参加者を何度も爆笑させた龍一郎さんのお話は、参加者の心を強く揺さぶったことだろう。

 

◆「言わんでいいこと言うてしもうたね。誰にも言わんとってね」

わたしたちにとってこの日は特別な日となったが、実は龍一郎さんにとっても、忘れられない日となったであろう。開場前、荷物を持って同志社大学の校門を入ってくる龍一郎さんと偶然出くわした。挨拶をかわし「お体はお元気ですか」と伺うと「うん。まあまあやけど。今朝ねお袋が亡くなったんよ。5時ごろ電話かかってきて」――わたしは言葉を失ってしまった。その後短い会話のあと「言わんでいいこと言うてしもうたね。誰にも言わんとってね」と仰った。

にもかかわらず、何事もなかったかのように龍一郎さんは、講演、揮毫など、この日の仕事を終えた。プロである!
この原稿が掲載される12日は龍一郎さんご母堂のご葬儀の日でもある。

講演も揮毫もご母堂ご逝去の日にこなしていただいた龍一郎さんに再度感謝申し上げます。

なお、この日、3・11以降、龍一郎さんが揮毫し毎年発行されている鹿砦社カレンダー2020年版が出来上がり、参加者全員に配布された。

◎[参考動画]講演当日、龍一郎さんが披露した揮毫「良心」(堤泰彦さん撮影)

◎[参考動画]講演当日、龍一郎さんが披露した揮毫「絆」(堤泰彦さん撮影)

[関連記事]
◎書家・龍一郎さんが長年の沈黙を破り、11月10日同志社大で語る「教育のあり方を問いかけたゲルニカ事件から30年の想い」(2019年10月15日)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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最新刊『一九六九年 混沌と狂騒の時代』、2年前に刊行の『遙かなる一九七〇年代─京都』(松岡利康/垣沼真一編著)の題字も揮毫してくれた

「いい人だけ付き合ってるだけじゃあ選挙落ちちゃうんですよね」たびたび引用させていただいているが、2016年1月に安倍政権の社会保障・税一体改革担当大臣を辞任したさいの、甘利明の辞任会見での発言である。

甘利はURへの口利きのあっせん利得として、事務所(秘書)が建設会社から1200万円を受け取っていた責任をとって辞任した。この「いい人だけ」の裏側に「悪い人と付き合う」が含意され、そこにはパーティー券の購入や資金援助、ブラックな人脈との付き合いが政治家の本質だと暗喩されているのは言うまでもない。

田中和徳復興大臣

◆安倍政権閣僚と暴力団

この「悪い人との付き合い」が政治家の必要条件であることを、今回の安倍改造内閣でも田中和徳復興大臣(70歳)の例が証明している。本欄でも既報だが、再録しておこう。

「(田中和徳復興大臣の)平成18年に開催した政治資金パーティーで、指定暴力団稲川会系組長が取締役を務める企業にパーティー券を販売し、40万円を受領していたことが21日、産経新聞の調べで分かった。パー券販売は財務副大臣在任中で、暴力団側から政治家側への直接の資金提供が判明するのは極めて異例。暴力団排除条例が全国の自治体で制定されるなど『暴排』の動きが加速する中、国会議員と暴力団側の関係が発覚した。政治資金収支報告書や関係者によると、パー券を購入していたのは東京都品川区に本社を構える企業。設立は昭和62年で、法人登記では『日用品雑貨の販売』『金銭貸付業』などとなっている。捜査関係者によると、同社は暴力団のフロント企業として認定されているという。稲川会系組長は、設立当初は代表取締役を務めていたが、平成4年からは取締役に就任。同社が長年にわたって暴力団の影響下にあり、資金源となっていたことがうかがえる」(「産経新聞」2011年10月22日ウェブ配信)。

武田良太国家公安委員会委員長

田中復興大臣だけではない。暴力団を指定し、取り締まる国家公安委員会のトップに就任したのが、暴力団との交際を報じられている武田良太(51歳)である。これも既報だが、再録しておこう。

「2010年11月に公表された、武田氏の政治資金管理団体「武田良太政経研究会」の収支報告書によると、09年4月に開かれた政治資金パーティー代として、東京都のA社が50万円を献金している。また、11年11月公表の収支報告書では、A社の実質的な代表であるI氏が10年4月の政治資金パーティー代として70万円を支払っている。実は、このI氏、警察当局が指定暴力団山口組系の組員ではないかと当局からマークされ、裁判で素性が明かされた人物だった」(「週刊朝日」2019.9.13ウェブ配信)

もうひとり、竹本直一科学技術担当大臣(78歳)である。ひとつの内閣に3人も暴力団の密接交際者がいるようでは、自民党政治家の本質が「暴力団準構成員」であると指摘されても不思議ではないだろう。

山口組幹部だった男性と竹本直一氏(2018年8月撮影)

「閣僚名簿で『グレーな交友』を疑われたのが、科学技術担当相に起用された衆院当選8回の竹本直一氏(78)。SNSに、18年8月、花火を見物している竹本氏と記念写真に一緒に写っている角刈りの男性の姿がある。指定暴力団山口組系組幹部だったⅩ氏である。同年3月に、竹本氏の後援会が開催した新年賀詞交歓会のパーティーで、X氏と岸田氏が親しそうに写真に納まっている写真が、写真週刊誌『フライデー』にも掲載された。

「Ⅹ氏は長く幹部である組の顧問を最近までやっていたようだ。昔から、資金力豊富だと有名だった。『岸田氏や竹本氏との写真は、箔(はく)をつけるために撮ったのでしょうね』(捜査関係者)そして、宏池会所属のある議員はこう話す。
『(フライデーに写真が出た時から)竹本氏は相手が暴力団関係者であることがわかっていたはず。岸田会長も、あの報道には激怒していましたよ。なぜ、竹本氏はSNSの写真を削除させなかったのか? こんなわきの甘さでは、大臣が長く務まるとは思えないですね』」(「週刊朝日」2019.9.13)

たまたま暴力団関係者と知り合ったり、政治献金を受けていたわけではない。政治家という職業が誰とでも会合して握手し、選挙で政治家生命を鬻(ひさ)ぐおんであれば、密接交際をする本性を持っているからだ。安倍総理自身が「ケチって火炎瓶」事件(工藤會系の業者に選挙妨害を依頼するも、返礼金を渋って自宅と事務所に火炎瓶を投げられる)を生起させたのも、選挙という「再就職」システムがあるかぎり、何度もくり返されることであろう。

◆かつて政治家はヤクザと同義だった

戦前にさかのぼれば、ヤクザが政治家になるのは普通だった。憲政会の吉田磯吉は火野葦平の『花と竜』に登場する磯吉大親分であり、そのライバルで下関籠寅組の大親分が、立憲政友会の保良浅之助である。もっとも、吉田磯吉の生業は港湾忍足の元締めであり、保良浅之助の籠寅組は土木建築業と芸能興行であった。

吉田磯吉の門下に富永亀吉という親分があり、その系列の中から大嶋秀吉が頭の港湾労働者の元締めとなった。その大嶋組の傘下に、山口春吉の山口組が結成されたのである。のちの広域暴力団山口組の誕生である。

三代目山口組として、中興の祖となった田岡一雄親分の昭和20年代、山口組はまだ30人ぐらいの組織だったという(『狼侠』笠岡和雄、サイゾー刊)。神戸の本多仁介(本多会)と関東の藤田卯一郎(松葉会)の兄弟盃のとき、政財界からの列席者のなかに自民党党人派の総領・大野伴睦の姿があったという。その大野伴睦と自由党で行動をともにした中井一夫は、戦前からの代議士で神戸市長、弁護士でもあった。

中井がマスコミの注目を浴びるのは、四代目山口組と一和会の五年にわたる史上最大の抗争中、神戸ユニバーシアードのさいに「休戦協定」を結ばせた時のことだ。ヤクザと政権中枢が限りなく接近・一体化したのは、竹下登の皇民党による「褒め殺し」事件の時だった。稲川会二代目の石井進が京都の会津小鉄の三神忠を通じて皇民党総裁稲本虎翁総裁と会合し、竹下が田中角栄に謝罪することで話をつけたのである。

その機縁から週に一度、金丸信自民党副総裁と竹下登総理、石井進の三人の会合が持たれ、自民党内では「裏閣議」と呼ばれたものだ。会合の警護役は、若き小沢一郎だったという(『巨影』石井悠子、サイゾー刊)。皇民党事件のときに奔走して調停を計れなかった浜田幸一は、稲川初代(稲川聖城)時代の石井進の弟分である。

◆町内会や自治会を基礎とする自民党政治は、「反社会勢力」と手を切れない

自民党の政治家で、ヤクザと無関係に選挙をコンプリートできている者は、ほとんど皆無だろうとわたしは思う。なぜならば自民党政治の基礎単位が町内会や自治会(町内会と同義)に、地方議員が根を持っているからだ。町内会はそのまま神輿会や神社の崇敬会に重なり、そこには地域社会に根を下ろしたヤクザが介在しているからだ。ヤクザがそこに潜り込んでいるのではない。地域をとりまとめる人物は、本人がヤクザであるかヤクザと親交を結んでいるからだ。それを無理やり「反社会勢力」と手を切れと言ってみても、地域の共同体を破壊することにほかならないのだ。いや、すでに地域社会は拡散し、共同体は崩壊しつつあるのかもしれない。ヤクザ組織の末端が半グレ化し、統制の効かない犯罪組織化しつつある。


◎[参考動画]参院選:弾ける「バンザイ」集:与党編(テレ東NEWS 2019/07/21公開)

[関連記事]
◎「反社会勢力」という虚構〈1〉警察がヤクザを潰滅できない本当の理由(2019年10月9日)
◎「反社会勢力」という虚構〈2〉ヤクザは正業を持っている(2019年11月4日)
◎続々湧き出す第4次改造安倍政権の新閣僚スキャンダル 政治家と暴力団の切っても切れない関係(2019年9月21日)
◎高齢・無能・暴力団だけではない 改造内閣の「不倫閣僚」たち(2019年9月24日)
◎安倍官邸親衛隊の最右翼、木原稔議員が総理補佐官に就任した政治的意味(2019年9月25日)

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業、雑誌編集者。近著に『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)『男組の時代――番長たちが元気だった季節』(明月堂書店)など。

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◆落ち着いた歴史の町・京都の消失

「秋の観光シーズンのバス混雑を抑えようと、京都市交通局は11月2日~12月1日の土日祝日、『秋のおもてなしキャンペーン』を行う。キャンペーンに先立って京都市交通局がバス運転手に実施した初めてのアンケートでは、激しい車内混雑の課題が改めて浮き彫りになった。……」(2019年11月2日付け京都新聞)


◎[参考動画]【TVCM】2019年 初夏「苔と新緑編」 そうだ 京都、行こう。

京都を訪れる観光客の数が年々増加している。上記記事にもある通り、雰囲気として宣伝で紹介される「落ち着いた歴史の町」の姿が京都にはもうない。春の桜、秋の紅葉と祇園祭のときには昔から人が溢れ、街中には出かけるのを控えていたものだが、最近では1年を通じて国内外からの観光客で、京都駅のバス乗り場には平日でも長蛇の列ができている。

観光客相手のお土産屋さんや宿泊施設は儲かっているのだろうが、観光に関係なく、居住地として京都市内中心部に住んでいるかたがたは、毎日のように繰り広げられる狭い道路の人並に、迷惑をしているのではないだろうか。東京や大阪に出かけると人の多さに「人酔い」してしまうことがあったし、いまもある。京都に限っては街中に出かけても、そうそう無茶な混雑にでくわすことがなく、狭い盆地に都市の機能が集中しているので、地価が高いことを除けば住みやすい街だとの印象があったが、もうその感覚も過去のものだ。

京都市が愚かにも四条通の歩道を広げ、交通量の最も多い道路を実質一車線にしてしまったので、公共交通機関である市バスやタクシーは勿論のこと、一般車両は四条河原町から、四条烏丸を通行することに膨大な時間を費やさなければならないことになってしまった。


◎[参考動画]【TVCM】2019年 盛秋「秋は夕暮れ編」 そうだ 京都、行こう。

◆「隠れた名所」の消失

そして、かつては「隠れた名所」であった、お寺や庭園なども「どこか新しいスポットはないか」とのテレビや雑誌の特集で、京都盆地京都駅以北の隅々にまで行き渡る「隠れた名所」探しの多数の視線により、もう「隠れている」ことが可能な場所は、ほとんどなくなってしまった。そして残念なことは、「隠れた名所探し」で全国に名の知れた、もとはしっとりとしていたお寺や、庭園が「待ってました」とばかりに、金儲けに露骨に変わってっ行く姿だ。

お寺に入るのに「拝観料」を払わなければならないのは、京都の有名寺院では常識化しているが、宗教の本質を考えると、いかにもおかしなシステムだ。金閣寺も銀閣寺も清水寺もいずれも仏教寺院なのに、どうして金を払わないと入ることができないのだろうか。

京都に行けば「観光地」だからお寺に入るのに「拝観料」を払うのは、当たり前と観光客の皆さんは、文句ひとつ言わずにお金を払って、敷地に入る。敷地に入るとさらに「お土産」や「おみくじ」といった趣向で、お金を落とすシステムが準備されている。しかも内部は猛烈な混乱状態で、ゆっくり立ち止まると、日本語か英語かウルドゥー語かわからないけども、後ろから「早く先に行け」と急き立てられる。

混雑はさほどでもないが、その「商売熱心さ」に辟易したのは、大原の三千院だった。「きょうとーおおはら、さんぜんいん」の歌のおかげで、全国区で有名になった三千院は、寺のたたずまいは残してはいるものの、10mもいかない距離に賽銭箱や、土産物売り場が連続して林立していて「商売丸出し」の恥ずかしい姿に落ちぶれている。一度訪れたら二度と行きたくない典型的な「商業寺院」だったが、そのあとをおって、清水寺も破廉恥さを増し、京都盆地の観光地が総体として浮足立った様相を呈している。

◆過度な観光地化が居住者の生活を圧迫

碁盤の目状に縦横で分かりやすく通りが敷かれた、中心部の小さいスペースにも、次々と新しいホテルが開業している。自家用車1台がようやく通ることのできるような狭い通りにも、相当の投資が行われている。まあ、わたしは京都市民でもないし、京都がどう変わろうがとやかくいう筋合いはないが、どう考えてもこれは「過剰な事態」としか考えられない。そして理由はあえて伏すが、このような怒涛の観光客押し寄せが、京都で長く続くとは思えない。

工業や製造業と異なり、観光業はその町の特性を活かせば、初期投資は少なく、維持費もそこそこで、公害を出さない比較的「環境にやさしい」商法とも言われてきた。しかし、過度の観光地化はその前提を覆してしまうことを、京都は示しているのではないだろうか。過日首里城が全焼してしまった沖縄本島にも同様な現象を認めることができる。

過度な観光地化は、観光に関わる生業を潤すが、そこに生活する人々から、落ち着いた日常を奪う。地価が上昇すれば固定資産税もつられて上がってしまう。観光地として何百年もの歴史を持つ欧州の諸都市は、観光客が足を踏み入れるエリアと、地元居住者のエリアを徐々に峻別してきた。そうしなければ、観光と無縁な居住者の生活が不便極まりないものになってしまうことを、知ったからだ。

残念ながら、京都にはまだその経験がない。そしてすでに交通や宿泊など、あらゆる面で「オーバーフロー」している観光客数に満足せず、京都市はさらなる観光客誘致にも予算を割いている。

本当にゆっくりとした時間や空気をお感じになりたいのであれば、京都ではなく、観光宣伝で名前も聞いたことのないような場所を訪れることをお勧めする。この忠告は、わたしなりの「京都への親愛の情」を示したものでもある。


◎[参考動画]JR東海 そうだ 京都、行こう。 1993~2018

▼田所敏夫(たどころ としお)
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IOCの決定により、来年予定されている東京五輪のマラソン・競歩が札幌に競技場を移されることが決定し、競技の日程もマラソン男女が同日の実施と変更になるなど、大混乱をきたしている。


◎[参考動画]【報ステ】札幌で決定 小池知事「合意なき決定」(ANNnewsCH 2019/11/01)

◆オリンピックは本当に「神聖なもの」ですか?

本通信で何度も強調してきたように、わたしは東京五輪開催に再度強く反対の意思を表明する。IOC(国際オリンピック委員会)は決して身ぎれいで、崇高な意思を持った団体ではない。今日オリンピックは完全に「商業イベント化」されていて、その大元締めがIOCだと考えていただいて間違いない。

開催国の決定から、スポンサーによる巨額収入の使途まで、IOCには明かされない部分があることは、多くのひとびとが指摘してきたとおりであり、しかしながらその「暗部」が表面化しないのは、「オリンピックは神聖なもの」である、との幻想と、世界の主要メディアをスポンサーとしてIOCが抑えている構造。主要メディアもニュースソースとして、IOCやオリンピックの情報はぜひ欲しい、という情報提供主と情報産業の「持ちつもたれる」の関係性が災いしている。


◎[参考動画]猪瀬直樹東京都知事のプレゼンテーション IOC総会(ANNnewsCH 2013/09/08)

◆札幌に一部競技を移したら、もうそれは「東京五輪」とは呼べはしない

だいたい、2020年の夏季五輪は開催地として、東京が選ばれたはずであるのに、かつて冬季五輪を開催した札幌に一部競技をうつしたら、もうそれは「東京五輪」とは呼べはしない。海外の人にしてみれば、「同じ日本の中だから、トウキョウもキョウトもフジヤマもサッポロもどうせ小さな島の中にあるんだろう」と思われているのかもしれないが、当事者のわれわれは東京と札幌が距離的、文化的、意識的にどれほど距離のあるかは実感できている。

しかも、IOCはマラソン・競歩の札幌実施について、事前に東京都へはなんの相談・連絡もしていなかった。知事小池百合子が「暑いところが問題であれば北方領土でやれば」などと頓珍漢で軽薄なコメントを口にするようだからか、あるいは東京ともIOCも同様に「腹黒い魂胆」の隠し合いをしているためか知らないが、開催地としてはこれほど馬鹿にされた対応はない、と感じるのは無理もないであろう。


◎[参考動画]滝川クリステルさんのプレゼンテーション IOC総会(ANNnewsCH 2013/09/08)


◎[参考動画]安倍晋三総理大臣のプレゼンテーション IOC総会(ANNnewsCH 2013/09/08)

◆度重なる災害で増加する通常の生活を送ることができない人たち

しかし、そもそも直近の千葉県を中心に膨大な被害をだした台風や大雨による惨状が示す通り、記憶されている範囲だけでも、広島、佐賀などでの水害被害、大阪、熊本、北海道、そして東日本大震災での地震津波被害など、自然災害と人災により、通常の生活を送ることができないひとびとが残念ではあるが年々増加するばかりだ。

それら災害の一つ一つが、数年間の間をおいて発生すれば、全国の注目を浴び、復旧へのまなざしももっと強く注がれ、政府の対策への注文もより強いものになろうが、このように甚大な自然災害が毎年のように発生していると、日々の情報消費速度が一貫して加速する社会にあっては、各被災地や被災者への記憶は、当事者ではないひとびとの日常からは薄れてゆかざるをえない。

大阪で震度7を初めて経験した茨木市や吹田市の古い住宅の屋根には、その数はだいぶ減ったものの、いまだにブルーシートの姿が見える。同じ関西に居住しているが、関西圏でも大阪での大地震(揺れの時間が短かったので東日本大震災のように甚大な被害ではなかったが、死者も出すほどの大きな揺れだった)に対する記憶は、ほとんど語られることがない。


◎[参考動画]東京2020/国際オリンピック委員会の記者会見(Olympic 2013/09/08)

◆日本はもはや経済大国ではない

そして、あまり口にする人はいないが、かつては「経済大国」であったこの島国、日本がもう世界的に経済大国としての地位を、失いかけていることに、日本居住者は鈍感であるがゆえに、バブル経済破綻まで崩れなかった「土地(地価)神話」のように、去りゆく「日本経済大国」幻想から、覚醒することができていないのだろう。

わたしが、指摘するまでもなく日本は20年以上デフレが続いていて、OECDのなかでこの20年間成長率は最下位だ。20年間最下位がつづくと、どういう現象が起きるか。たとえば為替レートが20年前と同じOECD加盟国に出かけたら、日本はデフレで物価が上がっていない(給与所得も上がっていない)が、その他のOECD加盟国は年率で2-4%の成長を続けてるので、20年前に日本より安価だと感じていた外食の価格が逆転し、さほど贅沢でもなさそうな外食に1000円~2000円払わなければならないという現象が起きている(豪州などでこの「逆転現象」は顕著である)。

豪州では30年ほど前に、シドニーを除くメルボルンやブリスベンなど都市近郊の約200坪プール付きの住宅が1500万円ほどで購入できたが、都市周辺部の地価はここ20年で約4倍(6倍の地域もある)に上昇しているという。かつては日本で建売住宅を買うよりも安く買えた、広々としたプール付きの住宅が、いまでは日本の給与所得者には手の届かない値段になっている。

全国各地に100円ショップが展開し、非正規雇用が4割を超える。この現象の進行を日本にいて日々生活をしていると「こんなものか」としか感じられないかもしれないが、確実に日本の経済力は低下していて、国家財政は破綻が目の前だ(山本太郎氏率いる新政党は「MMT理論」で国債発行は問題ない、としているが、私は「MMT理論」には懐疑的である。国債発行で国家財政が賄えるのであれば、苦労して行政は税金を集める必要がなくなるのではないか)。

あなたのお給料や年金は、ちゃんと毎年上がっていますか? 下がってはいませんか? 高度成長期を経験した、あるいはバブル期を経験した世代の方であれば、その後の急激な不景気がご記憶にあるだろう。今後日本は長期間にわたり、あのような不況がつづく。大企業に利益が集中し内部留保ばかりが増え、中小企業や低所得層が消費税で締め上げられる構造が維持される限り、間違いない。

ようするに、もうに日本は過去の日本のように「金持ち」ではないのだ。そして1964年に東京五輪を開催した時代のように、この先高度成長はやってくることはない。2020年東京五輪を開催すれば、巨額の請求書をのちに押し付けられ、それを支払うのは東京都民であり、日本国に納税する私たちであると、再認識しよう。五輪後の「不正経理」問題は長野五輪で経験済みだ。

「企業の祭典」、「灼熱地獄の忍耐競争」、「ボランティアという名のタダ働き」、「綺麗ごとを並べる権力者の利権争い」……。薬物禁止のポスターではないが、「百害あって一利なしの東京五輪はやめましょう」


◎[参考動画]2020年夏季五輪開催都市 東京に決定(ANNnewsCH 2013/09/08)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

また下品な表現を使わせていただくが「ほらみたことか!」である。萩生田光一文科相が11月1日、2020年度から実施すると計画していたセンター試験英語における民間試験の導入を5年先延ばしすると発表した。センター試験に民間試験を取り入れることには、高校側からの反発意見が根強く、文科省は、それに対してこれまで傲慢な態度をくずしていなかったが、既に試験のID発行を始める最悪のタイミングで延長を発表した。

◆文科省「朝令暮改」の無責任──受験生はたまったものではない

こんなことをされては、準備をしていた受験生はたまったものではない。文科省伝家の宝刀「朝令暮改」の本領発揮である。受験生の立場や大学の都合など、一切お構いなしに、どんどん劣化が進む文教行政の本質が、見事に炸裂した事件といえよう。このような「ドタキャン」ならぬ「ドタエン(延期)」を、行政側ではなく、一般市民が行えば必ずや強権的にペナルティーを課したり、脅しをかけてくる文科省。自らの失態のもたらした受験生、高校、大学への不利益をどう始末するつもりであろうか。

始末などできはなしない。文教行政や学校運営に関わる人が、冒しがちな大いなる勘違いがある。それは方針や政策を一連の流れの中で位置づけようとする意思だ。文科省であれば、「社会の要請や時代の変化」だの、大学は「新しい取り組み」といった理由をつけて、受験生や学生にとって例外を除けば、人生に一度しか経験しない受験や、大学のカリキュラム、学部、学科構成などを文科省を主体、あるいは大学を主体に考えて構築してしまう考えかたである。

◆文科省に隷属する学校・教師の無責任

これは、今回の醜聞に限らず、教育関係者とりわけ私立学校の運営や、個々の教師の児童・生徒・学生への向き合い方にも表出することがある。わたし自身が通った「授業料を払う刑務所」こと愛知県立高蔵寺高校に勤務し、のちに校長まで上り詰めた暴力教師、市来宏はわたしに対して「先生(自分のことを先生と呼ぶな!)も若い時は組合で赤旗を振っていたことがある。でもいまはこれが正しいと思ってやっている」とわたしに暴力を振るう際に開き直ったことがあった。市来が若いころも「いま」(過去である)も、本当の「いま」も生徒への暴力は一貫して犯罪行為であり、教師個人の考えが「法律」を超えることなど許されないことは自明である。

これなのだ。教師にとって新任採用されてから、定年を迎えるまで。経験を重ね教師として(あるいは人間として)成長してゆくことは理解できるが、そのときの私的思想や感情で態度を変えてもらっては、児童・生徒・学生にとっては迷惑以外の何物でもない。学ぶ側は個々の教師の人間性を目指してではなく、義務教育であれば学校へ必然的に、高校以降は「その学校の教育(あるいは課外活動)内容」に的を絞って志望校をきめるのであり、教師・教員の都合で教育態度や内容が変化されたのでは約束違反もいいところだ。

この文科省を筆頭とする教育機関、教師・教員個々が冒しやすい「機関や個人史の中に児童・生徒・学生との向かい合い方をおく」考え方の過ちは案外わかりにくい形でも頻発する。私立大学にとっては少子高齢化で受験生・在学生の確保が厳しい時代だ。

そこで定員割れを起こしている大学の中には、従来の学部や学科を改組することで展望を開こうとするケースが昔から多数見られる。教育内容が充実し学生にとっての魅力が増すのであれば構わない。だが「抱えている教員の顔ぶれで、ちょと目先の変わったことができないか」という実は貧弱な理由で改組が行われることは珍しくない。その際、在学生や卒業生が自分が在籍している、あるいは在籍していた学部なり学科が「なくなる」ことをどう感じるか、といった視点に重きは置かれない。

「わたしはX大学のY学部Z学科卒後です」

と自己紹介しようにも、Z学科がなくなっていたら、卒後生はどう感じるか。あるいはY学部が消滅していたら。そしてX大学自体が閉校してしまっていたら。たとえば、就職試験の際の面接などで卒業生がどう感じるか。それくらいはどなたでも想像が可能だろう。もちろん長期的な視点に立った、学部や学科の改組を否定するものではない。新しい学問領域の誕生は必然的に学びの場の要請を伴うのであるから。しかし、1つの学科や学部を改組を5年ほどで繰り返す癖のある大学もある。文科省同様の「朝令暮改癖」と言わざるを得ないだろう。

このような姿勢に欠如しているのは、学ぶ主体である児童・生徒・学生を中心に据えた考え方である。そして残念ながら文科省を筆頭に、今日そのような考え方はかなり広く伝播しており、教育現場諸問題の根源を成す課題となっているのではないかとわたしは考える。

◆福岡の小学生たちが作り上げた学年の旗「ゲルニカ」の奇跡

凄い2ショット! 男2人、宇崎竜童さんと龍一郎さん(「琉球の風」控室にて。なお「琉球の風」の題字も龍一郎さんが揮毫)

そんな問題を考えるときに、「この人しか話せない」経験を有する絶好の人物が10日同志社大学で講演をする。本通信をはじめ鹿砦社のロゴや出版物の表紙やカレンダーを揮毫していただいている龍一郎さん(本名:井上龍一郎さん)が下記のご案内のように講演会を実施する。

小学校教諭として、学ぶ主体である児童を中心に学級、学年をまとめ上げ偉大な成果を作り上げながら、校長の悪意により作り上げた学年の旗「ゲルニカ」が卒業式に会場正面に飾られることはなく、卒業する児童が抗議の声を挙げた。

「私は校長先生のような人間にはなりたくありません!」

児童の声を支持した龍一郎先生は、のちに処分を受けることになるが、龍一郎さんに対する処分は「児童に対する処分だ」と受け取った龍一郎先生は、『ゲルニカ裁判』を闘うことになる。

文科省から現場の教師にまで、「学ぶ主体」の意識欠如が著しい時代に、龍一郎さんは必ずや珠玉のアドバイスを伝えてくれることだろう。

ピカソの「ゲルニカ」(左)と事件の中間報告『ゲルニカ事件』(絶版)。11・10の講演は、こののちの話になる。現在絶版だが、当日手持ちの10冊ほど販売

鹿砦社出版弾圧10周年の集まりで揮毫する龍一郎さん(2015年7月12日)

その際揮毫した「誠」の字は極真会館中村道場に採用された

11月10日(日)同志社大学学友会倶楽部第7回講演会 書家・龍一郎さん「教育のあり方を問いかけたゲルニカ事件から30年の想い」

11月10日(日)同志社大学学友会倶楽部第7回講演会 書家・龍一郎さん「教育のあり方を問いかけたゲルニカ事件から30年の想い」

▼田所敏夫(たどころ としお)
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田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

『昭和16年夏の敗戦』(猪瀬直樹、中公文庫収録)という本をご存知だろうか。猪瀬直樹という人は、ほとほと政治家(東京都知事)などになって恥をかくべきではなかった。と思わせる氏の名作ノンフィクションのひとつだ。

タイトルのとおり、昭和16年の夏までに、大日本帝国の指導部は対米英戦のシミュレーションを行ない、軍事・経済・資源を算定した総力戦の結果、敗北するというものだ。この試算を行なわせたひとりが東条英機であり、かれの「やはり負け戦か」という言葉も収録されている。

◆戦争は平和目的として発動される 

東条英機が対英米戦争に反対だったのは有名な話で、この試算はドイツのバーデンバーデンでおこなわれた陸軍将校(陸士16期の永田鉄山・小畑敏四郎ら)の長州閥打倒の密議グループに、東条英機らを加えた総力戦研究の勉強会の流れを汲むともいっていいだろう。当時の戦争へという「新体制」(近衛文麿政権)の流れ、戦争前夜の空気感にたいして現実的な試算をした結果、予想したとおり「敗戦」は間違いないと結論が出ていたわけだ。

にもかかわらず、日本人は戦争を選んだのである。負けるとわかっていた戦争を、回避する策はなかったのだろうか。そのための努力はあったが、裏目に出たというべきであろう。

元宮内庁長官・田島道治「天皇拝謁記」で明らかになったとおり、昭和天皇は東条英機の首相登用を、「陸軍を統制して戦争を回避できる人物」と期待していた(失敗だったと田島に語る)。戦時中は専制体制と呼ばれる東条政権も、じつは本人は対英米戦反対論者で、戦争回避のキーパーソンと見られていたのだ。統帥権をもって政権を揺すぶる、陸軍の統制こそが戦争回避の道と考えられていたのだ。

戦争が平和目的として発動されるのは、あらためて言うまでもないことだが、具体的には政治的な実権をもった「人物」の「決断」によるものだ。その意味で「政治は誰がやっても同じ」ではけっしてない。いやむしろ、誰がやっても同じだから政治には関心がない、というアパシーこそが戦争を招くと断言しておこう。あるいは国民的な議論の喚起、必要な論評を避けること自体が思想の頽廃であり、批評精神の衰退である。批評精神の衰退は一億総与党化、戦前で言えば体制翼賛政治への道をひらくものなのだ。

◆危険な選択肢

そこで安倍一強といわれる、与党に批判勢力のない現在の政治状況の中で、よりましな選択肢があるのかどうか。そしてそれが現実的なものなのかどうかを考えてみる必要があるだろう。3年前のことになるが、わたしはポスト安倍が岸田文雄(現政調会長・当時は外相)で、その後は安倍のオキニである稲田朋美ではないかという観測に、大いに危機感を抱いたことがある。

当時、稲田は防衛大臣である。周知のとおり、スーダン派遣自衛隊の日報問題(戦闘地域である傍証)を把握できず、シビリアンコントロールが不能状態となっていた。つまり、派遣先の自衛隊が勝手に「戦闘地域」と判断して戦闘状態に入る可能性があったのだ。これは大げさに言えば、戦前の大陸での関東軍(日本陸軍)の事変拡大政策と、まったく変わらない構造なのである。稲田総理が何も知らないうちに、戦争が始まっていた? 

もしかしたら、歴史はそのように進むのかも知れない。ナチスが国会議事堂を共産党員の仕業にみせかけて焼き払い、国防軍と結びついて突撃隊(レーム)を粛清するまで、ヒトラーが独裁政権(全面委任法)になるとは、誰も思っていなかったのだから――。

◆よりましな選択肢はあるか?

そこで、危機感を抱く何人かの編集者とともに、安倍晋三の反対勢力である石破茂の総裁選を支援しようとした。経済に関する本を出して、アベノミクスに代わるイシバノミクスを打ち出したかったのだ。地域経済の再生という観点から、石破の経済センスは悪くない。

この欄でも何度か触れたが、石破のウィークポイントは「経済オンチ」である。感情とある意味での「天才的な感性」で政治をもてあそぶ安倍が、感じがいいからと「同一労働同一賃金」を政策スローガンに入れるのに対して、石破は「誰か教えていただけないか」とブログで発信していた。わからないことは、わからない。それでいいのではないか。

いうまでもなく、同一労働同一賃金はILOなど労働運動の最大限綱領スローガンであって、これが本当に実現できれば、正規の大学教授(年収1000万円以上)と非常勤講師(年収200万円前後)が同じ賃金を得ることになる。同じ工場で同じ工程を管理している社長と主任も、同じ賃金になる。弁当屋の主人とアルバイトも同じ賃金、つまり社会主義経済の賃金分配なのである。こんなこともわからない安倍に比べて、たしかに石破は実際にはタカ派かもしれないが、物事に慎重なのである。

たとえば安倍の感情的な政策(輸出制限)によって、最悪の状態になった日韓関係の基底にあるもの。すなわち歴史問題について、石破は「なぜ韓国は『反日』か。もしも日本が他国に占領され、(創氏改名政策によって)『今日から君はスミスさんだ』と言われたらどう思うか」と発言して、歴史問題に向かい合うことを訴える(徳島市内での講演)。

「いかに努力をして(関係を)改善するか。好き嫌いを乗り越えなきゃいけないことが政治にはある」「相手の立場を十分理解する必要がある。日韓関係が悪くなって良いことは一つもない」(前出)と語っている。現在の安倍一極も、国民の「よりましな選択」によってよるものである。それはしかし、アベノミクスという仮象の経済によって担保されているにすぎない。貧富の格差、お友だち上級国民と下層国民の分岐。そこにこそジャーナリズムの視点と批評精神が据えられなければならない。

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業、雑誌編集者。近著に『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)『男組の時代――番長たちが元気だった季節』(明月堂書店)など。

鹿砦社創業50周年記念出版 『一九六九年 混沌と狂騒の時代』

タブーなき言論を!『紙の爆弾』11月号

10月28日、鹿砦社創業50周年記念出版『一九六九年 混沌と狂騒の時代』の発売を翌日に控え、予想外の大ニュースが飛び込んできた。

 

「反差別」運動のリーダー・李信恵氏が批判者に対して言い放ったツイート

鹿砦社は、Twitter上で李信恵氏から度重なる誹謗中傷を受け、弁護士を通じて「警告書」を送るなど、手を尽くしていた。だが、李信恵氏による鹿砦社に対する罵倒や虚言はいっこうに収まる気配がなかった。そこでやむなく鹿砦社は李信恵氏を相手取り、名誉毀損による損害賠償を求める民事訴訟を大阪地裁に起こした(その後李信恵氏も対抗上別訴を起こしてきたので、便宜上鹿砦社原告の裁判を「第1訴訟」、李信恵氏原告の裁判を「第2訴訟」と呼ぶこととする)。

「第1訴訟」の一審判決では、ほぼ完全に鹿砦社の主張が認められ、勝訴。大阪地裁は李信恵氏の悪口雑言を不法行為と認定したのである。原告、被告双方が控訴した大阪高裁では棄却(一審判決=鹿砦社勝利が維持された)。被告・李信恵氏側は判決を不服として、最高裁に上告していたが、10月25日付け(最高裁の受理は27日)で李信恵氏側は上告を取り下げ、李信恵氏代理人の神原元弁護士は鹿砦社の代理人・大川伸郎弁護士にその旨伝えてきた。

その連絡を28日(月)に受け、ようやくわれわれの主張が裁判の判決として確定したことを知るに至ったわけである。

再度、このかんわれわれの裁判闘争を、陰に陽に支援してくださった皆様方に、ご報告申し上げる!

鹿砦社は、対李信恵裁判闘争において、完全勝利した! と。

この勝利の意味は極めて重い。まず、本件訴訟でわれわれが主張した内容、つまり李信恵氏による鹿砦社への誹謗中傷が名誉毀損に当たり不法行為であることが全面的に認められたこと(逆に李信恵氏の主張はほぼ棄却されたこと)である。

別掲の書き込みをご覧いただければ、お分かりいただけるだろうが、こういった明らかな誹謗中傷を李信恵氏側は「論評」と主張していた。「クソ」という表現が論評に当たるか当たらないかは「常識的」に判断すれば、誰にでもわかることだ。

「李信恵という人格の不可思議」(『真実と暴力の隠蔽』巻頭グラビアより)

 

さらには(この点も非常に重要であるが)鹿砦社代表・松岡が、あたかも喫茶店で、会ったこともない李信恵氏に嫌がらせをしたかのような「まったくの虚偽」記述もあった。本人が一番よく知っているのであるから、こういった「虚偽発信」がどれほど、発信者の信用を貶めるものかを、自身も物書きである李信恵氏は知っているであろうに。

Twitterで李信恵氏が発信すると、支援者や仲の良い人々がすかさずリツイートなどで広める(最近はその影響力もかなり低下していると聞くが)。

 

まったくの虚偽事実であっても、かつては強大な影響力を保持した李信恵氏の発信はどんどん拡散されてゆき、「なかったこと」があたかも「あったこと」のように既成事実化に近い認識が形成される。まことに悪質な印象操作であると言わねばならない。そしてそのような印象操作に、神原弁護士や上瀧浩子弁護士も加担していた事実は見逃せない。

 

法廷内で荒唐無稽な主張を展開するにとどまらず、法定外、ことに拡散が容易なTwitter上で極めて無責任で名誉毀損に該当するような書き込みを、弁護士が行ってもよいものであろうか。

裁判の進行報告や支援の呼びかけなどは理解できるが、いくら係争中、あるいは終結した争いの相手であっても、「法の専門家」である弁護士が、一般市民を相手に感情に任せた乱暴な文章や、事実と異なる発信をしてもいいはずはないだろう。それも日頃「人権」がどうのこうの口にしている者が。

「祝勝会」と称し浮かれる加害者と神原弁護士(2018年3月19日付け神原弁護士のツイッターより)

 

そして、再度確認しておかなければならないのは、このように著名人である李信恵氏が最終的に敗訴しても、一切のマスメディアはその事実を報道しはしない、という歪な状態である。

鹿砦社は、この係争に先立って争われた「M君リンチ事件」提訴以来、M君や松岡が何度大阪司法記者クラブ(大阪地裁・高裁内にある記者クラブ)に記者会見の実施の申し入れをしても、ことごとく拒絶された様子を近くで見てきた。

そして鹿砦社が原告となり(第1訴訟)、李信恵氏を提訴した際にも記者会見開催の申し込みは受け入れられることはなく、さらに、一審で勝訴した際にも記者会見を申し入れたが、開かせてはもらえなかった。

このどうみても「不公平」な扱いを、記者クラブに所属しているマスメディア各社はどのように弁明ができるのであろう。在特会を相手取り損害賠償請求事件を争った李信恵氏には毎回記者会見を用意し(そして記者会見に李信恵氏の仲間らの入場は許可しながら鹿砦社の社員が入ることを拒絶して)、M君や鹿砦社には記者会見の機会を与えない。「差別と闘った」として著名人になった李信恵氏が、このほど鹿砦社に対して、名誉毀損を犯したことが確定した。これはニュースではないのか?

鹿砦社はこれまで、刑事裁判を含め、数えきれないほどの裁判を闘ってきている。裁判闘争史の初期は大物(ジャニーズ事務所、タカラヅカ、阪神タイガース、日本相撲協会など)が多かったので、負けを覚悟での猪突猛進をしていた時期もあった。しかし鹿砦社とて成長するのだ。

ことに言論に関わる争いや係争には近年むしろ慎重に取り組むようになっている。法定外でも情報収集を幅広く行い、「どうすれば勝てるか」を学習もした。また弁護士だけでなくアドバイスを送ってくださる方々の存在も頼もしい。

 

李信恵氏側も、マスメディアも鹿砦社を見下していた印象は否定できないが、このままの姿勢を続けてもよいものであろうか。

「第1訴訟」の判決が確定した。繰り返すがわれわれの〈 完全勝利!〉であった。しかし、この裁判一審の後半になり、李信恵氏側が突如「反訴をしたい」と我が儘にも主張しはじめ、裁判所に認められなかったことから、李信恵氏は別の裁判を起こした(「第2訴訟」はそのような中で発生したものだ)。

その裁判では鹿砦社に損害賠償を迫っているだけではなく、「M君リンチ事件」に関連して出版した書籍の販売差し止めまでもを求めてきている。

とんでもない請求であるが、現在「第2訴訟」は大阪地裁で進行中である。「争点準備手続き」という一般の方が傍聴できない形式を裁判所は採っており、証人尋問までは、基本非公開の法廷で弁論が進む。

当初の裁判長は、李信恵氏が在特会らを訴えた訴訟で李信恵氏勝訴の判決を出した裁判官だった。あまりにも不公平なので裁判官忌避請求を出そうと、準備していたしたその日に、何かあったのか担当裁判長が急に交替した。

李信恵氏との間ではいまだに係争が継続中であるので、「第1訴訟」の完全勝利を喜びながら、気を緩めることなく、「第2訴訟」も完勝し、対李信恵氏裁判〈完全勝利!〉を勝ち取るべく、勝って兜の緒を締めて、さらに闘いは続く。読者の皆様方には引き続きのご支援をお願いしたい。

◆李信恵氏の仲間・金良平氏は直ちにM君に賠償金を支払え!

ところで「M君リンチ事件」で損害賠償110万円超の支払いが言い渡された金良平氏が、代理人を通して「総額のうち40万円余りを支払い、残金は月5万円の分割にしてほしい」と判決確定後に願い出てきた。

M君、弁護団と支援会が相談し、「40万円余りは受け取るが、残金の分割払いには連帯保証人を付けるように」と回答したところ、相手方は難色を示した。仕方なくM君並びに弁護団、支援会は譲歩し、40万円の受け取りを承諾した。そして金良平氏の代理人も「支払う」と回答してきた。

それから少なくとも3週間が経過しているが、いまだに、金良平氏(若しくは代理人)からの支払いはない。

金良平氏は一審の法廷でM君に謝罪したが、これは体のいい猿芝居だったのか!?

リンチ直後に出された金良平(エル金)氏[画像左]と李普鉉(凡)氏[画像右]による「謝罪文」(いずれも1ページ目のみ。全文は『カウンターと暴力の病理』に掲載)


◎[参考音声]日本第一党 第七回神奈川県本部 川崎駅前東口街頭演説活動 2019年10月19日

 

このことには金良平氏の良心が問われているのだ。「反差別」運動に関わり「人権」という言葉を口にする金氏に良心の一欠片があれば、今すぐにM君に賠償金を支払うべきである。

それどころか、金良平氏は、10月19日川崎で行われた日本第一党の街宣活動に対する抗議行動に赴き、両手をポケットに入れながらも明らかに何者かに、体をぶつけ、その後も聞くに堪えない罵声を、日本第一党関係者に浴びせている。

周囲に金良平氏同様抗議活動へ参加している人の姿が10余名ほど確認できるが、体をぶつけ(相手が警察であれば確実に公務執行妨害で現行犯逮捕だろう。そうでなくとも体をぶつけられた本人が申し出れば金良平氏は何らかの罰則を受ける可能性があろう)汚い罵声を飛ばしたりしているのは、金良平氏ひとりだ。

 

繰り返すが、金良平氏は大阪地裁の法廷で、M君に芝居がかった謝罪のポーズを演じて見せたが、あれはなんだったのだ?

集会結社・言論の自由は、憲法で誰にでも認められているから、どこへ行こうが、何をしようが基本的にはその人の自由である。しかし、金良平氏には損害賠償の支払いが命じられており、その義務をまだ一切履行していないではないか。

M君への110万円余りの支払いを「一時金40万円で、あとは分割にしてくれ」と身勝手な申し出をしておきながら、川崎まで出かけて行ってこんなことをしている場合か?

金良平氏の代理人及び、「M君リンチ事件」一審判決当日、敗訴にもかかわらず「勝訴」とまったく事実と異なる発信を写真入りで行った神原元弁護士も金良平氏を正しく指導する義務があるのではないか!?

鹿砦社は本年創業から50年を迎えた。記念出版物において、これまでの歩みを振り返り、いいところはさらに拡大し、反省すべきは反省しつつ、今後も、われわれが精査し、正しいと判断した道を粛々と進んでゆく。偽物や偽善者に対しては言論戦において容赦はしない。

(鹿砦社特別取材班)

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 M君リンチ事件 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=62

M君リンチ事件の真相究明と被害者救済にご支援を!!

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鹿砦社 http://www.rokusaisha.com/kikan.php?bookid=000541

鹿砦社創業50周年記念出版『一九六九年 混沌と狂騒の時代』

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