政治は誰がやっても同じ、自民党に代わる政党がないのだから今のままで良いのだ。というのが、日本の国民の少なくとも半数以上を占めるのではないだろうか。あるいは自民党政治にも辟易だが、野党にはおよそ期待できない。そんな政治意識が、じつは自民党政権を支えているのだ。

今回、誰の目にも明らかな公職選挙法違反を犯した、菅原一秀の経産大臣辞任にしても、まぁよくある話(安倍政権では政治資金問題で辞任した閣僚は9人目)として流されていくかのようだ。

だがこれは、れっきとした刑事犯罪(公職選挙法違反)なのである。事実関係を押さえておこう。政治をやるのは誰でもいいわけではない。大げさに言えば、嘘つきやフェイクのパフォーマンスをする者こそが、国家の進路を過ち、戦争への道をひらくのだ。


◎[参考動画]菅原一秀経産大臣が辞表提出 後任は梶山氏(ANNnewsCH 2019年10月25日)

◆国会で追及されているさなかに、堂々と選挙違反

2006年から2007年にかけて、菅原(容疑者=筆者注、以下同)は、選挙区において選挙民にメロンやカニ、イクラ、筋子、みかんといった「金品」を提供して、公職選挙法に抵触する「買収・寄付」を行なっている。これは時効が3年であることから、道義的な責任は問われても訴追される要件ではない。

しかるに、菅原(容疑者)は、過去の有権者買収疑惑を「週刊文春」2週にわたって報じているなかで、公職選挙法違反を犯したのだ。すなわち、練馬区で行なわれた支援者の通夜会場で、秘書をして香典袋を遺族に手渡させ、その瞬間を「激写」されたのである(10月17日)。「有権者にメロンやカニなどを贈っていたのではないか」と国会で追及を受けているさなかに、堂々と公選法違反行為を行なっていたのだ。

菅原(容疑者)は、こう釈明している。「秘書が香典を持って行ったことを知らず、わたしも翌日、香典を持って行ったんです」「先方から香典を戻されたことで、初めて秘書が香典を渡したことを知った」と。議員(大臣)本人が香典を渡すことは、一般慣習として公職選挙法も禁じていない。つまり菅原(容疑者)は秘書が勝手に香典を持って行ったと言うことで、容疑を秘書に押し付けていのではないか。

本欄(2019年9月24日付)では、安倍改造内閣の顔ぶれを批判したときに菅原一秀の経産大臣就任にふれて、批判に晒されるのは必至だろうと断言しておいた。以下、再録させていただく。

【菅原大臣の事務所での暴虐さも暴かれている。秘書たちは朝6時の街頭演説から、夜の11時までブラック勤務を強制されているという。クルマの運転でも、ちょっとでもミスをすれば怒鳴られる。「このハゲー!」で政界を去った(選挙で落選)豊田真由子元議員の言動が暴露されたとき、「つぎは菅原だ」と囁かれたのが、これらの秘書に対する言動だったという。】

【2007年には秘書に党支部へのカンパ(毎月15万円)を強要したとも報じられた(菅原氏はカンパの強制性のみを否定)。高校時代(早稲田実業)に甲子園に出場と選挙公報に書いたものの、じっさいには補欠としてスタンドから観戦していた虚偽記載。】

【女性への言動の酷さは、何度も週刊誌を騒がせたものだ。前述のハワイ行きの愛人に「女は25歳以下がいい。25歳以上は女じゃない」「子どもを産んだら女じゃない」などモラル・ハラスメントしたと2016年6月に週刊文春が報じている。ということは、区議になった元美人秘書は30代から政策秘書(キャリアと能力が必須)を務めていたのだから、女としては扱ってもらえなかったことになる。】

【2016年には、舛添要一辞職後の東京都知事選挙に立候補が噂された民進党蓮舫代表代行が「五輪に反対で、『日本人に帰化をしたことが悔しくて悲しくて泣いた』と自らのブログに書いている。そのような方を選ぶ都民はいない」と発言するが、後日「蓮舫氏のブログではなく、ネットで流れていた情報だった」と釈明している。あまりにも言動が軽く酷すぎる経産大臣が、国会質問で野党の標的になるのは必至だろう。】

菅原一秀事務所では、過去に50人をこえる秘書が退職している。事務所業務のいっさいは菅原(容疑者)が仕切り、勝手な動きをした秘書はクビを斬られるという。したがって今回の「秘書が勝手に」という抗弁も、自己保身ではないかという疑惑が生じるのだ。【高校時代(早稲田実業)に甲子園に出場と選挙公報に書いたものの、じっさいには補欠としてスタンドから観戦していた虚偽記載】とあるとおり、このセンセイは虚言壁があるのではないかとすら思える。

そうであるならば、このさい徹底的に調べを尽くすしかない。香典を持参した秘書は菅原の指示を受けていたのか否か、受けていたのであれば菅原は議員辞職で選挙民に詫びるべきであろう。いや、不逮捕特権があろうとも、検察は書類送検するべきである。いやしくも政治と選挙にかかわる刑事犯罪を犯した議員を、徹底的に叩くことで政治は浄化されなければならないのだ。


◎[参考動画]「政治とカネ」菅原大臣にリスト示し厳しく追及(ANNnewsCH 2019年10月11日)

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▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業、雑誌編集者。近著に『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)『男組の時代――番長たちが元気だった季節』(明月堂書店)など。

タブーなき言論を!絶賛発売中『紙の爆弾』11月号! 旧統一教会・幸福の科学・霊友会・ニセ科学──問題集団との関係にまみれた「安倍カルト内閣」他

タケナカシゲル『誰も書けなかったヤクザのタブー』

◆戦前のような感覚が「普通」になったのか?

下に引用した、ふたつの記事を見ていただきたい。武闘路線を解除し地下組織を解散したといわれる新左翼のなかでは唯一、革命軍戦略(武装闘争)を中止していないとされる(機関誌で革命軍の存在をPR)革労協両派に、公安当局の捜査が入った。とはいえ、読む者をドキリとさせるような内容ではない。

見方によっては「トホホ」なものでありながら、思わず法の運用を間違えたのではないかと驚愕させられる。活動家への私文書偽造容疑は珍しいことではないが、マンションを借りるのに「わたしは過激派の革労協に所属しています」と言わなかったから「身分詐称の詐欺罪」だというのだ。現在の日本に「身分」があるのか。

そもそも革労協(赤砦派)にかけられたこの「詐欺罪容疑」は、暴対法および暴排条例で、ヤクザの組員を取り締まる手法なのである。公安委員会から革労協が「指定暴力団」に指定されたのは、寡聞にして聞かない。

ヤクザに対する法運用にも、問題がないわけではない。銀行口座を作る際やクルマを購入する際に、あるいはゴルフ場や喫茶店に入るときに「ヤクザです」と言わなかったから「詐欺なのだ」と。一連の裁判では暴排条例そのものの違憲性が問われ、少なくない例で「詐欺とまでは言えない」という判決が下っている。当たり前である。カネを出してゴルフやコーヒーを愉しむ側に、とくべつの金銭的な利益が発生するわけでもない。ぎゃくにヤクザが銀行口座を開けないことから、その子弟が不利益を被ることで人権問題が派生しているのだ。

◆日本には、まだ「身分制」があるのか?

そもそも「身分を隠して」というのは、21世紀の日本に、いまだに差別的な「身分社会」があるという意味だ。この「身分」とは、古代社会の「奴婢」や江戸時代の「士農工商」と同じ意味であって、明治維新後は「身分解放令」(「穢多非人ノ称ヲ廃シ身分職業共平民同様トス」明治4年8月28日太政官布告第449号)施行により廃止された。いまの日本には「国籍」や「学生割引」「60歳以上の年齢割引」などの証明、および刑事罰による「公民権の停止」以外の「身分証明」は存在しない。警察庁が無理やり「反社会的勢力」という「身分制」を勝手に作り上げたものなのである。

それでも「反社会勢力」排除という流れは社会の隅々まで行きわたり、マンションの管理組合の規約も、当局の指導で「反社の居住をみとめない」方向で改正されている。今回の事案はおそらく、捜査当局の現場感覚で「過激派も反社だろ」という安易な判断で行なわれたものだろう。暴対法で「指定暴力団」であるヤクザの場合よりも、新左翼は国家の転覆まで目標にしているのだから、けだし当然であるという見方があるかもしれない。

だが、いまだ国家公安委員会は左翼団体を「危険団体」と指定したことはない。いや、ヤクザなら誰でも賛成するだろうという見込みで成立した暴排条例(地方議会)とはちがい、左翼団体を非合法化した場合の国会での法的な論争を、捜査当局および公安委員会が引き受けられるとは到底思えない。かつて「過激派に人権なし」という時代もあったが、精緻な法律論争をやればのっぴきならないことになるのを、警察庁も知っているのだ。ヤクザ(暴力団)とは違って、左翼団体と労働運動団体・市民団体の線引きが、かぎりなく不可能に近いからだ。革命を標榜することが、思想信条の自由および結社の自由(憲法)に保障されているのは言うまでもない。

◆法的な争点を精密に論じよ!

もうひとつの事件は、無許可で金貸し業をやっていたという容疑(4回にわたって、わずか1万2000円……しょぼい)だ。この場合、カネを貸すことで利益が生じたのか否か、あるいは個人間での貸し借り契約(融資)に違法性があるのか(個人的な契約でも、利子は当然発生する)。これが法律上の焦点となる。

かりに無許可で「貸金業」をやっていたとするのなら、当該の容疑者が「営業活動」をしていた事実の立証が必要である。闇金のように看板をつくって「おカネ貸します」とか「カネのないヤツは、俺んところに来い。俺もないけど心配するな!」(植木等)とか言っていた、というのだろうか。

新左翼の中には、かなり酷い法運用を行なわれても「不当弾圧」一般で済ましてしまう傾向があるが、このさい革労協(現代社派)は法律的な争点を明確にし、国賠訴訟で争って欲しいものだ。

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【私文書偽造と「身分詐称の詐欺」事件】

警視庁公安部と埼玉、神奈川両県警は8日、有印私文書偽造・同行使の疑いで、過激派「革労協反主流派」の非公然部門最高幹部、土肥和彦容疑者(71)=横浜市港北区樽町=を、詐欺の疑いで同派非公然活動家、石岡朱美容疑者(57)=同=を逮捕した。調べに対し両容疑者とも、黙秘している。

警視庁によると、土肥容疑者は長期にわたって、非公然部門の最高幹部を務めており、活動全般に影響を与えていたとみられる。2人は石岡容疑者が借りたマンションで同居しており、警視庁などは石岡容疑者が土肥容疑者をかくまっていたとみて調べている。

土肥容疑者の逮捕容疑は平成30年3月、東京都板橋区の歯科医院で、架空の氏名と住所を診療申込書に記入し提出したとしている。石岡容疑者は今年4月、過激派の活動家であるのに身分を隠しマンションの一室を借りた疑いが持たれている。(2019年10月8日付け産経新聞)


◎[参考動画]過激派最高幹部の男を逮捕 歯科診療時に偽名を使用(ANN 2019/10/09公開)

【貸金業法違反】

貸金業法違反の疑いで逮捕されたのは、過激派組織「革労協」主流派の活動家で、住所不詳の緒方信雄容疑者(69)です。

警察は18日の朝から、福岡市博多区にある活動拠点や東京の革労協事務所など5カ所を家宅捜索しました。

警察によりますと、緒方容疑者は2019年5月から8月にかけて、許可がないにも関わらず、県内に住む知人の男性に4回にわたってあわせて1万2000円を貸し付け、貸金業を営んだ疑いです。

警察は緒方容疑者の認否を明らかにしていませんが、革労協による組織的な関与があったとみて、押収品などを調べ容疑の裏付けを進める方針です。(2019年10月18日付けテレビ西日本


◎[参考動画]無断で“貸金業”革労協活動家を逮捕 (福岡TNC 2019/10/18公開)

◆法に依らない日常生活上の禁止

つぎは、11月に延期された祝賀パレード沿道の声(下記引用)である。警視庁は天皇式典の祝賀パレード沿道の住人に対して、ベランダに物を置くな、洗濯物を干すなという「呼びかけ」を行なっているという。「気を付けてください」ではなく「物を置かない」「写真を取らないよう」に「もとめる」。左翼活動家を法的な根拠もなく拘束し、住民には日常生活上の禁止を「求める」のだ。そして問題なのは、これらの指示に従わない者は、社会的に排除される「空気」が醸成されることだ。

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【ベランダに洗濯物を干すな】

警視庁は、祝賀パレードのルート近くに住む人たちに対し、屋上やベランダなどからパレードをのぞき込んだり、写真を撮ったりしないよう協力を呼びかけています。

また物が落下しないよう、廊下やベランダに洗濯物を干すことや、鉢植えを置くことを控えるよう求めています。

ルート近くに住む人からは、さまざまな声が聞かれました。

パレードのルートが見える港区北青山にあるアパートの10階に住む半戸アヤ子さん(77)は、自治会で周知があり、ベランダの鉢植えを移動させる準備を進めていました。

ベランダには、ほかにも夏場に“自然のカーテン”として使っていたゴーヤーのつるが残っていて、その枯れ葉が落ちる可能性があるため、10日はハサミを使って取り除いていました。

半田さんは「なかなか厳しいですが、ベランダから見てはいけないということなので、沿道におりて見ようと思います。天皇陛下が通るのできれいにしておかないといけないと思いますし、洗濯物も1日くらい我慢して干さないようにします」と話していました。

また、千代田区麹町のマンションの10階に住む34歳の女性は「規制について知らなかったのでベランダから見ようと思っていました。

2歳の娘に見せてあげられると思っていましたが、テレビで見ようと思います。何かあったら大変だということは理解できますが、残念だとも思います」と話していました。(2019年10月10日付けNHK

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法に依らない事実上の治安拘束、そしてこれも法に依らない日常生活上の禁止がまかり通るようになったのだ。法に依らないという点では、戦前の特高警察よりも、はるかに悪質な警察権の行使が行われている言うべきであろう。

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業、雑誌編集者。近著に『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)『男組の時代――番長たちが元気だった季節』(明月堂書店)など。

タケナカシゲル『誰も書けなかったヤクザのタブー』

タブーなき言論を!絶賛発売中『紙の爆弾』11月号! 旧統一教会・幸福の科学・霊友会・ニセ科学──問題集団との関係にまみれた「安倍カルト内閣」他

きょう、10月22日はどうして休日なのだろうか。

交通規制のお知らせ(政府広報)

それは天皇の「即位の礼」が行われる日にあたるからだ。30数年前にも同じ理由で休日があった。その日わたしは天皇制にへの反対を示すために、あえて出勤し午後からは市内中心部で行われたデモに参加した記憶がある。

先月来検索サイトを開くと右記のような宣伝(政府広報)が頻繁に目についたし、新聞でも同様の広報があった。おそらくテレビでも東京を中心に相当量の宣伝がなされたことだろう。台風19号の影響で、パレードなど行事の一部は来月10日に延期になったが、総体としての「即位の礼」は変わらない。

さて、「即位の礼」とはなにをする儀式なのだろうか。ウィキペディアが簡潔にまとめているので、紹介する(太字は著者が強調したい箇所である)

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日本国憲法施行後の「即位の礼」では、5つの儀式(国事行為)が行われる。ここでは儀式を概説する。

交通規制が実施される首都高速道路及び地区(警視庁)

・天皇明仁の剣璽等承継の儀
即位の礼はこの儀式から始まる剣璽等承継の儀(けんじとうしょうけいのぎ)— 皇位継承があった当日に行われる儀式。新天皇や男性皇族が宮殿正殿・松の間に入り、新帝の前に置かれた案(机)に三種の神器のうちの剣璽と御璽、国璽が安置され、新帝が剣璽に挟まれて退出する。大日本帝国憲法下での剣璽渡御の儀(けんじとぎょのぎ)にあたる。

・剣と璽(イメージ、実物は非公開)即位後朝見の儀(そくいごちょうけんのぎ)— 皇位継承当日か、後日行われる儀式。天皇が即位後初めて三権の長をはじめとする国民の代表者と会う。正殿松の間に天皇・皇后や皇族が入場し、天皇の「おことば」の後、内閣総理大臣の式辞がある。明治憲法下の践祚後朝見の儀(せんそごちょうけんのぎ)に相当する。

・即位礼正殿の儀(そくいれいせいでんのぎ)— 天皇が即位を国の内外に宣明する、いわば即位の礼の中心といえる儀式で、戴冠式、即位式に相当し、各国元首、首脳らや国内の代表が参列する。皇位継承当日とは日を隔て行われる。宮殿正殿の松の間に高御座、御帳台が設置されて、それぞれ「御装束」に身を包んだ天皇・皇后が登り、諸皇族、三権の長が左右に控える。天皇の「おことば」があり、内閣総理大臣が祝辞である「寿詞」を読み上げ、万歳を三唱して参列者一同がこれを唱和する。

・祝賀御列の儀(しゅくがおんれつのぎ)— 即位礼正殿の儀終了後、天皇・皇后が皇居宮殿から赤坂御用地にある赤坂御所まで御料車でパレードする儀式。

・饗宴の儀(きょうえんのぎ)— 即位礼正殿の儀に参列した内外の賓客に対し、謝意を表してもてなすための宮中晩餐会。即位礼正殿の儀当日に始まり、宮殿豊明殿や長和殿にて数回開催される。

ウィキペディア「即位の礼」の項

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◎[参考動画]即位礼正殿の儀 祝賀御列の儀 祝賀パレード 本番さながらのリハーサル車列 (AirForce Aris2019/10/06公開)

日本国憲法において、天皇は「国民統合の象徴」と定義されているが、なんのことはない。相変わらず、国家神道を土台に据えた明治憲法時代と本質において変わらぬ「神事」が堂々と行われるわけである。

わたしが天皇制を嫌悪し、許容できないのは、このような「宗教儀式」に象徴される「国家神道」が、実質的にまだ生きているからだ。アキヒトは平和を演出しようと、しきりに自分が「象徴」であることを口にしていたが、アキヒトのいう「象徴」とは庶民が使う「象徴」とずいぶん意味が違う。

代替わりに、税金を湯水のように使い、諸外国の元首へ招待状を送り「代替わり」儀式へ参加を要請する。これが「象徴」の入れ替わる際に行われる行事の姿であろうか。こんな扱いは総理大臣の交代にも行われない。つまり本音では「元首」扱いなのだ。

即位礼正殿の儀で《天皇の「おことば」があり、内閣総理大臣が祝辞である「寿詞」を読み上げ、万歳を三唱して参列者一同がこれを唱和する。》この姿を見ただけで日本はいまだに、国家神道から抜け出せていない前近代的な「宗教国家」であることが証明される。でも、日本国憲法の前文やその他の条文から解釈しても、「天皇を元首」とみなすことには絶対的な無理がある。前述したように憲法第一条は「天皇は国民統合の象徴」(この「象徴」の使い方も実に曖昧で不自然ではあるが)と定めているのだ。そしてどこからどう見ても、国民主権は動かしようがない(憲法と法律上は)。

だが、第一条における「象徴」とのあいまいな表現を、優越するはずの国民主権が、実は日本国憲法成立時から、実体化されていなかった事実を「即位の礼」が廃止されなかった経緯に見てとることができる。戦後日本の中枢は、新憲法制定にあたり「国体」を守ることを死活課題とした。そのバーターのために9条が設定されたとの論は、ほぼ間違いないだろう。

「国体」。無理に訳せば不可能ではないだろうが、外国語にこの概念を持つ言語はないのではないか。普段は不可視で存在がつかみにくいが、きょうのような日に正体を現すその核は「国家神道を基礎にする宗教国家」である。

いま何年だ? 2019年だろう。21世紀だぞ! AIの発達が進み、万能細胞が開発され、スマホが世界に行き渡っている時代じゃないか。「国家神道? 馬鹿言いなさい。そんな時代じゃないの」とどうして先進的な科学者や、企業家は発言しないのだろうか。それどころか経団連は労働者を搾取しながら天皇制を称揚し、IPS細胞開発者の山中伸弥はことあるごとに「国家」への忠誠を身をもって示している(新元号選定の有識者会議に山中は参加していた)。ぜんぜん進歩していないじゃないか。IPS細胞の開発者が天皇主義者である事実は、しっかり注意を払う必要がある。

そして、「文化人」だの「評論家」だの呼ばれている連中で、明確に天皇制を批判する方がどれくらいいるだろうか。右の鈴木邦男から自称リベラルの香山リカまで皆さん「万歳」状態じゃないか。芸能人に至ってはもう目も当てられない。

「差別」問題はどうした? 出自による身分制度は、これ以上ない差別制度じゃないのか。「やんごとなき」血筋にお生まれになる方がいるから、生まれたときからさげすまれる子どもが社会的に作られるのではないのか。差別問題を口にしている連中で、天皇制を批判できず、ましてや称揚するような人間は、全員「インチキ」である。

そして「インチキ性」こそが、今日、日本を覆いつくす主流の精神性だといっても過言ではないだろう。まずは鏡を見よう。あなたは「インチキ」に冒されてされていないかどうか。天皇制は強力で巧妙だ。


◎[参考動画]「即位礼正殿の儀」へ 陸自の部隊が予行演習(ANNnewsCH2019/10/19公開)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

タブーなき言論を!絶賛発売中『紙の爆弾』11月号! 旧統一教会・幸福の科学・霊友会・ニセ科学──問題集団との関係にまみれた「安倍カルト内閣」他

田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

神戸市立東須磨小学校(同市須磨区)の教員間暴行・暴言問題で、同小の仁王美貴校長(55)が10月9日、市役所で市教育委員会の担当者と記者会見した。2018年度に当時の校長が、既に教員のセクハラ発言や職員室でのからかいなどの嫌がらせがあったことを把握しながら、指導などの対応が不十分だったことが判明。加害教員の一部から児童が嫌がらせを受けたとの訴えがあることも分かった。


◎[参考動画]東須磨小学校教員間いじめ問題 新たな事実が明らかに(サンテレビ2019/10/10公開)


◎[参考動画]神戸市・教師いじめ問題 前校長はパワハラを謝罪(ANNnewsCH 2019/10/16公開)

◆1990年7月、神戸高塚高校で起きた女子生徒校門圧死事件

兵庫県では、定期的に教育関係の深刻な事件・事故がおこる。わたしがもっともショックを受けたのは、1990年7月6日、兵庫県神戸市西区の兵庫県立神戸高塚高等学校で、同校の教諭が遅刻を取り締まることを目的として登校門限時刻に校門を閉鎖しようとしたところ、門限間際に校門をくぐろうとした女子生徒(当時15歳)が門扉に圧潰されて、死亡した事件である。

本通信の「『体罰』ではなく、すべて『暴力』だった」で3回にわたり自身が受けた、天地がひっくり返ったような「公教育」体験の中には、兵庫県立神戸高塚高等学校での事件を彷彿させる場面が、限りなく記憶に残っているからだ。高塚高校同様、わたしの通っていた「授業料を払う刑務所」こと高蔵寺高校や、春日井東高校でも毎朝同様の光景が繰り広げられていた。

わたしは経験はないけれども、校舎の中から眺めていると、教師が猛烈な勢いで校門を閉める際に、少なくとも体を挟まれた生徒は複数確認している。あれが頭部であれば命にかかわったであろうに、野蛮な教師どもは、反省など一切せず毎日同じような危険な光景が繰り返し行われていた。

登校時間ギリギリになる生徒は、必ずしも怠け者の生徒ばかりではない。「授業料を払う刑務所」こと高蔵寺高校は春日井市の西北に位置するが、10キロ以上離れた名古屋市との境界に近い距離から自転車通学してくる生徒も少なくはなかった。

通常通りであれば、登校時間に間に合う時刻に家を出発しても、途中で雨が降り出したり、道路工事で道を迂回しなければならないと、計算通りの時刻に登校できない。生徒はみな、登校時間を送れると「指導」の名のもとに、人権侵害お構いなしの懲罰を食らうことを知っているから、のんびり登校する生徒などはいない。

つまり教師どもは、校則を盾にとって雨中、必死で自転車をこぎ登校してくる生徒を「おはよう」のあいさつで迎えるつもりなどなく、定刻になったら容赦なく校門を勢いよく閉めることに、職業上の喜びや、快感を感じていたのだ。


◎[参考動画]関係者らが追悼 神戸高塚高校 校門圧死事件から29年(サンテレビ2019/07/06公開)

◆「社会の縮図」が引き起こした事件

さて、話がそれたようだが、逸れてはいない。神戸市立東須磨小学校で発生した、教師による教師イジメは、もっとも簡略化して解説するのであれば「社会の縮図」が引き起こした事件である、といえよう。もちろん、その程度の低さと悪質さ、組織的な隠蔽は、もう言及するのも嫌になるレベルである。

学校が、児童や生徒の居場所ではなく、行政権力や国家による人格捻じ曲げの場所に変化してしまったから、このように表現する言葉も見つからない、貧しすぎる精神が居場所を占めるようになったのだ。

このいじめに手を染めた、あるいは黙認した教師どもには、教壇に立つ資格などない。しかし、重要なことは兵庫県だけではなく、全国を見回しても、「イジメ教師」と同等あるいは、同様のレベル人間を今日の学校は制度的に求めている根源がある、ことではないだろうか。

職員会議の議決権が奪われ、校長の権限が強化され、教育に何の知識・経験もない人間が「民間校長」として大阪などでも、もてはやされている。市場原理や、企業的な競争原理を義務教育に持ち込むことが、あたかも「先進的」であるかのような、誤解が全国に広まっている。断言するがこれは完全に大いなる間違いである。

教師を養成する教職課程も、不要な荷重がかけられ、本当に児童・生徒への教育に熱心な個性は、採用されるのが困難になっている。「子供のまま、社会問題など考えない」志望者ほど公立学校の採用試験には合格しやすくなっているのだ。

つまり、極言すれば「子供が教壇に立っている」状態を文科省は望み、その歪な像が実体化している。ここにも深刻な病巣があるのではないか。文科省のいう「多様性」は「成績の出来不出来」を指す。個性も同様だ。少子化で学校の先生の数は余っているはずなのに、先生たちは、毎晩「意味のない」資料作りや報告書作成に追われて、帰宅が遅い。

熱い情熱で、児童・生徒・学生に向き合っている先生・教員が存在することは、強調せねばならない。しかしそういったひとびとが、多数ではいられない仕組みを文科省や教育委員会はが、率先して作り上げている。

きょうのバラエティー番組で、法政大学の「なんとかママ」と呼ばれる「評論家」は、なにをコメントするだろうか。文科省の連綿とする教育施策失敗と、さらにいえば、日本の社会崩壊を視野に入れなければ、この惨状の本質は語れない。


◎[参考動画]東須磨小学校で保護者向け説明会(サンテレビ2019/10/16公開)


◎[参考動画]教員間いじめ問題 保護者説明会で加害教員コメント(サンテレビ2019/10/17公開)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

タブーなき言論を!絶賛発売中『紙の爆弾』11月号! 旧統一教会・幸福の科学・霊友会・ニセ科学──問題集団との関係にまみれた「安倍カルト内閣」他

田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

「国際オリンピック委員会(IOC)は10月16日、東京五輪の猛暑対策として陸上のマラソンと競歩を札幌開催に変更する案の検討に入ったと発表した。東京より気温が約5度低く、地理的な条件などを理由としている。五輪開幕まで1年を切り、IOCが会場変更を提案するのは異例の事態で、実現には難航も予想される。猛暑を見据えて準備を進めてきた現場サイドでは驚きと戸惑いの声が上がった。」(10月17日付スポーツ報知)

◆いよいよ混乱が本格化しはじめた

ほーらみろ。いよいよ「企業欲の祭典」、東京五輪の混乱が本格化しはじめた。前回1964年に東京で五輪が開催されたのは、10月。台風の懸念はあるが、年間通じて普通のひとにも過ごしやすい時期だ。あれから半世紀以上がたち、いまの東京8月は、もう「温帯」の気温ではなく「熱帯化」している。わたしが説明するまでもないだろう。関東にお住まいの方であれば「8月の東京」の灼熱ぶりが、五輪に適すか適さないかくらい、簡単にお分かりいただけよう。

そういう自然条件を承知のうえで、五輪招致委員会は「8月の東京」にこだわったのであり、IOCもそれを了承した。どうして8月でなければならないのか? それは北半球の多くの国で、8月が夏休みに充てられ、高い放送料が設定できるからだ、これが10月にずれ込むと放送料は数割安くなってしまう。つまりIOCも招致委員会も、最初から「商売第一」で「8月の東京」をごり押ししたのだ。

ところがである。先に行われたドーハで行われた世界陸上では、あまりの高温多湿にマラソンや長距離競技、競歩で棄権する選手が続出した。当然選手から批判の声が相次いで上がり「二度とこんなコンディションでは、走らせたくない」とコメントするコーチも現れた。

しかもそう発言したのは日本人選手のコーチだった。夜間でも40度を上回り湿度も90%を超える気候で、長距離競技が行われることを前提に、ルールはできていない。日本でも歴史あるマラソンは(福岡国際、別大、琵琶湖、女子マラソン)はすべて冬季に集中しているし、駅伝競技も同様だ。

◆ビジネス最優先のIOCと関連団体の「勘定論」

マラソンは15度くらいに温度が上がると「暑い」と表現され、20度を超えると「厳しい」、25度を超えると「過酷な」コンディションと表現される(気温は概ねの値である)。30度や40度近い気温の中で行われる競技ではないのだ。マラソンだけではない。トラック競技の1000mや20キロ、50キロ競歩なども同様だ。

さて、例年東京の8月の気温はどうであろうか。「熱帯夜」と呼ばれる最低気温が25度を下回らない夜は当たり前。25度どころか30度を下回らない夜も珍しくはない。そんな気温の中で「根性論」ならぬ「勘定論」の上に計画されたのが、東京五輪である。

けれども「勘定論」であるから、競技中に選手がバタバタ倒れたり、救急車がやってくる様子が画面に映ったのでは、非常に具合が悪い。スポンサーのイメージはむしろ下がってしまうから、高いスポンサー料を払っている企業からすれば(その中には朝日、毎日、読売、日経、産経など全国紙も含まれる)「惨憺たる灼熱地獄」を放送したくはない。

そこで、急遽「選手の健康第一」など殊勝な理由をでっちあげて、札幌でのマラソン実施を発案したのだ。IOCをはじめとする「スポーツに詳しいはず」の団体が、競技コンディションなどは二の次で、金勘定だけでうごいていることを証明することになった、象徴的な出来事といえよう。

しかしすでに述べた通り、灼熱地獄で行われるのは、マラソンだけではない。トラック内で行われる1000mは競技時間はマラソンよりは短いが、すり鉢状の競技場を観客が埋めれば、自然気温以上に空気が滞留し、高温化する可能性が高い。そして、あえて指摘しておけば、関東のかたがたがつい最近経験したような、大雨による水害や、地震はいつ発生するか予想ができない。関東を台風19号が直撃した日、千葉沖を震源とする最大震度の地震も同時に発生していたことを、関東以外にお住まいのかたはご記憶だろうか。

◆被災した人々の生活回復を第一に考えれば

自然災害は防ぎようがない。だから「東京五輪」を自然災害だけを理由に批判するのは的外れかもしれない。しかしながら、地震、大雨、火山噴火などここ数年の自然災害により、通常の生活を送ることができなくなっているかたがたがまた増えた。台風19号による被害者がもっとも多かったのは、福島県であった。

福島県……。人間も、自然もどこまで福島に不幸を強いるのであろうか。

被災した人々の生活回復を第一に考えれば、マラソンを札幌に持っていく程度のちゃちな子供だましで、被災者は救われないことくらい理解されるだろう。

東京五輪に対する、唯一最善の処方箋は、「中止・返上」することである。


◎[参考動画]Learn about Olympic Agenda 2020 The New Norm(IOC Media 2018年10月10日公開)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

◆アメリカの一方的なウィンを「ウィンウィン」と強弁する安倍晋三

「秋になったら、すごい報告ができる」と、トランプ米大統領がマスコミに語っていたのは、日本の参院選挙の前だった。ぎゃくに言えば、参院選挙前には発表がはばかられる内容なのはわかっていた。というのも、日本にとって一方的に不利な貿易交渉であり、安倍総理の見え見えの国益売り渡しだったからだ。にもかかわらず、自民党を大敗させなかった国民は、やはり政治を見放しているのだろうか。だとしたら、その危険なツケをも支払わなければならない。

事態は深刻である。70億ドル相当のアメリカ農産物を市場開放するいっぽう、日本がバーターとして考えていた自動車の関税撤廃は見送られたのだ。安倍総理は記者会見で「日本の自動車と自動車部品に対して追加関税を課さないという趣旨であることは、私からトランプ大統領に明確に確認をし、大統領もそれを認めた」と言い訳に終始したが、これは本末転倒だ。オバマ政権とのTPP交渉では、自動車の関税撤廃が約束されていたのに、トランプのTPP撤退によって関税はそのままになってしまったのである。

◆激安化する牛肉市場

この安倍総理が「ウィンウィン」だと強弁する不公平な貿易交渉で、日本の農業とくに牛肉畜産業はほぼ完全に崩壊に追い込まれるとみられている。日米が合意した農産物の関税引き下げによって、牛肉は現在の38.5%から段階的(26.6%から)に引き下げられ、最終的には9%となる(2033年)。豚肉はキロ当たり現在482円から、最終的には50円まで引き下げられるのだ。

買い物に行かれる方はおわかりだろう。スーパーの店頭では、牛肉はOGビーフ(オーストラリア産)とアンガス牛(国産と表記がないものはアメリカからの輸入)が安く出まわっている。250円(100グラム)前後のOGビーフやアンガス牛はステーキ肉としては最底辺クラスで、等級認定クラスの和牛は750円から2000円という価格帯である。OGビーフもアンガス牛も赤身が主流だが、アメリカには和牛の飼育法を参考にした霜降り肉がある。今回の関税引き下げで、500円以下のアメリカ産「高級肉」が入ってくると予測されている。

関税が下げられた場合、価格はどうなるのだろうか。

アメリカ産で現在250円(100グラム)のものが、26.6%ならば229円、9%になった場合は197円まで下がることになる。これがグラム500円前後の高級部位の場合は、グラム400円を切ることになる。もはや少ロット生産の和牛が対抗できる価格帯ではない。その結果、生産をあきらめる畜産業者が続出するとみられている。だが問題は、わが国の畜産業の崩壊だけではないのだ。

◆危険な薬品漬けのアメリカ牛肉

ラクトパミンという薬品をご存じだろうか。EU、ロシア、中国では使用が禁止され、使用された肉の輸入すら認めていない人口ホルモン剤である。肉牛や乳牛の成長を早めるために、このラクトパミンを投与されるのだ。早く成長すれば、それだけ飼育期間が短くなり早く出荷できるため、農家にとっては経済的メリットが大きい。ほかならぬわが国が、牛肉輸入の門戸を大きく開いているアメリカとカナダの牛肉生産者において、このラクトパミンが使用されているのだ。

ラクトパミンは、女性の乳がんや子宮がん、男性の前立腺がんといったホルモン依存性がんを誘発する発がん性物質の疑いが持たれている。EU、ロシア、中国が輸入禁止に踏み切ったのは、こうした理由からだ。

日本でもホルモン依存性のガンが顕著に増えていることから、牛肉の輸入量が伸びていることとの間に、何らかの相関性があるのではないかといわれてきた。疑問を持ったがんの専門医らが10年ほど前に、専門的な調査を実施している。その結果、米国産牛肉には女性ホルモンの一種であるエストロゲンが、和牛に比べて非常に多く含まれていることを確認し、日本癌治療学会で発表している。

ところが、前述したとおり米国やカナダでは、このラクトパミンが飼料添加物として、牛や豚に与えられているのだ。そしてこの薬品自体は、日本国内でも使用は禁止されている。だが輸入肉の使用、残留は認められ、市場に出回ってしまっているのだ。

安価に牛肉が食べられると思いがちだが、こんなところに危険な落とし穴があったというべきであろう。じつはアメリカ国内でも、消費者は普通の安価な牛肉を避け、健康によいイメージの有機やグラス・フェッド(牧草飼育)の牛肉を選ぶ消費者が増えている。日本は先のトウモロコシに続き、またしても安全面で不安の残る米国産農産物を大量に引き受けることになるのだ。

あれ(自動車関税の固定化)も、これ(危険な牛肉の安価流通と国内畜産業の崩壊の危機)も安倍総理のトランプ追従政策の結果である。強いものに巻かれ、独自の外交政策を持たないがゆえのアメリカ追従。安倍にとって「国益」とは、自分の政治的な立場をまもり、アメリカに庇護される代わりに国民に危険なツケをまわすことでしかないのだ。

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業、雑誌編集者。近著に『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)『男組の時代――番長たちが元気だった季節』(明月堂書店)など。

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本通信で「『体罰』ではなく、すべて『暴力』だった」を3回にわたり掲載した。個的な経験の紹介ではあるが、ある時期、公権力(教育委員会)の明確な意思にもづき、堂々と行われた「教育」に名を借りた「犯罪行為」であるから、私怨としてではなく、記録として留められる必要があると考えたからだ。

愛知県をはじめとする「管理教育」について『禁断の教育』(宇治芳雄、同時代叢書1981年)『虚構の教育』(宇治芳雄、同時代叢書1982年)など問題を指摘する書籍も発売され、校内暴力などで荒れる学校の問題と対極に、行政暴力により吹きまくる公立高校内での「犯罪」は限定的であるとはいえ、教育や社会問題に関心のあるひとびとの間では、認知されていた。

NHKも東海地方では教育テレビで特集番組を放送し、『ある小学校長の回想』(岩波新書1967年)の著者である金沢嘉市氏がゲスト出演し、学校内で行われる異常な「教育」の実態を記録したビデオ映像を目にして、「ついにここまで来たか……という感じです」と絶句していたことが思い出される。

わたしは運悪く(あるいはのちの人生を考えれば逆説的に「幸運にも」との評価も成立するかもしれない)管理教育の被害者になったことで、人格形成のかなり重要な部分に多くの傷をすりこまれた。かといって教育界にはわたしに接したような、最低レベルの人間ばかりが巣くっているわけではなく、教育者としてだけでなく、人物としても尊敬に値するかたがたが熱心に児童・生徒・学生のために献身的に身を削っておられることを、身をもって後に知ることになる。

「ゲルニカ事件」は、ウィキペディアに下記の通り、記載されている。

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1988年3月の卒業式の際に、卒業生たち卒業記念作品としてパブロ・ピカソの『ゲルニカ』を模倣した旗(以降、「ゲルニカの旗」と呼称する)を作製した。児童はゲルニカの旗を式典会場の正面ステージに貼ることを希望したが、校長の指示により、ステージ正面には日章旗が掲げられ、ゲルニカの旗はパネルに貼られた状態で卒業生席背面に掲げられた。なお、ゲルニカの旗をパネルに貼って掲げることは校長によって提示された修正案だが、職員会議での合意は得られていない。

これに対する抗議の意味で、卒業式当日には、卒業生代表児童挨拶での校長への批判発言もあり、「君が代」の斉唱の際に着席するなど児童がいた。この児童らに同調し、着席、また退場の際に右手こぶしを振り上げる行動をした教諭に対し、福岡市教育委員会は同年6月、教育公務員としての職の信用を傷つけるものとし、地方公務員法に基づき戒告処分を行った。(ウィキペディア『福岡市立長尾小学校ゲルニカ事件」の項)

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事件後報道もされたので、「へー、世の中には立派な先生がいるもんだな」と感嘆した記憶があった。その立派な先生の名前は井上龍一郎さんだ。わたしが井上龍一郎さんと初めてお会いしたのは、熊本で行われた鹿砦社も支援するイベント『琉球の風』だったと思う。3年ほど前だろうか。当時から鹿砦社のロゴやイベントの際の横断幕などを力強く書く「書家」としてお名前は伺っていた。ニコニコして人柄の優しい井上さんはみずからが出向いて書を描く行為を「テキヤ」と自嘲気味に表現される清々しい方、との印象があった。


◎[参考動画]龍一郎さん 書道 亥(2019年2月16日公開)

けれども、のちに鹿砦社代表の松岡氏から「龍一郎は『ゲルニカ事件』で有名だったんですよ」と聞かされるまで、井上さん(ご本人は「龍一郎」を仕事で使っておられるので以後の記載は「龍一郎さん」とさせていただく)が、まさか、あの『ゲルニカ事件』の先生だとは気が付くはずもなかった。

後日松岡氏の好意で『ゲルニカ事件 どちらがほんとの教育か』(井上龍一郎とお母さんたち1991年、径書房)をご紹介いただいき、即読了した。

井上龍一郎とお母さんたち『ゲルニカ事件 どちらがほんとの教育か』(径書房1991年)

龍一郎さんは1987年4月6日に長尾小学校に赴任して以来のできごとを、同書第一章「君は何をするために学校に来たのか」で克明に綴っている。若く情熱に溢れた教師が、すさんだクラスに赴任してから児童のこころをどうやって解きほぐしていったのか。いうことを聞かないやんちゃ坊主とどのように打ち解けたのか。実に細かく日々の学校生活と児童の様子・変化が記録されている。残念ながら『ゲルニカ事件 どちらがほんとの教育か』は絶版になっているので、簡単に入手することはできないが、できれば教育に携わるすべてのひとびとと、お子さんを小学校に通わせている、あるいはこれから通わせる保護者のかたがた全員に読んでいただきたい。心揺さぶられる名著だ。

龍一郎さんは個性豊かな(と表現しておこう)児童が集う6年3組の担任を任されることになるのだが、このクラスは校長や教務主任がいうには「問題の多いクラス」ということで、龍一郎さんも心配しながらの新学期が始まった。そして「問題の多い」原因が同じ児童が5年生(5年生と6年生はクラス替えがなかった)の後半に、担任の先生が産休となり、代わりに赴任してきた先生に「毎日叱られてばかいりた」ことが原因で、教師不信に陥って反抗的な態度をとるようになったことを知る。龍一郎さんは毎日手探りを続ける中で、児童「教師に対する猜疑心」を徐々に希釈してゆき、やがては圧倒的な信頼を得るようになる。

「卒業といってっても、何もあわてて特別なことやっても駄目だ。やはり、一学期、二学期の取り組みの延長線上に明確に位置付けるべきだ。私たちは、子どもの主体的活動を基礎に学級集団を作り高めようとしてきた。三学期は、これを土台に学年の集団をはっきりつくりあげていかなければならない。そして、何より子ども達が燃えて燃えて燃え尽きるまでものごとに取り組み卒業してゆくこと――。こんな当たり前のことにたどりついた。具体的な計画を立てるときは、子ども達の興味、関心を最大限に引き出せるように工夫した。何といっても学習の主体者である子どもの意欲が問題なのだから、当然なことではある。」

「何といっても学習の主体者である子どもの意欲が問題なのだから、当然なことではある」と龍一郎さんは当たり前に考えておられたが、その真逆の人間が「教師」を名乗っている事実があまたにこびりついているわたしにとって、龍一郎先生の言葉は、新鮮を通り超え驚愕ですらあった。

そして、子供たちは卒業の記念にゲルニカを作成することを決めて、見事に完成する。その過程で児童が戦争や差別など社会問題に興味を持ってゆく過程などは、「これがほんとうに小学生が、みずから考え行動したことなのか」と驚愕させられるほどレベルが高い。2019年、大学生でも龍一郎さんが担任を受け持った児童のレベルに遠く及ばない学生が大半ではないか。

宇崎竜童さん(左)と龍一郎さん(熊本「琉球の風」にて)

はたして、児童たちは見事な学年の旗ゲルニカを完成させ(その完成度も驚愕に値する)卒業式が行われる体育館のステージにいっぱいに、自分たちの小学校生活集大成を見つめながらの卒業式を楽しみにしていた。だが、柳校長は職員の総意と児童たちの思いを踏みにじり、ゲルニカを壇上から外し、代わりに日の丸を掲げた。

卒業式では、卒業証書を受け取った児童が思いを述べる。ある児童は「私は怒りや屈辱をもって卒業します。私は、絶対、校長先生のような人間にはなりたくないと思います」と宣言した。

一連の出来事は「筑紫哲也のニュース23」で特集された。わたしはつい最近その映像を見る機会があった。失礼ながら一番印象深かったのは、わたしの知る、個性派書家龍一郎さんではなく「若い好青年」だったことだ。そして龍一郎さんは「処分」を受け、それを「不当」とし裁判闘争に立ち上がる。『ゲルニカ事件 どっちがほんとうの教育か』を読了するまでにも、わたしは何度もすなおに感激し落涙をおさえられなかった。

長年の沈黙を破り、龍一郎さんが11月10日、13時から同志社大学今出川キャンパス良心館で「教育のあり方を問いかけたゲルニカ事件から30年の想い」をテーマに講演会を行う。(講演会参加者には龍一郎さん揮毫の来年2020年の鹿砦社カレンダーを進呈します!)

子どもに向ける情熱を書に切り替えても、龍一郎さんの情熱は変わらない。そんな龍一郎さんは30年前を振り返り、今日の教育問題をどのように感じておられるのだろう。いまからお話が楽しみだ。

同志社大学学友会倶楽部第7回講演会 書家・龍一郎さん「教育のあり方を問いかけたゲルニカ事件から30年の想い」

同志社大学学友会倶楽部第7回講演会 書家・龍一郎さん「教育のあり方を問いかけたゲルニカ事件から30年の想い」

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

タブーなき言論を!絶賛発売中『紙の爆弾』11月号! 旧統一教会・幸福の科学・霊友会・ニセ科学──問題集団との関係にまみれた「安倍カルト内閣」他

田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

◆音が鳴った

10月18日、六代目山口組若頭の高山清司が府中刑務所を出所する。組長の司忍以上に組織統制の要と言われる高山の出所を前に、4度目の「音が鳴った(銃撃が起きた)」。

すなわち、10月10日に山健組本部前で、六代目山口組の中核組織・弘道会(竹内照明会長)の丸山俊夫幹部組員(68歳)が、山健組幹部2人を弾いた(射殺した)のである。


◎[参考動画]神戸で組員2人射殺 逮捕の男は報道関係者を装う(FNN 2019年10月11日公開)

周知のとおり、弘道会は高山若頭、司忍組長の出身母体だ。この事件をうけて、兵庫県警は11日に六代目山口組総本部事務所と神戸山口組事務所など同県内計11カ所の組事務所について、暴力団対策法に基づく使用制限の仮命令を出した。

9月29日にも、埼玉県飯能において銃撃事件が発生したことが週刊誌で大きく報じられている。撃たれたのは任侠山口組の幹部の弟(堅気の塗装業者)だった。任侠山口組(織田絆誠代表)への攻撃であれば、六代目山口組の組員による犯行との見方がつよい。

それに先立つ8月21日には、六代目山口組の弘道会の兵庫県神戸市熊内町にある関連施設で、やはり発砲事件が発生している。弘道会傘下の二代目藤島組に所属する加賀谷保組員(51)が、複数の銃弾を浴びたのである。撃たれた加賀谷組員は、腕を切断せざるをえなかったという。

さらにさかのぼる4月18日に神戸市内の路上で、神戸山口組の中核組織である山健組の與(あたえ)則和若頭が、弘道会系の組員に刺されている。

8月の事件は4月の事件の“返し”として、山健組が神戸にある弘道会の拠点を襲撃した可能性があり、そうであれば10月10日の事件は、高山若頭の出所を前にした、弘道会の血の報復とみるべきであろう。8月21日の事件は、ほかならぬ高山若頭の住居で行なわれたのだから――。

ここまで読まれて、ヤクザマニアでなければ何が何だかわからないのではないだろうか。いったいどことどこが戦い、山口組はそもそもどうなっているのか(苦笑)。


◎[参考動画]六代目山口組総本部など「抗争状態」判断で使用制限(FNN 2019年10月12日公開)

◆3つの山口組

そこそこに知っている方も、ここでおさらいだ。山口組が分裂したのは2015年8月のことである。

六代目司忍組長・高山清司執行部体制に不満を抱いていた直参グループが、井上邦雄(山健組)を組長に、神戸山口組を旗揚げしたのだった。六代目に対する批判は、弘道会による役職の独占および上納金(月額100万円)、そして生活物資の買い取り(本家からの購入強要)であった。暴対法、暴排条例でシノギが厳しくなった中で、カネに執着する本家への反発である。五代目渡辺芳則組長は、組織拡大路線のもと、上納金を低く抑えていたではないか、と。

ところが、井上組長の神戸山口組もまた、直参組織を上納金で縛るという実態が明らかになったとして、織田絆誠(金禎紀)を首班とする任侠山口組がたもとを分かったのが2017年の4月である。こうして山口組は3鼎立することになったのだ。

六代目山口組 10300人 
神戸山口組   2700人
任侠山口組   460人

もともと、六代目山口組が発足したとき(2005年)に、それまで主流派だった山健組(渡辺五代目の出身母体)は人事で不満を抱いていた。弘道会による執行部人事の独占である。実力派の後藤忠政(後藤組組長)が除籍になったのを機に、13人の直参組長たちが謀反の談合を開いたところ、各個呼び出されて除籍処分になったのが、2015年分裂の遠因である。この除籍の顛末は、談合自体が弘道会の謀略だったという(『血別』太田守正、サイゾー刊)。

◆本格的な抗争は起きない

それはともかく、ヤクザジャーナリズムが騒ぎ立てるほど、本格的な大抗争が再燃するとは思えない。少なくとも組織としての山口組三派は、抗争を禁じる措置をとっているからだ。民法上の使用者責任が組長におよぶ、というのが一番の決め手である。

事件によって挙げられるのは、もちろん組長だけではない。銃撃したヒットマンも、よほどの覚悟がなければ出頭することはできないだろう。むかしなら新聞や実話誌で派手に報じられて、十数年の懲役を受けながらも任侠界に名をとどろかすという一幕だが、いまはそうではないのだ。

ヤクザなら相手を殺せば長期刑(30年か無期)、無期になれば堅気にならないかぎり、仮釈放は認められない(2000年に思想犯の除外を検察庁が更生保護委員会に指示)。見かけだけ堅気になったとしても、組に復帰すれば収監される。無期懲役の仮釈放は、刑期満了ではないからだ。かりに懲役30年になったとして、25歳の若きヒットマンは55歳でやっと出所ということになる。

人生100年時代とはいえ、人生の盛りの大半を獄中の労役で過ごすのである。ちょっと落ち着いて考えれば、捕まりたくないはずだ。そんなわけだから、9月の事件では、ターゲットを誤爆するというチョンボを犯している。しかるに10月10日の事件(2名殺害)は、斯道界のみならず警備当局、市民社会を震撼させるものだった。それがヤクザの犯行ではなく、マフィア的な犯行だからだ。

◆日本任侠道のマフィア化のきざし

当日は山健組の定例会が開かれている場所で、丸山容疑者は取材の実話誌記者たちとともに、記者を装ってカメラバッグの中に拳銃をしのばせていたというのだ。警察官の職務質問にも「実話誌の記者です」と答え、じっさいにカメラで撮影もしている。そして定例会が終わったとき、山健組の組員たちに誰何された段階で、2名射殺という襲撃を成し遂げたのだ。厳重警備を敷いていた警備当局に、その場で逮捕されたのは言うまでもない。

丸山容疑者はしたがって逮捕覚悟、あるいは死を覚悟のヒットマンだったことになる。2名殺せば、ヤクザでなくとも死刑(永山則夫規準)である。家族の将来を組織に託して、抗争事件でヤクザのレジェンドになる。それは確実な殺害と引きかえにヒットマンの犠牲を強いる、マフィア的な犯行である。

末端が禁じられている麻薬や詐欺事犯に手をそめ、捜査当局の締め付けのなか危険なシノギで生き延びる。そして抗争もまた、マフィア化しているというべきであろう。

ワールドカップラグビーの荒々しいプレイが、ある意味で「怖いもの見たさ」の求心力を持っているように、ヤクザ抗争は黒く熱い日本文化でもある。だから抗争事件は恐怖とともに、一般市民にも「のぞき見たい」刺激をあたえる。そうであれば、できれば親分同士が、どつき合いで決着(太田守正)をつけて欲しいものだ。そのときは、かならず取材に馳せ参じる所存だ。

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業、雑誌編集者。近著に『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)『男組の時代――番長たちが元気だった季節』(明月堂書店)など。

タケナカシゲル『誰も書けなかったヤクザのタブー』

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3・11からまもなく9年、「復興五輪」と銘打った東京オリ・パラの開催まで1年をきった。国は「復興五輪」で、福島の事故は終わったものしようと企んでいる。そんな中で避難者の存在が消されようとしている。原発事故の被害を無かったものにするためだ。しかし実際は、今も福島や関東など高線量地域から、被ばくを逃れてきた人たちが大勢いる。

そうした避難者らが現在、どんな状況に置かれているかを同通信では追っていく。第1回目は、森松明希子さん(45)です。

森松明希子さん

◆「私は幸運にも避難できたが……」

「2011年の3月11日、金曜日でした。私は家で、生後5ケ月の赤ちゃんをベビーチェアに乗せながら、ゆったりした時間を過ごしていました」。

あの日のことをそう話し出す森松明希子さんは、事故当時、福島県の郡山に夫と3才の息子、生後5ケ月の娘と4人で暮らしていた。事故でマンションが壊れ、夫の勤務する病院へ避難し、1ケ月間不自由な生活を余儀なくされた。

関西出身で、中学校の修学旅行で広島、高校で長崎を訪れており、「被ばく」の意味を知っていた森松さんは、原発が爆発したと知り、原爆でまき散らされた放射能のことを思い出し、遊び盛りの上の子には、外遊びを禁じていた。休日は新潟や山形のありふれた公園で、子供を外にだして遊ばせるためだけに、往復3時間かけて出かけるような生活だった。

事故後10km圏、20km圏へと「屋内待避」が命じられるなか、福島第一原発から60km離れた郡山にも放射能が広がるのは時間の問題だと思っていた。夫の車のガソリンを満タンだったので、いつ逃げるべきなのか、いつ避難指示を政府は出してくれるかと思っていた。

しかし地元のニュースは「通行止めだった道路が開通した」「●●スーパーが再開した」「〇〇病院が通常通りの営業時間に戻った」などばかり。原発が爆発したニュースは、全国一律で報じられる事以上の詳細は、放射線量も放射能汚染から身を守るべきことも伝えられなかった。

地元のローカル局の報道は、原発が爆発したニュースも一瞬画面に映しだされたが、4月に入ると小中学校や幼稚園の入学式・入園式が通常通り行われると報じ始めた。避難は政府の指示に従って、汚染の激しい原発に近いところから順番に、というのが合理的だと考えて順番を待っていたが、一向に被ばくに対する警鐘も注意喚起もなされないなか、子どもたちを一歩も屋外に出さないという生活に極度のストレスが溜まった。

幼稚園が休みになるゴールデン・ウイークに外遊びさせられる場所を求めていた森松さんに、実家の関西にいくことを進めたのは夫だった。両親、親戚らが住む関西に向かったのは、5月の連休だ。そこで初めて関西のローカル局のテレビの情報番組を見た。番組で福島とチェルノブイリの比較をやっていた。福島では知ることのない情報だった。郡山に残る夫と電話で話し合い、避難を決意、そのまま5月の長い連休を使い、母子避難の準備を一気に進めた。

「私は目の前に3才と0才の子どもがいたから、避難を決意できたのかもしれません。あと関西は土地勘もあり、両親や親戚もいたし。子どもが就学していたら、できなかったかもしれない」と森松さんは話し、さらに「私は子どもを守りたい一心で避難した。私の目の前には、守りたい子どもがいる。だから我慢できる。守りたい子どもが目の前にいない夫は、どうやって精神状態を保っているのだろう」と、仕事で福島に残り続ける夫を思いやった。

勤務医の暁史さんは、家族、とりわけ子どもたちとのコミュニケーションをとるために、毎週でも大阪に行きたい思いでいっぱいである。しかし患者の様態が急変することもあり、早め早めに予定を決めるのは難しい。月に一度が精いっぱいの時もある、勤務が終わった金曜日、夜行バスに飛び乗り、朝大阪に着く。土、日を家族と過ごし、日曜日深夜バスで福島に戻り、朝到着したそのまま仕事に就く、ということもしばしばあった。

◆支援が切られ、泣く泣く帰った仲間……

事故後、自主避難者へも住居などに行政の手が差しのべられたが、それも2017年で打ち切られた。森松さんが代表を務める東日本大震災避難者の会 Thanks & Dream (通称サンドリ)は、月1回、避難仲間や支援者が自由に集まり、情報交換したり、とりとめのないおしゃべりをする「イモニカイ」をやっている。そこへ集まるメンバーも最初のころからは随分変わってきたという。避難元に帰った人、福島には戻らないが、実家のある宮城に移った人、関東近郊に移った人など、さまざまだ。

「帰った人の理由はさまざまです。戻らないと離婚させられるという人もいた。一番多いのは、やはり経済的な負担が大きいからだと思います。でもそうしたことは人には言いにくい。こちらも聞きにくい。とにかく泣く泣く本意ではなく帰った人が多くいたことだけは確かです」。

◆メディアに伝えてほしいこと

「メディアの中には、私たちのことを取材してくださるところもあり感謝しています。でも、言いたいことも山ほどあります」と森松さんは話し始めた。

例えば「原発事故」という表現。事故はアクシデント、「それはちょっとしたアクシデントだね」という軽い感じに思われがちだ。チェルノブイリ被害国ではカタストロフィー(大惨事)という。森松さんは、「放射能ばらまき事件」と言うようにしている。今でこそ声を大にして、そのように表現することができるようになってきたが、8年前そう言うと、大バッシングにあったという。「放射脳」と揶揄されたり、「非国民」呼ばわりされたり……。

2つめは、「自主避難者」というメディアがつけた表現に起因すると森松さんは分析する。「自主」は 「自主トレ」などのように一見前向き、主体的に聞こえるし、そういう先入観を植え付ける。または「やらなくてもいいのに、わざわざ自主的にやっている」という印象もある。しかしそのことで、福島が未だに放射能に汚染されている「実態」が隠されてしまう、と森松さんは危惧している。

「私たちは汚染があるから、福島から出て来たのです。『自主』ではなく『自力』避難と言って欲しいくらいです。また、国連の勧告でも指摘されている通り、原発避難者は国内避難民(IDP)に該当します。政府には保護義務があるということ、国際社会から日本という国はどのようにみられているかということを、もっとマスメディアは報じるべきです」。

◆「風化」ではなく、被害事実の矮小化と隠蔽

事故から8年経ち、原発関連や福島の汚染状況などを伝えるメディアが徐々に減っている。こうした傾向は、来年の五輪開催へ向けて一層強まるだろう。人々はそれを「風化」という。しかし森松さんはきっぱりこう言う。

「『風化』ではありません。風化とは、形あるものがなくなっていくこと、時の経過とともに忘れ去られることです。放射能汚染の事実も被害の実相も、放射能が目に見えないことを良いことに被害の実相も認知されていない。つまり風化ではなく、それは単なる事実の矮小化と隠ぺいです」。大阪に避難するまでの2ケ月間、放射能に襲われるという被ばくの恐怖を「肌感覚」で感じてきたからこそ、そう言えるのだという。

「私は『歩く風評被害』といわれた時もあります。でも『風評』ではなく『実害』です。確かに線量は下がったが、放射能は土壌に深く積もったまま。そこに住まわすことを『人体実験だ』『モルモットだ』という人もいる。福島の人たちを差別するなという人もいる。以前に「フレコンの前で子育て、私ムリ」という川柳を作りました。これを読んで辛い人もいるのだからという批判も受けました。ですが、私は、でもこれ以上事実が封じ込められてはいけない、『私はフレコンバッグの前で子育てはしたくない』と誰もが堂々と被ばくを拒否する権利をコトバにできる社会であるべきだと思ったのです」。

原発賠償関西訴訟 第24回口頭弁論は11月21日(木)大阪地裁にて

◆子どもとともに裁判へ

森松さんの頭の中には、泣く泣く戻ったママたちのこと、様々な事情で避難できず福島にとどまった人たちのことが、いつもあるという。お金が欲しいだけなら、個人で訴えることもできるが、福島にとどまった人たちも救われる、そして避難した私たちも含め、すべての被害者が救われるための施策に結びつけたい、そして同じ過ちを繰り返さないで欲しい。

そんな思いから、「避難の権利」を求めて、2013年9月17日、大阪地裁に提訴、「原発賠償関西訴訟原告団」の代表も引き受けた。第一次提訴者数は27世帯80人、森松さんの家族は子ども2人と森松さんと夫の4人が原告となった。現在原告は238人、うち3分の1が子どもだ。

「私たちは、国が『国策』で進め、万が一にも事故を起こさないと公言していた原発から無差別に漏れ出た放射能のことを問題にしています。国策で進めてきたのだから、避難したい人には避難させ、その生活を保障する、そういう制度がつくれればと考えています」と裁判の意義と将来の展望を語ってくれた。

最後に、9月19日、東電の3役員に原発事故の刑事責任を問う裁判で、3人に無罪判決が下されたことについてお聞きした。

「東電は『万が一』といいます。17メートルの津波が来ることがわかっていたなら、万が一でも万が三でも(原発を止めないにしても)やるべきことがあったはずです。実際ちゃんと対策し、被害を免れた原発もあるのですから。ただあの判決を見た人たち、つまり市民社会が、今度はどう本気になって動くか、あるいは世論がどのように喚起するのかが、カギになると思います」。

森松明希子さん

▼尾崎美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。最新刊の『NO NUKES voice』21号では「住民や労働者に被ばくを強いる『復興五輪』被害の実態」を寄稿

〈原発なき社会〉を求める雑誌『NO NUKES voice』21号 創刊5周年記念特集 死者たちの福島第一原発事故訴訟

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「チベット亡命政府があるインド北部ダラムサラで3日から続いていた世界の亡命チベット人の代表による特別会議は5日、閉幕した。チベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世(84)の後継者選出を巡り、主導権を主張する中国に資格はないと拒否し、ダライ・ラマのみに権限があると宣言する決議を採択した。」(10月5日付け共同通信)

このニュースを最も喜んでいるのは、中華人民共和国政権中枢ではないだろうか。別のニュースでは「チベット人がいる限り、ダライ・ラマ制度は維持される」との声明もあったようだ。

84歳になったダライ・ラマ14世、本名テンジン・ギャツォ氏はチベット仏教の最高指導者であるとともに、明確な制度はないものの仏教界の最高指導者的な存在として、世界から尊敬を集めている人物である。チベットはもともと主権国家だったが、中華人民共和国に武力併合された。チベット民族は現在も約600万人が中国領域内に居住しているとされるが、中国は経済成長の過程で、表面上は自治州における民族自治の尊重を装いながら、漢民族以外への文化破壊をますます進行させてきた。ウイグル人の問題が近年日本でも報じられるようになったが、中国国内には指導者はともかく、独立を志向する100万人以上の民族集団として、チベット、ウイグル、内モンゴルが存在している。

ダライ・ラマは中国からの独立ではなく「高度の自治」を求めるにとどめているが、わたしの知る限りチベット人のあいだには「独立」を指向する人が少なくない。チベット問題は長く国際的な人権問題として西欧各国では取り上げられ、日本では右派が中国を攻撃する材料として利用されてきた。日本にはチベット亡命政府の大使館的(主権国家ではないので、パスポートやビザの発行業務は行えないが)存在として「ダライ・ラマ法王日本代表部事務所」がある。

第二次大戦後のアジアの混乱を象徴しているのが、ダライ・ラマであり、チベット人であるといえよう(彼の波乱に満ちた半生は「Kundun 」、「Seven Years in Tibet Little 」など映画化されてもいる)。しかし、今回の「ダライ・ラマ制度維持」の決議には、追い込まれたチベット亡命政府の焦りを感じざるを得ない。なぜならば、中国のチベット併合の理由は「前近代的な宗教国家からの解放」であったのだ。

そのトップがダライ・ラマであるけれども、ダライ・ラマ同様の「活仏」(生まれ変わりによる仏教上の地位)が実は数十人もいるのである。ダライ・ラマに次ぐ地位として、パンチェン・ラマがある。パンチェン・ラマは1995年5月14日に、ダライ・ラマ14世が当時6歳のゲンドゥン・チューキ・ニマ少年をパンチェン・ラマ11世と公式に承認後、5月17日に、両親共々同少年は行方不明となり、「世界で最年少の行方不明者」と話題になった。中国政府が親子ともども誘拐してしまったのだ。

このように出自により仏教上の地位が決まる選出方法を、中国は「前近代的だ」と批判する最重点課題においていたのであるが、残念ながらそれは正しい指摘だったといわねばならないだろう。卑近な例では天皇制と同じである。

ダライ・ラマ14世は、個人として非常に聡明であり、科学的思考に長けた人物である。が、同時にチベットからインドへの亡命前後から、米国への依存が強く、仏教の教えでは説明のつかない、軍事大国、侵略戦争国家=米国を批判できない立場にある。このあたりの矛盾とチベット伝統の仏教文化を継承するのは容易ではないことは理解に難くない。

ただし、わたしの記憶にある限りダライ・ラマ14世はわたしとの非公式な会話の中で、なんども「ダライ・ラマ制度はもはや時代遅れだ。これからの世界に認められる国家は、民主的であらねばならない。だからわたしが最後のダライ・ラマになるはずだよ」と語っていた。そしてチベット亡命政府は2011年選挙によりロブサン・センゲ氏を首相として選出している。

中国国内のチベット人居住区域でも、拝金主義は横行しているという。チベット人が望んだのではなく、中国政府が独裁を維持ずるためには、政府批判を避ける手段として拝金主義というイデオロギー注入を行ったのだ。しかし依然としてチベット人のアイデンティティーから離れないで、伝統的な生活様式を維持しているひとびとが国境を越えてインドに亡命を繰り返していた。ことしに入りインドと中国の緊張関係が高まり中国からインドへの亡命は激減していることだろう。

わたしは民族自決を支持したい。中国共産党という名前の独裁政党は、共産党を名乗りながら、社会主義、共産主義的経済や社会福祉を採用せず、実態は社会主義の「負の側面」=独裁だけを保持した帝国主義政党である(中国共産党が帝国主義政党であることと、日本がかつて中国大陸に筆舌に尽くしがたい侵略を行った事実は、双方とも注視され記憶されねばならない)。このあたりの認識が亡命チベット政府や、ダライ・ラマ14世には不足しているのではないか。

ダライ・ラマ14世は、信者の間では神様に等しい。しかし、仏教に神などはいないのであり、「無根拠な妄信」を戒めているのはほかならぬダライ・ラマ14世だ。

中国の侵略から半世紀以上が経過し、ダライ・ラマ14世も高齢化するなか、亡命している、あるいは中国内に留まっているチベット人の辛酸は察して余りあるが、利敵行為を採用するのはいかがなものか。ダライ・ラマ14世は幸運にも聡明な頭脳の持ち主(彼の政治判断全てを支持しているわけではないが)であったけれども、「民主主義」と「生まれ変わり」はどう考えても両立しない。

確たる解決策もないわたしが、嘴(くちばし)を突っ込む話題ではないのかもしれないが、チベット人には未来志向でいていただきたいと切望する。安倍晋三や櫻井よしこはあなたたちの真の味方ではない。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

タブーなき言論を!絶賛発売中『紙の爆弾』11月号! 旧統一教会・幸福の科学・霊友会・ニセ科学──問題集団との関係にまみれた「安倍カルト内閣」他

田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

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