「反差別」運動のリーダー・李信恵氏が批判者に対して言い放ったツイート

「鹿砦社はクソ」「クソ鹿砦社」などと、「反差別」運動のリーダーが口にするとは到底思えない汚い言葉で私たちを攻撃してきた李信恵氏に対して、鹿砦社は李信恵氏を名誉毀損で提訴しました。裁判の終盤になって李信恵氏が「反訴をしたい」と、突如表明しましたが、これが認められずに別個の訴訟となりましたので、私たちは前者を「対李信恵第1訴訟」、後者を「対李信恵第2訴訟」としています。

李信恵氏自身の汚い言葉は日毎にエスカレートし、さらにこれに付和雷同する者らも続出して来ており、これ以上放置していては取引先などへの悪影響も出かねず会社の名誉が著しく毀損されると、小なりと雖も会社の経営者としては日々心配が募っていました。

これ以前にも李信恵氏らは、彼女に批判的な人たちに対して、職場に内容証明を送ったり電凸攻撃したりして、職場にいづらくする手法を取ってきました。これにほとんどの人たちは訴訟で対抗することもなく、いわば泣き寝入りしてきました。普通の人が訴訟ひとつ起こすことは大変なことですから。

例外的に不当な攻撃に立ち向かったのは、公立病院に勤める金剛(キム・ガン)医師、四国の自動車販売会社を経営する合田夏樹社長らがおられます。人の命を扱う病院の秩序を乱すような電凸攻撃など、日頃「人権」を語る者として疑問がありますし、合田社長に対しては、メーカーの本社などにも電凸攻撃が激しかったとのことで、普通なら取引停止にもなりかねません(合田社長の会社は販売実績が良かったのでこれを免れたそうです)。さらには国会議員の宣伝カーを使った自宅訪問(未遂?)までありました。

 

李信恵氏の仲間で、M君リンチの場にもいた伊藤大介氏による恫喝

鹿砦社に対する誹謗中傷は、もうしばらく泳がせていたら、もっと証拠は集まったでしょうが、気が短い私は、到底待つことはできませんでした。「警告書」を送っても馬耳東風で止む気配はありませんでしたし、代理人の神原元弁護士から開き直ったような回答が来るほどでした(神原弁護士の回答が血の通ったものであったなら、おそらく提訴は思いとどまっていたでしょう。李信恵氏らカウンター界隈の人たちは、一神教のように神原弁護士に頼る傾向があるようですが、これは考え直したほうがいいのではないでしょうか)。

やむなく2017年9月28日、大阪地裁に300万円の賠償金と謝罪(広告)を求めて提訴した次第です。

さすがに提訴したことで少しは懲りたのか、鹿砦社に対する誹謗中傷は鎮まってきたようでした。私たちは訴訟を起こす資金的、精神的余裕もありましたが、仕事や生活に追われる普通の人はそうもいきません。

2019年2月13日、大阪地裁第13民事は、李信恵被告の不法行為/名誉毀損を認め賠償金10万円を言い渡しました。鹿砦社の勝訴、李信恵被告の敗訴です。金額は小さくとも李信恵被告の不法行為/名誉毀損を裁判所が認定した意義、それまで「正義は勝つ!」と豪語し「法律しばき」などと放言してきた神原元弁護士らに一泡吹かせた意義は大きいと見なしていますし、そうしたことによって彼らなりに“反省”(しているでしょうか?)し少しは暴言を自粛するようになったのであれば、所期の目的は果たされたと言っていいでしょう。

「李信恵という人格の不可思議」(『真実と暴力の隠蔽』巻頭グラビアより)

 

何が「極左の悪事」やねん!? 李信恵氏代理人にしてしばき隊の守護神・神原元弁護士によるツイート

残念ながら不法行為/名誉毀損を認められなかった部分の認定と賠償額増額を求めて鹿砦社は大阪高裁に控訴し、また李信恵氏も逆転勝訴を求め控訴、つまり双方控訴という形になりました。

李信恵氏は一審を舐めてかかっていたようで、一度も出廷せず、いったん承諾した本人尋問を翻意、陳述書も出しませんでした。さすがに控訴審では、結審ぎりぎりになって陳述書を出してきました(私は、これに対する反論も迅速に行いました)。そうして去る7月26日、大阪高裁は双方の控訴を棄却、つまり原判決維持の判決を下しました。すなわち鹿砦社の勝訴ということです。李信恵氏が上告するかどうかは分かりませんが、おそらく引っくり返ることはないでしょう。

先に上告棄却となったM君リンチ事件の訴訟は、獲得目標に至らず不満の残る内容ではありましたが、暴力に対して賠償金を裁判所が課す判決が確定したことで、明確なM君勝訴でした。これは集団暴力に対する訴訟でしたが、くだんの対李信恵第1訴訟は、いわば“言葉の暴力”=暴言に対する訴訟でした。これも鹿砦社勝訴です。裁判所の判断も、賠償額は小さいですが、李信恵氏らが決して清廉潔白ではないことに気づいてきています

李信恵氏らカウンター界隈の人たち、李信恵氏の代理人を務めている神原、上瀧浩子弁護士らも、「法律しばき」など品性のない言葉を使わずに、もっと理性的に動くべきではないでしょうか? ましてや「私怨と妄想にまみれた極左の悪事」などと私たちを侮蔑するのは、弁護士としての品位を著しく欠いていることは自明でしょう。

ところで、第1訴訟控訴審で李信恵氏は、一審では出さなかった陳述書を出してきました。さらに驚くことに、先日の第2訴訟では、意外にも李信恵氏本人が出廷してきました。第2訴訟の前にあった、李信恵氏が高島章弁護士を訴えた訴訟でも出廷し高島弁護士との直接対面があったようです(私は傍聴していませんが、傍聴した者の証言)。第2訴訟では、本人尋問も陳述書提出もあるかもしれません。望むところですが、第1訴訟をおざなりにして敗訴したことに懲りてのことだと推察されます。

李信恵氏に付和雷同して発信された仲間らのツイート(『カウンターと暴力の病理』巻頭グラビアより)

かつて鹿砦社は激しい裁判闘争で1億円以上のお金を遣い、(今話題になっている)大きな権威・権力に対して闘い存在感を示しました(ちなみに、最近、芸能界の奴隷契約について公正取引委員会が動き出しました。これは、鹿砦社刊行の星野陽平氏の力作『芸能人はなぜ干されるのか?』に公取委の職員が注目し、星野氏を呼んで勉強会を行ったりして今回の警告に繋がりました。7月26日付け本通信参照)。判例集に載っている判決もあります。

人は、お金の問題ではなく、闘うべき時には闘わないといけません。神原弁護士の言う「売名と集金」などではありません。今回の対李信恵氏との訴訟についても、最後まで全知全能、全身全霊で闘い、「反差別」に名を借りた不当な暴言・暴力に対して断固として立ち向かうことを、あらためて決意するものです。

(おことわり;M君の訴訟は広く多くの皆様方のカンパで最後まで闘うことができましたが、くだんの対李信恵第1、2訴訟は全額鹿砦社の資金で闘っています。1円たりともM君訴訟で集めたカンパを流用していません。あらためてお伝えしておきます)。

最後に、もうひとこと言わせてください。M君リンチ事件訴訟で、エル金こと金良平氏は、確定した賠償金を未だ支払っていません。M君を村八分にし「エル金は友達」などと騒いでいた人たちは金良平氏を助けないのでしょうか? あなた方の「友情」とはその程度のものですか? リンチの現場に同座していた李信恵氏らにも道義的責任、連帯責任があると考えますが、この期に及んで知らぬ存ぜずでは人間としていかがなものでしょうか?

7月26日大阪高裁近くにて

《関連過去記事カテゴリー》
 M君リンチ事件 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=62

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鹿砦社 http://www.rokusaisha.com/kikan.php?bookid=000541

6月28日熊本地裁で勝訴判決が下されたハンセン病元患者家族訴訟は、7月9日安倍首相が控訴を断念したことで、患者の家族も差別で多大な被害を受けてきたとの判決が決定した。今回お話を伺った黄光男さん(ハンセン病元家族訴訟原告団副団長)は当初、「自分に被害はない」と原告になることを最初断ったという。しかし長く切り離された故、家族関係をうまく築けず、母の亡骸に涙一粒出せなかったことは、黄さんの一番の「人生被害」ではなかったか。[※インタビューは7月14日、大阪市西成区集い処はなで行われたものです。]


◎[参考動画]「問題放置は国家の責任」元患者家族訴訟原告団が会見(共同NEWS 2019/7/12公開)静止画像左から2人目が黄光男さん

安倍首相の控訴断念をうけて東京で開かれたハンセン病元患者家族訴訟原告団の記者会見(2019年7月12日)画像左から3人目が黄光男さん

── 黄さんと初めてお会いしたのは2011年の正月、私の住む釜ヶ崎の越冬闘争に黄さんらのバンドが参加し、そのあと打ち上げをやっていた居酒屋でした。狭山裁判の西岡智さん(故人)に紹介されたんですね。その後何度かライブでお会いし、久しぶりに会ったのが2016年「ハンセン病フォーラム」で、黄さんは患者の家族の皆さんで作る「れんげ草の会」で参加されてて、驚いたのを覚えています。

黄  僕は、1995年大阪の吹田で産まれましたが、まもなく母親がハンセン病にかかっています。役所の職員がしつこく施設に入所しろと言いにきましたが、母親はずっと断っていたようです。でもある日両親と姉2人と僕の5人で銭湯に行ったら「もう来るな」と断られた。当時ハンセン病はうつる病気と宣伝されていたからね。本当は感染力が弱いのにね。あと家に大阪府の職員が来て消毒する、次第に周囲の人も僕の家族を避けるようになって、母親は「これ以上家族に迷惑かけれん」と入所を決めたようです。

1956年12月に家族と別れて9年目に、育児院に迎えにきた母(左)と学生服を着た黄光男少年

1956年の12月6日、私は岡山市内の新天地育児院へ、両親らは日生(ひなせ)から船で瀬戸内海の愛生園に行くことになった。付いてきた大阪府の職員が、1歳4ケ月になっていた僕を取り上げようとしたとき、母はものすごく喚いて暴れたそうです。

その後まもなく僕のいた育児院に、愛生園の看護師さんが「雇ってくれ」と来たそうです。じつはその女性は愛生園でうちの両親のいきさつを知ったようです。育児院に転職した彼女が、毎週のように僕を抱いて愛生園に面会に行っている、それを僕は最近知りました。片道1時間以上かかる1日仕事です。育児園の園長が「何故そこまでやるの?」と聞いたら、その人は「離れ離れになっていても、頻繁に会える親子と会えない親子では、愛情の向け方が違う。離れていても愛情が結べるように」と言ったそうです。その人が辞める6歳まで面会に連れて行ってもらいましたが、僕にはその記憶が全くない。

── それから9年後に尼崎で家族5人が一緒に住むことになった。でも黄さんはずっと「他人行儀な感覚」だったと陳述書に書いていますね。ストレスで体調を崩したと。

黄  家族にしたら、家族5人で暮らす希望でいっぱいだった。でも僕は親と思えなくて、わがまま言えない、おねだりもできない。親も僕を叱らない。そんなギクシャクした関係にストレスが溜まったのか、夏休みの間ひと月入院しました。病名は肺炎となっていましたがね。

── お母さんの病気のことを知ったのはいつでしょうか?

黄  一緒に住み始めた翌年、小学校4年のとき、お袋が毎日薬を飲んでいたので、ある日「何の病気?」と聞きました。親父も姉さんも仕事に出て誰もいないのに、お袋が小声で「らい病」といいました。その雰囲気が非常に緊張した感じで、このことは絶対人に言ってはいけないと敏感に感じました。家族の中でも触れてはいけないという感じでした。

── 進学や就職などの相談なども、両親にはあまり話せなかったですか?

黄  ほとんど自分で決めてたね。中学卒業する時、高校は朝鮮学校に行きたかったが、結局尼崎工業高校に行き、そこで初めて本名を名乗るようになりました。

── その尼崎工業高校で解放教育に出会い、人権問題に関心をもつようになったとお聞きしました。その後尼崎市役所の職員になり、そこで出会った仲間と87年位にドランカーズを結成、人権バンドとしても活躍しますが、その仲間にさえ親の話はしなかったのですか?

黄  まったくしなかった。

── 親のことを話そうと思ったきっけかは?

黄  2001年の判決の2年後に、家族の仲間の会を作ろうと言う話になった。なぜ作ったかと言うと、2001年の裁判では当事者が亡くなっていて、遺族として原告になっていた人たちがいたから。僕は2001年の裁判は蚊帳の外でしたが。ハンセン病の家族の奥晴海さんや赤塚興一さんが中心になって、家族の会「れんげ草の会」ができました。当時は自分らの裁判を起こすと言うより、癒しの場でした。家でもそういう話はできなかったので、年に一度旅行に行って羽根をのばして思う存分語ろうと。

僕は2015年初めて参加しました。その前の2013年「ハンセン病を考える尼崎市民の会」が発足し、僕も誘われ入りました。実はそこへ僕を誘ってくれた仲間に、昨日(7月13日)会ったら、誘った当時から、僕の親が元患者だったことを知っていて誘ったと知りました。その後ポツポツ喋るようになった、少しづつね。2013年は阿倍野区民センターでハンセン病の集会があり、そこで僕は元患者の家族として発言しています。まだ匿名でね。その時バンド仲間に親のことを話したと思います。

── そこからどういう経緯で家族訴訟を起こすことになったのですか? 

黄  2003年に退所者給付金が出始めましたが、その後退所者が亡くなったら、その人の配偶者に出る制度ができた。家族ですよね。「そういう家族に給付金が出るのに、私らになぜ出ないの?」と、毎年国宗弁護士のいる熊本でやるれんげ草の会で、奥晴海さんが弁護士に提案したそうです。僕は風邪ひいて熱でうなされていたので、よく覚えていませんが。弁護士も、給付金の話は聞いてはいたが、勝てないとだろうと思っていた、負ける裁判はしないと決めていたそうです。でも家族の皆に追及され、やらなければと考え直したそうです。

ちょうどその2015年、12人の家族に聞き取りを行った黒坂愛衣さんの「ハンセン病の家族たちの物語」が出版された。僕も匿名で書かれています。そんなことも重なり、暮れの12月に裁判を起こそうとなった。僕にも弁護士から「原告にならないか」と電話がきたが、最初断りました。僕はそんなに被害がないと思っていたから。でもやらなければと考え、2回目電話がきた時に決めました。1番目が林力先生で、僕は7番目。れんげ草の会が当時40人位だから、原告はふた桁いくかなと思われていた。

2016年2月15日、熊本地裁で黄さんら原告59名が家族訴訟を開始。その後、原告数は569名に増えた

── 最終的に500人以上集まった訳ですが、よく集まりましたね?

黄  第一次提訴は2月、二次が3月、最終的に569人集まった。一次提訴した2月15日にやった記者会見の記事が新聞の一面に出ましたが、そこに「家族原告に加わりたい方はここに電話して」と国宗弁護士の事務所の連絡先を書いていたら、ひっきりなしに電話がかかってきたそうです。

── 黄さんが副団長をやり、しかも実名でいこうと決心したきっかけは?

黄  さっき紹介した黒坂さんの本で、団長の林さんが「恥でないものを恥とするとき、本当の恥になる」と話していて、その言葉にグザッときてました。れんげ草の総会で、林先生が団長で、あとのメンバーで副団長決めようとなり、僕に白羽の矢がたった。僕はくじ引きしようと言いましたが(笑)。そして副団長になったからには実名で出ようと。

── 裁判ですが、6月28日、熊本地裁で、ハンセン病患者の隔離政策によって、元患者の家族も差別などの被害を受けたとして、原告541人に一人あたり33万から143万円、計約3億7千万支払えと命じた勝訴判決が下されました。国は当初「隔離政策は家族を対象としておらず、(国は)差別や偏見を除去する義務は負わない」と主張して争う姿勢を見せていたようですが、勝因はどういう点にあるとお考えですか?

黄  3年かかった裁判では、569人の原告の陳述書が出来上がった。そこにはそれぞれの家族の「人生被害」が見事に語られている。それと昨年3月から始まった証人尋問、僕も含め29人が証言しました。1人1時間くらい、午前中2名、午後から3名くらいやった。まあそれを聞いたら裁判長も「被害がない」とは言えませんよね。国もそうだと思うが争っているから口に出しては言えない。普通に聞けば、あの判決が出て当然と思います。

── 反対尋問もあったのですか?

黄  あったが反対尋問というか、付け足しみたいなもの。「そうではない」と言う反対尋問はなかった。しようがないでしょ。例えば「小学生のとき、バイ菌、バイキンと言われた」と本人が証言しているのに、「そんなことないでしょう」とは言えないからね。

吹田で産まれた黄光男さんとお母さん、二人のお姉さん

── 29名の原告証言が、非常に重要な意味を持っていたのですね?

黄  そうですね。「あなたどこで生まれましたか?」「家族は誰がいましたか」など質問項目が100位ありました。つまり人生を全て語るわけですからね。

── 辛い話になりますが、黄さんはそこでご両親が自死された話も聞かれたのですね?

黄  もちろんです。親父とお袋は2001年賠償金を貰い、JR尼崎駅前にマンションを買い住んでいました。その後退所者給付金も入り、のんびり生活してました。でもお袋は老人性うつ病を発症し、ご飯が作れないようになった。親父は何もできないので困り、僕も週に1回くらい通ってました。お袋はいろんな病院で診てもらったが、実際はどこも悪くはない。

あるとき、休養をかねて入院する話になり、入院の手続きを取った。病院に行こうという朝、お袋は「今日は調子いいから入院やめとくわ」と言う。2003年1月26日、嫁の誕生日に外で食事して家に帰ったら、警察から電話が入りました。お袋がマンションから飛び降りたと。親父は気付かず寝いっていて、警察が家に入れない。困って隣の家のベランダ伝いに親父の部屋に入ったが、まだ寝入っている。結局親父は疑われて、そのままマンションで警察に事情を聴かれてて、それで僕に連絡が来たんですね。

── インタビューで、黄さんがお母さんとうまく親子関係を築けず、それでお母さんを苦しんでいたのでは、と話されていましたが?

黄  亡くなったお袋には、僕が初めて会ったが、僕はただ呆然としただけでした。1歳から9歳までの8年間離れて、親子関係を作れなかった結果、亡くなった母親を見ても、涙一つ出せなかった自分がいて……。親父はそれから1人ではやっていけないので、マンションを出て老人ホームに入りましたが、2011年、お袋と同じ方法で亡くなりました。(つづく)

黄光男(ファン グァンナム)さん。1955年大阪府吹田市で在日朝鮮人二世として生まれる。1歳の時に母親と姉がハンセン病を発病、岡山の療養所に隔離され、本人は岡山市内の福祉施設で育つ。1964年家族5人が社会復帰し、尼崎で暮らす。尼崎工業高校卒業後、尼崎職員に採用。ハンセン病の親のことを長らく語らなかった。2016年2月、「ハンセン病家族の集団訴訟」の原告副団長となる。尼崎市在住。「思いよ とどけ!」は黄光男さん作詞・作曲の歌


◎[参考動画]ハンセン病家族訴訟 思いよ 届け(宮崎信恵さん2019/7/1公開)

▼尾崎美代子(おざき・みよこ)https://twitter.com/hanamama58
「西成青い空カンパ」主宰、「集い処はな」店主。

〈原発なき社会〉を目指す雑誌『NO NUKES voice』20号 尾崎美代子さんの福島現地報告「原子力ムラに牛耳られた村・飯舘村の「復興」がめざすもの」掲載

創業50周年!タブーなき言論を! 月刊『紙の爆弾』8月号

◆タレントの移籍制限をめぐって調査に乗り出した公正取引委員会

芸能界がパニック状態に陥っている。その端緒となったのは、7月17日21時ごろNHKのニュース速報だ。

「元SMAP3人のTV出演に圧力の疑い ジャニーズ事務所を注意 公正取引委」

このテロップがテレビ画面に表示されると、多数のネットメディアを通じて一気に拡散した。

公正取引委員会がタレントの移籍制限をめぐって調査に乗り出しているという情報は、『週刊文春』(3月14日号)で報道されていたが、ついに来たかという思いだ。


◎[参考動画]ジャニーズ事務所に注意 元SMAP出演に圧力の疑い(ANNnewsCH 2019/7/18公開)

これについて詳しい報道をしている『文春オンライン』(7月24日)によれば、SMAP解散後、2017年9月にジャニーズ事務所を退所した稲垣吾郎、草彅(くさなぎ)剛、香取慎吾の3人を巡るジャニーズのテレビ局への圧力だという。

公取委は昨年頃から3人の独立後に出演番組が次々に終了した経緯をテレビ局などに対し調査してきた。その過程で、かつて嵐のチーフマネージャーで現在、主にテレビ局との交渉やキャスティングを担当しているA氏の行動が問題になった。

A氏は元ジャニーズの3人を起用すると、テレビ局の担当者に「どっちなんですか?」などと迫り、暗に忖度を求めてきたという。

独禁法が定める公取委の対応には、重い方から順に「排除措置命令などの行政処分」「警告」「注意」と3段階の措置があるが、公取委のホームページによれば、「違反行為の存在を疑うに足る証拠が得られないが,違反につながるおそれがある行為がみられたときには,未然防止を図る観点から『注意』を行っています」

A氏は決して「終わらせろ」とは言わず、証拠も残さなかったため、未然防止を図る観点から「注意」をしたのだろう。

◆「芸能事務所間でタレントの移籍制限をしていれば行政処分の対象となる」

 

芸能界の歪んだ「仕組み」を解き明かす! 星野陽平『増補新板 芸能人はなぜ干されるのか? 芸能界独占禁止法違反』在庫僅少

私は、芸能事務所を辞めたタレントが一切、その後、テレビに出演できなくなる、いわゆる「干される」という現象に関心を持ち、2014年に『芸能人はなぜ干されるのか? 芸能界独占禁止法違反』(鹿砦社)を上梓し、その後も関連書籍を出してきた。

タレントが干されることへの関心は近年、高まっているが、特に2016年に起きたSMAP解散騒動で社会問題となり、2017年3月には、公取委からの要請で私が講師となって勉強会を行った。ここでは、その内幕を少し紹介したい。

公取委での打ち合わせの際、私は職員から、2015年に関西の私立小学校でつくる団体が加盟校間で児童の転校を制限する取り決めをしていたことが独禁法違反(不当な取引制限)に当たる恐れがあるとして警告した事例を提示され、「芸能事務所間でタレントの移籍制限をしていれば行政処分の対象となる」と言われた。

多数の芸能事務所が加盟する一般社団法人日本音楽事業者協会は、もともとタレントの移籍を防止し、独立阻止で結束するために設立された団体であり、私の著書でもその問題を採り上げていた。

◆芸能界と強いパイプを有する政治家

また、次のようなことも聞かれた。

「芸能界とパイプのある政治家ってご存知ですか。例えば、スポーツだったら、森喜朗さんが強くて、森さんを通さないと何事も動かないっていう話があるじゃないですか。私が取材した限りでは、そういう政治家がいないんです」

公取委の職員が芸能界とパイプのある政治家について調査しているということは、公取委として芸能界の問題に着手する用意があるということだろう。だから、公取委はかなり本気で芸能界の取締りをするつもりなのだろうと感じた。

なお、政治家と芸能界の関係については、昔は中曽根康弘元首相が音事協の会長をしていた時期があったが、近年はあまりそういった政治家は少ない。ただし、昔、芸能事務所の名門とされる渡辺プロダクションが佐藤栄作元首相を応援するキャンペーンをしていたから、大手芸能事務所が政権を支援する可能性はあるということを私は申し上げた。

近年では、吉本興業が安倍政権と近い関係を結んでいる。吉本芸人のトップである松本人志は安倍晋三首相と昵懇であり、4月には安倍首相が吉本新喜劇の舞台に登場、6月6日にはG20大阪サミットに関連して吉本新喜劇の芸人たちが総理大臣公邸を訪問している。

そんなこともあり、「ひょっとしたら、芸能界に切り込もうとする動きを政治家が潰すようなこともあるかもしれない」という気もした。

◆芸能界の改革は国益上重要である

私は『芸能人はなぜ干されるのか?』を5年もかけて執筆したが、その目的の1つには行政が芸能界に介入するよう促すことにあった。

そこで、私は公取の勉強会で芸能界の改革が国益上重要であることを主張している。官僚ならば、「国益」と聞けば関心を示すと考えたのだ。

勉強会で使用した資料「独占禁止法をめぐる芸能界の諸問題」はネット上にアップされている(https://www.jftc.go.jp/cprc/katsudo/bbl_files/213th-bbl.pdf)。

 

星野陽平「独占禁止法をめぐる芸能界の諸問題」(2017年3月、公正取引委員会競争政策研究センターでの筆者講演レジュメ ※本画像をクリックすると全文PDFがリンク表示されます)

その中で、1950年代、アメリカでラジオDJに金銭を渡してヒットチャートを操作する「ペイオラ」が社会問題化し、ペイオラを禁止する法律が施行された事例を紹介している。

日本女子大学文学部准教授の藤永康政氏が「時は冷戦の盛り、このような〈公開の討論〉に付すことができないものは〈非アメリカ的〉である、と考えられたのです。つまり単なる贈収賄が、イデオロギー戦争の一部となったのでした」と述べているのを引用し、「アメリカはソ連と対抗するためにソフトパワーを強化する狙いがあったのではないか。それを現在の日本に当てはめると、近年、勢いを増す中国に対抗するために日本としてもソフトパワーを強化することが有効なのではないか」という私の見解を述べた。

公取委の職員からは「アメリカの芸能界について解説してほしい」と要請されていたので、そうした説明が響くと思ったのだ。

我が国でもソフトパワーの重要性については理解されており、2010年から経済産業省で「クール・ジャパン室」が開設され、日本の文化・産業の世界進出促進、国内外への発信などの政策を推進している。

だが、日本から海外輸出されている放送コンテンツの大半はアニメで相対的に芸能分野は少ない。その原因は芸能界の構造的な問題があり、それがボトルネックとなって競争力の低下を招いている。だから、行政が積極的に芸能界に介入し、健全な競争を促すべきだ、と結論づけた。

そして、今、芸能界はパンドラの箱が開いたかのようになっている。

ジャニーズに対する公取委の措置が報じられた直後、騒動が吉本興業に飛び火した。

事務所を通さない「闇営業」を反社会勢力との間で行った問題で「雨上がり決死隊」の宮迫博之と「ロンドンブーツ1号2号」の田村亮が7月20日に行った謝罪会見で、2人が所属する吉本興行への不信感と同社の岡本昭彦社長から圧力を受けていたことを明かした。

これを受けて、22日、岡本社長が会見を開いたが、逆に火に油を注ぐ結果となり、ネット上で大炎上している。吉本所属の芸人から次々と批判の声が上がり、吉本興業はパニック状態となっている。


◎[参考動画]【全編】宮迫さんと田村亮さんが謝罪会見(2019年7月20日)

そんな中、24日、サンミュージックプロダクション所属のお笑いタレント、カンニング竹山が番組で「僕自身、4つくらい事務所変わってる」とし、「これをきっかけに芸能界全体も。野球選手もサッカー選手も移籍あるじゃないですか。だから芸能界全体も才能を買ってくれる人のところに自由に行くという態勢を作らなきゃいけなくて」と述べた。

「タレントの移籍の自由」は、まさに私が著書の中で主張してきた根幹部分だが、これまでの常識から考えればこのような主張をタレントがテレビ番組で主張するなどということは考えられなかったことだ。

「芸能事務所はタレントに投資をしているのだから移籍や独立は認められない」とよく言われる。

公取委での勉強会でも「芸能事務所はタレントに投資をしているのではないか?」という質問があったが、アメリカではタレントが日本の芸能プロに当たるエージェントを乗り換えるのは自由である。

「それでは投資ができないのではないか?」と思われるかもしれないが、エージェントは投資をしないのである。

どういうことか。例えば、アメリカでは映画俳優の志望者はまず、ハリウッドに行ってアフタースクール(俳優養成学校)に入学する。アルバイトをしながら、アクタースクールに通い、芝居の技術を磨き、実力が認められればエージェントと契約ができる。それからエージェントからオーディションの情報をもらい、起用が決まればエージェントが契約をしてくれ、ギャラが入ったらエージェントが1~2割の手数料を引いて残りが俳優の取り分となる。だから、エージェントは投資をしていないのだ。それでも芸能界は回るというより、世界でもっとも競争力のあるハリウッドはそうなっているのだから、日本の芸能界でもできるはずだ。

公取委の措置がきっかけとなり、芸能界は今、大きな変革の時を迎えている。

▼ 星野陽平(ほしの ようへい)
フリーライター。1976年生まれ、東京都出身。早稻田大学商学部卒業。著書に『芸能人はなぜ干されるのか?』(鹿砦社)、編著に『実録!株式市場のカラクリ』(イースト・プレス)などがある。近著は『芸能人に投資は必要か?』(鹿砦社)著者ツイッター 

事実の衝撃!星野陽平の《脱法芸能》

星野陽平『芸能人に投資は必要か? アイドル奴隷契約の実態』芸能界の闇を照らす渾身の書!

まず数字から確認していこう。67議席→57議席、161議席→157議席。前者は自民党の改選前と選挙結果、後者は自民・維新・公明を合わせた改憲発議の議席数である。245議席のうち64%であり、3分の1議席に欠ける結果となった。このうち、9条改憲に慎重な公明党を、もともと改憲派とするには無理があるだろう。いずれにせよ、改憲の議論をする政党を選択してほしいという安倍晋三の選挙テーマは、国民のきびしい審判を受けるかたちとなった。

ようするに、安倍自民党は参院選挙に敗北したのである。マスコミはけっして見出しにはしないが、改憲選挙は自民党の敗北に終わったのである。10人(15%)にものぼる「同志」が浪々の身となり、政権批判政党の立憲民主、れいわ新選組などが倍増(立憲9→17、れい新1→2)と躍進したにもかかわらず「連立与党で71議席、改選議席の過半数を大きく上回る議席をいただきました」などと、安倍は敗北を糊塗するありさまだ。

◆2割を切った安倍自民党「支持率」

得票数は自民1271万票、立憲民主669万票、公明・維新・共産が400万票台、国民200万、れい新100万、N国84万、社民76万、その他70万。つまり有効得票率で自民は39.77%。得票率が48.8%と5割をわった中での、じつに参政権のある国民の2割に満たない「支持率」なのだ。

国民の2割に満たない支持率の政党が「一極支配」を継続する、まさに独裁政権が我が世の春を謳歌する日本は、政治後進国と言わざるをえない。漫画的な安倍極右政権がまかり通るのも、われわれ国民のレベルがそうさせているという、ある種の諦観に襲われる。が、その行く先にファシズムと戦争の危機が待っているのだとしたら、あきれ顔で手をこまねいているわけにもいかない。とりあえず選挙結果を分析していこう。


◎[参考動画]低投票率も “れいわ旋風”など異例の候補たち奮闘(ANNnewsCH 2019/7/22公開)

◆れいわ新選組とNHKから国民を守る会の躍進

山本太郎のれいわ新選組、NHKから国民を守る会が議席を獲得し、それぞれ政党要件をみたした。山本太郎の演説力は、たとえば各局のワイドショーのコメンテーターが口をそろえるように、一般の通行人の足を止めるほどのものがあった。現在、政界でそれをやれるのは小泉進次郎と山本太郎しかいないという評価は、うなずけるものがある。

山本太郎の経済政策はリフレと財政出動で、つまりアベノミクスと同じ緩和政策だが、中身は180度ちがう。学生の進学助成金の無償化、最低賃金の時給1500円化、総じて若年層への手厚い経済補償によって可処分所得を創出し、消費を刺激するというものだ。そのためには、消費増税の凍結ないしは廃止という大胆なスローガンを打ち出した。

背景にあるのはMMT(Modern monetary theory)すなわち現代貨幣理論である。異端の経済学ともいわれるMMTの提唱者、松尾匡(立命館大学・理論経済学)が経済政策の師であると、山本太郎は公言している。その松尾匡の講演録(薔薇マークキャンペーン)をはじめ、山本太郎の論考、MMTに対する批判的な試論(石塚良次専修大学教授)などを掲載した『情況』(2019年夏号)を参照されたい。

◆ハイパーインフレは起きない

山本太郎の主張を結論からいえば、このままお札を刷り続けても若い人に配分しないかぎり、そこから得られる利潤は大企業に吸い上げられるだけ(内部留保400兆円)だから、もっと市中にカネをまわせ。消費につながる財政出動をしろということだ。膨大に膨れあがっている国債は日銀が買っているのだから、信用不安が起きる要件はない。一般に考えられている国の借金は、赤字国債というたんなる数字にすぎないのだ。このことが、一般の人たちには「国家財政の破綻」「ハイパーインフレの危険性」として財務省から語られ、それをそのまま信じ込まされている。市中のモノがあふれ、生産がむしろ過剰生産でもある現代の日本に、ハイパーインフレは起きようがないではないか。

第一次大戦後のドイツ、第二次大戦後の日本のように、物資が底をつくほどなくなり、生産力が疲弊した場合にものみ、いくら札束をもっていっても何も買えないハイパーインフレは起きる。商品がないから価格が上がるのであって、単に貨幣の信用が失墜するわけではない。替えない結果、他の貨幣が通用するのだ(紛争地域におけるドル)。インフレが景気循環と受給関係に起因する原理からいえば、これほど単純な話はない。モノがあるかぎり、市場経済は正常に機能する。財務省に騙されるな! 付言しておけば消費においてはともかく、第一次大戦後のドイツの鉄鋼資本は急速な回復力でドイツを復興させたし、日本も朝鮮戦争特需があったとはいえ、奇跡的な復興を遂げたではないか。ただし、現在の日本にそのファクターはない。だからこそ、ハイパーインフレや財政破綻は生じようもないのだ。

◆国会が近くなった

経済政策よりも、いま興味を惹かれるのは比例区の特別枠で当選した船後靖彦氏および木村英子氏が重度障がい者である点だ。議事堂のバリアフリー化、質疑の方法など、国会には異次元の対応がもとめられる。政治の場において、障がい者との共生の内実が問われることになるのだ。

いっぽうのNHKから国民を守る会については、よくわからないというのが一般の反応ではないだろうか。じっさいに朝日新聞の出口調査では、N国に投票した人のうち、安倍政権での憲法改正に賛成が54%、反対が44%だという。つまりNHK受信料には反対(スクランブル放送化)だが、政治的には無定見なものと言わざるを得ない。


◎[参考動画]NHKをぶっ壊す!【政見放送】NHKから国民を守る党 (立花孝志 2019/7/10公開)

というのも、わたしが編集にかかわっている左派系雑誌の編集部の周辺からも、N国から出馬した人がいるのだ。思想的には根っからの左翼で、その政見は「国民のためになる政治を」であった。出版社の編集補助くらいしか仕事はしていないはずだから、供託金や選挙運動費はどうしたのか? また、もし仮にN国に建て替えてもらって個人で借金を負うのなら、その後の処理はどうなるのか? さっそく取材してみたいものだ。ちなみに立花孝志代表は、北方領土問題視察で自民党を離党した丸山穂高議員との提携を公言している。

いずれにしても、重度障がい者やフリーターが気軽に国政に参加(出馬)できる環境ができたのは、ある意味で革命的なことではないだろうか。

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業、雑誌編集者。近著に『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)『男組の時代――番長たちが元気だった季節』(明月堂書店)など。

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おそらく嫌な顔をされるであろうことは、覚悟の上だ。「なんでようやく新しい動きが始まったのに、そんなに斜めから見るの?」と思われる読者も多かろう。ご存じの通り、先の参議院選挙で、山本太郎氏率いる政党(その名前があまりにも不快なので敢えて記さない)が2議席を獲得し、政党要件を得た。政党要件を得ると様々な利点が生まれるが、その中に、議員がいれば「政党交付金」が手に入るというものがある。さて、悪法・悪制度の極みといってよい「政党助成金」を山本氏率いる政党は受け取るであろうか。受け取らなければ私の評価は若干だが上げることにあろう。


◎[参考動画]2019年4月28日京都・四条河原町

今回の現象を、《日本政治に左派ポピュリズム政党が誕生した。7月21日の参院選は日本においても、欧州で吹き荒れるポピュリズムの風が吹くという結果になった。》https://news.yahoo.co.jp/pickup/6330911と評している方に象徴的なように、あたかも「左派」の躍進のようにとらえておられる方が少なくない。

しかしそれは大いに間違っている。第一、当の山本太郎氏は「僕は保守ですから」(田中龍作ジャーナル)と明言しているし、わたしにとっては絶対に書きたくないその党名は、天皇制への無批判な肯定と、倒幕から戦後の歴史を肯定的にとらえる人が用いる単語の結合だ。以前もこの通信に書いたが、山本氏の主張の大方にわたしは異論ない。だが一升瓶で日本酒を5本飲んで、投票所に行っても「あの党名」だけは、絶対に書けない。

そしてもちろんすべてを見たわけではないけれども、ネットの動画サイトを見る限り、同党の候補者だった蓮池透さんが、東電や原発批判を展開はしていたが、ついぞ山本太郎氏から「原発批判」は聞かれなかった。聴衆が手にしている「政権をとったらすぐにやること」とかなんとか書かれたチラシには、確かに、最後のほうに原発廃止が書かれているが、遊説会場でそれについての決意が語られたことは、ほとんどなかったのではないか。


◎[参考動画]2019年7月18日福島駅頭演説後の質疑応答

いわばその反証ではないが、応援演説にあのインチキ脳学者、茂木健一郎まで担ぎ出したのには驚いた。茂木健一郎が3・11前に原発の広告に出ていたことを、陣営は知らなかったのだろうか(それならそれで不勉強すぎるし、知っていて出したのであれば不謹慎すぎる)。

前回の参院選では、福島の被災者や避難者が中心で、有名どころはせいぜい雨宮処凛くらいだった応援に、森達也、SUGIZO、松田美由紀、内田樹、岩井俊二、想田和弘、島田雅彦、佐藤 圭、山口二郎、DELI、伊勢崎賢治などが応援に足を運んだり、ツイッターで応援メッセージを送っている。今回も選対部長は斎藤まさし氏だったのだろうか。相変わらずセンス悪いなーとしか言いようがない。

イベントの司会は木内みどりが多かった。この人、官邸前抗議が盛んだったころ、高級外車に夫婦で乗り込んでしきりに手を振ってたなぁ。そしてこの応援陣の顔ぶれこそが「どこが左翼ポピュリズムなんだ」と言わせるに不足ないメンバーなのだ。伊勢崎なんか戦争がしたくてうずうずしている「紛争屋」じゃないか。東京新聞記者で、しばき隊の佐藤圭の名前も、がっかりさせてくれるに充分な存在だ。


◎[参考動画]2019年7月20日新宿駅西口

重度障害者を二人国会に送ったことは、評価されてよかろう。しかし山本太郎氏が今回の選挙公約の理論的支柱とした「日本の通貨で擦っている限り、国債はいくら発行しても大丈夫」とするMMT(現代貨幣理論)は、本当に機能するだろうか。どうやって国と地方合わせて2000兆円の債務を減らすのだろう。わたしはMMTを詳しく勉強していないが、通貨を発行すればするほど、貨幣価値が落ちてインフレを招くのが経済学の基礎ではなかったか。

最大の懸念は「いざとなったらいつでも大政翼賛会」に化けることが確実な、内田樹、岩井俊二、想田和弘、島田雅彦、佐藤 圭、山口二郎、DELI、伊勢崎賢治などの「中途半端」な付和雷同を積極的に応援者として利用していることだ。もし仮にあのように「醜悪」な党名にしなかったら、これほど広範でたちの悪い連中は集まらなかっただろうし、これほどの得票もなかっただろう。

見ているがいい。これから、一見庶民の味方の振りをしながら、この醜悪な名前の政党は新たなファシズムの核をなしてゆくだろう。


◎[参考動画]2019年7月21日 開票本部生中継

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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〈原発なき社会〉を目指して創刊5周年『NO NUKES voice』20号【総力特集】福島原発訴訟 新たな闘いへ

田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

韓国大法院(最高裁判所)は昨年10月30日、元徴用工4人が新日鉄住金株式会社(以下「新日鉄住金」)を相手に損害賠償を求めた裁判で、元徴用工の請求を容認した差し戻し審に対する新日鉄住金の上告を棄却した。これにより、元徴用工の一人あたり1億ウォン(約1千万円)を支払うよう命じた判決が確定した。

韓国大法院2018年10月30日判決の全文翻訳(仮訳)の一部(1P-2P)

韓国大法院2018年10月30日判決の全文翻訳(仮訳)の一部(3P-4P)

◎[参考資料リンク]2018年10月30日の韓国大法院判決の全文翻訳(仮訳)

本判決は、元徴用工の損害賠償請求権は、日本政府の朝鮮半島に対する不法な植民地支配及び侵略戦争の遂行と直結した日本企業の反人道的な不法行為を前提とする強制動員被害者の日本企業に対する慰謝料請求権であるとした。

その上で、このような請求権は、1965年に締結された「日本国と大韓民国との間の財産及び請求権に関する問題の解決と経済協力に関する協定」(以下「日韓請求権協定」という。)の対象外であるとして、韓国政府の外交保護権と元徴用工個人の損害賠償請求権のいずれも消滅していないと判示した。

本判決に対し,安倍首相は、本年10月30日の衆議院本会議において、元徴用工の個人賠償請求権は日韓請求権協定により「完全かつ最終的に解決している」とした上で、本判決は「国際法に照らしてあり得ない判断」であり、「毅然として対応していく」と答弁した。

しかし、安倍首相の答弁は、下記のとおり、日韓請求権協定と国際法への正確な理解を欠いたものであるし、「毅然として対応」するだけでは元徴用工問題の真の解決を実現することはできない。  

私たちは、次のとおり、元徴用工問題の本質と日韓請求権協定の正確な理解を明らかにし、元徴用工問題の真の解決に向けた道筋を提案するものである。“

下記は「元徴用工の韓国大法院判決に対する弁護士有志声明」の書き出しである。この声明には本年1月19日現在,弁護士280名,学者18名,合計298名の賛同者が名前を連ねている。書き出し以降の本文は下記URLに掲載されているので、是非ご覧いただきたい。

◎[参考資料リンク]元徴用工の韓国大法院判決に対する弁護士有志声明

元徴用工の韓国大法院判決に対する弁護士有志声明(1P-2P)

元徴用工の韓国大法院判決に対する弁護士有志声明(3P)

韓国の文政権に対しては、安倍政権はもとより、この島国のメディアたちも、頭に血が上ってしまったのか。真っ当な報道や論評がほどんどなされていない。あろうことか、政府は韓国に向けての「禁輸」にまで踏み込むという、愚の骨頂をおかしている。わたしは自民党や安倍晋三の行為に、一切の責任を負うものではないけれども、このような歴史と条約を無視した暴挙には、一国民として、限りない恥辱と痛痒を禁じ得ない。

その理由は「元徴用工の韓国大法院判決に対する弁護士有志声明」が適切に解説している通りである。まだ「21世紀版大政翼賛会」や、「産業報国会」が正式には発足していないにもかわらず、「官」も「民」のほとんどでも「韓国けしからん!」の論調が、穏当な反論を無視して進行していることに、わたしは不快である。

主語を「わたし」としたのは、一人でも多くの読者の方々が、歴史事実と、現在の韓国政権の判断、そしてこの島国の政権の判断に、みずからが向き合い、ご精査頂き、どちらに理があるかをご判断いただきたいからである。

不平等条約「日韓条約」でたしかに、大韓民国はこの島国に対する「国家賠償権」を放棄している。が、個人賠償権については放棄していないし、この島国の政権も代々「韓国国民の個人請求権は消滅していない」旨の答弁を国会で行ってきた。

もっとも重要なことは、安倍政権が不当にも輸出制限を隣国に発動させるという、異常事態にたいして、その決定的過誤を指摘できる知性と、メディアがほとんどこの島国からは消滅してしまっている惨状である。過去に侵略した隣国を、あたかも「敵国」のように唾棄する、羞恥心のない政権。それに追従するメディア。若くてまともな史実書や資料に直接触れたことがないから、そういったお馬鹿さんの大人に疑問を感じない若者たち……。

いったいどこまで「侵略」とその加害の矮小化をはれば気が済むのであろうか。「歴史修正(歪曲)主義」こそがもっとも悪辣な差別温存と、差別助長の現況ではないか。わたしは、徹底的にこのような歴史修正(歪曲)主義に抗う。歴史修正(歪曲)主義に抗うことなしに、あらゆる「在日コリアン差別」反対は成り立たないと私は考える。末尾で小魚が吠える言辞を問題にしていても、解決はしないのだ(もちろん小魚の差別言辞を肯定はしない)。

2019年.いまだに天皇の戦争責任を曖昧にし、訳のわからない元号へ変更したこの島国住民のメンタリティーが、一度は本格的に自らの発意により問題かされ、何らかの裁きを下さない限り、醜態の循環は終焉しないであろう。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

創業50周年!タブーなき言論を! 月刊『紙の爆弾』8月号

安倍晋三までの62人を全網羅!! 総理大臣を知れば日本がわかる!!『歴代内閣総理大臣のお仕事 政権掌握と失墜の97代150年のダイナミズム』総理大臣研究会=編著 定価:本体600円+税

以下の文面は、あらかじめ『情況』編集部に諮ったり相談したりせず、あくまでも私松岡の責任で書き連ねた見解です。笠井、高橋両氏は、間違っても『情況』編集部をバッシングしないように申し告げておきます。あなた方の“圧力”自体が不当なのですから──。

『情況』創刊号(1968年)

◆『情況』創刊の意義と私の想い

私たちの世代にとって『情況』という雑誌は、何とも言えない郷愁もあり、これに寄稿することには、それなりの思い入れもあります。『情況』は、1960年代後半の叛乱の時代、70年安保―沖縄闘争、学園闘争、ベトナム反戦運動の盛り上がりを背景として1968年に「変革のための総合誌」を看板に創刊されます。

手元の創刊号を紐解けば、反日共系の活動家や知識人がこぞって、なかには森茂氏とか高知聰氏といった革マル派系の人たちも議論や寄稿に加わっています。それからまもなく、いわゆる内ゲバが激化すると、こういうことはできなくなります。

同誌は、その後活発な議論の場として発行を継続しますが、叛乱の時代が過ぎるや、長い苦しい“冬の時代”を迎えます。これを支えたのは、先頃亡くなった大下敦史さんでした。他人に言えないような大下さんのご苦労は、(内容は異なりますが)雑誌発行に携わる者として理解いたします。実は大下さんからは、病が発覚する前に、「『情況』は後の世代に任せ、私は資料編纂の仕事をやるので協力してほしい」との連絡があり、「喜んでお手伝いさせてください」と答えたところでした。

『情況』創刊にあたっては、多彩な人脈を動員するために初代編集長の古賀暹(のぼる)さんのご苦労は想像に絶しますが、他には稀有の哲学者・廣松渉先生(故人)らのご支援も忘れてはなりません。古賀さんによれば、──

〈明大闘争のあとやることがなくなってしまった。でも、このまま戦線から消えるわけにもいかない。何とかブントを支えつつも僕にしか出来ない別な道を行かないと格好がつかない。それでブントをはじめとする大衆運動の援護が出来るような雑誌、また理論誌でもあるような雑誌を出そうと思った。それが『情況』のはじまりです。でも雑誌を作るのは大変なんです。僕はまだ26、7歳だった。雑誌を作るには金がいるけど、金なんかありゃーせん。廣松さんにもそんな夢を話したな。そしたらある日、突然、廣松さんから電話がかかってきて「神保町の喫茶店に来い」という。出かけていったら、「雑誌の話はどうなった」と聞いてくる。「お金も集まらないし、雑誌なんて出せるわけがありません。冗談ですよ」と言うと、真夏だったんだけれど、いきなり廣松さんがワイシャツを脱ぎだした。冷房がきいている喫茶店の中で裸になるわけです。ワイシャツを脱ぐとサラシが巻いてあって、そこからポンと100万円。サラシから湿った100万円(笑)を出して「これは少ないかもしれないが、新雑誌発刊の一部にしろ」と言う。
 僕は「あれは夢を語ったに過ぎません。それに、具体的な計画や準備があるわけではありませんから、このお金はいずれ改めて拝借します」と、そのお金を辞退しました。しかし、廣松さんは「男がいったん出した金を引っ込めるわけにはいかない。このお金は僕の志だ。雑誌が出来ないなら好きなように遣ってくれ」と恰好よく言うので、それで僕は無理をしても『情況』をスタートさせようと努力しなければならなくなったんです。廣松さんは、本当、革命家だよね。その100万円は当時入った原稿の印税をみんな持っていったのではないかと、廣松さんの奥さんの邦子さんは言っていますが、それはびっくりしました。〉

『情況』最新号

当時大卒の初任給が3~4万円ほどで、100万円は、今で言えば500万円ほどになります。廣松先生は、著名かつ一流の哲学者ですが、私などにも目をかけていただき、私が出し始めた拙い『季節』という冊誌にも、座談会や寄稿などご協力賜りました。

廣松先生は、中学生時代から革命運動に加わり福岡・伝習館高校を退学、大検で大学受験の資格を取り、のちに東大に入られ、また山谷などにも出かけられていました。東京大学名誉教授が最後の肩書でした。

このエピソードは『情況』という雑誌の誕生と性格を考える際に、極めて重要だと思い長く引用させていただきました。私は、こういう経緯で創刊し継続してきた『情況』という雑誌を読んで、みずからの思想形成の一端としてきたのです。ですから、今回のような不当な“圧力”を許すことはできないわけです。

ちなみに個人的な話になりますが、私は70年代の終わりから80年代にかけて、みずからがやってきた運動と思想を総括しようと『季節』という冊誌を出しました。全部で15冊程度で終わりました。『インパクト』(のちにインパクションに誌名変更)や『噂の眞相』よりも早い創刊でしたが、幕を閉じるのも早く、また内容でも『情況』『インパクト』『噂の眞相』などの足元にも及びませんでした。

このようにして、私(たち)は『情況』という雑誌に、それなりの思い入れを持って読んできたのです。昨年、大下さん亡き後、再出発したいので出資を募るというので、有無を言わず応じたのでした。

◆『情況』今号発行直前の軋轢

さて、同誌前号(2019年春号)で初期の段階から「カウンター/しばき隊」に関わってきた高橋若木氏の論考「『三・一一後』とは別様に 新入管法と運動史の切断」と座談会が掲載されているのを見て、真正面から彼の論を批判するわけではないが、彼が関わってきた「カウンター/しばき隊」に因んで寄稿を編集者に申し込みました。

これまで畏れ多くも同誌に寄稿させてもらったことはなく(インタビューが1回ありますが)、私なりに考えあぐんで文章を書き連ね担当編集者に送りました。既刊(19年冬号)で、この通信でもお馴染みの田所敏夫の論評に対して、『情況』は前号で全面的に反論された方の原稿(小波秀雄「福島の現実は差別や偏見との闘いである」)を掲載しました。雑誌として当然のあり方です。ですから、私の拙稿も当然全文掲載いただき、くだんの「リンチ問題」についての議論がなされたらいいな、と思っていました。

『情況』前号で私の目に止まったのは、TOKYO DEMOCRACY CREW(だったのは過去のことで今はやめていると本人は言う)高橋若木氏の名でした。高橋氏が、野間氏や、仲間のbcxxxこと竹内真氏らと初期の「カウンター/しばき隊」の路線を確立したことは、その界隈の者なら誰でも知っている“公知の事実”です。さらには「鹿砦社の質問状からは漏れてたけど、重要人物の一人」「主水へのリンチ事件の二次加害者をランク付けしたらA級戦犯レヴェル」などという噂さえあります。

笠井潔氏

そんな者に、なんと16ページも割き、さらに笠井潔氏らとの座談会(14ページ)にも登場しています。破格の待遇ですが、おいおい、『情況』は「カウンター/しばき隊」の理論誌だったのか!?

これには、とりあえずはなんらかの異議は述べなくてはなりません。私は同誌の株主でもあり、このところ毎号巻末に1ページ広告も出広したりしてささやかに同誌継続に協力してきたつもりです。株主にも少しはページを割いてほしい……。

そうして書いた論評でした。確かに今号に4ページにわたり掲載されていますが、遺憾なことに前半部分がそっくりカットされています。

送稿後、同誌編集部は、事実確認のために高橋氏本人に連絡を取ります。当然です。しかし、高橋氏は、私たちが想像する以上に仰天したらしく、大騒ぎしたようです。師と仰ぐ(?)笠井潔氏にも連絡を取り、何としても私の原稿掲載を潰しにかかります。松岡のような悪質な「デマ」を振り撒く人物の原稿を載せるな、ということでしょうか。特に笠井氏は強く掲載に反対したようです。これには理由があって、その一つと察せられるのは、「しばき隊/カウンター」のドン・野間易通氏との関係でしょう。

笠井氏は、このところしばき隊のドン・野間易通氏と昵懇の仲になり、共著の新書(『3・11後の叛乱―反原連・しばき隊・SEALDs』)も出しています。これは分からないでもありません。私とても、野間氏が当初から参画する「反原連」(首都圏反原発連合)を誤認して評価し1年以上にも渡り、「広告代」名目で300万円余りの資金援助をしていたわけですから。私が野間氏や反原連などの呪縛が解けた経緯は、この通信でも再三述べていますので繰り返しませんが、笠井氏が、野間氏や反原連、しばき隊の呪縛から解かれることを祈ります。

古い話になりますが、笠井氏には、1985年に一度書籍に寄稿いただいています(「戦後ラディカリズムの現在」/『敗北における勝利』所収)。その直前に尼崎の集まりの場に呼ばれお会いしました。お会いしたのはこれ一度です(高橋氏には会ったことはありません)。

その後、諍いなどなく長らくご無沙汰してきましたが、今回、このような形で“再会”するとは思いもしませんでした。笠井氏は、私のことを熟知しているかのように仰っているみたいですが、私と笠井氏の接点は、1985年の寄稿一回切りでした。私がどこでどう「デマ」を振り撒いているか明らかにしてほしいですね。笠井氏ともあろう方が、こんなことで「デマ」だなんだとムキになり大騒ぎされるのはいかがなものでしょうか? 「デマ」だと仰るのなら、少しはご自身で調べられた上でのことでしょうね? 野間氏からの受け売りではないですよね?

 

リンチ直後の被害者大学院生M君

リンチ事件について「カウンター/しばき隊」の人たちは「デマだ」「でっち上げだ」「リンチはなかった」「リンチではない」などと異口同音に言いますが、今回笠井氏らもそうですね。リンチ事件があったことを私たちは、綿密な取材・調査で5冊の本にまとめました。リンチの最中のおぞましい音声データ(CD)も付けていますし、リンチ直後の被害者の顔写真も公にしています。「デマだ」「でっち上げだ」「リンチはなかった」「リンチではない」などと言うのであれば、くだんの5冊の本に対する反論本なり反証本を出すべきではないですか? 笠井氏とあろう方ならドンと構えられたらどうでしょうか? 5冊の本を献本送付させていただきますので、斜め読みでもいいですから目を通してから「デマ」とか「リンチはなかった」とか仰ってください。

さらには、笠井氏か高橋氏か、ご両人ともか分かりませんが、私が同誌編集部を脅して寄稿を無理強いさせようとしているかのようにも仰ってもいるようです。私がいつ同誌編集部の方々を脅したのですか? いい加減なことを言わないでください。自分で言うのも僭越ですが、私も歳を重ね、最近では「仏の松岡」とか「好々爺」との評があり、他人を脅してまで寄稿を無理強いさせることなどありません。

そうこうしているうちに校了日が近づき、編集部も板挟みになり困っていましたし、私としても、これまで自社の出版物以外には、くだんの「リンチ事件」について報じるメディアもなかったことから、「不十分でもリンチ事件について明らかにできればいいではないか」と妥協し、前半部分のカットを了承したわけです。

高橋若木氏を大きく採り上げた朝日新聞(2014年9月13日)

高橋若木氏も、みずからに良い情況の時には、えらく元気ですが(別途新聞記事参照)、今回のような問題が起きれば、ビビッたのか自分で解決できず、年長の笠井氏に泣きつくなど、情けないぞ! 高橋氏はおそらく時流に乗って社会運動に加わり、さほどの苦労もなくのし上がったようで、今回のようにみずからにダイレクトに批判が来ると右往左往する程度の人物のようです。

また、笠井氏も、名も実績もある作家ですが、だからこそ「松岡の文章を掲載すれば、今後『情況』には協力しない」などと子どもみたいなことを仰るとは思いもしませんでした(笠井氏も野間氏と往復書簡をやるくらいですから、あえて厳しい物言いをさせていただきますが、“焼きが回った”ということでしょうか)。

さらに苦言を呈せば、『情況』編集部も、高橋氏や笠井氏らの物言いや圧力は、これ自体が不当なわけですから、「ピシャッ!」と跳ねのけていただきたいものです。

以上の記述は、『情況』編集部とのやり取りや外部情報などを勘案し書きました。事実誤認があれば訂正しますのでご指摘ください。また、笠井氏、高橋氏からの反論も大歓迎です。両氏には、私たちが足に豆を作り額に汗して調査・取材してまとめたリンチ関連本5冊を献本送付しておきますので、ご笑納いただき、少しは認識を改められ、私たちが言っていることが「デマ」ではないことを知っていただければ、と望みます。

*削除された前半部分を以下そのまま掲載しておきます。大騒ぎするほどのものですかね? 読者のみなさんはどう思われますか?

◆     ◆     ◆     ◆     ◆

松岡の論評(全4ページ)

〈本誌前号を紐解き驚いた。「しばき隊」の中心的グループTOKYO DEMOCRACY CREW(だった?)高橋若木氏に多くのページが割かれ、さらに笠井潔氏らとの座談会にも出席している。かつて笠井氏は黒木龍思のペンネームで、構造改革派の流れを汲み、新左翼党派では小規模セクトの部類に入る「プロ学同」(プロレタリア学生同盟。のちに赤色戦線)のトップで新左翼運動の一角を占めていた。ちなみに、先頃亡くなった『噂の眞相』編集長・岡留安則氏もこの党派に所属していた(本人談)。笠井氏は、のちに「マルクス送葬派」を自称した。最近では「しばき隊」トップの野間易通氏と昵懇のようで共著(『3.11後の叛乱 反原連・しばき隊・ SEALDs』)もある。
 さらに本誌前号には、反原発雑誌『NO NUKES voice』を発行し原発問題についての考え方や立場が私とは異なる小波秀雄氏の論考も掲載されており、「勘弁してくれよ。『情況』も様変わりしたな」と嘆息した。
 今回は、前号の高橋若木氏の論考に直接言及はせず、(後述するが)関西で、俗に「しばき隊リンチ事件」といわれる「カウンター大学院生リンチ事件」の被害者支援と真相究明に関わり、本誌の株主であり広告出広者でもある私としては一言呈しておかざるをえないということで本稿を寄稿する。

◆「しばき隊」とは何者か?

 高橋若木氏が活動の拠点としていたTOKYO DEMOCRACY CREWは「しばき隊」と総称される社会・政治運動勢力の中心を占め、高橋氏は、一時はしばき隊No.2とされたbcxxxこと竹内真氏や、今でもしばき隊の活動家とされるTAKUYAMAこと山本匠一郎氏らと共に、その主要人物だとされる。元しばき隊のメンバーによれば、「高橋さんや野間さんや竹内さんらとしばき隊の道筋を作った人です」という。TOKYO DEMOCRACY CREWはしばき隊の中心だったことは有名だが、本誌前号で高橋氏は「2015年夏まで」はTOKYO DEMOCRACY CREWのメンバーだったと自認している。
 竹内氏はやがて個人情報晒し事件(はすみリスト事件)の責任を問われ離脱に追い込まれるが(2015年秋)、その際にTOKYO DEMOCRACY CREWも解散したのだろうか? 現在高橋氏は入管問題に関わっているということだが、2015年秋以降から現在はどうだろうか? しばき隊との関係はどうか? リンチ事件が明らかになるや、「俺は(カウンターやしばき隊と)関係ない」とシラを切る者も多いが、そうではないだろうね?〉

◎小見出し(「しばき隊とは何者か?」)はそのままで、その前後の文章が削除されています。

《関連過去記事カテゴリー》
 M君リンチ事件 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=62

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伊藤詩織さんがレイプドラッグを飲まされたうえ、性暴力をうけたとされる事件(1千万円の損害賠償民事裁判)で、伊藤さん本人と山口敬之氏(被告)が出廷して本人尋問が行われた(7月8日)。

伊藤詩織『Black Box』(2017年10月文藝春秋)

7月8日の口頭弁論のなかで、伊藤さんは「やめて、痛いと伝えてもやめてくれなかった」と証言し、あらためて意思に反して性暴力被害を受けたことをあきらかした。一方の山口氏側は、性行為は合意のうえだったとして「就職相談を受けていたTBSを辞めたことへの逆恨み」「売名をはかった悪質な虚妄」などと主張した。

伊藤さんにたいする被告側の尋問では、事件の具体的な態様をしつこく質問する、セカンドレイプが法廷内で行われた。すなわち、膝のケガをめぐって、どのような体勢でケガをしたのか、ベッドの上でどのようにすれば膝が擦れるのか、などと繰り返し訊いたというのだ。報道された尋問の様子を挙げておこう。

被告代理人「どうしたら、膝の怪我が起きるのか、教えて頂けますか?」

伊藤さん 「必死に、これ以上、性行為を続けられないように、必死に膝を閉じ、からだを固くして抵抗していたので。その際に、足を開かれ、揉み合いになった時のことだと私は感じています」

被告代理人「揉み合いになっているのは、ベッドの上ですよね?」

伊藤さん 「はい」

被告代理人「ベッドの上で、膝が擦れるようなことはないと思うんですけど?

伊藤さん 「その時は、必死に、命の危険を感じながら争っているため、どこでどうなったか、説明するのはできません」

「レイプ」の体勢を事細かに訊かれた伊藤詩織さんは、耐え切れずに涙をうかべ、声をふるわせた。法廷内で傍聴していた女性たちも、あまりの質問に休憩時に涙するシーンがあったという。レイプ裁判などを提訴すると、法廷で口頭で再現させるぞという被告側代理人の執拗な質問、いわば公開の場での辱め行為に傍聴席は厭きれ顔になっていたという。

2019年7月12日付けデイリー新潮より

◆ベッドの移動を自白した山口氏

いっぽう、山口敬之氏は原告代理人の質問に、しどろもどろの矛盾した証言になっている。すなわち、ベッドAに寝ていて伊藤さんがベッドに入ってきたので性行為をしたとメールしている(甲一号証の25)にもかかわらず、自分はベッドBで寝ていたと証言したのだ。これはそのまま聞けば、山口氏がBからAに移動して、Aに寝ていた伊藤さんをレイプしたと受け取れる証言だが、山口氏はよくわからない返答で煙に巻く。

山口氏「Bというのは、私、そのベッドカバーを壊してないんですよね。ひとりでしたから。ですから、ここのニュアンスは当時、妊娠してしまった、働けなくなる、というメールがきている伊藤さんに対して、私の泊まっている、私のホテルに、あなたが酔ったせいで結果的に、私のベッドに入ってきたんだと責めるために書いたものですけど、ここ、表現が不正確かもしれませんけど、それは、私が本来、寝ていたベッド(本来、寝るはずだったベッド)という意味です」つまり、Bに寝るつもりだったが、伊藤さんが酔ったせいで、私がAに寝ていたところ、詩織さんがAに入ってきたので性行為におよんだと、そう解釈するしかない返答になってしまったのだ。この説明では、山口氏の行動は合理的な説明がつかない。

刑事事件化しないまま(なぜか逮捕令状が執行されなかった)、「法的には無罪」と言いつのってきた山口氏だが、公判での証言をみるかぎりは限りなく黒に近いと言わざるを得ない。刑事犯罪での起訴猶予もしくは「無罪」が、裁判主体がちがう民事裁判において有罪になるのが珍しいことではないのは言うまでもない。山口氏が起こしている伊藤詩織さんに対する1億3千万円の名誉棄損裁判も注目に値する。

菅義偉(すが よしひで)官房長官

◆菅官房長官の口利きで、不労所得?

ところで、その1億3千万円訴訟だが、安倍総理にかんする著書しかなく、ジャーナリストとしての活動をしているとも思えない山口氏が、印紙代だけでも41万円。弁護士を雇えば300万円は下らないだろうと思われる訴訟費用を、どうやって捻出できたのか、この疑問にこたえる記事が『週刊新潮』(※参考=2019年7月12日付けデイリー新潮)に掲載された。

山口氏がある企業から「毎月42万円の顧問料」および「交通費などの経費」をお受け取っているというのだ。その企業とは菅義偉(すが よしひで)官房長官が懇意にしている広告代理店NKB(本社は有楽町の東京宝塚ビル)で、電車の中吊り広告などをあつかっているという。

記事には「(NKBの)滝会長と菅さんが仲良しなんです。山口がTBSを辞めた後に、菅さんが“山口にカネを払ってやってくれないか”と滝会長に依頼したそうです」という広告代理店関係者のコメントが掲載されている。

菅官房長官の名前は、山口氏が伊藤詩織さんの事件で逮捕される直前に、警察庁の上層部がストップをかけたとされる問題でも浮上していた。

中村格(なかむら いたる)警視庁刑事部長(現警察庁官房長)

すなわち、伊藤さんからの相談を受けて捜査を担当していた高輪署の捜査員が、逮捕状を持って成田空港で山口氏の帰国を待ち構えていたところ、逮捕直前に上層部からストップがかかった。そして、この逮捕取りやめを指示したのが“菅義偉官房長官の子飼い”である当時の中村格(なかむら いたる)警視庁刑事部長(現警察庁官房長)だったのだ。

伊藤詩織さんの著書『Black Box』(文芸春秋)によれば彼女が直接、中村氏への取材を二度試みたくだりが出てくる。中村氏は一切の説明をせずに逃げたのだという。「出勤途中の中村氏に対し、『お話をさせて下さい』と声をかけようとしたところ、彼はすごい勢いで逃げた。人生で警察を追いかけることがあるとは思わなかった」というのだ。なんとも無様な警視庁刑事部長ではないか。答えられずに逃げたのは、やましさの表現であり行動であるはずだ。

もはや明らかであろう。安倍政権にとって、安倍政権を賛美してきた山口氏の逮捕はあってはならないことだったのだ。そこに菅義偉官房長官が深く関与しているのは明白だ。山口氏の著書『総理』には、2012年の総裁選への出馬を渋っていた安倍晋三氏にたいして、山口氏が菅氏に出馬を促す行動をさせたことで、出馬にこぎつけたとある。総裁の座を射止めたあと、菅氏は「あの夜の山口君の電話がなければ、今日という日はなかった。ありがとう」(『総理』)と、自民党本部の4階で握手をもとめてきたという。

ようするに第二次安倍政権の誕生の功労者である山口氏を、官邸は指揮権を発動してまで擁護せざるを得なかったのが事件の真相なのだ。ひきつづき、この事件の真相が明らかになり、司法の正義が実現されるまで注目していきたい。


◎[参考動画]2019年4月10日に開かれた『OpentheBlackBox 伊藤詩織さんの民事裁判を支える会』の発足イベントの模様part7(OpentheBlackBox 2019/5/15公開)

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業・雑誌編集者。主な著書に『軍師・黒田官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)、『真田一族のナゾ!』『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。医療分野の著作も多く、近著は『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

創業50周年!タブーなき言論を! 月刊『紙の爆弾』8月号

よその国では軽蔑されることも少なくないけれども、日本には「モノマネ」を許容する文化があります。プロにも「モノマネ」を売りにしている芸人がいることからも、日本では誰かを上手に真似ることは「芸」とされているようです。

ところが、私の目から見ると、売れている「モノマネ」芸人の中でも、高評価を与えることのできる芸人さんは多くはありません。そしてもっと深刻なことは、一部の秀でた「モノマネ」芸人さんが実によくできた芸を披露しても、その面白さをわかる観衆が、限られているということです。

◆アドリブの発想力に非凡な才を持つ松村邦彦の「モノマネ」芸

私は松村邦彦の「モノマネ」を高く評価します。彼が素人でまだ体がほっそりしていたころから、彼の「モノマネ」兼アドリブの発想力には、非凡な才を感じていました。以下にいくつかyoutubeで見ることができる松村の芸を紹介しますが、はっきりいって、観衆のレベルが松村の芸に追いついていないので、本来大爆笑が取れる芸なのに、不発のような雰囲気が感じられます。


◎[参考動画]おい、貴ノ岩!松村邦洋、貴乃花他ものまねステージ。ビートたけし、達川光男、中尾彬、安倍晋三など。2016.9.10 大阪駅(keiba&heroshow 2016/9/13公開)


◎[参考動画]松村ものまね1(洋邦村松2015/7/17公開)

◆「モノマネ」芸・いくつかのレベル

「モノマネ」芸は、その内容により、いくつかのレベルに分けることができます。
一番簡単なのは「誰か有名人の形態、もしくは発言したことだけをそのまま真似る」芸です。これは「モノマネ」芸の中では一番簡単で、発展性のないものです。

次に有名人の「形態や癖を誇張して笑いを取ろうとする」芸です。コロッケや清水アキラなどがこのレベルの芸人です。この種の芸、最初は珍しさがありますが、ワンパターンに陥りがちです。コロッケは口の形を中心に顔を作るだけの芸ですし、清水アキラもセロテープで顔を造形する芸から成長はありません。

その上は形態の真似もするが、それ以上に声や語りの内容で「モノマネ」する対象との相似性を演出する芸です。古い話になりますが、かつて「サブローシロー」という漫才コンビがありました。この二人の「モノマネ」芸は、非常に高いレベルにありました。このレベルを常時軽くこなす楽しさがある漫才コンビですが早々に解散してしまったのは残念です。

「モノマネ」の最上級は、声や雰囲気で誰かを真似て、「その人が実際には話していないけども、言いそうなことを言い、観衆を笑わせる」芸です。プロでこの芸の域に達しているのは、私が知る限り松村邦彦、清水ミチコ、劇団「ニュースペーパー」のメンバー数人だけです。「モノマネ」ではなく、真似している対象の人物が、本当に語っているのではないかと思わせる、いわば「生霊下ろし」が「モノマネ」の真骨頂です。

◆「モノマネ」も演じられない議員候補たち

なぜに選挙終盤のこの時期に、政治と全く関係のない「モノマネ」を私が話題にするのか。理由があります。9割5分以上の候補者は下手くそな「モノマネ」も演じられていないからです。

私の知り合いで、硬派のライターに「モノマネ」癖のある人がいます。その人は世界中で誰も真似しないような対象の「モノマネ」を瞬時に繰り出します。昔から「モノマネ」が生活の一部だったそうです。中学の時は一人で先生全員の「モノマネ」ができたので「一人職員会議」が持ちネタだったそうです。私も聞かせてもらったことがあります。その先生たちのことは知らないのに、爆笑しました。

「モノマネ」は似ているかどうかも大切だけれども、語る内容も重要なんだなぁーと思わされました。その人は姜尚中、鈴木邦男、前田日明などあまりほかの人が真似しない対象を得意としています。「誰でも真似する有名人のモノマネやっても意味がない。むしろ、身近な人の真似をするのが楽しいんだよ」と、「モノマネ」に関してはも高邁な理念を持っているようです(いつかは「芸人としてデビューしたい」と真剣に考えているそうです)。

ここには書けないような、反原発の論客(実はほとんどの有名論客)や、しばき隊幹部の真似まで、驚くほど素人のくせに「無名人」の「モノマネ」が上手で飲み会の時はいつも楽しみにしています。

「モノマネ」に安心して笑っていられる時代は、もう終わってしまったような気もします。オウム返し、代わり映えのない政党・候補者揃いの選挙が終わったら、あの人はどんな「モノマネ」を披露してくれるでしょうか。

▼佐野 宇(さの・さかい) http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=34

安倍晋三までの62人を全網羅!! 総理大臣を知れば日本がわかる!!『歴代内閣総理大臣のお仕事 政権掌握と失墜の97代150年のダイナミズム』総理大臣研究会=編著 定価:本体600円+税

創業50周年!タブーなき言論を! 月刊『紙の爆弾』8月号

アメリカの総人口、約3億3千万人のうち、およそ1割にあたる3千万人強が軍産複合体に属しているという。軍隊と兵器産業およびその周辺業界の従業員と家族の総計である。軍隊が移動をふくめた戦闘行為で組織を維持するのと同じく、兵器もまた使用と廃棄、開発と増産をくり返すことで維持される。

したがってアメリカ社会は世界でも飛びぬけた軍事力と兵器生産を維持し、その関係者が生活していくために、つねに戦争を作り出さなければならない宿命を持っている。日本の自衛隊のように、世界でも有数の自然災害国にあって、災害出動が期待され、感謝されるような「軍隊」とは違うのだ。

◆10年に1度、本格的な戦争が準備される

トランプが就任とともに行なった、イラン核合意からの離脱はまさに、10年に1度は行わなければならない戦争を準備するためだった。6月には単独で軍事行動に出ようとしていたところ、10分前にトランプは思いとどまった。まだ「大義名分」が十分ではないと判断したのである。単独ではマズいと判断したのである。戦争準備はホワイトハウスの強硬派スタッフおよびペンタゴンで練られていたという。国連の共同行動決議は鼻っから無理と見込んで、有志連合の形式が追求されてきた。そしてその準備も始まった。


◎[参考動画]イラン核合意から米が離脱 次の展開は(BBC News Japan 2018/5/10公開)


◎[参考動画]【報ステ】イラン沖警備 アメリカが有志連合検討(ANNnewsCH 2019/7/10公開)

制服組のトップであるダンフォード統合参謀本部議長が、7月9日に「ホルムズ海峡とバブルマンデブ海峡の航行の自由を確保するために、有志連合をつくるために多くの国と連絡をとっている」と、メディアに軍事行動を示唆したのだ。議長は「2週間ほどで決定したい」としている。すでにフリゲート艦でイラン艦艇と準軍事接触しているイギリス(革命防衛隊によるイギリスタンカー拿捕未遂)、そしてソマリア沖に護衛艦を海賊対策で派遣している日本を念頭に置いたものであるのは明白だ。

すでに日本の海運会社のタンカーは、何者(アメリカとイランが、相互に責任を非難しあっている)かによって攻撃されている。原油の輸入の8割以上を中東に依存している日本にとって、格好の艦隊派遣理由となるはずだ。航行の自由を確保するためであって、戦闘のための海外派遣ではないとして、おそらく秋の臨時国会で派遣特別措置法が、安全保障法制のもとに決議されると思われる。

いうまでもなく、改憲論議の呼び水として自衛隊の海外派兵が議論されることになる。その意味では、改憲議論を促進したい安倍自民党政権にとって、願ってもない「素材」がやってきたのだといえよう。自衛隊派遣で考えられる4つの法的枠組みは、安全保障関連法、自衛隊法、海賊対処法、特別措置法である。

ダンフォードの発言に対して、野上浩太郎官房副長官は7月11日の記者会見で、米国がホルムズ海峡の船舶航行の安全確保のための有志連合を呼びかけていることについて「イラン情勢について米国と緊密にやりとりしているところだ」と述べた。さっそくアメリカに尻尾を振ったかっこうだ。


◎[参考動画]2019年7月11日午前-内閣官房長官 記者会見(Ripbanwinkle 2019/7/12公開)※有志連合に関する会見は動画3:24頃より

◆日米同盟の破棄をチラつかせながら、派兵を強要

トランプ大統領は6月26日にテレビ番組で「日本が攻撃されれば、米国は第三次世界大戦に参戦し、米国民の命をかけて日本を守る。いかなる犠牲を払ってもわれわれは戦う。だが米国が攻撃されても、日本には我々を助ける必要がない。ソニー製のテレビで見るだけだ」と語っている。

ようするに、日米同盟を維持したければ、アメリカが攻撃されたら日本は反撃のために兵力を出せと言っているのだ。日米安保不要論などではない、あの発言は有志連合への参加およびアメリカの対イラン戦争に参加しろと言っているのだ。その証拠にトランプは6月24日にも、ツイッターで「なぜ米国が他国のためにタダで航路を守っているのか。彼らが自国の船を守るべきだ」と日本および中国を批判している。

トランプはその場その場で、不規則発言をくり返す「トンデモ男」と思われているが、そうではない。かなり用意周到にツィートを行ない、つぎの行動に結びつけてもいるのだ。


◎[参考動画]トランプ大統領 イランを牽制「圧倒的な力で対応」(ANNnewsCH 2019/6/26公開)

2016年の大統領就任以降(大統領選当時)の発言を再録しておこう。

「アメリカが撤収した後、日本や韓国が自力で中国や北朝鮮に核に対抗しなければならないなら、私は日韓の核武装を容認する」(2016年3月ニューヨークタイムズのインタビュー)

「米軍の日本駐留経費の負担増を求め、応じなければ「在日米軍の撤収を検討する」(2016年5月CNNインタビュー)

これらの発言が、今回のような有志連合への参加をよびかける布石であるのは明らかだ。欠陥機ともいわれるF35を140機も押し付けて、それにともなう護衛艦いずもの空母改装、そしてイージスアショア配備。こうしてアメリカの日本属国化がますます強固に進められている。

今後、イラン情勢、中東情勢をアメリカが過度に政治焦点化することで、石油を中東にたよる日本も有志連合に参加すべきという議論が起きるのは目に見えている。しかしアメリカが政治焦点化しているのは、戦争と兵器を必要とするアメリカ社会の要請によるものであることを、われわれは見ておかなければならない。アメリカのためのアメリカによる戦争産業に、日本が参加する謂れはないのだ。


◎[参考動画]なぜアメリカは戦うのか(1-4)WHY WE FIGHT(2004年 米シャーロット・ストリート・フィルムズ)(dark goldenyellow 2019/3/6公開)

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業・雑誌編集者。主な著書に『軍師・黒田官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)、『真田一族のナゾ!』『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。医療分野の著作も多く、近著は『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

創業50周年!タブーなき言論を! 月刊『紙の爆弾』8月号

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