2020年の立ち上げ方 ── 70億を超える人類が熱心に液晶に向かいあう「不気味」な光景の後にどのような社会が立ち上がるのか

2000年代に入って、早くも20年目を迎えた。21世紀もあらかた5分の1が過ぎ去った(早い!)。当然わたしたちは毎年確実に年齢を重ねてきた。人間は成長が止まると、内面の変化が起こりにくくなるのだろうか。20年といわず30年、40年まえと比べても、わたしの内面や感受性にはほとんど変化を確認できない。自分の成長停止を半世紀以上生きて、なかば驚いている。

◆頭の中は変わらないのに、体力が落ちてゆく

内面の不変化とは異なり、それを包む身体の弱体化(老化)は、年を追うごとに顕著さを増してくる。数え上げればきりがないほどの不具合や、運動不足に起因する体力低下により、わたしの体力を測定すればその値は、おそらく年齢平均値を確実に下回ることだろう。

頭の中は変わらない(年相応に落ち着かない)のに、体力が落ちてゆくとどういう現象が生じるか? 体力勝負では負けが必定だから、諍(いさか)いはなるべく議論(口論)に誘導する自己防衛手段が働くようになる。「どうして老人たちはあれほど同じ話を長々と繰り返すのだろう?」と子どもの頃に感じた疑問への回答を、自身の体力低下により、納得できる回答が得られる幸福(?)をわたしは享受している。

このまま右下がりの直線が進行すれば、数年後には現場取材はおろか、駄文を綴ることもできなくなるのではないかと、昨年来強く感じるようになった。親しみ、尊敬を感じていた多くの先輩方が平均寿命にたどり着く前に亡くなった。どうやらわたしのデッドエンドも測定可能な範囲に入ってきたようだ。

このように駄文を綴る機会を得てから、わたしはまだ10年もたっていない。この世界では新参者ともいえよう。そして新聞記者や編集者のように基礎的な文章作法の訓練を受けていないし、思想がひねくれているので、わたしの書く文章が世の中に大きな影響を与えるおそれはない。

若いころに比べて読書量も10分の1以下に減っている。その前提を確認し、みずからも安心して、残りの期間に可能であれば取り組んでみたいことを考えてみた。この仕事には定年はない。頭と指先が動き駄文を掲載してくださるメディアがある限り、いつまでも続けられる(それが自由業の不幸でもある、誰もが目を見張るような偉業をなしていながら、「引き際」を知らずに、晩節を汚す残念な先達がどれほど多いことか)。

◆70億を超える人類が、熱心に液晶に向かいあう「不気味」ともいえる光景

正月だから少々のわがままもお許しいただこう。できることならば書物の中や机上ではなく、あちこちを駆け回って世界の実像に肉薄する取材に出かけてみたいなと夢想する。とりわけ、貧困層も含めて世界を席巻するタブレット(スマートフォン)文化の急速な浸透が、各地の日常生活や伝統的生活(果ては文明)にどのような影響を与えているのかに強い関心がある。至近で確認しているだけでも日本の中でタブレット(スマートフォン)の浸透は、確実に思考力の低下と、依存症、そしておそらく電磁波を脳の近くで長時間受けることによる各種の症状を引き起こしているのではないかと感じている。

まもなく小学校では1人に1台ずつパソコンが導入されるという。AIによる社会の変化を肯定的にとらえる向きが多いが、わたしは強い違和感を持つ。その総体をつかむべく、世界各地でなにが起きているか。食べ物も生活習慣も宗教も異なる70億を超える人類が、熱心に液晶に向かいあう「不気味」ともいえる光景は人間を社会をどのように変えてゆくのだろうか。

◆資本主義終焉後にはどのような社会が立ち上がるのか

そして、終焉が確実な「資本主義」の次にやってくる、社会のイメージのきっかけ探しに行きたい。どうあがいても資本主義は収奪対象を失ったら、即、終焉以外に道はない。アジア各国を収奪し、現在アフリカの収奪に余念がない資本主義は、一応資本主義が行き届いた国でも、再度の大掃除(日本においては非正規雇用の増大による階級格差の増大など)で吸い取れるものは吸い取り尽くし、食らうべき餌を失う。その先に待っている社会とはどのようなものだろうか。

「その先はない」

という、悲観的な回答をわたしは何十年も維持してきたのだが、それでは無責任すぎる気もしてきた。わたしは「2030年に日本は現在の形を維持していない」と数年前に予想した。その予想を撤回するつもりはない。残念ながら日本に限れば2030年あたり(あるいは以降)に猛烈な大激震が起きるだろう(国家財政破綻・人口減・原発災害など複合要因による崩壊)。

かといって人類が一気に滅びるものではない。資本主義終焉後にはどのような社会が立ち上がるのか、あるいは目指すべきなのか、人間に理性はあるのか……? 命があるうちにたどり着けるかどうか判然としない、大命題だが日々の雑事に一喜一憂するだけではなく、「未来探し」(それが「あれば」ではあるが)もたまにはいいだろう。

この2つの命題と直結はしないが、ことしは最低任されている仕事をこなし、多少は体力を向上させる1年としたいと思う。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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ゴーン氏保釈逃亡──あっぱれと言うしかない出国劇 訴訟手続きの近代化以外にわが国の司法が回復する道はなし

◆人質司法を忌避したゴーン氏の快挙

ある意味で、快哉と批判が相反する年末最大の事件だった。カルロス・ゴーン被告が非合法に出国し、彼の出生地であるレバノンに入国したのだ。日本のメディアはこぞって「卑劣」「検察の努力を台無しにした」(検察幹部)「世界的に活躍した経営者がこういう人だったのかと、呆れかえって言葉もない」(日産幹部)と、批判的な報道をくり返している。

だが、わたしは人権を無視した「日本の人質司法制度」を批判してきたゴーン氏、および海外メディアの日本司法への批判に同調したい。手錠と腰縄で引きまわし、捜査員(警官)と取調官(検察官)は「黙って(黙秘して)いるようだと、起訴するぞ」「質問に答えないと、反省がないということになるぞ」などと、被疑者を責め立てる。これら戦前の特高警察ばりの取り調べ、および長期拘留という実刑の先取り(判決によらない刑罰)は、体験した人間にしかわからない「現代の悪逆非道」である。


◎[参考動画]Ex-Nissan CEO Carlos Ghosn flees trial in Japan for Lebanon (DW News 2019/12/31)

わたしの体験からいえば、18歳で学館闘争で逮捕されたときに、やはり「何を黙ってるんだ?」「黙秘します」「お前はもうダメだ! 刑務所に送ってやる」と、年輩の検事に怒鳴られたのを覚えている。学校で習った黙秘権はないに等しいのか、と思ったものだ。20歳で逮捕されたときは、実行行為も明らかな闘争だったから、警察官も検事も、学生運動をやめさせようとする以外の話はしなかったものだ。しかし、しゃべれ(自白すれ)ば不起訴か早期保釈、完黙すれば起訴(第一回公判=一年後)という落差は、わが国に「黙秘の権利」「非逮捕者の防衛権」がないことを実証している。

その意味で、人質司法のもとでの裁判におよそ公平性はなく、ゴーン氏が選んだ「保釈逃亡」には、そのかぎりで敬意を表したい。これまでの日本で保釈逃亡が有効に行なわれた(長期逃亡)のは、新左翼事件(思想的確信犯)いがいになかった(短絡的な逃亡は多発している)。

ウォールストリート・ジャーナルによれば「(ゴーン前会長は)日本では公正な裁判は受けられないと考えて逃亡した。政治的な人質でいることに疲れた」というゴーン氏の知人の言葉を紹介している。現地ベイルートでは、ゴーン氏が合法的に入国したというレバノン当局者の発言が報道されている。前近代的な「人質司法」と批判された司法当局こそ、明治いらいの刑法・刑訴法・監獄法に安住してきた自分たちを恥じるべきであろう。

◆出国方法は?

それにしても前代未聞の、手際よい逃亡劇である。当初、日本国内からプライベートジェットで出国したと伝えられたが、カーゴ便で出国して経由地(専用ジェットへの乗り換え)があったとの情報もある。音楽バンドに扮したグループがゴーン氏の自宅をおとずれ、演奏をおえて引き上げるふりをして楽器箱にゴーン氏を入れて連れ出したという。そのまま荷物として出国したのだろうか。

いずれにしても手際のよい日本脱出、監獄司法国家からの脱獄ではないか。国交省幹部は「CIQ(税関・出入国管理・検疫)の検査を受けずに出国することは100%できない」(朝日新聞1月1日)と、明言しているという。まったくもって、映画になりそうな事件である。

さてゴーン氏の事件の問題点は、日産のルノーとの経営権をめぐる確執、それに検察が介入するかたちで、ゴーン氏がスケープゴートにされた。というのが、ゴーン氏にかけられた金融商品取引法違反容疑、会社法違反容疑の実質である。わが国の自動車産業の柱である日産自動車の経営権がフランス(ルノーおよび政府)に奪われる。それ自体、グローバル化した現在の国際資本のもとでは役員人事にすぎないにもかかわらず、日産日本人経営者の内部告発をうけた検察当局において、日本の財界および政界の意向を忖度した逮捕劇が強引になされた。これが事件の本質である。

その意味でゴーン氏が「政治的な人質」と指摘するのは間違っていない。検察においては立件の要件が何とかなれば、強引な訴訟手続きでも何でもできると思っていたところ、相手が一枚上だったというわけだ。

ゴーン被告と連絡をとっていた在日フランス人の友人たちは「週刊朝日」の取材に対してこう語ったという。

「ニュースを聞いて驚いた。だが、ゴーン被告がこういう行動をとることはやむを得なかったと思う」

「ゴーンさんは、様々な点で検察、日本に怒りを感じていた。妻と長く会うことも許されず、最初から有罪ありきの検察の捜査にも非常に憤りを感じていた。当初は日本で裁判を戦い、無罪を勝ち取ると意欲的だった。だが、保釈中、いかに日本の司法制度全体が検察主導で、有罪ありきの構造になっているかを知り、絶望感を感じていた」

絶望を感じた人間にとって、15億の保釈金も逃亡という危険も取るに足らないはずだ。今回の驚嘆すべき逃亡劇によって、前近代的な日本の司法制度が痛烈な批判をたたきつけられたのは間違いない。誤認逮捕をけっして認めない警察(築地誤認逮捕事件)、誤判をけっして認めない裁判所(袴田事件再審取り消し)という現実があるのだ。訴訟手続きの近代化以外に、世界の笑いものになった事件からわが国の司法が回復する道はない。


◎[参考動画]ゴーン被告出国 数週間前に準備か(テレ東NEWS 2020/01/01)

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業。「アウトロージャパン」(太田出版)「情況」(情況出版)編集長、最近の編集の仕事に『政治の現象学 あるいはアジテーターの遍歴史』(長崎浩著、世界書院)など。近著に『山口組と戦国大名』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『男組の時代』(明月堂書店)など。

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買弁富豪カルロス・ゴーン被告の国外逃亡が表象させた国権機能の劣化と衰弱

本通信読者の皆様、明けましておめでとうございます。本年もよろしくご愛読お願いいたします。

ルノー・日産・三菱アライアンスの社長兼CEOだったカルロス・ゴーン被告が逃げた。レバノンに行ったようだ。詳しい経緯はわからないが、年末年始の出来事としては、意外性と大胆さにおいて刺激が充分な事件でもある。

◆大金持ちだけに可能な手法で相当大きな組織が動かないと難しい

「カミソリ弘中」といわれる弘中惇一郎弁護士のインタビューを確認してみた。さすがに歴戦のつわもの、動揺した様子はなかった(が、弘中弁護士にとっては「顔を潰された」ことになったに違いない)。弘中弁護士が髪の毛を染めるのをやめたのは、いつごろだろうか。四谷の事務所には、何度かお邪魔したことがあるが、広い面談室で課題を考えるときの弘中弁護士は、数秒間目を閉じて何事かを口ごもるのが癖だった。

カルロス・ゴーン被告はレバノンを含む3か国のパスポートを所持しており、そのすべては弁護団が保管していると弘中弁護士は発言している。「これだけのことをするのだから、相当大きな組織が動かないと難しいでしょう」と、弘中弁護士は今回のゴーン被告逃亡劇について、感想を述べている。


◎[参考動画]「寝耳に水」ゴーン被告“無断出国”に弁護士も困惑(ANNnewsCH 2019/12/31)

保釈金15億円は早速没収されたが、ゴーン被告にとって15億円などどうでもいい額であったのだろう。ゴーン被告はレバノン到着後に、日本の「人質司法」についての批判を展開している。その内容(が発信通りであれば)中心部分にわたしは異議を感じない。ほかならぬ鹿砦社も代表松岡が、名誉毀損で逮捕され192日も勾留された事実を知っているからだ。

ただし、「人質司法」の問題と、国外逃亡を図る資金的、人的準備を整えることができる人物と、そうでない人間の「格差」についても考えざるを得ない。大胆さには「あっぱれ」と感じる面もあるが、こんな活劇は膨大な資金と弘中弁護士が指摘するように相応の組織がなければなしえるものではない。

ルパン3世は独力と、創意工夫(それからアニメーションゆえに可能な事実なトリック)で、爽快な逃亡や活劇を演じて見せてくれる。ゴーン被告の日本からの逃亡は、大金持ちだけに可能な手法であるので、インパクトはあるがスカッとした気分にはさせてはもらえない。

正月の新聞テレビは、準備している企画ものが主要部分を占めるから、年末年始の出勤にあたった、社員はきっとイライラしていることだろう。「なんでよりによって、こんな時に大事件を起こしやがるんだよ!」と。

30分近くに及んだ弘中弁護士へのインタビューで、ゴーン被告逃亡は、弁護団をも煙に巻いた計画であったろうことは判明した。ゴーン被告逃亡は権力闘争ではない。日本に対して、大金持ちが愛想をつかして、逃亡を図っただけのことだろう。ほんとうはこの時間、わたしは寝付いているはずであった。が、妙に気にかかる。2020年の幕開けになんらかの示唆を与える事件であるような気がする。「日本に愛想をつかして」がキーワードだ。


◎[参考動画]ゴーン被告出国は妻主導か レバノン政府は関与否定(ANNnewsCH 2020/1/1)

◆日本の「劣化」が明示されたゴーン被告逃亡

弘中弁護士はインタビューの中で、記者に逆質問をした。

「あなたたちだったらべイルートに支局を持っているんじゃないの? そこは動かないの?」

さすがに百戦錬磨の「カミソリ弘中」である。受け身だけで黙っているわけではない。だが、弘中弁護士も、少々著名顧客や高額顧客ばかりを相手にしすぎではないか。日産が無茶苦茶な会社であることは、ゴーン被告のべらぼうな給与だけではなく、その後釜におさまった社長もあっという間に辞任に追い込まれることで確認できた。日本の「人質司法」批判もその通りだ。けれども弘中氏はお金のない依頼者を最近相手にしているだろうか。

ゴーン被告がどうなろうと、わたしには関係ないから、さっさと布団に入ればよいのだが、なにかが気にかかる。その「なにか」はたぶん大胆さの裏づけとなる、日本の「劣化」が明示されたことではないかと推測する。検察、司法の旧態依然とした後進性が、世界中にぶちまけられたのだ。

弁護団への信頼の低さも理由かもしれない。日本政府が金持ちが外国に逃げないようにと、富裕層の税制優遇など(逆に庶民への増税)を積み重ねてきた。そういった表層的な政策を、あざ笑うようなゴーン被告逃亡劇は、繰り返すが2020年の年始にあたり、ある種示唆的な事件ではないかと、わたしは感じる。

2020年は、良くも悪くも、これまで記録にはないにないストーリーが、待ち受けているのではないか。そんな予感を抱かされた。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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2019年・私の総括 滋賀医大病院に抗い続けた患者会活動が孕む「希望の革命」

2014年から、大晦日の本通信を担当させていただいている。2014年を除けば、いずれの年も、けっして明るく楽しい結びの文章を書くことができていない。社会に向かいあう、わたしの基本姿勢を維持して、正直な感想や一年の総括を述べるとすれば、2014年から今年にかけて、大局において好ましい変化や予兆などはない。

ただし、昨年から取材をはじめた滋賀医大病院問題では、病院を相手とした市民運動史上、まちがいなく歴史的な場面になんども直面させていただいた。

JR草津駅前広場を埋め尽くした患者会のメンバー
宮内さんは待機患者の苦悩を訴えた

「岡本圭生医師に治療を受けた」この一点しか共通項のない方々が、滋賀医大病院前で毎週抗議のスタンディングを行い、草津市内では2度にわたるデモ行進も敢行した。参加者は北海道から沖縄まで、みなさん交通費、宿泊費自腹でデモのためだけに集結された。

この運動には、既成の政治勢力が一切かかわりを持たなかったことも、爽やかさを維持できた一因であろう。デモ行進でシュプレヒコールを上げる役割のかたも、参加者の9割5分以上もデモは初参加の方であった。

何十人もの患者さんに経験談を伺った。岡本医師に治療を受けた患者さんは、取り戻した健康を享受して、穏やかな日々を送っていればよさそうなものの、多くの方はその選択肢を捨てた。署名集め、チラシ配り、デモ、集会参加、裁判傍聴などそれぞれのメンバーが参加可能な方法で、「岡本医師の治療継続」を求める行動に参加した。

目立つメッセージを工夫して集会に参加したメンバー
デモ出発前、決意が眼光に現れる

「私たちは治療を受けて快適に生活できています。でも岡本先生にお会いするまでは、不安で不安で生きた心地がしませんでした」

同様のコメントを異口同音に何人もの方々から伺った。岡本医師の治療でなくとも命に別条のない患者さんもいたが、高リスク前立腺癌の患者さんのなかには、岡本医師でなければ完治が見込めない患者さんも多数含まれていた。前立腺癌には多くの場合自覚症状がない。自覚症状を感じたときには周辺臓器や骨への転移が進んでいるケースが多いそうだ。だから前立腺癌は怖いのだ。自覚症状なしに進行し、ある日検査を受けたら、いきなり「癌」の告知を受ける。

そんな経験をして、しかし、わずか3泊4日の入院で主たる治療が終了し、「癌」の恐怖から解放された経験を皆さん、本当にきれいな目で語ってくださった。職業も年齢も、収入も居住地も異なるひとびとが、「自分が受けられた、岡本医師の治療を無くしてはならない」のただ一点で終結し、厚労省へ迫り、2万8千筆の署名を集め、治療を待っている患者さんのために行動する姿は、完全に「無私」で貫かれていた。

滋賀医大病院前抗議活動で初夏の風を受けたのぼり
患者会での「頑張ろう!」
「命を守るぞ!」

せっかく定年退職されたのに、現役中のように実務をこなすひとの姿、毎週始発電車に乗り遠路滋賀医大の正門に向かうひと、滋賀医大関係者が多く居住する地域に、くまなく問題を指摘したビラを配布するひと……。

岡本医師は滋賀医大(病院)から「本年5月末で治療を打ち切れ」と迫られていたが、雇用期間は12月末まで残っていた。6月から12月まで無為に過ごすことはない、手術を行っても経過観察期間は1月もあれば充分だ(病院側は経過観察期間が6月必要だと主張していた)。

治療を待っている患者さんたちをどうする? 弁護団と患者さん、岡本医師が協議し、大津地裁に「病院による治療妨害禁止」の決定を求める仮処分の申し立てをおこなった。

厚労省への申し入れ。短期間で患者会が集めた「岡本医師治療継続」を求める署名は2万8千筆にもなった

2019年5月20日、日本の司法界と医療界は歴史的な日を迎える。

大津地裁は岡本医師の主張を全面的に認め(病院の主張を全面的に却下し)11月26日まで岡本医師の治療延長を認め、「病院による岡本医師の治療妨害禁止」を内容とする決定を下したのだ。5月20日の決定により、本来であれば岡本医師の治療を受けることができなかった、52名もの患者さんが治療を受けることができた。

岡本医師は本日をもって滋賀医大病院との雇用契約が終了した。しかし、岡本医師と患者会の皆さんの壮絶な闘いは、勝利だった。

4名の患者さんが河内明宏・成田充弘両医師を相手取り「説明義務違反」による損害賠償を求めた裁判をわたしは、昨年の第一回期日からすべて傍聴してきた。争いの「正邪」は裁判の進行にしたがい、さらに明確化した。

5月20日仮処分決定が出された大津地裁前
JR草津駅前でのデモ行進は2回敢行された
病院からの通報で到着したパトカー

滋賀医大は学長・病院長を筆頭に組織ぐるみで、岡本医師排除のためには「公文書偽造・行使」、「患者カルテの不正閲覧」、「カルテ不正閲覧正当化のために岡本医師によるインシデントのでっちあげ」と次々に信じられない行為を連発した。

「患者のくせに」、「どうせ患者」という言葉を平気で使う関係者は、患者さんを完全に見くびっていた。まさか毎週病院前で抗議行動が恒例化するとは思いもよらなかったに違いない。

最初のうち滋賀医大病院は、毎回のように(あたかも被害者であるかのように)警察に連絡し幾度かパトカーがやってきたが、患者会の皆さんは「道路使用許可」をしっかりとっていた。市民運動の経験がまったくない皆さんがである。

警察への対応もそつのない、患者会メンバー
雨の日も猛暑の日も、毎週滋賀医大前では抗議活動が続けられた

もちろん、今後、岡本医師が治療をどこで続けるのか、続けられるのかという最大の懸念はまだ解決はしていない。しかし、岡本医師は17日裁判後の記者会見で断言した。

「この闘いは、医療を市民の手に取り戻すことができるかどうか、いわば革命です。若手や学生がモノがいえないようないまの滋賀医大の体質は変えなければならない。そのためにメディアの方々も是非しっかり取材していただきたいと思います。私も滋賀の田舎に引っ込んで隠居するのではなく、一日も早く患者さんを治療できるよう、来年も頑張りますからご支援よろしくお願いいたします」

まだ物語は終わっていない。現在進行形のドキュメンタリーは再び岡本医師が手術室で患者治療に向き合う日が再来するまで完結しない。

岡本圭生医師。大津地裁前にて
井戸謙一弁護団長

今日、大きな力を前にしてそれを覆す、ダイナミックなストーリーは物語の中にだけ封じ込められている感がある。だからこんなにも時代は息苦しいのだ。しかし、岡本医師と患者会の行動は「革命」を予感させる。

忘れてはならない。この問題は、フリージャーナリストの先輩である、山口正紀さんが、最初に患者さんの相談を受けたところからはじまっていることだ。山口さんは、この問題にかかわっているあいだに、ご自身も肺がんに罹患され、闘病しながらいまだに取材を続けていただいている。黒藪哲哉さんにも協力をお願いしたところ御快諾頂き、きめ細やかな取材の結晶として、緑風出版社から『名医の追放』を出版していただいた。わたしがお願いしたわけではないが、MBS(毎日放送)は1時間にも及ぶドキュメンタリー『閉じた病棟』を放送していただいた。

患者会のメンバー、弁護団、取材にかかわる組織メディアのメンバーや、われわれフリーのライター。滋賀医大問題で顔をあわせるひとびとはみな個性豊かだ。この多様性が、大きな相手に対する闘いを可能にせしめたのだろう。

来年も遅れることなく取材を続けたい。「革命」の萌芽を取材し、可能であれば私も参加したい。

本年もデジタル鹿砦社通信を、ご愛読いただきまして誠にありがとうございました。皆様にとって来る年が幸多き1年となりますよう祈念いたします。そして来年も鹿砦社ならびにデジタル鹿砦社通信をよろしくお願いいたします。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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《2019年回顧・冤罪》冤罪を疑う声が多い「あの事件」の上告審が異例の長期化

筆者が当欄で取材結果を報告してきた様々な冤罪事件のうち、いくつかの事件で今年は大きな出来事があった。一年の最後に、それをここに回顧する。

◆湖東記念病院事件で事実上、再審無罪が確定

西山さんの再審が行われる大津地裁

当欄で繰り返し取り上げてきた湖東記念病院事件では、懲役12年の判決が確定し、服役した元看護助手・西山美香さんの再審開始が3月に最高裁で確定、さらに10月、検察が再審で有罪を立証しないことを弁護側に書面で通告した。これにより、無実を訴えていた西山さんが再審で無罪を受けることが確定的となった。

この事件について、当欄で初めて記事を書いたのはいつだったかと思い、検索してみたら、2012年10月8日に「刑事への好意につけこまれた女性冤罪被害者が2度目の再審請求」という記事を書いたのが最初だった。感覚的にはそんなに昔のことだと思っていなかったので、あれからもう7年になるのかと軽く驚いた。西山さんや家族、弁護団、支援者ら関係者の方々にとっては長い戦いだったはずで、苦労が報われて本当に良かったと思う。

事件の詳細については、もう何度も書いていることなので、改めて振り返らないが、1つ指摘しておかないといけないことがある。西山さんを虚偽自白に追い込み、この冤罪を作った最大の加害者である滋賀県警の山本誠刑事が現在、長浜署の刑事課長(階級は警部)にまで出世していることだ。これほど酷い冤罪を作った人物が何の責任もとらずに済むのでは、滋賀県警は県民から「冤罪を軽く考えている」と思われても仕方ないだろう。

◆無罪判決を破棄された米子ラブホテル支配人殺害事件で裁判員裁判がやり直しに

石田さんの差し戻し控訴審が行われた広島高裁

控訴審で逆転無罪判決を受けた石田美実さんが最高裁で無罪判決を破棄され、控訴審に差し戻しになった米子ラブホテル支配人殺害事件では、今年1月、広島高裁の差し戻し控訴審で一審の有罪判決が破棄され、鳥取地裁で裁判員裁判をやり直すことになるという異例の事態となった。

鳥取地裁で最初に裁判員裁判が行われたのは2016年の6、7月のことだ。それから3年を超す年月が流れ、再びイチから裁判をやることになった石田さんは、現在、鳥取刑務所に勾留されている。一度は無罪判決を受けた男性がこれほど長く被告人という立場に置かれ続け、有罪判決を受けたわけでもないのに獄中で拘束されているのだから、冤罪か否かという話を脇に置いたとしても、理不尽な印象は否めない。

この事件も何度も当欄で取り上げたので、今回は事件の内容については触れないが、関係者の情報によると、裁判員裁判は来年5月に始まることが決まっているそうだ。何か大きな動きがあれば、今後も当欄で報告したい。

◆最高裁で行われている今市事件の上告審が長期化

勝又さんの上告審が行われている最高裁

筆者が取材している様々な冤罪事件のうち、多くの事件は世間の人たちから冤罪だと気づかれていない。そんな中、裁判では一、二審共に有罪判決が出ながら、世間的にも冤罪を疑う声が非常に多いのが今市事件だ。この事件も当欄で何度も取り上げたので、今回は事件の内容には触れないが、実は被告人・勝又拓哉さんの裁判で今後、大きな動きがあるのではないかと筆者はにらんでいる。

その理由は、控訴審判決が昨年8月に出て以来、すでに1年4カ月余りの年月が過ぎているに、まだ最高裁の上告審が続いていることだ。最高裁は審理を書面のみで行い、公判を開かないため、裁判の進行状況がわかりにくい。しかし、現在は裁判が迅速化しており、控訴審で無期懲役判決が出ているような重大事件でも、被告人の上告が半年もしないうちに棄却されるようなケースが多い。つまり、今市事件に関する最高裁の審理は長期化しており、これはすなわち、少なくとも最高裁から簡単には上告を棄却できない事件だと受け止められているということだ。

最高裁の審理が長期化した冤罪事件と言えば、筆者は以前、当欄で次のような記事を書いたことがある。

前回五輪の年から冤罪を訴える広島元放送局アナ 最高裁審理が異例の長期化!

この広島元放送局アナ窃盗冤罪事件では、最終的に被告人の煙石博さんが最高裁で起死回生の逆転無罪判決を受けたということは周知の通りだ。今後、今市事件でも勝又さんに同様の吉報がもたらされるのではないかと筆者は感じ始めている。

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。編著に「さよならはいいません ―寝屋川中1男女殺害事件犯人 死刑確定に寄せて―」(KATAOKA)、原作コミックに「マンガ『獄中面会物語』」(笠倉出版社)。

月刊『紙の爆弾』2020年1月号 はびこる「ベネッセ」「上智大学」人脈 “アベ友政治”の食い物にされる教育行政他
「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

福島「聖火リレー」予定コースを辿ってわかった2020年「復興五輪」の欺瞞 『NO NUKES voice』ルポ〈10〉尾崎美代子

◆復興の「光」ばかりが強調されたリレーコース

浪江町で進む「イノベーション・コースト構想」の工場

東京オリンピック.パラリンピックまで100日となった12月17日、福島県内の聖火リレーの詳細ルートが発表された。3月26日、福島県楢葉町のJヴレッジをスタートし、28日までの3日間で浜通り、中通り、会津地方を回る。

福島県の内堀知事は、聖火リレーで震災と原発事故からの復興の「光と影、両方を発信する」と話していたが、23日の定例記者会見では、記者らから「影」の部分を発信していないのではと疑問の声があがっていた。

確かに、帰還困難区域の多い浜通りコースでは、国主導の「イノベーション.コースト構想」が進む浪江町の「福島ロボットテストフィールド」や「福島水素エネルギー研究フィールド」、大熊町大川原地区の「東電ヒルズ」と呼ばれる豪華な東電社員寮・食堂、そして今春開庁した役場など、4月に現地を訪れた際、「走るならばここだろう」と直感した場所ばかりだ。

「光」ばかりで、「影」などどこにも見当たらない。しかも0.6キロ~1キロの短いコースが多く、細かくぶつ切りした復興の「光」を無理やりつなげたとの感じが否めない。

浪江町で進む「イノベーション・コースト構想」の工場

◆福島復興のために無理やり解除される双葉町

6月に発表されたルートの概要では、原発事故で避難指示が出た11市町村をすべて走る予定になっていた。ただし、全町避難が続く双葉町については、来春までに一部解除が決まればルートに加えるとの方向で検討が進んでいたが、どうしてもコースに入れたい国は、町の一部を来春までに解除させようと動きだした。双葉町は、町の96%が人の住めない「帰還困難区域」で、「避難指示解除準備区域」は太平洋岸の4%のみだが、ここは国道6号線や常磐線に接してないため、聖火リレーコースにはなり得ない。

そんななか、JR常盤線が来年3月、現在不通となっている富岡、双葉間を開通させ、全線復旧させるとしたため、国は、双葉駅周辺の約555ヘクタールを「特定復興再生拠点区域」とし、来春3月、先行して避難指示解除することを決めた。実際に戻って住むのは2年後の2022年の春からだが、聖火リレーを通過させるため、無理やり解除するようなものだ。

大熊町のリレーコースに入る大川原地区の「東電ヒルズ」。夜は綺麗にライトアップされる

◆「心斎橋駅~難波駅」、地下鉄ひと駅走る飯舘村のリレーコース

飯舘村深谷地区に建設された村営住宅

リレーは2日目、事故後、全村避難となり、2017年3月末、避難指示が解除された飯舘村を通過する。飯舘村は、福島第一原発から40~50キロ離れ、事故までは原発と無縁の村だった。「丁寧に」や「真心こめて」を意味する「までい」の思いで、独自の村作りを続け、「日本で最も美しい村」連合にも加盟された。そんな村にまで大量の放射能をふらせた過酷な事実を、国と県、東電はなんとしても消したい。そのため躍起になって進めてきたのが、飯舘村の「復興計画」だった。

震災の翌年から始まった「いいたて までいな復興計画」は、2013年、安倍首相が「汚染水はアンダーコントロールしている」と嘘のプレゼンテーションで五輪招致を勝ち取って以降、内容がかわってきた。

飯舘村の面積は、2万2,300ヘクタールある大阪市とほぼ同じ2万3,010ヘクタールで、そこに20の行政区が入っている。当初の計画案では「既存の(帰還困難区域の長泥地区を除く19の)行政区と、避難でできた新たなコミュニティーの両方を支援する」ことを重点施策の一つとしてきたが、その後、「行政区」の文字が消え、代わりに新たな「復興拠点」を決め、そこを集中的に復興させるにかわってきた。復興拠点には「深谷地区」が決まったが、その際行われた住民説明会で、「何言っているんだ。深谷(街道)は地吹雪が凄いじゃないか」とあきれ顔で怒鳴った村民もいたという。

そんな深谷地区が、なぜ復興拠点に選定されたのか? 村の中央部に位置する深谷地区には、福島県の浜通りと中通りを結ぶ県道原町川俣線が通っている。村を通る唯一の幹線道路であり、復興のための資材や人材の流通に欠かせないという利点もあるが、聖火リレーが走るには幹線道路が必要という面もあるのではないか? 当時そう考えた私だが、一方で、そんな安易な理由で、6,000人村民の「復興」が大きく変えられることなどあるだろうかと思い直したが……。

しかし、今回決まったコースをみると「やっぱり」としか思えない。スタート地点の交流センター「ふれ愛館」、ゴールの道の駅「までい館」は、いずれも復興の重要拠点として、それぞれ約11億円、約14億円をかけられて建設されてきた。「までい館」周辺には、村特産の「花き栽培工場」やメガソーラー施設などのハコモノが乱立し、今年4月訪れた際には、村営住宅も建設.整備されていた。

飯舘村の復興計画に参入した大手コンサルタント会社「三菱総合研究所」が、東京の事務所で描いたイラストを、切り取って張り付けたような住宅は、「インスタ映え」はするだろうが、果たして住民の意見を聞いて作られたのだろうか、疑問に思えてならない。

飯舘村の道の駅「までい館」。昼間も来店者はまばら。昼食を食べに来る作業員が多かった

◆知事に代わり、復興の「影」を語る伊藤延由さん

飯舘村の聖火リレーのゴール地点道の駅近くの空間線量(撮影=伊藤延由)

この「ふれ愛館」から「までい館」までのわずか1.2キロのコース、大阪市でいえば心斎橋駅から難波駅間に乱立するハコモノを見て、果たして飯舘村の復興の何がわかるのだろうか? 

飯舘村に復興の「影」はないのか?

避難指示解除後、村に住み、飯舘村の様々な情報をSNSで発信している伊藤延由さんが、内堀知事の語らない復興の「影」を語ってくれた。

村に事故当時6100人いた村民は、12月1日現在で1,400人弱(実際は半数?)しか戻っていない。

伊藤さんが聖火リレーコース上の線量を測定した結果、スタート、ゴール地点の空間線量率は0.1~0.12マイクロシーベルト/hだが、道路わき2~3mでは0.6~1.2マイクロシーベルト/hと非常に高い場所があることがわかった。

更に伊藤さんが2018年、2019年、村内でふきのとうを採取し、その地点の空間線量率と土壌のデータを計測したデータからは、多くの地点が未除染か手抜き除染であることがよくわかっている。

全て莫大な税金をつぎ込み除染した場所だ。そして事故前の村に戻るには300年かかるのだと。

◆ゴール地点の「までい館」は開業から赤字続き これで「復興」?

飯舘村の聖火リレーのゴール地点道の駅近くの空間線量(撮影=伊藤延由)

飯舘村聖火リレーのゴールとなる道の駅までい館は、オープンから2年連続赤字だが、「復興のシンボル」を維持するためにと、村は今年1月、運営会社に3,500万円を追加出資することを決めた。

そもそも「道の駅」とは、その地元でしか採れない、味わえない特産品を並べるのが特徴であると思うが、飯舘村の道の駅で販売する農産品、加工品は、品数が少ないうえ、放射線量を厳しく計測し販売しているとはいえ、未だ空間線量も土壌汚染も高いと知ったならば、買うことをためらう人も多いのではないだろうか。

これは決して「風評被害」や「差別」ではない。私たちは、愛してやまない故郷が、放射能に汚された事実と真正面から向き合わなければならないのだから。住民に無用な被ばくを強いる放射能をなくさない限り、真の「復興」など望めないのだから。
 
それにしても、福島の復興の「光」ばかり、それも将来村の財政を圧迫するようなハコモノばかりを見せられ、国内外のメディアは本当に福島が「復興」したと思うだろうか? 黒いフレコンバックが山積みの仮置き場、荒れ果てた田畑、住む人もなく朽ち果てていく家屋など、復興の「影」の部分を隠したままの聖火リレーが、今後、福島の真の復興をいっそう妨げになることを危惧するばかりだ。

▼尾崎美代子(おざき みよこ)

新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。月刊『紙の爆弾』2020年1月号には「日本の冤罪 和歌山カレー事件 林眞須美を死刑囚に仕立てたのは誰か?」を、『NO NUKES voice』22号には高浜原発現地レポート「関西電力高浜原発マネー還流事件の本質」を寄稿
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58
◎[参考動画]飯舘村深谷地区の道の駅裏に建設・整備された村営住宅(著者ツイッター)

月刊『紙の爆弾』2020年1月号 尾崎美代子「日本の冤罪 和歌山カレー事件 林眞須美を死刑囚に仕立てたのは誰か?」他
『NO NUKES voice』22号 尾崎美代子の高浜原発現地レポート「関西電力高浜原発マネー還流事件の本質」他
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《2019年回顧・改元》明治政府が突貫工事で生み出した「神と国体」を隠蔽し続ける「国民統合の象徴」という倒錯

2019年は、この国でのみ通用する時間軸(元号)の変更が行われた年であった。元号はときの天皇に付随して変更されるのはご承知のとおりであり、天皇が死去ではなく、生前にその位を息子に譲る現象を、わたしたちは目にすることとなった。


◎[参考動画]新元号「令和」安倍総理が談話発表(ANNnewsCH 2019/04/01)

◆明治政府は突貫工事で天皇という「神」を誕生させた

天皇が実権者として、社会の全面に登場したのは、江戸幕府が終わってからだ。倒幕により新たな国家体を早急に整える必要に迫られた、当時の実力者は、欧州におけるキリスト教支配に着目し、日本にも「神」を誕生させる突貫工事を行う。2000年近くかけて積み上げられて来た「キリスト教支配」を、明治政府は、大日本帝国憲法において、天皇を「神」と位置付けることにより構成しようと目論んだ。乱暴な支配構造建設は思いのほかの速度と、徹底度をもって国の支配軸を形成していった。

江戸時代の庶民にとって、天皇などは日常生活に、まったく関係のない存在であったのに、「立憲君主制」という危険な国家体創造を目指した勢力は、西欧が千年単位の時間をかけ確立した「キリスト教支配」を数十年で完成させてしまう。「神」は抽象的概念だが、国家神道は天皇を現人神に任命することにより、すべての具体的な疑問を封じ込めることに成功する。

◆「神国」の敗戦

しかし、無理は必ず破綻を招く。

「神」の名のもと、ポルトガルやスペインが世界に植民地を広げていった後塵を拝した「神国」=大日本帝国は、朝鮮半島、中国をてはじめに、アジア各国への侵略を画策する。一時は日本の傀儡である満州国をつくりあげ、中国国内が国民党と共産党の内戦状態であったことを奇貨として、「神国」=大日本帝国は、中国大陸を支配する直前まで侵略をすすめた。だが、国際社会は黙っていなかった。

第一次世界大戦以降「中立」を守っていた米国も、中国大陸での大日本帝国の狼藉には、堪忍袋の緒を切らし、石油の対日輸出をストップする。米国による対日石油禁止こそが、真珠湾攻撃(対米開戦)が決定づけられた理由であることはご存じの通りだ。そのごは坂道を転げ落ちるように「大日本帝国」は敗残を続ける。白人支配に楯突いた、アジア人に対して欧米諸国の返礼は、容赦なかった。「100年早いんじゃ!」と言わんばかりに、全国の主要都市が絨毯爆撃を受け、非戦闘員も100万人以上が犠牲になった。


◎[参考動画]Japanese General Chooses Seppuku Over Surrender(Smithsonian Channel)

◆敗戦をいたずらに引き延ばした昭和天皇ヒロヒトの責任

竹槍での本土決戦を叫ぶ、理性を失った「神国」=大日本帝国の天皇ヒロヒトが「敗戦」を受け入れたのは、広島、長崎に原爆が投下がなされたあとだ。大本営内でも1945年の初期には講和を探る動きがあった。

「もうどう考えても勝てない。条件付き敗戦を認めるべきだ」

最後の理性は、しかしながらヒロヒトによって踏みにじられる。1945年年始に敗戦を受け入れていれば、100万人近い空襲の犠牲者の、大部分は難を逃れることができただろう。

敗戦をいたずらに引き延ばしたのは、昭和天皇ヒロヒトの責任だ。もちろん、アジア諸国への侵略も「御稜威」(みいつ)を盾に行われたのだから、その責任がヒロヒトにあることは言を俟たない。

ヒロヒトは敗戦後、GHQ司令官として日本にやってきたマッカーサーにいち早く媚を売りに行き、自身と天皇制の延命に向けて動き出す。ヒロヒトの工作は成功し、統帥権者であったヒロヒトが戦犯として東京裁判で被告にされることはなかった。あるいは日本国憲法施行後も、日本の国民によってヒロヒトが裁かれることはなかった。


◎[参考動画]Japanese Emperor Hirohito’s World War II surrender(New York Daily News)


◎[参考動画]Macarthur’s Welcome (British Pathe)

唯一具体的なヒロヒトに対する、人民からの「オトシマエ」を付けさせようとの行動は、「東アジア反日武装戦線」により、荒川にかかる鉄橋爆破により保養先から帰途にあるヒロヒトを処刑する計画が立てられ、実行寸前まで計画は準備されたが、最後の準備が整わず、荒川鉄橋上でのヒロヒト爆殺計画(虹作戦)は、断念されることになる。

◆神様は責任を取らない

さて、天皇は日本国憲法の第一条から第八条でその地位や、役割が定められている。「国民統合の象徴」が日本国憲法下天皇の法的位置づけである。「国民統合の象徴?」1億2千万人の個性を誰かひとりの人間が「象徴」することなどできるのか? わたしのような、はずれものから、勤勉な労働者、元気な若者、病に苦しむ患者さん…実に多様な個性を一人の人間が「象徴」する。ずいぶん乱暴すぎる平均値の取り方ではないか。だが苦し紛れに見える「象徴」には深遠な意図と、明確な目標、守るべき「国体」を隠蔽する機能が同時に備えられている。

そのことを今年私たちは目撃したのだ。日本国憲法における「象徴」とは、国家神道に由来する天皇の神格化に他ならない事実を、即位の礼、大嘗祭で見せつけられたではないか。おめでたいテレビのアナウンサーは「平安絵巻さながらの」とあの時代錯誤も甚だしい、あの装束を褒めちぎったが、彼らが神道にのっとった儀式を進めていることを、はっきり解説したコメンテーターはいただろうか。

神様は責任を取らない。日本国憲法は平和憲法といわれているが、それを隠れ蓑にして、国家神道は何度改元を繰り返しても、いまのところ健在だ。「無答責」という言葉は「責任を取らない」ことを意味する。明治憲法で統帥権者、現人神として規定された天皇ヒロヒトは、「神」であるがゆえに戦争の責任を問われることがなかった。その息子アキヒトは、平和主義者を演じるのに熱心ではあったが、ヒロヒトが免罪された(免罪されたからといってなかったわけではない)戦争責任に言及することは、あるはずもなかった。

そしてその息子、ナルヒトも同様に「象徴」として過去の責任からは、まったく無縁に安穏と天皇としての役割を果たしてゆくのだろう。

ちなみにいまこの国のひとびとが、最も嫌悪しているであろう国の1つ、朝鮮民主義人民共和国は、その建国から、大日本帝国をまねた国家体制を打ち立てている。金日成は「絶対」であり、朝鮮民主主義人民共和国では金日成が生まれた年を、元年とした、独自の時間軸が使われている。「古臭いなー」と読者はお感じにならないだろうか。

でも、同様の現象が、もっと自由であるはずの日本で、2019年、堂々と展開されている。この倒錯にこそ日本の根源問題を見る。


◎[参考動画]Japanese Emperor Naruhito’s coronation ceremony at the Imperial Palace | FULL(Global News 2019/10/22)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

月刊『紙の爆弾』2020年1月号 はびこる「ベネッセ」「上智大学」人脈 “アベ友政治”の食い物にされる教育行政他
鹿砦社創業50周年記念出版『一九六九年 混沌と狂騒の時代』
『NO NUKES voice』22号 新年総力特集 2020年〈原発なき社会〉を求めて

《2019年回顧・死刑》死刑運用が慎重になった司法、ますます強気になった政府

数少ない死刑存置国の日本では、2019年も様々な事件の裁判で死刑か否かが争点になった。また、東京五輪が終わるまで死刑の執行は難しいのではないかという大方の見方を覆し、今年も新たに2人の死刑囚が死刑を執行された。そんな1年の死刑に関する重大ニュースTOP5を筆者の独断と偏見で選び、回顧する。

◆【5位】新潟小2女児わいせつ殺害事件の裁判員裁判で死刑回避の判決

2009年に始まった裁判員裁判では、被害者の人数が1人の事件でも死刑判決が出るケースが増えていた。たとえば、松戸女子大生殺害放火事件(2009年)や南青山マンション男性殺害事件(2009年)、神戸小1女児殺害事件(2014年)などがそうだ。

したがって、この新潟の事件でも、検察官は死刑を求刑したのだが、それは当然の流れだった。小林遼被告は、女児に軽乗用車をぶつけて車に乗せ、わいせつ行為をしたうえ、首を絞めて殺害、さらに遺体を線路に放置して電車に轢かせるなど、残虐非道の限りを尽くしていたからだ。

しかし、山崎威裁判長が宣告した判決は無期懲役だった。まれに見る凄惨な事件だと認めつつ、被害者が1人の殺人事件では、わいせつ目的の殺人は無期懲役にとどまる量刑傾向があるとして、公平性の観点から死刑を回避したのだ。

被害者が1人の殺人事件について、裁判員裁判で死刑判決が出ても、控訴審で覆り、無期懲役に減刑されることが繰り返されてきた。上記の松戸女子大生殺害放火事件や南青山マンション男性殺害事件、神戸小1女児殺害事件もそうだった。その傾向を踏まえ、山崎裁判長をはじめとする新潟地裁の裁判官が死刑の適用に慎重になり、裁判員たちもそれに従ったのではないかと私は見ている。

◆【4位】熊谷6人殺害事件控訴審で一審死刑の被告が「心神耗弱」を認定されて無期に

2015年に熊谷市内の住宅に次々侵入し、男女6人を包丁で刺すなどして殺害したペルー人のナカダ・ルデナ・バイロン・ジョナタン被告は、裁判員裁判だった一審・さいたま地裁で死刑判決を受けていたが、東京高裁の控訴審で12月5日にあった判決で、犯行時は統合失調症のために心神耗弱だったと認定され、死刑判決が破棄、無期懲役を宣告された。

この被告人は、事件を起こした当初から言動が異常なのは明らかで、心神耗弱と認定されても別におかしくはない。ただ、日本の刑事裁判では、被告人が極めて重篤な精神疾患に陥っていたとしても、死刑に相当するような罪を犯している場合には、裁判官が強引に完全責任能力を認め、死刑を宣告するのが慣例化していた。その慣例がなぜ破られたのかは不明だが、裁判員裁判は死刑適用のハードルが下がっていることに対し、控訴審の裁判官たちが何か思うところがあったのかもしれない。

◆【3位】犯行時に現職の福岡県警警察官だった被告に死刑判決

犯行時に現職警察官だった中田被告に対し、死刑が宣告された福岡地裁

2017年に福岡県警の巡査部長・中田充被告が福岡県小郡市の自宅で妻子3人を殺害したとして殺人罪に問われた事件は、福岡地裁の裁判員裁判で12月13日、中田被告の「冤罪」主張が退けられ、死刑が宣告された。マスコミは「直接証拠がなく、有罪、無罪の判断は難しい事件だった」という論調で報じたが、筆者が取材した限り、有罪の証拠は揃っており、有罪、無罪の見極めは特別難しい事件だったとは思えなかった。

この事件が特筆すべきは、中田被告が犯行時、現職の警察官だったことだ。元警察官が死刑判決を受けた例としては、元警視庁の澤地和夫死刑囚(病死)、元京都府警の広田(現在の姓は神宮)雅晴死刑囚、元岩手県警の岡崎茂男死刑囚(病死)らの例があるが、筆者の知る限り、犯行時に現職だった警察官に死刑判決が宣告された例は無い。あったとしても極めて異例だろう。

中田被告は現在、控訴しているが、このまま死刑が確定する公算は大きく、歴史的な事件と言えるかもしれない。

◆【2位】「死刑執行は難しい」との予想に反し、今年も2人の死刑執行

8月、2人の死刑囚が新たに死刑執行された。1人は、2001年に神奈川県大和市で主婦2人を殺害した庄子幸一死刑囚、もう1人は、2004~2005年に福岡県で女性3人を殺害した鈴木泰徳死刑囚だ。これで、第2次安倍政権下での死刑執行は計38人となった。

このニュースを2位に挙げたのは、今年は死刑執行が難しいのではないかという見方が強かったためだ。元号が令和に変わり、天皇陛下の「即位の礼」などの皇室関連行事があるうえ、来年は東京オリンピックも開催されるためだ。そんな中、死刑を執行したのは、政府が「今後もどんどん死刑を執行する」という考えを表明したとみるのが妥当だ。

今後も安倍政権下では、死刑はこれまでの通りのハイペースで執行されていくだろう。

◆【1位】寝屋川中1男女殺害事件の控訴取り下げが無効に

山田死刑囚が死刑確定直前に綴った手記をまとめた電子書籍「さよならはいいいません」

自ら控訴を取り下げ、一審・大阪地裁の死刑判決を確定させていた大阪府寝屋川市の中1男女殺害事件・山田浩二死刑囚について、大阪高裁は12月17日、控訴の取り下げを無効とし、控訴審を再開する決定をした。山田死刑囚の弁護人が高裁に取り下げ無効を求める申し入れ書を提出していたのを受けてのことだ。

山田死刑囚が控訴を取り下げた原因は、拘置所に借りたボールペンの返却が遅れたことで刑務官と口論になり、自暴自棄になったことだった。大阪高裁はそれを前提に、山田被告が控訴を取り下げたら法的な帰結がどうなるかを忘れていたか、明確に意識していなかった疑いを指摘し、「控訴取り下げの効力に一定の疑念がある」と判断したのだ。

大阪高検は、この決定を不服として最高裁に特別抗告し、大阪高裁にも異議申し立てを行った。そのため、現時点で控訴審が再開されることは確定していないが、このように殺人犯1人の死刑を確定させるか否かについて、裁判官が慎重な判断を下すのは珍しい。というより、このような決定は前代未聞で、筆者にもまったく予想できないことだった。

ただ、この大阪高裁の裁判長の名前を聞き、合点がいった。村山浩昭氏。袴田巌氏に対して再審を開始し、死刑と拘置の執行を停止する画期的決定を出した静岡地裁の裁判長(当時)だ。村山氏はその後、名古屋高裁の裁判長だった時、冤罪を疑う声が非常に多い藤井浩人美濃加茂市長に逆転有罪判決を出すなど、良し悪しは別にして空気をまったく読まない判決を下す裁判長だ。

山田死刑囚の控訴の取り下げは、その経緯からして無効と判断されてもおかしくはないが、世間の空気を読むタイプの裁判官であれば、控訴審を再開する決定はなかなか出せないだろう。それが出せたのは、村山氏の空気を読まない性格があってこそだと思う。

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。編著「さよならはいいません ―寝屋川中1男女殺害事件犯人 死刑確定に寄せて―」(KATAOKA)に、原作コミック『マンガ「獄中面会物語」』(笠倉出版社)も発売中。

月刊『紙の爆弾』2020年1月号 はびこる「ベネッセ」「上智大学」人脈 “アベ友政治”の食い物にされる教育行政他
「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

《2019年回顧・教育》文教行政の破綻を明示した共通テストの記述式採点見送り

◆ベネッセを中心とする「教育産業」と萩生田文科相の関係の闇

文科省が導入を宣言していた、「共通テスト」で英語民間試験に続き、国語・数学の記述式についても延期することを萩生田文科相は2019年12月17日の閣議後記者会見で発表した。 「センター試験」から「共通テスト」への変更で、売り物だった、英語民間試験、国語・数学の記述式が、当面実施されないことが確定した。

何年も前から実施を宣言しておきながら、「記述式では採点の標準化が難しい」との理由で、実施直前になり「共通テスト」の内容は、大幅に変更されることになった。背景にはベネッセを中心とする「教育産業」と萩生田文科相の関係や、文科省内の不協和音などが挙げられている。


◎[参考動画]採点などの課題で「現実的に困難」 記述式見送り(ANNnewsCH2019/12/17)

◆「大学自治」自体が目に見えて崩れていく時代

入学試験は受験生にとっては、大学に入学するための「ハードル」であるが、大学にとっては「どのような学生」を大学が求めるか、を示す機会でもある。だから古くは共通一次試験に私立大学が参加(実質的には文科省のなかば恫喝による参加)がはじまって以来、私は「私立大学の共通一次利用は私立大学存立の原則と相いれない」と批判してきた。

今日、大半の私立大学がセンター試験を、何らかの形で入学試験に採用する時代となったが、この状態はかなりいびつな問題をはらみながら、私立大学がそれを注視することなく、「時勢」に乗ってきた結果である。

私立大学だけではい。国公立大学も法人化により、かつてよりも補助金では冷や飯を食わされる一方、大学運営の独自性が奪われ、学長・理事会の権限が強まる反面、教授会権限が圧倒的に制限された。「大学自治」自体が目に見えて崩れていく時代にあって、横並びの入学試験について、根底的な疑問と議論が交わされないのは、まったく不思議な事態である。

◆共通テスト実施母体の深刻な知的劣化

「記述式では採点の標準化が難しい」程度の頭脳の持ち主が、試験問題の作成や採点に関わろうとしているということは「記述式試験を行う能力がありません」と宣言しているに等しい。私立大学(あるいは、私立高校・中学・小学校)における国語の設問には、文章の大意を述べさせたり、筆者の主張についての分析のを論述式で問う質問は珍しくないが、記述式設問には「特定の箇所が記載されているか」、「鍵となる文言(複数)が回答内にあるか」など、長年蓄積されてきた採点のノウハウがある。短い記述式の採点ができないようでは「小論文」の試験など、到底実施できないではないか。

こういった、程度の低い理由で英語・国語・数学の記述問題が実施できないのは、共通テスト実施母体に「その能力がない」と認めているのと同義だ。実に恥ずかしく、深刻な知的劣化といわねばならないであろう。

◆暴論を真顔で発表する文科省は「朝令暮改無能省」

文科省をわたしは内心「朝令暮改無能省」だと思っている。国公立大学をはじめとして、私立大学も大原則に立ち返り、いっそうのこと「センター試験」や「共通テスト」から離脱して、独自の問題で入学試験を行ってはどうだろうか。文科省はしきりに「個性」という言葉を近年、通達や指導要綱で用いている印象がある。そうであるならば、建学の理念が異なる各大学は、それぞれの大学が獲得を目指す学生像に合わせた入学試験を、自前で準備して実施するのが妥当ではないだろうか。

世界各国に「共通試験」や、「センター試験」のような標準試験は存在している。国を超えての留学の際などには、たしかに利便性がまったくないわけではない。が、それ以上に、今日この国においては文教行政の度重なる政策の過ちにより、高等教育において、大幅なレベルダウンが全体に発生していることを無視してはいられまい。大学のレベル調査や論文引用件数でも、中国や香港シンガポールの大学にかなり水をあけられる状態が年々進行している。

「文系の学科をなくす」などという、暴論を真顔で発表するのが文科省である。

近く、小学校で1人1台パソコンを使わせようと本気であの連中は考えている。幼少期から玩具に液晶を利用したものとの接触が増え、思考力の低下や脳へのダメージ、視力への悪影響が指摘されるなか、小学校での「1人1台パソコン提供」には、裏でメーカーとの薄汚い利益供与関係があるのではないか、と感じるのはわたしだけであろうか。こんな連中の指示に従っていたら、生徒・学生能力は、ますます低下することが確実だろう。

財政とともに、教育の面でも共通テストの破綻が、文教行政の破綻を明示した一年であった。


◎[参考動画]【Nスタ】振り回された受験生は怒り (TBS 2019/12/17)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

月刊『紙の爆弾』2020年1月号 はびこる「ベネッセ」「上智大学」人脈 “アベ友政治”の食い物にされる教育行政他
『NO NUKES voice』22号 新年総力特集 2020年〈原発なき社会〉を求めて
鹿砦社創業50周年記念出版『一九六九年 混沌と狂騒の時代』

ヒットマンは親分だった! 山口組抗争激化 先陣を切る中高年組長たち

ヒットマンは山健組の組長(中田浩司60歳)だった……。これは任侠界を知る者にとって、きわめて衝撃的な事実である。たとえはヘンかもしれないが、トランプ大統領がF35戦闘爆撃機に乗って朝鮮半島上空に侵攻して核ミサイル基地を空爆するとか、安倍総理がみずから作業着を着て災害救助の最前線に立つようなものだ。いや、それだと立派な行為ということになるが……。つまり言いたいことは、山口組抗争の片方の本家(正しくは本家組長の出身母体)の親分がみずから、対立する六代目山口組の本家(正しくは本家組長・若頭の出身母体)の幹部を銃撃したという、前代未聞の事態なのである。

すなわち、8月21日に弘道会傘下の二代目藤島組に所属する加賀谷保組員(51歳)が複数の銃弾を浴びた事件のヒットマンが、中田組長だったことが判明したのだ。それもミニバイクにヘルメットをかぶり、拳銃を撃ち放つという若々しき実行行為である。

考えてもみてほしい。60歳で懲役30年の刑を受けた場合、獄死はほぼ間違いない。かりに懲役20年、80歳で出所できたとしても、もはや引退する歳である。


◎[参考動画]山口組系組員銃撃事件 神戸山口組幹部の男を逮捕(サンテレビ2019年12月4日)

それだけではない。8月の事件に対する報復として、10月10日に山健組本部前で六代目山口組弘道会(竹内照明会長)の丸山俊夫幹部組員(68歳)が、山健組幹部2人を射殺している。このとき、丸山は報道関係者を装ってカメラを持ち、怪しまれずにターゲットに近づいている。しかし本欄でも指摘したとおり、警備陣がそろっている中での犯行であり、もとより帰還を期さない特攻襲撃でもあった。永山則夫(連続射殺犯)規準では、2人以上殺せば死刑である。

さらには11月27日に、元山口組組員(破門中)の朝比奈久徳(52歳)が神戸山口組の古田恵一(二代目古田組)組長をM16自動小銃で射殺している。朝比奈容疑者の銃撃の動機は不明だが、軽機関銃での犯行は重刑になるであろう。


◎[参考動画]山口組系組員銃撃事件 新たに男4人逮捕(サンテレビ 2019年12月9日)

◆高山清司若頭が直参幹部に喝?

10月18日に六代目山口組の高山清司若頭が出所して、幹部たちを集めて「喝を入れた」と報じられ、にわかに抗争激化の様相を呈している。などと実話系週刊誌は見出しを立てているが、幹部たちの直接の証言があるわけではない。山口組は司組長が産経新聞のインタビューに応じた例外を除いて、マスコミや暴力団ライターの取材に応じるのはご法度である。

いまのところ山口組抗争は双方とも抗争は自粛、むしろ水面下の締めつけや復帰工作が進められているのが実情だ。問題なのは、中高年の幹部組員たちがヒットマンになり、絶望的な戦いをくり広げていることであろう。

中田組長にしても、丸山幹部組員にしても、二度と娑婆の空気を吸うことはできない。それを十分に承知のうえで、あえてヒットマンになったのである。

神戸山口組は井上邦雄組長をトップに、当初は3000人近い組員がいたが、六代目山口組の切り崩しにあって、昨年末では2000人ほどに減っていたという。捜査当局の観測によると、六代目山口組高山若頭の出所によって、切り崩し攻勢がさらに拍車がかかっているという。それ自体は30年前の山一抗争を思い出させる構造となっているが、良くも悪しくも六代目山口組の統制力の強さ、弘道会一極支配が高山若頭体制として中央集権化していることだ。神戸山口組から分立した任侠山口組の織田絆誠代表による、六代目復帰と再統合の路線は少なくとも、高山若頭の出所で完全に途絶えた。

ぎゃくにいえば、高山清司若頭が分裂の大きな原因(人事の独占、生活雑貨の強制購入、上納金の高額化)だったのだから、噂される七代目への移行時に大きな組織上の変化が展望される。それは高山若頭が七代目になるのか、あるいは竹内照明若頭補佐(三代目弘道会会長)が襲名するのか。それとも司忍六代目のお気に入りである森健司(司興業会長)が抜擢されるのか。捨て身のヒットマンたちの思いがけない行動が、鼎立する山口組抗争を決定づけるのかもしれない。

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「反社会勢力」という虚構

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業、雑誌編集者。近著に『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)『男組の時代――番長たちが元気だった季節』(明月堂書店)など。

月刊『紙の爆弾』2020年1月号 はびこる「ベネッセ」「上智大学」人脈 “アベ友政治”の食い物にされる教育行政他
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