環状線JR新今宮駅の目の前に建つ「あいりん労働福祉センター(あいりん総合センター)」(以降、「センター」と呼称)は、1970年「就労の斡旋と福祉の向上」を目的に開設され、あいりん職安や公益財団法人西成労働福祉センターのほか、売店、シャワー室、食堂、足洗い場、娯楽室などが入り、仕事を探すだけではなく、日雇い労働者や生活に困窮した人たちが、最低限の生活を維持出来る場所として機能してきた。
新今宮駅前に建つ「あいりん労働福祉センター」(あいりん総合センター)。この中に「あいりん職安」「西成労働福祉センター」始め、諸々の施設が入居している日雇い労働者の町・釜ケ崎を象徴する建物
しかしここ数年建て替え問題が急速に進み、3月11日には隣接する南海電鉄高架下に建設された仮庁舎に一部の業務を移転、3月末には閉鎖される事態となった。
仮庁舎、本庁舎の建設費用は大阪府の税金が使われるが、現在、大阪地裁で、この仮庁舎の建設費用が違法であるとして、大阪府を提訴した「公金違法支出損害賠償請求事件」の裁判が争われている。
建設時「100年持つ」と言われたセンターがなぜ突然建て替えとなったか? なぜ仮移転先に操業81年の老朽化し危険な南海電鉄高架下が選ばれたか? センター閉鎖となったら、そこを使う、とりわけ生活に困窮した人たちはどうすればいいのか? 釜ヶ崎から報告する。
◆橋下徹氏が大阪市長時代にぶちあげた「西成特区構想」
センター1、3階では現在も80~100人の人たちが段ボールを敷き横になったりして休んでいる
センター建て替え問題が本格化したのは、2011年橋下徹氏が大阪市長になって以降である。橋下氏が「西成が変われば大阪がかわる」「西成をえこひいきする」とぶちあげた「西成特区構想」のなかで、釜ヶ崎再編が本格的に着手され、センター建て替えへと一挙に流れがかわってきた。
ご存じの方もいるだろうが「釜ヶ崎」という日本最大の日雇い労働者の町は、1970年大阪万博(日本万国博覧会)に必要な労働者(力)を大量に確保するため、まさに国によって作られた町である。
橋下氏は西成特区構想の目的を、(1)生活保護受給率が高いこと、(2)不法投棄が多いこと、(3)結核の罹患率が高いことなどの「西成の諸問題」を解決し、「子育て世代」を呼び込むこととしているが、生活保護受給者の増加とは、そうして集められた労働者の多くが家族と別れ単身のまま働き続け高齢化し、生活保護を受給せざるを得なかっただけのことで、その責任は労働者にはない。不法投棄の多さも結核の罹患率の高さも、経費節約で不衛生な環境のドヤに労働者を押し込めてきた結果でもあり、責任はドヤ主たちや釜ヶ崎という町を作ってきた国や行政の側にあるはずだ。
◆「弱者」を閉め出すジェントリフィケーション
「西成労働福祉センター」の中には横になり休めるスペースはない
西成特区構想の狙いとは結局のところ、高齢化し、「金を生まないどころか金(税金)を食う」元の住民を追い出し、子育て世代など「金になる」新しい住民に置き換えようというものだ。「(釜ヶ崎は)家賃や土地代が安い上に交通アクセスなどの利便性が高い、(すると)『こういう経済的ポテンシャルがある土地を労働者や貧しい人たちに占有させておくべきではない』という主張がまかり通ってくる。それは間違いなくジェントリフィケーションの論理です」と「ジェントリフィケーションと報復都市」(著・ニール・スミス)を翻訳・紹介している神戸大学准教授・原口剛氏はいう。
橋下氏の意向をうけ、鈴木亘氏(学習院大学経済学科教授)が大阪市の特別顧問に就任、「西成特区構想有識者座談会」などが開催されてきたが、事態が大きく転換したのが2014年9月から始まった「まちづくり検討委員会」である。それまで釜ヶ崎には労働者の側で活動する人たち、そうした勢力に敵対するように警察と一体となり労働者の弾圧や排除に加担する人たちがせめぎあってきたが、そうした人たちが「一同に」集められ始まったのがこの会議である。会議は6回開催され、全て公開で誰でも傍聴できたが、その後各部門に分かれた会議はいずれも非公開となった。センター問題を検討する「労働施設検討会議」は西成区役所内で行われているが、会場前で「これまで通り一般傍聴を認めろ」と要求する人たちを排除するために、役所の要請で西成警察署員が導入される場面もあった。
◆「労働施設検討会議」の実態
センター建て替えも仮移転先を南海電鉄の高架下に決めたのもこの会議だが、これほど秘密裏に行われる会議の実態とはどういうものか? 同会議に委員として参加する釜ケ崎地域合同労組委員長の稲垣浩氏に聞いた。
「会議は大阪市大教授の福原宏幸氏が司会を務めるが、全体的には大阪市、大阪府、そして国が作った青写真に基づいて進められているという感じだった。議事録には誰がどう発言したか証拠が残らない。委員は意見をいうだけ。役所は自分たちの都合のいい意見だけとって、計画を進めていくという感じでした」。
どこで誰が決めたか不確かなままだが、問題なのは、そうして「決まった」センター建て替えと南海電鉄高架下への仮移転などが、釜ヶ崎の住民にはほとんど知らされていないことだ。行政はその都度「ホームページに掲載されています」と説明するが、それでどれだけの人たちに情報を周知出来きたのか? 携帯やパソコンを持たない(持てない)人たちにとって「ホームページってどこにあるんや? センターの近くに出来たんか?」という話になりはしないか?
◆仮移転先の南海電鉄高架下施設の建設費用が異常に高い
更に、ほかにいくつか候補のあった仮移転先が、何故わざわざ危険な南海電鉄高架下になったのか? つきつめていくと仮移転先の南海電鉄高架下施設の建設費用が異常に高いことがわかった。例えば大阪地裁横の天満警察署の建て替えに伴なう仮庁舎の建設費用と比較しても、同じ鉄骨構造2階建て、面積は倍近い天満署の仮庁舎が約2.7億円であるのに対して、センター仮庁舎は約7.5億円である。公金の支出は、地方自治法によって必要最低限度内に納める必要があるにも関わらず、非常に高いのはおかしい、ということで2018年6月「住民監査請求」を行なったが、結果棄却され、その後現在の裁判を争うこととなった。
頑丈な造りの「西成労働福祉センター」
簡易なプレハブ構造のあいりん職安
裁判では、同じ場所、同じ機能を持って移転する「あいりん職安」と「西成労働福祉センター」を比較して、金額の違いを問題にしている。両建物の平方メートルの単価を比較すると、あいりん職安の仮施設が3万2,172円に対して、センターは4万5,733円と約1万円の差額が生じる。この差額は両者の建設手法の違いから生じているようだが、それは現場で外観を見ただけでも一目瞭然だ。
あいりん職安は、本施設完成に伴い撤去が予定されていることから、簡易な構造物になっているが、センター仮移転施設は頑丈な造りで、仮移転完了後も、他の施設として転用し、何十年も使用できるような建造物になっている。しかもこちらには終了後に原状回復するための解体工事費も入っていない。
これは同じ南海電鉄の難波駅高架下に作られ、話題のエリアと注目されている「なんばEKIKANプロジェクト」と良く似た構造だ。こうした「高架下ビジネス」は近年全国規模で展開されているようだが、難波駅の高架下で南海電鉄が儲けるのは勝手だが、現在建設されている構造物は府民の税金で作られている。これは大問題ではないのか?
◆「耐震性に問題」といいながら上階の「医療センター」と「市営住宅」は閉鎖せず
もう一つ、釜ヶ崎公民権運動や釜ヶ崎地域合同労組がセンターと交渉を重ねる中、3月末1、3階を閉鎖して以降も、上の「医療センター」と「市営住宅」は閉鎖せず出入り出来ることがわかった。たしかセンター建て替えの最大の理由は、耐震性が弱く、次の大震災で倒壊し、住民に被害が及ぶからではなかったか? 阪神淡路大震災後、何度も耐震性が問題にされながら、点検も補修工事もしなかったくせに、ここにきて突然「耐震性に問題」とは良く言えたものだが、大地震で倒壊の危険性があるというなら、2年間医療センター(80床)の入院患者、職員の命はどうでもいいのか? 「30年内に7割~8割の確率で起こる」と言われる南海トラフ地震は、30年後に起こるか、明日起こるかは予測不可能だ。ならば1、3階閉鎖と同時に、上の医療センター、市営住宅も閉鎖すべきではないのか? 「医療センターと市営住宅の移転先施設がまだ完成していないので、上は使います」というなら、今日明日を生き延びる人たちのために1、3階も開放されるべきだ。
3月18日西成区役所で開かれた「労働施設検討会議」の会場入り口で、「釜ヶ崎公民権運動」の人たちが、参加委員に配布したチラシがある。そこにはこう呼びかけられている。「4月からあいりん総合センター閉鎖で、人が死ぬことになっても平気ですか?」
▼尾崎美代子(おざき・みよこ)https://twitter.com/hanamama58
「西成青い空カンパ」主宰、「集い処はな」店主。
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