京都新聞から朝日新聞に購読を変更して痛感した〈新聞〉の終焉

◆京都新聞から朝日新聞に乗り換えたものの……

10年余り購読していた京都新聞から、朝日新聞へ変えた。理由は「京都新聞のレベルが低すぎる」からだ。新聞社の論調云々のはなしではなく、卑近な例をあげれば、日付と曜日を間違える。考えられないような低レベルなミスが、あまりにも多く目につき、読んでいると精神的に負荷を感じ始めたので、朝日新聞に乗り換えたわけだ。

毎日ではないが、出先や駅売りの新聞を買って読んでいる限り、朝日新聞は、「まだ読める」範疇の新聞だとの思い込みと、30年ほど前までの習慣もあり、少しはまともな新聞が読めるだろうと期待したが、これまた裏切られてしまった。

約30頁の紙面の10頁を全面広告が占めて、「新聞を読んでいる」気がしない。これは地方の特性だろうか。大都市ではこのようにけばけばしい保険や、健康サプリメント、旅行の広告などは入らないのだろうか。全誌面の3分の1に及ぶ、全面広告は、あたかも、テレビ番組で2分おきにCMが入るように、読者が「真面目に」記事を読もうとする気持ちを萎えさせる。

これでは読者が離れるのは無理もなかろう。誌面広告のターゲットは高齢者だ。当の高齢者も「これじゃあ広告の間に記事があるようなもの」とそっぽを向くのだから、総体としての紙面づくりが間違っている。値段はそのままでよいから全面広告を抜いた20頁の「新聞」を読ませてはいただけないだろうか。

◆新聞社の危機感のなさは紙面に顕著にあらわれている

新聞社の危機感のなさは紙面において顕著にあらわれている。実は朝日新聞だけではなく、全国紙も地方紙も、発行部数を年々減らしている。新聞販売店には、新聞だけではなく、家電量販店の業務兼業を進める新聞社もあると聞く。

新聞社も実は「新聞の危機」には気が付いているのだろう。そのわりには紙面の充実(権力監視や調査報道)に力が割かれている様子はうかがえず、まじめで、真にジャーナリズム魂を持った記者は、社内で居心地が悪いらしい。

新聞社という総体が希代の犯罪「東京五輪」のスポンサーに加担する道義的犯罪に手を染め、何ら悪びれた様子はない。「記者クラブ」のぬるま湯につかった若い記者は、「獲物を追う目」ではなく「そつなく仕事をこなす組織人」として振舞うことに力を注ぐ。そして知識が薄い。どっかの頓珍漢が「天皇陛下の味方です」と、聞かれもしないのに恥をさらす本音を語る題名の書籍を出していた。わたしも本音では「新聞の味方です」と言いたいし、そうであってほしいといまでも考えている。

日々目にする新聞記事の6割は、どうでもよく、2割は「なに馬鹿いってるんだ」と蹴飛ばしたい。が、残りの2割と(ここが重要なのだが)その新聞に書かれていないことから、真実や事実を推測したり、調査する動機が生まれる。わたしは、そうやって新聞を利用してきた。情報量と情報源の多様さの点で、インターネットがあれば新聞は「無くてもよい」のだが、それでも新聞紙の手触りと、その中から喚起される、注意や関心にはいまだに未練がある。

◆だからといってほかに「マシ」な選択肢があっただろうか?

このままでは新聞はなくなるだろう。読む価値がなくなってしまったから。それより早く同じ理由で週刊誌も消える可能性が大きいだろう。週刊誌を買うことはめったにないが、週刊誌の広告には、「相続の損得」や「死ぬ前にやっておくこと」、「こんな病院は疑え」、「飲んではいけない薬」とどう考えても65歳以上をターゲットにしているとしか思えない特集が並ぶ。「昭和のグラビア」で河合奈保子や中森明菜の写真を見て喜ぶ若者がいるだろうか。「死ぬまでセックス」を国民運動のように特集しているが、なんだかなぁ……。

京都新聞から朝日新聞への購読変更は失敗であった。だからといってほかに、「マシ」な選択肢があっただろうか。日刊紙の中で読み応えのある新聞は全国紙の中にはない。沖縄の沖縄タイムスと琉球新報は安心して読めるが、わたしの居住地では購読できない(ネット購読はできるらしいが)。沖縄2紙のほかにも真っ当な地方紙はあるだろうが、それらは主流ではない。

新聞も社会(どの範囲を「社会」と定義するかはデリケートな論点だが)の写し鏡だということだろうか。だとすれば、「社会」もそう遠くない将来に終焉を迎える。その兆候は皮肉なことに「新聞」の中に充分凝縮されている。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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小沢一郎の逆襲か? 訪朝で野党再編も ── 「外交は内政である」という言葉が、再び日朝関係で明らかに

◆拉致問題で立ち止まってしまった安倍外交

米朝首脳会談の不調によって、日本の役割りが相対的に大きくなりそうだとの観測が多い。交渉が手詰まりになった北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)がトランプ政権との取り持ち役を安倍政権に頼むとの見方だが、それは幻想にすぎないだろう。南北交流を重視している韓国の文政権をおいて、アメリカとのパイプを増強することはできない。そしてその文政権と歴史問題で決定的な溝を埋められないのが、ほかならぬ安倍政権だからだ。ひたすら拉致問題の解決をトランプに頼り、みずからは動こうとしない安倍晋三総理に、甘い期待を抱くのは猫にお使いを頼むようなものなのだ。たとえがヘンか。

とにかく、安倍政権には日朝交渉の構想も具体性もないのだ。なぜならば、最重要の課題としている拉致問題において、北朝鮮側のパイプを一方的に切ってきたからだ。すなわち2015年に、日本の民間外交団に対して北朝鮮の朝日国交正常化担当大使(宋日昊氏)が、平壌のホテルで日本外交のお粗末さを暴露しているのだ。

日朝両政府はストックホルム合意に基づいて、日本政府の要員を平壌に派遣したが、調査目的(拉致被害者の捜索)を果たさないまま帰国していたというのだ。そして北朝鮮側の調査報告書(全員死亡・入国記録なし)を受け取らないことによって、調査が「中止された」ことにしているのが安倍政権なのである。残念ながら拉致問題は北朝鮮が発表するかぎりで、いわば終了しているのだ。

このことを受け入れられない拉致被害者家族会の手前、安倍政権は「未解決」としているだけなのだ。したがって、拉致問題の解決が前提とする日朝交渉は、安倍政権であるかぎり永遠に行なわれない、と断言することができる。安倍政権は拉致問題で立ち止まってしまったのだ。

しかしながら、北への太陽政策が行き詰まりをみせている文政権に代わって、南北・日朝・米朝間の手詰まり状況を打開できる政治勢力がないわけでもない。しかもそれは、韓国やアメリカの政治家でもない。わが小沢一郎氏がその役割を買って出ようとしているのだ。そのことは、国際政治で注目を浴びるとともに、日本の野党再編にも大きな影響力が発揮される可能性が高い。

◆猪木議員の会派入りが決め手だ

小沢一郎氏と山本太郎氏が率いる自由党は、昨年末に国民民主党と同一会派を結ぶことを確認した。そしてこの動きに呼応したのが、アントニオ猪木議員だった。過去に30回以上も訪朝している猪木議員は、さっそく訪朝することで野党外交を展開することを小沢氏に進言したという。そして小沢氏もかつて自身も参加した金丸訪朝団をモデルに、超党派の訪朝団づくりを構想しているという。

朝鮮半島には政治的に手足も出なくなった安倍政権の、まさにアキレス腱を衝くかたちで政治攻勢に出ようとしているのだ。おそらく国際的にも注目を浴びることになるだろう。そしてそれは、参院選および衆参同時選挙を見すえた野党再編を射程に入れたものにほかならない。というのも、政界復帰が噂される橋下徹氏へのアプローチがあるからだ。


◎[参考動画]アントニオ猪木氏が小沢・玉木氏らと会見 国民会派入り報道(THE PAGE 2019年2月21日)

◆やはり橋下徹が目玉か

この1月に橋下徹氏が司会役をつとめるインターネット放送のAbemaTV番組に、小沢一郎氏と国民民主党の玉木雄一郎代表がゲスト出演した。小沢氏と玉木氏はしきりに「政界復帰」「大きな野党のかたまり」を主張し、橋下氏の政界復帰をうながしたのだ。

昨年11月には、小沢一郎氏と橋下徹氏が国民民主党の前原誠司元外務大臣と三人で「極秘裏」に会食したことが報じられている。最近の著書で「強い野党の必要」や「政権交代が可能な野党勢力の結集」を訴えてきた橋下氏にとって、国民民主党の接近は願ってもないことであろう。著書の中で小沢一郎氏について「かつて自民党の中枢で権力闘争に揉まれ続けてきた人であり、権力の本質について一番理解されている」などと、最大限に評価している。


◎[参考動画]NewsBAR橋下#16|ゲスト:玉木雄一郎&小沢一郎(AbemaTV公式2019年2月12日)

これまでの橋下徹氏の政治遍歴でいえば、みずから立ち上げた維新の党を全国組織にしたものの、組織運営において不得手なところを見せた。政治は経験である。と同時に、自分の不得手な部分を経験豊富な人物と共同することで、じゅうぶんに補えるのが政治組織である。その意味では、素人集団にすぎなかった維新の会での蹉跌は、自分を知る意味での経験だったはずだ。そしてそこから導かれる方針は、いみじくも小沢氏に「自分は嫌いな人を含めてまとめることができません」と語っているように、組織を統率できる人物との提携であろう。そのうえで、彼の政策や政治力、あるいは「ケンカ力」は発揮されるのだから──。

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業・雑誌編集者。主な著書に『軍師・黒田官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)、『真田一族のナゾ!』『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。医療分野の著作も多く、近著は『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

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「カウンター大学院生リンチ事件」被害者支援と真相究明の闘い、この3年間に思ってきたこと[3](全3回) 鹿砦社代表 松岡利康

《6》李信恵の「被害」なるものの意味が理解できない

 第2訴訟の訴状において李信恵がみずからへの「被害」として、「(1)精神的被害」「(2)講演会への抗議」「(3)身体的異変」を挙げているが、被害妄想としか言いようがない。

「(1)精神的被害」として、私たちがジャーナリズム、メディアや出版関係者、それらに加え今回は李信恵支持者や関係ら多くの人たちに意見を聞くためのテキスト、資料として鹿砦社発行出版物を献本送付した。例えば月刊『紙の爆弾』は、毎月発行ごとに300人ほどのジャーナリズム、メディア、出版関係者らに献本送付しているが、本件関係ではその半分から3分の2ほどであるから特段問題にする必要もない。

 李信恵は、こうしたことを「誹謗中傷」として「強い精神的苦痛」を受けたとして挙げているが、献本送付行為はどこの出版社でも一般的に行う行為であって、これをあれこれ言われては出版社としては立つ瀬がない。これを「誹謗中傷」と言うのであれば、あらゆる出版物が「誹謗中傷」ということになる。

 鹿砦社発行出版物に批判や反論があるのであれば、「言論には言論で」の原則のもと、李信恵も反論本を出版すればいいのである。李信恵、及び彼女の支持者らは、それなりに出版社とのつながりがあり、執筆能力も十分あり、少なからず著書もあるが、鹿砦社発行出版物に対する反論本は1冊もない。

 李信恵は、李信恵代理人・上瀧浩子弁護士と共著で『黙らない女たち』(かもがわ出版)を昨年出版した。おそらく鹿砦社発行出版物に対して「黙らない」で反論しているのかと思い購読してみたが、1文1行1句たりとも反論は記述されていない。

 また、私たちは常々、間違いや批判などがあれば指摘してくれたら、いつでも訂正することを述べているが、李信恵側からは具体的な指摘などはなく、単に「デマ本」「クソ鹿砦社」等々の悪罵があっただけである。

 今、裁判所の場での応酬を展開しているが、李信恵が「フリーのジャーナリスト」(第2訴訟訴状3ページ)を自認し、著書もあるわけだから、基本は言論戦でなければならないことは常識である。

「(2)講演会への抗議」。全く意味不明。山口県の部落解放同盟主催の講演会に鹿砦社、及び鹿砦社関係者が抗議した事実はないし、とんだ濡れ衣である。妨害行為自体はあったかもしれないが、それを入念に調べもせずに、あたかも私たちが行ったかのように虚偽の物言いをし裁判所に鹿砦社のイメージ悪化を図るのは、これこそ鹿砦社に対する名誉毀損そのものである。解放同盟の幹部が「陳述書」を提出しているが、解放同盟も、いまだにこんな茶番に加担してどうするのか!?

「(3)身体の異変」。医師の診断書も付けずに何をかいわんやである。これも鹿砦社に責任をなすりつけるもので言語道断と言わざるを得ない。「(1)精神的被害」にしろ「(3)身体の異変」にしろ、激しいリンチの被害者Mが負い、今でも時折夜中にうなされたり身体的精神的な後遺症(PTSD)と苦痛を李信恵はいかに考えるのか? 李信恵には人間としての良心はないのか!?

《7》「出版物差止請求権」「削除請求権」と「表現の自由」「言論・出版の自由」

 さらに李信恵は第2訴訟において鹿砦社発行出版物に対して出版物の販売差し止めを求めている。出版物の差し止めについては、その出版物に高度の違法性と強度の緊急性があることが大前提となることは論を俟たない。また、李信恵は、これら出版物の中のほんの一部を切り取り挙げつらって、これら出版物そのものの販売差し止めを求めている。

 周知の通り日本国憲法21条は「表現の自由」「言論・出版の自由」を謳い、私たち出版社はこれに基づいて活動をしているが、李信恵も「フリーのジャーナリスト」を自認し出版社とのつながりもあり実際に著書も出版している。李信恵による販売差し止め要求は、憲法21条の精神を蹂躙し、みずからの首を自身で締めるようなものであり、断じて許すことはできない。

 また、ネット上のブログ「デジタル鹿砦社通信」に対する「削除請求権」であるが、李信恵がリンチ事件が起きる以前からずっとネット上で頻繁に発してきた「死ね」「デマ」「クソ」などと言った誹謗中傷(第5弾本巻頭グラビア参照)に比べれば穏健で、綿密な調査・取材に基づく事実と、これに裏打ちされた公正な論評によるレポート記事であり、これも「表現の自由」の見地から削除を要求されるいわれはない。

李信恵氏の暴言の数々

《8》リンチ被害者Mが李信恵らリンチ現場に同座した5人を訴えた訴訟について

 李信恵が法的責任を免れたからといって全くのシロではないと私たちは認識する。むしろ、人間として、人道的、道義的、倫理的責任があることは言うまでもない。

 李信恵は、リンチ被害者Mが彼女らを訴えた訴訟において、大阪地裁、及び上級審の大阪高裁で、法的責任を免れた。また、刑事処分にあっても不起訴となっている。

 しかし、これは事件を白紙の状態から時間と労力と資金を費やして調査・取材に当たってきた私たちに言わせれば、一部分を除き全くの誤判だと断ぜざるを得ない。これは800ページ余に渡る鹿砦社による出版物において証明されている。裁判官も人間ならば、第4弾本に付けているリンチの最中の阿鼻叫喚の音声を聴くべきだ。


◎[参考音声]M君リンチ事件の音声記録(『カウンターと暴力の病理』特別付録CDより)

 私たちは、多くの人たちの協力、綿密な調査・取材に基づき長い出版人としての良心と矜持をもってリンチ事件についての書籍を出版してきたつもりだ。できるだけ常識と、いわゆる「一般人」としての感覚でリンチ事件に当たってきたのである。例えば、「一般人」の常識や感覚から言って、リンチに関わっていないのならなぜ「謝罪文」を出したのか、それも自筆で。疑問に思うこと多々であり、裁判所の良心を疑うものである。ブラックそのものであるが、少なくともダークである。刑事処分では「無罪」になり民事訴訟でも責任を課せられかなったかもしれないが、全くのホワイトでも〈無実〉でもない。

 もともとこの集団によるリンチ事件、主たる実行犯のエル金こと金良平のみにほぼ全ての責任が課されているが、この場に居た全員に〈連帯責任〉があることは言うまでもない。なかでも李信恵は「首謀者」として誰よりも責任がある。私がよく言うように、私が若い頃、いわゆる「連合赤軍事件」が起き、首謀者の永田洋子は、自らは手を下さずに死刑判決を受けた。実行犯は、阿吽の呼吸で暴力を振るった配下の者らである。事件の規模は違えど同じ構図である。

 現場に同座した李信恵には、少なくとも人道的、道義的、倫理的責任はあるのだから、李信恵に人間としての一片の良心があるのならば、まずは、かつてリンチ被害者Mに渡し、その後撤回した「謝罪文」に立ち返るべきである。

 特に李信恵は日頃から「人権」という言葉を口にしているが、まさに人権上、このリンチ事件はその言葉の内実を問うものである。

 当初リンチ事件の存在を伝え聞いた際に、李信恵も、いわば“「反差別」運動の旗手”であるならば、人間として一片の良心はあるはずなので、もっと良心的に振る舞うものと思っていたが、これが全くの誤認であったことを知り私は落胆した。このままでは日本の反差別運動や社会運動は、事件の真相を知った世の人々の失望を誘い後退するに違いない。

 リンチ被害者Mが李信恵ら5人を訴えた訴訟を後押しし支援し、また私たちが相次ぐ「鹿砦社はクソ」発言で李信恵に対して訴訟を起こしたのも、訴訟の勝ち負けに関係なく、李信恵の人間としての良心を信じたからであるが、最近では李信恵はじめリンチ現場に同座した5人も、李信恵を支援する者らも、李信恵の代理人らも、開き直っていることを知るにつけ、私たちは、「人権」という言葉が空洞化し、日本の反差別運動や社会運動は衰退していくだろうと懸念する。

「祝勝会」と称し浮かれる加害者と神原弁護士(2018年3月19日付け神原弁護士のツイッターより)

ひとまず本稿の最後に

 鹿砦社が係争する訴訟3件も、勝ち負けに関係なく、裁判所が公平・公正な判断をされることを期待し、よって私が長い出版人生を懸け、誹謗中傷、罵詈雑言を浴びながらも血のにじむ想いで、総計800ページ余に成った5冊の本をもってしても蔑ろにされ判断の材料にされないのなら死んでも死にきれない。裁判所に切に要請するものである。

 
鹿砦社代表・松岡利康

 私がこの3年間に感じたことは、他にもいくつもある。最も怒りを覚えたのは、リンチの隠蔽活動に狂奔し、またはこの片棒を担いでおきながら、私たちが問い質すと沈黙したり逃げたりした人たち、つまり社説にさえ採り上げた朝日新聞をはじめとするマスメディア(の住人)やジャーナリスト、政治家、弁護士(三百代言?)、著名人、「知識人」らのデタラメさと偽善であるが、これは後日稿を改めて申し述べたい。これだけ証拠も揃いリンチは歴然なのに、なぜ良心に沿って自分の意見を言わないのか? なぜ逃げるのか? こういう時こそ、勇気を出して発言するのが真の知識人ではないのか!?

 また、当初から、あるいは偶々、このリンチ事件に関心を持った多くの人たちが、いまだに1円もの治療費さえも受け取っていないリンチ被害者M救済、このリンチ事件の真相と本質をしかと見つめ、近未来の日本の反差別運動、社会運動、市民運動にどのような悪影響を与えるのか、しっかり考えていただきたいと切に願う。[了]

◎「カウンター大学院生リンチ事件」被害者支援と真相究明の闘い、この3年間に思ってきたこと(全3回) 鹿砦社代表 松岡利康
[1]2019年3月4日公開
[2]2019年3月5日公開
[3]2019年3月6日公開

M君リンチ事件の真相究明と被害者救済にご支援を!!

「カウンター大学院生リンチ事件」被害者支援と真相究明の闘い、この3年間に思ってきたこと[2](全3回) 鹿砦社代表 松岡利康

《4》各々の書籍の概要と、李信恵への反論

 5冊の書籍には、私たちの取材の範囲の広さを反映し多くの人物が登場する。各人が持論を展開し、真相究明に役立った。

(1)第1弾本『ヘイトと暴力の連鎖──反原連・SEALDs・しばき隊・カウンター』

 
『ヘイトと暴力の連鎖──反原連・SEALDs・しばき隊・カウンター』2016年7月14日刊

 取材はまだ初期の段階の成果である。前記の、①M関係者からもたらされた資料の読解と解析。②リンチ被害者M本人への面談と聴取。③Mをサポートしてきた者らへの取材。④李信恵本人への取材(拒否)を一通り行い、また⑤李信恵支持者や彼女と連携する者らへの取材にも着手し、事件と、事件後の様子が概略把握できた。これには、リンチ事件に関心を持ち、李信恵らの所業を批判し、そのことで李信恵らから激しい誹謗中傷攻撃をされた、ろくでなし子(漫画家)、高島章(弁護士)、田中宏和(ネットブロガー)、合田夏樹(自動車販売会社経営者)らが名を出して登場し協力、みずからの体験に基づき証言した。本書発行の前に起きた不可解な2つの出来事(李信恵が関与したリンチ事件を記事に採り上げながら李信恵支持者らからの抗議で記事を撤回し謝罪した『週刊実話』問題、これまで協力者として振る舞っていたミュージシャン趙博の裏切り)についても記述した。

 また、事件の概要、リンチの最中の音声の一部書き起こしなども掲載している。本書で李信恵が「不法行為」として訴状で挙げているのは6箇所(略)だが、あらためていちいち精査したが全て綿密な取材に基づいて記述した事実であり公正な論評である。これらのどこがどう問題なのか、私たちには理解できない。逆に李信恵に釈明と反論を求める。

(2)第2弾本『反差別と暴力の正体──暴力カルト化したカウンター‐しばき隊の実態』

 
『反差別と暴力の正体──暴力カルト化したカウンター‐しばき隊の実態』2016年11月17日刊

 この頃になると取材・調査もかなり進み、それを誌面に反映した。また、第1弾本を同封し、李信恵周辺の者、李信恵に連繋する者、特段李信恵を支持しなくても私たちが意見を聞きたく思ったジャーナリスト、大学教員など計40名に質問書もしくは取材申込書を送付した。

 送付した者の名は、同書「4」42ページから101ページに記載し、うち李信恵の裁判を支援する会事務局長の岸政彦(当時龍谷大学教授)に直接取材した。また安田浩一(ジャーナリスト)、西岡研介(ジャーナリスト)、金光敏(コリアNGOセンター事務局長)、中沢けい(作家、法政大学教授)、金明秀(関西学院大学教授)、秋山理央(カメラマン)らには電話取材ができた。他は無回答で、同書161ページに名前を列挙し次回出す本であらためて取材することにした。

 また、第2弾本には、寺澤有、佐藤雅彦の2人のジャーナリストも参画した。寺澤は、リンチ被害者Mに同情したことで、李信恵支持者らからの激しい攻撃を受けた合田夏樹への、国会議員の宣伝カーを使ったとの疑いのある自宅訪問脅迫(未遂)事件を取材し、李信恵支持者で最も過激といわれる「男組」関係者と思しき石野雅之(団体職員)、高野俊一(フリーライター)らを対面取材している。

 さらに第2弾本で最も話題になったのは、水面下でハンドルネームITOKENこと伊藤健一郎らが作成した、「『暴行事件』のあらまし」を記述した「説明テンプレ」と、李信恵らへの経済的支援を呼びかける「声かけリスト」である。リンチ事件後の李信恵や彼女の支持者らの蠢きが判る。

 ここでも李信恵は「不法行為」として3箇所を挙げているが、これらも綿密な調査・取材に基づく記述であり公正な論評である。

(3)第3弾本『人権と暴力の深層──カウンター内大学院生リンチ事件真相究、偽善者との闘い』

 
『人権と暴力の深層──カウンター内大学院生リンチ事件真相究、偽善者との闘い』2017年5月26日刊

 本件リンチ事件の調査・取材・編集に着手して以来、李信恵を支持する者らへの直接対面取材を試みてきたが、今回、李信恵の背後に居てリンチ事件の実相を知る大物として有田芳生(参議院議員)、中沢けい(作家、法政大学教授)に直接対面取材することができた。また、リンチ事件のキーパソンの1人でもある師岡康子(弁護士)らにも電話取材を試みたが、すぐに切られた(この様子も記述している)。リンチ被害者Mが提訴した訴訟、この訴訟(対李信恵第1、2訴訟)の李信恵代理人の上瀧浩子(弁護士)は、リンチ被害者Mとも一時は「友だち守る団」というグループで一緒だったこともあるが、短いながら取材に応じてくれ、この様子も記載している。

 さらに、佐藤圭(東京新聞デスク)は嫌々ながらも長時間のインタビューに対応してくれた。

 こういうことがあり、もう少し予定した項目(具体的には、第4弾本に記載している藤井正美の件)があったが作業が遅れていたこともあり、急遽発行することにしたのである。だから、第2弾本よりもページ数が少ない。

 また、本件には多くの在日の人たちが証言してくれたが、その一例として、この第3弾本には、ある在日女性の長時間インタビューが掲載されている(第3弾本64ページから76ページ)。

 この第3弾本に対しても李信恵は「不法行為」として3箇所挙げているが、これも事実を記述したのであって、失当である。

(4)第4弾本『カウンターと暴力の病理──反差別、人権、そして大学院生リンチ事件』

 
『カウンターと暴力の病理──反差別、人権、そして大学院生リンチ事件』2017年12月6日刊

 第4弾本は、リンチ被害者Mが、李信恵らリンチの現場に同座した5人を訴えた訴訟の一審判決直前に発行されたものである。私たちがリンチ事件の被害者支援と真相究明を開始して2年近くとなり、これまでの調査・取材・編集の一定の成果をまとめ、特筆すべきは、巻頭カラーグラビアにリンチ直後の被害者Mの顔写真を掲載し、さらにリンチの最中に被害者Mが必死に録音した音声データのCDを付けたことだろう。誰が見ても、また裁判官も血の通った人間ならば、また一般人の常識と感覚を基準とするというのならば、酷いと感じるはずだし人権を蔑ろにするものだと思うはずだ。李信恵が頻繁に口にする「人権」を李信恵みずからが否定する証拠と言わざるをえない。

 さらに、李信恵が極右団体・在特会らを訴えた訴訟「反ヘイト裁判」に李信恵の立場で裁判所に意見書を提出した前田朗(東京造形大学教授)が「反差別運動における暴力」との題で『救援』(2017年8月10日号)に寄稿した一文が転載されている(第4弾本83ページ)。前田は、李信恵らによってリンチ事件が発生したことを、ずっと知らなかったが、鹿砦社が発行した第1弾本から第3弾本を読み、次のように述べ私たちの調査・取材・編集活動を評価している。

「本書(注:前田は第1弾本から第3弾本の3冊をまとめて「本書」と表現している)のモチーフは単純明快である。反差別運動内部において暴力事件が発生した。反省と謝罪が必要であるにもかかわらず実行犯は反省していない。周辺の人物が事件の容認・隠蔽に加担している。被害者Mは孤独な闘いを強いられてきた。このような不正義を許してはならない。」

「本書の問題提起は正当である。ヘイトスピーチは差別、暴力、差別の扇動である。反差別と反ヘイトの思想と運動は差別にも暴力にも反対しなければならない。市民による実力行使が許されるのは、正当防衛や緊急避難などの正当化事由のある場合に限られる」

「C(注:李信恵)が重要な反ヘイト裁判の闘いを懸命に続けていることは高く評価すべきだし、支援するべきだが、同時に本件においてはCも非難に値する。」

「反差別・反ヘイトの闘いと本件においてCを擁護することは矛盾する。」

「しかし、仲間だからと言って暴力を容認することは、反差別・反ヘイト運動の自壊につながりかねない。本書が指摘するように、今からでも遅くない。背筋を正して事実と責任に向きあうべきである。」

 真っ当な意見である。

 次いで、鹿砦社元社員として、李信恵支援のため裏で蠢動していた藤井正美に貸与していたパソコン(鹿砦社所有)から出てきた、勤務時間に行っていたツイッター、メールを解析した(第4弾本135ページから178ページ)。これは当初、第3弾本に掲載する予定であったが、データが膨大な量に及び、整理と解析の作業が遅れ第4弾本に掲載したものである。尚、私は在職中問題を起こして解雇や退職に至った者に対しては「武士の情け」で後からしつこく追及しないできたが、藤井に対しては、あまりに悪質なので給与返還等を求めて大阪地裁第16民事部に提訴している。藤井代理人は、またしても神原弁護士である。

 第4弾本に付けたCDは広く衝撃を与え、誰かがこれをYou Tubeにアップし、現在8万人近くが視聴している。

 この第4弾本に対しても李信恵は「不法行為」として6箇所を挙げているが、これらも全くの事実であり、事実に基づく公正な論評であり李信恵の主張は失当である。

(5)第5弾本『真実と暴力の隠蔽──カウンター大学院生リンチ事件の闇を解明する!』

 
『真実と暴力の隠蔽──カウンター大学院生リンチ事件の闇を解明する!』2018年5月28日刊

 第5弾本は、対李信恵第2訴訟提訴以後に発行され、第2訴訟では訴外となっている。私たちがリンチ事件の被害者支援と真相究明に関与してから2年余り経ち、リンチい被害者Mが李信恵ら5人を訴えた訴訟の1審判決が下された後に発行され、1審判決の分析を主な内容として構成されている。

 巻頭第1項に、被害者Mの手記が掲載されているが、Mはこの間リンチの後遺症(PTSD)に苦しんできたことを述べている。それはそうだろう、リンチ直後の顔写真やリンチ最中の阿鼻叫喚の音声から推認できる凄惨なリンチを受け後遺症に悩まないわけがない。李信恵がいやしくも「人権」という言葉を語るならば、リンチ被害者の苦しみを理解しMの人権を慮るべきではないのか!?

 本書後半に、このリンチ事件に関心を持つ5人へのインタビュー・座談会の内容が掲載されている。このうち、中川淳一郎(ネット評論家)を除き、一時は李信恵らと「カウンター」活動に関わった者である。凛七星(歌人)は、李信恵代理人・上瀧浩子弁護士やMと活動を共にした者。三輪吾郎(自営)も、李信恵らと「カウンター」活動を行った者で、2人ともリンチ事件後に活動から離れているが、内部の事情が詳らかに語られている。

 さらに、木下ちがや(大学講師)と清義明(自営)も、「カウンター」活動に関与しつつも、東京在住で地理的にも遠いことなどもあってか李信恵には批判的で距離を置いていた者である。

 ここでも内部事情がディープに語られ、発行直後から話題が沸騰し、木下などは、李信恵や彼女の支持者、仲間らから激しい攻撃を受け謝罪に追い込まれている。

座談会当日の木下ちがや氏(右)と清義明氏(左)(『真実と暴力の隠蔽』P.153より)

 中川淳一郎にはネット関係の多くの著書や雑誌連載(最近『紙の爆弾』でも連載している)があるが、中川は、「カウンター」の初期の段階から、これを見つめてきて、『ネットの反差別運動の歴史とその実態』(NEWSポストセブン)という長大なレポートもあり私たちも大いに刺激を受け参考にさせてもらった。
 
 以上鹿砦社がこれまで発行してきた5冊の本について概要を記述してきた。昨今「切り取り報道」といって、都合のいい箇所を切り取って報じる手法が批判されているが、これら5冊の本は「切り取り報道」、つまり資料をつぎはぎしたり組み合わせたりして編集したものではなく、時間と労力と資金を費やし綿密な調査・取材に基づいて記述し編集したものである。鹿砦社50年の社史で、これほどまでに時間と労力と資金を注ぎ込んだ書籍・雑誌のシリーズはない。総計800ページ余りになることからも判るであろう。

 また、第4弾本35ページから38ページに列挙しているが(諸事情を配慮し掲載していない者が一部いる)、その都度質問書や取材申込書を送った者は、当初は40名ほどだったが、その都度増え第4弾本には80名を超えた。遺憾ながら、これに応じてくれた者は多くはない。忌まわしい凄惨なリンチ事件から逃げたと言われても致し方ないが、その他にも有名・無名問わず数多くの人たちに取材してきた。取材源の秘匿の原則からいちいち名を挙げることはできないが、私たちとしては最大限多くの人たちの意見を聞く努力をし、事実解明を積み上げてきた。

 その結果、私たちはリンチ事件の発生は事実で、李信恵ら5人がこの現場に居たことも事実、李信恵がMの胸倉を?んだのを合図に一方的に激しいリンチが始まったことも事実、その前に李信恵は、みずから供述しているように「日本酒に換算して1升」ほどの酒を飲み酩酊状態にあったことも事実、リンチを止めなかったことも事実、リンチの間悠然とワインを飲んでいたことも事実、救急車などを呼ばなかったのも事実、さらにはリンチで瀕死の状態の被害者Mを師走の寒空の下に放置して立ち去ったのも事実、である。人間として考えられないことであり、人道上も道義上も倫理上も到底許すことはできない。李信恵に「人権」という言葉を口にする資格はないと断じる。

 第1弾本から第4弾本で「不法行為」として摘示された箇所を解析し公正に判断されるには総計800ページに及ぶ原本を読解し、それらの文脈から判断されるべきである。

(6)「デジタル鹿砦社通信」上の発信について

 鹿砦社は、このリンチ事件に限らず、その時々の出来事について「鹿砦社通信」において申し述べてきた。もう20年以上にもなる。当初はファックス同報通信でマスコミ・出版関係者ら100人余りに毎週送り、ここ10年ほどはネットでブログ化し「デジタル鹿砦社通信」として発信している。

 リンチ被害者Mが李信恵らリンチの現場に同座した5人を提訴した裁判の経過報告について、その都度、「鹿砦社特別取材班」名義、松岡名義でレポートしてきている。裁判の支援者としても、リンチ事件の取材者としても当然の行為である。李信恵は、この「デジタル鹿砦社通信」の6箇所について「不法行為」として挙げ削除を求めている。そこで、あらためて全文(略)を読み直し精査してみたが、全く事実であり、これに基づいた公正な論評であり、李信恵の主張は失当である。

《5》鹿砦社発行出版物、及び「デジタル鹿砦社」の記事に対して李信恵の言う「名誉毀損」「不法行為」は失当である

 上記(前回参照)鹿砦社発行出版物は、地道な調査・取材に裏打ちされ、事実を積み重ねて記述し編集されたものであり、原告が摘示している箇所は全て真実であり、鹿砦社は真実と見なし掲載し発行したものである。時間と労力と資金を費やして調査・取材したもので、総計800ページ余りにも及び、真実、もしくは真実と見なすに相当するものと思慮する。これだけやって「虚偽」だとか「デマ」だとか言われると、どのような調査・取材をすればいいのか。

 また、ブログ「デジタル鹿砦社」の記事も、裁判や判決など、その都度都度の出来事の報告であり、「虚偽」の記述などはない。

 上記記事や記述においては、慎重に慎重を期しているし、私たちが我慢ならず提訴(鹿砦社勝訴の第1訴訟)したように李信恵には汚い言葉や表現が多いが、鹿砦社の上記出版物やブログ「デジタル鹿砦社通信」等での表現には気を配り、時に激しい表現はあっても汚い表現はないように努め、チェックにチェックを重ね、推敲に推敲を重ねて編集し自信を持って発行したものである。

 さらには、第2訴訟の訴状はじめ、たびたび李信恵が「リンチ事件の首謀者ではない」云々の表現があるが、私たちは綿密な調査・取材の結果、やはり「リンチ事件の首謀者」と認識せざるを得ない。リンチの現場に同座した5人で、例えば実行犯のエル金こと金良平を「首謀者」とは言えないし、他の者もそうである。わずかに最年長者の伊藤大介がサブ的な存在と見なされるが、李信恵以外のこのグループの4人は、李信恵の親衛隊的な性格を持つものであり、李信恵が「リンチ事件の首謀者」であることは言うまでもない。[つづく]

◎「カウンター大学院生リンチ事件」被害者支援と真相究明の闘い、この3年間に思ってきたこと(全3回) 鹿砦社代表 松岡利康
[1]2019年3月4日公開
[2]2019年3月5日公開
[3]2019年3月6日公開

M君リンチ事件の真相究明と被害者救済にご支援を!!

「カウンター大学院生リンチ事件」被害者支援と真相究明の闘い、この3年間に思ってきたこと[1](全3回) 鹿砦社代表 松岡利康

 俗に「しばき隊リンチ事件」とか「十三ベース事件」などともいわれてきた「カウンター大学院生リンチ事件」に私たちが関わるようになって3年が経った──私なりに思うところもあり、時あたかも対李信恵第1訴訟が一審判決で鹿砦社勝訴‐李信恵敗訴となり、双方控訴し、また第2訴訟の審理が進捗しつつある中で、“準備書面の準備”も兼ねて、この3年の経過や想いなどを整理してみた。

 なお、対李信恵訴訟は2件あり、便宜上、鹿砦社が原告となり李信恵を被告として訴えたものを「第1訴訟」、これに李信恵が反訴し、反訴とならず別個の訴訟となったものを「第2訴訟」(原告李信恵、被告鹿砦社)とする。

 また、俗に「しばき隊リンチ事件」「十三ベース事件」の呼称は、おそらく東京の反しばき隊の人たちが作り広まった言葉で、関西にいて見ていると、「カウンター」と「しばき隊」も実態的に同じであろうが、当地では「しばき隊」よりも「カウンター」という表現が一般的のようで、「カウンター大学院生リンチ事件」と表現するほうが、より的確だと思われるので、本稿ではこう表現する。

 以下、本稿では全て敬称は省かせていただいた。

《1》私が「カウンター大学院生リンチ事件」に関わる契機

 
リンチ直後の被害者大学院生M君

 対李信恵第1訴訟は、李信恵による鹿砦社、あるいは同社代表の私への誹謗中傷、悪口雑言に対するものであり、一方第2訴訟は、李信恵が現場に同座し加担したとされる「カウンター大学院生リンチ事件」について記述した書籍に対するもので第1訴訟から枝分かれしたものである。

 もう3年にもなるのか──2016年2月28日、リンチ事件の被害者でK大学大学院博士課程に在学するMの知人Yが鹿砦社本社を訪問し、Mが李信恵ら5人による集団リンチに遭い重傷を負った事実の説明を受け、資料を受け取り、リンチ直後の顔写真に衝撃を受けた。また、リンチの際の)、マスメディアの報道の印象から、むしろ私は李信恵を“ネトウヨ・極右勢力と戦う勇気ある女性”と尊敬さえしていた。おそらく一般の人たちも、詳しく事情を知らない限りそうだろう。

 しかし、その本人が裏で(私たちが知らないところで)、このような集団リンチに同座し関与したことにも大きなショックを受け、さらに被害者Mが、一部の者らによって支えられていたこと以外に、集団リンチ被害者として正当な償いを受けず、いわば村八分状態にされていること、李信恵に連なる、著名人含め多くの者らによる隠蔽活動により、それも事件後1年以上も放置されていることにもショックを受けた。

 私のショックは、そうしたリンチ事件の実相をなぜかマスメディアが報じないこと、さらにその隠蔽活動に、私が経営する会社・鹿砦社に勤務していた藤井正美が、李信恵らの仲間として関わっていたことも判明するに至りショックは強まるばかりだった(藤井については、第2弾本『反差別と暴力の正体』、第4弾本『カウンターと暴力の病理』にて記載し、あまりの悪質さに給与返還、損害賠償を求め大阪地裁第16民事部に提訴している)。

 日頃、「反差別」や「人権」を声高に叫ぶ者が、リンチ被害者を村八分にし、被害者の人権を蔑ろにしている……私たちは、一致してリンチ被害者Mを支援し、事件の真相究明を行うことにした。これは、僭越ながら、私の長い出版人としての矜持による営為である。私も長い出版人生の中で、散々いろいろな方たちに迷惑をかけたり顰蹙を買ったりしたが、まだ人間としての良心の一片は残っている。

 私は、李信恵に対して一切の付き合いもなく直接顔を見たこともなかった(初めて顔を見たのは2017年12月11日、Mが李信恵らリンチの場に同座した5人を訴えた訴訟の本人尋問の法廷であり、それ以前も以後も会ったことはない)ので何らの私怨・私恨は一切なかったし今もない。このリンチ事件が、社会運動、とりわけ、いわゆる「反差別」運動の内部で、その運動の過程で起きたこと、また、李信恵がその運動の旗手のように頻繁にマスメディアに採り上げられることなどを鑑みると、李信恵は公人に近い存在、準公人であり、社会運動、とりわけ「反差別」運動の内部で起きたことで公共性、そしてこれを追及することに公益目的があることは論を俟たない。

《2》創業50年を迎えた鹿砦社は、その過程で独自の取材のノウ・ハウを身に付けた

 鹿砦社は1969年(昭和44年)に創業、本年で創業50周年を迎える。また、同社現代表の松岡も途中から加わり、代表に就いて30年余りになる。

 50年に至る過程で、当初は人文・社会科学関係を中心に出版し、ノーベル賞受賞作家、ボリース・パステルナークの『わが妹人生 1917年夏』(1972年)など、いわば硬派の出版社として名を成した。また、松岡が代表に就くや、出版の巾を芸能関係にまで拡げ、小さいながらも左右硬軟広範に渡り出版する、いわば総合出版社として現在に至り、今では年間100点前後の新刊書籍・雑誌を発行し、コンスタントに年間売上3~4億円を挙げ、ピーク時にはヒット作が続き売上10億円を超えたこともある。

 李信恵はじめ一部には、鹿砦社が、きのうきょう出てきた、“ぽっと出”のいかがわしい新参出版社の如く誤解する向きもあるようだが、半世紀も続く歴史と伝統のある出版社であり、手前味噌ながら、本社のある兵庫県では、信用情報機関の調査でも1位とされるし、関西でもおそらく10位前後にランキングされると思われる。

 鹿砦社は、創業50年の間に、独自の取材のノウ・ハウを身に付け、出版業界内外に一定の評価を受けている。

 今般、このリンチ事件についても、会社の規模からして、たびたびはないが、私たちは、これまでの出版人生で培った取材のノウ・ハウをかけて真相究明にあたることにしたのである。これには、リンチ被害者の人権を尊重し、これを支援するという、人間として当たり前の行為であると共に、被害者の人権が蔑ろにされたり村八分にされたりしたことに対する同情と義憤があった。

 想起すれば、人生の中で、このような場面に遭遇したことはたびたびあった。例えば、50年近く前の学生時代の学費値上げ問題、母子家庭に育った私にとっては他人事ではなかった。このことが李信恵代理人・神原元弁護士が「極左」呼ばわりするファクターになっているようだが、私にとっては、後先顧みず闘うしかなかった。ことは単純だ。50年近く前の学費値上げ問題にしろ最近のリンチ事件にしろ、実態を前にして放っておけるわけがない。どこかの誰かとは言わないけれど、殊更「正義」を振りかざすわけではないが、許せないことは許せないとハッキリ言うしかないという単純なことだ。

大学院生リンチ加害者と隠蔽に加担する懲りない面々(『カウンターと暴力の病理』グラビアより)

《3》私たちがリンチ事件に対して調査・取材に着手した経緯

 私たちは、社内外の有志と東京編集室に出入りする者らによって取材班を結成し、次のように取材の手順を考え、早速着手した。この際、李信恵ら加害者側、Mら被害者側問わず、できるだけ広く多数の者に取材し、情報の真偽を見極めることに最大限努力した。

①M関係者からもたらされた資料の読解と解析。

②リンチ被害者M本人への面談と聴取。

③Mをサポートしてきた者らへの取材。多くの人物が応じてくれた。

④原告と同じ在日の人たちへの取材。在日同士で李信恵支持者が多いと思ったが、意外にも、多くの人たちが、このリンチ事件を知っていて、李信恵に批判的で被害者に同情的だった。また、情報提供などにも協力的だった。

⑤李信恵本人への取材。李信恵拒。逆に、このことにより、リンチ事件の存在と李信恵の関与の情報の信憑性が強まった。

⑥日本人、在日問わず李信恵周囲、李信恵に連繋する者らへの取材。これは、直接面談、電話取材など多岐に渡り、かなりの時間と労力と費用が掛かった。少なからず心ある人物が、身分が判らないようにすることを条件に応じてくれた。それは、李信恵の仲間らからの報復を怖れてのことであるが、Mの支援者らに対するバッシングはじめ他のケースでも、筆舌に尽くし難く酷いものだったからである。

 このようにかなりの時間と労力と費用をかけたことにより、私たちは事件の実態に迫ることができた。リンチ事件が実際に起き、李信恵はリンチの現場に同座し、これに関わっていることに私たちは確信を持ったのである。なお、取材の際には、必ず録音を録るように努め、これは膨大な量になるが保存し、一部は下記書籍に掲載している。

 そうしたことを現在まで行い、鹿砦社は次の5冊の出版物にまとめ発行、世に送り出し一般書店での販売を行っている。

(1)『ヘイトと暴力の連鎖──反原連・SEALDs・しばき隊・カウンター』(2016年7月14日発行。本文104ページ)。以下「第1弾本」とする

(2)『反差別と暴力の正体──暴力カルト化したカウンター‐しばき隊の実態』(2016年11月17日発行。本文187ページ、カラーグラビア4ページ)。以下「第2弾本」とする。

(3)『人権と暴力の深層──カウンター内大学院生リンチ事件真相究明、偽善者との闘い』(2017年5月26日発行。本文132ページ、カラーグラビア4ページ)。以下「第3弾本」とする。

(4)『カウンターと暴力の病理──反差別、人権、そして大学院生リンチ事件』(2017年12月11日発行。本文195ページ、カラーグラビア4ページ。音声データCD付き)。以下「第4弾本」とする。

(5)『真実と暴力の隠蔽──カウンター大学院生リンチ事件の闇を解明する!』(2018年5月28日発行。本文179ページ、カラーグラビア4ページ)。以下「第5弾本」とする。

 この間に鹿砦社は「デマ本」「クソ鹿砦社」「鹿砦社潰れろ」「ネトウヨ御用出版社」とか李信恵、及び彼女の周囲の者らから散々罵詈雑言、誹謗中傷を浴びてきたが、鹿砦社はこれまで、1つの案件や事件で、このように5冊もの本にして出版したことはない。李信恵がリンチの現場に同座して関わったとされる「カウンター大学院生リンチ事件」に対する綿密な取材や調査を、時間と人と金を費やして行った証左である。5冊の本で、実に本文合計797ページ、カラーグラビア16ページ、総計813ページにもなる。さらにリンチの際に被害者Mが必死に録音した音声データのCDまで付けている。鹿砦社50年の歴史の中でもなかったことである。


◎[参考音声]M君リンチ事件の音声記録(『カウンターと暴力の病理』特別付録CDより)

 総計813ページにも及ぶ取材・調査の堂々たる内容は、じかに現物を紐解いてもらえれば歴然だが、遺憾ながら、李信恵が対在特会らを訴えた訴訟で李信恵勝訴の判決を出し“李信恵リンパ”と言っても過言ではない当初の増森珠美前裁判長は、対李信恵第2訴訟において原本提出を拒絶している。繰り返すが、李信恵が「不法行為」とか「名誉毀損」とする一部箇所のみならず、これに至る前後の文脈から読解すべきと思慮するので、裁判所は上記5冊の本の現本を受理すべきだし、判断の材料とすべきである。そうでなければ、公平・公正な判断もできないだろうし、「木を見て森を見ない」偏頗な判断しかできないと懸念する。その後、増森裁判長は突如異動になり新たな裁判長により原本提出は認められた。当然だ。[つづく]

◎「カウンター大学院生リンチ事件」被害者支援と真相究明の闘い、この3年間に思ってきたこと(全3回) 鹿砦社代表 松岡利康
[1]2019年3月4日公開
[2]2019年3月5日公開
[3]2019年3月6日公開

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金子文子と加納穂子 ── 先駆的な「生きざま」でわたしを魅了する2人の女性

魅力的な女性、といえば、どのような人物を思い浮かべるだろうか。個人的には、自らの価値観にしたがい、誰より自由で、大事なことを見失わない、そんな女性に惹かれる。

最近、試写で観た2人の女性に魅了されたので、今回はあわせて紹介したい。そして、2人をとおし、社会変革を導く人物像について考えることとする。

◆『金子文子と朴烈』──人間は恋と革命のために生れて来た

 
『金子文子と朴烈』(C)2017, CINEWORLD & MEGABOX JOONGANG PLUS M , ALL RIGHTS RESERVED

わたしは月刊誌『紙の爆弾』 2017年11月号の特集「小池百合子で本当にいいのか」で、関東大震災の朝鮮人虐殺について寄稿。その際、10冊弱ではあるが文献をあたり、真実に近いと思われることについてまとめた。そこに、「三・一運動後の朝鮮総督府では、水野錬太郎が行政・立法・司法の実務を統括する政務総監を務め、赤池濃が内務局長や警察局長を務め、独立運動を弾圧していた。そして八月二十六日に加藤友三郎首相が死去した直後に震災が起こったため、水野は内閣に引き続き内務大臣として陣頭指揮をとり、赤池も当時は警視総監として対応」などと書いた。この水野らが近代史を超越して暗躍するのが、劇映画『金子文子と朴烈』だ。

そして今回、魅力的な女性として1人目に挙げたいのは、大正時代のアナキスト・金子文子。複雑な生い立ちを経て朝鮮へ渡る。彼女も、のちの連れ合いである朴烈(パクヨル)も、1919年の三・一朝鮮独立運動後、日本に渡り、社会主義の運動にかかわるようになった。2人はアナキストの同志として出会い、恋仲となってともに暮らし、「不逞社(「不逞鮮人」を逆手に取ったグループ名)」を設立。だが、1923年の関東大震災後、2人は皇室の人間の殺害を計画した、これは大逆罪にあたる、と起訴される。26年に死刑判決、その後、無期懲役に減刑されるが、金子文子は獄死。経緯はいまだ不明のままだ。

このような史実をもとにした『金子文子と朴烈』では、金子文子が朴烈や仲間とともに生き、獄中でも闘いを貫くさまが描かれる。作品は、戒厳令下の朝鮮人大虐殺を隠蔽すべく、2人は標的とされたというストーリーになっている。金子文子が魅惑的で、日本人ながら帝国主義・植民地主義に抗し、朴烈との間に結ぶ約束も心地いい。「一、同志として同棲すること。 一、わたしが女性であるという観念を取り除くこと。 一、いっぽうが思想的に堕落して権力と手を結んだ場合、直ちに共同生活を解消すること。」。チェ・ヒソの演技がまた、表情、言葉の発し方、仕草など気っ風がよく、チャーミングだ。

革命を志す仲間たちが「インターナショナル」を高らかに歌うシーンも印象的。だが実は、生き延びた朴烈のその後の人生は複雑なものだった。それは本作には描かれない。だからこそ余計に、金子文子の魅力が強く印象づけられ、2人が心を1つにした時間が尊く思われるのだろう。

自らの命やちっぽけなプライドよりも、信念を貫く。太宰治の「人間は恋と革命のために生れて来たのだ」をまさに体現した、その姿がまぶしい。2人の「あの」写真に関する象徴的なエピソードも登場するので、楽しみに作品をご覧いただきたい。
ちなみに、配給・宣伝の太秦の社長は、ネトウヨさんたちによってインターネット上に名前や顔写真をさらされているのだとか。わたしは「おめでとうございます」とお伝えしておいた。これはヒットの予感、前触れ!? と考えていたら、実際にヒットしているらしい。


◎[参考動画]映画『金子文子と朴烈』本予告編(太秦宣伝部 2018/12/25公開)

◆『沈没家族 劇場版』──穂子ちゃんに教えられること多すぎ

 
『沈没家族 劇場版』(C) 2019 おじゃりやれフィルム

もう1人の魅力的な女性は、「沈没家族」の加納穂子さんだ。「沈没家族」とは、1995年、シングルマザーの穂子さんがビラ配りから始めた共同保育。ドキュメンタリー映画『沈没家族 劇場版』は、ここで育てられた穂子さんの息子である土くんが監督・撮影・編集を手がけた作品だ。

「沈没家族」にかかわった知人が多くいるわたしも、その先駆性に惹かれていた。「男女共同参画が進むと日本が沈没する」という政治家の言葉を逆手にとった命名からも、朴烈と金子文子たちの「不逞社」同様のレジスタンスの精神とセンスを感じる。また、移転先のアパートも「沈没ハウス」と名づけられ、複数のシングルマザーと子ども、そして子どもたちを共同保育するメンバーによって成り立つ。

作品中、「変なオトナとばっかり絡めて申し訳ないなってのは思わなかったの?」という土くんの問いに、穂子さんは「それはまったくないね。だって変なオトナって……わたしはそれぞれの人に魅力を感じてたし、そういう関係じゃなかったからね」と応える。また、「手放すことで出てくるものがあるんじゃないかな」と語る。さらに、当時の穂子さんへのインタビューで、彼女は「土も、割と自分なりに保育者との関係を作ってるじゃない。あとは土とその人に任せるっていうか」と話していた。言葉を抜き取るだけで穂子さんの魅力を伝えるのは難しいが、金子文子同様、信念があり、達観している部分もあって、言葉が一般論や揶揄にゆるがないようなところがある。

プレスシートに目を通せば、加納土監督の言葉も魅力を発する。「沈没家族」はシングルマザーの母子と若者とがサバイブするためのものであり、「母が沈没家族を始めたのは、大人一人子一人という状況で閉ざされた環境になったら自分が楽しくないし、自分が楽しくない状況で子どもと過ごしていたら、それは子どもにとってもよくないからという思いが強いと思います」「彼女の場合、懐の深さというのはすべてを受け入れるってことではなく、いやなことに対して、はっきりいやだと言える強さがあるところなんですけど。だから、ずっとカメラを向けていて僕がおぼえた感情というのは劣等感でしたね。僕はここまでできねえな……という悔しさ」「誰にも強制していないというか、ただそこに在るっていうことで全然いいんだっていう。『一致団結』してないんです」「沈没家族は『排除しようとする社会』からのシェルター」と語っていた。ちなみに、「沈没家族」に参加していた高橋ライチ(しのぶ)さんは、「支援・被支援の関係でなくもっと相互的に、ただともに生きる、ということは可能なのだ」と記している。

ちなみに試写当日のメモにわたしは、「旧来の共同幻想は共有される範囲にしか通用しないからこそ、常にマイノリティはちからをもたぬまま模索する。そのいっぽうで、従来の家族についても考えさせられ、そのうえで人間についても考えさせられる展開であり、想定以上に深い作品だった。あと現代において、『悪くない』というのは最上級の肯定ではないか、などとも。そしてもちろん、穂子ちゃんに教えられること多すぎ。同世代。MONO NO AWAREとそのメンバー玉置くんの音楽もよかった。そうか、八丈出身なんか」と書いていた。


◎[参考動画]映画『沈没家族 劇場版』本予告編(ノンデライコ製作・配給 2019/02/14公開)

自らの価値観にしたがい、誰より自由で、大事なことを見失わない、そんな女性を描く映画2作品。ぜひ、ご覧ください。

※『金子文子と朴烈』は東京シアター・イメージフォーラム、大阪シネマート心斎橋、京都シネマにて上映中。ほか全国順次公開予定。詳細は下記公式サイトでご確認ください。
公式サイト:http://www.fumiko-yeol.com/

※『沈没家族 劇場版』は2019年4月より東京ポレポレ東中野にて公開、ほか全国順次公開予定。ほか全国順次公開予定。詳細は下記公式サイトでご確認ください。
公式サイト:http://chinbotsu.com/

▼小林 蓮実(こばやし はすみ)
1972年生まれ。労働運動等アクティビスト兼フリーライター。映画評、監督インタビュー、イベント司会なども手がける。韓流ドラマ&K-POPファンでもあり、ソウルを1回、平壌を3回訪れたことがある。『紙の爆弾』『NO NUKES voice』『現代用語の基礎知識』『週刊金曜日』『情況』『救援』『週刊読書人ウェブ』『現代の理論』『教育と文化』『neoneo』ほかに寄稿・執筆。
●『紙の爆弾』4月号「薔薇マークキャンペーン 新自由主義に対抗する『反緊縮』という世界の潮流」
●『NO NUKES voice』Vol. 19「インタビュー:淵上太郎さん(「経産省前テントひろば」共同代表)民主主義的観念を現実のものにする」
●『流砂』16号「憲法が奏でる『甘いコンチェルト』──『ソロもあるのが協奏曲』または『同意』」(入手のご希望あれば、Facebookのメッセンジャーなどで、小林蓮実に連絡ください)

衝撃満載『紙の爆弾』3月号絶賛発売中!

安倍政権が瓦解しないのは、この国の間接民主主義が瓦解しているからである

◆琉球の民意が幾度も示されている事実こそが凝視されるべきだ

2月24日に行われた沖縄県名護市辺野古における米軍の基地建設に対する沖縄県による「住民投票」では、「建設反対」が40万票(得票率70%)以上を得て圧勝した。この県民投票を待つまでもなく、任期途中で逝去されてた翁長知事の後任である玉城知事も、選挙戦以前から「辺野古基地建設反対」と旗幟を鮮明にし、知事選では圧勝した。


◎[参考動画]【報ステ】沖縄県民投票 賛成・反対の若者は……(ANNnewsCH 2019/02/25)

琉球(沖縄県)での「米軍基地問題」への世論は、すでに何度も何度も、確認されている。「米軍基地不要論」は結果、県民を騙した仲井真元知事だって選挙戦では訴えていたのだから。これほど明らかに、民意は幾度も示されている。くだらない解説は要らないから、まずはこの事実こそが冷厳に凝視されるべきだ。

そうであっても(県民投票の結果が圧倒的に「辺野古基地建設反対」との結果が出ても)、安倍や菅はその結果に、一瞥も触れず、建設工事を強行するであろうことも多くの人は予想していただろう。「嫌だ! やめてくれ! もうこりごりだ!」との民意をどのような方法で、何度示めそうが日本政府は、琉球(沖縄県民)に思いをいたすことはない。絶対といってよいほどないことは返還以降の歴史が証明している。

◆トランプは確かに「ノーベル平和賞」に相応しい

佐藤栄作のノーベル平和賞を受賞は、画期的だった。「核抜き本土並みの返還」との「真っ赤な嘘」を外務省の秘密文章で暴露された佐藤。沖縄返還の政治的欺瞞と、佐藤栄作がノーベル平和賞を受賞したことによって、聡明な方々は「ノーベル賞」の持つ政治性、恣意性に気が付かれたことであろう。そして、安倍はノーベル平和賞にトランプを推薦しているという。ご同慶の至りである。わたしはトランプが「ノーベル平和賞」を受賞することを、冗談ではなく本心から希望する。そうすればバラク・オバマが何の実績もなく「ノーベル平和賞」を受賞したのと同様に、「ノーベル平和賞」の欺瞞がより多くの人々に明らかになるであろうからだ。


◎[参考動画]トランプをノーベル平和賞推薦の件について(2019年2月18日衆院・予算委)

自己の総括を告白すれば、わたしも否定的な部分はあるものの、東ティモール独立や、ビルマ軍政打倒のために、あるいは中華帝国の少数民族問題への、関心を喚起するために「ノーベル平和賞」を「利用」したことがある。わたしのような市井の人間にとって、なにか事を起こすには、それなりの力や団体、あるいは権威が必要だと感じていた。

だから敢えて負の側面を知りながらも「ノーベル平和賞」受賞者を称揚し、(もっと直接的表現を用いれば「利用」となろう)国際問題を訴えかけた。その行為の一部は現在わたし自身に「どう責任を取るのか」と、極めて厳しい問いかけとなり返答から逃げられなくなっている。

最大の問題はビルマでアウンサンスーチー氏が、実質最高権力者に就任して以来の、少数民族問題への彼女の対応である。一言でいえば「酷い」。わたしはアウンサンスーチー氏が、自宅軟禁されていた1988年、元の職場の業務として、先輩職員とビルマでお会いした(あの年外国人で彼女に接触できた初対面の人間はわれわれだけだっただろう)。その時彼女が冒してくれた危険性、及びわれわれに語ってくれたメッセージと現在の彼女の執権による「横暴」に、わたしはどう考えても整合性や、つながりを見つけることはできない。

ビルマでは依然として憲法により、軍人が国会の一定議席を占め、アウンサンスーチー氏のように外国人の伴侶がいる(いた)人物は最高権力者にはなれない、との取り決めがある。しかしそんなものは実質「瓦解」しているじゃないか。アウンサンスーチー氏が軍政との和解後、初めて来日したのは「日本財団」の招きによってであった。わたしはその時点で「もうこの人と私には接点はない」と痛感した。もっと乱暴に言えば「あなたはその程度の人だったんですか?」と詰め寄りたい気分もなかったわけではない。

◆この国の間接民主主義は、すでに機能不全に陥り破綻した

冒頭の話題から大幅にそれてしまった。

間接民主主義は機能しうるのか? 小選挙区制という、ペテン装置によって民意は反映し得るのか? 立憲民主党や国民何とか党、かれらはどのように極右自民・維新との違いを持っているのだ? 枝野は正月早々伊勢神宮に参拝したという。弁護士資格を持っていても、神話の世界でフラフラしている枝野に、「反自公」の庶民は期待が持てるか? しかもわたしから見れば「考えられない」ような御仁を公認するという。

琉球の基地問題も、数えきれないほどの安倍のスキャンダル(森友学園・加計学園・厚労省調査偽造)は、まともな野党とマスコミがあれば、「何度でも政権が吹き飛んでいるはずの大事件」(わたし個人の感想ではない。全国紙記者や政治学者の見解だ)だ。それでも安倍は平然としている。

「この国の間接民主主義は、すでに機能不全に陥り破綻した。そして国民はそのことに対して深刻な問題意識を持たない」(持つ感覚を失わされている)。残念ながらこれが今日の惨状を直視した人の感想である。間接民主府議が機能しないのであれば、直接民主主義という代案がある。問題は、それを担える人物がいるかどうかだ。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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日本とイスラームの同盟 文明間の国際秩序再編の中で 〈全3話-3〉

◆前回のあらすじ

日本はそれ一国で「日本文明」という、中華文明や西欧文明など大きな文明に匹敵する文明を形成している。しかし、今の日本はアメリカの「下僕」であり、「思いやり予算」、東京上空規制、辺野古移設など全く主体性は見られない。また、イスラームに友好的だった戦前とは異なり日本当局はアメリカの意向に従い日本国内のムスリムを敵視している。イスラームの祝祭会場への私服警官の派遣や在日ムスリムの尾行、モスクの監視、ムスリム家庭の調査、イスラーム学者のハサン・中田考氏の監視などを続けている。そんな中、トルコやインドネシア、インドではイスラームの復興が顕著であり、エルドアンへの支持が高まっている。エルドアンを支持するfacebookグループがあり、また過去にはジャカルタで大きなスタジアムで国際カリフ会議が開催されたこともあった。

◆日本の真の独立のために

このようなイスラーム諸国の動向を注意深く読み解く必要がある。決して軽視すべきではない。ムスリム圏の行動原理はイスラームという宗教であり、それは国家の枠組みに縛られることがない。イスラームの原理はイスラーム教徒である限り、ニューヨーク(アメリカ)にいようがチェチェン(ロシア)にいようがウルムチ(中国)にいようが適用されるのである。その効力は、影響が一国あるいは一民族に限定される西欧的なナショナリズムよりもはるかに強力である。

さて最近は、中国の超大国化が著しくまたいわゆる「北方領土」問題で日本と対立するロシアがこれに続こうとしている。しかし、中国はウイグル人との問題で、またロシアはチェチェン独立勢力との問題でムスリムと対立している。インターネットの発達で、これらの情報は瞬時にムスリム世界にも伝わり、一つの地域や一つの民族の問題ではなく、イスラーム世界全体の問題として認識されている。日本はイスラーム諸国とのつながりを強化し、相互扶助すべきである。

日本は戦前では、イスラームに対して国を挙げて支援していた。イスラームとの連携によって、超大化を目指す中国とロシアという二大ファシズム国家を、その背後からあるいはその足元から牽制することも可能になってくる。

アメリカに関しても、ムスリムの存在は大きい。アメリカでのムスリム人口は2000年時点で2.6%に過ぎない。しかし、その40%以上はアフリカ系アメリカ人の改宗者だという。プロボクサーだったモハメド・アリやマルコムXなどアメリカ社会に不満を持つアフリカ系アメリカ人の改宗者が多く、そのアメリカ社会への影響力は決して小さくない。ムスリムとの関係強化は、日本が対米従属状態にあるアメリカの内部にも影響を及ぼすことを視野に入れることができるのである。

また日本はイスラームに対して歴史的なしがらみがほとんどないため、スンニ派とシーア派の対話の場を提供することも可能である。さらに日本は仏教国でもあるので、ミャンマーやタイなどでの仏教徒とイスラーム教徒間の問題で、対話を取り持つことも可能になる。

西欧文明の衰退に伴う中で、中国やイスラーム諸国をはじめとする非西欧諸国が次々とその文明の独自性を主張している。既存の主権国家体制は崩れ始め、第二次大戦の戦勝国による「傀儡」組織だった国連も有効な手を打てずにいる。

人間の移動はICT技術や交通手段の発達でこれまで以上に流動的になり、それを防ごうとする領域国民国家との間で小競合いが頻発している。日本でも同様に排外主義的な運動が起こっている。日本も4月から入国管理法が改正される。それによって労働者や難民として今まで以上に外国人が入国すると予想されるが、それよって発生するトラブルや事件に対して心構えが必要であろう。

日本もこれまで通り何も変えずに、馬鹿の一つ覚えのように「日米同盟はゆるぎない」と繰り返しているようでは「時代の敗者」になってもしかたがない。日本は経済産業面で「デファクトスタンダード(国際標準化)が苦手」と言われるが、それは今の対米従属姿勢に見られるような、「長い物には巻かれろ」的志向が強くからとも言える。既存のスタンダード(アメリカ・西欧の覇権)に乗っかることは得意なのかもしれないが、ただそれに追従するのみでそこから自発的に「降りる」ということができない。今後はイスラーム諸国との関係強化、さらには「周辺的存在」であるラテンアメリカやサハラ以南のアフリカ諸国、南太平洋をも「重要なプレーヤー」として視野に入れる必要が出てこよう。

たとえ、国のトップが安倍という救いようがない馬鹿であっても、一般市民による「市民外交」は可能である。今や政治のプレーヤーは国家や政治家だけではなく、企業やNGO、個人も含まれる。市民の力で日本全体の外交関係を変えることは可能である。現代は本当に変化が早い。明日になって突然全てがひっくり返る、と言ったようなことがあっても不思議ではないのだ。(完)

◎日本とイスラームの同盟 文明間の国際秩序再編の中で〈1〉
◎日本とイスラームの同盟 文明間の国際秩序再編の中で〈2〉
◎日本とイスラームの同盟 文明間の国際秩序再編の中で〈3〉

▼Java-1QQ2
京都府出身。食品工場勤務の後、関西のIT企業に勤務。IoTやAI、ビッグデータなどのICT技術、カリフ制をめぐるイスラーム諸国の動向、大量絶滅や気候変動などの環境問題、在日外国人をめぐる情勢などに関心あり。※私にご意見やご感想がありましたら、rasta928@yahoo.ne.jpまでメールをお送りください。

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沖縄県民は辺野古移設反対多数 これでも政府はまだ移設を進めるつもりなのか? 次の県民投票は〈沖縄独立〉を掲げるべきだ

沖縄の辺野古基地建設(普天間基地移設)の賛否を問う県民投票は、移設反対が圧倒的多数を占める結果となった。有権者の4分の1を超える3割越えの得票数であることから、日米両政府へ公式に通知されることとなる。この結果はしかし、あまりにも当然と言うべきであろう。

幾多の国政選挙、賛否を問う首長選挙で沖縄県民は、これまでにも米軍基地に「NO!」を突き付けてきたにもかかわらず、辺野古埋め立ては「粛々と」(菅官房長官)進められてきたのである。だが、赤土の流入や海底の軟弱基盤により、計画の変更も沖縄県から拒否されているのが現状だ。県民の怒りの投票を、政府は正面から受け止めて、ただちに埋め立て工事を中止するべきだ。

 
ローラさんのインスタグラムより

◆安倍総理の姑息な妨害

ある意味で当然の結果が出たわけだが、おそらくそれを想定していた安倍政権の姑息な妨害活動を明らかにしておく必要があるだろう。沖縄の米軍基地問題は、本土の日本国民の無関心にもかかわらず、国際的には大きな関心を持たれている。

これは翁長前県知事いらいの国際ロビー活動とともに、心あるジャーナリストやミュージシャンの力に負うところが大きい。たとえばローラりゅうちぇるらの米軍基地移転反対の署名への呼びかけ、ブライアン・メイらの情報拡散によって、基地移設反対は国際的な声となっているのだ。

そのような動きの中で、ホワイトハウスに対する基地建設一時停止の署名の呼びかけ人が関西国際空港で拘束されるという事態が起きていたのだ。その呼びかけ人は映像作家のロバート・カジワラ(母方が沖縄出身の日系4世)である。

今回、カジワラ氏は辺野古移設反対のイベントに出席するために来日したわけだが、すでに21万筆という米政府あての署名を集めた運動の中心人物を、安倍政権を忖度する入管当局は1時間以上にわたって足止めし、「辺野古へ行くのか」「デモをするのか」などと、恫喝的な取り調べに近い対応をしたのだ。カジワラさんは知人に連絡をし、そこから社民党の照屋寛徳代議士に連絡が行き、照屋代議士がカジワラ氏の身元を保証することで、入国が許可されたのである。

いつから日本は、政治的な意見によって入国審査を行なうほどの独裁国家になっていたのか。いまや朝鮮民主主義人民共和国や中華人民共和国の人権問題を云々する前に、日本も同様の独裁国家になっていることに、批判の矛先を向けなければならなくなっているのだ。


◎[参考動画]RBC「ロバートカジワラさん 日本入国で足止め」(【琉球放送】2019/02/20)

 
琉球新報【電子号外】2019年2月24日 20:25

◆今度は「琉球独立」の住民投票をやるべきだ

沖縄の米軍基地問題および地位協定見直し、北方領土問題、拉致被害者問題など、日本にとって政治的に困難な課題はいくつかあるが、沖縄の米軍基地問題以外は、そもそも相手が「困難」なものだ。沖縄の米軍基地問題は、相手が「唯一の同盟国」「最も大切な友邦」にもかかわらず、困難をきわめているのだ。武器を大量に買い取り、思いやり予算などという支援を行ない、その果てに世界で最も危険な基地を押し付けられているのだ。それも、日本のわずか0.6%にすぎない沖縄に、70%以上の米軍基地を押し付けるという犠牲を強いているのである。もはや沖縄は日本政府とケンカをしてでも、基地撤去の実質をとるべきであろう。

その方法について、ある人物が「沖縄独立」を突き付けて、日本政府とケンカすべきだと主張している。その人物とは、独断専行的な政治手法を「ハシズム」などと呼ばれたこともある、橋下徹その人だ。橋下氏は近著『沖縄問題、解決策はこれだ!』のなかで、本来の政治手法である人脈を駆使した政治ができないなら、ケンカをすることで譲歩を引き出すべきだと、みずからの大阪市長・知事時代の経験を語っている。

橋下氏といえば、オスプレイの訓練地を当時赤字だった関西国際空港に引き受けてもいいと、当時の鳩山総理にメッセージを発したこともある。あるいは、松井府知事とともに八尾空港にオスプレイを誘致することを、官邸に申し出てもいる(八尾市長の反対で凍結)。同書では「米軍基地の設置手続法」を施行することで、沖縄と本土の自治体が平等に「米軍基地」の設置地になりうること。したがって、すべての自治体が拒否すれば、米軍基地は「違法」となる。そこで、本当の政治が動き始めるというものだ。詳細については、タケナカシゲル氏が『紙の爆弾』4月号(3月7日発売)で紹介するという。橋下氏の政界復帰、暴露本出版停止の裏舞台など、注目に値する。

それにしても、沖縄の究極の選択は一国二制度の自治州化、あるいは独立国家として日本、台湾、あるいは中国と緊密な関係を保った「平和緩衝地帯」になることではないだろうか。今回、1996年の県民投票(地位協定の見直し)につづいて、5割以上の投票率での圧倒的多数の県民が米軍基地移設に「NO!」を突き付けた。三回目の県民投票は上記の目的のための、独立の可否をめぐるものとなるべきであろう。ただちに法的な強制力がなくても、日本政府および本土の日本人にたいする、強烈なメッセージになるのは間違いない。


◎[参考動画]ANN世論調査 6割強が「県民投票結果を尊重すべき」(ANN 19/02/25)

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業・雑誌編集者。主な著書に『軍師・黒田官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)、『真田一族のナゾ!』『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。医療分野の著作も多く、近著は『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

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【裁判報告】〈蟻の一穴〉がダムを崩壊させる! 勝って兜の緒を締めて、〈蟻の一穴〉で〈一点突破・全面展開〉し、対カウンター/しばき隊訴訟を勝ち取ろう! 鹿砦社代表・松岡利康

いわゆる「反差別」運動の中心メンバー・李信恵氏、藤井正美氏に対する民事訴訟に新たな展開がありましたので、以下ご報告いたします。あらためて皆様方のご注目とご支援をお願い申し上げます。

◆鹿砦社勝訴の対李信恵氏第1訴訟(大阪地裁第13民事部)、李信恵氏控訴! 鹿砦社も控訴し迎撃! 控訴審(大阪高裁)は双方控訴で第二幕!

先に鹿砦社特別取材班が報告したように、対李信恵氏第1訴訟は原告鹿砦社の勝訴でした。金額は小さくとも、被告李信恵氏、代理人の神原元・上瀧浩子両弁護士、そして彼らに連繋する者らにとってはショックだったようで、いつもはツイッターなどで「正義は勝つ!」だのキャンキャン騒いでいるのに、この間はダンマリを決め込んでいます。

被告李信恵氏は、1度も法廷に顔を出さず、証人尋問も(いったんは出廷するかのような素振りを見せながらも)拒否、陳述書も提出せず、裁判(所)をナメてかかっていたように感じられます。

さすがに「クソ鹿砦社」に敗訴したことが、よほど悔しかったとみえて控訴してきました。大騒ぎして控訴した対在特会らとの訴訟と違いコッソリと控訴しました。李信恵氏らも、またマスコミも報じないので、本当に控訴したのか、この「通信」で知る前に知っていた人はほとんどいないでしょう。正直なところ鹿砦社は、李信恵氏が控訴せず自戒と反省の意を表明し終結するのであれば、潔く矛を収めてもよいと思っていました。

ところが李信恵氏が控訴するというニュースを耳にし、「上等! 迎撃し完膚なきまでに粉砕する!」との決意を固め、鹿砦社も控訴の手続きを執りました。

本件訴訟は、鹿砦社に対して李信恵氏による誹謗中傷に火が点き始めたところで、“会社を守る”という経営者としての当然の判断に基づき提訴しました。李信恵氏や、彼女に付和雷同する者らによる誹謗中傷も出て来ていました。呉光現なる、あるキリスト教関係団体の「聖職者」からは「鹿砦社、潰れたらええな」「文句あったら言って来いやあ」と発信されるなど日に日に過熱化していました。最近では「聖職者」でも、こんな暴言を吐くようになったようです。世も末です。

個人だったら、自分が我慢すればいいのでしょうが、小さくとも従業員とその家族らの生活を保障すべき会社では、放置しておくわけにはいきません。あなたが経営者だったら、どうしますか?

判決の詳細についての分析は、リンチ被害者M君が李信恵氏らリンチ(この判決では「リンチ」という言葉が所与のものとして用いられています。裁判官もリンチ関連書籍に目を通し、これはまさにリンチだと感じたのだと察します)の現場に同座した加害者側5人を訴えた訴訟の最高裁判決が出たら早急に出版に取り掛かる書籍にて発表する予定です。ここでは、概要だけを申し述べます。

私たちが裁判所へ具体的に提訴したのは、李信恵氏が行った鹿砦社に対する名誉毀損、誹謗中傷のツイート8本です(この8本は紙幅の都合もあり本稿では省きますが、第4弾本『カウンターと暴力の病理』P111~113に記載していますのでご覧ください)。このうち5本(tw投稿3,4,6,7,8)は不法行為と認定されました。これについては文句はありません。あと3本(tw投稿1,2,5)についても、「原告(鹿砦社)の社会的評価を低下させるものというべきである」(判決文)とし、同様の文言を繰り返しています。普通なら、これで不法行為を認定するものと考えるところ、裁判所(官)のものの見方はちょっと(いや、ずいぶんと)違うということでしょうか、判決文では随所に、「一般の閲読者の普通の注意と読み方を基準としてみれば…」という趣旨の文言を記載していますが、裁判官の「注意と読み方」は「一般」人や私のような中小企業経営者の感覚や「注意と読み方」とは乖離しています。みなさん、そう思いませんか?

いわく、「いずれも『クソ』という品性を欠く不穏当な表現を用いて原告(鹿砦社)を非難しているものの」「不穏当で過激な表現がしばしば見られるインターネット上のツイートであることを考慮すれば、人身攻撃に匹敵するものではなく」「違法性を欠き、不法行為は成立しないというべきである」との判示です。

いくら「インターネット上のツイート」が、「不穏当で過激な表現がしばしば見られる」からといって、被告李信恵氏の「『クソ』という品性を欠く不穏当な表現を用いて原告(鹿砦社)を非難している」ことが許されるはずはなく、これを叱責するのが裁判所の仕事ではないでしょうか!? それに、その「品性を欠く不穏当な表現」に、名誉毀損の免責条件である、公共性、公益目的、真実(相当)性があるのでしょうか!? 控訴審での反論事項です。

突っ込み所はいくつもありますが、それにしても、5本のツイートの名誉毀損が認定されて10万円、つまり1本2万円の賠償金とは異常に少ないという意見も多数寄せられています。ご指摘の通りでしょう。

李信恵氏の暴言の数々

もう一言だけ言わせてください。私たちは、M君リンチ事件について被害者救済と真相究明を求め、「反差別」「人権」を声高に叫ぶ李信恵氏らと闘っているわけですが、だからといって私たちが差別問題や人権問題を蔑ろにしているわけではありません。真に差別と闘い人権を守るということは、崇高な営為です。李信恵氏らがこれまでやってきたことは、差別に反対し人権を守るということからかけ離れていると思います。いや、李信恵氏らの、時に蛮行とさえ言ってもいいような言動を、私たちはこの3年間つぶさに見てきましたが、差別に反対し人権を大事にするという、多くの人たち(「一般人」!)の気持ちを逆行させるものだと言えないでしょうか? 彼らの言動を見ていると、崇高さなど見られませんし、このかんカウンター/しばき隊のバッシングを一身に受けている作家・森奈津子さんの言葉を借りれば「反差別チンピラ」と思えるケースにたびたび遭遇します。果たしてこれでいいのでしょうか? 大いに疑問です。

かつての部落解放同盟の行き過ぎた糾弾闘争で「同和は怖い」という意識を一般の人たちに植え付けたという負の面を残しましたが、李信恵氏らの言動、とりわけリンチ事件を反省せず、このままきちん解決しないのならば、「同和は怖い」ならぬ「在日は怖い」という残念かつ遺憾な感情を人々に植え付け反差別運動の負の遺産となるように懸念します。私の言っていることは間違っているでしょうか?

付和雷同した暴言の数々

◆対李信恵氏第2訴訟(大阪地裁第24民事部)、裁判所がリンチ関連本5冊の原本を証拠として正式に受理! 裁判所は果たして、5冊=総ページ800余ページに結実した鹿砦社の綿密な取材・調査をどう判断するのか

第1訴訟から分離した第2訴訟は、第1訴訟の勝訴判決の熱気が残る、去る2月21日午後1時30分から開かれました。今回も書記官室での準備手続きの予定でしたが、急遽小さな法廷で開かれることになりました。一応公開ですが、いつも傍聴される方々には非公開の準備手続きと知らせていましたので、傍聴は少人数でした。

 
増森珠美前裁判長

今回の最大の成果は、当初の増森珠美前裁判長による頑ななまでの原本受理拒否に遭っていましたが、私たちの正当かつ強い要請により原本5冊が証拠として受理されたことでしょうか。原本受理を頑なに拒絶した増森珠美前裁判長は、李信恵氏が在特会らを訴えた裁判で李信恵氏勝訴の判決を下した裁判官で、“李信恵氏シンパ”といっても過言ではありません。私たちがそれを知ったのは、増森裁判長の「忌避」申立ての直前でした(私たちはそこまで危機感を募らせていたのです)が、原本拒否もむべなるかなと思いました。公平・公正であるべき裁判所も、こんな人事配置をしてはいけません。本件訴訟で李信恵氏は、550万円という高額賠償金と4冊(5冊目は提訴後の出版なので訴外)の販売差し止め等を求めてきていますが、出版社にとっては大問題です。考えてもみてください。みずからの都合のいい箇所だけを切り取りコピーして摘示、それで書籍全体、つまり私たちの取材や調査全体の公正な判断ができるでしょうか!? 「木を見て森を見ない」判断になる懸念はないのでしょうか!? この点では、今回の原本受理は正しい判断だと思います。

加えて、公共性、公益目的、真実(相当)性について、今回期日を目指し代理人の大川伸郎弁護士と共に苦労してまとめた第5,6準備書面を提出しましたが、鹿砦社がリンチ事件に関わる契機、取材の手順などから展開しました。いわば「反差別」の旗手としてマスコミから持て囃される李信恵氏がリンチの場に同座し、リンチを止めもせず、悠然とワインをたしなめ(それまでに李信恵氏本人の言では「日本酒に換算して1升」を飲み泥酔し)、救急車も呼ばす、挙句師走の寒空の下に被害者M君を放置して立ち去り、後に「謝罪文」を出したり覆したり開き直っている様に強いショックを受けた経緯などを申し述べ、これまでになく力の入った準備書面になりました。これに対して、李信恵氏や自称「正義」の弁護士・神原弁護士らがどう三百代言を駆使し反論してくるのか楽しみではあります。次回はGW明けの5月9日午後1時30分から。

◆カウンター/しばき隊の中心メンバー・藤井正美氏(鹿砦社元社員)に対する総額3千万円の給与返還・損害賠償請求訴訟も2月21日に弁論が始まりました!

藤井氏は3年間、鹿砦社に勤務しましたが、この間、会社のパソコンを使い、就業規則に違反し勤務時間の大半を本来の業務とは無関係のカウンター活動関係のツイッターに勤しみ雇用主の私や会社を再三侮辱していたことが判明し、2015年12月3日に弁護士ら立会いで藤井氏のツイッターの一部を元に問い質し、それを認め自己都合での退職を納得しましたが、雇用保険の関係で本人の希望を汲み温情で一般解雇処分としました(ご存知かと思いますが、自己都合退職であれば、雇用保険の適用が半年先になり、一般解雇であれば翌月から適用されます)。藤井氏のツイッター書き込みだけでも膨大な量になることは第4弾書籍『カウンターと暴力の病理』にてかなりのページを割いて記載されていることからも明らかです。1日に30も40もツイートしていました。この時点で判明したのはツイッターだけでしたので、物入りの師走でもありましたし、月の途中でしたが給料もまるまる1カ月分を支払い、支給期日(12月10日)前の賞与も退職金も、いわば“手切れ金”としてそのまま支払いました。せいせいした気分で正月を迎えたいという気持ちもありました。しかし、のちに出てくるメールを見て仰天し、認識が甘かったことを思い知りました。私は人を見る目がないとよく言われますが、まったくのお人好しだということを改めて痛感しました。

藤井氏は、荷物をまとめて退室する際に会社が藤井氏に貸与していたパソコンのデータの削除を行いましたが、その後、パソコンを整備していく中で、ツイッター以上に悪質な、業務と無関係の私的メールが膨大に残っていました。これが退職前に判明していたら、間違いなく懲戒解雇にしていたでしょう。第2弾本『反差別と暴力の正体』に掲載されて衝撃を与えた「説明テンプレ」「ITOKENリスト」も彼女が発信源でした。

これらを集めCDに収め裁判所に提出しましたが、同時に提出する予定だったプリントアウトを開始したところ、あまりに膨大に渡り先日の弁論期日には間に合いませんでした。予想以上に時間が掛かり、次回に提出することになりました。

21日には鹿砦社社員の1人が陳述書を書き、在職中の藤井氏の勤務態度や行状などを申し述べてくれました。

藤井正美氏のツイートの一部

人がどのような思想・信条を持とうが自由ですし、よほどの違法行為でない限りオフタイムや休日に社会活動や市民運動に関わるのも自由です。しかし、会社は就業規則を定め、これに従って勤務時間(拘束時間)に会社の業務に勤しみ、この労働の対価として雇用主は給料を支払うというのが社会の決まりであり常識です。これを大胆に破っているわけですから、それ相当の償いはしてもらわなければなりません。他の社員は一所懸命に働いてくれているのに、藤井氏だけは“わが道を行く”で、私たちに気づかれないようにカウンター/しばき隊の活動に勤しんでいました。社会的に到底許されないことです。特に、企業恐喝を鹿砦社の名を騙り行ってもいました。

それでも真摯に反省の姿勢を示せば、私も血の通った人間、それなりの配慮も考えていないわけでもありませんでしたが、藤井氏代理人・神原弁護士の言動を見る限り、そうではないようです。私はこれまで、問題を起こして解雇せざるをえない人間でも、真摯に詫び、それ相当の弁償をしたら“事件”にもせずに赦してきましたが、今回はどうでしょうか。わざわざ遠隔地に事務所を構える、好戦的な神原弁護士を選任することで、争いが過熱化することは免れず、藤井氏の判断が正しかったのでしょうか。本件訴訟では、大川弁護士が対李信恵氏訴訟などでタイトのため、元大阪高裁裁判官の森野俊彦弁護士を選任しました。次回期日は5月9日午後2時からです。私たちも神原弁護士も“ダブルヘッダー”です。

べつに自慢するわけではありませんが、かつて鹿砦社は、マスコミ・タブーとなり芸能界を支配していたジャニーズ事務所との仁義なき3件の出版差し止め訴訟を徹底的に闘うことで内外に名を知らしめて来ました。今、久しぶりに気合が入り、「棺桶に片足突っ込んだ爺さん」(藤井氏のツイッター)にとってM君訴訟と併せこれら一連の対カウンター/しばき隊訴訟が、いろいろあった出版人生で“最後の闘い”になるでしょうが、「棺桶に片足突っ込んだ爺さん」にも意地があります。気持ちとしては「血の一滴、涙の一滴が涸れ果てるまで闘う」しかありません。

M君リンチ事件の真相究明と被害者救済にご支援を!!