石松竹雄弁護士が亡くなった。刑事司法に関心のない方にはご存じではない方も多いかもしれないが、1947年に司法試験に合格し、2期の司法修習生だった石松先生は、裁判官時代に良心的裁判官として、現場で闘ってこられた方だ。わたしが石松先生とのご縁を頂いたのはわずか数年前で、ここに数少ない思い出を綴にあたっては、長年ご親交のあった、法曹界をはじめとするお知り合いの方々に申し訳ない思いもあるが、つい数か月前に石松先生とは貴重なお話をさせて頂く機会を得たばかりであったので、法曹の素人としてあえて、石松先生から伺ったお話をここにご紹介する無礼をお許しいただきたい。

 

石松竹雄『気骨 ある刑事裁判官の足跡』(2016年日本評論社)

石松先生から「自宅の蔵書を処分したいのですが」というご相談を伺ったのは、半年ほど前、ある会合での席だった。蔵書寄付のような形にできないか、と考えたわたしは、いくつかの大学や研究機関の図書館に相談してみたが、なかなか思わしい返答はなかった。そしていずれのケースでも「どのような内容の書籍が、何冊くらいありますか」と問われたので、それでは石松先生の蔵書を確認させていただいた方がよいであろうと判断し、やはり元裁判官であった今は弁護士の先生にご一緒頂き、石松先生のご自宅にお邪魔することになった。

ご自宅は大阪府南部であるが、石松先生は吹田市内の老人ホームで暮らしておられたので、そこまでお迎えに伺った。石松先生は、数年前に「胃がんが見つかったが、手術はしないことにした」と内々ではお話になっていた。年に2回ほどしかお会いしないけれども、90歳を超えられて胃がんを持っていらっしゃるお身体にしては、食事も普通に召し上がり、深刻そうなご様子はなかった。

ご自宅に伺う日、約束よりも1時間程度早く吹田に到着した。当該老人ホームの受付でお約束をしている者だが、早く着いた旨を申告すると、石松先生はまだ朝食の最中なので、控えの椅子で待つように案内され、30分ほどのちにお部屋に案内された。ご挨拶をしてお部屋にお邪魔すると、「食事をしてから1時間ほどしないと、胃が落ち着かんのです。申し訳ありませんが少しここでお待ち頂けますか」と仰ったので「どうぞ、先生のお身体とご準備が整うまで急ぎませんので」と申し上げた。

築後それほど年月が経ってはいないと思われる、その建物はわたしがこれまでに訪れた老人ホームの中では最も広く、美しかった。高層階なので見晴らしもよい。石松先生にすれば胃が落ち着くまでの時間は心地の良いものではなかろうが、わたしはそのおかげで貴重なお話を伺う時間を得ることになった。

◆「僕は死刑事件を担当したことがないんです」

 

石松竹雄「裁判の独立、裁判官の職権の独立を守る」(2010年11月22日付け「WEB 市民の司法 ~裁判に憲法を!~」より)

その前日、袴田事件の再審請求が高裁で却下されたニュースが一面トップを飾る朝日新聞の朝刊が目に入った。法律や法曹界の知識が皆無に近いわたしは、「袴田事件は厳しい判断が続きますね」と会話の糸口を求めた。

「この事件は検察がどうしてここまで一生懸命になるのか。ちょっと理解に苦しみますな」と石松先生は雑感を述べられた後、いきなり「僕は死刑事件を担当したことがないんです。『死刑が嫌いな裁判官からは死刑が逃げていく』という言い回しがあるんですが、幸運でしたな」とこちらでも会話が成立するトピックにまで、テーマを調整してくださった。そしてそれはわたしがもっとも尋ねたい、極めてデリケートな設問であったのだけれども、わずか数分のあいだに石松先生は結論を教えてくださったのだ。

それからは学生時代から裁判官就任後のお話。北海道に赴任されたときに、何年間も放置されていた事件を精力的に片づけた際の裏話など、話は弾み始めた。わたしも興味深いお話に没頭してしまい、危うくその日の目的を忘れて話し込みそうになったが、1時間ほどした頃に「それではそろそろ行きましょうか」と石松先生から促していただいた。

わたしが運転する車の中でも話は弾んだ。石松先生はフルマラソンを何十回も完走されている方で、おそらく市民マラソンの日本での先駆けの大会から参加されていたことも伺った。70代はおろか、80代になってもフルマラソンを走っておられたとのお話には、こちらが情けなさを感じさせられた。登山もご趣味で数々の山に週末出かけたお話も伺った。ご自身のマラソンや登山についてお話になっているときの石松先生のお声は、朝お会いしたときよりもずいぶんお元気だった。

◆刑事裁判における「東京方式」と「大阪方式」

わたしは以前耳にしたことのあった、刑事裁判における「東京方式」と「大阪方式」へと質問を変えた。「東京方式」、「大阪方式」とはかつて存在した刑事裁判における法廷指揮の思想とありようの違いである。

それをわたしが最初に知ったのは井戸謙一弁護士(元裁判官)にインタビューしたときだった。別のサイトにわたしが井戸弁護士から伺ったのと同内容のお話が掲載されているので、「東京方式」、「大阪方式」をご理解いただくために引用しよう。

〈当時、大阪方式、東京方式というのがあって、特に刑事部のやり方は全然違ったんですよ。例えば学生裁判なら、東京の場合は、法廷内で暴れるようなことがあれば警察を入れて追い出し、被告人不在で裁判を進める。対して大阪は「警察を入れたら裁判にはならない」ということで、頑として受け入れなかった。最高裁としては東京方式を望んでいたんでしょうけど、大阪には、「俺たちが正しいと思う裁判をする」、そんな雰囲気があったのです。それは修習生にも伝わってきて、影響を受けたのは確かです。気概を感じ、僕にとってはそれが魅力的に映ったのです。〉

井戸修習生に「影響を与えた」裁判官の一人が当時の石松裁判官であったのだ。石松先生は「わたしは当時退廷命令を出したことは1回もありませんでしたな」と仰った。さすがにわたしは驚いた。今日、民事であれ刑事であれ傍聴席で少しでも声を出せば、即座に退廷命令を出す裁判官が少なくない(つまり「大阪方式」は死滅し、全国が「東京方式」で制圧されたということである)。ところが石松先生は「傍聴人は言いたいことがあるから裁判所に来ているんですよ」とこれまた、現在の法廷しかしならないわたしには腰を抜かすような見解を堂々と仰った。

最高裁の意を受けた「東京方式」とそれに対する在野意識の「大阪方式」は、法廷外でせめぎあいが続いたと石松先生は回顧した。「東京と大阪の真ん中ということで、愛知県の蒲郡のある旅館で、なんどか会合がありましたな」、「お前は大阪にいるから気楽に『大阪方式』でやっているけれども東京に来たらそんなわけにはいかんぞ。という人がおりましてね。口には出しませんでしたけども『東京に一人で行ったって堂々と大阪方式でやってやるわい!』と思っておりました」。

こんな良心が日本の司法の中に生きていた時代があったことを知り、羨望の念を抱くとともに、自身の無知を恥じた。闘っていたのは学生や労働者、市民ばかりではなかったのだ。裁判所の中にも良心を軸にした”闘い”と実践があったことを、生き証人の石松先生から直に伺えたのはわたしにとっては、極めて大きな財産である。超人的な体力と精神力、知性を備えた法曹界の巨人が亡くなった。

戦後の司法界で闘ってこられた石松先生からはそのほかにも吹田と大阪南部のご自宅の往復の車内で、生涯忘れられないお話をいくつも教えて頂いた。東京と大阪の文化が均質化され、司法改革は破綻した。反動化が進む時代を、

「いい時代とは言えませんな」

短い言葉で石松先生は評された。

合掌

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

『NO NUKES voice』Vol.17 被曝・復興・事故収束 ── 安倍五輪政権と〈福島〉の真実

衝撃満載!月刊紙の爆弾10月号

 昨日に続き、松岡の「陳述書」を分載します。

◆7 安易に出版や販売の差止めを求めるべきではありません

 原告(注:李信恵氏)は被告会社(注:鹿砦社)が出版した出版物に対し、販売の差止めを求めています。また、当社のホームページで日々展開している「デジタル鹿砦社通信」の一部記事の削除も求めています。
 周知のように日本国憲法21条は「表現の自由」「言論・出版の自由」を高らかに謳っています。民主主義社会にとって「表現の自由」「言論・出版の自由」は必要不可欠なものです。万が一差止めがなされるのは、その出版物や表現物に高度の違法性があり、差止めなければ名誉毀損やプライバシー侵害等の被害が拡大するという強度の緊急性がなければならないことは言うまでもありません。
 原告は、みずからにとって不都合な表現や言論、出版に対しては妨害したり隠蔽したりする傾向にあるようです。
「言論には言論で」という言葉があります。原告は、出版物の販売の差止めを求めたりするのではなく言論で対抗、反論すべきです。原告も、代理人のお二人の先生も著書を出されていますので、出版物を出せる環境にありますし、実際に出せると思います。原告らは出版物で堂々と反論することを強く望みます。

◆8「人間の尊厳」や「人権」に反するM君リンチ事件の〈真実〉を知れば、言葉に表わせないほど酷いと感じるでしょうし、裁判所の公平、公正な判断に期待いたします

 ところで私事に渡りますが、私は、縁あって2015年4月から2年間にわたり関西大学で「人間の尊厳のために~人権と出版」というテーマで教壇に立たせていただきました。このリンチ事件と、その後の加害者李信恵氏らの言動、また被害者M君への不当な扱い(=ネットリンチやセカンドリンチ)は、まさに「人間の尊厳」も「人権」も蔑ろにしたものと断じます。
 私は学生に「人間の尊厳」や「人権」を教える時、普段いくら机上で立派なことを言っても、「人間の尊厳」や「人権」に関わる現実に遭遇した場合、みずからが、いかに対処するかで、あなた方一人ひとりの人間性が問われると話しました。「人間の尊厳」や「人権」は、「死んだ教条」ではなく、まさに〈生きた現実〉だからです。
 普段立派なことを言っている人たちが、このリンチ事件の現実から逃げ、語ることさえやめ、ほとんどが沈黙しています。こういう人を私は〈偽善者〉と言います。くだんの5冊の本に、リンチ事件(と、その後の隠蔽)に陰に陽に、大なり小なり、直接的間接的に関わっている人たちの名が挙げられ、質問状や取材依頼を再三送りましたが、全くと言っていいほどナシの礫(つぶて)です。その多くは、この国を代表するような、その分野で著名な人たちです。公人中の公人たる国会議員もいます。良心に恥じないのでしょうか。
 私も偶然に、このリンチ事件に遭遇しましたが、学生に「人間の尊厳」や「人権」を話したのに、実際に「人間の尊厳」や「人権」を蔑ろにする事件を前にして、みずからが日和見主義的、傍観者的な態度を取ることは決して許されないものと考え、このリンチ事件の真相究明や、被害者M君の救済・支援に関わっています。
このように、「人間の尊厳」や「人権」について学生に教えた私にとっては、それが言葉の上でのことではなく、その内実を問う、まさに〈試金石〉だったのです。
 
◆ おわりに

「反差別」を謳う「カウンター」といわれる運動内部で、その中心的なメンバーである原告李信恵氏らによって起こされた、M君に対する悲惨な集団リンチ事件について私の率直な意見を申し述べさせていただきました。
 原告が今まずなすべきことは、みずからが関与した集団リンチ事件についての真摯な反省であり、かつ被害者M君への心からの謝罪であり、そう考えると、原告李信恵氏による本件訴訟は、そうしたことが垣間見れず、まさに〈開き直り〉としか思えません。
 原告李信恵氏らによる集団リンチ事件は、私たちが取材、調査、編集、出版した5冊の出版物で多くの方々に〈公知の事実〉として知られるに至っています。特に、第4弾『カウンターと暴力の病理』に付けられたリンチの最中の音声(CD)と巻頭グラビアのリンチ直後のM君の顔写真は強い衝撃を与え、多くの方々がM君に同情と救済の声を寄せてくださっています。
 このように多くの方々が多大の関心を持って本件訴訟の審理の推移と結果に注目されています。多くの方々がリンチ事件の内容を知り注目しているのです。裁判所が公正、公平な判断をなされなかったら、リンチ事件を知る多くの人は「人権の砦」という看板に疑問を持ち信頼が揺らぐでしょう。
 裁判所は、当然ながら軽々な審理を排し、公正、公平なご判断をなされるよう強く要望してやみません。
 原告の請求は当然のことながら棄却となることを信じてやみません。

これまで申し述べた内容を盛り込み私の「陳述書」として提出させていただきます。
以上

────────────────────────────────────────────────────

【付記】
 この「陳述書」を提出したあとでも相変わらず、作家・森奈津子さんに対する誹謗中傷はやむことはなく、ますます酷くなっているようです。
 いわく、「森奈津子さん大便垂れ流してますよ」。
 かつて「しばき隊」と真正面からやり合った人たち(「世に倦む日日」田中宏和氏、高島章弁護士、金剛医師ら)は後景に退き、今や森奈津子さんが女ひとり堂々と渡り合っています。
「反差別」運動とは、こんなに汚い言葉を遣うのでしょうか? 差別に反対するとは崇高な営みのことだと思ってきましたが、李信恵氏の言葉遣いといい、M君リンチ事件の真相究明と救済に関わって2年半あまり──疑問になってきました。李信恵氏に連なる「反差別」運動=汚い言葉のオンパレードです。これで普通の人々の支持を得ることができるでしょうか? 
 加えて、彼らは「左翼」「リベラル」だと自称他称されています。私は学生時代の一時期、ノンセクトの新左翼運動に関わったことがありますが、私が見てきた「左翼」「リベラル」は、もっと違いました。
 私にとって「左翼」とは、そう「湯川秀樹、朝永振一郎の後継者」とまで言われた山本義隆東大全共闘議長や、安田講堂攻防戦の最後の伝説的演説をし、その後僻地医療の魁となった今井澄元参議院議員(旧社会党!)らのイメージが強く、「リベラル」とは、機動隊導入に身を挺して抗議した鶴見俊輔元同志社大学教授(故人)や作家・高橋和巳さん(故人)らのイメージが強いですね。
 私に言わせれば、「しばき隊」界隈の人たちが「左翼」だとか「リベラル」などおこがましく、「左翼」の面汚し、「リベラル」の面汚しです。懲戒請求した右派系の人たちのリストを権力に渡すと嘯く神原元弁護士など自称「正しい左翼」らしいですが、とんでもありません。こんな権力に親和的な「左翼」など、う~む、世も変わったとしか言いようがありません。
 私たちが若い頃から見てきて頭の中にこびりついている「反差別」「左翼」「リベラル」などのイメージががらっと変わりました。
 汚い言葉と、これを恥ずかしげもなく常用する「反差別」「左翼」「リベラル」に対するイメージ・チェンジ……訳が分からなくなりました。
 さらには、ここでは詳述しませんが、今の時代に一流大学で暴力を振るいながらも、地位を失くすことなくのうのうとしている金明秀関西学院大学教授、「人権派弁護士」らしくない言動が暴露された師岡康子弁護士らについても、現代日本の知識人のレベルを象徴するものといわざるをえません。
 こういう人たちに比べれば、たとえば大学を中退し大阪・西成に住みつき、小さな食堂を営みながら、冤罪、反原発、女医不審死問題などに積極的に取り組んでいる尾崎美代子さんらのほうが、草の根の、言葉の真の意味で〈知識人〉と言えるでしょう(持ち上げすぎか!? 笑)。

 このように、「カウンター大学院生リンチ事件」(しばき隊リンチ事件)に関わる中で、考えることも多い、この2年半でした。

【画像説明】「反差別」運動の旗手と持て囃される方の素晴らしい言葉の数々(『真実と暴力の隠蔽』巻頭グラビアより)

◎私たちはなぜ、「カウンター大学院生リンチ事件」(俗にいう「しばき隊リンチ事件」)に関わるのか?(全3回) 鹿砦社代表・松岡利康

〈1〉2018年9月20日掲載 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=27578
〈2〉2018年9月21日掲載 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=27596
〈3〉2018年9月22日掲載 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=27645

M君リンチ事件の真相究明と被害者救済にご支援を!!

Amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B07CXC368T/
鹿砦社 http://www.rokusaisha.com/kikan.php?bookid=000541

 昨日に続き、松岡の「陳述書」を分載します。

◆4 被害者M君が心身共に受けた傷を蔑ろにし開き直る、集団リンチの加害者で中心人物の原告李信恵氏の言動は許せません

 被害者M君が心身共に受けた傷は、リンチ直後の顔写真に象徴されています。裁判官も、この写真をご覧になったら驚かれるでしょうし、逆に何も感じないとしたら、もはや人間ではないと断じます。人間として失格です。さらにリンチの最中の音声、聴くに耐えず、言葉を失います。ぜひお聴きください。
 被害者M君は、リンチ以降、この悪夢に苦しみPTSD(心的外傷後ストレス障害)に悩んでいるといいます。本人にしかわからない苦しみでしょうが、私たちにも一定程度は察することができます。しかし、あろうことか、これだけの傷を受けていながら未だ1円の治療費、慰謝料も受け取っていませんし、事件後も引き続きネットリンチ、セカンドリンチを受けてきました。酷い被害写真のコラージュまで作られ回されています。
 また、原告李信恵氏は、いったんは「謝罪文」を寄越し(たとえ形式的、ヌエ的ではあれ)反省の意思を表わしていながら、突然それを覆し「リンチはなかった」「無実」と開き直り、これに異議を唱えると、後述しますように、「鹿砦社はクソ」とか誹謗中傷を行なっています。これは私たちに対しだけでなく、原告李信恵氏に異議を唱える者すべてに対してです。
 原告李信恵氏の、人間として到底考えられない言動に真摯な反省を求め、そして、これだけの酷いリンチと、その後の事件隠蔽やセカンドリンチ、ネットリンチを受けているM君の名誉回復がなされなければなりません。常識的に考えて、リンチ直後の写真やリンチの最中の録音を目の当たりにしたら、「リンチはなかった」とか、加害者で中心的首謀的立場にあった李信恵氏が「無実」とは考えられず、まともな人間としての感覚があるならば、非人間的で酷いと感じるはずです。そうではないでしょうか?
 裁判所が「人権の砦」であり、裁判官も血の通った人間ならば、そうしたことは当然理解されるものと信じています。

◆5 李信恵氏による相次いだ「鹿砦社はクソ」発言に対して、やむなく民事訴訟を起こしました

 前述しましたように、原告李信恵氏ら加害者らは、彼らと繋がる者たちと連携し、被害者M君や、彼を支援する人たちに対して、あらん限りの罵詈雑言、誹謗中傷を続けています。
 例えば、M君の後輩の同大大学院生は母子家庭で、先輩が酷いリンチにあったということで支援していたところ、名前や住所をネット上にアップされたり執拗に攻撃され、お母様に累が及ぶことを懸念し表立った支援を差し控えたといいます。
 また、四国で自動車販売会社を経営しM君支援を行なっておられる合田夏樹社長に対しては、国会議員の宣伝カーで自宅まで押し掛けられたり、娘さんが東京の大学に進学し一人暮らしを始めたところ、近くのコンビニなどから住所を突き止め暴くぞと恐怖を与えたりしています。
 さらに、やはりM君を支援する作家の森奈津子さんには、「森奈津子にネットでいやがらせして鬱病に追い込もう」とか「こんな奴は潰さんとダメだろ」とか、さらには、森さんは乳がんで片方の胸を摘出されていますが、「正気かどうかも保証されてない病人」と揶揄してみたり、とても「反差別」や「人権」を語る者がやることとは思えません。
 M君を支援する当社に対しても、「鹿砦社はクソ」「クソ鹿砦社」とか「鹿砦社、潰れたらええな」「下衆」「害悪」「ネトウヨ御用達」などと李信恵氏や彼女の仲間らはこぞって誹謗中傷を行なってきました。遺憾なことです。
 あまりにエスカレートしつつあり、当社としても取引引先に悪影響を与える具体的な懸念が生じたため、そうした誹謗中傷を抑止する目的もあって、株式会社鹿砦社を原告として李信恵氏に対して民事訴訟(大阪地裁第13民事部 平成29年(ワ)第9470号)を起こし損害賠償金300万円と謝罪を求め現在係争中です。本件訴訟も、本件原告は当初上記訴訟の反訴として起こし、それを取り下げ、その後別訴として併合審理を求め提訴したものが却下されたものです。

 さて、李信恵氏のツイッターの一部を引用してみましょう。──
 2017年7月27日 「鹿砦社はクソですね。」
 同年8月17日  「しかし鹿砦社ってほんまクソやなあって改めて思った。」
 同年8月23日  「鹿砦社の件で、まあ大丈夫かなあと思ったけどなんか傷ついてたのかな。土曜日から目が痛くて、イベントの最中からここに嫌がらせが来たらと思ったら瞬きが出来なくなった。」
 同日 「鹿砦社の人は何が面白いのか、お金目当てなのか、ネタなのかわかんないけど。ほんまに嫌がらせやめて下さい。(中略)私が死んだらいいのかな。死にたくないし死なないけど。」
 同日 「クソ鹿砦社の対立を煽る芸風には乗りたくないなあ。あんなクソに、(以下略)」
 同日 「鹿砦社からの嫌がらせのおかげで、講演会などの告知もSNSで出来なくなった。講演会をした時も、問い合わせや妨害が来ると聞いた。普通に威力業務妨害だし。」
 同月24日 「この1週間で4キロ痩せた!鹿砦社の嫌がらせで、しんどくて食べても食べても吐いてたら、ダイエットになるみたい。」

 李信恵氏の発言に頻繁に見られる「クソ」という言葉が、対象を侮蔑する際に用いられることの多い、公的な場面では用いられることのない、品性を欠く表現であることは一般常識です。原告は「クソ」という言葉を「論評」などと評価しているようですが、「クソ」だけを用いた「論評」など目にしたことがありません。「差別」に反対し「人権」を守ると公言し、多数の人たちの支援を受けている人間が使うべき言葉ではなく、品性に欠けることはもちろん、当社に対する強い悪意を持ってなされたものであることが明瞭です。
 しかも、2018年9月1日現在で1万3,818ものフォロワー数を持ち(ちなみに当社の「デジタル鹿砦社通信」ツイッター版は3分の1の3,412にすぎません)、マスメディアによって「反差別」運動における一定の社会的評価を得ている李信恵氏がかかる表現を用いたということ自体、影響力は大きく、当社に対する刑事、民事上の各名誉毀損行為に該当すると言わざるを得ません。
 私や当社、あるいは当社関係者が、李信恵氏に対して「嫌がらせ」や「(威力業務)妨害」など行なった事実などありませんし、また当社やこの関係者の「嫌がらせのおかげ」で「講演会などの告知もSNSで出来なくなった。」とか「しんどくて食べても食べても吐いてたら、ダイエットになる」とか「イベントの最中からここに嫌がらせが来たらと思ったら瞬きが出来なくなった。」などの発言は、いずれも李信恵氏の一方的な言い掛かりであり、根拠のない牽強付会なものです。当社に対する名誉毀損の程度は、マスメディアで持て囃される「差別と闘う旗手」によってもたらされた「お墨付き」の言葉として大きな影響力を持って拡散されました。甚だしく遺憾です。

◆6 原告李信恵氏はリンチ事件の中心人物として適正に刑事・民事責任を問われるべきです

 考えてもみましょう、真に差別に反対し人権を守るという崇高な目的をなさんとするならば、まずは脚下照顧、率先垂範でみずからが犯した過ちを真摯に反省し、集団リンチ被害者のM君に心から謝罪することから始めるべきではないでしょうか。人間として当然です。それなしには、いくら「反差別」だとか「人権を守る」とか公言しても空語、空虚ですし、「反差別」を錦の御旗にすれば何をやっても許されると考えている節もあり遺憾です。
 特に加害者のリーダー的存在の原告李信恵氏は、在特会らネット右翼に対する2件の差別事件訴訟の原告となり勝訴しマスメディアによって大々的に報道もされていますが、裏ではこのような集団リンチ事件に関わっているのです。在特会らネット右翼の差別行為を批判する前に、まずはみずからを律すべきではないでしょうか。
 これだけの厳然たる事実が明らかになりながら、リンチ直後に出した「謝罪文」を覆し、未だに開き直っていることは驚きです。加害者で中心的首謀的立場の原告李信恵氏がまずなすべきことは、血の通った人間として被害者M君への真摯な謝罪ではないでしょうか。このためにも、李信恵氏の「不起訴」と、被害者M君が李信恵氏ら加害者5人を御庁に提訴し李信恵氏に責任を課さなかった民事訴訟判決(御庁第3民事部平成29年(ワ)第6564号)は、一般人の感覚、世間の常識からは著しく乖離しています。刑事責任も民事責任も当然あるというのが一般人の感覚、世間の常識でしょう。M君は民事、刑事ともに判決・決定を不服として現在、民事については大阪高等裁判所(第12民事部平成30年(ネ)1029号)に控訴し判決を待ち、また刑事については、大阪第四検察審査会に不起訴不当の申立てを行い審理の結果を待っているところです。(つづく)

【画像説明】①ありもしないことを、さもあったかのようにツイート(by 李信恵氏)。どこの喫茶店か言ってみろ!

【画像説明】②あたかも鹿砦社関係者が李信恵氏の講演を妨害したかのように裁判所にイメージづけるために出したと思われる「証拠資料」。意味不明! 念のために調べたところ鹿砦社関係者で、この講演を妨害した者はいませんでした(当たり前だ!)。悪質極まりない作為! 李信恵氏に限らず、平気でありもしないことを、さもあったかのように言う人たちのようです。

【画像説明】③同上

◎私たちはなぜ、「カウンター大学院生リンチ事件」(俗にいう「しばき隊リンチ事件」)に関わるのか? 鹿砦社代表・松岡利康

〈1〉2018年9月20日掲載 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=27578
〈2〉2018年9月21日掲載 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=27596

M君リンチ事件の真相究明と被害者救済にご支援を!!

Amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B07CXC368T/
鹿砦社 http://www.rokusaisha.com/kikan.php?bookid=000541

「カウンター」(あるいは「しばき隊」)中心メンバー5人による大学院生M君リンチ事件に対して、被害者M君が、その加害者5人を訴えた民事訴訟の控訴審の判決が10月19日に迫ってきました。結果はどうあれ、これが終われば、いろんな意味でひとつの区切りとなります。

また、リンチ加害者のひとり李信恵氏の「鹿砦社クソ」発言に対し名誉毀損で訴えた民事訴訟も、おそらく次回期日で結審を迎えるものと思われます。さらに、この反訴として起こされながら独立した別件訴訟となった民事訴訟は、これから本番に入ります。

私たちが、この事件を知りM君と出会ってから、義憤に感じかかわり始めてから2年半余りが経ちました。このかんに5冊の本を編纂し世に送り出しました。われながらよくやったと思います。

ここで、私(たち)がM君リンチ事件に関わってきた〈原点〉のようなものを整理したいと思っていたところ、「陳述書」を提出する機会を得たのでまとめてみました。ぜひご一読いただきたいと思います。

なお、ここでは原告・李信恵氏、被告・鹿砦社です。また、「M君」は原文では本名を表記しています。

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◆ はじめに

 私は長年、兵庫県西宮市において「株式会社鹿砦社(ろくさいしゃ。以下当社と表記します)」という出版社を営んで来ている者です。創業は1969年(昭和44年)、1972年(昭和47年)に株式会社化し、1988年(昭和63年)に私が代表取締役に就任し現在に至っております。当社は現在、定期発行雑誌3点(月刊2点、季刊1点)はじめ毎年100点近い新刊雑誌・書籍を発行し、年間売上は直近の決算で約3億4千万円、業界では中堅の位置にあります。東京に支社があります。
 私は1951年(昭和26年)生まれ、今年で67歳になります。本来なら現役を退いてもいい歳ですが、本件集団リンチ問題を知り、この2年半ほど、この問題の真相究明と被害者救済・支援に関わっています。

◆1 当社の出版物や「デジタル鹿砦社通信」の記事はすべて事実であり、真に「名誉を毀損」され「精神的苦痛」を与えられたのはリンチ被害者のM君であり、原告の主張は失当です

 本件訴訟は、「カウンター」と称される「反差別」運動の、原告李信恵氏ら主要メンバーによる、その一員だった大学院生・M君への集団リンチ事件について、当社が出版した書籍と、当社のホームページ上に掲載している「デジタル鹿砦社通信」の記事に対して、これら書籍の販売差し止めと記事の削除、そしてこれらによって原告の「名誉を毀損」され「精神的苦痛」を与えたから賠償せよ、というものです。
 原告が挙げている箇所を、あらためていちいちチェックしましたが、記事化されているものはすべて事実ですし、私は真実であると確信いたしました。もともとこれらの書籍や「デジタル鹿砦社通信」において記述する際には、事実関係には入念にチェックしており、万が一誤りなどがあった場合、指摘してもらえれば、いつでも訂正することは常々申し述べているところです。原告側からきちんとした具体的な誤りの指摘など、これまでありません。
 また、当社の出版物や「デジタル鹿砦社通信」の記述が原告の「名誉を毀損」し「精神的苦痛」を与えたという主張は、なにをかいわんやです。リンチの被害者のM君は、一方的に殴られ続けましたが、この暴力こそM君の「名誉を毀損」する最たるもので、この肉体的苦痛はもちろん「精神的苦痛」を原告はいかに思っているのでしょうか。さらに被害者M君は事件後も、原告、及び彼女の仲間らからネットリンチ、セカンドリンチを加えられることによってさらに「名誉を毀損」され、リンチの後遺症と悪夢に苦しみ、この「精神的苦痛」は、原告が与えられたとする「精神的苦痛」を遙かに上回るものです。
 そして、当社が主にマスコミ出版関係者、ジャーナリスト、当社支援者、そしてリンチ事件とこの隠蔽に陰に陽に関係した人たちに献本送付したことに原告は「強い精神的苦痛を受けた」としていますが、当社では、本件に限らず月刊誌や書籍を発行するごとに、各方面にそれ相当の献本送付を行い、意見や批評、批判などを求めています。それが対象となった人に都合の良い記事もあるでしょうし逆もあるでしょう。献本送付は本件に限ったことではありません。献本行為を批判するのは、憲法21条で保障されている「表現の自由」を不当に制限する主張でしかありえません。当社に限らず出版社にとって、献本はごく当たり前であることをライターである原告がしらないはずはないでしょう。
よって、原告の主張は失当です。

◆2 私が本件リンチ事件を知った経緯と、被害者M君を支援する理由

 ここで、被告とされた当社、及びこの代表である私が、この問題、つまり本件リンチ事件を知った経緯、被害者M君を支援する理由などを申し述べたいと思います。
 一昨年(2016年)2月28日、偶然に時折当社主催の講演会などに参加していた知人からK大学大学院博士課程に学ぶM君が、本件原告李信恵氏ら「反差別」を謳う「カウンター」、あるいは「しばき隊」と称するメンバー5人から受けた集団リンチ事件のことを知り大変驚きました。特にリンチ直後の被害者の顔写真とリンチの最中の録音データには声も出ませんでした。今回審理される裁判官含め血の通った人間の感覚を持つ者であればみな、そうではないでしょうか。
 そのあまりにも酷い内容からM君への同情と本件リンチ事件への義憤により爾来M君への支援を行なっています。リンチ事件が起きた2014年師走から1年2カ月余り経っていましたが、それまでこのリンチ事件のことを知りませんでした。なぜか一般に報道されなかったからです。いわば“マスコミ・タブー”になっているようです。
 そうしたことから、半殺し(M君がラグビーをやっていて頑強な体格でなければ、おそらく死んでいたでしょう)と言っても過言ではない被害を受けたM君への同情とリンチへの義憤により、被害者M君の正当な救済を求めると共に、リンチ事件の真相究明を開始することにいたしました。
 まずは被害者M君への聴取と、彼が持ってきた主だった資料の解析です。何よりも驚いたのは、前記したリンチ事件直後の酷い顔写真と、リンチの最中の録音です。暴力団でもあるまいし、今の社会にまだこういう野蛮なことがあるのか──M君の話と資料には信憑性を感じ嘘はないと思いました。私は、この若い大学院生が必死に訴えることを信じることにしました。僭越ながら私も、それなりの年月を生き、また出版の世界でやって来て、何が真実か嘘かの区別ぐらい経験的動物的な勘で判ります。
 私の生業は出版業ですので、その内容が公共性、公益性があるものと判断、世に問うことにし、取材に取材を重ね、その具体的成果として、これまで5冊の出版物にまとめ刊行し世に送り出しました。
 これまでどれも発行直後から大きな反響を呼び、「こんな酷いリンチ事件があったのか」「言葉に出ない」等々の声が寄せられています。私もリンチ事件を知った直後に感じたことで当然です。
 私は、私の呼びかけに共感してくれた人たちと、被害者M君が、本件原告李信恵氏ら加害者5人によって受けたリンチ事件の内容と経緯を私たちなりに一所懸命に調査・取材し編集いたしました。加害者の周辺にも少なからず取材を試みましたが、なぜかほとんどの方が全くと言っていいほど答えてくれませんでした。そうした困難な取材の中でも、心ある多くの方々が情報提供などに協力してくださいました。
 これまで刊行した5冊の本(本件で問題とされているのは、そのうちの4冊。5冊目は本件提訴の後に発行なので訴外)で事実関係の概要は明らかにし得たと、私たちは自信を持っています。
 取材を開始して間もない第1弾書籍『ヘイトと暴力の連鎖』の頃はまだ事情に精通していないところもあり不十分だったかもしれませんが、第2弾、3弾と出す内に内容の密度も濃くなっていったと思います。特に第4弾、第5弾は外部(加害者周辺の人たちも含め)から高い評価を受けています。しかし、加害者やこの周辺の人たちからは、反論本の1冊もなく、具体的な反論どころかネット上で、ただ「デマ本」「クソ記事」といった悪罵が投げられるのみです。
 原告李信恵氏と本件代理人の一人上瀧浩子弁護士は最近、共著で『黙らない女たち』という書籍を出版されましたが、リンチ事件についての謝罪や反省、あるいは上記5冊の本への言及や反論はありませんでした。「黙らない」でリンチに謝罪や反省の言葉を、また私たちの本への言及や反論を行なってください。
 加害者らがあれこれ三百代言を弄し弁明しようとも、この5冊の本で示した内容を越えるものでない以上、社会的に説得力はないと思います。

◆3 M君への集団リンチ事件について私が思うこと

 ところで、事件当日(正確には前日から)リンチに至るまでに、李信恵氏本人自ら供述しているように、あろうことか、キャバクラをはじめとして5軒の飲食店を回り、日本酒に換算して1升ほどの酒を飲み酩酊状態だったということです。全く理解できません。原告李信恵氏本人が言うのですから間違いないでしょう。
 事件の詳細は5冊の本に譲るとして、私が特に申し述べたい概要を記載してみます。──
①これは集団リンチですから、関わった全員に連帯責任があることは言うまでもありません。李信恵氏だけが免れえることはありえません。
②その中でも中心的首謀的立場の李信恵氏の責任は他の誰よりも重いでしょう。首謀者は、他の4人の誰でもなく、あくまでも李信恵氏の他に考えられません。
③M君が李信恵氏らが待つワインバーに到着するや否や、李信恵氏は「なんやねん、お前! おら」と胸倉を摑み一発殴り、のち約1時間に及ぶリンチの口火を切りました。
④主に「エル金」こと金良平氏による連続的暴行を傍目に悠然とワインを飲んでいた神経が理解できません。
⑤リンチの途中で、これは有名になっていますが、「まぁ、殺されるんやったら店の中入ったらいいんちゃう?」と言い放っています。普通だったらリンチを止め介抱するのではないでしょうか。酩酊してまともな感覚が失せていたのかもしれませんが、一方的に殴り続けられているM君が死ぬことも想定していての言葉としか思えません。
⑥約1時間に及ぶリンチののち、師走の寒空の下に重傷を負ったM君を放置し立ち去っていますが、人間としての良心の欠片も見えません。

 こうしたことだけを見ても李信恵氏の刑事、民事上の責任は免れません。
 また、これだけの凄惨な集団リンチの現場に居合わせ関与していながら、李信恵氏は刑事、民事共に罪も責任も課せられてはいません。本件集団リンチ事件の中心にあったのが李信恵氏だと思慮されることを想起するに不可解と言う他ありません。かつて日本中を震撼させた、いわゆる「連合赤軍リンチ事件」において首謀者永田洋子は、みずから手を下さずに輩下に殴らせ多数の死者を出し死刑判決を受けています。事件の規模は違いますが、リンチの現場の空気を支配し、誰が見ても中心人物、主犯と見なされる李信恵氏が、なんらの罪や責任を問われないのは到底理解できるものではありません。実際に殴られ血を流した被害者M君は尚更でしょう。
 裁判所におかれましても、私たちがみずから足で回り額に汗して取材してまとめた、この5冊の本に記述された事実と内容も踏まえた審理をされることを強く望み、御庁の良心を信じ妥当な判断が下されるものと信じています。(つづく)

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70年代なかばの学生運動といえば、内ゲバの要素がつよくて「うちの息子ったらもう、学生運動に熱中して、困ったものよ」などという話が極めて深刻なものとなっていた。年に十数人の死者を出す内ゲバは、学生運動の牧歌的なよそおいを彼方に追いやってしまっていた。すでにヘルメットをかぶって集団で殴り合うのではなく、サラリーマン風のスーツを着た活動家が、ひそかに隠し持った鉄パイプで対立党派の活動家の頭部を狙う。そんな殺人事件が内ゲバの実態だったのだ。※立花隆の『中核VS革マル』参照。

◆「こんどはちゃんと逃げなさい」

大学の先輩には「いまや非(合法)・非(公然)の時代だ」と、よく言われたものだ。したがって、学生運動をしているなどということを、誰も家族にも話さないのがふつうだった。「ベ平連の運動ならいいけど、全学連はダメよ」などと、70年前後にはベ平連の街頭カンパには応じていたわたしの母親も、「内ゲバが怖いから、気をつけなさい」とよく言ったものだ。

が、そのじつ、わたしが18歳で学館闘争で逮捕されたときは「こんどはちゃんと逃げなさい」などと言っていた。もともとジャーナリスト志望だった人だから、息子が東京の大学(文学部)に進んだのが、自分の夢の実現でもあったのかもしれない。そんなわけだから、わたしが開港阻止闘争で逮捕されたときも、それほど愕かなかったようだ。息子逮捕の報を聴いて東京にきてからは、北九州にはない多様な交通機関をつかっての行動が楽しかったと述懐してくれたことがある。

とはいえ、一ヶ月ほど行方不明(横堀要塞にろう城)で、世間を愕かせた開港阻止闘争で逮捕されたのだから、わが家にとっては大変なことだったと思う。国家(政府)が農民を苛めるのは怪しからんと、父親も三里塚闘争には好意的だったが、しょせんは保守思想の戦中派である。共産主義運動を理解できるはずもない。わたしが家族を三里塚に誘うようなことは、最後までなかった。それには少しばかり、左翼運動への思想的なアプローチの方法が、わたしについては素直ではなかったのかもしれない。

◆「反スターリン主義=反官僚主義」というロマン

ある有名な女優のお兄さんで、70年闘争をくぐった人がアルバイト先の先輩で、よく口にしていたのが「革命運動は、正義というわけじゃないからね」だった。早稲田解放闘争(革マル派との内ゲバ)に参加して逮捕されたとき、父親に「正義の闘いなんだろう?」と問われて、言葉に詰まった時のことを語ってくれたのだった。「革命が起きたら、そこで死ぬべきだ」とも言っていた。革命後の権力に居座ることを、潔しとしない「反スターリン主義(反官僚主義)」を標榜していたのだと思う。わたしはそれにロマンを感じた。称賛もされるべきではない、われわれの死をかけた闘い。つぎのような吉本隆明の詩を、学生時代のわたしは好んだ。

わたしたちはわたしたちの死にかけて
愛するものたちとその星を
わたしたちのもとへかえさなければならない
その時についての予感が
わたしたちの徒労をわたしたちの祈りに
至らしめようとする
(架空な未来に祈る歌)

フレーズのうつくしい響きを、そのままに味わっていただければいいと思う。解説を加えるとしたら、死をかけて徒労のような闘争を行なうわれわれ。それはほとんど、架空の祈りに近いものであろう、ということになろうか。20歳前後だから、そんなロマンチシズムも心地よく感じられたものだ。それはたぶんに精神的には不健全であって、いわゆる人民大衆の正々堂々とした運動にはもって似つかぬものに感ぜられる。あるいは戦士の思想とでもいうべきだろうか。

◆母親を三里塚の現闘小屋に招いた先輩活動家がいた

そんな雰囲気であるから家族を三里塚に誘うなどということは、わたしについては思いも浮かばなかったが、いたのである。母親を三里塚の現闘小屋に招いた先輩活動家が。それを知ったのは、わりと最近のことだ。心臓の持病で亡くなられたので、往時の仲間が集まって偲ぶ会をひらいたときに、当時の現闘の人から聞かされた。その先輩は学生会中執の副委員長、政経学部の委員長を歴任した、いわばオモテの活動家で見栄えのする好男子だった。映画「仁義なき戦い」を好み、コワモテを標榜するところはあったが、もともと地方の優等生で、お坊ちゃんタイプ。どちらかといえば、体育会系の健康な若者だった。

元現闘の方の話を紹介しておこう「彼のお母さまが、新潟から来られたわけです。そんなことは、われわれにも初めてなので、大歓迎はしましたが。この汚い部屋に泊まってもらうのもどうかなと思い、染谷の婆さんの家にご案内しました。染谷の婆さんはわれわれの庇護役でもありますから、心地よく引き受けていただきまして、さいわいでした」

早世する生がい者の妹さんを同道していたのかどうかは記憶にないが、付き合っていた彼女をそこで紹介したはずだ(遠距離交際の果てに、結婚には至らず)。今にして思えば、本当に自分たちがやっていることを信じていたならば、彼のように家族を三里塚に誘うのだろうなぁと、自分の覚悟のなさが思い起こされる。(つづく)


◎[参考動画]40年目の三里塚(成田)闘争(Kousuke Souka2012年11月2日公開)

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)

著述業・雑誌編集者。3月横堀要塞戦元被告。主著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)、『軍師・黒田官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)、『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。医療分野の著作も多く、近著は『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

7日発売!月刊紙の爆弾10月号

横山茂彦『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

◆民法典施行120年の節目と民法の泰斗、我妻栄

本年2018年は、日本の民法典が1898年(明治31年)に施行されてからちょうど120年の節目に当たる。昨年には長年の懸案であった債権法の大改正も行われ、法曹関係者にとどまらず今は民法が注目されているといえよう。

 

我妻栄=東大名誉教授(1897年4月1日-1973年10月21日)我妻栄記念館HPより

ところで、日本の民法の歴史上、避けて通れない人物の一人が、本日の主人公、我妻栄(わがつま さかえ)である。

我妻は1897年、山形県は米沢の生まれで、旧第一高等学校から東京帝国大学(現東京大学)法学部に進む。高校、大学の同級生にはかの岸信介がおり、岸と我妻は帝大の首席を争った仲であった。後に1960年に岸内閣が新日米安保条約批准を強行した際、岸内閣の退陣を促す文書を公表している。

現在の民法学説の大多数は我妻理論の延長にあるといっても過言ではなく、各種判例に与えた影響も大きい。特に我妻が一粒社より刊行した教科書「民法」(後に勁草書房より復刊)は、コンパクトにまとまりつつ非常に有用であることから「ダットサン民法」(小型だがパワフルであるという意味)と異名をとり、今なお大学の講義や司法試験の教科書として広く使われている。指導した門下にも有泉亨、川島武宜、加藤一郎、星野英一ら優れた研究者を多数輩出している。

そんな我妻の最晩年の仕事が、「原子力損害の賠償に関する法律」いわゆる「原子力賠償法」に関わる仕事であったのだ。

◆我妻栄と原子力賠償法

1955年、原子力基本法が制定され翌1956年にはこれに基づき原子力委員会が設置され、正力松太郎が初代委員長に就任する。日本の原子力開発の始まりである。「悪夢の始まり」と言い換えても良いだろう。1958年、原子力委員会は原子力災害補償専門部会を設置し、この部会長に我妻が就任する。

小柳春一郎は、我妻就任の経緯を次のように分析している。一つは、原子力委員会の委員の一人であった経済学者有沢広巳(東京大学名誉教授)の働きかけがあったことで、もう一つは、企業の無過失責任と国家補償への我妻の関心である。「資本主義、経済発展と法」は我妻の生涯の研究対象であり、このような関心もまたその延長にあったといえる。さておき、在任中の我妻の発言をいくつか拾ってみる。

「国家が責任をとる根拠論は別として,最後は必ずみなければならないのではないか。即ち被害者の泣寝入りは避けなければならない。」

「被害者に泣寝入りさせることはない。私企業に許可するということが定められた以上,そこには,国家が責任を持つということが暗々裡に認められたものと思う。最初から委員会に諮問されたならば,私企業にはやらせるべきではないという結論が出たかも知れない。現実には或る程度規定事実において私企業を保護するように聞こえるのはやむを得ない」(1959年7月、部会内での発言)

このように、我妻はもし原子力事故が起きた場合、事業者の責任を一定に限定しつつ、それを超える分については国が被害者に補償すべきであると考えていた。その考え方は1959年12月12日の原子力委員会宛(当時の委員長は中曽根康弘)への答申にも表れている。

「我妻答申」と呼ばれる同答申は、次のように述べている。

「政府が諸般事情を考慮してわが国においてこれを育成しよう とする政策を決定した以上、万全の措置を講じて損害の発生を防止するに努めるべきことはもちろんであるが、それと同時に万一事故を生じた場合には、 原子力事業者に重い責任を負わせて被害者に十分な補償をえさせて、いやしくも泣き寝入りにさせることのないようにするとともに、原子力事業者の賠償責任が事業経営の上に過当な負担となりその発展を不可能にすることのないように、適当な措置を講ずることが必要である。」としたうえで、

「第一に、原子力事業者は、その事業の経営によって生じた損害については、いわゆる責に帰すべき事由の存在しない場合にも賠償責任を負うべきである」

「第二に、原子力事業を営むにあたっては、一定金額までの供託をするかまたは責任保険契約を締結する等の損害賠償措置を具備することを条件とすべきである。」

「第三に、損害賠償措置によってカバーしえない損害を生じた場合には国家補償をなすべきである。」との答申を出した。

なお、この答申については、大蔵省(当時)が態度を「保留」したことが付記されている。

[参考資料]我妻栄「原子力二法の構想と問題点」(ジュリストNo.236=1961年10月15日)

※上記全文は有斐閣HP下記リンクを参照のこと
http://www.yuhikaku.co.jp/static_files/shinsai/jurist/J0236006.pdf

 
当時の岸内閣は、この「我妻答申」をほぼ踏襲する形で原子力賠償法案を国会に提出したが、翌年の安保闘争によって審議未了に終わり、翌1961年に原子力賠償法は成立した。結果、原子力賠償法は原子力事故の際には企業の過失の有無を問わず無限責任を負わせつつ、「ただし、その損害が異常に巨大な天災地変又は社会的動乱によって生じたものであるときは」責任を免れる(3条1項)という条項が盛り込まれた。

時は流れて現在、原発事故の被害者たちはそれこそ「泣き寝入り」を強いられようとしている。その被害回復は到底なされていないどころか、危険な放射能汚染地域に被害者を「送り返す」ことでごまかされつつある。

また、今なお福島第一原発からは放射能が漏れ出し続け、一向に収束をみる気配がない。今後の原子力行政は、現在の被害者の一刻も早い救済と、将来の原子力事故の確実な防止(そのためには原発の全廃以外の選択肢はあり得ない)を目指すべきである。

これらのことを考える上で、過去の原子力行政、とりわけ関連法制成立過程の検証は必要であろう。

なお、原子力開発という大きなリスクを伴うものについて、我妻もついに答えを見出すことができなかったようで、原子力賠償法に関連する資料を自ら整理し、後進に託して遺していたという。

◎参考文献 小柳春一郎『原子力賠償制度の成立と展開』(2015年、日本評論社刊)
https://www.nippyo.co.jp/shop/book/6917.html

▼丸尾晴彦(まるお・はるひこ)

多くの人たちと共に〈原発なき社会〉を求めて『NO NUKES voice』Vol.17 被曝・復興・事故収束 ── 安倍五輪政権と〈福島〉の真実

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『NO NUKES voice』vol.17
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被曝・復興・事故収束
安倍五輪政権と〈福島〉の真実

[グラビア]サン・チャイルド/浪江町長選「希望の牧場」吉沢正巳さん抗いの軌跡
(写真=鈴木博喜さん)

[特別寄稿]吉原 毅さん(原発ゼロ・自然エネルギー推進連盟=原自連 会長)
広瀬さん、それは誤解です!

[特別寄稿]木村 結さん(原発ゼロ・自然エネルギー推進連盟=原自連 事務局次長)
原自連は原発ゼロのために闘います

[追悼]編集部 志の人・納谷正基さんを悼む 

[報告]高野 孟さん(インサイダー編集長/ザ・ジャーナル主幹)
安倍政権はいつ終わるのか? なぜ終わらないのか?

[講演]蓮池 透さん(元東京電力社員/元北朝鮮による拉致被害者「家族会」事務局長)
東京電力は原発を運転する資格も余力もない

[講演]菊地洋一さん(元GE技術者)
伝説の原発プラント技術者が語る「私が原発に反対する理由」

[報告]本間 龍さん(著述家)
原発プロパガンダとはなにか〈14〉
東京五輪は二一世紀のインパール作戦である〈2〉

[講演]井戸川克隆さん(元双葉町町長)
西日本の首長は福島から何を学んだか

[報告]鈴木博喜さん(ジャーナリスト/『民の声新聞』発行人)
希望の牧場・希望の政治 吉沢正巳さんが浪江町長選で問うたこと

[報告]佐藤幸子さん(福島診療所建設委員会代表)
広島・長崎で考えた〈福島のいのち〉

[報告]伊達信夫さん(原発事故広域避難者団体役員)
《徹底検証》「東電原発事故避難」これまでと現在〈1〉その始まり

[書評]黒田節子さん(原発いらない福島の女たち)
『原発被ばく労災 拡がる健康被害と労災補償』

[報告]山崎久隆さん(たんぽぽ舎副代表)
首都圏でチェルノブイリ型事故が起きかねない 東海第二原発再稼働が危険な理由

[報告]三上 治さん(「経産省前テントひろば」スタッフ)   
セミの命も短くて……

[報告]山田悦子さん(甲山事件冤罪被害者)
山田悦子が語る世界〈1〉赤ちゃんの未来は、人間の未来──国家無答貴とフクシマ

[報告]横山茂彦さん(著述業・雑誌編集者)
われわれは三年前に3・11原発事故を「警告」していた!
環境保全をうったえる自転車ツーリング【東京―札幌間】波瀾万丈の顛末

[報告]板坂 剛さん(作家・舞踊家)
『不・正論』9月号を糺す!

[報告]佐藤雅彦さん(翻訳家)
政府がそんなに強行したけりゃ 
民族自滅の祭典・2020東京国際ウランピックをゼネストで歓迎しようぜ!

[報告]再稼働阻止全国ネットワーク
首都圏の原発=東海第二原発の再稼働を止めよう

《首都圏》柳田 真さん(たんぽぽ舎、再稼働阻止全国ネットワーク)
原発事故 次も日本(福島のお寺の張り紙)
二度目の原発大惨事を防ぐ・東海第二を止めるチャンス

《福島》春木正美さん(原発いらない福島の女たち)
モニタリングポスト撤去について・第二弾

《原電》久保清隆さん(再稼働阻止全国ネットワーク)
日本原電は、社会的倫理の欠落した最低の会社だ!

《規制委》木村雅英さん(再稼働阻止全国ネットワーク)
核分裂「湯沸し装置」をやめよう
~とうとう東海第二設置許可を認可する規制委、第五次「エネ計」で原発推進する経産省~

《地方自治》けしば誠一さん(反原発自治体議員・市民連盟事務局次長、杉並区議会議員)
全国自治体議員・市民の連携で安倍政権の原発推進に歯止めを!

《福井》木原壯林さん(「原発うごかすな!実行委員会@関西・福井」)
原発の現状と将来に関わる公開質問状を 高浜町長、おおい町長、美浜町長に提出

《島根》芦原康江さん(さよなら島根原発ネットワーク)
島根原発3号機の適合性審査申請に対する了解回答は撤回すべきだ!

《伊方》秦 左子さん(伊方から原発をなくす会)
二〇一八年九月原発のない未来へ 伊方原発再稼働反対全国集会

《玄海》吉田恵子さん(原発と放射能を考える唐津会)
原発は止め、放射性廃棄物は人から離し測定して監視し地下に埋めても修復できる体制を

《読書案内》天野惠一さん(再稼働阻止全国ネットワーク)
『言論の飛礫(つぶて)─不屈のコラム』(鎌田慧・同時代社)

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森奈津子さんのツイッターより

◆レインボーフラッグ上下問題と野間氏の印象操作

── ところで先ほど野間氏のツイッターを見たらレインボーフラッグの上下は問題がない、と印象操作をしているように見受けられるのですが。

森  そう思うのであれば、まともなひとたちと区別するために、これからもずっと紫を上にしてほしいですね。紫を上にするのは反同性愛のグループが用いる手段、もしくはトランプ大統領支持者であるオルタナ右翼LGBTの掲げ方だと、色々な人が指摘しているのに、自己正当化のために「紫が上で大丈夫だ」と繰り返す。日本のLGBTの運動家に恥をかかせるつもりなのか?たしかに、レインボーフラッグが成立した頃には、旗の上下はどちらもOKという感じだった時期もあると思います。

── まず旗が出来たのですよね。それにはっきり意味付けされたのは少し後ではないかと記憶します。

森  そうですね。今では赤が上ですし、自然の虹も赤が上ですよね。運動の現場ではそのような認識が形成されています。

── 80年代半ばにサンフランシスコを訪れたことがあります。一角にレインボーフラッグをアパートから多数掲げている地域がありました。その時点で全て旗は赤が上でした。

森  そうですか。そのように共通認識を持っているのに、あとから入り込んできて間違えて、それを隠すために「紫が上でも大丈夫」だと。レインボーフラッグが生まれた頃はそうだったとしても、シンボルの意味は変わってくるものだし、あとから紫を上に掲げるのが「反同性愛」「オルタナ右翼LGBT」と意味づけられたら、紫を上にしないのが普通ですよね。そのあたり、やはり異性愛者である野間さんにとって「他人事」なんだろうと思いました。

── 異性愛者というよりも彼は、人間愛者ではありませんから。

森  実際に彼に会ったひとによると、「普通のひとだよ」と…。

◆LGBとTの間の差

── そうですね。ところでLGBTについて伺います。わたしはTの方10人ほどとお話したことがありますが、大変に深刻でした。性転換手術を希望されたり、日常生活上の苦労が並大抵ではないと実感しました。わたしにはLGBとTのあいだには差があるのではないかと感じます。LGBTと括って性的少数者と言われますが、この言葉の使われ方に問題はないでしょうか。

森  LGBTとの呼び名には当事者からも批判が出ていますLGBの人たちがT(トランスジェンダー・トランスセクシュアル)の人たちを「彼らは自分たちとは違うだろう」と発言しているのを聞いたことがあります。つまり「異性を愛するか、同性を愛するかという点で語れるものではないから彼ら(T)とは別々に闘うべきではないのか」という主張です。またトランスジェンダー・トランスセクシュアルの側からも「自分たちは病気であり性別適合手術を受ければ治る。体を変えてしまえばLGBと共闘する必要はない」というひともいれば、中には個人的な感想だと思いますが「異性愛者として暮らせるようになったのに、なんでいまさらLGBと一緒に闘わなければいけないのか」というひともいます。

他にわたしが把握しているのでは「LGBT以外のセクシュアリティーがあるのに、そのひとたちは置いてきぼりにされるのか」という議論もあります。たとえばXジェンダーという性自認が男でも女でもないひとたちや、Aセクシュアルという男性にも女性にも誰にも恋愛感情や欲望を感じないひとや、パンセクシュアルというどの性にも反応できるひとたち、またペドフィリア(ロリコン)の人たちは置いてきぼりにされるのかと。特に誤解されやすいペドフィリア自体は別に犯罪を犯したわけでもなく、予備軍でもないのに、彼らの人権をLGBTは無視するのか、という議論もあります。つまり「LGBTだけ保護してどうするのだ」という意見がありますね。性とはもっと多様であるものなのに、他のセクシュアリティーは置いてきぼりにするのかという。

そこから、LGBTQ、つまりLGBTとクィア(Queer)という呼称も生まれています。クィアは元々、日本語で言うと「変態」に相当する蔑称でしたが、今ではセクシュアル・マイノリティ自身が肯定的に使うという動きがあります。あるいは、このQはクエスチョニング(Questioning)を意味するという説もあります。クエスチョニングとは、「性自認や性的指向が定まっていない人」を指します。だけど、どちらにしろ、LGBTQには「LGBTとその他」というニュアンスが残りますので、私は抵抗を感じています。

なぜLGBTという呼び名が定着したかといえば、それ以前に「性的マイノリティー」とか「性的少数派」という言葉で、異性愛者以外の人たちを括ることばがあったのに「性的」という言葉をマスコミ(あるいは当事者)や研究者が忌避したからだ、「性的」なものに対する忌避から「LGBT」に言い換えたのではないかという指摘もあります。わたしはですから「LGBT」という言葉には抵抗がありますね。その言葉では救われないひとたちがいる。取りこぼされてしまうひとたちがいると考えます。

── 疑問に感じていたことを教えて頂きました。ありがとうございます。森さんも「LGBT」という言葉自体を完全によしとしているわけではないですね。「LGBT」を差別問題ととらえるのか、セクシュアリティーとかジェンダー(人間に顕著にあらわれる現象)という観点から考察するのか、議論をしていると事柄の多面性や重層性に突き当たるのではないかと感じます。ところが森さんを攻撃しているひとたちにはそれが感じられません。あのひとたちはトピックに本当に感心や知識があるのではなく、その時に彼らが旬と見た話題を、イナゴの集団のように食べつくそうとします。でもすべてについて底が浅いので、その分野の専門家にかかると、ことごとく論破されます。

森  そうですよね(笑)

── また続きをよろしくお願いいたします。(つづく)

◎森奈津子さんのツイッター https://twitter.com/MORI_Natsuko/

◎今まさに!「しばき隊」から集中攻撃を受けている作家、森奈津子さんインタビュー(全6回)

〈1〉2018年8月29日公開 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=27255
〈2〉2018年9月5日公開  http://www.rokusaisha.com/wp/?p=27341
〈3〉2018年9月17日公開 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=27573
〈4〉2018年10月24日公開 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=28034
〈5〉2018年10月30日公開 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=28042
〈6〉2018年11月8日公開 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=28069

(鹿砦社特別取材班)

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民江さん89歳の食生活にまつわるエピソードです。

民江さんは、どちらかと言えば料理が得意だったと思います。最近のお母さん(お父さん)は、動物やアニメのキャラクターを細かく形どったお弁当を作るようですが、昔の民江さんもアルミのお弁当箱に彩りよく手作りのおかずを詰め込んでくれていました。

サラダ菜やキュウリ、ニンジン、ハム、チーズなどを花束の様に食パンで巻いたサンドイッチは、私のお気に入りでした。ガスオーブンからバターたっぷりのマドレーヌが焼きあがる時の香りは忘れられません。当時は外食など滅多にしませんし、レトルト食品や冷凍食品なんてほとんどありませんので、手間と時間をかけて毎日美味しい手料理を作ってくれていました。

◆一人でランチを食べ歩く

そんな頃から半世紀が過ぎ、幸いにも胃腸や歯に何一つ問題のない民江さんは、毎日美味しいランチを一人で食べ歩くようになりました。80歳を過ぎて一人暮らしなのですから無理もないことと思います。お気に入りの店がいくつかあり、時々一緒に行きます。私が「今日は車なんだから、いつも行けないお店にしたほうがいいんじゃない?」と言っても、自分の行きつけの店に私を連れて行きたがりました。

席に着くと「いらっしゃいませ。いつものでよろしいですか。」店員さんの言葉に笑顔で頷きながら民江さんは「娘です」と私を紹介し、「いつも母がお世話になっております」と私は頭を下げます。なぜだか一層背筋を伸ばして微笑む民江さん。「私は一人ぼっちの老人じゃないんですよ。」という心の声が聞こえてきました。

◆「私はこれが一番好き」

民江さんの言動に異変を感じ始めたのは二年ほど前ですが、このようなお気に入りの店ができ、その頻度がだんだん高くなり、いくらなんでも通い過ぎだと思うようになったのもその一つです。一週間に三回同じステーキを食べる。ある時は「私はこれが一番好き」と言ってカキフライ定食が続く。サンドイッチ屋さんのスタンプカードがあっという間に一杯になる。

昨年の春、88歳の誕生日の事です。久し振りに二人の娘家族全員9人が集まり、ホテルのステーキハウスで米寿のお祝いをしました。和食ではなくお肉にしたのも本人の希望です。家まで送り、「じゃあ、夕食はどうする? お寿司でも買ってこようか」と尋ねました。ところがいつものサンドイッチを食べると言うのです。民江さんの意向に従い、私は隣の駅のサンドイッチ屋さんに行きました。

本人にサンドイッチの種類を聞いても「いつもの」と言うだけなので、店員さんへ「あのぅ、たぶん毎日のように88歳の母がいただいているサンドイッチを、今日はお持ち帰りでお願いしたいのですが……」と言ってみました。すると若い店員さんは笑顔で「はい、では卵と野菜とロースハムのサンドイッチだと思います。」と。さらに88歳の誕生日だということを説明すると、小さなメッセージカードを添えてくださいました。私は民江さんがこの店に通い詰める理由は、何よりもお店の雰囲気が心地よいのだと感じました。

◆「毎日おでん」「毎日アイスクリーム」

そんな食生活が数年続いていましたが、さらに驚くことになったのは一昨年の秋ごろです。昼食は相変わらずお気に入り店へ通っているのですが、夕食は近くのコンビニへ行くようになりました。そこで買うのは『おでん』です。コンビニのおでんはお出汁が染みて美味しいらしいですし、栄養的にも問題ないと思いますが、その頻度が問題です。毎日です。コンビニには他にも美味しそうなお総菜がたくさんあるにもかかわらず何か月も毎日『おでん』とサトウのご飯です。

以前から家計簿をつける習慣がありましたので、毎日電話で聞いてみると、毎日千円程度の『おでん』を食べています。でも私が夕食を作って届けてあげられるわけではないので、夏になったらどうなるんだろうと思いながら、そのまま様子を見ていました。

暑い季節になりました。すると今度はアイスクリームを買ってくるようになったのです。その頃は、前日どころかついさっきの記憶も曖昧になり、電話での普通のやりとりではなかなか実態が把握できないようになっていたので、私は少々罪悪感を持ちながらも細かく聞き取りを始めました。

「今、冷凍庫に何本入ってるのか見てきて」「昨日の家計簿にいくら買ったと書いてあるの?」「冷凍庫に入ってるアイスは何?」それを続けてわかったことは、ガリガリ君などのアイスバーやカップのアイスクリームを毎日10個以上食べているということでした。いくら暑いとは言え、一日に10個以上の『アイス』を食べているのです。夜中に目を覚ましても食べているのです。家での食事は朝食のパンと『アイス』だけで、前日に買ったアイスが翌朝にはなくなり、また買いに行っているのです。

私の不安は『おでん』より膨らみましたが、止めさせることはできません。自分の足で買いに行きますし、「私のお金で買っているのに、何がいけない!」と怒鳴るのですから。お腹を壊すことも体重が変わることもなく、こうして夏は終わりました。

◆今年のこの猛暑でもアイスは一度も食べていない

この頃ちょうど昨年の夏から、デイサービスに通っています。異変を感じてから半年後に初めて認知症専門外来に行き、要介護度1の認定を受け、そろそろデイサービスに行った方がいいのではないかと思っていたら、突然本人が行きたいと言い出したのです。

地域の老人会も拒否していた民江さんなので大変驚きましたが、本人の中で何かが変わり始めた証だと思います。そしてあの時コンビニに通い詰めていたことは、今では全く記憶にないようです。今年のこの猛暑でも『アイス』は一度も食べていません。冷凍庫の中には空箱が二つ入ったままです。

▼赤木 夏(あかぎ・なつ)
89歳の母を持つ地方在住の50代主婦。数年前から母親の異変に気付く

発売開始!月刊紙の爆弾10月号

最初から勝敗に意味があるわけではない。自民党総裁選のことである。誰がなろうと、という意味ではなく危険度の少ない人物が首班となるべきとはいえ、もはや圧倒的な独裁制を敷いている安倍晋三に、石破茂が太刀打ちできるものではないのは明白だろう。

しかしながら、選挙告示までの過程でその政治家が持っている本性も明らかになる。選挙とは政治家の本性がむき出しになるほど過酷であるがゆえに、その子細も報じられなければならない。

◆私物化された情報機関が石破茂と野田聖子のスキャンダル調査を行った?

じつは安倍陣営が内閣情報調査室(内調)を私物化することをつうじて、石破茂と野田聖子への身辺調査、すなわちスキャンダル調査を行なってきた形跡があるのだ。日本のアイヒマンこと北村滋情報官がほぼ毎日、首相官邸に出入りして調査報告を上げていたというのだ。7月27日には朝日新聞が「政府も党も 進む「私的機関」化」と題した記事の中で内調の実態をレポートしている。

 

2018年7月27日付朝日新聞より

「官邸で閣議などを終えた首相安倍晋三の執務室に、内閣情報官の北村滋が入った。(中略)スタッフ約400人から集約した内容を首相に報告するのが役目。北村は警察庁出身で、第1次安倍政権で首相秘書官を務めた。(中略)昨年の首相動静の登場回数が1位だったことは、安倍の信頼の厚さを物語る。北村に報告を上げる内調を米国の中央情報局になぞらえ、「日本版CIA」と呼ぶ人もいる」

ようするに、400人ものエージェントが暗躍し、石破や野田らの政敵、および野党幹部、諸政治勢力の動向を、内調トップである北村が報告しているというのだ。政治動向だけではない。衆院解散の風が駆けめぐった昨年の9月中旬、内調スタッフ20人ほどが全国に散ったと朝日新聞は報じている。安倍総理が地方で行なう選挙演説のネタを、かれら内調エージェントが探して歩いたというものだ。これはもはや情報機関の私物化ではないか。

 

2018年8月2日付ニュースサイト「リテラ」より

2014年に小渕優子衆院議員(後援会の明治座観光)や松島みどり衆院議員(ウチワ問題)など、当時の安倍政権閣僚に次々と政治資金問題が噴出した直後、民主党(当時)の枝野幸男幹事長、福山哲郎政調会長、大畠章宏前幹事長、近藤洋介衆院議員、さらには維新の党の江田憲司共同代表など、野党幹部の政治資金収支報告書記載漏れが次々と発覚し、読売新聞と産経新聞で大きく報道されたのは記憶に新しい。この時期、内調が全国の警察組織を動かして野党議員内調が全国の警察組織を動かして野党議員の金の問題を一斉に調査し、官邸に報告をあげていたことがわかっているという(ニュースサイト「リテラ」8月2日付による)

前川喜平元文科省事務次官の「出会い系バー通い」、安倍御用ジャーナリスト・山口敬之による伊藤詩織さんレイプ事件のもみ消しなども、内調の指示で行なわれたといわれている。

 

野田聖子『私は、生みたい』(2004年新潮社)

◆かつての野田聖子の存在感

今回、野田聖子に対しては金融庁の情報を漏洩した問題、および過去をほじくるように夫が元暴力団組員だったことが「週刊文春」によって報じられた。言うまでもなく、内調の動きを忖度し、かつ週刊誌独自の拡販のためにおこなわれたキャンペーンである。「週刊新潮」も後追いすることで、内調に義理を果たしたのではないか。

しかもその内容たるや、ことさらに夫の本名(韓国名)を暴露し、ネトウヨや排外主義イデオロギーに訴えるものだった。そもそも元夫は2000年以前に組織(会津小鉄会)を離れているし、安倍昭恵夫人のように政治的なファーストレディ活動をしているわけでもない。ただ単に、野田聖子がもしも総理に就任したら「ファースト・ジェントルマン」になるかもしれないという興味本位のものにすぎないのだ。

ぎゃくに明らかになったのは、野田氏の政治的なタフさではないか。たとえば『私は、生みたい』(2004年新潮社)の法律ギリギリの海外体外受精までしての出産と障がい児であるがゆえに懸命な子育てが必要だったこと、またそれに力づよく乗りこえた母親としての野田聖子。

そこにはわずかなことで政治的にうろたえてしまい、顔と言葉に感情が出てしまう安倍晋三よりも、はるかに頼りがいのある女性宰相の資質すら感じられるのだ。ところがその野田聖子も、みずからが出馬できないと諦めるや、安倍支持にまわってしまうという定見のなさを暴露した。いまからでも遅くはない、自身の政策を訴えることで存在感を示して欲しいものだ。

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)

著述業・雑誌編集者。主な著書に『軍師・黒田官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)、『真田一族のナゾ!』『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。医療分野の著作も多く、近著は『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

衝撃満載!月刊紙の爆弾10月号

「この人でなければできない」領分や仕事がある。大きな組織ではそういったことはありえない。仮に孫正義が居なくなってもソフトバンクが急にガタガタになることはないし、カルロス・ゴーンが居なくなったって日産は潰れはしない。逆に小さな組織では往々にして「この人でなければ」できない業務がある。町工場の熟練技術技術者は、長い経験によって培われるものであるし、中小企業の経営者が運転資金をどうするかには、人脈や独自の方法に負うところが大きい。

これが「話者」や「物書き」となれば、より「代理」で埋め合わせが効かなくなるのは当然である(もっとも、誰が話しても同じようなコメントしか語らない自・他称「専門家」や「学者」であればいくらでも代替人は見つかるが)。『NO NUKES voice』2号から11回に渡り〈反原発に向けた想いを 次世代に継いでいきたい〉の連載をご担当頂いていた納谷正基さん(高校生進学情報番組『ラジオ・キャンパス』パーソナリティー)が8月17日にご逝去された。

志の人・納谷正基さんを悼む(『NO NUKES voice』17号より)

『NO NUKES voice』編集長の小島卓をはじめ、編集部、そして鹿砦社代表松岡利康と『紙の爆弾』編集長の中川志大も、納谷さんの訃報には言葉がなかった。『NO NUKES voice』を発刊から通読していただいている読者の方にはわれわれが途方に暮れる理由がご理解頂けよう。納谷さんは40年にわたり高校生への進路指導を中心にラジオ番組のパーソナリティーとしても活躍されてきた方だった。ご伴侶が広島原爆の被爆2世で、若くして亡くなり、それ以降「反核」に対する納谷さんの劇熱は揺らぎのないものとなった。

本誌に寄せて頂く文章は、日ごろから高校生を相手に語り部をなさっている、納谷さんらしく、読みやすいけれども、強烈な意志と情熱と怒りに溢れていた。鹿砦社との縁が出来てから納谷さんは、鹿砦社を破格の扱いで評価していただいていた。『ラジオ・キャンパス』に松岡は一度、中川が出演させていただいた回数は数えきれない。納谷さんは「私の夢は東北6県の全高校の図書館に『紙の爆弾』をおかせることです」とまでラジオで明言して下さったほどだ。鹿砦社は「叩かれる」ことは日常だが、ここまで評価をしてくださる方は極めて少ない。

だからわれわれは落胆しているのか。違う。鹿砦社を評価していただいたから、納谷さんのご逝去に言葉がないのではない。高校生に通じる言葉を持った劇熱の反核・反原発話者を失ったことの重大さに、われわれは、呆然としているのだ。納谷さんの生きざまから紡ぎ出される言葉を、真似ることができる人間はいない。なぜなら納谷さんの人生は、誰もの人生がそうであるように、他者のそれとは違う、といったレベルではなく、比較しうる人物がいない未倒地に、恐れることなく踏み出してゆく「冒険」の連続だったからだ。そしてその「冒険」を成就させる戦略と見識眼、なによりも人間力を納谷さんは持っていた。

優しく怖い人だった。『NO NUKES voice』の中から納谷さんの連載が消える。この喪失感は正直埋めがたい。

◆伊達信夫さんが徹底検証する「東電原発事故避難」

しかし、わたしたちは読者の皆さんにわたしたちが持ちうる力を総結集して、紙面を編集し、毎号途切れず、そして新しい閃きのきっかけを提供する義務を負っていると自覚する。納谷さんのご逝去とたまたま時期が重なったが、本号から新たな連載が2つスタートする。伊達信夫さんの「《徹底検証》東電原発事故避難 これまでと現在」と、山田悦子さんによる「山田悦子が語る世界」だ。

伊達さんは今号本文の中で「本稿の目的は原発事故の原因や経過を明らかにすることが中心ではない(略)。原発事故発生直後に、避難指示がどのように出されたのか確認をしながら、避難はどのように始まったのかを明らかにすることである」と連載の目的を示されている。

事故直後は原発に関する多くの書籍が書店に並んだ。時の経過とともにその数は漸減した。事故そのものは現在も進行中だ。その原因についての論考はこれまでも多くの方々から分析していただいてきたが、伊達さんの「避難」に焦点をおくレポートもまた、貴重な資料となることは間違いない。

伊達信夫さんの《徹底検証》「東電原発事故避難」これまでと現在(『NO NUKES voice』17号より)

◆山田悦子さんが語る世界──「冤罪被害者」から「法哲学研究者」へ

 

山田悦子が語る世界〈1〉赤ちゃんの未来は、人間の未来──国家無答貴とフクシマより(『NO NUKES voice』17号より)

山田悦子さんには今号の連載開始に先立ち、既に15号からご登場いただいていた。「甲山事件冤罪被害者」として山田さんは有名だが、わたしは山田さんに「冤罪被害者」との肩書ではなくご本人の許諾が得られれば、「法哲学研究者」と紹介したい(ご本人はこの申し出を辞退されている)。
「山田悦子が語る世界」では、様々な古典文献を引用しながら硬質な論考が展開される。もちろんこのような境地に至らしめた理由として、冤罪事件の被害者としての山田さんの経験が揺るぎないものであることは明らかではあるが、あえて強調すれば同様の冤罪被害を経験したからといって、山田さんのように誰もが思弁を深めるものではない。反・脱原発には多様な視点があっていいだろう。

亡くなった納谷さんの後継者はいない。後継者ではなく、まったく異なる経験と、視点から伊達さんと山田さんが加わってくださり、『NO NUKES voice』は今号も全力で編纂した。読者の皆さんからのご意見、ご指導を期待する。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

多くの人たちと共に〈原発なき社会〉を求めて『NO NUKES voice』Vol.17 被曝・復興・事故収束 ── 安倍五輪政権と〈福島〉の真実

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『NO NUKES voice』vol.17
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被曝・復興・事故収束
安倍五輪政権と〈福島〉の真実

[グラビア]サン・チャイルド/浪江町長選「希望の牧場」吉沢正巳さん抗いの軌跡
(写真=鈴木博喜さん)

[特別寄稿]吉原 毅さん(原発ゼロ・自然エネルギー推進連盟=原自連 会長)
広瀬さん、それは誤解です!

[特別寄稿]木村 結さん(原発ゼロ・自然エネルギー推進連盟=原自連 事務局次長)
原自連は原発ゼロのために闘います

[追悼]編集部 志の人・納谷正基さんを悼む 

[報告]高野 孟さん(インサイダー編集長/ザ・ジャーナル主幹)
安倍政権はいつ終わるのか? なぜ終わらないのか?

[講演]蓮池 透さん(元東京電力社員/元北朝鮮による拉致被害者「家族会」事務局長)
東京電力は原発を運転する資格も余力もない

[講演]菊地洋一さん(元GE技術者)
伝説の原発プラント技術者が語る「私が原発に反対する理由」

[報告]本間 龍さん(著述家)
原発プロパガンダとはなにか〈14〉
東京五輪は二一世紀のインパール作戦である〈2〉

[講演]井戸川克隆さん(元双葉町町長)
西日本の首長は福島から何を学んだか

[報告]鈴木博喜さん(ジャーナリスト/『民の声新聞』発行人)
希望の牧場・希望の政治 吉沢正巳さんが浪江町長選で問うたこと

[報告]佐藤幸子さん(福島診療所建設委員会代表)
広島・長崎で考えた〈福島のいのち〉

[報告]伊達信夫さん(原発事故広域避難者団体役員)
《徹底検証》「東電原発事故避難」これまでと現在〈1〉その始まり

[書評]黒田節子さん(原発いらない福島の女たち)
『原発被ばく労災 拡がる健康被害と労災補償』

[報告]山崎久隆さん(たんぽぽ舎副代表)
首都圏でチェルノブイリ型事故が起きかねない 東海第二原発再稼働が危険な理由

[報告]三上 治さん(「経産省前テントひろば」スタッフ)   
セミの命も短くて……

[報告]山田悦子さん(甲山事件冤罪被害者)
山田悦子が語る世界〈1〉赤ちゃんの未来は、人間の未来──国家無答貴とフクシマ

[報告]横山茂彦さん(著述業・雑誌編集者)
われわれは三年前に3・11原発事故を「警告」していた!
環境保全をうったえる自転車ツーリング【東京―札幌間】波瀾万丈の顛末

[報告]板坂 剛さん(作家・舞踊家)
『不・正論』9月号を糺す!

[報告]佐藤雅彦さん(翻訳家)
政府がそんなに強行したけりゃ 
民族自滅の祭典・2020東京国際ウランピックをゼネストで歓迎しようぜ!

[報告]再稼働阻止全国ネットワーク
首都圏の原発=東海第二原発の再稼働を止めよう

《首都圏》柳田 真さん(たんぽぽ舎、再稼働阻止全国ネットワーク)
原発事故 次も日本(福島のお寺の張り紙)
二度目の原発大惨事を防ぐ・東海第二を止めるチャンス

《福島》春木正美さん(原発いらない福島の女たち)
モニタリングポスト撤去について・第二弾

《原電》久保清隆さん(再稼働阻止全国ネットワーク)
日本原電は、社会的倫理の欠落した最低の会社だ!

《規制委》木村雅英さん(再稼働阻止全国ネットワーク)
核分裂「湯沸し装置」をやめよう
~とうとう東海第二設置許可を認可する規制委、第五次「エネ計」で原発推進する経産省~

《地方自治》けしば誠一さん(反原発自治体議員・市民連盟事務局次長、杉並区議会議員)
全国自治体議員・市民の連携で安倍政権の原発推進に歯止めを!

《福井》木原壯林さん(「原発うごかすな!実行委員会@関西・福井」)
原発の現状と将来に関わる公開質問状を 高浜町長、おおい町長、美浜町長に提出

《島根》芦原康江さん(さよなら島根原発ネットワーク)
島根原発3号機の適合性審査申請に対する了解回答は撤回すべきだ!

《伊方》秦 左子さん(伊方から原発をなくす会)
二〇一八年九月原発のない未来へ 伊方原発再稼働反対全国集会

《玄海》吉田恵子さん(原発と放射能を考える唐津会)
原発は止め、放射性廃棄物は人から離し測定して監視し地下に埋めても修復できる体制を

《読書案内》天野惠一さん(再稼働阻止全国ネットワーク)
『言論の飛礫(つぶて)─不屈のコラム』(鎌田慧・同時代社)

『NO NUKES voice』vol.17
https://www.amazon.co.jp/dp/B07GW4GYDC/

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