8月8日沖縄県の翁長雄志知事が亡くなった。癌で入院し治療を受けていることは報道されており、先月27日に公の場所に姿を見せたときには、顔の肉もかなり落ちており病状の深刻さがうかがわれた。これほどの体調では、政府との厳しい対立や、次期知事選を闘うことが無理であろうことは明白に思われたので、「沖縄次期知事選に早急に候補者擁立を」を書こうかと思った矢先、67歳で翁長知事は逝去されてしまった。

沖縄県HPより

◆極右政党の代表選びなどより沖縄県知事選挙に注目

 

翁長知事が、台湾東部地震見舞金を贈呈(2月19日)

沖縄を除くと、知事選挙や国政選挙も「なにかが変わる」期待を抱かせてくれる機会ががぜん少ない。ましてや自民党の次期総裁選などに、わたしは全く関心がない。誰が自民党の総裁になろうが、どうせ期待できる変化など起きはしないのだから。安倍でも、石破でも関係ない。自民党内で抜き差しならない亀裂が起こり、自民党分裂か? とでもなれば少しは気がかになるかもしれないが、端からわたしと対局な人たちの集団が、代表選びで(それが不幸にも「首相」選びになってしまう)騒ごうが、揉めようがわたしにはまったく関心がわかない。

加えて自民党総裁選挙は、国民の権利たる投票権が与えられた選挙でもない。極右政党の代表選びに過ぎないのだから、あんなものを大きく報道する意味もよくわからない。「竹下派が自由投票にした」しようが、岸田が出馬しないだの、マスコミの政治部記者にとっては見押すことのできないトピックかも知れないが、この暗澹たる政治状況の中「自民党総裁選挙」どのような意味があるのかを、解説してほしいものだ。

それに対して、翁長知事逝去にともなう沖縄県知事選挙には、注目があつまろうし、わたしも度外視できない。名護市長選挙をはじめ、ここのところ、あの狭い沖縄県には中央からホットラインができたように、利益誘導の直撃弾が投下され、公明党の手の平返しにより、「ドミノ現象」が起こっている。沖縄の知事選は47分の1のできごとではなく、間違いなくマスコミがどのように伝えようがそれ以上の文脈で、国内外からの関心と影響を保持する。

◆「琉球新報」「沖縄タイムス」紙面の風向きが怪しい

 

安室奈美恵さんへの沖縄県県民栄誉賞表彰式(5月23日)

先に故翁長知事のお顔を写真で見たときに、「一刻も早く、次の候補者を擁立すべきだ」と考えたのは、もちろん翁長氏の健康状態が最大の原因であったけれども、理由はそれだけではない。近年「琉球新報」や「沖縄タイムス」の紙面には、登場する必要のない人物らが顔をだすようになり、どうも風向きが怪しいのだ。

沖縄には弁の立つ論者が少なからずおり、彼らこそが「識者談話」を寄せればよいものを、どうしたわけか、わたしからみれば、ほとんど「沖縄」の将来に寄与するとは到底思えない人物たちの登場回数が増している。具体名はあげないが、SNSを中心に本末転倒な主張を展開する、「あの一派」と言えばお分かりいただける方にはご理解いただけるであろう。たまに沖縄に足を運んで「琉球新報」や「沖縄タイムス」を読んでいると「おい、大丈夫か」とイライラすることがある。

◆現場の危機感は増すばかり

まあ、そんなことは表層的な出来事ではある。が、翁長県政を成立させ、稲嶺名護市長を当選させながら、結局のところ、沖縄は日本政府に押しまくられている。もちろん、辺野古で、高江で粘り強い闘いが諦めることなく継続され、全国からの注目や支援も途切れてはいない。けれども県政や知事、市長に基地増設反対派が当選しても、全国から機動隊を動員して、工事は止まらないし、現場の危機感は増すばかりだ。

その背後には他の地域と異なり、極めて順調な沖縄経済の成長があるのではないか、と想像する。この数年で沖縄島に、どれだけコンビニエンスストアが林立したことか。イオンモールが何件オープンしたことか。沖縄を訪れる観光客は年々増加の一途で、空港に到着してからレンタカーを借りるまでの待ち時間は、訪れるたびに長くなっている印象がある。

◆沖縄の自然は美しい。でも、30年ほど前は「もっと美しかった」

 

平成30年沖縄全戦没者追悼式(6月23日)

もちろん沖縄の人々が観光業で潤うのは、結構なことではあるが、沖縄の観光資源は、第一に「美しい自然」であろう。怒涛のように訪れる観光客はエメラルドグリーンの海に、全身日焼け止めを塗りたくって身を沈める。最南端から最北端まで1日あれば悠々移動できる、沖縄島の幹線道路の渋滞は毎日だ。

そして、何よりも気がかりなのはかつて全国1位だった沖縄の寿命が、年々そのランクを下げていることだ。1975年全国1位だった平均寿命は、その後下降の一途をたどり、2017年には35位にまで落ち込んでいる。

様々な分析があり、簡単に結論は出せないが、食生活と生活様式の変化が何らかの影響を与えていることは間違いないだろう。さらに「基地だよ、基地。復帰の時からどれだけ負担が減ったの? 増えてるじゃない。いまは全国の77%だよ」と米軍基地の負担を理由に挙げる県会議員もいる。

[資料]都道府県別にみた平均寿命の推移(PDF)
https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/life/tdfk15/dl/tdfk15-03.pdf

沖縄の自然は美しい。でも、30年ほど前には「もっと美しかった」と当時を知る人は異口同音に語る。経済成長は結構だけれども、それで人々の寿命や、自然の美しさが消えてしまったら、なんの意味があるだろうか。

沖縄を汚さないために、今後はなるべく沖縄に足を踏み込むことはやめにしよう、と昨年考えた。だが沖縄への注視をやめるわけではない。何の興味もわかない極右政党と代表選の何倍も沖縄知事選には注意を注ぐ。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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2018年7月30日付朝日新聞

政府は14ある官民ファンドを、再編成する検討に入った。この官民ファンドなるものは、アベノミクスの三つの矢のうち、リフレ(異次元の金融緩和=お札を大量に刷る)・財政出動(国債を大量に発行し、大型予算を組む=借金)・成長戦略のひとつ、つまり投資部門ということになる。

地域活性化、企業の海外展開の支援、ベンチャー企業の支援などを官民の投資で行なう「第2の財布」とも呼ばれてきた。再編成しなければならなくなったのは、無駄遣いや損益が発生しているからにほかならない。

◆運営費の増大は天下りがほとんどではないか

その実態は、こんなものだ。「産業革新機構」が1兆2,483億円の損益(ようするに赤字)、地域経済活性化支援機構が3,433億円の損益。以下、14すべてのファンドが赤字なのである。このうち第2次安倍政権発足後(2012年以降)に立ち上げたファンドが12もある。つまり安倍政権の第三の矢である「経済成長戦略」の実体がこれなのだ。

官民ファンドといえば、何か特別のプロジェクトのように考えがちだが、税金を投じた省庁の外郭団体にほかならない。血税をここにプールして地域や企業を支援しながら、しかしそのほとんどが赤字に陥っているというのだから、見過ごすことはできない。

 

株式会社農林漁業成長産業化支援機構HPより

たとえば、会計検査院から10億円の含み損を指摘された「農林漁業成長産業化支援機構」(農林水産省所管)は、食品加工や販売を手がける農家を支援する目的で2013年に設立されているが、実態はつぎのとおりだ。300億円を出資し、役職員は50人、運営経費は40億円に達している。経済効果は不明である。

通信インフラの海外進出支援の目的で設立された「海外通信・放送・郵便事業支援機構」(総務省所管)は、格安スマホの「フリーテル」を展開するプラスワン・マーケティングに13億円を融資したが、同社は昨年暮れに経営破綻した。

「海外需要開拓支援機構(クールジャパン)」(経済産業省所管)はアニメの海外配信を手がけるベンチャー企業に出資したが、3億円の損失を出している。このベンチャー企業はバンダイナムコホールディングスに売却され、海外配信を中止している。日本文化の発信という支援の目的は果たされなかったのだ。

クールジャパン機構HPより

 

クールジャパン機構HPより

◆新たな外郭団体にすぎなかった官民ファンド

これらのファンドは5年から20年の設立期間を設定し、最終的には国に資金を返すことになっている。ファンドの投資が成功すればともかく、失敗した場合に経営責任は問えるのか。会計検査院が今年4月に公表した検査結果によると、昨年3月段階で6つのファンドが投資や融資の回収が出来ない状態だという。国が出資したお金の半分も投資できていないファンドは8つもある。

ようするに、民主党政権のもとで縮小、ないしは廃止された各省庁の外郭団体・第三セクター・箱モノ行政を、成長戦略のファンドとして復活したにひとしいのだ。民間のビジネスを知らない元官僚たちによる、ずさんな運営と無駄遣い。こんなものがアベノミクスの実態なのだということを、われわれ有権者は知っておく必要がある。

あらためて外郭団体など作らずとも、自治体レベルで地域の活性化に成功している例は少なくない、とくに6次産業化(1次=農業・2次=農産物の加工・3次=流通販売)は、生産と販売を一箇所で行なう(田んぼの真ん中にレストラン)ことで、観光農業化に成功してもいる。そこには必ずキーマンがいて、推進者は農家であったり行政マンであるケースも少なくない。霞ヶ関官僚などという、まるで実業には役に立たない人々に任せるよりも、地域や業態を知っているキーマンを探すこと。そして経験に基づいた大鉈を振るうことこそ、成長戦略ではないのか。

財務省HPより

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)

著述業・雑誌編集者。主著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)、『軍師・黒田官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)、『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。医療分野の著作も多く、近著は『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

8月7日発売『紙の爆弾』9月号!「人命よりダム」が生んだ人災 西日本豪雨露呈した”売国”土建政治ほか

横山茂彦『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

岡田逮捕を報じる8月6日付けロイター電子版

同じく朝日新聞8月7日朝刊

例年にない猛暑のさなか、今夏はいろいろなことが慌しく起きます。こちらも例年にないことです。特に『真実と暴力の隠蔽』出版以降、木下ちがや氏らとの座談会での同氏の発言問題、師岡康子弁護士メール問題、金明秀関西学院教授暴行・不正問題、M君リンチ事件控訴審、鹿砦社と対李信恵氏の訴訟……詳細はこれまでの本通信で報告していますので、ここでは省きます。

そうして、ここに来て、私、および鹿砦社にとって衝撃的なニュースが飛び込んできました。

13年前の2005年7月12日早朝、パチスロ・ゲーム機大手の旧「アルゼ」(現「ユニバーサルエンターテインメント」。UE社)の創業者(元)オーナーらによる、「名誉毀損」名目の刑事告訴で、神戸地検特別刑事部が鹿砦社本社、東京支社、松岡の自宅を一斉に急襲し大掛かりな家宅捜索を行い、私を逮捕したのです。以後私は192日間もの長期勾留、そして有罪判決、さらに民事訴訟でも600万円余りの損害賠償を下されました。突然のことでもあり、鹿砦社は壊滅的打撃を蒙りました。この年の4月、『紙の爆弾』を創刊したばかりで4号を出したばかりでした。

ちなみに『紙の爆弾』は、ただ一人残り踏ん張った中川志大によって維持され現在に至っています。中川が出版界で信用があるのは、逃げずにたった一人で踏ん張ったことによっています。仮に今後、『紙の爆弾』や鹿砦社に同様の弾圧が来ても、地獄に落され地獄を見た私たちは耐えれる自信があります。

松岡逮捕を報じる朝日新聞(大阪本社版)2005年7月12日付け朝刊

それまでに、鹿砦社はアルゼについて4冊の書籍を発行し、パチンコ・パチスロ・ゲーム機業界で話題になっていました。これは、ゲーム機大手SNKとアルゼの抗争で、当時SNK本社ビルの1~2階でパソコンショップを開いていて、アルゼによるSNKビルの差し押さえで閉店を余儀なくされた、鹿砦社の大株主A氏による情報提供によるものでした。詳しくは4冊の書籍をお読みください。

鹿砦社のアルゼ告発書籍

アルゼは当時、退職して間もない警視総監が顧問に就いたり、警察天下り企業として有名で、私が逮捕された時でもキャリアが雇われ社長で証人尋問にも出廷しました。もちろん、告訴人の岡田氏や女性元幹部も出廷し、私が「蛇蝎のような執拗さで」(女性元幹部の言)アルゼや彼らの名誉を毀損したということを白々と「証言」したのです。13年前の真夏の出来事が昨日のことのように想起され、思い出すだに涙が出ます。

今回の岡田氏の逮捕の詳細はまだ判りませんが、今後、起訴され有罪判決を受けるということにでもなれば(すでに起訴されていることもありえます)、フィリピン・マニラで進行中のカジノや、米国ラスベガスで取得しているカジノ機器製造・販売のライセンスは取り消しになる可能性もあります。特に米国のライセンスは厳格です。UE社の現幹部が一番懸念するのはこのことだろうと察せられます。

これまで、私たちも取材に協力したロイター通信や朝日新聞の報道でも一部明らかになっていますが、フィリピン・マニラでのカジノ開発では政府高官らへの賄賂が取り沙汰されてきました。FBIが動いたとの報道もありました。ロイターや朝日の報道はほぼ事実だと思われますが、うまく切り抜けてきました。

カジノ設置をめぐる不正を報じる朝日新聞2012年12月30日付け朝刊

このかん、岡田氏は香港に居を移し、フィリピン・マニラでのカジノ開発に専念していたと推察されますが、日本国内では水面下で、子飼いの幹部や実の子どもらによるクーデター計画が進行し、昨年の取締役会、株主総会で、みずからが設立し育てた会社から放逐されるに至っています。

ところで、「因果応報」という諺があります。人を嵌めた者は、いつか自分にはね返り、今度は人から嵌められる――古人はよく言ったものです。

岡田氏は、私や鹿砦社だけでなく、似たようなことをたびたび行っていたといわれます。岡田氏のUE社からの放逐、そして今回の逮捕劇にも蠢いた輩がいたものと思われます。

私の「名誉毀損」逮捕劇には岡田氏以外にも、驚くべき失脚劇がありました。「松岡の呪いか、鹿砦社の祟りか」と揶揄される所以ですが、2つの事例を挙げておきます。

2005年4月、大坪弘道検事が神戸地検特別刑事部長に赴任してきます。そして、最初にやった仕事が私の逮捕でした。その後、宝塚市長逮捕、神戸市議会の大物議員の逮捕と続き、大坪検事は大阪地検特捜部長に栄転しますが、厚労省郵便不正事件おいて証拠隠滅で現職の特捜部長が逮捕され失職するという前代未聞の事件に巻き込まれます。

大坪検事逮捕を報じる朝日新聞2010年10月2日付け朝刊

また、大坪特刑部長の下で主任検事として動き私に手錠を掛けた宮本健志検事(鹿砦社の地元甲子園出身!)は、私らの逮捕事件後、徳島地検次席検事に栄転したところ、深夜に泥酔し一般市民の車を破損させ検挙され(示談成立し立件されず)、戒告・降格処分を受けます。

宮本検事不祥事を報じる徳島新聞2008年3月26日付け朝刊

やれやれ〝立派な〟人たちに翻弄されました。幸いに心あるライターさんや取引先の方々のご支援で再興することができましたが、今は笑って当時のことを語ることができるようになりました。

岡田氏、および事件の今後の推移に注目したいと思います。

8月6日付けのUE社のメッセージ

『紙の爆弾』9月号

8月6日、本通信にわたしは明日8月9日「長崎の日」に対してずいぶん冷淡な記事を書いた。わたしは8月9日長崎の手触りを知らない。空気を知らない。どんな会話が交わされたのかも知らない。1945年8月6日の広島について、8月9日の長崎と比すれば桁違いの逸話を聞かされていた、例外的少数の感想とご理解いただければ幸いだ。

であるからといって、8月9日の重要性が1ミリも揺らぐものではない。今日中心となっている「プルトニウム型原爆」が投下されたのは、長崎が歴史上はじめてであったのだから(広島に投下されたのは「ウラン型原爆」である)。さらに我田引水を読者諸氏に強要すれば、長崎もわたしにとっては無縁な街ではない。

◆造船技術者だった祖父の長崎

わたしがなぜ、いま生命体として存在できているのか。その大きな理由の一つは、わたしの祖父が造船技術者で、徴兵されることがなかったことに由来する。生前祖父は「旧制高校時代の同級生はほとんど戦死した」と語っていたので、仮に祖父が造船技術者でなければ、祖父も中国戦線(もしくは他のアジア地域)に送り出され、戦死していた可能性が高いだろう。

祖父は1945年8月6日には広島にいた。が、その前の赴任地は長崎であった。戦況と会社都合で造船所のある場所を頻繁に転勤していたそうだ。祖父逝去後、長崎に居住していた頃、家族が住んでいた場所を訪れたことがある。軽自動車も通ることができない細い急勾配の斜面に、古くからの住宅が並んでいた。25年ほど前だが斜面の細い道を上っていると、宅配便を運んでいる馬とすれ違った。

高齢ながら健脚だった祖母が、周りの景色を記憶していて、かつての居住地にたどり着くことができた。いま(25年前)でも馬が運送に使われるような細道であるから、当然わたしの親族が暮らしていたころは、人力が主たる運搬手段だったのだろう。その場所は周りの古い建物と同一ではなく、空き地になっていた。

海からさほど遠くはないが海抜は100m近くあるだろう。空き地に育った雑木の間からは長崎市内が見渡せる。おそらく戦中からの建物と思われる住宅も多数見当たったので、その場所は原爆被害を直接には受けはしなかったと思われる。

◆愛国婦人会だった祖母の「反戦思想」

生前の祖母は、軍国主義真っただ中の時代を生きたとはいえ、かなり冷めた目で時代を見ていたようだった。「愛国婦人会」のタスキをかけて集合写真に写っている祖母は、おそらくは当時一言も口にしたことはなかったろうけれども、激烈と表現してよいほどの「反戦思想」の持ち主だった。

政治思想に明るいわけではないけれども、祖母の残した日記には、戦争中の有り様を思い返し、二度と戦争を起こしてはならないことを、何度も書き綴っていた。そして日本ファシズムの元凶が天皇制にあることを指摘し、「『君が代』に変えて国歌を提唱する」とし、日本の自然風景の豊かさを詠んだ独自の「国歌」試案までが綴られている。

「男は本当に喧嘩や戦争ばかりしたがるね」

生前祖母は嘆いていた。でも2018年8月9日、「喧嘩や戦争をしたい」とは明言しないまでも、戦争に向かおうとする勢力を選挙で支持する女性も少なくなくなった。かつては選挙権すら与えられなかった女性の中から、「八紘一宇」を称揚したり(三原じゅん子参議院議員)、死刑を13名執行したりする人間(上川陽子法相)が続出している。

男女同権は、「男権」の負の遺産を女性が引き継ぐことを指向したのではなかっただろうに、祖母が生きていればなにを語るだろうか。

◆今年は国連事務総長が初めて長崎訪問へ

そして「核兵器禁止条約」にどうして、2度の原爆を投下された、日本政府は参加しなかったのか。核保有国やNATO各国が嫌がるであろうことは理解できる。けれども明確な攻撃目標として非戦闘地域に「原子爆弾投下」を2回も受けた日本政府が参加しなければ、核廃絶に向けて世界が動き出せるのか。「ああ、また日本は米国追従だ」と世界中の4000を超える言語で日本の「不可思議さ」は呆れられていることだろう。

田上富久長崎市長は例年、祈念式典でまっとうなメッセージを発している。スピーチライターが広島と長崎で少しだけ細部を変え準備した原稿を、棒読みする安倍とは違い、踏み込んだ発言が世界から注目される。今年の8月9日は国連事務総長が初めて長崎を訪問するという。形式的にしろ、歓迎すべきことであろう。

あらためて、いまを生きる若者と、後世の人類、そしてすべての生物のために、核兵器、核発電は一刻も早く全廃するように、亡き祖母とともに、微力を承知で呼びかける。


◎[参考動画]2017年8月9日の長崎平和宣言 長崎平和祈念式典(yujiurano 2017/8/9公開)


◎[参考動画]Atomic bombing of Nagasaki (BBC Studios 2007/7/24公開)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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本日発売!月刊『紙の爆弾』9月号

本日7日発売の『紙の爆弾』9月号にジャーナリストの黒藪哲哉氏が〈三宅雪子元衆議院議員の支援者“告訴”騒動にみるツイッターの社会病理〉を寄稿している。この問題はデリケートであるので、これまで何回か書こうか、書くまいか思案していたが、同記事が世に出たこともあり、私見を開陳したい。

◆多発するSNSの副作用

黒藪氏の記事では〈ツイッター〉だけに限定されているが、Facebook、インスタグラムをはじめとする各種SNS、さらには動画配信や中継機能が手軽に伝えることになり、思わぬ副作用が多発していようだ。

これらの媒体は宣伝や広告として利用すれば、商売や市民運動など、目的を持った団体らには、非常に低コストで便利な情報伝達ツールとなる。現に「デジタル鹿砦社通信」もツイッター経由でお読みいただいている読者が多数であろうし、それをリツイートしていただくことで、わたしたちの原稿を読んでいただける可能性が広がる。十分に使い切れているかどうかはともかく、本通信もツイッターに一定程度依拠して拡散を期待している。ポイントは本通信のように購読は無料であっても出版社の発信の一環として利用されようが、商品の宣伝を行おうが、あるいは、まったくの個人がなにを書こうが、利用料金は「無料」であることである。

ツイッターには利用規約があるが、これは「契約」ではないから、ツイッター社も利用者も、双務的な責任や義務を負わない。ツイッター社は好き勝手に規約を変えられるし、規約違反とみなせばアカウントを凍結したり、ブロックすることができる。その基準は一応示されてはいるけれども、実際は厳格なものではない。

◆ツイッター社は一民間企業である

わたしはツイッター利用者ではないが、本原稿を書くにあたり、過日アカウント作成の実験をしてみた。どういうわけか、日本語ではなく英語のアカウント作成画面が表示され、指示通りに必要事項を記入していったらアカウントは出来た。そこで試しに「やったね」、「さすがだね」、「ざまあみろ」と多義的にとらえられる短い英語のフレーズを書き込んだ。誰に向けてというわけではない。

翌日再度確認しようとアカウントを開こうとするも、「あなたはロボットですか?」という英語の問いが返ってくるばかりで、アカウントにログインできない。説明文章を読むとどうやら1つ書き込んだだけで「凍結」されてしまったようだ。

こういう理不尽な出来事があることは、利用者から多数耳にしていたし、前述の通りツイッター社は公的サービスを提供しているわけではなく、一民間企業に過ぎないから、公平にサービスを受けられなくても仕方がないのだろう、と実感した。

◆「ツイッター仕様」の思考という病理

最大の問題点は「無料」で、誰もが利用できるサービスなので、他者のチェックなしに、不用意な書き込みが横行する宿命を負うことである。しかもツイッターは141文字の中でなんらかを表現したり、述べたりしなければならない制限があるため、勢い論理ではなく感情が先行する書き込みが増える。あるまとまった考えなり意見を述べるのに、141文字は少なすぎる。新聞の一番小さい記事がどのくらいの文字数があるか比較されるとわかりやすいだろう。小さな事故や地震などを扱う記事や、訃報などを除いて、100文字以下の記事はそうは見当たらない。

事実を正確に(5W1Hを含め)伝えようとすると、最低数十文字を要するので、それについての意見や論評を加えようとすると、141文字では不足する。のであるが、ツイッターを利用している方は、利用頻度が高いほど141文字内での発露技術が磨かれる。技術と同時に、思考の射程距離も141文字で完結させるようにトレーニングされてしまう。もちろんほかに複雑な出来事は日常生活に溢れているのだから、ツイッターを使っているからと言って思考が短絡化するとわけではない。しかしツイッターに向かい合ったときは「ツイッター仕様」の思考へと自然に脳のスイッチが切り替わる現象が起こってはいないだろうか。

さらに重大な問題点は、過度にツイッターへ依拠し過ぎることの危険性である。課金されたいだけに、依存傾向に陥るとなかなか抜け出すことができない。黒藪氏が取り上げた三宅雪子元衆議院議員にもそのような傾向がみられるという。

たしかに数多くのひとびとがツイッターを利用し、その閲覧は公開されているものであればアカウントを持たない人でも可能であるので、手軽な発信手段ではある。しかし「この人がこんなひどいことを平気で書くのか」と見て呆れるような書き込みにぶつかることは少なくない。それが社会問題化することまであり、ツイッターが原因で民事、刑事事件にまで発展してしまう事例も他人事ではない、と黒藪氏は警鐘を鳴らしている。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

本日発売!月刊『紙の爆弾』9月号

大学関係者必読の書!田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

◆「正史」の嘘くささ

戦国大名の功罪や、古代遺跡などに、とんと興味がわかない。それだけではなく「歴史」と名付けられ、教科書にかかれて教えられると、多少はみずからに無関係ではない、と感じていた出来事にも、とたんに興味を失う。

その理由は、暗記教育を中心とした「歴史」にたいして、わたしの脳が充分に対応することができなかったことが第一であるが、次いでの理由は公教育で教えられる「歴史」がつねに、すべからく「勝者」の側からだけ描かれた「正史」に偏っていたことも原因だろう。嘘くさくて面白くないのだ。

恥ずかしい話だが、近現代から逆に中世、古代へ関心を抱いたのは、教科書には書かれていない史実、いわば「外史」(あるいは「叛史」)の断片に触れて以降であった。

また、すでに半世紀以上だらだらと生きてきた中で、わたしが「見聞きして知っている」ことがらが、「歴史」として「記憶」から「記録」へと置き換えられるような体感を近年とみに痛感する中で「歴史」に向かい合うべき、みずからとはどうあるべきなのか、という命題と逃げ道なく直面している。「おいおい、ちょとまってくれ」と強く感じる。もうわたし自身が「歴史」にされそうな息苦しさ。誇張ではない。

◆8月6日を「歴史」の教科書の中に、穏やかに鎮座させてもらっては困る

70何回目か、回数はもはやどうでもよいだろう(このあたりですでに「歴史」と向き合う命題から逃げているのかもしれない)。8月6日がやってきた。もちろんあの日の朝、広島にわたしがいたわけではない。でも、あたかもあの朝何が起こったのかを、みずからの「記憶」として語り尽くせるほどに、わたしには祖父母、叔父叔母、母親からの聞いた無数の「記憶」蓄積がある。

爆心地近く、数キロ先、やや郊外と視点は複数であり、その眼の持ち主の年齢も児童から成人までバラバラだ。むしろ、だからこそ、わたしは映像でしか知りえないはずの光景を、二次元や触感のないものとしてではなく、ホコリや、死体の姿、そこに漂う匂いやひとびとの呆然とした表情を体感したかの如く、錯覚し、思い描き語ることができるのだ。建物が壊れる音も実際に聞いたようにすら感じる。

たしかに、その一部は記録を通じてわたしが「記憶」したものとの混同もあろう。それは認めなければならない。しかしながら、わたしにとっては8月6日を「歴史」の教科書の中に、穏やかに鎮座させてもらっては困る、という意識が動かしがたいのだ。さらに偏狭な心中を告白すれば、わたしにとっては8月6日と8月9日も同一のものではない。8月6日にはいくらでも語ることができる細部があるが、8月9日については、第3者的な伝聞情報しか持ちえない(もちろん、そのことが8月9日の意味を減ずるものでは、まったくない)からだ。

◆肉感をともなった「外史」の編纂は不可能か

では、「記憶」や「体験」によってしか「歴史」、なかんずく勝者や権力者が描く「正史」に対抗する、肉感をともなった「外史」の編纂は不可能なのであろうか。「日本史」や「世界史」の教科書に収められたとたんに色あせる、あの「記憶」から「記録」への置き換えに対抗する術はないものか。時間の経過と比例する「記憶」の減衰は、いたしかたのないこと、として過去から現在、そして未来永劫甘受するしか方法はないのか。

「記憶」の「記録」、言い換えれば現象や体験の無機質化に対抗するすべは、おそらくある。それは「正史」支持者が常用する手法を凝視すれば、手掛かりが見えてくる。「歴女」などという奇妙な言葉があったではないか。「歴史好き」な女性を指す、奇妙な造語だ。彼女たちの多くは、倒幕の功労者や、戦国時代の大名を中心に興味を持っていたと報じられて「へー」と半ば、呆れた記憶がある。間違っていれば申し訳ないだが、彼女たちの多くは「樺美智子」、「2・1ゼネスト」、「大杉栄」、「琉球処分」、「シャクシャインの闘い」などに興味や関心はわかないことだろう。

8月6日がおさまりよく、「歴史」の教科書の中に封印されることを拒否するために、わたしはあの日、あの朝広島にいた者の、直系親族として8月6日広島を「記録」にしないために輪郭を残そうと思う。それを可能たらしめるのにもっとも有効であるのは、広義の芸術であろう。実証的な数値をいくら読み上げても興味のない世代には訴求しない。そのことはこれから、否すでに健康被害を受けている可能性が少なくない若年層に放射能の危険性が、ほとんどといってよいほど訴求しない現実を直視すれば理解されよう。

活字は厳しい、音楽はあいまいに過ぎる。受容可能性が最も高い伝達術は、視覚への訴求であろう。映像やアニメーションだ。日本政府は例によっての愚策、“Cool Japan”との耳にするのも恥ずかしい、的外れな外国への宣伝プロモーションに無駄なカネを使ってきた。その中には「アニメーション」も含まれている。日本のアニメーションの評価はたしかに高い。政府の援助などなくとも世界中に訴求する。ドキュメンタリーでもいい。「記憶」を封印させないために8月6日を正面に据えた、ドキュメンタリーやアニメーション(これまでもなかったわけではない)が、次々とうまれ、世界に浸透していく……。連日最高気温が38度を超える夏の日に、そんな幻を妄想する。


◎[参考動画]In this Corner of the World(映画『この世界の片隅に』片渕須直=監督・脚本/こうの史代=原作)Hiroshima Bomb scene 1945 https://konosekai.jp/


◎[参考動画]Hiroshima atomic bomb: Survivor recalls horrors(BBC News 2015/8/5公開)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

8月7日発売!『紙の爆弾』9月号

『NO NUKES voice Vol.16』総力特集 明治一五〇年と東京五輪が〈福島〉を殺す

大学関係者必読の書!田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

「成長戦略」の基本的な考え方(首相官邸HPより)

◆インフレターゲットが実現できずリフレ政策は破綻
 
選挙では経済政策の効果を謳って賛成票を獲得し、じっさいの政策では「安保法制」による戦争外交への踏みこみ、過労死法案の強行採決、軍事費の増加と憲法改悪と、相反する政策で政権を維持してきた安倍晋三。その屋台骨が揺らぎはじめている。政権維持の核心ともいえるリフレ政策においてである。

7月31日、日銀は金融政策決定会合を開き、現行の大規模な金融緩和策の一部修正を決めた。住宅ローン金利などの目安となる長期金利の上昇を容認するほか、株価を下支えするため買い入れている上場投資信託(ETF)の購入配分を見直し、マイナス金利の適用対象も縮小するというものだ。

修正は2016年(平成28年)9月いらいのことであって、大規模緩和の長期化を前提にしながらも、膨らむ「副作用」を軽減するのが狙いだ。その「副作用」とは、金融機関の収益の悪化にほかならない。なにしろマイナス金利で、金融機関が保有する紙幣・貨幣が目減りする政策を採ってきたのだ。

これが金融制度を崩壊させないわけがない。貯蓄を増やすごとに保有する貨幣が目減りし、銀行は危険な融資に走らざるをえないのである。無理やりにもバブル経済をつくり出そうとした結果、銀行は疲弊してしまったのだ。おカネを動かすために、マイナス金利にしてみたところ、逆におカネが動かなくなった。

アベノミクス「3本の矢」(首相官邸HPより)

◆古すぎる経済モデル

じつに笑えない顛末だが、そもそも無理があった。実体経済をテコ入れできないまま、リフレ論者の言う金利政策と財政出動に終始してきたのが、アベノミクスの現実なのである。

そもそも安倍が頼みにしたリフレ政策とは、インフレを作り出すために「お札を刷る」ということだ。ゆるやかなインフレーションが経済を活性化(おカネの動きが良くなる)し、産業分野(生産過程)で成長がうながされる。つまり、生産の拡大と消費の際限ない拡大を期待した経済成長モデル(戦後経済復興)を、この時代に再現しようとしたのだ。

人々が新しい商品をもとめ、そのさきにある幸福を期待して、消費のために働く? しかし、いっこうに賃金は上がらないではないか。期待した幸福は、この先に本当にあるのか? 安倍さんの周囲にいる人たち(お友だち)は、なるほど幸福かもしれないが、われわれのところにまで及ぶのか?? これで消費が上がるはずはない。

アベノミクス「3本の矢」(首相官邸HPより)

国債発行残高の推移(日銀)

このうえ、さらに国債を買うだって?

このようなお寒い消費と金利動向のなかでも、日銀は短期金利をマイナス0.1%とし、長期金利を0%程度に抑える全体の枠組みは維持した。会合後の声明文では、長期金利について「経済・物価情勢に応じて上下にある程度変動しうる」と明記したが、そのいっぽうで黒田東彦総裁は記者会見で、これまで事実上許容していた水準の倍に当たる0.2%程度まで金利上昇を認める考えを示したのだ。金利誘導のため、年に80兆円をめどに実施している国債買い入れについても「弾力的に実施する」と減額を示唆し、金融機関の収益力悪化や市場機能の低下といった副作用の軽減を図るとした。

つまり泣きたくなるほど、国民の借金が膨らむということなのだ。併せて公表した「経済・物価情勢の展望リポート」では、物価上昇率の予想値を30年度は従来の1.3%から1.1%に、31、32年度も1.8%から、それぞれ1.5%と1.6%に下方修正した。ようするに、インフレターゲットの2.0%はとうてい望めないというのである。もはやリフレ政策は明らかに限界をしめしている。そもそも、新自由主義政策のもとに規制緩和を行ない、岩盤規制と戦いながら、インフレ政策が成立するはずがないのだ。唯一の積極策は観光立国だが、安倍政権はアジア外交に消極的すぎる。

◆ハイパーインフレの危機

問題なのは、どこまで国の借金は可能なのか、である。旧民主党(野田政権)とのあいだで交わした、消費税10%は見送られたままである。富裕層への累進課税(所得累進・付加価値税)も行なわれないままだ。

このままいけば、国債(円)の信用が失われて「ハイパーインフレ」が到来しかねない。ある日、突然、紙幣は紙切れになってしまう。コンビニエンスストアで「お支払いはコインでお願いいたします」などという事態も起きかねないのである。なぜならば、刷りすぎた紙幣を担保する金銀を日本国は持ち合わせていない。信用はまたたく間に崩壊するだろう。金本位制・銀本位制は過去の話だからだ。もはやニッケル硬貨、銅の10円玉、アルミの一円玉を大切にするべきかもしれない。安倍政権がつづくかぎり、恐怖のシナリオはすぐ目の前にある。

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)

著述業・雑誌編集者。主著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)、『軍師・黒田官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)、『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。医療分野の著作も多く、近著は『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

『NO NUKES voice Vol.16』総力特集 明治一五〇年と東京五輪が〈福島〉を殺す

横山茂彦『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

もし、あなたが、いずれかのがんと診断されていて、その部位の「がん治療に抜群の実績を上げている先生がいる」と聞いたら、どうなさるであろうか。「一度診てもらおう」と考えるのは、ごく自然だろう。だが、遠路はるばるその病院を訪ねたのに、肝心の担当医や術法が、事前に期待していたものと違ったと「あとになって」知ったらあなたはどう感じるだろうか。

8月1日、4名の患者及びその遺族が、滋賀医大附属病院泌尿器科の河内明宏科長と成田充弘医師を相手取り、440万円の支払いを求める損害賠償請求を大津地裁に起こした(事件番号平成30わ第381号)。13時に予定されていた提訴前には大津地裁付近に一部原告や支援者65名と弁護団が集まり、猛暑の中大津地裁玄関前まで井戸謙一弁護団長を先頭に“怒りの行進”を敢行した。

8月1日、猛暑の中大津地裁玄関前まで井戸謙一弁護団長を先頭に“怒りの行進”

◆前立腺がんの治療法「岡本メソッド」

ことの発端は滋賀医大附属病院の岡本圭生医師らが開発した「岡本メソッド」とも呼ばれる、前立腺がん治療に極めて効果の高い「小線源治療」に起因する。前立腺がんの治療法には、前立腺全摘出、放射線外照療法、放射線組織内照射療法、ホルモン療法などがある。岡本医師は低線量のヨウ素125を前立腺に埋め込み留置する永久挿入密封小線源療法を確立し、多数の患者に施術してきた。

これまでの実施件数は1000件を超えているが、注目を浴びるのは、がんで最も恐れられる再発の割合が卓越して低いことだ。前立腺がんは「低リスク」、「中間リスク」、「高リスク」と分類されるが、岡本メソッドの治療を受けた患者の5年後のPSA非再発率(がんが再発しない確率は、「低リスク」で98.3%、「中間リスク」で96.9%、「高リスク」でも96,3%と、極めて優れた結果を残している。素人感覚で言えば「ほとんど再発しない」と安心できる数字と言えよう。

評判は評判をよび、岡本医師のもとには全国から救いの手を求めて患者が殺到したのも頷ける。原告ならびにその遺族は、いずれも2015年に前立腺がんの罹患が判明し、滋賀医大附属病院泌尿器科を受診した方々だ。それぞれ事情は異なるものの、いずれの方々も岡本医師の治療を期待して、滋賀医大附属病院に足を運んだが、診察に当たったのは岡本医師ではなく、成田医師であった。

◆患者たちは「モルモット」だったのか?

しかしながら成田医師も岡本医師の指導のもと「小線源治療」の実績のある医師であろう、あるいは、岡本医師の指示を仰いでいるであろうと考え通院を続けていた患者たちは、のちにあっけにとられることになる。

岡本医師による「小線源療法」は2015年1月に放射線医薬品会社「日本メジフィジックス」(NMP社)の寄付(年間2000万円)を受けて、「小線源治療学講座」が開設されており、岡本医師の治療を受けるためには「小線源療学講座外来」が窓口であり、泌尿器外来では「小線源療法」を受診することはできなくなっていたのだ。しかしそのような内情を一般外来患者が知る由もない。

社会通念に照らせば、岡本医師の受診を希望する、もしくは「小線源療法」を希望する患者は「小線源療学講座外来」に案内されるべきであるが、そうではない事例が複数発生した。

23名の患者は泌尿器科で成田医師の治療を受診し続けたが、のちに

① 成田医師は「小線源療法」の未経験者であり、「小線源療法」についての特別な訓練を受けたこともないこと、

② 滋賀医大附属病院では2015年春ころから、「小線源療学講座法」とは別に泌尿器科でも「小線源療法」を実施する計画をたてて、同病院に「小線源療法」を希望して来院した患者のうち、紹介状に「小線源治療学講座」や岡本医師の特定記載がなかったものを「小線源治療学講座」に回さないで、泌尿器外来で診察。それ以外にも「小線源療法」が適切であると判断した患者も「小線源治療学講座」に回さず、同年末までに原告を含み23名の患者について、泌尿器科において成田医師が、「小線源療法」を実施する具体的計画を立てたこと、

③ ところが成田医師は外科手術、特にロボット手術が専門であり、「小線源療法」は未経験であったこと、

④ その計画をしった岡本医師が滋賀医大学長に直訴し、その結果2016年1月、病院長の指示で23名の主治医が成田医師から岡本医師に変更されたこと、

が判明する。

ここへきて患者たちは自分たちが「モルモット」にされようとしていた現実を知ることになる。成田医師も「小線源療法」の専門家か、もしくは岡本医師の指導を受けているかと思い込んでいたら、まったくそうではなく、無謀にも成田医師は経験のない「小線源療法」を実施しようと計画。それを知った岡本医師が危険性に気づき学長に直訴した結果、無謀な施術だけは回避されたが、患者たちが失った回復の機会や、不要な治療による副作用そしてなによりも同病院泌尿器科への不信感は現在も患者たちを苦しめている。

◆「小線源療法」ではなく「ホルモン療法」だった

記者会見に臨んだ原告のひとりは、「私が望んだのは『小線源療法』だったが、私が受けたのはホルモン療法だった。1年に渡るホルモン療法のために不眠や、体に力が入らないなど様々な副作用に苦しみ、今後心筋梗塞や脳血栓の可能性が高まったと言われている。成田医師からは彼が『小線源療法』の経験がないことを聞いたことがなかった。『この施術は未経験です』と言われて『はいそうですか』という患者はいないだろう。河内医師は泌尿器科には『小線源療法』の経験がないのに23名の患者を囲い込みを行った。患者は『自分の病気を治してほしい』と思って病院にいく。にもかかわらずその施術では素人同然の医師にされかけていたと知って驚愕した。肉体的精神的に大きなダメージを受けた。患者が医師を信頼することなしに医療は成立しないだろう。真っ当な関係が成立するように訴えたい」と語った。

思いを語る原告男性の胸には“PATIENTS FIRST”。滋賀医科大学小線源治療患者会の缶バッチが

弁護団長の井戸弁護士は、この提訴の意義について「23名の怒りと憤りを強く感じている。背景には医療界の『古い体質』があるのではないか。どう考えても『患者第一』に考えているとは思えない事件だ。医療界の『古い体質』を放置せず、日本の医療界があるべき方向に向かうきっかけになれば」と語った。

患者会代表幹事の奥野謙一郎さん(左)と井戸謙一弁護団長(右)

7月30日付けの朝日新聞でこの問題が掲載された。すると滋賀医大附属病院はHP

 

 

と全面対抗の姿勢を打ち出している。すくなくとも訴状をよみ、関係者の話を聞いた限りでは塩田浩平学長のコメントは、開き直りにしか聞こえない。滋賀医大附属病院全体が問題だらけの病院であると原告は指弾しているわけではない。あくまでも泌尿器科の不誠実かつ患者に対する背信行為を問題にしているのだ。

滋賀医大附属病院泌尿器科受付前に掲げられている担当表

この問題では6月に「滋賀医大小線源患者の会」が発足し、わずか1月余りで会員数は600名を超えている。それほどに岡本医師の功績や彼への信頼が厚い証拠であろう。ところが滋賀医大附属病院は2019年に現在特任教授である岡本医師の首切りまで画策している。前述の通り「小線源療法」は前立腺内にヨウ素125を埋め込むので、当然経過観察が必要だ。しかし、安心・信頼して経過観察を任すことのできる医師の存在まで滋賀医大附属病院は患者から奪ってしまおうと画策しているのだ。
患者の怒りと不安は至極当然であろう。

引き続きこの問題は注視してゆく。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

大学関係者必読の書!田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

 

『戦旗派コレクション』より

わたしは理論誌とも思想誌ともいわれる雑誌の編集をやっていますが、理論や思想が世の中を変えるなどと思ったことは、じつはあまりない。人を動かすのは感情であり、魅力のある物事だと思うからです。その物事の原因や拠って立つ構造を解明することにこそ、理論や思想はあるのではないでしょうか。

とはいえ「理論派」「知性派」と呼ばれることに人は憧れ、その対極にある、やや侮蔑的な評価が「肉体派」ではないか。学生時代には、よく「君たちは肉体派だな」と言われたものです。この「君たち」とは、わたしの出身大学(けっこう受験生に人気はありまずが、一流とは言えますまい)の意味であって、わたしたちを評したのは、東京大学から「指導」に来ていた理論派の学生でした。どうせ俺たちは肉体派だという自虐が顕れるのは、三里塚現地で肉体労働に従事するときでしたね。団結小屋の改修や風車をつくるための穴掘り、要塞建設などなど。とにかくあてにされる。

ところがいちど、内ゲバで他党派と揉み合いになったとき、かの東大生は言ったものでした。「いいよな、君たちみたいに身長のある人は。相手に掴まれても、パッと突き放せるだろ」。このときに判ったものです。ああ、この人が「君たちは肉体派」と言うときには、背が低いことへのコンプレックスがあったんだな、と。

学生活動家というのは、大きな人か小さな人の両極端がなぜか多くて、昨年亡くなられた塩見孝也さんなどは巨漢系。塩見さんに早稲田でオルグされた故荒岱介さんも180センチの身長でした。いっぽう塩見さんと袂を分かつ赤軍派の指導者・高原浩之さんは小柄な方です。意外なことに、小柄な人のほうが頼りになると、よく言われたものです。

ヤクザも同じで、大柄な人と小柄な人がなぜか多くて、中肉中背という親分はあまりいない。たとえば工藤會の三代目・溝下秀男さん、山口組の五代目・渡辺芳則さん、太田興業の太田守正さんなど、小柄だが胸や腕は筋肉隆々という方が多かった。たぶん小柄だと、そのハンディを乗りこえるために鍛えるんでしょうね。大きい人だなと思ったのは、広島挟道会のM氏くらいのものだった。ヤクザは知性派とか理論派と呼ばれるのは評価が低い証しで、もっぱら「武闘派」が名誉ある親分ということになる。

◆「肉体派」という呼称に違和感がなくなった40代

わたしが「肉体派」という呼称に違和感がなくなったのは、40歳をこえるあたりからでしょうか。左翼活動家にしろヤクザの親分衆にしろ、付き合っている方々がひと回り年上なものですから、その中にいると話題が健康と病気の話ばかりだと気づいた。まだロードバイクはやっていませんでしたが、けっきょく左翼もヤクザも健康のことばかりになってしまうんだなと。だったら、今後は健康と環境問題が人類のテーマだと。

そこできっぱり、煙草をやめました。親父が肺ガンで死んだというのもありましたが、喫煙癖は病気だと思うと、意外に簡単にやめられたものです。いったんやめて、それでも家内が吸っていたので、もらい煙草をしているうちに「やっぱり、これって病気なのかな」と。そのうちに家内が怪我(浴衣で外出したときに、下駄を滑らせて脚の指を骨折)をして、じゃあ一緒に煙草をやめようとなったわけです。いらい、運動はもっぱらサイクリング、楽しみはお酒だけという生活です。さて、肉体派というテーマにもどりましょう。

 

『戦旗派コレクション』より

本格的にロードバイクに乗りようになってからは、肉体派という実感がむしろ誇らしく感じられたものです。もう50歳台になっていましたが、隆々たる大腿筋に盛り上ったハムストリングス。腕も硬く太くなっていきます。もうひとつ「肉体派」といえば肉体美をもって「演技派」に対置されるわけですが、肉体美という意味ではもう完全に、知性派とか理論派なんかというものを打ち負かす魅力があります(女優じゃないけど)。2008年の洞爺湖サミットにさいして、自転車ツーリングを呼びかけて「肉体派は集まれ!」というキャッチを同行するグループに提案したところ「せめて知的肉体派」にして欲しいと異論があった。単なる「肉体派」はダメらしい(苦笑)。

三里塚の横堀要塞にろう城が決まったとき、鉄の入った安全靴やぶ厚い作業着、フルフェイスのヘルメットに身を固めながら思ったものです。もっとスマートな都市ゲリラのほうが性にあってると。しかし逮捕されて3畳一間の独房にいると、三里塚の大地に身を躍らせたいと、そればかり考えていました。

もう還暦をこえたいまは、ひたすら健康のために自転車に乗り、健康な食材と美味しい料理が生きがいです。それと、やっぱりお酒なのですね。もう完全な肉体派。いまちょうど、五木寛之先生と廣松渉先生の対談本の復刻(抄録)を編集していますが、60歳で身まかられた大哲学者よりも、86歳にならんとする国民的作家のほうが肉体派だったということになります。肉体派万歳! (この連載は随時掲載します)

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)

著述業・雑誌編集者。3月横堀要塞戦元被告。主著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)、『軍師・黒田官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)、『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。医療分野の著作も多く、近著は『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

横山茂彦『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

『NO NUKES voice Vol.16』総力特集 明治一五〇年と東京五輪が〈福島〉を殺す

7月26日オウム真理教の元幹部6人に対する死刑が執行された。 林泰男氏、豊田亨氏、広瀬健一氏、岡崎一明氏、横山真人氏、端本悟氏である。これで13人いたオウム真理教関連の死刑囚は全員が処刑された。


◎[参考動画]オウム13人全員の死刑執行(ANNnewsCH 2018年7月26日放送)

「死刑に対するわたしの考え」は、以前本通信で述べたので繰り返さない。別の観点からあの時代を振り返り、オウム真理教とはなんだったのか、簡単に答えが出るものではないけれども少し考えてみたい。YOUTUBEには当時のテレビ映像がいくつもアップロードされている(法的には違法だそうだが、その問題は横に置く)。その中に「朝まで生テレビ」で4時間にわたりオウム真理教と幸福の科学が出演している映像があった。オウム真理教からは麻原彰晃氏、上祐史浩氏ら幹部が、幸福の科学は景山民夫氏ほか幹部数人が出演している。その他の出演者は、西部邁氏、大月隆寛氏、島田裕巳氏、石川好氏などである。

まず、印象深いのは番組の冒頭で司会者が「モノとお金が溢れるこの豊かな時代に」とのフレーズを何度も繰り返していることだ。収録は1991年だからいまから27年前だ。今日、2018年に同様な番組が製作されたら「モノとお金が溢れるこの豊かな時代」と時代を描写する表現が用いられることはないであろう。四半世紀のあいだに日本は実感としても「モノとお金が溢れる豊かな時代」ではなくなったことは大きな変化だ。そしてオウム真理教だけではなく、「宗教ブーム」とよばれるほど、若者が精神世界や非物質的世界に興味を示し、かつ行動(入信)する現象は、「モノとお金が溢れる豊かな時代」だったからこそ生じたのではないかと感じる。


◎[参考動画]テレビ朝日1991年9月28日放送 朝まで生テレビ「激論!宗教と若者」

「朝まで生テレビ」をはじめ、いくつか麻原彰晃氏や上祐史浩氏が出演する番組を見た。意外な発見があった。オウム真理教の教義や、修行の様子は、素人目にもかなりインチキ臭く、怪しさに溢れているけれども、彼らが他の出演者と交わす会話は、実に理路整然としており、とくに上祐史浩氏の弁舌は筑紫哲也氏や、有田芳生氏、江川紹子氏などを凌駕している。また刺殺された村井秀夫氏の語り口も同様にわかりやすい。ヨガを出発点にしたオウム真理教は、麻原彰晃氏の個性と彼の実に巧みな組織拡大戦略が、功を奏して短期間で1万人以上の信者を抱える宗教に成長した。その脇には、凡庸なテレビ出演者などとの議論では、一歩も引けを取らない「ディベート技術(能力)」を備えた極めて優秀な幹部の存在を無視することはできないであろう。

それに対して「朝まで生テレビ」で西部邁のダラダラぶり、大月隆寛の的の外し方が逆に際立っている。のちにこの二人は「新しい歴史教科書をつくる会」のメンバーとなり、その主張が、今日の「幸福の科学」と、うり二つに変遷していったのは、偶然ではあろうが、まったくオウム真理教の本質に肉薄できていない(西部は露骨にオウム真理教に興味を抱いている姿も印象的である)。

その点で91年当時「幸福の科学」幹部が語る自らの正当性は、実に薄っぺらであり、我田引水が多く、聞いていて頷かされる場面はない。景山民夫氏の語る「善行を行うのがためらわれる時代への問題意識」にしても、なにも「幸福の科学」でなければ解決できない課題ではない。議論全体に根拠が薄く、みずからの「思い込みを断定的に語っている」印象を強く受ける。大川隆法氏にしても、語りが上手であるとは言い難い。神であろうが仏であろうが、歴代の有名人の霊を下ろしてきて話をさせる手法の出版物は、相変わらず上々の売れ行きであるようだが、あまりに節操がなく、少なくともわたしにたいしては、まったく説得力がない。

わたしにとっては、繰り返すがオウム真理教の教義や修行の姿(映像で見る限り)は、滑稽の極みであり、何の魅力も感心もわかない。しかし約30年前には多くの高学歴の若者が大挙して出家信者として入信し、果ては国家転覆までを企図するに至った力の終結の源はなんだったのか。北野武が喜んで麻原彰晃氏と笑談している映像もある。


◎[参考動画]北野武×麻原彰晃 対談映像「たけしの死生観、麻原の仏教観」

「朝まで生テレビ」におけるオウム真理教と幸福の科学の対比は、オウム真理教は「確信に満ちた運命共同体」であるのに対し幸福の科学は、あくまでも世俗の宗教の域にとどまっていることであろう。今日、幸福の科学は極めて反動的で、自民党も喜びそうな政治的メッセージを多く発している。「幸福実現党」の選挙における成績は、まったく芳しくないが、地方都市のあちらこちらに創価学会のように立派な建物が出来上がっている。沖縄では綺麗な海沿いに幸福の科学の建物があり、リゾートホテルかと見間違うほどだ。

つまり、幸福の科学はその名の通りいくぶん「科学」的な時代のマーケッティングに、長けており、一見特異、過激な主張をしているようでも、既成の法体系、国家の枠から逸脱することが勘定には合わないことを理解している集団であろう。対するオウム真理教は出発当初には仏教に基本を置き、ヨガの修行などを中心としていたが、麻原彰晃がどうしたことか「ハルマゲドン」などと言い出したので、もとより現生(現世)利益を捨て、物質拝金文明を嫌っていた信者は、急激に精鋭化した。象の帽子をかぶり女性信者が踊っていた選挙戦は、どう見ても当選が見込まれるものではなかったが、あの選挙で麻原彰晃氏は「勝てる」と本気で考えていたようだ。既にその時点で大いなる錯誤が発生しているのと同時に、彼らは「国家を敵」だと認識し始めたことだろう。


◎[参考動画]オウム真理教 潜入!第4サティアン

主義主張の如何を問わず「国家は敵」である意識は、集団を精鋭化し、構成員が信者ではなく、「兵士」に変わりうる可能性を持つ。仮にではあるが、麻原彰晃氏の解くイデオロギーや現状認識が、あれほどに荒唐無稽ではなく、一定数の一般人にも受けいれられる理論であれば、彼らの企てた「国家転覆」や「無差別テロ」は「革命」という名に取って代わられていたかもしれない。しかしオウム真理教はハード面での武装の進展とは逆に教義はますます混乱を極めてゆく。行く先は圧倒的な弾圧しかないと悟ったとき、彼らが破滅覚悟で敢行したのが「地下鉄サリン事件」だったのだろう。

では、いまオウム真理教の残党である「アレフ」は危険であろうか。わたしはそうは思わない。オウム真理教には麻原彰晃氏の教示が不可欠であり、麻原彰晃氏なきオウム真理教は力を持たない。


◎[参考動画]オウム真理教はいま 教団元最高幹部が語る 上祐会見(2018年5月23日公開)


◎[参考動画]オウム 秘蔵!初対決 江川氏VS上祐氏 衝撃の瞬間

それよりも、わたしたちは重要な見落としをしていないだろうか。麻原彰晃氏に比しても、荒唐無稽さでは引けを取らない人間が長く最高権力者の座に居座ってはいまいか。法治国家では最高法規の憲法を「解釈改憲」などとクーデター的に実質無化する輩が君臨してはいまいか。軍事費を毎年増額し、軍事国家化を着々と進める予算に直面してはいないか。国会における与野党の議席構成はどうだ? 与党と明確に非和解な政党は存在するか。若者はなにに熱中しているのだろうか。あるいはもう若者は「熱中」することを忘れたか。そこに「HINOMARU」などという曲をひっさげた人気バンドが登場して、コンサートで浮かれてはいまいか。破綻が確実な国家財政を度外視して、目先の利益確保を11万人の「タダ働き」(ボランティアというらしい)でアウブヘーベン(止揚)を試みる五輪という大儲けのショーを東京の殺人的暑さの下で行おうとはしていないか。原発4機爆発事故を経験しても、あらかた忘れてしまってはいないか。

わたしたちは、気が付かないうちに「国家真理教」に入信させられてはいないだろうか。


◎[参考動画]村井秀夫が語った阪神人工地震(TBS 筑紫哲也のNEWS23)

▼田所敏夫(たどころ としお)
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