注目のM君リンチ事件控訴審ですが、去る7月23日(月)午後2時30分から大阪高裁にて開かれ、1回の審理で結審となりました。この間、わずか10分ほど。えっ、これで十分な審理ができるの!? 日本の裁判制度が、一部を除いて〝事実上の一審制〟といわれる所以です。判決は10月19日午後2時です。

こちらが結審したことで、M君もしばらくは、先般不起訴不当の審理を申し立てた検察審査会への準備に着手します。私たちも、これまで同様、全力で支援します。

◆リンチ事件裁判、控訴審結審に際して――

ところで、控訴審結審まで来て、私は法廷で、ひとつの感慨にひたりました。一昨年(2016年)の初めに、このリンチ事件の存在を聞いて以来、私(たち)は素朴、単純に酷いと感じ、失礼な言い方かもしれませんが、社会的にはほとんど力のない一部少数の人たち以外にリンチ被害者M君の味方はおらず、事件から1年以上も経ち、報道されることもなく(マスコミは社会の木鐸ではなかったのか!?)、このままでは世の人々に知られずに隠蔽されて終わりそうでした。「棺桶に片足突っ込んだ爺さん」(鹿砦社元社員の藤井正美のツイート)にも意地があります。私なりに義憤を覚えました。実は私は今年67歳、65歳で引退し後進に道を譲るつもりでしたが、延期し最後の仕事として本件に関わることにしました。この判断は、今でも間違いなかったと思っています。爾来、私たちは社内外の有志で「特別取材班」を、そして民事訴訟の準備が整ったところで「M君の裁判を支援する会」を結成し、被害者救済と真相究明の途に就きました。

この少し前、脱原雑誌『NO NUKES voice』を創刊し、その中で1年間に300万円余りの経済的支援をしつつも(少しは感謝しろ!)、加害者らと人脈的に繋がりのある「反原連」(首都圏反原発連合)から一方的に絶縁され、さらに鹿砦社社内に潜り込んでいたカウンターの中心メンバー・藤井正美が業務時間内に業務と無関係(つまりカウンター関係)のツイッターに勤しみ私のことを「棺桶に片足突っ込んだ爺さん」などと揶揄していたり、いつ仕事をしているかわからないほどの量のツイートが出てきて、やむなく解雇に至りました。反原連絶縁については『NO NUKES voice』に長文の反論を掲載し、また藤井解雇についても、膿を出しせいせいしていたところで、この時点では後腐れもありませんでした。こうしたことへの「意趣返し」(安田浩一氏の言)で、私たちが本件に関わり始めたわけではありません。運動を「分断」させるというような意図もありませんでした。

 

『カウンターと暴力の病理』グラビアより

リンチ被害者M君が提供した主だった資料、特にリンチ直後の顔写真とリンチの最中の音声データは衝撃的でした。こんな凄惨なリンチ事件を、発生から1年以上も知りませんでした。あとで判ったことですが、元社員の藤井正美の会社所有のパソコンから事件直後からの情報がたくさん出てきて、カウンター内部では大騒ぎだったようでした。にもかかわらず、お人好しの私は、藤井が会社のために真面目に働いていたと誤認していました。

「反差別」を金看板にした「カウンター」といわれる社会運動について、さほどの知識もなく徒手空拳で取材・調査を始めました。M君の話を聞き、彼が持ってきた資料などで、事件の概要が見えてきました。取材からしばらくして、私たちはM君の述べることを大方信じ、M君の支援を開始することにしました。

私たちが2010年9月から隔月ペースで始めていた、いわゆる「西宮ゼミ」にちょくちょく来ていた「ヲ茶会」(ハンドルネーム)さんが本件の話を持ってきたのは2016年2月28日のことでした。当初は「今の社会でこんな暴力沙汰があるのか」と半信半疑でした。それもマスメディアに「反差別」運動の旗手のように持ち上げられる李信恵さんがリンチの現場に居て関わっていることを知り、驚くと共に愕然としました。しかも深夜に日本酒に換算して一升ほどの酒を飲んで呼び出し5人でリンチをやったということにも驚きました。マスメディアで、いわば現代の英雄のような扱いを受ける者が、裏ではこんなことをやっていたのか!? 世の中には、こうした輩が少なくありませんが、差別と闘うとは、本来なら崇高な営為なのに、その旗手のような者が、こんなことに関わっていたのかと思うとやりきれない気持ちになりました。


◎[参考音声]M君リンチ事件の音声記録(『カウンターと暴力の病理』付録音声記録CDより)

◆リンチ事件の隠蔽に加担する著名人、常識とかけ離れた人々に驚きました

ところで、このリンチ事件の被害者救済と真相究明に関わっていく過程で感じたことに、著名な知識人やジャーナリストらが隠蔽に積極的に加担していることでした。取材や確認をしようと電話してもシラを切ったり、電話にさえ出ない者も少なからずいました。思い出すだに名を出せば、中沢けい、香山リカ、西岡研介、安田浩一、有田芳生、辛淑玉、鈴木邦男、佐高信、津田大介、佐藤圭、中川敬、岸政彦……の各氏。今まで何を学んできたのか!? 

特に鈴木邦男氏は、私と30数年来の関係があり、それも決して浅くはありません。隔月ペースで著名なゲストを招いて行った「西宮ゼミ」も3年間やりました。鈴木氏は、かつて組織内でリンチ殺人、死体遺棄事件が発生し、これを機に対話路線に転じました。その頃からの付き合いでした。他の方々とは違い、暴力の問題には一家言があるはずで、こういう時にこそ鈴木氏の出番だと思っていましたが、とんだ思い違いでした。残念ながら、このリンチ事件への対応で30数年に及ぶ関係を義絶しました。

また、世間の常識とかけ離れた変な人も少なくありませんでした。一日中ツイッターなどSNSに狂っていると、感性も狂ってしまうようです。

世間の常識とはかけ離れていると言えば、李信恵さんら加害者がM君に出した「謝罪文」と、この撤回、辛淑玉さんが出した、いわゆる「辛淑玉文書」とのちの転向文書、あたかも味方のように近づいて資料やM君周囲の情報を入手し、突如掌を返した趙博氏(私たちは直接裏切られたので趙氏をスパイと断じます)等々。本当に常識外れの掌返しや寝返りが多いです。言葉も共通して汚いです。

最近表に出た「師岡康子メール」なども非常識の極みで、著名な弁護士がリンチの被害者に対して、刑事告訴をして、もしヘイトスピーチ規正法がおじゃんになれば、あろうことか被害者のほうが「反レイシズム運動の破壊者」として「重い十字架を背負う」とまで常識では考えられない倒錯したことを言っています(詳しくは6月7日付け本通信参照)。

◆「反差別」運動の一大汚点に私たちなりに全力で取り組みました!

一昨年2月28日以来、私たちは私たちなりに、「反差別」運動、いや日本の社会運動の一大汚点といえる、このリンチ事件について、取材と調査に邁進してきました。多くの資料や情報が発掘できました。多くの関係者に話を聞くこともできました。

これまでこのリンチ事件については5冊の本を出版してきましたが、これらに収録してきました。控訴審の結果がどうあれ、私たちは持てる力を尽くしM君リンチ事件について被害者救済と真相究明に関わってきました。毎回〝目玉〟記事もあり、事件関係者周辺にインパクトを与えてきたことは事実でしょう。「デマ本」「クソ記事」などと言うだけで反論らしい反論もありませんので、私たちは事実だと考えています。「デマ本」「クソ記事」と言うのなら、どこがどう「デマ」なのかを指摘し反論本の1冊でも出版してみたらどうですか!? 

◆ジャーナリスト・山口正紀さんの声を聴け!

私たちの5冊の本が、どれだけ多くの方々の目に触れたかわかりませんが、少ないながらも心ある方々には伝わっていると思います。この通信でも採り上げている前田朗東京造詣大学教授、ジャーナリストの黒藪哲哉さん……。

とりわけ、私たちの本でこのリンチ事件を知られた、元読売新聞記者で良心的ジャーナリストの山口正紀さんは控訴審に意見書まで書いてくださいました。長文ですが、本人の了解を得て全文を公開いたします。全面的に賛同いたします。これがまともな感覚を持った人の意見だと思います。ぜひともご一読ください。

ジャーナリスト、山口正紀さんによる意見書(01P/全11P)

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M君リンチ事件の真相究明と被害者救済にご支援を!!

Amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B07CXC368T/
鹿砦社 http://www.rokusaisha.com/kikan.php?bookid=000541

閉幕した国会で強行成立させられた「働き方改革関連法案」は、長時間労働が合法化されるため「過労死推進法」とも呼ばれる。まさに経団連にとって都合のいい「働かせ方改革」だ。

そうではなく、労働者の立場から本当の「働き方改革」を現場で実行している2人を紹介する。

その2人とは、今年3月期に日本企業として過去最高の2.4兆円の純利益(アメリカ会計基準)をあげたトヨタ自動車の元社員と現役社員である。

◆トヨタ内に闘う組合「全トヨタ労働組合」(ATU)を結成した若月忠夫氏

 

「全トヨタ労働組合」(全ト・ユニオン=ATU)を結成した若月忠夫氏

1人は、すでに退職している若月忠夫氏(72歳)。

彼は1965年に入社してから、トヨタ自動車元町工場で働き続けてきた。若いころから御用組合の姿勢を変えようと積極的に発言してきたが、ある事件をきっかけに、労働者のための新しい労働組合「全トヨタ労働組合」(全ト・ユニオン=ATU)を創立した。

全ト・ユニオンは、非正規社員、期間従業員、下請け、孫請けなど一切関係なく1人でも加入できる組合だ。07年に定年で退職するまで、若月氏は社内で「働き方改革」を進めてきた。現在も執行委員長として活動している。

トヨタ自動車労働組合は、困っている労働者を救うというより、会社の第二労務部的な役割を果たしてきたと言わざるを得ない。そんなことを改めて痛感したのは、深刻な悩みをかかえたある社員が若月氏に相談してきたときのことだ。

「いまの連続2交代の勤務体制では、妻の健康状態もよくなく面倒を見なければならないので、とてもじゃないが勤められない。オール昼勤務だけの場所に配置換えをしてほしい。なんとかしてくれないか」(相談にきた社員)

そのとき若月氏は、もちろんトヨタ自動車労働組合の組合員であり、しかるべき部署と相談した。にもかかわらず改善されず、相談してきた彼は自宅で首吊り自殺をしてしまった。

「まだ40代の若さでした。彼の命を救ってやれなかったという痛恨の悔やみがあります。しかも、彼の上司は労働組合の役員経験者だった。そういう役員経験者がなぜ彼を救ってやれなかったのか」

当時を振り返って若月氏はこう語った。無念さを抱え、心ある人たちだけで労働者のための新しい組合をつくるしかないと、2006年1月に全ト・ユニオンを結成したのである。

 

現役社員の染谷大介氏

◆自身の労災事故を隠され、目覚めた染谷大介氏

もう1人は、現役社員の染谷大介氏(39歳)だ。この7月に、初めて顔出しで名乗り出た。

25歳で期間従業員として入社し、試験を受けて正社員になり、同社堤工場で働いている。

入社から約10年の2014年8月、作業中にビキッという痛みが右ヒザに走り、作業ができなくなった。部品を乗せた台車を7台も連結して移動させていた最中の出来事だった。

その日は脚を使わない作業をし、翌日病院に行って診断書をもらった。工場内で仕事の作業で負傷したのだから当然、労災保険適用のはずだが、上司は健康保険を使うように指示したのである。

それまで、会社のやることに正面から反対したり労働運動に積極的にかかわることもなかった染谷氏。だが、会社が異常なほどまでに労災適用をさせないようにする行動を見て、徐々に目が覚めていった。

有給休暇を取得して自宅で休養している最中にも、メールや電話で労災をやめて健保を使うようにと、ガンガンと連絡してくる会社。

工場内の詰所に染谷氏を呼んで上司2人が、トヨタのルールに従えと労災保険使用を止めさせようとしたり、別な日には5人の上司が彼を取り囲んで健保使用を強要した。

全ト・ユニオンの若月委員長もこの問題を取り上げて会社にも働きかけ、染谷氏自身も堂々と正論を主張して、労基署にも申告した結果、事故発生から1年あまり経過して染谷氏は労災を勝ち取った。

自分自身で体験した会社の労災隠しを体験し、染谷氏は変わっていったのだ。

 

 

◆雇止め・労災隠し・有給休暇取得阻止

しかし、労災隠しがまた発覚し、昨年4月に労基署から行政指導される事態にいたった。労災隠しは犯罪である。

それからわずか2カ月、昨年6月16日に染谷氏が働く堤工場で、期間従業員が作業中に左クスリ指を複雑骨折する事故が起きた。明らかな労災なのに、寮でケガしたことにし健康保険を使うように上司は指示したと言う。

この情報を受けて、染谷氏は工場内でケガをした当事者に事情を聴いた。

それを受けて全ト・ユニオンが労基署に告発し、会社に対しても詳しい調査を要求。染谷氏も会社に対して詳しい調査と適切な対応をとるように働きかけ、2人は連携していく。

 こうした活動を受け、トヨタも労災を認めざるをえず、8月10日付の「災害情報」という社内資料に、この労災事故の顛末を記録せざるをえなくなったのである。

 染谷氏は現役で働いているだけに様々な情報が入る。有給休暇希望者がホワイトボードに名前を記入するのだが、ボードにあらかじめ斜線を引かれて記入できないようになっていた。これを労基署に申告し、結果的に有給をとれるようになり、同僚たちにも喜ばれたという。

 また、雇用期間を延長を希望していた期間従業員の離職票に、本人が期間延長を望んでいないと虚偽記載した件もとりあげた。雇止めされた本人も動き、離職理由を「自己都合」から「会社都合」に変えさせた。

これにより、雇用保険の給付が90日分から240日分に増えたのだ。

2人のように、大組織の中で名前を名乗り、顔も出して具体的な行動を起こしてきた果、あきらかに事態が好転している。一歩動かなければ、いま紹介した事例は闇から闇へ葬られるはずだった。

改革は、1人、2人の具体的な行動から実現に向かうのだ。そんなことを2人の行動からあらためて考えさせられた。

▼林 克明(はやし・まさあき)
ジャーナリスト。チェチェン戦争のルポ『カフカスの小さな国』で第3回小学館ノンフィクション賞優秀賞、『ジャーナリストの誕生』で第9回週刊金曜日ルポルタージュ大賞受賞。最近は労働問題、国賠訴訟、新党結成の動きなどを取材している。『秘密保護法 社会はどう変わるのか』(共著、集英社新書)、『ブラック大学早稲田』(同時代社)、『トヨタの闇』(共著、ちくま文庫)、写真集『チェチェン 屈せざる人々』(岩波書店)、『不当逮捕─築地警察交通取締りの罠」(同時代社)ほか。林克明twitter

月刊『紙の爆弾』8月号!

ようやく気が付き始めた人びとの間で、「小選挙区制」の弊害が語られはじめた。議論の段階からうさん臭さは、充満していた。いわく「政権交代できる2大政党制を実現すべき」だの「中選挙区制では金がかかる」という主張が中心だったと思う。7月16日の京都新聞は元自民党の職員伊藤惇夫氏(69)に取材し、「小選挙区制」導入に至る、流れを振り返らせている。伊藤氏は1989年に後藤田正晴党政治改革委員会委員長(当時)から「諸悪の根源中選挙区制を抜本的に改めなければならない」と事務担当スタッフに命じられたそうだ。

 

上脇博之『ここまできた 小選挙区制の弊害』(あけび書房2018年2月)

「政治とカネ」の問題は選挙制度とは無関係なのに、どうしてこうも短絡的な思考で「小選挙区制」導入に猛進するのか。「小選挙区制」が導入され、「主張に大差ない2大政党」が実現したらどうなるか。日本では「大政翼賛会」という団体が成立していた歴史がそれほど昔ではないことを、当時わたしは強く意識した。そしてその懸念は現実のものになっている。投票行動と選挙結果の祖語については、大政翼賛会時代よりも酷いかもしれない。

『ここまできた 小選挙区制の弊害』(上脇博之著 あけび書房)では、様々な観点から小選挙区制の問題が指摘されているが、最大にして最悪の原因は「死票」が多数生まれること、言い換えると得票率に応じた議席が獲得されない、非常に深刻な欠陥を持った制度であると繰り返し批判されている。

近いところでは2017年衆議院選挙の例が挙げられており、得票数が47.8%の自民党が74.4%の議席を獲得し、得票率が20.6%であった「希望の党」(そういえば、一瞬そんな政党もあった!!)が6.2%の議席しか得られていないなど多くの「不平等」事例が列挙されている。さらに極めつけは「小選挙区制」のイギリスでは、1951年と1974年に得票率と議席数が逆転する現象まで起こっている事例を引き合いにだしている。

◆「小選挙区制」導入に加担した個人・マスコミの責任

議論段階から「嘘くささ」と「危険性」をいやがうえにも感じさせられていたが、わたしがまったく知らなかった事実があった。「政治改革なんて『無精卵』みたいなもの。いくら温めても何も生まれない。そんなものには賛成できない」と発言していた人物がいたという。社会党かどこか野党の議員かと思いきや小泉純一郎元首相であったというから、驚いた。なんと安倍現首相も反対であったという。しかし、このお二人とも、「小選挙区制」のおかげで長期政権に腰掛けることができている。皮肉なものだ。

では、推進側にはどのような顔ぶれが居たのだろうか。前述の後藤田(故人)、小沢一郎自由党共同代表、羽田孜元首相(故人)、細川元首相、河野洋平元自民党総裁、海部俊樹元首相ら自民党実力者の名前には「なるほど」と頷けるが、一方で、実質的に「小選挙区制」を推進した、首相の諮問機関である選挙制度審議会(その第8次委員)にはすべての全国紙(朝日・毎日・読売・日経・産経)幹部の名前がある。つまりマスコミもこぞって小選挙区制導入に肩入れをしていたわけだ。テレビでは田原総一郎氏が事あるごとに「小選挙区制」導入反対者に「対案を示せ」と詰め寄っていたし、「改革」と言葉がつけば、なにかしら「新しく優れたもの」が生まれ出てくるような誤解が、広く国民に蔓延していた(推進論者が蔓延させていた)。

伊藤惇夫氏を特集した記事の見出しは「単色に変わった議員」で、伊藤氏も現在は「小選挙制導入」を悔いているようだ。しかし、悔いてもらうだけでは困る。自民党であろうが、旧民主党であろうが、得票率をはるかに上回る、途方もない議席数が得られる選挙制度は、多様な選択肢を排除する致命的欠陥を持つことはいまや明らかである。何よりも「投票行動が正当に評価されない」ことは、選挙の正当性自体を担保できない重大問題だ。2017年の例で挙げた今は無き「希望の党」にもう少し追い風が吹いていれば、政策すら明らかではない政党が7割、8割の議席を獲得しかねなかったのが「小選挙区制」なのだ。

既に故人となった方は仕方ないにしても、当時「小選挙区制」導入に加担した個人や全国紙は、この不公正な選挙制度をよりましなものに作り変える責任がある。

◆最も合理的な選挙制度改革は従前の「中選挙区制」に完全にもどすことだ

ではどうすればよいのか?

旧来の「中選挙区制度」に戻せばいい。新しい何かを作る必要はまったくない。そんな無駄な面倒くさい作業など一切不要であるから、従前の「中選挙区制」に完全にもどすことが、制度面でもコスト面でも、政治の多様性を確保するうえでも最も手っ取り早く、有効な手段だ。「中選挙区制は金がかかる」の本質を田原総一朗氏に尋ねたら「自民党が公認を出すのに調整で金がかかった」と答えてくれた。「中選挙区制は『自民党にとって』金がかかる」が正しい理由だったのだ。いわゆる「党利党略」という奴だ。古いものはなんでも価値がなく、新しいものは必ず優れている、と誤解しがちな人がいる。それは間違っている。

定数を6人増やすだの、枝葉末節な「ごまかし」ではなく、重大問題である「小選挙区制」を廃止し「中選挙区制」に戻すことこそを、議会制民主主義を支持している人々は、強く主張すべきである。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

本日発売!月刊『紙の爆弾』8月号!

大学関係者必読の書!田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

7月19日、サッカー日本代表の本田圭佑が神奈川の朝鮮学園を訪ねた。名古屋グランパスエイト時代の同僚・安英学のもとめに応じたものだが、この訪問が訪朝につながるのではないかとの見方がひろがっている。本田圭佑は4月の南北会談に「素晴らしく、歴史的な第一歩」とツィートし、「多くの韓国人と北朝鮮の友人たちよ、本当におめでとう。そして乾杯!」と称賛していた。それが契機となって、安英学が朝鮮学校訪問に誘ったというわけだ。そしてこれが、本田の訪朝につながるのではないかという観測がひろがっているのだ。


◎[参考動画]本田圭佑が朝鮮学校をサプライズ訪問 「夢を諦めないこと」を訴える(Angelic Faulkner 2018/07/19公開)

 

フットボールサミット第8回『本田圭佑という哲学 世界のHONDAになる日』(2012年8月カンゼン)

◆本田の社会的な意識の高さ

本田はアメリカの俳優とともに、ベンチャー企業に投資するファンドを立ち上げ、そこでの収益を西九州集中豪雨の被災者支援に向けるなど、社会貢献に高い関心をもっている。引退後のサッカー選手が、たとえば貧困問題に取り組んできた中田英寿らのように、社会貢献活動に献身するべきだという考えをしめしてきた。

韓国も北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)も、サッカーは人気スポーツである。スポーツ外交ということでは、北朝鮮はバスケットボールのデニス・ロッドマン(元NBA)を再三にわたって招き、金委員長自身がバスケットファンとして迎えている。日本でもアントニオ猪木議員が32回にわたって訪朝し、民間外交の成果をあげている。猪木議員の場合は個人的なパフォーマンスの色合いがつよく、そもそもプロレスにどこまでスポーツ性をみるかという問題がある。しかるに、サッカー日本代表の顔だった(本人は代表からの引退を表明)本田が、指導をかねて訪朝することになれば、ある種本格的なスポーツ外交の流れが生まれるかもしれない。

◆ポーズだけの安倍政権の内実が暴露される

しかし、そんな歓迎すべき流れの源流が出来つつあるなかで、その流れに追い詰められかねないのが、わが安倍政権なのである。米朝会談でトランプが「拉致問題の解決を提起」していらい、安倍政権も日朝対話にむけて動き出しているかにみえる。ポーズだけでもそうしなければ、日米・米韓、あるいは日韓の協調の流れから孤立し、東アジア外交のなかで何らの役割りも果たせなくなるからである。

このかん、北朝鮮側は「拉致問題の調査報告を日本側に説明する」と、対話の糸口をちらつかせている。しかしこれは、日本側が「受けとらなかった」2015年の特別調査団の報告書であって、2014年のストックホルム合意に基づくものにほかならない。その内容は、日本政府がけっして認めることのできない「8名の死、4名は未入国」なのである(6月22日ごろ、北朝鮮当局者から日本政府に連絡があったと、政府関係者が明らかにした)。

日本のインテリジェンス(情報力)と歴史問題への決着(植民地化の清算)をもって、先行的に拉致問題をリードすべきだ(蓮池透氏)ったのに、安倍は「徹底した制裁をつづける」ことで北朝鮮の崩壊を期待してしまった。これが戦略的な誤りだったのは、現在の日本政府の孤立に照らせば火を見るよりも明らかだ。

◆戦争を前提にした外交は破綻する

長距離ミサイルを開発し核で武装する北朝鮮こそ、おそらく安倍晋三にとっては理想の好敵手だったに違いない。そのために安保法制で自衛隊の交戦権、すなわち集団的自衛権を開封し、イージスシステムなど最先端の兵器で武装を推し進めてきたのだ。それはアメリカの軍産複合体(兵器産業)の要請でもあった。同時にそれは戦争の危機を煽りつつ、アメリカの一極支配と固い盟約関係をむすぶことにある。近未来的には、日米同盟を機軸に中国の台頭と対決し、軍事力による平和をめざすものにほかならない。しかしながら、アメリカトランプ政権が、なかばロシアにコントロールされ、ヨーロッパと中国にも保護主義を全面化しているなか、その一貫性のなさに振り回される運命にある。

気がついてみたら、アメリカに引きずられて戦争を始めてしまっていた、という事態も考えられないわけではないのだ。戦争をまねくかもしれない危険な政権を、これ以上つづけさせるわけにはいかない。


◎[参考動画]本田選手 ピッチの外で新たな挑戦(日本経済新聞2018/07/17公開)

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)

著述業・雑誌編集者。主著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)、『軍師・黒田官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)、『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。医療分野の著作も多く、近著は『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

月刊『紙の爆弾』8月号!

『NO NUKES voice』16号 総力特集 明治一五〇年と東京五輪が〈福島〉を殺す

横山茂彦『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

 

カジノ管理委員会と原子力規制委員会の違い(2018年6月9日付け朝日新聞)

国会が閉幕した。本国会でも「強行採決」が連発された。自公で3分の2以上の議席を衆参両院で持っている、圧倒的に数的な優位にある与党が、なぜ、かくも頻繁に「強行採決」を連発するのだろうか。通常手続きの1つのように「強行採決」が頻繁に行われるので、国会で「強行採決」は日常茶飯事、と若い読者は勘違いされるかもしれない。「強行採決」は文字通り、「採決」を「強行」することであり、決して通常の手続きではないし、議論で勝つことができず、無理やり数に頼んで(時には半ば暴力的に)採決を行ってしまう行為は、民主的なプロセスではない。あれは異常な行為である。

◆与党の「強行採決」にそれ相応の「非常手段」を取らない野党

 

第4次安倍内閣の主要閣僚(首相官邸HPより)

参議院の議員定数増、カジノ法案などが成立した一方、安倍首相周辺の森友学園問題、加計学園問題、文書改竄問題などには決定的な追及が加えられることもなく、安倍政権は国会を乗り越えた。野党は情けないことこの上ない。与党が「強行採決」を連発するのであれば、それ相応の「非常手段」を野党も戦略上取らなければ、対抗のしようがなかろうに、どこを見回しても、そのような覚悟は見当たらない。「議場封鎖」や、「強行採決」の際には委員長を物理的に着席させない、など(これらも決してお行儀のよい行為ではないけれども)の対応でもしなければ、どんなに無茶苦茶な法案であろうが、今後も両院をどんどん通過してゆくことだろう。

そもそも、野党とはいっても、理念や政策、価値観が自民党とそう大きく異ならない、少数野党が出来ては消える現象がいつまでたっても終わりそうにない。「小選挙区制を導入したら政権交代可能な二大政党制が成立する」と息巻いていたひとびとは、間違いを声高に叫んでいたことが証明されている。

 

第4次安倍内閣の主要閣僚(首相官邸HPより)

制度設計をする主体が、自分に不利になる制度改革を行うだろうか。政治の場でそんな殊勝なことを考える集団があるとは、わたしには信じられない。「政治改革」や「行政改革」はいつだって、政権与党にとってどこかにメリットのある「制度変更」であったはずだ。たとえば、55年体制崩壊以降、「保守・革新」という対立の構図は崩壊し、一部を除いて「保守」政党の林立を招く結果となっている。最近報道で「革新」という言葉じたいをほとんど目にしなくなっている。立憲民主党だって、枝野氏は「われわれが本当の保守」などと述べている。類似した政治理念(理念と呼ぶほどのものでもないか?)、政策を掲げる政党であれば、新しく政党を作ってもらう必要はない。

◆多数派であるはずの庶民の要求を的確に代弁できる巨大政党は生まれるか?

望むべくは自民党とは正反対に、護憲を明言し、集団的自衛権・日米安保を破棄。大企業に積極的に課税し、所得税の累進税率を上げ、消費税を廃止して、医療、教育費の全面無償化を目指す(いきなりそこまでは無理にしても、段階的に)といった、方向性を持つ政党の誕生である。もちろん原発は全機即廃炉である。このような政策を打ち出す政党が誕生し、少数政党乱立のなかで、核となり成長してゆけば、国民にとっては明確な「反自民」の選択肢となりうる。未曽有の大雨により、惨事となることが警戒されている中で、宴会をおこない、それを誰恥じるともなく発信するような神経の持ち主に、何を期待しても無駄であり、その類似勢力も同様だ。

自民党が大企業の代弁者であるのに対して、生活するだけでも精一杯な庶民の要求を代弁する政党がうまれたとき、はじめて変化の可能性が生まれるのだろう。それまでは、異例の猛暑のように、政治の世界も「異常気象」が続くことを覚悟せねばなるまい。


◎[参考動画]「安倍内閣不信任決議案」衆院 本会議(2018/07/20)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

月刊『紙の爆弾』8月号!

大学関係者必読の書!田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

いよいよ凄惨なリンチを受けた大学院生M君が、李信恵氏はじめカウンターの主だったメンバー5名を訴えた裁判の控訴審が23日(月)14:30から大阪高裁で開かれる(別館7階74号法廷)。控訴審も傍聴券の配布があるため、傍聴希望の方は1時40分から午後1時50分までに大阪高裁別館の前にお越しいただきたい。大阪高裁では地裁に続き、この裁判を「警備法廷」と位置付けている。

M君側は、微に入り細にわたり一審大阪地裁判決を分析、批判し周到に準備した長文の控訴理由書、元読売新聞記者でジャーナリストの山口正紀さんが怒りを込めて執筆してくださった意見書などを提出した。

著名なジャーナリストや学者、弁護士らによって事件の存在と実態が意図的に隠蔽されてきた本件リンチ事件に対し、われわれは被害者救済と真相究明に向け綿密な取材と調査を進め、周知のようにそれは5冊の本にまとめ出版し、心ある方々に受け容れられている。この期に及んで「リンチはなかった」などというデマゴギーは通用しない。

そんな中、ニュースが飛び込んできた。20日M君は、李信恵氏を大阪第四検察審査会に審査の申立てをしたのだ。検察審査会への申立ては、一度不起訴になった人に対しての起訴を求めて審理を求める制度である。「M君に掴みかかった」ことを認め「誰かが止めてくれると思っていた」と1審の尋問で語った李信恵氏。地裁判決では責任が認められなかったが、彼女がM君を殴ったことの証拠は多数残っている。しかもそのほとんどが、李信恵子氏と近しい間柄の人物の発言であったり、書き残したメールなどだ。一般人の感覚からすれば、刑事事件で不起訴になり、民事裁判で李氏の責任が認められなかったことは不可解としか言いようがない。

検察審査会は一般の市民により構成されるので、「法曹の世界」の常識ではなく、「一般市民」の感覚が活かされるはずだ。どのような決定がなされるかは予断を許さないが、われわれはM君と絆を強め、最後まで<真実>を求め続ける。M君の闘いは大阪高裁と検察審査会が同時並行で進むことになる。

いずれにせよ、猛暑の中闘いは第2ラウンドに入った。控訴審では、地裁判決のように個人名を誤記したり、被害者(M君)が「平手で殴られたのか」、「手拳(げんこつ)で殴られたのか」に専ら拘泥し、事の本質を見ないような裁判官ではなく、公正な判断と訴訟指揮をわれわれは期待する。また、検察審査会には、李信恵氏不起訴などという不当な決定を覆し、起訴相当の議決がなされることを望む。

一方、鹿砦社が名誉毀損等で李信恵氏を訴えた裁判と、李信恵氏が鹿砦社を訴えた裁判が18日、19日と2日連続して大阪地裁で開かれた。

鹿砦社が原告の裁判は、本来であればもう結審していてもおかしくはなかったのであるが、李信恵氏代理人の上瀧浩子弁護士が3月15日の口頭弁論で「反訴をする」と突如言いはじめ、裁判所に同じ裁判での「反訴状」をいったん出しながら、それを引っ込め、別訴を起こし、それを本訴と併合審理を求めながら認められなかった経緯がある。そのために別の裁判となったのであるが、いたずらに混乱と遅滞をもたらした。鹿砦社としては、余計な裁判を起こされた形になり、弁護士費用ほか、余分な支出や労力を余儀なくされることになった。やれやれである。

しかしながら、この2つの裁判は、そもそも李信恵氏が、自身のツイッターに「鹿砦社はクソ」、「クソ鹿砦社」などとの罵詈雑言を書き込んだことが出発点である。本通信などで何度も李信恵氏には「品性に欠ける表現は慎むよう」警告を発してきたが、それでも誹謗中傷がやまなかったために、仕方なく鹿砦社は提訴に踏み切ったわけだ。鹿砦社が提訴して以来、さすがに、以前のような発信はなくなったようだ(当然だろう)が、裁判をいたずらに引き延ばされるのは迷惑千万である。こちら側は裁判官の指揮に従い粛々と主張を行っているのであるから、まっとうな対応がなされないことは遺憾である。鹿砦社が原告の裁判の次回期日は9月12日(水)13時30分から、李信恵氏が原告の別訴のほうは同日15時からである。

闘いは第二幕が開いた! まだまだ闘いは続く――理はわが方にあり! 共に闘わん!

(鹿砦社特別取材班)

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教祖の麻原彰晃をふくむオウム真理教事件の七人が死刑を執行され、政府は国民の反応をみながら、つぎの死刑も準備しているようだ。七人もの死刑執行は、戦前の大逆事件(幸徳秋水ほか12人)いらいである。この死刑は真昼のワイド番組で、まるで中継でもされるかのように報じられた。ふたつのサリン事件で21人を殺し、内部での殺人事件、坂本弁護士一家殺害など、世紀の凶悪犯罪をおかした死刑囚たちの死は、ある種の感慨をもって受け止められた。その感慨とはおそらく、四半世紀いじょうも前に日本社会をゆるがせた事件の謎であろう。

いっぽう死刑の前夜、上川法務大臣と安倍総理は秋の総裁選をみすえながら、赤坂で宴席を設けていた。明朝の死刑執行が決まり、あたかも西日本を襲った集中豪雨が重大なものと予見されるなかである。翌朝の死刑と天災を嗤うかのように、防衛大臣をふくむ閣僚・自民党議員たちが酒宴を愉しんだのには、いささか不気味なものを感じないわけにはいかない。働き方改革関連法案の強行、カジノ立法と、矢つぎばやの政権運営には、もはや独裁政権の名がふさわしい。

◆死刑に慣れてしまったわれわれ

国民の多くは、オウム事件の真相が究明されなかった感慨のいっぽうで、わが国が死刑制度をもつ国であることには、あまり愕きを感じなかったのではないか。わたしたちの社会は犯罪の総数が減っているにもかかわらず、ワイド番組で凶悪犯罪が派手に報じられることで、死刑の存在も身近なものにしてしまっている。つまりわれわれは、死刑に慣れてしまったかのようだ。ワイド番組が凶悪犯罪を報じるのが悪いというのではない。国家による死刑は凶悪、あるいは憲法で禁じられた残虐な刑罰ではないのか、という問いが発せられることがあまりにも少ないのが問題なのだ。

今回の大量死刑に対する国際的な評価は、どうだったのだろうか。駐日EU代表部は、声明を発表し「加害者が誰であれ、またいかなる理由であれ、(オウム真理教の)テロ行為を断じて非難する」とした上で、このように呼びかけた。「しかしながら、本件の重大性にかかわらず、EUとその加盟国、アイスランド、ノルウェーおよびスイスは、いかなる状況下での極刑の使用にも強く明白に反対し、その全世界での廃止を目指している。死刑は残忍で冷酷であり、犯罪抑止効果はない。

さらに、どの司法制度でも避けられない裁判の過誤は、極刑の場合は不可逆である。日本において死刑が執行されなかった2012年3月までの20ヵ月を思い起こし、われわれは日本政府に対して、死刑を廃止することを視野に入れたモラトリアム(執行停止)の導入を呼びかける」

国連の人権高等弁務官事務所も、報道局の取材に対して文書で回答し、「死刑は人権上不公平な扱いを助長する」「他の刑罰にくらべ犯罪抑止力も大きくない」「麻原死刑囚ら七人の死刑が執行されたことは遺憾」としているという。現在、世界で死刑を廃止している国は138カ国である。これは全世界の70パーセントにあたる。死刑制度を存置している国は、58カ国である。先進国7カ国では日本とアメリカ(州によって死刑廃止)、G20では中国・日本・インド・インドネシアなどのアジア諸国とサウジアラビア、ヨーロッパは死刑廃止国が51カ国、存置しているのはベラルーシだけである。

かように世界の趨勢は死刑廃止に動いているのに、わが国では今回の大量死刑に快哉を叫ぶものもいたという。一時的な感情としてなら、それもいいかもしれない。ワイド番組で死刑報道に視聴者が興味をしめすのも、死刑というものが本来もっている、見世もの的な本質によるものだ。中世の処刑には遠路はるばる、それを見学するために旅をしてくる者もあったという。事件の被害者に思いをはせながら死刑をよろこぶのは、かれらがブラウン管をへだてた傍観者だからである。テレビで報じられる被害者感情は、容易に傍観者たちに伝わるものだ。しかし、死刑をふくむ重大犯罪に、誰もが逢着する可能性はゼロではない。カッとして凶器を手にしてしまう。それが複数人に及んでしまうことも、ないではない。ある意味で、凶悪犯罪とは事故なのである。自分の問題として引きつけて考える機会がない人は、それで幸せなのかもしれないが、犯罪者の大半はどこにでもいる人間が事故を起こした結果なのだ。

 

上川法相に対する日弁連・人権救済委員会の申し立て

◆人権救済と再審請求を無視した傍若無人ぶり

ところで、今回死刑執行された麻原彰晃においては、日本弁護士会の人権委員会から「心神喪失が疑われる死刑確定者の死刑執行停止を求める人権救済申立」という意見書が東京拘置所に申し立てられていた。死刑執行の17日前(6月18日)のことである。今回の死刑では「平成の事件は平成のうちに」「天皇代替わりや東京オリンピックに影響が出ないように」という政治的な判断が憶測されたが、事実はそうではない。6月18日の申し立てが引き鉄になったのは明らかであろう。

もうひとつ、今回処刑された7人のうち6人までが再審請求を行なっていた事実だ。いうまでもなく、再審は法的に認められた権利である。検察側に協力的だった井上死刑囚が、再審書面のなかで証言をひるがえすのではないかと危惧した法務当局は、再審請求中は死刑を執行しない原則を破ってまで、執行に踏み切ったのである。だとしたら今回の死刑執行は、きわめて政治的かつ恣意的なものだということになる。いや、そもそも死刑は恣意的で危険な刑罰である。EU代表部が危惧するとおり「どの司法制度でも避けられない裁判の過誤は、極刑の場合は不可逆」なのである。オウム死刑囚が冤罪だと言っているわけではない。われわれのなかに、凶悪犯は殺せ! なぜオウム事件が起きたのかという社会的な考察なしに、悪いヤツは殺せという死刑肯定が蔓延するごとに、立ちどまって考える能力は失われるのだ。やがてそれは、今回のような大量死刑を数倍する事態をもたらすかもしれない。あたかも、ナチスの大量虐殺を業務としてこなしていった、SS将校アドルフ・アイヒマンのような感覚が……。

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)

著述業・雑誌編集者。主著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)、『軍師・黒田官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)、『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。医療分野の著作も多く、近著は『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

「オウム」的なものにわれわれは今、どう立ち向かうべきなのか? 『終わらないオウム』上祐史浩・鈴木邦男・徐裕行=著 田原総一朗=解説 本体1500円+税

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横山茂彦『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

三里塚闘争は土地所有をめぐる空港反対運動だったのか、それとも農民闘争だったのか。社会運動の観点からは、そんな命題が残されたように思う。実態は農民が主体の住民運動であって、土地を奪おう(強制収容しよう)とする国家との闘いだった。農民が主体である以上、営農の問題は運動の原動力でもあった。農民にとって営農とはつまり、土地と共生して行くということにほかならないからだ。

◆資本主義における農民問題とは何か?

あのころ、わたしたちは社会主義論の立場から、農業の集団化というテーマが問題意識にあった。戦争反対や政策反対闘争の延長に革命を措定するのではなく、運動そのものが社会主義の要求を内包するものと提起するべきだと。そこで単なる空港反対運動ではなく、農民を社会主義に動員する萌芽があるはずだと考えていた。当時はオルタナティブ(政策選択)という言葉が流行していたが、あえて社会主義革命の準備という表現に執着したものだ。これは関西ブントと合流したゆえの党派性であろうか。当時、わたしが属した情況派の流れを汲む組織は、赤軍派の一派と合流していた。

一般的な定義をしておこう。マルクスの時代、農民は共同体を通じても自然の力(天変地異)に抗することができず、神や絶対的な権力(君主)に頼らざるを得ない(『ルイ・ボナパルトのブリューメル18日』)したがって、没落するか体制に組み込まれる存在だと考えられた。もっともマルクスは、ロシア革命の黎明期にベラ・ザスーリッチ(ナロードニキ・メンシェビキの女性革命家)に宛てた手紙では、ロシアのミール(農村共同体)の革命的な可能性を予言している。

いっぽう、帝国主義段階の資本主義の下では、農産物は国際競争の中で、商品として安価な地域に淘汰される。したがって農業は大工業化されるしかないので、農民の大半はかならず零落する。これが近代の農業・農民問題である。そこから、土地の共同所有・全人民的な所有のよって、農業の集団化が計られることで、農民は零落することなく生産性を上げることができる。と、レーニンおよびロシア社会民主党(ボ)を継承したコミンテルンは問題意識を持った(わたしの理解です)。したがって、農民は労働者階級と連帯して、社会主義に向かうべきである。そうしなければ、零落する小ブルジョアジーとなるしかないのだと。かなり教条的だが、新左翼の大半はこう考えていたはずだ。じっさいには、ソ連邦のコルフォーズ・ソフォーズ(国営農場と集団農場)は農民の営農意欲を刺激できず、資本主義的な工業化すらできなった。

 

二木啓孝さんインタビュー「反原発は、生き方の問題です 三里塚とメディアの現場」(『NO NUKES voice』Vol.16より)

 

二木啓孝さんインタビュー「反原発は、生き方の問題です 三里塚とメディアの現場」(『NO NUKES voice』Vol.16より)

◆共同出荷と有機農法

三里塚における農業の集団化は、東峰部落で行なわれたワンパック、共同出荷場の作業にその具体性があると思った。そこで現地集会の前夜には青年行動隊を呼んで、農業の集団化について討論会を持ったことがある。「どうせ闘うのなら、農業もいろんな方法でやってみっぺ。いろんなことを試してみる。そういう問題意識だな」と語ってくれたものだ。三里塚の運動が生協をはじめとする全国に広がっているから、流通も全国に拡大できる。じっさいに、わたしは藤本敏夫さん(加藤登紀子さんのお連れ合い)の「大地を守る会」のアルバイトをしていたから、三里塚の野菜(根菜類が多かった)の需要は実感していた。それでものちに、同じ東峰部落の堀越さんが朝採り野菜を団地などで直販したほうが、野菜の美味さは格段に上だったと思う。ぎゃくに言えば、三里塚の野菜は「三里塚闘争」というだけで、ありがたがられる存在だったのだ。

有機農法については、かなり早い段階で取り入れられていた。冬場の援農で、「堆肥を取ってきてくれ」と言われて、山積みになっている乾燥堆肥の温度におどろいたことがある。見えない微生物が繁殖して、そこだけ熱を持っているのだ。農学部の学生も「無農薬・有機農法(微生物農法)」に興味を持っていて、それを見るために三里塚闘争に参加するケースもみられた。

◆成田用水問題

三里塚闘争に農業農民問題としての側面が厳然たるかたちで浮上したのは、80年代なかばの成田用水問題だった。成田用水は高地(北総台地)である三里塚に、はやくから計画されていた。それが土壌整備(深田の底上げ)などと一体化して、空港建設の見返り事業として立ちあらわれてきたのである。支援党派の多くは、これを空港建設の一部と見なして反対した。用水建設反対運動も実力闘争となったが、これがのちに反対同盟の分裂にいたるひとつの契機だった。常東農民運動で名高い山口武秀さんの言うところを、伝聞だが記しておこう。共産党も新左翼も、農民運動としての三里塚闘争を政治闘争にしてきた。政治的に利用してきた、というニュアンスである。農業基盤整備を行わない農民運動は、営農とかけ離れたところで闘っていることになるのではないか。そういう意見だったと思う。肝に命じるべし。

◆農への志向

それにしても、三里塚闘争にかかわった学生たちは農業というものを体感することで、人生観が変わったのではないだろうか。少なくともわたしはそうである。わたしの先輩の二木啓孝さんも同様だ。最新号の『NO NUKES voice』(Vol.16)に「反原発は、生き方の問題です 三里塚とメディアの現場」というインタビューにまとめてみた。ぜひ読んでいただきたい。明大農学部出身の二木さんは、鴨川の棚田で農に接している。

わたしの場合は連れ合いに誘われてだが、松戸の市民農園でささやかな「営農」をしている。年間9000円で3メートル×5メートルの畑に、ホウレンソウや小松菜、ミニトマトにナス、ピーマン、獅子唐辛子、トウモロコシ、キャベツなど。マンションでやってみたプランター農業とは、まったく地力がちがうので愕いた。週末だけの農業とはいえ、スーパーで野菜を買う機会が減った。みなさんも是非!(この連載は随時掲載します)

▼横山茂彦(よこやましげひこ)

著述業・雑誌編集者。3月横堀要塞戦元被告。主著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)、『軍師・黒田官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)、『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。医療分野の著作も多く、近著は『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

『NO NUKES voice Vol.16』総力特集 明治一五〇年と東京五輪が〈福島〉を殺す

月刊『紙の爆弾』8月号!

横山茂彦『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

われわれは、6月29日付けの本通信で、「関西カウンター」の理論的支柱・金明秀関西学院大学社会学部教授の隠された暴力事件について確たる証拠資料を摘示し報じ各方面に大きな反響を及ぼした。

次いで7月4日付けの本通信で〈【金明秀暴力事件続報】関西学院大学へ質問書送付!〉を掲載した。同日の通信の中で、

〈そこで取材班は鹿砦社代表松岡利康名で7月3日、関西学院大学村田治学長に対して「ご質問」を郵送し7月17日までに回答を頂けるようにお願いをした。

この「ご質問」は「公開質問状」ではないので、本日ここでその内容を明らかにすることはできない。鹿砦社は関西学院大学に対してなんらの悪感情を持ってはいないし、逆に同大学の建学の理念や歴史には正直なところ深い敬意を抱いている。よって、しばき隊幹部や事件隠蔽関係者に送付したような「質問書」とは、かなりトーンも異なるものである。

日大との対比で、優れた人権感覚と教育的視点、学生に対する眼差しを体現し、世間からも高い評価を受けた関西学院大学のことであるから、必ずやわれわれの「ご質問」に対して誠実なご回答を頂けるものと、取材班は信じている。ご回答を頂けた暁には内容に差しさわりのない範囲で読者諸氏にもその内容をご紹介することとしたいので、是非7月18日以降の本通信にご注目頂きたい。〉

と読者諸氏にはご案内した。つまり昨日17日が回答期限であった。関西学院大学から、17日午前、以下の通り回答を頂けた。回答は頂けたものの、一部を除いて、私たちの質問への明確な返答はない。最低限のマナーは守っていただけたかもしれないが、この回答では、問題の本質を解き明かす筋道にはならない。

7月17日、関西学院大学広報室から鹿砦社に届いた〈「ご質問」に対するご回答〉

ちなみに取材班が、関西学院大学へ送付した質問書は以下の通りである。

関西学院大学村田治学長への「ご質問」(鹿砦社代表松岡利康名で7月3日郵送)

関西学院大学村田治学長への「ご質問」(鹿砦社代表松岡利康名で7月3日郵送)

関西学院大学村田治学長への「ご質問」(鹿砦社代表松岡利康名で7月3日郵送)

相当な敬意を払いながら関西学院大学にはお尋ねをしたのだが、頂いた回答は、問題の本質部分に触れていない。現在も教壇に立ち続けている金明秀教授は、確実なだけでも2件の暴力事件を引き起こした人物である。極めて重大な問題ではないか。

理由の如何を問わず、他人に暴力行為を振るう(それが子供時代であれば「むかしの話」で済ませられるが、大学教員就任以降である)人物が大学の教員であることは、場合によっては、「学生が暴力の被害者になる」ことの可能性を示すだろう。その危険性に関西学院大学は、気が付かないのか、あるいは黙認するのか。

すでにネット上では明らかになっているので、この際被害者の方のプロフィールも部分的に触れておいた方がよいだろう。実は被害者は金明秀教授と同じ、関西学院大学社会学部の教員の方である! つまり今回の「金明秀教授暴力事件」は学内問題でもあるのだ。しかも被害者は、いわゆる「日本のマジョリティ」ではない。日本社会でマイノリティとされる(例えば在日コリアンなど)方である。したがって、金明秀教授が「レイシャルハラスメントに腹を立てて殴らざるを得なかった」という理由は成立しない。

取材班には事件直後からの膨大な資料が各方面から届けられている。事件直後に金明秀教授が被害者の先生に送った、仰天する内容のメールもある(金明秀教授、関西学院大学の態度を観察し、必要に応じて公開してゆく)。

そして、取材班とは全く別に「新世紀ユニオン」委員長が7月13日付けの自身のブログで「暴力事件に関する関西学院大の不可思議な対応!」と題し、以下のように報告をしている。

〈新世紀ユニオンでは7月9日付けで関西学院大に内容証明郵便で団体交渉を申し入れました。その内容は以下の通りです。

貴大学教員であり、当ユニオンの組合員であるA教授に対する金明秀教授の暴力事件とその後の蒸し返し等に関する貴大学の対応に付いて以下の通り団体交渉を申入れます。

団体交渉申入書
1、日時 7月30日(月)午後1時~3時
2、場所 貴大学会議室もしくは貴大学が用意する会場、もしくは当ユニオン事務所のいずれか。
3、議題 金明秀教授の暴力事件に関する貴大学の管理責任、その他。
4、参加者 貴大学の責任権限ある者並びに事件の詳細を知る人事部小橋人事課長・社会学部弓山事務長の出席希望。

当ユニオン出席者は団交応諾確認後募集します。約5名前後を予定。
以上に付いて、回答を当書面送達後一週間以内に書面にてお願いします。

このように、事件の詳細を知る人物の名も2名記してあるのに、関西学院大側の回答書は(1)議題の「その他」とは何か(2)管理責任という内容に付いて貴組合の要求事項を示せ(3)「蒸し返し」とは具体的に何を指すのか?と聞いてきました。言わば「とぼけ戦術」です。

関西学院大の回答はその上で30日は「調整が困難」だから「いくつか候補日をあげて頂きたい」というもので、しかも書面に印かんもない書面でした。

普通団交で提示した期日がダメな場合、変更する日時を相手側が提示するものですが、こちらに候補日を提示させるというのは大変失礼な対応です。

金明秀教授は暴力教授で有名な男で、被害者のA教授は13回も顔や喉を殴られ声帯を潰されるなど大けがをしました。警察に被害届を出しましたが警察が和解するよう促したので双方の弁護士の間で和解が成立していました。金明秀教授の代理人弁護士はこの暴力を明確に謝罪しています。ところが金明秀教授は和解条項に違反するように、学内でA教授への暴力を否定する言動を振りまき、A教授に精神的苦痛を与え続けています。これらの事は人事部小橋人事課長・社会学部弓山事務長に報告しています。しかし彼らは何もしませんでした。

重大な事は、金明秀教授が他にも暴力行為を行っていることです。関西学院大側がこうした金明秀教授の暴力事件とその否定を見て見ぬ振りをし、とぼけて団体交渉を逃れようと画策していることです。なぜ関西学院大が金明秀教授を庇い、暴力に対し管理者としてキチンと処分しないのかは不明です。

労働契約法第5条は労働者への安全配慮義務を定めています。金明秀教授に暴力を振るわれ、一度は解決金を加害者が払うことで和解したのに、金明秀教授が暴力を否定する発言をしている事を大学側が容認していること、このような管理責任の無い、文字通り無責任が。金明秀教授の暴力を繰り返させる原因ではないかと思われます。管理責任とは安全配慮義務であり、暴力事件を引き起こしている教授に対する大学の管理責任が問われています。暴力事件の被害者が複数に達している事を関西学院大は知っているのに知らない振りをしています。

関西学院大学は、日大のフットボール部のルール違反に対し、厳しく追求の立場をとっていますが、自大学の暴力教授には極めて不明瞭な「見て見ぬ振り」をしています。これを追求しょうとする新世紀ユニオンの団体交渉申し入れにも、誠実に対応していません。遺憾という他ありません。

我々は暴力事件の隠蔽を絶対に許さない。
今後この事案については、本ブログで適時に事件の詳細を明らかにする予定である。〉

http://shinseikiunion.blog104.fc2.com/

引き合いに出される「日大アメフト部」事件で、関西学院大学(正確には関西学院大学アメリカンフットボール部)は、その対応をマスコミから極めて好意的に取り上げられた。日大の最悪の対応とは対照的に、関西学院大学アメリカンフットボール部の判断や、発信はたしかに優れて、「学生重視」の視点が伺えた。正反対に「金明秀教授暴力事件」では、日大と同程度に稚拙な対応しかできていない。鹿砦社への不充分な回答にだけではなく、組合から要求があった「団交」に対する態度は不誠実極まりない。

われわれは引き続きこの問題に注視し取材を進め、続報をお届けしてゆく。

(鹿砦社特別取材班)

 

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2018年7月12日付け日刊スポーツ

◆本質とまるで正反対な2020年「復興五輪」

〈2020年東京五輪・パラリンピック調整会議が12日午前、都内で行われ、東京五輪聖火リレーの出発地点を福島とし、開始日は20年3月26日と決定した。大会組織委員会の森喜朗会長が提案し、小池百合子都知事、鈴木俊一五輪相ら関係団体のトップが集まる同会議で了承された。〉(2018年7月12日付け日刊スポーツ)

そうだ。こう来るだろうと予想した通りだ。2020年東京五輪はその本質と正反対に「復興五輪」と、まったく虚偽の謳い文句で持ち上げられている。7月12日の新聞各紙の見出しには「トリチウム汚染水海へ」の文字がある。(2018年7月12日付けNHK)

 

2018年7月12日付けNHK

福島第一原発敷地内に溜まりにたまった汚染水の処分方法がないから、「希釈して海に流す」と東京電力はいよいよ本格的に準備をはじめるようだ。希釈したって毒物には変わりはない。希釈したら毒性が問題なくなるようなレベルの汚染水だったら、わざわざ山ほどの貯蔵タンクを敷地内に無計画にどんどん建てて、保管する必要はなかったではないか。

世界初の原発4機爆発を引き起こした「東京電力」でさえ、「汚染水は海には流せない」と判断したから貯蔵タンクに保管していたのだろうが。危険物質は既に膨大な量が海や地下水に流れ出している。貯蔵タンクに保管されている汚染水よりもその総量は多いかもしれない(正確に測定で出来ないので断言はできないが)。行政が測定するとほとんど「基準値以下」か「検出基準以下」の値しか出てこない。そんな馬鹿なことがあるか。

原発4基が爆発して、そこから放出された放射性核種の量が、「健康に問題ない」のであれば、どうして病院のレントゲン撮影室の前には「妊娠の可能性のある方は申し出てください」と書かれているのだろうか。甲状腺がんは通常、100万人あたり1~3人が発症の割合とされるが、福島県を中心に既に200人以上の発症が確認されている。誰が見たって、事故との因果関係は明らかであるが、一部の科学者や専門家に言わせると「スクリーニングを丁寧に行ったからだ」(普通行わないほど多くの子供の検査を行ったから発症がわかった)と、素人が呆れるような稚拙な嘘を平然と口にする。「福島県内の医療機関はすべて福島県立医大の支配下にあり、自由に診断もできない」と多くの医療関係者が嘆いている。医師が抑圧されていたら、まともな診察や治療が行えないじゃないか。

残念で残酷至極だが、福島を中心とした汚染はいまだに「すぐ逃げなければならない」レベルから下がってはいない。そこに汚染水の海への放出が加わればさらに環境は汚れる。

◆猛暑の中、汚泥をスコップですくい上げる時の重さ

なにも解決も改善もしていないじゃないか。西日本を襲った豪雨の被害は目に見えやすいので、その惨状が一葉の写真であれ、映像であれ目にすれば容易に被害の深刻さが理解される。あの惨状を目にして「直ちに健康に影響はない」という人はさすがに居ないだろう。

西日本の豪雨による被災者の皆さんは、猛暑の中激烈な日々を過ごしておられる。スコップで水を含んだドロをすくい上げるときの重さは、経験したことのある人には、簡単に理解されるだろう。その作業を避難所で寝起きしながら、猛暑の下続ける負荷はいかばかりか。

かたや、福島を中心とする放射性核種による汚染地域では、その汚れや危険性が目に見えない。目に見えないだけではなく、危険性を知らせようとしない(隠蔽しよう)とする巨大な力が、国ぐるみで綿密に準備され、即実行されている。その最大の隠蔽工作が「2020東京五輪」である。「オリンピックが政治そのもの」であることは、冬に開催された平昌五輪で朝鮮が参加を表明し、女子アイスホッケーでは南北合同チームが結成され、その後に南北首脳会談が板門店で実現、さらに電光石火で6月にはシンガポールで米朝首脳会談まで実現させた、ダイナミズムが記憶には新しい。

行く末は明瞭ではないが、ほとんどの人が予想さえしなかった米朝首脳会談の実現は、歓迎すべき出来事であり、それが「オリンピックの政治性」によって誘引されたのだとしたら、オリンピックの政治性は評価に値する。しかし多くの場合、オリンピックの政治性は「和平」や「融和」ではなく、国威発揚や国内問題の封印のために力を発する。1969年の東京五輪、モスクワ五輪やロスアンジェルス五輪、北京五輪には濃厚にその側面が表出していたし、古いところではミュンヘン五輪では選手が政治的文脈で殺される事件も起きている。

「2020東京五輪」は資本主義最終末期・人口減にあえぐ、日本の権力中枢が、国家破綻の引き金にもなりかねない「福島第一原発事故」隠蔽と、嘘っぱちに紛れた虚飾の美辞麗句で一儲けを企む金の亡者との結託により開催が目論まれる、反人民的、打史上比類ない悪意に基づく悪行集合体である。

東京でオリンピックを開催したら、それがどうして「復興」と関係があるのか。まずはこんな単純極まりない問いを、少し頭を冷やして考えれば、その欺瞞性は理性ある人には理解できるはずだ。聖火リレーの出発点か通過点か知らないけれども、そんなことを画策する者どもは、福島の人々の本質的被害から目を逸らさせようとする極悪人ばかりである、と私は断じる。

「2020東京五輪」は人倫的犯罪である。私は断固反対するし、「2020東京五輪」のスポンサー、待ちのぞむマスコミ、何気なく乗せられる庶民に対して、明確に異議を明らかにする。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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