最新刊『真実と暴力の隠蔽』定価800円(税込)

師岡康子弁護士――ヘイトスピーチ対策法成立に大活躍をしたほか、在日コリアンの権利にかんして多くの働きをしてきた弁護士だ。著書に、カウンターの理論的バイブルとして有名な『ヘイト・スピーチとは何か』(岩波新書)がある。

しかし、師岡弁護士は同時に、刑事事件隠蔽指示、被害者M君を「信用毀損罪」と断じる、ほか、「M君リンチ事件」を知りながら、下記の通り弁護士倫理にとどまらず、人道的に絶対に許すことのできない言説を事件直後に発信していた人物であることが、K3(ハンドルネーム)こと金展克氏の暴露により明らかになった。

ある識者はこのメールを見て「嘔吐感を催す」と表現した。「人間の考えることではない」と感想を述べた人もいる。さらに穏やかでない表現も多く聞かれた。

取材班は数年前から、「師岡メール」についての噂をたびたび耳にしていたが、果たして本当に存在するのか? 存在するとしてそれは、注視するほど重大な内容なのか?とやや穿った見方をしていた。しかし、明かされたメールの内容は仰天に値する。このメールのほかにも金展克氏とやり取りのメールが明かされている。

このメールは、完全なる「リンチ事件隠蔽指示」ではないか。そしてその理由は「ヘイトスピーチ対策法」(名称は言及されていないが)立法化のためだと師岡弁護士は明言している。読者諸氏はここで確認されたい。「ヘイトスピーチ対策法」は「M君リンチ事件隠蔽」を踏み台に成立した法律であることを。

そして、取材班の中にも賛否両論あるが、取材班の過半数は「ヘイトスピーチ対策法」を「言論弾圧法」ととらえている。ヘイトスピーチという名の「差別言辞」に対し、取材班は一致して反対である。しかしながら表現活動としての「差別」を法律で規制しても、「心の中に宿る」差別を解消できるのか? 「差別」は表出する、現象だけか? 心の中に宿る差別を解消するためには、最終的に表出される「差別言辞」を法規制するのが妥当なのか。違うだろう。初等教育から中等教育、さらには社会全体での「差別」を無くすための取り組みが前提ではないのか。

日本政府は明確に「差別的」である。最近ではトランプが気まぐれに「米朝首脳会談」の取りやめや、延期、いや「やっぱりやろう」と発言するたびに、そのすべてを肯定している。まったく主体性がない。そして街頭での差別言辞を「ヘイトスピーチ対策法」が抑え込んでも、国会内や総理大臣のはっきりとはしないが、明らかな差別発言に何の効力もないではないか。つまり法に「理念」がないのだ。その結果何が生じるかと言えば「言論内容を対象とした」弾圧である。

日本は第二次大戦中に米国、英国、ロシア(ソビエト)、イタリア、中国、朝鮮半島、インドなどの各国を見下す様々な「蔑称」を持っていた。それらは不幸なことに私自身が身内から直接聞いたので間違いない。

そして、大いに時代錯誤であるそれらの蔑称の一部は、いまでも表現を変えて国会の中で堂々と使われている。その事実に「ヘイトスピーチ対策法」は、まったく無効である。

そのような無意味な法案成立のためにM君が「どう扱われた」は詳述しない。下記の「師岡メール」をお読みいただければ充分だろう。但し1つだけ補完しておく。

弁護士師岡のこの表現しがたい暗然とした意志は、やがて「しばき隊」構成員に伝えられ、彼らが「隠蔽を正当化」する理論的根拠となったであろうことは間違いない。一例をあげれば、ITOKENこと伊藤健一郎が作成した「説明テンプレ」は、師岡弁護士による手前勝手な〝M君リンチ事件隠蔽のための法律解釈″(リンチの被害者がなんで「信用毀損罪」になるのか?)に即して作成された具体策であったと理解するのが妥当であろう。

人ひとりの〈人権〉を踏みにじって成立する法律とは一体何であろうか? 

師岡弁護士よ、あなたの罪は際限なく深い。あなたが弁護士である事実を私たちは認めたくはない。法に寄らずともあなたは人道上取り返しのつかない重大な罪を犯した〈罪人〉である! あなたにはこの〈説明責任〉がある。

2014年12月22日、師岡康子氏から金展克氏宛に送信されたメールの内容

2014年12月22日、師岡康子氏から金展克氏宛に送信されたメールの内容

2014年12月22日、師岡康子氏から金展克氏宛に送信されたメールの内容

鹿砦社特別取材班

 

 

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7日発売!タブーなき『紙の爆弾』2018年7月号!

 

『真実と暴力の隠蔽――カウンター大学院生リンチ事件の闇を解剖する!』定価800円(税込)

このたび出版した『真実と暴力の隠蔽――カウンター大学院生リンチ事件の闇を解剖する!』が大きな波紋を各方面に及ぼしているようです。

本書には多くの〈爆弾〉を装填しましたが、なぜか第9項の木下ちがや氏、清義明氏と私の座談会が「しばき隊」-「カウンター」界隈で問題にされ、当の木下ちがや氏に対して集中的に暴言、糾弾、査問がなされています。ネット上では一部しか表面化していませんが、水面下では凄まじい攻撃がなされているものと推察されます。研究者肌の木下氏は追い詰められ「謝罪」の意をツイートされました。木下氏が自発的に「事実無根」を認め「謝罪」されたというよりも、「謝罪」を強要されたと言っても過言ではありません。強要された「謝罪」は法的にも無効ですし、強要した者は時に「強要罪」に問われます。

一方の清義明氏にも、凄まじい攻撃がなされているようですが、好戦的な清氏は意気軒昂に迎え撃っています。

この座談会を主催し、本誌に掲載した責任者は私松岡ですから、木下氏のような心やさしい研究者を集団で追い詰めるのではなく、不満のある人は私を攻撃してくればいいのではないでしょうか。「棺桶に片足突っ込んだ爺さん」(カウンターの有力メンバーの元鹿砦社社員・藤井正美のツイッターでの表現)にも、それなりの意地と覚悟がありますよ! それ相当の〝対応″をさせていただきます。

 

◆木下ちがや氏の心意気に感謝します

この騒動で批判されている座談会に快く応じられた木下ちがや氏の心意気に、あらためて心から感謝いたします。従前は意見交換が難しいと思われていた方です。読者はお気づきでしょうが、氏の意見には首肯させられることばかりでした。異なる立場から取材・出版していた私には非常に参考になりました。木下氏は「しばき隊」-「カウンター」の内部、あるいはすぐ傍から見て来られたわけですから、私たち〝外野席″から見てきたのとは異なり、圧倒的な説得力があります。これまで寄せられてきた多くの情報の真偽が判りました。木下氏を攻撃する者は、「デマ」だ「ゴミ」だとしか語彙がないようですが、きちんと論を立てて批判していただきたいものです。

座談会は会議室においてアルコールなし、シラフでコーヒーを飲みながら行われました。決して酒が入っていたわけではありません(終了後はアルコールも入り食事し歓談しましたが)。きわめて真面目な議論を交わし有意義なものでした。

お会いする前、木下氏は「しばき隊No.3」といわれ、コワモテな方かと想像していましたが、「しばき隊No.3」を否定され、研究者肌の穏やかな印象の方でした。共産党直結の方との噂もありましたが、かつて「反党分子」と言われた構造改革派系の『現代の理論』にも出入りし寄稿されていて、思想的にも柔軟な方のようでした。私たち(鹿砦社)の素性を知った上での座談会承諾だけでも評価に値するものです。普通なら自分の意見と合わない出版社の座談会などには参加しないでしょう。これまで多くの関係者に取材を試みましたが、現役の「しばき隊」-「カウンター」関係者は、誰一人まともに取材に応じていただけませんでした。その姿勢と木下氏の態度には大きな違いがあります。もし木下氏が巷間いわれているように共産党に所属されているのなら、こうした方こそ同党の未来にとって貴重な人材であろうと思います。

◆木下氏への攻撃は「しばき隊」-「カウンター」に言論の自由がないことをみずから暴露した!

その木下氏が、この座談会のほんの一部の発言で、「ゴミ」だ「クズ」だなどと罵られています。全く遺憾なことです。この〝一部″についても、李信恵自らが吹聴したり多くの人たちが語っている〝公然の秘密″であり〝公知の事実″といえます。あるジャーナリストは、複数の人間の前で李信恵との〝関係″を公言したとの証言もあります。実は李信恵については、(私人ではなく)準公人との認識から、もっと全体的な人間像に迫るべく、家庭内暴力など、もっとディープな証言もあり目下裏取り取材中ですが、早晩明らかにする用意があります。これまでの取材でもかなりの資料や証言などがあり、『李信恵と「反差別」運動の光と影(仮)』といったタイトルで一冊の本にまとめることも検討しています。

ともあれ、木下氏への暴言や糾弾、査問を即刻やめていただきたい。この現象こそが「しばき隊」とか「カウンター」とかいわれる界隈に、言論の自由や表現の自由、批判の自由などないことを、みずから暴露しています。

たしかに気に入らない箇所はあるでしょう。だからといって、あたかも世界が引っくり返るかのように大騒ぎするのはいかがなものでしょうか。さらには鹿砦社の雑誌に登場したこと自体を非難する人もいます。むしろ敵の土俵に乗り込んで自分の意見を述べられた木下氏の男気を私は賞賛したいと思います。

この座談会の、どこがどう「デマ」なのか。批判するのであれば、具体的に事実を摘示して真っ向から批判していただきたい。ちなみに木下氏と同様の趣旨の発言は、同じ項で凜七星氏も語っておられますが、凜氏への集中攻撃は見当たりません。おかしくないですか?

◆よみがえる70年代の忌まわしき記憶

木下氏への暴言、糾弾、査問、M君リンチ事件の様を見ていると、私が若かった1970年代の忌まわしい記憶がよみがえってきます。新左翼における内ゲバ、共産党の査問、部落解放同盟の糾弾闘争……これらが、70年をメルクマールに盛り上がった社会運動が衰退し崩壊する大きな要因になったことは今更言うまでもありません。共通するのは暴力が伴っていたことです。

今、「野党共闘」など喧伝されていますが、かつては「社共共闘」で東京、大阪、京都で革新系知事を輩出しました。当時の革新、左派勢力の勢いは今と比べると雲泥の差があります。これを衰退させた一因に、内ゲバ、査問、糾弾闘争があったことは、私ごときが言うまでもありません。

◆木下氏に「謝罪」の必要なし!

木下氏は「謝罪」などする必要は一切ありません。へたに「謝罪」などすると、後々それを古証文として持ち出され脅されかねませんよ。堂々としていたらいいじゃないですか。また、木下氏を非難する者たちよ、いい加減にしろ! 木下氏への恫喝、〝口封じ″〝隠蔽″策動をやめよ! 

そして木下さん、これを機に、ちょっと自分の意見を発言したら激しく非難されたり糾弾されるような運動からフェイドアウトされたらどうですか? あなたは研究者として勝れたものを持っておられますので、この際、そんな運動から離れ、地道な研究者の途を選ばれたほうがいいのではないでしょうか。

◆「言論には言論で」反論せよ!

ところで、M君リンチ事件についての本は、本書『真実と暴力の隠蔽』で5冊目となります。これに対して、「しばき隊」-「カウンター」界隈の人たちは、「ゴミ本」とか「糞記事」という語彙しかないのか、罵倒に終始しています。まともな批判を見たことがありません。私たちは常々言っているように、「自分たちに間違いはないか?」「この判断で妥当か?」と絶えず自問しています。間違いがあれば訂正・修正するにやぶさかではありません。これもいつも言っていることです。「言論には言論で」と言うではありませんか。これが原則です。私たちの主張に不満があれば、1冊の反論本ぐらい出したらどうですか? あなた方には国会議員、一流の研究者やジャーナリスト、弁護士など多く揃っているわけだから、簡単ではないですか? ほかならぬ李信恵自身、「やよりジャーナリスト賞」を獲るぐらいの立派な「フリーライター」なわけですから――。

 

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M君リンチ事件〈爆弾〉第5弾『真実と暴力の隠蔽』5月28日発売 定価800円(税込)

『真実と暴力の隠蔽』発売からきょうで1週間を迎える。予約で購入してくださっていたかたがたから、28日を前に「届きました。まず表紙をめくってノックアウトされました」、「またしても特ダネの連続! 1冊にするのはもったいないほど(『カウンターと暴力の病理』でCDのインパクトが強く、「藤井メール」の印象が薄くなったのがもったいない……みたいに)濃い内容に唖然です」といった感想が寄せられていた。

取材班は発売前に何度も原稿、ゲラを読んでいるので(但し、今回、〈9項「カウンター」周辺のキーマンに直撃! 明かされる「しばき隊」の内情〉は発売まで松岡と取材班キャップ他一人のメンバーしかその内容は把握していなかった)、内容に自信はもってはいるものの、はたしてどの程度の衝撃を読者のみなさんに与えられるのかは未知数ではあった。『真実と暴力の隠蔽』が総体として“爆弾”であることを確信していても……。

そして“爆弾”はどうやら取材班の予想をこえて、連鎖的な爆発を起こしているようだ。不思議であったのは発売直後の2日ほど、「しばき隊」、「カウンター」界隈からはほとんど発信がなかったことだ。おそらくその間に水面下で「対策会議」が行われていたのであろうことはこれまでの経験からして、想像に難くない。そして「それ」は例によって一斉に始まった。上記9項〈「カウンター」周辺のキーマンに直撃!明かされる「しばき隊」の内情〉に登場していただいた木下ちがや氏と清義明氏のインタビューについての四方八方からの集中攻撃が、両氏に向けられた。清義明氏は発言撤回の意思はなく、今日に至るも堂々と主張を曲げていないが、木下ちがや氏は自身のツイッターで、

 

と、謝罪の意を表明されている。木下氏ご自身の態度や見解につて取材班は意見を表明することを控える。ただし、このような“集中砲火”にさらされれば、どんな議論も反論も成立のしようがないであろうことは、観察していると理解される。

さて、「気になる書き込みがある」とサイバー班から連絡があったのは28日、発売当日だった。

 

この方(以下K3と記す)は、これまでM君リンチ事件に同情的で、われわれの出版物にも好意的な発信をしていた方である。その方が「残念ながら《嘘》がいくつもあるのを確認できた」と発信されたのだ。ことあるごとに表明しているが、われわれは事実誤認や、認識の間違いがあれば、いつでも訂正・修正するにやぶさかではない。悪意に満ちた誹謗中傷は相手にしない(それらは具体的な事象を特定せずに「嘘」、「デマ」と決めつける)けれども、「これはここが違う」と指摘されれば、当然再取材や事実検証、あるいは再考察をこれまでも行ってきた。事実、木下ちがや氏を「しばき隊NO.3」とみなしてきたことは、今回ご本人の言葉により否定されているので、原稿の中でその認識の訂正とお詫びを記している。

K3氏が「嘘」という言葉で『真実と暴力の隠蔽』を評されたことを、取材班は座視してはいられなかった。上述のように彼は「しばき隊」擁護者ではなく、妥当な感覚を持つ人物であると取材班は評価していたからだ。その人物が「事実誤認」ではなく「嘘がいくつもある」と断定しているのである。取材に間違いがあれば訂正・修正しなければならない。この記述では複数の「嘘」があるように受け止められるが、具体的な事実の適示がない。取材班の田所は同日からK3氏がツイッターを書き込んでいる時間を見計らい(お仕事にご迷惑のかからないよう配慮して)何度も電話をかけたが、電話には出て頂けない。仕方なく鹿砦社のツイッターアカウントからK3氏に疑問を投げかけた。

 

 

 

これについてK3氏がご自身のツイッター上で、回答をしていただいていたようであるが、鹿砦社のツイッターを見ていてもその記述は確認できない。ある筋を通して最終通知を行ったところ、30日16:00過ぎにK3氏から田所へ電話があった。K3氏は「凜七星さんの発言に事実と異なる点がある。文責は取材班と書かれているので『嘘』と書いた」と言う。

田所は「文責が取材班との意味は、インタビューは長時間に及ぶが、それをすべて掲載はできない。発言の多くの部分を切らなければならないが、その責任は取材班にある。という意味であって、凛さんの発言やお考えに取材班が同意し責任を持つという意味ではない。これは他の取材対象についても同様である。必ずしも取材班が同意しない意見でも、発言していただいたことを原稿化する。『事実誤認』というのであれば『なにが事実誤認か』を確認するが、あなたの主張では凜さんの考えが、あなたの考えと違うという意味ではないか」と話すと、「凜さんの発言が事実と違うから『嘘』じゃないですか」とK3氏。「凜さんの発言が事実と異なるのかどうかは、彼のお考え認識の問題である」と回答すると「それって『しばき隊』がよく使う論法ですよね」とK3氏。

「ちょっとまって。あなたは『事実誤認』と『嘘』が同義だと考えるのか、わたしたちは『事実誤認』と『嘘』は明確に異なる言葉だと認識している」と見解を示す。K3氏はネット辞書で「嘘」の定義を調べ「1 事実でないこと。また、人をだますために言う、事実とは違う言葉。偽(いつわ)り。2 正しくないこと。誤り。3 適切でないこと。望ましくないこと」であるから、ここでの「嘘」は問題ないだろうと主張。田所は辞書が定義する最初の意味にある「人をだますために言う、事実とは違う言葉」が一般通念として理解されているのだから、あのような表現ではK3氏が本来意図する「凜さんの発言が事実と異なる」ではなく『真実と暴力の隠蔽』が虚飾に紛れていると、あなたのツイッターを見た人は理解しますよと、約1時間半にわたり議論を交わした。

結果K3氏は「嘘」という言葉を自分の意図と異なって捉えられ、鹿砦社に迷惑がかかるのであれば、それは本意ではないのでツイッター上で追加の意見表明をすると表明されたので、取材班も納得した(後刻書き込まれた文章が誤解を解くのに充分であるとは納得してはいないが、K3氏との電話のやり取りの中で誤解は解けたと認識したのでこれ以上この問題には触れないこととした)。

要するにK3氏の書いた「嘘」は凛七星さん発言へ、彼が「事実と違う」と感じた事実であったことが判明した。であるのであればやはり「嘘」という表現は妥当ではなかったであろう。

ところでそのK3氏がどういった心境かは理解できないが、超ド級の資料を公開した。わたしたちの間で「師岡メール」と呼ばれ、その存在がまことしやかに語られはしていたが、噂ではないかとも疑われていた師岡康子弁護士による「M君リンチ事件隠蔽」指示の証拠がついに明らかになった!!(つづく)

(鹿砦社特別取材班)

 

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この連載も10回目になります。闘争の歴史を記述するのは、あくまでもわたし個人の視点によるものであって、100人がいれば100の史実と真実がある。という歴史観から自由ではありません。とはいえ、歴史関連の著書もある史家のひとりとして、なるべく事実に即したものを書き残しておきたい真摯さは持っているつもりです。

そこで、書ける範囲で三里塚闘争の実相を記しておきたいと思う。三里塚闘争において闘争の実効性の大半を占めたのは、実力闘争がもっぱらであった。機動隊を前面に立てて空港建設が行なわれたかぎりで、それは共産主義革命をめざす政治党派が意図した以上に、農民の怒りを根源にした、自主的で必然的な判断・意志によるものだった。三派全学連をはじめとする新左翼の闘争の先鋭化はしたがって、三里塚芝山連合空港反対同盟の実力闘争によって培われたものだ。

以下はゲリラ闘争の記録である。自慢げに華々しい戦記物を書くつもりはない。ふつうの人間が戦場に置かれたとき、どんな行動をするものか。すくなくともわたしたちは、三里塚の地で疑似戦場を体験していたのだ。人が命を落とす戦争というものの怖さを、わたしも掠(かす)るように体験した。その意味では、戦争体験と言えるかもしれない。じっさいに複数の仲間が三里塚で死に(自殺をふくむ)、敵であった機動隊員も4名が殉職しているのだから――。


◎[参考動画]映画『三里塚に生きる』特報(第一弾予告編)(Kobo Sukoburu 2014年7月7日公開)

◆都市ゲリラ

ゲリラ行動の原則は敵の弱い環を叩く、戦術の基本から準備される。たとえば空港公団の設備の警備が手薄な場所。ビジネスビルの一角に、たまたま空港公団に関連する事業所の事務所があったなら、その事業所があるフロアのトイレなどが狙い目だった。なにくわぬ顔をしてエレベーターに乗ってフロアに降り立ち、ガソリンが入ったビール瓶にウエスを浸したものに、火の点いた蝋燭を立ててくる。時限発火装置などという技術開発はなかったから、ガソリンに火が付くかどうかはわからない。翌日、夕刊紙に「トイレでボヤ」という記事を見つけたゲリラ実行者は、ひそかに成功を快哉するというわけです。ただ、見出しの「過激派のイタズラか?」に少々傷つく。これはしかし、典型的な都市ゲリラだ。監視カメラが設置されているいまは、もう使えない戦術だろう。念のために付記しておきますが、わたしがやったゲリラではありません。

◆死者の出る野戦

77年5月の岩山大鉄塔破壊のときは、大学のサークル連合の合宿からもどったばかりで、仲間から「おまえ、やっと来たか」と言われた記憶がある。鉄塔の跡地では旗竿を構えたまま隊列を組んで、機動隊に迫ろうとすると猛烈な放水を浴びた。お腹にまともに受けた瞬間、身体がふわっと浮くような感じだ。ウィーンというモーターの音がして、暑いと感じられる5月の日差しのなか、放水のしぶきが肩にはじける。ちょっとシャワーを浴びたような快感と、戦場にいる臨場感。つぎに盾を持った機動隊員が前進してきて、そのまま追い立てられるように道路から排除された。

翌日は朝から千代田農協の構内で、鉄塔撤去への抗議集会だった。と同時に、周辺で機動隊との衝突がはじまった。集会をしている買う場内にもガス弾が飛来して、たまたまそれに当たった労働者が昏倒する。機動隊と対峙するデモ隊の脇から、突如として走り出てきた赤ヘルが火炎瓶を投擲する。機動隊のジュラルミンの盾が、サーッと後退する。随所で竹槍で機動隊と激闘が繰り広げられる。投石もすさまじかった。そんな攻防が昼過ぎまでくり返されたのだった。その日、臨時野戦病院に防衛線を張っていた東山薫さんが、ガス弾の直撃をうけて死亡したのは、連載の初期に書いたとおりだ。その翌日、ゲリラの襲撃をうけた機動隊員が殉職した。相互に犠牲者が出て痛み分けの様相だが、三里塚闘争が「戦死者」をともなう闘いなのだという実感で気分が重なった記憶がある。

◆トラックで乗り付けて、火炎瓶をフェンスに投げつける

開港前のゲリラ闘争は、集会の開催などとは関係なく行われていた。夜半にトラックで警備の手薄なフェンスに乗り付け、鉄柵に火焔瓶を叩きつける。ボッと燃え上がる炎を背に、トラックに飛び乗って逃走する。現地集会がひらかれる時以外は、ヘリコプターが動員されるのは稀で、空港の中からパトカーや警備車両が出動することもない。いわば三里塚の闇の中をやりたい放題のゲリラだった。

その様子を、警察無線の傍受で何度も聴いたことがある。「第5ゲート付近、火炎瓶事件が発生」「トラックで逃走の模様」「警備出動の可否を上申」などいう会話が聴こえてくる。じっさいに、警備車両が出動して、某党派の団結小屋を捜索したこともあった。「トラックのエンジンが熱いかどうか、確認せよ。エンジンを確認せよ」という警備本部からの指令で、現場班から「エンジンは……、冷えています」の応答があった。

ゲリラに使った車両を、そのまま団結小屋まで回送するゲリラはありえない。その夜の内に、空港の警備圏外に脱出しているはずだ。だがそれも、まだNシステムがない時代だからこそ可能だったゲリラであって、90年代にはいると物資の搬入も幹線道路を避けなければならなかった。後年、自転車ツーリングで元ゲリラ要員といっしょに利根川サイクリングロードを走ったとき、河川敷の道路経由で物資を搬入したと聞かされたものだ。

警察無線を盗聴していて、よくわかったのは現場の最高指揮官が「参事官」ということだった。参事官(本庁課長・警視長クラス)は本庁のキャリア組で、派遣された各県警の本部長を歴任したあとに、本庁にもどって警視庁長官レース(審議官・警視監クラス)に臨む。したがって自分よりも年上の県警幹部を叱咤しまくり「ヘリを飛ばせろ!」と叫ぶ。その下命をうけた県警幹部が「〇〇参事官から、かさねてヘリ出動の要請あり」などと連絡が入る。そんなやり取りは滑稽で、しかし迫真のものだった。

昼日なかにトラックではなく、徒歩で山野を逃げたこともある。もう開港していたから、飛行阻止闘争という意味合いで滑走路の延長上で黒煙を炊くというものだった。山林火災にはならないよう、古タイヤや灯油をつかった大きな焚火である。黒煙が上がれば、飛行機の離着陸に影響があるだろうというものだが、近くにいるわたしたちが煙たい思いをするだけだったかもしれない。もうもうと黒煙があがると、機動隊が大挙してそれを消しに来る。そこを待ち伏せして襲撃するというわけではなく、なにしろ少人数だから逃げる。無許可で大きな焚火をしただけだから、刑事犯罪ではないと思われるが、とにかくゲリラ闘争らしく逃げる。田んぼの畔を走り、小川を飛び越えて山林に隠れる。逃走地点は決めてあって、3時間ほど逃げた地点に迎えのクルマがやってくる。この場合はクルマをゲリラに使ったわけではないので、そのまま団結小屋にもどって夕食ということになるのだった。

やはり飛行阻止闘争で、凧をつかったことがある。凧にアルミ箔を貼って、それで管制室のレーダーが妨害されるのかどうかはわからないが、凧揚げで飛行を阻止するのだ(笑い)。小さいころに凧揚げをやった経験のない学生はダメで、うまく揚げた学生が賞賛されたものだ。(つづく)


◎[参考動画]東峰地区(mogusaen 2016年5月28日公開)

▼横山茂彦(よこやましげひこ)
著述業・雑誌編集者。3月横堀要塞戦元被告。主著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)、『軍師・黒田官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)、『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。医療分野の著作も多く、近著は『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

横山茂彦『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

介護に疲弊した人が高齢の親や配偶者を殺めてしまう事件が全国各地で相次いでいる。こうした「介護殺人」については、加害者の心情に寄り添った報道をよく見かけるが、世間には共感を覚える人も多いようである。

私はこの現象を見つめながら、いつもこう思う。マスコミは介護殺人の加害者の立場に思いを馳せることはできるのに、なぜ、相模原障害者施設殺傷事件の植松聖(28)のことを安易に絶対悪と決めつけるのだろうか、と。「介護殺人の加害者の方々と植松なんかを一緒にするな」と思われた方もいるかもしれないが、私の考えを以下に記そう。

◆介護殺人の加害者には同情的なマスコミ

体を大便まみれにし、奇声を発する認知症の高齢者。親や配偶者がそんな状態になった人たちの心情は察するに余りある。しかも介護では、時間や労力も奪われ、経済的にも疲弊する。身も心もボロボロになり、ついに一線を越えてしまう――。

そんな介護殺人の悲劇は、介護を経験したことがある人はもちろん、介護の経験がない人にも他人事ではない。それゆえにマスコミも加害者の立場に思いを馳せるし、マスコミ報道を見た人たちもわが身に置き換え、加害者たちに同情するのだろう。

一方、2016年7月に相模原市の知的障害者施設で入所者19人を刺殺し、他にも26人の入所者や職員を刺して重軽傷を負わせた植松聖。ほどなく警察に自首して逮捕されたが、マスコミは植松が「障害者は不幸の源だと思った」と供述しているかのように報道。差別主義者が「身勝手な動機」から前代未聞の凶行に及んだ事件だとして一斉に批判した。

この事件に関する報道について、私がまず違和感を覚えるのは、被害者遺族の取り上げられ方である。

◆マスコミは植松と一緒に被害者の遺族や家族まで否定していないか?

植松が収容されている横浜拘置支所

植松が事件を起こした後、マスコミは次々に被害者の遺族を見つけ出し、「娘は不幸ではない」「寂しい思いでいっぱい」などと被害者の死を嘆き悲しむ声を伝えた。たとえば、次のように。

〈ある遺族は「あの子は家族のアイドルでした」と朝日新聞などの取材に語った。娘に抱っこをせがまれ、抱きしめてあげるのが喜びだった。被告は「障害者は周りを不幸にする」と供述したという。それがいかに間違った見方であるかを物語る。

苦労は絶えなかったかもしれない。それでも、一人ひとりが家族や周囲に幸せをもたらす、かけがえのない存在だった〉(朝日新聞2017年7月27日社説より)

あらかじめ断っておくが、私は植松の考えを肯定するつもりもない。しかし、どのマスコミもこの朝日新聞の社説のように「子供が障害者でも幸せだった」という一部の被害者遺族の声ばかりを取り上げ、「障害者やその家族が不幸だという植松の考えは間違いだ」という論調の報道ばかりになっているのを見ていると、私はこう思わずにいられない。

植松聖に殺傷された被害者の遺族や家族の中には、「自分たちを不幸だ」と思っていた人がいた可能性にもっと思いを馳せたほうがいいのではないだろうか?

マスコミが植松の犯行を肯定するわけにいかないのはわかる。しかし、それゆえにマスコミの多くは、植松のみならず、家族が障害者であることを不幸に思うこと自体を「絶対悪」として否定するような報道に陥ってしまっている。それは、被害者の家族や遺族の中に「自分たちは不幸だ」と思っている人がいた場合、そういう人たちのことも「絶対悪」として否定しているに等しい。

相次ぐ介護殺人を見ていれば、「家族ならどんな重い障害を持っていても一緒に生きていられたほうが幸せ」などと第三者が気楽に言ってはいけないことはわかりそうなものである。マスコミは植松のことを批判する前に、植松に殺傷された被害者の遺族や家族の中に「自分たちは不幸だ」と思っていた人がいた可能性に思いを馳せたほうがいい。

▼片岡健(かたおか・けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

月刊『紙の爆弾』6月号 創価学会・公明党がにらむ“安倍後”/ビートたけし独立騒動 すり替えられた“本筋”

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

◆第四インター日本支部の栄光

3.26開港阻止闘争で全国にその名を知らしめたのは、第四インター日本支部(革命的共産主義者同盟)だった。管制塔占拠にさいしても「管制官には危害を加えない」という方針が確認されていたことから、非暴力直接行動であるとの評価も浮上した。もっとも、これはベトナム反戦運動のころに起きた、ベトナム戦争反対行動委員会の日特金属工業(米軍や自衛隊に機関銃を供給)への抗議行動(機械などを破壊)になぞらえて評価されたものだと思われるが、ちょっと的外れである。開港阻止闘争では機動隊に火炎瓶を投げつけたし、鉄パイプを機動隊員に打ち下ろしてもいる。だが、内ゲバはしないという組織路線が、革共同両派の内ゲバ戦争に辟易していた人々には、清廉なものに見えたはずである。左派労働運動のご意見番的な存在である長崎造船労組は「いま、君たち(第四インター)は好感をもって労働者たちに受け入れられている」と評したものだ。

当時、第四インターの実働部隊である青年学生共闘は逮捕された200人ほどをふくめて、600ほどか。政治集会で1000人ぐらいではなかっただろうか。当時、中核派が1500人ほど、社青同解放派が600~700、ブント系では戦旗(荒派)が150、戦旗(西田派)が100、ほかに大きなところでは立志社(のちにMPD)が130、第四インターとともに管制塔占拠をになったプロ青同(共労党)は80ほどにすぎなかった。わたしがいたグループといえば、60人もいたのだろうか。三里塚闘争全体では、警察発表で9000人、主催者(反対同盟)発表で20000人と言われていた時代である。いずれにしても、史上初めて学生と労働者が警察に勝ったということで、第四インターはいわゆる人民大衆に期待され、その活動は受け入れられた。まるで60年代の三派全学連(第四インターも三派全学連には参加している)の再来のように、かれらの人気は高まった。

が、思わぬことからその栄光の赤旗(鎌トンカチ)は、地に堕ちることになったのだ。それはレイプという女性差別が、ほかならぬ三里塚現地闘争団の内部に起きていたのである。

◆現地闘争団のレイプ事件

最近、当時の女性活動家から当時のことを聞く機会があった。レイプ事件そのものは、調べてみれば他党派もふくめて芋づる式に露見したという。わたしのいたグループでもレイプこそなかったものの、就寝中に女性の身体を触るなどの行為はあった。その問題については、「女性の政治的決起を抑圧するもの」と指導部から評価が説明されたかと思う。痴漢、あるいわセクハラ行為なのに、左翼はヘンな理屈をこねるものだと思った記憶がある。※第四インターでは、女性が嫌がる性的接触をすべてレイプと規定したという。

最近、わたしが話を訊いた元第四インターの女性も、「レイプ問題も、マルクス主義から説明しなければならない女性指導部に、ちょっと厭きれた」「女性が嫌なことをされたわけだから、そこを具体的に問題にしなければ解決しないのに」と語ってくれたが、そのいっぽうで当時は解放感にあふれた雰囲気で、三里塚の地はすばらしく楽しかったとも言う。若い男女が狭い小屋で寝泊まりしているのだから、問題が起きないほうがおかしいと、わたしは思う。とはいえ、女性が嫌がることをしていたのだから、徹底して指弾されてしかるべきである。かく言うわたしも、最初に街頭デモで密集したとき、女性活動家と身体を密着させることにアソコが驚いたものだ。左翼ってすごい、と思った。

◆フェミニズムの勃興は女性差別から

ともあれ、この事件(複数)によって第四インターは組織的な混乱に陥った。レイプを糾弾する女性グループが形成され、のちに分派して第四インター国際書記局から正統派と認められる(正確には組織としてではなく、このグループのメンバーを国際書記局が受け容れた)。女性差別と言えば、60年代末の全共闘運動のバリケードのなかで、レイプ事件や女性が嫌がる事件は頻発していたという。上野千鶴子は、男子活動家から『共同便所』という言葉が出たのがショックだった、とその当時を語っている(朝日新聞の連載記事)。いわば全共闘運動における女性差別こそ、リブ(フェミニズム)が生まれ出る契機だったのだ。

 

『三里塚闘争50年の集い7・17東京集会報告集』(2017年1月15日三里塚芝山連合空港反対同盟(代表世話人・柳川秀夫)発行/定価500円)※画像をクリックすると模索舎ストアにリンクします。

70年の全学連大会で議長が気軽に女性活動家に書記を依頼したことから、その大会は女性差別糾弾がテーマとなったのはよく知られている。第四インターという組織はおそらく、そういう組織的な矛盾を経ることがなかったのではないか。わたしは学生時代に障がい者介護をやっていたが、その当該(障がい者)が第四インターを批判して、ぼくの部屋を勝手に解放空間にしてしまったと語ったのを知っている。その解放空間とは、彼に言わせれば若い男女の乱れた関係、いや、セックスが解放されてしまった空間だったようだ。

上野千鶴子は「同志である男性活動家に裏切られた」と語っているが、差別の実際こそ男女の関係をつくりかえる契機になるのだろう。しかるに、三里塚闘争の主体である反対同盟農民の家庭において、その女性差別は顕著だった。若い男女の関係ではなく、封建的な家父長制において、嫁たちは苦しんでいたのだ。しかもその嫁たちはリブ運動に目覚め、反権力闘争の中に女性解放の展望を見出そうとしていた、新左翼の支援嫁たちなのである。このテーマについて、本稿ではこれ以上は掘り下げない。じつは支援嫁たちの三里塚闘争として、ある気鋭の女性ライターに書くことを勧めているからだ。乞うご期待! そのエッセンスは、支援嫁のひとりである石井紀子さんの発言で触れられる 。紀子さんによれば、おっかぁ(家父長の妻=婦人行動隊)たちは「共同経営者」であり、農家で妻の立場はけっして弱くはない。彼女たちの賛同を抜きには、家父長といえども何もできないからだ。支援嫁はしかし、ほとんど家内奴隷だった。ようやく共同経営者になろうとしたとき、夫たちは空港との共存に走り、支援嫁たちは立ち尽くすしかなかった。(つづく)

▼横山茂彦(よこやましげひこ)
著述業・雑誌編集者。3月横堀要塞戦元被告。主著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)、『軍師・黒田官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)、『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。医療分野の著作も多く、最新刊は『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

横山茂彦『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

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日本大学と関西学院大学アメリカンフットボール部の定期戦で発生した、危険なタックルは、すっかり社会問題化して、アメリカンフットボールを知らない人のあいだでも毎日のように「日大のワルさ」が認識されている。ことは重大であるけれども、はっきり申し上げて過剰報道である。この事件の裏で「残業代ゼロ法案」が、5月25日衆議院厚生労働委員会で強行採決された。

事件当事者はともかく、広く国民に関係する重大法案は、それ相応の報道で伝えてもらわないと、いつまでも「日大ひどいね」、「関学って知らなかったけどまともだね」という話に終始してしまう。床屋談義的には、たしかに日大の対応のまずさは、ワイドショーにとってはこれ以上ないネタを次々と提供する。その報道価値観に染まったテレビ番組制作者にとっては、このような傾向になるのは仕方のない側面も否定はできない(それが正しいとは思わないけれども)。

“実行犯”の学生が、自分の過ちを認める記者会見を本人出席で行った。そこでは「監督と会話したことはない」とびっくりするような発言も飛び出した。対照的に日大の内田監督とコーチは、尊大な態度の日大職員が司会をつとめる中、嘘八百を並べ立てた。挙げ句尊大な職員は一方的な記者会見打ち切りを言い渡し、暴言を吐き続ける。

対する関学は記者会見で「鳥内監督はクラブ所属の全選手との面談」を行っていることを明かしたうえ、「日大との定期戦は中止するが、当該選手がアメリカンフットボールを続ける手伝いをする用意がある」とまで踏み込んで語った。一連の事件後の対応と報道で、関学は100億円以上「イメージ向上」広告効果を得、逆に日大は同学相当の「イメージ失墜」を招いたことだろう(この事件について関学対応は真っ当である。が、関学には極めて深刻な問題教員が在籍する)。

結果は異なるが、この事件と「M君リンチ事件」は、加害者側の態度の不誠実性と、対応のまずさという点で、共通項が多々見られる。日大はようやく学長が記者会見で「監督から選手への指示」を認めたが、もう遅すぎる。当の監督が「指示」を否定し、あいまいな発言に終始し、挙げ句の果ては逮捕を悟った政治家のように「入院」してしまった。選手に行わせたプレーもひどいが、対応の酷さも同様である(しかしながら日大とは、元来そのような体質の大学であるという点が明るみになったことは朗報かも知れない)。

日大の行為は、2014年12月16日深夜から翌日にかけて、M君が見舞われたすさまじいリンチ事件と、その後周辺人物の対応のちぐはぐさ、悪質さと比類しうるものである。唯一にして最大の相違点は日大の行為は余すところなく、過剰なほどに報道されているが、「M君リンチ事件」は鹿砦社以外にほとんど報じるメディアがないことである。

仮に現場の様子が録画され報道されていれば、日大の悪質タックル同様(もしくはそれ以上)に加害者は厳しい批判にさらされたことは間違いない。しかし実態はそうなってはいない。なぜか。多くの学者、弁護士、テレビ、新聞関係者たちが寄ってたかって「隠蔽工作」に必死だからである。

取材班は隠蔽に加担する者たちを「偽善者」と断ずる。そして日大の危険タックルを行った選手と異なり、言葉の上だけで「謝罪」もどきを演じ、いまだに反省や加害の責任を認めないうえに、M君との約束を反故に好き放題な発信を続ける実行犯は、人間として最大限の卑劣な心象の持ち主とみなさざるを得ない。

残念ながらそれが事実であり、真実である。日大の問題はマスメディアが大学の体質も含め、膨大に報道しているので多くの人に伝わっているだろう。しかし、M君が半殺しにあった、「しばき隊」、「カウンター」の実情については公正な報道がない。あるのは「しばき隊」、「カウンター」関係者があたかも「差別と闘う人」のように賛美され、本質を誤解した報道ばかりである。

取材班の出発点は、あくまで「M君リンチ事件」の真相解明とM君の救済が目的だった。否定しようのない事実を提示すれば、報道機関も必ずや興味を示すだろうとの読み(今考えればそれは無理な注文だったのだが)もあった。しかしそうは動かない。

仕方がない。『ヘイトと暴力の連鎖』、『人権と暴力の深層』、『反差別と暴力の正体』、『カウンターと暴力の病理』と4発を連射してきたが、取材班はきょう、満を持して『真実と暴力の隠蔽』を世に送り出す。私たちはこの2年余り、相当なひとびとや資料にあたってきた。これまでも驚く証拠や証言に多々ぶつかった。そしてそのすべてを凌駕する「しばき隊」解体の可能性も秘めた、証言をついに手に入れた!!

マスメディアの解剖により、日大の本質が明らかになるのは好ましいことだ。日大には病巣がある。そして「しばき隊」、「カウンター」は日大ほどの歴史を持たないものの、一人の人間の生命を脅かす危険と組織的病理を持った集団である。であるならば、誰かがその本質を解き明かさねばなるまい。美辞麗句で称賛されている彼らの正体に「大本営発表」は言及しない。

ならば鹿砦社が斬るしかあるまい。返り血は覚悟の上だ。

注)関西学院の問題教員については実名を挙げて『真実と暴力の隠蔽』の中で言及している。

(鹿砦社特別取材班)

予約申し込みは、Amazonもしくは鹿砦社販売部sales@rokusaisha.com にお願いします。

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鹿砦社 http://www.rokusaisha.com/kikan.php?bookid=000541

 

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いよいよ明日『真実と暴力の隠蔽』が発売になる。そこで本通信を毎日愛読してくださる読者への感謝として、少々取材班の内部事情を明かしてみよう。取材班は鹿砦社代表松岡利康、と鹿砦社社員数名、そこにフリーライター、写真家らで構成されている。そして正式なメンバーではないが、常にネットを監視するサイバー班がかなりの数おり、取材班に「これは」という発信があった時には、即連絡が伝わる態勢ができている。

サイバー班は全国各地の主婦の方がメインで、ネット上だけではなく、「しばき隊」関連のイベントや集会があると、直接出向き参加者の確認をしたり、情報収集を担っていただいている。しかし、イベントや集会の現場でその存在を炙りだろうとしても、絶対にわからない。サイバー班の皆さんは過去に「運動」経験のない人ばかりを集めているからだ。

さらに事案によっては「直撃」を専門に行う部隊が控える。「直撃」業界ではかなり名前の知られた人物もおり、ターゲットによっては出撃する。

通常は松岡を中心に取材班キャップとメンバーが協議し、取材対象を決め動くのだが、取材班には一般には珍しいであろう、〝他のメンバーには相談せず個人の判断で動く自由〟が認められている。ただし、取材に関するリスクは個人責任であり、経費も出ない。この協議によらない取材は「G」(ゲリラ取材の頭文字)と呼ばれており、その成果すべてを活字ではご紹介していないものの、すでにかなりのインタビューや「直撃」の蓄積がある。

通常「G」は経費の関係もあり、電話取材や近隣の関係者への情報収集がメインだが、時に、思いもよらぬ「大物」を釣り上げることがある。実は『真実と暴力の隠蔽』では超ド級の「G」が炸裂することになる。そして「G」を実行したのは、なんと松岡であった。松岡の"老人力〟には参る!

20年ほど前に、「暴露本」の数々で鹿砦社の名は全国に知れ渡っていた。あの頃の「闘争心」に再び火が点いたのであろうか。松岡は取材班が想像もしない手法で、予想を超える人物たちの直撃インタビューの山を獲ってきていたのだ。「なんで黙っていたんですか、社長!」、「ど、どうして会えたんですか、こんな対象に?」問い詰める取材班キャップに松岡は笑顔を浮かべるばかりで、詳細を明らかにしない。そのインタビューに応じた人物と内容があまりに衝撃的であることから、取材班の中でも松岡とキャップだけが「G」を担当し、発売前日になったきょうでも、他のメンバーはその内容を知らない。

広告にも敢えて、登場人物の名前を掲載しなかった。しかし読者諸氏には広告を凝視していただきたい。

予約申し込みは、Amazonもしくは鹿砦社販売部sales@rokusaisha.com にお願いします。

〈9 「カウンター」周辺のキーマンに松岡が直撃!明かされる「しばき隊」の内情〉

地味な文字が目に入るはずだ。そうだ!『真実と暴力の隠蔽』の大炸裂は、この地味なベールの中に眠っている!

取材班内にもいまだ明かされていないその衝撃のヒントを示唆してみよう。かつて鹿砦社社員であった藤井正美が業務中に多数のツイッターを行っていたことが発覚し解雇されたが、藤井は後に「しばき隊」内でかなりの実力者であることが判明した。当時鹿砦社は「M君リンチ事件」を知らず、「しばき隊」に対する知識もほぼ皆無だった。しかし、「しばき隊」の国会前部隊「反原連」に、年額300万円の支援をしながら、一方的に関係を断絶されるという「非礼」を経験していた(偶然にも「反原連」からの「非礼」が公表されたのは藤井正美に解雇を言い渡した前日であった)。藤井正美により鹿砦社内の情報は「しばき隊」に筒抜けになっていたわけである(その証拠の総量はデータにして300ギガに及ぶ)。

ならば、今度は逆を仕掛ければどうだろうか?「暴露本」で世間に「鹿砦社松岡利康」の名を全国に轟かせた(『週刊現代』GW合併号の特集「芸能人本の世界」で採り上げられている)。あの導火線の先に再び着火されれば何が起こるだろうか?藤井正美の逆。つまり松岡は「しばき隊」、「カウンター」内の重要人物に直接会いインタビューを敢行したのである。 それも5人も!(5人の中には現在「しばき隊」、「カウンター」に批判的な方も含まれる)

それだけでも衝撃は大きかったが、重要であるのはそのインタビューで対象者から語られた言葉である。われわれが受けたのは衝撃だが「しばき隊」にとっては「衝撃」どころでは済まないだろう。このインタビュー原稿が発刊前に「しばき隊」の手に渡れば、必ずや何らかのリアクションを鹿砦社は受けていたに違いない。問題の登場人物とは誰だ? 

「犬は喜び庭駆け回り、猫はこたつで丸くなる」

ヒントはこれで充分だろう。

(鹿砦社特別取材班)

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5月23日、13時15分から、相次ぐ「鹿砦社はクソ」発言などの誹謗中傷で鹿砦社が李信恵被告を訴えた訴訟の第4回口頭弁論が大阪地裁1010号法廷で開かれた。この裁判は李信恵被告が「鹿砦社はクソ」などとの悪辣な発信を多数行い、鹿砦社からの数度にわたる「注意勧告」にもその姿勢が改まることがなく、罵詈雑言や事実無根の言いがかりにより、出版社としての業務にも実際の悪影響が懸念されたためやむなく提訴に至ったのが経緯である。判決をまたずとも提訴以来、李信恵被告の鹿砦社への誹謗中傷や虚偽発信はほぼ止まっているので、提訴自体がすでに一定の抑止効果を上げてはいる。

ところが、第3回期日になり突然李信恵被告側は、「鹿砦社を反訴する」と主張しだし、4月16日付けの「反訴状」が同月25日に鹿砦社の代理人に届いた。本訴では「新たな反論は不要」(5・16上申書)とした。「反訴」とは本訴に関連して民事訴訟の被告が逆に原告を訴える行為だが、李被告は反訴の請求で、これまで鹿砦社が出版したリンチ関連本4冊に記述された李信恵被告(反訴原告)についての記事や本通信での記事が「名誉毀損」にあたるとして損害賠償550万円+弁護費用50万円の支払いと、4冊の「出版物の販売差し止め」と本通信記事の「削除」などを請求してきていた。

こちらは李信恵被告のツイッター上での発信を問題にしているのに、見当違いにも鹿砦社の本業である出版に関わる「反訴」はそれだけでも「筋違い」である。また実質的な「販売差し止め」を求める請求には、鹿砦社だけではなく各方面から「表現の自由の侵害だ」、「自分が文筆業なのに出版停止を求めるのは自己の職業否定に等しい」など疑問や批判が寄せられていた。関西の愛読者の中には「発禁になったらプレミアがつくから楽しみや」と冗談で激励してくださる方もいたが、「冗談」は反訴の内容であって、鹿砦社側は代理人を通じて反訴の不当性を主張する「答弁書」を裁判所に出していた。

そして、なんと23日被告側代理人の神原元弁護士、上瀧浩子弁護士は「反訴を取り下げ、別の訴訟を提起した」と表明した。どういうことなのか?かなり話がややこしくわかりにくいが、どうも鹿砦社の「答弁書」を読んで、「いったんは反訴したけれども裁判所に相手にされそうにないから、自分から取り下げることにした」のが被告側の判断と推察される。あるいは裁判所からのアドバイスがあったのかもしれない。何を考えているのだろうか?最初から元の提訴請求事件内容と無関係な「反訴」であることは、明白であったじゃないか。そのうえ「本日別訴を提起したので、(本件訴訟と)併合して審理されるよう上申します」(取下書)と被告側代理人は裁判所に求めたが、また同じことの繰り返しではないのか。

結局は、裁判長からの指示で、本訴での主張を整理し反論を6月末までに提出することになった。な~んだ、元の木阿弥じゃないか。法律の専門家ではない一般人から見れば、被告側の一連の行動は、ひたすら裁判を長引かせるための苦肉の策なのではないだろうかと推察される。であるならば悪質な引き延ばし戦法であると言わねばならない(これは「論評」である)。次回期日は7月18日であるが、第3回弁論の3月15日から、この間、全く無駄な日々だった。

さて、自身を(元)「狭義のしばき隊」と自認する神原弁護士は、いつも威勢がいいのが売りである。最近では懲戒請求を行った市民を訴える仕事に忙しいようだ。神原弁護士の「しばき隊」としての活動は法廷内にとどまらず、しばき隊中央執行部(仮の名称である)の人間とプライベートでも行動をともにする姿を、頻繁に目にする。そんなしばき隊中央執行部の面々は、そろいもそろって発信する言葉や内容が汚い。「反差別」を嘯きながら、平気で差別用語を発する。

『真実と暴力の隠蔽』ではこれまで取り上げた関係者に加えて、新たに何名か、M君に対して確信的な悪意を発信し続けている人物も取り上げた。当該人物の本名や職業、住所、電話番号(場合によってはさらに詳しい私生活上の秘密も)をすべて取材班は掌握しているが、悪質な書き込み主とはいえ、今のところ「公人」とまでは言えない人びとであるので個人情報を明かすのは極力控えた。本書第6項〈「カウンター」界隈の差別―反人権暴言集〉の一部をここで特別にご紹介しよう。

これは差別ではないが、「安保法制反対」で大騒ぎしていたはずの人物がこっそり発信した本音である。以下羅列するがコメントは控える。

ここでご紹介しているのは、ごく一部に過ぎない。第6項〈「カウンター」界隈の差別―反人権暴言集〉には“李信恵がM君を殴ったことを明記したエル金によるC.R.A.Cメーリングリストへの投稿”、“そのエル金の投稿への野間の返答”"李信恵と竹井信一とのツイッターでのやり取り、"エル金と竹井のツイッターでのやり取り“までを掲載した。これらは事件の悪質さを今さらながら確認できる証拠である。どうして取材班はそのような、いわば「内部資料」を入手できるのか? その回答は読者のご想像にお任せするが、第6項だけを目にされても多くの読者は、またしても驚愕するに違いないだろう。

(鹿砦社特別取材班)

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わたしが逮捕されたとき、警察の取調べ官は交通課の刑事だった。逮捕者が200名以上もいたので、公安部の捜査員では足りなくなっていたのだろう。交通課の刑事たちにも左翼方面の知識はそれなりにあって、三里塚闘争の歴史にも詳しかった。40代なかばと思われる刑事は「君たちは便利だと思って乗ってるかもしれないけど、新幹線だって騒音の問題があるんだぞ」「政治が悪いから、いろんな問題が起きる」などと、社会問題に敏感なところを感じさせたものだ。

◆内輪揉めしている猶予がなかった三里塚でも、内ゲバは起きた

わたしが18歳のときに学内闘争で逮捕されたときほど、左翼運動にたいする批判めいたことは吹き込まれなかった。わたしが18歳のころは中核派の本多書記長が殺されるなど内ゲバも全盛期で、中央大学の中庭で襲撃された学生が植物状態になりながらも生きている話や、岡山大学の寮生がクルマで轢き殺された事件などを例に、耳もとで「だから学生運動はやめろ!」と説得されたものだ。三里塚では初期の段階で取り調べにきた年輩の刑事が「きみ、闘争に疲れたという顔をしてるなぁ。こうなった以上、しっかり勉強でもするんだな」などと励ましてくれた。開港を延期させた壮挙(?)に、彼らも歴史的な事件にかかわる興奮が感じられた。

とはいえ、交通課の刑事たちは「どうして三里塚では内ゲバが起きないのかな」「そうだなぁ。ああ、でも中核と革マルがいっしょにいるわけじゃないから、起きないんだろ」などと呑気な風情だった。担当検事はわたしの母校のOBだったから、やはり内ゲバの事例を材料に「転向」を迫ったり、「君たちの運動は離合集散が激しすぎる」と、的を得た批判をくれたものだ。三里塚では内ゲバは起きない。反対同盟の運動的な権威と組織的な厳格さがそれを許さなかったというべきか。あるいは日々が戦場である三里塚の地では、内輪揉めしている猶予がなかったというべきかもしれない。

しかしその三里塚でも、内ゲバは起きた。それも小競り合いや殴り合いというレベルではなく、寝込みを襲うという内ゲバ殺人の手法だった。すでに書いた83年の3月8日の反対同盟の分裂ののち、大地共有化運動に反対する中核派が第四インターの活動家を襲ったのである。数名が重傷を負い、1人が片脚を切断する事態に陥った。この行為は社会運動の広範な人々から批判され、のちに分裂した中核派系の人々は誤りであったと認めたが、それは大地共有化運動の否定に根ざすものであるところまで、自己批判が深められるものではなかった。

◆運動に与えた負の影響

内ゲバが運動に与えた負の影響は、ぬぐいがたいほど深刻なものとして、いまもわが国の社会運動に亡霊のような影をやどしている。ブントにおける7.6事件と赤軍派の分派、武装闘争の帰結としての連合赤軍事件、中核派と革マル派、および社青同解放派の内ゲバ戦争。三里塚闘争の大地共有化における内ゲバは、全国の三里塚支援勢力を分断した。あるいは多くの人々を三里塚から足を遠ざけさせた。これらの内ゲバは明確には教訓化されず、今日に至っている。

じっさいに、左翼運動の直接的な影響を受けていない人々においても、たとえばヘイトスピーチにたいするカウンター運動の内部で、同様の事件が起きているのだ。社会運動は非暴力直接行動であっても、激しい肉体的な接触が起きる。したがってそこに、実力で紛争を解決する志向が生じることになる。そして内部暴力が生まれる。

わたしたちの世代が影響をうけたマルクス主義やレーニン主義においては「いっさいの社会的秩序の暴力的転覆」(『共産党宣言』)によってしか、共産主義者の目的(革命)は達せられないとされていた。さらには「プロレタリア国家のブルジョア国家との交替は、暴力革命なしには不可能である」(『国家と革命』)とされてきた。そこから「暴力一般は否定しない」という意識が、ぬき難くあるのは間違いないだろう。

連合赤軍の場合は、高度な暴力である銃撃戦・殲滅戦に耐えられる高度な階級意識、すなわち共産主義化が必要であるとして諸個人の「総括」がもとめられた。この「総括」とは、リンチによる同志殺しであった。反革命を殲滅する「処刑」の思想でもある。マルクスおよびレーニンの暴力論が、そこに根ざしている。そうであれば、マルクスとレーニンによる左翼思想そのものが、内ゲバの根拠なのではないか。

そこまでは了解できるとしても、ヘイトカウンター運動のように、およそ基本的な左翼思想が感じられない運動の内部においても、内ゲバ(リンチ)は発生したのだ。いや、右翼においてもリンチ事件は発生している(統一戦線義勇軍)のだから、そもそも内ゲバは左右の思想圏を超えている。人間の運動体が持っている病理なのであろうか。

◆語りつがれるべきことを語って欲しい

明白な敗北の教訓、あるいは具体的な事実だけがすべてであろう。敗北が明らかであるがゆえに、徹底した総括(同志殺しではなく理論作業)がなされた連合赤軍問題にたいして、革共同両派および解放派の内ゲバ戦争は、かたちのうえでも継続されているかぎり、総括のとば口にすら立てない。100名をこえる死者は深刻であり、そしてその史実は重大である。その中心を担った人々も鬼籍に入らんとする現在、語りつがれるべきことを語って欲しいものだと思う。

たとえば「われわれがカクマルと戦うことで、人民の運動は防衛された」(革共同再建委員会の見解・『革共同政治局の敗北』の記述など)と、内ゲバを正当化する主張がある。これはしかし、未曽有の内ゲバ戦争を美化するものにほかならない。革マル派を「未曾有の反革命」に成長させたのも、ほかならぬ内ゲバ戦争によるものであって、革マル派だけが内ゲバの原因だったという主張は戦争の相互関係、事物の相対性を見ない硬直した思考なのである。革マルを指弾する中核派や社青同解放派が自治会や運動の統制においては、革マル派とまったく同じレベルの独裁制を敷いたのは、つとに知られるところだ。

革命党派・革命家こそ高い倫理性がもとめられると云ったのは、自身が共産党の党内闘争を体験した高橋和巳である。殺人にまでは至らなかったとはいえ、内ゲバによる他党派構成員襲撃とは人間の変革を否定した死刑の肯定にほかならない。そのような革命党派はおそらく、死刑制度を肯定する社会を築くにちがいない。革命運動をふくめた社会運動の所作とは、めざすべき社会をそのまま体現しているのだから。三里塚闘争においても、内ゲバは不可避であったが、やがて条件闘争派、絶対反対派、空港との共存派はそれぞれの道を歩むようになる。(つづく)

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業・雑誌編集者。3月横堀要塞戦元被告。

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