論ずるに値しない自民党総裁選 問題は徐々に剥奪されてゆく「戦後民主主義」諸権利

◆自民総裁選挙には「なんの意味もない」

重ねて強調する。自民総裁選挙には「なんの意味もない」と。衆参両院で3分の2以上の議席を維持する、絶対安定与党の頭目選びの候補者が「この国を、『人民主人公』の国に」と「これまでの政策通りに」と分かれているのであれば、多少の興味が沸かぬでもないが、石破茂が対立候補ではどうしようもない。

石破は前原誠司と仲が良く、軍事オタクの人間である。あののっぺりとした、独自語り口のいやらしさが、その思想の一端を体現していると言えよう。ゴリゴリの右翼で、どうしようもない思想の持ち主である。安倍との違いは、安倍が成蹊学園で、実質入学試験を経験せずに育ってきたのに対して、石破は慶応大学を出ているので、受験勉強の経験があることぐらいだろう。

しかし、わずかの違いに見えるこの経験差は、凄まじい能力差となって現れている。そこに石破の価値を不当に高く認める、勘違いが生じている。が、それは違う。安倍の思考力、読解力、記憶力が並以下なので、比較すると石破があたかも「優れている」かのように見えるかもしれないが、石破が総理になれば、安倍以上に理詰めの改憲論や、軍拡論を展開してくるだろう。


◎[参考動画]2009年11月04日 衆議院予算委員会での石破茂議員による鳩山由紀夫総理への質疑

◆石破は明確な核武装論者でさえある

自民党が下野していた時代、民主党政権の防衛大臣であった田中直紀に「自衛隊がなぜ合憲か」と質問で迫り、あたふたして何も答えられない田中防衛大臣に代わり、集団的自衛権が認められる前の「自衛隊合憲論」を立て板に水で語ったのが、石破であった。

防衛大臣にもなって、違憲な「自衛隊」の政府解釈を語れない田中直紀の能力の低さはさておき、かといって「違憲な自衛隊を合憲と捻じ曲げる」政府根拠を石破は暗記していただけのことであり、憲法前文や9条を読んでも「自衛隊は合憲」と考えている人間である。それどころか、石破は明確な核武装論者でさえある。


◎[参考動画]石破議員の質問にビビる田中防衛素人大臣 2012.2.17(roversince2007公開)

小選挙区制という、間接民主主義すらを無化してしまう制度により、多様な意見が国会には反映されなくなってしまった。そのことで、少し真面目に政治を眺めるひとびとの間では、憤懣や葛藤さらには諦念が渦巻いている。わたしは何度も述べるけれども、自民党総裁選挙など「まったく意味がない」と断じるし、石破に期待を抱く人々には「それは違うよ」と耳元でささやきたい。もちろん安倍は論外だ。「じゃあどうするの」と聞かれれば、わたしなりの回答は「小選挙区制度下、国政選挙で世の中は変わらない」ことをまず有権者は痛感すべきと答えるほかない。

◆「学級委員選挙」に興味を持てる人は、現実の惨状を直視する勇気が欠けている

実のところ問題は選挙制度だけではなく、中年層(40-60歳)から若年層の、政治に対する無関心と「右傾化」がより深刻かもしれない。若年層の誰もが「選挙権を18歳に下げろ!」などと要求していないのに、与党は勝手に選挙権を18歳に下げた。当然そこには「若年層の投票を取り込める」との目算があったに違いない。1960、70年代の政府は、まかり間違っても「18歳投票権」を認めはしなかったろう。

「戦後民主主義」で付与された諸権利が、徐々に剥奪されてゆく過程で、この島国の大方の国民は、無関心すぎたし、抵抗をすることもなかった。いま、9月の自民党総裁選挙を前に、なにも選択肢のない多くの心ある市民は、地団駄を踏んでいることであろう。だが、教訓から学ぼう。「小選挙区制」導入の時に流布された、嘘八百の流言飛語に騙された結果の今日の惨状から。「小泉改革」がもたらした格差(階級格差)の深刻さから。松下政経塾出身議員が全員信用ならないという冷厳な事実から。

そして市民を縛る法律の成立に熱心な「赤坂自由亭」の諸君は、一方で最高法規の「憲法」だって無視するし、何があろうと米国追従しか外交では主張を持たない連中であることを。そんな連中の「学級委員選挙」に興味を持てる人は、(失礼かもしれないが)まだ現実の惨状を直視する勇気が欠けている、方々かも知れない。

秋風が吹き始めた。大豪雨、殺人的猛暑から秋風に。お天道様はいつだって気まぐれだ。


◎[参考動画]首相、改憲2020年施行目指す 「9条に自衛隊明記」ビデオで決意表明(共同News 2017/05/03に公開)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

大反響!『紙の爆弾』9月号
大学関係者必読の書!田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

今まさに!「しばき隊」から集中攻撃を受けている作家、森奈津子さんインタビュー〈1〉

多彩なエロス、SFから児童文学まで縦横無尽な世界観織りなす作家、森奈津子さん。ツイッター上ではM君支援を宣言してくださり、そのためか、しばき隊から現在も集中攻撃を受け続けている方である。このたび森さんには話を伺うことができた。しばき隊問題だけではなく、ジェンダーや、社会問題にも造詣の深い森さんから数回に分けご意見を伺ったインタビューをご紹介してゆく。

◆「ぱよぱよちーん」を検索してみたら、心底馬鹿馬鹿しくなりました

 
森奈津子さんのツイッターより

── しばき隊の存在はいつ頃お知りになりましたか。

森  ネットで見たのは、発足からそれほど経っていない頃だと思います。野間さんが釘バットを持ってポーズをとる写真を見ました。当時は在特会やネット右翼があまりにも卑劣でしたので、しばき隊を「こういう人たちも、乱暴そうだけども必要悪かな」くらいに思っていました。ところが去年の9月頃に「ちょっと違う」ということを呟いたら、野間さんから直々に叩かれました。

それ以前からわたしは文筆業、つまり同業者のひとたちから「叩きリプ」が来たときには、「こちらからも機会があれば批判させていただきます」と宣言していました。自分から「叩きリプ」はしないようにしていますが、「同業者から叩かれたら執拗に批判させていただきます」と宣言しているところに野間さんが来たので、それ以来公約通り批判させていただいています(笑)。

その頃、ろくでなし子さんが「ぱよぱよちーん」で叩かれているのを目にしました。わたしは「ぱよちん」騒動をしらなかったんです。なので「ぱよぱよちーん」とはどんなに恐ろしい差別用語なのだろうかと検索してみたら、男女の恋愛事からはじまった言葉だとわかり、心底馬鹿馬鹿しくなりました。「こんなことでろくでなし子さんは叩かれていたんだ」、呆れて、わたしも毎朝「ぱよぱよちーん」とツイートするようになったら、一斉に「叩きリプ」がきました。2か月くらいでしょうか、来るたびにおちょくっていたら来なくなりました(笑)。

その程度なんですよ。気持ちよく自分たちが「叩ける」相手なら、精神的オナニーのように叩くけれども、相手に反撃される、相手におちょくられる、周囲から嘲笑されると、もう叩きに来ないんですね。こんなひとたちが運動家であるわけはない。本当の運動家であれば、相手が黙るまで食いつきますよね。でも相手が黙る前に自分たちが尻込みしてしまう。弱い相手にしか強くなれない。チキンじゃないかと思いますね。

リンチ事件も表ざたになった時、チラッと目にしていたと思います。その時には「よくある内ゲバかな、やりそうな人たちだな」くらいにしか思わなかったんです。あまり記憶にも留めていなかったのですが、「ぱよちん」騒動を知ったあとに、「しばき隊リンチ事件」を検索してみたら、文化人や政治家まで隠蔽工作や被害者攻撃にかかわった。「ネットリンチ」もあったと知って、本当にまた心底呆れました。そこで鹿砦社さんのムックを買い揃えました。

── ありがとうございます。

◆あんな界隈にいて何かメリットあるんでしょうか?

森  わたしが読み始めたのは去年の12月ですね。こんなことがあったんだとびっくりさせられました。

── 「M君リンチ事件」は象徴的な事件ですが、かれらは日常的にネット上で似たようなことを行っていますね。

森  そうですね。こたつぬこ(木下ちがや)さんもやられてましたよね。

── あのひとはダメです。

森  ええ、弱い(笑)。

── こちらが腹立ちましたよ。

森  そうですか。

── あの対談、実は2時間以上あるんです。文字起こしを見てわたしは慄然としました。「彼のしばき隊の中での地位は終わったな」と実感したからです。それは彼が、われわれも気が付かないような「正しい」視点で話してくれていたからです。だけれどもこれを表に出したらこの人はしばき隊から「確実に潰される」のがわかりました。示唆に富むしアドバイスに満ちたお話でしたが、しばき隊に矢を向けるような内容でしたので。どこまで持ちこたえるかな、と見ていたら数日でこけましたね。

森  原稿はやばいところはカットしてあげるんじゃなくて、本当にやばいところを出したんですね。

── いいえ、むしろ逆です。「男組」について、また『真実と暴力の隠蔽』出版と同じ時期に逝去が明らかになった、高橋直輝さんへの批判も相当程度開陳されていました。しかし、その箇所は出版意図とは直接関係ないので、掲載していません。もし、あの時期に「男組」についての対談内容を掲載していたら、木下氏はさらに追い込まれていたでしょう。

森  そうですか。口が軽いんでしょうか、それとも気が大きくなっちゃって……。

── どうでしょうか。ただ対談以前に出版していた関連書籍3冊は木下氏にお送りして、質問書もお送りしていました。常識的に考えれば、われわれの立場を理解したうえで、対談に出てこられたと考えますよね。対談の中で「コリアNGOセンターよりも李信恵が上だ」と慧眼で語っていただいた通りのことを、身をもって証明してくださったということかもしれません。

森  なるほど。あんな界隈にいて何かメリットあるんでしょうか。自分が情けなくなりそう。

── 精神的に病むと思います。

森  支持者のレベルでおかしいというか、おかしい人を呼び寄せるのでしょうか。

── ただし、いまだに共産党の地方議員とかくっついている人もいます。以前は彼らが主催する集会には野党の議員が喜んで出てきて、一定の影響力を持っていた時期はありました。

森  吉良よし子さんと池内さおりさんが一緒に行動しているのを見ました。吉良よし子さんは、それまではわりといいなと思っていたのですが、すごく軽蔑してしまいました。

── 一番近いのは有田芳生氏ですね。

森  もう呆れましたよ。

── 悪質です。彼は。

森  お金の流れとかあるのかなとか疑いましたけど。

── お金についてはわかりませんが、有田氏が目立つためには便利な界隈なのではないでしょうか。それから最近華々しいのが香山リカ氏ですね。

森  おかしいですよね。

◆「差別反対」といいながら気に入らない女性には「おばさん」と揶揄する野間易通氏の差別意識

── いまちょうど彼らから集中攻撃受けている森さんにお伺いしたいのですが、彼らがあのようなメンタリティーで行動するのは、いったい何が原因で行動のもとになっているとお考えですか。

森  人間観が薄いですね。何もかも白か黒かで決着できて、自分たちが“善”であるかのような世界観が垣間見えますよね。とにかく議論はしない。「叩き」行為だけです。全然健全ではないし、社会運動を勘違いされているのかなという気もします。運動というものは、過去に「山岳ベース事件」、「浅間山荘事件」などでの失敗経験があるわけじゃないですか。解放同盟の朝田理論だってもう使われていないし。もしかしたら勉強不足なのかなというところもありますね。

わたし、野間易通さんに「おばさん」と呼ばれました。別に友達でもない、一面識もない女性を揶揄する意味で「おばさん」と呼ぶのは、ルッキズムであり、セクシズムであり、エイジズムでありますよと。フェミニズムでは当たり前のことですよね。それを申し上げたのですけども、全然ご理解いただけなくて、彼は「女性の味方」というポーズをとっているけれども、フェミニズムの理論も頭には入っていない方だとわかりましたね。

「おばさん」といってしまえば女性が傷つく、女性にダメージを与えられる、効果的に侮蔑できると信じておられるようです。でもじゃあ同じ年(取材班注:森さんと野間氏は同年齢)の貴方は何なの?って思いますよね。「差別反対」といいながら気に入らない女性には「おばさん」と揶揄する。その一言に差別意識がにじみ出ている。なのにそんなことすら気づいていない。指摘されても理解できない。理論武装していないんだと思いましたね。

── ただ彼は長く「ネット荒らし」をやっていたようですので、言葉でひとを傷つけることについては超一流ですね。

森  そうですか。「おばさん」と言われたくらいでは傷つかないだけではなく、こちらは「いつまでもネチネチ絡むネタが拾えたわ」くらいに思っています。女性に「おばさん」といったら尻尾をつかまれるという危機感がないんですね。

── 『真実と暴力の隠蔽』に彼の過去の酷い書き込みや、日の丸をリュックサックにさしている写真などを掲載しました。所詮思想も何もない人間なんです。

森  そうですよ。本当にちゃんとした思想家なら総括しますよね。「あの時の自分はこうだったので、その後自分は転向しました」とか。それもやらない(笑)。単なるネット荒らしですよね。

── ただ、そんな人間が朝日新聞や東京新聞で識者談話のように取り上げられて、一方われわれは取材をしようと思ったら、常習クレーマーのように、電話も取っていただけない現実もあります。もう1つの特徴は印象操作というか、平気でうそをつきますね。

森  そうそう。平気でうそをつくというのはありますね。うそをついた後で、ツイートやアカウントを消して。本当に「馬鹿じゃないの」と思うことを何度もやられています。あとから消したってスクショ取っている人はいるんだから、消しきれないのは分かると思うのですが。バレないと思うのか、恫喝すればみんな、黙るとでも思っているのでしょうか。(つづく)

◎森奈津子さんのツイッター https://twitter.com/MORI_Natsuko/

◎今まさに!「しばき隊」から集中攻撃を受けている作家、森奈津子さんインタビュー(全6回)

〈1〉2018年8月29日公開 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=27255
〈2〉2018年9月5日公開  http://www.rokusaisha.com/wp/?p=27341
〈3〉2018年9月17日公開 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=27573
〈4〉2018年10月24日公開 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=28034
〈5〉2018年10月30日公開 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=28042
〈6〉2018年11月8日公開 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=28069

(鹿砦社特別取材班)

『週刊金曜日』8月24日号より

自民党総裁選展望〈3〉ある人物の参戦で、石破が逆転勝利? 負ければ傷を残す賭け 自民党プリンスの決断は?

ここにきて、自民党総裁選に興味ぶかい観測が浮上している。メディアの話題づくりがその大半の動機だとはいえ、石破茂が安倍に逆転勝利する可能性が出てきているというのだ。そう、自民党のプリンスが石破を支援することで、地方の党員票が雪崩をうって安倍を敗北に追い込む可能性が出てきた。自民党のプリンスとは、いうまでもなく小泉進次郎のことである。


◎[参考動画]総裁選の日程決定に石破氏「お互いに議論戦わせる」(18/08/21)(ANNnewsCH 2018/08/20公開)

ここまでの両陣営の陣地戦を解説しておこう。総裁選は衆参国会議員票(405票)と党員・党友票(405票)で争われる。安倍総理は細田派(94人)や麻生派(59人)など5派の支持を受け、議員票320票近くを固めたという。一説では党員票も優勢とみられる。いっぽう、石破氏は石破派(20人)と竹下派(55人)の衆参議員20数名を中心に50人前後の支持にとどまっているとされる。派閥の縛りがある議員票はともかく、党員・党友票は必ずしも安倍有利とはいえない。6年前の総裁選挙では、第一回投票で地方党員に人気のある石破が165票と他を圧倒した。

▼第一回投票
        得票数  議員票  党員票
 石破 茂    199   34   165
 安倍晋三    141   54    87
 石原伸晃     96   58    38
 町村信孝     34   27    7
 林 芳正     27   24    3

▼決戦投票(議員票のみ)
 安倍晋三    108
 石破 茂     89

決選投票が議員票のみとなったから、安倍がかろうじて勝利を拾ったといっていいだろう。石破が党員から支持される理由は、その全国行脚によるものだ。週末はかならず地方講演を行ない、農園や工場に足をはこぶ。けっして安倍のように大仰にアジ演説をするわけではなく、ていねいな口調で自民党の施策を説明する。そして現場の人々の声に耳をかたむける。その様子は、自身のツイート(ほぼ毎日)ブログ(毎週)に反映され、それへの意見にも目を通すという。地方での人気の理由がわかるというものだ。

◆地方創生かリフレか

この連載でふれてきたとおり、安倍政権の経済政策(アベノミクス)はインフレターゲットのリフレ(紙幣の増刷)と財政出動という、誰でも思いつくものだった。しかるに、マイナス金利まで踏み込みながら、事実上リフレは失敗した。財政出動はわが国の借金を増やしただけで、来年の秋にも消費税の引き上げ(10%)という苦難が待ちかまえている。第三の矢といわれる経済成長こそが、じつは肝心要の消費の拡大をうながす新商品の開発および賃上げ、それを可能にする融資と設備投資。いわゆる景気循環をうながす経済政策がもとめられていた。そのカギは地方経済の活性化をうながす規制緩和だとされてきた。事実、安倍政権は戦略特区という位置づけで、地方創生を掲げてきたが、その内実は自分のお友だちを優先して認可する(森友・加計事件)というチョンボを犯してきた。

いっぽう、石破は防衛大臣の印象が強いが、じつは農政に明るく地方に人脈の多い農林族でもある。麻生政権に農林水産大臣を経験し、第二次安倍政権では地方創生担当大臣としておもに農村を歩いてまわった。このとき、内閣府政務官として石破をささえたのが小泉進次郎なのである。その後、小泉は自民党農林部会長に就任し、全国の農村を駆けまわったことは知られるとおりだ。2012年の総裁選で「石破先生に投票した」(小泉)のも知られている。こうしたことから、小泉進次郎が7日の総裁選告示後に石破の応援にまわるのではないかとみられているのだ。

キリッとした容姿に、外連味(けれんみ)のない言動。左派系の農業関係者に評判を訊いてみたところ、政治と農業をつなぐ有力なパイプとして大いに期待されている。「TPP賛成であろうと農協に大鉈を振るおうと、正論の部分があるわけであって、大切にしたい政治家だ」という。

◆石破の傷

しかしながら、派閥をこえて将来を嘱望され、十年後の自民党を担うのはこの男しかいない、とまで言われている小泉進次郎が応援するには、石破の政治センスはあまりにも危険すぎる。というよりも、なぜ石破派が20人しかないのか。その原因は石破の変節歴にある。過去に自民党を離党(93年の総選挙敗北後)し、小沢一郎とともに新進党に走った石破に、いまも党内の長老たちは冷たい視線を向けている。いや、完全に無視しているといっていいだろう。

いまひとつは、安倍とは口も利かない我の強さであろう。安倍も我はつよいが、時と場所に応じた判断ができる。感情的になることはあっても、それを取り繕うセンスを持っている。石破にはそれがないから、徹底的に嫌われることも少なくないし、本人もそれを厭わない。かつては橋本龍太郎が、薀蓄好きで自民党の政治家たちに嫌われていた。何かというと「それは君、意味がわかっていないね」などと言う橋龍よりも、石破はさらに学者的な語り口をする。「それはどうなんでしょう」と疑問を投げかけてくる石破を、無学な自民党の政治家たちは「また学者気取りで」という雰囲気になってしまうのだ。そんな石破を小泉が支援するとしたら、相当な覚悟を持ってのこと。当然ながら周囲の反対を押し切ってということになるであろう。

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

著述業・雑誌編集者。主著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)、『軍師・黒田官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)、『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。医療分野の著作も多く、近著は『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

大反響『紙の爆弾』9月号
『NO NUKES voice Vol.16』総力特集 明治一五〇年と東京五輪が〈福島〉を殺す
横山茂彦『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

リンチの加害者が罪や責任を課せられずにいることは許せない! 検察審査会に「申立て理由書」を提出、心ある審査委員の人間らしい判断に期待する!

◆「人事を尽くして天命を待つ」

リンチの被害者M君は、リンチの現場に居てリンチに加担した李信恵氏の不起訴処分に対して、大阪第四検察審査会に7月20日の不起訴不当の申立てに続いて、8月20日「申立て理由書」と、証拠を提出した。鹿砦社・松岡も力の入った「意見書」を提出した。今後検察審査会から追加資料の要請があるやもしれぬが、これでM君としては「人事を尽くして天命を待つ」状態にひとまず至った。

検察審査会への申立ては、当初から視野に入ってはいたが、対野間裁判、対5人裁判の進行状況を見極めながら、最終的にこのタイミングとなった。李信恵氏は大阪地裁の尋問で、みずからが「M君に掴みかかろうとした。誰かが止めてくれると思った」などと証言している。その他加害者サイドから「李信恵さんが1発殴った」ことを発信する証拠はあまた存在する。ここではどのような証拠が提出されたのか明かすことはできないが、M君は全力で準備にあたった。

検察審査会で審議にあたるのは、一般市民だ。裁判官は自らの出世を考え、最高裁の顔色ばかり窺い、市民感覚と著しく乖離した判断をすることが少なくないから、一般市民の感覚にこそむしろ期待が持てるかもしれない。

◆M君に対する救済なくして「人権」も「反差別」も空語

ところで、少なくはなったが、相変わらず勘違いしておられる方がおられるようである。われわれ、そして鹿砦社は原則的に「あらゆる差別」に反対し真に人権を守ろうとするが故に、M君の支援に踏み込んでいるのだ。「あらゆる差別」を根絶し人権を守ることは大変に困難だろう。人間という生物の複雑さ、質の悪さを考えるとき、「差別根絶」は途方もない大命題に違いない。だからといって問題に直面することから逃げてしまっては歴史が前には進まないし、人類の進歩もない。時に「どうしてそこまでこの事件にこだわるのか?」との質問を、鹿砦社や取材班、支援会は受けることがあるが、回答は「差別問題から逃げずに直面しているから」「真に人権を守りたいから」である。

生身の人間の尊厳を暴力で毀損するリンチが許せないことは言うまでもない。人ひとりの人権を守れなくて、やれ「人権だ」、やれ「差別に反対だ」と言っても空語だ。身近にM君というリンチの被害者が居て、彼に対する救済なくして「人権」も「反差別」もない。このリンチ事件に対する態度こそ、あなた自身の「人権」や「反差別」についてのスタンスそのものだ。

『週刊金曜日』8月24日号掲載の鹿砦社書籍広告

◆差別は人間の尊厳と深くかかわり、人間の尊厳を踏みにじるものが暴力である

M君が集団暴行を受けたのは暴行・傷害事件である。しかしその事件に至る道筋には明確に「差別問題」が横たわっており、それがなければ「M君リンチ事件」は発生しなかった。「差別問題」とかかわるとはどのようなことなのか?「差別」とは本質的に何なのか? 差別―被差別の関係性は絶対的なものなのか? 差別を法で定めることはできるけれども、法により差別を低減、もしくは根絶することはできるのか? 宗教により異なる価値観と差別の問題は…?

少し考察するだけでも、差別問題は可視的、短視眼的、または時流に乗ったテーマだけではない。むしろ深く人間の根本に根差す、哲学とも無縁ではないといっても過言でもない深淵な問題であることに、賢明な読者であれば思い至るだろう。

そして差別問題については世界に、日本に歴史的な蓄積がある。われわれは目の前で乱暴狼藉を叫ぶ徒党を目にしたとき、まずはこれまでの「反差別運動」の蓄積(成功体験・失敗体験)を振り返り、学ぶところから出発すべきではないか、と考える。少し差別について勉強してみると、差別は人間の尊厳と深くかかわった問題であることに行き当たる。

そして人間の尊厳を究極的に踏みにじるものが「暴力」であり、その究極が「戦争」であることが理解される(その延長線上に「死刑」を想定することもできよう)。そうであれば、あらゆる「反差別運動」と運動内の「暴力」は、絶対的に相容れない。

「反差別運動内」で暴力が行使された瞬間、それは「反差別運動」ではなくなる(念のため付言するがここでの「暴力」は、権力者が権力を持たない人間に振るう、あるいは同等の力関係のものが仲間に振るう「暴力」を指す。力関係が弱いものが、防衛的に実力行使することを「暴力」とは想定しない)。

◆「M君リンチ事件」を無きものにしてでも「ヘイトスピーチ対策法」成立に夢中であった師岡康子弁護士

そのように考えるとき、今日の「反差別」と自称する運動の中には、首を傾げざるをいないような人びとが散見される。「ヘイトスピーチ対策法」なる言論弾圧法案を進んで成立させた人びともまた、人間の尊厳や、権力の本質がいかなるものであるかを深く考察したとは、到底考えられない。

国家に言論内容についての嘴を突っ込む(今のところは「ヘイトスピーチ対策法」は理念法であるが、やがて拡大解釈されるだろう)口実を与えるなど、市民の側からは決してなされてはならない、言論の自殺行為に匹敵する行為であると、言論の末席を濁すわれわれ、鹿砦社、取材班、支援会は深く危惧している。

そしてその危惧は、不幸なことにおそらく外れてはいまい。その最たる証左は、「ヘイトスピーチ対策法」成立に深くかかわった、師岡康子弁護士が「M君リンチ事件」を無きものにしてでも(それだけではなく被害者M君を、あろうことか加害者に置き換えてまで!!)同法の成立に夢中であった事実が示している。

そこには法律家以前に、人間として最低限の知識も良識も見識もない。あるのは自己の目的達成のために、ひたすら〝障害物〟となる可能性がある「M君リンチ事件」を専門知識で闇に葬ろうとする、どす黒い私欲だけだ(師岡康子弁護士については近日中にあらためて詳述する)。

われわれは、私利私欲にもとづいて〝自己達成〟の手段として「差別」問題にかかわるものを、一切信用しない。むしろ最大限の軽蔑で、本質的な差別問題の敵であると断じる。われわれがM君を支援し、差別問題に向き合う基本的姿勢は上記したとおりである。

(鹿砦社特別取材班)

『真実と暴力の隠蔽』 定価800円(税込)

雑協に入ってなくても雑誌なんですよ(笑) 鹿砦社と「紙の爆弾」のイジラれ方

けっして仲良しではないが、気になる相手というものがいるものだ。遊び仲間ではないけれども、いつも気になって仕方がないから、何かと内輪で話題にしてみる。そんな経験はないだろうか。鹿砦社および「紙の爆弾」とは距離を置いているけれども、どうも気になって仕方がない。そんなネット雀さんたちの面白いツィートがあった。どうやら、鹿砦社をイジっているらしい(苦笑)。

 

その内容は、旧流対協系の出版社80数社の代表が連名で発信した、杉田水脈のLGBT差別への抗議声明に、鹿砦社松岡利康の名前が入っていないではないか。という「疑問」から、鹿砦社が日本雑誌協会に入っていないことを探り当て、さらにはABC協会および雑誌広告協会にも入っていない。ゆえに「紙の爆弾」は雑誌ではないのではないか(笑)、というものだ。

べつにこのツィートをフェイクだとか、ネガティブキャンペーンだとか言うつもりはない。出版雑誌業界の知識がないゆえに、勝手に思い込むのも無理はないであろう。とはいえ、ブログにしろツイッターにしろ、全世界に発信しているのだ。ちょっと検索すれば「鹿砦社」「紙の爆弾」「雑誌ではない」というキーワードで拡散される怖れがある。どんな些細な情報でも、ネット上の情報源になりうるのだ。

つまりネット上の誤情報として、全世界にフェイクとして流布されることに想像力を働かせなければならない。無責任なフェイクニュースが飛び交う中、SNSや公開サイトに発信する人は、「ネットに書く責任」に自覚的でなければならないのだ。最近はネット上での誹謗中傷・名誉毀損・不法行為についても、訴訟や告発がなされるようになった。単に報道の道義的責任のみならず、法的な責任も発生しているのだと指摘しておこう。書きたいなら、裁判闘争を覚悟して書け。である。

◆LGBTの多様性は、従来の男女二項対立では解けない

ところで、杉田水脈のLGBT差別への出版各社代表の批判は、わたしも言論に関わる人間として大いに賛同するものだが、これらの出版人が本業の中でLGBTの多様性を広めるのでなければ、しょせんは一片の抗議文にすぎない。というのも、LGBTはあまりにも多種多様で、従来の反差別の視点では収まりきれないものがあるからだ。たとえば、よくフェミニストに「女性差別」だと指弾される「萌え絵」「美少女ゲーム」などは、じつは「やおい」「ボーイズラブ」の裏返しの表象なのである。つまり美少女になりたい、萌える美女になりたい。女性になって女性を愛したいという、男性のトランスセクシャルのバリエーションとして成り立っているのだ。ユング心理学における「アニマ」(内的女性性)である。

だとしたら「萌え絵」や「美少女ゲーム」を、男性による女性の隷属や性欲の発散などという文脈は的はずれになってしまう。なぜならば、女性がフィクションの中で男性になって男性を愛したい欲求としての「やおい」や「ボーイズラブ」が、女性による男性の隷属や性欲の発散ではない「アニムス」(内的男性性)と同じ原理だからだ。いや、性欲の発散であってもいいだろう。ただしそれは、トランスセクシャルとしての性欲なのである。それを性差別と言えるのだろうか。かように、LGBTの多様性は奥深い。

 

◆業界団体および雑誌コードと書籍コード

話を「紙の爆弾は雑誌ではない」にもどそう。ツィートの書き手の論拠は、鹿砦社が雑誌協会に加入していないからだという。そうではない。月刊「文藝春秋」とともに、わが国の論壇誌を代表する月刊「世界」の発行元である岩波書店も、日本雑誌協会には加入していない。岩波の「世界」「思想」とともに左派系の学術系雑誌として、全国の図書館に置かれている「現代思想」「ユリイカ」の発行元・青土社も雑誌協会には加盟していない。新左翼系の老舗雑誌「情況」(情況出版)も雑誌協会に入っていない。若者に人気のサブカルチャー雑誌「Quick Japan」の発行元・太田出版も雑誌協会に入っていない。

いや、この「Quick Japan」こそ、書籍コード(ISBN)で発行されている定期刊行物、雑誌(雑誌コード)ではない雑誌なのだ。中身は雑誌であっても、法的(出版ルール的)には書籍という意味である。雑誌コード(「紙の爆弾」は「雑誌02719」)の有無が、出版ルールでは雑誌なのである。この雑誌コードは飽和状態にあり、新規に得ようとすればムックコード(書籍コードと雑誌コードを併用)になると言われている。

そもそもツイッターの書き手が論拠にした日本雑誌協会とは、雑誌をおもな業態にしている大手出版社の業界団体にすぎない。任意の業界団体として取次や図書館行政と交渉したり、広告業界に向けて雑誌の刷り部数を公表したり、雑誌の利益のために任意の活動をしているだけなのだ。ABC協会と雑誌広告協会にいたっては、雑誌の部数を印刷会社の保障のもとにアピールし、広告価格の「適正化」をはかっているにすぎない。広告をとるための団体だと言っても、差しつかえないだろう。

現在5000社とも6000社ともいわれる出版社が、数千といわれる雑誌を出しているとされているが、総合誌(オピニオン誌)と呼べるものは、そのうちわずかである。講談社の月刊「現代」、朝日新聞出版の「論座」、文藝春秋の「諸君」、左派系の「インパクション」(インパクト出版会)、「atプラス」(太田出版)が姿を消し、週刊誌も部数を激減させている。そのような中で、「紙の爆弾」が貴重なのは言うまでもない。それは左右という垣根を越えて、あるいは膨大なネット上の書き手にも解放された誌面として、公共性をもっているがゆえに貴重なのである。わが国から論壇誌・総合雑誌が消えた日、それは民主主義が消える日であろう。

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
著述業・編集者。酒販業界雑誌の副編集長、アウトロー雑誌の編集長、左派系論壇誌の編集長などを歴任。近著に『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

横山茂彦『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)
月刊『紙の爆弾』9月号
『NO NUKES voice Vol.16』総力特集 明治一五〇年と東京五輪が〈福島〉を殺す

自民党総裁選展望〈2〉虚構の経済政策で支持を得て、公約外の安保・改憲にひた走る安倍政権 経済オンチ・石破の決定的な弱点とは

 
2016年時日本の二国間政府開発援助の供与相手国上位10か国(外務省HPより)

◆安倍が行なってきた、大企業優遇の経済政策

リフレの失敗(インフレ政策の事実上の断念)と経済成長戦略(官民ファンド)の破綻など、旗印のアベノミクスが崩壊しているにもかかわらず、安倍政権への支持率は保たれている。これは安倍の政策説明のわかりやすさが、国民に受け容れられているからにほかならない。

わかりやすい例を挙げるならば、安倍による経済協力の営業外交であろう。従来の経済協力に加えて、日本企業の進出を商品として具体的に売り込みつつ、ODAを推し進めるパフォーマンスである。大手商社に勤務するわたしの友人は「安保政策は危険きわまりないと思うが、安部の経済外交には感謝せざるを得ない」と語っていた。

まさに大企業のためのアベノミクスであり、いっぽうで軍学共同や兵器輸出といった、軍事産業を育成・成長させることで、目に見える成果を上げようとしている。株価の維持と兵器輸出が、一般国民には何ももたらさないにもかかわらず「これらは、皆さんの生活を豊かにするために、やがてはめぐってくるのです」と安倍は力説する。歯の浮いた演説にもかかわらず、おそらく希望を託したくなる国民生活の現実があるのだ。

国民はひたすら経済を何とかして欲しい。あるいは中朝の潜在的な脅威にたいして「強い指導者」をもとめているのだといえよう。しかしアベノミクスの行き詰まり、中朝関係とくに共和国(北朝鮮)を敵視する東アジア外交の破綻も明らかになりつつある。にもかかわらず、ひん死の安倍政権に取って代る政権・指導者がいないのである。

主要援助国のODA実績の推移=支出総額ベース(外務省HPより)
主要援助国のODA実績の推移=支出純額ベース(外務省HPより)

◆政策論争が行なわれない、奇妙奇天烈な選挙

戦争法ともいえる安保法制を、自然法としての「自衛権」から導き出したのは、安倍ではなく石破茂である(自民党国防部会)。法律学者なみの法知識を持ち、オタク的なまでの軍事知識、精緻な思考方法を持っているがゆえに、安倍のようにアジテーションでごまかすことはしない。その意味では法の運用も政策決定も、はるかに慎重で信頼に足ると、わたしは安部政権との比較で「よりましな選択」として、石破に期待するものだ。「よりましな選択」を放棄してしまえば、ただちに戦争の危機に陥ることもあるのだから――。

ここにきて、石破は安倍の「臨時国会に憲法改正草案を提出するべきだ」という「スケジュールありきの提案は、民主主義の現場を知らない言動だ」と批判し、さらには「誰かのためだけの政治であってはならない、特定の人たちの政治ではいけない」「政策本位の討論会をやるべきだ」「自民党だけの政治でもいけない。幅ひろい世論を汲み上げなければならない」と、正論を安倍に叩きつけている。議員数で多数派におよばない現実から、政策論争をもとめたものだが、これが本来の政策論争のあり方であろう。

◆安倍にしかできないパフォーマンスに、石破は敗北するのか?

にもかかわらず、石破には決定的な弱点が存在する。学生時代から法律については、研究会を組織するなど熱心な石破だが、経済に弱すぎるのである。べつに経済に強くなくても政治家はやっていける。安倍がまったく経済オンチであるにもかかわらず、アベノミクスなるまやかしの経済政策を「やっている」かのように見せられる。

たとえば「同一労働、同一賃金」を、安倍は労働政策のスローガンに採り入れている。労働運動を経験された方はすぐにピンとくるであろう。「同一労働、同一賃金」は「地域同一賃金」などとともに、ILO(国際労働機構)などの労働組織が掲げているきわめて社会主義的なスローガンである。このスローガンを実現すれば、ただちに本工(正社員)と季節工(アルバイト・パート)の賃金格差は是正され、労働に応じた賃金、つまり労働証書制が成立する。すなわち社会主義社会が実現するという意味なのだ。

この「同一労働、同一賃金」の聞こえの良さを、安倍は何のためらいもなく採り入れているのに対して、石破は自身のブログで「誰か教えていただけないか」と疑問を呈した。当然であろう。実現の見込みも、そこに近づく道筋も見えない労働政策(ひいては経済政策でもある)に、ふつうの政治家なら立ちどまるはずだ。いや、ふつうの政治家では総理大臣にはなれないのだ。たとえば安倍のように、政治に利用できるものはすべて利用する。たとえ意味がわからなくても、理想を表現したスローガンならば何でも使う。その節操のなさが、長期政権を維持しているのだから――。

したがって石破が「候補者同士の討論を、ぜったいに実現して欲しい」というのに対して、安倍は応じられないはずだ。何も自分で考えたことがないのだから、討論で相手に説明できるはずがない。政治的なパフォーマーと慎重な学者の戦いが、今回の総裁選挙の本質なのである。

◆安倍を三選させてはならない

石破も地方創生担当大臣として、地方経済の活性化を現地で体験してきた。それはしかし、各地域に共通する経済政策とはならない、じつに個別的で具体的な経済活性化の成功なのである。しかもそれを「イシバノミクス」などという具合に、軽々しくネーミングできない生真面目さに、この人の決定的な弱点がある。

前回の記事でわたしは、たとえ再武装・準核武装論者であろうと、あるいは軍事オタクであろうと、民主主義的な手続きをおろそかにしないかぎり、その候補を支持するべきだと提言した。それは安倍というパフォーマンスしかない政治技術者がはびこる中では、石破茂のほうがよりましであるからだ。

重要な案件が「閣議決定」で済まされる安倍政権によって戦争に引きづり込まれることはないという意味で、いわゆる人民戦線戦術と呼称しておこう。古い言葉でいえば、自由主義的なブルジョア分子もファシズムに抗する意味では味方である。政治において「敵の敵は、味方」なのだから。

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
雑誌編集者・フリーライター。著書に『山口組と戦国大名』など多数。

月刊『紙の爆弾』9月号
『NO NUKES voice Vol.16』総力特集 明治一五〇年と東京五輪が〈福島〉を殺す
横山茂彦『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

「カジノ」ができる以前から日本に横たわる根本的不正義

「カジノ法案」が先の国会で成立した。「IRなんとか」とぼやかしているようだけれども、主目的はカジノの解禁であることは間違いない。この議論に入る前に、「賭博」に関する日本の根本的不正義を確認しておくべきだろう。

◆刑法185条で「賭博は禁止」されているはずだが……

“賭博をした者は、50万円以下の罰金又は科料に処せられる”という刑法185条の明文規定がある。憲法を見返しても賭博についての言及は見当たらなので、原則的に日本の刑法では「賭博は禁止」だと、市民レベルでは解釈して良いだろう。だから「賭け麻雀」でも逮捕されるひとが出るし、競馬の「ノミ行為」や「野球賭博」はもちろん違法とされている。

け・れ・ど・も。どうして、競馬、競輪、競艇、オートレース、サッカー賭博、パチンコ、スロトマシーンなどが堂々と行われているのだろうか。

専門的な法解釈は、こういった場合「屁理屈」にしかならない。たしかに競馬や競艇、サッカー賭博を「合法化」する法制は準備されている。パチンコ、スロトマシーンについても同様だ。つまり、「胴元が国や国に上納金を収めると確約している、大規模賭博だけはやってもよろしい」という原則が、刑法で禁止されているはずの賭博を公認する原則として成立しているのだ。

刑法185条も例外を設け、常習性のない軽度の「賭け」には目くじらを立てないと、穏当な例外規定を設けている。家族や仲間内で少々のカネをかけて麻雀やトランプをやったからと言って、いちいち取り締まられていては庶民生活の潤いもなくなるだろう。そもそも、仲間内での「賭け」には「胴元」がいないから、誰かが負ければ誰かが勝つ、ある種の公平原則から逸脱はしない。

◆「公営ギャンブル」の基本的構造

他方「公営ギャンブル」は悪質である。宝くじ、競馬、競輪、競艇……。すべての「賭博」で、「胴元」は勝負の如何にかかわらず、最初から「儲け分」を抜き、その残りで当選者への払い戻し金額を算定する仕組みになっている。つまり、運営が維持できて一定数の顧客がいる限り「胴元が一番儲かる」のが賭博の基本的構造である。だから競艇の運営母体が「日本財団」などと偉そうな名前を名乗れるほど、ぼろ儲けが可能であるし、小口の「ノミ行為」や「闇賭博」が検挙されることがあっても、JRAの馬券売り場で馬券の購入や払い戻しを受けても、誰も捕まる心配はない。

要するに「悪いことは堂々と大きくやればやるほど」あたかも正当なように扱われ、法律まで整備されているのが、刑法で賭博を基本的に禁じている日本の素顔である。パチンコやスロットマシーンは「公営ギャンブル」ほど法律の保護が厚くないので、近年厳しい状況に直面している。パチンコ業界の状況については『紙の爆弾』が毎号連続してその近況を伝えているので、ご参考になるだろう。

◆「カジノ」ではみずからが「競技行為者」となる

そこへきて「カジノ」である。まず断言できるのは、カジノが出来ても、カジノで遊ぶ目的で、日本にやってくる外国人観光客は増加しないであろうことである(世界各地にカジノはあり、どこのカジノがどのようなサービスを提供するか、ユーザーは知り尽くしている。後進で規制の多い日本では「海外からの常連」を獲得することはできないだろう)。逆に現金を目の前で「賭ける」醍醐味に、これまで公営ギャンブルやパチンコ・スロットマシーンに通っていた人が、カジノに押しかける姿は想像できる。どうしてそんなことが言えるのか? わたし自身が相当「カジノ」には出入りした経験があり、その魅力も危険性も身に染みて体験しているからだ。

かつてわたしにとって「カジノ」へ行く行為は、「日本から離れ異空間にいる」ことをより強く実感することと重なる意味があった。ルーレットのテーブルに座り、100ドル紙幣をテーブルに置き、チップと交換する。経験のある方であればご理解いただけようが、その行為はパチンコやスロットマシーンで銀玉やコインと現金を交換する行為とは、まったく異なるリアリティーを抱かせる。

競馬、競輪、競艇などは他人(競技行為者)の優劣を予想するに過ぎないが、「カジノ」ではみずからが「競技行為者」となるのである。近年はゲーム機のようなコンピューター制御のスロットマシーンも増加したが、それでもディーラー相手のカードゲームやルーレットは、確率論と心理戦で勝率が大きく左右される。

大規模カジノは24時間営業で条件によっては、食事も無料、アルコールも無料である。「賭博好き」が入り浸らないはずがない。もうかなり昔だが、初めてラス・ベガスに貧乏旅行で立ち寄ったときに、「こんな街にいたら身ぐるみはがされる」と感じ数時間で別の街に移動したことを思い出す。その後少し懐に余裕が出来てから、あちこちの国でカジノに足を向けた。理性が働いているあいだ、つまり「自分はいくら負けてもよい」か、が認識できているあいだは、危険性はない。

◆胴元がいる賭博では、胴元が必ず儲かる

しかし、その「理性」は「射幸心」のまえで見事に崩れ落ちることを、過去あまたの有名人による、カジノでの大惨敗事件を振り返るとわかる。1980年「ハマコー」と呼ばれた故浜田幸一自民党議員はラス・ベガスにおいて一晩で4億6000万円負けて、当時ロッキード事件の黒幕といわれた小佐野賢治に穴埋めをしてもらっている。また大王製紙の前会長はカジノで負けた106億円をファミリー企業から借りて、有罪判決を受けている。

一度に賭けることができる金額は各々のカジノやそのテーブル、またはVIPルームにより異なるが、VIPルームでは一度(つまり数秒)のカードゲームで数百万円負けることは当たり前だ。賭け方によっては勝敗が1千万円近くになる。わたしはそんな金は持ち合わせないから、もっと少額のテーブルで遊んでいたが、額は違えど心理に変わりはない。

給与収入の数カ月分を一度の勝負で稼ぎ出せば、「理性」は揺るぎだす。「ビギナーズラック」ということばがあるが、ことカジノに関して、不思議なほど「ビギナーズラック」が訪れる場面をわたしは目にしている。しかし「ビギナーズラック」の真相は「ビギナーズアンラック」であることをのちに知る人が多い。

あらゆる賭博は、胴元がいれば、誰がいくら賭けようが、勝とうが、負けようが胴元が必ず儲かる。宝くじも同様だ。「サマージャンボ数億円」などと広告していても、みずほ銀行が手に入れる「上がり」はお調べいただければすぐにわかる。

「カジノ」が日本にできることに、実はわたしは反対しない。なぜならば、公営ギャンブルやパチンコと比較にならないほどの社会問題を誘発し、政府の目論見から離れて、治安問題へと発展するのが必定だと見るからだ。シニカルすぎるかもしれないが、そのカオスを日本政府は経験すれば良かろう。

わたしは本文でシニカルな意見を述べたが、山本太郎議員のこの質問に共感する。


◎[参考動画]【国会中継】山本太郎(自由党)【平成30年7月19日 内閣委員会】

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

最新『紙の爆弾』9月号
大学関係者必読の書!田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

自民党総裁選展望〈1〉ファシズムの危機(安倍)か、それとも軍事立国(石破)の本道か? 安倍が勝っても、まさかの石破が勝っても危ういが……しかし。

もうすぐ自民党の総裁選挙である(9月20日)。安倍晋三と石破茂の一騎打ちだが、どちらが勝っても変化はないという評価は、しかし現実の政治過程を投げ打った考えではないかと、わたしは思う。少なくとも、安倍のような政治技術主義(目的のためには手段を選ばない)は、石破にはない。その意味で石破に頑張って欲しいと思うのだ。いかに石破茂が軍事オタクの再軍備、核武装検論者であろうと、安倍のようにごまかさずに民主主義の手続きを踏むと考えるからだ。この民主主義の手続きとは、ちゃんと質問には答弁に答える、論点をはぐらかさないという意味である。いずれにしても、どちらが勝っても同じである、という議論はダメだと思う。

たとえば、よりましな政府と体制を選ぶことで、敵(資本主義? 天皇制?)を延命させる。あるいは政権に融和的になるという「左派」の批判は、現実の政治過程を投げやることで、ぎゃくに現状を容認しているのだと、わたしは思う。現在の安倍政治の延長に、それがさらに危険な後継者に引きつがれ、戦争を可能とする安保法制のもとに動き出す。それも本人が知らないうちに、事態が破局にまで突き進む。つまり戦争が起こってしまう可能性があるのだ。

何が言いたいのかというと、昨年の今ごろまでは安倍の「後継者」が防衛省をシビリアンコントロールできなかった稲田朋美だと目されていたからだ。安倍が党規約を変えてまで三選を可能とすることで、その先にもはや石破茂の目はないだろうと思われた。そうすると、当時の朝鮮半島情勢のなかで、共和国(北朝鮮)のミサイルが発射されたとき、そしてそれがSM3(洋上イージスシステム)やパック3(地上迎撃ミサイル――ただし射程は25キロほど)の対応を余儀なくされたとき。そして第二弾を防止するために、ミサイル発射基地を事前に攻撃したら、まちがって戦争が起こるではありませんか、ということなのだ。なぜならば、南スーダン派遣自衛隊の日報問題を掌握できない大臣に、ミサイルが飛び交う瀬戸際での指揮は、とうてい執れないからだ。

◆最終的には、政治の延長である戦争は個人が発動するものなのだ

けっきょく、戦争は個人の指揮による発動である。たとえばヒトラーがいなくても、1930年代のドイツは戦争に活路を求めたであろうと、よく云われる。なぜならば、莫大な賠償金とハイパーインフレによる国民経済の逼迫は、それを打開するための政策的なインパクトを必要としていたからだという。それが国民経済の破綻を外化する欧州制覇、ドイツ民族の生活圏の確保であるはずだからだと。

しかしそれは、ヒトラーのミュンヘン一揆による挫折ののちの鉄鋼資本との提携、国防軍と結んだレームの粛清(突撃隊を皆殺しにした「長いナイフの夜」)など、茨の道ともいえる政治過程を無視している。30年代のドイツは、アドルフ・ヒトラーという個性を抜きに論証することは出来ないのだ。偶然かもしれないが、政治危機にさいして個人が役割りを発揮することがあるのだ。ヒトラーなくして、ドイツの戦争発動はなかったであろう。わが国においても、戦争発動は個人が決断した。そこに逆らえない「空気」があろうと、しかし個人が決めたのだ。


◎[参考動画]2011年9月3日放送未来ビジョン73『安倍晋三元総理が訴える憲法9条改正論』(JapanMiraiVision2012/07/06公開)

◆安倍の政治センスの良さが危うい

かつて、わが国は軍部の暴走(関東軍の中国戦争)の延長に、アメリカおよび西欧列強との対立に追い込まれた。なし崩し的な日中紛争と対米矛盾を解決するために、近衛文麿と東条英機という、天皇の信任の厚い政権が国家を運営したのだった。近衛も東条も対米戦争慎重派であり、むしろ非戦派だったと多くの証言がある。昭和16年8月に行なわれた若手の官僚と将校のシュミレーション(『昭和16年の敗戦』猪瀬直樹)では、対米戦敗北の結果が出て、東条もその結果に納得していたという。しかるに、国内の海戦への「空気」と情勢(対米交渉)は、東条を立ちどまらせることを許さなかったのである。その「空気」は東条をして、開戦を決断させた。かくのごとく、戦争への道は危うい「空気」と情勢の混乱によるものだといえよう。

安倍とその政権の危うさは、その政治的なセンスの良さ、言い換えれば「政治家としての能力の高さ」にある。この能力の高さとは外見上はパフォーマンスのようなものだが、たとえば、安保法制を自分の肉声で説明できることだった。「敵が味方を攻撃したら、その味方を護ることは、自分を護ることになるのです」「ですから、平和のための法律なのです」と。このあたりのパフォーマンスが、勢いで戦争を始めてしまいそうだと、わたしは危惧する。戦争はつねに「平和」を名目に行なわれる。なにしろ安倍は、文民統制のできない防衛大臣に、後継を託そうとしたのだから――。

なるほど、安保法制は「自然法としての自衛権」を元にしているが、じつはこれは安倍が考えたものではない。自民党の安全保障部会を仕切ってきたのは、ほかならぬ安倍のライバル、石破茂なのである。そこで安倍は「自然法としての自衛権」が憲法九条にも「加筆」されることで、解釈改憲を成文改憲に持ち込めると、自民党の改憲草案を飛び越えて「加憲論」に走った。これは自民党の議論を経ていない。

◆「加憲」が憲法を崩壊させる

そもそも、憲法九条は「国際紛争の解決における武力の否定」である。そこに「ただし、この規定から自衛隊は除外される」とか「自衛権としての自衛隊の保持は排除しない」などと、条文の精神と相容れない条項(加憲)を入れてしまうと、解釈の整合性がとれないのだ。「ただし」とか「しかしながら」とかの逆接を入れると、条文自体に矛盾が生じる。そこで、矛盾した条項を入れるよりも、九条を撤廃して「国防軍(国防省)」の条項を明記したほうが、法の運用が正確になる。政治家の恣意性や情勢の変化に拠らない、誰がやっても間違えのない運用ができる。しかしながら、それらの改憲は国民的な議論をもって行なわれなければならない。これが石破の立場であろう。

こうしてみると、両者の違いは歴然としている。安倍においては、誰にも説明のできない脈絡で「自衛権」が「戦争放棄」と同居し、石破においては「自衛権」が「自衛戦争」に限定されるのだ。ただし、直ちの改憲は望めないはずだ。憲法九条の完全な否定は、国民的な議論が必要となるからだ。それを回避する安倍の「加憲」こそ卑怯な裏口改憲なのである。

総裁選に改憲論が持ち込まれれば、もはや自民党の機関を通じた議論は行なわれないであろう。おそらく安倍は、総裁選挙後に直ちに「改憲法案」を国会に提出して、数を頼んだ改憲になだれ込むはずだ。きわめて危険な水域に入ったというほかはない。心ある自民党員は、石破茂に投票せよ。である。


◎[参考動画]2018年8月10日、自民・石破氏、総裁選出馬表明会見(日仏共同テレビ局France10 2018/08/10公開)

※安倍と石破の経済政策については次回に詳述したい。そこでも安倍の政治センスが、否応なく発揮されているのは周知のとおり。石破茂の決定的な弱点が、その学者的なセンスと経済オンチにあることも、併せて解説していこう。

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
雑誌編集者・フリーライター。著書に『山口組と戦国大名』など多数。

月刊『紙の爆弾』9月号
『NO NUKES voice Vol.16』総力特集 明治一五〇年と東京五輪が〈福島〉を殺す
横山茂彦『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

【急報‼】安倍晋三の暴力団スキャンダル事件を追っていたジャーナリストが、不思議な事故に遭遇し、九死に一生を得た! 誰かが謀殺をねらったのか?

◆安倍総理の暴力団交際・選挙妨害依頼時件

本サイトでは初出かもしれないが、ここにきて安倍晋三の暴力団スキャンダルが再燃している。1999年に下関の安倍総理(当時は衆議院議員)の自宅と後援会事務所が何者かによって火炎瓶放火され、3年後に主犯の会社経営者K氏と暴力団組員が逮捕された事件である。

裁判で明らかになったのは安倍事務所と会社経営者が、下関市長選挙において選挙妨害を謀議したこと。その対価の支払いをめぐって揉め、会社社長K氏が暴力団組員に火炎瓶攻撃を依頼したというものだった。事件から19年になる今年5月に出所してきた主犯の会社経営者K氏が「わしはハメられた。再審をするつもりだ」として、安倍事務所と交わした念書(確認書2通・願書1通)を、事件当初から取材してきたジャーナリストY氏に渡したのだった。K氏は大手週刊誌でも、この事件の裏側にあるものを暴露することになった。

◆忽然と姿を消したK氏

ところが、週刊誌の取材の直前になって、元会社経営者Kは忽然と連絡を断ったのである。そればかりではない。みずからのネットニュースやウェブ媒体で、この事件を報じてきたジャーナリストのY氏が8月7日の夜、不思議な事故に遭ったのである。

Y氏とともにこの事件を取材してきたT氏によると、「Y氏は『新宿のスタジオアルタの地下階段を降りようとしたところ、体が飛ぶようにして転落』したとのこと。右肩骨折、頭部7針を縫う重傷を負い、本人は『誰かに押された記憶はないが、どうしてあんなところで飛ぶのか』と話しているという」Y氏は酒を飲んでいたわけではない。

この事故の一週間前に、Y氏は「誰かの妨害なのかよくわからないが、前のツイートで紹介した安倍首相重大疑惑の講演映像と、公開した3つの証拠文書がブロックされ見えないとのことなので、古い「アクセスジャーナル」の方も紹介しておく。同じものを載せている。拡散願います」と、ツィートしていた。まさに「誰か」が動いているのであろう。ちなみに、Y氏は武富士事件の取材の過程で、自宅を放火されるという体験もしている。総裁選挙を9月20日に控えたこの時期に、こういう事故(事件?)が起きたのは見過ごせない。

◆過去にも記事もみ消しが

上記の安倍晋三暴力団スキャンダルについては、過去に共同通信が記事にしようとしたことがあった。それまで、休刊となった『噂の真相』などで報じられてきたが、これでいよいよ全国的に報道されるはずだったところ、共同通信の上層部が記事を潰したのだった。その背景には、平壌に開設されたばかりの共同通信の事務所に影響があるのではないかと、安倍総理(第一次政権)に忖度したものだと言われている。

その後、月刊『現代』でその顛末が報じられたものの、社会的には「安倍は被害者」ということになっていた。ところが、今回は念書が出てきたことで、安倍晋三および安倍事務所の「反社会的勢力」との交際が白日のもとに曝される可能性があるのだ。この事件のもう一方の主役である暴力団とは、特定危険指定暴力団として、警察庁の最重点壊滅対象となっている工藤會なのである。

その工藤會と「密接交際者」であったタケナカシゲル(「誰も書かなかったヤクザのタブー」鹿砦社ライブラリー)が、次号『紙の爆弾』10月号(9月6日発売)で工藤會の自民党人脈を暴露する予定だ。そこには、思いがけない人物の名前も登場するという。なお『紙の爆弾』が発売される前に事態が動けば、このサイトで詳報する予定だ。

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)

著述業・雑誌編集者。主な著書に『軍師・黒田官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)、『真田一族のナゾ!』『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。医療分野の著作も多く、近著は『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

タブーなき『紙の爆弾』9月号
横山茂彦『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

長州レジームから脱却を! 関良基『赤松小三郎ともう一つの明治維新』の衝撃

◆明治維新の過ちが混迷の原点

安倍政権に牛耳られた日本は、断末魔の様相を呈している。国会内でくりひろげられるウソ、はぐらかし、傲慢な態度。

役人は忖度し、公文書を改ざん=歴史偽造を実行しても甘い処分しか受けていない。一部の金持ちはどんどん肥え太り、貧しい人はより貧しくなる。そのうえ生活保護の削減で、関連する行政サービス(40以上)が低下し、保護受給世帯ばかりかほかの人々の生活も苦しくなる。

完全に日本は分断されている。いったい誰のせいか?
それは「安倍のせいだ」という人が多い。

確かにその通りで、貧困を拡大させ、国の基本法である憲法に明らかに違反する法律(安保法制、秘密保護法、共謀罪など)を次々と制定施行してきたのが安倍政権である。

「個別の問題に取り組むのではなく、安倍政権そのものを打倒しなければならない」

保守的な人まで含めて、この共通認識が定着したのは、安保法制反対運動が起きていた2015年夏頃だろう。

だが、もっと深いところに現在の日本の混迷と危機があるのではないか。それは、明治維新そのものが今日の安倍政権の暴走にみられる日本の危機をもたらせている、ということだ。

 
関良基『赤松小三郎ともう一つの明治維新──テロに葬られた立憲主義の夢』(作品社2016年)

そのことを明示してくれたのが、歴史的名著『赤松小三郎ともう一つの明治維新~テロに葬られた立憲主義の夢』(関良基著・作品社刊)である。

この本が提示することをひと事で言い表すと、こうである。

《江戸時代末期に芽生えた立憲主義・議会制民主主義の夢をテロリストたちがつぶし、彼らが権力を握った。そして維新後に専制政治を打ち立て、第二次大戦の敗戦をも生き延び現在に至り、暴走している》

これを著者は「長州レジーム」と名付ける。つまり、この長州レジームをつぶさないかぎり、国民・住民・市民は安心して寝られない、と筆者は思う。

◆150年ぶりの大チャンス

筆者は、かなり長い期間にわたり、現在の日本社会の問題は、敗戦後の改革が徹底しなかったことに原因があると考えていた。

だから、日本をよりよい方向に改革するには、1945年までさかのぼらなければならない、と。

ところが昨年(2017年)3月、共謀罪に反対する集会の会場で、ある人に出会ったときにハットしたのである。

「もう一回、1945年に立ち返って日本を抜本的に改革しないとダメですよね。72年ぶりの真の政権交代が必要です!」
 
と私がいうと、こんな言葉が返ってきた。

「いや、150年ぶりですよ。政権交代どころか150年ぶりに市民革命の大チャンスがやってきた。世界情勢をみても日本国内を見ても・・。アメリカの支配層も割れている」
 
この「150」という数字を聞いた瞬間、私の頭の中でパチっとスイッチが切り替わったような感覚に襲われた。150年前といえば、明治維新である。

以来、それまで見えなかったものが見え、聞えなかった声が聞こえ、新しい視点や人物、情報などが筆者の視野に入ってきた。

◆歴史から消された巨人・赤松小三郎とは?

その中で出会ったのが、歴史的名著『赤松小三郎ともう一つの明治維新──テロに葬られた立憲主義の夢』(関良基著、作品社刊)に他ならない。

一読した筆者は、声も上げられないほどの衝撃を覚えた。

明治維新150年を目前にして数年前から、明治維新を批判的に分析・批評する本が相次いで出版され、「明治維新イコール善という神話」に強い疑念の声が増しているのは事実だろう。

しかし、この本が突出しているのは、全国民(国中之人民)を対象とした普通選挙で選ばれた議員が構成する議会を国権の最高機関と位置付ける構想を著した人物に光を当てたこと。

その人物とは、信州上田藩の藩士・赤松小三郎であり、彼の思想と生涯を丁寧に追い、現代の日本と照らし合わせたのが、この本なのだ。

赤松の建白書類では、明文化はされていないものの、女子の参政権も認めていると考えられる。江戸時代のことだから、世界最先端の思想と言ってまちがいない。

赤松の構想では、国軍(陸軍2万8000人、海軍3000人)を創設する。最初は武士がその任にあたるが、有能な者を育てたうえ志願制度に切り替え、軍人に占める士族出身者の比率を減らしていく。

国軍とは別に民兵制度も提唱しているのが特筆に値する。一般国民はふだんは各自の仕事を行い、居住地域で教官により定期的に軍事訓練を受ける。訓練は男女平等に課せられる。

著者の関氏は「小三郎が女性参政権を認める立場だったと推定する根拠はここにある」と述べている。

◆「維新の志士たち」がテロでつぶした立憲主義の夢

驚くのは、赤松小三郎の先進的な構想を認める人たちがたくさんいたことだ。つまり、道理をわきまえた改革者たちの間では、立憲主義は常識になっていた事実は「重い」。明治維新前の慶応年間に!

こうした動きをテロで葬ったのが、まさに長州テロリストたち。彼らによる「長州レジーム」が2018年の現在も続いていることが日本の最大の危機ではないか。

維新で権力を握った彼らが、どのように専制支配体制を固め、現在の安倍政権に至ったのか。近代日本の出発点とされる明治維新そのものに誤りがあったと思わざるを得ない。

そして現在、安倍政権は、長州レジームを暴力的に強化しようとしている。長州テロリストの末裔たちが安保関連法制、秘密保護法、共謀罪、刑訴法改悪・・・と違憲立法を強行し、最終的には憲法改正で大日本帝国を復活させようともがいている。

いま、道理のある人間、心ある人間がやるべきことは、長州レジームを終わらせることである。

かなり危険なところに日本は追いやられているが、一発逆転するチャンスが来ている。

なぜなら、多くの人々が「おかしい」と心の底、奥深いところで気づき始めているからだ。

こんなことを思わせる本だ。最後に著者の関良基氏の言をひいておこう。

《近代日本の原点は明治維新にあるのではない。
江戸末期に提起された立憲主義にある》

長州レジームから日本を取り戻すための必読書である。

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本書の著者、関良基氏の講演案内

■8月18日(土)第107回草の実アカデミー■
 
長州レジームからの脱却
2018年のいま、
テロリストたちに葬られた立憲主義を実現させる
 
講師 関良基氏(拓殖大学教授)
日時 2018年8月18日(土)
   13:30開場、14:00開演 16:40終了
場所 雑司ヶ谷地域文化創造館 第2会議室
http://www.toshima-mirai.jp/center/e_zoshigaya/
交通 JR山手線徒歩10分 地下鉄副都心線「雑司ヶ谷駅」2番出口直結
資料代 500円
主催 草の実アカデミー


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▼林 克明(はやし・まさあき)
ジャーナリスト。チェチェン戦争のルポ『カフカスの小さな国』で第3回小学館ノンフィクション賞優秀賞、『ジャーナリストの誕生』で第9回週刊金曜日ルポルタージュ大賞受賞。最近は労働問題、国賠訴訟、新党結成の動きなどを取材している。『秘密保護法 社会はどう変わるのか』(共著、集英社新書)、『ブラック大学早稲田』(同時代社)、『トヨタの闇』(共著、ちくま文庫)、写真集『チェチェン 屈せざる人々』(岩波書店)、『不当逮捕─築地警察交通取締りの罠」(同時代社)ほか。林克明twitter

『NO NUKES voice Vol.16』総力特集 明治一五〇年と東京五輪が〈福島〉を殺す
『紙の爆弾』9月号