2018年4月9日付読売新聞

相変わらず誰かの弱点を見つけると、攻撃に容赦のない性格は変わらないようだ。4月9日参議院決算委員会で質問に立った西田昌司議員は官僚を罵倒して見せた。「西田の罵声」、数年前まではもっぱら、中国、朝鮮への攻撃や差別に集中していて、いわゆる「ネトウヨ」の皆さんには「西田砲」などと評判が高かったようだが、「ヘイトスピーチ対策法」立法で有田芳生議員(現立憲民主党)と握手を交わしてからは、「売国奴」、「裏切り者」とかなり手痛い攻撃にさらされていた。

でも、立場の弱い人間を見つけるや、鬼の首でも取ったようにはしゃぎまくるパフォーマンスに変化はない。午後には野党の質問が控える。その前に強烈なイメージで売り込んでおかないとテレビ中継も入る委員会で存在感は保てはしない、と考えたのだろう。「西田砲」は一見健在に見えるかもしれない。


◎[参考動画]太田理財局長、森友との口裏合わせ認め陳謝「ばかか!」自民・西田昌司議員(2018年4月9日参議院決算委員会から抜粋)

◆追い詰められたのは官僚ではなく西田が所属する自民党と公明党の連立政権

だが、追い詰められているのは西田も所属する自民党と公明党が連立を組む、政権に他ならない。過日、本コラムで触れたが、日本の官僚組織は独自の文化で「鉄の結束」を保持している。ここにきてさらに防衛省からあらたな「隠蔽日報」が見つかったり、財務省が口裏合わせを認めたことは、まったく偶然ではない。官僚の側から「政権」への見切りが確定的になったというメッセージが発せられただけのこと。これを食らって一番困るのは与党であり、内閣だ。

一見従順そうに見えるが、官僚の強烈な結束と権利意識、そして何よりも彼らの高学歴は、選挙の時だけ綺麗ごとを並べる凡庸な政治家とは底力が違う。国会に出てきて形ばかり答弁をしているから、「役人」にしか見えないけれども、省庁の次官や次官補にまで成り上がる連中は、猛烈な自我を私生活では持っている。国会ではあんなにおとなしいのに、こんなハチャメチャな性格なのか、と呆れるほどの公私に差がある高級官僚と酒を飲むと腰を抜かしそうになる。

そして彼らの多くは、実は政治(家)などを恐れてはいない。昔親しかった同年齢の官僚は、年齢を重ねると「役人」らしくなるのか、と思っていたがさにあらず。ここには到底書けないような強烈な個性の持ち主が少なくないのだ。西田が吼えようが、わめこうが官僚は何とも思っていないだろう。「なんなら次にはこれを出してもいいんだよ」との冷え冷えとした声が聞こえてきそうだ。

勘違いされては困るから明言しておくが、私は官僚の「鉄の結束」や文書改竄、隠蔽、文書を「破棄した」との虚偽答弁を肯定しているのではまったくない。言語道断の不法行為であり、検察の特捜部は、このような時にこそ「有印公文書偽造」や「背任」で現役・元職の高級官僚を検挙するのが仕事だろう。いま発売中の『紙の爆弾』5月号で編集長中川志大が神戸学院大学の上脇博之教授にこの問題をインタビューしている。官僚とは? 民主主義とは? 公文書とは? 情報公開とは? がわかりやすく解説されている。


◎[参考動画]国会【森友問題これで終了か】昭恵夫人は潔白!西田昌司議員が終了宣言をする引き金となった質疑応答!=《森友学園問題》西田昌司・自民党、安倍晋三内閣答弁【2017年3月24日国会中継 参議院 予算委員会】 (2017年3月25日マネーVoice公開)※当時は佐川氏も余裕の答弁。今となってはチャンチャラおかしい1年前の国会西田劇場35分!

◆民族差別剥きだし国会発言連発の西田が有田芳生と組んで成立させた「ヘイトスピーチ対策法」

西田昌司議員(自民党)と有田芳生議員(現・立憲民主党)

ところで西田である。この男は一言でいえば「京都の恥」だろう。右翼的な政治姿勢ながら有田芳生と握手して実質「言論弾圧」を誘引しかねない「ヘイトスピーチ対策法」を成立させた戦犯であることを忘れるわけにはいかない。

国会の中で散々民族差別剥きだしの質問を多発していた西田が、ある日急に自身の罪を悔い改め180度思想や価値観を変えることなどあるだろうか。ない。断じてない。

西田が吼える相手は、常に「攻めやすい」相手ばかりである(と西田が思っている)対象ばかりで、西田の差別心に揺らぎはまったくない。

この点の相似人物は二階俊博だろう。ただし、靖国に参拝しながら中国利権を一手に握る二階は西田ほど目立ちたがらず、大声を出さない。地道に無節操をコツコツと続け、今日の地位を手に入れたのが二階だ。

空虚に吼える西田は無節操な三文役者である。だが、残念至極は、演技ではなく、質問内容で、確実に倒閣を果たすことができる弁舌を備えた野党議員がほとんどいないことだ。

これだけの材料がそろっていて一人前の料理(倒閣)が出来なければ料理人失格だ。どこかにいないか? いるはずだろう。


◎[参考動画]「なぜヘイトスピーチを規制するのか」西田昌司×有田芳生 ヘイトスピーチ対談 VOL.1(2016年5月31日shukannishida2公開)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

最新『紙の爆弾』5月号 安倍晋三はこうして退陣する/編集長・中川が一から聞く日本社会の転換点/日本会議系団体理事が支持「道徳」を〝数値評価〟していた文科省研究開発学校 他

3月27日の朝は、無線でのやり取りで始まった。「要塞のみなさんに、各紙の一面記事を見せたいものです」「900の部隊が横堀合宿所前に集結しています。みんな生き生きとしています」などと、管制塔占拠の快挙に快哉をあげる。そのいっぽうで「900の部隊が集結」というのは、要塞からの脱出を900人で援護する準備はできているよ、という意味である。そして「南120メートル」という符丁を会話のなかに差しはさむ。要塞から120メートル南の脱出地点を、確保してくれという意味である。

◆放水を浴びたときは息ができなくなりそうで怖かった

 

『戦旗派コレクション』より

その日は、汗ばむほど暑かった。ガス弾が間断なく撃ち込まれて、ガスの飛散をふせぐために溜めた水のなかで弾けた。ガス弾はロケット花火と同じで、火薬の推進力で飛んでくる。なかには落下せずに裏の杉林に達してしまい、杉のほそい葉に引っかかったまま燃え尽きるのもあった。思いがけなく赤い炎をやどした針葉樹が、何とも美しく感じられた。かつて東峰十字路戦闘(機動隊3人が殉職)のときに、高校生で参加した友人が「ふしぎなことだけど、乱闘のさなかに赤い花を見たよ。そこだけ平穏で、風になびく花びらが綺麗だった」と語っていたのを思い出した。騒擾のさなかにも、人は静寂を意識するものだ。

暑いから放水でも来ればと思っていたが、夕刻になって放水を浴びたときは息ができなくなりそうで怖かった記憶がある。100メートルはあろうかという大型クレーンは、すでに完成してわれわれの眼前に四角い防護網(鉄製のネット)を垂らしている。10メートル四方はあっただろうか、その防護網が最後に何のために使われるのか、まだわたしたちは気づいていなかった。

◆首の近くでガス弾が破裂した

夕刻に本格的な戦闘になった。首の近くでガス弾が破裂したので、わたしはいったん3階の風呂場に行って水で流してもらった。なぜか発電機が止まっていて、換気扇が使えないから2階あたりまで催涙ガスがしのび込んでいた。昼過ぎのことだったか、突然真顔になって「外に出て、重機を壊しにいく」と言い出した人がいた。あれは軽いパニック障害だと思う。要塞の一階はトンネルから掘り出した土で埋まっているから、もうトンネルいがいに外には出られないのだ。やがて夕陽が地平線ちかくに落ちたころ、ブルドーザーが整地をはじめた。まもなく重機が前進してくるはずだ。

そしていよいよ放水がはじまった。要塞の縁には工事用の鉄パイプを立てて、べニア板を縛り付けてあったから、そこで放水が跳ねる。水しぶきで何も見えなくなったとき、クレーンがいきなりガーンと下りてきた。組み立てられた大型クレーンではなく、ユンボのクレーンだった。左右にうごいて、鉄パイプをなぎ払う。直系5センチ以上の鉄パイプが、飴のように折れ曲がるのには驚いた。クレーンに火焔瓶を投げつけては、放水がそれを消す。割った火炎瓶に火を点けて、機動隊員が乗り込んでくるのに備える。しかし、どうやって乗り込んでくるつもりだ。その答えはまもなく、おどろくべき現実の光景となった。大型クレーンの先に垂らしてあった防護網が要塞の上に水平に倒されたのだ。そのときは気づかなかったが、下敷きになってしまった仲間もいた。

◆土を掻き、残土を後方におくる

「全員、地下二階までおりろ!」という指揮者の声で、わたしたちは階下に殺到した。5人が鉄塔に登っていくのを見た。その5人のうち2人は洋弓を持っていたので、殺人未遂が罪名に加わることになるが、さいわいにも執行猶予付きの判決だった。わたしのほうは残念ながら火炎瓶は何本も投げられなかったが、投石やガス弾を避けるのに必死で、それなりにからだが動いていたのだろう。地下トンネルに入ったときは、もうこれで逮捕されてもいいやという気分になっていた。溜まっていた疲れからか、ラグビーの試合を終わったような爽快感。じっさいには、脱出は困難だろうと誰もが思っていた。山狩りで発見された感触はなかったものの、トンネルがどこまで達しているのか、はなはだ不安なのである。私たちは東側の短いトンネルに向かい、大所帯の第四インターが南の長いトンネルに向かった。

「出られそうか?」全身をつかって土を掻き、残土を後方におくる。やがて風が入ってきた。先頭のひとりが出ようとしたとき、機動隊の声がした。「いたぞ!」脱出戦術は読まれていたのだ。しかし指揮系統の乱れか不徹底か、すぐに踏み込んでは来ない。そればかりか、トンネルの前で茫然としている機動隊員の姿が、夕刊の記事になっていたのを、のちに知った。

◆父親ほどの年輩の機動隊員に逮捕された

わたしたちは南側の長いトンネルに向かった。そこには、インターの部隊がまだ疲れた表情でいるのだった。やはり土手までは達していなかったのだ。やがてわたしたちを襲ったのは、酸欠という恐怖だった。「はぁはあ」と激しく息を吸わないと、息ができない。秋葉哲さんの「もういいから、上に向かって掘りなさい。空気を入れなさい」という指示で、スコップを上に向けた。すぐに穴が開いて、ちょうど機動隊の靴が見えた。上から「反同(反対同盟の警察用語)か?」と誰何された。引き上げられて、顔面を鉄甲でかるく一発。わたしは父親ほどの年輩の機動隊員(専門職ではなく、地方から動員された管区機動隊)に逮捕された。「だいじょうぶか」と言われたのを覚えている。最初の脱出失敗が8時ごろだとして、最終的に逮捕されたのは翌日(午前1時ごろ)になっていたから、5時間ちかくも土と格闘していたことになる。千葉刑務所内の拘置所に連行された翌朝は、まぶしいほどの陽光のなかに桜が満開だった。

 

『戦旗派コレクション』より

◆脱出トンネルも無駄ではなかった

思い返してみると、要塞からの脱出トンネルも無駄ではありませんでした。というのも、公判廷で二人目の裁判長(刑事事件は嫌いだと公言する、民事畑のやさしい人でした)は被告人質問で「あなたがたは要塞に残ったけれども、外に脱出した人もいたのでしょう?」と丁寧にも言ってくれたのだ。わたしたちは、運わるく脱出できなかったのではないかと―――。対するに検察官は、わたしたちのほかに誰も脱出した者はいなかったとの立証を詰めない甘さにも気づいていなかった。つまり裁判長のわたしたちへの同情の念を払しょくしないまま、論告求刑を終えたのである。これはマヌケというほかはない。反対同盟3幹部が相い被告ということもあって、前述した殺人未遂の要件を課せられた5人も執行猶予付きの判決だった。ドジな検察にはすいませんが、めでたし♪

わたしの三月要塞戦の物語は、ここまでにします。その後の三里塚闘争が和戦両様をたどりながら、どんなふうに変化していったのか。とくに話し合い路線の帰趨をたどってみたい。(つづく)


◎[参考動画]NARITA STRUGGLE 1978 成田空港管制塔占拠 Part 2

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
著述業、雑誌編集者。3月横堀要塞戦元被告。

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〈3・11〉から7年 私たちはどう生きるか 『NO NUKES voice』15号

3月19日、大阪地裁でM君が李信恵ら5名を訴えた損害賠償請求事件と、伊藤大介、松本英一がM君を損害賠償事件で反訴した裁判(平成28年(ワ)第6584号、平成28年(ワ)第11322号、平成28年(ワ)第11469号)の判決が言い渡されたことは、本通信でお伝えした。

念のためにお伝えするが、判決の主文は、

〈1〉被告エル金及び被告伊藤は、原告に対し、各自79万9740円及びこれに対する平成26年12月17日から支払い済みまで年5分の割合による金員を支払え。

〈2〉被告凡は、原告に対し、1万円及びこれに対する平成26年12月17日から支払い済みまで年5分の割合による金員を支払え。

〈3〉原告の被告エル金に対するその余の主位的請求及びその余の予備的請求をいずれも棄却する。

〈4〉原告の被告凡に対する主位的請求及びその余の予備的請求をいずれも棄却する。

〈5〉原告の被告伊藤に対するその余の請求を棄却する。

〈6〉原告の被告信恵及び被告松本に対する請求をいずれも棄却する。

〈7〉被告伊藤及び被告松本の反訴請求をいずれも棄却する。

〈8〉訴訟費用は、被告エル金に生じた費用の11分の4及び原告に生じた費用の47分の1を被告エル金の負担とし、被告凡に生じた費用の220分の1と原告に生じた費用の1880分の1を被告凡の負担とし、被告松本に生じた費用の5分の3と原告に生じた費用の188分の33を被告松本の負担とし、被告伊藤に生じた費用の67分の53及び原告に生じた188分の53を伊藤の負担とし、その余を原告の負担とする。

〈9〉この判決は、第1項及び第2項に限り、仮に執行することができる。

である。

判決本文でエル金は「被告金」、凡は「被告○○」(閲覧制限の申立がなされている模様なので念のため○○とする)とされているが、ここでは読者に理解しやすいように彼らのツイッター名「エル金」、「凡」と記した。

◆判決それ自体は「M君の勝訴」である

裁判の判決文を読みなれている方にとっては、簡単な主文であるが、裁判などは関係ない方にとっては若干の解説が有用だと思われるので、主文を簡単に説明しておこう。

〈1〉〈2〉はM君が心身に受けた暴行に対する損害賠償を請求していたが、判決はエル金と伊藤大介が共同で79万9740円を、凡が1万円それぞれ平成26年12月17日から支払いまで年5%を上乗せしてそれぞれM君に支払いなさい、と命じている。

〈3〉〈4〉〈5〉〈6〉はM君が求めていたその他の請求(共謀、その場に居合わせた全員に責任があるとの判断、後遺症への賠償、事件後事件隠蔽が大規模に行われ、被告もそれに関与していたことに対する賠償など)を認めないとの判断だ。

〈7〉はM君が伊藤大介、松本英一を提訴したことに対して伊藤大介、松本英一から提起されていた「反訴」の主張を認めない(棄却)との判断だ。

〈8〉は裁判費用について原告被告の負担割合が示されており、〈9〉はエル金、伊藤大介、凡への賠償金について仮執行(財産の差押えなど)を認める内容である。

上述のようにこの判決ではM君が被った被害をおおよそ80万円と算定し、エル金、伊藤大介、凡に支払うよう命じている。そして見落とされがちであるが重要なことは〈7〉で伊藤大介、松本英一の反訴が棄却されていることだ。つまりごく簡潔に言えば「M君の勝訴」だといえる。

◆まるで彼らが「勝った」かのような発言・発信は事実に反している

しかしながらM君からすれば納得のいかない点は多い。後遺症と暴行の関係を認めていない判断は、到底社会通念上も不可思議なものと言わねばならない。この事件が、仮に交通事故であったら保険会社は後遺症にかかわる交通費や治療費を支払うだろうし、症状固定後にあらためて後遺症の程度認定を行うだろう。

その他にも明確な証拠を示し被告らが関与した「事件隠蔽」並びに、事件後もM君を誹謗中傷する行為が相次いだ(現在も続いている)重要な事実を認定していないのはまったく理解に苦しむ判断である。

そして、判決の言い渡された日以来、被告に近い立場の人や一部被告と推認される人物が、まるで彼らが「勝った」かのような発信を続けている。ここではあえてそれが誰による行為であるかは(把握しているが)明言しない。重要な事実は上記のような判決が言い渡されて、なお「M君に非があった」、「M君は負けた」などという事実に反する発信を、社会的に地位のある人も含め発信し、拡散を続けていることである。

実は先週、M君に危害が及ぶ可能性があるような発信までが行われた。本意ではないがM君は身の安全を図るために、適切な機関に申告をし、アドバイスを受けている。

「言論の自由」は言うまでもなく重要な概念であるが、危害を及ぼすような書き込みは許されるものではない。

(鹿砦社特別取材班)


◎[参考音声]M君リンチ事件の音声記録(『カウンターと暴力の病理』特別付録CDより)

『カウンターと暴力の病理 反差別、人権、そして大学院生リンチ事件』[特別付 録]リンチ音声記録CD(55分)定価=本体1250円+税

米空軍横田基地HPより

 

米空軍横田基地HPより

 

CV-22 Osprey

首都圏に突如オスプレイがやってきた。本来の配備予定を1年以上繰り上げ、横田基地(東京都福生市、瑞穂町、武蔵村山市、羽村市、立川市、昭島市)への配備である。海兵隊は被害総額が200万ドル(約2億2700万円)以上か、死者が出るような重大事故の10万飛行時間当たりの発生率を機体の安全性を示す指標として使用しているが、オスプレイの「重大事故率」は2017年3.27で海兵隊機全体の平均2.72を上回っている。ちなみに普天間基地に配備前2012年4月時点では、オスプレイの「重大事故率」は1.93と発表されていた。3.27は配備前の約1.7倍に危険性が増したことを示す数字だ。

しかも「重大事故率」は前述のとおり、大規模事故や死者が出た際だけに限られているので、その規模以下の被害は「重大事故率」には含まれないから、オスプレイは実質上「海兵隊で最も危険な機体」だと表現して過言ではない。横田基地配備をめぐっては、事前より地元の反対が強くあり、配備取り消しの訴訟も提訴されている。

◆危険な輸送機に3600億円費やす必要性

この配備について、したり顔で「北朝鮮に睨みを利かせるための配備ではないか」などと間抜けな顔をさらしてコメントしている自・他称専門家がいるようだが、飛行距離は長くとも、機関砲もなく攻撃能力が低く、頻繁に重大事故を起こす輸送機を東京に配備して「北朝鮮への睨み」になると本気で考えているのであれば、自・他称専門家は、単なる「妄想家」と言わなければならないだろう。

〈小池百合子都知事が会長を務める「横田基地に関する東京都と周辺市町連絡協議会」は防衛省北関東防衛局に対し、迅速な情報提供を求めるとともに、米国に安全対策の徹底などを働きかけるよう申し入れた。〉らしいけれども、これは実のところ「何もしていない」と書くのが正しい。米陸軍ですらがコストパフォーマンスに問題ありとして、導入を断念したオスプレイ。日本政府は既に17機を3600億円で購入する契約を結んでいるが、これは米陸軍が断念した額のほぼ倍に相当するという。

どうして、こうも無意味で危険なだけの輸送機に3600億円も費やす必要があるのか。そしてなによりも、ほかならぬ沖縄でオスプレイは「実際に墜落」しているではないか。豪州でもシリアでも昨年墜落している。実戦中ではなく訓練中にこうも頻繁に墜落したり、機体部品を落下させるのは、ひょっとしたら最初から「自軍攻撃」のために意図して設計されたのではないか、と勘繰りたくもなる欠陥構造であることはもう、あらゆる事実が証明している。

◆オスプレイがこのタイミングでなぜ横田基地へ急遽配備されたのか

 

2018年4月5日付毎日新聞

そのオスプレイがこのタイミングでなぜ横田基地へ急遽配備されたのか? うがった予想はいくらでも成り立つが、確実であろうことは、安倍政権が無理やり「いま」横田への配備を決めたのではないであろうということだ。公文書の捏造、自衛隊日報の隠蔽、森友学園、加計学園問題の噴出で、政治に興味の薄い国民の間でも安倍内閣支持率は確実に下がっており、安倍首相自身が国会での答弁に窮する場面も多発してきた。

常に自民党政権擁護の月刊「文藝春秋」も、昨年の6月号から安倍政権批判を始めている。「文藝春秋」に叩かれだすと政権は赤信号だ。過去「文藝春秋」から見放されて政権の多くが数カ月で崩壊している。しかし、安倍政権は依然として続いている。このこと自体が異常なのだ。

朝鮮を取り巻く外交では完全に「蚊帳の外」におかれ、メンツ丸つぶれの日本外交。ホワイトハウス要人の相次ぐ辞任、解任に管理官から「これだけ主要人物が入れ替わると顔を覚える時間がない」との愚痴が漏れ聞こえてくる米国政権中枢の混乱。そして冷戦時代の再来か、と思われるほど多量の外交官追放合戦を繰り広げる米欧諸国とロシアの急激な関係悪化。世界が狼狽している間に中国を訪問し、後ろ盾を取り戻し、板門店での首脳会議に臨む準備万端な朝鮮。

これらの国際情勢が横田基地へのオスプレイにまったくの無関係ではあるまい。しかし明確に因果関係を断言することはかなり困難だ。可能性としては「日米合同委員会」で突如米国側から日本への通告があったであろう。アジア戦略に混乱の極みの米政権内の混乱が、オスプレイ横田配備という唐突な出来事として表出したのではないだろうか。

確実なことは、横田基地周辺の住民はこれから不安な日々を過ごさねばならないことだけだ。

米空軍横田基地HPより

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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〈3・11〉から7年 私たちはどう生きるか 『NO NUKES voice』15号

 

2018年4月6日付時事通信

〈防衛省が存在しないとしていた陸上自衛隊イラク派遣部隊の日報が見つかった問題で、小野寺五典防衛相は4月6日、日報が航空幕僚監部にも保存されていたことを明らかにした。小野寺氏によると、空幕運用支援・情報部で、イラク派遣部隊の日報が3日分3枚見つかった。5日に国会議員から資料要求を受け、探索する過程で同日中に確認されたという。 昨年2月に国会議員から照会を受けた際は「ない」と回答していた。小野寺氏は「日報が残っていたことは大変遺憾だ」と述べた。〉(2018年4月6日付時事通信)

「ない」と大臣が国会で答弁した書類が、次々と「あった」ことが明らかになっている。あるいは情報公開請求に黒塗りで、回答された文書が実は「改竄」されていたことが発覚し、関係した官僚は即座に辞職(懲戒免職では退職金が受け取れないからだろう)、証人喚問に呼ばれても「刑事訴追の恐れがあるから答弁は控えさせていただく」を繰り返し、神妙な表情とは裏腹に内心「証人喚問なんて、与党政治家との折衝に比べればどーてこたぁないさ」とでも考えているのだろう。

◆日本官僚制と旧ソ連「ノーメンクラツーラ」の類似と相違

「日本の首相はコロコロ変わるが、官僚機構が優秀だから安定している」と他国から長年評価(?)されてきたけれども、この島国官僚の優秀さとは、今日的にはつまるところ、公文書の改竄や隠蔽を行っても、それを政権から咎められない、あるいはその事実さえ「ばれはしない」、というソ連時代の「ノーメンクラツーラ」ばりの利益共同体、鉄の結束を意味するだけのことであり、その点「秘密結社」としては「優秀」との評価は、失当ではないともいえよう。

けれども政権交代によっても変わることのない「秘密結社」を、実際の最高権力に頂く国民にとっては、「民主主義」も「情報公開」も「遵法精神」も、すべてが内容を伴わない空念仏であることを、重ねて思い知らされるだけのことであり、不幸の極みというしかないだろう。あえてソ連時代の「ノーメンクラツーラ」を引き合いに出したが、当時のソ連では、高級官僚が情報の扱いを少し間違うと、たちまち「失脚」する危険と背中合わせで「鉄の結束」は維持されていたのだ。この島国の官僚は違う。

この島国では、官僚に就任する前から十分な社会教育を受ける。「長い物には巻かれろ」、「見ざる聞かざる言わざる」、「君子危うきに近づかず」、「出る杭は打たれる」……。おとなしくしておけば損はしない。「王様は裸だ!」とは言ってはいけない。ましてや職務上の倫理より優先する社会的公正を、仕事の上で実践してはいけない。これらは公教育で教師の口から「はっきりと」伝えられるものではない。親や保護者もおそらく、あからさまにそのように躾はしない。子供は成長過程で大人のふるまいや「背中」を見て、自然に自己生成を完成させていくのだ。

小情況においての「長い物には巻かれろ」、「見ざる聞かざる言わざる」、「君子危うきに近づかず」を無意識の教条とする生活態度は、同僚と無言での合意を形成し、個の判断から、小集団の意思決定を後押しする。各部署で相次ぐ「無意識の合意」は金科玉条、憲法よりも精神的には上位概念である「忖度」原則を踏まえ、やがては政策に反映される。

◆PKO派兵には別の「秘密」があったのだろう

「自衛隊の日報が破棄されている」ことなんかあるはずがない、ことを私は確信していた。自衛隊がそのようなことをすれば、事後の業務に重大な支障をきたすし、「軍隊」には交戦がなくとも、記録を専らの業務とする兵隊が常駐している。近代軍隊の基本だ。

稲田防衛大臣(当時)が「日報は見つからなかった」と国会で答弁するたびに、稲田の極右思想を考慮に入れて、防衛省は「稲田ごときにアルカーナ」を知られてたまるかと思慮しているのか、と私は想像していた。日報のように事実を書き残すものだけではなく、南スーダンへのPKO派兵には別の「秘密」があったのだろう。

それはPKO部隊が派兵された地域が「非戦闘地帯」ではなく「実戦」が続いている場所であった事実だ(そのことを示す証拠は現地視察に訪れた稲田が、当地にわずか8時間以下滞在しなかった事実、ほか「シュバで実戦が続く」と多くの証言があったことから明らかだ)。

◆官僚組織の精神性──憲法の上位概念としてこの国に根付くもの

大臣の任期は首相から任命を受け、その政権が終焉するまでだが、官僚の任期は入庁(省)してから退職までだ。どちらが長く、保身のためには何を優先すれば自己の利益になるのかは、庶民にでもわかる。

官僚による、公文書の改竄・隠蔽・虚偽の破棄は、もちろん大問題だが、その土壌には官僚組織が固く保持する精神性が作用しているのではないか。省庁ならずとも企業においても、同様の精神性は散見される。それらは憲法より上位概念として、広く行き渡り、定着しているように感じる。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

最新『紙の爆弾』5月号 安倍晋三はこうして退陣する/編集長・中川が一から聞く日本社会の転換点/日本会議系団体理事が支持「道徳」を〝数値評価〟していた文科省研究開発学校 他

〈3・11〉から7年 私たちはどう生きるか 『NO NUKES voice』15号

 

伊勢崎賢治「憲法9条を先進的だと思ってる日本人が、根本的に誤解していること」(2018年2月6日現代ビジネスより)

 

東京外国語大学教授で自称「紛争屋」の伊勢崎賢治が、本音を語りだしている。

「リベラルな実務家」と長らく人びとの目を欺き、「マガジン9」などにも顔を出していた伊勢崎は、「憲法9条を先進的だと思ってる日本人が、根本的に誤解していること」の中で倒錯しきった私見を述べている。

伊勢崎は、〈僕のように多国籍軍と一緒に働いてきた実務家にとって、現場で常に念頭に置いている最大の懸念は、我々自身の行動が国際人道法の違反、すなわち「戦争犯罪」を起こすか、である。多国籍軍は、それぞれ一応はちゃんとした法治国家から派遣されてくるから、武力の行使は原則的に「自衛」である〉

と、〈多国籍軍はそれぞれ一応はちゃんとした法治国家から派遣されてくるから武力の行使は原則的に『自衛』である。自衛のための武力行使ができる『開戦法規』上の要件は、まず攻撃を受けることである。そこを戦端として『交戦』が始まる〉という。

伊勢崎賢治の上記文章(2018年2月6日現代ビジネス)

この一文だけで、伊勢崎の論が破綻していることが証左される。「一応ちゃんとした法治国家」から派遣されてくれば、武力行使は「自衛」とは短絡にもほどがある。米国は伊勢崎に言わせれば「一応ちゃんとした法治国家」となるのだろう。ではこれまで米国が行った「自衛」はすべて、「攻撃」を受けてのものだったろうか。「紛争屋」伊勢崎は「一応ちゃんとした法治国家」の寄り合いであれば、それ自体が正当性を持つかのように前提を立てる。

これは、米国を中心とする、イラク侵略、アフガニスタン侵略、ソマリア内戦干渉などを当然知っている(伊勢崎はアフガニスタンには自身も武装解除でかかわっている)者の発言とはにわかには信じがたい。

アフガニスタンから「多国籍軍」にいったいいつ、どんな「攻撃」があって「開戦」したというのだ? 米国での多発ゲリラ事件(9・11)の主体は「アルカイダ」じゃなかったのか(のちに国際貿易センタービル倒壊の不自然さや、ペンタゴンの事故現場の検証と、墜落したはずの旅客機乗客とその家族の通話記録、機体の残骸などを見るにつけ、この多発ゲリラが「アルカイダ」主導で行われたものなのかどうかに、わたしは疑念を抱いている)。「アルカイダ」はアフガニスタン(国家)じゃないだろう?

アフガニスタン周辺に展開した多国籍軍へアフガニスタン側から、「先制攻撃」があったのか?そんな話は聞いたことがない。イラクも同様だ。イラクから多国籍軍への攻撃の後に「自衛」が行われた事実などないじゃないか。

そして伊勢崎は「つまり、自衛は、warなのだ」と言い切るが、これも言葉としての「自衛」を過大に膨張させ過ぎだ。「自衛=war」とする論理は、あまたの戦争が「自衛」あるいは「自国の権益保護」を言い分に行われた歴史に鑑みれば、合理的であるかのように騙されそうだけれども、それは戦争を肯定する連中の話法であり、「war=自衛」は戦争遂行者の自己弁護である。「自衛」は武力によらずとも、条約や経済交流、外交交渉、国連での仲裁などいくらでも手段はある。「自衛は、warなのだ」は短絡に過ぎ、説得力を持たない。

伊勢崎は〈日本人向けにさらに言うと、個別的自衛権もwarなのだ。生存のために必要最小限であれば9条も許すと日本人が思っているそれも、war(戦争)なのだ〉と「生存のために必要最小限であれば9条も許すと日本人が思っている」と勝手に決めつけているが、その日本人の中にわたし(わたし以外の少なくない人びと)は、包摂されない。

伊勢崎賢治の上記文章(2018年2月6日現代ビジネス)

政府が勝手に憲法違反の自衛隊を設立し、政府見解「個別的自衛権は許される」との詭弁を長年、改憲のために国民を騙す洗脳の道具として使ってきた事実は知っている。伊勢崎、日本政府にもう一度下記の日本語を読んでもらいたい。

1.日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

いわずもがな「日本国憲法9条」だ。この日本語のどこを、どう読んだら「自衛隊」の存在が許されるのだ(ちなみにわたしは護憲派ではない。明確な改憲派だ。ただし自民党などが進める改憲とは本質的に逆の方向に向かっての改憲派である)。

眼鏡をかけた若手の気鋭憲法学者も「個別的自衛権」が当たり前のように語っている。

先に述べたように長年政府見解も「個別的自衛権が憲法上認められる」としてきた。みなさん言いにくいからわたしが代わって明言する。自衛隊も、個別的自衛権も小学校で習う日本語文法で憲法9条を読めば、許される道理がない。この条文を読んで、自衛隊合憲、個別的自衛権は許されると解釈する人は、悪辣な「なにか」を目指す政治屋か、日本語の基礎がわかっていない人である。

さらに伊勢崎は、〈交戦しそうなら、退避すればいいじゃないか、として、わざわざ交戦の可能性のある現場に国家の実力組織を派遣することを正当化し、「解釈改憲」してきた日本〉と「解釈改憲」を批判するが、この批判は歴代政権に向けるべきもので、「『解釈改憲』」してきたのは、「日本」ではなく「日本政府」と明確にしてもらわねば困る。日本人の総意で「解釈改憲」がなされた事実などない。

伊勢崎賢治の上記文章(2018年2月6日現代ビジネス)

〈専ら「自衛」、つまり専守防衛を開戦法規の共通理念とする地球上の全ての法治国家が、主権国家の責任として、自らが犯す戦争犯罪への対処を、想定すらしない。通常戦力で五指の実力組織を保持する軍事大国が、である〉と伊勢崎は嘆く。

伊勢崎は大学教員だが、この文章は主語と述語がねじれている。〈専守防衛を開戦法規の共通理念とする地球上の全ての法治国家が、主権国家としての責任として自らが犯す戦争犯罪への対処を、想定すらしない〉の意味するものは何か? その主語を伊勢崎はもったいぶった倒置法で〈通常戦力で五指の実力組織を保持する軍事大国〉などと書き、「日本」と明示しない。がそれにしても「地球上の全ての法治国家」にイスラエルは入るのか? 米国は? シリアは?

伊勢崎賢治の上記文章(2018年2月6日現代ビジネス)

わざわざ太字にして〈なぜ、在日米軍のオスプレーを心配し糾弾するリベラルが、異国の地ジブチで今も活動する自衛隊機を心配しない〉と、大発見でもしたかのように伊勢崎は舞い上がっているが、「リベラル」とはだれのことなのだ。少なくともわたしのことではない。わたしは「在日米軍のオスプレーを心配し糾弾するし、異国の地ジブチで今も活動する自衛隊機は憲法違反だから一刻も早く撤退すべきだ」としか考えようがない。

伊勢崎賢治の上記文章(2018年2月6日現代ビジネス)

極めつけは〈9条論議は、一度、英語原文に立ち返るといいと思う。「押し付け論」など、どうでもいい。GHQから変わらない英語原文だ。9条が、2項で、高らかに放棄する「交戦権」。日本人は、これを、「交戦する権利」と捉えているようだ。その当たり前の権利を平和のために放棄するのだからエラいのだ、と。しかし、上記ように、「交戦する権利」は、もう、ない。9条ができる前から、である〉

伊勢崎賢治の上記文章(2018年2月6日現代ビジネス)

ここまでくると大学教員の発信とは信じられない。まったく実証的ではないばかりか、伊勢崎が倒錯に陥っていることは、次の部分で確定する。

〈筆者には、憲法学者をはじめ、いわゆる護憲派という政治スタンスをとる親しい友人の専門家たちがいる。その友人たちには、国民投票が現実味を帯びてくる将来に向けて、これからも、ブレることなく、主張を続けていって欲しい。護憲の「精神」は非戦であり、それは正しいのだから。敬意を込めて、そう思う。しかし、護憲のための解釈改憲は「矛盾」である。その矛盾が実際の現場で引き起こす問題の明示を護憲派への攻撃と捉える人々がいるが、護るべきは解釈改憲ではないはずである。だから、自衛隊は違憲であると言い続けてほしい。日本共産党のように、(国民の好感度に政治的配慮して)一定期間は合憲、などと膝の力が抜けるようなことは、絶対に言わないでほしい。僕の友人たちがそうでないのは分かっている。しかし、9条の神格化は、避けて欲しいのだ〉。

伊勢崎賢治の上記文章(2018年2月6日現代ビジネス)

いったい伊勢崎は何を主張したいのだ?「護憲を貫け!共産党のように膝の力が抜けることは絶対に言わないでほしいけど、9条の神格化は、避けて欲しいのだ」と。どうしろというのだ。伊勢崎?

その前後も伊勢崎独自の歴史解釈や理解が、披露されるがどれもこれも論拠が薄く、結果として現状の「改憲策動」に与する分裂した主張に終始している。伊勢崎は「紛争屋」だから、現場は知っているのだろうけども、憲法と法の関係、さらには日本の司法権の問題などにつての視点がない。なにも護憲派は「9条」を金科玉条に唱えていた人ばかりではない。「小学生が読んでも憲法違反」である自衛隊の存在を裁判所に問うたら(違憲立法審査権の行使)「統治行為論」(「国の統治にかかわることを裁判所は判断できません」と、1959年最高裁は砂川事件で裁判所の役割と、三権分立を放棄した)で憲法と現実の不整合を正す試みもなされたことを、伊勢崎は知らないはずはあるまい。

この手の輩がこれから、跳梁跋扈するだろう。「リベラル」ズラだったり、「リベラル」に理解ありそうで、その実「現状肯定」に最大の価値を見出す、不埒な連中が。識者や有名人で「改憲」したい者は、ごちゃごちゃ御託を並べずに、はっきりそう表明しろ。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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〈3・11〉から7年 私たちはどう生きるか 『NO NUKES voice』15号

 

『戦旗派コレクション』より

わたしたちが要塞に入ったのは、3月の上旬だった。横堀の団結小屋に集合して、そこから水田の畔をたどるように、靴を泥濘にとられながら要塞の裏手の土手を駆けのぼった。要塞に入ったとき、反対同盟のI・S氏(青年行動隊)から「政府と公団は3月30日に開港を祝して、500人ほど政財界の人間を集めてパーティーを開こうとしているらしい。それに一泡吹かしてやろうじゃないか」という目的を告げられた。そのために、要塞から東と南に抜け穴を掘って脱出路にする。あるいは長期籠城ができるようなら、その穴を補給路にする計画を告げられた。ようするに、要塞に引きつけた機動隊を地下道で翻弄する長期戦を視野に入れたもの。逮捕されない戦いをする、というものだ。てっきり逮捕覚悟と思っていたものが、脱出できる計画だったのだ。これは嬉しかった。一か月近くも前に要塞に入れられたのは、そういう妙味のある計画だったのである。

◆三里塚の大地にトンネルを掘る

翌日から、短いほうは東に50メートルほど、南に向けては100メートル以上のトンネルが掘りはじめられた。要塞は2階が居住空間で、3階にはガソリン入りのドラム缶が置いてあった。発電機をつかった電気なので、ときおり蛍光灯が消えたり点いたりでグローブ球がスパークする。ガソリンに引火しないかとヒヤヒヤしたものだ。反対同盟の幹部(北原事務局長・石井武実行役員・秋葉哲救対部長)の3氏は3階の特別室だった。2月要塞戦では内田行動隊長以下、最先頭で闘っていたが、それは鉄骨だけのスケルトン状態だったからで、コンクリートを打った要塞では、文字どおりたてこもるしかなかった。したがって、反対同盟幹部の活躍はほとんどなかった。それはそれで、何となし士気を削ぐような印象がしたものだ。その幹部たちが入ってきた頃には、トンネルはおおむね完成していた。

それにしても、厳寒のなかを剥き出しの鉄塔で悲惨なたたかいを強いられた2月要塞戦にくらべると、わたしたちの3月要塞戦は恵まれていたというか、申しわけないほど好待遇だった。三食休憩付きの二交代勤務のうえ、バス・トイレ付、コックと栄養士も居たのだから。そしてあまり使えなかったものの、火炎瓶用のガソリンや鉄パイプ、鉄筋弾にブロック片と武器もよりどりみどり。2月要塞が補給のないガダルカナルやインパール作戦ならば、われわれは潤沢な武器と兵糧を備えたマレー攻略部隊のようなものだった。たとえが悪くて、すみません……。

トンネルの掘削はけっこう愉しかった。三里塚の土は黒いビロードのように細かく、いわゆる肥えた土壌である。ところが、いったん表土をくぐると、関東ローム層はやわらかい赤土だった。小ぶりの鍬だったと思うが、サクサクと一時間もすれば50センチは掘り進んだような記憶がある。ときおりバサッと落盤してヒヤリとする。ヒヤリとするのはそのたびに壁に這わせてある電灯が一緒に落ちてしまうからだ。安物の電灯だったのか、よく切れてしまった。消える前の煌々と明るくなる瞬間がはかない。どのくらいで土手に達しただろうか。50メートルのトンネルはすぐに堀止めとなった。完全に貫通してしまうと、警察の事前捜査で発見されてしまう。

 

『戦旗派コレクション』より

◆三里塚・野戦の夜空

鉄塔が運び込まれたのは、3・26の何日前だったかハッキリおぼえていない。要塞の下で何台ものクルマを連ね、警備している機動隊や私服刑事にむけてヘッドライトを照射しながらの搬入だった。そして3月25日の昼から、航空法違反49条の構成要件とされる鉄塔の組み立てがはじまった。のちに起訴状で知ったことだが、2月要塞戦(連載第2回)の採証で立ち入り捜査をしようとしたところ、火炎瓶が現認されたので取り締まりに入った、ということになっていた。「火炎瓶を現認したので、これより取り締まりを行なう」という警告は確かに聴いた。ヘリコプターが接近していたから、おそらく写真を撮っていたはずだ。ということは、警察は航空法49条での立件に自信を持っていなかったのであろう。

ともあれ、これで警備当局には立ち入り調査・取り締まりの名分ができたのだった。その夜、まず目隠し用に立てていた竹のバリケードが、装甲車によって一本ずつ押し倒された。それを待っていたかのように、こっちも応戦する。武器はY字型に鉄パイプを溶接した大型パチンコから鉄筋の矢、腕に装着してつかうパチンコ、ブロック片、そして火炎瓶である。鉄筋の矢は威力がすさまじく、直進して着弾すると「ドコン!」と装甲車の防護壁が音を立てる。一瞬、装甲車が動きを止めて「おおっ、当たった」「動かないぞ」。一説には、装甲車の装甲版に突き刺さったともいう。しかし、矢のダメージで動きを止めたわけではなかった。装甲車の内部では「被弾しました」「異状ないか?」「ありませんツ!」などという会話があったかどうかは知らない。そしてガス弾がバンバン飛んできた。夜空に花火のように火薬の弧を描きながら、鉄塔にコキンと当たって落下してくる。きな臭い嫌な匂いで、涙がでてくる。その夜は15分ほどの戦闘で終了した。

◆要塞西側は機動隊車両で埋め尽くされていた

 

『戦旗派コレクション』より

翌3月26日、三里塚第一公園で全国集会が開かれる予定だ。わたしたちのたてこもる要塞の西側は、門前市をなすがごとき機動隊車両で埋め尽くされていた。集会後はカンパニアデモじゃなくて、こっちまで攻めてきてくれよと思ったものだ。というのも、100メートルはあろうかと思われるクレーンが、わたしたちの眼前で組み立てられているのだ。やがて、あれが要塞からの攻撃を防御する防護板を吊るし、機動隊の接近を容易にするであろうことは想像がついた。

いっぽう、本集会に先立つ午前中に菱田小学校跡地で別の集会が開かれたのを、わたしたち要塞籠城組が知るよしもなかった。「おい、あれは俺ら(味方)なのか?」という誰かの声で、赤ヘル軍団が菱田から東峰方面に、山林のなかを進撃するのに気づいたのだった。その行軍は陸続という表現がふさわしい、おりからの陽光にヘルメットの赤がまぶしかった。つぎに「おいあそこ、いったい何をやってるんだろうなぁ?」という声で、管制塔の方角に目を凝らしてみた。ヘリコプターが管制塔に近づいて、何かしているようだがよくはわからない。そのときは、そんなことよりも眼前の戦闘、といっても1キロほど離れているはずだが、赤ヘルと機動隊の激突に目を奪われていた。飛びかう火炎瓶、鉄パイプを振るっての死闘。まさに特等席からの「観戦」だった。炎は北東からの風にあおられて、草原を舐めるようにわれわれの眼下に達した。機動隊員が盾で炎を消そうとするが、もはや燃えるにまかせるしかない。「おいツ、く、空港のなかで炎があがっているぞ!」それは本当だった。黒煙がもうもうと上がり、破られた第9ゲートの向こうで空港が燃えている。5ゲート方面でもデモ隊がフェンスに肉迫し、火炎瓶が投じられている。

やがて、激突で逮捕された学生たちが、野っぱらを連行されてくるのが見えた。わたしたちが事態を知ったのは、二階に降りてからだった。ラジオの臨時ニュースは管制塔が占拠されたことを報じていた。「あれって、管制官を吊り上げてたんだな」と、ようやく管制塔の異様な風景に得心したのだった。のちに「管制塔に赤旗がひるがえった」と呼ばれる日のことである。その夜、わたしたちを包囲している機動隊が部分的に撤収した。「おい、機動隊が帰っていくぞ」「ホントだ!」それが全軍であれば、われわれは機動隊を退却させたことになるが、そうではなかった。(つづく)


◎[参考動画]NARITA STRUGGLE 1978 成田空港管制塔占拠 Part 1

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
著述業、雑誌編集者。3月横堀要塞戦元被告。

『紙の爆弾』4月号!自民党総裁選に“波乱”の兆し/前川喜平前文科次官が今治市で発した「警告」/創価学会・本部人事に表れた内部対立他

〈3・11〉から7年 私たちはどう生きるか 『NO NUKES voice』15号

第54回東京電力本店合同抗議行動(2018年3月11日千代田区内幸町)

2011年3月11日に発生した大震災は歴史の中にすでに確固とした座を占めている。ナショナル・ジオグラフォックが2012年に発行した『ビジュアル 1001の出来事でわかる世界史』でも、古代から続く人類の歴史で3・11が最新の1ページに記されているほどだ。

でも、福島第一原発事故はすでに歴史になったのか? 地震と津波が発生したのは7年前の3月11日で間違いない。けれど、そもそも福島第一原発の事故とはメルトダウンしたことなのか? それとも放射性物質の拡散? あるいは風評被害を与える言説も事故なのか? あれ、そもそも福島第一原発はいまだに“事故ってる”んじゃないのか!? だとしたら、歴史に刻まれる前にやらなければいけないことがあるはずだ。

第54回東京電力本店合同抗議行動(2018年3月11日千代田区内幸町)

2018年3月11日千代田区内幸町にて

2018年3月11日に東京電力本店前(東京都千代田区内幸町)で催された抗議行動『東電は原発事故の責任をとれ-第54回東京電力本店合同抗議行動-東電解体!汚染水止めろ!柏崎刈羽原発再稼働するな!』には前年の500人をはるかに上回る900人が参加し、現況を共有。東電に対する抗議と申し入れを行った。

集会では作家の落合恵子さん、ルポライターの鎌田慧さん、東海村(茨城)の元村長の村上達也さんなど多数のスピーカーが脱原発のスピーチを行った。今回は、当日の様子と共に、東京電力株主代表訴訟事務局長で「原発ゼロ・自然エネルギー推進連盟」(原自連)事務局次長を務めている木村結さんのスピーチを紹介する。

第54回東京電力本店合同抗議行動(2018年3月11日千代田区内幸町)

◆6月の東電株主総会では株主65万人に私たちの提案を届ける

「原自連」事務局次長の木村結さん

木村結さん

こんにちは。木村結でございます。私たちは30年も前から、東京電力に対して「原発をやめよう」という株主提案を続けてまいりました。いま、6月の株主総会に向けて提案を10件ほど準備しております。法務省は、10件は多すぎるから5件にしろとかですね、そういう具体的な数字で締め付けをしてきております。現在は3万株で提案できるのですが、そのハードルを上げるというようなことも言ってきております。

全国には東京電力の株主が65万人もいるんです。その65万人の株主に私たちの提案を届けることができるという、かなり壮大な運動なんですね。「原発を動かしてもいいじゃないか」っていう人たちにも声を届けることが出来るんです。

◆今がチャンスの〈原発ゼロ〉実現

もうひとつ、去年の4月に原自連というものを立ち上げました。『原発ゼロ自然エネルギー推進連盟』と名前が長いんですけれども、これは電自連(電気事業連合会)の向こうを張って原自連というふうにいいます。脱原発大賞というのを3月7日に発表したのですが、今日もこれから挨拶をします『さようなら柏崎刈羽プロジェクト』が金賞を獲りました。そして銀賞は『反原発議員市民連盟』です。審査員賞に『再稼働阻止ネット』も入りました。賞金も出ますので是非ご応募していただければと思います。

そしてですね、今皆さん気になってらっしゃるのが、立憲民主党、希望の党、そして共産党、社民党が共同して出している『原発ゼロ法案』です。1月10日に、私たち原自連も原発ゼロ法案を出しました。私たちのものは即時ゼロ。非常に明快な法案でございます。しかし、議員でない私たちには提案権がございません。そこで、全ての野党を回って「是非法案を出して欲しい」という呼びかけや意見交換会を重ねてきました。そうしましたら、立憲民主党、希望の党の心に響いたようで、ようやく法案を出すことができました。原自連は、普段声が届かない人たちに声を届けたいと考えております。あいつは嫌いだから手を組まないとか、あの時あんなことを言ったから許さないとか、そんなことを言っていたら脱原発はいつまでたってもできません。今がチャンスなんです! みんなで手を繋いで前に行きましょう! 進みましょう!

木村結さん

▼大宮 浩平(おおみや・こうへい) [撮影・文]
写真家 / ライター / 1986年 東京に生まれる。2002年より撮影を開始。 2016年 新宿眼科画廊にて個展を開催。主な使用機材は Canon EOS 5D markⅡ、RICOH GR、Nikon F2。
Facebook : https://m.facebook.com/omiyakohei
twitter : https://twitter.com/OMIYA_KOHEI
Instagram : http://instagram.com/omiya_kohei

『NO NUKES voice』15号 〈3・11〉から7年 私たちはどう生きるか

多くの人たちと共に〈原発なき社会〉を求めて『NO NUKES voice』

多士済々の登壇者たち

 

集会冒頭で上映された『三里塚のイカロス』

管制塔占拠闘争から40年目をむかえた3月25日、連合会館で集会がひらかれた。参加したのは300人ほどだが、わたしをふくめて初老をむかえた元被告たち、三里塚闘争の歴史に興味を持っているという若い人の参加もあった。

◆映画『三里塚のイカロス』に感謝

冒頭に『三里塚のイカロス』が上映された。この映画では、加瀬勉さん(農民活動家)のインタビューをはじめ、第四インターの初期の現地闘争団の活動家、元中核派の三里塚闘争責任者(昨年雪山スキーで逝去)、支援嫁たち、土地買収を担当した公団職員(反対派に自宅を爆破され重傷を負う)に話を聞くかたちで、三里塚闘争の重たい陰の側面に光があてられている。反対同盟の3・8分裂をめぐる内ゲバについても触れられている。あるいは部落の共同体をのこすために、部落決議で移転に応じた辺田部落の支援嫁の自殺も、この映画のモチーフだったという。ちなみに、その女性は筆者の相被告(三月要塞戦)でもある。インタビューはたびたび、離着陸するジェット機の騒音にさえぎられる。観る者に、いやでも三里塚の現実が伝わってくる。まさに三里塚の過去と現在に向き合った、重厚な作品といえるだろう。この映画を撮った監督(代島治彦)とスタッフに感謝したい。

◆反対同盟の柳川秀夫さんの言葉

反対同盟の柳川秀夫さんからは「元被告の皆さんは、三里塚闘争で人生が変わったと思います。たとえ人生が変わっても、こうして会えているのだから、それはそれで納得のいく人生を歩んできたのではないでしょうか」と、自身も納得のいく生き方をつづけたいと語られた。そして三里塚闘争が歩んできた足跡を振り返りながら、「腹いっぱいではなく、腹八分目で生きていく社会、不自由なく持続できる社会に作り変えていく内容があるのではないか。そのための運動を持続していきたい」と提案された。哲学が感じられる話だった。

反対同盟の柳川秀夫代表

 

廃港要求宣言の会の鎌田慧さん(ジャーナリスト)は、当時をふりかえって「第2第3の管制塔占拠をという掛け声はあったが、あれは二度も三度もできるものではなかった。開港にむけた情勢が煮詰まり、反対運動が高揚したところに、ある種の必然性をもってやり遂げられたもので、管制塔占拠をしなくても廃港にできる運動を模索するべきだと感じていた」と語られた。そして持続的に社会のあり方を変えていく運動の質があれば、三里塚闘争の半世紀およぶ歴史は無駄にはならないし、伝えていかなければならないと述べた。

 

まさにその世代をこえた伝承が、木の根ペンションで行われていることが、ビデオで報告された。すなわち、木の根風車あとに造られたプール付きの木の根ペンションが再開され、若者の音楽を中心にイベントが開かれていることだ。その担い手は、現地闘争団のメンバーを親に持つ若者(大森武徳さん)である。幼いころから現地闘争を目にしてきた彼は、自分よりも若い世代にも伝えていきたいと語っていた。大森さんは有機農業をひろめることを、営農のテーマにしているという。

主催者でもある管制塔被告団の平田誠剛さんの挨拶、現地に住んで現闘を継続している山崎宏の第3滑走路計画の解説、清井弁護士からの発言につづいて、支援嫁のひとりである石井紀子さんのメッセージが代読された。

◆三里塚闘争に女性が継続して参加できない側面があった事実

メッセージで印象的だったのは、彼女自身がリブの出張所として三里塚に来たつもりだったが、それはじつに困難な道だった。今回「女性の発言者がいないので」という理由で参加を要請されたが、どうしてほかに女性の参加者がいないのか、と疑問が提起された。もちろん集会に女性参加者はいたが、三里塚闘争には女性が継続して参加できない側面があったのは事実である。このあたりは深く切開されなければならない、日本の社会運動全体の問題であろう。

遺影は、新山幸男さん(右・第四インター)、原勲さん(左・プロ青同)

◆あの日のわたしたちは誰が管制塔に登っても不思議ではなかった

 

全国で空港反対運動を持続している反空連などの発言のあと、管制塔被告団が壇上に上がった。その後の人生の歩みや現在が語られ、なるほど多士済々の彼らならではの管制塔占拠なのだなと思わせるが、壇上からは「われわれは、あの日各所で闘っていた、みなさんの一部にすぎないのです」という発言があった。そう、あの日のわたしたちは誰が管制塔に登っても不思議ではなかった。政府と農民の非妥協のたたかいが、最終的にのぼり詰めた先。78年3月の開港阻止闘争そのものが、管制塔占拠という歴史的な勝利をもたらしたのだと思う。

レセプションでは、わたしも三月要塞戦被告団として発言させていただいた。ほかに5・8(岩山大鉄塔破壊にたいする野戦)被告団、2月要塞戦被告団、第8ゲート被告団、第9ゲート被告団からも発言があった。それぞれが戦友会という雰囲気である。この連載でもふれるが、厳寒のなかで闘われた2月要塞戦にくらべて、わたしたちは用意周到な準備(バストイレ・三食付き・二交代でベッド就寝・大量の火炎瓶と鉄筋弾・鉄筋矢など)に加えて、脱出(補給)用のトンネルまであったのだ。

 

そこで、二次会では「3・26で管制塔を破壊したあとに、なぜわれわれは脱出しなかったのか」という議論になった。管制塔が占拠された夜、横堀要塞を包囲していた機動隊は一時的に、大挙して撤退していた。おそらく政府高官や官僚が事件後の視察に来たので、機動隊の警備状態をみせるために、一時撤退したのではないだろうか。しかしわれわれには、トンネルからの撤収は最後の段階まで持ち越された。撤退は議論にすらならなかったのである。

議論にできなかったのは、おそらく管制塔占拠・空港突入が赤ヘル三派(第四インター日本支部・プロ青同=共産主義労働者党・共産同戦旗派主流派)だったから、中核派(4名)はぜったいに要塞からの撤退に反対するだろうと思われる。ここで逮捕者を出さなければ、かれらは開港阻止闘争でまるっきり何もしなかったことになるからだ。事実、彼らは機動隊が突入するや、鉄塔に登って抗戦した(第四インターも1名が鉄塔に残った)。撤退のイニシアチブを反対同盟3幹部も取ろうとはしなかった。管制塔を破壊して開港阻止闘争に勝ったのだから、逃げも隠れもしまいという空気があったのも確かだった。いまこうして闘争記を書けるのも、あのとき逮捕されたからだと考えると、撤退の議論は懐旧をみたす酒の肴なのかもしれないと思う。冒頭に紹介した柳川秀夫さんの言葉ではないが、われわれは三里塚闘争で逮捕され英雄(一部の社会運動だけでの英雄ですが)になったことに、こころから納得しているのだ。

当時のヘルメット姿で物販する元被告たち

▼ 横山茂彦(よこやま・しげひこ)
著述業、雑誌編集者。3月横堀要塞戦元被告。

タケナカシゲル『誰も書かなかったヤクザのタブー』(鹿砦社ライブラリー007)

3月19日大阪地裁でM君が提訴した、李信恵ら5人に対する判決が言い渡されたことについては、本コラムですでにお伝えしてきた。判決言い渡し後、判決文を入手したM君、弁護団は即座に「控訴」の意思を固めた。その後M君、弁護団、支援会が協議し、本日(29日)大阪高裁への「控訴」が行われる。

いまだに「リンチはなかった」などと平然と語る連中がいる(『カウンターと暴力の病理』グラビア)

◆李信恵の責任が認められなかったことは被告側の「勝利」なのか?

ただし、まず確認しておかなければならない。地裁判決は事実認定やM君の主張をほとんど取り入れないなど、極めて不当な判断が散見されるものの、決して被告側の「勝利」などではないことである。本訴訟にかかわっている被告側一部の人間は、19日の判決のあと「祝勝会」を開いたり、大仰な「勝利宣言」のような発信をツイッターで行っていると側聞(そくぶん)するが、判決では被告側に総額約80万円の支払いが命じられているのである。さらにはM君を反訴した一部被告の請求はすべて退けられているのだ。これでどこが「勝利」といえるのだろうか。取材班は理解できない。

M君にすれば、少なすぎる賠償額と「掴みかかった」と本人が証言し、「掴みかかった」事実が認定された、李信恵の責任が認められなかったこと(判決では、この不可解な認定を正当化するために判決文38頁のうち、実に5頁を割いている)。凡についての評価も容認できる内容ではなかったことが、もっとも納得のできない部分であり、弁護団、支援会も同様の見解だ。さらには後遺症と暴行の関係を認めない乱暴な判断は到底容認できるものではない。

本訴訟に直接かかわってはいないものの、事件の経緯を知り、判決文を読んだ複数のジャーナリストや法曹関係者からも同様の感想が寄せられている。

「祝勝会」と称し浮かれる加害者と神原弁護士(神原弁護士のツイッターより)

◆エル金の暴力を「幇助」したと認定された伊藤大介

いっぽう、伊藤大介については、本人が証人調べで繰り替えし述べたように、M君が殴られて怪我をしているのを知りながら、それでも「友達なんだから話し合うべきだと思い」店の外にM君を出すことを促した行為が「幇助」(ほうじょ)にあたると認定された。刑事では伊藤に捜査や刑罰は及ばなかったが、大阪地裁は「暴力は振るっていないけれども」伊藤がエル金の暴力を「幇助」したと認定したわけで、これは反訴までしていた伊藤にとっては大敗北ではないのか(取材班はこの判断自体は当然と評価する)。

判決についての評価の詳細は、今後の高裁での審理にも影響するので、委細を述べるのは差し控えるが、M君並びに弁護団にとって総体として到底納得のできるものではないことは明らかだ。

そして、このような判決に異を唱えず、納得してしまうことは「長時間にわたり鼻骨骨折し、目が見えなくなるほどの暴行を行っても、民事では80万円払えばよい」という、とんでもない判例を残すことになる。当事者M君が納得できないのは当然であるが、市民感覚からしても到底受け入れられない判決を放置はできない。

大学院生リンチ加害者と隠蔽に加担する懲りない面々(『カウンターと暴力の病理』グラビアより)

◆M君が頑張っている限り、弁護団も支援会も鹿砦社特別取材班も、絶対に諦めない

闘いは第2ラウンドを迎える。しかし、読者諸氏に是非とも伝えたい。判決直後のM君は「報告会」でこれまで支援してくださった(カンパを頂いたり、精神的に支えてくださった)方々への御礼を何度も口にして、本人のツイッターアカウントでも謝辞を述べている。ところが翌日になってM君から取材班に電話がかかってきた。

「きのうは緊張していたし、たくさんの人がいらしたのでそうでもなかったんですが、きょう一人になると、苦しい気持ちになって……」

無理はない。取材班は、「君が頑張っている限り、弁護団も支援会も鹿砦社特別取材班も、絶対に諦めない。いまは苦しいだろうが、ともに試練を乗り越えよう。見ている人はちゃんと見ている」と激励するしかなかった。M君の心中を想像すると、その苦渋は察するに余りある。

控訴にあたっては、また弁護団への着手金の支払いなどが生じる。「M君の裁判を支援する会」(https://twitter.com/m_saiban)では彼の法廷闘争をご支援頂ける方々に、ご協力を呼び掛けている。取材班からもM君救済のために、これまでご支援いただいた方々に御礼申し上げると同時に、今後もさらなるご支援を可能な限りお願いしたい(支援頂いている方の中には何度も何度も繰り返しご送金頂いている方も少なくないと聞く。あくまでもご無理のない範囲で)。支援に頼るばかりではなく、当然M君本人も可能な限り裁判費用を捻出することは言うまでもない。

「対5人裁判」控訴審へさらなるご注目とご支援を!

(鹿砦社特別取材班)


◎[参考音声]M君リンチ事件の音声記録(『カウンターと暴力の病理』特別付録のリンチ音声記録CDより)

最新刊『カウンターと暴力の病理 反差別、人権、そして大学院生リンチ事件』[特別付録]リンチ音声記録CD

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