山口組の分裂から2年半が経った。名古屋の弘道会を主流派とする六代目山口組(司忍組長・高山清司若頭)、そこから袂を別った神戸山口組(井上邦雄組長・入江禎副組長)。そして昨年の4月に、神戸山口組から離脱した仁侠山口組(織田絆誠代表)。三つの山口組が鼎立し、相互にしのぎを削っているのが現状だ。

◆分裂以後、死者5人、抗争事件100件超、逮捕者2000人超

六代目山口組の代紋“山菱”

組織犯罪対策法・暴対法・暴力団排除条例のもとで、かつてのような激しい抗争は影をひそめているものの、これまでに5人の死者をともなう100件以上の抗争事件が起きている。とはいえ317件の事件が発生し、双方に29人の死者を出した山一抗争(1984~1989年)に比べれば散発的であり、かつ大掛かりな襲撃計画によるものは少ない。市街地に監視カメラが設置され、24時間監視社会になっているのも、暴力団抗争の発生を抑制しているといえよう。

いっぽうで、山一抗争の逮捕者が560人だったのにたいして、今回の分裂抗争が始まってからの逮捕者は、じつに2000人以上である。ご苦労なことに、一人で何度も逮捕されている組員・親分も少なくない。ヤクザであることを隠してゴルフをした、親族名義でクルマを買ったなどの微罪(詐欺罪)で引っぱる。ほとんどが不起訴である。おそらく予算獲得のために、捜査当局が取り締まりの実績をつくっているのが実態であろう。今回の抗争では発射罪や銃刀法、殺人未遂に問われる拳銃はあまり使われず、クルマをバックで事務所に突入して器物破損事犯にとどめるなど、攻撃方法にも工夫が凝らされている。ヤクザである以上、基本的人権すら認めない改正暴対法と暴力団排除条例のもとで、抗争もままならないというのが現実なのである。

◆与党(主流派)が人事を独占し、他派閥は冷や飯に甘んじるしかない組織原理の無理

分裂そのものは、ある意味で当然のこととだった言える。昨日まで対等の兄弟分だった者たちが、明日からは絶対的な権力者である親分と、奴隷のように付き従う子分になるというのだから、組織原理にそもそも無理がある。組長を出した与党(主流派)が人事を独占し、後継候補にも自派の人間を据えると、他派閥は冷や飯に甘んじるしかない。

したがって、主流派になろうとすれば組織を割って出るしかないのだ。九州の道仁会(九州誠道会が分裂)、工藤會(内部粛清)など、武闘派の組織ほど分裂抗争に陥りやすい。組長の継承がすんなりといく関東(稲川会・住吉会・極東会)は、縄張りがしっかりと決められているからだという(『誰も書かなかったヤクザのタブー』タケナカシゲル、鹿砦社ライブラリー)。

もうひとつ、先代のカリスマ性が高いほど、スムースな継承は困難になるのではないか。

山口組の場合は、田岡一雄三代目が二代目山口登の逝去によって組長の座を得て、田岡のカリスマ的な力によって全国組織へと発展してきた。田岡のカリスマ性をかたちづくったものは、彼の親分としての非凡さ以上に、全国制覇という拡大戦略の成功によるものだ。田岡が三代目に就任したとき、組員はわずか33人にすぎなかったのだから、組織の拡大はそのまま田岡の権威につながった。

昭和30年代から全国でくり広げられたヤクザ抗争は、おなじ神戸を拠点とする山口組と本多会による、いわば覇権を競うものだった。本多会(大日本平和会)が消滅したあとはゼロサムゲームで、地方の小組織は吸収されるか連合するかで生き残りをはかり、山口組は巨大組織へとのぼりつめた。そこにはもはや、カリスマ的な権威ではなく執行部が官僚組織として立ち現れていた。五代目渡辺芳則は「わしが黙っていたほうが、うまくいくやろ」と、組織の実務を経済ヤクザの若頭・宅見勝らにまかせていた。その渡辺五代目が引退するとき、生前引退それ自体が山口組では初めてのことだったが、13名の直参組長たちが弘道会主導の六代目体制に叛旗をひるがえした。もっともそれは、反対派あぶり出しの陰謀だったとする説がつよい(『血別』太田守正、サイゾー刊)。

◆抗争がない時代とは、ヤクザが喧嘩で出世できない時代である

六代目山口組から袂を別った神戸山口組の井上邦雄組長

整備された巨大組織と規約(綱領)のもとで、秀でた人材がかならずしも組織の上位ポストに就けるわけではない。かつては武闘派でなければ人心を得るのは難しかった。対立組織の親分のタマを取り(つまり殺害し)、長い懲役を勤めた出獄後に、晴れて一家をかまえるというのがヤクザの出世の階段だった。その意味では、抗争なき時代にこそ分裂が始まったのである。それはヤクザの分散の時代と言い換えるべきかもしれない。

抗争がない時代とはつまり、ヤクザが喧嘩で出世できない時代である。そこで事業力に秀でた親分が幅をきかせ、月会費(上納金)を納められない親分は引退するしかない。まさに六代目山口組の分裂は、毎月85~100万円の会費と物品(ミネラルウォーターやトイレットペーパーなど)の押し売りへの不満からだった。そして月会費を30万円以下と定めた神戸山口組においても、実態は70万~80万であったという。この集金路線ともいうべき運営に叛旗をひるがえした仁侠山口組は、直系組長で10万円だという。ようするに、この分裂抗争は矮小化していえば、上納金をめぐる組織運営のちがいということになる。ということは大義のある仁侠道ではなく、自分が可愛いだけの経済道か金融道による分裂なのである。三代目田岡一雄はかつて、こう語った「わたしはうどん一杯でも、子分にカネを出させたことはありません」と。カリスマ親分はまた、清廉の士でもあったのだ。

◆史上初めて山口組トップに在日韓国人が立った仁侠山口組の組織形態

神戸山口組から離脱した仁侠山口組の織田絆誠代表

それでも、今回の分裂抗争でわずかに積極的なものがあるとすれば、神戸を割って出た仁侠山口組の組織形態であろう。代表の織田絆誠(よしのり)は、金禎紀が本名の在日韓国人である。伝説的な柳川次郎(梁元鍚)柳川組組長をはじめ、現役でも橋本弘文(姜弘文)極心連合会長、正木年男(朴年男)正木組組長など歴代幹部の多くに在日韓国人がいる山口組には、日本人でなければトップになれない不文律があるという。分派とはいえ、山口組のトップに在日韓国人が立ったのは史上初めてである。そして織田は組長ではなく代表としてのトップであり、仁侠玉口組では親分子分の杯を交わしていない。いわば、連合組織の代表なのである。組員の服装や髪の色も自由であるというから、その組織体質は準暴力団指定された関東連合のようなものかもしれない。若手の組員には織田の信奉者が多いという。たとえば仁侠山口組が事務所ビルを定例会に使っている古川組では、古川恵一総裁をのぞく組員全員が、それまでの親分(古川総裁)をみかぎって仁侠山口組に合流している。カリスマ性を際立たせている織田絆誠(50歳)とは、どんな人物なのだろう。

◆組織再編のキーパーソンとしての織田絆誠・仁侠山口組代表

織田絆誠は18歳で老舗博徒の酒梅組系に入門し、19歳のときに政治結社「日韓同志会」を組織している。酒梅を脱退後に一本独鈷の天誠会を結成し、22歳で四代目山口組内倉本組に入った。波谷組との抗争で懲役12年。その後、山口組の主流派である健竜会(渡辺芳則の出身団体)で井上邦雄の盃を受けている。実力・功績・系譜ともに十分の経歴である。

その織田が昨年9月に神戸山口組の菱川龍己組員に襲撃され、ボディガードのひとりが射殺されている。8月に織田が記者会見を開いて神戸山口組を批判していることから、神戸の組織的な犯行であるのは疑いない。あるいは神戸山口組による脅しだったが、偶発的にボディガードが殺されたのではないかと、暴力団ジャーナリストたちの見方が分かれるところだった。しかし、今年3月8日に菱川容疑者の逃走を助けた女性が逮捕されたことで、計画的な襲撃・逃走だったことが明らかになった。襲撃グループが軽機関銃と思われる武器を携行していたことからも、偶発説はありえない。菱川容疑者の足どりが注目されるところだ。

もうひとつ、織田代表に注目が集まるのは、彼が仁侠山口組を過渡的なものと考えているからだ。何のための過渡的な組織かというと、六代目山口組への復帰である。織田代表が語るところでは、六代目山口組は獄中の高山清司弘道会会長の意向で、再統合もありうると言う。もっとも高山は、即座にこの話を拒絶したという(ジャーナリストの言)。分裂による組織の弱体化を期待する捜査当局にとっては迷惑な話かもしれないが、抗争事件による思いがけない事故に巻き込まれるよりは、再統合のほうがマシである。カリスマなき時代に、若きカリスマの資質をもった織田絆誠は、まちがいなく組織再編のキーパーソンといえよう。

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
著述業・雑誌編集者。著書に『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。

タケナカシゲル『誰も書かなかったヤクザのタブー』(鹿砦社ライブラリー007)ヤクザ取材歴20年の著者による「とっておき」の話。安倍晋三の腹心は、ヤクザの系列会社に票を束ねてもらっていた/九州に進出しないと確約した山口組の念書が存在する/ヤクザを食いものにする芸能人たち他

◆明日3月15日(木)、鹿砦社が李信恵被告を名誉毀損等で訴えた民事訴訟第3回弁論が開かれます!

明日3月15日(木)午後1時30分から、鹿砦社が李信恵被告を名誉毀損等で訴えた民事訴訟の第3回弁論(大阪地裁第13民事部)が開かれます。これに際して私は鹿砦社を代表して別掲のような「陳述書」を提出いたしました。訴状、およびこの陳述書に私たちの主張の骨格は申し述べたと思いますが、社会的に影響力のある人物、とりわけ崇高な志を持って推し進めるべき「反差別」運動のリーダーたる人物が、「鹿砦社はクソ」といった口汚い言葉を連発することはあってはならないことです。

言葉には、その人の人格や人間性が表われるとするならば、いやしくも「差別」に反対するとか「人権」を守るとか言う者が、こうした言葉を使ってはなりません。「鹿砦社はクソ」という表現がキレイな言葉でないことは言うまでもありませんが、市井の無名人ではなく社会的影響力のある「反差別」運動のリーダーは、こういう汚い言葉を使わないほうがいいとか悪いとかいうレベルの問題ではなく、こういう汚い言葉を使ってはならないのです。差別に反対するという崇高な目的が、こうした汚い言葉によって台無しになりますから――。

李信恵被告は、鹿砦社や、この代表たる私に対し、こういう汚い言葉を連発したことを「意見ないし論評」と反論しています。在特会や極右グループの連中が発する言葉は明らかに「ヘイト・スピーチ」と言ってもいいと思いますが、この伝でいけば李被告が悪意を持って私たちに投げつけた言葉も、同じ位相で「ヘイト・スピーチ」ということになります。なりよりも李被告は私たちに憎しみ(ヘイト)を持って「鹿砦社はクソ」発言を行っているのですから。

また、李被告は、私が40年余りも前に一時関わった、主に学費値上げ反対運動を中心としたノンセクト(無党派)の学生運動に対し、1960年代後半以降血を血で洗う内ゲバを繰り広げ多くの死者を出した中核派や革マル派と同一視し、私があたかもその一味=人殺しのようなマイナスイメージを、社会的に影響力のある自身のツイッターで発信しています。

このような〝思い込み〟を内心抱くことは自由でしょうが、数多くのフォロワーを有するツイッターなどで公にするのは、明らかに名誉毀損であり、時に業務妨害にも当たります。差別の「被害者」だから何を言っても許されるわけではありません。いや、差別に反対する運動のリーダーであるからこそ、自らを厳しく律し、汚い言葉を排し人々に勇気を与えるような清々しい言葉を使うべきではないでしょうか。

松岡利康=鹿砦社代表が大阪地裁に提出した陳述書(1/4)

松岡利康=鹿砦社代表が大阪地裁に提出した陳述書(2/4)

松岡利康=鹿砦社代表が大阪地裁に提出した陳述書(3/4)

松岡利康=鹿砦社代表が大阪地裁に提出した陳述書(4/4)

◆3月19日(月)には李信恵被告ら5人による大学院生M君集団リンチ事件の一審判決が下されます!

次いで週を跨ぎ3月19日(月)にはいよいよ、この李信恵被告ら5人による大学院生M君に対する集団リンチ事件の一審判決(大阪地裁第3民事部)が下されます。ひとつの大きな山です。

私たち鹿砦社はこの2年間、社を挙げて、リンチ事件被害者のM君支援と事件の真相究明に当たってきました。李信恵被告らによる集団リンチの凄まじさ、リンチ後の、著名な研究者やジャーナリスト、作家、弁護士らによる、あたかも何もなかったかのように糊塗する隠蔽工作、被害者M君を村八分(差別ではすよね!?)にしバッシングを繰り返し精神的に追い詰めようとしていた(る)ことなどを見て、単純に酷いと感じましたし到底許すことができませんでした。私も老境に入り、怒ることも少なくなり、よほどのことでは怒りませんが、もたらされた〈事実〉は許せませんでしたし、ここで黙っていたら、私がこれまでやって来た出版人生の意味がなくなると思いました。

せめて人間の血が通った事後処理をしていたのならば少しは救われたかもしれません。一例を挙げれば、いったん被害者M君に渡した「謝罪文」さえも一方的に反故にしたことには人間としての心が欠けていると言わざるを得ません。

私たちは、この2年間、被害者支援と真相究明の過程で、いろんなことが判ってきました。この非人間的なリンチという場面に際し、〈事実〉を知りながら隠蔽に加担したり、この現実から逃げたりしている「知識人」といわれる人たちは一体何をやってるんだと弾劾せざるをえません。

30数年も付き合い著書も多数出版した鈴木邦男氏は、本来なら、かつて自らの組織で起きたリンチ殺人、死体遺棄の事件をくぐり抜け、その後、穏健な言論活動に転じたはずでした。このような事件にこそ生きた発言をすべきなのに、この期に及んでなんらの発言もせず、口を濁しています。それどころか加害者側の者らと親しく付き合い、一緒に集会に出て発言したりしています。今でも遅くありません、勇気を振るい発言すべきです。鈴木さん、あなたしかできない仕事があるはずです。鈴木氏が、この国を代表する「知識人」の一人であることは言うまでもありませんが、私のような一零細出版社の人間に言われて何とも思わないのですか、恥ずかしくはないのでしょうか!? 

本件訴訟の原告M君と弁護団、私たち支援者は総力を結集し、やれることはやりました。鹿砦社は、側面支援として、全力で取材し裁判闘争を裏付ける関連書籍を4冊出版し世の心ある人たちにリンチ事件を訴えました。ここまで証拠や資料を摘示していながらリンチがなかったなどとは言わせません! リンチ直後の被害者M君の顔写真を見よ! リンチの最中の録音を聴け!

いまだに「リンチはなかった」などと平然と語る連中がいる──。(『カウンターと暴力の病理』グラビアより)

裁判所が「人権の砦」「憲法の番人」であるならば、集団リンチによってM君の〈人権〉を暴力的に毀損し踏みにじった李信恵被告ら加害者に対し厳しい判決が下されると信じています。そうでなければ、この国の司法に未来はないと断じます。よもや裁判所が暴力を是認することはないはずですから――。

心ある多くの皆様が、李信恵被告らに対する2つの訴訟を注目されご支援されますようお願い申し上げます。

最新刊『カウンターと暴力の病理 反差別、人権、そして大学院生リンチ事件』[特別付録]リンチ音声記録CD

『人権と暴力の深層 カウンター内大学院生リンチ事件真相究明、偽善者との闘い』(紙の爆弾2017年6月号増刊)

『反差別と暴力の正体 暴力カルト化したカウンター-しばき隊の実態』(紙の爆弾2016年12月号増刊)

『ヘイトと暴力の連鎖 反原連―SEALDs―しばき隊―カウンター 』(紙の爆弾2016年7月号増刊)

鹿砦社が発刊している『紙の爆弾』の編集後記では、編集長が「この号が発行されている頃には……」といった、月刊誌の時間的制約によるジレンマを感じさせる表現が散見される。政局など流動的要素をはらんだテーマを扱った記事では、原稿が書かれる1カ月以上先に予期せぬ事態が起こりうることは常態であるが、それでも月刊誌のスパンで新聞や週刊誌にはない、視点からの分析を展開する。

◆表層の出来事が意味する〈ことの本質〉はどのようなことなのか

ひるがえり、発刊のスパンが短い媒体ほど臨機応変な状況対応が可能であるが、得てしてそれは表層的な現象を伝える域をでない傾向がある。「事実」や「出来事」を伝える速度が(月刊誌や週刊誌と比すれば)新聞の優位性だが、その奥(あるいは水面下)に何があるのか。表層の出来事が意味する〈ことの本質〉はどのようなことなのか、は1日の編集作業でまとめ切れるはずもなく、また複雑な現象、背景を論説するにはそれなりの文字数(紙面)が必要となる。新聞社が瞬時に脊髄反射で論説までこなし紙面を構成できるか、といえば、そこにはおのずから限界がある。識者談話など数100文字の論評を掲載するのが精いっぱいであろう。

では、もっと更新速度を上げることが可能なネットはどうだろうか。即時性では朝夕刊2回(号外は別にして)の発行を原則とする新聞に比すれば、ネットに軍配が上がろう。ただし、即時性至上主義では「事実」、「出来事」がどのような「真実」を背おっているのか、いかなる目論見が背景に横たわっているのかといった「解説」、「論説」を展開する余裕を持てない。

この通信だって同様だ。ある日起きた現象を翌日に掲載しようと思えば、まずは事実を紹介(確認)し、筆者がそれについての私見を開陳する。関係者に感想を求めたりすることはあるが、その後の私見は、それまでに筆者が蓄積してきた、当該「事件」、「出来事」への知識や見解がもとに展開される。

◆韓国と朝鮮が“電光石火”合意に至った重大な伏線

前置き非常に長くなった。

わたしが書きたかったのは「朝米首脳会談」が実施されるとの報に接し、これまでこの島国の的外れで、無能極まる外交姿勢を糾弾してきたものにとっては、ひとこと言及する責任を感じたからだ。

わたしは本通信で「朝鮮への圧力」のみをもっぱらにする安倍政権の外交姿勢を「無能」と罵倒してきた。平昌五輪にかんしては「オリンピックは政治そのものだから、どうせ利用されるのであれば平和利用されればよい」とコメントした。そして多くの方々からわたしの論は、見向きもされなかったであろう、「なにいってんだこいつ」と歯牙にもかけられなかったであろうと想像する。

それは仕方のないことで、これだけ政権が熱心に「反北朝鮮」を煽り、連日マスコミの「洗脳」を受けていればわたしのような考えを持つ人が少数になるのも致し方ない。

だが、わたしの「はかない望み」、あるいは「一縷の希望」のようにしかとらえられなかった「和解」・「緊張緩和」に向けた方向性が(まだこの先修正や変更の可能性が大いにあるにしろ)現実に明確に示されたことは冷厳な事実だ。

韓国と朝鮮が“電光石火”のように見せかける合意に至ったのは、文在寅大統領就任(昨年5月10日)の直前に、朝鮮が1998年以来廃止(休止)されていた「外交委員会」を復活させていたことが重大な伏線であった。この島国の政権やマスコミは「ミサイル」「核兵器」「避難訓練」と大騒ぎするばかりで、肝心の朝鮮政権内部で「外交交渉を模索する動きが顕在していた」変化に着目する論評はほとんど皆無に等しかった。朝鮮における「外交委員会」の再開は韓国で朴槿恵政権が打倒され、対話可能な文政権樹立を視野に入れ準備されたものだと推測するのが妥当だろう。

◆韓国も朝鮮も米国も、最初から安倍外交を「全く無視」していた

平昌五輪への朝鮮参加から南北対談、即米国への韓国代表の派遣までのすべてが、シナリオにあったわけだはなかろう。しかし、明確なのは、そのあらゆるプロセスで安倍を頭目とする、この島国は「全く無視」されていた、ということだ。外務省に事前通告はなかったのであろうとわたしは想像する。

「制裁を強めた結果だ」と「朝米首脳対談」の実施について安倍はコメントした。まだ(いや、「もう」)こういうしか言いようがないほど存在を無視され、「日本はずし」で行われる朝鮮半島情勢の行方(安倍の物言い自体が「人道的犯罪」ではないのか)。そりゃ韓国も朝鮮も米国も、本音では最初から安倍の外交力なんかあてにもしていないし、視野にもなかったことだろう。「制裁・制裁」とやかましく繰り返し、無駄な税金を「反北朝鮮感情」を煽るために使い、国際社会から結局「馬鹿にされる」、この島国の外交。

安倍、自民党や右派野党にとって「朝鮮」は、対話不能の「ならずもの」であり続けてもらわねば、都合が悪いのだ(かつてのリビア、イラクのように)。政治だけではない。南北融和を「制裁包囲網ほころびの懸念」とどれほど多くのマスコミが伝えたことだろうか。彼らの頭の中では、なかば朝鮮半島における「限定的紛争」が既定路線となっていて、「朝米首脳対談」の文字を差し出されたら、狼狽することしかできなかったんじゃないのか。

少しはまじめに、自分の問題として「平和」を真正面から考えよう。奴らとは関係なく。

朝鮮半島地図

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

『紙の爆弾』4月号!自民党総裁選に“波乱”の兆し/前川喜平前文科次官が今治市で発した「警告」/創価学会・本部人事に表れた内部対立他

〈3・11〉から7年 私たちはどう生きるか 『NO NUKES voice』15号

「社長室の広報が担当窓口になりました」。取材班にこう告げた毎日新聞の後藤由耶記者が、3月9日、またしても李信恵を紹介する署名記事を書いている。「報道管制」を敷かれた取材班の闘志はいまだ健在だが、後藤記者が書いた記事の主語を「李信恵」から「M君」に置き換えてみると、あら不思議! M君による李信恵被告ら5人を相手取った損害賠償訴訟に関する記事が見事に出来上がるではないか。

後藤由耶記者の3月9日付毎日新聞記事「対在特会ヘイト裁判 李信恵さん 尊厳回復の闘い」と以下の記事を読み比べて頂きたい。

「集団暴行(リンチ)事件で心身を傷つけられた」として大学院生M君が「在日特権を許さない市民の会」(在特会)と同会の桜井誠前会長を訴えた原告である、李信恵被告ら5人を相手取った損害賠償訴訟の判決が19日、大阪地裁810号法廷で、14:00から言い渡される。M君は昨年、大阪地裁でツイッター上における名誉毀損事件で野間易通被告に勝訴している(大阪高裁で判決確定)。判決確定を受けて取材班のインタビューに応じたM君は「証拠集めなどのたびに被害を思い出し、ストレスから不眠や突発性難聴に苦しんだ」と事件後3年余にわたる心身の苦痛を訴えた。法廷闘争を振り返り、「この判決はゴールではない。世界から本当に差別や暴力をなくすためのスタートだ」と決意を新たにした。

後藤由耶記者の3月9日付毎日新聞記事「対在特会ヘイト裁判 李信恵さん 尊厳回復の闘い」

「野間氏の悪行が認定された。賠償額は少額だったけれども……。」。2016年12月16日深夜に、壮絶な暴力を受け、さらに「事件隠蔽」に苦しんできたM君は対野間裁判判決に満足ではないようだ。しかし本人が望まない実名が公表されても、あるいは民事訴訟中でも、M君に対する攻撃をやめようとしない人たちはおり、今もネット上にM君攻撃の書き込みは絶えない。

「裁判をしても、私一人の力は弱いと感じた。支援者の皆さんのご協力があってはじめてこの事件を民事訴訟として提起することができた」と指摘するM君が求めるのは、事実が隠蔽されない、差別もない社会だ。

訴訟で代理人を務めた大川伸郎弁護士は「判決では『共謀』を、裁判所がどこまで認定してくれるか、が勝敗の分かれ目でしょう。金銭的な賠償額よりも、この事件では『共謀』の認定が、勝敗の分かれ目だと思います」と19日の判決を前に取材班に語った。

後藤由耶記者の3月9日付毎日新聞記事「対在特会ヘイト裁判 李信恵さん 尊厳回復の闘い」

M君は毎回の準備手続き(原則非公開の法廷)にも、毎回スーツ姿で臨んだ。人証調べの日も同様だった。「冷静に事実を述べ、相手方弁護士の挑発には乗らない」ために何度も弁護団とリハーサルを繰り返したという。傍聴席には様々な人びとが支援に集まった。「社会がそうさせているのかは分からないが、私の事件を隠蔽しようとしている構造も問いたいと思います。このままでは次の『被害者』は死ぬかもしれないですから。差別を口実にする暴力は絶対に許されないことを主張してゆきたい、それが本質的な差別根絶に近づくのではないかと思います」とM君は先を見すえている。

李氏は鹿砦社から提訴された名誉毀損・損害賠償裁判で「鹿砦社はクソ」発言を「論評」と位置づけ開き直っている。「鹿砦社はクソ」が「論評」であるのであれば、ネット上だけでなく出版などでも「クソ」といった品性のない言葉が許容されることになる。自身が証言台に立った際に李被告は「私はダウンタウンみたいに言葉づかいが荒いので、『しばいたろか』は普段使います」と堂々と証言し、「言葉で傷つけられた」被害者にもかかわらず、自身が使う言葉には「無頓着」であることを認めた。【鹿砦社特別取材班】

後藤由耶記者の3月9日付毎日新聞記事「対在特会ヘイト裁判 李信恵さん 尊厳回復の闘い」

李信恵氏と毎日新聞の後藤由耶記者

李信恵氏と毎日新聞の後藤由耶記者ら

(鹿砦社特別取材班)

最新刊『カウンターと暴力の病理 反差別、人権、そして大学院生リンチ事件』[特別付録]リンチ音声記録CD

『人権と暴力の深層 カウンター内大学院生リンチ事件真相究明、偽善者との闘い』(紙の爆弾2017年6月号増刊)

『反差別と暴力の正体 暴力カルト化したカウンター-しばき隊の実態』(紙の爆弾2016年12月号増刊)

『ヘイトと暴力の連鎖 反原連―SEALDs―しばき隊―カウンター 』(紙の爆弾2016年7月号増刊)

 

最新刊『NO NUKES voice』15号  〈3・11〉から7年 私たちはどう生きるか

2011年3月11日から7年目を迎えた。

まず確認しておこう。あの日から7年経ったきょうも、政府は「原子力緊急事態宣言」を取り下げてはいないことを。2011年以降、急激に「これから国民の死亡原因の2分の1は『ガン』になる」との厚労省からの通告が席巻するようになったことを(「ガンによる死亡原因が2人に1人」のレポートは10年ほど前に発表されていた)。技術面はともかく、採算性や、新幹線、航空機とのバッティングにより国も、JRも「営業運転」など本気では考えていなかった「リニアモーターカー」の建設が、なぜだか浜岡原発停止後、急に決定したことを。

そして、阪神大震災のあと、復興にとっては邪魔者でしかなく、当初より経営破綻が必定であった「神戸空港」が神戸市により建設され、予想通り経営破綻したのと相似形、否もっと悪辣に2013年9月に2020年「東京オリンピック」開催が決定されたことを。

その五輪招致演説で安倍は「放射能は敷地内で完全にブロックされており、過去も現在も未来も健康被害は生じません」と世界に向けて言い放ったことを。その安倍が総理の座に居座り続けることを、いまだわれわれが許していることを。

あの日の直後に、あたかも「行程表」があったかのごとく、すぐさま山下俊一がわざわざ長崎から福島県に入り、「100ミリシーベルトでも安全。子どもはどんどん外で遊ばせてください。笑っている人のところに放射能は来ません」と福島県内で散々吹聴して回った、挙げ句福島県立医大の副学長に就任したことを。

3月23日には東京の金町浄水場で1リットルあたり200ベクレルを超える放射性ヨウ素が検出され「乳幼児への摂取制限」が通達されたことを。「原発がないと停電するぞ」と脅迫するために、必要もない「計画停電」が大々的に宣伝され大混乱に陥ったことを。

想起されるべき、報道されるべきはそういった事実ではないのか。復興にまつわる明るい話題もいいだろう。不幸を悲しむ被災者の心情を追うのもよかろう。それを「やめろ」とはいわない。でも現実もしっかり認識して、伝えてもらわねば困る。

そしてわたしたちは「弱虫」だから、ともすると惨憺たる情景からは目を背ける傾向がある。この国の新聞やテレビには「死体(遺体)」が映されない。「死体」(遺体)は「けがらわしい」ものだろうか。誰だって最後は「死体」(遺体)になるじゃないか。生命が終焉した亡骸にだって、それなりの尊厳はないのか。「死体」(遺体)は話さないし、動かないけれども、そのありさまは、魂が宿っていた最後の瞬間から、魂が消失した理由を伝えはしないか。

◆「あらかぶさんはなぜ白血病になったのか」
 福島事故後、被ばくによる「労災」認定を受けた人は4名しかいない

2013年2月、福島第一原発4号機でベストなしでカバーリング作業をするあらかぶさん(写真提供=あらかぶさん)

 

同上(写真提供=あらかぶさん)

 

フランスの反核会議であらかぶさん支援が決議された。同会議で支援決議があがるのは珍しいと同行したなすびさんらも驚いた。『福島原発作業員の記』を著した池田実さんも参加した(写真提供=なすびさん)

昨日発売された『NO NUKES voice』第15号で、尾崎美代子さんが「あらかぶさんはなぜ白血病になったのか」の詳細なレポートを寄せてくださっている。「あらかぶさん」とは原発や原発事故現場での労働に従事していた方のニックネームだ。驚くべき事実が次々に紹介される。

表題の通り「あらかぶさん」は白血病に罹ってしまい、労災認定も受けた。厳しい治療を乗り越えて現在は裁判を闘っている。詳細は『NO NUKES voice』の尾崎さんの報告をお読みいただきたいが、ひとつだけ際立った事実を上げておく。原発事故後被ばくによる「労災」認定を受けた人は4名(そのうち2名は東電社員)しかいない事実だ。

誰も言わないから言っておこう。ガンで亡くなった福島第一原発の吉田昌郎元所長の死因すら「放射能との因果関係は分からない(もしくは「ない」)」、「ストレスが原因だったのではないか」という馬鹿医者もいる。公表されている吉田氏の被ばく総量は70ミリシーベルトとなっているが、この数値は極めて疑わしい。どちらにせよ、事故前から事故後長時間現場にとどまっての被ばくがガンを誘発し、吉田氏は亡くなったとみるのが妥当ではないか。

そうでないと主張するひとには、病院のレントゲン室がどうして「放射線管理区域」に指定され、「妊娠の可能性のある方は申し出てください」と注意書きがあるのかを、説明していただきたい。一度きりの外部被ばくでも「胎児には悪影響がある」から前記の注意書きがあるんじゃないのか。違うのか?

◆これは実験ではない、現実だ

「あらかぶさん」が白血病になり、労災認定されたのは氷山の一角で、猛烈な数のひとびとがすでに健康被害にあっているとわたしは感じる。『NO NUKES voice』に連載を続けている納谷正基さんは、福島第一原発事故後、生活には注意をはらい、基本的に海産物(産地を問わず)は口にしない生活を送っておられた。最愛の配偶者を被ばくで失ったご経験を持つ納谷さんにとって「放射能」・「原発」は長年絶対に度外視できない問題だった。その納谷さんが体調を崩しながら、それを告白し今号も寄稿をいただいた。そのなかに「近頃やたらと頻繁に報じられる有名芸能人やタレントの死亡・入院報道の多さ」という表現がある。納谷さんは同じ原稿の中で、政府発表では年間人口減は40万人発表されているが、火葬場や葬儀場の調査を積み上げたひとびとの調査によると、死亡者は昨年、一昨年とも200万人は下らない(この数値が正しければ人口減は100万人/年となる)との民間の調査もあると指摘している。

「数」に過剰にこだわるのではない。「事実」をもっと大事にしよう、直視しようとわたしは思う。そして思弁しようと。「これほどの被害が出ている」と話すと「疫学的にはどうなんだ?」と質問してくる科学経験者が少なくない。私は言い返す「これは実験ではない。現実だ。大切なのは『疫学的証明』よりも、『予防原則』じゃないのか? 数十年後疫学的に優位性が証明されたときに、死んだ命は科学的証明の証拠として扱われるだけじゃないのか。そんな科学は意味ないだろう」と。

『NO NUKES voice』は被ばく問題を今後も絶えることなく追求したい。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

最新刊『NO NUKES voice』15号 総力特集〈3・11〉から7年  私たちはどう生きるか

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『NO NUKES voice』15号目次
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総力特集〈3・11〉から7年
私たちはどう生きるか

[グラビア]伊方の怒りはやがて勝つ(写真・文=大宮浩平)

[講演]小出裕章さん(元京都大学原子炉実験所助教)
3・11から七年 放射能はいま……

[インタビュー]小出裕章さん一問一答
「原発を止めさせる」ならば、小泉さんとも共闘する

[講演]吉岡斉さん(前原子力市民委員会座長、九州大学教授)
《追悼掲載》原発ゼロ社会のための地域脱原発

[講演]米山隆一さん(新潟県知事)
原子力政策と地域の未来を問う

[講演]木幡ますみさん(福島県・大熊町議)
原発は人々の活力を奪う

[報告]尾崎美代子さん(「西成青い空カンパ」主宰、「集い処はな」店主)
あらかぶさんはなぜ白血病になったのか

[インタビュー]山城博治さん(沖縄平和運動センター議長)
国民の声がどれだけ大事か

[報告]山田悦子さん(甲山事件冤罪被害者)
「人間の尊厳」としての脱原発

[報告]田所敏夫(本誌編集部)
悪夢の時代を直視して

[報告]本間 龍さん(著述家)
原発プロパガンダとはなにか〈12〉
七年で完全復活した電力会社PR

[報告]山崎久隆さん(たんぽぽ舎副代表)
福島事故・忘れてはいけない五つの問題

[報告]大宮浩平さん(写真家) 
《伊方撮影後記》ここには怒りがある

[報告]川村里子さん(大学生)
斉間淳子さんたちに聞く「伊方原発うごかすな」半世紀の歩み

[インタビュー]外京ゆりさん(グリーン市民ネットワーク高知)
「いかんもんは、いかん!」土佐・高知の闘い

[報告]浅野健一さん(ジャーナリスト)
「ふるさとは原発を許さない」伊方再・再稼働阻止高松集会

[報告]三上治さん(「経産省前テントひろば」スタッフ)
持久戦とは言うけれど 石牟礼道子さん追悼

[報告]納谷正基さん(高校生進路情報番組『ラジオ・キャンパス』パーソナリティー)
反原発に向けた思いを次世代に継いでいきたい(14)
あなたにはこの国に浮かび上がる地獄絵が、見えますか?

[報告]板坂剛さん(作家・舞踊家)
月刊雑誌『Hanacuso』2月号を糺す!

[報告]再稼働阻止全国ネットワーク
大衆行動―国民運動が「原発やめる」の決め手だ
《東京》 柳田 真さん/《泊》 瀬尾英幸さん/《福島》 佐々木慶子さん
《東海》 大石光伸さん/《東電》 渡辺秀之さん/《規制委》 木村雅英さん
《再稼働に抗する》 青山晴江さん/《若狭》 木原壯林さん
《伊方》 秦 左子さん/《九州電力》 青柳行信さん/《自治体議員》 けしば誠一さん

多くの人たちと共に〈原発なき社会〉を求めて『NO NUKES voice』

 

日販のネットルート送品(web-Bookセンター)

わたしが雑誌を編集している出版社に、突如として大量の注文票が入ってきた。いずれも大手取次会社である日販(日本出版販売)のNET集品(北区王子事業所)だった。注文の数が半端ではないのだ。注文は過去の在庫品数十点におよぶばかりか、それぞれが複数の冊数なのである。注文は本体価格で総計、じつに30万円以上におよんだ。月に10万円もいけばいい既刊の注文が3倍にもおよんだのは、わずか3日ほどの出来事である。担当者は在庫を倉庫から取り寄せるのに苦労したという。

これが「薄利多売」(社長談)の鹿砦社なら不思議ではないかもしれないが、その版元の本は、本体価格が3000円以上の人文系の専門書ばかりなのだ。売れない本ばかり出しているように見えるが、大学の研究者たちの講義での教科書採用を見込んだ殿様商売的な出版事業を行なっている版元である。春の教科書採用品いがいに、こんなに注文が来るのは珍しいことだ。この現象は、いったい何なのだろうか?

ここで一般の読者のために、出版社と取次の関係をあらためて解説しておこう。周知のとおり、出版社が新刊を出すと、本は取次会社をつうじて書店(本屋さん)に配本される。これをパターン配本という。いっぽう本の注文は一般の読者が書店で依頼し、書店から出版社に注文書が出される。電話やFAXで注文をすることも少なくない。これはネット販売でも同じで、ネット販売書店(アマゾンや楽天ブックス、e-honなど)から出版社に、日販などの取次会社を通して注文票が送られ、そのルートでネットへの出荷が行なわれてきた。

ちなみに、出版社は取次に正味(本体価格の)67~73%ほどで本を納品し、書店の取り分は15%前後である。これが雑誌ならば出版社の正味が63~65%で、書店の利益がすこしは多くなる。いずれにしても、頑張って本や雑誌を10万円分売っても、書店は15000円ほどしか儲からない仕組みなのだ。本が売れなくなった昨今、個人経営の書店が廃業するのは仕方がないことなのかもしれない。出版不況は出版社も取次会社も同様である。

書店で本が売れなくなった理由は、巷間に言われている活字離れだけではない。かつて5万店といわれた書店が2万店を切るようになった現在、ネット販売と電子書籍が本の売り上げの2~3割を占めるようになったといわれている。パソコンで注文すれば本屋に行く時間も節約できるし、最大手のアマゾンは中古市場のオークションでもあるから、何よりも本を安く買える。かく言うわたしも、手っ取り早く目的の本を手に入れるために、書店に足を向けるよりもアマゾンを使ってきた。書店の品揃えの悪さも一因なのだが、ネットで注文するほうがラクなのである。
じつはそのアマゾンが、上記した日販と揉めていたのだ。冒頭に紹介した日販からの大量注文の謎も、そこにあった。

 

 

アマゾン「e託」販売サービスの概要

最初にアマゾンから出版社に「e託」なる委託販売の案内があったのは、昨年(2017年)5月のことだった。それまでアマゾンは日販から本を仕入れて、おそらく販売マージンは15%前後で販売してきたはずだ。そのほかにも、上記したとおりアマゾンは中古市場でもあるので、古本屋からの出品から利益を得ていただろう。

すこし話はそれるが、このネットの中古市場が出版社にとっては難儀な問題でもあった。かりに新刊がアマゾンの在庫に10冊入ったとして、評判の本なら一両日で売切れてしまう。そこで、この本は売れるんだなと見込んだ古本屋がすぐに買い入れた新刊を、高値でアマゾンに出品してしまうのだ。その結果、定価のある新刊にもかかわらず、アマゾン市場では古本に高額のプレミアム価格が付いた状態になってしまうのである。したがって、新刊はアマゾンでは売れなくなる。そんな事情を汲んでかどうか、アマゾンは出版社に直の委託制度(e託)を持ちかけてきたのだろうと思われる。新刊を売りたければ、直の取り引きをしましょうよと。

昨年の6月末をもって、アマゾンは日販からの仕入れを終了して、出版各社と直の「e託」に移行するはずだった。しかし、少なくともわたしが知るところ「e託」の契約をしないまま、アマゾンは日販から仕入れていたはずだ。なぜならば、わたしが関わっている出版社は「e託」の契約をしていないのに、新刊がアマゾンに納品されていたのだから――。

それが急転直下、冒頭にのべた日販から大量注文があった数日後に、アマゾンから「e託の契約を是非」という電話があったのだ。ようするに、日販からはもう仕入れないのでe託で契約(年会費9000円)をして欲しいと。

したがって、日販が既刊を大量に注文してきたのも、アマゾンの動きに対応したものに違いない。日販はネット販売では「Honya Club」という販売サイトを持っているので、大量注文は自社販売でアマゾンに対抗するものと思われる。
読者にとってはアマゾンであれ日販であれ、安く本が手に入るのであればそれでいいだろう。いったん加入してしまえば、支払いもカードで決裁できるし、ネット販売は中古市場でもあるので価格が安い。

だがそのいっぽうで、アマゾンが持っている経済合理主義、あるいは新自由主義的な価格設定が、出版文化そのものをいとも簡単に突き崩してしまう危険性にも留意しなければならないだろう。売れるか売れないかだけのビジネスの基準を持ち込まれてしまえば、出版文化は成り立たない。たとえ今は売れなくても、本が読者を待つことを許容しなければ、出版文化はなくなってしまうのだから。アマゾンが出版文化を擁護する会社であり、なおかつ出版社との信頼関係を構築できるかどうか。わたしの知る限り、アマゾンの「e託」に躊躇している版元が多いのは、そんな理由であろう。

 

アマゾン「e託」販売サービスの年会費、仕入掛率

もうひとつの問題は、出版社の足元をみるかのような取引条件である。今回、アマゾンが出版社に提示した取引内容は、上記の年間9000円はともかくとして、本の正味が60%なのである。人文系の出版社には、後発でも68%のところもある。現状が62%(67%の正味に歩戻し5%=配本しただけでマージンが発生する。で62%)でも、これは受け容れやすいかにみえる。だが、どこまで下げられるか不安をぬぐえない。

たとえば数年前の記事をたどってみると、アマゾンは出版社との取り引きに大手取次よりも高率の正味を提示していた。甘言のようにも思える。それが一転して60%という低い正味になっているのだ。たしかに大手取次(いまやトーハン・日販しかない)も、ことあるごとに出版社の取引条件を改悪してきた。差別正味(大出版社を優遇する)にも問題はあった。お役所的な体質には、小出版社の経営者は辟易してきたはずだ。

しかしそれでも出版社ごとの事情に応じて、取次会社が支払い条件の便宜を払っていたことを、わたしたちは知っている。60%という正味を提示したアマゾンに、個別の条件を呑みこむ裁量の余地があるのかどうか。出版各社は見守っているのが現状ではないだろうか。差別正味や支払い保留で辛酸を舐めてきた出版社にとって、アマゾンに対する大手取次の対応も、ここは見極めたい気分なのではないだろうか。

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
著述業・雑誌編集者。著書に『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。

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10日(土)発売『NO NUKES voice』15号 総力特集〈3・11〉から7年 私たちはどう生きるか

このかんたびたびレポートしてきましたように、朝日新聞社の頑なな取材拒否と非礼な対応は、心あるメディア関係者に波紋を広げています。すでにこの通信でも元読売新聞記者の山口正紀さんや、新聞社の数々の問題について長年取材され発言されてきている黒藪哲哉さんらが喝破されている通りです。朝日新聞東京本社広報部の河野修一部長代理は、私たちの取材要請を「迷惑」として、私たちが当該の記者らに、あたかも異常につきまとっているかのように発言されています。しかし、事実は異なりますので、そういう物言いこそ「迷惑」なことです。

このかんの経緯を簡単に説明してみましょう───。

〈1〉 昨年末、出来たばかりの『カウンターと暴力の病理』を朝日関係者4名に献本送付しました(同封の挨拶状に「献本」と記していました)。

〈2〉 年末・年始を挟んで1月25日付けで質問書(資料1「ご質問」)を郵送(回答期限2月5日)。4人ともほとんど同じ文面なので、大貫記者宛のものを掲載します。

[資料1-1]1月25日発送分、大貫聡子記者への「ご質問」

[資料1-2]1月25日発送分、大貫聡子記者への「ご質問」

[資料1-3]1月25日発送分、大貫聡子記者への「ご質問」

 

〈3〉 期限までに回答がないので、2月6日付けで催告書(資料2「ご連絡と取材申し込み」)をファックス。これも大貫記者へ送ったものを掲載します。

[資料2]2月6日発送分、大貫聡子記者への再度の「ご連絡と取材申し込み」

 
 
〈4〉 これも回答がないので、同社大阪社会部の大貫聡子記者、采澤嘉高記者、静岡総局の阿久沢悦子記者の3氏の携帯に電話取材。取材班が3記者に電話するのは、これが初めてのことです。「迷惑」していると広報部河野部長代理に指摘されましたが、鹿砦社や取材班は、この件に関して当該記者に一度も直接取材したことすらないのです。これで何が「迷惑」なのか到底理解できませんし、つきまといでも何でもありません。むしろ同社の記者には、時に「迷惑」でつきまとわれたりプライバシーを侵害されたりした人もいます。

手前味噌で僭越ですが、私は13年近く前の2005年7月、神戸地検特別刑事部にリークされた同社社会部・平賀拓哉記者が、あたかも私らの主張を〝理解〟しているかのように接してきて、人を信じやすい私は言葉巧みに騙され、神戸地検と通じていることも知らず、求められた書籍や資料などを気前よくほいほいと渡し、これが大阪本社版一面トップのスクープとなり私は逮捕されました。とんだ「迷惑」を蒙ったのは私のほうだ!「迷惑」だ「迷惑」だというのなら、私の前に出てきてはっきり言え! 日本を代表する大新聞社の記者ならできないことはないでしょう。

今回の件で、私たちは私たちなりに順序を踏まえ、本を送り、読んでいただいたであろう頃を見計らって質問書を送り、取材要請をしたつもりです、誰が見ても「迷惑」にはあたらないでしょうし、これが「迷惑」であれば、新聞社(特に社会部)の通常取材はほとんどが「迷惑」ではないでしょうか。

このような経緯で真っ当な対応をしていただけなかったので、やむなく、私は朝日新聞社の登記簿を取り渡辺雅隆社長の自宅に別掲の通知書(資料3「ご通知」)を、関係資料(『カウンターと暴力の病理』、大貫記者への質問書、催告書のコピー、音声データCD)を付けて2月23日に郵送しました。

[資料3-1]2月23日発送分、渡辺雅隆社長への「ご通知」

[資料3-2]2月23日発送分、渡辺雅隆社長への「ご通知」

[資料3-3]2月23日発送分、渡辺雅隆社長への「ご通知」

ところが、渡辺社長は転居(京田辺市→芦屋市)されていたようで(転居したらすぐに登記をし直さないといけないんじゃないんですか?)、転送されて2月27日に受け取られています。

回答期限を「お受け取り後1週間以内」(2月27日受領なので回答期限は3月6日になります)としましたが、未だ回答はありません。ことは激しい暴力による集団リンチ事件ですよ、民主社会にあってはならないことです。小出版社だからといって無視しないでください。

ふだん「人権」だ「人権」だと言うのなら、将来のある若い大学院生(博士課程)が集団でリンチされ瀕死の重傷を負った事件について、人間的な対応をしていただきたいものです。特に朝日は殊更「人権」ということを大事にしている新聞社だと信じています。

勘違いされないように明記しますが、私たちは、右翼のように朝日新聞の存在や言論活動の全てを否定しているわけでも、ヒステリックに反発しているのでもありません。前述しましたように、13年前に、朝日平賀記者にあれだけのことをやられても、それでもまだ私は、この国で数少ない「クオリティーペーパー」と評される朝日新聞には、相応の言論活動を期待しています。少なくとも、他紙よりは相対的にマシだと思っていましたが、だからこそ、今回の対応には失望したわけです。こうした点は、あらためて明確にしておきたいと思います。

渡辺社長が、お送りした『カウンターと暴力の病理』をめくったらすぐにリンチ直後の被害者M君の写真が目に止まるはずで、これを見て、どう感じたか、ぜひ一人の人間として感想なりご意見を聴かせていただきたく思います。新聞社としての事情や都合は関係ありません、渡辺社長、あるいは記者の、一人の人間としての対応こそを問うているのです。渡辺社長、今こそ、この由々しき問題について、社長として責任ある対応をされ、私たちの取材要請に応えていただきたいと切に願っています。

ところで、朝日東京本社広報部・河野部長代理は、「訴訟」を示唆する発言もされています。仮にどちらが訴えるにしろ訴訟になった際、私たちが悩まされることに本人取材があります。しかし今回、朝日の3記者はみずから本人取材を拒否しました。ということは、私たちの主張を認め、つまり記事の内容や記者の言動などについても説明責任を放棄したことになります。訴訟になった場合、それだけでも私たちの勝訴の可能性は低くないでしょう。

私や鹿砦社はこれまで数々の訴訟を経験してき、一時は「訴訟王」と揶揄されたこともあり、また判例になっているものもありますが、私も長い出版人生の、いわば〝花道〟で朝日を相手取り提訴するのも意義があり、大新聞社の社会的責任を問うひとつの方策かもしれません。相手にとって不足はありません。私は冗談で言っているのではありません(私の性格上、私がこんなことで冗談を言わない男だということは、私を知っている人ならおわかりになるでしょう)。一例を挙げれば、「鹿砦社はクソ」発言を連発し、くだんのリンチ事件の現場にもいて加害者とされる李信恵被告に対し名誉毀損等で提訴しましたが、これもおそらく李被告本人は私や鹿砦社を見くびっていたと思われます。私は許せないことは許さない男です。

何度も申し述べますが、ことは人ひとりの〈人権〉を、暴力による肉体的制裁で毀損した集団リンチ事件です。それも極右団体関係者に対して訴訟を起こし社会的に注目を浴び、「反差別」運動の旗手とされる人物(李信恵被告)とこの支持者ら5人による、極めて非人間的で、暴力が排除されるべき現代社会では到底許されない事件です。このことに曖昧な態度をとれば、今後こうした事件が「反差別」運動や社会運動の中で繰り返されるでしょう。この国の反差別運動や社会運動は、かつての反省(暴力を伴った内ゲバや行き過ぎた糾弾闘争など)から、暴力を排除してきたのではなかったのでしょうか? 私たちが言っていることは間違っているでしょうか?

最後に再度繰り返しますが、鹿砦社ならびに私は決して「反朝日新聞」ではないこと、そして朝日新聞には「社会の木鐸」として市民社会の要請に相応しい報道姿勢をとっていただきたいことを申し述べておきたいと思います。

『カウンターと暴力の病理 反差別、人権、そして大学院生リンチ事件』[特別付録]リンチ音声記録CD(2017年12月刊)

本日発売『紙の爆弾』4月号 自民党総裁選に“波乱”の兆し/前川喜平前文科次官が今治市で発した「警告」/創価学会・本部人事に表れた内部対立他

「最低の下衆野郎」佐川国税庁長官に怒り

◆麻生発言に対抗 納税者一揆第二弾!

3月3日、国税庁前で“納税者一揆”第二弾「悪代官 安倍・麻生・佐川を追放しよう!」と題した国税庁包囲行動とデモが行われ、約1300人が参加した。主催は「森友・加計問題の幕引きを許さない市民の会」。同団体の呼びかけをチラシやフェイスブックなどで知った人々が集まった。

安倍晋三首相を熱烈に支持していた人物が運営する学校法人に対し、国有地を破格の価格で売りとばしたのが森友学園事件の本質である。ところが当時責任者だった財務省理財局長の佐川宣寿氏が、破棄したので記録はない、などと国会で虚偽答弁。その人物が徴税機関のトップである国税庁長官に出世したのだ。

これでは、納税者はたまらない。「税金払う気がしない」とあちこちから非難が巻き起こっている。そこで今回の主催と同じ「~市民の会」は2月16日に第1回の国税庁包囲行動を実施した。

これに対し麻生太郎財務大臣が難癖を付けたことも、今回の第二弾につながった。第1回国税庁包囲行動の3日後2月19日、衆議院予算委員会で立憲民主党の山崎誠衆議院議員は「多くの国民による抗議行動を財務大臣としてどう受け取ったか」と追及した。それに対する麻生大臣の答弁はこうだ。

「御党の指導で街宣車が財務省の前でやっておられたという事実は知っている」

また立憲民主党の川内博史衆議院議員は「納税者の抗議行動だ。立憲民主党は参加はしたが主導はしていない」と反論した。

そして麻生大臣は「街宣車まで持っている市民団体は珍しい。少々普通じゃないなとは思った」と発言したのである。

SNSやチラシなどを見て参加した納税者らに対し、「少々普通じゃない」とみなし、立憲民主党が指導したかのような事実でないことを平然と述べたのだ。ちなみに、デモで街宣車が戦闘を走り、道行く人々にアピールするのは普通のことである。

「ウソ、ごまかし、でたらめ ふざけた国会答弁許さない」

「公文書を改ざんする役人って、控えめに言っても〈外道〉だと思う」

◆財務省 森友文書改ざん

午後1時40分、国税庁前には続々と人が集まり、歩道に入りきれず、大通りの反対側にも人があふれた。司会者の女性がまずマイクをとった。

「私は、一般人でまさかこういうところで司会をするとは思わなかった。麻生太郎大臣は、(森友事件がらみで批判する)国民は普通の国民じゃないというのでしょうか。ふざけるな、と言いたい。普通じゃない安倍内閣は総辞職すべき」

前日の3月2日、交渉当時の財務省文書と国会議員らに開示した文書に違いがあり「文書書き換えの疑い」と朝日新聞が報道し、納税者らの怒りに火をつけた。

交渉時の文書とは、2015年から16年にかけて財務省近畿財務局の管財部門が局内の決済を受けるために作成した文書。2枚目以降に交渉経緯や取引内容などが記載されている。

「籠池夫妻の不当勾留 即ヤメロ!!!」と長期拘留批判も

ここには、当時のやりとりを時系列で書いたものや、森友学園の要請にどう対応したかなどが書かれていたのに、国会議員らへの開示文書では、かなりの部分が削除されている。

そして「特例的な内容となる」「本件の特殊性」「学園との提案に応じて鑑定評価を行い」「価格提示を行う」などの文言が抜けているという。以上が、記事の概要だ。

財務省は、交渉において鑑定評価、価格提示は行なっていなと主張していた。「学園との提案に応じて鑑定評価を行い」が交渉時の文書に残っているということは、国会答弁は明らかな虚偽になる。

国税庁前には約1300人が集結。場所がなく道路の両側にも集まった

◆生活にあえぐ納税者
 
短時間の包囲行動だったが、何人かがマイクをとって発言した。都内在住の50代の女性が、こう訴えた。

「離婚して障碍者の息子を育て、認知症を患い始めた母をひきとって生活しています。私のアルバイトでの生活です。私が仕事で外出している間、お金がないので母を預けることもできません。

息子が作業所に行き続けることができますように、母が無事でいますように、50代半ばになった私が健康で病気をせずに何とか働きつづけられますように、と祈るしかないのです。薄氷を踏む思いで生活している私たちのような人間がいることを知ってほしい。

頭のいいお役人にはらわたが煮えくり返ります」

貧困や家庭の事情などで十分に食事できない子供たちのための「子ども食堂」運営に携わる女性も登壇した。

ひとり親家庭の子が多く、親の病気で生活保護を受給することになり、児童養護施設に入所させられ親子離れ離れになった例について話をした。また、貧困で休みに家族で外出することもできず、本来なら体験すべきことをできない「体験の不足」も子供の成長に影を投げかけている、と言う。

生活苦にあえぐ人が増えている中で、5年前に切り下げた生活保護基準をさらに下げようという動きがある。これで貧困がさらに拡大することになるだろう。その一方で、安倍首相は時にメディア幹部とともにグルメ三昧。そしてお友達には国民の財産を超低価格で売渡し、税金も投入する。

まさに異常事態が日常になってしまった。
国税庁前での集会が終わると、参加者はデモ行進を始めた。

「安倍のお友達に税金を横流しにするな!」
「ふざけた国会答弁は許さない!」
「佐川を証人喚問せよ!」
「うそつき佐川を罷免しろ!」
「昭恵夫人を喚問だ!」

納税者の怒りの声が銀座の街にとどろいた。文書改ざんとなれば、担当大臣の辞任レベルではなく、内閣総辞職に値する事態だ。

ゲバラと共に「国民なめんな! 納税者一揆」

▼林 克明(はやし・まさあき)
ジャーナリスト。チェチェン戦争のルポ『カフカスの小さな国』で第3回小学館ノンフィクション賞優秀賞、『ジャーナリストの誕生』で第9回週刊金曜日ルポルタージュ大賞受賞。最近は労働問題、国賠訴訟、新党結成の動きなどを取材している。『秘密保護法 社会はどう変わるのか』(共著、集英社新書)、『ブラック大学早稲田』(同時代社)、『トヨタの闇』(共著、ちくま文庫)、写真集『チェチェン 屈せざる人々』(岩波書店)、『不当逮捕─築地警察交通取締りの罠」(同時代社)ほか。林克明twitter

7日(水)発売『紙の爆弾』4月号!自民党総裁選に“波乱”の兆し/前川喜平前文科次官が今治市で発した「警告」/創価学会・本部人事に表れた内部対立他

10日(土)発売『NO NUKES voice』15号 総力特集〈3・11〉から7年 私たちはどう生きるか

「抵抗することに疲労を覚える時は、休み、涙し、力を与え合い、笑う。」

「引き裂かれた裂け目に、私たちは橋を架ける。
 意見の違いを認め、対話することをあきらめない。」

そんな文章を含む、働く女性の全国センター(ACW2)の100年ビジョン・パンフレット『はたらく、女、そしていのちへ』公開をともない、2月17・18日に第12回定期大会「つぎはぎを生きる~健康で文化的な生活をあたりまえに」が開催された。

課題が現れるたびに解決する状態などがパッチワークと表現され、そこから派生して複数の労働のしかたを抱えたりさまざまな「自分」が寄せ集まったような生き方を1人の人がしているような複雑で安定・安心感のない状況などもパッチワークと呼ばれるようになった。ただし、私たちにとって、「パッチワーク」という言葉はまだ美しかった。そこで、自分たちの働き方や人生を「つぎはぎ」と名づけたようだ。

◆「つぎはぎを生きる~健康で文化的な生活をあたりまえに」

定期大会初日には、まず、栗田隆子さんによる「つぎはぎを生きる~健康で文化的な生活をあたりまえに」のテーマ説明と問題提起、さらには自作の詩の朗読から始まる。それを受けて、会員などのみなさんから、自らが置かれている仕事や生活の状況、そこにいたるまでの経緯や背景、そして求めるものや進めている活動内容などについてのリレートークが展開された。

冒頭に話し合いや撮影のルールを確認し、日頃より対話についてともに学び、真に安心・安全な場づくりに励むACW2だからこそ、赤裸々な告白もあり、それを聞いてほしいという想いも含めてシェアされる。その後、『働く、働かない、働けば』巳年(みどし)キリンさん(三一書房)『生きている! 殺すな~やまゆり園事件の起きる時代に生きる障害者たち?』小田島榮一さん・見形信子ほか共著(山吹書店)、『融合』『「呻き」「対話」「社会運動」』栗田隆子さん、『不安さんと私』ナガノハルさんなどの著作が紹介された。休憩を挟み、冒頭で触れた『はたらく、女、そしていのちへ』を用い、「100年ビジョンワークショップ」を実施。グループに分かれ、『はたらく、女、そしていのちへ』を読んで感じたことについて語り合い、発表し合う。

夜には、つぎはぎバナー作り、セミクローズドでの「セクマイの会」、介護、からだほぐし、官製ワーキングプアグループ、ちまちま手仕事の会などの分科会が催された。

◆理想といわれても、それを現実化しようと抗う日常

2日目には、伊勢真一さん演出(監督)のドキュメンタリー映画『えんとこ』を上映。本作は、脳性麻痺によって寝たきりとなった元養護学校教員の遠藤滋さんと、彼を支える若い介助者の日常が、3年間に渡って記録されている。遠藤さんが自らを「晒す」ことで若者たちも遠藤さんとまっすぐに向き合うようになる。そのような生活を遠藤さんは心から楽しみ、若者たちは学び、救われ、そしてともに社会を変え、それを次世代へとつなげていこうとする姿が描かれているのだ。

これは、ACW2がテーマとして掲げる対話や、現在の活動の苦しさを越えていくためにも100年後を想定して継いでいこうとする姿勢と一致するのではないだろうか。上映後に感想を交換し合い、このような想いを確認し合った。

最後の定期総会においても、代表・副代表・事務局長などの役員不在でのぞむ運営委員に対して疑義が打ち出される。これに関して率直で活発な意見が交換され、「規約に総会の場で議決する余地があること」「役員不在でも運営できるという根拠と自信とをもっていること」などが確認されたようだ。公式のWebサイト上にも「規約について、実態に即し、1年かけて役員構成と役員の役割と運営体制について話し合います。」と記載されている。

私自身としては権力関係が生じたり、個人がないがしろにされがちであるために基本的には組織を好まない、過去にもさまざまな組織に属してきた。ただし、対話をあきらめないことをはじめとするACW2の理想へと向かわんとするスタンスには魅力を感じるのだ。

以前、このコーナーにも「100年ビジョン」の言葉を掲載させていただいた。今回も最後に、さらに練り上げたうえでパンフレットに記された言葉を、ここに記しておく。

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はたらく、女、そしていのちへ
働く女性の全国センター(ACW2)
「100年ビジョン」

(2012年作成、2017年一部改訂)

(1)「はたらく」定義 

労働者という肩書きは女性たちにはよそよそしい。
なぜなら、女性たちは肩書き抜きに、はたらいてきたからだ。
私たちにとって「はたらく」とはなにか。
はたらくとは、キャリアを積み上げることではない。
はたらくとは、命を支えることだ。
賃金が支払われる労働だけではなく、家事・育児・介護・社会活動・趣味など、
自分を支え、人を支え、命を支えるあらゆる営みである。

(2)ACW2のありかた

誰かを蹴落とすこと、優位に立つことを求めるのではなく
従属や支配ではない、尊重をもとにした関係を作り出すことを、
私たちは目指す。
私たちは、命の側に立ち、
人びとの前に、
女性たちの前に立ちはだかる搾取・差別・偏見・欺瞞に抵抗する。
抵抗することに疲労を覚える時は、
休み、涙し、力を与え合い、笑う。

(3)女性の分断をこえる

女性はいまだに、分断されている。
独身か既婚か、パートか正社員か、病気か健康か、はたまた。
権力が私たちを引き裂く。私たちもまた、
立場の違いによって相手の声に耳をふさぎたくなることもある。
だが、引き裂かれた裂け目に、私たちは橋を架ける。
意見の違いを認め、対話することをあきらめない。
それは互いを遠ざけ合うためにではなく、すべて橋を架けるため。

(4)私たちの姿勢

いつの日か
おんなであること、はたらくことが、
搾取や差別や暴力の対象や温床となるのではなく、
与え合うこと、豊かにし合うこと、平和を生み出すものとなるために。
その日まで、私たちは休みながらも歩むことを、ここに記す。

※注)「女性」=性自認が女性である人
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▼小林蓮実(こばやし・はすみ)[文/写真]
1972年生まれ。フリーライター、エディター。労働・女性運動等アクティビスト。『紙の爆弾』『NO NUKES voice』『現代用語の基礎知識』『週刊金曜日』『現代の理論』『neoneo』『救援』『教育と文化』ほかに寄稿・執筆。
雑誌『情況』(情況出版)1月号
「【読後感】矢吹晋『沖縄のナワを解く』を読み、戦後の矛盾の「ナワ」を解け!」

3月7日発売『紙の爆弾』4月号!自民党総裁選に“波乱”の兆し/前川喜平前文科次官が今治市で発した「警告」/創価学会・本部人事に表れた内部対立他

取材班に対する朝日新聞記者、及び朝日新聞本社の対応について、これまで山口正紀氏(元読売新聞記者)、現在も活躍中の「元全国紙記者」から頂いたコメントを既に本通信でご紹介した。このたび新聞に関わる問題(特に「押し紙」)を長年追求してきたフリーランスライターの黒藪哲哉氏からも論評を頂けたのでご紹介する。取材班は今後も無謬性に陥ることなく、つねに「私たちは間違っていないか」、「他者の意見に理はないか」と検証を続けながら、取材・報告を続けるつもりだ。(鹿砦社特別取材班)

◆暴力事件の「当事者」が同時に「反差別運動の騎手」という構図そのものが問われている

朝日新聞社の対応に問題があるのは、いうまでもありませんが、最大の問題は朝日新聞社がこの事件をどう考えているのかという点だと思います。前近代的な内ゲバ事件だという認識が欠落しているのではないでしょうか。感性が鈍いというか。事件は、単なるケンカではありません。加害者の一人が、原告となってヘイトスピーチを糾弾するための裁判を起こしている反差別運動の旗手です。しかも、朝日新聞は報道というかたちで、この人物に対してある種の支援をしているわけです。ヘイトスピーチや差別は絶対に許されるべきことではありませんが、暴力事件の当事者(本人は否定しているが、現場にいたことは事実)が同時に反差別運動の騎手という構図、そのものが問われることになります。

◆「反原連」関係者による国会前の集会も検証が必要になる

また、間接的であるにしろ反原連の関係者も事件を起こした人々とかかわりがあるわけですから、残念ながら、国会前の集会も検証が必要になります。あれは何だったのでしょうか。それはタッチしたくはないテーマに違いありません。出来れば避けたい問題です。しかし、それについて問題提起するのがジャーナリズムの重要な役割のはずです。さもなければ差別の廃止も、原発ゼロも実現は難しくなるでしょう。第一、自己矛盾をかかえた人々を圧倒的多数の市民は信用しないでしょう。

◆「M君リンチ事件」をもみ消そうとする異常な動きそのものも検証が必要だ

しかも、『カウンターと暴力の病理』に書かれているように、この事件をもみ消そうとする動きが活発になっております。そうした異常な動きそのものも検証することが必要になっているわけです。本当に朝日新聞が独立した自由闊達なメディアであれば、だれに気兼ねすることもなく、その作業に着手できるはずですが、それが出来ないところに朝日新聞社の限界を感じます。「村社会」を感じます。

もちろん、どのような事件を報道して、どのような事件を報道しないかは朝日新聞社の自由ですが、報道機関としての資質は問われます。

▼黒藪哲哉(くろやぶ・てつや)
1958年兵庫県生まれ。1993年「海外進出」で第7回ノンフィクション朝日ジャーナル大賞・「旅・異文化テーマ賞」を受賞。1997年に会社勤務を経てフリーランス・ライターへ。2001年より新聞社の「押し紙」問題を告発するウェブサイトとして「メディア黒書(MEDIA KOKUSYO)」を創設・展開。同サイトではメディア、携帯電話・LEDの電磁波問題、最高裁問題、政治評論、新自由主義からの脱皮を始めたラテンアメリカの社会変革など、幅広い分野のニュースを独自の視点から提供公開している。

◎黒藪哲哉氏【書評】『カウンターと暴力の病理』 ヘイトスピーチに反対するグループ内での内ゲバ事件とそれを隠蔽する知識人たち(2018年02月27日「MEDIA KOKUSYO」)

最新刊『カウンターと暴力の病理 反差別、人権、そして大学院生リンチ事件』[特別付録]リンチ音声記録CD

『人権と暴力の深層 カウンター内大学院生リンチ事件真相究明、偽善者との闘い』(紙の爆弾2017年6月号増刊)

『反差別と暴力の正体 暴力カルト化したカウンター-しばき隊の実態』(紙の爆弾2016年12月号増刊)

『ヘイトと暴力の連鎖 反原連―SEALDs―しばき隊―カウンター 』(紙の爆弾2016年7月号増刊)

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