伊藤詩織氏の著書『Black Box』

伊藤詩織氏というジャーナリストの女性が、山口敬之氏という元TBSワシントン支局長の男性にレイプされたと実名で告発した件については、これまで様々なメディアで報道されてきた。その多くは、疑惑を否定する山口氏をクロと決めつけ、伊藤氏の勇気ある告発を支持する内容だった。

ところが、私はこのほど、こうした一連の報道に疑念を抱かざるをえない重大な事実に直面してしまった。伊藤氏が山口氏を相手取り、1100万円の損害賠償などを求めて東京地裁に起こした民事訴訟の記録を閲覧したところ、取材目的での閲覧が私以外にわずか3人しかいなかったのだ。

◆メディアは伊藤氏の主張を一方的に伝えたが・・・

伊藤氏に対する山口氏のレイプ疑惑は昨年5月、週刊新潮の報道で表面化した。それ以来、伊藤氏と山口氏の態度は対照的だった。

まず、伊藤氏は会見を開いたり、著書『Black Box』を上梓したりするなどして社会に向け、広くレイプ被害を訴え続けた。これにより、伊藤氏の支持者はすごい勢いで増えていった。その中では、漫画家の小林よりのり氏や、政治家でジャーナリストの有田芳生氏ら著名人も公然と山口氏をレイプ犯扱いし、手厳しく批判した

小林よしのり氏のブロマガ「小林よりのりライジング」

有田芳生氏のツイッター

山口敬之氏が反論手記を寄せた『月刊Hanada』2017年12月号

一方、山口氏は疑惑を否定しながらも、公の場で疑惑について語ることは少なく、『月刊Hanada』の2017年12月号に反論手記を寄せたり、同誌の花田紀凱編集長が手がけるYouTubeチャンネル「週刊誌欠席裁判」に出演して潔白を訴えたりした程度。このような2人の態度からすると、様々なメディアが伊藤氏の主張を一方的に伝える状況になったのは、ある程度仕方のない面もあったろう。

だがしかし、である。伊藤氏は昨年9月28日付けで前記したような民事訴訟を東京地裁に起こし、同12月5日には第1回口頭弁論も開かれている。こうした状態になれば、取材者は裁判所で訴訟記録を閲覧し、原告と被告双方の主張内容や証拠を確認するのが事件取材のイロハのイだ。それゆえに私は当然、この事件を報道している多くの取材者も訴訟記録を閲覧しているものだとばかり思っていたのだが・・・。

◆レイプ犯と決めつけた報道関係者たちは訴えられる可能性も

私が今年1月18日、東京地裁でこの民事訴訟の記録を閲覧したところ、私より先に「取材目的」でこの訴訟の記録を閲覧した者はわずか3人しかいなかった。なぜ、そんなことがわかるかというと、民事訴訟の記録を閲覧する際には、所定の用紙に名前や住所、閲覧の目的などを記入して提出するのだが、提出した用紙は訴訟記録と一緒に編綴されるからだ。

ちなみに私より先に取材目的でこの訴訟の記録を閲覧していたのは、浦野直樹氏(朝日新聞)、上乃久子氏(ニューヨーク・タイムズ)、西口典子氏(所属などは特定できず)の3人。私は2月5日と6日にも東京地裁でこの訴訟の記録を閲覧したが、この時点でもまだ私以外の取材目的の閲覧者はこの3人だけだった。この事件の報道量は膨大だが、この3人以外は訴訟記録も閲覧せずにこの事件を報道しているわけである。

ちなみに訴訟記録を閲覧すればわかることだが、伊藤氏の主張はこれまでに報道されてきた主張とまったく同じではないし、山口氏の訴訟における主張には、これまでに山口氏が公にしてこなかった主張がかなり多い。現時点ではまだ事実関係に踏み込んだことは言えないが、訴訟記録も閲覧していない者たちが繰り広げている報道はまったくアテにならないということだけは言い切れる。

訴訟記録も閲覧せずに山口氏をレイプ犯と決めつけたような報道をしていた者たちは今後、山口氏に名誉棄損訴訟を起こされる可能性もあると私は思っている。そして、できれば実際にそうなって欲しいとも思う。私は現時点で山口氏に味方するつもりはまったくないが、訴訟記録も閲覧せずに山口氏をレイプ犯扱いしているようないい加減な報道関係者たちのことを心底軽蔑するからである。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

おかげさまで150号!衝撃の『紙の爆弾』3月号!

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

過日、本通信に、元読売新聞記者山口正紀さんが朝日新聞の取材班に対する対応について、率直に鋭い指摘を寄せて頂いた。以下の紹介するのは、やはり元全国紙の記者であり、いまも一線で活躍されている方からのコメントだ。感想を求めたところ、

「ごぶさたしております。なかなか凄い対応ですね!」との書き出しから次のような感想をいただいた。

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ことは、個々の記者あるいは『朝日新聞』『毎日新聞』に限らず、マスメディア全体にかかわる問題だと思います。コンプライアンスの名の下に官僚組織化した全国紙などでは、事実上、記者の言論の自由は剥奪されています。よけいな問題を起こされたら責任問題になると、保身に走る管理職だらけになってしまったからです。外での執筆活動や講演活動は届け出制、あるいは許可制となり、今回のように外部から取材を受けるときは広報部を窓口にするのが基本となっています。

このような傾向が強まったのは雲仙普賢岳の火砕流事故以来です。「とにかく危険なことはするな、危険な場所に行くな」ということで、現場記者は上司の管理下に置かれるようになりました。容易に想像がつくと思いますが、こうした傾向が続くと、何から何まで「上司のお伺い」が必要になり、あっという間に組織は官僚化します。

そこへネット時代が重なりました。ツイッターやブログは多くの目にさらされますから、記者のツイッターが炎上するといった事態も起きます。当然、上司に責任がいく場合もあります。外部から取材を受けたときも、そのやり取りがネットにあがることがあり、管理職は異様に気をつかいます。すべては自己保身による事なかれ主義です。だから、正直、河野氏も現場記者も見方によっては「被害者」だと感じてしまう自分がいます。現場記者はもちろん中間管理職も組織に逆らえば直ちに処分対象になりますから。

いまのマスメディアの堕落は「コンプライアンス」から始まったと私は考えています。かつての記者は、相手が上司だろうが「おかしなことはおかしい」といったものですし、上司もまたそれを受け入れていました。つまり、記者はひとりのジャーナリストとして自立していたのです。そうした文化が意味不明なコンプライアンスにより潰えてしまいました。言論の自由を標榜するマスメディアで社内民主主義が消えかけている――極めて深刻な問題だと思っています。

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なるほど。朝日新聞、毎日新聞に限らず、「コンプライアンス」が幅を利かせる時代になって「自立した記者」が放逐される仕組みが出来上がったので、今回のような対応が生じたとの分析だ。報道機関に限らず「コンプライアンス」は近年、金科玉条のように持ち上げられている。しかし「法令順守」といえばまったく同義で意味が通じるのに「コンプライアンス」があたかも「高尚な価値」のように扱われるようになってから、新聞社や記者はがんじがらめになって「自立した記者」が存在しにくくなっているようだ。だとすれば「コンプライアンス」という概念自体が報道の基礎を邪魔しているとうことにはならないか?

新聞社はもとより「企業」でもあるが、「報道機関」、「権力監視」、「公平な報道」などの機能を読者は無意識に期待しているのではないだろうか。取材班の中には「日本の報道機関は、過去も現在も常に腐っていて批評すること自体ナンセンスだ」との極論を曲げないスタッフもいるが、それでも生活の情報源として新聞からの情報に一定の信頼をおく読者は少なくないはずだ。

であるから、「元全国紙記者」氏の指摘は、深刻な構造的問題を提示してくれている。

「法律に従うこと」と「過剰な自己保身に走る」ことは異なる。自己保身に必死な「新聞記者」(あるいは新聞社)から、本質的な「スクープ」が生まれてくるだろうか。権力が撃てるか。「規制が強すぎて書きたいけども書けない」のであれば、むしろそう告白して欲しい。新聞社の内実が、そのような「自己保身」を中心とした価値観で占められていることなど、多くの読者は知る由もない。

(鹿砦社特別取材班)

◎朝日新聞本社広報部・河野修一部長代理が鹿砦社に答えた一問一答の衝撃(2018年2月20日鹿砦社特別取材班)

◎〈特別寄稿〉こんな官僚的対応をしていて、新聞社として取材活動ができるのか ── 大学院生リンチ事件・鹿砦社名誉毀損事件をめぐる朝日新聞の対応について (2018年2月24日山口正紀)

最新刊『カウンターと暴力の病理 反差別、人権、そして大学院生リンチ事件』[特別付録]リンチ音声記録CD

『人権と暴力の深層 カウンター内大学院生リンチ事件真相究明、偽善者との闘い』(紙の爆弾2017年6月号増刊)

『反差別と暴力の正体 暴力カルト化したカウンター-しばき隊の実態』(紙の爆弾2016年12月号増刊)

『ヘイトと暴力の連鎖 反原連―SEALDs―しばき隊―カウンター 』(紙の爆弾2016年7月号増刊)

2月20日付「デジタル鹿砦社通信」を読んで、朝日新聞社の不誠実極まりない官僚的対応にあきれ果てた。

◆幹事社として鹿砦社に対応した朝日記者には、明らかに「説明責任」がある

問題の第一は、鹿砦社が李信恵氏を名誉毀損で提訴した際、記者クラブ幹事社として記者会見の要請を拒否したこと。「加盟全社に諮ったうえ」とのことらしいが、少なくともあの凄惨なリンチ事件の当事者が、それを告発した鹿砦社を「クソ」呼ばわりした、しかもその当事者は李信恵という社会的に名の知られたライターであり、自身の訴訟では度々記者会見を開き、記者クラブ加盟各社もその会見を記事にしてきた、半ば公人である。

これは、司法記者クラブという半ば公的な存在であるメディア機関が、このリンチ事件に関しては「中立・公正」の建前を捨て、それを市民・読者・視聴者に伝えるメディアとしての役割を放棄し、リンチ加害者を擁護したことになる。

これについて、幹事社として鹿砦社に対応した朝日記者には、明らかに「説明責任」がある。朝日新聞は、安倍政権のモリカケ疑惑などで、関係機関・個人の「説明責任」を求めてきたが、自身がそれを求められた場合、当事者である記者が、電話にも応じないというのは、実に不可解な態度であり、明らかな二重基準だ。

◆3人の朝日記者がとった対応は、ジャーナリストとしての基本を踏み外した責任放棄対応だ

問題の第二は、関与した記者たちが、鹿砦社の電話取材から逃げ回り、記者個人・ジャーナリストとしての矜持も捨てて、「会社」にすべてをゆだねてしまう情けなさだ。

この3人の記者は、自分の取材対象が取材途中で「詳しいことは会社が対応します。広報を通じて取材して下さい」と言ってきたら、はいそうですか、とすんなり応じるのだろうか。そんなことはあるまい。「あなたには、問題の当事者として取材に答える義務がある」とその当事者を追及するのではないだろうか。

もし、これが朝日新聞の「取材への基本的対応」であるとしたら、もうこれから、だれも朝日の取材には応じなくなるだろうし、応じる必要もなくなるだろう。3人の記者がとった対応は、それほどにジャーナリストとしての基本を踏み外した、「会社人間」の責任放棄対応だ。

◆本社広報部部長代理の対応は国税局長に出世した佐川氏と同レベルだ

問題の第三は、対応を委ねられた本社広報部部長代理の尊大極まりない電話対応だ。

個々の記者には「本社広報部が窓口」と言わせておきながら、窓口としての役割を果たそうとせず、鹿砦社の取材を「非常識・迷惑」と非難する不誠実な電話対応に終始した。

少なくとも、「広報が対応する」というのなら、記者個々人に代わって、広報部としてきちんと質問に答えなくてはならない。そうでなければ、「広報部」とは言えない。それを、この河野部長代理は、問題の経過、事実関係もろくに把握せず、「記者に連絡を取るのは止めてくれ」「細かい大阪のことは知らない」という無責任で不当・不誠実な対応を繰り返した。

河野氏は元新聞記者なのだろうか。もしそうであれば、取材対象が「広報部」に連絡してくれと言って、広報部に連絡すると「個人への取材は止めてくれ」と言われ、はいそうですか、と引き下がるような軟弱な取材しかしてこなかったのだろう。

記者個人に「広報部を通じて」と言わせたのなら、せめて、広報部として、相手の質問に誠実に答えるのが「新聞社の広報部」ではないのか。これではまるで、「何も知りません」「資料は破棄しました」答弁を繰り返して国税局長に出世した佐川氏と同レベルだ。

今回の鹿砦社に対する対応で、朝日新聞社は、自分たちが取材対象になった場合は、こんな官僚的対応を取る会社であり、「取材の自由」や「報道の自由」を平気で踏みにじるメディアであること、ジャーナリズムとは程遠い存在であることを、天下にさらけ出したというほかない。

▼山口正紀(やまぐち まさのり)
ジャーナリスト。元読売新聞記者。記者時代から「人権と報道・連絡会」メンバーとして、「報道による人権侵害」を自身の存在に関わる問題と考え、報道被害者の支援、メディア改革に取り組んでいる。

◎[関連参照記事]鹿砦社特別取材班「朝日新聞本社広報部・河野修一部長代理が鹿砦社に答えた一問一答の衝撃」(2018年2月20日付デジタル鹿砦社通信)

◎今回の朝日の対応は多くの方々に衝撃を与えました。今後、メディア関係者の論評を暫時掲載いたします。また、皆様方のご意見もお寄せください。

最新刊『カウンターと暴力の病理 反差別、人権、そして大学院生リンチ事件』[特別付録]リンチ音声記録CD

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『ヘイトと暴力の連鎖 反原連―SEALDs―しばき隊―カウンター 』(紙の爆弾2016年7月号増刊)

昨年末『カウンターと暴力の病理』を関係者に送付したあとに、年を挟んで1月25日鹿砦社代表・松岡利康名で、この本について約50名に「質問書」を送り、2月5日を期限に回答を待った。回答者は前回本通信でご報告したとおりだったが、「不回答者」の一部に対し2月19日、鹿砦社本社から電話取材をおこなった。

数名には電話が通じ、回答がない理由の聞き取りが行えたが、取材班は驚くべき事態に直面することになった。この日は主としてマスメディア関係者に電話で事情を聞こうと試みたが、“事件”はそこで生じた。

まず登場人物を確認しておこう。

いずれも朝日新聞で大阪社会部の大貫聡子記者、同じく采澤嘉高(うねざわよしたか)記者。この2人は現在大阪司法記者クラブに在籍している。阿久沢悦子記者は現在静岡総局勤務だ。この3名には、前述の「質問状」を送付してある。そして予期せぬ大物登場者は、朝日新聞東京本社広報部・河野修一部長代理だ。

◆「広報で対応する」一辺倒の大貫聡子記者

大貫記者は、李信恵が対保守速報裁判で勝訴した、11月17日の大阪司法記者クラブでの記者会見の際に、取材班の記者室への入室を拒否した人物だ。またこの裁判についての署名記事も書いている。この記事は明白な事実誤認がある問題記事だ。大貫記者に電話をかけると「この事案については会社の広報で対応しますので答えられません」と一方的に電話をガチャ切りされた。違う電話番号から再度大貫記者に電話をかけるも、やはり同様に「広報で担当しますので答えられません」と再度ガチャ切りされた。

鹿砦社は、ツイッターに「鹿砦社はクソ」などと何度も書き込んだ李信恵を、名誉毀損による損害賠償請求で訴えた際、2017年11月1日大阪司法記者クラブへ、松岡社長みずからが赴き、記者会見開催を要請した。ところが当時幹事社だった朝日新聞の采澤記者は「加盟社全社にはかったうえ」とし、記者会見を開かない旨の回答を、要請から実質的に2時間ほどで返してきた(松岡の携帯電話に着信があったのが要請から2時間後、その時松岡は会合中で実際にはその数時間後に釆澤記者へ松岡から電話をかけ「記者会見拒否」を知ることとなる)。納得のいかない松岡は翌日采澤記者に電話で再度「どうして会見が拒否されたのか」を質問した。

その際の回答は納得のできるものではなかったが、一応の「応答」は成立していた。しかし、19日大貫記者は質問をする前から会話を遮断し、「広報で対応する」とまったくラチが明かない。新聞記者は情報を得るために、取材対象を追い、時にプライバシーにまで踏み込んだ取材に及ぶことも珍しくない(職務上仕方のない面もあろう)。しかし自身が「質問」を受けたり、取材対象となると「広報で対応します」と逃げ出す態度は、報道人としてはズルいのではないか。鹿砦社や取材班が不法行為を行ったり、不当な要求をしているのであれば話は別だが、朝日新聞とは「天と地」ほどの規模の違いはあれ、鹿砦社及び取材班は、「事実」を追い、「真実」を突き止めようと情報収集活動を行っているのだ。都合が悪くなったら「広報で」とはあまりに身勝手にもほどがある。

逮捕と同時に 大々的な実名報道を行うのが大新聞だ(近いところでは元オウム真理教の女性信者を大々的に、あたかも有罪確定かのように報じたが、元信者は無罪が確定している)。あの報道を見れば、多くの人が元信者の女性は「有罪」と思わされたことだろう。大新聞はかように大変な影響力と権力を持っている存在であることは述べるまでもない。その大新聞に署名記事を書いている記者に質問をすることは、「不当な行為」なのだろうか。

◆阿久沢悦子記者も「この案件は本社の広報が一括して窓口になるので……」

取材班は仕方なく采澤記者に電話をかけて、大貫記者に「回答をするように促す」との言質を得た。しかし釆澤記者は言葉巧みに取材班の要請を交わしながら、腹の中では別のことを考えていた。電話で取材にあたった担当者も采澤記者が大貫記者に回答を「促す」ことなどないだろう、と感じていたという。

静岡総局に勤務する阿久沢悦子記者は、前任の勤務地が阪神支局で、李信恵らによる「大学院生M君リンチ事件」後、比較的早い時期からM君に接触し、一時はM君に同情的な言動を見せていた人物である(またM君を裏切った趙博をM君に紹介したのは阿久沢記者である)。取材班が阿久沢記者に電話をかけたところ、仰天するような言葉を耳にする。「この案件は本社の広報が一括して窓口になるので、私からは何もお答えできません」というのだ。

阿久沢記者は「その連絡は先ほど私にあった」とも語っていた。ということは、19日の大貫記者、釆澤記者への取材班の電話に対して、両名(もしくはどちらかが)が本社、もしくは上司に「相談」を持ちかけたと推測するのが自然だろう。釆澤記者の「大貫記者へ回答するように促す」との言葉は、やはりまったくの出まかせであったことが阿久沢記者の回答から明らかになった。取材班は「では、担当はどちらの部署か」と尋ねると、待ち受けたように阿久沢記者は「本社の広報部河野修一部長代理です」と電話番号を教えてくれた。

◆朝日新聞東京本社広報部河野修一部長代理との一問一答

おいおい、「天下の朝日新聞」よ、取材に対して拒否だけでなく、本社の広報部部長代理が応対するって? 仕方あるまい。取材班は本社広報部に電話をかけた。以下は取材班と河野氏の一問一答だ。

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広報部 はい朝日新聞社広報部です。
鹿砦社 お邪魔します。株式会社鹿砦社と申します。
広報部 どうもお世話になってます。
鹿砦社 いつもお世話になっております。河野(修一)広報部長代理はいらっしゃいますでしょうか?
広報部 はい、少しお待ちください。
河野  替わりました。河野です。
鹿砦社 突然お電話を差し上げまして恐縮です。株式会社鹿砦社と申します。
河野  はい、承知しています。
鹿砦社 お手を煩わせて恐縮なのですが、先ほど来、おそらく采澤さん(嘉高・大阪司法記者クラブ)とか、いろいろな方からご連絡が入って。
河野  ちょっとやめていただきたいんですよね。
鹿砦社 やめていただきたい?
河野  はい。ええ、まず記者の個々人に連絡を取るのはやめてください!
鹿砦社 ちょっとお待ちくださいね。いまおっしゃった「記者の個々人に連絡を取るのは止めてください!」と。
河野  はい、大変迷惑しておりますので。
鹿砦社 迷惑をしている?
河野  はい、そうなんですよ。で、今後連絡一切は私にお願いします。
鹿砦社 あの、ちょっとお待ちくださいね。
河野  はい。
鹿砦社 「連絡を取るのを止め。迷惑をしている」と、署名記事を書かれている記事についての質問状を送るのが、いけないんですか?
河野  質問状もこちらに送ってください。対外的な窓口はこちらなので。それはそのように、いろんなウチに対する申し入れでもそうしているんですよ、ええ。なので個々の記者への接触は厳に謹んでいただきたいと思います。
鹿砦社 「個々の記者への接触は厳に謹んでいただきたい」と。それは要請ですか? あるいは指示ですか?
河野  指示する権利は、こちらはないですのでものね。
鹿砦社 先ほど「迷惑している」というお言葉にちょっと驚愕しているのですけれども。
河野  はい、はい、はい、はい、非常に個々の記者たちは迷惑しています。報告はぜんぶ来ているんですけども。
鹿砦社 具体的にどういったことで、ご迷惑をおかけしているというふうに認識していらっしゃいますか?
河野  はい、そういったことにはお答えいたしませんが。
鹿砦社 いや(驚)?
河野  あの電話切ってよろしいですか!
鹿砦社 電話を切る?
河野  どういう要件ですか?
鹿砦社 ですから、ええといま私は静岡総局の阿久沢(悦子)様にお電話を差し上げて…。
河野  はい、阿久沢は大変迷惑していますので。
鹿砦社 阿久沢は大変迷惑をしている?
河野  それはそうでしょう。会社対応のスマフォとかに電話をかけられたら。
鹿砦社 会社対応のスマフォ?
河野  はい。
鹿砦社 「会社対応のスマフォ」ってどういう意味ですか?
河野  あの携帯に電話をかけているんでしょう。
鹿砦社 ああ、そうですよ。だって携帯電話の番号が入っている名刺を配ってらっしゃるんですから。
河野  いや、だけど迷惑なんですよ!
鹿砦社 ええ!! 名刺に電話番号を入れておいて、その書いてある電話番号にかかってくるのが迷惑というのは、世間では通じませんよ、そんなの。
河野  いや通じますよ。あなたたちのほうが、もうぜんぜんに非常識ですから。
鹿砦社 私たちのどこが非常識とおっしゃって。具体的に誤りがあれば訂正いたしますので。具体的にちょっと教えていただけますか。
河野  本をいきなり送ってきて、で、「その本を読んだか感想を言え」と。
鹿砦社 はい。
河野  その本が読みたくない本だったら迷惑ではありませんか。
鹿砦社 あの「読んでください」ということで、もちろんお送りしていますよ。ただし、送り付け商法ではありませんが、「お金を払え!」とかいうようなことは一切しておりませんよ。
河野  だったら本を送るだけにしてもらえませんか。その後のお便りいりません。
鹿砦社 本を送らせていただくのは、事実関係を理解していただく補助的な資料としてお送りしているのであって。
河野  ええ。
鹿砦社 質問状を送らせていただくにあたっては、こういう背景事実があるんだけども、「どうお考えになるか?」とお尋ねするのが、非常識な行為でしょうか?
河野  はい。
鹿砦社 非常識な行為なんですか?
河野  はい、あの~迷惑です。こちらからなにか読んで言いたいんであれば、連絡することもあるかもしれませんが。ええと、そういう気がまったくございませんので。
鹿砦社 署名記事で書かれていることに、署名記事で書かれるということはありますよねえ。一般的な社会面であっても、地方面であっても書名記事で記事を書くということはありますよねえ。もしもし? もしもし?〈不可思議な間(ま)が続く〉
河野  いや、どうぞ続けてください。
鹿砦社 署名記事を朝日新聞に掲載されることはありますよね。で、署名記事は書かれた方のお名前が分かりますので、それについての意見とか、ご質問とかは読者の方から沸いてこようかと思うんですが、それをお尋ねするというのもいけない行為なんですか?
河野  それは、尋ねたいことがあれば広報に今後お願いしますと。そういうことです。
鹿砦社 それはふつうの読者であってもそうなんですか? 一般読者であっても?
河野  一般読者の場合もお客様専用の、ええと問い合わせ窓口を作っていますんで、そこにかかってきますねえ。記者に直接来ることは、まあ直接取材を受けた方からということはあるでしょうけども。
鹿砦社 署名記事というのは、一定程度その方は、もちろん会社の意向の中で、社論の中で誰々さんが書いたことを明らかにするために、署名にするためじゃないのでしょうか。という理解は間違いでしょうか、私の? それは違っていますか?
━長い沈黙━
鹿砦社 私がお尋ねしている意味がお分かりいただけますでしょうか?
河野  いやーぜんぜん分からないので、返事のしようがない。
鹿砦社 お分かりにならない?
河野  はい。
鹿砦社 え!! 署名記事というは署名のない記事とはちょっと違って、その記事に関して一定の文責、文章を書いた責任を書いた記者の方が明らかにするという性質のものではないでしょう?という質問なんですけども。
河野  う~ん、ぜんぶの署名記事がそうなのかどうなのかというのは、ちょっと分からないですねえ。
鹿砦社 いや、一から百までの責任を個人に個に帰すというのではなくて、誰がどういうふうに書いたか分からないのではなくて、この記者さんはこう書いたものだよと。広い意味で、読者に分かりやすく提示するというので、署名記事というのがあるという理解は間違いでしょうか?
河野  いや、知らないんですけど。それと今回の送り付け行為となんの関係があるんですか?
鹿砦社 「送り付け行為」。
河野  はい。
鹿砦社 ええと恐れ入りますが、河野様ですね。
河野  河野です。
鹿砦社 河野様は、私どもの書籍を送らせていただいたことにはご存知だと思うのですが。
河野  はい、文面もすべて読んでいます。
鹿砦社 はい、その前にですね、私どもが「大阪司法記者クラブに入ることを拒否された」という前段があることは、ご存知でいらっしゃいますか?
河野  それは本にお書きになっているようですねえ。
鹿砦社 いや、事実関係は聞いてらっしゃいますか、記者の方から?
河野  すいません。こちからのお願いは一つで、個々への記者へのそういう……。
鹿砦社 違います! いま私がお尋ねしたのは、「河野さんはその事実をご存知ですか?」とお尋ねしているのです。
河野  あのーこっちは東京の広報なので、細かい大阪のことは知りません。
鹿砦社 だからあなたはご存知ではないわけですよ。なぜ私どもが質問を投げかけなければいけなくなったか、というそもそも発端を。
河野  もうやめてください。こちらとしても、ちょっと迷惑が過ぎるようだったら、ちょっといろんなところに相談しなくちゃいけませんし。
鹿砦社 迷惑?
河野  はい。ええと……。
鹿砦社 ちょっと端的に申し上げますよ。
河野  はい。
鹿砦社 大阪司法記者クラブという、大阪地方高等裁判所の中に記者クラブがあります。東京の裁判所にもあります。
河野  そういう話はいいので、とりあえず……。
鹿砦社 こちらが受けた被害は聴いてくださらないのですか?
河野  はい、なんで聴かなきゃいけないんですか!
鹿砦社 いや、「こちらが受けた被害は聴いてくださらないんですか?」と言っているんです。
河野  被害があるんであれば……。
鹿砦社 いまその話をしているんです。
河野  いいです。被害があるんであれば弊社を訴えるなり、なんなりしてくれればけっこうです。
鹿砦社 訴えるような話じゃなくて、「なんで(記者会見に)「入れていただけないのですか?」ということをお聴きしているのです。
河野  あの、とにかく、ずっと個々への記者へのこれ以上の接触は、この件についてはやめてください。
鹿砦社 いや、ですからその前提事実を、まず顕著な前提事実をご存知ないようですので、その確認を含めてお尋ねしたいと思って。その一つお伺いしたいと思うんです。あの大阪記者クラブ……。
河野  電話切っていいですか?
鹿砦社 あ、聴いていただけないわけですか? こちらは被害申告ですよ。
河野  じゃあいいですよ、別に。あれば書面で私宛てに送ってください。
鹿砦社 被害申告を聞かないわけですか?
河野  はいはい。だから、どうぞ書面で「中央区築地、朝日新聞」で届きますので、あの、どうぞどうぞ被害申告があるというなら。
鹿砦社 さっき「電話で受ける」とおっしゃったんですけれども、電話では受けていただけないんですか?
河野  はい。こちらから、とりあえず個々への記者への接触はやめてほしいということです。
鹿砦社 こちらは一方的に被害を受け続けろと?
河野  だから、そういう被害があるんでしたら改善されなければいけないのでしょうから。
鹿砦社 ですけど、いまお話しようと思うけど、「文書で出せ」というふうに。
河野  被害があれば、どうぞ! それはウチに出すべきものかは分かりませんが。
鹿砦社 じゃあ繰り返しますが、朝日新聞社様は、「非常に迷惑をしている」という認識なんですね。
河野  はい、そうです。
鹿砦社 間違いありませんね。
河野  はい。
鹿砦社 はい、ありがとうございました。失礼いたします。

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◆朝日新聞よ! あなた方は「報道の自由」をどのように考えるのだ?

まるで常習クレーマーを相手にするかのような口調と、文字には表れないが、「揚げ足をとってやろう」と明らかに企図した不可思議な「間(ま)」。よくぞここまで「悪者扱い」してくれたものぞと、かえってすっきりするくらいの「馬鹿にした」態度だ。

朝日新聞よ! あなた方は「報道の自由」をどのように考えるのだ? 鹿砦社は1987年、「朝日新聞阪神支局襲撃事件」を受けて、先日NHKテレビ『赤報隊事件』の主人公、植田毅記者、辰濃哲郎記者らの取材に協力し、この事件の深刻さを編纂した『テロリズムとメディアの危機』を刊行し、「日本図書館協会選定図書」「全国学校図書館協議会選定図書」に選定された。鹿砦社は朝日新聞に「貸し」はあっても「借り」はないはずだ。

また2005年の「名誉毀損」に名を借りた松岡逮捕劇の際にも、検察の意を受けて松岡を騙し関係資料を入手し「スクープ」を手にしたのは朝日新聞の平賀拓哉記者だった。にもかかわらず、「迷惑」、「個人の記者への接触をしないでくれ」、「しかるべき措置を考えなければならない」などという河野部長代理の言葉は、赤報隊が朝日新聞阪神支局で小尻知博記者の命を奪った散弾銃のように取材班メンバーの心に“銃弾”を打ち込むほどの衝撃だった。ことは人ひとりをリンチし半殺しにした事件だ。昨日(2・19)に対応した記者たちに〈人間〉の心はないのか? 朝日新聞に「ジャーナリズム」を期待するのは無理なのか?

追伸:夕刻、毎日新聞の後藤由耶記者に電話が繋がった。後藤記者は「この件は社長室広報担当になりました。東京本社の代表番号から広報に電話をお願いします」と毎日新聞でも『報道管制』が敷かれた模様だ。取材班はこの通信にしては、長い文章を書きながらこみあげてくる(悲しい)笑いを抑えられない。この程度なのか? 日本の新聞は? 新聞記者は? 自分の行動に責任をもてないのかと。

※[お詫びと訂正]取材過程で、河野氏の表記を誤りました。お詫びして訂正いたします。(2月22日)

(鹿砦社特別取材班)

最新刊『カウンターと暴力の病理 反差別、人権、そして大学院生リンチ事件』[特別付録]リンチ音声記録CD

『人権と暴力の深層 カウンター内大学院生リンチ事件真相究明、偽善者との闘い』(紙の爆弾2017年6月号増刊)

『反差別と暴力の正体 暴力カルト化したカウンター-しばき隊の実態』(紙の爆弾2016年12月号増刊)

『ヘイトと暴力の連鎖 反原連―SEALDs―しばき隊―カウンター 』(紙の爆弾2016年7月号増刊)

 

PyeongChang 2018

1月9日、板門店で「南北会談」が行われると決まったときに、「南北会談」の実施じたいに、この島国の政治家やマスメディアは冷淡だった。あの時期に朝鮮が五輪に参加すると予想した人はどれくらいいただろうか。

◆オリンピックは政治そのものである

参加どころか開会式では合同で入場し、女子アイスホッケーでは合同チームが結成された。「スポーツの政治利用」、「北朝鮮ペースに乗せられている」との批判が繰り返されたが、開会式の後半では韓国の有名な歌手たちがジョンレノンの「イマジン」を歌い、聖火点火者のキムヨナへ手渡されることになる聖火は、韓国と朝鮮の選手が二人携えて、長い階段を駆け上がった。

開会式ではIOCのバッハ会長が式辞でしきりに「平和」を口にした。会場の外では、韓国でも保守的な人たちの抗議行動も行われているが、マスメディアもさすがに、開会式で「演出」される「平和」を表立って貶す(けな)すことはできなかった。「オリンピックは政治の道具」どころではなく「オリンピックは政治そのもの」だと認識するわたしは、この光景が準備された演出にしても、非難の対象にあたるとは考えられない。どうせ政治ならマシな政治利用でいいじゃないか。

 

統一旗のバリエーション(wikipediaより)

◆非凡な無能ぶりを発揮する安倍「制裁」外交

なぜならば、その裏で平和とは正反対に、まっしぐらの「北朝鮮制裁主義者」たる安倍をはじめとした、この島国の政権はひたすら「北朝鮮包囲連携が崩れる懸念(=韓国と朝鮮の融和)」、を叫ぶのみで、毎度外交に非凡な無能ぶりを発揮するこの島国の真骨頂ともいえるような的外れな態度に、相も変わらず終始しているからだ。朝鮮から金正恩の妹、金与正と金永南・最高人民会議常任委員長という、朝鮮の政権中枢にいる人物が韓国を訪問することだけでも(それがオリンピックを介在しての訪問にせよ)過去の歴史にはなかった、画期的な出来事であり、そこで文在寅大統領の朝鮮訪問が話題になったことは「朝鮮半島の緊張」を強める方向に向かう提案だろうか。

〈ペンス米副大統領は11日付の米紙ワシントン・ポストのインタビューで、北朝鮮との外交的な関与を拡大することで米韓が合意したと述べた。まず韓国が北朝鮮と対話した後、前提条件なしで米朝対話が行われる可能性があるとした。

ペンス副大統領は韓国で9日に開催された平昌冬季五輪の開会式に出席。米国に帰国する際の専用機内でインタビューに応じ、米政府が北朝鮮に対する「最大限の圧力」は維持する一方、対話の可能性にはオープンだとした。〉
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180213-00000000-reut-kr

と、韓国だけでなく、ついに米国も朝鮮との対話について検討を始めた。いつまでも「制裁!制裁!」と繰り言を続けているのは、安倍を中心とする、この島国の無能外交関係者やマスメディア及びそれに扇動された、不幸な庶民たちだけではないのか。

◆「大量破壊兵器保持疑惑」でイラクを爆撃した米国の過ち

外交の表裏には、必ず地下水脈のような通常人が知り得ない導線がある。ある日突然起きたように思われる事件や、政変にも必ず複合的な力学と打算、妥協が交錯する。最終的には「自国がどう有利な立場をとるか」が指標であっても、通常外交は「一定の理性」があるかのように見せかけないと、「沽券(こけん)」や「体面」を重視する権力者には格好が悪い。それが一定の見識ともいえる。

第二次湾岸戦争でイラク攻撃に対して、欧州では賛否が分かれていた。フランスは米国を中心とする「イラク攻撃推進派」に批判的で、2003年2月14日国連安保理事会でドミニク・ド・ピルパン外相が演説を行った。長い演説の中でピルパンは、

〈戦争という選択肢は、直感的に最も速そうに見えるかも知れない。しかし、戦争に勝った後、平和を構築しなければならないということを忘れないようにしよう。この点について、勘違いしないようにしよう。これは長く、困難なものとなるだろう。というのも、武力侵攻の苛酷な影響を受けた地域や国において、持続的な方法でイラクの統一を維持し、安定を回復する必要があるだろうから。

そういう見通しの上で、効率的で平和的なイラクの軍縮に向けて日々前進している査察という選択肢があるのだ。結局、戦争というあの選択肢は、最も確実というわけではなく、最も迅速というわけでもないのではなかろうか?〉

と述べ米国が戦争を急ぐ姿勢に疑問を投げかける。結局「歴史的」とも評されたこの演説に耳を貸すことなく、米国を中心とした「多国籍軍」(その中には後方支援を担った自衛隊も含まれる)は「大量破壊兵器保持疑惑」でイラクを爆撃し、サダムフセインを殺した。

しかし、のちに明らかになったのは「イラクには大量破壊兵器はなかった」という事実だ。ピルパン外相は同演説の中で、繰り返し査察の成果を述べており、その事実は「イラクが大量破壊兵器を保持していない」ことを示しており、その時点で「多国籍軍」のイラク攻撃は根拠のないものだった。散々わがままを言いたい放題並べ、イラクの人びとを殺戮した、ジョージ・ブッシュは、そのご「われわれはミスを犯した」と発言したが、一方的な多国籍軍の殺戮行為を、「ミス」で済ませられたら、被害者はたまったものではない。

〈戦争という選択肢は、直感的に最も速そうに見えるかも知れない。しかし、戦争に勝った後、平和を構築しなければならないということを忘れないようにしよう。この点について、勘違いしないようにしよう。これは長く、困難なものとなるだろう。というのも、武力侵攻の苛酷な影響を受けた地域や国において、持続的な方法でイラクの統一を維持し、安定を回復する必要があるだろうから〉

は正鵠を射ていた。イラクの政情不安・治安の不安定はイスラム国の登場などで、今日に至るも、解決の糸口すら見えていない。

◆覚悟のない者が「戦争」を話題にする資格はない

朝鮮をめぐる情勢は、いま五輪中だからだろうか、いくぶん流動化してきたかのように見える。わたしは安倍と正反対に、朝鮮と韓国・米国・日本が対話によりすべての問題解決をはかることを希望する。いかなる理由によっても「戦争」の選択肢をすべての国は排除すべきだ。

戦後補償・賠償すら行っていない日本(日本ではほとんど報じられないが、世界の少なくない国々は日朝関係の基礎をそう見ている)、要らぬ軍事費の重みから解き放たれたい韓国、「経済制裁」を含む世界の包囲網から脱出したい朝鮮、赤字財政続きで、政府機関閉鎖の相次ぐ米国。どの国も「平和」を希求する充分な理由は(それと逆方向に進もうとする理由と同等に)保持しているではないか。理性が(私たち一人一人のなかに)あれば最悪の事態は回避できる。

もし回避できなければ、「日本も戦争に巻き込まれる」。あらゆる言説はその現実を前提に発されるべきだ。その覚悟のない者が「戦争」を話題にする資格はない。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

おかげさまで150号!衝撃の『紙の爆弾』3月号!

総理大臣研究会『歴代内閣総理大臣のお仕事 政権掌握と失墜の97代150年のダイナミズム』

マイナス15℃越えのうえに強風、危険な状態のなかでの競技続行による転倒者続出(スノーボード)。あるいはアメリカのテレビ局の要請で、フィギュアスケートは異例の午前中開催。スキージャンプはヨーロッパ向けに極寒の真夜中開催など、ピョンチャンオリンピックは散々な評判だが、まずは開催されたことに関係者は胸をなで下ろしていることだろう。昨年のいまごろは、開催そのものが危ぶまれていたのだから。

 

2018年2月9日付サンケイスポーツより

それにしても、今回のオリンピックはオリンピックと政治の別ちがたい関係をあらためて浮き彫りにした。開会式に先立つ南北会談、南北合同チーム(女子アイスホッケー)の結成、そして北朝鮮美女軍団の訪韓。かたや、アメリカの先制攻撃を避けて核ミサイル開発の時間をかせぐ北朝鮮の思惑、オリンピック成功の保障のさきに南北対話・緊張緩和をのぞむ韓国文政権の思惑が手をむすばせた、この大会の序幕は政治ショー以外の何ものでもなかった。

何ごとも政治化するトラブルもあった。スキー男子モーグルの西伸幸がかぶっていた帽子が、旭日旗を思わせるデザインだと現地で批判されて、西はただちに謝罪した。

 

統一旗のバリエーション(wikipediaより)

いっぽう北朝鮮の応援団の統一旗に独島(竹島)があるのは遺憾などと、日本政府(菅官房長官)も政治を持ち込んでいる。ちなみに、旭日旗に似た朝日新聞の社旗は韓国で問題にされたことはないし、統一旗の島の位置は鬱陵(ウルルン)島と竹嶼(チュクト)に見なすことも可能ではないか。どちらも政治的な視野で見るから、目くじらを立てたくなるのだ。

いっぽう、国策的なドーピングで国としての参加を認められなかったロシア選手団は、Olympic Athletes from Russia(OAR)として個人参加している。ドーピング問題とスポーツ界の事情は『紙の爆弾』3月号の片岡亮の記事に詳しいが、その背景にあるのは商業主義にほかならない。オリンピックが後援する企業にとっても競技者にとっても、商売であることを痛いほど思い知らされる。それというのもオリンピックが他の競技大会とはちがって、国策であるからだ。

もともと近代オリンピックは、ロンドンで開かれた第4回で国ごとの参加になるまでは、個人・チーム参加のスポーツ大会だった。開催地は資金難にくるしみ、第2回のパリ大会と第3回のセントルイス大会は、万国博覧会の付属大会にすぎなかった。国(都市)とナショナルオリンピック委員会が主催者になることで、一転して政治的な事業となり、スポーツ大会の頂点をきわめたのである。

1924年のパリ大会を舞台にした映画『炎のランナー』には、競技日をめぐって英仏の駆け引きが行なわれるシーンが登場する。あるいは、有名なフレーズ「参加することに意義がある」と語ったのは、国別となった第4回大会でのことだった。アメリカとイギリスの目にあまる対立を危惧したエチュルバート・タルボット主教が、選手団を前に「勝利よりも参加することが重要だ」と説諭したものだ。

しかし勝利至上主義、国威発揚はとどまるところを知らず、1936年のベルリン大会は文字どおりナチスの躍進、ドイツの国力を世界にしめす大会となった。戦後もそれは変わらず、1964年の東京大会は日本の復興を世界に知らしめるためのものだった。ソ連のアフガン侵攻にたいする制裁としての、モスクワ大会のボイコット。そしてその報復としてのロサンゼルス大会のボイコット。まさにオリンピックの歴史は政治史である。スポーツが戦争の代償行為であると、スポーツ社会学者は説くことがある。なるほどオリンピックは、軍事をもちいない政治なのであろう。

けれども政治の側の意図が顕わになり、その思惑がくつがえることで、結果的に新鮮なこともあった。フィギュアスケート団体戦で世界最高得点を出したエフゲニア・メドベージェワの演技は、ロシア選手という色眼鏡をとって鑑賞すれば、すばらしく新鮮な感じだった。それは彼女の実力によるものだと思われるが、氷上にくり広げられた3分間の演技が一瞬のように感じられるほど見事なものだった。それはしかし個人参加だからこそ、ロシア選手団の一員と見なさないからこそ感じられたのかもしれない。国旗や国家のないオリンピックを観たくなった瞬間である。デジタル鹿砦社通信をご愛読の諸賢におかれては、いかが観戦されていますか?


◎[参考動画]Evgenia Medvedeva establece record mundial en Juegos Olimpicos Pyeongchang 2018

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業・雑誌編集者。著書に『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。

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知人から以下のメールを頂いた。

〈こんばんは。突然、閃きました。神の啓示でしょうか。政治家と官僚は利権狙いで、バカな政策を作ります。末代まで祟る無駄使いです。なぜ、バカな無駄使いをするのか? 自分の利権狙いです。

ならば、政治家と官僚に毎年予算からお金を差し上げれば良いのです。
・政治家 1億円×500人=500億円。
・一種官僚(今の総合職官僚)1,000万円×1万5千人=1,500億円。
 合計2,000億円。

国の年間予算は100兆円ですから、予算の500分の1をプレゼントするだけです。このブレゼントで、政治家も高級官僚も、アホな政策を主張する必要がなくなります。500分の1をドブに捨てて、残りの500分の499を有意義に使いましょう。その方が日本のためになります。

我ながら名案でしょ。数年に一度の名案です。〉

この方は雪多い地方に暮らし、どちらかといえば穏健保守的なお考えの持ち主だった。その彼にしてもこの10年ばかりの政治状況には強く違和感を抱いておられるらしく、平素から断片的に、現政権批判や社会批判のメールは頂いていた。念のために説明しておくと、彼はW大学の文学部ご出身で、インテリだ(ただし、アルコールが好きなのは私と同じ)。

夜に突然閃いたのだから、ひょっとするとアルコールが彼の脳を、過去にない回路で働かせ始めたのかな(要するに酔っぱらっていらっしゃった)?とも思ったが、「これで一本原稿が書けます、頂いていいですか」とメールを送ると、

〈これは突然閃いたのです。数十年に一回あるかないかの閃きです。是非とも世間に問うてください〉

と返信が帰ってきた。どうやら本当に彼には天啓があったようだ。実に荒っぽく、乱暴なアイデアに見えるが、ちょっと考えると案外これは、彼が興奮する通り、かなり有効な政策ではないかと思えてきた。積算根拠の国会議員数が衆参両院合わせた717名ではなく500名となっているのは、推察するに利権にさとい議員の推定数であろう。一人当たり1億円は、既得権を持っている議員には安すぎるきらいもあるが、そういう議員には「既得加算」で上乗せし、新人議員には若干減額する「きめの細かい運用」(政府が予算説明でよく用いるフレーズ)をすれば、おおよそ足りるだろう。中には対面を気にして「このようなお金を血税から頂くわけにはまいりません!」と、見栄を切る議員も出てこよう。新聞には「党派別受け取り辞退議員リスト」が掲載され、辞退した議員のイメージは上がるだろう。

官僚にとって、現役中の給与プラス年間1,000万(非課税)円は魅力ある数字だろう。10年で1億溜まるのだから、出世競争で天下り先を維持しなくても生活の心配はない。でも、東大法学部を出た連中の中には(官僚は圧倒的に東大法学部卒が多い)、民間のITやM&A、国際金融関連企業で年収数億円を超える知人がいくらでもいる。そうなると(欲深い人間の業は)1,000万円では満足しないかもしれない。そこで、ここは奮発して彼の原案に倍額回答とし(私には何の権力もないけど、仮定の話だからいいだろう)一人当たり2,000万円としてみよう。そうすると、

・政治家 1億円×500人=500億円。
・一種官僚(今の総合職官僚)2,000万円×1万5千人=3,000億円。
 合計3,500億円

が原資として必要となる。財源については「各省庁が知恵を突き合わせて、可能な限りスリムな予算案作成に、全力を上げて頂く」(前述同様、政府が予算説明でよく用いるフレーズ)ことにより捻出するものとする(あ、防衛費から全額引っ張ってもいいな)。年額3,500億円で、政治が「正常化」されれば安いもんじゃないか!

「何言ってるんだ!ただでも歳費2,300万円ももらっている国会議員にどうしてそんなムダ金をやらなきゃならない!」と至極真っ当なお叱りを受けるであろうことは覚悟の上である。それでも、

「迷惑なことをしてくれるよりは、何もしない方がいい」

こんな人あなたの職場にいないだろうか? 私的経験から組織に属して仕事をしていた頃、どの職場にも、「迷惑なことをしてくれるよりは、何もしない方がいい」(存在自体が迷惑だから本当はいて欲しくない)同僚や上司が、必ず数人はいた。私だけでなくほかの人からも背面服従で嫌われていた。でも居るんだから仕方ない。下っ端に人事権はないし、そんな「迷惑さん」に限って、どういうわけか管理職であったりする。余計な口出しをするアルバイトさんだけども、気が強すぎて、こちらから注意出来ない人の場合もある。

「早く帰ってくれないかな。要らない仕事、頼むからこれ以上作ってくれるなよ」とあなたをイライラさせる職場の人間はいないだろうか。そんな人でも仕事を辞めさすわけにはいかないから、少しその方には俸給を上乗せし、その代わり「要らぬお世話を一切しない」と誓約してくれたらどうだろう。私だったらその案に飛びつく。

要はそういう発想同様の「国家改革像」が、雪国の知人に閃きとなって降臨したのだ。これは案外有効かもしれない。どうせ与野党問わず議員のほとんどは名誉と、権力欲だけのために議員になっているんだから、連中には黙っておかせる方がよっぽど有益じゃないか。知人からはさらに追伸がきた。

〈政治家と高級官僚に5,000億円を毎年を差し上げます。すると彼らは利権を求める必要がなくなり、日本全体の利益を考えて働くようになります。愛国者になってくれます。この予算を「おだて予算」と呼びます〉。

総額が5,000億円に増額している理由は問うまい。乱暴そうだけども、案外妙案かもしれない「おだて予算」案。やっぱり優しい穏健保守のあの人らしい「閃き」だなあ。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

おかげさまで150号!最新刊『紙の爆弾』3月号! 安倍晋三を待ち受ける「壁」

総理大臣研究会『歴代内閣総理大臣のお仕事 政権掌握と失墜の97代150年のダイナミズム』

『カウンターと暴力の病理』発刊のあと、M君が李信恵被告ら5名を訴えた裁判の本人尋問が昨年12月11日に行われたことは本通信でお伝えした通りである。「M君リンチ事件」への司法の判断は3月19日大阪地裁で、判決言い渡しを迎える。

他方ここへきて焦点化してきた、別の問題も無視できない。それはマスコミ関係者が李信恵被告を持ち上げる記事は書くが、李被告ならびに「しばき隊」の負の部分については、まったくといってよいほど報道がなされないことだ。『カウンターと暴力の病理』の中でも触れたが、大阪司法記者クラブはM君ならびに鹿砦社が要請した「記者会見」の開催を都合5回以上拒否している。

そこでこのたび、大阪司法記者クラブ所属の記者だけではなく、M君リンチ事件の情報を知っているマスコミ関係者、知識人、そして「しばき隊」の構成員、計約50名に「質問状」を送り2月5日正午を回答期限として、FAXもしくはメールでの答えを待った。内容はともかく返答を寄こしてくださったのは関西の「しばき隊」1名と朝日放送の大西順也氏、そして富山県にある珉照寺、山岸智史住職は質問に自らこたえるのではなく神原元弁護士(!)を通じてFAXで回答してきた。山岸住職は、

富山県・珉照寺(西本願寺派)の山岸智史住職によるツイート

と、鹿砦社を「馬鹿砦社」との誹謗を書き込んだ人物。西本願寺派の住職という、いわば「聖職」にある人間でありながら、このような鹿砦社への罵倒は到底看過できないので、『カウンターと暴力の病理』と質問状を宅配便で送ったところ、最初山岸住職は「受け取り」を拒否」。送付物は鹿砦社へ返送されてきた。仕方なく配達証明郵便で再度質問状を送ったところ、

神原元弁護士から鹿砦社松岡代表宛てに送られてきたFAX通信(2018年1月30日付)

が送られてきた。「しばき隊」関係者は言いたいだけ言い放ち、こちら側がその真意を確かめようと「質問」すると「えーん、神原先生! 鹿砦社怖いよ」と泣きながら、神原弁護士に代理人を依頼する。反原連(首都圏反原発連合)、五野井郁夫、秋山理央、李信恵、香山リカ、山岸智史住職と、この様子では、さらに神原弁護士が代理人に就任する人物は増えるかもしれない。

それにしてもいかがなものであろうか? 反原連には会計報告などを申し入れ、秋山理央には秋山のブログ上の収支報告に鹿砦社から支払った金員が掲載されていないので、その疑問への回答を求め、香山リカは「どこへ送ったのちょっと書いてみて」との香山の依頼に応じて送付先を書き込み、「鹿砦社はクソ」を連発する李信恵には「警告書」を送り、珉照寺山岸住職には「馬鹿砦社」発信の真意を確かめる「質問状」を送り……。いずれも鹿砦社が質問並びに申し入れをせざるを得ない状況を作りだした団体・個人へその意向を尋ねると、瞬時に神原弁護士が代理人に着任する。

そして、神原弁護士は、代理人着任の連絡を上記のように1枚だけの「FAX通信」なる題名で送付してくることがままあった。通常このような表題を代理人着任で使うものか、何人かの弁護士に尋ねたが、「各先生の考えによるのでしょうが、一般的には聞いたことがない」との回答だった。神原弁護士はひょっとすると、かつてFAXで鹿砦社が定期的に流していた「鹿砦社通信」(注:これは『紙の爆弾――縮刷版・鹿砦社通信』として一冊にまとめ出版している。また、この「デジタル鹿砦社通信」も、FAX版「鹿砦社通信」を踏襲している)を模して、冗談半分でこのような表題を付けたのではないか。

そこで、上記代理人を引き受けた団体・個人からの「委任状」を見せてくれと要請した。FAX一本送ってこられて「代理人に着任しました」と伝えられても、正式な委任を証明する「委任状」を見せてもらわないことには、ここまで多数の代理人(しかもいずれも問題が起きると直後に)への就任を確認できない。その要請に応じる形で返送されてきたのが以下である。今回のFAXは上記の「FAX通信」と異なり、正式に武蔵小杉合同法律事務所のカバーレターがついており(ということは、これまでの「FAX通信」はカバーレターすらつけずに送付してきた「おざなりな」形式であったことが証明された)体裁は整っている。

神原元弁護士から鹿砦社宛てに送られてきた武蔵小杉合同法律事務所のカバーレター付「FAX送付の件」(2018年2月2日付)

五野井郁夫の委任状

山岸智史珉照寺住職の委任状

香山リカの委任状

秋山理央の委任状

このように山岸住職以外は住所もなく、「代理委任(上記委任)に捺印します」との文言があるが、肉筆の署名があるだけで、捺印はない。しかも中塚尚子こと香山リカの委任状の日付はなんと、2018年2月2日となっている。神原弁護士がFAXに書いている通り香山の代理人に依頼は電話であったのだろうが、香山の委任状は鹿砦社からの催促のあとに作成されたものであることをこの日付は示している。

法律的に弁護士の代理人就任は、必ずしも書面を交わすことが義務付けられていない(刑事弁護などの場合は物理的に不可能な場合もありうるので、仕方ないだろう)けれども、複数の弁護士によると、日弁連は民事の代理人就任にあたっては、書面での委任を明確化するように弁護士に促しているという。

つまり神原弁護士は、鹿砦社案件について「しばき隊」各位の依頼は電話一本で引き受け、委任状も交わさずに代理人を引き受けているようだ。使命感か私怨か。判断のわかれるところだろう。

(鹿砦社特別取材班)

最新刊『カウンターと暴力の病理 反差別、人権、そして大学院生リンチ事件』[特別付録]リンチ音声記録CD

『人権と暴力の深層 カウンター内大学院生リンチ事件真相究明、偽善者との闘い』(紙の爆弾2017年6月号増刊)

『反差別と暴力の正体 暴力カルト化したカウンター-しばき隊の実態』(紙の爆弾2016年12月号増刊)

『ヘイトと暴力の連鎖 反原連―SEALDs―しばき隊―カウンター 』(紙の爆弾2016年7月号増刊)

2月4日投開票が行われた沖縄県名護市長選挙で、現職の稲嶺進候補を新人の渡具知武豊氏が破り、自公政権(プラス維新)が後押しする市長が誕生した。稲嶺陣営は「オール沖縄」ら翁長知事らが支援し三選にのぞんだが、3400票ほどの差で落選した。私は公明党が渡具知氏支援を明確にして以来、稲嶺氏の再選が厳しいのではないか、と予想していたが、その通りの選挙結果となった。

 

2018年2月5日付沖縄タイムス社説

今回の選挙結果と、それに通じる構造は沖縄タイムス2月5日社説が述べているように、〈菅義偉官房長官が名護を訪れ名護東道路の工事加速化を表明するなど、政府・与党幹部が入れ代わり立ち代わり応援に入り振興策をアピール。この選挙手法は「県政不況」という言葉を掲げ、稲嶺恵一氏が現職の大田昌秀氏を破った1998年の県知事選とよく似ている〉と私も感じる。

前回の市長選と大きな違いは、公明党が自主投票から、今回は明確な国政与党候補の支持に回ったことだ。全国的には公明党の組織票は国政選挙ごとに得票を減らしているが、沖縄ではむしろ支持者を増している、という話を現地では耳にする。とりわけ、沖縄以外からの沖縄への移住者が生活になじめず、困惑の色をみせていると、すかさずオルグ(勧誘)にやってきて勢力を広げているらしい。この話はご自身が東京から沖縄に転居され、創価学会に入信したご本人の体験談として聞いたので間違いないだろう。

◆選挙結果と市民の態度

即座には思い出せないほど、米軍のヘリコプターやその部品落下が相次ぎ、米兵や軍属の犯罪が引き起こす犯罪の報道は、関西に住んでいても新聞紙上でしばしば目にする。

短絡的に名護市長選挙の結果を、「沖縄県民が辺野古基地建設を含め、米軍の駐留に肯定的に意見が変わった」と決めつけるのは大いなる間違いだ。たとえば名護市長選を前に、琉球新報社などが実施した電話世論調査から市民の態度は明白だ。

米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設計画について、53.0%が「反対」、13.0%が「どちらかといえば反対」を選択し、66%を占めた。一方で「賛成」は10.5%、「どちらかといえば賛成」が17.8%と3割に満たない。

何度も、何度も選挙で「反対」の意思表示をしても、県議会で決議をしても、知事が東京に出向き、米国まで出向いても、いっこうに変化のない状況に、地元の人びとは疲れ切っているのが正直なところだろう。

2018年2月5日付琉球新報社説

そして、基地反対運動に熱心ではない、庶民の多くは基地問題について多くを語りたがらない。「もう疲れた。勘弁してくれ」と顔に書いてある。人口が6万人ほどの名護市がもっぱら、辺野古基地建設で注目を浴びるが、人々には日々の生活があり、沖縄の住民が、名護市の住民が他の地域の住民に比べて、政治にばかり頭を悩ませ、翻弄させられていなければならない状態自体が、惨いというべきだ。辺野古基地建設計画がなければ、名護市はこれほど注目されることもなかったろうし、市民の分断や苦悩も生じはしなかった。辺野古基地建設の罪はこのことに尽きるともいえる。

◆太田元知事時代への国権ネガティブキャンペーン

前述の通り、太田元知事は知事就任前に研究者だったこともあり、理詰めでなおかつ、行動的に米軍基地撤去に取り組んでいたが、その姿勢を自民党や政権中枢は「基地問題ばかりで、経済政策に無能」と決めつけキャンペーンをはった。

事実は逆だ。20世紀後半から沖縄は観光がけん引役となり毎年目覚ましく経済成長している。ここ4年間は毎年過去最高の観光客数を記録し、2016年度の入域観光客数は876万9,200人で、対前年度比で83万2,900 人、率にして10.5%の増加となり、4年連続で国内客・外国客ともに過去最高を更新した。外国客においては初の200万人台を記録した(沖縄県の集計)

こと「経済」にかんしては、沖縄は成長の真っただ中で、観光を中心に、まだ発展の余地がある(それが良いことがどうかは簡単には判断できないけれども)。

2016年度 沖縄県入域観光客統計概況(文化観光スポーツ部観光政策課2017年4月発表)

米軍基地の問題は大前提として揺るぎないが、沖縄を訪れるたびに、どんどん日本の巨大資本が侵入していく様が目について仕方ない。また自分も観光客だから、こんなことを言えた義理ではないのだけれども、沖縄の観光客急増は確実に環境への悪影響をもたらしている。沖縄島(本島)を南北に走る国道58号線は、那覇市内ではしょっちゅう渋滞している。車のナンバーを見ると「わ」や「ね」(レンタカー)がやたら多く、交通事故を毎日のように見かける。海水浴場では日焼け止めを塗りたくった観光客が綺麗な海を汚す。

沖縄の人びとが潤うのは好ましいけれども、やみくもな経済成長で人の心を失い、人の住めないような街を溢れさせてしまった日本の過ちをおかさないで欲しい。言わずもがな「命どぅ宝」精神が沖縄にはあるが、それが「経済成長神話」に揺すられてはいないだろうか。基地存続派はかつて「経済基地依存論」を、それが破綻すると「経済テコ入れ支援策」を持って東京からやってくる。でも沖縄では、経済成長と反比例して平均年齢が下がっているじゃないか。

◆本当の花を咲かせる ── ネーネーズの「黄金の花」

毎年「琉球の風」に登場する「ネーネーズ」に「黄金(こがね)の花」という曲がある。作詞岡本おさみ、作曲知名定男の名曲だ。


◎[参考動画]黄金の花/NENES with DIG(2015年6月27日ライブハウス島唄にて)

黄金の花が咲くという
噂で夢を描いたの
家族を故郷 故郷に
置いて泣き泣き 出てきたの

素朴で純情な人達よ
きれいな目をした人たちよ
黄金でその目を汚さないで
黄金の花はいつか散る

楽しく仕事をしてますか
寿司や納豆食べてますか
病気のお金はありますか
悪い人には気をつけて

素朴で純情な人達よ
ことばの違う人たちよ
黄金で心を汚さないで
黄金の花はいつか散る

あなたの生まれたその国に
どんな花が咲きますか
神が与えた宝物
それはお金じゃないはずよ

素朴で純情な人達よ
本当の花を咲かせてね
黄金で心を捨てないで
黄金の花はいつか散る

黄金で心を捨てないで
本当の花を咲かせてね

命や心を大切にすれば、優先させるべき順列は、おのずから明らかではないか。戦争を前提とした米軍基地の存在など論外だ。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

2018年もタブーなし!7日発売『紙の爆弾』3月号

『NO NUKES voice』14号【新年総力特集】脱原発と民権主義 2018年の争点

〈昨年まで、仕事始めは3年連続で元旦からだった。朝から、NHKラジオ第一の全国放送で「福島から2時間出しているラジオ」という番組に出演していたのだ。
 様々な切り口で東日本大震災・福島第一原発事故以降の福島の現状を全国に発信する番組だ。ウェブサイトには、「福島の『いま』と『元気』を全国に発信するトークバラエティー番組」と説明されている。福島の問題がニュースになると暗い話、難しい話になりがちだ。だから、多くの人が関心を持てなくなり、タブー化すらしている現実もある。そんなテーマを、正月に2時間、全国放送するのは簡単なことではない。重い話になってしまえば、聴く人たちもついてこられない。競合するラジオでもテレビでも賑やかな番組、めでたい番組ばかりやっている。聴取者・視聴率が取れないとか、切り口によっては何を言っても放送局にクレームが寄せられるとかリスクもある。それでも、意義あることを正月の番組編成にねじ込むのは、さすが公共放送・NHKだ。〉

1月19日京都新聞夕刊1面下段の「現代のことば」に立命館大学衣笠総合研究機構准教授の開沼博が、NHKを持ち上げる記事を寄稿している。「現代のことば」執筆陣が昨年発表されたとき、そのなかに開沼の名前があったので京都新聞の人選には「ああ、またやったな」と舌打ちしたい気分になった。福島原発事故から技術者ではなく社会学者として自ら手を挙げて「御用学者入り」を志願した開沼博。事故後の「ご活躍」も原発推進側の期待を裏切らないものであることは、上記ご紹介した記事だけでも充分に伝わることだろう。

NHKラジオ第一「福島から2時間出しているラジオ」HPより

NHKラジオ第一「福島から2時間出しているラジオ」HPより

◆福島県は「難しい状況にない」というのか?

開沼は、「福島の問題がニュースになると暗い話、難しい話になりがちだ。だから、多くの人が関心を持てなくなり、タブー化すらしている現実もある」と言い切るが、どこに福島の現実をしっかり伝えて、その深刻さを報じる番組があるというのだ。「タブー化」しているのは報道だろうが。「福島の問題がニュースになると暗い話、難しい話になりがちだ」と開沼は言うが、原発4機爆発で深刻な放射性物質汚染にさらされ、既に甲状腺がんの手術を受けたひとびとが千人を超える(参議院委員会での山本太郎議員に対する政府答弁)福島県は「難しい状況にない」というのか。「放射能は笑っている人には来ません。くよくよしている人のところに来るんです」と事故後福島各地で講演して回った山下俊一同様、開沼は深刻な現状隠しに余念がない。こんな人間を3年連続元旦にラジオで使うのだというからNHKの放送内容もだいたい想像できる。

「切り口によっては何を言っても放送局にクレームが寄せられるとかリスクもある。それでも、意義あることを正月の番組編成にねじ込むのは、さすが公共放送・NHKだ」とまで国策宣伝放送機関、NHKを持ち上げるのだから開沼を「御用学者」と呼んでも、何の不足もないはずだ。

開沼には経験がないのだろう。NHKの番組に意見や苦情があって、新聞に記載されているNHKの電話番号にかけると「ふれあいセンター」につながる。「ふれあいセンター」はあらゆる意見・相談・苦情の窓口だが、「事実と異なる報道をされた」と申告しても「貴重な意見として上にあげておきます」以外の回答をすることはない。開沼が懸念しているように「苦情によって」番組内容が影響を受けることなど、「国策」に沿っている限り皆無だ。一方民放のニュース番組で誤報があれば、代表番号に電話を掛けたら番組制作部署につないでくれる。天下のNHKの福島報道における問題はむしろ逆の現象にこそ指摘されるべきだろう。

◆現実を直視しない詐欺師的言説は耳に優しい

開沼博『はじめての福島学』(イーストプレス2015年2月)

「ウーマンラッシュアワー」という漫才師が社会ネタの漫才をやった。そのことについて「漫才師は社会ネタをやるべきかどうか」などと馬鹿げた顔をした、キャスターやお笑い芸人と、恥知らずな大学教員といった出演者で構成される情報番組のいくつかでは話題にされたらしい。そんなことが話題にされること自体が「笑う」に値する風景なのだが、元旦に「福島の虚構」を放送するのに熱心なNHK、そしてそれを称揚する開沼の神経は、遠回りでありながら、事実を直視しないで、体調不良に苦しむ人、「ここに住み続けてもいいのか」と自問する人、はては亡くなる人を度外視し、「正月の楽しさ」を放送するのが、人道的であると信じているようだ。

〈地震・原発事故による直接的な被害とはまた別の、誤解・偏見による被害が生まれ続けている。今年は正月ではなく成人の日に「福島で活躍する若者」をテーマに番組があった。原発廃炉のためにロボットを開発する高専生、福島の農家などをまわってその産品と物語をまとめた冊子を制作する高校生などの出演。番組をはじめた時以来の反響があった。これからも「楽しさ」を伝えつづけた。〉

開沼は「これからも『楽しさ』を伝え続けたい」という。私は楽しさを否定するものではない。けれども現実にある「危険性」を覆い隠そうとする政府や県、果ては開沼らの「楽しさ」に惑わされることなく、いっときの「ごまかし」ではなく、長期間福島に居住すればどんな健康リスクがあるかを、厳しくともお伝えする方が人の道に沿った行為であると思う。現実を直視しない詐欺師的言説は耳に優しい。けれども騙されてはいけない。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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